失われた夏 4 ふたりの夏

高校三年生の夏の頃だ。

阿木貴子と夏木雅人は、同じクラスで仲が良かった。
二人はいつも一緒だったが、恋人どうしではなかった。

東から西へと長く伸びている国道沿いに小さい町がある。
国道沿いの南側は、太平洋に面した美しい砂浜が続く。

その国道の北側の丘に、二人の通う学校があった。

二人のクラスの窓からは、昼間の輝く青い海が見えた。

今は、期末テストの時間だ。これが終わると、楽しい夏休みだった。

夏木雅人の前の席に座っている阿木貴子が、テスト用紙を回して来た。そのテスト用紙のうえに綺麗に折りたたんだ手紙が添えてあった。

ー夏木くんー

今日ね、テスト終わったら午後から海に行こうよ。

いい場所を見つけたの。

じゃあ、駅前の入り口で待ってるね。

ー阿木貴子ー

セーラー服の彼女は、一瞬だけ振り向いて微笑した。

彼女のショートカットの髪の甘い香りが、彼の目の前で漂った。

簡潔な文書も、少しボーイッシュな仕草も彼女らしかった。

彼女は。明るい性格だから男性にも女性にも人気がある。

そんな彼女と仲の良かった彼は、少し優越感を持っていた。


最後の期末テストは、長く退屈な時間だった。

彼は、期末テストが終了した後、学校から帰宅して海へ行く準備をした。

水着を身につけて、色褪せたデニムのハーフパンツとお気に入りのミッキーマウスの黒いTシャツを着た。

そして、黒いナイロン製のリュックに、バスタオルやココナッツオイルなど無造作に放り込むと、ビーチサンダルを履いて外に出た。

外に出ると、夏の暑い午後が待っていた。夏の日差しが光と影のコントラストを色濃くしている。

何処かで、沢山の蝉が鳴り響くように聴こえる。彼は、乾いた南風を感じながら、深呼吸した。そして、夏の匂いと感覚を満喫した。

Tシャツ首元にひっかけていた鼈甲のサングラスを かけると、自分の自転車に乗って出かけた。

彼は、静かな住宅街を駅に向かって自転車を走らせた。

最後の期末テストは、散々な結果に終わったに違いない。とにかく終わったんだ。この解放感は、今日の夏の青い空へ溶けて行くようだった。

程なく駅前に出ると、入り口のベンチに阿木貴子が座っているのが見えた。

彼女は、ラフィアのハットを被っている。

透けるパールホワイトの半袖のブラウスに、淡い夏色のブルーのキャミソールを着ていた。

そして、デニムのショートパンツに、華奢なサンダルを履いてる。

彼女の首元に、ホワイトゴールドの華奢なネックレスが見える。

彼は、いつもとは違う大人っぽい彼女に意識を惹きつけられた。

彼女は、彼を見つけると立ち上がって微笑して手を振った。

「こんにちは、ミッキーマウスくん」

「よう」

彼は、目のやり場に困ったような仕草で、ぶっきらぼうに言った。

「さあ、もう夏の午後は始まってるのよ。急がなきゃ」

そう言うと、持ってきたデニム地のトートバックを肩にかけると彼女は彼の自転車の後ろに乗った。

「よし、いこう。で、何処」

彼女は、西向けて指を指した。

「あっち」

自転車で、駅前を過ぎると閑静な住宅街の路地を抜けた。

しばらく行くと、田圃の畦道が見えた。

畦道を走って行くと、並走するように雑木林が南側に並んでいる。

田圃の畦道から見ると、雑木林が夏の青空のシルエットになっている。

彼女を自転車の後ろに乗せて、畦道を抜けるように走って行く。

彼女は、背後で何か話していた。彼は、上の空で彼女の話を聞いていた。
そんな事より彼は、彼女にお腹の辺に腕を回されて、それどころではなかった。

時々、背後で柔らかいものが触れたりするのに気を取られていた。

三十分位走っただろうか、じんわりと汗が額に滲む頃に、雑木林の終わりの向こう側の緑の夏草の小さな丘が見えた。

「あそこよ」

彼女は、明るい声で言った。

二人は、丘の前に自転車を止めると、夏草に覆われた道を掻き分けながら前に歩いた。

向こうの方から、波の音が聴こえる。

しばらく丘を上がると下りになった。夏草の向こうに青い水平線が見えた。

丘を下り終えて、最後の夏草を掻き分けると、二人は小さな三日月型の白い砂浜に出た。

抜けるような夏の青空の遥か向こうに、水平線が見える。海は透明に近い深い青だ。午後の夏の日差しは、海面に反射して輝いている。

打ち寄せられる波が白く気泡をつくり弾けていく。

潮騒の音だけが聴こえる。

南から吹いてくる甘い香りの潮風。

夏の日差しは、暑く肌を焦がしていく。

全てが、完璧な夏の午後だった。

そんな完璧な夏の午後の中に、二人きりだった。

「ねえ、どう」

彼女は、得意げな表情で微笑した。

「へぇ。こんな場所があるなんて知らなかったよ」

「プライベートビーチて感じでしょ」

「そうだね」

「この場所は、二人の秘密よ。ね」

「あ、ああ…」

彼女の言った、二人の秘密て言うニュアンスが気になる。

「ねえ、アイスティーを持って来たの。一緒に飲もう」

「うん」
彼女は、デニム地のトートバックの中から魔法瓶と透明のプラスティックのコップを取り出した。

「シロップ入れてるけど、甘いの大丈夫」

「うん」

彼女は、透明のプラスティックのコップにアイスティーを注いだ。

それから、トートバックの中からタッパーを取り出して蓋を開けた。中には、オレンジのスライスが入っていた。彼女は、オレンジのスライスをアイスティーに浮かべた。

「はい」

彼女は、微笑してアイスティーを彼に差し出した。

「ありがとう」

「ねえ、乾杯しよ。二人の夏に」

二人の夏に…て、処に彼は惹かれた。もう、気持ちは彼女に持っていかれそうだ。

「乾杯」

二人は乾杯すると、アイスティーを飲んだ。

オレンジの香りが爽やかだ。冷たいアイスティーが喉の渇きを潤してくれる。

二人は、ひとしきりアイスティーを楽しんだ。

「ねえ、水着に着替えて泳ごう」

「うん」

「着替えるから、後ろ向いてて」

「え…」

彼は、動揺を隠せずに慌てた。

「ね。後ろ向いてて」

彼は慌てて後ろを向いた。

「私が、いいて言うまで目を閉じてて。絶対見ちゃだめよ」

「うん」

彼は、心臓が破裂するじゃないかと思うくらい胸が高鳴った。

「夏木くんは、水着持ってきたの」

「ああ、履いてるよ」

背後で衣擦れの音が聴こえる。

ほんの、十分ぐらいなのに長く感じられた。

「もう見てもいいわ」

彼は、振り向いて彼女を見た。

彼女は、黒を中心にしたアロハ柄のビキニの水着を身につけていた。

水着が、彼女の白い肌によく似合う。

彼女は、眩しく輝いて見えた。

「そんなに、見ないで」

彼は、目のやり場に困り。見たい気持ちが支配しているのに、なるべく彼女の背後にある水平線に視線を向けた。

「夏木くんは、着替えないの」

「ああ」

「早く水着になってよ。私だけ水着だと恥ずかしいわ」

彼は、ミッキーマウスのTシャツを脱いでからデニムのハーフパンツも脱いだ。

彼は、極シンプルな黒いスクール水着を身につけていた。

なんだか、彼女が急に大人に見えた。

「ねえ、泳ぐ前に後ろにココナッツオイル塗ってくれる」

彼の前に、背中を向けた。

彼は、眩しい彼女の背中の肌を見て焦った。

「え。ああ、いいよ」

彼は、平静を装った。

手のひらにココナッツオイルを垂らすと、両手に伸ばした。

彼は、震える指先を何とか落ち着けるように、心の中で呪文のように唱えた。

おい、お、落ち着け。せ、背中にココナッツオイルを塗るだけじゃないか。

なんとか気持ちを落ち着けて、ココナッツオイルを伸ばした両手を、そっと彼女の背中に触れた。

彼女の背中は、夏の日差しで火照った様に熱かった。

彼は、痺れたような目眩を感じる。もう、彼女の背中の虜になった。

彼女の背中から伝わってくる体温。

彼女の香りと、ココナッツオイルが混ざり合って甘い香りが漂う。

ゆっくりと肌を撫でていると、彼女の吐息まで聴こえてきそうだ。

彼は、背中全体にココナッツオイルを塗り終えると、彼女から離れた。

少しまだ指先が震える…。

「浮き輪を持ってきたの」

彼女が笑顔で振り返った。

彼は、慌て夢から覚めたように平静を装った。

「じゃあ、僕が膨らまそう」

彼は、十分に浮き輪に空気をいれた。

「いこう」

二人は、浮き輪を持って波打ち際へ走った。

二人は夏の中で波と戯れたり、少し沖の方まで泳いだ。

沖で彼女は浮き輪の中に入り、彼は浮き輪に捕まって浮遊感を楽しんだ。

「完璧な夏の午後だね」

「素敵でしょ」

「うん」

「二人きりよ」

「誰もいないし」

「誰も見てないし」

と、彼女は言うと浮き輪を挟んで彼と向き合った。

二人は、自然に瞳を閉じて唇を重ねた。

ある夏の午後の誰もいない海岸で、二人は一つになった。

夏の光に包まれて、潮騒の音だけが聴こえた。

失われた夏 4 ふたりの夏

失われた夏 4 ふたりの夏

  • 小説
  • 短編
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-10-21

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