宗教上の理由 第七話
まえがきに代えた登場人物紹介
田中真奈美…両親の都合で親戚筋であるところの、とある山里の神社に預けられる。しかしそこにはカルチャーショックが満載で…。
嬬恋真耶…本作のヒロイン(?)である美少女(?)。真奈美が預けられた天狼神社の巫女というか神様のお遣い=神使。フランス人の血が入っているがそれ以外にも重大な秘密を身体に持っていて…。
嬬恋花耶…真耶の妹。容姿端麗・頭脳明晰・スポーツ万能とあらゆる面で完璧な少女だが、天真爛漫で、性格も良い子なのでみんなから好かれている。
嬬恋希和子…女性でありながら宮司として天狼神社を切り盛りしている。真耶と花耶のおばにあたる。実はおっちょこちょい?
「お母さんから連絡があってね? 入院のことなんだけど」
さっきまであたしは、真耶が新入生歓迎パーティーで着た衣裳に再び袖を通し、それを見ていなかった花耶ちゃんのために歌を披露していた場面に同席していた。そのとき希和子さんが席を外し、携帯で何やら話し始めた。最初は自分に関係することとは思わなかったが、電話が終わった希和子さんに呼ばれたので来てみれば。
ドキッとした。まさかママの身に何かが? と一瞬思った。けど希和子さんはあたしの動揺に気付いたのか、すぐに緊張を緩めてくれた。
「あ、いい知らせよ? お母さん思ったより経過が順調で、早めに退院できるかもしれないって」
ほっ。命に関わるような入院じゃないことは分かっているけど、初めてのことだから内心不安はある。だからいい知らせだったので胸をなでおろした。
「ほんとに? 良かったぁ。で、いつ頃なんですか?」
「連休明けてから検査とかやって、どんなに遅くとも5月いっぱいには退院できそうなんだってさ。でもね」
でもね? ってことは、やっぱり何かあるの?
「あ、お母さんの身体については大したことじゃないのよ? ただしばらくは通院をマメにしなきゃいけないし、でも問題は通院する病院なのよ。お母さんはね、こっちのお医者さんにしばらくかかりたいって言うの。お母さんの病気については専門の名医さんって評判でね? あとこっちの病院はリハビリするのにいい施設も揃っているし、スタッフさんも良い人ばかりなんだって」
ああ。それは良いことだよね。治りも早くなりそう。あれ、でもその場合まさか東京から通院するわけじゃないよね?
あたしの不安に対応するように、再び希和子さんの顔が真剣になった。ここからが大事よ、と言ってあたしの顔を見据えると、本題を切り出した。
「本当は私から言う話でもないんだけどね。お母さんこっちの病院にしばらく通いたいから、もう少しこっちに居たいっていうの。その場合に真奈美ちゃんをどうするのか、ってこと」
うん。それはそうだ。まさかあたし一人で東京の家で暮らすわけにも行かないでしょ。
「でもね? お母さんは真奈美ちゃんの気持ちを尊重したいって言うの。もちろん一人暮らしとかは無理よ? でもいくつか選択肢を用意して、真奈美ちゃんの望む形にしたい、って」
そんなわけで、あたしはこれからどこで誰と暮らすのかを選択させられる羽目になった。といっても元々ママの入院はもっと長引くはずで、そのぶんあたしの神社滞在も伸びるはずだったから同じ事だ。
選択肢のひとつは、予定通りあたしが天狼神社で暮らし続けるということ。最近は真耶との確執も無くなったし、こっちの学校にも慣れてきた。苗ちゃんやゆゆちゃんのような友達も出来たし、部活も楽しい。このままここに残れるならそれもなかなか良い。
もう一つはママと一緒に病院の近くで住むこと。また転校することになるが友達の作り方とかは今回ので少しコツをつかんだ。こっちの選択肢の場合ママは、
「そのまま居着いてしまうのもアリかな」
と言っているらしい。温泉もあるし、暮らすにはいいところなんだそうだ。正直それも魅力的だ。それにパパの海外転勤もしばらく続きそうだし、その間ママを一人にするのもちょっと可哀想かなとも思うし。
で、こっちでママとあたしが住む家なのだが、前に渡辺先生の思い出話に出てきた「ひいおじいちゃん・ひいおばあちゃん」夫妻のところだ。今は隠居して、ママの入院している病院の近くに住んでいるのだとか。希和子さんには実家にあたる。でも部屋がふたり暮らしには余るし、親戚ってことでママのこともよく知っているので歓迎してくれるという。お二人は決して堅い人や厳しい人ではないということだし、あたしも親戚筋に当たるのだから、とりあえず会ってみてから決めてもいいんじゃないかと。というわけで、
「私たち、明日あたりお母さんのお見舞いに行こうと思ってるの。真奈美ちゃんも良かったら一緒に行って、ついでに実家にも挨拶に行きましょう」
という希和子さんの提案にも賛成だった。
「わー、きれい!」
車窓から桜の花が見えた。このへんは標高が高いところなので東京より一ヶ月くらい春の訪れが遠くなる。ちょうどゴールデンウイークに入った今頃は桜の花や新緑やらで、とても美しい季節なのだ。
あたしたちは、ママの入院する温泉病院を目指してバスに乗っている。結構な距離を走る急行バスだ。そもそもママは病院から近いという理由で神社にあたしを預けたはずだったのだが…。むしろ、ひいおじいちゃん達の家から近いことがあの病院を選んだ理由だったんじゃないだろうか。まあそれでもいいけど。
一時間以上掛けて病院のある温泉街に到着。患者との面会時間は午後からなので、先に挨拶に行くことになった。着いたのは温泉街の中のリゾートマンション。もともと神社のある村に家があって神に仕える職務を引退した嬬恋家の人々はそこに住む習わしだったのだけど、ひいおばあちゃんが膝を悪くしたので、療養するためにこちらを買ったんだとか。希和子さんに神社を任せて隠居したのも身体を休めるためで、おかげで随分楽になったそうだ。
初めて会った「ひいおばあちゃん」と「ひいおじいちゃん」は聞いていたとおり、優しそうな人だった。花耶ちゃんがまとわりついている。あたしとの関係がよくわからないけど、うまくやっていけそうだ。
あたしは希和子さんに中を案内してもらった。お二人はリビング兼ダイニングに寝起きしていて、残りの部屋は収納や洋服ダンスこそ使われてはいるが、基本空いている。二つあるそういった部屋をそれぞれあたしとママで使っていいというのはかえって申し訳ないくらいだ。
ちなみに嬬恋家は女性の神様を祀っているので、当主も女性が望ましい。というわけでひいおじいちゃんは婿養子だし、「ひいおばあちゃんの家」という呼び方が普通であるらしい。
その後はみんなで温泉街でお昼。そのあと花耶ちゃんはひいおばあちゃんたちと一緒に遊ぶことになった。小さい子に病院は退屈だろうという希和子さんの判断だ。花耶ちゃん以外のあたしたちは病院へ。けっこう明るい雰囲気の建物で、確かにこれなら通いたくなる気持ちもわかる。休みの日なのでたくさんの人がお見舞いに来ている中をすり抜けていくと、ママのいる病室がある。
お邪魔しまーす。
「あっ、真奈美ちゃん、来てくれたのね? みんなもありがとうね?」
あたしと、希和子さんに向けて声をかけてくれたママは、こないだと比べてさらに元気いっぱいという感じだ。それに明るさがある。黙っていたら病人だなんて誰も思わないだろう。
ん? でも希和子さんはともかく、真耶とママは会ったことあるのかな? 真耶が男だってことは知ってたみたいだけど…。一応遠い親戚ってことだから面識はあるのかな? ってあれ、ママの表情が急に暗くなったぞ。いや違うか、真剣モードになったんだ。
「お久しぶりね、真耶ちゃん」
ああやっぱり、真耶とも会ったことあるんだ、って、真耶? なんか様子が変だよ?
「お、お久しぶりです、麻里子おばさま」
どうした、真耶。明らかに動揺しているが。
「あ、あの、おばさまの家って、子どもは慎吾お兄ちゃんだけだったんじゃ…」
慎吾お兄ちゃん。あたしのアニキの名前だ。ということは、さっきの反応と合わせて考えると。
真耶は、うちのママ及びアニキとは前から知り合いである。ただしあたしとは会ったことがないし、それどころかあたしの存在すら知らなかった、ということになる。
「黙っててごめんね? 実は慎吾お兄ちゃんの妹が真奈美ちゃんなの。真耶ちゃん家に遊びに行くときはいつもお兄ちゃんだけだったけど、それは事情があってね」
あたしの推測に沿ったことをママが真耶に告げると、希和子さんがちょっと意味のわからないことを言った。
「そっかそっか。慎吾くんとは会えるんだもんね、候補じゃないから」
それにママが応じ、希和子さんとの間で会話が弾んだ。最初は意味が分からなかったが、次第にその話の中身がとんでもないものだと思えてきた。
「うん。まだあの頃は先代が頑張ってたから。男の子はそうなると神使になれないもんね。でも実際息子が神使って大変だと思うもの。まぁ正直ホッとしたわよ、兄ちゃんには悪いけど」
「でも元々予定日は真奈美ちゃんのほうが早かったでしょ? ところが真耶ちゃんが先に生まれてきて。よっぽど神使さまになりたかったんだ、って評判だったよ」
「それか、神様が相当急いだかってね。男の子の神使さまってそれだけ責任重大なのよね。女の子のほうがまわりも本人も全然楽。私も真奈美ちゃんが候補だったから受け入れられたんだと思う」
「運命って不思議よね。本当に真奈美ちゃんのほうが神使さまになってたかもしれないものね」
…唖然。
でも、ただただ二の句が告げずにぽかんとしているあたしの様子からママは、言うべき言葉を判断したようだ。病室を離れ、デイルームに移動。患者と面会者が座って談話できるところだ。
「そう、お察しの通り。あなたと真耶ちゃんはいとこなの。そしてあなたも、神使となる候補だったの」
あたしと真耶はいとこである。ところがこの事実は当事者であるあたしと真耶には知らされておらず、真耶にはアニキしか紹介されていなかった。なぜなら、神使の地位を争った子同士を子供時代に会わせてはいけないという決め事があるからだ。
「神使って、昔は今以上にとても名誉なことだったの。お殿様とも対等に話が出来たそうよ。だからでしょうね、神使になり損ねた方はなった方を妬むから、衝突を防ぐために遠ざけたんだろう、って」
ママの解説が続いた。それこそ昔は家系図をいじったり、養子に出したりして対立候補の存在を隠したこともあったそうだ。それでもお家騒動ってやつを避けられなかった例もあるとかで、まるで時代劇みたいだと思った。
また、アニキも神使候補になる可能性があったが、先代が現役だったので免れた。男の子はその地位につけないという決まりがあるのだ。一族に新たな子どもが産まれてきたら神使の位は譲られるのが大原則。でも男子の神使には色々と大変な制約が課せられるので家族の負担を考え、できるだけ回避できるようにしたという説もある。
ところがアニキが産まれた後で神使の位が空いた。この場合男女に関係なく一族の中で最初に産まれた子が必然的に神使となるのだが、二人の女性が同時期に神使候補を宿してしまった。つまりあたしと真耶だ。
神使がその地位を去る理由はいろいろある。例えば結婚などもそうであるが、新たに女子が産まれた場合にも位が譲られるのはさっき説明したとおり。つまり男である真耶が産まれた直後に女のあたしが産まれたのだから、神使の位はあたしに回ってきてもいいはずだ。ところがここは例外で、同時に妊娠した子ども同士で神使の位はやり取りされない。神使の座が短期間で移動すると慌ただしいというのもあるだろう。でもそれ以上に、
「男子が女子と同時に母の身体に宿され、女子を押しのけて産まれてきた」
という事実が大きい。さっきの会話にあった言葉、
「男の子の神使さまってそれだけ責任重大」
という部分が関係してくる。
「女の神様がわざわざ男の子を神使さまとしてこの世に遣わすのは、よっぽどこの世が乱れて災厄が溢れているときだって言われているの。災厄のラッシュを乗り切るには男の子の強いからだが必要なんだ、って。だからこそ滅多に現れるものではないようになっているし、それだからこそ有り難がられるってわけ。真耶ちゃんが産まれてきたのは、それだけ現代社会が乱世ってことなのかも、なんてね」
要は神様が男の子をこの世に遣わすタイミングの問題だ。同じ時期にこの世に産まれようとしている女の子を飛び越してでも神使の座につかせようというのだから、その時がよほど切迫した世の中であるか、近い将来に乱れた世の中の到来が予想されるということ。つまり真耶はそれだけ強い使命を背負って産まれてきたことになる。
もちろん男の子の神使を家族として迎えたほうは大変だ。いや、産まれた時からもう男の子ではなく「女の子」になる。真逆の性別で育てるのだから楽なはずがないし、より強い使命を実現するためひときわ厳しいしきたりに縛られることになる。真耶の両親、つまりママの兄と義理の姉だが、相当な苦労があったろうということだ。
あたしは、真耶の動向が気になっていた。真耶は男の子として産まれながら女の子として育てられてきた張本人。ただ見ている限りはその立場を楽しんでいる感じだし、それに何事に対してもポジティブだ。
「素敵! あたしに女の子のいとこがいたなんて! しかもあたしと同じ神の子候補だったなんて!」
とか言うと思って身構えていた。女の子同士つるむのは大好きなのだから、自分の近い親戚に同い年の子が一人増えたってことは喜ぶだろうと思っていた。
でもそうではなかった。ママのほうを一瞬見たあと希和子さんに向き直ると、食って掛かった。
「どうして最初に真奈美ちゃんに教えてあげなかったの? あたしの身体のこと。」
いつになく語気が荒い。
「気を失ったんだよ? 知ってればそんなことにならなくて済んだのに」
真耶と初めて会ったあの日、本当に女の子だと思った。だから一緒にお風呂に入ってもいいと思うのは自然なことだ。しかし浴室の戸をガラッと開けた途端、実は男だったと分かりショックでそのまま卒倒してしまった。結局しばらく寝込み、夕食を食べそこねたあたしにおむすびを作ってくれた真耶。そのとき言っていた。自分が他の女の子とは違うことを忘れてた、ごめんね、と。
たぶん、誰かがあたしに前もって話してくれていたと思っていたんだろう。学校のみんなも、村の人たちも、真耶が男の子の身体をした女の子だって知っている。そこに単身やってきたあたしも当然そのことは知らされているはずだから自分は普通にしてていい、そう思うのも自然なことだろう。
でもあたしのために真耶が怒ってくれたのは嬉しかった。そのぶん、ママの言い訳には反発が芽生えた。
「荒療治が過ぎたのは謝るわ。でもね、この方法じゃなきゃダメだったのよ」
よくわかんない。そりゃあ最初から真耶の性別を聞いていたら、あたしはあの神社に来るのを拒否したかもしれない。でもパパは海外転勤、ママは入院、子どもだけで暮らすなんて無理、そういうことを含めて説明されればしぶしぶ納得はすると思う。
でもさ、真耶じゃなきゃダメってどういうこと? たまたま宗教上の理由で女の子やってる男の子がいるけど勘弁してね、で良くない? 何もそれを伏せてまで、わざわざあたしの男嫌いを直すなんていうオプションを付けなくても良かったんじゃない?
「あ、もちろん真奈美ちゃんがそのへんは聞き分けてくれるというのは信じていたわよ、本当に。でもね、言ったでしょ? 真耶ちゃんに出会う以上、このチャンスを逃す手は無いと思ったの」
「だから、どういうことよっ!」
つい声を荒げてしまったが、ふと我に返る。様子を観ていた希和子さんが決断したように言った。
「やっぱり、あそこも行かなきゃダメね」
ギスギスした雰囲気のままママのお見舞いは終了し、あたしたちは村に戻ってきた。ただし神社には戻らないし、花耶ちゃんはひいおばあちゃん家にお泊りすることになった。花耶ちゃんに別行動が多いのはあたしと真耶にまつわる秘密を今日明かすにあたって、一悶着あったときにその光景を見せないためだったことに今気づいた。
着いたのは村の中心部にほど近いところ。そこに古い一軒の家があって、
「お休み処」
というのぼりを掲げている。
「着いたよ」
ここがもともとの嬬恋家。本来ひいおばあちゃん達が住むはずだったところだ。今は一階を観光協会に貸して、無料の休憩所兼観光案内所として開放しているんだとか。リュックを背負った年配の夫婦らしき人が畳に腰掛けてお茶を飲んでいる。その脇にちょっとした机と椅子があって、
「GUIDE」
と書いてある名札を首から下げた女の人が座っている。
「あら、お帰りなさいませ」
くだけた感じとかしこまった感じの入り混じった挨拶をかけられて戸惑ったが、あたし以外の皆は普通に、
「こんにちは」
「ただいま」
「お久しぶりです」
と返事する。どうやら顔見知りのようだ。
「近所の方で、ここでいつもボランティアでガイドをしてくれてるの。ありがたいよね」
真耶が言う。さっきまで浮かない顔だったけど他人の前ではいつもの柔らかな口調に戻る。
「とんでもない。こんな立派なお宅をお貸しいただいてこっちがお礼をいくらしても足りないくらいですよ、真耶さま」
女性が言う。やっぱりこの村では真耶は敬われている。
「さま、って付けるはやめて下さいよぉ。恥ずかしいし、昔と違うんだからそういうの無しですよぉ。年下のあたしがかしこまらなきゃダメですって」
真耶は顔を真赤にしている。
でも、希和子さんにはそういうやり取りは今はどうでもいいようだ。
「あ、二階行かせてくださいね? ちょっと用事があるんで」
ガイドさんにそう告げると、急で古びた階段を登りながらあたしたちを手招きした。関係者以外立入禁止と立て札に書いてあるが、まさにあたしたちは今その「関係者」だ。
二階はちょっとかび臭くて、畳の部屋が幾つかある。雨戸が締め切られているので薄暗くてちょっと怖い。最近人が使った形跡はないが、ダンボールや木箱が積み重ねられている場所もあるので一応物置代わりとしては機能しているようだ。
「お祭りの時の道具とか置いてあるんだけどね。でもなんでこんなトコ来たんだろ?」
真耶が説明してくれたが、さっきの不機嫌な感じに戻っている。必死で怒りを抑えているようにも見える。希和子さんを見る目がいつもと違って鋭い。
その希和子さんが不意に立ち止まった。目の前に閉ざされたふすまがあり、それをゆっくりと開く。
「あ…」
そこは巨大な、神棚…。いや違う、普通の家の中にちょっとした神社ができてるんだ。
「一応嬬恋家のメインの家だからね。二階にこうやって神殿を作ってあるの。だからここも一応神社ってこと。宮司はおじいちゃん、ああ君達から見ればひいおじいちゃんか。でも普段は観光協会の人が管理してくれているの。さっき下にいらっしゃったでしょ?」
希和子さんが解説してくれた。でも今大事なのはそこじゃない。なぜあたしたちはこの家に来たの? 何かあたしたちに見せたいものがあるんでしょ?
「ところで、さ。この景色、見覚えない?」
あたしの気持ちを察したのだろうか? 希和子さんが話を振ってくれた。
「…いえ、わからないです…」
あたしは正直に感想を言った、はずだったのだがその直後、頭の中で何か引っかかるのを感じた。確かに見覚えはある。でも、それが具体的に何なのかが分からない…。
「あ…。もしかして…」
真耶が何か思い出したようだ。ただ、あからさまに前にも増して表情がすぐれなくなったのが気になるが…。
「うん、きっとそうだよ。あたしこっちの正面側から出入りした記憶が無いから景色に見覚えなかったけど、いつもあの裏から入って…」
「ご名答。あのね、神使さまは裏から出入りできるの。だって神の子だもんね? そしてこの下のところに…」
希和子さんはそう言うと、でっかい神棚のようなところから下がっている垂れ幕をめくった。そしてあたしたちに、中に入るよう促した。
「くさい…」
かび臭さがひときわ増している。神殿を下から支えているところなので、木材がむき出しになっているし、光も入らないので床下に潜るような感覚だ。
「あ…これ懐かしい…。そうだ、こんなのもあったっけ」
いつの間にか真耶が先導して進んでいた。馬のような格好でどんどん奥へ。周囲にはいろいろ物がしまってあるのは確認できるが、まだ目が暗闇に慣れていないので何があるのかよくわからなかったのだが、突然びっくりすることが起きた。
「…ひゃっ」
あたしの顔に何かが張り付いてきた。それと同時にあたりがぱっと明るくなった。裸電球が吊り下がっていることにそのときやっと気づいた。その灯りに照らされて浮かび上がったその姿は…。
「お、お化け!」
「あ、それ、肝試し用の一反木綿だね」
電球につながったコンセントを持ったまま、真耶が振り返って教えてくれた。
「町内のお祭りとか観光協会のイベントで使ったものを保管してあるの。毎年使うやつはあっちの部屋に置いてるけど、これとかは夏にやる納涼イベントに使うやつだからそのまま部屋の中に置いてあると怖いでしょ? ここにしまっておけば人の目に触れないから」
ああほんとだ。周りを見渡すとたしかにここはお化け屋敷みたいだ。一つ目小僧にろくろっ首に唐傘。
「子供の頃、よくこの中で遊んでたの。本当は観光協会の持ち物だからあたしが勝手に使っちゃいけないんだけどね。いろいろ置いてあるでしょ?」
ああ。子どもは意外とこういうの好きかもしれない、探検気分で。でもそういう真耶の顔は笑っていなかった。普段の真耶ならもっと、懐かしさの余りキャッキャはしゃいで、衣裳を着こんでお化けだぞ~、とかおどけそうなものだが。
というか、さっきから引っかかっている。どうもこの場所、初めて来た感じがしないのだ。
真耶は引き続いて中の探索を続ける。でも明らかに、動揺している感じが増してきている。
「なんかね、嫌な感じがするの。なんかとても思い出したくないことをね、ここでしちゃった気がするんだけど、あれ、何なのか思い出せなくて…」
ここで遊んでいたのはたぶん幼稚園くらいまで、でも渡辺先生が来てからはここに入った覚え無いから、五歳くらいまでの話かなぁ…、と話しつつ、乱雑に並べてあるお化けのハリボテをひとつひとつチェックしていく真耶。だが突然その動きが止まった。
「ね、ねえ真奈美ちゃん、これ見て、何か思い出さない? あたし、希和子さんがここに来た理由、わかっちゃった」
と言いながら振り返った真耶の顔が、明らかに青ざめていた。
あ。
記憶の扉が開いてきた。
その頃、あたしたち家族は夏ともなると東京を離れ、避暑に行くのが常だった。行き先はいつも同じ一軒の古びた家。その中のある部屋を、あたしは、いやあたしたちはいつも遊び場にしていた。
そこはひときわ薄暗くさまざまな物が置かれていて、まるで秘密基地だった。遊び相手はいつも同じ子で、そこの地元に住んでいるようだった。
その子はよくその家の薄暗い場所にあたしを誘うと、そこにしまってある色々なお化けに変装する衣裳をかぶってはあたしを脅かしたり、笑わせたりしてくれた。その子はそれらのお化けになりきるのが得意で、それだけにあたしもそれによく反応し、驚いたり叫んだり、そして喜んだり。
あたしたちは相当仲が良かったと思う。一緒に来ていたはずのママやアニキやパパのことは不思議と思い出さないが、その子と遊んだ記憶だけが鮮明に蘇ってきている。スカートがよく似合う、元気だけどおしとやかな子だった。あたしにない可愛さを持っている女の子だと思った。今思えば、憧れていた。
そう。確かに幼い頃のあたしはここに来ていた。でも何だろう、楽しい思い出のすぐ隣にあるこのもやもやした、いやむしろ気持ちの悪い何かは。
「あ、あった…これだ…」
真耶が不意に何かを指差す。その瞬間、あたしもすべてを理解した。
あの日。例によってあたしたち二人はこの神殿の下で遊んでいた。
いつの間にかあたしも扮装をするようになった。お気に入りは河童。グロテスクな顔立ちのお化けが多いなか、それだけはどこか可愛らしかった。あたしもそれをかぶって演技をするようになっていた。
いつの間にか設定も凝ってきていて、その頃読んだ昔話の絵本などからストーリーを拝借していた。その日の台本では、あたしは人間に対して悪さばかりしている河童。しかし日照りで人々が困っているのを見ると、罪償いのために雨乞いをはじめる。
「お願いです、どうか雨を降らせてください、神様!」
我ながら真に迫った演技だったと思う。自分の身を顧みず祈り続けて身体がカラカラに乾ききった河童はそのまま死んでしまうというのが絵本の結末だ。だが、あの子はそれが可哀想だと思ったらしい。
「雨だ、雨が降ってきたよ! 河童さん、お皿にも水がいっぱいだよ!」
雨乞いの成果が出て干からびた河童の身体にみずみずしさが戻る、そういう結末。その子の優しさの現れだと思うし、あたしもその脚本変更には大賛成だった。
ただ困ったのは、真に迫った演出が行き過ぎて、実際あたしに水がかぶせられたことだ。
いや、純粋な水なら良かった。夏のことだし、水浴びとかは日常茶飯事だったから。
問題はあたしが浴びた液体というのが、暖かくて、独特の色と匂いを持っていたこと。
そして、何より驚いたことには。
その液体は、今まで見たこともない蛇口から噴き出していたのだ。
そのあとの記憶は断片的にしか思い出せない。ただ全身から湯気を出した状態で泣いていたのは覚えている。
あたしが、女の子だと思っていた、あの子。
あたしが持ってないものを持っている、あの子。
そこからあふれ出た液体であたしの身体を濡らし、泣きじゃくらせた、あの子。
それが、昔の真耶だ。
以来あたしはすっかり男の子嫌いとなる。あたしと違うところからおしっこをする生き物と同じ身体をした人間は絶対好きになれなかった。今思えば、なにもオス全体を嫌わなくてもいいと思う。でも子どもの判断なんてそういう決めつけと思い込みでなされるものだ。そして幼い頃の習慣ほどなかなか直せない、そういうこともよくある話だ。とにかくあの日以降のあたしは、あたしの身体にあの黄色い液体を振りまいたものを持つ生き物が、ことごとく嫌いになった。
もちろん真耶からも逃げ回るようになったが、周囲は無理やりにでもあたしたちをくっつけようとした。いとこ同士なんだから仲良くね、今思えばそれが皆の合い言葉だった。男であることが知られた真耶と一緒にお風呂に入らされたり、服を交換させられたり。泣いて嫌がるあたしを見ても皆なんとかあたしをなだめようとしていたし、アニキに至っては大はしゃぎ。真耶はやめてあげてと叫び続けたが効果なし。
大人たちが理由を悟ったのはずっと後だった。あたしが真耶のおしっこでびしょぬれになった日、一人の女性があたしの身体を拭いて慰めてくれ、自分が何をしでかしたのか理解できていない真耶を優しく諭してくれた。
その人はどうやらその出来事を伏せておいてくれたらしい。そのことがわかれば真耶は怒られるしあたしはおしっこまみれになったことをアニキにからかわれる。だからその人の判断は間違ってはいない。ただあたしが真耶との接触を極度に嫌がるさまを見て、やはり話したほうがいいと思ったのだろう。もちろんそれも正しい判断だ。数日後、その人が他の大人たちに事情を説明したことであたしと真耶をくっつけようという作戦は中止された。
そしてあたしたち家族は東京に戻った。以来その家にあたしたちが行くことは無かった。
「神の子の身体から出てきたものは汚いはずがない、っていうのがうちの教えでね。まあこの場合の『出てきたもの』って、『神の子のお言葉』って意味なんだけど、物理的に出てきたものって勘違いした解釈があの頃出回っててね。それを真に受けちゃったのかな。中にはそれを持ち帰ってお花にあげるとよく育つ、みたいなことを言う人もいたから。まあ冷静に考えたら肥料になった、ってことだよね。でもせっかく有難がってくれるものをむげに断れないし…。あ、今はさすがに誤解は解けたよ? 子どもの時だけの話ね」
希和子さんの冷静な解説が続いていたが、今はそんなのを聞いている場合じゃないと気づいた。真耶の肩が、小刻みに震えている。
「そ…、そんな…、あたし、そんなひどいことしてただなんて…。あたしが、真奈美ちゃんの人生狂わせちゃったんだ…」
そんなことないよ。大げさだなぁ。あたしそれで困ったこと無いし。真耶が気にすること無いよ。あたしがそう言って、まるくおさまるはずだった。本当に真耶に対して憎しみとかの感情は一切感じなかった。よかれと思ってやってくれたことだし、事の重大さに気づいていなかったのなら仕方ない。なんたって子どものやることだ。まぁわだかまりはあるにはあるけど、あたしはすべてを許そうと思っていた。
が。
そのとき着信があった。どうやら希和子さんがママに状況をメールしていたみたいだ。
本文:過ぎ去りし日のいい思い出ってとこよね
ちょっと待った。
そういうの、当事者が言うもんでしょ。
ヒトから言われると、すごくムカつくんだけど。
「さっき言ったでしょ? 子どものときに神使の候補同士を会わせないしきたりがあるって。でもそれをあえて破って、それで二人が仲良くなったらそれを理由にこんなことやめさせようって思ったのね、お母さんは。皆若かったのね。古い因習、って言うのかな? それに反抗したくて。でもそれが裏目に出ちゃったのね」
いまは神官としての職務を忠実に果たす希和子さんの口からそんな言葉が出るとは意外だったが、昔は神社のしきたりに色々反発したこともあったらしい。
「そんなこともあったから、私も強くは止めなかったの。立場上絶対やっちゃいけないことよね。結局、大人の勝手な思惑にあなたたちを巻き込んじゃった。ごめんなさい。というかここを見せたかったのは、それを告白しておきたかったの」
なるほど。自分がやった悪いことを正直に話す。それはいいことかもしれない。
でも。
罪の告白とやらに付き合わされるこっちの身にもなってよ! そんなの自己満足じゃん! この場合知らないで済んでも良かったんじゃないの?
「ふざ…けんな」
今まで一度も口にしたこともない乱暴な言葉が、あたしの喉から搾り出された。
「ざけんな…あんたらの勝手な思い入れのせいで、あたしと真耶がどんだけ苦しんだと思ってんだ…」
「真奈美ちゃんやめて。悪いのは、あたし…」
真耶の制止には気づいた。でもそんなのは効かなかった。
「もう知らない! 二度とあたしこんなところになんか来てやるもんか!」
気がつくと、家を飛び出していた。
宗教上の理由 第七話
いきなりシリアスな展開になりました、と言いたいところですが真耶がまた幼少時にやらかしちゃっていることが分かったりで、相変わらず品がない話しか書けないな自分と反省しきりです(といって真面目一本槍が書けるかといえば書けないので現状を受け入れるしか無いのですけどね)。