桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君7

続きです。相変わらず申し訳程度のホラー?要素です。叔父と甥がわちゃわちゃしています。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君7

「アコちゃん、どこ?」
 鈴は静かにアコに話しかけた。アコは真っ直ぐに壁を見ており、その壁の向こうには居間がある。
 居間には榊が寝ている。
 「居間に何かいるのか」
 「静かに!動かないでください」
 咄嗟に腰を上げた光顕を、鈴が鋭い声で制止する。鈴が脇に置いていた風呂敷の結び目を解くと、中から手のひらより少し大きい寸法の白い徳利を取り出した。瞬間、またも、光顕の頭に鹿王の名がよぎった。
 「あんた、やっぱりさ」
 南禅寺にいただろう、と光顕が口に出す前に、居間側の壁が二度、三度と大きな音を立てて揺れた。光顕は思わず短い悲鳴をあげて、逆側の壁まで飛び退さった。みれば、桃井准教授も同様に光顕の隣で壁に張り付いている。ただ一人、鈴だけが、すくっと立ち上がり、大の男二人を背に庇う形で、ガンガンと揺れる壁と対峙していた。古い土蔵の壁が居間側から何度も大槌で殴られているかのように振動し、パラパラと剥がれた塗装が落ちる。
 「桃井さん、そちらのお家の徳利はあの机の上のものですよね」
 鈴が壁から視線を離さず、背後の桃井に話しかけた。桃井は壁にへばりつきながら、首が抜けるほど頭を振って肯定する。
 「向こうに何かいるのか」
 「いますね」
 「榊さんが一人で居間に寝てるはずですけど、大丈夫なのか」
 鈴は無言で険しい表情になった。
 「女だからセーフとかって、さっき叔父が言ってたんだけど」
 「・・・男の人限定と言うのは、単純に山神姫本体のお話です。今では亡くなった方達の様々な感情や思いがそれに取り込まれている状態なので」
 鈴が濁した言葉の先が容易に想像できて、光顕は戦慄した。
 とにかく榊を助けに行かなくては
 光顕が意を決して書斎兼応接室の扉に足を向けると、桃井が光顕の腕を掴んだ。
 「なに?」
 「お前、どこに行く気や」
 「榊さん助けに行ってくる」
 「アホか。お前を行かせられるわけないやろ。姉貴に申し訳が立たんわ」
 「じゃあ、放っておけってのかよ」
 「俺が行くさかい、お前はここに居れ」
 きつく言い切った叔父の声は震えていた。その間にも壁はガンガンとあちら側からの攻撃を受けており、今にも崩壊寸前になっていた。
 「榊は俺の生徒や。俺が行く」
 「じゃあ、俺も一緒に行く」
 「小学生の連れションか!」
 「そっちの方が一人になるより全っ然マシ。てゆーか、この状況で安全な場所なんてどこにもないだろ。だったら、一緒に行く」
 叔父と甥で言い合っていると、静かに、とかなり厳しく鈴に怒られた。
 「お二人とも、ここを動かないで。あと、光顕さん?の認識が正しいです」
 「俺の認識?」
 急に肯定され、光顕は目を丸くした。鈴が何を指して言っているのか分からない。
 「この状況で安全な場所なんてありません」
 言い切られ、光顕と桃井はへなへなと腰が砕けた。自分達もあの院生達のような末路を辿るのだろうか。そう思うと、全身ががくがくと震えだし、全く制御ができなくなった。足に力が入らない。喉の奥で嗚咽のような変な音がする。それでどうやら自分が泣いているらしいと理解した。気付けば、顔は涙や涎、鼻水で無茶苦茶だった。院生達はこんな恐怖を味わいながら死んでいったのか。だとすれば、複数のこんな感情が取り込まれている壁の向こうの存在は一体どんな化け物になり果てているのだろう。
 意味を為さない呻き声が無意識に洩れ落ちた。
 

16
「アコちゃん、ウーちゃんを起こして」
 鈴が低い声で犬に指示を出す。犬はその声に反応し、天を仰いで遠吠えをした。野太いその鳴き声は、壁を殴る音すらかき消し、大音量で響き渡る。振動に耐えかねた窓ガラスが割れ、真冬の冷気が室内に流れ込んだ。
 すると、准教授の机の上にあった、古い徳利がカタカタと音を立てて揺れ始める。その動きはだんだんと大きくなり、徳利自体が跳ね回って、ついには横転してしまった。
 徳利に気を取られていた光顕の腕を、桃井が再度強く引いた。
 「おい、あれは何や」
 見れば、居間側の壁の四方に黒いシミが出来ていた。スポンジが水を吸い込むように黒いシミは壁に浸潤し、白い塗装の施されていた土蔵の壁が、みるみる黒く変色していく。しかも、黒く変色した部分はひどく脆くなっていて、その脆弱な部分に一撃を浴びた壁がついにぼろりと剥がれ落ちた。大きさにして約三十センチ四方ほどの穴の向こうで、黒い粘液が蠢いている様が見える。それは、ひどい臭気とともに穴からこちらへの侵入を試みているようで、向こう側から黒い塊が幾本も伸びてきては、穴の前で小さな牙を出して威嚇しているアコに追い返されていた。よくよく見てみれば、黒い物体は人の腕のようも見える。穴の向こうに渦巻く幾本もの腕がこちら側を目指して我先にと穴から這い出そうとしていた。腕は狂気じみた勢いで穴に殺到しており、その穴は黒いシミの浸食により、ジワジワと大きくなっている。脆くなった穴の縁がホロホロ崩れ落ち、すでに小柄な人間ならこちら側に入ってこれそうなほど穴は広がっていた。必死で汚泥の侵入を食い止めるアコにも限界が見えている。
 汚泥の腕を撃退しながら、アコが催促するようにもう一度天を仰いで大きく吠えた。すると、横倒しになったまま机の上でカタカタと震えていた徳利から、アコの声に呼応するような獣の遠吠えが発せられたかと思うと、大きく跳ね上がり、口の部分から激しく白煙を吹き出した。
 「ウーちゃん、おいで!」
 鈴が叫ぶ。一瞬のうちに、白煙で部屋中が満たされ、光顕は完全に視界を奪われた。白一色の世界のなか、外気よりもさらに凍てた冷気が室内に充満し、身を固くしていた光顕のすぐ傍で、野太い男の声が響く。
 「鈴、待たせたのう」
 あまりにも至近距離から、突如上がった男の声に、ホワイトアウトした視界のなか、光顕は咄嗟に懸命に目を凝らした。すると、部屋中に満ちていた白煙は光顕の傍らで徐々にその濃度を増していき、いつしか、成人男性ほどの巨体を持つ狗の形を為していった。
 シーサー?獅子?いやこれは
 その形状には、光顕にも見覚えがある。
 「狛犬」
 思わず呟くと、立派な金の巻き毛に覆われた巨大な狗が、ぎょろりとこちらを見た。
 「貴様ら、桃井の」
 狗がグルルとわずかに威嚇のうなり声を上げたその時、随分と薄くなった白煙の向こう側から、また別の男の声がした。
 「これ、吽狛!何を呑気に遊んでおる。さっさと手伝わんか!」
 光顕の傍らの狗は、耳まで裂けた大きな口から鋭い牙を覗かせ、叫び返す。
 「わかっておる。そう急くな」
 「そうは言うてもこの数じゃ!この壁もそうは保つまいぞ」
 その声に、吽狛と呼ばれたその巨大な狗は、口をへの字に曲げた。
そして、のっそりと立ち上がり、光顕と桃井を背に庇うように立ち、鈴の肩の辺りに、その部分だけ丸く染め抜いたように色に違うマロ眉の額を擦り付ける。
 「鈴、よう頑張ったのう」
 「ウーちゃん」
 応える鈴の声は震えていた。本当は怖かったのだろう。よくよく考えてみればまだ、鈴はまだ十二、三歳ほどの子供だ。こんな異常な状況に怯えないわけがない。
 「ええい、吽狛!早うせんかっ。わしの身が持たんわい」
鈴と吽狛の更に向こう、ポメラニアンのいた辺りに、もう一匹、吽狛そっくりの巨大な狗が出現していた。
 吽狛は遠吠えするように天を仰ぎ、重々しい声で叫ぶ。
「申す、申す。我ら伊佐ヶ岳泰山の神使、阿狛と吽狛がここに揃い申した。山の神々、海の神々、土地の神々、天津ヶ原の神々よ。方々の愛し子を今一度我らのもとへお運びくだされ」
吽狛が叫ぶや否や、突き上げるように床が大きく揺れた。直下型地震のような縦揺れだった。光顕は立っていられずに、床に膝をつく。揺れは二度、三度と続いてその後、ぴたりと止んだ。すると今度は、屋根がミシリと嫌な音を立ててきしみだす。同時に、真上から強烈な重力をかけられたかのような重みが光顕の全身を襲った。慌てて辺りを見回すと、桃井も同じように床に押し付けられているようで、部屋の家具という家具がミシミシと真上から押さえつけて来る圧力に悲鳴を上げていた。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君7

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君7

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-22

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