桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君6

続きです。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君6

13
 玄関のすりガラスの向こうに小柄な影が映っていた。髪は胸の下あたりまでありそうだ。桃井の話のあの女は壺装束を着ていたが、普通の洋服を来ているように思える。現代風にアレンジしているのだろうか。玄関の扉の向こうから困惑したように、あれ、おかしいな、という独り言が聞こえてきた。その声は紛れもなく少女のものだった。
 女だ。  
 甥と叔父、二人の間に緊張が走る。その間も呼び鈴が数度押された
 「あの、すみません。桃井さんのお宅ですよね。起きてくださーい」
 呼び鈴では足りないと思ったのか、玄関扉の向こうの女が声を上げる。
 「ご連絡した沓部です。すみませーん」
 それを聞いた桃井の体が一瞬で脱力したのを気配で察し、光顕は桃井の方を見た。
 桃井は、はは、と軽く笑って、はいはい、今開けますよって、と返事すると、なんの衒いもなく玄関扉を開ける。
 扉が開くや否や、金色の塊が飛び込んで来た。身を固くする暇もなく、光顕の足に激痛が走る。覚えのある痛みだった。
 「きゃあ、アコちゃん、何するの!」
 驚いて声をあげた真夜中の来客は、つい最近見た顔だ。
 なんだ、この既視感
 足もとには、マロ眉の金色の犬が相変わらずの唸り声をあげて光顕の足に噛みついていた。

 書斎兼応接室のソファに座った少女は沓部(くつべ)鈴(すず)と名乗った。膝には例の犬が鎮座しており、持参してきた紫色の風呂敷は何やら重たげな重量感を醸し出していた。
 「夜分遅くに申し訳ありません。昨夜、北のお山の一部で山崩れがあったことをご存知ですか」
 「いや、あの辺りで崩落があったちゅうニュースはみたけど、そちらの山やとは知りませんでした」
 「その時こちらの徳利にヒビが入ってしまいました。修復を急いでいたら、昨夜、急にそれが真っ二つに割れまして、もしかしてこちらに何かあったのではと思い、参りました。昨日から連絡していたのですが、なかなか連絡がとれなかったもので」
 桃井は、ははあ、などと納得の声をあげているが光顕には一向に話が見えない。
 「話は先ほど父からの連絡で聞きました。私、間に合わなかったんですね」
 悔しそうに俯く少女に、桃井は思わず立ち上がるほど慌てた様子で、いやいやと強く否定する。
 「もとはといえば、遊び半分であれを扱った、私が悪いんです。こう言うたら何ですが、古い言い伝えみたいなもんやと思てましたし、あれのせいで親父も、じいさんも短命やったときかされたけど、ピンとけえへんかったし。とは言うても、正直、気色悪い厄介なもん背負わされたなあと思ってました。まさか、こんなことになるやなんて」
 「起こってしまったことは仕方ありません。お弟子さんたちは、うちで手厚く供養させてもらいます。それより、これからどうするかです」
 光顕ははきはきと話す、鈴の顔を盗み見ながら何度も自分の記憶と照らし合わせた。
 あのときの鹿王だ。そっくりだった。あの少年が、まっとうな服を着て、髪を下せば鈴になる。膝に座っている犬も、間違いなく阿狛だった。同犬種の個体を識別できるわけではないが、光顕の足の全く同じ場所、もとから開いていた穴に寸分たがわず牙を入れてきたところをみるとやはり、同じ犬としか思えない。
 しかし、鈴も、今アコと呼ばれているこの犬もまるで初対面のように光顕に接してくる。
 人に知られたくない趣味を見られてしまったから、なかったことにしたいのか
 しかし、鹿王はあの時、突風の中に消えたはずだった。人間があの竜巻のような風のなかで無傷でいられるとは考え難い。
 別人、別犬なのか。
 光顕は混乱した。
 「私もこの光顕も桃井の人間ですけど、あの箱に関することはよく知らんのですわ。ただ、大事にしまっとけとしか聞いてへんかった。私があの中身を見たのは今回を除けば一度だけです。その時はこんなことにはならんへんかった。すんませんが、これが一体どういうものなんか、教えてもらえませんか」
 鈴は、ええ、と応えて座りなおすと、正面から桃井と光顕の顔を眺めた。
 「人を溶かす女のお話はご存知ですよね。簡単に言ってしまうと、あれは妖怪や物の怪の類ではありません」
 「なんや、化学的なトリックでもあるんですか」
 「いいえ、あれはうちの山を守る山神姫様です。正確にいうと、千数百年前までは山神であったものです。山神姫は人間との恋に破れたすえ、人に害を為す堕ち神になってしまわれました。私たち沓部の人間は、その昔、堕ち神となった山神姫を封じた人から、代々山神姫を祀る役割を仰せつかった一族なのです」
 「え、物の怪を封じたのはうちのご先祖さんじゃねえの」
 光顕の問いに、鈴は小さく溜息をついた。
 「物の怪でもなければ、封じたのは桃井の方ではありません。長年の間に話が交ざってしまっているようですね。桃井の家は、そもそも山神姫が恋をした人間の末裔だと聞いています」
 これは桃井も初耳だったらしく、目を丸くしている。鈴の言うところの伝承はこうだった。


14
 その昔、宮中の典薬寮の薬師であった桃井の先祖は、山神姫の山によく薬草を取りに来ていた。その際、人に化けた山神姫と恋に落ち、山神姫は桃井のその男と一緒に暮らすため、都に移り住んだ。山神姫はそもそも狸の化身で、どんな病気もたちどころに治すという神酒がこんこんと湧きでる徳利を持っていた。薬師であった桃井の男に頼まれ、山神姫は桃井の男の望むままにその神酒をふるまい、男は出世していった。しかし、身分が高くなるにつれ、男は他の女に目を移すようになり、山神姫が邪魔になった。山神姫がいなくてもあの徳利さえあれば神酒は手に入ると思った男は一計を案じ、言葉巧みに山神姫から徳利を取り上げ、山神姫から身を隠した。しかし、もともと身分の低い薬師であった桃井の男は、貴族社会に馴染めず、別の位の高い貴族に騙され、徳利を取り上げられたうえに殺されてしまった。騙されたと知った山神姫は、桃井の男を恨み、夜な夜な、男と徳利を探して都中を歩き回った。人間に恋をしてしまい、守るべき山を見捨て、おまけに恨む心を携えてしまった山神姫は神格を失い、この時点ですでに堕ち神となっていた。この堕ち神に人間が直接触れると肉は溶け、臓腑は腐り、最後にはただの赤黒い液体に成り果ててしまう。しかし、自分が堕ち神になったことにすら気づかない山神姫は必死に徳利を探し求め、多くの男が命を落した。
 「この山神姫を鎮め、徳利に封じたのが裸足童子と呼ばれるお方です。出生は定かではありませんし、どういう人物であったのかも伝わっておりません。ただ、この裸足童子様の命で、我々沓部の一族が、もとは山神姫が守っていた御山で、山神姫を祀り、鎮めてきました。その山神姫が封じられていた徳利が、昨夜割れたのです」
 鈴の話を光顕は半ば呆然となって聞いていた。そもそも、母方の実家である桃井の家とは縁が薄い上に、軽く千年程昔の話だ。実感を持てと言う方が無理だろう。今日の出来事を自分の目で見ていなければ、ただの伝承かオカルト話の類いだと、鼻で笑っていただろう。しかし、実際に死人が出てしまっている。しかも、恨みの対象は、桃井の男だ。光顕はこの現実をどう受け止めていいのかわからなくなっていた。桃井准教授が変な薬品を開発して、そのために事故が起こったとでも言われた方がよほど納得がいく。
 光顕とは違い、鈴の話を熱心に聞いていた桃井准教授は、ふっと詰めていた息を吐き出した。
 「さっき、そちらの御当主と話させてもろてた件ですが」
 「はい、警察には本家の方から話がいっています。どう処理するかは、警察から後ほど連絡があるかと思います。……あの、何か?」
 鈴が、余りに自分を凝視する光顕に話を向けてきた。それでやっと光顕に発言する機会が与えられる。
 「ああ、うん、あのさ。沓部鈴さん?大丈夫だった?怪我とかないの?」
 鈴は、ぽかんとした顔で応える。その表情には年齢相応の幼さがあった。
 「怪我ですか、私に?特にありませんが」
 「昨夜、俺と会いましたよね。南禅寺の山門で」
 ますます意味が分からないといった態で、鈴は訝しげに眉を寄せた。
 「いいえ。失礼ですが、貴方にお目に掛かったことは一度もありません。南禅寺にも行っていませんし。山を降りてからここまでどこにも寄らずに参りました」
 嘘を言っているようにも見えない鈴に、光顕は更に混乱した。
 「いやいや、居ただろ。その犬も一緒に。そうだ、靴!靴を君に貸したよね」
 「ミツ、お前急になんや」
 「いや、だからさ……」
 説明しかけた光顕の声を遮るように、鈴の膝の上でふさふさの尻尾を揺らめかせていたアコと呼ばれている犬が急に跳ね起き、けたたましく吠え始めた。何事かと三人の目が集まる中、アコは尻尾をピンと高く立て警戒の色を強める。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君6

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  • コメディ
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更新日
登録日
2015-10-21

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