蒼き旗に誓うは我が運命
序章
ジェフリー・ラ・リカルドが三ヶ月に及ぶ航海を終えて、故国イベリアの港に戻って来た時、季節は既に秋になっていた。
長年、海賊の襲撃に悩まされていたイベリア周辺海域だが、今回はガレー船を含むガレオン船十数隻の大船団である。史上最悪にして不運と呼ばれるその討伐に、直ぐに駆逐艦を向かわせる事に上層部は躊躇った。
イベリアは西側諸国屈指の海洋国家として知られ最強を誇っていたが、重厚且つ数十門に及ぶ大砲を備える軍艦を有していても、小回りが利かない。イベリア国王ジョアン二世でさえ、大船団出没に暫く声が出なかったくらいである。困った国王が頼ったのは、ソルヴェールの海賊であった。依頼すれば商船の護衛、海賊の駆逐も請け負う海の民だが、国が表立って海賊と交渉する訳にはいかない。非道な事は一切しないとは言え、彼らは許可なく武装した船を駆る一族である。だがこれは、難なくクリアした。国王の身近に、ソルヴェールの海賊と繋がる人物がいたからだ。それが、ジェフリー・ラ・リカルドである。
「キャプテン、今夜は美味い酒が呑めるぜ」
「あれだけ散々船倉の樽を開けたのに、か?マックス」
「イベリア産ワインは、その比じゃねぇよ」
三ヶ月ぶりの陸に思うのは、同じ船に乗っている仲間でも違う事がある。ジェフリーの場合、これから散々嫌味を聞かされなければならないと思うと、船を反転したい気分だ。現に、ジェフリーが乗るサン・ディスカバリー号が勝利して戻って来ると言う報に、貴族たちの半数は眉間に深い皺を刻んだ。海賊公爵とジェフリーを陰で呼び、先祖代々貴族の血を継承し誇りを持っている彼らには、海賊の血を引くジェフリーが公爵なのが気に入らない。更に思った事をはっきり言い、腹に一物ある者にとっては尚更である。
「これは、フォンティーラ公。この度の勝利、実にお見事でしたな」
「あんたの期待に応えられなくて残念だったな」
「―――…」
嫌味には嫌味で返すジェフリーに、仲間は笑うが出迎えた者は怒りに顔が染まった。「何故生きているのだと言いたいのだろう?」と言う意味の、このジェフリーの言葉は、図星だったようだ。
貴族たちには性格共に嫌われるジェフリーだが、腰までの金髪、蒼い双眸、長身で精悍な美丈夫である。そんなジェフリーの地上での顔―――、フォンティーラ公爵。ソルヴェールの海賊と接点を持つ切欠は、彼の母親に始まる。
「お帰りなさいませ、旦那様。御無事のお帰り、何よりにございます」
「その《旦那様》はやめろハットン。一気に老けた気がする」
「他が何と言おうと貴方様は、このフォンティーラ公爵家の御当主でございます。亡きジョージア様の御子」
「殆ど家に寄り付かない男だぞ?俺は」
「お仕事でございますれば」
さすがジェフリーに仕えるだけあって、負けていない。
ジェフリーの言った言葉は、決して嫌味ではない。彼は殆ど船の上にいるからだ。
フォンティーラ公爵であると共に、ソルヴェール一族の総領でもある彼は、何気に忙しい。胸元に滑り落ちた金髪を煩そうに掻き上げて、ジェフリーはこの三ヶ月の間に届いた手紙に目を通した。
どれもいつもの護衛して欲しいと言う内容だったが、一通だけ違うモノがあった。
―――父を、探してください。
人探しはさすがに、ソルヴェールの仕事ではない。役人へ届けるモノが誤って紛れ込んだのか、ジェフリーはこの時はそう思った。
立ち上がった彼に、執事のハットンが賺さず問いかけてくる。
「行ってらっしゃいませ」
三ヶ月ぶりにやっと帰ってきた主を責めるでもなく、送り出すのはやはりさすがである。揺れる船でその半生の殆どを過ごした男は、地にじっとしていられない。夜会に誘われた事があるが、毎晩夜会を繰り返す貴族が、さっぱり理解できない。
帰って来た道を戻る形で、ジェフリーの足は自然に港に向かう。
やがて自分の船、サン・ディスカバリー号が見えてくる。そんな男を、海は放っておかなかったようだ。
「逃がすな!」
何事かと振り向いたその視線の先で、覆面姿の男達に追われる少年がいた。
子供相手に大の大人が剣を振り回す―――、どう見ても犯罪である。
少年は年の頃は十六、商家に生まれたごく普通の少年だ。故に、彼自身何故狙われねばならないのか理解らない。しかも、逃げ込んだ場所は行き止まりである。
「小僧、恨むならお前の父親を恨め」
「父さんが何を―――…まさか父さんを…」
「生きてるさ、お前の親父は」
「早く殺すのだ」
隅にいた男に急かされ、刺客の一人が剣を振り翳した。しかしその剣は、少年に降ろされる事はなかった。
―――え…。
彼を隠すように男が盾になっていた。腰までの長い金髪を持つ男が、長剣を抜いて、刺客の剣を払っていた。
「誰だ!?お前は…」
「そっちこそ、何者だ。王都のど真ん中で堂々と殺しか?」
「…フォンティーラ公爵…」
隅にいたあの男は、彼が誰か理解ったらしい。思わず口にした事で、却って怪しまれた男は刺客に手を引かせ、立ち去った。
「あの…ありがとうございます」
ジェフリーは、石畳から何かを拾って少年を振り返った。
「お前、奴らとは知り合いか?」
「いえ…。多分、僕の父なら知っているかと思いますけどその父は行方不明なんです。あの…ソルヴェールの方って何処に行けば会えますか?」
ジェフリーは、直ぐに言葉が出てこなかった。まさか、あの手紙の依頼主とこんな形で会うとは思っていなかったからだ。
依頼は間違いなく、ソルヴェールに来たのである。
しかしこれが、ジェフリーを再び海へ誘う事になるのである。
蒼き旗に誓うは我が運命