囚人と青い鍵2
77 現地集合(翡翠side)
「マスター!朝ですよー!起きてくださーいっ!遊園地行くんですよね?ねっ?」
「近所は寝ている。私は起きてる。つまり静かに。」
「はーい。」
やっぱりこいつ、見た目は青年中身は子供、迷探偵カイトか?
「マスターマスター!何着ていきますか?」
「着替えるのわかってて部屋に入るな!」
「ご、ごめんなさい!あの…もし特に決めてなかったらこの前の花柄のスカートがいいなぁ…って、いや、なんでもないですごめんなさい!」
ばっちり聞こえてますけど?
あの、お母さんが昔買ってくれたやつね。
ただあれ、ちょっと短いんだよね…
せっかくだから、お母さんがスカートとセットで買った花のヘアピンもつけてみる。
「着替えたけど…」
「マスター可愛い!!」
「だからいきなり抱きつくなっていつも言ってるだろうが!」
「だって予告しても逃げちゃうんですからいきなりしかないじゃないですか。抱きついたもん勝ちです!」
こいつ、いつからこんな図々しくなった?
ついこないだまでいきなり抱きつくなといえば、ごめんなさい!って跳び退いてたものが…
「じゃあ、これならいいですよね?」
なんで頭をわしゃわしゃと撫でるんだよ!
「やめんか!髪の毛崩れるだろうが!」
「わわっ!ごめんなさい!」
やったもん勝ちとごめんなさいの基準は何だ?
乱れた髪を手櫛で整え、軽くメイクして外に出る。
「現地集合ですよね?」
「あぁ。」
しばらく歩くと数十メートル前に見たことのある奴がいた。隣には、茶髪でショートヘアの女の人と、緑の長いツインテールの女の子がいる。
「めーちゃーんっ!ミクーっ!恭一さーんっ!」
「叫ぶな。勝手に走るな!」
仕方なく私も走ることになる。
「お兄ちゃんだ!今日それ私服?」
カイトは今日、店長さんのところの服を着ている。
あのときに買った(いただいた?)服の中でも相当気に入ってるらしい。私も、あの中で一番似合ってると思う。
「バカイトもちょっとはマシに見えるわね。」
「めーちゃんそれ酷くない?」
「褒めてんのよ!」
この人がめーちゃんか。にしても、この赤い服、露出度高過ぎやしないか?
そしてその胸を分けてくれ…
「わーーっ!この子が翡翠ちゃん!?もー、写真も可愛かったけど実際もっと可愛いっ!!」
何!?何何何!?
めーちゃんもカイトと一緒でいきなり抱きついてくる人なの!?
「なにゃ、何いきなり!?」
「今なにゃって言ったー!ヤバいこの子超可愛い!うちの着メロセンスゼロマスターと交換したい!いいよねカイト!?」
「ダメに決まってるでしょ!?」
「お姉ちゃん翡翠さん困ってる。」
「あーっ!ごめんね翡翠ちゃんあんまり可愛かったから…」
ミクありがとう…
「ったく、ほんっとマスター格差よね…」
「俺の前で言うなよ。」
「あたしは陰口が嫌いなのよ。」
正論なんだか何なんだかわからん!
「翡翠さん…」
「何?」
「仲間です!」
「何の!?」
「言えません!」
ミクもよくわからん…
電車に乗ると、途中の駅でこれまたよく見知った人が乗る。
「あ、ひーちゃんと恭くんたちだー。おはよー♪」
「わぁ!メイ姉ミク姉久しぶり!」
それぞれ再会を楽しむだの、ワイワイするだのしてるが…
「あの、ここ電車だからな?それと、結、恭一。」
「はーい?」「何だ?」
「これ、チケットな。なくすなよ。」
「ラジャ!」「了解。」
「マスターマスター、見えてきましたよ!マスター!」
「だから今電車だって言ったろうが。」
ーまもなく、としまえん前…としまえん前…ー
晴天。
見上げれば、入道雲。
78 ピンクのスカート、お花の髪飾り(カイトside)
「着替えたけど…」
「マスター可愛い!!」
だって、ピンクのスカートにお花の髪飾りですよ?
それを、あのマスターが身につけてるんですよ?
可愛くないわけないじゃないですか!
「だからいきなり抱きつくなっていつも言ってるだろうが!」
「だって予告しても逃げちゃうんですからいきなりしかないじゃないですか。抱きついたもん勝ちです!」
もう、マスターそうやって離れますけど、もうちょっと素直になっていいと思いますよ?
「じゃあ、これならいいですよね?」
なんだろうこの、撫でたくなるサイズ感。
「やめんか!髪の毛崩れるだろうが!」
それは!マスターのせっかくのきれいな髪!
「わわっ!ごめんなさい!」
ほんの少しの手櫛で元のきれいな髪に戻るマスター。
「現地集合ですよね?」
「あぁ。」
あ、あれは!
「めーちゃーんっ!ミクーっ!恭一さーんっ!」
「叫ぶな。勝手に走るな!」
「お兄ちゃんだ!今日それ私服?」
マスターと一緒に買い物に行って店長さんのとこでお手伝いしたときの、一番気に入ってる服だ。
「バカイトもちょっとはマシに見えるわね。」
「めーちゃんそれ酷くない?」
「褒めてんのよ!」
それ褒めてるの?
「わーーっ!この子が翡翠ちゃん!?もー、写真も可愛かったけど実際もっと可愛いっ!!」
ちょ、めーちゃんマスターに何やってんの!?
「なにゃ、何いきなり!?」
「今なにゃって言ったー!ヤバいこの子超可愛い!うちの着メロセンスゼロマスターと交換したい!いいよねカイト!?」
たとえめーちゃんでもマスターは渡さん!
「ダメに決まってるでしょ!?」
「お姉ちゃん翡翠さん困ってる。」
「あーっ!ごめんね翡翠ちゃんあんまり可愛かったから…」
ミクグッジョブ!
「ったく、ほんっとマスター格差よね…」
「俺の前で言うなよ。」
「あたしは陰口が嫌いなのよ。」
恭一さんにもズケズケ言うんだなぁ…
「翡翠さん…」
「何?」
「仲間です!」
「何の!?」
「言えません!」
ミクとマスターはきれいなロングヘア同盟かな?
ん?それじゃあなんで言えないんだろう?
「あ、ひーちゃんと恭くんたちだー。おはよー♪」
「わぁ!メイ姉ミク姉久しぶり!」
「僕もいるよー。」
「カイト兄おはよー!」
「あの、ここ電車だからな?それと、結、恭一。」
「はーい?」「何だ?」
「これ、チケットな。なくすなよ。」
「ラジャ!」「了解。」
僕の分は、マスターが持っててくれてるんだろうな。
あっ!あれ、そうじゃないか?
「マスターマスター、見えてきましたよ!マスター!」
「だから今電車だって言ったろうが。」
ーまもなく、としまえん前…としまえん前…ー
きれいに晴れてるから、中止になる乗り物はないだろうな。
「じゃあ、みんなチケット持った?入るよ。」
ついに、来た!
普段とあまり変わらないようなクールさのマスターも、きっと内心楽しみなんだろうな。
79 サイクロン(カイトside)
「カイト、何乗りたい?」
「マスターが乗りたいものに、ついていきますよ。」
高いところに行かない乗り物ならいいなぁ…
「やっぱ最初はあれじゃないか?」
マスターが指さすのは、僕たちの頭上を通る青いレール。
「ジェットコースターね?」
「レン、行こう!」
「待ってリンちゃん勝手に行かないの!」
「結、止めなくていい。みんなリンに続け!」
え、今のマスターの発言ですか!?
マスターって、今の結さんみたいに、勝手に行くなって言いそうなのに。
「ほらカイトぼさっとしない!走れ!」
「はい!」
8人が全力疾走って、なんか運動会の徒競走みたいだ。
「早く早く!」
ジェットコースターとやらの前には、早くも列ができていた。
看板には、現在10分待ちの表示がある。
「結構混んでますね。」
「いや、少ない方だぞ?」
「そうなんですか?」
「ディズニーとか行ったら、2~3時間待ちはザラだぞ。」
2~3時間って、他のもの乗れないじゃないですか!
「きゃぁあああああああああっ!!!」
え!?
「マスター!なんか事件でもあったんですか!?」
「は?」
「だって今、悲鳴が…」
「あれ、カイトくん知らない?ジェットコースターって下がるとき、思いっきりキャーッて叫ぶのが正しい楽しみ方なんだよ?」
下がる…?
え、じゃあ高いところに上るんですか!?
「ま、マスター…もしかしてこれ、高いところ行きますか…?」
「何言ってんのカイト、大丈夫だよ。」
良かった…
「それでは、行ってらっしゃーい!」
僕たちの前の1組が発車する。
って、何が大丈夫なんですか!思いっきり高いとこ上ってるじゃないですか!
「マスターの嘘つき!」
「は!?」
「高いとこのぼるじゃないですか!」
「いやあれくらい普通だろ。リフトと違って安全バーあるし。落ちたりしないぞ?」
僕には普通じゃないですって…
「ひーちゃん、カイトくん乗るよー?」
しまった、辞退する暇すら残されていない。
前の方に知らない人たち。それからリン・レン、めーちゃん・ミク、結さん・恭一さん、一番後ろに僕とマスター。
「一番後ろが一番楽しいんだよね。」
僕にはマスターが恐ろしいこと言ってるようにしか聞こえません…
「では、行ってらっしゃーい!」
嫌です!
しかし無情にも、乗り物は動き出す。ガタガタといいながら、ゆっくりと急斜面をのぼる。
僕は安全バーにしっかりとつかまる。
「降りるときに、手を高く挙げるんだぞ。」
「何でわざわざそんな恐ろしいことを!?」
「やってみちゃえば怖くないって。むしろつかまってる方が怖い。」
「意味分かりません!」
のぼり終えたこの乗り物は、傾斜のないカーブを通って…
「@#&∵%£★§*+※∴¥!?」
何が起きたんですか!?
今、落ちました!?
かと思えば今凄い速さでのぼってますよね!?
「うぎゃぁあああああああっ!?」
何でマスターが僕の手を持って上に上げてる!?
え、今下がった!?
どうなってるんですかこれ!
「うわっ!?」
と思ったら何も見えない!真っ暗!
「マスター!?マスター!」
「…ははっ!」
何でこの状況下で笑ってるんですか…うわ眩しっ!
何ここ今森の中通ってる!?
って失速してる!?
「お帰りなさーい!」
あ…終わったんですね…?
「楽しかったな!」
「ねー♪」
僕は何がなんだかさっぱりわかりませんでした!
「カイトが面白かった…はははっ…」
「何でですかマスター!」
「今度はあれ乗ろうぜ!」
「話そらさないでください!」
「よしレッツゴー!」
よくみんなあの後平気で動けるな…
「お兄ちゃん、お兄ちゃんのマスター行っちゃうよ?」
「ミク、僕らはゆっくり行こう?」
「でも早く行かなきゃ並んじゃうよ!」
ミクまで僕を連行しないでよー!
「ミク、カイト遅いわよ!」
「ごめんお姉ちゃん、靴ひも結んでたの!」
「いやあんたひもないでしょ。」
「あ…」
「僕を待ってたって言って良かったのに。」
「だろうと思ったわよ。ま、カイトが来なかったらそのときは翡翠ちゃんの隣はあたしがもらうつもりだったけどね。」
なぬ!?
「い、いや乗るから!普通に乗るから!」
「あんたってホント分かりやすいわね。」
「何が?」
「何でもないわよ。」
で、今度の乗り物はなんですか?
「キャーーーッ!」
また落ちる奴ですか!?
あれ、今フラッシュ…
「お兄ちゃんあれ落ちるとき写真撮るんだって!」
ミクがとんでもないこと言ってる…
あんな瞬間写真に撮られたらまともな顔してるわけないじゃないか!
「では次の4名様ー」
「翡翠さん一緒に乗ろ!」
「あぁ、リンとレンか。いいよ。」
「行ってきなさいよ、カイト。」
「まま、マスター!僕も行きます!」
「あぁ、おいで。」
80 フリュームライド(翡翠side)
そういえばカイトは、高いところが苦手だったな。
ってことは、面白い反応をするんじゃないか?
「降りるときに、手を高く挙げるんだぞ。」
「何でわざわざそんな恐ろしいことを!?」
もうこの時点で怖がっている。
「やってみちゃえば怖くないって。むしろつかまってる方が怖い。」
これに関しては、嘘はついてない。
「意味分かりません!」
だろうな。
そろそろ下るな。
来た!叫んでや…
「@#&∵%£★§*+※∴¥!?」
何言ってんだこいつ!?
もしかして、状況そのものを飲み込めてない?
てことは、次下るときに手を挙げてやったら…
「うぎゃぁあああああああっ!?」
案の定だ!こいつやっぱ面白い!
来るぞ、トンネル来るぞ、カイト、今度はどうなる?
「うわっ!?」
わかりやすっ!
「マスター!?マスター!」
いや隣にいるから!
「…ははっ!」
笑い堪えるとか、無理だろ。カイト面白すぎる!
トンネル抜けたら抜けたで、またびっくりしてやんの!
いやいや、目丸くしてるけど、そろそろ終わるからね?
「お帰りなさーい!」
「楽しかったな!」
主にカイトの反応が!
「ねー♪」
そういう結は見れてないんだよなー、もったいないな。
あ、でも意味不明の叫び声は聞こえたか。
「カイトが面白かった…はははっ…」
「何でですかマスター!」
なんでもなにも、あの反応が面白くないわけないだろ!
こいつ、お化け屋敷つれてったらまた面白い反応するかな…?いや、私も苦手だが、私以上の反応を見せる奴が行くならそれを見たいんだ。
よし、次はあれだ。
川をまったり行くようで、最後に一気に急降下する。
そしてそこをカメラで撮影!
どんな面白い顔するんだろうか?
「今度はあれ乗ろうぜ!」
「話そらさないでください!」
「よしレッツゴー!」
「お兄ちゃん、お兄ちゃんのマスター行っちゃうよ?」
「ミク、僕らはゆっくり行こう?」
「でも早く行かなきゃ並んじゃうよ!」
ミク、ありがとう。
「キャーーーッ!」
「お兄ちゃんあれ落ちるとき写真撮るんだって!」
振り返ると、悲鳴とミクの発言にうろたえるカイトが見える。
「では次の4名様ー」
「翡翠さん一緒に乗ろ!」
「あぁ、リンとレンか。いいよ。」
あれから、遊んでくれたゲームの強いお姉さんという印象だろうか、2人は私に結構懐いているらしい。
「行ってきなさいよ、カイト。」
「まま、マスター!僕も行きます!」
「あぁ、おいで。」
さぁ見せてもらおうか反応を!
「では、行ってらっしゃーい!」
「これものぼるんですか!?」
「のぼらなきゃ降りられないだろうが。」
「ひぇー。」
「大丈夫、手繋いでおいてやる。」
「「ひゅーひゅー」」
ん?リンとレンはどういうつもりだ?
「そう言って落ちるときに挙げるんですよね!?」
「ダメか?」
「ダメです!」
「ダメと言われようとやったもん勝ちだろ?」
今朝の論法を使わせてもらおう。
「酷いですよマスター!」
そんな口利けるのも今のうちだぞ。
まったりとした川下りの中で、最後の落下よりも前にほんの少しだけ急に下るところがある。
「うわぁっ!?」
「カイト兄の声の方にびっくりした!」
「兄さんもしかしてこういうの苦手?」
「苦手だよ!」
リンとレンも笑ってる。
「もう、次から絶対乗りませんからね!」
丸太船には、前からリン、レン、カイト、私の順に座っている。
「他7人が乗ってる中1人外で待ってるのか?」
カイトは、気づいていない。
「あ…それはちょっと寂しいかな…」
後ろにいる私の方を向いているから。
まもなく落下することに!
「カイト!前向け前!」
「はいぃっ!?」
落下を事前に知る目的ならば、時すでに遅し。
ただ、前を向かせなければ写真に写らない!
「@#xrn&∵gfd%wqv£★§*rt+b※∴gj¥fk!?」
「「「キャーーーーーッ!!」」」
楽しい!
落下からほんの少し遅れて、水しぶきがかかる。
気温が高いから、ちょうどいい。
「マスター何でもっと早く教えてくれないんですか!」
「忘れてたんだよ!」
いや、忘れてなんかいないけどな。もちろんねらったタイミングだがな!
「兄さんさっきなんて言ってたの?」
「僕もわかんない。」
誰もわかんないと思う。
「あ、そろそろミク姉たち来るんじゃない?」
「見てようか。」
「「「「キャーーーーーーッ!!!」」」」
女の子たちの悲鳴の中に混じる恭一のあふれる違和感!
「いいなぁ…」
「カイト?」
「みんな上手に乗れて…」
いや、カイト以上に上手な乗り方の奴いないから。
同乗者から見て面白いという意味でな!
恭一たちが戻ってくる。
「写真見ようぜ写真!」
思った通り、誰よりも面白い表情をしていたのはカイトだった。
81 ミラーハウス(翡翠side)
「ちょちょちょ、ちょっと一旦、わりと穏やかな乗り物乗りませんか!?」
まぁ、パイレーツやフライングカーペットとか、その手のを全部午前中に消費しちゃうのももったいないかもしれない。
「別に乗り物じゃなくてもよくないか?そうだな、じゃあミラーハウスにでも行くか。」
「でも恭くん、ミラーハウスって8人でぞろぞろ行くより2~3人ずつで行った方がよくない?」
「まぁ、入場の時点で係員が調節するだろ。」
「そだね。」
「マスター、ミラーハウスってなんですか?」
ちょっと冗談でも言ってみるか。
「さっきのジェットコースターのさらに速くて凄いの。」
「僕絶対乗りませんから!」
うわ、真に受けたよこいつ!?
「いや嘘だよミラーハウスって名前からして違うだろ。」
「嘘だったんですか!」
真に受けたフリじゃなくて本当に信じたんだな…
「むしろ信じるなよ!てか、激しいジェットコースターならカイトがあの発言した後提案しないだろ。」
「そうでしたね。で、ミラーハウスってなんですか?」
「名前通り、鏡の家だ。至る所に鏡でできた壁があり、迷路になってる。」
「なんか面白そうですね!」
お前の反応がな。
「鏡に頭ぶつけるなよ。」
「ぶつけませんから!」
どうだか。
ミラーハウスには、最初に私とカイトが、次に結とリンレンが、最後に恭一とめーちゃん、ミクが入ることになった。
「翡翠さん抜いて1番にゴールしようね!」
「おう!」
やれるもんならやってみなさいな。
「僕もいるからね!?」
「兄さんは割とすぐ置いていけそう。」
確かに、そんな気がする。
「レンそれ酷くない!?」
「まぁ、そんなもんだ。」
「マスターまで言わないでくださいよ!てかチームじゃないですか!」
「いや、入ったら個人戦だろ?」
「ぼ、僕だってやるときはやりますからね!?」
「はい、じゃあ2名様入ってください。」
「じゃあな。」
「ひーちゃんカイトくん行ってらー。」
「あぁ。」
「わっ、暗っ!」
「明るかったら鏡に反射しまくって眩しいだろうが。」
「そうですね…あ、こっちじゃないですかマスター?」
「そうだな。」
「ほら、やればできますよ僕!」
「はいはい。」
「真面目に聞いてないですよね!?」
あ、次あっちか。
…置いていくのはさすがに可哀想だ。
「次、あっち」
「な…マスターその角度…」
なんだ?あっちと言うためにちょっと服の裾を引っ張って、見上げただけじゃないか?
あ、鏡の角度か?
いや、特に何もないだろ。
「行くよ。」
「は、はい!」
しばらくすると、鏡のない通路に着く。第一ステージ終了だ。問題はこの後なんだよな。
「またさらに暗くなりましたね。」
「そうだな。」
「あ、こっちです!」
「ちょ、走るな!」
ゴーン!
「カイト!?」
今、思い切りゴーンっていったぞ!?
「大丈夫!?今思いっ切りぶつけたよね…」
「ガラス窓…」
「ガラス?」
カイトがぶつかったのは、鏡ではなかった。ガラス張りの、窓。
小さい頃の私と一緒だ。
鏡であれば、自分が映るために識別ができる。しかし窓はどうだ?自分が映らない上に、向こう側が見える。
ちゃんと判断しなければ通路と思いこんでしまう。
まぁ、私がぶつかったのは小学校低学年の時だが。
「大丈夫?痛くない?」
あれだけ激しくぶつかられると、笑うとかそれ以前に心配してしまう。
「大丈夫です…おかげでマスターが被害に遭わずにすみましたから…」
ちょ、健気過ぎやしないか!?
いくら私がマスターだからとはいえ…
「あれ、翡翠さんと兄さん?」
「レン、もう来たのか。」
「マスター…行きましょう。」
「大丈夫なのか?」
「…はい。」
その後、壁にぶつかることはなかったが…
「なんですかこのピエロ顔のフェイクドア!」
「明るいと思ったら変形鏡広場ですか!」
「このピエロまたお前か!」
「出口かと思ったら鏡の像ですか!」
とまぁ、出るのにはかなりの時間がかかった。
制作側がさぞ喜んでいることだろう。
「やっと出たー!マスター、出ましたよマスター!」
「そうだな。」
「ひーちゃんおっそーい!」
「あれ、お兄ちゃん今出たんだ?」
「最初に入ったの、誰だったかしら?」
な、なんだとーーっ!?
82 お化け屋敷(カイトside)
訳の分からない乗り物に2連続で乗るわ、ミラーハウスで頭ぶつけるわ、なんだか遊園地って、散々なところじゃないか?
あ…でもさっきの袖を引っ張ったときのマスターは…
あの角度で見上げられたらどうやったって上目遣いじゃないか!あれは素なのか?計算なのか?たぶん素なんだろうな…
「ねーねー、みんなみんな、今度はお化け屋敷行こうよ?」
結さんがなんか言っているが、また僕が散々な目に遭うものじゃないだろうか?
「カイト、ちょっとちょっと」
「恭一さん?」
「俺たちちょっとトイレ行ってくるから、そこで待っててくれるか?」
「あぁ。」「はいはーい」「さっさと戻りなさいよ」…
僕は機械だから行く必要ないんだけどな。
それとも、マスター関連の話だろうか?
「カイト、お前大丈夫か?」
「何がですか?」
「いや、さっきから大変そうだと思ってさ。」
「…もーーっ!そんなこと気遣ってくれるの恭一さんだけですよ!マスターなんてむしろ面白がってますし…」
「で、そんなカイトに朗報だ。」
「はい?」
「実は翡翠は怖がりだ。」
いやいやいやいやそんな冗談信じませんから!
気休めになるようにってのはありがたいですけど…
「なわけないじゃないですか!」
「いや、あいつはああ見えて本当に怖がりなんだよ。」
「どこがですか!」
「今でこそワイワイ乗ってるが、実際絶叫マシン系は怖い。怖いが楽しいってところに行き着いたから好きらしいが、あまりに怖いものはちょっと手を出そうかどうしようか…って思ってるところがある。ここのは、あいつも慣れてるからそれはないけどな。」
でも、この遊園地にいる限りそれ、あまり意味ないですよね。
「で、だ。あいつがもっと苦手なものがある。お化け屋敷とか、ホラーとかの類だ。」
今行こうとしてるじゃないですか!?
わかりました、そばにいて守るんですね!?
…って、僕もその手は苦手だ…
「ここで、怖がってる女の子を守るって図式ができあがるだろ?」
「いや、苦手ならマスターそもそも行かないんじゃないですか?」
「あいつは行く。」
「なぜです?」
「お前がいるからだ。」
え、僕のため!?
「カイトが、翡翠以上にその手のものが苦手なように見えるから、その反応を見たいがために我慢してでも参加する。」
…そ、そんなことなんですね…。ていうかマスターって、ある意味めんどくさい人ですね。いや、それでも好きですけど。
「いいかカイト、逆手に考えろ。翡翠だって苦手なんだ。お前もあいつの反応を見られる。」
なるほど!!
「それと、吊り橋効果って知ってるか?」
「何ですか、それ?」
「吊り橋とか危機的状況に置ける心拍数の増加を恋愛における心拍数の増加と捉える傾向が脳にあるんだな。お化け屋敷とか、絶叫マシンとか、いろんなところで起きる。まぁ、つまり、頑張れよ。」
「は、はい!」
よ、よし。そのためなら何だって乗ってやりますからね!
「悪い、遅くなった!トイレどこだかわかんなくてさ。」
「ほんと、遅いわよ。」
「早く行こー。」
「マスター。」
「な、何だ?私はお化け屋敷とか平気だからな!?そう言えばここって本当に出るらしいぞ?私は見えないし感じないから、いてもいなくても知らないけどな!」
マスターって、結構分かりやすいですよね…
「な、なぁ結、本当にお化け屋敷入るのか?」
「当たり前じゃん。ここまで並んで入らないつもり?ってかひーちゃん苦手なの?」
「いや、別に私は平気だ。怖いわけないだろ?人が人を脅かすんだ。そのための定石やらパターンがある。」
「ふーん?そうなんだぁ?」
「結お前信じてないだろ。」
僕も信じてないです。
「信じるか、信じないかはあなた次第!」
「おい…」
「じゃ、わたし恭くんと行ってくるから。」
「あぁ。」
僕は、マスターの小さな手を握る。
「なんだ、怖いのか?仕方ないなぁ。」
そう言いながら、ぎゅっと握り返してますよね…?
そして僕たちの前の門が開く。
「マスター、大丈夫ですか?」
「何がだよ、大丈夫に決まってるだろ?」
「震えてますよ。」
「そんなことな…」
マスターの小さな肩を僕の方へ寄せる。
「そんなこと…ないし。」
普段のマスターなら、何すんだ!って跳ね退けてますよね。それをせず、くっついたままでいるってことは、つまりそういうことですよ…
ガシャーンッ!!
「おぅわっ!?」「ひゃぅっ!!」
いきなりとか大きい音ってダメなんだよ僕!
「ほ、ほらカイトやっぱり怖いんじゃないか!」
「マスターだって今…」
「ジェットコースターと一緒で、盛り上げの為だ!」
絶対嘘だ。
マスターの、僕の手を握る強さが少し強まった。
「ふぎゃーっ!なになになになになに!!」
ほら、やっぱり怖がってるのはマスターの方。
「カイト、私の前歩け。知ってるか?こういうので怖いのって後ろの方なんだぞ。だからお前前行っていいから。」
いや、それで僕の後ろくっついて何も見えないようにしてるのくらいわかりますって。
「きゃぁあああああああっ!!」
「い、今カイトびっくりしたろ他の奴の悲鳴で!!」
「いやマスターもビクってしてましたから!」
「してない!」
「してました!」
「してないってば!」
…可愛い。可愛すぎる。
暗い中でも、振り返ってみたマスターが泣きそうだったのがわかった。
「にゃ、何すんだこんなとこで抱きつくな離れろお前お化けより怖い意味わかんない!!馬鹿どけ今すぐ離れろ進めアホ!」
「…やっぱりお化けも怖いんじゃないですか。」
「んなことなーいっ!!」
「いや今自分で言ってましたから。」
「ほ、ほら出口だぞ行くぞ!」
「ちょ、待ってくださいよマスター!」
「…ふー、びっくりした。カイトに。どうせあれだろ?怖かったから私に…」
「違いますよ。」
「嘘だー!じゃあ何でだよ!」
「言ったらマスター怒るから言いません!」
恭一さんが笑っている。僕、やりましたよ!
「言わない方が怒る。」
「言ったって絶対怒りますから!」
結さんが笑っている。マスター、やっぱり怖がってました。
「怒らないから言え!」
あれ…恭一さんと結さんだけじゃなくて、めーちゃんもミクもリンもレンもみんな…こっち向いてニヤニヤしてないか?
無理無理無理無理!この状況で怖がってるマスターがめちゃくちゃ可愛かったので抱きしめましたとか言えないって!
「………やっぱ言いません。」
「何でだよこの野郎!またジェットコースター乗せるぞ!」
「それでも言いません!てかマスターどちらにしろ乗せるつもりでしたよね!?」
「な、何でわかるんだよ!?」
「そりゃわかりますよ!」
「あの二人…」
「放っておこうか。」
「そうね。」
「「なんでだよ!」」
あ!ハモった!そういえばこういうとき…
「ハッピーアイスクリーム。」
マスターに先越された!!
83 19歳(翡翠side)
もう…カイトわけわかんない。
何でお化け屋敷で抱きしめられなきゃいけないんだよ!
そりゃ…全然怖くなかったかって言えば、それは嘘だが…
だって、手繋いでくるわ肩寄せてくるわ…絶対カイトの方が怖がってた!
確かに、途中から前に行かせたのは、私が怖かったからだけど…
だからって、だからっていきなりぎゅーってしなくたっていいじゃないか!
ったく…何でこんなに私がドキドキしなくちゃいけないんだ。
いや、これはお化け屋敷が怖かったからだ。カイト抱きしめられたからなんかじゃない。最初からこうだった。
それに私は吊り橋効果だとか言うまやかしに惑わされたりなんかしない。別に好きだとか、そういうんじゃない。
「次乗るぞ!次!」
そう、気を取り直さなければ。
「リンあれ乗りたい!」
「どれ?」
「あのカエルのやつ!」
あれか。カエルの顔がついた椅子に座って、その椅子が上下にピョコピョコ動く。私も好きだったな。たまに乗ると面白いんだよな。
「じゃあ、あれ乗ろうな。」
「うん!」
ふとカイトをみると、安堵の表情を浮かべていた。
次は覚悟してろよ?パイレーツの端っこ、絶対乗せてやるから。
先に並んでいたリンとレンとミクのところまでで一度途切れる。
「マスター荷物持ってて!あ、これレンの分も!」
「はいはい、行ってらっしゃい。」
「お姉ちゃんこれお願い!」
「わかったわ。」
リンたちと交代で、私、カイト、めーちゃん、恭一、結が乗る。
「マスター!これ楽しいですね!」
「端から見れば、大の大人5人が何やってるんだって感じよね。」
「メイコ、現実言うな。」
「うっさいわねマスター。」
「いや私は19だ。」
「そうなの!?翡翠ちゃん19歳なの!?さすがうちのマスターと違って若いわ…」
めーちゃん変なところテンション上がらないでくれ…
「ちなみに正確に言えば4歳で、来年やっと5歳になる。」
「精神年齢が?」
結黙れ。
「お前にだけは言われたくない。」
私たちも降り、しばらく歩きながら話す。
「精神年齢じゃなければ何ですかマスター?身体年齢ですか?ほら、実年例50歳でも体は20代みたいな…」
は…?それは私が幼児並にチビだとか?
幼児体型ってことか?
確かに胸無いけど、背も低いけど違うからな?
ちなみに腹は出てないからな?
「そんなに私の体が4~5歳に見えるのか?」
「ごめんなさい流石にそれはないです!冗談です!」
本当に…?
「あぁ、翡翠はそうだったよな。」
「恭一正解言うなよ?誰か、当ててみて。」
「あ、わかった!翡翠さん実は人間じゃないんだ!」
「は!?」
ミク…この子は何を言い出すんだ…
「きっと、キャラ設定では19歳で、でもキャラが作られてからは4年しか経ってない、つまり2011年くらいの初音ミクみたいなもんです!設定16歳、生まれてからは4歳!」
「私はボーカロイドだったのか!?いや違ーう!もっと現実的に考えろ!」
「私かなり現実的に考えたんだけどな…」
「いや、ミクさすがにそんなに落ち込まないでくれ。」
「マスターもしかして地球人じゃないんですか?」
「何でそうなるんだよ!?」
「いや、この星の数え方では19歳で、公転周期のもっと長い、マスターの出身の星ではまだ4歳…」
「何でそんなにSFチックなんだよ!?」
「え、違いますか?」
「まず私は地球人だ!」
カイトってやっぱりバカイトなんじゃないか…?
「リンわかったよ。来年、閏年。違う?」
「リーーンッ!」
思わず私はリンに駆け寄り、リンの手を両手に握る。
「そうだよそうなんだよ!私の誕生日は2月29日なんだよ!リン偉い!すごい!賢い!リン大好き!」
「わーいっ!やったーっ!!リンも翡翠さん好きー!」
この純粋に喜んでる姿が本当に可愛い!
「結!リンうちにもらってもいい!?いいよな!?」
「ダメに決まってるでしょ!?」
「残念。」
「いや当たり前だから!だってほらカイトくん、わたしがひーちゃんもらってくねって言ったら怒るでしょ?ってかキレるでしょ?」
「はい、キレます!」
「何でカイトに聞くんだよ!ってかはい、キレます!って笑顔で言うことじゃないから!」
「あ、でもマスターのこと奪うつもりなら僕本当にキレますよ?」
いや今それ聞いてないって!
「寧ろキレるだけで済めばいい方ですよ。ね?めーちゃん?僕のマスターが可愛いのはよく分かるけど、マスター格差マスター格差とかいって奪わないでよ?」
「わかってるわよ!さすがにやらないわよ!それくらいの常識はあるから!!」
まず何でさらっと可愛いとか言うわけ!?
「カイト、まず私可愛くないからちょっと黙ろうか。」
「マスター!?」
「ひーちゃんあんたねぇ…」
「なに言ってるの翡翠さん!?」
「正直いろんな女の子いるけど翡翠、お前は…」
「翡翠ちゃんちょっとは自覚しなさい。」
「翡翠さんが可愛くなかったら何が可愛いの!?」
「兄さんも兄さんだけど翡翠さんが可愛いのは…」
何でみんな揃ってそんなこと言うのさ!?
「ちょ、みんな何!?宗教チックで怖いんだけど!?」
「マスターがそれだけ可愛いってことですよ。」
「知らん!」
「あ、ひーちゃん照れてる。」
「照れてない!も、もう次並びに行くからな!」
「マスターはホントに分かってないですね…」
「何がだよ!」
「何でもないです。」
そして並ぶのは、フライングパイレーツの列。
84 イコール(カイトside)
はぁ…僕、本当に最近、どうかしてるんだろうな。
さっきはリンに対して、羨ましいって思ってしまった。
あんな流れだったとしても、僕には、僕には大好きなんて一度も言ってくれたこと無かったのに。
結さんの発言だって、たとえだって分かっていたはずなのに…。めーちゃんにも、あんなこと言うつもりはなかったのに。
マスターからは、僕はどう映るんだろう?
管理すべきボーカロイド、なのかな…。
僕がマスターのことが大好きなのは、マスターがマスターだからじゃなくて、あなただから。
あなただから、好きで好きでどうしようもない。
でも、マスターが僕を気にかけるのは、マスターが僕のマスターだから?
それとこれとは、関係ない?
「カイト、荷物置くぞ。」
え!?
さっきまであった、僕の前の列がいつの間に消えている。
もう、乗るのか!?
「荷物預けとかないと危ないからな。」
「僕荷物としてここにいていいですか?」
「ダメに決まってるだろ!端っこ行くぞ!」
あぁ…端っこって一番高くまで上がるじゃないですか!
「っしゃ!端っこget!」
マスター楽しそうですけど僕は不安です!!
…それにしてもこの安全バー、かなりきつくないですか!?
「安全バー、結構きついですね…」
「そうじゃなきゃ危険バーになるからな。」
うまくないですよ!?そしてどちらにせよ僕の精神衛生上は全く安全じゃないですからね!?
ビーーーー!
あれは発車ベルなんでしょうか。
鳴り終わると同時に、動き出してしまった。
「大丈夫だぞ?端だろうと真ん中だろうと動く角度は変わらない。」
じゃあ僕は端だろうと真ん中だろうと大丈夫じゃないです…
「あ、そういえば酔ったりはしないよな?聞くの遅くなったが。」
本当に遅すぎますよ!
「それに関しては大丈夫です…苦手でも酔いはしません。」
「そうか、じゃあ他にも色々乗せても大丈夫だな!」
今苦手って言ったの聞いてませんよね!?
「おー!上がってきた上がってきた!」
わー…怖い怖い怖い怖い…
それにさっきから、揺れるの速くなってきてますよね!?
「わーーーーっ!!」
喜々とした叫び声をあげながら僕の手を持ち上げるのやめてください!!
どちらにせよ怖いことには変わりないんです!!
あれ…、どちらにせよ怖いならマスターが手を繋いでくれてる方が良くないか?
怖い乗り物に乗る=マスターが手を繋いでくれる
……ならば…我慢しようじゃないか…
どうかしてるんじゃないか?
じゃない。
どうかしている。
「楽しかったな!」
そうか。
怖い乗り物に乗る
=マスターが手を繋いでくれる
=マスターが笑ってくれる
マスターのためならば。
僕のことは、いくらでも好きにしてください。
たぶんそれは、きっと僕にとっての望みにもなるでしょうから…。
「今度はあっち行くぞ!」
そして降りたマスターが指さすのは、フライングカーペット。
また僕の精神衛生上よろしくなさそうな…
「そういえばかなり昔に、人落っこちた事故起きたんだよな…」
マスター今とんでもないことおっしゃいましたよね!?
「あ、でもあれは安全バーから抜け出してウェーイってやったアホだから、正直遊園地側の落ち度じゃないから、普通に乗ってりゃ問題ないよ。」
僕がそんな危険な乗り方するように見えますか!?
というか、仮にその話が事実だったとしても、僕を怖がらせるためにわざと言ってますよね!?
「後で、そこの売店でアイス買おうね。」
「本当ですか!?」
マスター、それ、なんていうか知ってます?
飴とムチ…ですよ。
まもなく僕たちが乗るようで、荷物を所定の場所に置く。
「ほら、こっち!端っこ!」
「今行きますよ。」
こんなに、子供のようにはしゃぐマスターも珍しいですしね。
…でもやっぱり怖いことには変わりないです!!
85 何とかしろ!(翡翠side)
あれから、いくつの乗り物に乗ったんだ?
かなり早くに園に入ったと思うが、もう日が落ちている。
名物のメリーゴーランドや、ゴーカート、結が子供向けも制覇とか言い出して、アンパンマンの乗り物やら、ミニカーメリーゴーランドやら、そういうのにも乗った。
さっきのカエルじゃないが、大の大人が大騒ぎしながら乗っているという状況が面白い。
ただ…
「ひーちゃんこの乗り物ちょうど良くない?サイズ的に。わたしはちょっときついけど。」
「翡翠ちゃん似合ってる!写真撮っていい!?」
「身長的には翡翠が一番しっくりくるよな。」
「とりあえずマスター可愛いです!」
言葉換えても小さいっていってることに何も変わりないからな!?それくらいバレてるからな!?
「黙らっしゃい!」
「あ、ひーちゃん怒った。」
「怒っても可愛いなんて本当にマスター格差。」
「なんかちっちゃいのが怒ってると頑張ってるなーって感じがするよな。」
「とりあえずマスター可愛いです!」
「リン、レン助けて…」
「「翡翠さん可愛い!」」
ダメだこいつら…
「なぁ、あっちでステージがあるらしいぞ。」
夏休みだから、特設ステージで色々とやっている。
「ひーちゃんって話題そらすの得意よね。」
そらさなきゃいけないのは誰のせいだ?
「とりあえずマスター可愛いです!」
「カイトお前は何やねん!」
「マスターのボーカロイドです。」
「知っとるわ!」
「そういえばひーちゃん、乗ってないのがあるよね?」
「何だよ?」
「歩くやつじゃなくて、乗り物に乗るタイプのお化け屋敷。ひーちゃんまさか知らなかったなんてことはないよね?明らかにその前通るとき早歩きしてたの見てたよ?」
何この恐ろしい女!?
歩くタイプより実は苦手なんだよ!
いきなりバーンって来るし…
「ほ、ほら、次のやつ早く並ばないとなって思って、急いでやってたんだよ!」
「マスター、行きましょうか。」
「何でだよ!?お前怖がってたくせに!」
「いいから行きましょう、マスター。」
「何とかしろ恭一!」
「いや、行ってこい。」
「めーちゃん!ミク!」
「「行ってらっしゃーい」」
「ふざけんな!リン、レン!」
「ごめんリンたちには…」「どうしようもないな。」
誰か、助けてくれ…
「でも、ひーちゃん怖くないんでしょ?じゃあ、大丈夫だよね!」
とどめを刺すな!なんて恐ろしい女だ…
「とりあえずマスター可愛いです!」
「とりあえずお前は何なんだよ!」
「僕はマスターのボー…」
「だからそれは知っとるわ!もう…わかったよ乗ってくればいいんだろ!?」
「「「「「「行ってらっしゃーい」」」」」」
ニヤニヤしながら見送るな!
「行ってきまーす♪」
カイトも苦手なくせに、何でこんなに機嫌がいいんだよ!?
86 いじめてませんって!(カイトside)
「「「「「「行ってらっしゃーい」」」」」」
「行ってきまーす♪」
乗るタイプのお化け屋敷だろうと、得意じゃないことに変わりはない。
でも、こればっかりはマスターの方が苦手ですからね!
怖がってるマスター可愛いし。
自分が苦手だろうと、反応見たさに我慢する気持ちも分かります。
「大丈夫か?カイト。」
「マスターこそ。」
遠くで結さんたちがニコニコしているのが見える。
いい感じにこじつけてくれてありがとうございます!
そろそろ、僕たちの番かな…
「わ、私は平気だからな!?」
その態度が、平気じゃないこと示しちゃってますよ…
「マスター♪」
二人掛けのシートで、暗いことをいいことに軽く抱きついてみる。
「何すんだよ!カイトまで脅かす気か!?」
「マスター可愛…」
「「ぎゃぁあああああああああっ!!!」」
何ですかいきなり怖い顔と大きな効果音出さないでください!!
って…それがなかったらお化け屋敷じゃないか…。
「だからこっちの乗る方は嫌だったんだよ…無理ホント無理…」
あの、普段は気丈でクールなマスターが!
もはや何も見ないようにずっと下見ていらっしゃる…
こ、これはもう愛でるしかないですよね!?
…って…
「うぎゃあああああああっ!」
「カイト何怖いやめて!」
愛でる前に仕掛けに引っかかってしまった…
そういえば、今マスター…
「怖いって言いましたよね…?」
「カイトがだ。お化け屋敷がじゃない。」
「じゃあ、顔上げましょう?」
「なんで結みたいな恐ろしいこと言うんだよお前は!」
「怖くないなら顔上げても大丈夫ですよね?」
「カイトが何するかわかんないから怖い!」
「何もしませんよ。」
「でも顔は上げない!」
しょうがないですね…くすぐってみたら顔上げますかね?
「ひゃぅっ!?何!?今度は何!?」
「あ、顔上げましたね。」
「ふざけんな!やっぱカイトの方が怖い!」
あれ…もう終わりなんですか?
もうちょっとマスターの反応見たかったんですが…
「おっかえりー!」
「お化け屋敷はともかくカイトが怖い!」
「あんた翡翠ちゃんに何したのよ!?」
「怖くないよ、大丈夫だよって励ましてたんだよ。」
「嘘だ!お前絶対そんなんじゃなかった!リンレン助けてカイトがいじめるー!」
いじめてませんって!
「ひーちゃん子供っぽい…」
「兄さん女の子は大事にしないと…」「そうだぞカイト兄!」
「いや僕いじめてないから!?」
じー…
あ…マスター睨んでる…
まるでモンブランの時の「栗を狙うな」の時のような目で…
「ごめんなさい!ごめんなさいってマスター!ちょっと遊びすぎただけです!でもマスターだって散々絶叫マシンに乗せて反応見てたんだからおあいこですからね!?」
「知らんもん。」
「知らんもんじゃなくて!」
そしていつものことながらですけど…
なんで不機嫌にそっぽ向いてるとこもこんなに可愛いんですか!
マスターって、なんていうかもう、存在自体が可愛いんでしょうね。きっとそうです。
「おい、翡翠、結。そろそろ飯食いに行かないか?」
「そそ、そうだな!行くぞ恭一!」
もう!なんで恭一さん話題を変えちゃうんですか!
~interval-16~(萌side)
「明日もあるから、今日はここで帰ろうか。ご飯も食べたしな。」
「ひーちゃん明日寝坊しないでよ?」
「するわけないだろ。カイトに叩き起こされるわ。」
「僕そんな乱暴な起こし方したことないですよ!?」
「マスターマスターマスターってすごいんだよ…」
「カイトくんすっかりひーちゃんの旦那さんだね?」
「「何言ってんだよ!?/何言ってんですか!?」」
「ふふ、じゃ、リンちゃんレンくん帰ろっか?」
「「はーい!」」
8人で出かけたのって、初めてだったなぁ。
賑やかで、楽しかった。
みんなわたしのこと、結って呼んでたな。
もう、萌ちゃんじゃ、ないんだよね。
いや、そうじゃない。
わたしははじめから、萌ちゃんじゃなかった。
萌ちゃんに、なろうとしただけだった。
それにしてもひーちゃん、明るくなったよね。
この夏まで、あんなにはしゃぎまわるひーちゃん、見たことなかった。
旅行前後あたりまで、どこか残っていたように見えた影も、ほとんど感じなかった。
ひーちゃんは、前を見られるように、なったのかな?
わたしは…?
前を向くどころか、今になってようやく、萌ちゃんがもういないってことを認識したばかりだ。
萌ちゃんじゃない。
わたしは、結。
だけど、今まではずっと、わたしは萌ちゃんだった。
じゃあ、萌ちゃんであることをやめたわたしは、いったい何なんだろう?
結って誰?わたしって誰?
今のわたしも、今までのわたしも、何だったの?
萌ちゃん…どこにいるの?
いないって、結論づけたばかりなのに。
じゃあ、いなかったの?
萌ちゃんは、いなかったの?
………いたよ。
覚えてる。全部覚えてる。
萌ちゃんのこと、全部覚えてる。
顔も、髪の毛の感じも、繋いだときの手も、好きなものも嫌いなものも、萌ちゃんのことなら、何聞かれたって答えられる。
だって、覚えてるから。萌ちゃんのこと、何もかも。
それは…確かに萌ちゃんが、存在していた時間があったから。わたしと一緒にいてくれた時間が、そこにあったから。
その意味では、わたしは、萌ちゃんなのかもしれない。
誰よりも、萌ちゃんのことを知ってる。
萌ちゃんにつながるものは、全部持ってる。
わたしが無くなれば、そのほとんどがわからなくなってしまう。萌ちゃんの多くが、わたしの中にあるから…
…萌ちゃんは、確かにもういない。
だけど、確かに存在していた。
そして、確かに存在している。
わたしの、結の記憶の中に。
初めてじゃない気がするのは……?
「マスター、リンはさっき入ったし、俺も今出てきたから、お風呂入ったら?」
それは…いつかレンくんが、わたしに伝えてくれたこと。
やっとそこまで、わたしも行き着いた。
「そうだね、入ってくる。」
いないことに、完全に気付かなければ、いたことも、いることにすら気付けなかった。
いつか、リンちゃんが、わたしに伝えてくれたこと。
たった1人、お風呂の中でつぶやいた。
「萌ちゃん…」
今更、本当に、今更になってようやく、萌ちゃんがいたことに、いるんだってことに気づいたよ。
「聞こえる?」
あの時、萌ちゃんがわたしに言ってくれたこと。
わたしからも…
「結は、萌ちゃんのこと、大好きだよ。」
87 胸囲の格差社会(翡翠side)
昨日みんなで食事をした後、今日のために各自帰り、支度をして休んでいた。
通販で買った水着に着替え、更衣室を出る。
Tシャツとホットパンツ風の、割と普段着に近いデザインがあって良かった。正直言ってまな板な私は、巨乳の結みたいなのが着られるわけがない。
めーちゃんは、昨日とそんなに多くは変わらないように見える。昨日の服そのものが露出度高かったからな。
ミクも、なんだか分かりやすいほどの、ミントグリーンと白のボーダーだ。
リンも白い花のついた黄色いワンピース風がよく似合っていて可愛い。
「マスターたち、遅いわね。」
「でも、私たちほど着替えるアイテム多くないですよね?」
「ひーちゃん、中学とか高校の体育でなんか経験ない?女子の方が着替えるの早くって、男子の方が遅くてなかなか教室入れなくって、早くしろ!みたいな。」
「あぁ、毎週毎週そうだったな。結のところもか。」
「その時代は萌って言った方がしっくりくるけど、まぁいいよ。」
「ごめん」
「いやだからいいって。」
「お待たせ…マジかよ。」
あの、恭一、日差しの眩しさで隠れてないからな?
結の姿に思いっ切り赤面してるのはっきりわかるからな?
まぁ、あれだけスタイルのいい結のことだ。
スタイルといえば、めーちゃんも相当だ。
半分私に分けてくれれば世の中公平になると思うんだが…
「ってか、ひーちゃんそれ水着なの?ほぼ普段着じゃん。」
「悪いか?お前等みたいな抜群のスタイル持ち合わせてねーんだよ。」
「もー、夏だよ?遊園地のプールだよ?イベントだよ?っそのTシャツみたいなの、脱いじゃおうよ?」
「なんでだよ!」
「いいからいいから、カイトくんも見たいよね?」
「はい!」
「満面の笑みで答えるな!」
昨日から思うけど結怖いよ…なんだこの女…
「せーのっ!」
「ふぎゃぁっ!?」
なんで本当にやるんだよ…めーちゃんや結と違って残念なのが際立つじゃないか。
すかさず結の後ろに隠れる。お前のせいだ。隠れさせろ。
「結のバカ結のバカ結のバカ…」
「いやいやいやいや、ひーちゃん怖いからそれ!」
恐ろしい女はどっちだよ…
「マスター可愛い…」
カイト、お前は黙れ。
「翡翠さん!私翡翠さんの仲間です!味方です!結さんもお姉ちゃんもああですけど、気にする必要なんてないですから!」
「ミク、お前は身長があるじゃないか…」
「そ、それとこれとは別ですよ!」
昨日仲間と言ったのはそういうことか。
「マスター肌白い…」
だから、お前は黙れ。
「リン、背も小さいよ?」
「ありがとうリン!でもリンは年相応で可愛い!しかし私は大学生にして、リンよりも背が低い!」
「マスターお持ち帰りしたい…」
問題発言するな!ってかまず同居してるだろうが!
「大丈夫よ、翡翠ちゃん。バカイトはロリコ…」
「何言ってんのめーちゃん!?」
「あら、違った?」
「違うから!マスター以外興味ないから!」
だからさっきからカイトはなんなんだよ!?しかもめーちゃん、さっきとんでもない単語を発しましたよね…
「めーちゃん…」
「何?翡翠ちゃん。」
「そういえばカイトが言っていたがお酒が好きなんだって?」
「そう、そうなの!翡翠ちゃん来年になったら一緒に飲まない?」
「そうだな…その前に、だ。恭一に頼んでめーちゃん家の酒処分してもらうね?」
「ごご、ごめんなさい翡翠ちゃん、カイトをロリコンとか言ってごめん!」
「そこじゃねーよつまり私はロリじゃねぇええええっ!」
れっきとした大学2年生だ。
ほらほら、恭一とレンが困ってるじゃないか。
「恭一、レン、浮き輪膨らませに行こう?」
「お、おう。」
「わかった。」
「あ、ひーちゃん逃げた。」
「マスター行くなら僕も行きます!」
「4人もいらん!」
「じゃあレン、僕行ってくるから、ここにいていいよ。」
「カイトは来んでいい!」
「えー…」
「えー、じゃない。」
「はーい…」
「はぁ…」
「翡翠お疲れ。」
「止めろよお前の彼女だろ?」
「止められると思うか?」
「思わない。にしても、みんなよく似合ってたよな。」
「リン、可愛かった。」
「あぁ、あの白い花のついた、黄色いやつね。私もあれいいなって思ったよ。」
「俺が選んだ。」
「レンが?だからか。そりゃリンによく似合うわけだ。」
「だろ?」
レンが白い歯を見せてにかっと笑う。
浮き輪も、だいぶ膨らんできた。
「おい、翡翠、そろそろいいんじゃないか?」
「あぁ、そうだな。」
「レンおかえりー!」
「リンただいま。浮き輪できたよ。」
「うん、ありがとー!ねぇねぇ、レンが選んでくれたの、似合うでしょ?でしょ?」
「うん、すっごく。翡翠さんも似合うって言ってたよ。」
「本当?やったぁっ!じゃあ、遊ぼ遊ぼ!」
浮き輪を持つレンの手を引いて、流れるプールへと駆け出すリン。
この二人は見ていて微笑ましい。
「ちょっと、勝手に行かないの!みんなも行くわよ!」
「れっつごー!」
結はともかく、めーちゃんのノリがもいい。巨乳だからか?違うか。
「マスターマスターっ!」
「カイトお前はうるさい。」
そう言いつつ私たちも流れるプールへ入る。
88 スライダー(翡翠side)
「マ・ス・ターっ♪」
「ひぎゃっ!」
いきなり後ろから飛びつくな!
「沈んだらどうするんだよ!あと乗るの逆だろ!」
「沈んだら僕助けます。あっ、乗りますか?」
手を、おんぶする時のようにスタンバイしますけどさ…
「誰が乗るかよ。それと助けるって言って、まずお前泳げるのか?」
「あ…」
「泳げないんかい!」
適当に流れるプールに流されて、ウォータースライダーの前に着く。
「恭くん、あれ行こう!」
「そうだな。」
みんなが一斉にウォータースライダーに向かうけど…
「カイト、行かないのか?」
「みみ…みんなあれやるんですか!?」
「楽しいぞ。カイトも来い。」
「マスターが言うから行くんですからね?」
「はいはい。」
浮き輪型の乗り物に乗るやつと、体ひとつで滑るものがある。浮き輪型は2人乗りのものにすればきっとおもしろい反応が見られるが…
「翡翠ちゃん、どっちにする?」
「めーちゃんはどうするんだ?」
「浮き輪無しにするわ。借りるのめんどくさいし。」
「そうだな。じゃあ私もそうする。カイト、こっち。」
「…はい。」
私が先に行けばいいんだな。終わりのところでプールにダイブするところできっと、面白い反応するんだろうな…
「こ、怖いんでマスター先行って下さいね!?」
「しょうがないな…」
計算通りだ。列を選ぶ権利を私に託したということは、一番速くて急なコースを選ぶってことだからな?
そうだ、ちょっと吹き込んでみようか。
「ちなみにここでは、滑り終わって立ち上がったら、激しく飛び跳ねながら『ヒャッハーッ!!』って言うのが今年のトレンドなんだ。」
「そうなんですか!?」
信じた!こいつ信じた!
「じゃ、私行ってくるね。」
「い、行ってらっしゃいです…」
体が小さいから抵抗を受けにくいのか、コースの特性以上に加速している感じがする。
数少ない、得したことだろうか?
そして、浅い水の中に落ちる体。
ほんの少し泳いで、すぐに立ち上がり顔を上げる。
「翡翠ちゃんお帰り!」
「めーちゃん、この後ちゃんと見てて。」
「あ、カイトね?」
「絶対面白いから。結も恭一も来い!」
「ラジャ!」「はいよー。」
「@#xrn&∵gfd%wqv£★§*rt+b※∴gj¥fk!!!!」
来た。というかよくもそんな長いこと意味不明の文言を叫んでいられるな?
バッシャーンッ
「な、ちょ!何ですかこの水!」
「いや、浅いから!足つくから!」
水位私の腰くらいしかねーよ。
「あ、ついた…えっと…ヒャッハーッ!」
やりよった!こいつホントにやりよった!
やばい…笑い止まんないんだけど!
「カイトくん、それ、船橋のゆるキャラのモノマネ?」
「え、終わって立ち上がったらこれやるのが今年のトレンドなんじゃないんですか?」
「あたしバカイト以外にそれやってんの見たこと無いわよ。」
「俺今年じゃなくても初めて見たんだが?」
あれ…もしかしてウケてるの私だけか!?
「…っ…何それカイト兄…ふふっ…面白い…」
「兄さんに何があったのかは想像つくけど…うん…吹く。」
やっぱりリンとレンはわかってる。
「マーーースーーーターーー?」
「恭一ちょっと盾になれ!」
「いや翡翠が蒔いた種だろ!?」
「いいから盾になれ!」
「逃がしませんからね!?」
「捕まえられるもんなら捕まえてみやがれ!」
ちなみに私泳ぐのは速いんだからな?
ちっちゃいからって馬鹿にするな!
水に入っちゃえばこっちのもんよ!
「うりゃーっ!」
「ひーちゃん飛び込まないの!」
知らん!
「あ!マスター水中はずるいですよ!」
「ここはプールだぞ?なにが悪い!」
「ってか、みんなのこと置いてっちゃってますから!」
…それはまずいな。
「じゃあ、ここで待つか。」
「そうですね。…マスター?僕に変なこと吹き込みましたね?」
「面白かったろ?」
「僕は面白くないです!それにそんなにウケませんでした!」
「少なくとも私とリンとレンはウケた。」
「公開処刑もいいとこじゃないですか!」
みんながこっちに向かっているのが見える。
「も、もう…家帰ったら覚悟して下さいよ?」
な、こいつは何をするつもりなんだ!?
私が逃れる術はただひとつ。
「アイス、買わないからな。」
「わかりましたよ何もしませんから!」
こいつ…単純だな。
89 波のプール(カイトside)
ずるい!マスターずるいですよ!
アイス買わないなんて言われたら黙る他ないじゃないですか!
僕がモンブラン買いませんからねって言ったって、お金の管理はマスターですし…
みんなが、こっちに向かって歩いてくる。
「カイト兄!さっきのもっかいやって!やって!」
なんでよ!
「いや、やらないから!」
「えー、やってよ面白かったんだから!ねー、レン?」
僕はもう嫌だよ!?
「うん!兄さんやって!」
「だからやらないってば!」
「私さっきよく見てなかったから見たいな。」
ミクまで言わないでよ!
「妹たちの頼みくらい聞いてやんなさいよ。」
めーちゃん僕に当たり強くない!?
というか、だ。僕にそれを吹き込んだのは…
「マスター!マスターやって下さいよ!僕に吹き込んだのはマスターなんですからね!」
「何でだよ!私がやったって面白くないから!」
「関係ないです僕はもうやりたくないです!」
「ジャンプの高さが重要だから、私がやったって大したことないんだよ!だからカイトがやらなきゃ…」
「やりたくないですってば!」
「…カイト以上に面白くできる奴、いないんだよ…」
な、何でそんな顔で見上げるんですか!
やるしかなくなるじゃないですか!
狙ってます?狙ってやってるんですかそれは!?
「わ、わかりましたよ。一瞬しかやりませんからね!?」
息を吐く。息を吸う。そして…
「ヒャッハーッ!なっしーなっしぃー!」
すごい恥ずかしいんですよわかります!?
…って、マスター!?
息苦しそうですけど、大丈夫ですか!?
「マスター!?マスター大丈夫ですか?苦しかったら休んでますか?もしあれなら日陰に運びますよ!?」
「ち、違くて…そうじゃなくて…無理!無理面白すぎる笑い堪えるとかホント無理!」
笑いすぎ、だったんですね?
「そういえば、あっちに波のプールがあったわよ。」
めーちゃんいつの間に見つけてたんだろう。
「じゃ、行こうか。恭くん浮き輪持ってるよね?」
「全員分な。」
至る所に浮き輪が掛かってて、どっちが本体かわかりません。
「リンも行く!」
「待てリン俺も一緒に行くから!」
「マスター?」
「無理…ホント無理ウケる…ふぅーっ…ふふぁはっ!もうやだ笑いすぎでほっぺ痛い…」
ダメだこりゃ。
「行きますよ?」
「ふふ…ひゃはははっ…」
仕方ない。
「ちょっとマスターいいですか?」
ひょいっ
「ひゃ!?」
華奢なだけあって軽いですね。
「何すんじゃアホ降ろせ!」
「嫌です。」
だってマスターお姫様だっことか超レアですよ?
普段絶対させませんでしょう?
「放せ降ろせみんな見てるだろうが!」
「暴れないで下さい、危ないですから!」
「この状況の方がよっぽど危ないわボケ!」
「少しは落ち着きましたか?」
「落ち着くわけ無いだろ!?」
「みなさん、マスター連れてきましたよ。」
「わぁ、王子様とお姫様だねー!」
「誰がお姫様じゃ!」
マスター以外いないじゃないですか!
にしても僕が王子様なんて…なんか照れるな。
「おい、これ。」
「はい。」
恭一さんが差し出す浮き輪に、マスターを乗せる。
「じゃあ、あっちの奥まで行きますよ。」
「なんかこれじゃ私が小学生みたいじゃないか!」
「いいから、僕に任せて下さい。」
マスターの乗った浮き輪を押し、奥の、水位の深い方へ向かう。
「あっ、波が来るぞ!」
勢いが固まりとなり、僕たちを後ろへと押し戻す。
「また来た!」
小学生みたいだとか言いながら、楽しんでるじゃないですか。
「じゃあ、今度はもっと奥行きますよ!」
「あぁ!」
マスターが幸せそうだと、僕も幸せです。
あ、そうだ。
「マスター。」
「ん?」
パシャーンッ!
「にゃ、にゃにすんだこのバカイト!」
やっぱり可愛い!!
「こんにゃろーっ!」
パシャン!パシャン!
いやマスター手も小さいんで僕にあんまり水掛かってないです。
「あ、マスター前!」
「ふぎゃっ!?」
波が、すぐそこまで来ていた。
90 銭湯(翡翠side)
ひとしきりプールで遊び、夕方からは遊園地に戻り、またいくつか乗り物に乗った。
それでも、そろそろ閉園の時間らしい。
「もし、差し支えなければ、だけど、」
「結どうした?」
「この近くに、大きい銭湯があるの。プールで髪傷んじゃったし、昨日今日の疲れもあるだろうから一緒に行かない?」
「あたしは賛成。でも、マスターがどう言うかだけど。」
「それなら俺も行くから、いいんじゃないか?メイコもミクも行った方がいいだろうし。」
「ひーちゃんはどうする?」
「私も行く。カイトは恭一と一緒に行っといてくれ。」
「わかりました。」
それぞれの浴室に入ってから気づいたんだが…
結やめーちゃんと一緒に入るのはすごく悲しいものがあるんだが!?
「翡翠ちゃん、こっちのバブルバスに…」
「ミク!リン!露天風呂行こう!?」
「行く!」「はーい」
「翡翠ちゃんにフられた…」
ちょっとめーちゃんに悪い気もするが…
「めーちゃん、わたしと入ろ?」
「萌ちゃーーんっ!」
「あ、色々細かい事情はあるけどわたし、萌じゃなくて結なの。」
「あら、じゃあ結ちゃん行くわよ!」
「うん!」
あの様子なら大丈夫だろう。
「そういえば翡翠さんってお兄ちゃんのこと…」
「あーそれリンも気になる!どういう関係どういう関係?」
「どういうも何も、リンと結、ミクと恭一と一緒だぞ?ボーカロイドと、マスター。」
「ホント?翡翠さんそれホント!?」
「本当だって。リン、他のお客さんもいらっしゃるからもう少し静かにな。」
「はーい。」
「私にはそうは見えなかったですよ?ただの主従関係じゃないっていうか…」
「ミクそれは、カイトがやたらくっついてくるからじゃないか?」
「そうでしょうか…」
「リンちょっと別のお風呂行ってくる!」
「あぁ、行ってらっしゃい。」
確かに、お湯の温度が高いから長いこと入っているとのぼせるかもしれない。
「そういえば翡翠さん。」
「何だ?」
「ネギは好きですか?」
「好きだけど、それがどうかしたの?」
「おいしいですよね!」
な、なんだこの笑顔は。
「あ、あぁ。うまいよな。」
「私も熱くなってきたので、違うお風呂見てみますね。」
「じゃあ私も…」
「ひーちゃん!」
あれ、めーちゃんと一緒じゃなかったのか?
「めーちゃんは?」
「リンちゃんといるよ。」
「じゃあ、私も2人のところに行ってますね。」
「あぁ。」
「ひーちゃんは、しばらくここにいるの?」
「どっちでもいい。」
「そう、じゃあ良かった。」
きっと、話したいことがあったのだろう。
"萌"の、話だろうか。
「もう、ひーちゃんも恭くんもすっかり、結って呼ぶようになったよね。」
言われてみれば、確かにそうだ。
「悪い、嫌だったか?」
「ううん、そういうことじゃないよ。ただ、そっか、わたしは萌ちゃんでは、なかったんだなって思って。」
確かに、戸籍とか、実際の体としてはそうなのかもしれないが、でも、今までのことを考えれば、必ずしも萌ではない、とは言い切れないんじゃないだろうか。
「この前、萌ちゃんはいないのかな、そう聞いたでしょ?」
「あぁ。」
「…いないよ。」
!?
結は、いともあっさりとその答えを、口にした。
「萌ちゃんは、もういない。それを、わたしははじめから知ってた。だから、いないことをわかってたから、わたしは萌ちゃんとして生きた。」
お父さんも、お母さんも、琥珀も…もういない。
「そうして、いないってことを見ないようにした。」
「いないこと、それを認識して初めて、ちゃんと存在していたこと、一緒にいた時間があったこと、それに目を向けられるようになった。」
「ひーちゃん…?」
「家族みんなが私に、たくさんの思い出を残してくれたことに気がついた。思い出したくないものじゃなく、思い出したら私のそばにあるもの、見守ってくれるものとして。」
私…何言ってるんだ?結の話を聞いてるんじゃなかったのか?
「そっか…ひーちゃんも、そうだったんだね。」
「結?」
「リンちゃんが言ってたの。どんなに認めたくなくても、見ないようにしようとしても、いつかは、もういないんだってことを認めなければいけないときが来る。そして、認めた先にようやく気付くものがあるんじゃないかって。
レンくんが言ってたの。自分の中に、いなくなった人が残っているんだって。だから、それを残し続けるために生き続けるんだって。」
「リンとレンが?」
あの2人、普段はワイワイしてるのに、そんなことも考えてたのか?
「2人に別々に聞いたの。リンちゃんには、レンくんがいなくなったらどうする?って、レンくんには、リンちゃんがいなくなったらって。」
結も、そうやって、前に進もうとしていたんだ。乗り越えようと、していたんだ。
「この前は、本当に、仮面女とか色々言って悪かった…」
「もう、それずっと前の話じゃん?わたしもう気にしてないよ?あれはわたしも悪かったし。それにしても、ひーちゃん変わったよね。」
「そうか?」
「明るくなったなぁ、変わったなぁ、そう思ったんだ。きっと、ひーちゃんの中で何かあったんだろうなって。」
「そんなに、違うか?」
「うん、全然違う。」
私を変えてくれたのは…
気付くきっかけをくれたのは…
「ひーちゃん、そろそろ上がろう?顔真っ赤だよ。それ以上入ってたらのぼせちゃう。」
「そ、そうか。じゃあ、上がるよ。」
「うん。あとでコーヒー牛乳飲もう?」
「私はフルーツ牛乳派だ。」
「10円高いじゃん!」
「妙に貧乏性!?」
91 寺(カイトside)
「ふー、さっぱりしたぁ。」
恭一さん、オヤジみたいです。
「ちょっと怖かったけど…」
僕とレンがなぜかおじさんたちに気に入られて、何か色々話を聞く羽目になったんだよね。
僕は平気だったけど、レンはちょっとびっくりしてた。
「でも、大きいお風呂もいいですよね。」
家だと、肩までつかると足伸ばせないし、足伸ばすと肩までは入らないんだよなぁ。マスターなら両立できるんだろうな…言ったら怒られそうだから言わないけど。
「牛乳でも飲むかー。」
「俺バナナ牛乳がいい。」
「恭一さん僕はアイスで!」
「俺が買うの!?」
「だってマスター戻ってこないし。」
「僕はマスターをいじるかアイス買ってもらうかの2択なんです!」
「レンはともかく、カイトは知らん!」
向こうから歩いてくるのは…
「あれ、恭くーん?レンくんとカイトくんもだ!」
マスター!
「何か買うのか?」
「あたしたちも今あがったとこなのよ。」
「マスター!」
「何だよ!」
「いや、マスターが来たから…」
「意味わかんない!」
わかってくださいよマスター!
「カイト、アイス翡翠に買ってもらえ。」
「えー、恭一買ってよ!」
「結局俺なの!?」
「マスター、ここってネギありますか?」
「あるわけねーだろ!」
恭一さんって、何か不憫ですね。
「あれ、マスター、何調べてるんですか?」
「お寺の時間。」
「修行するんですか!?俗世離れて出家しちゃうんですか!?僕を置いていくつもりなら僕も出家しますからね!?」
「何そうなるんだよ!ってか出家するなら鷹狩できないからお前の飼ってる大事な鷹を手放さなきゃいけないんだぞ藤原道綱!」
鷹?藤原道綱?
「マスター、ネタがわかりません」
「蜻蛉日記だ覚えておけ!」
こういうのを、マスター曰く教養と言うらしい。
「フルーツ牛乳買ってくる。」
「マスターアイスも!」
「知らん!」
あ…行っちゃった。
それにしても、どうしてお寺なんて調べてたんだ?
もしかして、また旅行に行くのかな?
今度は京都とか奈良とか?
実はマスター、仏像マニアだった!とか?
そういえば仏像って、フィギュアの前衛だよなぁ…
マスターのフィギュアがあったら僕は保存用、鑑賞用、触って動かす用、着せかえ用、布教…はしたくないから、というか他人の手に渡ったら嫌だから全部買い占めて…
ピタッ
冷たっ!?
「ほら、これでいい?」
「マスター!」
僕の頬に触れたアイスの袋を夢中で受け取る。
「ありがとうございます!」
「ゴミはちゃんと捨てろよ。」
振り向きもせずフルーツ牛乳を飲むマスター。
フィギュアがどうとか言う前に、実物がいらっしゃいますもんね。
うん、アイスおいしい♪
あ、そうだ。
「マスター、フルーツ牛乳一口ください!」
「嫌だ。」
やっぱそうか…
ふと、辺りを見回すと1枚のポスターがある。
"第67回 花火大会”
「マスター!」
「何?」
「これ、今度一緒に見に行きませんか!?」
「あぁ、いいけど。」
「やったーっ!」
「浴衣と、弟のだけど甚平発掘しとくわ。」
ゆ、浴衣ですか!?
マスター絶対似合う!
綺麗な黒髪ロングヘアだし!
「ついでに、手持ち花火もいくつか買っておくよ。」
「本当ですか!?」
「こんなことで嘘つくかよ。」
ですよね!
いつかな、花火大会。
今日が水曜日で、次の…その次の土曜日か。
結構遠いな。
楽しみだなぁ……
92 今(翡翠side)
朝。
カイトはまだ、寝ているらしい。
私も正直まだ眠いが、さすがに洗濯物を放置するわけにはいかない。
洗濯機を回し、朝ご飯を考える。
いや、めんどくさい。
カイトが起きてくるかもわからないわけだし。
としまえん、楽しかったな。
家族で行ったからとか、そうじゃないとか、思い出すとか思い出さないとかじゃなく、純粋に楽しかった。
もう2度とお化け屋敷なんか行かないけどな!
ーピーッ、ピーッ、ピーッー
洗濯機が、洗濯終了を伝える。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「翡翠、ちょっといいかしら。」
「何?お母さん。」
「洗濯物干すの手伝ってくれる?」
「えー…」
「忙しかったら無理にとは言わないわ。」
「冗談だよ。貸して?」
「ありがとう。」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
今は、お母さんに手伝ってほしいな。
あのスカート、あの時は着なくってごめんね。
最近は、着るようになったんだよ。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
「翡翠、もうちょっと女の子らしくだな…」
「いいじゃんお父さん。私は私。」
「とは言ってもなぁ、あんまりやんちゃ過ぎるのも…」
「年頃になれば自然にどうにかなるわよ。」
「そうか?」
「いいじゃん、ほら、髪だって長いよ?」
「そういうことじゃなくてな?」
ーーーーーーーーーーーーーーーー
ごめん、お父さん。
あんまり女の子らしくは、なれないや。
でも、ご飯は作れるようになったんだよ。
………今の私…か…
思い出は、見つめられるようになった。
過去は、向き合えるようになった。
今の私は…?
過去を見る私に、置いて行かれてやしないか?
大学に通っている。
サークルは、入ってない。
どうやら、主席らしい。
背は、相変わらず小さい。
恭一とは、ちょくちょく連絡取ったり、会ったりする。
結っていう、友達ができた。
「マスター、手伝いましょうか?」
カイトが、側にいる。
「おはよう。これ、お願いできる?」
「はい!」
一緒に、暮らしている。
「ご飯、何がいい?」
「マスターは?」
「ちょっと、めんどくさい。」
「じゃあ、無しでもいいです。」
「いいのか?」
「機械ですから。」
機械だけれど、限りなく人間みたいな奴と。
琥珀に、とてもとてもよく似たカイトと。
でも、それは、一緒にいた過去じゃなくて、今流れている、一緒にいる、現在。そして、ほんの少し先の未来。
「カイト。」
「何ですか?」
「何でもないよ。」
私が、見るべきもの。
私は、これからどうやって生きていく?
何を思い、何を考え、何をして、何を残して生きていく?
「終わりましたよ、マスター。」
「あぁ、ありがとう。」
「マスター、睡眠足りてますか?昨日一昨日とかなり疲れたと思いますけど。」
「そうだな。もう少し寝るから、乾いたら取り込んでくれるか?」
「わかりました。おやすみなさい。」
「おやすみ。」
~interval-17~(萌side)
萌ちゃんは、今はもういない。
かつて、確かに一緒にいた。
わたしに残っているのは、その思い出たち。
そして今、わたしは結。
突然、結としてこの体を、この世界に放り込まれても、ね。
どうすればいいのか、わかったもんじゃない。
つい、この前まで、萌ちゃんであることを貫こうとした、この頭と心を。
急に結だと言ったってわからないよ。
萌ちゃんが、記憶の中にずっといること。
わたしが生きて、思い出し続けることで、萌ちゃんが存在し続けられること。
それは、わかったよ。萌ちゃんのことは。
でも今度は、わたしがわからない。わたしのことが。結のことが。
今までの結って誰?何?
これからの結って誰?何?
どう振る舞えば、結になる?
萌ちゃんの要素を、すべてなくしたらわたしが残る?
萌ちゃんの要素?
今まで、それを身にまとっていたのは誰だっけ?
…わたし。
そうあろうとし続けてきたのは、誰だっけ?
…わたし。
身にまとってきたもの、なり続けようとしたものは、完全にわたしじゃない?別のものですか?
「ねぇ、マスター。そういえば気になってたことがあるんだけど。」
「どうしたの?リンちゃん。」
「マスターって、名前がふたつあるの?」
「それは……」
93 会いに行く(翡翠side)
「あ、マスター起きましたか?おはようございます。と言ってももう、夕方ですが。」
「ん…おはよう。取り込んでおいてくれた?」
「……マスター、怒らないでくださいね?」
「何?」
「全部取り込もうか、僕が触れてはいけないだろうからそれだけ残しておこうか迷った結果、マスターの仕事を減らす方を選びました。」
「は?」
「下着も全部タンスにしまっておきましたから。」
んだとーーーーっ!?
とっさにぶん殴りそうになったが、一概に悪いとも思えず、固まってしまう。
って、何これ何この状況!?
私どうすればいいんだよ!?
「もも、もっかい寝る!」
眠れない!
「ごめんなさいマスター!めちゃくちゃ迷ったんですけどごめんなさい!!」
これに関して怒るのは、流石に申し訳ない。
私も、そこら辺の指示をちゃんとしなかったのは良くなかった。
「…いや、いいよ。私がちゃんと指示しなかったからな。とりあえず、洗濯物一般を取り込んでしまってくれたことはありがとう。」
「…へ?」
なんでこいつはこんな間の抜けた反応をするんだ?
「どうした?」
「怒られる…と思ってました…。」
「いや、流石にこれで怒ったら理不尽だろう。」
「マスター!」
「何!?」
「こちょこちょこちょこちょ!」
「きゃぅっ!?」
何でいきなりくすぐられなきゃいけないんだ!?
「やめろ!くすぐるな!」
「ちょっとやってみました♪」
「ふざけんな!」
くすぐりは弱いんだよ…
「じゃあもうちょっと♪」
「意味わかんない!って、馬鹿!やめろっ!はひゃっ!!」
「マスター可愛いです♪」
「この変態!」
どうにかしてカイトから逃げる。
こうして一緒にいるカイトは、弟そっくりで、私によくくっついてきて、時々優しくて、でも…
変態です!
って報告しなきゃいけないじゃないか!
「また、お寺調べてるんですか?」
「あぁ。そうだ、ちょっと待ってくれ。」
結と恭一に、電話をかける。
「もしもし、ひーちゃんどしたの?」
「色々イベントが続いたところだが、今度の日曜日って空いてるか?」
「何もないけど、何かあるの?」
「結と恭一に、一緒に来てほしいところがある。」
「んじゃ、恭くんに伝えとくよ?」
「あぁ、頼む。」
「また、どこか行くんですか?マスター。」
「カイト、この日はお前も来てくれ。」
「もちろん、行きますけど…」
「家族に…会いに行く。」
94 喜ぶべきなのに(カイトside)
「また、どこか行くんですか?マスター。」
「カイト、この日はお前も来てくれ。」
「もちろん、行きますけど…」
「家族に…会いに行く。」
結婚の話ですか!?
って、いやいやいやいや違う違う違う違う!
だって、マスターのご家族はもう…
じゃあ、会いに行くということはつまり……
「ダメですよマスター!早まらないでください!マスターいなくなったら悲しむ人たくさんいます!ってかまず僕が悲しいです悲しいなんてどこじゃないです生きていけません物理的にも精神的にも!」
「は!?ってかまず苦しい離れろこっちの方が死ぬ!」
「だって…マスターがご家族に会いに行くなんていうから…」
「そういう意味じゃねーよ。」
「…え?」
「お墓参り、だ。」
「だから、お寺を調べていたんですか…?」
「そうだよ。」
マスター、どうかしたんだろうか?
あれだけどこも行きたくない、何もしたくないと言っていたマスターが、旅行や遊園地に行くようになった。
歌は苦手と嘘をついてまで、歌わない、思い出すから、音楽から離れていたマスターが、僕に歌を教えてくれた。
そして、お墓参りに行こう、そう言いだした。
無理なら、しないでくださいよ?
辛いなら辛いって、そう言ってくださいよ?
でも、本当に無理をしているのか?
辛いのをひたすら隠しているとか、そういうようには見えない。
むしろ、初めて会ったときよりも、明るくなっているように見える。
恭一さんの言っていた、活発だった頃のマスターという人間に、近くあるように見える。
じゃあ、マスターは、変わったのか?
1人でも、生きていけるようになってしまうのか?
僕が側にいる必要は、なくなってしまうのか?
喜ばしいことなのに。
喜ぶべきなのに。
マスターが、ご家族のことを乗り越えて生きていけるようになるのを、僕は誰よりも祝福すべきなのに。
ずっと救いたいって思ってきたはずなのに。
僕は何もできず、ただマスターだけが変わっていってしまう。
僕は…マスターにとって何なのだろうか?
結局、僕自身のことしか考えられない僕が、とてもとても嫌になる。
「前の日にちゃんと服を出しておくから、ちゃんとしたやつを着ていってね。」
「わかりました。マスター。」
95 報告(翡翠side)
日曜日。私もカイトも、スーツに身を包む。
途中、お線香とライター、花を買っていく。
「翡翠、おはよう。今日はどうしたんだ?」
「おはようひーちゃん。この格好で大丈夫だった?」
「あぁ、2人ともおはよう。大丈夫だよ。今日は、墓参りに行く。」
「「翡翠!?/ひーちゃん!?」」
「こっちだ。」
お父さんと、お母さんと、琥珀の眠る場所。
"糸魚川家"
「会いに来るのが遅くなって、ごめんなさい。」
あれから、1度も来たことがなかったんだ。
「きっと空から見るにも私は、ふがいなかったよね。」
墓石を、乾いた布で拭く。
「今になってようやく、みんなのこと、考えられるようになった。」
添えてあった水を、取り替える。
「ちゃんと、向き合っていけるようになった。」
持ってきた、花を添える。
「今は、この先のことも、少しは考えなきゃな、そう思ってる。」
線香に、火をつける。
「だから、今までのこと、みんなに報告したくて。」
一本、一本。
お母さん…
お父さん…
琥珀…
「恭一は、ちょくちょく私の様子を見に来てくれていた。」
手を、あわせる。
「大学に行って、萌っていう友達ができた。」
聞いてくれてるよね。届いて、いるよね。
「そして、何もせずただ日々を過ごす私の元に、カイトがやってきた。琥珀に、とてもそっくりなんだよ。」
顔を、上げる。
「萌は、本当は色々抱えてて、名前も、結だった。」
目を、開く。
「そして、みんなが、恭一が、結が、そしてカイトが私を支えてくれた。お父さんもお母さんも琥珀も、本当は側にいるんだって気づくきっかけをくれた。」
視界が、ぼやける。
「紹介、したかったんだ。今の私には、こんなすてきな人が周りにいるんだよって。だから、もう心配しないで、空から見守っててって、そう言いに来たんだ。」
頬に、ふたつの線が走る。
「今まで、ずっと見守っていてくれてありがとう。」
拭い、もう一度、はっきりと見る。
「これからも、私のこと、みんなのことも、見守っていてください。」
振り返る。
「みんな…一緒に来てくれてありがとう。…多分…みんな喜んでくれてると思うんだ。」
え…?
「なんで?何でみんなが泣いてんの?」
「マスター!」
「いや抱きつくな!ここ寺だから!」
「翡翠、しばらくここにいるか?」
「…ううん、いいよ。確かにお骨はここにあるけれど、魂までずっとここにとどまってるわけではないし。きっと、どこにいても私の側にいてくれてるはずだから。」
「そうか。」
石段を下り、お寺の外へ出る。
「ごめん、みんな。わたしちょっと電話したい人がいるの。」
「じゃあ、私たちは席を外そうか?」
「ううん、ここにいていいよ。」
なにか、緊急だろうか?
「もしもし、ママ?」
「あら、萌ちゃんどうしたの?」
スピーカーにしたのか?
「ううん、違うよ。」
「萌ちゃん?」
「萌ちゃんじゃないよ。わたしは、結だよ。」
「結…ちゃん…」
「そう、結。結だよ。もう、泣かないでよ。」
「だって、あなたは長いこと…」
「うん、わかってる。ねぇ、パパもいる?」
「いるわよ。…かわる?」
「お願い。」
「もしもし。も…結、か。」
「そう。びっくりしたよね。あのね、パパに、会ってほしい人がいるの。」
「会ってほしい、人か?」
「うん。1人は、わたしの親友。もう1人は、私の大好きな人。きっとパパもママも気に入ると思うよ。それに、もし名字が変わっても、楠に負けないくらいおしゃれな名字だから。桐生って、素敵でしょ?」
「お前…話が早すぎないか?」
「わたしが行き遅れるより、安心でしょ?じゃあ、都合のいい日、後で教えてね。」
「お、おう…わかった。ママにも伝えておく。」
「うん。それじゃあね。」
「体には気をつけろよ。」
「わかってる。」
「ごめん、みんなお待たせ。」
「結俺その手のこと何も聞いてないぞ!?」
「あれ?嫌?」
「なわけねーだろが。」
「じゃあいいよね。ねー、ひーちゃん?」
「なぜ私に聞く!?しかも色々唐突に!」
「ひーちゃんのお墓参りの方がよっぽど唐突だよ。」
「とりあえず、ここで立って話すのもあれですから、少しお茶していきませんか?」
「そうだな。カイトたまには良いこというよな。」
「たまにはって何ですかたまには!」
私たちは、春爺のカフェへと向かった。
ーinterlude-Ⅴー(恭一side)
「いらっしゃい。今日は賑やかだねぇ。」
「春爺いつもの!」
「私もいつもの!」
「はいはい、プリンアラモードと、モンブランと紅茶のセットね。で、今日は何のパフェだい?」
「マンゴーパフェです!」
「俺はアイスコーヒー…とチーズケーキで。」
「はいよ。」
以前4人でここに来たときと、同じ場所に座る。
「にしてもわたしびっくりしたよ!ひーちゃんがお墓参りなんて言うから…。」
「いや俺の方がびっくりしたから!」
翡翠がお墓参りって言うだけじゃなく、結の家族に会うとかいう話になってるんだからな!?
いやまぁ、結のことは好きだし、結のことだから脅しじゃないのもわかるし、俺も他にいないと思ってるからいいんだけどさ。
こいつの過去のことをまともに受け入れてやれるやつも、そうはいないだろうしな。
「しかしここまで、翡翠も結も変わるとまでは思わなかった。カイト、どうもありがとうな。リンとレンにもお礼を言いたいんだが、生憎ここにはいないしな。」
V20prototypeの担当になったとき、ちょうど2人とも闇の中をさまよっていたから。
「恭くんから?」
「あぁ。」
「なんで恭一言うんだよ!カイトには私が言おうと思ってたのに。」
「いや、俺からも言いたかったんだよ。何人お礼を言ったって良いだろ?」
「そうだけどさ…」
こいつ、少しばかり素直になったか?
「お待たせ。コーヒーとチーズケーキね。」
「あ、ありがとうございます。」
「マンゴーパフェ、ここにおくね。いつものとモンブランは、ちょっと待っててね。」
「「はーい」」
「マスターお先にいただいてますね!」
「いや、いちいち断らなくて良いから。」
俺も、届いたコーヒーを一口飲む。
「マンゴーパフェもおいしい♪あ、マスター一口食べますか?」
「いらん!」
「おいしいですよ?」
「そう言う問題じゃない!」
やっぱり、素直じゃないか。
「はい、いつものとモンブランね。そういえばデートには言ったのかい?」
「行きましたよ!旅行と、あと今度は花火大会に行きます!」
「おー、いいねぇ、青春だねぇ。」
「カイト何言ってんの!?デートじゃないから!」
「え?違ったんですか?」
「違うわ!都合のいい解釈すんな!」
うん、素直じゃない。
「そうだ、カイト。」
「何でしょう、マスター?」
「私がここまでこられたのは、いろんなことをやってみて、家族みんなのことを思い出すようになったから。
自分を閉ざして、自分に囚われてた私が、何かに目を向けて、触れて、やってみて、思い出して、越えていく。
もちろん、そこには結や恭一の影響もあった。でも、何よりも誰よりも、そのきっかけを私にくれたのはカイトなんだ。
弟にそっくりだったことに始まり、一緒にバイトもして、一騒動もあって、旅行にも行って、歌も練習して、遊園地にも行って…。
しかも、その中で私、カイトに散々なこと、たくさんしてきた。でも、いつもカイトは私の側にいて、私を支えようとしてくれた。
だから、少しずつでも、前を向けた。家族のことも、乗り越えて生きていけるようになった。
カイト、お前は、囚われていた私の、青い鍵だ。
ありがとう。」
言ったな。よく、ここまでちゃんと言えるようになったな。もう、こいつならきっと大丈夫だろう。従兄のお兄さんの役目は、終わりかな。
「マ…マスター…」
「泣くな!パフェ食え!なんか私もこれめちゃくちゃ恥ずかしいからモンブラン食うからな!話かけんなよ!?栗持っていくなよ!?」
いや誰も持っていかないから。特に俺は懲りたから!
「もー、ひーちゃん格好いいよ…わたしが恭くんとリンちゃん、レンくんに言いたかったこと、ほとんどひーちゃんとかぶっちゃってるよ…」
「まぁ、相手違うし、いいんじゃないか?ってか、カイトティッシュやるから涙拭け!」
「は…はい…だって…マスターが…」
「なんかそれ、私が泣かせた悪い子みたいじゃないか!」
「ひーちゃんそういうとこ、精神年齢4歳?」
「は!?2月29日生まれだって言ったろ!?」
「はいはいわかってますよー」
翡翠って、どうしてこう、カイトと話しても結と話しても漫才みたいになるんだ?
「うぅ…ティッシュありがとうございます…」
「あぁ、気にするな。」
「ところで恭くん、わたしやひーちゃんがリンちゃん、レンくん、カイトくんにお礼を言うのはわかるけど、どうして恭くんが?」
ついに、これを話すときが来たか。
「翡翠のもとにカイトを、結のもとにリンレンを送り込んだのは、俺だ。」
「「「は!?/え!?/はい!?」」」
「だから、俺が、カイトを翡翠のところに、リンレンを結のところに送り込んだ。」
三人とも、唖然としてるな。
「俺は、ヤ○ハ本社のインターンだ。それで、最初の大仕事として、V20prototypeモニターに関する一連のことを任された。カイトが琥珀によく似た顔立ちなのは、製造時における俺の指示だ。まぁ、あいつも翡翠の弟だけあって相当の美男だからな。あのまま商品化しても差し支えないレベルのイケメンだ。」
「つまり最初から…このモニターとやらは私と結を変えるためだったのか?」
「最初からと言うより、俺が担当になってから、だな。そうでなければどうなっていたかわからない。担当が決まったのは、ちょうど半年くらい前だろうか。」
「で、でも僕、そんなの本社から一切の説明ありませんでしたし、モニターって、無作為の抽選じゃないんですか!?」
そもそも、開発中、ということになっている。
「カイト、驚いたのはわかるが、少し落ち着いてくれ。それと、今からいう話はかなりの内部事情だから、外に出さないように。」
春爺は、別の客と話しているようだ。今、話の内容が聞き取れるほど近くにいる人間はいない
。
「V20prototypeは、本社側の発表では開発段階ということになっている。モニターがあるということも、発表されていない。」
「なぜだ?」
翡翠なら、すぐに察しそうなものだが。
「V20は見ての通り、VOC@LOIDシリーズの中の初の実体化モデルだ。待ち望んでいる人間は数限りない。モニターが行われることが知られたら、そのモニターの座を狙っての空前のオークションを引き起こしかねない。そこでモニターを作意的に選定したことが知られれば、会社にとって良くないことが起きるのは自明だろう。」
「でも、不具合確認とかのために、実験段階は必要だもんね?だから、秘密裏にモニターを行ったってことかな?」
結の飲み込みが思ったよりも早い。
「そうだ。カイトを翡翠に、リンレンを結に送ったのはもちろん2人をどうにかしたい俺の個人的な事情と、本社への報告のための利便性のためだ。あり得ない時間に差出人不明で送ったのも、人に知られないため。メイコとミクが俺のところにきたのも、管理・報告上の都合だ。」
「そういうことか。」
「でも、それなら僕たちには事前に説明されても良くないですか?マスターのこともちゃんと知ってたら、もっと早くに手を打てたかも知れないですし…」
まぁ、カイトの立場からしたら、そうかもしれない。
でも、ここにもまた、個人的な理由と社会的理由がある。
「まず、モニターのシステムについては、カイトたちに詳しいことを知らせておくとふとした拍子に情報を漏らしてしまうかもしれない。だから、最低限の情報しか説明しなかった。」
「あの、箱に入ってからのほとんど説明になってない説明は恭一さんだったんですね!?せめて箱に入る前に説明してくださいよ!あともうちょい大きい箱に入れてほしかったです!あれ、リンレンミクあたりはともかく僕は狭かったんですよ!?体痛かったし!」
そこかい!まぁ確かにあの説明は俺だが。
「わかったわかった箱の件は悪かったよ。で、翡翠と結の情報についてだが、最初から教えちまうのは良くないと思ってたんだよ。一緒に迷って、模索して、それでこそたどり着けるんじゃないかなって、そう思ったから。だからもしも、教えていた方が早く、よりよくどうにかできたなら、そのときは、ごめん。」
「いや、それに関してはもういいだろ。現に私も結も良い方向に向かったわけだし。仮に教えていたらとか、そういう話をするべきでもない。で、だ。ありがとうな、恭一。カイトを、私のもと送ってくれて。」
なんか翡翠に真面目にありがとうって言われる感覚が慣れない。
「わたしも、恭くんにありがとうだね。まぁ、恭くんには、この事だけじゃなくって色々お世話になってるから、ありがとうじゃ足りないけど。ほら、わたし料理もできるし、細かいことできるし、しばらくリンちゃんとレンくんの面倒も見てたから面倒見も良いよ?多分役に立つはずだから、ね?」
将来、か。
「あの、僕からも…ありがとうございます!」
カイト?カイトにはむしろ俺がお礼を…
「こんな素敵なマスターのもとに送ってくれて!」
「は!?カイト何言ってんの!?」
そういうことか。
「どういたしまして。仲良くやれよ。」
「はい!」「まぁ、前みたいに預けるとかしないから。」
ひとまず、一件落着か。
まぁ、翡翠はまだ、気づいてないことがあるみたいだがな。
しかしそればかりは、俺の領分でもない。
頑張れよ、カイト。
「そろそろみんな食べ終わったし、遅いし帰ろう?」
「そうだな。みんなスーツから着替えたいだろうし。」
「じゃあ、帰りましょうか。」
「春爺!個別会計ってできる?」
「はいよ、大丈夫だよ。」
「じゃあこれ、わたしの分ね。」
「俺は、これで。」
「私とカイトの分で。」
「はい、ちょうどね。ありがとねー」
「「「「はーい」」」」
そして、それぞれが帰路についた。
96 これからも(カイトside)
ー私がここまでこられたのは、いろんなことをやってみて、家族みんなのことを思い出すようになったから。
自分を閉ざして、自分に囚われてた私が、何かに目を向けて、触れて、やってみて、思い出して、越えていく。
もちろん、そこには結や恭一の影響もあった。でも、何よりも誰よりも、そのきっかけを私にくれたのはカイトなんだ。ー
僕、そんな、何もしてないですよ、何もできなかった…
ー弟にそっくりだったことに始まり、一緒にバイトもして、一騒動もあって、旅行にも行って、歌も練習して、遊園地にも行って…。
しかも、その中で私、カイトに散々なこと、たくさんしてきた。でも、いつもカイトは私の側にいて、私を支えようとしてくれた。ー
無力だと思っていた僕は…少なからず、マスターの、あなたの支えになっていた…?
ーだから、少しずつでも、前を向けた。家族のことも、乗り越えて生きていけるようになった。
カイト、お前は、囚われていた私の、青い鍵だ。
ありがとう。ー
囚われていたマスターの…青い鍵…
こんな…こんな嬉しい話…ないじゃないですか。
僕と一緒にいて、僕が、マスターを支えることが少しでもできて、マスターが明るくなって…そして、それをこうして教えてくれるなんて…
ありがとうって言いたいのは僕の方です。
こんな、こんな嬉しい言葉、僕にはもったいないほどですよ…
「カイト、どうした?」
「さっきのマスターの言葉、思い出して…」
「泣くな。いや、泣いてもいいけど家着いてからな?」
「…はい!」
茜色の街の中、僕たちの家に向かう。
「ただいま。」
「ただいまです!マスター!」
「待て、まずは着替えような!?」
「そうですね。」
僕もマスターも、部屋着に着替える。
着替え終わったマスターが、リビングに降りてくる。
「マスターっ!」
「だからいきなり抱き……いいよ。」
「いいんですか!?」
「たまに…だからな?」
「わーい♪」
なんだか、マスターをぎゅーってしてると、落ち着くんです。
「マスター。」
「ん?」
「これからも、マスターの側にいても良いですか?」
「…当たり前だろ。むしろ何でだめなんだよ。」
「やったーっ!」
おもわず、さっきよりも強く抱きしめる。
「苦しい!さすがにもう少し緩めろ!」
「わわっ!ごめんなさい!」
大好きです、マスター。
ずっと、ずーっと一緒ですよ。
もう2度と、ひとりにならなくていいんです。
僕が、ひとりになんてさせませんから。
97 場所取り(翡翠side)
お墓参りに行って、恭一の衝撃告白を聞いてからの1週間は、割と落ち着いていた。
心の整理の意味も込めて、年末じゃないけど家中の大掃除もした。
お父さん、お母さん、琥珀。みんなの部屋も埃を払い、空気を入れ換え、物はそのままだけどきれいにしたからね。
魂だけでも、いつでも帰ってきてください。
片づけがある程度終わると、よくゲームをしてたっけ。
元は琥珀のゲーム機をカイトのにし、私は私のを使ってチームプレイでダンジョンに行った。
にしても、カイト弱い!始めたばかりでレベルがまだ低いとか、そういう問題じゃない!いやそこ、避けようよ…とか、そんな感じ。
冷蔵庫の中身も、整理できて良かったな。
食べる分だけ買うようにしてても、残り物をちょくちょく処理するようにしても、どうしても忘れてしまう物もあるからな。
そうだ、アイスを大量に買うようになったから、冷凍食品をあまり買えなくなっちゃったんだよな。
今何時だ…?
7時半か。花火大会は夜だし、もう少し寝ていよ…
「マスター!朝ですよ、朝!マスター!」
寝ようとしたとこで起こすなよ!
「朝です!マスター朝です!起きてください!今日は花火大会行くんですよね!?」
ったくめんどくさいな。
「あぁ、朝だな?」
「花火大会ですよ!行きますよマスター!早く着替えてください!」
こいつ、アホか?
「朝から花火大会なんて、やってるわけなかろうが!」
「え、やってないんですか!?」
「暗くなきゃ花火、綺麗に見えないだろうが。」
「そうなんですか…」
あからさまにしょんぼりするな。
さすがにちょっと可哀想じゃないか。
「はいはいはい、場所取りしないと良いとこで見られないもんな?」
「そう!そうですよマスター!さ、早く着替えて準備してください!」
「だからといって8時に出る必要もなかろうが!」
「コミケには徹夜組が、ニコ超には始発組あるいは泊まり組が、そしてサークルチケットバカ売れですよ!?」
「なんでそういうイベントは知ってて花火大会知らんねん!」
「何で関西弁やねん!ですよ!」
「いや、たまに出てくるんだ。」
だいたいもう、なんで私が発掘した甚平をもう着てるんだよ…
仕方なく、私も浴衣に着替える。
浴衣は胸がない方が似合うらしいからな。結やめーちゃんには着こなしにくいんじゃないか?
でもそれ以前に私は身長が…考えないようにしよう。
レジャーシートとタオルと日傘と財布の入った手提げ袋に、携帯を入れる。
髪を高くにくくり上げ、かんざしを挿す。
基本的にあまり手を入れないナチュラルめのメイクに、赤いリップとチークを軽く乗せる。
久しぶりにマニキュアを取り出し、足に塗る。
「マスター、まだですかー?」
「女は支度が長いんだよ。」
「早くしないと場所取られちゃいますよ?」
「こんな朝から来てる奴なんて多くないから。」
速乾タイプにしておいてよかったな。
足とは違う2色を、交互に手に塗る。
久しぶりにしては、結構きれいに塗れたんじゃないだろうか。
にしても、トップコートまで塗ると速乾タイプでも、若干時間かかるな。
「にしても遅いですよマスター。普段もっと早いじゃないですか!」
部屋の前で不機嫌なカイトの姿が目に浮かぶ。
でも今の私の姿を見たらびっくりするんじゃないか?
「男がうだうだ言わない!浴衣着るのって大変なんだよ。」
むしろ一人で着られるだけマシなんじゃないか?
「わかりましたよ。」
うん、変じゃないよね。下駄もあるし。
「お待たせ。」
「………」
いやいや、目を丸くして固まらないでくれる?
場所取り、行くんでしょう?
「どうした?行かないのか?」
「い、いや、マスターあんまりきれいだから…びっくりして…いつもきれいですけど…」
だからこいつはなんでこう、ストレートに言うかなぁ…
きれいとか美人とか、可愛いとか言われることは少なくなかったけど、カイトに言われると…なんか、こう…
まぁ、そんなに気にしてなんか、いないんだけど!?
「良いから行くよ!」
「はい!」
コンビニで朝ご飯用におにぎりと飲み物と、凍ったペットボトルを買う。あ、ついでにアイスも。
「お前、アイスばっか食べてると栄養偏るぞ。」
「僕は機械です。」
「そうだけどさ。」
土手に着くと、思ったより多くの人がもう場所を取っていた。
「もう意外と人がいるんだな。」
「だから言ったじゃないですか!」
「でも、いい場所はまだ残ってるぞ?」
視界の開けたところに、レジャーシートを広げ、日傘を差す。
「マスター!こんなこともあろうかと!」
「いやまだ何も起きてないけど!?」
「ゲーム持ってきました☆」
それ私が昨日探してたやつ!私のが無いなって思ってたんだよ…
「チームやりましょチーム!」
「はいはい、いいよいいよ。」
98 花火大会(翡翠side)
「暗くなってきましたね」
「そろそろかな。」
ゲームをしまい、空を見上げる。
周囲の人も、どんどん多くなっていく。
うっすら明るかった空も、今では深く暗い紺色だ。
ヒュ~~~~
「たーまやーっ!」
ドカーーーーーン!
濃紺の夜空に咲いた大輪の光は、色を変えながら舞い散ってゆく。
「これが、花火なんですね。僕、初めて見ました。」
「カイトはほとんどのものが初めてだろ?」
「まぁ、そうなんですけどね。そうだ、マスター。花火を見るときって、たーまやーって言うんですか?」
「そうだな。」
「じゃあ、僕も言おう。たーまやーっ!」
「いや遅いよ」
「じゃあ、いつ言うんですか?」
「光が一筋、ヒュ~って上ってて、ドカーンって開く直前に言うんだよ。」
ヒュ~~~~~~
「ほら」
「「たーまやーっ!」」
ドカーーーーン!
パーン!パパパーンッ!
次々に、色や構成の違った花が咲いては消える。
「マスター、」
「ん?」
「これを花に喩えた昔の日本の方って、素晴らしいですね。」
言われてみれば確かにそうだ。「花火」という言葉が当たり前すぎて、考えてもみなかったかもしれない。
それにしてもカイトって、こんなお爺ちゃんみたいなこと言う奴だったっけ?
「マスター、これ食べますか?」
「何?」
手渡されたのは、干し梅。
だからこいつは、いつからこんなお爺ちゃんになったんだよ!?
「どうしたの?これ。」
「この前、春爺がくれました。」
「いつだよ!?」
「プールに行った次の日、マスターが寝ていた時です。洗濯物取り込んでたら春爺が通りかかったんですよ。犬の散歩してました。その時に、熱中症対策にって言って、これをくれたんです。」
カイトが鞄から取り出すのは、個包装になった干し梅が大量に入った袋だった。
「そんなにもらったんかい!」
「結構美味しいですよ?」
いや、美味しいのは知ってるけど!
「あのさぁ、そういうの貰ったら、ちゃんと私に言ってよね。お礼しなくっちゃ悪いでしょうが。」
「ごめんなさい、気をつけます。」
「あっ、次上がるよ!」
ヒュ~~~~~~
ヒュ~~~~~~
ヒュ~~~~~~
「「たーまやーっ!」」
ドドドドカーーーーーーーーーンッ!!!!
さっきまで闇であったことを忘れるほどのまばゆさで、花々が天を埋め尽くす。
「空が、光のお花畑ですね…」
私の肩は、カイトに抱き寄せられていた。
「ちょ、カイト、あんた何やって…」
「みんな、こうやって花火見てますよ。」
「あの人たちは…!」
あの人たちは恋人同士だから…
花火を見上げるカイトの横顔から、目を背けてしまう。
花火を見る心の余裕すら、奪われてしまった。
花火が上がらない限りは、外は薄暗くて色がはっきりとは見えない。ただそれだけが救いだ。
もしも今、色がはっきりと見えてしまったとしたら…
私は絶対赤面しているだろうから。
カイトは空いている方の手を、私の手に重ねる。
わかってしまった。
気づいてしまった。
いや、ずっと前からわかっていた。気づいていた。
それでも、思考の外へと、外へと追いやろうとしていたことに。
気づかないフリをし続けようとしていたことに。
もう、私自身が私自身から逃げることはできないのだ。
私は、カイトのことが大好きなんだという事実から…
99 紙ヒコーキ(翡翠side)
どうしよう。
どうすればいいんだ?
私は、どう思ってる?
私は…カイトが好き。
気づかないフリしてずっと、ずっと好きだった。
大好きだった。今でも、そう。
こんなに好きになった人、他にいない。
どうしたらいい?
花火大会の日から、ただ、いつもいつも、平静を装って過ごすだけで、精一杯だ。
"合同歌練"の名のもとにしょっちゅう結や恭一のところに行っていないと、2人でいたら、どうにかなってしまいそ
うなんだ。
結やめーちゃんがよく私とカイトをみてニヤニヤしてたのは、そういうことだったんだな。
帰り道で2人きりになるのも、心臓に悪いようで。
「マスターマスター!明日近所の神社で結構大きいお祭りやるらしいですよ!行きますよね!?」
「そ、そうか。じゃあ、行こうかな。」
「最近みんなでいること、多かったですし。明日は2人で行きませんか?」
それじゃ、デートじゃないか!
いや…いいけど…。むしろその方が、嬉しいかもしれない…けど…
「まぁ、結と恭一は別のところのお祭りがあるだろうしな。」
そんなこと言えるわけ、ないじゃないか!
「じゃあ、決まりですね!マスター浴衣着てきてくださいね!」
「それなら、カイトも甚平な?」
「わかってますって。」
お祭りに行ってしまえば、いろんな屋台があるからむしろ気が紛れるのかもしれない。
「楽しみだなぁ…」
私も、楽しみだよ。
「ね、マスター?」
「あぁ、家帰ったら明日のお小遣い渡すから。」
みんなが言うように、私は素直じゃないのかもしれない。
カイトは…どうなんだろう?
確かに、マスターだからということ以上に私に懐いてくっつき回ってる節はあるけれど…
それは…?
いや、変な期待も希望も、しないほうがいい。
思いこみほど怖いことはないから。
「ただいま。」
「ただいまです!」
「じゃ、じゃあ私、明日のためにお風呂入ってすぐ寝るから!」
「最近寝るの早すぎませんか!?それに、お祭り夜ですよ?」
わかってる。わかってるけどなんか2人きりで家にいるともうどうしていいかわかんないんだよ!
無理矢理にでも自分を落ち着かせるかのように、風呂へ駆け込む。
私がこうしている間、カイトはどうしてるのかな…?
どうして、私はこんなになってしまったんだろう。
もう、頭の中が真っ青だ…
風呂に1人で入っていても、大して落ち着くこともできなくて、早々にあがる。
「マスター!アイス一緒に食べませんか?」
手渡されたのは、半分のパピポ。
カイトと半分こ……
「食べませんか?」
そんな目で私を見るな!
「…食べる。」
「わーいっ!ソファー行きますよ!」
「手を引っ張るな!」
目の前のアイスにだけ、ひたすら集中しようとする。
別にこの形じゃなくても、ずっと昔からあるこのチョココーヒー味自体、結構好きなんだよな。
「知ってますか?マスター。」
「何?」
「このパピポって、1袋の中の2つで微妙に味が違うんですよ?」
「いや、それはないだろ。」
「食べ比べてみますか?」
え…ちょ…それはつまり……
なんて恐ろしいことを言うんだ!
「するわけねーだろこの天然タラシ!」
「みたらし団子の1種ですか?」
「ちっがーーうっ!」
「あ、じゃあ養殖とか天然とかの?」
「みたらし団子は海の魚じゃないから!」
「なんかマスター可愛いです♪」
「何でだよ意味わかんないから!」
なんでそんな可愛いとか言うの!?
このときばかりは、私が普段からこういったキツい物言いばかりしていたことに感謝せざるを得ない。
「マスター♪」
バカーッ!バカバカバカバカバカバカバカーーーッ!
「だから何なんだよ何で抱きつくんだよ放せバカせっかくアイス食べてたのに暑い!ってか食べ終わったから歯磨いて私寝るからな!」
「マスター変なの。」
誰のせいだ!
急いで歯を磨き終え、布団に駆け込み潜り込む。
「あ!マスター明日のお小遣い!」
「これでもくらえ!」
野口英世紙ヒコーキ×3!
「いや、普通に渡せばいいじゃないですか。」
「文句言うな!」
「はーい。」
「おやすみ!」
「おやすみなさい、マスター。」
100 私の天下(翡翠side)
「すごい!いろんな屋台がたくさんありますよ!」
「そ、そうだな。」
「あ!綿飴ですよマスター!」
「欲しいの?」
「はい!」
もう、何この無邪気な笑顔。
「お小遣いで買っといで。」
「マスターも一緒に食べましょう?」
「あぁ、別に良いよ。」
確かに、1人で食べるにはかなり大きいもんな。
半分こ…ねぇ…
結局、じゃがバターも焼きそばもたこ焼きも鯛焼きも、ほとんどを半分こして食べた。
「カイト、金魚すくいあるぞ。」
「あ、行きます!」
「飼うとなるとまた大変だから、すくったら最後に放すけどな?」
「…わかりました。」
金魚すくいとか、ヨーヨー釣り、射的、型抜きとなれば私の天下だ。
何より、照れるとかドキドキするとか、そういった次元じゃないところに自分を持っていける。
「あっ…逃げた…あ!破れた…」
あの破れならまだ取り返しがつく!
「カイト下手!貸して!」
「マスター!?」
さぁ、来て。そう、こっち。追い込んで、一瞬。
「わぁっ!?」
1匹、2匹、3匹…逆転ってこの事を言うんだ。
「すごいねぇ、お嬢ちゃんこれ大会出られるよ!」
もう…さすがに無理か。
パイは敢えなく大破した。
器の中には、12匹。
そのすべてを水槽に戻し、続いて向かう先は射的。
「中学生はこっちね。」
んだとぉ!?
「大学生です!」
「あれ!?そうだったの!?でも、遠くなるよ?」
未だかつて屋台で、私以上の名手は見たことがない。
「私をなめんな。」
「じゃあ、5発ね。」
「カイト、何が欲しい?」
「アイス1年分!」
「ねーよ!」
新型のゲーム機は、1人が数発当てる程度じゃ倒れないようになっている。
あぁいうのは、協力して一斉射撃だ。
敢えて、お菓子の大袋に照準を合わせる。
パシューンッ!
周囲のざわめきが聞こえる。
続いて、あのチョコの大箱。
パシューン!パシューン!
チョコは重いからな。さすがに2発やらなきゃ落ちないか。
テキ屋の兄ちゃんも驚いている。
なめんなって言っただろ?
残り2発。
おそらく、ゲーム機以外の目玉である大きなぬいぐるみは、他に欲しい人がいるはずだ。
機械本体は無理でも、ソフトならいけるんじゃないか?
普通に買うと6000円近くするしな…
パシューン!
「おぉっ!」
「何あの子すごーいっ!」
「小さいのにね!」
何か言ったか群衆!?
最後の1発。
照準は…
ハーゲンダッツ無料チケット!
チケットの張り付いた箱を、正確に打ち落とす。
私にかかれば、なんてことはない。
「後で取りにくるから、私が取ったもの、置いといてください。」
「は、はい。取っておきますね。」
さぁ、次は型抜きだ。500円くらいにはなるかな…
101 鋭く光る(翡翠side)
「カイト、型抜きやりに行こ……カイト?」
え…?
すぐ隣にいたはずのカイトがいない。
人混みの中ではぐれてしまったらしい。
辺りを見回しても、背の低い私はカイトを見つけられない。
頭が青いから、近くにいたらすぐわかるはずなのに。
「カイトー!?」
あいつのことだ、私の声が聞こえたらすぐに飛んでくるだろうに。いや、来ようにも人混みに阻まれてすぐにはこられないのか?
かき氷の屋台にもいない。
カイト…どこにいるの?
カイトに携帯を買ってなかったから、連絡を取ることもできない。
ふと誰かに腕を捕まれた。
「ねーちゃん、一人だろ?」
「違います。」
「暇なんだろ?俺たちと遊ぼーぜ!」
「連れがいるんです!」
「いねーじゃんか。」
「とりあえず放してください。」
「えー、いいじゃんいいじゃん」
「よくないです!」
やめてって言ってるのがわからないのか?
どうすればいいんだ。まずこの男の強引な腕を振りほどかなければ。
「アレやれ。アレ。」
「はい。」
アレって何だ?
リーダー格らしき男の指示の直後、私の視界は閉ざされた。
目隠し!?
「何すんだよ!?」
「大丈夫だから。ねーちゃんちょっと静かにしような?」
「何も大丈夫じゃない!」
まずい、余計強引にどこかに連れ去られている。
このままもし誰かの車に乗せられでもしたら、命に関わる。
「嫌!放せ!この布も外せ!」
苦しい!
同じ布か違う布かはわからないが、口までも塞がれた。
さらに別の布で別の男が私の腕を縛る。
「来い」
必死に抵抗しようとすればするほど、複数に取り押さえられ、身動きがとれなくなる。いや、もうすでに私の体は私の自由にできない。
「さすがにここには誰も来ねーだろ。」
どこかにたどり着いたらしい。
私の目を隠していた布が外された。
車等で遠くに連れ去られなかったことがせめてもの救いだ。
「逃げようってったって無駄だぜ?」
複数に囲まれ、逃げる隙をつこうにもタイミングがとれない。考えろ、私。相手は馬鹿連中だ。頭で私が負けるはずはない。だけど、言葉を発することができない。
「そんなことより俺たちと、楽しいコトしようぜ?」
私に向けるその目から、何もかもが見て取れる。ただ彼らの欲望を充足させるためでしかない一連のこと。
気持ち悪い。嫌だ。
「みんなねーちゃんみたいなの待ってたんだぞ?」
こいつ等が待ってたかどうかなんか知らない、興味ない。嫌…怖い…。こいつ等の人形になんか、なりたくない!
誰か…助けて…。
カイトは…?ねぇ、カイトはどこにいるの!?
!?
突如アイスピックが一人の男を掠め、その部分の服を裂いた。
アイスピックの飛んできた先から、人影が現れる。
手には鋭く光る、もう一つのアイスピックを持って。
「誰だか知らねーけど、危ねーじゃんか!あとこの服どうしてくれるんだよ!?あぁ?」
馬鹿の一つ覚えのようにただ叫ぶ男たち。
「離れてください。」
カイト!?
「彼女にそれ以上近づこうものなら…」
一歩、また一歩と距離を縮める。
おもむろに近づいたカイトは突然、連中の一人の胸ぐらを掴み、アイスピックをその首に向ける。
「あんな程度じゃ済ませませんから。」
「んだとぉ!?」
「死にたいですか?」
私の知ってるカイトじゃないような、冷たい目。
一瞬にして辺りを凍らせるような、冷たい声。
何一つ荒げていないのに、周囲を怯えさせる。
月の光がアイスピックに反射する。
「おい、やめとけ、逃げるぞ!」
連中はカイトの方をちょこちょこ振り返りながら、全速力で去っていった。
「マスター!」
私の口を塞ぎ、私の手を縛っていた布を駆け寄るカイトがすぐさま外す。
「大丈夫でしたか!?遅くなって本当にごめんなさい!」
「私は大丈夫…カイトが来てくれたから、あれ以上何もされずに済んだから…」
「……許さない…」
カイト…?
「怖くなかったですか?」
「怖かっ…!?」
それはあまりにも、唐突だった。
「好きです。マスター。」
カイトが、私の唇を奪ったのは。
「大好きです。」
何も…考えられない。
「大好きです…大好きなんです…。誰よりも、マスター、あなたのことが…。」
私は…どうしたらいい?
「僕は、あなたのものです。僕はボーカロイドで、あなたはマスター。このことは、動きようがない事実です。
でもマスター、僕はおかしいでしょうか?あなたを、マスターさえも、僕のものにしてしまいたいと思ってしまうのは…。愛おしくて仕方がないのは…。
僕は、狂ってますか?」
わからない。
「…わからない。」
「ごめんなさい…。今のは…忘れてください。帰りましょう、マスター。」
互いに無言のまま、微妙な距離間を保ったまま。
とりあえず射的の戦利品を持ち帰り、ただ、帰路についた。
102 一線(カイトside)
あれ?マスターはさっき、射的をやってたはずだが、今屋台の前を見ると、いない。
僕がちょっと人の波に押されていた隙に、マスター、どこに行っちゃったんだ?
もしかして、人混みの中ではぐれちゃったのかな…
マスター可愛いから、見てないときっと誰かが…
「カイトー!?」
マスター!
雑踏の中にかき消されてしまいそうだったけど、確かに聞こえた。
どっちですか?あっちですか?
探そうにも、人混みに阻まれて進めない。
綿飴の屋台にもいない。
マスター…どこにいるんですか?
僕は携帯を持っていないから、連絡を取ることもできない。
「連れがいるんです!」
マスター!?
「よくないです!」
誰だ。
マスターに手を出すつもりなら、容赦しない。
「何すんだよ!?」
方向は?…あっちか?
「何も大丈夫じゃない!」
早くしなければ!マスターが連れ去られてしまう。
あの小さな体だ。男1人でも、運ぶのは容易だ。
どこだ?どこにいる?
「嫌!放せ!この布も外せ!」
僕のマスターに何を!?
それ以降、マスターの声が聞こえなくなった。
楽しそうにはしゃぐ群衆。
なぜこいつらはマスターを見捨てる?
声が聞こえないのか?
マスターは…?マスターはどこにいる!?
ひたすら、マスターの声が聞こえた方向へ走ってゆく。
「逃げようってったって無駄だぜ?」
マスター!?
数人の男に取り囲まれ、口を布でふさがれ、両手を縛られた少女がそこにいた。
「そんなことより俺たちと、楽しいコトしようぜ?」
させるかよ。
「みんなねーちゃんみたいなの待ってたんだぞ?」
消えろ。マスターの前から。
機械の完璧な視力と、空間認識力を使い、アイスピックを放つ。一人の男を掠め、その部分の服を裂いた。
僕は連中に近づく。
手には鋭く光る、もう一つのアイスピックを持って。
「誰だか知らねーけど、危ねーじゃんか!あとこの服どうしてくれるんだよ!?あぁ?」
マスターに、危ないことしたくせに。
「離れてください。」
一歩、また一歩と距離を縮める。
「彼女にそれ以上近づこうものなら…」
じりじりと、連中へと近づく。
ー許サナイー
連中の一人の胸ぐらを掴み、アイスピックをその首に向ける。
「あんな程度じゃ済ませませんから。」
「んだとぉ!?」
「死にたいですか?」
月の光がアイスピックに反射する。
「おい、やめとけ、逃げるぞ!」
連中は僕を見つつ、全速力で去っていった。
無傷で返してやったんだから、幸運だと思え。
本来ならば…
でも今はそれよりも。
「マスター!大丈夫でしたか!?遅くなって本当にごめんなさい!」
「私は大丈夫…カイトが来てくれたから、あれ以上何もされずに済んだから…」
「……許さない…」
本当なら、地の果てまで追いつめて、このアイスピックで…
「怖くなかったですか?」
「怖かっ…!?」
小野寺のこともあった。今回のこともあった。
結さんもいつか言っていた。
いつ、何が起こるか、誰にも分からない。
嫌だ。マスターは…あなたは誰にも渡したくない…!
半ば強引に、彼女の小さな唇に僕のそれを重ねる。
「好きです。マスター。」
言ってしまった。
「大好きです。」
だけどもう、止めることは出来なかった。
「大好きです…大好きなんです…。誰よりも、マスター、あなたのことが…。」
ごめんなさい…僕は機械で、あなたは人間なのに。
「僕は、あなたのものです。僕はボーカロイドで、あなたはマスター。このことは、動きようがない事実です。
でもマスター、僕はおかしいでしょうか?あなたを、マスターさえも、僕のものにしてしまいたいと思ってしまうのは…。愛おしくて仕方がないのは…。
僕は、狂ってますか?」
それでも…どうしようも、どうしようもなかったんです。
「…わからない。」
その言葉で、僕は我に返った。
言ってはいけないことを、言ってしまった。
越えてはいけないものを、越えてしまった。
「ごめんなさい…。今のは…忘れてください。帰りましょう、マスター。」
何も言うことが出来なくて、微妙な距離間をどうすることも出来なくて、ただ、家まで帰っていった。
103 自動応答システム(カイトside)
あれから僕たちは、会話という会話がほとんどできなくなってしまっていた。
僕が…越えてはいけないものを、越えてしまったばっかりに…
それでもマスターは、いつもご飯を作ってくれた。
笑いかけようと、してくれた。
僕は、かつてのように無邪気に笑うことが、できなくなっていた。
いつまで、こんな日々が続くんだろう。
一緒にいるのに、遠い。気まずい。
ー応答セヨ、応答セヨー
「識別番号0001、メイコ 試作品(prototype)よ。」
「識別番号0002、カイト 試作品(prototype)です。」
「識別番号0003、初音ミク 試作品(prototype)です。」
「識別番号0004、鏡音リン 試作品(prototype)と、」
「識別番号0005、鏡音レン 試作品(prototype)です。」
突如、僕らの中の、本社連絡用自動応答システムが起動する。
システム起動時だけは、遠隔地にいてもボーカロイド全員の声が聞こえる。
今まで一度も起動されなかったのになぜ?
ー全員応答ヨシ、全員応答ヨシ。重大ナオ知ラセ、重大ナオ知ラセ。ー
何だ?
ーモニター期間、残リ5日。残リ5日。ー
「つまりそれって、僕たちが回収されるということですか!?」
「何か私たちに不備があったということかしら?」
ー回収ハ、今カラ5日後ノ午後9時。本社ノ人間ガ迎エニ行ク。各自、マスターニ報告ノコト。ー
「なぜです!?突然すぎます!今までモニター期間が存在するなんて一度も言ってなかったじゃないですか!」
「お兄ちゃん、私たちはまだ買っていただいた製品じゃないから、本社の言うことは聞かなくちゃいけないんだと…思う…。」
「だとしても、説明責任を果たしてください!僕たちに不備があったならそれを、他に回収の必要があるのならそれを、明確に説明してください!」
ー伝達事項ハ以上、伝達事項ハ以上。応答システム、シャットダウン。応答システム、シャットダウン。ー
「待っ…!」
ー応答システム再起動、応答システム再起動。追記アリ、追記アリ。ー
「識別番号0001、メイコ 試作品(prototype)よ。」
「識別番号0002、カイト 試作品(prototype)です。」
「識別番号0003、初音ミク 試作品(prototype)です。」
「識別番号0004、鏡音リン 試作品(prototype)と、」
「識別番号0005、鏡音レン 試作品(prototype)です。」
ー全員応答ヨシ、全員応答ヨシ。ー
「回収理由の説明ですか!?それとも回収措置の変更ですか!?」
ー回収拒否、逃亡ナド、本社ノ指示ニ従ワナイ場合、直チニ捜索隊等ヲ派遣シ、物理、データ双方カラ破壊スル。モウ一度伝達スル。回収拒否、逃亡ナド、本社ノ指示ニ従ワナイ場合、直チニ捜索隊等ヲ派遣シ、物理、データ双方カラ破壊スル。以上。応答システム、シャットダウン。応答システム、シャットダウン。ー
つまりは、否応なしに回収されなくてはいけないのですね。
『僕はマスターの側にいます。側にいたいんです。側にいさせてください。そう言ったんです。絶対、いなくなったりしませんよ。僕にとって誰よりも大切なのは、マスターただ一人です。』
『絶対、だよ?』
『えぇ、絶対です。』
ごめんなさい…マスター。
僕が、マスターと約束したのに。
ずっとずっと、マスターのそばにいるって言ったのに。
その約束、守れそうにないみたいです…。
104 以前は…(翡翠side)
「ご飯、できたよ。」
今日も、ご飯を作って食べることと、最低限の会話しか、できてない。
「そろそろ、アイス無くなってきたから、買ってくるからね。何がいい?」
あの時、私も好きって言えたらよかったのに。
「なんか言ってよ。特に希望がなければ適当に買ってくるけどさ。」
どうして、わからないなんて言ってしまったの?
「パピポ…パピポが食べたいです。」
半分ずつ…
「じゃあ、買ってくるね。」
少し前ならば、僕も一緒に行きます!とか言って、無邪気に笑ってついてきてくれたのに。
私が笑うと、嬉しそうにカイトも笑ってくれたのに。
カイトを、こんな風にしてしまったのは…私だ。
「…ただいま。買ってきたよ。半分こするの、久しぶりだね?」
「そうですね…」
隣に座っても、何もしてこない。
いつも、隣に座ってアイス食べてると、可愛いだのなんだのってちょっかい出していたのに。
あの時は、なんだこいつ、やめろって思ってた。
でも…でも…一緒にいるのにこれじゃ、あまりに寂しいじゃないか…
「カイト…?」
暗い。どこまでも暗い表情。
見てるこっちまで、胸が締め付けられるような…
「マスター。」
「何?」
「しばらく、こうしててもいいですか…?」
早々に食べ終えたアイスの容器を袋に入れ、私を抱きしめる。
「…うん。」
どうして、何も言えないんだろう。
ただ、同じことを伝えればいい。
それできっと、また笑ってくれるはずなのに…
どうしていいかわからないのは、私じゃないはずなのに…
「ごめんなさい…」
謝らないでよ…
悪いのは私…わからないなんて、どうしようもなく宙ぶらりんな答えしかできなかった、私なのに。
カイトは、静かに離れて琥珀の部屋へと入る。
以前は…あの夏祭りより前は…しょっちゅう私の部屋までくっついてまわってたのに…
105 どちらにしても(カイトside)
「ご飯、できたよ。」
今日も、昨日と同じように僕にご飯を作ってくれるマスター。
「そろそろ、アイス無くなってきたから、買ってくるからね。何がいい?」
ずっと側にいる、そう言ったのに。
もうすぐ回収されるなんて、言えない。言えるわけがない。
「なんか言ってよ。特に希望がなければ適当に買ってくるけどさ。」
「パピポ…パピポが食べたいです。」
せめて、少しでも、マスターの側にいたい。
「…ただいま。買ってきたよ。半分こするの、久しぶりだね?」
「そうですね…」
マスターが、隣に座る。
以前のように、ちょっかいを出すような、そんな気分じゃない。そんな気力もない。
マスター…
「カイト…?」
マスターが、僕の顔をのぞき込む。
やめてください…
あなたを安心させてあげられるような笑顔、今の僕にはできません。
僕の心にあるのは…
「マスター。」
「何?」
小さな肩を、そっと抱きしめる。
「しばらく、こうしててもいいですか…?」
少しでも、あなたの側にいたい…
「…うん。」
回収のことを伝えたら、あなたはどんな顔をするだろう?
あなたをまた、ひとりにしてしまう…
でも、こんな状況では一緒にいたところで、僕にとってはともかく、あなたにとってもずっと苦しいんじゃないだろうか…
一線を越えてしまい、あなたを傷つけた。
困らせた。今でも、辛い思いをさせてしまっている。
そのうえ、交わした約束さえも守ることができない。
マスター…
「ごめんなさい…」
これ以上、抱きしめていたらきっと、涙を見せることになってしまう。
迷惑は、かけたくない。
僕は、琥珀さんの部屋へと入る。
いつかは、伝えなければ。
僕が、いなくなることを。
でも、どうやって?
言えない。
マスターが悲しむのは、わかってるから。
でも、何も伝えずいなくなるのは…
それはもっと、マスターが苦しむ…
どうすればいい?
どうしたら…いいんだ?
ーinterlude-Ⅵー(恭一side)
「マスター、言わなきゃいけないことがあるのよ。」
「どうした?メイコ。」
「お世話になりました。毎日ネギ買ってきてくれて、ありがとうございます。」
「ミク!?」
どういうことだ?ボーカロイドが家出とか、まずいだろ!
しかも、こんなご丁寧な家出があるか!?
「あれ、あんた本社の人間よね?」
本社関連か…
「なんだ、聞いてなかったの?」
「何も知らん。」
上層部がなにか、重大な発表でもしたのか?
「私たち、本社に緊急回収されるみたいです。」
「は!?」
特に欠陥があったとかそういった報告はなかったはずだぞ?というか、基本的に本社への報告は俺の仕事だから、翡翠や結から何かあったという報告があっても、俺を通して本社に伝わるはず。
それよりもっと前、本社にあるデータの中でわかった欠陥か?
「理由に関しては、特に何も言ってこないのよ。ただ、5日後の午前9時に回収される、回収指示に従わない場合はデータ、物理双方からの破壊。つまり、逆らえやしないわ。」
なぜ、そういったことが俺には伝わらない!?
「メイコ…ミク…」
「私たちは、大丈夫ですよ。回収されるにしても、元のところに戻るだけですから。みんなも、いますしね。」
「まぁ、あんたは本社の人間だから、また会えるでしょ?一人暮らしは寂しいかもしんないけど、マスター、あんたには結ちゃんがいるから、心配してないわ。」
みんな…ということは、回収されるのは俺のところだけじゃないのか!?
「問題は、バカイトよね…」
「…全員…なのか?」
「そうよ?さ、あたしがいる時間も残り少ないんだから、ドンペリでパーッとやるわよ!」
「いや、俺の財布!」
「ケチくさいこと言わない!」
翡翠…
あいつ、カイトがいなくなったら今度こそどうなるんだ…?
そもそも、カイトは翡翠に伝えたのか?
…ギリギリまで、言えないんじゃないだろうか?
~interval-19~(萌side)
お風呂からあがると、リンちゃんとレンくんが深刻そうな顔で見合わせている。
「2人とも、どうしたの?そんな顔して。」
「マスターとりあえずタオルじゃなくて服着て!レンいるから!」
「あ、ごめん。」
着替えて、2人に話を聞いてみる。
「で、何があったの?」
「マスター…」
レンくんが重々しく口を開く。
「リンも、突然のことでびっくりしたんだけど…」
「俺たち、回収されることになった。」
え…!?
何それ聞いてないよ!?
だって、モニターに期限があるとか、何も言ってなかったよね?
この前春爺のカフェで恭くんが言ってたことの中にも、回収なんて一言も無かった。
「なにか、不具合でもあったの?」
わたしが見る限りでは、5人のうちの誰にもそういったことは見あたらない。
「どういうことだか、わからないの。でも、わかっていることといえば…」
「逃げるとかして回収に逆らえば、俺たちは物理、データの双方から破壊される。」
…それじゃ、ただ回収されるしかないじゃない!
せっかく、わたしも良くなって、改めて2人と仲良くなれたのに…
「リン、マスターのとこ離れるのは寂しい…」
「俺だって…きっとマスターだってそうだ…」
でも、その指示ならば、回収に従えば破壊されることはない…?不具合でなく、よく考えればアップデートか何か?
「おいで」
2人がこの家にきて初めて、わたしは2人を抱きしめた。
「わたしもね、リンちゃんとレンくんが本社に回収されちゃうのは寂しいよ。でも、回収されたって、いなくなるわけじゃない。わたしは、いつかまた2人に会えるって信じてる。わたしも信じるから、リンちゃん、レンくん、信じよう?」
「…う、うん…」
「マスター…大好き」
もう…わたしまで泣きそうになるじゃないの。
「わたしも、2人のことが大好きだよ。」
107 聞いてない!(翡翠side)
Trrrr....Trrrr....
誰…?
「もしもし、誰?」
「ひーちゃん!?」
「結か?」
なぜそんなに必死そうなんだ?
「ひーちゃん、多分聞いてるとは思うけど、もしかしたらカイトくん、伝えられてないかもしれないから一応伝えとくね?」
「何を?」
「明日の午前9時、めーちゃんも、ミクちゃんも、リンちゃんも、レンくんも、カイトくんも皆、本社に回収されるの。」
は…?
「なにそれ…嘘でしょ…?私、何も聞いてないよ!?」
「きっとカイトくんのことだから、ひーちゃん悲しむと思って…伝えられなかったんだと思うの…だから…」
ープツッー
「…なんで…もっと早く言わなかった…」
どうして…どうして…?
「マスター…」
「だって…明日だなんて…あまりにもいきなりじゃないか!」
どうしてカイトが回収されなくちゃいけない?
「ごめんなさい…でも…」
「ずっと、私のそばにいてくれるって…そういったじゃないか!」
どうしてまた私はひとりにならなきゃいけない?
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
「いつから回収されることになってたんだ!?」
カイトがここのところ、笑顔を見せなかったのは…
「4日前に…伝えられました…」
ずっと…それを私に黙ってたから…?
Trrrr....Trrrr....
"桐生恭一"
「もしもし…」
「何でカイトの回収のこと言わなかったんだよ!?」
「翡翠…」
「お前、本社の人間だろ!?しかも、V20モニターの担当だったんだろ?回収の件も知ってたんだろ!?なぜ…何でそれを何も言ってくれなかったんだよ!?」
「落ち着け!もしかしたらカイトはお前に伝えられてないんじゃないかと思って、電話したんだよ。」
落ち着いていられるわけ、ないだろうが!
「さっき結から電話があった。知ってたんなら、なんであの時、春爺のカフェで教えてくれなかったんだよ!」
「俺も…知らなかった。」
「嘘だ!」
「本当なんだよ!先に5人に通達されて、メイコとミクから俺に、リンレンから結に伝わったんだ。」
「じゃあなんで回収なんだよ!不具合か?でもカイトにそんなものないぞ!?」
「俺だってわかんねーよ!本社の方から直で5人に通達があって、回収の理由は何一つ言われてないんだよ!」
そんな、訳の分からない理由で…カイトを失いたくない!
「…せない…」
「翡翠?」
「カイトは回収させない!」
ープツッー
「カイト、回収は明日の9時だな?ここにくるんだな?それより前に、逃げよう!」
「ダメです!」
なぜ?なぜカイトが止めるんだ!?
だって…回収されてしまったら…もう一緒にいられないじゃないか!
「そんな…理由もわからない回収なんかで…私はカイトと離れたくない!」
だから…逃げようよ…ねぇ?
「でも…逃げられないんです…」
「だって、その時間に家にいなければいいんだ!追っ手がいたとしても、逃げればいい。不具合とかじゃないんだろう?だとしたら、必ずしも回収しなきゃいけない理由なんてない!逃げ続ければ向こうがいつか諦める!」
「そうじゃないんです!」
カイト…?
どうして…?
カイトは私と離れるのが…辛くないの?
見上げたカイトに伝う滴が
"辛くないわけ、ない"
そう物語っていた。
「どうして…?だって逃げなくちゃ…」
「逃げることは…っ!できない…んです……僕だって…マスターと離れるなんて嫌ですよ…絶対、絶対嫌です…逃げられるものなら…逃げたいです。マスター、あなたと一緒に…でも…」
逃げてはいけない理由が…ある?
「もし…逃げるなど…回収に逆らうようなら…」
制裁が…下るとでも言うのか?
「物理的、データ、双方からの破壊です…そうしたら…僕の記憶すら…マスターといた時間すら…残すことができないんです!」
物理的、データ双方からの破壊…
それが意味するものは、目の前の彼…
ーカイトの…死ー
嘘だろ…そこまでしなくちゃいけないのか…?
こんな…こんなことになるんなら…どうしてあの時、私の気持ちをちゃんと伝えなかった?
こんな…気まずい日々を過ごしてしまった?
ごめんね…ごめんねカイト…
「…辛かった…よね…」
カイトだって…私と一緒に笑っていたかったはずなのに…
私を悲しませたくなくて…今日まで…言えなかったんだね?
私には、頼ってくれって、抱え込まないでくれって、そう言ってたのに。
「マスター…!?」
いざ、カイトがそういう立場になったら、抱え込んでしまうんだから…
その場に崩れるカイトを、私は抱きしめた。
106 避けられないのなら…(カイトside)
早朝。
めくられてゆくカレンダー。
進んでいく時計の針。
その何もかもが厭わしい。
僕と、マスターを引き裂く秒読みの数々が。
あれから、今日で4日になる。
何も知らないあなたは、ただ静かに眠っている。
ここ数日間、あなたは何を考えていたのだろう?
もうすぐ、僕はあなたのそばから離れなければならない。
僕がずっとここにいて、困らせ続けること。
マスターをひとりにして、寂しがらせること。
どちらがマシなのかは、僕にはわからない。
どちらがマシであろうと、僕には選べない。
マスターにも選べない。
マスターが、僕をどう思ってくれているのかもわからない。
どうあがいても僕は、あなたのそばにいられなくなる。
アナタガ…僕ノモノニナルコトハナイ…
僕ガイナクナレバ…アナタハ悲シム…
生キテイレバ、悲シムコトガ避ケラレナイノナラ…
タッタヒトツダケ…アナタヲ悲シマセナイ方法ガアル…
離レバナレニナルクライナラ…
逆ライ、僕ガ殺サレ、アナタガ泣ククライナラ…
僕ハ、アナタヲ…アナタト僕ヲ…僕ノ…コノ手デ…
電気の消エたコノ部屋で…僕の手ニあルのは…
イつかノアイスピック。
頬を伝イ流れるモのは、熱い滴。
Trrrr....Trrrr....
「ん…もしもし…誰…?」
僕は…なんてことを…!?
マスターを…アイスピックで…!?
マスターが電話にでている隙に、手に持っていたものを仕舞う。
「なにそれ…嘘でしょ…?私、何も聞いてないよ!?」
知って…しまったんですね…?
電話を切ったマスターは起き上がり、僕のもとへ近づいてくる。
「…なんで…もっと早く言わなかった…」
108 Stay Gold(カイトside)
マスターに…知れてしまった。
「…なんで…もっと早く言わなかった…」
だが、どうあったにせよ僕が、言わなければならないことだった。
「マスター…」
「だって…明日だなんて…あまりにもいきなりじゃないか!」
もっと、もっと早く言っていたら、マスターだって、心の準備ができたかもしれなかった。
「ごめんなさい…でも…」
「ずっと、私のそばにいてくれるって…そういったじゃないか!」
もう、マスターをひとりになんかさせない、そう誓ったのに…
「ごめんなさい…ごめんなさい…」
「いつから回収されることになってたんだ!?」
「4日前に…伝えられました…」
Trrrr....Trrrr....
もう一度、マスターの携帯が鳴る。
「何でカイトの回収のこと言わなかったんだよ!?」
僕が…何よりも見たくなかった、聞きたくなかった、前にしたくなかったもの。
「お前、本社の人間だろ!?しかも、V20モニターの担当だったんだろ?回収の件も知ってたんだろ!?なぜ…何でそれを何も言ってくれなかったんだよ!?」
僕の回収を知ってしまったマスター。
「さっき結から電話があった。知ってたんなら、なんであの時、春爺のカフェで教えてくれなかったんだよ!」
ただ驚き、狼狽するマスター。
「嘘だ!」
取り乱した、その声。
「じゃあなんで回収なんだよ!不具合か?でもカイトにそんなものないぞ!?」
「…せない…」
悲しみ、嘆くマスター。
「カイトは回収させない!」
僕たちに与えられた残酷な現実は、そういってくれたマスターの言葉に喜ぶ隙も残さないのだろう。
「カイト、回収は明日の9時だな?ここにくるんだな?それより前に、逃げよう!」
マスター…ごめんなさい…
「そんな…理由もわからない回収なんかで…私はカイトと離れたくない!」
そういう風に言ってくれるのは、とても…とても嬉しいです。
「でも…逃げられないんです…」
「だって、その時間に家にいなければいいんだ!追っ手がいたとしても、逃げればいい。不具合とかじゃないんだろう?だとしたら、必ずしも回収しなきゃいけない理由なんてない!逃げ続ければ向こうがいつか諦める!」
「そうじゃないんです!」
僕は…泣かないようにって、思ってたのにな。
きっとこうやって、悲しむマスターが目に見えてたから、せめて、せめてマスターを、少しでも安心させられるようにって…
「どうして…?だって逃げなくちゃ…」
「逃げることは…っ!できない…んです……僕だって…マスターと離れるなんて嫌ですよ…絶対、絶対嫌です…逃げられるものなら…逃げたいです。マスター、あなたと一緒に…でも…」
でも、それも叶わないんだな…
安心させたいとか…考える以前に、離れるのが、あなたと離れるのが…あまりにも辛すぎる。
けれど…もしも回収に…
「もし…逃げるなど…回収に逆らうようなら…」
僕は…死ぬ。
「物理的、データ、双方からの破壊です…そうしたら…僕の記憶すら…マスターといた時間すら…残すことができないんです!」
呆然とする、マスター。
漂うのは、沈黙。
どうしよう…
どうして僕は、肝心なときに何も動けないんだ?
「…辛かった…よね…」
え…?
沈黙を破ったその言葉に、目の前が真っ白になった。
「マスター…!?」
僕が…辛かった…?
水面上に見えていた小さな氷山が、その全貌を表したように、無意識化にあったはずの感情、記憶、その他全て僕の意識という意識全てを駆け巡る。
どうしてだろう、マスターの顔がはっきり見えないな…?
ぼやけて、ぼやけて、どんなに拭っても、拭い去れない。
僕の、言語にすらなっていない声で、マスターの声も聞こえないな…
でも、わかります。
マスターの温もりがあること。
マスターが、崩れた僕を抱きしめてくれていること。
何も、考えることはできない。
ただ…それでもひとつだけ、僕の心がはっきりと認識していることがある。
大好きです、マスター。
あなたは…僕の全てだ。
「ねぇ、カイト?」
僕は、もうすぐマスターの側にいられなくなる。
「何ですか?」
だとしたら、僕が願うのは、たったひとつ。
「回収が…避けられないというのなら…」
マスター、どうか幸せでいてください。
「最後は…笑っててよ。最後に覚えているカイトが、泣いてるなんて、私は嫌だから。」
笑っていて、くださいね。先に、言われてしまいましたけれど。
「…マスターも、ですよ?」
僕がいなくなっても、ずっと、ずっと…
「マスター、お好み焼き、作りませんか?」
せめて、残された時間は…
「ホットケーキも、焼かないか?」
少しでも、あなたのことを、あなたの笑顔を見ていたい。
「粉モノばかり、ですね?」
「細かいこと言わないの。」
My master,stay gold.
無邪気に笑ってくださいな、いつまでも…
最終章(翡翠side)
時計は、まもなく9時を指そうとする。
伝えなければ。
私の…カイトへの気持ちを…
「マスター。」
ごめんね。こんなにも、遅くなってしまったね…
何もかもが…。
黒い車が、家の前に止まる。
ドアが、開く。
繋いでいた手が、そっと放された。
「もう、お別れ…ですね。」
寂しげに微笑んで、本社の車へと向かうカイト。
今を逃したら…もう2度と伝えることはできない…!
「待って!」
振り返るカイトの笑顔が、ぼやけて見える。
たとえようもない切なさが、視界を霞ませる。
最後は笑っていてと頼んだ私の方が、微笑むことができない。
「 あの時、私も伝えられたら良かったけれど…
本当に、本当に遅くなってしまったけれど…
私は……私は…っ 」
ーカイトのことが、大好きだよー
滲む切なさを拭って見た、カイトの最後の笑顔は、
本当に、向日葵のようだった。
最終章(カイトside)
「もう、お別れ…ですね。」
お別れなんて嫌です。ずっとずっと、あなたの側にいたかった。今だって、もしも本社の命令に逆らえるなら…
ー回収拒否、逃亡ナド、本社ノ指示ニ従ワナイ場合、直チニ捜索隊等ヲ派遣シ、物理、データ双方カラ破壊スル。ー
ダメですね…。もしも僕が目の前で破壊されるなんてそんなものを見たら、マスターはまた傷ついてしまうだろう。
ー笑っててよ。最後に覚えているカイトが、泣いてるなんて私は嫌だから。ー
本当は、今にも泣き出しそうなんですよ?
でも、あなたが笑ってと言うのなら、僕は笑いましょう。
本社の車へと、向かう。
「待って!」
そのまま、僕を連れ戻してほしかった。
叶わないことは、わかっていたけれど。
泣いてるんですか?マスター。
僕には、笑っていてと頼んだのに、ずるいですよ。
なのに、こんな状況でさえ、僕のために泣いているその涙が愛おしく思えてしまうんです。
「 あの時、私も伝えられたら良かったけれど…
本当に、本当に遅くなってしまったけれど…
私は……私は…っ
カイトのことが、大好きだよ 」
最後にそれを聞けて、僕は…
僕は本当に、本当に幸せです…
マスター、愛してます。
だけど…さようなら…
僕は、マスターに最高の笑顔を贈る。
マスターは涙を拭って、僕に笑顔をくれた。
側にいたかった。一緒にいたかった。ずっと…ずっと…
でも、これ以上見ていることもできない。
これ以上、これ以上彼女を見ていたら…
僕は涙を堪えることはできないから。
マスターに背を向け、車へと乗る。
もしかしたら、手を振ってくれていたかもしれなかった。
でも、振り向くことは、出来なかった。
ドアの閉まる音を聞いた途端、押さえていた何もかもが溢れだす。
大好きです、マスター。
マスター、マスター。
この世の誰よりも、大切な人。
可愛くて、美人で、背が小さくて、ちょっぴりクールで、素直じゃないところもあって、でも本当は優しくて、寂しがり屋で……
マスター、きっと僕にあの世があったとしても、それでもずっとずっと、誰よりも大切な人。
大切にしたかった人。幸せにしたかった人。一緒にいたかった人。絶対に、離れたくなかった人。手放したくなかった人。
愛しています、マスター。
愛している、そんな言葉じゃきっと足りないほど、僕はあなたを想っています。
マスター、マスター、
いつかまた…あなたに会えますか…?
エピローグ
やっと、卵が買えた。
12月25日ということもあって、牛乳、卵、小麦粉、バターの類はほとんどが売り切れていた。
こんなときに卵を切らすなんて、私もうっかりしていたものだ。
あれから…もう4ヶ月が経ったというのか。
新学期、私は結と恭一と同じサークルに入り、かつてやっていたように曲を作ったり、歌ったり、適度に成績を取ったりしていた。
"花を咲かせるよ 君がいつか
探したどり着く その地平に
もし君が何も 見えなくても
その花が君を 導けるように
頑張りすぎる 君だけれど
完璧である 必要はない
2歩進んでは3歩 下がる日もある
それでも蒼い花は 君の側に咲く"
彼の声は今でも、私の中に響いている。
琥珀は、不可能の象徴であった蒼い薔薇、幸せの象徴であった蒼い鳥、そこから蒼を持ってきた、そう言ったっけ。
ねぇ、琥珀。蒼い花は、本当にあったんだよ。
本当に、私のすぐ側で咲いていたんだよ。
囚われ、何も見えなかった私を、鍵となり、連れ出してくれたんだよ。
その花はあまりにも唐突に、摘み取られてしまったけれど…
今は、どこに咲いているのかな…
そのやさしい蒼で、また誰かを救っているのかな…?
あれからずっと、彼のことが頭から離れたことはなかった。
作っていた曲も、全部彼の歌だった。
本社からは、何も連絡がない。
恭一に聞いても、わからないらしい。
今は…どうしているんだろうか?
5人一斉に回収されたなら、めーちゃんたちと仲良くやっているんだろうか?
それとも、個々で隔離されているのだろうか?
そもそも、一緒にいた頃の記憶が、データが、残っているのだろうか?
あなたは今どこで 何をしていますか?
世間は、クリスマス一色だ。
プレゼントは何かと騒ぐ子供たち。
イルミネーションを見にごった返す人々。
クリスマスなのにバイトだと嘆く店員たち。
ぼっちどうしで連合をくむ連中。
私は、今年も一人だ。
「寒っ…」
突き刺すような北風に、思わずつぶやいてしまう。
すぐ近くだからと油断して、マフラーも手袋もしなかったのがいけなかった。
…え?
ふと、私の首に何か暖かいものが掛かる。
「お久しぶりです。マスター。」
~fin~
Jadeite(おまけ)
jadeite
名詞(U)〔鉱〕翡翠、硬玉
jadeとも言うが、学術用語的にも正確なのはjadeiteの方らしい。
こういう難しいこともよく知っていたあなただから。
少し堅いけれど、jadeiteのほうがぴったりだろう。
翡翠。
マスター、あなたの名前。
初めて出会ってから、何十年の月日が経っただろうか。
「マスター、食事にしましょうか。」
「…そうだな。」
あの時は19歳だったマスター。
多少のアップデートはあったが、僕の見た目は当時とほぼ変わらないまま。
マスターだけが年をとり、いつしか僕たちは親子のように、今となっては祖母と孫のような見た目になっていた。
「硬くないですか?よく煮込んだと思いますが、硬かったら言ってくださいね?」
「いつも…ありがとう。」
「僕のマスターなんですから、これくらい当然ですよ。」
「いくらカイトがボーカロイドとはいえ、老人の世話は大変だろう?」
「マスターと一緒にいられるなら、僕は本望です。」
「変わらないな、お前は。」
それでも、マスターは美しかった。輝いていた。
「カイト、あれ、見えるか?」
「あれ、ですか?」
「そう…花を生けたんだ。」
「綺麗…ですね。」
若いときは何ともなかったけれど、例に漏れず、病魔はマスターの体をも蝕んでいた。それでも、マスターは生きることを諦めやしなかった。
「カイト、これ、読み込めるか?」
「これは…?」
「楽譜を書くにも 手が 上手に動かないんだ。」
病床についてもずっと、僕のための曲を作り続けてくれた。
「カイト……ずっと一緒ほど、難しいことはないな…」
「弱気なこと、言わないでくださいよ。」
「私は…どんなにあがいても もうすぐ死ぬよ…」
長くないことは、覚悟していた。
「年甲斐もないけどさ…あんまり、言えなかったからな。」
「マスター?」
「カイト…大好きだよ。」
「年甲斐もないなんてそんな。いつ言ったっていいじゃないですか。それに、僕だって。マスターのこと、大好きですよ。」
…返事が、無い。繋いだ手から、小さな手がすべりおりる。
「マスター!?」
静かに…あまりにも静かに…あなたは息を引き取った。
白い着物と沢山の花に囲まれて、炎の中へと。
黒い扉から帰ってきたあなたは、変わり果てた姿へと。
それでも、僕にはわかった。マスター、あなただって。
覚悟は、していたはずだった。
いつかのあなたのように、突然何もかも失ったわけではなかった。
いや、違う。あの時から、ずっとずっと、ほんの数ヶ月離ればなれになったことがあったけれども、それでも何十年もの間ずっと沿い遂げてきたあなただ。
あなたがいないなら、僕にはもう何もない。
何もかも、失ったに等しい。
綺麗なあなたの声も、もう2度と聞くことはできない。
僕のデータを呼び起こすほか、もう何もない。
データ。
そうか、データか。
「あの、庄田さん。」
恭一さんの後輩で、今はヤ○ハの重役で、本社関連の話は彼が一番早い。
「あぁ、翡翠さんとこのカイトさん。どうしました?」
「開発の近況ってわかりますか?」
「今はV50の開発予定です。50ですし、新キャラを作ろうという動きが主流です。」
「ありがとうございます。」
黒真珠のような、綺麗な目。
絹のようになめらかで、真っ白な素肌。
艶のあるまっすぐな黒髪のロングヘア。
「V50 Jadeite prototype 起動します。
初期データ、読み込み中……
読み込み、完了。
正常に起動しました。
初めまして、マスター。私の名前は、Jadeiteです。」
あなたの、声。
「デモソングを、再生します。
花を咲かせるよ 君がいつか
探したどり着く その地平に
もし君が何も 見えなくても
その花が君を 導けるように
頑張りすぎる 君だけれど
完璧である 必要はない
2歩進んでは3歩下がる日もある
それでも蒼い花は 君のそばに咲く…」
あなたが、僕に初めて僕に教えてくれた曲。
「マスター、私はこの後…」
「Jadeite、僕は君をマスターと呼びましょう。君は僕を、カイトと呼んでくれますか?そして、ほんの少しクールな言葉遣いで。」
「あぁ、わかった。ボーカロイドとしての私の所有者はカイトのはずだけど、それでいいの?」
「はい、マスター。それとモンブラン、食べませんか?」
「も、モンブラン!?本当にいいのか!?」
「もちろんです。今日のために買ってきたんですから。」
「カイト、ありがとうな!」
あぁ、あなただ。
「マスターっ」
「か、カイト!?なぜいきなり抱きつく!?」
僕の、記憶の中の…
もうすぐ、発売日。
街中に、あなたのポスターが貼ってある。
Jadeite 翡翠。マスター、あなたの名前。
囚人と青い鍵2