管理の神
プロローグ
あなた、この日本という国、世界をどう思う?
放課後の教室で私に問いかけてきたのは一人のクラスメイトだった。
話したこともない、いつも教室の隅にいる少女。そんな彼女から声をかけられたことも今となっては必然的なことだったのではないかと思えた。
当時の私はこの世界に何の疑問も抱くことはなかった。
ただ、生まれた時からこの世界が当たり前だと思っていたのだ。
全てが決められ管理されている世界。
私はこの世界が嫌いだった。
私はこの世界にいることが耐えられなかった。
私はこの世界に染まる自分が許せなかった。
1、始まりの夏
1
二一一八年・日本の夏。今日も私は体内に備わっているアラームで七時に目を覚まし、八時のアラームで家を出る。
「行ってきます」
他に誰もいない自宅にそう告げ。
同じ電車の同じ座席。隣には毎日同じ人。毎日が『同じ』尽くしの国・日本。いや、日本だけではない。『世界』か。
などと私は考えながら、腕輪型の端末から表示されるニュースを眺める。
これといって目立つニュースもない。ただ、目のやり場がないのが寂しいのでニュースに関心があるようにしているのである。
電車を降りた。日差しが強い。恐らく今日は暑いのだろう。私にも周りの人間にもそれは分からない。皆自分の適温だからだ。
長袖の中年男性もいれば、薄着の女性もいる。私もノースリーブのシャツに黒いタイトスカートという夏には最適と思われる格好だ。
最も、今の人間には気候など関係ないのだが。
『社会平等管理システム』、通称『MOG』と呼ばれるそれは、個々の幸福のため、人生を有意義に過ごせるようにと開発された管理システム。
体内にシステムを注入することで自分の健康状態他、生活管理をしてくれる。早い話が体内にコンピュータを埋め込んだようなものだ。
自分がいつ何を食べたか、いつ眠りについたか、いつ生殖行為を行ったかまでが中央管理局センターのメインPCに送られ、それをもとに注意勧告などを個人に送ってくる。
気候が関係ないというのは、周りの温度に合わせて、MOGが体温を最適なものに調節してくれるからである。だから、私達は食べ物に関しても暑さ、冷たさを感じることはない。
このシステムこそが『世界』なのだ。
会社に着き、自分のデスクに座ると、今日の仕事内容が視界に表示される。これは、MOGシステムが実現した自分の眼球自身がディスプレイの役割をしてくれるものだ。
それを確認していると、個人通話を知らせる通知が視界に表示される。
「志弦(しづる)カノン君、第三部長室まで至急来なさい」
私は溜め息をつきながら、重苦しく立ち上がる。足取りも重く、部長のいる部屋まで向かう。
真正面から扉に近づくだけで、ノックが自動で行われる。これは、手で扉を叩いて痛めないための施しだ。
随分と大げさなものだなと思っている。扉の向こうからどうぞと声がすると、ひとりでに開いた。椅子には私を呼び出した部長が座っていた。
「そこに座りたまえ」
私は失礼しますと言い、部長の机に向かい合うように置かれている椅子に座る。
部長は私が席に座ると同時に机にホッチキス留めされた書類を置いた。
「何か分かるかね? 君が作成したものだよ。先方からミスを指摘された。あちらは気にしていないようだったが、ウチはそうはいかん」
私は申し訳ありませんとだけ頭を下げる。すると、部長は机を力強く叩き、
「君はまたそれか! ミスを何回も繰り返すのは君だけだ! 他の人間はこんなミスをしないぞ!」
と一気に責め立てる。私は頭を下げたままの姿勢でいた。
「おっと、いかんいかん……」
部長が落ち着くように深呼吸をする。恐らく、MOGから血圧上昇の注意でも受けたのだろう。そんなシステムに一々従うような上司に私が申し訳ないと思う気持ちなど、これっぽっちもない。
「これで三度目だ。もう次はないと思え」
退室するよう言われ、部屋を出ると自分のデスクに急ぎ足で戻り、仕事にとりかかる。
別に仕事熱心だとか、ミスをしてしまった汚名返上というつもりではない。そもそもあのミスも今までのミスもわざとしてきたのだ。この世界に対するちょっとした抵抗のつもりだ。
早く仕事を終わらせたいのは、定時になった瞬間、この会社を出たいからだ。
志弦カノンは至って普通の人間だ。
ただ、最近になって他と同じく普通でいるのが嫌になってきたから仕事でミスを連発しているし、この世界を憎みながら生きている。
昼を知らせる音楽が社内に鳴る。私は仕事に集中しすぎていたので一息ついて背もたれに体重をかける。
「カノン、お昼ご飯食べにいこう」
デスク横の仕切り上からの女性の声。
清江(きよえ)セリア。中学からの私の友人で、周囲から好かれるような人気者だ。なぜ私と一緒にいるのかが不思議なほどに。
「また呼び出されてけど、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう」
良かった、と笑顔で嬉しそうにしている彼女。喜ぶべきは心配してもらった私なのかもしれない。
二人でよく昼食を食べにくる店にきた。いつものように料理を口に運んでいると、セリアが、ねえ、カノンと手を止めて話し始めた。
「私ね、結婚することになったの」
その言葉に私は心の底から驚いた。セリアが誰かと交際しているような素振りはなかったためだ。相手は誰かと訊くと、少し年下の実業家の男性だそうだ。以前、仕事で知り合ってから内緒で交際していたという。教えてくれればよかったのにと言うと、ごめんねと謝る彼女。
私は彼女の手を握る。おめでとう、セリアと本当の嬉しさを込めて言う。
ありがとう、カノンと彼女は笑顔で言った。
そして次に、思い出したかのようにそういえばと言う。
「カノン、明日誕生日だよね?」
そうだったっけと返し、端末のカレンダーを見ると、翌日の日付にプレゼントと思しき箱のマークがついている。
「ああ、確かに明日だったね」
「もう、自分の誕生日でしょ。お祝いに行きたいんだけど、明日は彼と会う約束があって……」
「いいわよ、そんなの。気持ちだけで嬉しいわ。彼の方を大事にしなさい」
その後も彼女は、会社に戻り、お互いのデスクに戻る時まで申し訳なさそうにしていた。本当になぜ彼女のような優しい女性が私の友人なのか不思議だ。
仕事を終えて、定時に帰る。また帰りも同じ時間の電車に同じ座席の同じく隣の人。
家に着いた私は服を洗濯機に入れ、部屋着に着替える。
夕飯は適当に済ませようと簡単なものを作る。
MOGから出されるメニューはどれも私の体型維持に勤めようとしているものばかりだった。
私はそれを無視して自分の手で調味料を調整し、味付けをしている。
アパートの窓から夜景を眺める。すぐ側には缶に入っている“疑似アルコール飲料”を置いた。これは昔『酒』という名前で呼ばれていた。今ではそんな有害なものという考えなのか擬似的に作られたものしかない。実際これでも“酔い”という感覚を味わえるので、満足できる。
そして、その共として本を読む。
現代では紙の本などほとんど存在しないが、図書館に行けば借りることが出来る。
私は仕事帰りの唯一の楽しみとして図書館に寄り、気になった本を借りる。仕事を定時で上がりたいのはこのためでもある。閉館時間までゆっくりと本を探したい。
この読書の時間が私の楽しみだ。
自分で言うのもなんだが、私は本をよく読む。もちろん紙の本だ。電子書籍を読むのが悪いとは思わないが、やはり紙の本にかぎる。
私は引き込まれるようにその本を読み進め、たまに疑似アルコール飲料を口に含んだ。
今日はこの辺りで終わろう。そう思い、本を机に置いた時だ。隣に置いてある腕輪型の端末にメッセージが入る。
開いてみると、誰からか分からないものだった。ウイルスチェックソフトを使ったところ、何も心配はないようなので、開いてみる。
志弦カノン様
二三歳の誕生日をお祝いします。
と、同時にあなたに私達『神殺(かみさい)』へ入団をしてもらいたく、このメッセージを送らせていただいております。
突然このようなメッセージを送りつける無礼をお許しください。
何これ? 何で誕生日って知ってるの? 私は古くさい迷惑メッセージかと思い、そこで読むのを止めた。気味が悪い。
いや、偶然届いたのが誕生日の日であっただけで、いつも同じような文面で送りつけているに違いない。そう思い、時計を見ると、いつの間にか日付が変わり、誕生日になっていた。
今日もまた仕事なので寝ることにした。
2
その日もいつも通り出社した。朝からセリアと遭遇したこと以外は何も変わらない。
今日の昼はセリアが奢ってくれるそうだ。誕生日を祝えないお詫びのようだが、私としては悪い気がしてしまう。
また視界ディスプレイに表示される内容の仕事をこなす。
ただ、今日は何か違和感がある。それは、部長が私達の部署の見回りをしているのだ。
普段なら部長室から出ることはないようなあの人間がなぜ。
社員の素行調査か。私はなるべく気にせず、仕事を始める。
少しして、私の近くに部長が来た。私の横を通る時、フンと鼻をならした。
ムカつきを覚え、眉を顰めて後ろ姿を睨む。MOGから感情調整が入り、視界に表示されるのがさらに怒りを煽る。
すると、部長が足を止めた。
マズい、気付かれたか? と私が思っていると、おもむろに胸ポケットから取ったボールペンを首の高さまで持ってくる。
そして、芯の出ているそのボールペンで自分の首を横から突き刺した。
ウッっと低く唸り、すぐ側のデスクの仕切りにもたれかかる。
そのデスクにいた女性が悲鳴を上げると、辺りは混乱に陥った。
私も動悸が激しくなり、息切れを起こした。呼吸を整えるようMOGからの警告とイラスト付きで描かれた方法が表示される。しかし、そんなものは見えないほどに混乱していた。
椅子から落ちて、横になり過呼吸になりながら、腕の端末にメッセージが入り、自動で表示された。
『私達の力を証明した』
そこで私は気を失った。
懐かしい場所に来ている。私の部屋だ。と言っても、今住んでいる場所ではない。実家にある私の部屋だ。
母さんはどうしているだろうか。
父さんは仕事で無理をしているのか。そんな思いを馳せながら部屋の見回す。卒業アルバムが目に止まった。高校の時の物だ。
クラス名簿のページを見る。私がいる。セリアや当時のクラスメイトの顔が並んでいる。懐かしい。
その中で一人、目に留まる人物がいた。その名前を口にしようとすると、扉がノックされた。
誰? 私が開けるとそこは清潔感の塊かと言えるほど、憎らしい白一色だ。
気付くと、私は横たわっている。どうやら開いたのは扉ではなく、私の目蓋だったようだ。
手の甲を額に当て、何があったかを思い出す。
そして、あの光景を思い出した。急激な吐き気に見舞われベッドの側にあるゴミ箱に手を伸ばす。
その時、病室の扉が開くと同時に私の名前を呼び、駆け寄って背中をさすってくれたのはセリア。あの事件のあと病院に運ばれたのだ。
時計を見るともう夕方だ。数時間程、気を失っていたらしい。腹の中にあった朝食も全て戻してしまい空腹を感じていた。
しかし、恐ろしいものだ。生きていると、死んだ人間のことを思い出して、戻したばかりにも関わらず、空腹を感じるのだから。
「大変だったね、カノン。これ、無理には食べなくてもいいけど……」
セリアが栄養補給バーを渡した。食事が難しくなった老人、食事の時間も取れない人用の健康食品だ。もっとも、現代ではほとんど必要とされない。どちらかというと前者の方に食されている。
私は汗を拭い、それに食らいつく。
高カロリーなこの食べ物は空いている腹にはちょうどいい。
あの後のことを訊くと、部長は死亡したそうだ。首にボールペンを突き立てた自殺。思い出すだけで気持ちが悪くなる。
私のせいなのだろうか。私がムカついた彼を睨みつけたから。
しばらく夕日を眺めていた。
そして、大事なことを思い出した。
「セリア、今日は彼と会うんじゃないの?」
「カノンが辛い思いをしてるのに、行けないよ、私……」
私は本当に申し訳ない気持ちになり、彼女の頭に手を置く。
「私なら大丈夫。ほら、今だって空腹を感じるぐらいだし。だから行って」
出来る限りの笑顔でそう言った。まだ心配そうにしていた彼女だったが、私の強がりで彼のもとに行くことを決意した。
「あ、お医者さんがセラピーを実施するから来なさいって。カノン以外にも何人か運ばれたから」
ありがとうと言うと、彼女は病室から出て行った。
もう一度、ベッドに横になる。そして、端末に入ったメッセージボックスを開く。新しいメッセージが入っていた。
志弦カノン様
昨日のメッセージは信じていただけたでしょうか? 私達の力を証明してみせました。
まだ、お疑いでしたら、明日の正午に中央公園においでください。そこでお待ちしています。
昨日と同じ人物だろう。私の心が読まれているような気がしてならない。
一体何者なのか? なぜ、部長が自殺をしたのか? 疑問を解決するには明日公園に行くしかない。
3
翌日、私は会社を休んだ。正確には休まされたのだ。
セラピーに行くという嘘をつこうと思っていたのだが、会社側はもとから休んでいいという雰囲気だった。
当然か。自分の上司の自殺を目の当たりにして翌日会社に来いなど、MOGが許さない。
昨日のメッセージで指定された公園に着いた私は、噴水の周りにあるベンチに座る。あと十分ほどで正午だ。
遊んでいた子ども達が噴水の周りに集まる。
ここは正午になると、それを知らせる目的として、より一層水が強く吹き出すのだ。それを楽しみにしているのだろうと思い眺めていた。
そして、正午になった瞬間。噴水の水が強く吹き出す音と子ども達の喜ぶ叫び声が同時に聞こえてくる。
そして、反対側から私に声かかる。
「志弦カノンさん」
私は名前を呼ばれてゆっくりと振り返る。
そこには、長く真っ白な髪を真っ直ぐ整え、黒いワンピースを来た女性が立っていた。
「あなたは?」
「メッセージを送った者です、と言えば分かりますか?」
私は少し身構える。
すると、彼女は両手のひらを前に出して何も危険な物がないのを示すと、落ち着いてと短く言った。
私はまだ少し全身に力が入ったままの状態で身構えるのだけは止めた。
「ありがとう。では、自己紹介しますね」
女性は突然の風に揺れるスカートと髪を抑えながら、
「『神殺』の団長、亡白(なしろ)ハイネです」
そう笑顔で言った。
そこは薄暗い地下だった。この日本の裏側、見てはいけない部分を見ているような気分になる。
亡白ハイネと名乗る彼女の後に続き、ゆっくりと歩みを進め、途中何度か躓くと、彼女が止まって待ってくれた。
そして、着いたのだ。巨大な地下の街。
先程までの薄暗さはなく、明るい。
「何なの、ここは」
怪しい雰囲気が漂う。教科書で見たことのある『タバコ』という代物だろうか。それを口にくわえては離し、煙を吐き出すのを繰り返す男性。
瓶に入っている、見たことのない液体を口に流し込む女性。まさかあれが『酒』というものなのか。
いつも飲んでいる疑似アルコール飲料だったとして、顔をあんなに赤くしている人間は見たことがない。
ここは地上と全く違う。真逆の世界だ。
「驚いた? 無理もないわね。お酒なんて今飲んでいたらすぐにMOGが体内に分解成分を流して、二度とお酒を飲もうという気分をなくす」
ハイネが横で話し始める。
「『タバコ』なんて見つかればすぐに刑務所でセラピーに当てられて肺を取り替えられるかもしれない。あの一本で人が殺せる毒が入っているの。じゃあ、『ドラッグ』だとどうなっちゃうんだろうね」
笑いながら嬉しそうにまた歩き始めた。その後ろを急いでついていく。やはり来るべきではなかったのだろうかという不安しか残らない。
この地下の街はMOGから警告などないようだ。現に私の視界ディスプレイは何も表示しない。と言うか、私自身の視界になっているので、MOGが停止している証拠だ。ここは上の世界と違う。
「みんな、戻ったよ」
ハイネについていき、街の奥にある建物まで来た。そこには同じ黒い制服のようなものを着た人達が忙しなく書類を片手に歩いたり、何やら話し合っている。
「ここは?」
私が問うと、彼女は両手を大げさに広げて、
「ようこそ、ここが『神殺』の本部」
とさっきから見ている嬉しそうな顔で言った。
私が頭の整理をしていると、突然ハイネの後ろから声が聞こえる。振り返った彼女の先には一人の少年が立っていた。
「紹介するわね。彼は勇水(いさみ)カイル。カイル、彼女が例の」
「そうでしたか! 初めまして、勇水カイルです! お会いできて光栄です!」
初対面のはずの人間に握手を迫られ動揺を隠せない。
とりあえず、応じることにした。
「じゃあ、また後でね。カイル」
ハイネに頭を下げる彼を置いて、再びついていく。
「あの子も……その、ここの……」
「私の一番の部下よ。可愛い顔しているでしょう?」
声を聞くだけで機嫌がいいのが分かる。
本部の中央、そこが彼女の自室であり、団長としての部屋なのだ。
「そこに座って」
言われるがまま腰掛ける。あの部長室を思い出す光景だ。
「あなたにメッセージを送った理由を説明するわ」
淹れたての紅茶の入ったカップを渡される。実物を見るのは初めてだ。
「あなた、この国を――いえ、世界をどう思う?」
紅茶に驚いていた私には、突然の質問の答えを考える余裕はなかった。なんと答えれば正解なのだろう。
「不満でしょう? あなた」
ハイネの言葉に耳を疑った。
いや、当たっている。毎日同じことの繰り返し。自然を知らないこの体。
管理システムに一々従うマヌケな元上司。そんな色々なものに私は嫌気がさしていた。
「確かに……この世界には不満ばかりね……」
「でしょう? だからあなたにメッセージを送ったの」
「でも、何で私のことを知っているの? もしかしてシステムをハッキングして」
「いいえ、私は以前からあなたを知っている」
以前から? 私はこの女性を見たことがない。今日初めて会ったばかりだ。
「聖神宣(せいじんせん)高校二年七組十五番の亡白ハイネって子は、やっぱりみんな忘れているのかしらね」
聖神宣高校。その名前を聞いたのは五年振りぐらいだろうか。私は二年のクラスを思い出す。
いつも教室の隅の席で誰と話すでもなく、『折り紙』という遊びをしていた少女がいた気がする。
「いた……。確かにいたわ、亡白ハイネさん……」
いつも一人の彼女。
誘われても断る彼女。
紙を折って遊ぶ彼女。
放課後に本を読む彼女。
「思い出してくれて嬉しいわ」
そうだ。この顔を思い出した。
「久しぶりね、志弦カノンさん」
一度だけ呼ばれたことがある。
話したことがある。
「ねえ、志弦カノンさん」
教室の隅の席でいつも一人の彼女に声をかけられたのは放課後のことだ。
「な、何?」
私もそんなに人と関わっている訳ではないので、突然話しかけられて動揺した。
「落ち着いて」
両手を前に出すあの仕草だ。
「あなた、この世界のことどう思う?」
急に話しかけてきたかと思えば、訳の分からない質問に私は戸惑った。
そもそも、あの時の私はまだMOGに管理されている世界に不満を感じるような年ではなかった。
「良い世界だと思いますけど」
今の私なら笑い飛ばす答えだろう。
その答えを聞いた時の彼女の表情はどうだったか覚えていない。
「あなたは確かに二年の時、同じクラスだった」
「懐かしいわね」
あの時、理解し難い質問をしてきた彼女が私の目の前に再び立っている。
「答えは変わっていたわね」
もう何年も前の話なだけあって、私の考え方だって変わる。大人になっているのだから。
「あなたは結局、何が言いたいの?」
私は睨みつけるようにそう言った。
彼女は紅茶を一口飲み、机にカップを置くと、ゆっくりと口を開く。
「この世界へ不満を持つ者は恐らく少ない。だってそうでしょ? 自分の決断を迫られることが限りなくなくなっているこの世界で生きるのは容易だから」
私は彼女の一言にしっかり耳を傾ける。
「何もしなくても決断を下してくれる世界に私は思ったの。“亀裂”を入れてみたいって。かつてあった世界を取り戻したい」
その部分だけ、彼女が心底楽しいというのが伝わるほどの笑顔で語っていた。
「亀裂?」
「かつての世界は協力関係を結びながらも力に差はあり、いざという時にはすぐにでも相手を切るようなことが出来る世界だった。じゃあ、今は? みんなが手をつないで楽しく平和に暮らしましょう。理想の世界を作りましょう。誰も悲しまない世界を作りましょう」
彼女は自分の手を握り、ゆっくりと引き離していく。
「それを終わらせる亀裂を入れるの」
「そうやってそんなことを? ここは確かにMOGが反応しない。世界で数少ない、いや、唯一の場所かもしれない。でも、それを作っただけでは」
「あなたの上司はなんで死んだの?」
部長は自殺だった。MOGに従い、決められた生き方をするあの部長が自殺をするというのがおかしかった。
「まさか……」
「彼には私達の力をあなたに見せるためのモルモットになってもらったわ」
私は恐ろしくなった。
まさか、彼女が殺したのか。部長が自殺するように操ったとでも言うのか。
「私達は神殺し。神を殺すとはどういうことか分かる?」
私は首を横に振る。
「MOG。正式名称『Managment Of God』とは直訳すれば『管理の神』。私達はその神を殺すのよ」
人々を幸福へと導く幸せなプログラム。そのための『管理の神』だ。
私の目の前にいる彼女はそれを殺し、世界をかつての姿に戻そうと言うのだ。
「昨日あなたの上司には自殺のプログラムを流し込んだ。ハッキングをかけてね」
「じゃあ、あなたはいつでも直接手を下さずに殺すことが?」
「まだ、一人が精一杯ね。今ここの技術開発チームが大規模なハッキングプログラムの作成中なのよ」
管理の神に介在できるハッカーなどいるのだろうか。
創設者ぐらいにしか出来そうにないのだが。
「MOGを壊すには何が効果的?」
ダウンさせること?
ウイルスを流し込むこと?
直接壊すこと?
正解は人間を殺すことだ。管理の神は自分の行いで人間を絶対的な幸福に導いていると思っている。そんなシステムの管理している人間が死んでしまえば、コンピュータへの衝撃は相当なものだろう。
「でも、あいては機械よ?」
「人間の心理的な衝動とは違うわ。システムにエラーを起こさせるの。案外簡単でしょう?」
口で言うのは簡単だが、まさか彼女は世界中の人間にハッキングから死ぬまでをセットで送り届ける気なのだろうか。
「それで、なぜ私なんかに勧誘を」
一番の疑問はそれだ。
そんな凄い考えを持ち、組織まで作り上げた彼女がなぜ?
この世界にに飽き飽きはしているが、結局普通の生活をしている私になぜ声をかけたのか。
「あなたは私と同じだからよ、カノン」
席を立った彼女は私の目の前に立ち、頬を優しく撫でる。
「この世界が嫌い。この世界にいるのが耐えられない。この世界のプログラムに染まるのが許せない。私と同じ気落ち」
彼女は私と同じこの世界を嫌う者。
セリアとの関係とはまた違った仲間なのかもしれない。
4
「あなたの入団をいつでも待っているわ。連絡はここにちょうだい」
彼女からメッセージが送られてくる。今度からは彼女のメッセージだと分かるようにアドレスを登録しておく。
帰りは地下街の入り口まで送ってもらった。
なぜ、入団をすぐに希望しないのかと言うと、気持ちの整理がつかないからだ。もう少し時間がいる。
私は駅のホームに来ていた。
「おーい、カノン。こっちこっち」
ホームの柱に寄りかかるセリアに呼ばれて歩み寄る。
「ごめんなさい、急に呼び出して」
「いいよ、この近くで買い物してたから、それにしてもカノンから呼ばれるなんて久々だから嬉しいなあ」
私はセリアとディナーを共にしたいと思い誘った。話したいことも少しある。
「彼とはどうだった?」
「楽しかったよ。だから、今日こそはお祝いさせてね」
正直、あんまり誕生日のことは思い出したくないが、素直に気持ちを受け取ることにした。
運ばれてきた料理を少し食べ進めたところで話をする。
「ねえ、セリア」
どうしたの? と言う無邪気な笑顔のセリアに私はあの質問をした。
「この世界のことどう思う?」
セリアにはいまいち意味が伝わっていない。それもそうだ。私だって同じようなものだった。
「好きか嫌いかってこと?」
ええ、と私は真剣な面持ちで彼女の答えを待つ。そして、彼女が言ったのは、
「好きだよ。カノンとも一緒にいれるし、好きな人もできたから」
彼女らしい答えだった。理想とされる回答だろう。私は作り笑いで彼女にありがとうと言った。次にハイネの話を持ちかける。
「もう一つあるんだけど、高校二年の時に同じクラスにいた亡白ハイネって子、覚えてる」
私のその質問にセリアの動きが止まった。
どうかした? と声をかけると、
「カノン……なんで……」
セリアがボソボソと呟いている。
「なんで……死んだあの子の話を……」
私はその言葉に脳がついていかなかった。
自宅の洗面所で流れる水を見ながら私は今日のことを思い出していた。
「どういうこと?」
「その亡白さんのことは私も知っているのよ……」
「ごめんね、セリア。嫌じゃなければ私に知っている限り、彼女のことを教えてほしいの」
セリアは言っていいのか迷っている様子だったが、やがて話し始めた。
「彼女はね、三年になった途端入院し始めたの。なんで入院しているかは分からなかったけど、その三ヶ月後に急死したって知らされたの」
なぜ、そんなことを私は知らないのか。同じクラスメイト。同じ教室。それでいてなぜ知らないのか。
「カノン、確かその日は休んでなかったっけ? ほら、熱が出たとかで。滅多にないことだから心配してたの覚えてるよ」
「でも、私が戻ってきても知らされなかったのは何で?」
「クラスメイトが亡くなったって聞いて、他の子達の心理状態が悪くなったから、これ以上その数を増やすなんて意味のないことをしない方がいいって先生が」
同じクラスの子が亡くなっても、心理状態の心配の方が大事とは何とも薄情な教師だなと私は思う。
私としては教えてもらえなかった方がショックが大きい。
セリアが涙を浮かべながら謝った。
私も突然変なことを聞いたので謝罪する。
そういえば、高校の時に一度だけ高熱で倒れたことがある。この時代に規則正しくしているのに熱を出すとは、と珍しがられたので覚えている。
と、そこでメッセージが入った。
私は蛇口を止め、メッセージを開く。
志弦カノン様
明日、また同じ時間にあの公園で会いましょう。待っているわ。
ハイネからだった。ちょうどいい。
明日確かめよう。彼女が本物の亡白ハイネか偽物のハイネの名を語る者かを。
私は寝る前に少し借りていた本の続きを読んでから、眠りについた。
5
またあの公園来ていた。
今日は昨日と違って誰もいない。
しばらくして正午を告げる噴水が吹き出した。
「カノン、待たせちゃってごめんなさい」
正午きっかりに昨日と同じく表れる彼女。もしかするともうこの世にはいない彼女。
「今日はあなたの方からお話があるのね」
私がまだ何も言っていないのになぜ分かるのかと毎回驚かされる。
「ねえ、ハイネ。私の友達、清江セリアって知ってる?」
「もちろん。皆から人気の彼女。私とあなたとまったく逆の存在の彼女」
なんだか、ハイネと一緒に私まで空気のような扱いをされたが、今はそれよりも真相を確かめる方が先だ。
「セリアと昨日話したのよ。そしたらね、あなたが死んだ人間だって言うんだ」
私が言い終わるのと同時に風が強く吹く。草や木が揺れる音が激しく聴こえる。
「どうなの? あなたは、亡白ハイネは死んでいるの?」
私が強く質問すると、彼女はベンチから軽やかに立ち上がり、噴水の前まで歩く。
「この世界で死ぬってどういうこと? 心臓が止まったら? 脳が活動をやめたら? 話さなくなったら? 死ぬということには色々あるわね。じゃあ、私は何で死んだと思う?」
振り向いた彼女の笑顔は不気味だった。やはり、セリアが言っていた通り彼女は死人だったのか。
私は彼女の顔を直視できずに地面を見る。呼吸が荒くなりそうだった。
すると、彼女の足が視界に映った。私は目を瞑り、見ないことにした。
次に感じたのは彼女の温かい血の通った手の感触だった。
「私は死んでいるけど生きているのよ」
その言葉は私の頭では理解できなかったけど、何故だか“生きている”という言葉に安心感を覚えた。
「ごめんなさいね。カノンがあまりにも真剣だからおもしろくて」
彼女はまた私をからかっていたようだ。動揺している姿を楽しまれた恥ずかしさでいっぱいだった。
「いじわるな質問して悪かったわ。理由を説明するわね」
私はハイネに向き合うように隣に体を傾ける。
「三年に上がってすぐに入院したのは本当よ。死の病って言われて、現に心臓も止まった。その時、私は死んだと思ったの。でも、何とか戻ってきた、この世界に。ただ、その後私の体内からはMOGシステムがなくなっていたの」
彼女は平然と語っているが、そんなことがあり得るのだろうか。
死の間際を体験した人間からMOGがなくなるというのは聞いたことがない。世界初の出来事ではないだろうか。
しかし、彼女が嘘をついている可能性もある。口では言えても証拠はない。
「証拠と言えるかは分からないけど、今日は暑いと思わない?」
そうなのだろうか。確かに日は照りつけている。そこで私は気付いた。
最適温度に調節してくれるMOGが働いているなら暑さなど感じない。彼女の額にはうっすらと汗が見える。
「じゃあ、まさか本当にMOGがない体なの?」
「信じてもらえたようでなによりだわ。だから、この世界での私は死者ってそういうことなのよ」
MOGのない体すなわち死であるとされる世界。
「だから、生きているけど死んでいる」
「この世界では死んでいる扱いね」
なるほど、とようやく理解がおいついた。死を体験した際にMOGは彼女を死人だと判断したのだ。
「だから、私は死人としてこの世界に亀裂を入れたいの。後は勝手に崩壊していくだけだから」
「なぜ、分かるの?」
「管理されなくなった人間達は殺し合い、奪い合うことを始める」
「あなたはそれを望んでいるの?」
「そうよ。だってそれが本来の人の性質でしょ? 他者を悲しませ、自分によりよい環境を創ろうとするのが」
自分が自分として生きれる世界。
システムなんかに支配されない世界。それは私が知らずのうちに理想としていた世界なのかもしれない。
そうか、だから彼女は私を同じと言ったのか。
「ついてきてくれる?」
目の前に差し出された手を私は取る。今日から私は世界を支配する『管理の神』と戦うのだ。
6
私は再びハイネの団長室に来ていた。「ここにサインを書いてほしいの。カノンは裏切らないだろうけど、形式上仕方ないの」
信用されていないのか等といった想いはない。ただ、紙に署名するというのが初めてのことで新鮮味があった。
「この地下ではMOGによる干渉は一切ないわ。電波が入り込まないのよ」
システムに見られない場所。自分の考えで生きれる場所。上ではない過去の娯楽を楽しめる場所。
私がそんなことを思っていると、団長室の扉が開き、カイルが入ってきた。手に持っていた物を私に手渡すと一礼して部屋を出た。
「私達の正装よ。カノンなら似合いそうね」
私は来ていた服の上からその制服を会わせてみた。ノースリーブの真っ黒なシャツに短い黒のショートパンツ、ハイソックスと長い手袋。それに黒いマント。全て黒一色だ。
なぜ、黒ばかりなのか聞くと、それは至極簡単な理由だった。
「上の世界は清潔感の塊のように“白”を基調としたものばかりでしょ。だから私達はそこに“黒”という叛逆の色を選んだの」
管理が行き届き、健康で誰も争わない清潔感に溢れた世界に彼女は黒という存在で入り込む。
ただ、そんな白を憎むような言い方をする彼女の髪の毛がその色をしているのには触れないでおく。
「やっぱり、カノンは似合うわね」
実際に着替えてみると、黒の良さを少し理解できた気がする。
「今でこそ、上の世界では黒い服はあまりないけど、昔はね、黒は女性の魅力を引き立たせると言われていたの」
彼女はなんでも昔のことを知っているような気がした。どれほどの知識を持っているのか知りたい。
「さあ、次は仲間に顔見せしないとね」
「え、でも私何も言うこと考えてない」
「何も言わなくていいわ。私が紹介するのだもの」
それなら安心だ。
ただ、自分で突然の自己紹介も出来ずにハイネに任せるというのが、何ともまだ情けない気分だった。
ハイネの横に立ち、他の仲間と呼ばれた人達より高い場所にいた。
先程まで騒いでいた人達がハイネの姿を見た瞬間、そちらに注目した。
「みんな、今日新しい仲間が加わったわ。志弦カノンよ。私達と同じ志を持つ彼女を喜んで迎え入れましょう」
拍手がわき起こる。
私の紹介はすぐに終わり、ハイネは忙しなくそれぞれの作業を見て回り始めた。
私にこの組織の内部を案内するのも兼ねてだ。
MOGプログラムに大規模なハッキングをしかける試み、ウイルスを流す方法を考え、試している部門などが主だ。
私が連れてこられたのは、銃火器などが置かれた射撃場という場所だった。
現代では、海外でも規制が厳しくなり、銃は人の幸福を奪う邪悪な物。
しかし、逆にそれが人の命を救うために必要な場合にのみ使用許可が下りる。だから、ほとんど犯罪など起きないこの世界では見ることがない。
「なんで、こんなものが必要になるの?」
「世界に亀裂を入れるために必要なの。私達を相手はみすみす見逃してくれるわけない。だから、防衛のためよ」
初めて見る銃に何だか胸の奥が踊る気がした。持ってみると重い。しかし、これが人の命を奪える道具の重さなのかと思うと、途端に軽く感じる。
「カノンにもそれを扱えるようになってほしいの」
「私が?」
「大丈夫よ。私にだって扱えるし、ちゃんと教育係も用意しているのよ」
ハイネが一人の団員を呼ぶ。凛々しい表情に背の高い女性だ。年は私やハイネより少し上だろうか。
「紹介するわ、彼女は七瀬ユアン。あなたに戦闘の術を教える教育係よ」
「七瀬です。よろしく」
よろしくお願いします、と握手を交わす。
「今日は顔合わせ程度で終わりにしましょう」
また、ハイネの部屋に戻る。
「カノン、今日は上に帰って大丈夫よ。また明日からよろしくね」
「え、上に戻るの?」
「そうよ。すぐに ここに住居を移す必要はないわ。まだ上で色々なことを終わらせてないでしょう。それを片付けて希望するならここに住めるの」
まだ上で終わらせてないこと。私の脳裏には一人の人物が浮かぶ。
***
もとの服に着替え、制服の方は別のもらった袋に詰め込んで地上に戻ってきた。
まだ、終わらせないとダメなことがいくつかある。
「カノン、お待たせ」
セリアが遠くから走り寄ってくる。
「待たせちゃった?」
「ううん、呼んだのは私だし。ごめんね、突然」
セリアを何回も呼び出してしまい申し訳ないが、今日は色々と聞いておきたいことがある。
私達は近くの川に行き、橋の上で話し始めた。
「結婚式はいつ?」
「一応、一ヶ月ちょっと先かな。まだ色々と準備があるから」
そうだよね、と私は返しながら橋からの景色を眺める。
「カノン、また何かあった?」
え? と言うと、彼女は心配そうな顔で私を見ていた。
「なんだか悲しそうだから。中学からの付き合い出し、もう十年近くにもなるから分かるよ」
「……うん、ちょっとね。セリアがお嫁にいっちゃうのが寂しいかな」
私の言葉にセリアはいつまでも友達ではなく親友でいるのだからと言ってくれた。半分冗談のつもりだったが、そう言われては本当に言いたいことを打ち明けにくくなった。
「ねえ、写真撮らない?」
突然の提案に驚く私に肩を合わせて立ち、腕の端末を高く掲げ、夜景をバックにツーショット写真を撮る。
これが最後の思い出なのだろうか。そう思うと私は本当に涙が出そうになったが、ここはMOGが働く場所。幸福にするために作られたプログラムは私に涙を流させなかった。
一ヶ月後。私はセリアの結婚式会場にいた。ウエディングドレス姿の彼女はとても輝いている。
仕事には一ヶ月前に退職願いを出し、昨日が最後の出勤だった。セリアにはそのことも含めて伏せている。
「セリア、おめでとう。似合ってるよ」
「ありがとう、カノン」
セリアは泣きながら私に抱きつく。
MOGは彼女の涙が幸せによるうれし涙だと判断して警告を出さないのだ。
私も彼女ほどではないが涙が流れる。 彼女から離れると、婚約者にセリアをよろしく頼むことだけを伝えて、その場を後にしようとする。
「どこに行くの、カノン?」
「ちょっと化粧直しに行くわ。すぐに戻ってくるから」
親友である彼女に嘘をついたことで胸が痛んだ。もう二度と会えるか分からない彼女に。
外に出ると、黒い車が停めてある。
「もういいの?」
「いいのよ、ハイネ。出してちょうだい」
私は急ぎ足で車に乗り、ハイネが車を出すように言った。
「地上に残る意志はなかった?」
「私はこの世界を変えたい。そのためには、今のこの地上の生活を続けている訳にはいかないの」
遠くなる式場から、新郎新婦を祝福する声が聞こえてきた。
もちろん、その光景を、私は見ることがなかった。
2、それぞれの五年
1
私が『神殺』に入団してからの五年で、地上は随分と変わったようだ。
一年目。大規模なハッキングを実現。ウイルスによりMOGの体温管理システムを一時的にダウンさせ、急激な体温の変化に耐えられず死んだ人間。およそ一〇〇〇人。
二年目。様々な車両の操縦権を奪取し、各地で大事故を起こし、出た犠牲者。およそ二三〇〇人。
三年目。MOG管理下の病院にある患者達を管理するシステムを停止させることで出た犠牲者。およそ三五〇〇人。
四年目。株価のシステムを操作することで市場の価値が大暴落させる。それによる、日本国内だけでの自殺した人間。およそ五七〇〇人。
そして、五年目。
私はハイネの部屋でいつものように紅茶を飲んでいた。
「最初の年に私達という存在がいることを教えてあげたのに政府は何もできないまま四年も無駄にしたのね」
笑顔で語りながら椅子の背に身を任せ、本を読むハイネ。
「一つ変わったと言えば、私達に対抗する意志として『神守』という、MOGを守る組織を新しく作ったことかしら」
私が言うと、ハイネは声を上げて笑う。「私達の行いが阻止されたことは?」
「なかったわね」
でしょうと彼女は嬉しそうにしている。なぜ、彼女がそんなにも嬉しいのか。
私達の祖先は六〇〇万年前近く前に生まれ、西暦二〇〇〇年以上システムなどに管理されることなく生きていた。
しかし、たった半世紀前にできたプログラムで今の世界は成り立っているに等しい状況だ。
それが、今度はたかが五年で覆りそうになっていることにハイネは喜んでいる。
「今年で五年目。上の人間は一年に一回の私達の行いに怯えながら生きている。いつ行われるかも分からない恐怖というのが一番人の心理に響く」
ハイネは毎年、何をしかけようかを、祭の出し物でも考えるつもりで想像しているのだ。
「教官のところに行くわ」
ハイネの部屋をあとにし、教育係であるユアンと一緒にトレーニングを行う。
「どうだ、もうここには慣れたか?」
「何回目ですか。もう充分慣れてます」
組み手をしながら話し、言い終わると同時に拳をおもいっきり突き出す。
ユアンは頭を逸らして避けた私の腕を掴んで投げる。地面に背中を打付けた痛みになんとか耐えた。
シャワールームである話をする。
「ハイネのこと、どう思います?」
「どうって、変わった所はあるか?」
「いえ」
本人には言いはしないが、私の中で地上へのやり方について最近、疑問が出始めている。
最初はこれで世界に亀裂を、プログラムに管理されない自分で生きれる世界を手に入れられると思っていた。
しかし、世界は一向に変わらない。死人をどれだけだそうがプログラムに頼りきりだ。
「彼女はマッドサイエンティストのような気質があるかもしれんが、同時に私達という人間を引っ張るカリスマ性の方が強いだろう」
ユアンの言葉に少し納得する。
彼女と別れた私は街に出る。もちろん地下のだ。
自分の家に帰る前にバーに寄った。この地下街はMOGプログラムが産まれる前から存在している街らしい。故に物資の流通ルートも固定されている。それが、滞ることなく半世紀も続いていることに感動を覚えるぐらいだ。
「お嬢さん、今日も同じのかい?」
「もうお嬢さんなんて年じゃないわ。いつものをお願い」
ここのマスターからすれば、年下の女性は誰でもお嬢さんなのだ。
『ジントニック』。
元はオランダの酒であるジンをトニックウォーターで割り、ライムを入れたもの。薄味だが、爽やかな香りが鼻を抜ける。この感覚が好きなのだ。
少し口に含んだ後、タバコに火を点け一服する。甘い香りが口に広がる。
マスターの出してくれた灰皿にたばこを置き、ニュースのチェックを始める。
地上では相変わらずMOG関連の話ししか出ない。それしか話題がないのだろう。私達がMOGにちょっかいを出さなければ、自然の暑さで、暴走した車で、医療システムダウンで、株価の暴落で大勢の死人が出ることはなかった。
今年も私達が何を仕掛けてくるか不安の声を上げている。
もう一度タバコをくわえた時だった。「隣、いいかしら?」
聞き覚えのある声に隣を見上げると、そこにはハイネの姿があった。
「ハイネ? どうしてここに」
ハイネがバーに来るのは珍しい。私が入団したての頃、大人の楽しみを教えてあげると言われ、一緒に連れてこられたのがこのバーだ。それ以来、一緒に来ていないが。
「『ホワイト・レディー』を下さる?」
ドライ・ジンとホワイト・キュラソー、レモンジュースで作られる。
“キュラソー”とは、十七世紀の後半、南米ベネズエラ沖のオランダ領、キュラソー島産オレンジ果皮を使用して作られる酒だ。
名前の通り、真っ白なその酒を彼女は飲む。白を嫌っているのに、なぜか髪と酒に関しては気にしていないようだ。
「ユアンに聞いたら、もう帰ったって言われてね。ここに寄るだろうと思ったの」
「何か話したいことがあるの?」
「私がなんで、お酒やタバコを容認してると思う?」
突然の質問に少し考えてから答える。
「MOGが許さないものを皆に解放することで自分は、MOGのように大衆を縛り付けるような管理をしていないということを示すため」
ふふ、と静かに笑い、半分当たりと彼女は言う。
「お酒とタバコは多くの理由で嫌われる。匂い、有害な物質、他者への健康被害。でも、この二つは以前までは長く親しまれ、愛好者にとっては生活の助けになっていた。ストレスなんかを軽減してくれるから」
「でも、それなら他にもあったんじゃないの? ストレス軽減なんて」
「当時は入手が容易だったのよ。それに今でもお酒の真似事のようなものは地上に出回っている。それぐらい長い付き合いなのよ。タバコは完全に地上では消えてしまったけどね」
確かに私は五年前の地上で疑似アルコール飲料というのを飲んでいた。あの時は私の中であれが酒だったが、今では信じられない。
「でなければ、半世紀前まで愛用されていたわけがない。何百年も親しまれていた。それをMOGは不要なものとして消去、規制をしたのよ」
彼女はグラスを揺らしながら、渦巻く酒を眺めている。
「でも、ドラッグはダメよ。あれは大昔から禁止されているからね」
「なぜ、ダメなの?」
「ドラッグは一時的に元気をくれる。やる気のない人間でもハイテンションになれる。その代償で次に来るのが使用前以上の脱力感。しかも、使えば止められないし、一回の使用量は増えるのに効果はどんどん薄れる。つまり、量に対する効果が見合わなくなってくるのよ。それならお酒やたばこの方がまだ効果が期待できる分いいのよ」
彼女は本当に凄い。なぜ、そんなことを知っているのか。
恐らくユアン教官の言っていた彼女のカリスマ性というのは私や他の皆にない知識の豊富さから来ているのだろう。
「カノン、私に不満があるならちゃんと言ってくれていいのよ。聞ける話なら聞くから」
私は彼女に対して不満を抱いていない。しかし、自分でも気付いていないだけで、この疑問は彼女に対する不満が関係しているのかもしれない。もしかすると、彼女は表には出さないが、内心怒っているのだろうか。
「ハイネ、もし気を悪くさせたなら、ごめんなさい」
私の謝罪に彼女は笑顔を崩さず、
「私が一度でもあなたに怒ったことがあったかしら?」
と言った。
確かにハイネが怒ったことなどなかった。
「謝らなくていいのよ。人が人に不満を持つというのは自然の摂理。それこそ、MOGの力の働かないここならではの感情というものなのよ」
彼女は本当に怒ってはいないようだ。
ならば、相談をしてみようかと思い、口を開く。
「あのね、上に対するやりかたなんだけど、もう少し他のやり方はないのかなって私思うの。いくら殺しても、考えが変わらないならもっと他のやり方を」
彼女はしばらく返答をしなかった。
少しの間を置いて彼女の口から出た言葉は,酒の注文だった。
「『ブルームーン』をもらえない?」
俯く彼女を少し見た私は、帰るわ、ごめんなさいとだけ言い、席を立った。
“ブルームーン”。
三つの意味を持つ酒。
それは『完全なる愛』。
それは『叶わぬ恋』。
それは『出来ない相談』。
2
ハイネとバーで別れてからの三日間、私が彼女の部屋に行くことはなかった。本部に顔を出して、仲間と話はしたが、ハイネの所には行かなかった。
「何かあったのか?」
ユアン教官に心配された私はバーでのことを話した。
教官は彼女がそんな風に話し合うのも、こんな気まずい関係になるのも私が初めてだと言った。それは特別な存在だと思われているからではないかと。
少し逡巡していると、カイルが走り寄って来た。
「お二人とも、団長がお呼びです。すぐに技術開発室まで」
私達三人は急ぎ足で『神殺』の最新技術部門まで来た。ここは主に上の世界に対する行いのための技術開発に勤しんでいる。
扉が開くと、技術者達の中心に彼女の、ハイネの後ろ姿があった。
「これはなんです?」
ユアン教官が隣に立ち、ハイネの目の前にあるものについて訊いた。
卵のような大きな機械。中には人が一人入れそうな空間がある。
「これが今年のMOGに対する行いに必要なものなの」
ハイネは嬉しそうに語る。
「“仮死装置”。人間を強制的に仮死状態に出来るの。その後はこの“蘇生薬”を打ち込む」
「なんのためにそんなものを」
私が訊くと、ハイネは自分の体にMOGが入っていないという話を覚えている? と言った。
一度この世から離れた彼女は、人としては生きているが社会的に死んだ、MOGのない人間になってしまった。
そこで私は気付いた。私達も同じようにMOGを体内から失くすことができるかもしれない。
「さすが、カノン。分かってくれて嬉しいわ」
「MOGを失くしてどうするの?」
「上の世界は何があってもMOG頼り。管理の神に見守られる必要がある。だからね、システムを体内から失くせれば地上に出ても私達が誰かは分からない」
ここはMOGが唯一介入しない場所。もし、外に出た場合、強制的に私達の中にあるMOGプログラムが働いてしまう。しかし、五年前に姿を消してしまった私のMOGのデータはまだ残っているのだろうか。行方不明からの死亡者扱いで消えていそうな気もするが。
「そこで、今日は誰にこれを使ってもらうかを決めたいと思ってね」
その言葉に皆は動揺した。
当然だ。仮死状態になる機械と言われてもぴんとこないし、なれたとして、蘇生薬などという曖昧なものがちゃんと効くかも分からない。
保証がないのだ。絶対的な安全をこの地下で欲することになるとは思わなかった。ハイネは笑顔のままだ。誰かが、やらなければ、そんな想いの中手挙げたのは。
「私にやらせて」
私自身だった。
「やっぱりカノンは素晴らしいわ」
どういう意味を込めて言ったのか分からないが、私は仮死装置の準備を待つことにした。
「よく手を挙げられたな」
ユアン教官が私の横で仮死装置を眺めながら言う。
「私もなんで挙げたのか。ただ、今の地上の世界にMOGを持たずに行くことがどんな感覚なのか。彼女と同じ体験をしてみたかったのかもしれません」
私は仮死装置の準備を同じように遠くから眺めているハイネを見ながら言った。装置の準備が整ったようなので、私は機械に入る。力を抜いて、もたれかかると様々な機械を腕、足、頭へとつけられた。これはその部分を一時的に死なせるために必要なのだ。
「実験の準備は整いました。蘇生薬も準備万端です」
そう言う技術者の傍らには毒々しい色をした薬の入った注射器が置かれていた。
「カノン、怯える必要はないわ」
体験したことのある先輩としてハイネの言葉ももらった私はいよいよ仮死状態に入る。
装置の蓋が閉められ、小窓から私の様子を眺めるハイネ達の姿が見える。始動した瞬間、私は意識を失った。
3
ここはどこだろう。目を覚ますと私は真っ白な空間にいた。黒の服が一際目立っている。
近くに人の気配を感じた。当たりを見回すと、宙に浮かぶ一人の人物がいた。
それは、あのハイネだった。
「ハイネ? なぜここに」
私は自然と浮き出るその疑問を彼女に言った。
そして、彼女が口を開いた。
「この世界をどう思う? 私はね、とても息苦しい。でも、皆何も言わずに生きている。だから、元のあるべき姿に戻った時、どうなるのか気になるの」
彼女はこの世界をそんな風に考えていたのか。私は別の方向を見る。
すると、そこには何故か母が立っていた。
「母さん? なんで、どうなっているの」
頭の混乱は収まらない。ハイネのいた場所に母がいる。
「カノン、あなたは強い人になりなさい。そうすれば、きっと素晴らしい人生を送れるようになるわ」
昔よく言われた言葉だ。だが、強い人とはなんだろう。ケンカが強い人? 頭のいい人? どちらにせよ、母の期待していた子にはなれなかっただろう。
次に見た別方向には父の姿が。
「父さんまで……ここは……」
「私の可愛い一人娘のカノン。君は誰も身内のいない東京で、どこまでやれていますか。無理はしなくていい。帰ってきたかったらいつでも帰ってきなさい」
私が上京して一ヵ月目に送られてきたメッセージ文だ。なんてことのない内容だが、心の底から嬉しかったことを覚えている。
次は誰か。私に深く関わりのある人間が出てくるのかもしれない。そう思い、次の人物が視界に入った。
しかし、その人物は出てきて嬉しくもあり、酷く悲しいものでもあった。
「セリア……」
私の感情は一気に奈落の底へと落ちた気がした。何も言わずにたたずむ彼女。五年前の姿の変わらぬ彼女。
私は彼女に一歩近づく。すると、彼女は後退る。また近づく、後退る。しばらくこのいたちごっこは続き、終わりを迎えたのは突然、私の足下が消えたからだ。落ちていく中で見た彼女の顔は笑みを浮かべていた。
うわあ! と叫び、跳び起きた私は息を切らせ、体中汗でびしょびしょだった。前方にもベッドが並んでいる。ここは『神殺』本部の医務室のようだ。顔に手を当て、今見たものが夢だと認識しようとしている私に隣から声がかかる。
「気がついたのね、カノン」
相変わらずの落ち着いた声で呼ばれる私の名前。ハイネが本を片手に椅子に座っている。
「ハイネ、私は……」
「おめでとう、実験は成功よ。さっきあなたの体をスキャンした所、MOGは消え去っていたわ」
その言葉に私は生き返ってから今まで寝ていたということが分かった。
ハイネにあのことを話した。白い空間。清潔感の塊。
私の話を聞き終えたハイネは、本を閉じると立ち上がった。
窓から地下の街を眺め、死の直前に見るものの話しをした。
「それは多分、“走馬灯”というものね。死ぬ直前に脳裏に今までの思いでが駆け巡ると言われている」
「じゃあ、人間は誰しも走馬灯を持っているの?」
「実はこの走馬灯はね、科学的に証明されているのよ。死の直前の脳って以外にも活発なの。それで精神状態が高まって脳裏に今までの人生が駆け巡ると言われている。脳があること。死ぬまでの時間がゆっくりしているなら見れるかもしれないわね」
私達が殺した地上の人間のどれぐらいが走馬灯を見てあの世にいったのだろうか。
少なくとも私は見ることができた。人生。なら、私の人生に関わりのあった人物はあの四人だけなのか。もし、死の時間的な問題で厳選されたとあれば納得できるが、その可能性はほぼないだろう。私の人生に深く関わった人の少なさは私の今までの行いが物語っている。
なるべく他者と関わらないようにしている人生だったのだ。
「じゃあ、私はあなたと同じ上の世界では死者も同然になったのね」
「そうよ。あなたは一度死を体験した。ちゃんと走馬灯も見るぐらいだからね」
実験が成功した私に次にハイネから告げられた言葉は、私を驚愕させるのも
当然のものだった。
4
二一二三年の九月。私はなぜか暑さを感じていた。まだ残っているであろう八月の余韻の暑さというものを初めて体験した。ここは地上の世界だ。
医務室でハイネから告げられたのは地上の世界に出ることだった。
スキャンで消えたのを確認しただけでは信頼が薄い。
だが、地上に出た時点でMOGの起動を知らせる表示が視覚に出ない時点で私の体からシステムが消えているのは明らかだった。
それは、私の視界を本部で観ることが出来るハイネ達にも分かっていただろう。
ハイネはもう少し、地上の世界での移動を命じる。
試しに私はMOGのない体で電車に乗ろうとして、改札に手をかざした。
すると、認証不可の四文字が改札のモニターに映し出され、ロックがかかる。一歩下がり、端末からの連絡を取る。
「やはり公共の乗り物は使えないわね。渡しておいた疑似プログラムでなら乗れると思うわ」
ハイネからの指示で、彼女から預かっていたMOGの偽物が入った端末をかざそうとした。
しかし、私が改札を通れることはなかった。誰かが、反対の手を掴む。振り返ると、駅員だった。
「お客さん、認証不可で止められたみたいですが」
私は表情を変えずに答える。
「それがどうかしましたか?」
「私達には認証が通らなかった方々を調べる必要がありまして。あのテロ行為以来、警戒が強化されているので」
駅員は続けて、認証が通らないなんて珍しい人物は調べる必要があると付け足した。
このままでは取り調べられる。私は咄嗟に駅員の足を踏みつけた。
痛みに緩んだ手を振り払い、一目散に走った。複数の駅員に追われたが、何とか人ごみに紛れ、逃げ切った。
その後も少し走り続けた私は公園のベンチで休憩することにした。
MOGの入ってない体のため、この夏の暑さを体に感じ、さらに走ったので汗が吹き出る。
「大丈夫、カノン」
通信を受け取ったが、心配しているであろうハイネの声のトーンはいつもと変わらないため、本当に心配なのか分からない。
「大丈夫よ。認証が通らなかっただけで、あそこまでするとは思わなかったわ」
駅員はテロ行為以来警戒が強くなったと言っていた。恐らく私達の行ったものだろう。
私達の行為が逆に地上の人間のMOGを信じる気持ちを強めているのではないだろうかと、そんな思いが私の頭に浮かぶ。
少し体を休めたら引き続き移動を開始するわと告げ、通信を切った。
視覚情報もオフラインにしておく。
ふと、耳に水の音が入ってきた。顔を上げると、目の前に噴水がある。子どもが喜んで噴水から一際吹き出る水を浴びている。
そうか、ここはあの公園だ。彼女と、亡白ハイネと出会った公園。相変わらず正午に吹き出る噴水の変わらない様子に私は自然と小さな笑みを浮かべていた。この世界にも変わらないものがあっても良いだろうと思い。
以前なら、ここでハイネが姿を表しているころだ。
私がすぐ側の地面を見ると、そこには誰かの影があった。
ゆっくりと顔を上げ、その人物を見た。私も、私の顔を見たその人物も驚きを隠せなかった。
「……カノン?」
私の名を呼んだのは、真っ白な服に身を包んだかつての親友、清江セリアの姿だった。
私の唯一の親友。彼女を裏切ったのは五年程前の彼女の結婚式の日だった。
時が止まっていた。私と彼女の中だけで。それもそのはずだ、五年前に突然姿を消した人間がひょっこりと自分の前に表れたとなれば。
「カノン……あなたは、志弦カノン?」
尚も私の名を呼ぶ、彼女に私はどう返せばいいか分からなかった。
「誰ですか? 私はそんな名前ではありませんが」
表情を険しくして、咄嗟に別人のフリをした。
用事があると言って立ち上がり、歩き始めた。
「待って! もし違うならあなたの名前を教えてください。なぜか、MOGに出ないんです。あなたの名前が……」
痛い質問だ。MOGのことについては絶対に言えない、だが、濁すと余計に厄介なことになりそうだ。
「桐島ミラ。私の名前よ。これで満足できました?」
彼女の気をMOGから逸らすために先の質問に答えた。
思いつきで出た名前を名乗ると、彼女はまだ納得がいかないようだったが、やがてすみませんでしたと頭を下げ、手を離した。
私は振り返ることなく、彼女の元から去った。
視覚情報、通信機能を全てオンラインに戻す。
「今からそちらに戻ります」
そう短く告げて、私は地下へと戻る道を歩み始めた。
5
私は親友と酷似していた女性に声をかけてしまった。
納得はいかないが、人違いだと思うことにして、職場に戻るため歩く。
中央(セントラル)ビルの下層にある私の所属組織。世間からは存在すらも怪しまれているという『神守』の本部がある。
白いコートを上に着て、白一色の内部に戻ってきた。みんな同じ制服に身を包む。
五年前に働いていた会社は結婚してしばらくしてから辞めた。親友である志弦カノンが密かに退職願いを出していたのには驚かされたものだ。
自分のデスクに戻り、近年のテロ行為をまとめた資料の整理を始めた。
すると、私のMOGに個人通話が入ったので、団長の部屋へと向かう。
自動ノックがなされ、中からどうぞ、と声がかかる。部屋の奥にある机と椅子。そこに一人の男性がいる。
「ご苦労だね、清江君」
部屋の奥にいる一人の男性が私にそう言う。
私達の長、神楽坂ユーリ。なぜ、彼がこの団体の長なのか。それは、この組織を作った総理が決めたことらしい。何か彼が総理に一目おかれる存在なのかはわからないが。
「君を呼んだのはある映像を見てもらうためだ」
そういうと、彼は私の前に空間ディスプレイを表示し、映像を流し始める。
駅だ。何の変哲もないその映像を私に見せたかったのだろうか。
だが、そこにある人物が出てきた。
先程、私が親友であるカノンと間違えた人物だ。改札で止められている。認証が通らなかったのだろうか。駅員に呼び止められ、逃げる彼女。映像が切り替わる。
公園になった。ここはさっき私がいた。彼女が表れた。ベンチに座って休んでいる。そして、次に表れたのは私だ。
「これは?」
「先程、MOG管理局に情報の確認できない人物が発見されてね、この映像が送られてきた」
「話というのは彼女のことですか?」
「この公園での映像は、駅の映像を観た私自らが追跡機能を使って手に入れたものだ。すると、偶然にも君が映っていたんだね。彼女と何について話していたのか訊こうと思って」
団長は私が彼女を逃がしてしまうところまで見ているに違いない。
恐らく、私が彼女と知り合いで、意図的に逃がしたと思っているのだろう。
「行方が分からない私の友人に酷似していたので声をかけてみたんです。確かに彼女からMOGの存在は感じられませんでしたが、私情を優先してしまいそのことについては触れませんでした」
「なるほど。で、彼女は君の友人だったのかね?」
私は少し間を置いて、人違いでしたと告げ、団長室を後にした。
彼女はやはり、志弦カノンだったのだろうか? 私は自分のデスクに戻り、管理局のデータベースに問い合わせる。
『神守』は捜査の一環として、MOG管理局から調べたい人間の情報を検索することができる。
「コード番号:ZX29620。桐島ミラという人物の情報を表示して」
音声認識で検索を始める。
すると、一件だけ、その名前でヒットしたので、その人物の情報を映し出す。
しかし、映ったのは全く別の人物だった。映し出された桐島ミラの写真は先程の女性と全然違った。
「どういうこと……。やっぱり、あれは……志弦カノンで検索を」
次の検索をかける。
だが、そのデータは存在しないことになっていた。MOGから彼女のデータが消えた時間を見ると、昨日の日付だった。
なぜ、今になって突然、彼女のデータが消されたのか。
デスクに置かれた写真立てに目をやる。二つある内の片方は、夫と一緒に映る少女の写真。
そして、もう一つは五年前に橋からの夜景をバックに撮った親友との写真。
認証の通らない彼女。
偽名を使った彼女。
MOGのない彼女。
私の中で、あの桐島ミラと名乗った人物が限りなく志弦カノンに近い存在になった。
私は街頭カメラの映像を取得する。
先程、団長から観せられた映像のその先。彼女が歩いていった道を辿るため。
しかし、カメラに映っているのは公園からでるところまで。用心しているのか、全然カメラに映り込まない彼女。
私は目を凝らして映像を何回も再生する。しばらく同じ映像を凝視していたせいで、目の疲労が分かる程になってきた。MOGから休息を取るように指示が出たので、私は椅子の背もたれに体を預けて大きく深呼吸をする。
「なんだか、お疲れのようね」
私の机を覗き込むようにしてくる彼女。
御崎(みさき)クロエ、この団体が設立された時からの私のパートナーだ。
「ちょっと調べものがあってね」
「さっき団長に呼ばれてたこと?」
私はそうよ、とだけ答えて席を離れる。
「どこか行くの?」
「まだ、昼を済ませてないのを思い出してね。一緒に来る?」
クロエと一緒にビルの上層にあるレストランに行く。
「じゃあ、さっき観てた映像はその偽名を使った人が親友か確かめるためだったの?」
「ええ。そうでなかったとしても、偽名を使うなんて、後ろめたいことがあるに違いない」
もしかすると、あのテロ行為集団の一味かもしれないと付け足す。
「確かに、その可能性はあるわね。私達も何も出来ないままだし、早く見つかるといいのだけれど」
しかし、私には彼女が本当に赤の他人であることを願う気持ちが産まれる。
もし、カノンだったとして。突如姿を消した親友が社会を脅かすテロ集団の一人になっているなど考えたくなかったからだ。
「そういえば、旦那さん達は元気?」
クロエからの質問に我に返る。
「娘と一緒に映った写真をよく送ってくるわ。向こうは快適みたい」
カノンが消える前に結婚した私の夫。テロ行為が起こって二年目。私と彼の間に子どもが出来たが離婚した。
しかし、本気で離婚した訳ではない。神守に入る条件として未婚者というのがあったためだ。
私が入りたかった理由は、日本を脅かすテロ集団を捕まえることというよりも、親友であるカノンを探したいというのが大きい。
夫には迷惑をかけてばかりだ。私が神守に入りたいと言うと、当然反対した。だが、私の無理な説得を聞いている内に観念したように了承してくれた。
離婚届けに判を押しても、私達はお互いに愛し合っているし、今でも連絡を欠かさずに取っている。
彼は娘を連れ、アメリカへと飛んだ。それはテロ行為から逃れるため、娘を連れて避難したのだ。
別に私の旦那だけではない。
外国に避難する日本人は数を増している。受け入れ先の国も日本の状況を知り、歓迎してくれている。
まさしく、全世界平等システム万歳といった感じだ。
「この恐怖がなくなった時、皆帰ってきてくれるといいんだけど」
「そうね。皆幸せに暮らせれば」
それはカノンも一緒にという願いも持って言ったものだった。
引き続き、カメラ映像を何回も観る。別の角度から、視点変更も行う。
だが、どうしても映らない。彼女の姿が見えない。
私は明日もう一度、公園に行くことにして、家に帰る準備をした。
「もう帰る?」
クロエが訊いてきた。
「ええ、一緒に帰る?」
「うん。ちょっと寄り道して帰ろ」
クロエに連れてこられたのは、
5
予想外の出来事に私は帰る最中ずっと無意識のままだった。ただ、街頭カメラに映り込まないようにだけは体が自然と動いていた。気がつくと、地下への扉に着いていたので、中に入る。
いつもと変わらぬ街。今ではここが私の住む場所なのだ。
「お帰りなさい。疲れたでしょう」
本部について早々、ハイネに出迎えられた私は休ませてとだけ言って、自分の家へと引き返す。
帰ってきたという報告のために顔を見せにいっただけだ。
家に着いてすぐ、ベッドに倒れ込む。汗でまだ濡れている服が肌に引っ付く感触の気持ち悪さも、明かりが点いていないことも私にとってはどうでも良かった。
自然とセリアの顔が浮かび上がる。
五年前の花嫁姿の彼女と今日見た彼女。何も変わっていなかった。
顔を合わせてすぐに私の名前が出てきたことに驚きと喜びが重なった。それが、今になって私の中に出てくる。
涙が出た。ごめんね、ごめんねと口から出る謝罪の気持ち。
翌日。私はあの公園に来ていた。彼女、桐島ミラと名乗った志弦カノンに酷似した人物の手がかりを探すべく。
外に出る時は『神守』のコートは着てこないようにしている。組織の人間と分かられては困るからだ。
だから、一般人にしか見えない私が簡易スキャンシステムで普通の公園を調べているのが、おかしく思われる。
なるべく、不自然でないように。そう思いながら、昨日彼女が座っていたベンチ、それから歩いていった方向へと足跡を画像データとして取込みスキャニングする。
その足跡を辿ると、徐々に辺りが暗くなっていく。建物が多く並んでいるのに人の数は少ない。それに全体的に荒んでいる。
この日本にまだこんな場所があるとは思わなかった。割と近い場所のはずなのだが。
そんな思いで、私は行き止まりに差し掛かる。引き返そうと振り返った。
すると、曲がり角から複数人の男が表れる。
「こんなところに迷い込むなんてツイてないなあ。俺達が道案内してやるよ」
明らかにただの輩ではない。
結構よ。とその男達の横を通り過ぎようとした。まあ、待てよ。
その言葉と同時に手が掴まれた。
反射的な行動だった。その男の腕を掴んで投げ飛ばしていた。地面に叩き付けられた男はのびてしまった。
他の男が一斉に襲いかかる。そこまで広くないこの場所でこの数を相手に戦うのは分が悪い。
『神守』に入団してから行ってきていたトレーニングがこんなところで役に立つとは思わなかった。
男達は見かけ倒しで全然強くない。これなら、私だけでも。
そう油断してしまった私の背後に拳が迫る。顔を少し後ろに向けたので気付いたが、もうガードしている間はない。
だが、その拳は私に当たることはなかった。男の体が吹き飛ぶ。
そこには昨日見た彼女。桐島ミラが男を殴り飛ばした状態で立っていた。
「あなた……」
「こっちよ」
彼女は私の手を取ると走り出した。この複雑な道を何も見ないで走る彼女は何者なのか。
しばらく走った所で表の道路に出た。乱れた呼吸を戻し、彼女の顔を見る。
やはり、似ている。
「ありがとう、助かったわ」
「何であんなとこにいたのかは知らないけど、もう近寄らない方がいい」
「それは約束できるか分からないけど。目的は達成できたわ」
簡易スキャンを行ったが、やはり、MOGが認証できない。
スキャンに気付いた彼女の目つきが鋭くなる。
「何度も言うが、私はあんたの知り合いじゃないよ」
「では、桐島ミラさん。これはあなたですか?」
昨日調べて出た、本物と思われる桐島ミラの写真を見せる。
彼女の眉間に皺が寄る。
「あなたが偽名を使ったのは気にしないわ。この際、水に流す。ただ……」
私の言葉に彼女は驚いていた。
「いくつか聞きたいことがある」
彼女を半ば強引に連れてきた。それは、私が五年前、カノンとよく昼に来ていた店だ。
彼女がもし、志弦カノン本人ならば、何かしらの反応は見せるに違いない。
「ここは認証なしでも別に何も言われないわ。安心して」
「安心って、私はもう帰りたいのだけど」
「まあ、少しだけ話しをさせて。あなたは確かに私の知り合いとは違うかもしれないけど、勝手に知り合いだと思わせて、と言ったら怒る?」
彼女は少し考えたようだが、
「勝手にして」
とだけ言うと、水の入ったグラスに口をつける。
「じゃあ、まず質問だけど。あなた、あの男をあんなにぶっとばす腕力をなんで持ってるの?」
彼女は腕を組んで言う。
「その質問、そっくりそのまま返させてもらっていいかしら?」
そう言われるのも無理はない。
私の方が彼女よりも一般人として見られるだろう。そんな私が複数人相手に無傷で戦っていたなど疑問を持ってもおかしくない。
「仕事柄、いろいろとね」
何の仕事をしているのかまでは言わなかった。
だが、仕事で体を鍛えたのは事実である。嘘というのは多少の真実を混ぜる方が効果的なのだ。
すると彼女は、
「じゃあ、私も同じ理由よ」
私の返答に合わせてきたのだ。
「何ですって。真面目に答えなさい」
「真面目よ。あなたと同じかは分からないけど、仕事上必要なのよ」
彼女の言葉がどこまで真実かは分からないが、追求しても答えないだろう。
「まあ、いいわ」
私が次の質問をする前に注文していた料理が運ばれた。
彼女の様子を見たが、何も変わった感じはなく、食べている。
「次は私から質問してもいいかしら?」
料理をある程度食べた所で、彼女が箸を置いて話す。
彼女の質問とはなんだろうか。
「答えられる範囲だけ答えるわ」
「それでいい。じゃあ、質問だけど。あなた、結婚はしている?」
この状況でそのような質問がくると思っていなかった私は戸惑った。
「なんでそんな質問を」
「興味本位。では、ダメ?」
私は少し考えて、結婚はしているとだけ言っておいた。
「その生活は幸せ?」
「……ええ、まあ」
私は曖昧な返し方しかできなかった。夫とは電話でしか話さないからだ。
「そう、なら良かった」
彼女は少し俯きながら、そう呟いた。
「ねえ、ミラさん。あなたは本当に何者なの?」
私は彼女のことを詮索する気持ちが抑えられなくなった。彼女がもしカノンであったとしても、なかったとしても。
「何者、か。難しい質問よね」
「え?」
「MOGという管理の神が体にいないだけで自分が誰かを相手に分かってもらうのが困難になる」
確かに、MOGを認証して相手がどんな人物かなどを分かることはできる。
しかし、彼女が言っているのはそういうことではなさそうだ。
名前、年齢、性別などの上辺だけの情報でなく、人間性について。
相手がどのような思想を持ち、動いているかなどはシステムで分かるものではない。
だから、私は言い直した。
「違う、私が聞いているのはそんな表面上のことじゃないの」
「じゃあ、何だって言うの?」
それは。その先から言葉が思いつかない。この場合、先に挙げた名前などの表面上の情報の方が欲しいのではないか。自問自答をしている私に待ちくたびれたかのように彼女は立ち上がる。
「悪いけど、もう帰るわ。上司に怒られるから」
立ち去る彼女の背中を呼び止める。
「また会えないかしら」
振り返った彼女は、
「多分、もう会うことはない」
とだけ言って、店を出て行った。
私はその後も、彼女の座っていた座席を眺めながら、自分は彼女の何を知りたいのか、自分の中に問いかけることで一杯だった。
6
私はハイネに許可をもらってもう一度地上に出てきた。この狭い路地から抜け出せば、大通りに出られる。
ただ、その時、何か物音が聴こえた。近寄ると、何やら騒いでいるようだ。
こっそりと覗いてみた。
そこには、複数の男に囲まれた、昨日出会ってしまった親友、セリアの姿があった。
まずい、と咄嗟に身を引いた。
助けなくては。しかし、これ以上彼女との接触は避けたい。
私の中で二つの意志が衝突する。以前までのMOGのある体なら勝手に判断は出されていただろう。
だが、今は私自身の考えで行動しなくてはならないのだ。
そして、体が先に動いていた。男を殴った後からは何も考えていなかったので、とりあえず、彼女の手を引いて走った。
懐かしかった。彼女の手を引いて走ったのは初めてではない。
昔の話だが、彼女と仲良くなって少しした頃だ。
学校から近い場所にある高台で空一面に星が観える場所があると言われた時だ。そこで、祭があると聞いた私は彼女とその祭に行くことにした。
私は正直あまり行く気はなかった。人と関わるのがあまり得意でない。この管理社会を幸せだと思っていた当時でもその気持ちはあった。
高台を目指して歩いている最中だ。祭の音が、人の声が聴こえてくる。
何故だろうか、その音、声に私の心よりも体の方が先にセリアの手を握っていた。早く行こう。その一言と同時に駆け出していた。
今回は星を観に行く訳ではなかったが、思い出が私の頭に浮かび上がる。
本部に戻った私はすぐにハイネに帰還報告をしに行く。
「二時間だけでも外の世界は楽しかった?」
「懐かしさは味わえたわ」
彼女は私に紅茶を渡すと目の前のソファに座る。
「あなたが嬉しいならそれでいいわ」
紅茶を一口啜ったハイネはカップをテーブルに置くと、いつもの笑顔で話し始めた。
「そういえば、今年の計画を決めたのよ」
その言葉に緊張が走る。
一体どんなテロ行為なのか。
私には想像もつかない。私は、どんな計画なのと訊いた。
「MOGを消した体でMOGを殺す」
それはつまり、私達と同じ状態にした皆で管理の神を破壊しようというものだった。
「どうやってそんなこと」
「システムの入っていない私達は認知されない。つまり、MOGの置いてある場所、MOG本部に殴り込みをかける」
「でも、システムが入っていなくても、結局バレるんじゃ」
「殴り込みと言っても真っ向からじゃない。少数人数で行う。残りの人員は外に気を向けさせるための陽動作戦を行う」
彼女は懐から黒い球体の物を取り出し、私の目の前に置く。
「これは、爆弾よ。威力や範囲はそこそこだけれど、MOGのメインPCを破壊するには充分なはず」
「なんでこんなものを?」
「カイルに作らせたのよ。彼、こういうの得意だから」
私はハイネの言う計画がどういうものか徐々に分かってきた。
「つまり、私含め何人かは本部のビルに潜入して、メインPCを破壊。それ以外の人間は陽動を行うことで戦力を外に集中させる」
「理解が早くて助かるわ」
「この作戦が成功したらどうなるの?」
私は素朴質問をした。MOGを破壊してしまっては、私達のいる意味はなくなる。その後はどうするのか。
「簡単ことよ。私達人類が――」
彼女は右手を胸に当てた。
「元の人間に戻るのよ」
3、世界の本質
1
私達は作戦決行前にして潜入に必要な人選、ルート確認などを行った。
「内部への潜入は私、ユアン、カイル、そしてカノンを含め残り三人を連れて行く。後の皆は陽動作戦よ」
ハイネの言葉に一斉に返事をする団員。ユアン教官やカイルも私と同じように仮死装置を使うことで、MOGは既に消えている。
入念な計画を立てた私達に残されたのは、それを実行することだけだった。
作戦の決行まで、暇な私は本部を歩き回る。
成功しても失敗しても、この本部を歩けるのは最後だろうから。
技術開発室でカイルの姿を見つけた。
「何をしているの?」
声をかけてこちらを向いた彼の側に例の物とは別の爆弾らしき物が置かれているのに気付いた。
「団長に言われた時限爆弾を作っているんです。メインPCの破壊以外にも使えるかもしれないので」
彼はまた作業に戻る。私は側にある木箱に座り、訊いてみた。
「ねえ、カイル。あなたはなぜこの組織に入ったの?」
彼を手を休めずに答えた。
「僕の両親はMOGの開発と運用に携わっていました。僕が小学生の時からですかね。二人とも家に全然帰ってこなくて、生活に必要なお金は置いてくれてましたけど、僕は毎日システムが出してくれる料理のメニューや家事をすることに飽きていました」
そこで彼は休憩のためか、手を止めて、私の方を向いた。
「そんな僕が中学生になった時です。公園のベンチに座っていると隣に誰かが座ってきました。それが、団長との初めての出会いでした」
ハイネと出会った公園。もしかすると、私の時と同じ場所なのだろうか。
「彼女は僕の隣で本を読み始めました。ただ、その時はそれが本と呼ばれる名前のものだと知らなかったので、思いきって訊いてみたんです。彼女は優しく僕に説明してくれました」
彼女らしい、そう思った。
「それから、しばらく彼女と会っている内に僕が何気なく世界に飽きていると言ったんです。冗談まじりでもあったのに彼女は何て言ったと思います?」
彼女が何と言ったのか、続きを促す。
「『この世界はいずれ変わる。でも、人間はまた同じことを繰り返すの。退屈しない世界を創ろうとしてどんどんと退屈な世界にしていくの』って」
そんな思想を随分と前から持っていた彼女。私にはそんな考え思いつきもしなかっただろう。
「その言葉に僕は感銘を受けました。たとえ、退屈する世界になるのだとしても、世界が変わる瞬間を見てみたい。彼女について行けばそれが見れるとね」
彼は嬉しそうに語った。彼女の言葉には人を引きつける魅力が存分に備わっているのだろう。彼女自身にその気がなくても。
「なら、もうすぐ世界の変わる瞬間が見られるのかもね」
私はその場を後にした。
再度、本部内を歩き回る。
すると、トレーニングルームの中央で正座をしているユアン教官がいた。
「志弦か。どうした?」
「暇なもので、少し歩き回ってまして」
教官は私に横に座るよう言った。彼女に色々と教わったこの部屋とも別れが近い。
「志弦、お前はなんで亡白団長について行こう思った?」
ユアン教官は鋭い目を閉じて話し始めた。
「私は元軍にいた人間でな。実際戦場に出ることはなかった。というより、私の産まれる少し前からMOGは稼働していた。だから、世界ではもう紛争の起こった後だった」
軍というのは言わば、警察組織で対応できない犯罪が起きた際に出動する。
しかし、MOGのあるこの世界では犯罪が起きることなどほとんどなく、大体が警察だけで充分の対処ができるものだった。
「私は何のために軍に入ったのか。この訓練は何の意味があるのか。もちろん、私達の出番がないということは平和の証拠だ。本来なら喜ぶべきはずなのだが、そんなことを考えている日々だった。そんな時、あのメッセージが送られてきた」
それは恐らく私と同じものだろう。
「最初は信じなかった。でも、しばらくしてもう一度そのメッセージを読んだ。何かが変わる。もしそうならという思いで彼女に出会った」
教官はしばらくすると、昔話にふけってしまったなと笑い、計画に備え休息を取ると言った。
二人も私と同じだ。この世界に対する退屈だ、飽きたといった思いを持ち、亡白ハイネという先導者に出会った。彼女の言葉、行動、そしてカリスマ性がこの世界にいる彼女と同じ思いを持つ人間を引き寄せたのだ。
私は自分の家に戻り、最後の計画に備えて休息を取ることにした。
2
三日後、私達はアタッシュケースを持ち、順に地上に出る。
「まずはカノンから。次にカイル、ユアン、他の皆が行った最後に私で行くわ」
ハイネに言われた私は、MOG本部に着くと、正面ではなく、周囲の外壁にワイヤーを突き刺して上った。
壁を超え、地面に着地する。すぐ側にあった監視カメラをサイレンサー付きの拳銃で撃つ。
無事を確認できると、合図を送り、仲間を呼ぶ。
次に近くの窓をピッキングで解錠し、音を立てず、中に侵入する。
「そろそろ始めていいわよ」
ハイネが陽動作戦担当のチームに無線で指示を出す。
早速遠くから爆発音が聞こえてきた。
陽動作戦のチームは敵戦力を分散させるために三つに別れて暴動を起こす。
窓から入ると、そこは廊下だった。館内の3Dマップを表示し、私達は最上階を目指す。
警備員も陽動のための爆発音に気付いていたようで、早速警戒態勢の強化を言い渡されたのか、忙しなく動いている。
ユアン教官が二人組の警備員の背後から忍び寄り、首をナイフで裂き、黙らせる。
途中、電力供給のためのPCなどが置かれている部屋を見つけた私達はユアン教官と残り三人に爆弾の設置を命じて、引き続き上を目指す。
しかし、上の警備は強固だった。カイルとハイネが応戦する。
「カノン、あなたは上に行くのよ」
「そんな、私だけで……」
「あなたなら大丈夫よ。行きなさい!」
「カノンさん、お願いします!」
私はハイネ達を残してメインPCのある部屋を目指す。
そして、メインPC前の警備員達に手榴弾を投げ込み、一掃した後、扉の電子ロックを破壊し、扉を開ける。
この世界の本質と相見えるために。
3
彼女と話してからの数日間。私はいつも通りの仕事の日々に戻った。
「じゃあ、結局彼女は親友じゃなかったの?」
「そう思いたいわね。これ以上追っても辛いだけだし、彼女にも迷惑だし」
もっとも、彼女が普段からどこにいるのかも分からない。
仮にあの路地に行けば会えるとしても、毎度あんな危険な目に遭うのはごめんだ。
クロエと休憩所でコーヒーを飲みながら、設置されているテレビに目をやる。
いつも同じ時間に放送しているニュースが映し出されている。
「私達って、毎年行われるテロ行為のために結成された組織の割に手がかり掴めないわよね」
クロエが頬杖をつき、テレビを眺める。
「予告もないテロというのは、対処できない。私達にできるのは、起こってしまってからの対処だけなのよ。だから、決して意味がない訳じゃない」
私のいつになく真面目な言葉にクロエは笑っていたが、確かにと納得していた。
「私達にもいる意味はあるってことね」
「そうよ。だから、職務を怠るわけ――」
私が言い終わる前に、速報を知らせる音が鳴り、さっきまでの映像が切り替わる。
ニュースキャスターが緊張した声で速報を読み上げ始めた。
「緊急速報です。たった今、都内の三カ所で同時爆発が起きました! 現場には黒の服に身を包んだ集団がいる模様、テロ行為の可能性が極めて高いとのことです!」
彼がそのニュースを繰り返すと同時に
私とクロエに緊急招集の通信が入る。
三分後、私達は団長により、講堂に集められた。
「諸君、もう分かっているだろうが、例のテロ行為が今年も行われてしまった。 だが、今回はいつもと手口が違う。相手姿を見せてきたのは初めてだ。このテロ行為は奴らにとって、最後の祭という合図かもしれない。つまり、泥沼の殺し合いが始まる。命を捨てたくないものは逃げろ! 自分の家族、友人を守りたいものだけは戦え!」
泣いている隊員や、不安な表情の者も多数いる。
だが、誰一人として団長の言葉に逃げ出すものは誰もいなかった。皆命を捨てる覚悟ということなのだろう。
講堂から解散した私達は、各担当の準備室に行き、装備を整える。
「本当に死ぬかもしれないんだよね」
クロエが特注の防弾性ブーツの紐を結びながら、銃の弾倉をベストの中に詰めている私に問うてきた。
「あなたの背中は守る。だから、あなたは私の背中を守ってよね」
私の言葉に彼女は隣に立ち、拳を突き出してきた。
私はその拳に自分の拳を当てる。
「頼りにしてるわよ、相棒」
「こっちもね」
装備を整えた私達は、爆発の起こった三カ所にそれぞれ出動することになった。
それぞれ、A、B、Cと割り振られ、私達はBの敵の鎮圧担当となった。
道中の車内で私は考えていた。
今まで直接の姿を見せることのなかった相手がなぜ急に大規模な爆破テロなど行うのか。
普通なら、その場に仕掛けて逃げるはずである。
しかし、彼らは私達が来ているというのにその素振りすらない。
まるで、私達が来るのを待っているかのようだ。
何かが違うのだ。今回のテロ行為は。
現場に着いた私達は周囲の逃げ遅れた市民を捜索しながら、敵との撃ち合いを始める。
バリケードにしている車越しに見える相手の頭に一発ずつ当てていく。
私一人でもう五人は殺しただろうか。実のところ、私は任務で銃を撃つのは初めてだった。それは、他の隊員も同じこと。
今まで行われたテロ行為で相手がいることはなかったからだ。
しかし、普段からトレーニングをしているので、人相手は初めてにしても上出来ではないだろうか。
人を殺しているというのに吐き気はおろか、罪悪感など微塵も感じない。
新しいマガジンを装填している間にクロエが応戦する。
「まったく、二時間も経たない内に殺し合いが始まるなんて! ここは本当に日本なのかしら!」
クロエが怒気混じりの声で叫びながらマシンガンを撃つ。
そんなクロエを見る私の視界の端に、少女の姿が映った。
私達と敵のいるバリケードから真ん中。斜めにある車の側で泣いている少女がいたのだ。
「クロエ、援護して」
私は、彼女の服を引っぱり、事情を話す。
分かった、と力強く頷いた彼女がカウントを始める。
五、四、三と数字が少なくなるに連れ、私はバリケードから飛び出せる姿勢に入っていく。
零、とクロエが叫んだ瞬間、私は少女がいる斜め前にある車に向かって。
クロエは前方の敵に向かって発砲を行う。
クロエが走っている最中の私を狙う敵を抑えるべくフルオートで発砲する。
その間に私は、少女のいる場所へと距離を縮めていく。
ようやく着いた所で、少女を抱え込む。車のドアを開いて、バリケード代わりにする。
「大丈夫」
少女の間近で私は叫ぶ。銃弾が飛び交う騒動の中では、普段話すときのような声量では聞こえないだろう。
少女は涙を流しながら頷く。
彼女を抱えながら元の場所まで戻るのにマシンガンは向いていない。
私はマシンガンを背中に回し、太腿のホルスターから拳銃を抜く。
彼女に弾が当たらないように片手で抱え込み、もう片方の手で敵に発砲する。
元の場所までそれほどの距離は開いていないはずだというのに長く感じる。
二人とも無傷で戻ってきた頃には、敵の数も減少していた。
最後の一人が諦めずに撃ってきたが、こちらのスナイパーの一発で銃声が止んだ。
「こちら清江、Bの鎮圧作戦を完了した」
私は本部への連絡に続けて、少女を一人保護したことを伝える。
『了解、A・Cも鎮圧が近い。引き続き周囲を警戒せよ』
私達の班には特定のリーダーなるものがいない。連絡できるものがそれを行えと、それでいいのかと疑問を持つこともあるが。
通信を切った私にクロエが歩み寄る。
「ひとまずは落ち着いたわね」
「助かったわ、ありがとう」
「いいのよ、私じゃ助けようなんてすぐに思えなかった」
クロエは、銃の整備を行いながら、少女の乗せられた救急車を眺める。
「今回のテロで出た被害者はいつもよりも少なかった。奇襲を受けたにしてはいつもより充分な成果よ」
「違うのよ」
思い悩んだような彼女を励まそうと声をかけたのだが、彼女はそれを否定した。
「あんな小さな子も巻き込んだ奴らは、人の心を持ち合わせているのかしら」
それに関しては、私からは何も言えない。
「あまり、考え込むのはよくないわ」
それぐらいの助言しかできなかった。
彼女はそうね、と少し俯いて答える。それにしても、と今度は私が疑問を話し始める。
「何故、いきなり敵は姿を見せてきたのかしら。今までと同じだとすれば、おかしいわね」
私が車内にいた時からずっと考えていた疑問にクロエが言った。
「敵はもうテロ行為を終わらせようと、大規模な奇襲をしかけたんじゃないかしら」
彼女の言葉に引っかかる。
終わり、最後。敵にとっての今までのテロ行為は何のために行われたのか。
そして、その終わりとは何を目的としていたのか。
今までの事件を思い出し、私は考えた。そして、一つの答えが私の頭に浮かび上がる。
「これは、陽動の可能性がある」
私の言葉に彼女が問う。
「陽動って、一体どういうこと?」
「私達、『神守』の目を引くため。つまり、ある場所から目を逸らすための偽装されたテロ行為だとしたら」
そこでクロエも何かに気付いたようだ。
「なら、敵は別の場所にまだいるということ」
その言葉に頷いた私は、恐らくと続けて言う。
「MOGシステム管理局本部」
私はすぐに車内の通信機から団長に繋ぐ。
推測だが、敵の狙いはMOGであるのかもしれないことを伝えると、本部への移動許可が出た。
私とクロエ、他の処理を任されている団員以外はMOGシステム管理局本部に向かうことになった。
もしそこに敵がいるのなら、私達にとっても最後の戦いになるのだろう。
世界の本質、MOGシステム。この世界を管理しているそのシステムの前に私は立つ。
暗く巨大な空間の奥に青白く光る大きな球体の装置が見えた。
それこそが、MOGシステムのメインPCの役割を果たしているのだろう。
ゆっくりと歩み寄る。今、私はこの世界を変える。人間をあるべき姿に戻す。そんな英雄にでもなったかのような勝手な思いを胸に。
だが、私の足は装置の手前で止まった。メインPCというからには機械だと思うのは当然のことであった。
しかし、私の目に飛び込んできたのは球体の中の青白い液体。そして、その中に体を丸めて入っている人の姿だった。
そして、そこから見える顔に私は驚いた。それは私のよく知る人物。
「……ハイネ?」
メインPCと思われるそれの中に入っていたのは、私達の長、亡白ハイネの姿だった。
「ようやく、来たかね。待ちくたびれたよ」
背後からの声に振り向くと、そこには黒いスーツを着た、細身の中年の男性が立っていた。
「あなたは」
私は銃口を向け、彼に問う。
「私は神楽坂ユーリ。君達の対抗組織『神守』の団長。そして」
私の奥の球体を指差して言った。
「この世界の本質、MOGシステムの産みの親だよ」
4
私は教室というこの小さな世界の隅でいつも見ていた。教師が黒板に書く文字を規則正しいリズムで写す生徒達。
その旋律は私にとって耳障りなものでしかなかった。いつも同じようにみんな一緒のリズムでペンを動かす。
なんてつまらない。退屈な世界なのだ。私はその旋律を奏でるセッションに参加しなかった。
いつも授業中にノートを広げるだけ、後は教室の人間を見るだけ。見てもおもしろいものは何もない。
ただ、そんな時、一人だけ私の目を引く人物がいた。
教室の真ん中にいる彼女。志弦カノン。私と同じようにノートは広げているが、ペンを動かさない彼女。
私は少し心が高揚した。きっと、彼女も退屈しているのだ。私と同じように。そんな人間が私のすぐ身近にいたのだ。
その日の放課後、教室に残っていた私は忘れ物を取りに来た彼女に会う。
これは偶然かと思った私は、彼女に声をかける。
「ねえ、志弦カノンさん」
私の呼びかけに彼女の体が少し動く。
「何ですか」
普段話したこともない、いつも教室に一人でいる私に突然声をかけられては、無理もないだろう。
「落ち着いて」
両手を前に出し、彼女の警戒を解こうとした。
「少し、訊きたいことがあるのだけど、いいかしら」
彼女は変わらず、私を疑問の眼差しで見つめるが、話を聞いてくれた。
「あなた、この世界のことをどう思う?」
彼女がこのシステムに動かされている世界にどのような不満、嫌悪感を持っているのか聞きたかった。
きっといい答えが聞ける。私は満面の笑みで彼女の答えを待つ。
だが、楽しみにしていた私の期待は見事に外れてしまった。
「いい世界だと思いますけど。システムに管理されて保たれた秩序を私は否定しません」
呆気にとられた私は、そう、とだけ呟き、去っていく彼女の背中を見つめた。この世界がいいと思うのならなぜ彼女はノートを取らなかったのだ。なぜ、周りの人間と同じ旋律を奏でなかったのか。
やはり、この世界で私だけなのだろうかそんなことを考えるのは。
私はそんな思いを胸に残りの高校生活も過ごしていくことになった。
そして、三年になった私にある男が訪ねてきた。
「初めまして、亡白ハイネさん。私は神楽坂ユーリと申します」
名乗る彼は私をある場所に連れて行きたい、そう言って車に私を乗せて走らせた。
その車が着いたその場所は、MOG本部。正しくはMOGシステム管理局本部。
その最上階にあると彼は私を連れて中に入る。こんな重要人物しか入ることのできないような場所に制服姿の私は当然不自然である。周りからの視線の中、神楽坂の後ろについて歩く。
彼がエレベーターに入り、最上階に行くためのボタンを押す。
エレベーターから下りると、目の前には大きな扉があった。
神楽坂はそれをいとも感嘆に両手で開ける。見た目の割には軽いようだ。
私を先に招き入れ、扉を閉めた。
中は暗かったが、奥から差してくる青い光で広い空間ということは何となく分かる。
彼が歩いていくのに再度ついていく。段々とその青い光の正体が見えてくる。
「これは?」
私は質問する。
「あなたが嫌うMOGシステムです」
彼は冷静にそう答えた。
私は驚いた。これが、MOGシステム。中に誰か入っているのが見える。
その人物には見覚えがあった。
「数年前まで名を馳せていた、芸術家だ」
「なぜ、彼がこのシステムの中に」
「MOGシステムというものの仕組みを説明するところから始めましょう」
人を幸福にしてくれる世界、それをつくる管理システム。
「幸福とは何か。そのための管理とは何か。それを実現するために必要なもの」
神楽坂博士はMOGシステムを見上げながら、言った。
「幸福を知らない者が作り出す世界こそが理想の幸福を実現出来る」
つまり、彼は幸福を知らない脳を持つ人間だったためにこの球体に収まっているのだろうか。
そして、私は幸福を知らないということだろうか。
「あなたはこの世界を幸せだと思っていない。ならば、自分で創ってみてはいかがですか。自らが望む、幸せで退屈のない世界を」
なぜ、私がそんなシステムの中枢となる権利をもらえたのか。
「MOGシステムとしての活動には限界がある。およそ十年で一度交代を行う。彼が全国民、そのデータを見てあなたを指名した。あなたはこの世界に不満をとても抱いているからでしょう」
「だから、私に世界を創れと」
「彼の意志でそうなったとしておいてください」
私はこの機会を与えられたことにとても嬉しかった。
自身の体をMOGシステムとすることに決めた。
私がこの世界を創ることができる。
だが、いざシステムとしてこの世界を管理して分かった。思うようにいかないことを。
私はなぜシステムになったの?
私はどうしてこの世界が憎いの?
私はこの世界をどう変えたいの?
これはおそらく後悔というものなのだろう。システムになってしまったことに対する。
そんな思いが私を満たした時、もう一人の私が産まれた。
悪の心で満たされた私が。
5
「ハイネは自らシステムなると?」
私は驚きながらも神楽坂博士の話を聞いた。この世界を憎み、新しく変革をなそうとした彼女。
「彼女は自らシステムとなることで世界の変革を計ったが、それは叶わなかった。何故だか分かるかね」
どういうこと、と訊くと博士がMOGシステムの深層を語り始めた。
「MOGシステムは幸福を知らないものの考えが世界を幸福にできると言った」
だが、と彼は続けてそれを否定した。
「あれは、建前だ。このシステムが何を管理しているのかを話そう。ところで、君は今の私の年齢が分かるかい」
何の脈絡もなくされた彼の質問に私は少し戸惑った。
落ち着きを取り戻し、彼の年齢は四〇代ぐらいだと、曖昧だが答えた。
「正解だよ。開発した時の年齢はね」
その言葉の意味を理解する前に博士が話し始める。
「MOGシステムとは全世界平等のためのもの。管理の神だ。では何を管理しているのか。全人類の命だと言われたらどう思う」
そこで、私はようやく理解が出来た。
「まさか、MOGは人の生死を決めている……」
「その通り。人の寿命。それは全てMOGの中に入った者が決めている。この世界をより良い方向に持っていくために毎日産まれる人間の寿命を決め、彼ら彼女らの人生をも決める。その莫大な管理がどれほど負担のかかることか私達には想像もできないだろう、私だけは自らもMOGにより長い寿命に設定している」
恐ろしい話だ。今の世界の人間は産まれた瞬間から死までの具体的な時間が決められているのだ。それを知らずに決められた選択をして生涯を過ごしていた。そんなことが世間に知れ渡ればただ事ではない。
「だが、彼女は変えたよ。この世界を」
博士は付け足すように言う。
「彼女がMOGになってからだよ。こんなにもシステムが脅威にさらされ、何人もの人間が犠牲になり、今も外では殺し合いがなされている。前までの人物ならこうはいかなかった。自分が変えてやる。世界の中心だと言う割には何も変わらなかった」
確かに彼女が高校三年になった時からシステムの中枢になったとすれば、約十年でシステムが脅かされる事態になった。
「彼女の悪の部分がシステムのない世界を望み、そのための協力者達を集めた。こんなことをしたのは彼女が初めてだ」
博士が嬉しそうに両手を広げた瞬間、その背後でカチリと撃鉄が落ちる音がした。
「お久しぶりね、博士。まだ本体の方の私は、あなたを殺さなかったのね」
ハイネだ。悪の方のハイネ。
「君こそ。ただ自分に会いに来たというわけではなさそうだね」
博士は笑顔のまま振り返る。ハイネも同じように笑いながら銃を構えている。
「私の任期も終わりかと思ってね」
「まだ、次を見つけてはいないさ」
「いるじゃない最適な人物が」
「それは実に興味深いよ。だが、私は見れないのだろう」
「よくお分かりで」
ハイネはそう言うと引き金引いた。
博士の頭から綺麗な鮮血が床に飛び散り、ゆっくりと体が床に倒れた。
何が起こったのかも分からないまま、彼女を見つめる。
「ハイネ……あなたは」
「ごめんなさいね、カノン。あなたにはいずれ話そうと思っていたのよ」
歩み寄ってくるハイネに私は銃を向けた。
「それ以上近寄らないで」
「私はあなたを殺さないわ。もちろん、あなたも私を殺せない」
ハイネは持っていた銃を投げ捨てると、話し始めた。
「私はこの空間からずっと世界を見ていた。行き交う人間を。そして、かつて私の期待していた人物がいた。あなたなのよ、カノン。私があなたに近づいたのはね――」
私は彼女の言葉一つ一つに震えが強くなる。
「あなたが次のMOGシステムにふさわしかったからよ」
6
MOGシステム本部に着いた私達は正門の警備員に事情を話し、ゲートを開けてもらった。
車を建物の入り口前に停め、再び装備を確認する。
「中には精密機器もあるから、EMPグレネードは使えない。銃の使用も極力なら抑えたい所ね」
クロエの言葉で、皆装備は最小限に抑えた。
元から一般公開された建物ではないのだが、外部からの関係者もくるであろうということで、受付などは用意されている。
しかし、エントランスには誰もいなかった。
急ごう、と私の言葉に全員エレベーターに向かう。
二手に別れるということで、私とクロエは名寺エレベーターに乗り込んだ。
「やっぱり、敵はここに来ているのかしら」
「断定は出来ないけど、可能性はかなり高い、慎重に行きましょう」
私がクロエの肩に手を置いたと同時にエレベーターが大きく揺れて急停止した。
非常ボタンを押しても何も起こらない。私は持ち上げてもらい、天井から出る。もうすぐ側の階に着く寸前の所で扉が爆破されていた。
「開けられないことはなさそうね、手伝って」
エレベーターの中から引き上げたクロエに右側の扉を開けるように頼み、私は左側の扉を開ける。
もう一人ついてきていた男性の団員が、開いた瞬間からの敵の襲撃に備えて銃を構える。
一、二、三と音頭を合わせて扉を開けた。
開かれた瞬間、男性団員が頭を撃たれ、その場に倒れた。
私とクロエは、途中まで開いたところで隠れる。倒れている男性の足を引っぱり、自分の元に寄せた私は、装備を取り外して、自分のものとする。
この際、仕方のないことだ、微かに痛む良心を胸に扉の隙間から少し顔を覗かせる。
だが、こちらが少し顔を見せただけで、敵は何発も撃ってきた。すぐに顔を引いた私はどうしたものかと考える。
向かい側にいるクロエを見ると、何かを持った手を見せてきた。
それはスモークグレネードだ。
彼女はそれを銃撃が止むと同時に扉の隙間から投げた。
煙幕が充満したのを見計らい、エレベーターから出た私とクロエは、MOGシステムの生体情報認知機能を使い、煙幕の中にいる人間が認知ができるようになった。
正確に頭に弾を撃ち込んでいく。
次々と生体反応が消えていく中、猛然とこちらに向かって走ってくる反応があった。
私とクロエが撃った弾をいとも簡単に避けてきた人物は長身の女性であった。私の目の前に出てきたその女性に反射的に拳を放つが、外れてしまったその腕を掴まれた私は床に叩き付けられた。
そのまま、頭を踏みつけてこようとした彼女にクロエがタックルを喰らわせる。
「セリア、早く行きなさい!」
痛みを堪えて起き上がった私に、女性を押さえ付けているクロエが叫んだ。
「ここは私が抑えるから! あなたは行くのよ!」
私は必ず敵の団長を捕まえ、戻ってくると約束し、彼女の横を抜けて奥の階段に走っていく。
クロエは女性の首を締め落とそうと試みるが、女性の腕力は相当なもので、ゆっくりと首を掴んでいた腕が引き剥がされる。
女性はクロエの手が首から少し離れたと同時に勢いよく手を振り放し、腹部に拳を一発叩き込む。
彼女は衝撃吸収性のベストを着ていたため、ダメージは軽減された。
しかし、少し動いた私を体の上から退けた女性は、倒れた状態から後転倒立、そして立ち上がった。
「その格好、貴様軍人か?」
攻撃を受けた部分を抑えてかがんでいる私を見下ろした彼女が問うてきた。
「ちょっと違うかな……」
苦しさの中ゆっくりと立ち上がり、腕を構える。
「なんだ、違うのか。そんなまがいものが本物であった私に勝てるわけがない」
「ああ、あなた軍人だったのね。どうりで、戦い慣れてる訳だ」
彼女が戦闘に慣れていることに関して分かったところで、私は考える。
訓練ではない、本物の戦場と化した場所での痛みというのがこんなにも激しいものとは。
「私の仲間を葬った貴様の名前は聞いておこう」
「MOGによって、私の情報は表示されているはずよ」
「生憎、私の体にはもうシステムがないんでな」
「どういうこと」
「そのままの意味だ。さあ、名を教えろ」
礼儀を重んじるタイプなのだろうかと思った私は、MOGシステムが入っていないという彼女の言葉は気にせず、名乗った。
納得したようにうなずいた彼女は、私に向かって名乗る。
「七瀬ユアンだ。死ぬ前に最後に聞くのが私の名前とはツイていないな」
「悪いけど、そう簡単に死ぬつもりはないの」
私は走った。エレベーターが使えないので、階段で上を目指すしかない。
次の階に上がっても階段、階段と続くのにうんざりしたのは、最上階に近くなった時だ。
そして、階段を上りきったところで気付いた。
警備員達の死体の向こうに誰かいる。咄嗟に壁に密着すると私に気付いたであろう誰かが、発砲してきた。壁が削れる。
敵の位置が分かったところで、私は壁から跳び出して走り出した。
ちょうど敵も姿を表した時だった。私の視界に映ったのは、まだ若い青年だった。
二人同時に引き金を引いたことで、私は腕に、敵は足に被弾した。
被弾したと同時に私は床に転がる。
敵が足を引きずって床を這うのを見た私は、痛みに耐えて彼を追う。
MOGからの警告表示を消去して、止血帯を取り出し、腕に巻く。
追いついた私は、足から血を流した青年の胸ぐらを掴んで顔を近づける。
「あなた達のボスは最上階にいるのか。早く答えなさい」
「僕達を止めるな。人間は戻るべきだ。元の自分たちで考えることの出来る姿に」
私は彼掴んでいた手を放し、床に頭を叩き付ける。青年は笑みを浮かべると同時に気を失った。
私は、最上階を目指して再び走り始めた。
7
いつから私はこの世界が嫌になったのだろうか。少なくとも高校時代まではこの世界はいいと思っていた。授業中に考え事をしてしまい、ちゃんと集中していない時はあったが、それでもこの世界が嫌だった訳ではない。
会社に入った瞬間からだったか。毎日着けば、決められた仕事内容が渡され、同じ電車に乗って通勤、帰宅を繰り返す。
同じことを繰り返させられるこの世界の仕組みに、大人になってから気付いたのだ。
「私がシステムの中枢に……」
目の前に立つ、現MOGシステムのメインPCこと亡白ハイネの言葉を私はすぐに受け入れられなかった。
「私の任期はそろそろ終わり。次をあなたに引き継いでもらえば、このまま世界を変えることは出来るかもしれない」
「そんな、私にそんなことが」
「出来るわ。あなたにはそれ以上の素質があるの」
私の体からMOGシステムが消えた日の話を始める。
「そもそも、MOGシステムを体内から消すことはできないの。私の体内にMOGがないのは、私が本体から分離したより実体に近い存在だから。仮死状態になれば、消えるなんてのは嘘。本体ほどの権限はないけど、ここに残されたメインPCから特定の人物のMOGの存在を隠して見つけることが出来ないようにすることが出来る」
つまり、私の体内にはまだMOGシステムは残されているのだ。
「あの仮死装置も偽物よ。ただ、睡眠ガスを噴射して眠らせただけ。その後は私の力でMOGシステムを隠しただけ」
「でも、なんでそれで私がMOGシステムのメインPCになる必要が?」
「MOGシステムになるために必要なのは、この世界に対する不満、変革を求める思考。あなたは私の次にそれが充実している」
私は自分でも知らずの内にハイネよりもこの世界を変えたいという思いが大きくなっていたというのか。それも自分ではなく私が嫌っている世界の本質に教えてもらうことになるとは。
「あなたは、次のMOG。そして、最後のメインPCの役割を担う者」
そのハイネの言葉に引っかかった。
最後? 私が?
「ハイネ、どういうこと?」
私が訊くと、彼女は一瞬笑みをうかべ、歩み寄って来た。
私の構えていた銃を彼女がゆっくりと手で下ろさせる。
メインPCである自分の本体が入っているその球体に触れた。
「ただいま、善の私。もう充分役目を果たしたでしょう。後は分かってるわね」
呟くように彼女がそう言うと、その体が光り出した。
「何!」
「カノン、私はもう行くわ。後はあなたに任せる」
「何を言っているの! 私がどうすれば!」
彼女のその姿が消えそうになる。その瞬間だった。
私と彼女の間に銃弾が線を描くようにとんできた。
「やっぱり、桐島ミラなんかじゃなかった……」
私の親友である清江セリアが銃口から煙の出ているマシンガンを構えて、この空間の入り口に立っている。
ハイネからはいつの間にか光が消えていた。彼女は笑みを浮かべているはずなのに、その目はちっとも笑ってはいない。
「セリア、あなた」
セリアがゆっくりと歩み寄ってくる最中、倒れている博士の死体に目をやる。
「だ、団長。なぜ、こんな……」
「あなた、もしかして『神守』に入っていたの」
セリアは私を睨んだ。
「カノン、あなたはやっぱり志弦カノンだった。私があなたをどれだけ探したと思う? 『神守』に入ればあなたを見つけられるかもしれないと思って入ったのよ。あなたが突然姿を消してどれだけ傷ついたか、あなたが偽名を使った時どれほど悲しかったか、助けてくれた時どれほど嬉しかったか」
私は胸を締め付けられている気がした。やはり、セリアは私が本物の志弦カノンということに気付いていた。
私の唯一の親友。いや、今はハイネも私の友人である。
「清江さん、お久しぶりね」
「亡白ハイネさん。あなたは死んだと思っていた」
「表向きはね。でも、今は世界の本質としてここにいるの」
セリアは彼女の言葉が理解できなかったようだが、背後に眠るもう一人のハイネを見て、どういうことかを問う。
「カノンはね、私が選んだ次のMOGのメインPCになる人物なの」
「なんですって?」
「あなたはこの場にお呼びじゃないの」
ハイネから表情が消える。これが彼女の怒っている状態なのだろうか。
「ハイネ、止めて」
私が彼女を制止するように手を前に出すと驚いた表情でカノンとだけ呟いた。
「セリア、あなたには謝っても許してもらえるとは思っていない。でも、謝らせてほしい。ごめんなさい」
「カノン、あなたを許すも許さないもないわ。だからこの状況を説明して」
私は言われた通り、全てを話した。この世界の本質であるMOGの秘密、その開発者があなたの上司だと、そしてハイネが現メインPCであると。
「そんなことを信じろと言うの……?」
「今更何を言っているの。あなた達が今まで頼っていたものの姿を知っただけではないかしら?」
セリアはハイネを鋭く睨む。
「セリア、私はMOGになることで、この世界を変えてみせる。だから、いくらあなたでもそれは邪魔させない」
「バカなことを言わないで! そんなことを信じているの。私は日本を守る一員として、親友としてもあなたのしようとしていることを止めなくてはならないのよ!」
セリアは銃を投げ捨てて駆け出した。
私も自然と体が動く。
「ハイネ! 早くメインPCの準備を」
私が言うと、再度彼女の体が光り出す。
『メインPC権限引き継ぎプログラム、再起動します。四〇%進行』
ハイネの口から電子音声が流れる。
私はセリアの突き出した右手の脇を抜け、彼女のみぞおちに一発おみまいする。
しかし、彼女の着ていた防弾ベストに衝撃を吸収され、期待していたダメージはなかったようだ。
セリアは私の頭を掴み、顔めがけて膝蹴りを繰り出す。体を回転させ、その手から逃れ、蹴りを避ける。
『プログラム進行六〇%』
「カノン、バカなことはやめて! あなたのことはもう怒ってない! この世界に不満があるのなら、私も一緒にいるから!」
「もう遅いのよ、セリア! この世界は変革を必要としている! それに外ではもう私達の仲間が騒動を起こしている! 取り返しはつかないのよ!」
私とセリアは互いにこの五年で鍛え上げたであろう体をぶつけ合いながら、叫び合う。本心からの叫びだ。
『プログラム進行九〇%』
私とセリアは相変わらず殴り合いを続けている。
そして、私は彼女の太ももから、彼女は私の胸の横についているホルスターから互いの拳銃を抜き、銃口を向ける。
「もう時間がないわね」
「そのようね」
息を切らしながら、お互いの頭にしっかりと銃口を向けている。
「あなたはこの五年で随分と変わったわね、カノン」
「あなたの方が変わったわ、セリア」
五年ぶりの再開。普通なら、何があったのかを話し合うのが親友なのだろうが、私とセリアのそれはまったく違い、命を奪う駆け引きだった。
「考え直す気はないの?」
「言ったでしょ、もう遅いのよ」
「まだ、間に合う。今からでもあなたはやり直せる」
「そうじゃないのよ。私じゃない、世界をやり直すの」
『プログラム進行九九%』
セリアは私に向けていた銃口の向きを素早く変え、ハイネに向けた。
そして、一発の銃声が響く。
目の前には銃を落とし、手を抑えて跪くセリアの姿があった。
私は自分でも分からぬ内に彼女の持っていた銃を撃っていた。
『プログラム進行一〇〇%。プロセスの終了。引き継ぎメディアを生成します』
ハイネの体から光が消える。
「ハイネ!」
私は彼女の元に走り寄り、倒れるその体を抱き寄せる。
「カノン、私の役目は終わり。次はあなたの番よ」
ハイネはそう呟くと、私の懐にある爆弾をつつく。
「分かったわ。あなたの意志は」
彼女は今までで一番嬉しそうな笑みでその姿を消した。
球体が開かれ、彼女の本体が培養液と共にゆっくりと出てくる。
私が彼女の本体を抱きかかえると、それはまた発光し、小さな少女へと姿を変えた。
「これは?」
私の誰に対してでもない問いに答える声があった。
『彼女はまた新たな人生を歩みます。亡白ハイネであったこともMOGであったことも完全に忘れて』
「あなたは?」
『私はメインPCの脳に繋がれることで世界を管理するプログラムです』
「じゃあ、次は私があなたとリンクすることになるのね」
『そういうことです。引き継ぎメディアの生成が完了しました』
プログラムがそう告げると、機械のアームが一錠のカプセルを渡してきた。
『今までの全データを凝縮したものです。それを飲んで頂ければ私とのリンクも可能になります』
「そう。悪いけど少し時間をもらえる?」
私の好きなタイミングでカプセルを飲むようにプログラムは言った。
「セリア」
私は彼女のもとに歩み寄り、『神殺』の黒いマントで体をくるませた、かつて亡白ハイネであった少女を手渡す。
「この子のことお願いしてもいい?」
「……この状況で、よくそんなことが言えるわね」
先程まで本気で自分を殺そうとしていた相手からの頼みなど、普通は聞こうなどと思わないだろう。
彼女は呆れた表情を作っていたが、溜め息をついて立ち上がる。
「でも、あなたが私に頼み事をするなんて珍しいわね」
私の手から、その少女を引き取った。
そして、これからどうするかを訊いてきた。
私はタバコを取り出して火を点け、一服する。
「それ、タバコ?」
「吸ってみる?」
彼女は一瞬躊躇ったが、一本だけ箱から取る。火を点けてくわえると、彼女は咳き込んだ。
「ははは、最初はやっぱりそうなるよね」
「よくこんなもの吸えるわね」
「大人の楽しみよ」
私は吸い終えたタバコを床に落とし、踏みつけた。
「この子は施設に預けようと思うわ」
「あなたに任せるわ」
「もう行くの?」
「ええ、私が創る。いえ、これからの人類が創る世界を楽しみにしているわ」
私はカプセルを飲む前に持っていた手帳にあることを書き残し、セリアに渡す。
「これは?」
「昔、死ぬ前の人間が死後のことを考えて書き残した手紙、遺書っていうものに近いかもしれないわね」
「私が読んでいいの?」
「ええ、あなただけじゃない。世界に公表して」
私がそう言うと、彼女は呆気に取られた表情を見せた後、いよいよ泣き出しそうになった。
「さっきまで命をかけて闘ったとは思えないわね」
「カノン、やっぱり、あなたには死んでほしくない」
私は少女ごとセリアを抱きしめ、ここから逃げるように言う。
「最後に喧嘩だけで別れることにならなくて良かった。あなたはこの世界を良い方へ持っていけるよう、頑張って」
私の言葉に涙を流しながら、彼女は頷く。
彼女が出て行って数分後、私はカプセルを飲み込み、あの球体の中に歩いていく。爆弾のスイッチをオンにして。
メインPCに繋ぐための電極が背中に刺さり、私の意識は遠退いていく。
また新たに注がれる培養液に満たされる前、最後に私は言った。
「ありがとう」
それは、今まで私に関わってきた全ての人物に向けてのものだった。
閃光とともに轟音が響く。
本部の上部が揺れ、下部にも音が響いた。
中にいた人間と、その周囲にいた人間が何事かと混乱する。
たった一人、清江セリアを除いて。
エピローグ
エピローグ
MOGシステムは崩壊した。あっけない程、簡単に。世界中から管理の神は消え、人々はシステムに頼れない世界に混乱して、あちこちで暴動が起きた。
しかし、以前までほとんど機能していなかった警察、軍組織が活躍をみせ、一時的に騒ぎは収まっている。
『神殺』に所属していたメンバーで生き残った者は皆、留置場行きとなり、裁判を行うことが決定している。
三ヶ月後。私は大きな建物の真ん中で、大勢の人間に囲まれ、全世界に中継されているカメラの前に立っていた。
親友である志弦カノンが残した遺書を持って。
「今から私の話す言葉は私自身のものではありません。今回のMOG崩壊テロ行為を行った集団『神殺』に所属していた一員のものです。そして、私の親友でもあった彼女が世界に残した遺書です」
私も開いたことのない彼女の遺書。
世界に何を残そうとしたのか。
世界に何を伝えようとしたのか。
その全てが恐らくこの中に詰まっているのだろうと思い、私は今、遺書を開いて読み上げる。
“世界のみなさん。私はMOGの脅威となる存在であった『神殺』の一員、志弦カノンという者です。あなた方に私の言葉が届く頃にはもう混乱も一旦収まった頃でしょう。そんな混乱をあなた達に招いた私からの言葉など聞く耳を持たないでしょうが、私は言いたいことがあります。まずはMOGシステムの秘密から――”
彼女は世界にMOGシステムの秘密を話すことにしたのだ。
たとえ、それが第二の混乱を招くとしても。
私は引き続いて彼女の言葉を代弁する。
“ですが、皆さん。落ち着いてください。もうMOGシステムはありません。あなた達は産まれた時から、
寿命が限られることもなく、
決められた行動をすることなく、
同じことを繰り返すことなく、
自分たちの考え、意志を持って生きることが出来るのです。私のしたことは決して許されることではないでしょう。多くの人が死に、悲しみに溢れる世界に戻ってしまうと思います。それでも、私はいいと思うのです。人間が人間らしく生きる。システムに全てを任せて生きるのではなく。そんな世界を私は願っています。MOGシステムのメインPCになる私からの言葉は以上です。死んでもなお、私は蔑まれ、罵られても文句は言いません。私にはその権利がないのだから。
ですが、私がしたことを正しいと思ってくれる少ない賛同者がいるならば、頑張って世界を創ってほしい。システムに生かされる世界ではなく、自立した世界を。その願いを全世界の人々、そして、親愛なる清江セリアと亡白ハイネに捧げます。”
彼女の遺書はそこで終わっていた。
私が読み終えた少し後にその場にいた全員から拍手が起こった。
表示されている幾つものモニターからも拍手する老若男女の姿が見える。
私は自然と涙を流していた。
彼女の言葉はきっと全世界に届いただろう。世界中の人間の心を動かす彼女の言葉に影響を受け、世界は変わり始める。自分の考えで生きるのだ。
二四年後。
二一四七年。日本。
真っ黒な車に乗る二人の男女がいる。
「知ってるか? 二四年前の今日、世界にあの人の遺書が公開されたんだぜ」
と男が窓に頬杖をついて呟く。
「知ってるわよ。そのせいで私達みたいなのが必要になっているのよ」
と女が運転席に足を上げて答える。
「そう言うなよ。今の世界だって悪くもないだろう?」
「言いたくもなるわよ。せっかく管理された社会があったってのに。おかげで、犯罪の件数は増えるわ、就職が困難になるわで、自殺者も多くなって、世界は悲しみに包まれてるわよ」
「そうでもねえさ。俺は今の世界もこの仕事も好きだぜ」
男は嬉しそうに腕輪の端末から表示される小さな少女の写真を見せてくる。
「今いくつだっけ?」
「今年で五歳だ。可愛いもんだぞ、娘ってのは」
「その内、私みたいになるかもよ」
「それはそれで構わないさ」
冗談でしょ? と女が言うと、端末に連絡が入った。
『二二区で強盗発生。犯人は人質をとって立て篭っている。現場付近の“治警(ちけい)”は直ちに急行せよ』
「こちら弓月(ゆづき)アレン・秋月リゼ捜査官、至急現場に向かう」
男がそう答えると、やれやれと言った感じにシートベルトを締める女。
「そう嫌そうにするなよ」
「早く終わらせて帰りたいところね」
二人の乗った車がエンジンをかけて動き出す。
新しい世界の幕開けである。
管理の神
初めまして。初投稿です。
自分でも初めてこんなに長い作品を書きました。
そんなに長くもないか……。とにかく初尽くしのこの作品、まだ未熟な自分の書いたものなので、指摘したい場所は嫌というほどあるかと思います。
なので、読んで暇があるならアドバイスもらえたりすると嬉しいです。
というか、読んで頂けるだけでも嬉しいです。
これからも頑張って小説を書けていければと思います。
後、もっと分かり易い文章表現を出来るよう精進していきたいなあ、という思いも込めて、ここまで読んでくれた人に本当の感謝を込めて言います。
ありがとうございます。