元彼が父親

家族って……

 これは約二ヶ月の間で起こった、なんとまぁ忙しい話。
休み返上で会社に出勤し、昨日ようやく仕事が一段落ついた。
社長のありがたいご行為に甘えて今日は金曜だけど休みをもらっている。
彼氏と自然消滅して仕事一筋、ここ数年間がむしゃらに走ってきた。
だから実家にだって一人暮らしを始めて以来、帰ってはいない。
久しぶりに帰ろうかと思ったけど、帰ったところで何もすることがない。
父が死んで女一人で母に育ててもらったが、親孝行なんてまだ何もやっていない。
そんなことを考えながらも二度寝をしようとした私に、
「プルルルル、プルルルル」
電話だ。相手は知らないけどある意味モーニングコールだ。
「はい」
「私は誰でしょう?」
「さぁ、誰でしょうね。それでは失礼します」
ガチャっと電話をきろうとした時、
「私の声忘れたの?」
若干寂しそうな声が聞こえた。どうせ演技だと分かっている。
「はいはい、忘れてなんかいませんよ」
「まぁ、良かった」
この声だけはそんな簡単に忘れられないよ。どんなことがあっても、ね。
相手の女はだらだらと世間話を始めた。彼女にとっての世間話は9割、ジャニーズだ。
聞いている限り、一周回って生田斗真に戻ったらしい。
「この間のドラマ見た? 斗真君かっこ良かったわ」
受話器放っぽいてご飯でも食べようかな。でも先にこの寝癖どうにかしないとマズイよな。
「もしもし聞いている?」
「はいはい、斗真君のかっこよさは十分伝わったから」
「本当に?」
「で、何の用?」
一人暮らしは何かと生活が厳しい。この電話だってお金かかっているから長時間の使用は金銭的にキツイ。貯金だってまだそんなにないし、そろそろ日用品をまとめ買いしないとな。
「明日、大事な話があるから帰ってきて」
一瞬にして真剣な声に変わった。
「電話だとダメなの?」
「うん。これは直接じゃないと……」
その声は複雑な心情を表しているようだった。
声だけなのにこれが演技ではないと思えたのは、何故だろう?
考えようとしたけど睡魔に負けてそのまま二度寝してしまった。
 次に目がさめたのは昼過ぎくらい。もうすぐ夏も終わるのにうるさい蝉の鳴き声とこの暑さですっかり目も覚めてしまった。テレビをつけると
「明日は急な雷雨に注意!」
天気予報士がその詳細について説明している。私はテレビを消して軽く髪の毛を縛りキッチンへ向かう。普通の傘と折りたたみの傘、どっちにしようなんて考えながら鍋の火をつける。昨日作ったカレーがまだ半分ぐらい残っているのでそれを食べる。
「面倒だから夜もカレーでいいよね」
「まぁ、いいんじゃない?」
誰もいないのに一人で質疑応答。一人暮らしではよくあることだと勝手に思っている。
夏なのにカレーを作った理由はただ一つ、そうめんに飽きたからだ。
ぐつぐつとカレーを煮込んでいる間にキャベツをささっと千切りに。
ついこの快感がたまらなくて切り過ぎちゃうことが多いけど、どうせ夜も同じだから問題ない。ドレッシングの種類を変えれば味も変わるし、結果的に美味しければ大丈夫。
「うーん、どっちにしよう」
冷蔵庫を開ける前に一人悩む私。福神漬けとらっきょう、どっちを昼食べるかどうか……。
昔はらっきょうなんて食べなかったのに、働き始めてからかな? 
少しずつだけど子供の頃嫌いだった食べ物も普通に食べられるようになってきたし、
大人になるってこういうことなのかなぁ?

翌日、休日だというのに五時に起きてしまった。
ここ最近休日でも仕事に行っていたから習慣になってしまったのだろうか。
今日はもし予定がなかったらビール片手に溜めているドラマでも見ようかと思っていたのに、明日に延期だ。朝食を用意してテレビをつける。
「今日の降水確率は五十パーセントか」
この世の中で私が最も嫌いとする数字。ピッタリ半分、順位に例えるなら丁度平均。可もなく不可もなくだ。確かに安泰の数字だけど、逆に考えれば次どちらの方向にも進めるから一番不安定だと私は考える。それは仕事を初めて実感したことだ。
仕事はどんなに頑張っていても結果が全てだ。使えない人間は雑用をやらされたり、最悪の場合は解雇になることだってある。私の部下が少々問題児で入社半年も満たないうちに会社から消えていった経験があるから、常に怯えている。
私は仕事の為に色んな物を捨ててきたおかげなのか、一番下っ端から今では課の二番手までのぼりつめることが出来た。もう今年で二十八、世間ではそろそろ結婚という単語が出てくる歳だけど彼氏すらいない私には遠い話だ。
「結婚かぁ」
この間、結婚式の招待状が送られてきて
「友人代表のスピーチ、宜しく」
小さなメモ用紙と写真が同封されていて、幸せそうだったな。
それにしても結婚式の会場がハワイって……さすが玉の輿に乗っただけのことはあるよ。
仕事休んでまで参加したいとはあまり思っていない。
しかも結婚式に参加する為だけに行って、その後は一人で観光って気分にはなれなさそう。確かに羨ましいし憧れもするけど、大変そうだから実際にやりたいとは思っていない。
「さて、行くか」
テレビを消して私は家を出る。
休日の朝は牛乳とコンフレーク、バナナと決めているから片付けまで時間が早い。
この時間なら営業している店と言ったら、コンビニとごく僅かな店だけ。
外は人通りも少なくてなんだか心地良い。近所にある大きな公園まで散歩して二時間くらいそこでくつろいだ。二時間もよく居られるねって思うかもしれないけど、穏やかな気持になって景色を見ていれば自然と時間は過ぎていくものだ。これは歳のせいだろうか?
子供の頃はよく蚊に刺されて、夏の定番であるラジオ体操に行くのが嫌だって駄々こねていたのに今は刺されなくなってしまった。これは嬉しい事なのだけどなんだか悲しい。
 家に帰ると部下から電話があった。携帯代も節約したいから休日は持ち歩かないようにしている。多分、今度の社員旅行についての話だろう。毎年どこに行きたいかアンケートをとっていて、女性陣から箱根に行きたいと強い要望があり今年はそこになりそうだ。
どんなことがあってもこの旅行だけは毎年必ずやる。
お互いを知ることも出来るし、お酒が入ることによって上司部下関係なくいろんなことを話せる。だからより強い信頼関係が築けるということらしい。
箱根といえば温泉、温泉かぁ。癒やされるね、やっぱり。
特に今年は何かと忙しくて、皆ピリピリしていたから良い気分転換になりそう。
「はぁ」
大事な話って何だろう。しかも電話じゃ無理な内容って何?
ストレッチしながら考えてはいたけど何も思いつかない。
部下と少しだけ電話してから私は実家に向かった。

 もう家に帰るのは何年ぶりなんだろう? 大学卒業した後だから四、五年くらいかな。
それなのに何一つ変わっていない。商店街にある小さな駄菓子屋さん。私が小さい頃からもうすぐ潰れるらしいって噂になっていたけどなんだかんだで、今もまだ残っている。
小学校の帰り道、こっそり店に入ってつまみ食いしたパン屋も何も変わっていない。
あそこにあるのは父の見舞いに行く時、必ず寄っていた花屋と果物屋さん。
どの店にも思い出があってここに来ると何故か目頭が熱くなる。商店街の近くには公園があって、夏休みの朝は毎日ラジオ体操に行って夜は自転車飛ばして全丁目の盆踊りに行って……あの頃私は何を思っていたのだろう? あんなに笑っていられたのは父が死んだ悲しみを紛らわそうとしたのだろうか? それとも母の笑顔が見たかったのだろうか。
今思えば母の性格が変わったのもその頃だったかもしれない。何事にも真面目なのに不器用だから両立がなかなか出来なくて、結果を出せない自分に涙を流していた。夜こっそり酒飲みながらドラマ見てまた泣いて……。そんな母を私は弱いとは思わなかった。何も知らないけど私の家は全員がお互いを助けあっていたから、それが私達の絆を強くした証だと思っているから。
父が死んだ直後はずっと泣いていたけど、しばらくしたら感情がなくなっていて……気がついた時には母に笑顔が戻っていて同時に強くなった。何があっても笑うし私を驚かせることも増えていいことだろうけど、家族なのにもう家族ではなくなってしまったような気がした。支えたいって思ったあの背中はいつの間にか消えていて、私の周りには誰もいなかった。いるはずの母の姿がもうそこにはなかった。何故そう感じたのかは私にもわからないけど、覚えているのは仕事ばかりで家にいる時は熟睡している姿ばかり。ある日、家に帰ったら母が酒飲みながらドラマ見ていて
「どうしたの? 仕事は」
って聞いたら
「今日誕生日でしょ? 私の。だから有給休暇とった」
だってさ。その日はいろんな店まわって買い物して料理して、ケーキのろうそくで言い合いになったなぁ……。
「お母さん、ろうそく何本にする?」
「年齢と同じ本数」
「そんなにろうそくないし、大変でしょ」
「じゃあ買ってきて。今すぐ」
「嫌だ。もう疲れた。さっきので半年分の体力使ったから」
「知らないよ。ほら行く」
はぁ買いに行きましたよ、しかも私の自腹で。ぶぅぶぅ文句言った罪だってさ。
でもホールじゃなくて小さくカットされているケーキ買ったからろうそくが全部のらないの。だから何回にも分けてやったから終わる頃には失敗したケーキみたいになった。
でも、ちゃんと二人で食べて、残ったろうそくを見た母が
「二本は今日の線香代わりで残りは友菜の分」
それで後日、家に帰ったら綺麗にろうそくが並べてあって
誕生日おめでとうってレシート八枚も使わなくても良かったのに……。
しかもボールペンのインクがほとんどなかったみたいで最後の方、文字が消えかかっていたしね。笑いながら泣いていたらその姿こっそりムービーで撮られていたしね。
誰が見てもボロイと思うアパート、隣に住んでいた小林さんは私がいない間に引っ越したようだ。階段の傍にはもう何年も使われていない自転車が置かれている。ホコリまみれでタイヤの空気もおそらく入っていないだろう。最上階まで登って一番奥まで進む、三階だけどね。そこには谷口と書かれている。その下にあるチャイムを鳴らす。
ピンポーン、このチャイムを押すなんて何年ぶりだろうか?
もう十年くらいは経っているだろう。しばらく待っているとガチャっとドアが開いた。
「ただ……」
その光景に言葉を失った。目の前には若い男性が立っている。しかも私の知り合い。
彼の名前は下尾武春、髪を染めたりピアスをあけたりしてしょっちゅう呼び出しくらっていた問題児。成績はいいのに授業をサボったり授業態度が悪く変な噂も流れて、進級が出来ないかもしれないと言われていた程。そして……、私の元彼である。
「私……家、間違えていないよね?」
「うん、ここは友菜の家だね」
うーん、えっとー、何から聞けばいいんだろう?
「あーおかえり」
彼の後ろから声がした。中を除くと忙しそうにウロウロ母が歩いている。
その姿をじっと見つめていたら
「とりあえず入りなよ」
と彼に言われた。入りなよって、ここ一応私の家でもあるんですけどね。
家を出て行ったあの日とさほど光景は変わっていない。男物の荷物が若干増えているけどそれは見なかったことにしておこう。洗濯物は干しっぱなしで布団もひきっぱなし、脱いだ服はたたまず一箇所に山のように積まれている。仮にも人が来るのに片付けようとは思わなかったのだろうか。
「はい、どうぞ」
座布団に座ると元彼がお茶を出してくれた。もう一度確認するけどここは私の家であっているよね? 母は慌ただしくてメイクも適当にやっている。
「あのさ、話って何?」
「ん? これ終わるまで待って」
鏡越しに私を見て話す。仕事なのにきっと寝坊でもしたんだろう。
昔も同じことがあったからなんとなく分かる。
私はお茶を飲んで元彼の方を見る。偶然目があってしまったが、お互い何を話せばいいかわからずまたお茶を飲む。
パチンと音がした。母のメイクポーチを開け閉めする音だ。
「よし、終わった」
母はお茶を一気に飲んでから深呼吸し、じっと私の目を見た。
「それで……明日……」
明日? はぁ、何するの?
「私達、結婚するから!」
はぁ? また言葉を失った。まぁ相手は武春でしょう。
彼がここにいた時点で少なくとも二人は付き合っていると予感がした。
母は若い男が好きだし、彼も大人っぽい女が好きだって行っていたから信じたくないのが本音だけどこの状況を説明できる理由がそれ以外に考えられなかった。
二人が付き合いだしたのは早くても私が大学卒業してから。もしその前だったら、まだ付き合っていたから私は浮気されていたことになる。そんなの絶対嫌だ。
だって相手が自分の母親だよ? 複雑すぎて感情が無になるよ。
私は嬉しくも悲しくもなかった。それは時間のせいだろうか? それともまだ実感していないだけなのだろうか? 何も分からなかった。
「どっちがプロポーズしたの?」
それが最初に出た言葉だった。
もっと他にも聞きたいことはあったはずなのにどうしてこの言葉を選んだのだろう? 「私からよ。だって一人は寂しいの」
母が言った。想像はなんとなくついていたけど、やっぱり母だったんだ。
でも、もしこれが元彼の方だったら私はどう思ったのだろう?
何を言えばいいか分からず私は下ばかり見ていた。
素直におめでとうと言えないのは何故だろう?
父親が代わることに戸惑いを隠せないのか? 新しい父親が同級生だから?
元彼が父親になるから? それとも私がまだ彼を好きだから?
きっと母が再婚するのに戸惑いはないはずだ。
これから先もずっと孤独に生きろ、なんて娘としても一人の人間としてもいえない。
新しい父親と簡単に仲良くなれないことは知っているし、仲良くなりたいとも思っていない。高校時代、父子家庭の子に再婚が決まってその時の彼女の葛藤を見ているから分かる。
歳には若干抵抗はあるだろう。どう接すれば良いか分からないのが今の本音だ。
「私、仕事行くから」
頭の整理もついていないのに母はそう言って家を出た。
「……」
「……」
元彼と二人っきり。何を話せば、聞けばいいのか分からずお互い沈黙したまま。
私は勇気を振り絞ってこう言った。
「母をよろしくお願いします」
彼の目を見ることが出来なくて、頭をしばらく下げてから家を出た。
外にでるとカァカァとカラスの声が聞こえる。
階段を降りる途中、真っ赤な夕日を見て私はその場に座った。
「友菜、いつかお金持ちになってもっと大きいお家、パパとママに買ってあげる」
小さい頃そんなことをここで言っていたっけ?
その時もこれぐらい綺麗な夕日をここで見た。私が父の膝に座って、その隣には母がいて幸せだった。決して特別なことでもなくてただ夕日を見ているだけだけど、家族三人でいられることが幸せだったのかもしれない。
「お父さん……」
ポロポロ涙が出てきた。この涙の理由は考えないことにした。
きっときりがないし、多分思いついたこと全部正解だからだ。
「お父さん……」
父が死んだのも確か夕方だった。学校帰りに駆けつけた時にはもう静かに眠っていた。
母は父の頭を撫でて泣いていた。私は母の手をそっと握りしめ隣で泣いた。
顔は少しやつれていたけどなんだか少しだけ幸せそうだった。
それは母に見守られながら死ねた嬉しさなのか、これ以上迷惑をかけなくていい安心感なのかは誰にもわからないことだ。きっと両方だと私は思っている。
生きていた時、父の笑顔を最後に見たのはいつだろう?
気がついたら寝たきりで無表情、心身ともに弱っていく父がそこにいた。
私も母もそんな姿を見てずっと涙をこらえて、でも笑顔は見せられなかった。
私達はようやく開放されたんだ。決して正しいとは思えないけど……。
もし願いが叶うのならもう一度、父にあわせて欲しかった。
何も話せなくてもいい。私はただバラバラになっていく家族がなんだか怖かった。
夕日は綺麗だけど、時に忘れかけていた悲しみを思い出させてしまう。
大好きなのに大嫌いだ。

 その夜久しぶりに彼からメールが届いた。
「さっきはごめん。突然のことで動揺しているでしょ?
明日さぁ、三人で食事にでも行かない?
その時にゆっくり話そう。おやすみ」
何かの前ぶりなのだろうか?彼に返信した直後に突然強い雨が降りだした。
その雨をじっと見つめて何故か私は燃えていた。
もしかしたら、まだ彼を好きなのかもしれないと少しだけ頭をよぎったが、
この豪雨がその考えを一瞬にして消してしまった。
翌日三人で食事に出かけた。
二人は普通に店へと入るが、私は一人その場に立ち尽くしてしまった。
「何しているの? 友菜」
「えっ……。何でもない」
母は知っているのだろうか? ここは私と彼が初デートの日に訪れた店だという事を……。
それは3月の下旬頃、彼から映画に行こうと誘われて見に行った帰りに近くにあったこの店で一緒にパンケーキを食べた。私が二種類の味で迷っていたら
「両方頼んで一緒に食べよう」
と彼が行ってくれたのだ。それで二人で半分ずつ食べたけど、私がシロップかけすぎて
美味しいより先に甘いって言葉がお互い言ったっけ?
「どれにしようか?」
母がメニューをパラパラめくりながら呟いた。
「友菜は苺が好きだからこのパンケーキなんかいいんじゃない?」
「あーうん、でも私こっちにする」
指さした先に描かれている絵は昔、食べたキャラメルバナナパンケーキ。
特に深い意味は無いけど、彼があの時食べたもう一つのパンケーキを注文するかもしれないと思っていたのかもしれない。
「武ちゃんはどれにする?」
ビクッ。分かっていたことだけど、でも反応してしまう。
しかもその呼び方付き合い始めた頃に私もそう呼んでいたからそのせいでもある。
「俺は……どうしようかな」
「武ちゃん、これなんかいいんじゃない?」
「えー、これは別にいいよ」
二人は顔色変えずに話しているけど、私はいちいち反応してしまって恥ずかしい。
「あのさ、少しは私に気使ってくれない?」
あ、バカ。こんな事言うつもりなかったのに、違うよ。
「何が?」
「その呼び方」
「はぁ? 何で?」
「何でって一応元カノだから」
こんな場所で喧嘩なんてしたくないのに……。
「はぁ? そんなの知らないよ」
「母親なんだからそれぐらい分かるでしょう?」
「わからないね。母親も彼氏も捨てた人間の気持ちなんて」
いらっ、その言葉が余計に私を怒らせた。
「捨ててない! 仕事を優先していたらこうなったの」
「それはただの言い訳でしょ? 大人なら仕事もプライベートも両立出来なきゃ」
「それができたらこんなことになっていない」
「そうだね。母親に彼氏を奪われることもなかっただろうね」
これ以上私は何も言えなかった。自分がどんどん傷つくと分かっていたから……。
母の言っていることは全て正しい。本当は悔しいんだ。
友達でも悔しいけど多分それ以上に複雑で、辛いけど喜ばなくちゃいけない。
気まずい空気の中でそれぞれ無言のまま食べた。
母はストロベリーワッフルで彼は何故かロコモコ、あの時食べたハワイアンフルーツパンケーキなんてもう忘れてしまったのだろうか? そう思うと涙がでそうになったけどなんとか我慢してシロップの味がしないパンケーキを食べた。
「二人共パフェ食べる?」
食べ終わってからも無言の状況が続いて彼が気を遣ってくれたのだろう。
「アサイボールって美味しいの?」
母が聞いた。
「ヘルシーな食材ばかりで女性に人気なのは知っているけど……」
「食べたことは……」
「ない」
その時、母と目があって二人共笑ってしまった。何がおかしいのか自分でも分からないけど、笑わずにはいられなかった。そんな私達を見て彼もまた笑った。
「すいませーん」
母が大きな声で店員を呼ぶ。
「えっと……コレとコレ、コレも下さい」
メニューを見せながら指しているけど、私には見えなくて何を頼んでいるのか分からなかった。しばらくして出てきたのはタピオカミルクティーだ。
「誰が飲むの?」
「私」
「ミルクティー嫌いじゃなかったっけ?」
「今日はいいの、そういう気分だから」
タピオカだってそんなに好きじゃなかったはずなのに、今日の母は変だ。
でも、私もそんなことを言う日がたまにあるから特に気にしなかった。
次に出てきたのは勿論アサイボール。私が上にのっている苺を全部食べて母はバナナを食べる。それから二人で半分こにして食べた。母が最初に食べ、残りを私が食べていたら
「お待たせしました。ハワイアンフルーツパンケーキです」
びっくりして喉を詰まらせるところだった。
「何驚いた顔しているの? 私まだパンケーキ食べてないし」
「そうだけど……。そんなに食べれるの?」
「皆で食べるから大丈夫でしょ? あっ、キウイ全部いい?」
「じゃあ私ブルーベリーね」
パンケーキ食べるとか言いながら私達が上にのっている具を全部食べて、残りは彼がほとんど食べる羽目になった。母は一口しか食べなかったけど私、三・四口は食べたからね?
「これからどうするの?」
店を出た後、私は二人に聞いた。
「ネックレスでも見ようかと思って、まぁ就職祝い? 遅くなったけど」
「うん、遅すぎ」
「だから友菜も私達に結婚祝いでネックレス買って」
「えっ、二つも?」
「勿論。どうせ金はあるでしょう?」
一瞬母を睨んだけど、睨み返された。はぁ貯金下ろすか。
 宝石店に入るとコレがいいとかやっぱりあっちにしてとか、母の我儘に振り回された。でも必ず値段の確認だけはして、あれはダメこれもダメって私も我儘言って……彼と店員さんにかなり迷惑をかけてしまった。誕生石が埋め込まれているネックレスを勧められたので、十月生まれの母にはハートが二つ重なってあるピンクトルマリンを、八月生まれの彼にはペリドットの宝石が埋め込まれている指輪状のネックレスをそれぞれ買った。あの手この手を使ってなんとか合計三万円ギリギリ越えなかったけど……。私にとってはかなりいたい出費だ。しかも私には選ばせてくれなくて知らない間に母が買っていた。
「はい、就職おめでとう。家に帰ってから開けてね」
母の満面な笑み。このネックレスに何かしかけたな。はいはい、言われた通り帰ってからちゃんと開けますよ。その後は一緒にプリクラ撮って私は二人と別れた。プリクラ四百円だから割り勘しても誰かがもう百円払わないといけない。
「ここはレディファーストだよね」
公平にジャンケンで決めようと話になった時そう母が言って、彼はわざと負けてくれた。
全くこれのどこが公平なんだか……。
 家に着いた頃、母から写真付きのメールが届いていた。
「十五時四十七分に無事婚姻届提出しました」
二人が紙を仲良く持っている写真。その左上にはきちんと婚姻届と書かれていた。
中途半端な時間だと思ったけど母は本当に彼と結婚してしまったのだ。
何故かその時、涙が頬をつたった。自分でもわからないぐらい自然に。
しばらくその写真を見つめて座っていた。何も考えずというより何も考えられなかった。
どれぐらい見ていただろうか? でもそのせいで充電がなくなってしまった。
思い出したように鏡の前に立って母から渡された箱を開けた。
そのネックレスは小さいのに大きく、そしてはっきりとその形が見えた。
米より少し大きくて丸いルビーがそこにはあった。
この宝石は情熱・慈しみ・威厳・愛・勇気の意味があるらしい。
それをつけて私は鏡を見た。まるでそれが私に問いただしているようだ。
お前のルビーはどういう意味なのだ、と。
でも私は何も言えなかった。なぜなら言葉よりも先に涙がでてしまうからだ。
「結婚おめでとう」
そう母に返信した。
「ありがとう。それより、今年の誕生日プレゼント……」
ん? 誕生日プレゼント?
「結婚式にして!」
「はぁ?」
その声は家中に響いた。なんで私が! しかもいくらすると思ってるの?
「旦那に頼めばいいじゃん!」
そう返信したら
「えぇー親孝行してよ」
と、返信が来た。はぁ、もう知らない。私は携帯を放り投げて布団にダイブした。

次の日もまたその次の日も、嫌がらせのように写真が送られてきた。
新婚旅行の写真、
(……といっても映画館前でポップコーン片手に二人がピースしているだけだけど)
山や川へ行った写真や母の好きなジャニーズのコンサートに行った写真まで……。
こんな出かけてばかりいないで、結婚式の資金として貯めればいいのに……。
その写真たちは母の幸せそうな顔が見れる反面、だんだん赤の他人になっていくようで複雑だった。……そんなやりとりは一ヶ月続いた。
 それから二週間後のある日、私は仕事が早く終わるので久しぶりに映画でも見ようかと思っていた。
「んー、久しぶりに早く帰れる」
「お疲れ様です。先輩、これから合コン行きませんか?」
どうせ年下のイケメンばかりでしょ?
「遠慮しておく。私、年下には興味ないの」
「えー、じゃあ今度、金持っている年上の男、揃えておきまーす」
敬礼する後輩に見送られながら私は、会社を後にした。
プルルルル、携帯の電源をつけると元彼から電話があった。
「今すぐ病院に来て」
留守電の内容はそれだけだった。
でもその声はとても焦っていたから、すぐにタクシーに乗って病院へ向かった。
車の中で何度もかけ直したけど、全然出てくれない。私は携帯をぎゅっと握った。
数十分後、病院に着くと私はお釣りを貰わないでタクシーを降り、走った。
「お母さん!」
病室のドアを思いっきり開けた。
だけど目の前にある光景は眠っている母の姿とそれを囲むように元彼や医者達がいた。
「……ねぇ。どういうこと?」
「ついさっき、息を引き取ったよ」
「……えっ?」
言っている意味が分からなかった。母が死んだ? 嘘だ。
どうせまた、私を驚かせようとしているだけでしょ? どうせ、寝たふりでしょ?
「ねぇ、起きて。起きてよ。ねぇって、ば」
母の腕をゆすったけど、その腕はもう皮と骨しかなくて冷たくて、もろかった。
腕だけじゃない。足も顔も体も、この間あった時より痩せていて人なのに人ではなかった。
どうしてだろう? そこにいるのは母なのに父の姿が見える。
「どうして……」
「……友菜、あのな」
「どうして私を独りにするの!」
その言葉と同時に私はその場にしゃがみこんだ。私は母の傍から離れることができなくて、彼にずっと背中をさすってもらった。その光景は父が死んだ日を再現しているようだった。

「ねぇ」
ようやく喋れるようになった私は彼に言った。
「お願いだから笑って……」
彼は何も言わず下を向いてそっと私を抱きしめた。
私は彼の背中をぎゅっと掴んで、もたれかかる気力しかなかった。
その日の記憶はそれだけしかない。ただ、私の他に誰かが泣いているような気がした。

 葬式は私達で簡単に済ませた。
と言っても、ほとんど任せてばかりで私には涙をとめることで精一杯だった。
母の写真を見てふと、どこからか声が聞こえた。
「友菜、笑って。そうすればきっと幸せになれるよ」
「お母さん……」
私はその写真に向かって微笑んだ。
「どうした?」
「母の……声が聞こえた」
「……そっか」

 それから一週間後、私はあの家に行った。母の荷物を片付ける手伝いをしに……。
ピンポーン、あの日と同じようにチャイムを押す。
「ただいま」
少し照れながら言うと……、
「おかえり」
彼は笑って私を迎えてくれた。
家の中は何も変わっていなかった。そう、ただ母の姿がないだけ……。
玄関で立っている私に、
「座って」
とさりげなく荷物を持ってくれた。
「はい、どうぞ」
彼がお茶を出してくれた。この後、いきなり結婚するって聞かされたんだよなぁ。
「思い出すな。あの日のこと」
「もう少し片付けてほしかったよ。客人が私だとしても」
「まぁ、お互い寝坊して慌ただしかったし……」
やっぱり寝坊していたのか。
「それで、片付けする前に見せたいものがあるんだ」
そう言って彼は引き出しから茶封筒を取り出した。そして私の前に置いた。
「これって……」
その中身は出したはずの婚姻届だった。
「……つまり……」
「俺達は結婚していなかったってこと」
私は涙も言葉も何一つ出てこなかった。
「十五時四十七分」
「えっ……?」
「婚姻届を出したはずの時間だよ。」
あぁー、なんでこんな微妙な時間なのかなって少しだけ思っていたけど……、
「特別な意味でもあるの?」
「あるよ。友菜の友と妙子さんの妙はそれぞれ何画?」
「えっとー、友は四で妙は七だから……。あっ!」
「な?」
そんなこと言われなきゃ分からないって。
「ちなみに十五は俺のことだから」
えっ……。下尾武春だから下は三で尾は七、武は八で春は九だから……。
「あー、尾と武で十五!」
「違う。それにいくらなんでも無理矢理だろ」
「まぁそうだけど……」
「それなら下と尾で十時にするよ」
確かに……。
「じゃあ……」
「十五時は三時だろ? で、三時の時を月に変える」
えっとー、つまり三月ってこと? 三月、三月……春。
「あっ、春だ。どっちにしても無理矢理じゃん」
「まぁな、でもあの人が必死に考えて出した結果だから……」
どんだけ、暇だったんだよ。
「恥ずかしくて言えないだろ、どんなことがあっても私達は繋がっているって」
そんな事、言われなくても子供じゃないんだから分かるし。なんでこんなにいつも私のことばっかり考えて……私は涙を抑えられなかった。
「それと、この間プリ撮っただろ? 口元、よく見てみな」
私は急いで財布からプリのシールを出して口元を見た。
「もしかして何か言っている?」
「左からだ、い、す、きって」
もう一度、口元を見ると確かにそう言っているような気がする。
だから、さっきのと一緒でこんなこと言われなきゃ分かんないって!
 
しばらくしてから重い口を私は開いた。それは一番知りたかったことだからだ。
「あのさぁ、その……」
上手く切り出せない私を遮り彼は話し始めた。
「大学卒業して俺らすぐに別れたじゃん?」
「うん」
「誰かさんが仕事に没頭しすぎたから」
「……ごめんなさい」
「病気のことを聞かされたのはその頃だよ」
あの頃は本当に仕事しか頭になくて、それ以外のことに関しては何も見えていなかった。
せっかく会う約束したのに仕事でいけなくなったり、忘れたり寝落ちしたり……。
結局、一度も会わないまま別れたね。だんだんメールの数も少なくなって、本当、自然消滅だよね。私は何をやっていたんだろう……。仕事に没頭できたのは好きだったっていう理由もあるけど、本当は……母に楽になって欲しかったから……。
仕事を始める前の、家でダラダラしている母の姿をもう一度見たかったのかもしれない。
「ごめんなさい……本当に」
「いや、浮気されるよりはましだよ。お父さんのことも聞いていたから……」
彼は笑いながら言ったが、そのどこか寂しそうな表情に胸が締めつけられた。

「半年前ぐらいかな? 余命宣告されたのは……。
あっ、ちなみにあのメールは二日目以降俺が送っているから」
「えっ、マジで?」
「毎日送っていた写真も半年かけて撮ったし……」
気持ち悪いって一瞬、思った。男があんな絵文字やあんな文章を書いていると思うと
頭では分かっているけどやっぱり気持ち悪い。
「ごめん」
「えっ……」
「もう少し早く言いたかったけど、
妙子さんの様態がなかなか安定しないし、本人にギリギリまで言わないでって」
だろうね。私も弱っていく母の姿なんて見たくなかったし、母も見せたくなかっただろう。
「結婚じゃなくて付き合っていることでも良いって言ったのに……」
「母のこだわりでしょ?」
彼はクスっと笑ってこう言った。
「お前に似て、な?」
本当、最後まで人を驚かせることだけは忘れないよね。……でもなんか母らしい。
彼は急に真剣な顔して、
「友菜、俺はお前を一人にさせないよ」
と言った。だから私は笑って
「えぇー、嘘っぽくて信用出来ない」
彼はクスっと笑った。
「さっさと片付けて飯でも食うか」
「誰かさんのおごりでねー」
もう見えないけど、父も母も私の近くにいる。
決して、一人になったわけじゃない。
私、約束する。二人分笑うって。
父と母のぶんまで幸せになる為に……。
ありがとう、お母さん。お母さんの娘で、私幸せだったよ。

元彼が父親

こんにちは
続いて投稿しました。
理由は……なんとなくですかねー。
題名は面白いって言われたんですけど、本文は……相変わらず残念ですね。
そうだ、このペンネーム。知り合いの昔の名前を使っているんですけど……ばれたら殺されますね。
この名前、広めないようにしましょう!

多分、しばらくは更新しないはずです(気分なんで……)
児童文庫を目標にしているのに、大学生とか大人を設定にした作品って……。
私、バカですね。いや、アホですね

それでは、また。
(それよりこんなんで本当にいいのかなぁ?)

元彼が父親

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 青年向け
更新日
登録日
2015-10-07

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted