夏星

 西日が差し込むグランドに声が響く。グランドの右端、野球部では『オーライ』、『ナイスバッティング』と力強い声がする。強豪の風格だ。
中央のラグビー部では『ウォリャー』、『オラー』と今にも殺されるという殺気を感じる。同時にドスン、ドスンとタックルの音で殺気が増していく。
左端に目をやると、ひときわ広いスペースが目に付く。サッカー部だ。
グランドに響く声の中で、三分の一の声は出ていない。顧問もいるし、部員もそこそこいる。それなのに、この声の無さ。甘い規律感がただよっている。
練習中だというのに左サイドでは、二人の部員が笑いながら話をしている。
「夏休みどっか行こや」
サッカー部にしては色白の彼が言った。
「ほんまやな、どうせ来年受験で遊ばれへんし、どっか行きたいなぁ」
もう一人の色黒が答えた。この二人が話をしている光景は、毎日のように見ることができる。日常に入り込んだ光景だ。
すると、いきなり色白の足元にボールが転がってきた。色白はなんとかボールをコントロールし、自分が練習中だということに気づいた。
「オイ、集中せえよお前ら」
キャプテンらしき人物から渇がとぶ。
「ウイ」
色白はいつものように返事をした。
パスを出し、走りこんでリターンをもらい、センターリング。毎日繰り返している練習のうちの一つだ。
色白もパスを出し、リターンをもらい、いつもよりキレイにセンターリングが決まった。FWもキレイに頭でゴールを決めた。『ナイスボール』、『サンキュー』仲間からお褒めの言葉をいただいて、色白はガッツポーズをしてもとの位置に戻った。
「リッキー、ナイスボール。まあ、怒られるから部活終わってからさっきの話しよや」
色黒が言った。色白はリッキーと呼ばれているようだ。
「そうやな」
満足げな顔から普段の顔へと切り替えながらリッキーは答えた。
それから幾度となく転がってくるボールを受け、パスを出し、走り、またパスを受ける。永久のように感じる時間をサッカーに費やした。その時間、約一時間。
「フィージーカールー」
顧問の特徴的な声が聞こえる。この声が聞こえると後は練習の大詰め、体力トレーニングだ。一部の強靭な部員を除いて、皆が嫌いなトレーニングだった。
グランド半周を全力ダッシュ、少し休む、ダッシュ、休む、ダッシュ・・・。終わった。あれだけ嫌だった体力トレーニングも、終わってみるとすがすがしい。過去とは都合のいいものだ。
ストレッチを終え、監督のショートミーティングも終えた。水を飲み、しっかり後輩をからかってから、部員たちは部室に戻った。
汗を拭き、服を着替えながら部員たちはおしゃべりをしている。毎日会っているのに飽きることなく、つきることなく、おしゃべりは続く。そしていつも『うわ、もうこんな時間や』と、時計を発見するものが現れる。そこで部員たちは解散する。
『バイバーイ』『ほなまた』『お疲れ』各々が挨拶を交わすなか、リッキーと色黒も校門を出た。電車通学の二人は地元の駅が近いこともあり、いつも一緒に帰っている。

「さあ、どこ行こか」
色黒が聞いた。
「アタルは行きたいとこあんの?」
リッキーは聞きかえした。アタルとは色黒の名前である。
「せやな、どっか泊まりで行きたい」
「ボクも泊まりで行きたい。キャンプとか行きたいわ」
「キャンプええな、サバイバルやな」
「あ、でも部活あるで」
「ん~、じゃあ、しゃあなしで部活休まなあかんな」
二人は笑いながら会話をしている。こいつらは休む、サボるに関しては赤子のように無邪気に実行するのだ。
練習自体を休むことはほとんどないが、練習中でも余裕でサボる、手を抜く。それで練習についていけているから、ある意味すごいのかもしれない。
「じゃあとりあえずメンバーやな」
リッキーはちょうど到着した電車に乗り込んでそう言った。
「そうやな、普通に来てくれそうなんは何人かおるけど」
「でも、あんま大人数で部活休むんはまずいやろ」
 この二人の通う高校には、普通科と理数科という二つの学科が存在する。
リッキーは普通科でアタルは理数科というように、二人は学科が違った。なので、共通で仲の良い友人はサッカー部以外にはほとんどいない。それに、サッカー部のメンバーといることは、何事にも代えがたい居心地なのだ。ブラザーとでも言おうか。この居心地、言葉では表すこともできない。
「ほな、練習できひんようになってもあかんから、あと一人ぐらいやな」
「じゃあイトウ誘って、あとユキも誘おや」
「あいつらおったらおもろいし、人数もちょうどいいな」
「よし、決定」
イトウとは、リッキーと同じクラスでサッカー部のムードメーカー的存在だ。しかし、たまに意味の分からないところでキレて、機嫌を損ねることがある。少し気が短いのだ。
そしてユキは、一年のときサッカー部に所属していたが、家庭の事情で辞めていった元部員である。性格はドジで常に人を笑わそうとしているおかしなやつだ。
「イトウとユキはボクが誘っとくわ。あいつらやったら多分行くって言うと思う」
リッキーはこの二人がキャンプの話に乗ってくる自信があった。なぜなら、この二人は幼馴染でいつも仲が良い。サッカー部に入ってからはよく四人で遊んだし、なによりイベント好きだ。
「わかった。じゃあ来週からテスト一週間前で部活休みなるから、その間に計画立てよ」
アタルは、旅行の計画を立てたり、遊びの計画を立てたりするのが好きだ。そして、その計画は無駄がなく、まるでケーキの中の指輪みたいなサプライズもある。

次の日、リッキーはさっそく教室でイトウに話しかけた。
「夏休みどっか行くん?」
「別にどこも行けへんよ。どうしたん?」
「キャンプ行こや」
「キャンプ?いきなりやな」
「昨日アタルと話しててんけど、来年受験で遊ばれへんやろ。だから、今のうちに青春の一ページを刻みに行こや」
「青春の一ページってなんやねん。まあ、でもキャンプはおもろそうやな。行くわ。ほかに誰が行くん?」
「今確定してるんはボクとアタル。んで、後ユキ誘うつもり」
「なるほど。グッドな采配やね。さすが、名監督」
「そうや、ボクは監督や。ついてこいよ」
「ういっ。何が監督やねん。サボり人のくせに。じゃ、ユキ誘いに行こや」
「イトウが監督ふってきたんやんか。ユキ誘うんは放課後でもいいやろ」
「そうやな。じゃ、放課後に誘い行こう」
それから二人は授業を受ける。まじめに黒板を写し、教室を移動し、睡眠をとり、強制的に起こされ、昼食を食べ、爆睡し、起こされ、放課後を迎えた。自分たちの教室を出て二つ左の教室がユキのクラスだ。
「ユキおる?」
ドアを開くと同時に、ユキの姿を確認する間も無く、イトウは声を張った。これは人見知りのリッキーには真似のできない、イトウの社交的な一面だ。
「なんじゃい」
眉毛が薄く、歯並びの悪い、ヤク中のような男が返事をした。ユキだ。いかつい風貌からは予測できないほど、笑いの箱を持っている。
リッキーとイトウがキャンプの話しをユキに伝えた。
「なんと、ユキさん当選しました」
「なんの、話や?」
「ボクたちとキャンプに行く権利です」
「キャンプ?なんじゃ、そりゃ。いつ行くん?」
「夏休み」
「夏休みかー。ワシは部活も辞めて家でダラダラするだけやから、クソ忙しいねんな」
「世間一般ではそれを暇って言うねんけどな」
「えーほんまか?」
「まぁ、行かんってんやったらもう二度と誘えへんけど」
「言い方がきついわ。行くに決まってるやろ。ワシ行かな始まれへんがな」
ユキも行く気満々だ。これでメンバーがそろった。楽しややこしキャンプの計画を立てるまで、四人はそれぞれの時間を過ごす。もちろん、この間それぞれが自分なりのプランを立てていることは言うまでもない。一人一人が頭の中で最高のキャンプをイメージしているのだ。

 ついにテスト一週間前。長かった。計画を立てることを中心に考えてきたこの一週間は、まるで何もすることのない日曜日のように長かった。
 テスト一週間前になると、放課後のクラブ活動は中止になる。
本来勉強をするために学校側がくれたこの貴重な時間を、学生たちはどのように過ごすのか。それは自由だ。
部活が休みになる三人と、いつも通りの放課後を迎えたユキは、駅の近くのハンバーガ屋へ向かった。
このハンバーガ屋で、四人はそれぞれハンバーガとポテトのビックサイズを注文した。合わせて三百五十円。なかなかリーズナブルだ。もちろん外の百円自動販売機でジュースは購入済みである。
四人はとりあえず自分のハンバーガを手に取り、ポテトをトレーの上にばらまいた。ポテトのビックサイズ四つを同じトレーの上にばらまく。そう、ポテト山だ。ポテト山を少しずつ四人で崩していく。そう、ポテト祭だ。
ポテト祭は、リッキーとアタルが以前このハンバーガ屋で発見した。最初はすごいボリュームで食べごたえを発揮するのだが、後になってくるとポテトは冷え、体育会系でも食べきれぬこのボリューム。闇鍋同様、リスクの高い食事法だ。
ポテト祭を開催しつつ、四人は具体的なキャンプの計画を立て始めた。
「まずは、どこに行くかや」
話の中心にはアタルがいる。
「キャンプって言えば、海とか山やろ」
リッキーはハンバーガをかじりながら提案した。
「海はなんかベタベタするから嫌や。山にしよや」
イトウの反論だ。
「ワシは山もええけど、水あるほうがええな」
と、ユキ。
「そうやんな。せっかく夏やから、海いこや。アタルは?」
「間とって、川とかどう?」
「川か。ボクの頭の中には無かった選択肢やな。ええやん」
「川やったら夏っぽくてええな。ベタベタせえへんし」
「ワシも賛成じゃ」
「よし、川で決定。ほんじゃ、次は予算やな。二万くらい?」
「ジャスト、ベストです」
ユキがおどけてみせた。四人は笑いながらも予算を決定し、計画は順調に進んでいた。
しかし、ポテト祭が終了するや否や、空のトレーを見つけた大柄のおばちゃん店員が
「すみませんがこの時間はほかのお客様もお待ちですので、お食事が終わりましたらお帰りくださいませ」
と言ってきた。四人はもう少し話すつもりだったが、帰れと言われた以上しかたなく店を出た。少しの反抗として、セルフサービスの片付けをせずに食い散らかしたままにしておいた。
こういう状況ではリッキーがよくしゃべる。
「ほんまやられたな、あのゴリラみたいな店員。絶対、こいつらどうせ学生やからどうでもええわと思ってあんなん言ってきたで。せっかくあんだけポテト買ったたのにな」
「ほんま、リッキーは白鳥がバタ足するかのごとく、裏ではしゃべるの」
 ユキの雑学交じりのツッコミに、おのずと皆は笑いだす。
文句、陰口をこんなにも多く語る男子は少ない。リッキーはこの性格のせいで数多の危機を経験してきた。
例えば休み時間、教室移動中の話。
「ほんま、あの数学のおばはんあんな教え方で分かると思ってるんかな。ボクのほうがうまく教えれるで」
と友人に話しかけながら曲がり角を曲がった。その時、うわさの数学教師だ。
「やろ。やっぱあの番組おもろいやろ」
いかにもテレビの話をしていました。という状況を作り出して、早足でその場を去った。おそらく数学教師には聞こえていただろう。
部活の合宿中の話。
「ほんま、マネージャー無駄に人数おるのに洗濯ぐらいちゃんとやれよな」
アタルに愚痴っているその後ろ、マネージャーがいた。しかもマネージャーの中でもボス格だ。
さすがにいいわけも思いつかずにリッキーは逃げた。試合中にも見せない俊足でマネージャーの姿が見えなくなるまで逃げた。
後に聞いた話、アタルはマネージャーが後ろにいたことを知っていたらしい。どうりでにやにやしていたわけだ。
こんな目に会っているのにリッキーはこの性格を直すつもりはない。文句、陰口を話しているとき、リッキーは言い表せないほどのご機嫌な気分に浸っているのだ。
「まあ三百五十円しか使ってないからな。それより、これからどうする?」
アタルは文句よりも計画を先に進めたいらしい。
「でも、もう七時やで。帰ろや」
携帯の時計を見ながらイトウが言った。ユキも帰りたいらしく、
「ほんまや、帰ろ。続きは休みにイトウの家で決めよ」
と、持っていたジュースの空き缶をゴミ箱に投げ入れた。
「何でおれの家やねん。まあ、別にええけど」
否定と肯定。とりあえず何にでもツッコム姿勢が必要だ。以前からイトウはそう考えていた。街のネオンが輝きを増す中、とりあえず四人は自分の家へと帰って行く。
帰路では、リッキーとアタルの漫才のような軽快なトークが冴えわたる。
イトウとユキのマシンガントークもいかに二人の息が合っているのかを表していた。

 休みの日が来た。午後二時半、ユキを除く三人はイトウの家にいた。
「あれっ?ユキは?」
当然の質問がアタルから発せられる。
「なんか急に今日来られへんようになったって、さっきメール来てん」
イトウは携帯を弄びながらそう言った。
「ユキは何かと多忙やな。最近結構ドタキャン多いしな」
リッキーはユキのドタキャンに、慣れてしまっている。危ない傾向だ。
約束を守れない人間を信じきると、ろくなことはない。数多の人間がそれで不幸になっている。ただ、それもまだ高校生の彼らにとって、さほど重要視するほどのことでもなかった。
「じゃあとりあえず行き先やけどさ、俺探してきたで」
キャンプ情報誌をかばんから出しながら、アタルは言った。
「ここさ、キャンプって言ってもバンガロー借りるやつやねん。やっぱ、歩きじゃテントはもって行かれへんやろ」
さすがアタルだ。実用性の高い情報を持ってくる。
「どれどれ。ん、やばい。滝や。修行できるぞ」
リッキーは情報誌の写真を見て、目を輝かした。まさにキャンプ。大自然との格闘。『ここに行きたい』という欲求がリッキーの中を駆け巡った。
「修行ってなんや。でも、めっちゃ綺麗なとこやな。ここでオッケーやろ」
イトウもまた、リッキーと同じ欲求が体の中を駆け巡っているようだ。
「予算もなんと一泊八千円。二泊でいいかな~?」
「いいとも~」
アタルのテレビのようなノリに、二人とものっかった。
「日にちは八月の十五、十六、十七でどう?」
「それやったら部活の市立大会も終わってるし、三年も引退してるから、ちょうどいいやん」
「おれもそれでいいで。ユキはどうせ、いつでも行けるやろ」
「それでは、予約はのちのちするとして、必要なものリストを製作したいと思います」
「作りましょう」
アタルの掛け声に二人は賛同した。
イトウがペンを持ち、みんなの提案をレポート用紙に書きだした。
 着替え、水着、サンダル、食料、飲料、バーベキューセット、炭、台所用品、遊ぶもの、スマイル。これ以上のものは、三人の頭から出てこなかった。
「それでは、テスト最終日に予約と買い出しに行きます。もちろん部活を終えてから」
「異議なし」
アタルの計画性とリーダーシップで、これから始まる冒険の準備は着々と進んでいる。
「じゃあ、イトウはユキに言っといてな」
アタルは必要なものリストをかばんに入れながらそう言った。
家が近いこともあり、イトウとユキの間には、情報を交換するという暗黙のルールができているのだ。それは、リッキーとアタルの間でも然り。
「まかしとけ」
イトウもそのつもりだった。
「さあ、テスト前、貴重な休み。キャンプに向けての第一関門や。勉強せな」
テストに恐怖を抱いている全国の高校生を代表してリッキーが言った。
「忘れてた。宿題あったんや」
「宿題か。こんな話した後、やる気でえへんな」
イトウも恐怖を思い出したが、アタルのテンションは下がる一方だ。
テスト前は何かと提出するものが多い。先生の嫌がらせか、はたまた勉強させるための思いやりか。どっちにしろ、提出しなければいけないという事実に変わりはない。
「まあ、終わらさなしゃあないな。じゃあ、リッキー帰るぞ。早く」
アタルはリッキーを駆り立てた。頭の中は宿題を終わらすことでいっぱいだ。
テストの恐怖というのは、今現在テストが迫っているという状況にならなければ襲ってこないし、分からない。ノストラダムスの大予言と一緒だ。
そして二人は足早にイトウの家を後にした。それぞれが解散してから、本当に勉強したのかどうかは分からない。本人の意思の強さ次第だ。

 長い雨季が終わるかの如く、テストも終わった。そう、すべてのテストが終わったのだ。
計画を立て、この恐怖を乗り越えたものがいる。一晩にして乗り越えたものがいる。あきらめたものがいる。
皆がさまざまな形で戦ってきた。リッキー、アタル、イトウ、ユキも例外ではない。
イトウは普通科でもトップを争う成績の持ち主だ。普通の学生ならあきらめて勉強を放棄するところを、イトウはあきらめなかった。その努力がこの成績を導いているのだ。
リッキー、アタルに関しては一晩で勉強をやってしまおうというタイプだ。トップクラスの成績こそとれないが、平均点以上の結果を残す。しかし、テストが終わった瞬間に勉強していた内容は忘れる。この手のタイプにとっては常識だ。
一晩にしてそれなりの点数を取るこやつらは、中学時代に学校でもかなり勉強のできた部類が多い。
アタルなんて、高校に入った最初の実力テストで学年二位をとっている。つまり、高校で怠けたのである。
成功を味わっているだけに、『そんなものは本気を出せばすぐに取り戻せる』という自信に満ち溢れている。
ユキは、あきらめる人間だ。一番潔いのかもしれない。もちろん、毎回のテスト前はやる気満々だ。
一週間前になり、『がんばるぞ』五日前になり、『まだいける』三日前になり、『ちょっとヤバイ』前日になり、『明日の朝しよう』朝になり、『寝過ごした。あきらめよう』このサイクルが途切れた試しはない。
 どんな形にしろ、乗り越えたものは乗り越えた。これは紛れもない事実だ。
 テストが終わると、日常が戻ってくる。クラブ活動も再開だ。
「やっと終わった~。寝不足で死にそうや」
練習後のストレッチをしながら、リッキーは色白の顔がさらに白くなったように見える。
「アホか。疲れてる場合ちゃうやろ。キャンプやキャンプ」
アタルは、ほかの部員に聞こえないように小さな声でリッキーに話しかけた。
「キャンプつっても、もう計画は完璧やん」
「まだ買い出しが終わってへんぞ。今日行くねんで」
「そうやった。どこで買うん?」
「まあ、食品系は当日の朝に買うとして、ほかのもんはスーパーと百均でそろうやろ」
「一応ホームセンターとかも見て、一番安いんでそろえよな」
「おう。そこ重要やな。無駄な金は極力使わんようにせな」
「アタルが言ったら、説得力ないけどな」
「なんでやねん」
「アタルは究極の無駄遣い王やから」
 高校生とは、お金のない生き物だ。特に部活をしている者はお金を持っていない。バイトなんてする暇はないから、収入は小遣いだけ。
それなのに、服は欲しい。漫画は欲しい。ゲームは欲しい。腹は減る。遊ぶと金は減る。デートすると金は減る。お金なんてものを持っているやつは、ほぼいない。
どれくらいいないかって?金魚を飼ったことの無い人間と同じくらいいない。
 
太陽が空を制する中、運動をすると汗が体中に溢れ出る。
この状況は気持ち良いのだが、いつまでもそのままではいられない。臭くなるからだ。人の視線が気になるお年頃。
そんな汗でしっとりとした体育着から制服へと着替えた三人は、部室前でユキを待っていた。
部活をしていないユキが今までの間何をしていたかは知らないが、約束ではそろそろ来るはずだ。
制服のまま三人はサッカーボールが地面につかないようにリフティング回しをしていた。サッカー部の時間つぶし方法はだいたいこれだ。
サッカーが全然できない人間から見ると奇跡に見える。しかし、『俺はサッカーできる』と自信を持って言えるぐらいの人間にとっては、けっこう簡単なものである。野球部のキャッチボールと同じだと考えてもらっていいだろう。
十分もすると、ユキがチャリに乗ってやって来た。
「わるいわるい。待った?」
「もう五時間ぐらい待ったで」
リッキーはたまに意味のないウソをつく。
「お前らが五時間も待つかいな」
「それもそうやな」
「でも気持ち的には五時間ぐらい経つな」
「知らんがな。遊んどったやんけ」
「おかげさまで、せっかく着替えたのにまた汗かいてきたわ」
「じゃあ、そんなんやらんかったらええやん」
「そうはいかんやろ。サッカー部やぞ」
「それより、早よ買いもん行こ。どこ行くんか知らんけど」
ユキは遅れてきたくせに、三人を急かす。
ボールを片付けてから、アタルはイトウのチャリの後ろに。リッキーはユキのチャリの後ろに乗った。ベストポジションだ。
チャリンコ通学をしている人間は、常に歩きの人間を後ろに乗せることを意識しなければならない。宿命だ。先生や警察にばれたら怒られるし、タイヤにも負担がかかる。とてもリスクが高い。
かわいい女子や彼女を乗せるならともかく、男子を後ろに乗せるなんて正直迷惑だ。
 イトウとアタルを乗せたチャリを先頭に、二台は商店街へと突入した。右へ、左へ、人ごみの中をスルスルと蛇のように抜けていく。小学生のときから鍛えた運転テクニックは相当なものだ。
商店街の歩行者にとって、中高生の二人乗りほどウザイものはない。商店街迷惑ランキングがあれば間違いなく犬の小便とトップを争うだろう。それでも、大量の荷物を提げたおばちゃんの運転よりは安全だ。
 お目当ての百円均一ショップに到着した四人はチャリを降りて店内に入った。
「共同の財布が必要やな」
財布コーナーを前にして、リッキーはひらめいた。
「共同の財布?」
ほかの三人はピンとこないらしい。
「そう。キャンプに必要なもん買うための金集めて、それを管理する財布。つまり、会計のボクに必要なアイテムやね」
会計リッキー。班長アタル。交通引率イトウ。レクリエーション係ユキ。イトウの家で決まったことである。もちろん、ユキにも連絡済だ。
「さすが会計や。一応考えてるんやな」
「まかせてくれよ」
イトウの言葉には普段何もしないリッキーへのからかいの意がこもっていたが、リッキーは気づいていない。
「ハイ、じゃあ今から一人三千円集めるよ」
道具代に一人三千円。これも決まっていたことだ。三人がリッキーにお金を渡し、リッキーも自分の財布からお金を出した。
共同の財布を決め、一万二千円を手にしたリッキーはレジに並んだ。
「百五円になります」
リッキーは店員がそう言うよりも速く千円札を出していた。
「千円からでよろしかったでしょうか?」
間違えた日本語。日本語の評論家なら怒り出すだろう。
「はい。あっ、レシート下さい」
これは重要なことだ。会計たるもの、何にいくら使ったかを調べられるようにする必要がある。
 リッキーが財布を買っている間に、ほかの三人は百均でそろうアイテムをカゴに入れていた。
サランラップ、アルミホイル、着火マンや布巾。いろいろな物があった。トランプなどの遊び道具もバッチリだ。
リッキーも加わってガサゴソと百均内を物色し、二十四品二五二〇円を買い上げた。
「買ったな~」
「あと炭とか花火とかでかい系?」
「スーパー行くんかホームセンターか」
「よし、二手に分かれよ。俺とイトウがスーパーで、お前らホームセンターな」
「よっしゃ、まかせろ」
「ちゃんと見つけたら連絡しろよ。安いほう買うんやから」
「まかせろって。ほんじゃ、これ半分お金渡しとく。ちゃんとレシートもらえよ」
 百均で買った物を2つに分けて、チャリのかごに乗せる。小物がごちゃごちゃして、チャリかごの中はえらいことになっている。
部活の荷物も合わせると、今にでも旅行に行けそうな量だ。
運動部は何かとエナメルカバンを持ちたがる。でかくて持ちやすく、雨にも強い。何といっても皆が持っているというのがその理由だ。
ユキチャリのほうが荷物は少ないという理由で、若干多めに買い物袋を積まれた。

 ホームセンターへの道には長い下り坂がある。その下り坂をブレーキ握りしめずに、猛スピードで下っている二人の男がいた。ユキとリッキーだ。
「あほっ、ユキ止まれ」
「いけるいける」
「いかれへんわ。ボケ、スピード落とせ」
 基本的にビビリのリッキーは基本的に無茶なユキの行動についていけない。しかしこの状況。リッキーにはどうすることもできない。
シャ――――、キィ――――。止まった。目の前にはホームセンター。無事到着した。こういう無茶なやつは、大体自信があって行動する。つき合わされたやつは自信がないから、いつもの二倍は怖い。
「いけたやんか~」
「いけてへんわボケ、泣くぞ」
「泣けよ」
「うるさいわ。はよ店ん中行くぞ」
 いら立ちながら、荷物を持ってリッキーは店の中に入っていった。ユキも笑いながらついていく。ご機嫌だ。
 バイク用品、ペットコーナー。多少の寄り道をしながら二人は炭を見つけた。そのとき、リッキーの右ポケットが震えた。そこには携帯電話が入っている。
ズボンの右ポケットに携帯を入れる男子は多い。なぜかは知らないが、とりあえず多い。首から携帯電話をぶら下げる中間管理職と同じくらい多い。
リッキーの携帯に着信が来たのだ。
〈もしもし、炭発見。 四百六十円ナリ〉
〈了解。チョイ待って。今見るわ〉
イトウからだった。スーパーへ向かった二人はリッキーたちより早く着いているはずだ。なぜならスーパーのほうは商店街を抜けてすぐ、あの百均から歩いて五分くらいの所にある。
「ユキ、向こう炭四百六十円やって。こっちは?」
「三キロ二百五十円」
「えっ、安っ」
「じゃあそう言っとくわ。花火は?」
「まだ見つけてへん」
「向こうなんぼやったか聞いとくわ」
〈もしもし、こっちは炭三キロ二百五十円やわ。花火は?〉
〈炭はそっちのほうが安いな。花火は手持ちセットで七百八十円、打ち上げで三千百五十円〉
〈ボクらは今探し中やねんけど〉
「花火見っけ。手持ち九百円、打ち上げ高いな。四千円」
「高いな~」
〈もしもし、花火そっちで手持ちのん買っといて。 打ち上げ高いからあきらめへん?〉
〈了解。じゃあもう一回いろいろ決めるとして、とりあえず今からバーガ屋集合な〉
〈わかった。ほな、後で〉
「よし。ユキ、バーガ屋集合やって。炭買って行くぞ」

 夏、上り坂。うだるような暑さがユキを襲う。
「はよ、こげ」
「降りろや」
「さっきの仕返しや。はよこげ」
リッキーは下り坂の恐怖を根に持っていた。
人を後ろに乗せて、大量の荷物を積んだチャリをこぐのが、どれほどきついかは容易に想像できるだろう。そう、リッキーは二人乗りで上り坂は降りるという男同士の掟を破ったのだ。
「着いた~」
「おつかれぃ」
「うるさいわ」
ユキは汗だくだ。イトウとアタルはもう着いているようで、チャリがあった。二人は荷物を持って店内に入り、あたりを見渡す。
「お~い」
 イトウが手招きをしている。アタルと二人で六人用のテーブルに座っていた。荷物も散乱していて本当に迷惑な客だ。
大量の荷物、薄汚れたエナメル鞄。『ここを家にしたい』と言うごみ屋敷の住人がいそうなきたなさだ。
そこにリッキーとユキも荷物を置いて、それぞれ百円のシェイクを買って席に着いた。
彼らは学習していた。ポテトはダメだが、シェイクは話し合いに有効だ。
紙カップの中が見えないから、どれだけ時間がかかろうとも『まだ入っていますけど何か?』的な空気を出せばいい。あと必要なのは、シェイク一つでそこにいつづける度胸だけだ。
「遅かったな」
「ユキが全然スピード出せへんからな」
「お前のせいやろ」
「いや、ボクのせいというよりはユキのせいやな」
「それより買うもん買ったし、予約するで」
三人がまた無駄な話で盛り上がりそうなところを、アタルが止めた。無駄な話で盛り上がれば、すぐに時間が経つ。いつものパターンだ。
どうしても早く予定を進めたいアタルは、そうなるのを防いだのだ。
「じゃ、誰が電話する?」
「ボクはイトウがええと思うけどな」
「ワシもイトウやな」
「俺もイトウしかおれへんと思うわ」
「なんでおれやねん?まあ皆がそう言うんやったら、やったってもええけど」
 予約をするとき、何となく『自分がするのは嫌だ』という、譲り合いの精神が働く。そこで、最初に名前を挙げられた人間は、周りから一斉に攻撃を受けやすい。
イトウの場合は頼られて、まんざら嫌でもない様子だ。
「それでは、電話かけます」
 イトウはキャンプ情報誌を見ながら、携帯電話の番号を押していく。
三コールもしないうちに電話はつながった。
〈はい、滝松キャンプ場です〉
〈あ、もしもし。えっと、キャンプの予約したいんですけど〉
〈はい、ありがとうございます。お泊りの種類はテントでよろしいですか?〉
〈いえ、あのログハウスみたいな、バンガローみたいなんに泊まりたいんですけど〉
〈はい、かしこまりました。日にちはお決まりですか?〉
〈はい。八月の十五、十六、十七の二泊三日でお願いします〉
〈少々お待ちください。二十人用と八人用のバンガローでしたら空いておりますが〉
〈八人用でお願いします。えっと、一泊八千円ですよね?〉
〈はい、一棟につき一泊八千円です〉
〈じゃあそれで予約お願いします〉
 名前やら、住所やら、電話番号やらを話して諸注意を聞き、イトウは電話を切った。
「予約、無事完了しました」
「お疲れ様です~」
「ヤバイ、今もうめっちゃキャンプ行きたい」
「ほんま楽しみになってきた」
 予約を終えたこの瞬間。このテンションの上がりようは、まさに奇跡だ。キャンプへの期待が高まったのか。どういう理由か分からないが、出発前夜と並ぶテンション上昇スポットだろう。

 テストが終わったのに授業はまだ続く。このやるせない気持ちをどうすればいいのか。『早く夏休みを下さい』という学生の声がここまで聞こえてくるようだ。
緊張感の抜けたこの時期でも、部活をしている学生にとってはまだ修羅場である。
夏は野球部で甲子園、ラグビー部で花園への予選というように、大きな大会がある。それぞれが大会を目指して追い込んでいるところだ。
 三人がいるサッカー部でも、先輩の引退が掛った試合が近づいていた。
本来は九月の選手権大会という高校サッカーの頂へ挑戦してほしいところだが、進学校ゆえに夏の市立大会で引退だ。皆クラブ活動より受験勉強を優先してしまう。
太陽がジリジリと照りつける中、チーム内の活気は今までとまったく違う。
あのリッキーやアタルでさえ、地面が震えるような大声を出していた。繰り返される練習の一つ一つに命が吹き込まれている。
 後輩にとって先輩は、あるときはうっとうしい存在、あるときはありがたい存在だ。同期とはまた違う存在感がある。
だらだらしているときは怒られた。試合に勝ったときは一緒に喜んだ。
先輩がいたずらをする対象はいつも後輩で、後輩が追い抜きたい対象はいつも先輩だった。一年しか年齢が変わらないのに、その距離はとても縮められるものではない。
スキルを教えてもらい、あるいは盗み、大人からは教えてもらえない世の中の生き方も学んだ。
そんな先輩方と、もうサッカーができないと思うと、どうにもできない憂鬱な気分になる。その気分を晴らすために、いま一生懸命にやるのだ。少しでも、一試合でも長く、このメンバーでサッカーをするために。
 先輩としても、高校最後の部活生活である。半端な気持ちではない。いつもなら笑って許せるようなミスでもいちいち声を荒げて注意する。
誰でも、部活生活のピリオドを勝利で収めたいのだ。選手権大会は無理でも、市立大会ではそれが望める。
一つ下の後輩は、入部時に未経験者がたくさんいたのに、今では十分通用するレベルになっている。
こないだ入ってきたと思った一年も、いつの間にかこの部活に欠かせない存在だ。
自分たちが引退しても十分やっていけるだろう。
もう、下のことは考えなくていい。
自分がどういう気分で引退していくのか、最高のラストにしよう。
後悔はしたくない。
できることを一つ一つやるだけだ。
この最高のメンバーと少しでも長くサッカーをするために。
 
 周囲がだらけきった空気の中、夏休みが始まっていた。
部活もバイトもやってない連中は、この長い時間をどのように過ごしているのだろう?気になるところではあるが、そんなことはどうでもいいという人間たちがいる。
自分たちのことで頭がいっぱいで、勝利だけを目指して日々練習していた。
試合を明日に控えたサッカー部では、夏休みに入ってからずっと、朝から夜までの二部練習をしている。
試合へ向けて、いろんな高校とも練習試合をしていた。チームはいい出来上がりだった。
一回戦は格下相手だったので、部員たちの緊迫した空気の中にも余裕が混じっている。
公式戦の前日はいつもより軽めの練習だ。そしていつも練習の最後に、スタメン対控えのメンバーでPK戦をするのだ。
もちろん負けたチームには罰ゲームがあって、それを避けるために両チームが本気で取り組む。
罰ゲームの内容は毎回キャプテンが決めるのだが、たいていはグランド整備をダッシュでやるというものだった。
普段グランド整備は一年がやるもので、ほとんどが上級生のスタメンチームには、勝っても何のメリットもない。
しかしスタメンである以上、たとえ練習のPK戦でも『負けられない』というプライドがある。そもそも実力が伴ってのスタメンだ。これぐらいのハンデがあってちょうどいい。
「さあ、今からPK戦やるから。分かれて順番決めろよ」
 顧問が部員たちに声をかけた。部員たちはぞろぞろと、PK戦でボールを蹴る位置の後ろ十メートルぐらいのところに座り始めた。
 蹴り手と受け手の一対一の勝負であるPK戦は、ほとんどが精神力の勝負だ。
プロでもシュートをはずすことはあるし、素人でもシュートを決めることができる。練習を繰り返すことで自信をつけ、本番での緊張感を少しでも和らげるのだ。
 スタメンチームの一番手はキャプテンだった。シュートの精度は間違いなく部内一だろう。
対するキーパーは、明日の試合でスタメン予定の二年生だ。リッキーたちと同じ学年で、今まで何度もゴールを守り抜いた守護神である。
キャプテンが定位置にボールを置く。すると、後ろで座っているほかのメンバーからプレッシャーがかけられる。
「まぁ、キャプテンは決めてくれるわな」
「なんたってキャプテンやもんな。ミスるはずないわ」
 言いたい放題である。この声だけで、蹴る本人は相当のプレッシャーを感じるのだ。
 顧問がピーとホイッスルを吹くと、キャプテンは少しの間をとってからボールを蹴った。シュー、バシッと音を立ててボールはゴールネットの左上に突き刺さった。さすがだ。
この位置のシュートはとれない。
 控えチームの一番手もゴールを決め、両チームの二番手ははずした。
スタメンチームの三番手はアタルだ。中学のときはテニスをやっていて、全国大会に出場するほどの腕前だった。それが高校でサッカーを始め、持ち前の運動神経とまれに見る左利きのおかげで、スタメンにまで上り詰めた。
高校のテニス部は彼がサッカー部に入ると言ったとき、さぞ驚いたに違いない。
彼らの気分は、食べるつもりで置いといたプリンを『いらんのやったら食べたるわ』と言って、隣のやつに食べられた感じだろう。
「アタルは、はずすな。多分、力みすぎてボールどっか飛んでいくわ」
 もちろんリッキーである。知り合いとか、仲のいい奴とか、本気で怒られない相手に対してはどんどん攻撃する。たちが悪いが、アタルには確実にきいていた。
 ホイッスルが鳴るとすぐにアタルはボールを蹴ったが、ボールはゴールポストの上を超えていく。リッキーの言った通りになったのだ。
ここでアタルにはブーイングの雨が降り注ぐ。
しかし、リッキーの間抜けなところは、次のキッカーが自分だということだった。アタルに攻撃したあとなので、アタルからも、スタメンチームからもプレッシャーをかけられた。
リッキーも高校でサッカーを始めた初心者だ。もともと運動神経が良いわけでもなく、中学のときはバスケ部を途中で辞めて、だらだらと過ごしていた。
本人はバスケ部を辞めた理由も、高校でわざわざ部活に入った理由も、人のせいにしている。でも実は、結構スポーツが好きだったりするのだ。
やれば出来る性格なのか、試合になるといつも輝いたプレイを魅せる。本番に強いのだ。そんなリッキーにとって、仲間からの冷やかし程度のプレッシャーは通用しない。
ホイッスルが鳴り、ボールを蹴った。ボールは転がって、ゴールの右隅にピンポイントで吸い込まれる。右の拳を突き上げてのガッツポーズだ。
リッキーのガッツボーズにはさまざまな種類がある。自分がいいプレイをすると、すぐにガッツポーズをするのだ。
意識しているわけではないが、ちょっと目立ちたいという気持ちがどこかにあるのかもしれない。
スタメンチームの四番手はキッチリゴールを決めたが、控えチームの四番手はシュートをはずした。
あろうことか、スタメンチームの五番手である三年のエースストライカーもシュートを外したのだ。
この先輩はサッカーの技術は一流で、後輩のいじり方も超一流だ。それだけにこういった場面では、後輩からのブーイングの嵐が吹き止まない。
PK戦は五人ずつが蹴って勝負を決めるものだ。五人で決まらなければ、そのあとは一人ずつのサドンデスになる。
そこで、勝負の運命を決める控えチームの五番手。イトウだ。
イトウも中学のときからサッカーをしていたのではない。剣道部だった。負けず嫌いの性格が良かったのか、努力家だったからか、控えの中では今一番スタメンに近い男だ。
イトウはゴールの右上を見ている。キーパーもそれに気がついている。心理戦だ。
ボールを蹴る選手は、最初から蹴る方向を決めている場合が多い。得意なコースがあるからだ。
しかし、キーパーは飛びつく方向を決めていても、直前の勘で変える。相手の裏を読む能力が、PK戦では勝敗の分かれ目となるのだ。
ホイッスルが鳴ると、イトウは迷わず左上を狙ってボールを蹴った。キーパーは逆をつかれて手が出ない。
ゴールネットに絡まったボールが、控えチームの勝利をものがたっていた。
「よっしゃ~」
イトウの雄叫びとともに、控えチームの歓喜も広がっている。
「あ~。スタメンはダッシュで整地や。ほら、走れ」
 キャプテンの声で、うなだれたスタメンチームの面々が動き出す。
実は三人しかいない三年生。昔はもっといたらしいが、いろいろな理由で退部していったのだ。
三人で三年間頑張ってきたこの先輩方の一人一人が背負うものは、今の二年生とは比べ物にならないだろう。
そんな中で皆をまとめるキャプテンに、従わないやつなんていなかった。

 準備は万端だ。やれることは全部やったし、調子も悪くない。正直負ける気はしない。メンバー達の気持ちはひとつになっていた。
 朝九時半、サッカー部はユニフォームを着てグランドの状態を確かめていた。今日はアウェーでの試合だったので、いつもより細かなチェックが必要だった。
スタメン中心のウォーミングアップもほどほどに、メンバーは気持ちを試合に切り替えている。顧問からの激励を受けて、メンバー全員で円陣を組んだ。
「今日は気合入れてくぞ」
「ウイ」
「絶対に勝つぞ」
「ウイ」
「まだまだサッカーやらしてくれよ」
「ウイ」 
「いくぞ~」
「オー」
 先輩が一人ずつ声をかけていって、皆がそれに答えていく。アドレナリンが体中に行き渡る感じがする。
最後にいつもの『いくぞ~』でテンションは最高潮だ。
 スタメンは整列し、フィールドの中に入っていった。控えはベンチに座って、その光景を見つめている。
一列に並んだホームとアウェーの選手同士が握手をし、散らばっていく。
ボールはセンターサークルの中心で、今か今かとホイッスルが響き渡るのを待っていた。
先行は相手チームだった。フォワードがボールを蹴ると、ボールはリズムよく相手チーム内を転がりまわる。
 とったり、とられたり。全選手が息を切らして走り回っている。しかし、得点は決まらぬまま、前半戦の終了を迎えた。
 ハーフタイムに顧問からの激がとぶ。
「何や、お前ら遠慮してんのか?もっと積極的にプレスかけていけ。後半もこんな試合してたら、どんどんメンバー変えていくからな」
 メンバー達も思い通りにならない自分たちのプレイにいら立っていた。イメージ通りに
事が進めばこんなに苦戦することはない。
『あのパスが通っていれば』、『あのフェイントで抜けていれば』自分のミスが頭をめぐる。『何であの時あいつは走ってへんねん』、『何回おんなじミスしてんねん』他人への批判へと変わっていく。こうしてチーム内の空気はどんどん悪くなっていた。
「いけるよ、いけるよ。負けてへんよ。落ち着いて。今までこの相手には勝ってるねんから。後半も気合入れていきましょう」
 明らかに空気が悪い中、イトウはスタメンたちに向かって声をかけていた。こんな言葉だけでどうにかなると思ったわけではないが、チームの空気を良くするのは自分の仕事だと感じていたのだ。
 控えのメンバー達もイトウに続き、どんどん空気が良くなるようにと声をかけた。人間だけが使える言葉というものを駆使して、チームの空気を回復させようとしている。
 心機一転、後半戦に挑む。両チームともメンバー交代はなかった。得点はまだないが、前半戦終了時の流れは完全に相手チームにあった。
 フォワードがボールを転がし、後半戦が始まった。
ハーフタイムを挟んだおかげなのか、全員の動きは前半戦とは異なるものだった。
『勝てる』この気持ちがチームを包んでいた。
 試合が動いたのは、後半十五分。明らかに攻め込んでいたが、一瞬のすきを突かれたカウンター。
キーパーと一対一になり、相手のシュート。
練習では見られない、ありえない動きでそれを防いだ我らが守護神。
こぼれたボールはゴールラインをわって、コーナーキックとなった。
 コーナーキックの守備練習は何回もしてきた。『いつもどおり』メンバーは声を掛け合って、自分がマークする相手を確認しあった。
少し間を空けて、相手キッカーがボールを蹴り込んできた。ボールはふわっとした弾道で、満員電車のように混雑したゴール前に飛び込んで行った。
ガッと鈍い音が聞こえた。
アタルが頭でクリアしたのだ。しかし、そのボールは運悪く、キーパーの手の届かないゴールの逆に飛んで行き、オウンゴールとなった。
 肩を落とすアタルとチームのメンバー。腕をあげ、喜び合う相手チーム。磁石のN極とS極のように、相反する反応だ。
ここで、顔をしかめた顧問が動き出した。
「イトウ、いつでも出れるようにアップしとけ」
 イトウは不意を突かれて、一瞬間の抜けた顔をした。
「ハイ」
しかしその声から迷いはなく、やる気に満ち溢れていた。
「イトウ、手伝うわ」
 いてもたってもいられなくなったのか、リッキーもイトウに声をかけた。二人は体を動かすため、ゴールの後ろにあるスペースにむかっていった。
 そして、後半三十分。
「イト~ウ」
 イトウは顧問から大声で呼び戻された。そう、イトウの出番だ。すぐに指示を受け、右サイドバックと交代した。
 イトウが右サイドに入るとすぐに、ボールがイトウへと集まってくる。フレッシュなメンバーを動かす。当然の行動だ。
 イトウもみんなの期待にこたえるべく、必死に走る。
 失敗しても、失敗しても、攻撃に守備にと、イトウは必死に走り回った。
 その甲斐あって、後半四十分。イトウのセンターリングが相手にあたり、コーナーキックのチャンスを得た。
 こうなったら、全員サッカーだ。ディフェンスはもちろん、ゴールキーパーまでもが攻める。
 コーナーキックを蹴るのは、キャプテンだ。
 サッカーで勝つためには、こういったセットプレーをおろそかにしてはいけない。事実、さっきの失点もセットプレーからだった。
 うじゃうじゃ、ごちゃごちゃとゴール前が忙しくなる。
 シュッ、キャプテンの蹴ったボールが、選手の忙しく動き回るゴール前へと入り込む。
「いけー」
 顧問が控え部員を追い抜く勢いで、声を張り上げていた。もちろん、控え部員が声を緩めていたわけではない。
 これだけの顧問の熱意が選手に伝わらないわけはない。
飛んできたボールに、敵味方関係なく五、六人が飛びついた。どこにどうあたったのか、こぼれたボールに反応したのは、三年のディフェンスリーダーだ。
「ふんっ」
 部内でもマッチョで名高いこの男は、相手を体で蹴散らし、体のどこかでボールをゴール内に押し込んだ。手にあったっていないことは確かだった。
「ピィ~」
 ホイッスルの音がグランドを包み込み、試合が振り出しに戻ったことを伝える。
この瞬間、プレーヤーも控え部員も顧問もマネージャーも、言葉にならない叫び声を発していた。
 今の時間帯での得点は、試合の流れをぐっと自分たちへ引き寄せた。
 残り時間はあっという間に過ぎ、結局試合は一対一のまま、PK戦を迎えたのだ。
「誰が蹴るんや?」
 顧問が聞いた。
「いきます」
「はい」
「じゃあ、三番で」
「次行きます」
「ラスト、やらしてください」
 三年生と、昨日のPK練習で調子のよかった二人が手を挙げた。
「よし、落ち着いてしっかり狙えよ。勝てるんやからな。みすみす勝ちを逃すようなことはするなよ」
「ウイッ」
部員全員が声をあげた。
「さぁ、もっかい円陣組むぞ」
 キャプテンがそう言い、みんなは円陣を組んだ。
「今言うことは一つだけや」
「ウイッ」
「絶対、絶対、絶対勝つぞー」
「おー」
 気合いを入れなおして、部員はフィールドに出るものと、応援するものに分かれた。
 先行は相手チームだ。
 ボールとの距離は十一メートル。キーパーの見つめる先はただ一点だった。
キッカーが出てきても、動じることなく集中し続けた。
 一球目。ホイッスルの後、パンッという音と共に蹴られたボールはキーパーの右側。飛びつくキーパー。コースを完全に読んでいた。読みが当たったのだ。
見事なパンチングで、完璧にボールをはじいた。
「ナイスキーパー。サンキュー」
「どんまい、どんまい。まだいけるで」
「ようやった~」
「おしいな。大丈夫やで」
いろいろな声が飛び交う。味方の活躍を称賛するもの。絶望に陥った仲間を励ますもの。この場にあるすべての感情が集まっているようだ。
 こちらの一番手はキャプテンだ。味方の誰もが、はずすはずないと感じていた。もちろんキャプテン自身も。
集中したキャプテンには、外とは思えないほど静かな空間が広がっていた。
 その期待どおり、蹴られたボールはゴールネットの左隅にキッチリとおさまった。一点のリードで、ますますチームのテンションは上がっていた。
 シュー、バシュ、『ワー』パン、バシッ『ウォー』の音と歓声が響き続けた。
 両チームとも三人ずつが蹴り、皆がシュートを決めた。敵チームの五番手もシュートを決め、とうとうこちらの五番手。三年エースストライカーだ。昨日は外しているだけに、チームにも緊張が走る。
『これをきめたら勝ち』仲間の思いがプレッシャーとなり、重くのしかかる。
 最後の夏をまだまだ楽しむために、『ここで決める』その思いだけで、このプレッシャーに打ち勝つべく、ボールをセットした。
 審判のホイッスルの後、エースの右足がボールに衝突し、ボールは・・・

 八月十四日。リッキー、アタル、イトウ、ユキの四人はハンバーガ屋にいた。
「明日何時に行く?」
「三時半にはついとかなあかんから、余裕持って十時には電車に乗らんと」
「期待してますよ。交通係さん」
「おう、まかしとけ。でも、スーパーで肉とか野菜買わなあかんやろ?班長」
「そうやな。リッキー、金あとなんぼ残ってるん?」
「ん~ちょっと待ってな。ええっと、まだ八千円ぐらいあるよ」
「余裕やな。じゃあ普通に九時集合で、駅前のスーパー行こや」
「そやな」
「わかった」
「みんな、スマン」
 いきなりの謝罪で、三人は一斉にユキを見た。
「どしたん?ユキ」
「ワシ、朝用事できてもたんや。二時まで抜けられへん」
旅の計画をするにあったって、一番やってはいけないこと。そう、ユキはドタキャンと言っても過言ではない暴挙に出た。
「は、用事ってなんやねん?明日行くん分かってたやろ?」
少しキレ気味でイトウはユキに問いただした。
「そうやけど。スマン。親戚のとこ行かなあかんねや」
 ユキの答えに納得できないイトウは、さらにヒートアップしてきた。手に持っている百円のコーラが、今にも飛んでいきそうだ。
「いや、それも分かってたんちゃうん?なんでもっとはよ言えへんの?」
「おい、イトウ落ちつけよ。キレんなよ」
  人一倍小心者のリッキーは周りも気にするし、なにより喧嘩の渦中にいたくない。
だから、仲間内の喧嘩は絶対に止める。あおる奴なんかがいたら、そいつを本気でぶっ飛ばす勢いだ。
「そうやぞ、イトウ。ちょっと声のトーン落とそか」
 アタルも止めに入る。このメンバーは、喧嘩がカッコイイなんて昭和の学生みたいな思想は持っていない。
「みんな、ほんまにスマン」
 ただただ謝るユキ。イトウも二人に止められてまでキレ通すほどではなかった。少し落ち着いたトーンで口を開く。
「じゃあ、どおすんの?」
「もちろんみんなは十時に行ってくれよ。ワシは後で追い付くから」
「道分かるの?」
「そこは、イトウ教えてくれよ」
「わかった、わかった。イトウ教えたれよ。ユキも後から来んねやったら、そんなサプライズすんねやから、それはそれは素敵なレクリエーションを用意してくれるんやろ?」
 リッキーはそう言って、少し暗くなった場を回復させようとした。
「期待してんで、ユキ」
 アタルもリッキーにのっかった。
「おう、分かった。期待しといてや」
「ほんま、どんだけ楽しめるんかしら」
 イトウの嫌みもほどほどに、雑談も三時間が経っていた。なんだかんだあっても、本当に仲がいい。
いざこざがあったなんて感じさせない空気が漂っている。
一人一人が皆をよく知っているから。高校に入ってからは、家族よりも長い時間を共有しているから。若さの特権、馬鹿笑いも連発していた。
 気をつけてポテト祭りをゆっくりと進行していたが、とうとう終わってしまった。
 トレーが空になると、見覚えのある気配。でた、おばちゃん。このおばちゃん店員に促されて、四人はハンバーガ屋を後にした。
「じゃあ、みんなまた明日。ちゃんと夏らしい格好してこいよ」
 班長らしい威厳でアタルは皆に別れを言った。
「どんな格好?でも夏らしい格好で行くわ。バイバイ」
 嬉しそうな顔でイトウが答える。
「ほんま、めちゃめちゃ楽しもや」
 リッキーも溢れる楽しみが抑えきれずに、顔に出ている。
「ワシのサプライズもあるからな」
 遅れて行くとはいえ、ユキのうきうきが他の三人に負けているわけではない。
 別れを告げて、リッキーとアタル、イトウとユキはそれぞれの帰路へと消えていった。
四人の心の中は間違いなく楽しむ気満々、明日から始まる冒険はどうなることかと、期待でいっぱいだ。
壮大なる冒険をいよいよ明日に控えて、皆はこの前夜をどのように過ごしているのだろうか。
今回の旅行は高二の彼らにとって初めての試みと言っても過言ではない。今までに自分たちだけでここまで計画し、旅行に行くことはなかった。
小学生の頃は、保護者や先生に連れられて。
中学生になって、遊びに行くことはあれども計画して旅行なんてまだまだしなかった。
友達の家に泊まりに行くのとはわけが違う。想像もつかない冒険が待っているのだから。
そんな特別な前夜だからこそ、四人がどのように過ごしているのか気になる。
今日しかできないことがある。今日しか感じることのできない思いがある。今日だからこその行動を見てみたい。
明日の準備をして意気揚揚と早寝しているのだろうか。眠れずに遅くまでテレビを見ているのだろうか。しなくてもいい用事に時間を費やしているのだろうか。
ただただ過ぎていく時間。自分にしかわからない心境でそれを経験していくのだろう。

朝九時、駅前にはめいっぱい夏らしい格好をした三人組がいた。さらにこの三人組はコロコロに重そうな荷物をたっぷり載せていた。
コロコロとはおなじみ、アレのことだ。よく商店街でおばあちゃんが持っている袋のついた手押し車ではない。海外旅行で見かけるあの大きなかばんでもない。
そう、あの軽いアルミのフォルム。荷物を載せた後は、自転車売り場で売っているような、伸びるロープで無理やりとめるアレだ。折りたたむこともできる。
この三人組とは、リッキー、アタル、イトウだ。
「にく買おや、にく」
「初日はバーベキューやからな。リッキーとイトウがクーラーボックス持ってきてく              れたから、何ぼでも買えるわ」
「そりゃアタルもバーベキューセット持って来てるしな。そんぐらいはなぁ」
「まぁ、家にあったからな。言うとくけど、カレー粉も持って来たから。母さんが作ったやつ」
「えっ、カレー粉って作れるん?売ってるもんばっかりやと思ってたわ。アタルの母さんめっちゃいい人やな」
「ほんまや。手作りのカレー粉でカレー食べたことないわ」
「そうなん?俺ん家はいつもこれやで」
「すげーな。やっぱ違うわ。もう育ちが違うって分かってたけどな」
 アタルは金持ち。サッカー部の全員がそう思っていた。その根拠として、部活終りのコンビに行くとよくわかる。
 例えばリッキーが部活終りの暑い夏、腹は減るがのども渇く。この状況での究極の選択。パンを買うか、ジュースを買うか。
百円でどちらを買うか悩んでいると、アタルは悩まずに二百三十円のタピオカマンゴージュースとパンを手に取った。『オイッ』思わず声に出るリッキーのツッコミは何回あっただろうか。
 毎日のことだ。高校生はお金のない生き物のはず。リッキーの悩みがいかに普通で、アタルの行動がいかに奇をてらしているか。だが、これだけでは分からないだろう。
 例えばみんなが大好きな、あの伝説の漫画のフィギュアシリーズをコンビニで発見したときの話。
「へー、こんなんでてるんや」
リッキーの言葉だ。だが、あえて高校生代表の言葉とさせてもらおう。
「めっちゃええやん。俺、今これ全部買うわ」
 アタルの言葉だ。まさかと言っていいだろう。衝動買いの大人買い。リッキー、いや高校生でアタルの行動は、脳の片隅にも浮かばないはずだ。
プロ野球選手が、いくらど真ん中にストレートを投げてきたからって、素人がホームランを打つことができるだろうか?まさにアタルはそれをやってのけたのだ。
 スーパーの中で丸っこいおばちゃんや、若い夫婦らしきカップルを見ることはよくあるだろう。
しかし、それぞれが大きな荷物を持った三人の若物を見ることは、ほとんどない。その遭遇率は、お菓子を買いに来る小学生の集団に合うより低いに違いない。簡単に言うと、邪魔だ。
 そんな三人組は、ショッピングカートを押しながら食材を吟味していた。
「とりあえず野菜からやな」
 キャベツ、タマネギ、にんじん、ジャガイモ、これらの食材がカゴへ放りこまれる。同じコーナーで焼きそばも発見した。
「んで、次は肉と」
 バラ、ロース、カルビ、ハラミなどは関係なく、安い肉が次々とカゴヘ放り込まれた。焼き肉のたれも忘れずに。ウインナーもね。
「さぁ、おっ菓子~」
 スナック菓子はもはや定番だ。イトウはチョコが苦手。でも、チョコは外せない。あめちゃん、ガム。口寂しいときの友もそろえた。小学生が泣いて喜ぶお菓子の宝箱が完成だ。
「ドリンクはいかがですか?」
 ジュースに水、お茶をカゴに入れる。お酒は二十歳になってから。ついでにレジ横にあったわらびもちも二パック。
 ピッ、ピッ、ピッ、テンポよくバーコードは認識されていく。
機械はすごい。人間の発想力、技術力は尽きることを知らない。たいした技術がなくても使いこなせる道具が暮らしやすい世界を作っている。そろばん無くして、この計算力。
「お会計全部で五三四八円になります」
 リッキーは千円札を六枚レジカウンターに置いた。カゴに詰められた食材とビニル袋を持って、アタルとイトウはいち早く詰めに入った。お釣りとレシートをもらったリッキーもそこに加わる。
「おい、これ以外に重いぞ」
「入る?」
「クーラーボックスはもう入らんな」
「じゃあお茶出して、肉入れて」
「おし、入った入った」
「残金はあと二千円ぐらいやな」
「余裕やろ。だってもう買うもん無いやろ?」
「そうやな。むこう行って包丁とまな板借りるんに五百円ぐらいかかるけど」
「自分でも金持って来てるやろ?みんななんぼぐらい持ってきてるん?」
「交通費と泊まる金除いて五千円ぐらい」
「俺は一万ぐらい」
「でた、金持ち」
「金持ちとかちゃうやん。旅行やったら、こんぐらいいるやろ」
「えっ、おれは三千円しか持ってませんけど」
「おい、もう九時二十五分やで。三十分の電車乗らなアカンのちゃん?」
「マジでそんな時間?どんだけ買いもんしとんね。いそげ、三十分のに乗るぞ。間に合わんかったら次の急行は三十分後や」
 いつも通り。彼らに時間はあって無いようなもの。ギリギリの戦いしかできないのだ。
これだけの荷物を持って駅まで走るのは、苦労以外のなにものでもない。スポーツマンの彼らにとって、体力的にきついという訳ではない。今からキャンプに行くのだから精神面も問題なしだ。
だが、普段しないことをするというのは、何かこう、慣れというかテクというか、足りないものがあってしんどいのだ。

「本気急げって」
「なんぼ?なんぼ?」
「六七十円」
 駅の券売機の前には、忙しそうに動き回る三人組がいた。言うまでもない。リッキー、アタル、イトウだ。
がんじがらめにされた荷物は逃げ場もなく、ただただ三人の言いなりだった。この荷物が間もなく悲劇を引き起こすことを、まだ誰も知らない。
 にぎやかな声を発しながら、三人組は駅のホームへと向かった。その道のりには、階段という長く険しい道が待っていた。
「うぉ~い。これ登んのかよ」
「この荷物持って~?」
「エレベーターは?」
 ティロティロティロティロティンティロリン♪
「やばい。電車来た」
「急げ~」
 三者一斉にスタートをきった。速い速い。まず荷物をものともせずにアタルが飛び抜けた。続いてイトウ。遅れてリッキー。おっと、アタル。ここでトラブルか?荷物を縛ったロープがほどけた。その間、飛び出していったのはイトウだ~。ホームに到着。電車に乗り込む。そして、振り返った~。するとそこには、散乱した荷物を集めるアタルとリッキーの姿が。一瞬迷うイトウ。しかし、ここであきらめた。電車から降りる。そして刹那にして電車のドアは閉まる。無念、イトウ。悲しい目で電車を眺める。はるかかなたへ走り去った電車。階段に目をもどすイトウ。ここで一言。
「オイッ」
 何とか荷物をかき集めた三人は、いきなり計画が崩れたのにショックを隠しきれない様子だ。議論の結果、とりあえず次に来る普通列車に乗り込むことにした。
「はぁ~。予定よりかなり時間かかるな」
「これは非常に仕方のない事態や」
「まあ別に攻めへんけどさ。せっかく予定立てたのにさ」
「もぉ、イトウしゃーないやん。今こうして平和な世界に生きれたことに感謝せな」
「ほ~、どの口がそんなステキな発言をするのかな?アタルくん」
「ふふっ。そやでイトウ。今こうやって電車の椅子に座れてるんやから。普通座られへんで~。この時間やから座れるんやで」
「そやな。よし、せっかくのボックス席やし大富豪しよ」
 トランプの代名詞と言っても過言ではないだろう。この大富豪。基本は三から始まって大きい数字を出していくというもの。
いろいろなご当地ルールがある。彼らのルールはたいてい八切り、イレブンバック、縛りありというものだ。えっ?それはどんなルールかって?聞くのではない。感じるのだ。おのずと答えは出てくるのだから。
ゲームのルールなんてものは、わかりやすいように自分たちのものにしたらいい。
十連続大富豪。アタルは強かった。現実でもゲームでも金を持っているやつは強い。
「また負けた」
 十連続大貧民。イトウは弱かった。強いカードを二枚わたす。この負のループを抜け出すのは難しい。
「まず三人やのに二枚わたすっておかしない?普通一枚やろ」
「三人やから二枚わたすんやんけ。格差が生まれへんやろ」
「格差生む必要ないやん」
「人生はそんなに甘くないぞ。イトウよく覚えとけ」
「絶対勝ったる。アタルに大貧民の辛さを教えたるからな」
 たわい無い会話や遊戯が、旅を楽しむためのスパイスなのは言うまでもない。
そういった能力にたけているのは学生だ。大人はダメだ。くだらない話を延々と話す体力がない。
特に大人の男は仕事でもない限り、くだらない話をし続けるのはほんの一握りだろう。数で言えば、夏祭りの屋台で見かけるくじ引きの大当たりと同じぐらいだ。
しゃべり遊んでいると時間は経つもので、目的地の駅が近づいてきた。
「あっ、次の駅やで」
「はい、終了。大富豪終わり」
 本日十八回目の大貧民を体験中のイトウはすぐにトランプを片付け出した。
 もちろん、ずっと大貧民だった訳ではない。いろいろなドラマがあったのだ。結果、大貧民というだけのことだ。
「片付けんのだけは早いなぁ」
「誰がだけや。早よ荷物持って降りる用意しいや」
「は~い」

 電車を降りると次はバスに乗る。三人はバス停まで、迷うことなくたどり着いた。
アタルはそこで時刻表を見上げた。
「はい、完璧。あと五分でバスが来まーす」
「何が完璧や。たまたまや」
「俺はこれを計算して、あの電車に乗ることにしたんやから」
「あんだけ迷惑掛けといて、正当化?ほんまええ性格してるわ」
「まあ、今日のボクらは意外とついてるんかもな」
「絶対いいことあるわ」
「バス乗ってたら、めっちゃ可愛い子が声かけてけえへんかな」
「イトウはいつもそんなこと言ってるなぁ」
「でも、思うやろ?」
「思うよ。当たり前やん。でも別に言うことじゃないやろ」
「ムッツリか。言ってなんぼやろ」
 思春期の学生はこんなことばかり話している。もう少し年を重ねると、このピュアさが無くなる。そして、ゲスい話が多くなる。
 恋愛話は夜になると花が咲く。夜といわずとも個室や畳、落ち着ける場所に行くと、誰からともなく始まる。
今日の夜も激論が繰り広げられるのか。今から少し楽しみだ。
 バスは予定時刻きっちり、バス停に来た。中にはだれも乗っていない。
 三人は迷わずに一番後ろの席を陣取った。他に客は五、六人乗ってきた。
地元の人だろう。おじいちゃんにおばあちゃん。あとは、三人と同じようにキャンプに行くのだろうか。いい感じの荷物を持っていた。ちいさな子供が可愛らしい、幸せそうな家族だ。
 全員が乗り込むとバスのドアは閉まり、走り出した。
 気分が高潮していたのか、イトウは意味もなく前に座った家族に話しかけた。
「キャンプですか?」
 幸せそうなお母さんは、笑顔で答えてくれた。
「そうです」
「おれらもキャンプなんですよ。」
「そうなんだ。どこのキャンプ場ですか?」
「滝松キャンプ場ってとこです」
「ああ、私たちとは隣のキャンプ場やね」
「え、ほかにもキャンプ場あるんですか?」
「そうなんよ。君たちのとこのほうが少し遠いけど」
「知らなかったです」
「滝があって良さそうやったけど、この子がいるから近いとこにしたんよ」
「あっ、可愛いですね。おいくつですか?」
「五歳です」
「なんか家族でそうやってキャンプ行くっていいですね。楽しんでください」
「ありがとう。君たちも楽しんでね」
 三人は幸せそうな家族と、一通り会話を楽しんだ。未知なる人との出会い。これもまた旅を盛り上げるスパイスだ。

 バスが終点で停まった。このバスはどれほどの山道を走り抜けただろうか。中に残された乗客は六人だった。
 リッキー、アタル、イトウ、そして幸せそうな家族だ。
「あ~、疲れた」
「一時間ぐらい乗ってたかな」
 三人は伸びをしながらバスを降りた。
 周りには山と川がある。都会のジャングルでは見ることのできない壮大な景色が広がっていた。
「こっからまた歩くんやろ?」
「そうやで。おれ、あの家族に挨拶してくるわ」
 イトウは率先して、幸せそうな家族に挨拶をしに行った。リッキーとアタルも後ろから頭を下げた。
 リッキーはアタルに話しかけた。
「抜群に圏外やな。携帯の電波ある?」
「無いわ。一本も立つ気せえへん」
「今時珍しい圏外っぷりやな。時計は使えるけど」
「予定より三十分遅れぐらいか。別に何時に行かなあかんとかないやろ?」
「三時から入れるらしい。七時に受け付け閉まるからそれまでに行けばいい」
 あいさつを終えたイトウも会話に加わった。
「せっかくこれだけ自然やし、ゆっくり行こや」
「まあ普段じゃ、ありえへん環境やからな」
「まだ二時なってへんし、時間はあるで」
「むしろ、遅れたのに時間ありすぎるやろ」
「それが俺らのいいところやんか」
「なんとかなるっていう、スゴサ?」
「そこにスゴサは無いやろ。もともとの余裕を持った計画のおかげや」
「まだまだ青いな、イトウ」
「ボク達の想いっていうものは、世界を変えるんやで」
「さいですか。また意味わからん話なってきたな」
「ちょっと、あそこ何か店あるやん。行こや」
 コロコロをペットのように引き連れて、三人は川沿いの道を歩き出した。
 幸せそうな家族は先に歩いて行ったのでもういない。本当にいい家族だった。
わけのわからない高校生に声をかけられて、あんな対応はできない。砂漠のオアシス。いや、男子校の女英語教師。いや、田舎のおばあちゃん家に匹敵する安らぎと優しさだ。
川沿いの道というのは独特の雰囲気がある。
ガードレールで隔たれた崖の下には、自然が作り出した動きの一つ、川の流れを見ることができる。川辺ではいくつかのグループがバーベキューやらキャンプやらをしていた。
ごみを持ち帰るとか、騒ぎすぎないとか、最低限のマナーさえ守ってくれれば、ほほえましい光景だ。最低限のマナーってものはそこらに書いてある。もう一度周りを見渡してほしい。
 五分ほど歩いて、三人は目的の店にたどり着いた。
「ありえへん距離やったな」
「まさか見えてるのに、こんな歩くとは思わんかった」
 そう、田舎の一本道は果てしなく長いのだ。皆も経験あるだろう。見えているのにたどり着かないというのは、想像以上に疲れる。ただ、今回は五分。長いか?
「何屋さんやろ?」
「なんでも屋みたいな?」
「あ、アイスあるやん」
「アイスいいな」
「アイス買お」
 三人はそれぞれが一番安いアイスを手に取った。
 お会計を済ませて店の外に出たとき、まず口を開いたのはリッキーだ。
「すごいな。賞味期限大丈夫かな?品数の少なさと店の暗さはさすがや」
「まぁ、それは思ったな。一品につき在庫一つやったからな」
「しゃあないやろ。この立地じゃ客こおへんもん」
「まあ、アイスは賞味期限無いって噂や」
「おばあちゃん一人でやってんのかな?常連っぽいおじいちゃんも椅子に座ってしゃべってたけど」
 内クレーマーのリッキーはよくしゃべる。物事のあらさがしや皮肉はおてのものだ。内クレーマー?堂々と文句は言わないが、裏でごちゃごちゃと文句を言う人のこと。ダメだよ。普通は嫌われるから。めいっぱいの愛嬌と、仲間の信頼があるからリッキーは許されるのだ。

 灼熱の太陽の下、三人の若者が一本道を歩いていた。各人の口にはタバコ?いや、長い草?いや、アイスの棒がくわえられていた。タバコは二十歳になってから。
 流れ出る汗はとどまることを知らず、若者の体力を奪っていく。アイスから取得した水分なんてものは、とっくに真夏の外気に吸い取られていた。
「なあ、暑い」
「知ってる」
「あ~、日焼けするわ。色白ともおさらばや」
「あんだけ毎日サッカーしてるのに、日焼けせえへんからリッキーはもう無理やろ」
「無理?ホワーイ?アイドントノウ」
「アナタヒヤケシナイヨ」
「色白で日焼けせえへん人は皮膚病なりやすいらしいで」
「そんなんゆったってボクどうしようもないやん」
「日焼け止めを塗ればいい」
「色黒になりたいです」
 日本人の肌は日焼けすると、黒くなる人、赤くなって黒くなる人、赤くなって元に戻る人に分かれるらしい。赤くなって元に戻る人は皮膚病になりやすいと噂されている。そんなこと言ったって、しょうがない。体質だもの。
 ほどなく歩くと、道が二つに分かれていた。どちらの道も先は見えなくて、看板もない。
「どっちやと思う?」
「交通引率としてはどっちなん?」
「予想外です。まったく分かりません」
「道なりって感じはこっちやな」
 多少道の大きい方は進行方向左の道だった。
「とりあえず行ってみよか」
「うん。行ってみよ」
 三人は何も考えずに左へ行った。
人生において分かれ道は多い。その分岐が二通りのときは少なくない。
例えば、コーラにするかソーダにするか。アイちゃんにするかメグちゃんにするか。文系か理系か。進学か就職か。
この一つ一つのどっちを選択するかで未来は変わる。 
もう一つの未来を見たわけではない。違う選択が良くなるか、悪くなるか、先でつながっていて同じ結果になるのかは誰も分からない。
じゃあなぜ未来が変わるのかって?経験、歴史、過去を見ると似たような分岐で迷っている事例がある。
過去の未来が今につながっているのだ。おそらくこれからもずっと繰り返すだろう。
真似して、つけ足して人は成長する。変わると信じなきゃやっていけないこともある。
一五分ほど歩いただろうか。キャンプ場らしき施設が見えてきた。
「正解っぽいな」
「そら、こんだけ歩いてハズレでしたじゃ悲しすぎるやろ」
「あ、キャンプ場って書いてるわ」
「え~と、若松キャンプ場やって」
「ボクたち行くんなんてキャンプ場やったっけ?」
「滝松キャンプ場やな」
「滝松キャ・・・え~~~~~~」
ふりだしというか分岐点まで戻った。
「はぁ~。三十分の時間は確実にボクの体力を奪ってるぞ」
「俺のもや。イトウがナイスな発見してくれたんが不幸中の幸いやな」
 ナイスな発見とは。イトウはなんと、道端に落ちている小銭を発見したのだ。
総額六七八円。何がどうなったら、こんな量の小銭を落とせるのか?誰にも発見されずにどろどろになった小銭たちは、ついに発掘された。ちゃんと警察に届けなきゃ。
「暑いし、下を向いて歩いてたら見つけたで。みんなのジュース代ぐらいにはなるやろ」
 世紀の発見の感動もほどほどに、三人はもう一つの道に向かって歩きだした。すたこらさっさと。
「今度はこっちの道で間違いないやろ」
「二つしかない道で、両方はずれはあかんからな」
 疲れているのに、歩くペースが上がっている。いや、疲れたから歩くペースが上がったのか。二十分も経つと、バンガローやテントが立ち並ぶスペースが見えてきた。
「はい、発見」
「さあさあ、キャンプ場の名前を読んでくださいな班長さん」
「発表します。滝松キャンプ場です」
「おめでとうございます。見事到着した感想をどうぞ、イトウさん」
「え~、非常に感慨深いです。ただ、時刻は二時五十分。三時まであと十分ありますけど」
「いけるやろ。十分ぐらい」
「あの建物やろ?聞いてみよや」
 二十メートルほど先に、古めかしい事務所のような建物があった。この風貌、たたずまい、間違いなく事務所だろう。事務所でないなら、倉庫だろう。倉庫でなければ、トイレだろう。
「すいませ~ん」
 アタルは建物の中をのぞきながら声を発した。
 すると、中から二人の女性が出てきた。一人は四十歳ぐらい、もう一人は七十歳ぐらいに見える。
「こんにちは。キャンプですか?」
「そうです。イトウで予約してるんですけど」
「イトウ様ですね。お待ちしておりました」
「ちょっと早いですけど、もう入れますか」
「大丈夫ですよ。こちらがバンガローの鍵になります」
 四十歳ぐらいの女性はいい人だった。丁寧にキャンプ場の案内や料金などを説明してくれた。もう一人のおばあちゃんは不機嫌そうな顔でこっちを見ている。
言葉こそ発しなかったが、見た目だけで判断すると印象は最悪だ。

 バンガローの中は広かった。八人用というだけのことはあって、四人で泊まるつもりの彼らには十分な広さだ。
「あれやな、婆さん感じ悪いな」
 誰だろう?そうだろう。リッキーだ。
「まあ、顔だけ見るとな。荷物置いたし、包丁とまな板借りてくるわ」
 包丁、まな板は事務所でレンタル可能だ。各々一日百円。
「おう。頼むわ。じゃあこれ金渡しとくな」
 リッキーは共同の財布から三日分、六百円をイトウに渡した。もちろん、さっき発掘された小銭だ。
アタルが携帯電話の時計を見ながら話しだす。
 「ユキが六時ぐらいに来るらしいから、五時ぐらいから飯の準備するか。でも、まずは休憩やな」
「疲れたな。とりあえず、おれは借りてくるわ」
 イトウはそう言うと、一人でバンガローを出て行った。
「なんか、イトウめっちゃいいやつやな」
「ほんまやな。率先して」
「悪いからボクらも、おやつの用意しとこか」
「そうやな。食べとこか」
 こいつらは、いいやつではない。待とうよ。ちょっとぐらい。
 二人は、朝買ったポテチとジュースを取り出した。紙コップは百均で購入済みだ。ジュースを紙コップに注いで、ポテチはパーティー開け。
ポテチが開かれた瞬間に、一つ、また一つとポテチは二人の口の中へ消えていく。
 五分もすると、ドアの開く音がした。
「ただ~いま・・・おぉ~い」
「おかえり。やってるで~」
「なにが、『やってるで~』や。人か使いに行ったってるのに」
「まだ乾杯はせんと待ってるから」
「ほんまに、むちゃくちゃやな。ほんで婆さんや。なかなかのイヤミやで」
「何か言われた?」
「おれ、借りに行ったやんか。ほんで、あの婆さんは『何に使うんや』やと。いや、『野菜とか切るんやけど』って言ったら、『一日百円やで』とか言ってきおったで。分かってるっちゅうねんな」
 この年頃の子は、知っていること、やっていること、やろうと思っていることについて、上目線でごちゃごちゃ言われるのを特に嫌う。
もう大人だという意識が一番強い時期なのだ。あまりに当たり前なことを言わないでほしい。ただ、都合のいいときだけの大人なので、『まだ子供だから』みたいなこともよく言ってくる。扱い注意だ。
乾杯が終わり、婆さん批判も落ち着いて、ポテチは少なくなってきた。
「今から何する?」
 まだ何も予定が決まっていない状況で、イトウが切り出した。
「そうやな。もうちょい休憩したいな」
「リッキーは愚民やな。せっかくこの環境やねんからとりあえずどっか行こや」
「まあな。でも、自分ら疲れてないん?暑いし」
「ええ、サッカー部ですから」
「あ、すいません。一応、ボクもサッカー部なんですけど」
「えっ、サッカー部なん?」
「はい、サイドバックってポジションでやらせて貰ってます」
「色白いから分からんかったわ」
「え、またそこ?」
「まぁまぁ。じゃあ、とりあえず一戦やりますか?」
「やりましょか。その後で散策行こや」
 ということで、始まりました。そう大富豪。

夕方なのに、日がさんさんと照りつけている。セミの声と小川のせせらぎは、驚くほどはっきりと聞こえ、滝の打つ音が時折風に運ばれてくる。
夏、風情という名のオーラが、キャンプ場一帯を包み込んでいた。
バンガローを後にした三人は、今日初めての荷物が無い状態で立っていた。
「どこに行くんだい?班長」
「知るわけないじゃないか。初めてだもの」
「滝は明日ゆっくり行きたいな」
「じゃあ、もうこっちの山に足を踏み入れるしか無いで」
 アタルが指さした山道はハイキングコースっぽい道だった。しかし、木々が生い茂っていてなかなか不気味だ。
「滝の道と来た道と、この道しかないもんな」
「ほな、とりあえず行ってみようや」
 とりあえず行動。若さと旅の醍醐味だ。
 三人が山道に入ると、はっきり気づくことが二つあった。
一つ目。
「なんか、寒ない?」
 めいっぱい夏らしい格好をした三人にとって、季節が変わったのかと錯覚するほどの気温差があったのだ。木々のせいで日光が当たらないのが原因だろう。だが、それだけではない何かもやもやしたものが胸の奥で渦巻いていた。
 二つ目。
「ほんでまた静かやで。ここ」
 驚くほどはっきり聞こえたセミの声と小川のせせらぎは、どこか違う国の話のように遠くに行ってしまった。意味のわからない静けさは人に不安を与える。
学校の休み時間なら『え、何で静かなったん?』と下品な笑い方をする奴が一人はいるだろうが、今の三人には該当しなかった。
 戻ってもすることのない三人の選択肢は、進む以外なかった。
 不気味、不安、恐怖、マイナスを代表する様々な感情が渦巻く。
しかし、その感情は仲間がいるという一つの安らぎに勝つことができない。
今の自分たちにできないことはない。なんたって、こいつらがいる。
はっきりとした勘違いと、ゆるぎない事実をすべてとし、三人は進んでいった。虫の一匹とも出会わない奇跡にも気付かず。
しばらく歩くと、洞窟が見えた。三人は変わらない景色に一点の突破口を発見した喜びからか、一斉にしゃべりだした。
「おい、洞窟あるぞ」
「でも、入られへんな。封印的な縄あるし」
「間違いないな。何かおるからこんな感じなってるんやろ」
「見た感じ、底に行く感じやけど先は見えん」
「まぁ、無理に入ろうなんて気はさらさらないけどな」
「ここが遊園地やったら考えてもよかったけどな」
「山じゃな。何かに取りつかれて終わりやからな」
顔を見合わせた三人は、おのずと足早になり、その場を通り過ぎっていった。
一瞬の喜びは、気づかなければよかったことだった。多少気持ちよくハイキング気分だったのが、今やいらぬ妄想で頭が埋め尽くされている。
振り払っても、振り払っても新たにマイナスの感情が湧いて出る。
洞窟を越えてからの道は次第に険しく、いっそうと木々が生い茂っていた。
「もうこれ以上進めへんで」
「そうやな。道ちゃうもんな」
「戻るか。またあそこ通るんかぁ」
「なんやろな。洞窟見るだけで、すごい鬱な気分なるわ」
「縄あるだけやのにな」
「まあ、あんなとこもあるってことやな。帰ろ」
 イトウを先頭に、三人の足取りはどんどん速くなっていた。
行きのスピードを十とするならば、帰りのスピードは三十だった。三倍のスピードで道の入り口までたどり着いた三人の汗も、出発する前の三倍だ。
体からあふれ出る熱と冷や汗で服はベトベトだった。
 洞窟を見ないふりして下ってきたにもかかわらず、行きと同様のマイナスの気を十分に貰ったようで、誰一人いきいきしていなかった。
「あっついなぁ」
「なんかどっと疲れたわ」
「ほんまに。いったん休憩やな」
 三人がバンガローへと戻っていると、受付にいたおばあちゃんに出会った。
「あんたら、祠に行っとったんか?」
「えっ祠って上の洞窟みたいなんのことですか?」
「そうじゃ。行ったんやったらちゃんとお参りしてきたか?」
「お参り?神さんいるんすか?」
「あそこはなぁ、亡くなった方が神様になって来るとこなんじゃ。きちんとお参りせんと祟られるぞ」
「すいません。知らんかったんで。あとでちゃんと参っときます」
「アタシに謝っても仕方ないわ。手合わせて頭下げるだけでもいいからな、ちゃんとお参りしときや」
「わかりました」
「うむ、ほなな」
そう言っておばあちゃんは、何やらぶつぶつと去って行った。
「なんやねんな、あの婆さん。知らんのに何であんな怒られなアカンねんな」
「しゃあないやろ。土地の風習みたいなんがあるねんから」
「ほな、参りに行く?」
「今はええわ。疲れた」
「疲れたって言うか、もうあそこ行きたくないわ」
「でも、謝っとかな怖いやろ」
「じゃあ行く?」
そう言って三人は、嫌々ながら祠に戻って『冷やかしに来てごめんなさい。これからも見守ってください』と頭を下げた。
その瞬間に、三人は肩が軽くなる間隔を覚えた。
そしてすぐに、バンガローへと戻る。今までとは全く違う空間。洞窟とはまるで逆の空気が流れているようだ。
このバンガローではまだ一日も過ごしていないのに、部室と同じような居心地のよさを感じる。
そんな中で三人の気分もさっきまでとは打って変わって旅行モードを取り返してきた。

太陽の派手な照りつけも勢いが弱まり、過ごしやすくなってきた。黄昏時、キャンプをしている人々は夕食の準備に取り掛かっている。
山歩きを終えてぐだぐだと時間を過ごした三人も、ようやく重い腰を上げそうだ。
「そろそろ飯の用意でもするか」
 提案をするのはいつもアタルだ。
「そうやな。やってくれ。見とくし」
 怠けようとするのは大体リッキーだ。
「なんでやねん。おまえはやらんのかいな。飯盒は持って来といて」
 突っ込むのはたいていイトウだ。
 絶妙なコンビネーションでいつもワイワイしながら作業をしている。実に楽しそうだ。
「とりあえず俺は炭の準備するから、イトウとリッキーで野菜と米洗ってきてや」
「オッケー」
「まかして。ついでに野菜も切ってくるわ」
 イトウとリッキーは必要な道具と野菜と米を持って、水道のある洗い場へと向かっていった。
 洗い場はあまり広くない。他に使用している人がいなかったので、二人にはちょうどいい大きさだった。
そこでおもむろに材料を広げ出したリッキーは、イトウに話しかけた。
「普段料理とかするん?」
「いやー、せえへんな。ラーメンと卵焼きが精一杯や」
「せやな、ボクもそんなもんや。卵焼きもぐちゅぐちゅするだけのスクランブルエッグやし」
 高校生の男子の大半はこんなものだ。お母さんがいるから、料理をする必要はほとんどない。
晩御飯の時間に食卓に行けば、食事はあるものだと思っている。ごくまれに、お母さんのいない日曜日のお昼がある。ただ、彼らレベルの料理が出来たら何不自由なく生きていける。
 そんな彼らでも、米の洗い方や野菜の切り方まで知らないわけではない。
幼少時代から母の背を見てきただろう。お手伝いもしてきただろう。何より、家庭科の調理実習や林間学校での飯盒炊爨を経験してきている。
当時、これらの作業は日常の繰り返しに対するスパイスでしかなかった。しかし、着実に経験として体のどこかに残っているのだ。
調理実習は、毎回眠い座学の授業に比べてウキウキが違う。
最初の楽しみは、グループ分けだ。可愛い女子と同じグループになろうものなら、頑張りは普段と比べ物にならない。
逆に、期待しすぎると、あこがれていた理想が崩れる場合もある。
こういった経験をしてきた二人は、包丁やピーラーをなんとなく使いこなして野菜の下準備を終えた。米を洗うのも一瞬だ。
飯盒炊爨で男子がまずやらされるのは、火おこしだ。
最初は何人かでやっているのだが、だんだんと人が離れていく。最後に残されたものは、選び抜かれた職人だ。
一通り終わった後に、一番頑張ったともてはやされる人物で、少しモテた気がする。
アタルは一人で黙々と火をおこす準備をしていた。彼も職人の一人なのだろう。次々と積まれていく炭は、キャンプファイヤーの薪ように規則正しく並べられていた。
あとは火をつけるだけ。その時、アタルは気づいた。
「あぁ、そうやった」
 思わず出た独り言。一つの記憶が脳内を駆け巡ったのだ。
 アタルが記憶によって打ちひしがれていると、仕事を終えた二人がひょこひょこと帰って来た。
「米と野菜やってきたで」
「俺も炭の準備はできてんけどなぁ。ご飯は炊かれへんわ」
「なんで~?炊いといたらいいやん」
「ちゃうねん。火がないねん」
 アタルの一言で、記憶はイトウとリッキーにも乗り移った。
「そうか。着火マン持ってんのユキか」
「せやねん。準備できてるけどユキ来るまでご飯も炊かれへん」
「しゃあない。もうええ感じの時間やろ。ユキ迎えに行こ」
「そうやな。いったん準備はおいといて、行こや」
「俺はご飯の火見とくつもりやったけど、三人で迎えに行くか」
 今からする行動が決まったわけだ。ぐずぐずしている暇はない。徐々に消えゆく太陽に向かって、三人の男たちは歩んでいった。
夕日に向かう男たちは、なぜにこんなに勇ましいのか?人の心理を完全に知ることはできないのだろう。この光景が美しいと思える人たちと同じ夕日を見てみたい。

 見慣れた道だった。なぜならついさっき通った道だから。一度通った道を見慣れたと言っていいのだろうか?いいのだろう。
ふとした時に見せる高校生の記憶力。これを侮ってはいけない。それが若さと呼ばれる力なのだ。
「同じ道とは思われへんほど楽勝やな」
「もうバス停や」
「荷物無いだけでこんなに違うねんな」
三人がバス停にたどり着きそうになったちょうどそのとき、バス停からバスが出て行った。
「おっ、ジャストタイミングやな」
「ユキおるんちゃう?」
しかし、バス停のベンチにはおばあちゃん二人がしゃべっているだけだった。
「あれ、まだ来てないんかな」
「じゃあ、次のんで来るんちゃう?」
 イトウが時刻表を見に行った時、ベンチのおばあちゃんの一人が話しかけてきた。
「バスはさっき出ていったんが最後じゃよ」
「あ、来るやつを待ってるんですよ」
「終点じゃから、最後に来たんに乗していって終わりなんよ」
「えっ、ほんまですか?さっきのバスにおれらぐらいの子乗ってました?」
「さあ、ちょっと分からんわ。でも降りたんはみんな向こう行きよったよ」
「そうですか。ありがとうございます」
 イトウはお礼を言って二人の方へ戻ってきた。
「聞いた?」
「聞こえた。はよ探さな。迷子やで」
「急ご。暗なってきた」
 そう言って、三人はおばあちゃんが示した道、つまり今来た道へ走りだした。
街灯のない道は、日が沈むにつれてどんどん暗くなり、今では数メートル先しか見えない。
「やばいな、ほんま暗い」
「さっき、俺らが最初行った方のキャンプ場の道に人影見た気するねんけど」
「ほんまに?とりあえず行ってみよや」
「ユキー」
 みんなが走りながら大声で叫んでいた。恥なんて関係ない。
仲間が心細くいるかと思うだけで心が痛む。大声出して走るのは慣れたものだ。いつも部活でやっている。・・・いつもは言いすぎた。本気の時は、やっている。
 三人がキャンプ場に着くまで、人には出会わなかった。
「うわ、誰もおらんやん」
「どうする?」
「どうするも何も、探すしかないからな」
「とりあえずこっちじゃないってことは、もう一個しか道ないから帰ろ」
「そうやな、行こ」
 また同じ道へと走り出した。
尽きることない体力。わずかな時間だが、運動をしていない者たちにはまねのできない距離を走っている。普段からの運動こそが、体力を作る。
そんな若者たちが同じ道を走り、元いたキャンプ場まで戻るのに、多くの時間を必要としなかった。
世間で言うところの『あっという間』よりはかかっているだろうが、宮本武蔵が言うところの『待たせたな』よりははるかに速い。
「真っ暗や。事務所の光がうっすら」
「戻ってきたけど、おらんやん」
「はぁ~、迷子やな。警察?」
 三人は滝松キャンプ場の入口らしきところで話し込んでいた。
「おいっ」
 暗闇の中から、かすれた声がした。
 そんな声が聞こえるとは予想すらしていなかった三人の体は、当然のようにびくついた。
 あまりの驚きに、声を発することもできなかった三人が振り向いた先には。そう、ユキがいた。
「おまえっ」
「ビビるやろ。どこおってん」
「いや、ワシ普通にそこ座ってたやん」
「いやいや、俺らそこ通ったやん」
「誰も気づかんかったけど」
「ワシも聞いた声やな思ってな。誰も声かけてけえへんから」
「にしても、暗闇でユキの声は怖すぎる」
「そんなこと言うなよ。かわいい一七歳の声やんけ」
「酒焼けのおっさんの声やからな」
「誰がやっ」
「でもよかったわ。迷子ならんで」
「ほんま、あとちょいで警察沙汰やったから」
「聞こえっとったけど、大げさやろ」
「でも、山やし、ユキやし」
「ん?どういう意味」
「いや、頼りなさすぎるから心配すぎる」
「言いすぎ~」
「まぁ、合流できてなによりや。それよりユキ、大事な話がある。火持ってきた?」
「ん?なんや、火て?」
「着火マンや」
「持ってへんよ」
「はぁ?ユキが持ってくる分って持って帰ったやろ」
「あ~、忘れてた」
「忘れてたちゃうやろ。どうすんねんて」
「ほんま、スマン。何とかしてくれ」
「何とかて。どうする?アタル」
「まぁ、無いもんはしゃあないから、買うか」
「そこで?」
「そうやな。まだ開いてるかな?薄暗いけど」
「七時前。いけるでしょう」
「ゴー。イトウ」
「えっおれ?ユキやろ?」
「いや、ワシはイトウしかおらんと思うわ」
「ボクもイトウしかおらんと思うで」
「俺もイトウやと思うわ」
「え~、なんで?もう分かったわ。行ってくるわ」
 なんだかんだ言ってイトウはいい奴だ。みんな分かっている。
 ユキが見つかったことで、さっきまで走っていたことなどはすっかり忘れている。ほっとした感情が些細なことなどかき消しているのだ。
 イトウはルンルン気分で、受け付け事務所の小屋に向かった。
 安堵感に包みこまれたリッキーとアタルもユキを引き連れて、寝床のバンガローに帰って行った。
 都会では見ることのできない美しい星空に包みこまれる中、四人が揃い、改めてこの旅の始まりとなる。

 キャンプ場の中で、バンガローが何軒か連なっている一角がある。その一角の二段目にある右から二つ目のバンガローに彼らは泊っていた。
 夕食の準備をしなければならないので、ゆっくりしている暇はない。
しかし、ユキがたどり着いたのだ。ゆっくりしないわけにはいかない。実際、走り回ったので体も疲れていた
 長旅を終えたユキにねぎらいの言葉をかけるわけもなく、盛り上がる三人の部屋にイトウが帰ってきた。
「おう、買ってきたぞ」
「ナイス。イトウ火つけといて」
「おう、任せろ。ってまてまて、買い出し行ったし手伝えよ」
「文句ばっかしやな、イトウは」
「リッキーよりはましやけどな」
「なんですと~」
「よし、作ろ作ろ。腹減ったし。火は任しとけ」
 炭に火をつけるのはアタルだ。なんていったって職人なのだ。
「あれ?なかなかつかんな。炭湿気てるんかな」
 そうはいっても職人だ。
「着火剤無くなったな。これ火つくんか?」
 職人なのだ。
 職人の腕で、一時間後に火はついた。
「なあ、マジで」
「ほんまに頼むで」
「いや、頑張ったでしかし。飯盒の方はすぐついたんやけどな」
「すぐ言うても、三十分ぐらいかかってるけどな」
「問題は着火剤が足らんかったってことや」
「よう、任しとけ言えたもんやな」
「はいはい、肉食べよ」
 宴会は始まった。ユキが迷子になったことなんて、無かったかのように。職人が火をつけるのに手間取ってなんかいないように。
会話が溢れ、笑いがとどまることはない。至福の時間が始まったのだ。
 バーベキューの主役は何と言っても肉だ。特に学生時代など、肉だけでいいと思える時代かもしれない。
 そんな肉も、いつまでも主役でいられるわけではない。特にこの四人は、そもそも大食いではないのだ。
三十分も経てば、肉は焦げた塊となっていた。
皆さんも経験ないだろうか?おなかがすいた状態で大量に食べてやろうと思ったら、思ったほど食べられずにおなかだけは膨れるという現象。
その現象も手伝って、お肉はどんどん焦げていったのだ。
「あかん。もう無理や。後食べて」
「俺も無理。どうぞ」
「おれも無理です。ユキ?」
「おっしゃぁ、片づけちゃろ」
 ユキはそう言って網の下に焦げを落としていった。焦げは見事に炭と一体化した。
「いや、食えよ。もったいないやん」
「食えんもん。それに、もう焦げすぎやん。癌なるわ」
「癌ってなんやねん」
「知らんのけ?焦げを食べすぎたら癌なんねんぞ。防ぐには味噌汁を飲まなアカンねん」
「マジで?知らんわ。ほんまなん?」
「そうやで。アタルとイトウは知ってるやろ?」
「いやー。初めて聞いた」
「おれも知らん」
「教養不足共か。ほんまやで。覚えときや」
「まぁ、ユキの言うことやからほんまかどうか」
「ほんまもほんま。じゃあ焦げ食えばいいやん」
「いや、もう食えんしやめとくけど」
「普通に焦げとかいらんし」
「そんなん聞いて食うはずないし」
「いや、信じてるやん。素直じゃないなぁ」
 結局多くの焦げ、いや、犠牲を残して宴会は御開きとなった。四人は後片付けもほどほどに、そそくさとバンガローに入って行った。パンパンの腹を押さえながら。

 バンガローでは、参加者が一人増えて大富豪が行われていた。参加者が増えたからといって、大貧民はやっぱりイトウだ。デフレスパイラルのように悪い方悪い方へ向かっていく。もはや宿命かと思い始める勢いだ。
「誰か革命を起こしてくれ。もう、勝てる気がしない」
「イトウの弱さは今に始まったことちゃうけどな」
「じゃあ、この勝負終わったらこの後の計画たてよな」
「大富豪がすべての決定権を持つんやろ」
「それおもろいな」
「いや、じゃあもうおれ決定権一つもないやん」
「まだわからんやん」
「おれ、もう三回連続パスですけど」
「ジョーカーだしいの、はい革命。で、あがり」
「来たー。おれの時代や」
「甘いな。はい、俺もあがり」
「おぉ、ユキとの一騎打ちか」
「リッキー、ほんまいらんことしてくれたわ。勝てへんし」
「そういう時代や。あきらめろ、ユキ」
「最後に四で、おわり。久々の格上げじゃ~」
「ワシの負けか~。よし、なんでもこい」
「じゃあとりあえず、肝試しいっとこか。大貧民と貧民で」
「なんで、おれもやねん」
「一人じゃさすがにかわいそうやん。優しさやって」
「全然おれに優しくないやん」
「イトウ。そういう時代や」
「なんやねんそれ。流行らすなよ」
「じゃあ、行ってみようか。あの道」
 大富豪の指令によって、しぶしぶ肝試しが開催されることとなった。
 肝試しといっても、なにか脅かす用意をしているわけではない。ただただ歩いてくるだけだ。
その歩いてくるだけが大変な時もある。なんたってあの道だ。この暗闇の中で、はたして無事に帰ってこられるだろうか。

深い深い闇とは、まさにこの光景を指すのだろう。月の光も入ってこない林道からは、もはや恐怖しか伝わってこない。さっきまでのお祭り騒ぎで忘れていた、あの夕方の嫌な感じが三人の記憶を呼び戻す。ユキだけは未経験だ。
「ほんまに行くの?」
「うん。とりあえず行ってみて無理やったら戻ってきたらいいんちゃう」
「そうか。行くか、ユキ」
「暗いだけやろ?ビビりすぎやわ」
「ちゃうわ。祠あって、神様おんねん」
「神様は怖ないやろ」
「いや、亡くなった人がなんとかって言ってたし、ほんまに生気吸い取られる感じやで」
「マジで?それは怖いな」
「イトウもユキも任せろ。俺らが見届けたる」
「後のことはボクらに託せよ。グッジョブ」
「まだ、働いてないわ。くそ~、富豪にさえなってれば」
「ちゃんと、手だけは合わせてこいよ」
「冷やかしはアカンからな」
「簡単に言うな」
「ま、行ってみるか」
「のんきな。後悔すんで」
 そして、二人は暗闇の中へ一歩一歩足を踏み入れていった。
「よし、ユキはまずついてこいよ」
「おう。ついて行くわ。なんかすでに若干頭が痛なってきてるけど」
「おい、大丈夫か?まぁおれは夕方体験してるから、耐性ができてるんかも知らんな。最初来た時は、ほんまこのまま死ぬんちゃうかなって思ったからなぁ。でも、おれもちょっとゾクゾクってきてるわ。これまずいかな?帰ろか~。いや、でもな~。ここまできたら男みせるとこやろ。あ、でもあいつらにはどこまで行ったかなんて分からんもんな。でも、もうちょい頑張ろ。しかし、静かやな。もうちょい音あっても怖いけど、静かすぎんのもめちゃめちゃ怖いな。うわー、ちょっと汗かいてきたな。歩いて暑いんもあるけど、やっぱり冷や汗が半端ないわ。エンドレスで出てくるし。もうさっきの肉が全部消化されたんかな。今日はほんまに汗かいてるわ。来る時も荷物重いのに結構走ったし、ユキ探す時も走ったしな。せっかく部活休んできてるのに、部活以上に走ってるかもしらん。洞窟までもうちょっとやったかなぁ?って知らんわな。初めてやもんな。あ~、もうしゃべっとかな怖あてしゃあないわ。さっきからおればっかりしゃべてるし、ユキも何かしゃべれよ」
 そう言って、イトウが振り返った先に人影はいなかった。
「あれ?ユキどこいった。ユキ?」
 暗闇を持っているライトで照らしたが、ユキの姿は見当たらない。イトウの顔から血の気が引いていくのがわかる。
 入念にライトで道を照らしながら、イトウは急いで来た道を戻りだした。
 
 驚くほど数多の星を有する夜空とは対象に、真っ暗な林道がある。その林道から、一点の光が見えた。それは、ライトを持ったイトウだった。
 その姿を見て、リッキーとアタルは手を振った。
「おかえり。どうやった?」
「あれ、ユキは?」
 リッキーとアタルはイトウが戻ってくるなり、話しかけた。
 汗だくになりながら、肩で息をするイトウのすがたがそこにあった。
「まだ、帰って、きてない?途中で、おらんように、なってん」
「いや、帰ってきてないで」
「また行方不明?神隠しやな」
「道、照らしながら、帰って来たけど、おらんかってん」
「イトウも、尋常じゃない汗やで。一回小屋帰った方がいいんちゃう?」
「そうやな。いったん帰ろ。ほんで、俺らもライト持って探しに行こう」
「おれは、もう一回行ってくるわ」
「いや、休んだほうがいいって」
「でも、心配やんか」
「疲れすぎやから。やっぱ、長いことここおったらあかんねんて」
「やっぱ、遊びで行くとこちゃうかったな」
「わかった。じゃあ、頼むわ」
 イトウを引き連れて、三人はバンガローへと向かった。イトウの疲れからか、歩くスピードもゆっくりになっている。
終電後の駅で歩いている酔っ払いのようだ。
 バンガローについて鍵を開けようとすると、鍵は掛っていなかった。
「あれ?鍵閉めて行かんかったっけ」
 アタルがそう言ってドアを開けると、そこには人影が。
「なんやねん。ビビるわ。ほんで何でおんねん?」
 そう、そこにはまたしてもユキがいた。
「え、頭痛なったから普通に帰るわ言うて帰ってきたやん」
「知らんし。おれ聞こえてへんわ」
「にしても俺らも知らんかったで」
「えっ、普通に横通って帰ってきたやん」
「いやいやいや、知らん知らん。怖いわ~」
「ほんま、見つかったからええけど、イトウそのまま探しに行くとこやったで」
「そうやったんか。悪いなイトウ。すまん」
「ええけど、気つけてや。今度から誰かにちゃんと言ってや」
「おぅ分かった。ほんますまんな」
 ひと騒動も何とか解決し、四人は平穏な時間を取り戻した。
それにしても、ユキはいつの間に戻ってきたのか。声をかけたと言っているが、三人の目にも耳にも入ってこなかったのだから。
しかし、疑問を追及することも無く、平穏な時間を大切に過ごすため、長い夜に向けての計画が考えられていた。
 花火。あの時、どこで買うのが安いか悩んで買った花火をする時が来た。
手持ちだけで無く、単品のロケット花火や打ち上げ花火も購入済みだ。
 花火大会なんかのでっかい花火に比べれば、キレイさは桁違いに低い。
そんなことは分かっている。
しかし、気の許せる仲間と一緒に過ごせる時間。しょぼい花火で、はしゃぎまわれる瞬間が楽しいのだ。そんな楽しい祭典が、今まさに始まろうとしていた。

 星空に負けないぐらいの火花をまき散らすために、四人の男が立っていた。足元には水が入った入れ物があり、その隣には着火マンがあった。
 今から花火をするというのがばればれのシチュエーションで、誰もが想像する通り、花火に火がついた。
「ちょっと、おれのもつけてや」
「おい、危ないやろ。こっち向けんなや」
「ちょー楽しい。ほれ、ほれ」
「危ない、アタルはドエスか」
 いつのことからだろうか。性格や行動が攻撃的な人間をエス、受けたがりの人間をエムと呼び出したのは。
この名称は多くの場合に当てはまる。
特に、学生の日常の絡みはいつもそうだ。エスの人間が、誰かにちょっかいをかける。この誰かとは、主にエムの人間のことだ。
エムの人間も『やめてーや』と言うが、本当に嫌がっているわけではない。
しかし、やりすぎ、エスとエムのバランス、人間関係が良好でないと、いじめにつながる可能性がある。注意が必要だ。
 このメンバーの場合、エスはアタルとリッキーでエムはイトウとユキだ。
 アタルがユキに花火を向けて、ユキが逃げた先にはリッキーが花火を構えている。チームプレイはばっちりだ。絶対にまねをしてはいけない。
 打ち上げ花火に点火しようとするイトウを後ろからリッキーが押すという、一連の流れをユキが笑っていたら、そのユキを花火の方に押すのはアタルだ。絶対にまねをしてはいけない。
 ロケット花火が手持ち花火になり、線香花火が落ちたころ、四人の花火大会は終焉を迎えた。
「花火って楽しいけど、もう終わりかって感じがすごい嫌やわ」
「そうやな。ものすごい寂しくなるよな」
「楽しかったからこそ、終りが寂しいんやろな」
「どしたん、ユキ。まじめなこと言うやん」
「生まれてから、まじめなことしか言ったことないやんけ」
「あっ、戻ったわ」
「おい」
「でも、花火も終わったし、今日のイベントも終わりやな」
「なかなか、内容の濃い初日だったんじゃございませんでしょうか?」
「そうやな、色々あったな。誰かおらんようなったり、誰か迷子なったり」
「それ、ワシや。ちゃうわ、迷子なってへんし。みんなが知らんかっただけや」
「ほんま、ユキおらんとこでも色々あったからな。アタルが荷物崩して電車間に合わんかったり、イトウが金拾ったり」
「そんなんあったんか。部屋でまた聞かしてや」
「よし、じゃあ戻ろか」
 花火の後片付けを終わらして、四人はバンガローへと向かう。ここは今の四人にとって家であり、心休まる場所となっていた。
 四人は吸い込まれるようにバンガローへ入って行った。その中からは、今まさに宴会が始まったかのような笑い声が聞こえる。
彼らにとって一日の活動の終わりは、始まりなのだ。まだまだ寝るには早すぎる。
お菓子とジュースでパーティーが始まった。

 夜も更けて暗闇が広がる集落に、一点の明かりが灯っていた。辺りの静けさとは裏腹に、その明りの先のバンガローからは笑い声が聞こえてくる。
 笑い声の主はユキだ。今日あった出来事を聞いて、笑いが止まらないようだ。そこまで笑うほどのことでもないだろうに。よほど他の三人の話し方が上手かったに違いない。
「いやー、おもろいな。そんなことあったんけ。ほんで、どうせリッキーは文句ばっかり言ってたんやろ?」
「そうやで」
「おい、やめとけ。ボクがいつも文句ばっかり言ってるみたいやんか」
「そうやん」
「その言い方傷つくわ~」
「そうや。話変わるけど、お前らサッカーの試合どうやったん?」
「試合?こないだの市立大会のこと?」
「そうそう」
「誰にも聞いてないん?」
「うん。夏休みやし、誰にも会ってへんもん」
「そうか。めっちゃおもろかったで」
「いい試合しててんやんか。最初は誰かのオウンゴールで負けてたけど、最後にマッチョ先輩のゴールでPK戦なってん」
「言い方、気付けて。ほんまに先輩らの引退試合かもしらんとこで、ゴール入った瞬間、頭真っ白なったからな。普段は全然気にせえへんのに、みんな気にすんなよとか言うからよけい惨めなるねん」
「なに、アタルがオウンゴールしたん?めっちゃおいしいやん」
「言い方、気付けて」
「ほんで、PK戦もすごかってんで」
「もうこっち勝ってて、最後あの先輩が決めたら勝ちやってんけど、びっくりするぐらい上飛んでいったからな」
「今やからこそ笑って言えるけど、あの時はみんな顔真っ青なったからな」
「あんだけ人いじるん上手い人でも、よっぽど緊張で力んでたんやと思うわ」
「そのあと、ぽーんて決められて、うちの一年のフォワードも相手のキーパーに止められて、負けちゃった」
「それは、凄い試合やったな。客として見てたらめっちゃおもしろそうや」
「でも、最後はほんま感動したで」
「先生も泣かしにきてんのかってぐらいいいこと言うし、先輩らも泣きながら俺らにありがとうとか言うし」
「結局、ボクらも全員泣いてたからな」
「泣くんとか、かっこ悪いって思ってたけど、みんなほんまかっこよかった」
「ええなぁ、ワシもそんなんしたかったわ」
「辞めるからやん」
「しゃあないねん、家庭の事情や」
「まあな」
 ユキの言う家庭の事情とは、家事である。小学生の弟を持つユキの家庭では両親の離婚があり、昨年から母親がいないのだ。
子供は二人とも父親が引き取り、家事はユキの仕事になってしまった。
 そんな事情を知らないサッカー部のメンバーは、ユキが辞めるといった時に必死で止めた。しかし、ユキの意思は固く、止めることはできなかったのだ。
 後日、イトウを介してその理由を聞いたメンバーは、どうすることもできない歯がゆさからか、あえてその問題から遠ざかるようになった。
 こうしてユキは、いつの間にかサッカー部のメンバーではなくなったのだ。
「眠なってきたわ。もう寝る?」
「ええ時間やな」
「たらふくお菓子食べた後で、完全太るけどな」
「よう、食べたで。あんだけ腹パンパンやったのに」
「意外と時間経ったら食べれるもんやな」
「じゃあ、おやすみ」
 談笑も長時間にわたり、四人の睡魔もピークに達した。枕も布団もない中で、各々が浮き輪を枕にしたり、バスタオルを布団にしたりしていた。
 真夏だというのに、山の夜は異様に寒いのだ。半そで半パンしか装備していない者には、極寒が待っていた。
 それでも、疲労がたまっている若者たちだ。あっという間に、意識を夢の中へと持っていった。

 からりと晴れた大空に、蝉の声が鳴り響く。そんな、さわやかな朝に似合わない寝相の四人だ。
 携帯電話のアラームがとめどなく鳴っている。その中で、むくりむくりと一人ずつが起き上がる。誰一人としてシャキッとしている者はなく、全員眠そうだ。
「何時?」
「アラームは九時にセットしてるよ」
「眠い。もうちょい寝る?」
「あかん。もったいない。やることはあるで」
「てか、寒い。風邪引くわ」
「外出たら、多少あったかいかも」
 寝起きの体に鞭打って、四人は外に出た。
木でできたベンチに座り、スーパーで買ったパンを口の中に放り込む。コーラで流しこんだら朝食の終了だ。
 朝食が終わると、次にすることはもう決まっている。昼食の準備だ。
結局だらだらと過ごし、もう十時。
昨日のことを考えると、火をつけるのに一時間かかるので、そろそろ準備をしないと十二時までに昼食を食べれない。
 食事をとること、作ることはキャンプにおいて一大イベントなのだ。この場合、眠い朝の朝食は除く。
 アタルが『やることはあるで』と言ったものの、キャンプ場周辺で行けるところは、滝と滝の流れ込む川しかない。
いや、あるのかもしれないが、アタルのリサーチではこれだけなのだ。
「ちょっと、早いけど飯作ろか」
「頭ボケてきたんけ?今飯食ったやん」
「昼飯やん」
「腹減ってへんって」
「でもどうせ一時間ぐらいかかるし、飯食ってから川遊びの方がいいやろ」
「それはそうやな」
「じゃあ、またアタルに火つけてもらおか」
「その間、おれらどうする?」
「トランプ?」
「待て、手伝いなさい。遊ぶのだったら手伝いなさい」
「アタル、そういう時代や」
「仕返し?もうええわ、やるわ」
 そうは言っても、仲の良いメンバーだ。トランプをすることもなく、アタルが火をおこす周りでしゃべっていた。誰一人、火おこしを手伝うこともなく。
 手伝う、手伝わないが問題ではないのだ。ただそこにいて、孤独を感じさせないということが非常に重要である。
 そのぐらいの親切がちょうどいい。『小さな親切、大きなお世話』ということにならないようにすることが大切だ。
 これが、親切な怠け者の考え方である。
 アタルはそんなこと分かりきっていた。今まで数々一緒に怠けてきたリッキーが手伝うはずないし、その空気感はイトウやユキも巻き込んでいる。
別にそれでいい。火おこしは自分の仕事だ。一般人が職人の仕事に口を出してもらっても困るのだ。
 かかりにかかった火おこしは、結局一時間。自己記録の更新には至らなかった。
「結局、一時間かいっ」
「そんなもんや。みんな一時間ぐらいかかるもん違いますかね?」
「縄文時代か」
「着火剤が無いから、縄文と同じようなもんですよ」
「ほんなら、まあ焼きそば作ろや」
「肉入れて、キャベツ入れて、そばでソース」
「肉に焼き色着いて、キャベツしっとりしたらそば投入やろ」
「そうやな」
「まぁ、こんなもんやろ」
「できあがりやな」
「いただきます」
 ソースの焦げた良いにおいが辺りを漂う。普段は、お湯をいれたら完成の焼きそばしか作らない人種でも、自分たちで焼きそばを作ることができるのだ。
ところで、お湯を入れたら完成の焼きそばは、ゆでそばではないのかと疑問に思う今日この頃だ。
外で作った焼きそばのおいしいことは、計り知れなかった。ぜひ一度経験してみてほしいものだ。

時間は十二時。日が昇り、一日で最も暑い時間帯に移り変わろうとしている。雲ひとつない空が、暑さを援護しているようだ。
食事時。しかし、食事を終えた者もいる。当然だ。世界は広いのだから。
「おいしかった」
「飯食ったし、ついに滝やな」
「今回の旅のメーンイベントでございます」
「おー、楽しみ。あれ、ユキ水着は?」
「忘れたんや」
「まじで?ほんでそんな長ズボンで行くん?」
「川の方行ったら裾めくるから何とかなるやろ。短パンもないんじゃ」
「残念やな。まぁ、人ごとやからどうでもいいけど」
「ひどっ」
「よし、行くぞー」
四人はそれぞれの川ファッションを身にまとい、勢い勇んでバンガローを後にした。目的地はもちろん滝だ。滝につくまでには、川が流れている。この川に沿って、遊びながら滝に行くというのがプランだ。
川までたどり着いた四人は、記念すべき第一歩を川に踏み入れた。
「冷たっ」
「こんな冷たい?滝までたどり着けるかな」
 どんな暑い日でも、体の一部を水につける瞬間は冷たく感じる。
例外として、午後からの学校のプールみたいに、ぬるいと感じる場合もあるだろう。その冷たい水に慣れるのも水遊びの醍醐味だ。たいていはすぐ慣れる。
「いっそ、体つけてしまおかな」
「よっしゃ」
バシャー
「おい、水かけんなよ」
「よっしゃ」
 バシャバシャ
「やめてー」
 標的になったのは、イトウだ。スナイパーはアタルとリッキーで、ユキは水着でないため、不参加となった。
 この水の掛け合いは非常に盛り上がる。小さな子どもから大人まで、とても楽しめる遊びだ。
ルールなんてものは無い。いかに相手に水をかけて、大きな声を出させるかがポイントだろう。
カップルなんかでやったら、周りをいら立たせること請負だ。同性同士でやると本気度が増して楽しいが、これも周りに迷惑をかける。何事も加減が必要である。
 岩がごつごつした場所や水の深い場所、思いのほか滑る場所など、数々の難所を越えると、その先には滝が待っていた。
 十五メートル位だろうか、そんな高さから水がものすごい勢いで落ちて来る。日本の絶景や世界の絶景のような、テレビで見かけるほどではないが、四人の心には十分残るものだった。
 滝つぼは跳ね返りの水しぶきでよく見えない。マイナスイオンが大量に発生していることは間違いないだろう。
 この神秘的な風景こそが、地球が数えきれない年月をかけて創りだしたものなのだ。
 そんな地球の恩恵を受けながら、四人は水しぶきを浴び、マイナスイオンを感じていた。
 その時、滝つぼに人が降ってきた。
「人落ちてきたで」
「事故?」
「ちゃうわ。上がってきた」
「あ、飛び込んでんのか」
「びっくりした」
「楽しそうやな。やる?」
「ボクはええわ」
「俺もええわ」
「ワシもええわ」
「あ、そう。じゃあおれもええわ」
「なんで?やって来たらいいやん」
「そうや。やりいや」
「一人で寂しいやん」
「寂しないって。ここで見といたるやん」
「そうか。じゃあ行こかな」
 一人で行動したがらない最近の学生にはめずらしい。
 よほど飛び込みたかったのか、それとも面白いことが起きそうな予感がしたのか。
 イトウは一人で飛び込みに行った。飛び降りるポイントは、滝の半分ぐらいのところだ。
よく見ると、そこには二人の人がいる。
 イトウがポイントにたどり着くまで、さほどの時間を必要としなかった。
イトウより先にそこにいた二人は、小学生高学年ぐらいの少年だった。おそらく地元の子供だろう。
日に焼けて、いかにも『夏休みを満喫しています』といった様子だ。
 社交的なイトウは、あれよあれよと言う間に、その子たちと同じ時間を共有した。つまり仲良くなったのだ。
 滝の中腹でイトウたち三人が盛り上がる中、滝の下ではほかの三人も盛り上がっていた。
ユキも水着を着ていないことを忘れているようだ。びしょびしょである。
「イトウ飛んだ?」
「まだみたいやな。なんか、先おった子らとめっちゃしゃべってるけど」
「はよしてくれへんかな?」
「待ったってんのにな」
「ビビってんちゃうん」
 自分たちではやし立てたくせに、人の行動にはいちいち厳しい。
「あ、一人飛んだ。でもイトウじゃないか」
「結構高いな。見てるだけで若干怖いな」
「次飛ぶっぽいな。行くか、行くか」
「行かない。ビビってんな」
「次こそ。行った」
 ばしゃん。滝つぼに、滝とは違う水しぶきが舞った。
 そこに、三人は近づいた。すると、遠くの方から声が聞こえる。
「こらー、何しとるか」
 受付のおばあちゃんだ。
「また、あんたら三人か。そこに、飛び込むなって書いてあろうが」
 おばあちゃんの指差した方向には、確かにそう書いてあった。イトウ達はもれなく見逃している。
「あ、ほんまや。気づかんかったんですよ。すいません」
「すいませんやあるかいな。危ないんやで。毎年けが人が出とるんや」
「いや、あの子らもやってたんで、いいんかなって」
「どの子らや?」
「あの子。・・・っておらんやん」
「しょうもないこと言って。ルール守られへんねやったら出て行ってもらうよ」
「ほんますんません。もうしないです。ごめんなさい」
「今回だけやで」
 そう言っておばあちゃんは、何やらぶつぶつと去って行った。
「めっちゃ、怒られたやん」
「なんで飛び込んだんイトウやのに、ボクらまで怒られなあかんのん」
「リッキー、そういう時代や」
「もうええわ、それ」
「しかし、少年たちどこ行ったんや?上におった子もおらん」
 おばあちゃんがいなくなったのを見計らって、ばっしゃんと滝つぼに少年が降ってきた。
「おにいちゃん、鬼ばあに怒られてるやん」
「鬼ばあ?さっきのおばあちゃんかいな?」
「そうそう、すぐ怒るからここら辺の子は鬼ばあって呼んでるねん」
「そうやな。怒られたん、もう二回目や」
「鬼ばあ見つけたらすぐ隠れるねん。ちょっとしたことでも怒られるから、お兄ちゃんらも気つけや」
「おう、ありがとう。君らもたまには、怒られんようにすることも考えや」
「せやねんけど、こんなんでけがせえへんからな。けがすんのは観光客ばっかりやねんで」
「そうなんや。じゃあまあ、けがせん程度に遊んで」
「おにいちゃんらも一緒に遊ぼや」
「晩飯作りに帰らなアカンねんけど、じゃあちょっとだけやで」
「あの、ワシ水着ちゃうんやけど・・・」
こうして高校生対小学生の水かけ合戦が始まった。

 水遊びを満喫した後を想像してほしい。その想像通りの男が四人、ここにいる。
 髪はびしょびしょ。普段は遊ばない少年や水と遊ぶことは、思いのほか体を疲れさせる。そして、その疲れは眠気として襲いかかってくる。
「眠たい」
「知ってる」
「なんせ、おれも眠たい」
「知ってる」
「みんな眠たいよ。でも、用意せんとカレーが食べられへんよ」
「お母さん作って」
「しゃあないな。作ったろ。ってウソじゃ。働け―」
「はーい。何したらいい?」
「そうやな。俺火つけるやろ。イトウはカレーの準備と俺の手伝い。リッキーとユキは野菜洗って皮剥いてきて」
「分かりました―」
「じゃあ、解散」
 そういうわけで、リッキーとユキはタマネギ、にんじん、ジャガイモを持って、洗い場に行った。
「お、ユキ。皮剥くん上手いやん」
「普段からやってるからな」
「そうやったな」
「なぁ、リッキー。話あるねんけど」
「何?」
「実は・・・」
 ユキがリッキーに打ち明けたころ、アタルは炭に火をつけた。
「ついた」
「何?火?」
「そう。奇跡的な速さや」
「ほんまや。ついてるやん。やっぱおれがおったら違うな」
「いや、イトウ何もしてへんやん。飯盒に米入れてただけやん」
「そうやけど。速かったやん」
「さすがにコツをつかんだのかもしれないな。それか、この炭だけ活きがいいかや」
「ほかのついてないもんな」
「そう、ここからいかに広げるか」
「がんばれ、がんばれ」
「がんばる」
「あ、リッキーとユキ帰ってきたで」
 イトウの視線は、野菜をザルにいれて戻ってくるリッキーとユキをとらえていた。
「なあ、リッキーさ。さっきのんみんなに言うてくれへん?」
「なんでやねん。あんなんは、自分で言わな誰も認めへんで」
「そうやな。分かってるけど。また、イトウに怒られるわ」
「最初っから言ってたらよかったのに。分かってたんやろ?」
「そうやねんけど、なかなか言い出されへんかったし。みんなのテンション下げてまうやろ。まあ、旅行来る前に言ってたサプライズってやつやな」
「あほか。そんなサプライズあるか。ボクやからいいけど、イトウにそんなん言ったら、キレられるで」
「分かってる。ふー、勇気だすか」
 リッキーとユキが戻ったころ、唯一火のついた炭が他の炭を巻き込みだしていた。
「ただいま」
「おかえり」
「おっ、火ついてるやん」
「そうやねん。速いやろ」
「速い速い。後、ボク見とくわ。ユキが話あるねんて」
「話?なんの?」
「部屋ん中で言うわ」
「なんで?ここで言ったらええやん」
「ちょっと、座りたい」
「なんやそれ、まあええわ。じゃあ、リッキー頼んだで」
「オッケー」
 ユキはアタルとイトウを引き連れて、バンガローへと戻った。
 バンガローの中で、ポーンと足を投げ出す二人と裏腹に、正座のユキ。
「話ってなんやねん?」
「実はな、ワシ今日帰らなアカンねん」
「帰る?はぁ?今日?」
「うん」
「なんで?」
「いや、お盆やろ?いろいろ忙しいねん」
「忙しい?そんなん言ったって、この旅行はもうだいぶ前から決まってたやん。なんでいまさら言うん?」
「ワシもみんなとキャンプしたかったんや。でも、どうしても帰らなアカンねん」
「なんやそれ。腹立つな」
「ほんま、スマン」
「いや、帰るったって、もう行かなバス無いで」
「そうやねん。だから、ワシもう帰るわ」
「なんで、そんなギリギリに言うん?」
「だから、スマンって」
「もうええわ」
「バス間に合わんかったらアカンから、用意しいや」
「おう。スマンな、ほんま」
 ユキはそう言って、荷物をまとめ出した。アタルはそれを見ていたが、イトウはバンガローの外へ出た。
「リッキー知っとったん?」
「いや、さっき聞いたんや」
「何なん、あれ?」
「いや、まあしゃあないんちゃう。許したれよ」
「でも、来るときだって遅れてきたやん」
「そうやけど、怒ったって何にもなれへんやん。せっかく楽しみに来てんねんから、気分害して過ごしたらもったいないで。ユキだって悪いと思ってるから、今まで言い出されへんかったんやし、みんないい気持ちで帰れるようにしよや」
「そら、そうやな。何一つ間違ってへんわ。よし、気持ちよう送り出すわ」
「さすが、イトウ。えらいわ」
「その、子供ほめるときみたいな言い方も腹立つけどな」
「子供相手は大変やわ」
「おいっ」
 リッキーとイトウの会話に笑いが出始めたころ、荷物を持ったユキとアタルがバンガローから出てきた。
「いや、みんな、ほんまにスマンな」
「もう、ええって。分かったから。リッキーに説教されたから、許したる。気持ちよう帰ってや。バイバイ」
「イトウ。ありがとう。バイバイ」
「ボクは説教なんかしてへんけどな。まあ、またいつでも遊ぼや。バイバイ」
「リッキーもスマンかったな。バイバイ」
「せっかくやったから、明日までおれたらよかったのにな。俺らがユキの分まで楽しんどくわ。バイバイ」
「おう、楽しんでくれアタル。おもんなかったわ言うて愚痴ったら許さんぞ。バイバイ」
一人一人とあいさつをしたユキは笑顔で最後に一言こう言った。
「みんなに出会えてよかったわ。最高の人生や」
 そして、このキャンプ場から一人の男が去って行った。その背中は勇ましく、少しもの寂しくもあった。
残された三人は、部活でみんなと別れる時とは違う、何か特別な感じを受けていた。これは、最近感じた感情に近い。そう、先輩たちの引退試合だ。
あの涙を流した、先輩たちとの別れのような辛さがある。
いつもの友達との別れにおいて、それはとても不思議なことだった。

夏、火、鍋が揃ったこの場所に、カレーの匂いがする。ごく自然な風景ではなかろうか。
そんな状況に映える若者が三人いた。声も大きくて、アウトドアしています感は抜群だ。
「ちょっと辛いよ、これ」
「ちょっとちゃうわ。めっちゃ辛い。でもうまい」
「辛いか?普通やろ」
「あ、そうか。アタルん家のカレーやからや」
「こんな、辛いカレーをよく毎回食べれるな」
「うまいやん」
「カレーって言えば、次の日もカレーで、その次の日はカレーうどんやもんな」
「それは、間違いないな。俺ん家もそうや」
「あれやめてほしいねんけどな。悔しいかな、次の日のカレーの旨いこと」
「そうやな。なんであんな美味しくなるんやろな?」
「うまみ成分やな。まぁわからんけど。それはそうと、ユキが帰ったからカレーが大量に余っていますので、みんなモリモリ食べてくださいね」
「ボクこの辛さ無理かも」
「甘えるな。人生はそんな甘ったるいものと違うぞ」
「黙れし。頑張って食べるわ」
「まあ、アタルが家の味ってことでほとんど食べるやろ」
「甘えるな。人生はそんな甘ったるいものと違うぞ」
「なんで、同じこと言うたん?食べてや。ちゃんと」
 つまり、腹パンパンだ。昨日のバーベキューに引き続き、今日のカレーも限界まで食べた。
 ユキがいたって食べきれないほどの量のカレーを、三人で食べきったのだ。
なんせ、普段料理をしない者の集まり。分量が適当だ。多く見積もった分、結局多い。
 カレーはご飯が進む。ご飯の無いカレーなど、大量に食べられる代物ではない。そして、そのご飯こそが腹を膨らますのだ。
 ダイエットの天敵たちをたらふく食べた三人は、体から異様に汗が流れ出ている。当然だ。辛いカレーを大量に食べたのだから。
『残さない』『もったいない』そんな精神が地球を救う。しかし、救われなかった三人のうめき声が夜空へと吸い込まれていく。
おさまらない口のピリピリ。止まらない汗はダラダラ。生きていく上で、もっとも不愉快な状況であろう。
そんな地獄の中、星たちはいつもと変わらない輝きを放っている。いや、いつも以上の輝きだ。
 真っ暗な闇の中、何のために星は輝いているのか。そんな言葉を聞いたことがある。それはつい先ほど、夕方のことだ。
「そう言えば、夕方に野菜洗ってるとき、ユキが一番星見て、なんで星は光ってるんやろなって言ってたわ」
「なんでって、ガスやらなんやらが燃えてるんやろ?よう知らんけど」
「まあ、そうなんやろな。でもボクそん時、なんやよう分からんけど、ああやって光ってボクら見守ってくれてんちゃうかって言ってん」
「あら、リッキーはそんなロマンチックな子やった?」
「ちゃうねんな。割と現実主義な方やけど、なんかそん時はそう思ってんな」
「でもかっこええな。夜は星に見守られている。昼間の太陽の代わりにってか」
「まあ、そこまでは言ってへんけどな」
「イトウはロマンチックが止まらないからな」
「ええやんけ、ロマンでいろんなことが円滑にいくで」
「いや、それはいまいち分からんわ」
「ほんでや。それ言ったらユキがうれしそうな顔して、ワシもそう思とるんや。死んだ人は皆ああやって星になって、ワシら見守ってくれとるんやって」
「へえ、あんな顔してユキもロマンチストか」
「今思えば突っ込みどころ満載の話やけど、ボクもその時は、そうなんや~って納得してんな」
「でも、そっちのほうが勇気でるし、いいやん」
「どっかの知らんところで、大火事っていうんよりも。どっかの知らんところで先祖が見守ってくれてる方がありがたいもんな」
「見てくれてるかな、俺のおじいちゃん。こんなに大きくなりました」
 アタルが夜空の星に向かって手を合わせた。それに合わせて、リッキーとイトウも手を合わせた。
 その瞬間、一本の流れ星が夜空を駆けていったのを三人は知らない。
「なんか、湿っぽくなったな」
「そうやな。部屋戻るか」
「するってえと、大富豪ですか」
「そう、なりますわな」
 三人は後片付けもそこそこに、吸い込まれるようにバンガローへ入って行った。
 
 夜も更けて、蝉の鳴き声が聞こえなくなったころ、蝉時雨よりうるさい笑い声が響き渡った。
それは、一つのバンガローの中の出来事で、周辺住民に迷惑がかかるかどうかは分からない。
なぜなら、そこはだだっ広いキャンプ場で、一つ一つのバンガローの間隔も十分にある。ほかのバンガローまで、この騒音が聞こえているのだろうか。
ただ、もしここが電車内で、この音量ならば、舌打ちの一つや二つは覚悟しなければならない。
 仲間を一人失った寂しさを紛らわすかの如く、残された三人のテンションは最高潮に達していた。
ここでの議題は、青春の最も楽しいイベントの一つ。いわゆる恋バナだ。
誰が誰を好きだとか、誰と誰がどうなっているだとか、どうでもいいようで楽しい話が満載だ。
「リッキーは好きな人おるん?」
「残念なことにいませんねん」
「まだ、前の子のこと引きずってんの?」
「はぁ?引きずってへんし。誰やしって感じやわ」
「へ、誰って。前のバレンタインの時、校門でいきなりチョコくれた子やん」
「そうそう、毎日メールしてて、そろそろいい感じかなってなってきた時に、前の彼が忘れらっれへんからやっぱ無理やわって言ってきた子やん」
「やめてくれ。古傷をえぐらないで。ボクが悪かった。ただ、まだたまにメールしてるっていう」
「まだしてるん?それはそれで凄いな。あんなん言われてようメール続けれるなぁ」
「ねぇ。ボクも不思議やわ。ボクはあんま、人を好きになれへん人間なんやけど」
「そうなん?四組の女の子がリッキーのこと好きって言ってたけど」
「それ、ほんま?誰、誰?どんな子?」
「めちゃめちゃ食いつきますやん。髪長い色白のちっちゃい子やで」
「あー分からんわ。好きって本人が言ってたん?」
「いや、その子マネージャーと仲いいねんやん。で、マネージャーが言ってた」
「え、マネージャーってイトウが狙ってるあのマネージャー?」
「そうそう」
「ってことは、いい感じなん?」
「どうなんかね?相手してくれるけど、発展はないねんな」
「そうか。もし電波があれば今すぐイトウの携帯でメール送ってるところやな」
「やめて、そういうの。悪ノリやから。前も勝手に人の携帯でメールしたやん。『好きです。今何してんの?』みたいなやつ。あれ、凄い引かれたんやから」
「でも、結果持ち直したやん。むしろ友達が勝手にってんで話題増えたやろ」
「たしかに。でも、二度目は無い」
「それはそうと、アタルはどうなん?誰かおるん?」
「え、俺?俺は彼女おるし」
「やっぱしか。ここんとこの日曜の部活後、いつもみたいにだらだらせんとはよ帰るから、何かあるなとは思っててん」
「それはまさにデートやな」
「いつの間に。あんだけボクと同じ生活してて、なんでアタルに彼女できんねん。誰や?」
「リッキーは知らんよ。イトウも。だって違う高校の子やもん」
「そうなってくると、さらになんでや?どこで知り合うねん」
「中学の友達の紹介やな」
「紹介ってどういうこと?なんで知らん子と仲良くなれるん?」
「いや、リッキーかて知らん子と仲良くなってたやん。すぐ終わったけど」
「やめて~。そこに戻る?こう見えて、結構傷ついてるんやけど」
「まぁ、これからですよ」
「あぁ、これやから彼女おるやつは嫌いやねん。どんな、上から目線やねん」
「人間余裕を持って生活を送らないと」
「腹立つ~」
「言うてる間に、もう十二時やで」
「ほんまや、どうりで眠なってきたと思たわ」
「なんやったら、川からずっと眠たいけどな」
「二人とも忘れてるようやけども、今日、国語の宿題を終わらせるねんで」
「あ、それはもう完全に忘れてた」
「たしかに、このキャンプで国語の宿題終わらすって言ってたな」
「そうやで。もうこんな本一冊、一人で終わらせる気はせんから」
「分かった。やろう。眠いんはみんな一緒。この本一人で終わらせる気がしないんもみんな一緒」
「じゃあ俺、一章と二章やるわ」
「んじゃ、おれ三、四かな」
「で、ボクがラスト五章、六章やな」
「ガンバロー」
「オー」
 夏休みの宿題。それは、夏休み最大の難敵の一つに違いない。
夏休みに入ってすぐに終わらせる者。計画的に終わらせる者。最後まで終わらずに、父母のお世話になる者。様々なタイプがいる。そう、宿題を提出する人間の数だけ、宿題を終わらせる方法があるのだ。
 そんな宿題を一人で片付けずに、群れて終わらせるという知恵を使った三人だった。
自らの知識としては残らないかもしれないが、時間は節約になる。
どうせ時間とともに忘れ去る知識ならば、一刻も早く終わった方が良いだろうという考えだ。
 それならば、提出しなければいいのだが、そこまで反抗できないのが進学校の生徒である。
 そんなこんなで、時刻は午前二時半。三人が一言もしゃべらなくなって、早二時間が経過した。眠気はピークに達して、各々が完成させた宿題を映し終わったころ『おやすみ』も無く、一人また一人と眠りに入っていった。

 休みの日の朝。そんな爽快感がキャンプ場を覆っていた。小川のせせらぎに、小鳥のさえずりも聞こえる。
 所詮は人間が作ったこの人工的な空間に、自然を感じる人間がいる。
その人間たちの科学の結晶である携帯電話か動き出した。自然と科学の融合と言ってもいいだろう。
携帯のアラームが鳴り響く。セミの鳴き声も重なって、起きるにはうってつけのシチュエーションだ。時刻は九時過ぎ、昨日の朝と同じような光景が広がっていた。
 違うのはユキがいないだけ。
 いや、昨日とはまだ何かが違う。
寝ぼけ眼をこすりながら起き出すものが誰もいない。それどころか、携帯のアラームに手をかける不届きものが現れた。
 こうなってしまっては、もう誰も起きることはできない。
 二度寝。それは人間の行いで、最も後悔する行動の一つだ。特に、起きる必要がある日の二度寝は、時計を見た瞬間に血の気が引く。
サーと青ざめた顔が考えるのは、目的地までへの行動と言い訳だ。
 アタルの目が覚めた。すがすがしい朝だ。グーっと背筋を伸ばして、時計を見た。
「十一時か。十一時。十一時って遅刻じゃ。起きろ―」
 このバンガローは十一時にチェックアウトをしなければならないことになっていた。
 十分や二十分間に合わなくても、施設側は許してくれるだろう。
しかし、社会経験に乏しい学生の三人にとって、この与えられたルールは絶対で、確実に守らなければならないものだった。
「もう朝か?」
「おはよう」
「言うてる場合ちゃうで。もう十一時や」
「十一時ってチェックアウトの時間やん」
「なんで誰も起きひんかったん?携帯は?」
「知らん。消えとる」
「誰やねん。ほんま、はよ出る準備せな」
「せやな。急ごう」
 無意識に携帯のアラームを消してしまったのだろう。よくあることだ。いろいろな夢を見なくてはならないのに、そんな些細な記憶まで覚えている訳はない。
 むしろ、誰が消したかよりも、これからどうやってここを出るかの方が重要だった。
 ほぼ無意識のまま、三人は身支度を終わらせた。物が詰め込まれただけの荷物はただの塊と化していて、来た時よりも重くなったのではないかと思われる。
 この塊をコロコロに載せて、三人は駆けていった。目指すは管理事務室だ。
「遅れてすいません。チェックアウトします」
「いえいえ、大丈夫ですよ。では、一万六千円になります」
「はい分かりました」
 リッキーは事前に集めておいた宿泊代金を払った。
「ありがとうございました。また、お越しくださいね」
「こちらこそありがとうございました。めっちゃいいとこですね。楽しかったです」
「そう言ってもらえると、うれしいです。お気をつけてお帰りくださいね」
「はい」
 受付の女性と軽い挨拶をして、三人は帰路についた。
 そこで、あのおばあちゃんに出会った。おばあちゃんは、お参りの後のようで、柄杓と桶を持っていた。
「あんたら、今日で帰るんか」
「そうです。ありがとうございました」
「うむ。ちゃんと祠にもあいさつしたようやしな。また、ここ来たらええわ」
「え、祠行ったかどうか分かるんですか?」
「そりゃ分かるよ。あんたらの顔見たら分かる。後ろめたさのない良い顔や」
「何ですか、それ?まあ、でもいろいろご迷惑もおかけしました」
「若いうちは、それでいいんじゃ。謙虚に素直が一番や。じゃあ、達者でな」
「はい。また来ます。そん時はまたよろしくお願いします」
 さわやかな、いい感じのあいさつができた。三人は成長したのだろうか。
 いつもなら見えないところで、リッキーがおばあちゃんに対して嫌な顔をする。それを見て笑うアタル。イトウは二人がふざけているのがバレないように愛想良くして、後でツッコムだろう。
 そんな光景は無かった。最後まで本当に良い旅だったと思える別れ方ができた。
 真摯な態度には、自然と真摯な態度で接してしまう。これが人間の心情ではなかろうか。

 楽しい時間はすぐに終わってしまう。辛い時間はなかなか終わらない。
同じ時間なのに、なぜこうも感じ方が違うのか。しかし、どんな時間も終わってみればいい思い出となる。
多くの経験をすることは、何もしないより思い出の時間を作ることになるのだ。
 この思い出は自分の中の力となり、他人との会話のネタになる。
そして、会話が盛り上がると楽しい。この楽しさのために、新たな経験をすべく旅に出た男たちがいた。
 リッキー、アタル、イトウ、ユキの四人もそんな男たちだ。
 この中でユキを除いた三人は、今まさに新たな経験の最中だった。
「いやー、まさかあの道を歩かんと帰れるとは思わんかったな」
「そうやな。こうやって、軽トラの後ろ乗せてもらえるとは」
「しかも、バス停まで送ってくれるって、どんだけいいおっちゃんやねん」
 それは突然のことだった。
 三人がバス停までの長い道を歩いていこうとした時、聞きなれない声が聞こえた。
「そんなぎょうさん荷物持って、大変やな。バス停までやったら乗して行ったろか」
 大人との付き合いの少ない学生にとって、自分の両親や親せき以外にこんなどすの利いた声を発する人物はいなかった。
知らない人について行ってはいけないと、幼少時代から教え込まれていた。しかし、そんなことは関係なかった。
この荷物であの道を歩くことを考えたら、誘拐の危険性なんてゼロだ。
なんていいおっちゃんなのだと、彼らは二つ返事でトラックの荷台に乗ったのだった。
荷台で揺られながら、くだらない会話をしているうちに、軽トラはバス停に到着した。歩いたらあれほどの時間が掛ったあの道も、車で移動すればアッという間だ。
三人はおっちゃんに心からのお礼の言葉をささげて、本日二回目となる最高の別れをした。
時刻表を見ると、もうしばらくでバスが来るようだ。
今回の旅でいろいろなことを経験した。三人はバスが来るまでの間、その出来事をひとつひとつ思い返すように語り明かした。
「いやー、いろんなことがあったな」
「ほんまやわ。内容の濃い旅やったな」
「まず、電車に乗り遅れるとこから始まって」
「ほんで、バス降りたらキャンプ場までめっちゃ遠い」
「キャンプ場着いたら着いたで、今回の好敵手のばあちゃんに出会ったな」
「いろいろ怒られたわ。最後仲良くなれたんが奇跡やし」
「ユキは迷子なるしな」
「しかも、二回も迷子なったからな」
「滝もおもろかったな」
「ちびっこらとあんなに遊ぶこと無いで」
「ここでユキが帰るっていうサプライズな」
「ほんまに腹立ったけど、気持ちよう別れたから、さわやかすっきりな感じするわ」
「メシ作るんも時間かかりすぎやし、作りすぎやし」
「大富豪はイトウ負けすぎやし」
「最後の日まで、寝坊で遅刻する始末や」
「怒られんでよかったな」
「そして、軽トラの後ろ乗って帰るという」
「いやぁ、青春したな」
「この旅だけは、絶対忘れへんな」
ブルルルルのエンジン音がバスの到着を告げる。
「ついに、おしまいやな」
「名残惜しいわ~」
「若干の疲れで、早く家で寝たいのはあるけどな」
「うん。帰ろう」
 旅の終わりが夏の終わりとなるのだろうか。まだ遊び足りないという気持ちと、遊びきった後の心地よい疲労感が三人を取り巻いていた。
こうやって夏が過ぎ、また来年の夏休みを楽しみにするのだ。年々早く過ぎ去る一年間を大切に過ごしてほしい。

 路線バスは生活に必要不可欠な公共交通機関である。
ほとんどの路線が経営上は赤字となってしまう。しかし、そこにバスを必要とする人間がいるならば、赤字だからという理由でバスを運行しなくするわけにはいかない。
まさに、公共である意味がここにある。
 そんなバスに乗り込んだ三人は、一番後ろの席を陣取った。
 発車時刻となったバスは、三人の他に客を乗せることも無く走り出した。必要としている人間がいただけでもバスがここを走る意味がある。
 バスが走り出して五つ目の停留所を過ぎたころ、アタルの携帯が鳴った。
「あ、メール来た。圏外解けたな。五通もたまってるわ」
「ほんまや。圏外解けてる。まあ、ボクは誰からもメールの着信無いけどな」
「俺も彼女からのメールばっかしやで」
「それがまた腹立つんじゃい」
「おっ、おれもメール来たぞ」
「イトウも女か?」
「そう、オカンや。ん、何じゃこのメールは?」
 母親からのメールを受け取っただけのイトウは、その内容を見るやいなや顔が青ざめてきた。
「なんや、イトウどしたん?」
「オカンに振られたか?」
「いや、なんかちょっとよく分からんけど、ユキが死んだって」
「ん?」
「なんで、嘘やろ?」
「メールには、一昨日に事故あって昨日通夜の今日葬式やって」
「いやいやいや、それどこのユキさん?」
「昨日まで一緒におったのにありえんやろ?」
「そうやんな。オカン誰かと勘違いしてんのかな」
「ちょっと、ユキに電話してみるか」
 リッキーは携帯電話のボタンを数回押すことで、ユキに電話をかけた。
「どう?」
「アカン。電源入って無いみたいやわ」
「そうか。なんでやろ」
「おれもオカンに電話してみるわ」
 イトウはすぐにボタンを押して電話をかけた。
〈もしもし、オカン?なんなんあのメール〉
〈あんた、何してんのよ。何回電話してもでえへんし。今日ユキちゃんの葬式やで〉
〈いやいや、それが意味分からん。昨日まで一緒におったから〉
〈何を寝ぼけたこと言ってんのよ。何時に戻ってくるの?〉
〈いや、夕方やけど〉
〈そんな時間に帰ってきて、もう葬式終わってるわよ〉
〈どんだけ、頑張ってもその時間なんねやんか〉
〈あほやな。ほんまこんな時に〉
〈そんなん言ったってしゃあ無いやんか。もう意味分からんわ、ほんま〉
〈何が意味分からへんのよ。さっきから言ってるやないの〉
〈じゃあもうユキ見ることもできひんの?〉
〈残念やけどな。火葬場行ってしまうから〉
〈え~。どうしたええねん〉
〈そんな声だしなや。ほな、帰ってきてお線香あげたり。なっ〉
〈あげるよ~。うん。じゃあな〉
 携帯を切ったイトウはみるみる顔を赤くして、おのずと出る涙が頬をつたっていた。
「ほんまやったんか。ユキか」
「うん」
「えっ、昨日までおったユキ?」
「うん」
「どういうこと?」
「おれも分かれへんわ。どうなってんねんって。葬式も間に合えへんみたいやし」
 その後、沈黙が車内を制する中、三人はしゃくり声と鼻をすする音しか発せなかった。エンジン音と男泣きをだけが車内の音であった。
 重苦しい空気を漂わせてバスは田舎道を走っていった。
奇跡的にほかの客が乗ってくることは無く、バスは目的地へとたどり着いた。
 魂の抜けたような三人はバスを降り、ふらふらと帰路についた。誰しもが自分の意思で動いていないように。
 
 記憶は曖昧なものである。嫌な記憶もいつかは忘れることができる。苦労した記憶は美化され、すごく良い経験をしたと思える。絶対忘れないと誓った楽しい記憶も、時とともに薄れゆく。
 この曖昧なものに心は支配される。
 あの旅から一週間が経った。本当にユキが旅立ったのかを自分の目で確認することが、三人にはできなかった。
 三人がユキのところにたどり着いた時、ユキはもう位牌の中だったのだ。
止まりようのない涙が顔を覆い尽くす。そんな状態が一晩中続いた。
そして、何だかやる気の出ない日々が四日間続き、この二日間で今まで通りのリッキー、アタル、イトウに戻ってきたようだ。
いつも通りの部活を終えて、三人はハンバーガ屋にいた。
「もう、一週間も経つな」
「あの旅からか。昨日のことみたいやけど、いまだに意味分からんわ」
「そうやねん。たしかにユキはボクらとおったのに」
「うん。おった」
「ただ、何かユキがおった記憶だけぼんやりしてるねんな」
「そう。俺もやねん」
「バーベキューしてたんも、滝で遊んだんも覚えてんねんけど、ユキがでてけえへんねんな」
「うん、俺も全く一緒」
「おれもあんまり覚えてへんねんな。夢でもみてた気分やわ。ただ、ユキが最後帰るときの記憶はめっちゃ残ってんねん」
「帰るときか」
「あいつがなんで帰るって言いだしたんかは覚えてへんねんけど、ちゃんとバイバイしてんな」
「ボクもバイバイしたわ」
「俺もしたな。そう言えば、最後にあいつ最高の人生やとか言うてたな」
「ユキ、あん時ほんまはもうおらんかったんかな」
「おれらとキャンプしたいから来てくれたんか」
「そう言えば、あのキャンプ場に祠あったよな」
「あぁ、キャンプ場のばあちゃんが言ってたな。死んだ人が神様になって戻ってくるって」
「あ、そうか。それでユキ来たんか」
「神様?ユキが?」
「そう言えば、お盆やったしな」
「ユキは神様って柄じゃないけどな」
「うん。そうやな。ええとこ貧乏神や」
「ハハッ。でも、俺らのこと見守ってくれてんねや」
「そうやな。誰も知らんでも、ボクらだけは知ってるもんな」
「まあ、ユキの分もって訳じゃないけど、ガンバロかなって気になってきた」
「楽しまんと許さんみたいなことも言われたしな」
「あいつが許さんとか言ったら、ほんまに怖いな」
「ホラーやわ」
「あの顔やったらヤクザ的な怖さやけどな」
 会話に笑いが溢れ出てきたとき、トレーのポテト山は無くなっていた。
 すると、大柄のおばちゃん店員がやってきた。
「すみませんがこの時間はほかのお客様もお待ちですので、お食事が終わりましたらお帰りくださいませ」
 そう言って、空になったトレーを持って行ってしまった。
「出たな、ゴリラ。毎度毎度同じようなこと言いに来て」
 リッキーだ。
「ほんま、リッキーは白鳥がバタ足するかのごとく、裏ではしゃべるの」
 イトウがそう言った。
「あれ、デジャブやん」
「やっぱ、俺らの中にユキはおるってことやな」
 いつかのユキの言葉を思いだして、三人は思う存分笑いだした。
 まだ、高校生。三人は楽しいことも辛いことも、これからもっともっと経験していくだろう。
 しかし、ユキとの時間が無くなることは無い。過ぎた時間は無くならないのだ。
 まして、ユキは教えてくれた。
星が自分たちを見守ってくれていると。

夏星

夏星

高校生活を精一杯楽しもうと考えている4人の学生がいた。 学生達は毎日それなりに頑張って部活に取り組んでいた。部活は最高に楽しいが、何だか新しい刺激もほしい。 もうすぐ夏休み。 せっかく学校が休みになるのに、毎日部活だけの生活で良いのか?来年は受験が控えている。今遊ばないと、いつ遊ぶのか? 思い出を作るためにも、遊びに行こう。4人の結論はそうなった。 学校の試験もあるし、部活の試合もある。そんな学生なりに忙しい時間の間をみつけて、存分にしゃべり続ける。 議論の末、滝のあるキャンプ場へ行くことにした。 しかし、物事はうまく進まない。 てんやわんやで準備を進めて、ようやく四人はキャンプ場にたどり着く。そこで、様々な経験をすることになる。そして、不思議な体験も。 一生忘れない青春時代の思い出を作るために、今を精一杯楽しむ高校生たちの物語。

  • 小説
  • 中編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-12

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