桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君5

続きです。新キャラ登場です。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君5

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 けたたましいサイレンの音が近づく。一台。また一台。桃井研究室のある研究棟には立入禁止テープが貼られ、眩しいくらいにライトアップされた。周辺住民も次々と大学に吸い寄せられ、翌朝まで深い眠りにつくはずだった大学は騒然となった。
 警察の聴取をひととおり終え、憔悴しきった三人は、よろよろと桃井と光顕が暮らす一軒家に帰ってきた。ほとんどまる一日が経過し、次の日の夜を迎えていた。榊は一人暮らしで、こんな状態で一人にしておけないので、当面、桃井が面倒を看ることにした。家に帰ると、まず光顕はのろのろと風呂の支度を始めた。習慣とは侮りがたい。全く頭が働いていない状態でも、万事恙なく事を進めることができた。初めに女性である榊が入浴し、その後に桃井、光顕の順で入る。服は警察で着替えさせられ、任意提出を求められた。榊は熱に冒されたように何度も小和田の名を呟き、服を脱ぐことを嫌がったらしいが、結局は着替えたようだ。
榊は帰ってきてからも放心状態だった。
 「榊さん、早く入ってください。サイズが合わないだろうけど俺の新品のヤツを置いておきますから」
光顕は榊になるべく穏やかに話しかけたつもりだが、発した言葉がそうであったかどうか、正直、自信がなかった。光顕も自分の許容範囲を超える出来事に晒され続け、限界などとうに超えていた。
榊に業を煮やし、桃井が無理やり服を脱がそうとする。
「ちょっと、おっさん、なにやってんだよ」
「やかましい。榊君、早よ服脱いで風呂に入ってきい」
その言葉に、それまで人形のようだった榊が、ふと顔をあげて呟いた。
「服?小和田君?あの服は?」
その言葉に、改めて光顕は血の気は引く思いだった。やはりあの汚泥は院生達なのだ。そして、榊もあの赤黒い液体を「小和田」だと認識している。
榊の情の深さに、感動するよりもむしろ薄ら寒いものを覚えた。
「榊君、きみも医者の卵なら聞き分けなさい。あれは小和田やない。小和田であったものだとしても、もう小和田やないんや。わかるな」
噛んで含むように聞かせると、榊は脱衣所に行ってくれた。
 光顕が最後に風呂から出ると、和室の居間に光顕の服を着た榊が一人でコタツに入っていた。
光顕は、キッチンで熱い日本茶を三人分用意してから居間に戻り、無言でコタツに入った。
「お茶です。熱いから気を付けてください」
榊は相変わらずの無表情ながら、小さくありがとう、と告げると湯呑に口をつける。
「駄目やね、私。光顕君はこんなにしっかりしてるのに」
少し落ち着きを取り戻したようだった。自嘲的な呟きに、とっさに返す言葉が見つからず、いえ、とか、まあ、などと意味のない相槌を打つ。
「俺は結局、何があったかわかりませんし。一番酷いところを見ていないんで」
「でも、何となくは分かってんねんやろ。あの黒いやつ。あれは……あれは……」
「先輩達ってことですよね」
言葉に詰まった榊の代わりに光顕が言うと、榊は目を閉じて、小さく頷いた。涙が溢れ出ていた。
「原因は何なんですか。まさか、桃井先生の胡散臭い箱?なわけないですよね」
榊は、憔悴した様子でまた一口お茶を口に含んだ。
「でも、他に説明のしようがあらへんのよ。あれのせいとしか思われへん」
そういうと、恐ろしい記憶がよみがえったのか、青ざめた顔で小さく身ぶるいをした。
「あの箱の中身って、何だったんです。何があったんですか」
あまり思い起こさせるのも酷かと思ったが、今は現状を把握することを優先させたかった。状況がわかっていなければどうしようもない。昼からはまたそれぞれ警察に行って話をしなければならない。
榊は自分を落ち着かせるように、大きく一つ息を吐くと、ゆっくりと話し始めた。
「光顕君が帰った後、すぐに桃井先生の携帯が鳴って、なんや慌てた感じで、外に行かはった。その間に、小和田があの箱を開けようとして、でも蓋が固すぎて開かへんかってん。それで、掛井君やったかな?いや違う、里田君や。里田君が研究室の工具使こたらどうかて言いだしてん。ほんで、男連中が工具使ってこじ開けてん。ほんで」
「で、箱の中身は何だったんですか」
だらだらと要領を得ない榊の説明に焦れて、光顕は率直に本題を問いただした。
「壺。古い壺。なんや神棚に飾ってありそうな年季の入った徳利みたいなやつ。ほんまにただの古い壺か、徳利か、そんな感じ」
「それで、その徳利の中には何か入っていたんですか」
榊は無言で左右に頭を振る。
「小和田がひっくり返してみたりしたけど、何も入ってへんかった」
徳利と聞いて、光顕は、ふと山門で出会った鹿王と名乗る少年を思い出した。 なぜ、徳利が鹿王を連想させたのかわからなかった。気になっただけだ。
 が、徳利は、光顕に、期せずしてその化け物の後を追う形になってしまったのかもしれないと思わせた。
そういえば、普通なら南禅寺から見えないはずの大学の灯りがやたらとよく見えた。いや、見えた気がしただけなのか。いや、確かに見えていた。
 光顕が考えを巡らせている間も、榊は話続けていた。
「しばらくして、廊下から足音が聞こえて来てん。ぺたん、ぺたんて裸足の音やった。そしたら、それがうちの研究室の前で止まって。それから、女の人の声で、お前は妾の主様か、て言いよんねん。皆、一瞬ぎょっとなってんけど、どうせまた桃井先生の仕込んだネタやと思って笑ってた。これは乗らなあかんていう話になって、男連中がみんなで、お前の主は俺やて言うたんや。そしたら急にドアが開いて」
榊はそこで言葉を切って、体中が干えあがったようにお茶で何度も喉を潤した。

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「女の人が入ってきたんですか」
光顕は口を挟んだ。
「人とちゃう。黒いドロドロしたやつが、洪水みたいに部屋ん中に流れ込んできた。私もそれを頭から被ってほんまに息がでけへんかった。気が付いたら」
「他の院生が、ああなってたんですか」
「ちゃう。その時はまだ。形があった。人の形があったんや。ただ・・・」
榊はこみ上げる吐き気を抑え込むように何度も生唾を飲み込んだ。
「光顕君、検死に回ってきたご遺体って見たことある?」
「いや、まだないです」
「そうやんね。まだ一年やもんね。私何回か桃井先生の手伝いで、夏場の腐乱死体とかみたことあんねんけど。ちょうど、そんな感じやった」
「腐乱死体っすか」
「そう、ところどころ皮膚も剥がれ落ちてウジ虫だらけの赤い肉が見えてるんやけど、その肉と内臓が腐って溶けてかけてんねん。その状態で、みんなまだ生きてた」
「は?」
「だから、生きてたんよ!暫く腐ったまま!」
榊はヒステリックな金切声をあげた。
「掛井君は痛い、熱い、て言うて口からごぼごぼなんか黒いの吐いてるし、里田君は剥がれた自分の皮膚を必死で身体に巻き付けてた。小和田は小和田は……」
榊の喉からヒュウヒュウと変な音がしていた。
「小和田は、目が見えへん、洋子どこやて、私のこと探しとった。見えるわけないやん、眼球垂れさがってんのに」
「もういいです、榊さん!すみません、もう、いいです」
身体を瘧のように震わせて、涙を流しながら歪な笑い声を上げ始めた榊の細い肩を、光顕は強く揺さぶった。
「今日はもう寝ましょう。これからのことは明日起きてから考えましょう。俺も、榊さんも疲れすぎてます」
榊はひとしきり泣きじゃくった後、糸の切れた人形のようにコタツに倒れ込んでしまった。失神したらしい。
 無理もない。
榊の話が本当だとすれば、いくら医者といえど、常軌を逸した凄惨な現場に居合わせ、よくここまで正気が保てたものだ。
 眠れるならそうしたほうがいいだろう
居間に敷くための来客用布団を取りに廊下にでると、桃井が書斎兼応接室にしている洋間から話し声が漏れ聞こえてきた。声は桃井のものだけだ。電話で話しているのだろう。何やら言い争っているようなやり取りをしている。
 こんな時に一体どこへ電話をかけているんだろう


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光顕はひそかに、書斎の前で聞き耳をたてた。
そもそも、今回の事の発端は、桃井があんなわけの分からないものを研究室に持ち込ませたからだ。直接手を下したわけではないにせよ、桃井は間接的に何人もの、しかも自分の弟子たちの命を奪ったことになる。そう思うと、何とも言えない不快感と怒りを覚えた。ここへきて、未だに桃井の口から謝罪や悔恨の言葉もないことが腹立たしく、情けない。電話で話すなら、温かい居間で話せばいいものを、なぜ榊をほったらかし、こそこそと隠れるように書斎でやり取りしているのか。桃井は何を隠しているのだろう。
 「いや、そんなん知りませんよ。そっちはどうなってるんですか」
 「事実、被害が……」
 「何とかならんのですか」
 「せやから封じ込める方法をやな」
 「え、こっちに来てる?……」
 仕事中の雑音を嫌う桃井の要望で、この部屋の扉は家の中でも殊更、防音を重視したつくりになっている。漏れ聞こえて来る声だけでは、内容まで把握できない。
 暫く廊下で聞き耳をたてていると、急に扉が開いて、荒々しく桃井が飛び出してきた。思わず飛びのいた光顕を見て、桃井が不愉快そうに眉を顰める。
 「なんや、盗み聞きか、お行儀悪いな」
 「たまたま、聞こえたんだよ。榊さんが眠ったから布団取りにきただけだって」
 反射的に反論した光顕は、視界に入ったものに目を疑った。
 「ちょっと待てよ、まさかあれ」
 桃井の書斎机の上には、素焼きの古い徳利が鎮座していた。
 「どうやって持って帰ってきたんだよ。なんでここにあるんだよ。頭おかしいのかよ」
 「なんでここにあるんかわからん。ただ、よそさんに持っていかれへん。これ以上迷惑かけられんやろ。何人死んでると思てんねん」
 「それを、叔父さん、あんたが言うな。俺と榊さんは死んでもいいってのか」
 「榊は女やからセーフや。お前は……」
 「俺は?」
 桃井はじっと光顕を見て、おもむろに口を開いた。
 「頑張るんや」
 「他人事かい!」
 「お前、ツッコンでる場合やないで」
 「こんなときにツッコンでなんかいるか」
 「・・・まあ、一番頑張らなあかんのは僕なんやけどな」
 そういうと、光顕の頭をぽんぽんと叩いて、脇をするりと抜けていく。
 やっぱり、何か知っていて、それを隠しているんだ
 光顕は確信して、叔父の腕をとった。
 「なあ、あんたこの期に及んでなに隠し事してんの。そういうの迷惑なんだけど」
 「関わったらさらに迷惑被ることかてあるやろ」
 「今、現在、この状況で、十分たっぷり迷惑リミッター振り切れてんだろ。自覚しろよ」
 「お前、手加減ないなあ。ええのか、怖がりのくせに」
 「わけわかんねえまま死ぬくらいなら、前もって聞いておいたほうがまだマシ。わかんねえのが一番怖い」
 強く言い切ると、桃井は困ったように少し笑った。
 「お前、ヘタレなんか、強気なんかようわからんなあ」
 廊下で言い合っていると、不意に玄関の呼び鈴が鳴った。思わず、光顕はヒっと情けない悲鳴を上げる。腕時計で確認すると、時刻はすでに夜中の一時を回っていた。普通の来客が来る時間ではない。
 「これさ、もし、お前は妾の…って聞かれたら、なんて応えるのが正解?」
 「お前は何も応えんでええ。居間に言っとけ」
 「それで、今度はあんたが溶けんの?それ、何の解決にもならないから」
 「説明してる暇はないねん」
 「いいから俺も行く。一人にすんな。そっちのほうが怖い」
 「強気のヘタレて新しいジャンルやな」
 そうこう言ううちに、呼び鈴が焦れたように連打された。
 「ええか、お前は絶対口、きくなよ」
 そういうと桃井は険しい表情で足早に玄関に向かう。光顕も慌てて後を追った。

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君5

桃花物怪怪異奇譚 裸足童子とたぬきの姫君5

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • ホラー
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-18

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