働かないおじさん

 地下の社員食堂で遅めの昼食を終えると、元田は真っ直ぐに休憩室に向かった。勤務中はほとんど吸えないため、煙草への飢餓感が募っていた。休憩室に入ると、奥の一角が透明のブースで仕切られている。中に先客がいるのが見えた。同期の衣川だ。
「やあ」
「おお」
 最近すっかり肩身の狭くなった喫煙者たちの唯一の憩いの場が、この喫煙ブースである。二人の表情には若干の照れくささと、まだ仲間がいるという安堵感が交錯した。元田は煙草に火を点けると、すでにうまそうに煙を吐き出している衣川に話かけた。
「どうだ、そっちは」
「相変わらず、と言いたいとこだが、最近うちの課長が禁煙しちゃってさ」
「えっ、お宅の課長って、超ヘビースモーカーじゃなかったっけ」
「それが一念発起したらしくて、スッパリやめたんだ。それだけならいいんだが、やたらと他人にも禁煙を勧めてくるんだ」
「それぐらいなら、まだいいさ。うちの課長なんか、喫煙者を目の敵にしてるぜ」
 相槌を打とうとして、ふと何かを思い出したような顔になり、衣川は声をひそめた。
「畳のとこで横になってるの、お宅の係長じゃなかったけ」
 言われて元田は、休憩室の喫煙ブースと反対側の、畳がしいてある方を覗いた。
「ああ、富永さんか。まだ寝てたんだ」
「しっ、聞こえるぞ」
 だが、元田はニヤリと笑った。
「聞こえてもいいさ。あの人の休憩時間はもうとっくに終わってるはずだ。おれより随分早めに降りたからな」
「声が大きいって。でも、あの人、確かに休憩室でよく見るよ。誰も怒らないのか」
「そこさ。怒られないことをいいことに、サボり放題なんだ。実は、元はうちの部長だったらしいんだが、部下の課長の使い込みがあって、監督不行き届きだってことで降格された。当然、その課長はクビになり、今の課長が係長から抜擢された。今の課長にしてみれば、自分の元上司だし、降格の理由も気の毒に思える。ついつい、わがままを大目に見るようになったってわけさ。おれたちにはガミガミうるさいくせに、案外、課長も甘ちゃんだよ」
 その時、元田の業務用携帯が鳴った。
「あ、はい、元田です。えっ、クレームですって!」
 サッと顔が蒼ざめた元田に、心配そうに衣川が尋ねた。
「どうした。何かあったのか?」
「おれの顧客のベンチャラ商事の坂東社長が怒鳴り込んできたらしい。とりあえず行ってみる」
 あわてて出ていく元田を見送った衣川の前を、寝起きの顔をした富永がフラフラと出ていった。

 烈火のごとく怒りくるっているベンチャラ商事の社長を、元田は課長と一緒に必死でなだめたが、いっこうに治まりそうにない。
 そこに、フラフラと富永がやってきた。
「坂東社長、お久しぶりです」
「おお、何だ、富永くんか」
 坂東の表情は一変した。
「社長、うちの会社の者がご迷惑をおかけしたようで、まことに申し訳ございません」
「うん、ああ、それはそうだが。まあ、わしも年甲斐もなく言いすぎたようだな。後は富永くんに任せよう。それより、また今度、うちに顔を出してくれよ」
 ウソのように上機嫌で帰って行く坂東を見送りながら、元田は課長が富永に甘い理由がわかった気がした。
(おわり)

働かないおじさん

働かないおじさん

地下の社員食堂で遅めの昼食を終えると、元田は真っ直ぐに休憩室に向かった。勤務中はほとんど吸えないため、煙草への飢餓感が募っていた。休憩室に入ると、奥の一角が透明のブースで仕切られている。中に先客がいるのが見えた。同期の衣川だ。「やあ」「おお」…

  • 小説
  • 掌編
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-07

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