一番感動した本って何ですか?
あたしが、明日の文化祭に出展する作品集を部室で印刷していると、顧問の五所川原先生が様子を見に来てくれた。
「どうだ、できそうかい?」
「はい。後は表紙を付けて製本するだけです」
先生は、『文芸部作品集』とタイトルの付いた原稿をパラパラとめくった。
「へえ、随分立派なものだな。イラストまで付いてるし。パソコンで作ったのかい?」
「そうです。でも、プリンちゃん、あ、いえ、プリンターは全部活の共用なので、早く返さないといけないんです。ちょっと焦っちゃいました」
「ほう。部長のきみが全部やらなくても、下級生がいるだろう」
「でも、みんなは模擬店の方の準備が忙しくて」
「うーん、ちょっと本末転倒だな。大変だったろう」
「大丈夫です。印刷して製本するぐらい一人でできますから」
先生はちょっと肩をすくめた。
「時代だなあ。ぼくたちの頃はガリ版だから、とても一人じゃできなかった。鉄筆で、それこそガリガリやってさ。ああ、わかんないよね。まあ、印刷の原紙を手作業で作るんだよ。コピー機すらなかったしなあ。本だって、自由には買えなかった。ぼくの父親が文学嫌いな人で、太宰なんか読んでると『人間がダメになる』とか言って取り上げられたよ。まあ、今は太宰の第何回目かのブームらしいけど」
先生が懐かしモードになってしまって、ちょっと困った。今はゆっくり昔の話を聞いてあげる余裕がない。あたしの様子に気付いたらしく、先生は「すまん」と言って頭をかいた。
「忙しいよな。まあ、無理せずがんばってくれ。ぼくにとっても最後の文化祭だから、楽しみにしているよ」
そういえば、五所川原先生は今年度いっぱいで定年だった。授業は全然面白くなかったけど、毎回、現代文の授業を現国と言い間違えるのがおかしかった。昔は、現代国語、略して現国と言ってたらしい。
そのまま部室を出ていこうとする後姿がちょっと淋しそうなので、もうちょっとだけしゃべってあげることにした。
「あ、先生、すみません。編集後記がまだなので、参考に教えてください。先生が高校生の頃って、どんな本を読んで感動したんですか?」
「え、ああ、そうだな。うーん、ちょっと恥ずかしいけど」
先生の頬が、薄く染まっている。変なのを言われるとヤダな。
「内緒だよ。国語の教師がこんなことを言うのは、あれだけど、一番感動したのは、手塚治虫のマンガだったな」
(おわり)
一番感動した本って何ですか?