Garbage;Cross Days.

考えたんです。価値が無くなった人って本当に価値が無くなったのかなって。
たとえ価値が無いゴミと罵られようとも心は澄んでいる、境遇によってゴミに成らざるを得なかった人やモノは無いのかなって。

そんな風にゴミとなった人達が最後の安息場所でなごみながらわちゃわちゃするお話です。

此処は、捨てられた場所。此処は、ゴミ箱。此れは捨てられたモノの物語。

一、Garbage

「そうだ桜を見に行こうよ」
夕暮れの帰り道、夕日を背にこちらへと彼女は振り返る。
沈みかかっている夕日は綺麗な橙色で美しい夕焼けを作ってくれていた。
実は夕方が一日で最も暗いそうだ。この時間帯を俗に逢魔時と言うらしい。最も暗いということは、それはつまり魔に逢い易いということ。
魔に逢う時、逢魔時だ。
昼はお天道様が光を照らし、夜もお月様が光を照らす。日が沈みかかってお天道様の光は弱くなっているのに、お月様は顔を出さない。そんな事を何処かで憶えた。
「これまた酷く突然でいきなりだな。なんでまた?」
「んー?なんとなくじゃ駄目…かな?」
「今は冬だぜ?葉桜すら見えやしないし、根っこに零れ落ちた枯葉がかろうじて見えるだけだ。痩せ細った木を見るくらいなら雪見をした方がよっぽど浪漫と感動に溢れてると思うぞ」
「…雪はもう見たからいいや。けど」
「けど?」
「…けど、ほら、私達ってもうそんなに時間や余裕が無いじゃん?だから花を咲かせてなくても、葉が茂ってなくても桜自体を今のうちに、ってさ。何なら明日とかはどう?」
まるで数ヵ月後に受験を控えた受験生がもう余裕が無いような言い草で少し、笑ってしまった。
それにしてもそうか、あともう少ししか無いんだな。
「……ああ、いいよ。行こう。お弁当とブルーシートをを持って行こう。近くの河川敷に桜並木があるから」
「やったーー!!絶対だよ!?ぜったいぜったいぜーーったいだよ!?」
「約束するよ。絶対だ」
「やったーーーー‼︎」
嬉しさの余り、帰り道ではしゃぎながら右へ左へ無邪気に跳ね回る彼女を見ていると、その姿に心の奥底に燻りつつも沈んでいた思いを口に出さずにはいられなかった。言おうとするけど喉がカラカラに渇いた時のように声が出ない。
酷な事を聞く気なのだなと頭の中で自分が語り掛けてくる。
ーーー今を楽しんでいるし喜んでいるからいいじゃないか。そうだろう?
…いや、違う。僕達の今を楽しんでるというのは先が無い事への諦めだ。先があるならば今を楽しむのではなく日々を楽しんでいる筈なんだ。
それは余りにも残酷だ。これはもう一寸先は闇、いや、一寸先は地獄だ。もう一歩と時間が踏み出してしまえば何もかも消えてしまう。
逃げるなら今だ。なのに何故、何故。
何故精一杯足掻く事は許されないのか。
言わずにはいられない。
出ないんじゃなくて口を噤んで声を押し殺してるんだと気がつくには結構時間が掛かった気がした。
彼女が帰り道を右へ左へ無邪気に跳ね回りながら帰る途中、どうにかこうにか口を開いた頃にはもう夕日が八割ぐらい沈んで夜の闇がうっすらと空に染みて、暗く支配しようとしていた。
ああ、さっきが一番暗いと思ってたけど違うんだ。
そうか、今が一番暗いんだ。
「あのさ…僕も含めてだけど…逃げたくはないのか」
喉がカラカラに相変わらず渇いてて、潤いを求めるのをどうにかこうにか口にあった唾で誤魔化す事が出来た。
「・・・うん」
「消えるんだぞ?」
「・・・うん」
「誰からも忘れ去られ、消えるんだぞ」
「・・・うん。大丈夫」
「本当にそれでもいいのか!!」
「平気だよ」
「忘れ去れるってのは死んでるのと同じだ。憶える者が居なければそれは人としての死だ。それでもなのか、後悔はしないのか。」
「それってさ、言い換えるなら一人でも憶えてる人がいるがいるなら私は死んだ事にはならないんだよね?けど憶えてくれてる人が私には居るのが分かってる。それなら問題じゃないんじゃないかな」
自分の歯軋りの音が頭蓋に響いて聞こえる。ギリギリと不快な音が頭蓋に響いて脳髄に染み渡る。
「お前の親も!父親も!母親も!お前の兄ちゃんも!友達も!何もかもから忘れさられ消えるんだぞ!?何言ってるんだ!!言えよ!消えたくないって!忘れられたくないって言えよ!!お前にとって家族は、友達は、人は、そんなものじゃないだろう!?なぁ、頼むから…頼むから………頼むから言ってくれよ……」
目の前の大事な人が、ひとが、きえる。嫌だ、それはいやだ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。我儘だってのは分かってる。傲慢だってのは分かってる。けれどそれは押し付けられて生まれたんだ。
何で普通の生を謳歌出来ないんだ。
我儘、傲慢、悪足掻き、時既に遅し、因果応報、後悔先に立たず、次々と矢継ぎ早に現実とこの考える脳髄が言葉を槍にして刺してくる。
「なんでだ!言えよ!何か言えよ!!罵ってもいい!蔑めよ!怒れよ!罵倒を、軽蔑を、憤怒を!!お前が悪いんだと!お前が巻き込んだから悪いんだと!!」
「……だから、大丈夫。だってさ、私は幸福だよ。この上の無いくらい幸福。私は忘れ去れて死んじゃうけれどそれを目の前に決して忘れないでいてくれる私の大切な人がいるもん」
僕は激情に任せ、肩を掴み、掴み、掴み……その時僕は訳も無く、唯の八つ当たりとして掴み掛かって、いいから消えたくない忘れたくないって言えよと怒鳴りつけようとした。
そうしようとすると、一瞬でとても良い香りが、ふわっと。僕を包み込んでくれた。
「大丈夫。大丈夫だよ?■■■■ちゃんが忘れないもん」
僕を彼女はその華奢な細腕で包み込んでくれていた。
僕は泣くしか出来なかった。
一緒に手を取って逃げる事も出来なかった。
何も出来なかった。
僕は弱虫だった。
そうした今の僕に残るのは―――――後悔しか残ってない。
あの帰り道。もうほとんど沈んでしまった夕日の中で泣く事しか出来なかった。彼女は僕を優しく、包み込んでくれたのに。
泣く度に嗚咽が漏れる。鼻水もだらだらと垂れ、目からは大粒の雫が零れ落ちていく。
喉は泣き声を抑えようと精一杯頑張ったけれど、駄目だった。ただ一言、言って欲しかった。
消えたくない、忘れられたくないと。
顔を見上げれば彼女も―――――
―――――――自分と同じように泣いていた。
そうだ、理不尽だ。生死与奪権を握られた齢■■の二人にとってはあまりに酷で理不尽だ。
「いやだよ■■■■ちゃん……やっぱり、やっぱり…やっぱり消えるなんて…い、嫌だよぉ…なんで、なんで私なのぉ…ひっぐ…ぇっぐ…うぁぁぁぁぁ」
気づけば日が落ちた帰り道に、ただ、ただ、ただひたすらにお互いにへたり込んで泣きじゃくっていた。
「もっと遊びたい…みんなとおしゃべりしたい、みんなと馬鹿騒ぎしたい、放課後の補修後に飲むジュースもまだ飲み足りないし、友達のお家にお泊りして一晩中コイバナしたい。お父さんやお母さんやお兄ちゃんと笑ってご飯がたべたい・・・・みんなと…みんなとみんなとみんなと一緒に!!まだここに居たいよ!!私消えたくないよ■■■■ちゃん!!」
歯軋りを超えて、自分の口の中で歯が砕ける音がした。
ああ。逢魔時も終わってしまっていた。
魔に逢う時に、逢魔時に魔に逢ってしまえればどれだけ幸せだっただろうか。
僕達を何処か見果てぬ地へ、この夕方に不幸にも逢ってしまった魔に連れていって欲しいと、切に願わずにはいられなかった。
―――――― 一週間後。奇しくも一年が終わり、新たな一年の幕開け(Hapy New Year)おめでたい幸せの始まりの時に。その1月1日に、僕は僕の本当の名前を無くし、ちーちゃんは全てを無くした。



グラズヘイム統合同盟について。
数多の某国、数多の書物、文献より抜粋、加筆修正を加え研究調査を簡易に纏め、これを報告書とする。尚、真偽の程は読み手に一任するものとし、以下よりこれはファースト・レポート命名する。
設立時期と設立発案者は一切不明。
歴史書、或いはデジタル記憶媒体、果てには世界樹録にも一切の記録が存在せず、人類が気がつけば存在。
設立時期と設立発案者が一切の不明の為、正確な設立目的も不明。
故に何を思い、何を想い、何を考え、何の意思で、何の意志で設立されたか不明。
現状は非常に強大で巨大な九ヶ国が統合され所属している。その九ヶ国全てがグラズヘイム統合同盟所属の九ヶ国を除く、他の大国四ヶ国と同時に渡り合えるだけの国力を有する。
ヴァンゲッシュ大陸の広大過ぎる土地をほぼ均等に分かち、同一大陸に九ヶ国を構えている。国名は以下の通り。
ニーノシュク
グラエキア
ウィトゥルス
エァル
エスタドス・ウニドス・メヒカーノス
シン
バーラト
エージープッタ
ジパング
このヴァンゲッシュの大陸の中心にグラズヘイム統合同盟実質的指揮権を握るニーノシュクが国を構える。
更にニーノシュクの中央に中央都ヴァルホルが存在し、他国でも管轄する都市を幾つか有する。
このグラズヘイム統合同盟所属九ヶ国は抑止級の国家兵器を備えていると公言しているが、その国家兵器の実情は不明。
どんな効果を持ち、どんな時に、誰の意見で、何の総意で用いわれるか不明。
世界樹の記録や旧記憶媒体から過去に核兵器というのが存在し、それが世界の平和を維持していたとあり、その平和を維持するシステムを核抑止と呼ばれていた。
世界の樹や旧記憶媒体によれば、この核兵器が実戦として使用されたのが、旧極東海域に存在した小国の都市二つに一度ずつ使用されいずれも壊滅したという。
その人の手に持て余した核兵器を破壊をもたらすのではなく、平和をもたらそうという思想より先述の核抑止が生まれたとされる。
核抑止という平和を維持するシステム、核抑止論は以下の通り。
【核抑止論に基づく核抑止の三原則】
一. 核兵器を自国に所有する
二. 自らは決して核兵器を使用しない
三. 核兵器による攻撃を受けたら、必ず核兵器による報復を行う

核抑止と呼ばれる平和を維持するシステムを掲げた核抑止論は上記の三つの条件、核の三原則により成立していたとされる。
但しこの核抑止論は致命的な穴が幾つか存在し、当時でもそれについて問題になっていたとされる。
この核抑止論は互いの国が互いに核兵器を有し、睨み合いと監視をする事で成り立っていたが、その核兵器の存在自体に恐怖を抱き核兵器を持たなかった国が居たと記録にはある。
これにより核抑止論の致命的な穴云々の前に実情としてはそのバランスは崩壊していたと考えられる。
攻撃を仕掛けられたら、攻撃を仕返しする。
しっぺ返しを恐れる事を前提とした理論は、しっぺ返しが出来なければただ仕掛ける側に核を持たない仕掛けられた側は何も抵抗が出来ず核攻撃をされ蹂躙続けるだけ。
連鎖というものも一つある。例えば、核攻撃仕掛けられた国が核を保有せずともその国の『同盟国』が核兵器を有していた場合……核の三原則第三項に従い、仕掛けた国へ報復活動を開始するのも無きにしも非ずという。
核兵器による破滅のきっかけを作らない筈の理論は、一手間加えれば簡単に世界滅亡スイッチをオンにする事が出来、核兵器による不毛な核戦争は起きるのだと容易に推察が可能。歴史の記録としてはそのような自体はどうやら無かった模様。但しこれは空白期までであり、空白期に核兵器を用いられた核戦争があったかは当然不明。
グラズヘイム統合同盟所属九ヶ国の抑止級の国家兵器のこれらは、核抑止論それに当たると思われる。抑止級兵器を互いが互いに持ち、互いに睨み会い監視をすることで平和を保っている。
永続中立浮遊都市へヴァンにも抑止級の国家兵器を所有するとまことしやかに囁かれているが実情は不明。

ーーーーファースト・レポートNo. ■■■■より抜粋


ジパングの中にある中央都ヴァルホル直属統轄区画都市「京」に壁を隔てて深淵街アビスは存在している。
スリから始まり脅迫、詐欺、強盗、人身売買、麻薬取引、殺人etc…犯罪という犯罪ならば選り取り見取り。
揃わぬ犯罪は一つとして有りはしない。
ここにおいて、魔法も科学も真理を追究するという崇高なる目的なのではなく、犯罪をより正確に手早く安全に犯す手段に成り果てる。
人の陰鬱とした気分を晴れやかにする人を想う魔法は捻じ曲げられ、魔法を重ね掛けすることで麻薬と同じようにハイになれる邪法へ姿を変える。
騒音を吸収し遮音、静音をする構造物質の人を想う科学の技術も転用され、要人暗殺時など銃に取り付けるサプレッサーとして利用される。
そんな街中で男女が暗い路地を駆け抜けていた。
すると間も無くそこを五人の男達が同じように駆け抜ける。
男女はあの五人の男達から追われ、逃亡している。見たものが誰であれ、誰もがそう考えるだろう。
暗く日が沈み、お天道様はなりを潜め、草木さえも眠る深い夜の中に計七人の走る足音が響き渡る。
「どーしよこのままじゃ死んじゃう!!死んじゃうって!!」
「暫くのご辛抱です」
男女が路地と建物の屋上や壁を蹴り抜き駆け抜けながら男性の方が大声を上げて喚き、それに返す形で冷静に女性の方が答えた。
そう。男女は平面の動きをする訳ではなく立体的な動きをしていた。言うなればパルクールと言ったところであるか。
壁に足掛けが出来る所があればそこに足を掛けビルの上へと駆け上がる。
隣のビルに移るためにビルの谷間を跳ね上がる。
行き止まりとして少し小高い壁があるなら三角飛びを使い、それが高い壁なら他の壁の窓の冊子に足を掛け手を掛け軽やかにその壁を乗り越える。
当然高い所から飛び降りもする。
飛び降りた着地の際に如何にして速度を落とさず足腰や膝、足首に負担がかからないようにするかを工夫する。
例えば全身の筋肉をバネのように柔らかく伸ばす事で衝撃を全身に逃がしたり、着地の瞬間衝撃が走る前に前方へ転がる事でその落下エネルギーを下ではなく横へ分散させるなど。
一体どのようにすれば速く、正確に、安全に。荒々しい姿のその技術は繊細なれど、野生の獣を彷彿とさせながら尽く縦横無尽にビルの群れを駆け抜ける。
それをそつなくこなす男女二人。
追う五人の男達は、男女二人までとはいかなかったが目を血走らせながら鬼の形相で同じように建物の屋上や壁を蹴り抜き駆け抜け追い続けていた。
しばらくすると男女は港の倉庫群の一角に逃げ込んでいき、その五人も追うように入っていった。
そうすると五人の男達が「しめた。あそこの先は袋のネズミだ。」と揃って小さく呟いていた。
暫くすると男女は古く錆びれ寂れた倉庫に逃げ込むのを見た五人の男達は、ようやく追い詰めたと言わんばかりに全員が顔に笑みを浮かべる。
錆びれ寂れた倉庫は酷い有様だ。本来貨物などを入れるであろうコンテナは最早コンテナの体を成しておらず、天井から落ちた鉄骨などが散乱して、所々壁に穴が空き、壊れて柱として機能していない鉄柱などもちらほらと見られた
それでも尚倉庫として建っているのは何の奇跡か。
そういったクズ鉄などゴミがうず高く積まれた山のようなものが倉庫に幾つか形成されており、それらが本当そこまで大きくない倉庫をより一層圧迫し、狭さを際立たせている。
その山の一つの影に、隠れるようにあの男女が凭れ掛かっていた。
「どーしましょこのままじゃ死んじゃいます」
よばれた女性は答える。
「先程同じような台詞を聞きましたが、もう暫くのご辛抱などとは言えなくなりました。私達は詰んでます。チェックメイトを掛けられています」
「じゃあどーしろと!?」
「ここまで来たならどうしようもありません。お覚悟を」
悲痛な叫びに対してさらりと冷静に返す。
それと同時に二人は首を捻り飛来して来た銃弾を避け、二人揃っていつの間にかその左手に携えていたナイフをその銃弾が来た方向へ投擲する。
すると倉庫の影の向こうから男の低い断末魔が聞こえてくる。
「もうあの五人が追って来たようですね。あっ、けれど今一人殺ったんであとは四人ですね」
「もう嫌ぁ!!」
影から現れたその残る四人は、見れば何かしら手に凶器を携えていた。
二人は拳銃を。
一人はナイフを。
一人は拳を。
男女はこくりと顔を頷かせ倉庫に散開して逃走を再開した。
男達もまた同じように頷き合い二:二に別れるように散開して追走を始めた。
二人の拳銃持ちは女の方の追走をしていた。
銃弾の坐薬が破裂する音が幾つも倉庫で木霊する。
「っ!」
嫌な気配を感じ取った女性は走る途中に目を大きく見開き、咄嗟に直ぐ横のコンテナに転がりこむ。
見れば転がり込む前に走っていた所に銃弾の跡が幾つも出来てた。
「暗がりのせいか狙いは定まり切らなかったのでしょうか?兎も角運に感謝しましょう…」
コンテナに転がり込んだ起きた出来事の数瞬の間にほっと胸を撫で下ろていた。
やはり暗がりのお陰で狙いは定まらならなかったのだろう。
あの狩猟犬(ハウンド)共が2人ががりで撃っても精々頬を掠める程度のが良い証拠だ。さしもあの狩猟犬(ハウンド)とはいえ暗視装置を付けず、且つ武装は精々拳銃かナイフ程度では狩猟犬(ハウンド)としての本領を発揮出来ないのだろう。
だから正直そんな装備を見ていると私達を本気で狙ってるとは思えず、捨て駒扱いをされているのだろうかと思えてくる。
銃声が止んだのでゴミの山を駆け抜けまた逃げ出そうかと思ったらどうやら相手はこちらの出方を見てるのだろうか、今度は逆に足音呼吸音と何一つ聞こえてこない。
どうする?
探し出してから近接戦闘で潰す?
いや、相手単体は幾ら自分よりも弱かろうとも狩猟犬(ハウンド)の端くれ。
片方にのみなど集中すれば土手っ腹は簡単に風穴を開ける事に……
「つくづく面倒臭い部隊ですねまったく」
ふうっと息を着く。
同時に足元に嫌な予感と、目の端に足元へ飛来する何かの影が見える。
「!?」
全身が粟立って考えるよりも先に直感に従うまま身体を動かし回避行動を取り、カウンターとして攻撃を返す。
……その筈だった。
「足がっ…動かない!?」
足を動かそうとしても頑として動かず、どれだけ力を籠めても無駄だった。
まるで足の甲に楔を打ち込まれ、地面に縫い付けられた様な姿はさぞかし滑稽に違いないだろう。
「どうだぁ?神秘の捕獲・拘束・保全・保存にのみ特化した第四秘匿教会直々の架空楔型固定術式の味は?」
渇いた銃声が聞こえた。
自分が撃たれたのかと思いどこかに来る痛みに耐えようとした。
けれどそんなものはやって来なかった。何故だろうか。
そう考えるや否や、倉庫の影からニマニマと薄ら寒く気持ち悪い笑みを浮かべた痩身の男が現れた。
自分には銃弾は当たっていない。では先程の銃声は?
二度思案した疑問は直ぐに解決した。そいつの手に握られた銃口から煙が上がっていて袖や服に鮮血の染みがべっとりとついていた。
血は渇けば褐色の焦げ茶色になるが、それは違った。あのおぞましいほど綺麗な赤は、新鮮な血。鮮血の証拠だ。
先程自分達を追いかける際にこいつらは4人から2分し2:2に分かれた。しかしこいつにはそのもう1人が傍らに居ない。
まだ隠れているのだろうかと思ったが多分違うと思う。恐らくペアで組んでいたもう1人は、何らかの理由からこいつの手によって撃たれ、鮮血を撒き散らしながら死んだんだろう。
「最低の気分です。それよりもまさかあなた達があの第四秘匿教会(コレクター)と手を組むとは。驚きました」
「いやいやそんな。君は勘違いをしているな。俺があんなのと手を組んだなんてある訳が無いだろう?変テコ不思議物を蒐集する事しか能が無くて、それを活用する脳も無いクソコレクターどもと同列にするなよ?」
「とするとあのコレクターを傘下に加えたとでも言うのですか?貴方の薄ら寒い気持ちの悪い笑顔より笑えません。」
痩身の男が青筋を浮かべ薄ら寒い笑顔にぎこちなさが宿る。
「いやだなぁ、"奪った"のさ。俺がなぁ」
言葉には怒気が含まれているようだった。
先程もう1人を撃って殺したという考えが正しければ恐らくあいつは非常に短期なのではないか。
仮に本当に撃って殺していたら?
当然その場を見た訳では無いから撃ったかどうかは分からない。
撃ったのならばその理由は?
私という女を直ぐに仕留めれなかったからだろうか。直ぐに仕留めれない自分のイラつきをぶつけたかったのか。
薄ら寒い気持ちの悪い笑みを浮かべていた。
その笑みや言葉には今は怒気が加わっていたがそれが加わる前、倉庫の影から顔を出しこちらに向かってきてた時のこいつは。
まるで何か一つ大事をやり遂げたような、薄ら寒い笑みに満足したような雰囲気が有った。
ーーーこれも仮説。こいつはその自分のイラだちなどをよもや銃で仲間を撃った事で解消したのでは?
とすればこいつは非常に危険だ。
仲間すらも躊躇無く撃ち殺すのだとしたら、こいつの銃の引き金に掛かる指の力は正に癇癪を起こして周りに暴力を振り回す身勝手な子供のそれと何ら遜色は無い。こいつの引き金は鴻毛よりも軽過ぎる。
もう一つ思いついた事があった。
正確には思い出した事。
これだけは言っておかなければいけない事を思い出す。
「一つ忠告を。コレクターを、あまり甘く見ない方が良いです。あそこは、第四秘匿教会は伊達にコレクターと揶揄されるだけあります。貴方が奪ったそれも曲りなりにコレクションの一つであり、ただの備品や道具でも例外はありません」
そう言うと嘲笑うように大声で「はっはっはぁ!そんな事よりも自分の身を心配したらぁ?」と腹を抱えて言ってきた。
自分も目の前でコレクターに嬲られる人間をただ眺めてる趣味は無いので最後の最後としてもう一度「いいえ、お気になさらず。それともう一度だけ申し上げます。今貴方が奪ったこれはコレクターの備品や道具の類いですが、これもコレクションの一つです。早急に返却する事をお勧めします。そうすればコレクションさえ出来れば満足な向こうも、素直に手を引いてくれるでしょう」と忠告しようとしたが、最後のほうで全部言い切る前に銃声がそれを許さなかった。
リレー開始のピストルを鳴らすように右手を上に掲げて向けて撃ったらしく、上からはパラパラと撃ち抜かれた天井の小さな破片が落ちてきていた。
今こいつは薄ら寒い笑みを浮かべているが、もう目は冷え切って確実に怒りを溢れ返させている。
余程自分の態度が気に入らないのか、心からの言葉である忠告も聞き流し、先程浮かべた青筋よりも大きな青筋を浮かべこちらに向かってくる。
冷静を欠いている癖にやけにこちらをしっかりと見据えているのは、曲がりなりにも狩猟犬(ハウンド)の一匹なのだろう。
コツ、コツ、と近づいてくる。
距離は精々10数メートル。もう間も無く、直ぐにこちらへと辿り着く。
―――しめた。
―――あと少しで貴方は私を殺す事が出来るでしょう。
―――しかしそれは私も貴女をあと少しで殺せる事が出来るという事です。
―――貴方は私を直ぐに殺しはせず、身動きの取れない私をじっくりと甚振って嬲ってから殺すのでしょう?
―――その手に持つ銃で未だ撃ってこないのが良い証拠。
だんだんとゆっくりと嫌な目つきのまま少しづつ。1歩1歩と近づいてくる。
―――そうだ。その調子。
男の歩く、その1歩1歩が断頭台を登るのと同じなのだ。
―――あと少し
―――あと4歩。
―――あと3歩。
―――あと2歩。
―――あと1歩。
しかしそいつは断頭台に向かう歩を進める事を辞めて立ち止まる。
それは自分の思考の停止でもあった。
何故?何故動かない?あと1歩。あと1歩なのに――――
すると立ち止まったそいつはまるで、主に祈りを奉げる信徒の様にがくんと膝をつき、立て膝の状態で顔を下に伏せるようになった。
直後、ビクッと身体が震えたかと思うとそいつまたゆっくりと立ち上がる。
俯いた顔を持ち上げこちらを見てきた。
きょろきょろと四方を確認する様に首を回転させ、見回した後、右手でぼりぼりと後頭部を掻き毟り始める。
暗がりであまり良く見えないが蠢く影の動きから溜息を一つ吐いたらしいことは分かった。
ジジジと消えかかっては明かりを灯す。その点滅を繰り返す薄暗い倉庫に付けられた数少ない照明の一つの寿命が終えたらしい。辺りが更に暗がりに包まれる。が、右手側の方の元々壁があったであろう場所が何かに大きくぶち抜かれていて、見える景色を広く大きく良くしているその壁穴に月明かりが差し込み、真っ暗闇になるのを防いでくれた。
「・・・・・・さあ、そのまま、来い」
時既に遅し。気持ちが先走り過ぎたのか声に出てしまった。
ばっと反射的に両手で口を塞いでしまい、言った事の重要さの露呈もしてしまった。
なんてことをしてしまったのだ!
1人で少しわたわたしている自分に対しまたもそいつはハァと小さく溜息をしたらしい。
一言、語りかけてくる 。
「私を殺したいならもう少し落ち着きな。全身という全身から尋常じゃない程殺気がだだ漏れだぜ、嬢ちゃん」
わたわたして慌てていた脳内はクリアに。
全身の皮膚という皮膚は粟立ち、筋肉に緊張が走る。
何…?
言葉遣いを状況に応じて使い分け、何か特定の行動により自己の行動理念を完全に切り替えるなどは良く聞いて見る話だ。
しかし明らかにおかしい。
なんでこいつはさっきまでと全てがここまでも違う?
声音、顔、指紋、体格、手癖、口癖。そんな事はドッペルゲンガーにでも任せればいい。
目の前のこの男は先程までと変化は一切無い。
今。声音、顔、指紋、体格全て同じ。違うといえば先程までのような見るからに慇懃無礼で凶暴さが表に出ていた喋り方はなりを潜めて、一人称が変わっている事だ。
二対存在?いや、それならば必ず二対の存在の境界線ははっきりと分かれている。姿形が変化しないなんてありえない。
けれど、絶対に、今ここにいるこいつはそんな生易しいものでは無いと直感が告げる。
視える魔色も何もかも変化は無い。
人によってはこの変わり様から二重人格?など思いつくだろう。
見た目は変わらず、性格だけ豹変する。
これを見れば誰もがこいつは二重人格なのだと、そう思いつくだろう。
けれど私は幸か不幸か、この生まれ持ってのこの「体質」から知ることが出来た。こいつは人間ではないもっと高次で高位な存在に変わったのだと。
――――――例えるなら、神とか。

本来高次で高位な存在に変わるなどただの人間には不可能であり、それはどう足掻いても人には越えられない「垣根」というもの。
しかしその「垣根」を今、易々と飛び越えているこれは何だ。自分は気が狂ってしまったのではないのか。
心臓が訳の分からなさで早鐘のように鳴るのをどうにかこうにかと、無理矢理落ち着かせ、崩れようとする表情を崩さないように維持するのにかなり大変だった。
「……随分と落ち着いたようですね。あら、何故か知的で良い顔付きに成られましたね。惚れちゃいそうです。惚れませんが。さては貴方がキメていたドラッグが今頃作用でもして火星にぶっ飛ぶ紳士にでもなったのですか、スカスカ脳みそさん。あと嬢ちゃんって言うの辞めてください。吐き気がします。」
狂言を回すように、焦りを悟らせないように。
「そうか悪いね嬢ちゃん。それと私…いや俺でいいのか。どうやら煙草は吸っても生憎とお薬は使わない主義らしい。大事な商売道具兼武器が骨抜きなっちゃ困るようだ」
皮肉も華麗に受け流したのを見て聞いて、確信する。
先程のあいつじゃない、と。
嫌な冷えた汗が背中をズルズルと這う。ナメクジに張り付かれ這われているようだった。
そのナメクジが首筋からも出始めた頃、ようやく口が開けた。
「……貴方は、何者ですか。まるで自分を別人のように言ってますが」
うーんとこいつは思案する様に腕を組み、少し悩んでから、ポンと手を叩き何か思いついたような顔と仕草をしてこう語り掛けて来た。
「そうだな…ちょっとね、ちょっとだけ、この「俺」に「私」を一時的に上書きさせてるって言えば分かりやすいかな?あぁそれと、私は裏方の存在だよ。もっと言うなら宙(そら)の末端、主の中継役。正確には白痴の代弁者とそう言うべきかな?一応聞こえが良いように少し格好良く言ってるけど、仕事内容は要するに体の良いパシリみたいなもんだ。それよりもだ。今私は、知的で嬢ちゃん惚れられそうな顔付きなのか。どうせなら嬢ちゃんが更に惚れて篭絡する姿形のナイスガイにしておこう。私は本来顔なんか必要ないから、人ウケが良い顔なら顔面がフライパンで30発殴られたようなものでも良かったりするんだ。ちなみに私は普段私は色々な人から弾き出されててね。ここが今どこでどういう状況で、どんな意図があって、嬢ちゃんに殺気を向けられてるかはさっぱり分らんが多分「俺」が何かやらかしたりした?」
ゴキゴキと骨格を組み替えるような音と共に確かにそいつはナイスガイになっていた。
明らかに異常な光景だった。
身長は伸び、声も少し低く張りのある声に変わり、顔は別人になっていった。
「そうですね……貴方からコレクター…いえ、第四秘匿教会の架空楔型固定術式を食らって、あわや自分の貞操の花が散るかものなのかと思いました」
「さっきまで私にあと1歩踏み出せば殺せるって雰囲気の殺気出してて何を今更。さっきと殺気だけになんてね。上書きしたって下りが余り理解してなさそうだね。私にとって変えるってのは根底から全てを変質させる事で元には戻れないことで、上書きは上から被せて書くだけだから取り返しも簡単というものなんだ」
「はぁ。正直よく分からないです」
「そうだね。例えるならここに平仮名の「は」があるとしよう。私にとって変えるってのはこの「は」に棒を書き足して「ほ」にしてしまうこと。1度書いてしまったものは字を全部消さないと元の完全な綺麗な「は」は書けないよね。じゃあ「は」の上に「ほ」と書いたメモテープを貼り付ける。元に戻したいならメモテープを剥がすだけの楽な作業というもの。これが私の上書きについてのニュアンスなんだけれど分かり難かったかな?」
殺気が漏れていたのは自分の至らぬ所、仕方ないとはいえここまで来るとどうもきな臭い。というか胡散臭い

こいつからは先程から出ていた薄ら寒い気味の悪い笑みを浮かべず、さながら真摯にサッカーに打ち込むサッカー少年のような爽やかで清々しい笑顔でニコニコとしている。
さっきまでと入れ替わって、薄ら寒い笑顔から爽やかな笑顔になったが、その笑顔から詐欺師が浮かべる胡散臭さに溢れ出ていた
「ええまあ大体は。それともう一つ………私を見逃してくれたりでもするんですか?」
「まあ面倒くさいの嫌だからってだけだし。だからそこまで気にしなくていいよ、別に。あとそれは元々俺の問題だけど今は俺は私で、私は関係無い。故に嬢ちゃんを逃がしても大丈夫」
「そこまでしてくださるのですか。ならここから貴方が、逃げてくだされば大変ありがたいですがよろしいでしょうか」
するとそいつは右手側の壁の方へ振り返り、大きく空いた穴に身体を向け、顔だけこちらを向いてまた語り掛けて来た。
―――じゃあな嬢ちゃん。今度会う時は色んなお知らせをお届けするぜ。
―――あっ。あとシックストゥウェルブストアーの新作プリン買わなくちゃいけないの思い出した。
―――とりあえずバイバイ
そう捨て台詞と謎の独り言を言い残し、手を振りながらこの倉庫から出ていった。
しかし今でも射程圏あと1歩だった所、さっきまであいつが立ってた場所に異様な存在感に気がつき、吐き気と頭痛がしてきた。
興奮状態で気がついて無かったのか。思えばあいつも異様な存在感を発していた。
まあそんな事は良いと首を振り、今は一難去ったのだと一息つき、横のコンテナの壁に手をつきもたれかかる
「……とりあえずこっちのノルマは達成しました。そちらは、どうですか」
2人を自分の力で無いとはいえ退けた。
あとはあの人の方だけだろう。
心配は無いのかと聞かれればあると答える。
しかしなら助けに行けばいいと言われればその必要は無いと答える。
何故ならあの人は既に2人分持ってるようなものだから。
「…それにしても………あのナリで?プリン?ふふっ」
胡散臭さ漂う爽やかな笑顔を浮かべた男の台詞を思い出し、倉庫の片隅でクスクスと笑うことにした。

「さっさささ…さくらぁ……」
腑抜けた声を抜かしながらよろよろと追っ手から逃げていた。
「がっ…!ぅあっ」
太腿あたりに鋭く熱い痛みが走る。
痛みが脳髄を一瞬で支配する。
バラスを崩し、無様に地面に転がり落ち呻き声を上げるしかなかった。
痛みにのた打ち回り、呻き声を上げる中、足音が聞こえてきた。
「お前が王家の秘宝と秘術を持つ者。第一後継者だな?」
そう低くドスの利いた声が頭の上から聞こえてきたので顔を持ち上げようとすると顔の鼻に熱い熱が篭り、赤い液体がぼとぼとと零れた。
顔を上げようとすると黒い影が一瞬で迫ってきた次には目の前に白い閃光が迸ったのだ。
多分顔面を蹴られた。
「今お前に拒否権又は生存権は無い。質問に正直に答えれば苦しまないように殺してやる」
無茶苦茶だ。
右眼にもようやく熱が篭り始めた。
果たして起動するそれまでに自分が持つだろうか。
「答えろ」
「ぅえあっ…あっあぁぁあ…」
今度は腹を思いっきり蹴られた。昼に食べたケバブを吐きそうになるのを我慢するのは大変だった。
「おい!そんなに痛めつけたら答える口も答えれないだろう。何より死んだらどうする」
「ちっ…」
片方の男に宥めると口も聞かせぬ拷問じみた尋問は収まった。
よろよろと立ち上がる。
目の前がまだ白い光に溢れてる。思いっきり蹴りやがって。
どうやら相手は狩猟犬(ハウンド)らしい。
よくもまあ御大層な尋問なことで。
勘違いしているようだが秘宝と秘術なんて二つも無いし、それはここにあるんだ。
腫れた目を見開くと黒の背広を着た男が二人居た。
片方はスキンヘッドで肩幅も何もかも常人の肉体を凌駕したなりをしていた。余程腕っ節に自身が有るのか何も武器を持っていなかった。
もう片方は少し小柄で、一見すると肉体派というなりではなかったがそれでもスーツは大きく張っており服の下には鍛え抜かれた鋼の筋肉があるだろうと推察出来る。そして大振りのナイフだったと思しき柄だけの物を握り締めている。
太腿辺りをそろそろと触ればナイフの刀身が深々と刺さっていた。どうやら先程の鋭く熱い痛みの正体はこれらしい。
そうしていると小柄の男の方が「抜かない方が良い。出血多量で死ぬぞ」と言ってきた。
畳み掛けるようにスキンヘッドの方が「早く話せ」と言ってきた。
声のトーンでようやく分かったが、さっき自分を散々痛めつけていたのはどうやらスキンヘッドのこいつらしい。
蹴られた拍子に口の中も切ったらしい。ヒリヒリする。
「秘宝と…秘術だっ…け。分かったよ話す話す。どうやら俺の命はここまでみたいだ。そこで提案なんだが人生最期の煙草、吸っても良いか?」
「…良いだろう。好きにしろ。どうせ最期だ一本と言わず二本でも吸うが良い」
「ああ、生憎と一本しかないらしい。つまり俺の命は煙草一本分しか無いのか。悲しいなあ」
―――ようやくか
「早く言え。秘宝と秘術はどこだ」
スキンヘッドがまるで猛獣が上げる雄叫び声の様に吠え掛かってきた
「お前さんの相棒がOKって言ったんだ。これ以上とやかく言うなら俺は舌噛み千切って死ぬぞ」
そう言い切ると、スキンヘッドはぐうの音も言えないとなるやこれでもかと言わんばかりに睨んで来た。
檻があったら動物園の肉食獣のまんまだこれは。
それにしても煙草の煙が口の中で切れた傷口に染みて、味わい難いことこの上ない。
そう考えたりしながら煙草を吸っていて、気がつけばもう吸えないほど短くなっていた。
「吸い終わったな!?もう煙草はいいだろう!!早く言え!!」
スキンヘッドは相変わらず吼えてきた。こいつは多分躾されてない、鎖も繋がれてないんだろう。
「…話をしよう。って、おいおいそんな身構えるのはよしてくれ。俺は見ての通りすってんてんの武器無し道楽人だし、あんたがたみたいなのに拳を構えられたら、それはもうちびっちまうよ」
「もうお前の御託は飽きた!!さっさと話さぬなら…」
どうやら実力行使らしい。スキンヘッドの相棒もちゃっかりと構えていたのでもうお手上げだ。
ああ嫌だな

ーーーーー「…ここもう一本実は煙草が余っている」

そう言い終えるぐらいか終わらない前にスキンヘッドの男がショルダータックルをかまして来たが、それを俺は片手で止める。
スキンヘッドがほんの一瞬呆気に取られ、出来た隙を逃がさずに叩き込むことにした。
手早く顔面に膝蹴りをして、その痛みでのたうちまわるスキンヘッドのパチンコ頭を掴み更に顔面に膝蹴りを二、三発繰り出し、頭に手を掛け全力で首を一切の躊躇なくへし折る。たとえどんなに肉体を鍛えていようとも首だけは弱く、ここは子供であろうと大人であろうとも共通であり、人間の外部部位で死に最も近いと言っても過言では無い。
脳と脊髄が繋がっており、その首にかかる延髄を傷つければ、鍛錬に鍛錬を重ねた鋼の肉体であろうとも、この死の部位は女子供の華奢で柔な手で呆気なく死んでしまう。
自分としてはいつも嫌な感触がするのが苦手だった。
小柄な男が呆然とこちらを眺めている。
「…ここにもう一本の煙草が余っている。俺はさっきこの命は煙草一本分と言った。」

時が経ち、二人の男女が倉庫から出てくる。
「そう言えば倉庫入るぐらいの頃にチェックメイトって言ってたけど普通王手って言わない?特に君の人種というか、本来のお国柄的に」
無言の桜による華麗なる回し蹴りがこめかみに直撃。あえなく昏倒し首の根っこを常人離れした力でがしりと捕まれ引き摺られることになった。
「ちょちょ痛い痛い桜さん超痛いよ!図星だからってこれは酷い!!あと回し蹴りの時チラッとスカートの中が見えたけど桜さん案外スゲーもん穿いてるのね」
この後男のまたも悲痛な叫びが深淵街に響き渡ったそうな。



ここはグラズヘイム統合同盟中央都ヴァルホル直属統轄区画都市「京」に壁を隔てて存在するスラム街で、どうやら正式な名前は決まってないらしい。
昨日、一昨日くらいに聞いた気がするがもう皆が呼ぶ通称の名が、自分の中で定着してしまっているのでどうでも良かった
薄汚れたネオン光の群れが巧みにその照らす事で生まれる暗さと明るさを持ってしても、常にこの道に漂う鉄臭さと腐乱臭は隠せないまま道明かりの一つとして機能していた。
因みにイオン光に照らされてもこの道は暗い。
比較的大きな道は雑多の雑踏によって踏み均されていて、昼よりも多い人通りを歩く自分の足音はあまり聞こえない。
「寒い…」
背骨が軋む。
夜道にびゅうびゅうと吹く夜風があまりにも冷たかったので、防寒着として羽織っていたトレンチコートを裾の中に手を潜り込ませポケットに腕を滑り込ませた。
ふと歩く道の両脇に大きな物が並んでいるのに気がつき、目を凝らして道を歩きながら右脇を見れば手がもげた死体が。左脇を見れば足のもげた死体が。ゴロゴロと転がっている。
「見慣れたと思ったんだけど、慣れないなあ」
慣れていいのかな。
これは考えれば考える程ド壷に嵌ると思ったのでこれ以上考えるのを辞めた。ここはこういう所なんだら死体なんて当たり前じゃないか。
転がる死体を目の端で捉えながら頭の片隅で屍体性愛者が鼻血と涙を流して歓喜に震えながら狂喜乱舞してるんじゃないのかと思っていた矢先、ハアハアと鼻息荒くブツブツよくわからん事を言いながら比較的綺麗で美人な女性の死体に股の下を興奮させている男がいた。その女性の死体はようやくゆっくり寝ることが出来た安眠を邪魔されているように思え、その気持ち悪い屍姦野朗を追っ払ってからその女性の死体を埋めている自分が居た。
女性の死体を埋める前に、
「なんなんだよお前わぁ!ぼ、ぼくとこの人の愛を邪魔立てする気か!?そそうかお前もこの人を愛しているんだろう?だから邪魔をしに来たんだな!!今さっきからこの由梨ちゃんは相思相愛の仲だったんだぞ、奪わせるものか!!」
なんて女性の死体を抱えながら言ってきやがった。その女性の死体を由梨ちゃんとか言っていたけれど、それは多分勝手な妄想だろう。
ただでさえ人通りの多い中ハアハア言ってる気持ち悪い奴が堂々と屍姦しようとしていて、通る人は皆見て見ぬフリをしていたのにそいつが変に自分に向かって声を荒げるものだから自分まで周りの通行人からコイツも屍姦する気なのかみたいな目を向けられていて辛かった。「うるさい」の一言と共に屍姦野朗を叩きのめして追っ払い、鞄の中から運良く先日買ってあったシャベルがあったのでそれを持って人通りの無い裏路地に移り、そこでで黙々と地面に穴を掘りながら埋葬作業を進めた。
暫くして間も無く、埋葬作業の一つ終わり、地面には人一人分は入れる大きさの穴が出来た。
その女性の死体を埋葬する事が出来たが、埋葬後一つ重要な事を思い出した。
墓標が無い。
「そうだな…十字架とか墓石代わりの四角い石なんかあればいいんだけど…無いな」
自分のストレージや鞄に墓標の代わりに成る物は無いかと漁っていると、自分の足元に咲く少し萎びた小さい花がある事に気がついた。
「ああそういえば花があった。少し萎びている上に小さい一輪で済まないが無いよりマシだと思っててくれ。はい」
そう言い残し、少し盛り上がった裏路地の土の上にその少し萎びた花を一輪すっと添えておいた。
多分だけどこの女性の死体については忘れるだろう。
そうだ、ここのスラム街の通称は「深淵街(アビス)」
暗く深い世界の淵の街で出来る出来事を一々引きずるなんてのは救国を成し遂げたかのオルレアンの聖女も無理な話だろう。
ただ忘れるしかない。
ただでさえ壊れたこの心をこれ以上傷つかぬようにと。
裏路地からネオン光が照らす表の通りに出て、またあそこを目指すことにした。
価値が無いゴミのような人間が流れに流れ辿り着いた、最初で最後で最期の憩いと安息の終着点へと歩を進める自分が居た。
目的地の喫茶店の扉を開けカランカランと扉に備え付けられた来客の鐘が鳴る中、カウンターにドカッと座って防寒着にしていたトレンチコートを脱いでいると少しばかりしわがれた声がした。
「やぁ。今日も良く来ましたね。いらっしゃいいらっしゃい。ところで今日貴方は少し浮かない顔のようだ。温かい自家製ハーブティーはいかがですか?」
綺麗な白銀に染まった髪で、猫の足跡が小さく刺繍されたのが特徴的なこの喫茶店の制服を着たここのマスターが、微笑を浮かべながら問いかけてきた。
自分が「ありがとマスター。けどついさっきさっき嫌な事あってさ、そのせいじで今はどうもそれだけじゃ駄目だと思う。断る形で悪いけど、この間からキープしておいたボトル頂戴。あとマスターお手製のおつまみ。」と言うと、「かしこまりました。では自家製ハーブティーはまた今度ということで」と少し残念そうに肩を落としてマスターが言ってきた。
「ごめんごめん。悪かったってば。その様子じゃきっと相当の自信作だったんだろうけどまた今度に頼むわ、マスター」
「そうですか。お待ちしています」
そう肩を少し落としたマスターと雑談を終えると、少し落ち着いたのか周りにも目が回せるようになっていた。
「ここはここなだけあるなあ。いつも通り変人ばっかりじゃないか」
そう呟きながら周りを見渡せば、何の特徴も無い目と口の三つの孔しか空いていない仮面を着けながら口元に開い穴にストローを挿して手元のコーヒーカップから直接呑む人や、半人半獣なのだろうか馬面で何故か腕が両方無く片足立ちをしながらもう一方の片足で器用にティーカップを傾けている人だったり、魔巧人形が周りに大量のボトルとグラスを置きながらゲロ吐いてたり。
そんなのをぼんやりと眺めていた。
ここの調度品は派手過ぎず貧相過ぎでもなく、丁度いい具合の物ばかりだった。
多分ここのマスターのお蔭なんだろう。隅々まで掃除が行き届いていて埃一つ無かった。古めかしい木造のカウンターやテーブル、振り子時計なども当然汚れ一つ無い。
きっと長年使い込まれて本来なら痛んでいるんだろう。
けれどもそれは確かに新品のように活き活きとしてかつ、深く味わいのあるものになっている気がした。
気づけば目の前さっき頼んでおいた物が一式並べられていた。
キープしておいたボトルにグラス、それとマスターお手製のおつまみだ。
…ここ一応喫茶店だよな?
毎度毎度そう思うが、それはマスターのおつまみが美味しいのが悪いと思う。
「おおっ、これうまいよマスター。酒が程よく進むいいおつまみだ。んんっ!これなんか特にうまいよ」
そう言うと少し肩を下ろしていたマスターがにこやかに微笑み始めた。
これは決してお世辞なんかじゃなく本当にうまいのだ。
礼を述べながら、酒と共にマスターのお手製のおつまみに舌鼓を打っていた。
酒を呑む事で全身に酔いが回って来たんだろう。冷えた体に熱が篭り始め、意識がふわふわししてきた。
心なしか体も軽い。ぼーん。ぼーん。と鳴る振り子時計の音が頭で大きく遠くから木霊する。
とても心地が良い気分で少し上機嫌だった
自然に笑みが零れ出る。
言い表すとすれば夢見心地、だろうか。とにかく今自分の心は満たされていた。
それも束の間。
自分を除いて周りの人間という人間が視界から消え、がらんとした喫茶店が出来上がった。
心地がいい喧騒も、マスターも、仮面の人も隻腕の馬面もゲロ吐く魔巧人形なにもかもが消えてしんとした喫茶店に自分だけがさっきと変わらずにグラスを握りながらカウンターに座っている。
静謐の空間が出来てしまった。
もう既に酔いは醒めていた。
また酔いたかったのか気になったのかは分からないが、まだグラスに中途半端に残っていた酒をを一気にぐっと呑んだ。
グラスを置く時少しだけ荒く、置いたらゴンっと鈍いくぐもった音が鳴った。
この静謐の空間じゃ普段のこの店では気にも止めない音も大きく聞こえる。
「またか、おい」
「そうね、まただよ」
耳元で声がして気がつけばカウンターの隣の席に同じくグラスを傾けながらそいつは居た。
もう横は見ない。あいつがいるから。
「お前はもういないんだ。失せてくれ」
「うん久しぶり。ってちょっと。少しぐらい取り付く島は無いの?ひっどーいなぁー」
そいつはあいつの声であいつの口調で、語りかけて来た。
「…………っ」
「ねえってば!何か反応してよ」
「失せてくれ」
「いや」
「失せろよ」
「いや」
「失せろ…!」
「い、や。」
「いい加減失せろ!!」
腹の奥底から大声を上げて激昂した。近くの窓の薄硝子がビリビリと震える。
そいつは檻の向こうで吼える獣を見るような目で表情を変えずにいやがるようだった。冷ややかで冷えた目と表情をそいつは顔面に貼り付けている。
直後手に痛みが走り、手元をはっと見ればそれは大声を出した瞬間に握り締められ砕かれたグラスと周りに小さく飛び散ったガラスの破片があった。
するとそいつは、ありえない事をした。
それは冷ややかで冷めた目と表情が一気に崩れ、まるで大切な人が傷を負った時の様に大慌てであたふたとそながら
「ああっ!?血が!血が出てるよ■■■■ちゃん!!は、早く!早く消毒しなきゃ!!あああと包帯だっけ?それとかも巻かなきゃ駄目だよね?あと割れたグラスの弁償もしなきゃ」
「いい」
そう短くそっぽを向いて答えると薄気味悪い程白い手をこちらに伸ばしながらそいつはあいつの顔で昔と同じ反応をしながら「いい訳が無いよ!ほらほら。ね?せめて傷口にタオルを――――――――」




「っ!?」
意識が一気に覚醒した。自分は胸を上下させハアハア大きく呼吸をしていてと動悸が激しく荒いと理解した。酒で温まった筈の全身が冷えて嫌な汗が背中や首筋に流れ出ている。
目線を落とせば手に握るグラスは「傷一つとして無く、少し酒が残っていた。」
さっきまでがらんとして人間という人間がいなくなっていた喫茶店が、今は意識が覚醒した一瞬で活気を取り戻していつも通りの心地いい喧騒を広げていて、さっきと同じように仮面の人はストローでコーヒーを飲み、隻腕の馬面は片足で呑んでいて、魔巧人形はゲロを吐いている。
顔を上げれば神妙な目つきで顔を向けるマスターと目が合った。
「また、でしたか?」
「ああ、まただった」
そう言い合うと暫くの沈黙の後、「やはり貴方は疲れている。おや?貴方はタイミングと運が良い様だ。疲れがとても良くとれると噂の自家製ハーブティーは、いかがですか?」とマスターは少し語りかけて来たので、
「ああ、頼むよマスター」
それ以降何もマスターは言わずカチャカチャと音をたてながら戸棚からティーセットを取り出し、慣れた手つきでハーブティーを淹れていった。
悪い、幻覚を見ていたんだ。
幸い、どうやら幻覚を見ている間は意識は彼方へ飛ばされていて、端から見れば微動だにしていなかっただろう。
証拠としてグラスは割れていなかった。弁償もしないで済むようだ。
少し経つと温かい湯気を上げるアンティーク調のティーカップに淹れられたマスター自家製ハーブティーを差し出された。
「自家製ハーブティー。自信作です」
そうマスターは言い残し、厨房へ去って行った。
おお。
これはいい香りだ。
これは確かに自信作だ。
そう思いながら二、三口飲んで一旦ティーカップを置いて味わった後、また飲むと、
「あれ…?このハーブティーってこんな塩味したっけ」
そう飲んでから小さく呟き、置いたティーカップの水面を見るとそこには波紋があった。
自分から頬を伝うようにして大粒の涙が零れ一滴、また一滴とティーカップのハーブティーに波紋を立てていた。

――――血が出てるよ■■■■ちゃん――――――――――――――――


最後にこのハーブティーを飲み干した頃にまたマスターが来て、「どうでしたか?私自身作の自家製ハーブティーは」と、感想を聞いてきたので、「ああ。塩味が効いててうまかった。こりゃまた頼まなきゃ。これのお陰でさっぱりしたし丁度良い頃合だ。帰るとするよ」と答えた。
会計を済まし、喫茶店の扉を開けると寒い風がびゅうっと吹いてきたものだからトレンチコートの襟に顔をうずめ、前を更に固くきゅっと両手で閉めるようにした。
「ちーちゃん。ごめんな」
そう言ってまた『僕』は、大粒の涙を零して泣きながら帰路に着くことにした。





血と喧騒に塗れる街は全てが冷たい訳じゃない。温もりはあるものだ。
これは世界を救うわけなどでは無く、ただ価値を無くした者が行き着き、終着点のとある喫茶店を中心にした物語。
その喫茶店の店名は「Garbage」
通称はゴミ箱。
そこは善も悪も清も濁も混沌も思想も行動も武器も人種も関係無く、流れに流れ辿り着く終着点。
塵芥のような価値しかないゴミとして棄てられ、捨てられた者でも物でもここは全てが等しく平等な温かく愛おしい所だった。


二、神父の日々

「主よ、何故ワタシに罰を下さないのですか」
そう唱えた男は神父の風貌をしていた。右手には酒の入ったグラスを手に持ち、その目は深い闇が覗き込んでいるようにも見え、まるで生気が無い死んだ魚の目ようにも見えた。黒い法衣の袖から見える腕は正に中肉中背の男性の筋肉そのもので、肩幅や胸板の厚みなどから筋骨隆々などではない事が分かる。バーカウンターに座りながら顔全体をアルコールに赤らめて酔っていたが、発した言葉は素面そのものの語調だった。
首に下げられた十字架は大分年月の経た物だと素人目で見ても分かる代物で、誰も彼もが彼とその十字架見るならばこの男は、長年の信徒なのだと気づくだろう。

ーーワタシには最愛の恋人がいた。
ーー最愛だ。
ーー主と恋人を取れ、どちらかを迫られれば恋人だろう。
ーー恋人を選ぶとは、主との決別であり対立である。
ーーあと時、ワタシは、主との決別を選んだ。


神父の教会、ロシュエ教会はグラズヘイム統合同盟中央都ヴァルホル直属統轄区画都市「京」に壁を隔てて存在するスラム街の一角に位置し、そのロシュエ教会の懺悔室には今日も今日とて悩める人が迷い込んで来た。
或いは盗みを働いてしまった。
或いは二股を掛けていたのが拗れて修羅場を作ってしまった
或いは人を殺してしまった
或いは今から自殺しようかと思っている
最早建前なのか、ここは懺悔室を模した暴露部屋や相談部屋に成り果てていた。
いつもの通り一蹴する。
盗みを働いた?ならその倍は働いて金を返しておけ。
二股を掛けていたのが拗れて修羅場作ってしまった?死ぬ覚悟で話し合いをしろ。お前の責任だ。最低顔の面積は二倍くらいになるだろうと思っておけ。
人を殺してしまった?だったらその殺してしまった人の分だけ行き抜いて永遠の罪に向き合い苛まれろ。生憎とワタシは主の様に、はい罪は洗い流したよこれで終わり、なんて許せないものでな。これが人を殺した結末だ。
自殺しようとしてる?お前が謳歌したこの世界はそこまで世知辛いか?"ここ"では人に追われようと其れを撒ける"術"がこの街にはごまんと有る。まぁクレリオッツォファミリーについての騒動、或いはゴタゴタでとか言わないでくれよ。俺はあくまで神父で懺悔を"聞くだけ"だけど、例外も幾つか有る。クレリオッツォの旦那にゃ昔借りがあってな、まともに顔向け出来ないし最悪お前さんを引き渡す事になるだろう。クレリオッツォファミリーについてもし関わっているなら言わぬが花って奴だ。

そうこうして今日の懺悔室の懺悔の一日が終わる頃、また懺悔室の扉をコンコンと叩く音が聞こえたんだ。いやぁ、あの時はもう特に疲れててね、二日酔いが抜け切れてなくて。それでも自分は神父だしここは教会で、懺悔をしに来た者に向き合わなきゃならない。
「貴方の、懺悔は」
いつも通りの一言、筈だった。
「私は、罪を犯しました」
言ってはいけないが、まあよくある懺悔と告白だとそうワタシは思ってしまった。こんな突拍子も無い事にを聞かされるまでは。そう、油断していた。ここの街に浸り過ぎてここの特異性を忘れてしまっていた。
「私は、罪を犯しました。死者を、蘇らせました」

死者とは、本来蘇らないモノ。
とある神話の神様は医学に特化し過ぎた結果、医術で死者を蘇らせるレベルまで医学を極めてしまい、その罰を受けてしまったと言う。その神の名はアスクレピオス、今尚医療機関に付くシンボルマークや象徴と言えばアスクレピオスの蛇だ。世界樹や旧記録媒体によれば空白期以前の時代でもアスクレピオスは医学のシンボルマークや象徴だったらしい。
つまり神様ですら犯してはいけない領域に死者を蘇らすというのは存在する。
「蘇らせた、ですか。失礼ながら本来この懺悔室に於いて此方からの発言はあまり宜しく無いのですが、それは唯の屍人(リビングデッド)などの間違いでは?」
「蘇らせました、死者を。」
「旧中南米地域により昔は伝説として朧げに伝わっていた市場100gで80000円のゾンビパウダーによって肉体だけ動く奴とか」
「私は蘇らせてしまいました。完全な生者として。理性もあります。栄養は普通の食事で補います。肉体は腐敗せず心筋は拍動し、脳は思考し、新陳代謝により汗もかきます。一部の欠点も無く、蘇らせてしまいました」
ゾンビパウダー、これは呪術によって出来た粉薬で、肉体という器だけを動かされただ周りの音や動くものに反応して行動するいわば『動く肉を持った機械』と成る。
屍人(リビングデッド)、これは少し厄介。
この屍人になるには先述のゾンビパウダーなど様々ものの要因が関係するが先ずは、死体が物理的に動く事から屍人への変貌は始る。
ゾンビパウダーで『動く肉を持った機械』は何かが足りない。脳は確かに動いているのに肉体は腐敗して行き、理性や記憶が無い。これをもし魂が無いとしたら?と魂の存在を捉える事に注目した時、魂に記憶と理性が宿るのではとなる。
とどのつまり屍人はゾンビパウダーなどで『動く肉を持った機械』が何らかしらの拍子で魂が入り、理性と記憶を獲得した時に生まれる。
けれども屍人が生まれても問題は当然発生した。それは理性と記憶の獲得に関するもので、研究の結果屍人は生前の性格・記憶・行動をトレースしているだけというのが分かった。
「……ワタシも屍人に関する懺悔、というか相談みたいなのがありましてね。恋人を亡くしたとある青年がその恋人を蘇らせる事に執着しましてね、一度目は屍人を作るにどうすればいいと相談しに来たよ。二度目は、何故か屍人になった僕の恋人はただ生前の模倣をしているだけで最早彼女は彼女ではない唯の木偶の肉人形だ、どうすればいい…と。」
「……」
「まず一度目の相談時には、死者を蘇らせるなんてよしておきなさい。人は一度切りの生に意味があり、一度切りの死に許しがある。と、説得を試みるも失敗しました。懺悔室に来て懺悔するでも無く相談に来たと思えば唯これからする罪の独白でしかありませんでした」
「……」
「二度目は泣いていましたよ。泣きながら、僕のした事は間違っていたのか、と。いやはやあの時はワタシも耳が痛くて辛かった」
 懺悔室の壁の向こう側から声が聞こえてきた。
「……死者を蘇らせたいとは、目の前で自分にとって大切なモノの命を亡くした時に誰しもが心に想うもの。その願いは酷く歪だと言うが、それは純然たるものだと私は思う。だって大切なモノが目の前から消えるなんて、悲しいもの」
しかしそれが大切なモノにとって本当の救いなのかは分からない
「きっと救いであると私は思う。人は、死ぬのは怖いから、もう一度の生を持つとは救いであると思う」
 懺悔室を隔てる壁があり、それを挟むと顔は当然見えないが、声は聞こえる。精々十六、十七くらいの齢の女の子だろう、と声で分かる。
「……私は蘇らせました、死者を。それが救いだと信じて」
死ぬのが怖いのは当たり前だ。口振りからして、死んだ者に二度目の生を与え謳歌してもらうのが救いだと言外に言っていた。
「この罪は、重いですか」
 シンと静まり返る。空気がいつも以上に重量を増してこの部屋にのしかかる。
「ええ、重いです。それは神を冒涜するし、神すらおいそれと踏み込んではならない領域であり行為です。死んだ人間、死んだ魂をまたあの世からこの世に蘇らせるなどと。ましてや唯の人間が死者を蘇らせるなどと、烏滸がましいにも程がある」
あえて、言わない。これは、自分自身で気がつくべきことだから。
「……………ました」
 いつも以上に重量を増した空気が今にもこの懺悔室を押し潰すんじゃないかと、ミシミシと軋む音を立てて崩壊一途を辿り始めるのではないのか。
「………かりました」
 死者を、神でもない、唯の、人間が、蘇らせるなどと。
「わかりました、どうもありがとうございました。嗚呼、あともう一つ宜しいですか?」
「ええ、どうぞ。」
「聖職者が煙草を嗜むのを決して悪いと言いませんが、其処にせめて節操を持ちませんか?どうにか芳香剤や消臭剤などで隠そうとしてるみたいですけど、部屋にヤニ臭さが染み付いてます」
「仕方ないではありませんか。ワタシは、どうにもシケモクを吸ってないといけない体質でね」
「酒での間違いが起きそうな人格してますね。酔いの過ちを犯してしまっても私は知りませんよ」
「そこは御安心を。主に媚び諂い悔い改めれば大抵許してくれますよ。アレな話、実際人殺しも『悔い改めれば』許すそうですし。因みに貴女の予想通りワタシはお酒も嗜んでおります」
「嗚呼そう。仮にも『聖職者』などですから程々にしてくださいね」
「気を付けます」

 某国、某日、某刻、暗い暗い部屋に人が居た。その人は酷く生気が感じられず、肌は土気色をしていた。目はぎょろりとしていて虚空を見つめていた。
 少し小柄で男で、今の彼の纏う雰囲気は貧弱さを醸し出していた。
 部屋で悲鳴にも似た奇声を張り上げたかと思うと今にも潰れて消えそうな声がした。
「ぃ、ぃゃ、だ…ぇもぅ、…たぃ…しにたい…」
……………
「主よ、今此処に御身の力の一端をお貸し下さい。重ねて申し上げ御座います。此度、此処に御身の力の一端をお貸し下さい」
「…ひぅ、ぅえっょぉ…お、ぉがぇはだぅれが……?」
 何処からともなく、謎の男が、現れた。
 コツリ、コツリと硬質の靴が鳴らす音を響かせながら現れた。
 手には何も持っていなかったが特徴的な風貌をしていた。
「ワタシは貴方を、消しにきた」
「ぃ、ぃやた…じに、だくない、し、にたっくなぁえ…しにたくない……」
「死にたくない、ね。辛い仕事だ、本当に」
 その部屋には擦り切れて古ぼけた長い裾の服、手垢にまみれ薄汚れ光沢を失くしている十字架を首に下げた神父がそこには居た。
「―――――――Amen(そうあれかし)」
 その一言と共にもう一人の男の肉体は脆く崩れ去る。それは砂のようで、男の崩れ去った跡には白の砂山がこんもりと出来上がっていた。
 その砂は粒子が細かいようで、神父がコツリと靴の足を響かせただけでぶわっと部屋に粉塵が舞い上がる。
「これも違った、か。聖言を唱えれば大抵の屍人などはこんな風に白砂になるがーーー」
 神父は服の裾を口にあてがいマスク代わりにしながら足元に出来上がった白い砂の小山を手に取り、手触りを確かめるようにした後ポケットからとても小さな小瓶を取り出し、中に砂を詰めて行く。
「ーーー元々唯の生者と見分けが付かない完璧な蘇生者、なんて果たして聖言が効くのやら。栄養は普通の食事で補い、肉体は腐敗せず、心臓は拍動し、脳は思考し、新陳代謝で汗をかくなど、およそゾンビと呼ばれる存在にはとてもじゃないが思えんな」
 小瓶には■■■とマジックペンで殴り書きされていた。
「ーーーだからこそ、か。だからねこそ完璧な生者として人を完璧に蘇らせたと宣ったのか」
 そんな事をしているこの神父は、つい先日ロシュエ教会にて二日酔いに苦しみながら懺悔室にて懺悔を聞いていた神父だった。
「サンプルは取れた。問題は…クレリオッツォの旦那にゃおいそれと顔は出せないし、かと言って囲碁橋の旦那は専門外だろうし……」
 何かに悩むようにして神父は腕組みをして、眉間に皺を寄せて考え込んでいた。
「まあ、いいか。とりあえずGarbageで何かメシか酒でも呑みながら考えよう。その前に、煙草煙草…」
 ぽんっと手を叩いて堂々と神父であり信徒である者が酒を呑むと言い、あろうことか煙草を探し始めた
「ゲッ、これ台湾の職人が作ったくっそまずい煙草じゃねーか……まあ無いよりマシか」
 こりゃまずいな、と神父が呟きながら吐いた紫煙が、暗闇の部屋に溶け込んでいくのを眺めていたのは部屋に出来た砂山ぐらいだったろう。
 そしてこう呟いていく声を聞いていたのも部屋に出来た砂山ぐらいだったろう
「二度目の生を謳歌することが救いであり正しい、か。全く、悔しいほど正論だ。志半ばで死んだ者、不運にも事故で死んだ者、生まれ持ったあるいは患ってしまった病に伏せ死んだ者。満足に生を謳歌出来ず死んだ者には確かに、救いだろうさ」
 ―――――――けれどとても不正解でもあると思う。
 ―――――――何故なら死人が蘇ればその元死人は生者として”二度目の死”を享受しなければいけないからだ。
 ―――――――生と死は表裏、表裏一体。生があるから死があり、死があるから生はある。
 ―――――――生者は決して知り得ない知識である『死』を知っているのは死者だけで、『死』というおぞましい知識をまたも学ぼうなどと誰が思うものなのか。
 ―――――――不老不死の者ですら真の『死』の知識は知らないというのに。
「嗚呼、業が深けぇな」
  これは、人の所業じゃない。烏滸がましく傲慢に太りきった神様ごっこをする悪魔の所業だ。


三、神秘の色恋沙汰

水面に映る残月の光は春風に揺られていて、水面はその春風で漣を立て歪んだ波紋を作り出していた。そこに映るのは何も残月だけでは無く、人間二人の影を映していた。二つの影は少しの間微動だにせずしばし時が流れた。映っている二人の間には春風が吹き込んでいたのだろうか。冬に吹く風は突き刺すような痛みを与え凍えさせ、夏に吹く風は纏わり付き蒸し暑さを加速させる。故に、春風や秋風は程よく暖かく涼しい心地の良い物だ。しかし吹いた風はそうであろうとも影の主達、二人の人間の温度は如何程だろう。冷えているのだ。否、そんな瑣末な言葉で表せるのか解らない。この手を筆舌に尽くし難いというがそれでもなお、それを表現するのならばこうであろうと万人はこう思うだろう。

それは八寒の地獄摩訶鉢特摩程であろうか、はたまた西洋の地獄最下層コキュートス程であろうか、と。

筆舌に尽くし難く、ようやくの思いで言い表すのが仮に地獄であると。
そこで容易に、簡単に、短く、手早く、浮かび上がる言葉はただ一つ。
要するにはこの二人の関係は非常に悪いということ。
二人の間に吹く風は心地良けれども、この二人の間が心地良いとは限らぬという事は当事者にしか解らないというもの。これが道理だ。
「あぁ?」
「あぁ?」
交わす言葉など不要。これは互いの認識出来る意識や意思があるのかどうか判別であり、これはただ判れば良いのだ。気を失っていたり、思考や意思が死んでいても意味は無い。互いの否定に相手は無防備というのは許せない。寧ろ意味が無い。
自己と自己のぶつかり合いは互いを認識してなければいけなく、それでいて相手を否定しなければならない。
最早交わした言葉は言葉ではなくこの二人には互いに「これから始めるぞ」、というあくまで一方的意思表示で意見交換や意思疎通では無かった。

水面の影が―――――――動いた。

激しく映る影達は異物を携え、魂を震わす咆哮と共に悲鳴を上げていた。


刃は縦横として数閃にて一つ一つが大木も斬り伏せる一斬。常人ではない速度で放たれる拳は直線曲線鮮やかでいて狡猾な軌跡を描き、それは刃に負けず劣らずの重みの一撃。それを紙一重と見切りお返しにと熨斗を付けた一斬一撃を繰り返す惨状は立ち寄り難いものだった。
放たれる斬撃と拳撃、互いに交互と熨斗を付けては返し。付けては返し。
「許す許さないじゃない、存在するのが許されない」
「邪魔なんだよ、退けよ。そこにいると俺は俺じゃない」
そう呟いた言葉もまた、二人の会話ではなく独り言としてしか在りはしなかった
刃の火花は咲き放ち、拳はうねりをあげて風の隙間を抜けていく。
一斬とまた切り結ばれた。
しかしそれを受け流すかのよう切り下ろされる刃の側面に手を伸ばし刀身にその手を添えて受け流したり。およそ人間とは思えぬ挙動を繰り広げる二人の因縁はほんの少し、ほんの少しだけ時を遡る。


そうだ。恋は盲目とどこかの偉い人が言った物だが少し違うみたいだ。恋は神話だ。

男鹿堺はどこにも属しておらず、どちらかと言えばフリーランスの仕事請負人と言った所で、今日の今何処で何をしているのかと言えば空を見上げて首を痛く長くしながら目を凝らして、天然の錬金術式によって錬成された動く魔力金属、半金属半生命体、神話の再来こと『鷹』を捕獲する為に捜し求めていた。余談だが『鷹』は『M2イーグル』って別名もあるらしい。M2ってのは魔法、鉄の英語のスペルの頭文字を取って省略したものだそうだが、割とどうでもいい。問題なのはその在りよう。存在だ。
「しかしこれ、本当に見つけれるか正直不安だなぁ。結局近くに来ないと見つけようがないし」
科学ないし魔法も自分自身は使える物は使おうと思っている主義なので首にサーモグラフィを兼ね備えた双眼鏡を紐を通して掛けながら、手袋をした右手の拳にはそれ程の大きさでもない大きさの無色の水晶を握り締めていた。
この水晶に簡易術式を彫り込み魔力を注ぎ込んだ後、捜したい対象と同種の生命体に一時間程に触れさせておくとそれだけでのその存在を記憶する。以降同種の存在が近づくとこの水晶は発光と発熱をするようになる、天然のレーダーだ。が、しかし。今回捜しているのは、要するに金属で出来た生命体なので金属など生命体以外を記憶しないこの水晶も対象が半分金属半分生命体ではいつも程のようなはっきりとした効果をあまり発揮させてくれないみたいだ。
そこで文明の利器、科学の力を借りることにした。このサーモグラフィを兼ね備えた双眼鏡ならば熱を発生する物、つまりはどんな金属で出来ていようとも熱を発する生命体ならばレンズ越しに視ることが出来るということだ。しかしこれも当然欠点はある。それは視たいものがすぐ視れるなら、の話だ。視たいものが視れる範囲にいなければ意味が無い。
そこでこの二つを活用すると互いの欠点を補完し合い、効率が格段に上昇する。これは社会でグループを組む時にも当てはまる。そうだ。苦手なものがあるならそれを補える者と肩を組めば良い。
この組み合わせによる仕事の手順は以下の通りで、まずは近くに対象が来ることでそれを水晶が微弱なりとも感知すること。そうしたら自分の周りを円周上に回りながらサーモグラフィを兼ね備えた双眼鏡で見回す。たったこれだけの簡単な手順だが、魔法か科学のどちらか一方に固執している者が探すよりもより効率は良い。しかしこれもまた穴がある。当然ながらまずは水晶が感知出来なければ意味が無い。たとえどんなレーダーであろうと存在がレーダーの感知外にいれば感知ないし探知出来ない。
とどのつまり運が無いと対象は感知出来ないし、見つからないし、捕まらない。
そんなこんなで周りを見回したりなんだとあちらこちらへ頭を向けて、ぐりんぐりんと首を回し続けるのは正直辛い。
「仕様が無い、一旦休もう。囲碁橋の旦那からで、こんなにヤバイ依頼とはいえ、流石に森の中を延々と探し続けるのは疲れる」
幸い囲碁橋の旦那はそこまで急を要する依頼でも無い上に、最悪放り出しても良いと言った。少し裏があるような気もして何か自分に囲碁橋の旦那から依頼に見せ掛けた罠を仕掛けられたと思ったがそうでは無かった。
依頼の詳細を聞いてから納得し、放り出すものかとやっきになった

【森に入る前に】
こんこんこんと三度、部屋の扉を叩く。扉を叩く回数が二回だとそれはトイレの戸を叩く時の意味なので、本来は三回叩くのが正しいとのだ。と、昔どこかで聞いてからは扉を叩く度に扉を叩くのは三度、そう決めていた。
扉を叩いてしばし待ったが応答がない。返事や人の動く物音すら聞こえてこない。もしかして囲碁橋の旦那は寝てるなりしてて気づいてないのだろうか?そう思い、またこんこんこんと三度扉を叩く。返答は無し。
少し苛立ちが自分の中で出てきたので扉を叩く調子を変えてみた。
普段は失礼が無いように、静かに、綺麗に、軽く響く高音が鳴るように、手の甲中指の付け根。または指全体を軽く折り曲げ第二関節で、程よく力を込めて叩く。この時鳴る音は先ほど扉を叩いた時の様にこんこんこんと小気味の良い音が鳴る。
しかし少し苛立ちが出始めた自分はどうしたかといえば、掌を握り込み、所謂グーを作ってあろうことかそれを押し売りかの如くドンドンドン!と大きく腕を振って扉を叩いていた。
もしかしたら押し売りよりも借金をした挙句、返済し切れず家にヤの付くお人達に押しかけられているようにも見えていたかもしれない。
なんせただでさえ応答が無く、押し売りヤーさん紛いのドアノックをしているというのに何も反応、応答が無かったもので。
後で聞いた話じゃあの時の自分の顔は何か鬼気迫る物があったとかなんとか。
相当な回数扉を叩いて暫く、そうすると扉の向こうで何か小さな物音がした。扉越しなので恐らく本来の音が遮られたのだろうか、一体何の音だかとくわからない。低くくぐもった音が聞こえてきた。また暫くするとどたどたと足を踏む音も聞こえてきた。しばらくして後、「おお男鹿か、わざわざ来てくれてすまない。最近寝不足でな、寝ていなかったからついうっかりうたた寝してしまった。悪いが暫し待ってくれんか。机と床に書類が散らばっていて機密保持と常識と倫理的にとてもじゃないが人は入れないんじゃ。おーい京香、おーい居るかあー?居るなら男鹿を応接室に案内してやってくれ」と扉の横に取り付けられた長方形のスピーカーのような物からそう聞こえてきた。多分インターホンだろう。
まあ囲碁橋の旦那は大体いつもこうなので、決まってここの女中さんに応接室まで案内されて、そこでいつも長いこと待たされる。さっさと応接室で会話は出来ないものかと最初は思っていたが、少し考えてみれば表に出せないような依頼や会話を一番安全で安心出来るであろう囲碁橋の旦那の部屋以外で出来ようか、とそう理解している。
女中さん―――最近じゃメイドと呼ぶべきだろうか?使用人でいいかのな?
気がつけば先ほど囲碁橋の旦那が返した返答の中に出て来た京香さんがいつも通り音も無く自分の横に近づいてきていた。
「存じ上げていると思いですが、ただいま旦那様は部屋の清掃中にございます。どうぞこちらへ」と、そう部屋から横へ伸びる通路へと桐子さんは無表情のまま手を伸ばし、その方向へ歩き始めた。
自分も先導してくださる京香さんの三歩後ろを歩きながら。
大分前から囲碁橋の旦那の下で依頼を受けたりだと色々世話になっていて、まあここの家の家長から使用人、果ては池で飼っている観賞魚の名前を憶えるくらいには長い付き合いだ。
そんな長い付き合いでも一度として京香さんの表情が崩れたのを見たことが無い。
流石にまじまじと見たことは無いが、京香さんの顔の造形は整っておりちょっとしたモデル並みの美貌持ちなのは間違いが無いだろう。加えてモデル並みなのは顔だけでは無い様で、身体のラインが隠れて判別はし辛いが出るとかは出ていてすらりと日本人離れに伸びた美脚は万人を惹きつけるだろう。そんな美しさの塊も、一分の表情を見せぬ冷えた鉄の仮面を24時間365日、常に付けているのではと言ったところだ。・・・まあそこがクールに見えて逆に良かったりするのは誰にも言えない秘密だ。
そんな京香さんは依然として歩幅を変えず足音のリズムをカツリカツリと一定に。自分を先導しながら三歩先を歩いていた。いつも案内をしてくださるが、どんな時でも表情を変えずにただ淡々と声の高低も無く必要な事だけを伝えて案内をしてくれる。まるで機械の合成音声みたいだった。
これはいつもの事なのだけれども、これが中々、自分は未だに慣れずに毎度毎度と心臓は高鳴りを上げて緊張している。
京香さんに自分は全てを見透かされているようだと錯覚してしまう。

他の同業者に「なんでお前はそんな事で緊張しているんだ情けない」と鼻で笑われそうだがそんなものは関係ない。自分が如何に裏の人間でも元は一介の人間。馴れていても怖いものは怖いし、緊張するものは緊張する。
自分の情けなさに呆れて泣けてくる。そう思うと心なしか胃の調子が悪くなり、肩も重くなった気がした。
「どうされましたか」
耳に飛び込んできた声を聞き取り、顔を上げると京香さんがいた。
京香さんの声からは高低さも感情も感じられない、機械の合成音声なんじゃないかと間違うような無機質な声をかけられた。
「どこか調子が悪いのでいらっしゃいますか?」
気づけばどうやら情けなさに泣きかけていると同時に、歩く足も止まっていたようだ。
「あ、ああ。い、いえ。お気になさらないでください。最近頭痛が酷くて・・・」
「そうでしたか」
「そうなんですよ。あは、あははは!!・・・はは」
なんとかこの無機質で冷えた空気をどうにかしようと愛想笑いをしたり、言い訳が苦し紛れだったりと色々酷かった。(思い返せば空気は既にこれ異常なく冷えていた)
これにどう京香さんは対応したのかと言えば「そうですか、お気をつけて」と言われただけだった。
多分もう色々と心臓が緊張してよく分からない状態だったんだと思う。
口が、滑ったと言えば良いのか?わちゃわちゃと落ち着きが無くなったのか?
しどろもどろに舌を噛みながら「そ、そういえばなんですけど、京香さんが笑っている所見た事無いですよね。そうだ!今度来る時があればですが、空白期以前に流行ってたドリフターズっているんです、す。もっ元はバンドらしいんですけど、何故か毎週舞台生放送で喜劇をやったそう、うなんです!今度持って来まりょううか?どんな人でも笑うと思うんですよ、きっと。どっどうですか?」半ばやけくそに。くだらない位噛み噛みでもうアレな言葉が漏れ出てた。
しかし告げてみると『僕』は、今まで見たことが無い光景を見た。

京香さんはくるりと髪を少し揺らして振り返り、その美しいくとも冷えた鉄の仮面を身に着けていた表情はそこには無く、仮面を要らぬ物と放り捨てて浮かべた暖かい微笑みを浮かべ、少し声を上ずらせ楽しみそうな調子の声で『僕』に語りかけてきた。
「ええ、お願いします」と。
自分はこの時きっと故意ではなく偶然に、恋に落ちたのだ。
そうすると時間はさりとてかからなかった。坂を転がり落ちるようになんやかんやあって告白し、むこうもなんやかんや何故か好きでいてくれたみたいで。なんやかんや表では波風波紋を立てずに京香さんとは恋仲、恋人になった。
周りには秘密で京香さんとは一緒に

買い物に行ったり
遊園地に行ったり
映画館に行ったり
海や山に行ったり

デートしたり

甘い蜜月を過ごす日々を迎えた。
何で秘密かって?お互いなんとなく悟っていたんだよ。多分恋仲なのが明らかになったら何か大事なものが壊れると。


いつもと同じように京香さんに応接室に案内されしばらく待った後、囲碁橋の旦那が少し息を切らして荒々しく応接室の扉を開けて「待たせてすまんな、男鹿よ」と軽く謝罪言われ囲碁橋の旦那の部屋へ向かうことになった。
その部屋は手狭だった。入ってみるれば、一見すると埃の被った古めかしい薄汚い部屋と思うのも無理は無いが、実の所は目も眩むような価値があるアンティークの品が並び、魔道書、科学書、歴史書、図鑑、小説、戯曲とエトセトラ数え切れぬ程多くの書物が立ち並び収められている本棚は恐らく大きかったであろう。この部屋を圧迫し飲み干そうとしてるが何故か窓から優しく差し込む光でその圧迫感は薄れていた。この部屋の主は高貴か博識か。なんにせよ羽織った上着の裾や靴の裏を、糞尿にまみれた泥で汚すような人間が主である筈が無いだろう。そう物語ってくる部屋は自分のような人間が立ち入るのは恐れ多い気がした。
部屋の中央にどんと構える机と、いかにも座り心地の良さそうな椅子があり、旦那は椅子に腰掛けこう話して来た。
依頼は以下の通りで、

・苦心して捜し出した天然の錬金術式によって邸内で錬成された半金属半生命体の錬成体『鷹』、これを捕獲すること
・捕獲する際には傷を一切付けないこと
・最悪この依頼を放り出しても良いということ
・そしてその際には一つだけ条件を飲んで貰うこと

二項目目までなら普通の依頼の範疇内だがそれ以降の三、四項目が怪しい事この上無い。自分なんかやばい事に巻き込まれる?そう考えていたら囲碁橋の旦那が「おいおい男鹿よ、お前さん思いっ切り眉間に皺なんか寄せて職業的に大丈夫なのか?」と言ってくるものだからもう大慌て。自分ってそんなに解り易い人間だっけかとわたわと少し焦っていると囲碁橋の旦那が「おいおい落ち着け。なにもお前さんを切り捨てようとかそんなんを企んでいるわけじゃない。な?だから落ち着け」
そういう言葉は余計焦るからやめて欲しいと心底思った。
自分が落ち着いてもやはり囲碁橋の旦那への不信感は増すばかりで色々と考えていると囲碁橋の旦那は少し呆れ顔で「のう男鹿、この依頼だがな、うむ。変に勘繰られても困るから先に言っておくぞ」と言った。
そんな事を言われて余計身構えたが「どうされましたか囲碁橋の旦那」と返答した。
囲碁橋の旦那は何かを探してか、服のポケットを探り始め、暫くしてその顔がお気に入りのおもちゃを見つけたような笑顔になった。
上着の左側の内ポケットから出て来たのは煙草だった。銘柄はJUDASだかなんだか。自分は煙草は軽く嗜む程度で、囲碁橋の旦那が取り出した銘柄は聞いたことも見たこともは無いが多分良い物なんだろう。銘柄が『ユダ(裏切り者)』ってのは如何なものかとは思ったが。
煙草を咥えジッポーを取り出し、右手に持ち、左手で隠すように火を着けた。囲碁橋の旦那は火を着けた煙草を大きく吸い込み、その先端は急速に灰ガラ出来てほんの少し床の下へ零れ落ちてゆく。そしてふぅーっと紫煙を吐き出した。
「ジッポーと煙草、ですか。失礼ながら煙草にジッポーは大きさが少し、不釣合いではありませんか?」
「ああ、いつもは細葉巻を嗜んでいてな。しかしついこの間切らしてしまった」
なるほど、そうだったのか。
「それに娘に泣き付かれてな。煙草ならまだしも葉巻はどうか辞めてください、だとさ。どこでつまみ食いして断片的に拾ってきたかは知らんが葉巻はフィルターが無いから煙草より云々ってな。馬鹿だよなぁ。葉巻って煙を口に含んで肺に送りこまないからフィルターなんて必要無いのになぁ。けれどもあんな目に涙を溜めて言われて娘に訴えられて辞めない奴は親じゃねぇな」
そう笑いを堪え、にやにやとしながら語ってきた。
「あれ?囲碁橋の旦那って娘さんいらっしゃったんですか?」
「はあ?おいおいお前さんよ。まさか知らな・・・・かったなそういえば。っと、本題に入ろう」
ああそうだ。本題はここからだ。暫くするとこんな会話が続く。
「男鹿よ。この依頼した『鷹』はな、最高傑作なんだ。知っての通り錬金術式に関わらず天然の術式や方陣はそれはそれは貴重で、ピーキーだ。とてつもない効果を出すのが存在したり、スラムにいるガキが一日働いて出た金よりも安くてショボイ効果しか出せないゴミみたいなものだったりな。それでも大抵は天然の術式や方陣は貴重だし使用回数は一回こっきりだ」
「はあ、そうですね」
「今回の天然の錬金術式はどうやら相当の掘り出し物だったらしくてな、神がかり的な精度に加え長寿と予想以上の知恵まで身に着けてしまった。故に最高傑作だ。」
自慢げに胸を張りながら答え、同時に少し首を捻る。まったく話が見えてこない。
「―――最高傑作過ぎた的な?」
「はあ。あ、もう一つの条件って何です?」
「ああ、条件はだな。もう一度『鷹』を錬金するのを手伝って欲しい」
どういうことだか返答の意味が良く分からない。わざわざ依頼して捜すよりもう一度錬金させた方が早いのでは?と。
「男鹿も知っているだろうが、天然の錬金術式や方陣はその名の如く天然、自然に出来た。いや、自然から零れ落ちたとでも言うべきか。本来は術式や方陣なぞ人が作りし物故、自然では在ってはならぬ人工の物。その術式や方陣で作られる物は神秘、つまり自然だとしても大本の術式や方陣は人工物だ。自然はそれすらも偶然の名の下に作り出してしまう。一度として同じものは零れ落ちず、作られない」
よく依頼の真意が掴めず呆けた自分に、そう言い渡されて手渡された一枚の紙。どうやらそれは写真のようだった。
手渡してから囲碁橋の旦那は目を瞑り「これが、件の『鷹』だ」と教えてくれた。
その苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる理由を、これを見て、知った。
ああ、なるほど。確かにこれは最高傑作だ、こんな物は世界に二つとして存在しない。むしろこれは、こんな物がこの世界に存在して良いのかと思うほどに『美しい』
写真に写る幾千もの金剛石を並べたような輝きと、その幾千もの金剛石を合わせた硬さと、水のような流れるほど滑らかなしなやかさを併せ持った神々しい鳥は男鹿堺を魅了した。暫くその写真に心魅かれ見とれていると囲碁橋の旦那が「見惚れるのも無理は無い。これは神話の再来に近いものだ」と
あまり耳には入ってこなかった。そうか、囲碁橋の旦那がもう一度錬金をしなかったのはこういう事か。こんな存在をまた模倣し真似て作り出そうなど無粋も無粋、愚か以外の何者でもない。気がつけば生唾を飲んでいた。
「報酬はこれの錬金に使用した天然の錬金術式の残骸だ。如何にお前が手に血を塗りたくり、泥を啜るような仕事を受け持つ者だとしてもこれの残骸の価値は分かるだろう。この依頼はただ物を無くしたから探して来て欲しい。それだけだと思えば大間違いだ。こんな出来すぎた最高傑作が世に出回れば、科学側からも魔法側からも滑降の研究のカモだろう。いやはや男鹿よ、お前に頼るしかなかった。お前にしか出来ないことだ」
正直困った。こんな物が本当に存在するなんてあっちゃぁいけないだろう。どう考えても。これは神がかり過ぎた自然から零れ落ちた神様って言ってもしかたがない。本来魔法や科学技術をもってしても自立・独立・思考が出来、『動ける』物体は作れない。せいぜいマニュアル通りに動く操り人形紛いの物しか作れないこの世でだぞ?半金属半生命体と謳っているが、思考し、動いてる以上コイツは生物だ。
囲碁橋の旦那は文字通り生命を作ってしまった。
一から生命を作る、作ったなんて神様以来だし、生命が一から生まれるのは神話の中だけだ。
神話の再来ってのはこういう事かよ・・・・

「おい男鹿よ」と言葉の打ち水を浴びせられた。
「は、はい?どうしました囲碁橋の旦那?」
「これは、お前の範疇だ。わかるな?」

恋焦がれて出来た種火は、いつか消えるだろうか。燃え盛るだろうか。


四、Act;Fragment Days

ーーー、ある人が私に教えてくれた
「なぁ、完全犯罪…特に密室殺人ってちゃんちゃら可笑しいとは思わないか」
……どういうこと?
「例えばさ、密室で死体が見つかりました。これは密室かつ明らかな他殺って分かってた場合どう思う?」
……どんなトリック使ったんだろう?
「そうそれ。そしてもう一つ。殺人にせよ強盗にせよ、犯行後犯人が警察の魔の手から一番安全になるのはどうすればいいと思う?」
……えっと…証拠が無いこと?
「うーん惜しい。正解はね、犯行を起こした事を警察に知られなきゃ良いんだ」
……どういうこと?
「密室で死体が見つかりました。明らかに他殺です。同時刻の洋館にアリバイ無しの人はなんと五十人!
こんなに容疑者が居ては大変だ!
…けどこれは裏を返せば五十人中一人は確実に犯人な訳で」
……普通現場から犯人は逃げると思うよ
「じゃあその同時刻に、もしくは数日中に、洋館に居た人はプライベートセキュリティカメラにより1人も外に出ていないとしようか」
……うん分かってた。続けて。
「兎も角、密室殺人は密室で殺人が起こったには変わりが無く、その殺人現場が密室ならば密室にしたトリック探しに警察は躍起になるだろうさ。
つまりいつかはトリックが破れる日が来るかもしれないと言う可能がほんの僅かでもあるかもしれない
一つの餌を見つければそれに一瞬にして群がるのがハイエナと言うべき警察という存在だ。そんなハイエナが群がらないようにするにはどうすれば良いのか。
簡単な事さ、餌を与えなければいい。
密室"殺人"だから警察なんぞに怪しまれる。
でもーーーー密室自殺なら、どうかな?」
……あっ。
「そう、自殺なら自分で、紛れもない自分自身で死ぬんだ。つまり密室だとしてもそこにトリックも何も存在しない。」
……うん
「密室殺人で犯人は完璧な犯罪だと息巻いているのがよく小説なんかじゃあるけど、さっき言った通り密室殺人なんて時点で完璧な犯罪じゃないよね。そう、密室自殺をさせる殺人法が一番完璧」
……けどそれって無理がないかな
「そりゃぁそうだろうさ。人身掌握に如何に長けていたとしても確実に、完璧に、人の心の方向性を自殺へもって行くなんて人間様が出来る訳がない。
仮に人身掌握によりとある人を自殺に方向付けたとしても、死の恐怖が人身掌握を上回ればそれでお終い。完全犯罪、特に密室殺人の時点で殺人法としては三流以下なんだ。そんなものを考えるなんてさ……やはり可笑しいと、思わないかな?」
……おにいちゃんはけっきょくなにが言いたいの?
「あははは、手厳しいな……。つまりさっき言った事は完璧な人身掌握…まあ洗脳だよね。それさえ出来れば完全犯罪が成立するって事の裏返しなんだ。
人の心は完璧に支配出来ないから完全犯罪は成し得ないという法則は、そのただ一点の楔で成り立っているんだ。その楔が無くなれば……あとは分かるな?」

あの時私は言っている意味が分からず、何も言えなかった。何も。
時が大分経っておにいちゃんの親友は昔自殺で亡くなったと風の噂で聞いた。

ーーーーわたしは、どう答えれば良かったんだろう


五、In

Abyss-Twon;Contract

人は過ち、即ち間違いを犯す。
それに例外は無いだろう。
例えば殺生、或いは殺生。人とは切り離せないの物の一ツだろう。
耳に五月蝿い蚊をぺちんと叩き潰すだけ。ほら、これで殺生になる。非殺生を謳う宗教も多少無理はあると思うよね。
悪い悪い、話が逸れてしまった。元に戻そうか。
ワタシはね、人を殺めた。間違いを犯したんだ。
んで、神様からは見放された。悔い改める暇も無くね。存在価値も消えちゃった。
お陰様でワタシに満足な死に方は出来ないだろうさ。
……うん?辛くは無いのかって?
……ノーコメントで


街行く人の雑踏は熱帯夜に溶け込んで行く。
天高く聳え立つ摩天楼共はコンクリートの柱の森、噎せ返る熱を放つ地はアスファルト。
ネオンがいつも通りこの深淵街が極彩色に彩りながら喧騒を拡大させていく。
「うぁぁ…熱い…」
黒の法衣を纏い古びた十字架を首に下げる男。ロシュエ教会の神父は間延びした呻き声を吐いてゆく。
「熱いなぁ……えーっとここらへんの筈だけど…待ち合わせ場所は確か、5-F番区画の3番目に高いビル…クラリオッツォの旦那の所有するビルの一つだよなぁ…。あ、ここか」
そう言い見上げたビルは深淵街5-F番区画で3番目に高いビルだった。

「おお!来たか!ロシュエの!!久振りだなあ」
「ええ、どうも。お久振りです、クラリオッツォの旦那」
ビルの中に入り、最上階の部屋に入室するなり、部屋の奥のデスクの向こう側に涼しげな顔で葉巻を嗜んでいた痩身の男が大きな声を上げてきた。
「だからさぁ、そのクラリオッツォの旦那って言うの辞めようぜ。
俺にはフィンゲール・クラリオッツォってちゃんとした名前があるんだ。皆みたいにフィンって読んでくれよ」
「先代からのお付き合いですので」
「ったくさぁ…相変わらず硬いのな、ロシュエのは。
嗚呼、とりあえずそこ座れよ。大事な話だ。」
「では失礼します」
ロシュエのと呼ばれた神父が指を刺されたのは、黒塗りのフカフカそうなソファーだった。
フィンゲール・クラリオッツォと言えば、既に回転式の座り心地の良さそうな椅子にどかっと座り込んで部屋のデスクに足を投げ出していた。
「それで話とは?わざわざ脳髄伝心(ダイレクトメッセージ)を送るってのから、他人に傍受されたくない案件なのは分かります」
「そうだな、お前の向けというかお前という存在にしか無理な案件だ」
フィンゲール・クラリオッツォの座るデスクからシュボッと音がしたと思えば、フィンゲール・クラリオッツォは先程吸っていた葉巻とは違う銘柄のに火を点けている所だった。
「ワタシ向けの案件。つまりそれは」
「嗚呼そうだ。お前の向け案件だ。」
フィンゲール・クラリオッツォはフワッと紫煙を空に溶かし込む。
「ちょっとここいら、特にウチのシマで屍人が群発している。どっかの屍姦性愛の奴がたまに屍人をつくってヤッて放置されて徘徊なんてのは此処じゃ珍しくもない。だが明らかに異常な数が発生している。
いいか、ロシュエの。今回頼む案件は二つ」
フィンゲール・クラリオッツォはピンと二本の指を立てる
「一ツ。このシマ及び深淵街に於いて蔓延る屍人を一人残らず殲滅し、灰燼に帰せ。
二ツ。元凶を探し出せ」
「二ツ目の要項、探し出した後どうすればいいんですかワタシ。」
「お前に任す」
暫し無言が続き、ロシュエの神父が口を開く。
「…了解です。では今ここにフィンゲール・クラリオッツォと■■■・ロシュエとの契約により契約条件は五分満たされます。
残る五分は条件提示下での結果に基づき完全契約を満たします。
今回の契約による条件提示は二ツ。
一ツ、クラリオッツォタウン及び深淵街に蔓延する屍人を一人残らず殲滅、灰燼に帰す事。
二ツ、この元凶を探し出す事。
この契約条件今此処に承りました。尚、契約破棄はそちらに一任し、契約増加は無しと致します」
「…頼むぜ」

黒い法衣を纏い古びた十字架を首に下げる神父は5-F番区画の三番目に高いフィンゲール・クラリオッツォが所有するビルから出行った。
「…チッ。俺の部下への回線開きっぱなしだからって猫の皮被りやがって……手前はそんなタマじゃねぇだろうがよ…」

五分の契約を交わしロシュエの神父がビルから出るちょっと前、フィンゲール・クラリオッツォとの雑談はこんなのだった
「空白期前の映画とか大衆娯楽作品に出てくるゾンビとここの屍人は似て非なる物で、屍人に噛まれても別に屍人に成ったりして鼠算式に増えていくなんて事は無い…ですよね?」
「本職が迷ってどうすんだオイ…」

六、Act;Side Woman

昔は、無垢だったんだと思う。
私は、『人が死ぬ』それの本質を理解?いや、知らなかった?
…多分それも間違いで結局人が死ぬって事を経験していなかっただけだと思う。
人が死ぬ、っていうより人に相当するモノが死ぬってのを経験したのは保育園で皆とおててを繋いで仲良しこよしをしていた頃だった。
家の庭によく出入りしていた野良猫。本来毛は白色だったんだろうけれど、その毛並みは薄汚れて灰色になっていた。背中に傷沢山あって、全て向こう傷だった。お腹には一つとして傷は無かった。
争いから背を向け逃げる時に負う傷はあったけれど、正面から闘う事で腹に刻まれる名誉の傷は無かった。
他の子達はあの猫を臆病だ意気地無しだ言っていたけれど私はそうは思えなかった。争いから逃げるというのは臆病なのではなく優しかったからなんじゃないのかなって。
普通は逃げる時に捕まってせめてもの抵抗で闘う事はあるだろうし、いくら臆病で意気地無しでも大抵その時にお腹に傷を負うと思う。あの猫は抵抗すらしなかった。
事実一度として毛を逆立てて威嚇しながら唸り声を発していたのは、見た事も聞いた事も無かった。
私はその猫を…何と呼んでいたっけ。
…もう忘れてしまったみたい。
ただ、心の底から漠然とした何か濁った青色の感情が湧き上がって来たのは確かで、其れが悲哀なんだと知らぬ自分にはどうして良いのか分からなかった。
母はそれを慈愛の心で私を包み込んでくれた。
生命というモノは脆く、儚いものなのだと幼くして経験した。
そしてそれで『生命の知識』を識ったつもりでいた。あの時までは。


七、Garbage;Cross Days.

 そこに、影は、確かに、蠢いていた――――

 先日深淵街で死体を埋めた。
 それの様子見をしようとした。
 という事であの裏路地に顔を出しに行けば、少しこんもりした地面が見える筈だった。
 だというのに、そこは、そこでは無くなっていた。
 

「埋めた死体が消えたダァ!?てめぇそこまで堕ちたかクソッたれ。オイ表出ろ。その性根叩きのめしてやる」
「ちょっと!静かに!!誤解されちゃうってば!!」
 Garbageとは違う店、深淵街5-F番区画にあるバーで男二人が紅一点の花も無く酒を呑んでいた。
 そこはとても静かでその二人以外には居なかった。
「あのね、此処はクラリオッツォファミリーのお膝元なんだよ。こんなとこで騒ぎなんて起こしたら」
「はいはいわーったよ。で、埋めた死体が消えたなんてどういう事だ。こっちからすればそんな言い方誤解してくれ候だ」
「は、は…まあ話せば長くなるんだけどさ」
 二人の男には体格差があった。
 大声を荒げていた男はグリズリーの巨体とゴリラの握力を彷彿とさせる筋肉を併せ持ったナリをしていた。シャツが今にもはち切れんばかりの上腕二等筋がそこにはあった。拳は傷だらけで見る人が見れば其の傷は人の顔を殴る時に刺さる歯の傷跡だと。猛々しくふんぞり返るオールバックの髪は獅子の鬣を思わせる。
 もう一人の男はこの街にそぐわない男だった。身長はそこそこ、中肉中背と言った具合で、世知辛いここで暮らしていくにはさぞかし大変だろうと思わせる。
 ただそんなナリで、この街の住人としては少々身体が綺麗過ぎる気もする。
そんな二人が小さなテーブルを挟んで向かい合わせにグラスを傾けながら会話をしていた。
「めんどくせぇから要点だけ話せ」
「屍姦野郎、俺、死体。」
「やっぱ詳しく」

夜もすがら、更けていく。
上がらぬ太陽など無い、明けない夜は無い、と空白期前の賢者たちは遺していたがこの街に限っては明日太陽が消えても可笑しくない。

男女二人が夜の街を闊歩する。
ここは深淵街。夜は吸血鬼すら恐れおののく此の街に、無防備な二人が居た。
「なー桜さん」
「なんでしょうか」
「やっぱり忘れられないんだわ」
「……?」
「あの桜さんが履いていたヒモぱるぶぇっ!?」
 桜と呼ばれた女性の鮮やかなる手さばきでもう片方の男性は宙を舞う。
 空中に投げ飛ばされたかと思いきや桜はその襟首と腕を掴み、桜自身も宙を舞いながら器用に自身を軸にして男をアスファルトに無常に叩きつける。この一瞬の技は、言うなれば空中で繰り出された背負い投げだろうか?
 其の上アスファルトに男は叩き付けられても『桜自身は空中に居る』
 二段構えと言った具合か、叫び声が二度連続して深淵街に木霊した。

「あの…絶対王律使ってなきゃ死んでたんだけど」
「このを程度で絶対王律を使うなんて、これじゃいつか狩猟犬(ハウンド)の牙で喉笛にでも食い千切られたり、コレクターのショーケース入りだったり、十字架の鉄杭が心臓を貫いて磔にされるのも時間の問題ですね」
「勘弁してくださいよ…。絶対王律は一国の王であり、一国の民衆でもあり、国そのものでもあるんだから。……あれ?今は国を投げ飛ばしたのと同義??」
「ならば一国として、一国の主として、一国の民衆として自覚を持ってください」
「だっていま桜一人しかいないじゃん」
「………」

 この二人の歩く街の夜は明けそうだが、空気は冷えていきそうだ。

「二日酔いには迎え酒なんてもう信じねぇ…うぇっ」
 一方神父は二日酔いに悩まされていた。

「お前が道端で屍姦されかけていた死体を哀れんで屍姦フェチ野郎を叩きのめし、簡易な埋葬をした後日その埋葬場所に穴が空いて、埋葬されていた筈の死体が消えていたと。ほう、さっぱりわからん。あとマスター、コーヒーをもう一杯」
「そんな一言で片付けられると困るんだけど…あ、マスター。コーヒーおかわりお願いします」
先程の場所とは違う場所、喫茶店Garbageで凸凹な男二人はコーヒーをおかわりしながら話を続けていた。二人の両案によりこれ以上の会話相談はクラリオッツォのお膝元ではなく此処が良いと判断し場所を移していたのだ。
「純粋に考えなナナシ。まず死体の行方より、も『何故死体が消えたか』の方が重要じゃねぇか?話を聞いた限りじゃ死体が消える理由が思い当たらない。屍姦フェチ野郎が墓荒らしでもしたかと思ったが代わりになるような死体なんざ此処の街にごまんとある。無いところを探すほうが大変な位だ
「藤崎、けどそれは、お前の言を借りるなら『屍姦フェチ野郎は他の死体とよろしくヤッてて、其の一方で埋めた死体が独りでに動いた』ってことだ。しかし屍姦野郎はその死体に名前まで着けていた。言いたくはないが愛着があったんだろう。それを考慮するなら屍姦野郎を墓荒らしと仮定して死体を行方を探した方が堅実的じゃないか?」
「何時の間に死体の行方の捜索が決定してんだオイ」
「何時もの事ながらで、徒然にどうよ」
藤崎と呼ばれた大柄な男の方が見るからに怒気を孕んだ表情を浮かべている。こめかみや額の辺りに血管が浮き出て綺麗な青筋が出来上がっていた。今にもナナシと呼ばれた小柄な男の方に拳が飛んでいきそうだ。
そんな憤怒の情を送られるナナシは涼しい顔で口を開く。
「う・そ」
「はぁ?」
抜けた声を出した藤崎は呆気に取られた顔をしたと思えば、一気に表情が険しくなる。
「てめぇ、またナナシに『上書き』しやがったな」
藤崎は先程とは比べ物にならない怒気に、氷のように鋭く冷たい殺意と殺気が篭っていた。
表面上は酷く冷えたように見えるかもしれないが、その実噴火直前の火山を必死に押さえ込みながらも今か今かと爆発しようとしていた。
『上書き』をされたナナシは詐欺師のような胡散臭い笑顔していた。無垢で無邪気な子供のような、スポーツに打ち込む清々しい青年のような、唯の万人がそう感じる笑顔を浮かべていた。
しかし藤崎には其れが仮面の笑顔であり、本当の笑顔は詐欺師のような胡散臭い笑顔なのだと見抜いていた。藤崎には、いや藤崎だからこそか、それを見抜くことが出来た。
「んン!そうだねぇ、ごめんごめン。所でさっきの話聞かせて貰ったんだけど『これ』、早い内に解決した方が良いかもしれないヨ。
ボクチャン気になってちょいと検索かけてみたんだけどさっきの会話に出てきた屍姦野郎くんはナナシくんが追い払った後に直ぐにリンチに遭って死んだみたいヨ。
其れに加えてナナシくんが死体を埋葬した日、その埋葬場所の周辺に人が立ち入った形跡は無いけどその埋葬場所から唐突に生体反応が発生してるネ。ご丁寧にマジックディメンションで二つのパウダーも撒き散らされていたヨ。」
「テメッ…!それって」
「ソウダネ、『死体が独りでに動いた』みたいだネ。
ディメンションマジックで移された二ツのパウダー。一ツはゾンビパウダー、モウ一ツはハンドルパウダーみたいだネ。
蘇らせて操る。これは見事なまでに鮮やだネ、惚れ惚れしちゃうヨ」
藤崎の目の前でナナシではないナナシが大仰に身振り手振り腕を振り回し雄弁に語る。
「おい無貌の、それは屍人か?それとも『動く死体』か?」
「時間だネ。後は自分で調べチャイナYO!!」
「あっ、オイ待てテメェ!!」
ナナシが言うが早いか、藤崎の目の前のナナシではないナナシは元のナナシに戻っていた。
「ああ、藤崎。悪いな、また『上書き』されちまった…。にしても『上書き』されてる時の感覚は何度経験しても奇妙だ。自分が自分の声で自分の頭で考えて会話しているのに、自分じゃない存在が自分で、ナナシはという自分は蚊帳の外のような…」
「そんな事はどうでもいい。其れより予想以上に面倒臭い事態ってのが分かって面倒臭いなこれ」
「そうだね…」
暫く二人の間で沈黙が続く。
「どうぞ…コーヒーです」
その沈黙を打ち破る声が二人には届いた。
「嗚呼あんがとマスター」
「コーヒー、ありがとうございます」
丁度マスターがコーヒーを淹れ終わったようで運んできてくれた。同時にマスターは何か乗っかった小皿も渡してきた。
「どうぞ。頭を使うと時は糖分が必須です」
そこには一口サイズのチョコレートが二つ乗っかっていた。多分マスターなりの気遣いだった。

―深夜の深淵街に蠢く影は――――


 

Garbage;Cross Days.

わざわざここまで読んでもらってありがとうございます。こんな拙い文章でも楽しんでいただけたら幸いです。
こんだけやっても未だ本編に入り切れてませんね。
私は怠け者でして、続投したら本編に入ったのが読めるんじゃないのかなぁと。

また読む気と縁と機会があれば。

Garbage;Cross Days.

Garbage。ゴミ箱には捨てられた者達が集まる ここは九大国が支配する大地のとある街、世界の負の側面が収束される通称深淵街。 そこにポツンと在る喫茶店。 ここは捨てられたモノ達のお話。 貴方は考えた事があるか、ゴミと呼ばれたモノ達の本質を。 きっと、ゴミに成らざるを得なかったモノ。 価値が最初から無いモノ。 価値を奪われたモノ。

  • 小説
  • 中編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-04

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