季節外れ

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祭前

「ただいま~」
「おかえり。新聞は?」

 玄関から声を出すと、キッチンから顔だけのぞかせて、母が出迎えてくれた。

「あったよ」

 新聞とチラシをテーブルの上に置く。

「そっちは何?」

 手に持ったままの封筒をみて、尋ねてくる。

「いつものだよ~」
「あら、そう」

 それだけ言って、微笑んで、引っ込んでしまった。

 顔のニヤケがおさまらない。
 いつみても、何回きたって、うれしいものはうれしいし、楽しみなものは楽しみなのだ。
 自分の部屋に入って部屋着に着替え、机の前に座って封筒の封をきる。
 そこには便箋三枚にわたってびっしりと、読みやすい丁寧な字で文字が書かれていた。
 この手紙の主は、今年の夏は海と山のあるところにある別荘で過ごすらしい。
 読み終わって封筒に戻そうと思ったら、封筒の底に膨らみがあった。 手の上で逆さまにして振ると落ちてきたのは、メモを折り畳んだもの。
 中にはパソコンのメールのアドレスらしきものがかいてあって、『メルアド作ったからメールして』と添えられていた。

 メールを送ってみるよりも前に、早速返事を書くために、お気に入りの便せんを取り出す。
 レターセットを集めるのが趣味になったのも、この文通の影響だと思う。

 この、文通をする習慣は、小学生の頃から。
 相手は芝 桜っていう、漢字にするととっても短い名前の子。私が柴 昼夏だから、小学校の同じクラスに転校してきたときの初めての話題は、同じ名字だね。だ。
 毎回送ってから一週間くらいすると返信が届いて、わくわくしながら慎重に、封を切るのだった。

 手紙を書き終え、読み返し、封筒に詰める。
 まだ封はせず、机の引き出しにしまっておく。
 後で変更したくなったときのためだ。
 ノートパソコンの電源を入れ、メール作成画面を開き、メモを見ながら宛先を入力していく。
 うち間違っていないか確認してから、本文は短く、

『昼夏です。
 手紙届きました。
 返事を書きます。
 届くまで、もう少し待っていてください』

 とだけうって、送信。
 友達もいないしメールの書き方なんてわからないから、つい短くすませてしまう。
 メルアド作ったばかりらしいから返信がすぐに来るとも思えないから、お風呂に入ろう。


 お風呂から出たら、すぐに夕食に呼ばれた。
 食事中の話題は、もうすぐ来る夏休みの家族旅行について。

「今年も海行くか。」

 父が言った。
 去年も海へ行った。

「山でキャンプにしましょ」

 母が言った。
 でも一昨年は富士山をふもとにある神社から登ったし、キャンプもあんまり……。
 二人の意見が合わないと、多数決のために私に話が振られる。

「昼夏はどうしたい?」

 正直どっちでもいいし、どっちもイヤだ。でもここでどっちでもいいと言うとややこしくなる。

「どっちもあるとこ」

 だからそう答えた。
 特に意味なんてなかったし、いっそのこと出かけないこともよかった。

「ん~……じゃ、そうするか。」

 父はそう言い、食事を早々に切り上げると、インターネットを立ち上げて調べ始めた。
 そういえば、桜も海と山のあるところに今年の夏休みはいるんだっけ。

 食事を終え、自分の部屋に戻って手紙の続きを書く。

『今年は海と山のあるところへ行きます
 桜に、もしかしたら会っちゃうかもね
 でも、あまりに綺麗になっていて気付かないかも。
 そのときは、ごめんね──……   』

 + + + + + + + + + + + + + + +

「桜、手紙よ。いつもの子から」

 世間の夏休みよりも少し前、母は休暇を取り、我が家では、一足先の夏休みを迎えていた。数日後には母は海外へ仕事に出かけてしまうから、それまでの短い間のことだ。
 母に渡された封筒は、初めて見る、可愛い動物たちがプリントされたものだった。差出人は、柴 昼夏 宛名は 芝 桜
 毎度毎度よくもまぁこんなにも種類を集められるものだと、感心させられるくらいに、いろんな柄のものがあった。

「住所はこのままでいいけど、もうすぐ名前が変わるって、きちんと伝えておくのよ?」
「わかっています」

 両親が離婚し、今までは母方の姓を名乗っていたのだが、母が再婚を決めたので、もうすぐ新しい父の姓を名乗ることになる。手紙の宛名も変えてもらわないと。

 彼女はどんな風に成長してるんだろう

 手紙を読み返しながら、今の彼女を想像する。
 小学校の時、僕が転校していくことを伝えたら、彼女は大泣きした。
 今はもう、そんなことを感じさせないほどに綺麗な女の子に成長しているに違いない。
 会ってみたいけど、キッカケも、時間もない。
 今年の旅行はどこへ行くのだろう。

『今年の夏休みは、海と山のあるところへ行きます』

 部屋の窓の外を見ると、坂を覆う芝生の向こうに木がはえていて、その向こうには、広い海が広がっていた。
 ここにも海と山があるけれど、まさかね。
 あ、手紙が来たってことは、メールもきてるかもしれない。
 今更ながら思いだし、ケータイを確認する。
 メールが1通。
 このアドレスを教えたのは、昼夏1人。
 だからこれは昼夏からだ。
 開いてみると、日付は4日前。

『昼夏です。
 手紙届きました。
 返事を書きます。
 届くまで、もう少し待っていてください』

 つい、笑いが漏れた。
 これを書いた時点では、まだ手紙は書かれていなかったのだろう。
 早く気づけば意味があったのかもしれないが、今となってはアドレスの確認以外の意味は持っていない。
 さぁ、なんと返信しようか。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 夏休みになって一週間が過ぎた。
 宿題はほとんど終わり、旅行の用意もバッチリだ。

「そろそろでるぞー」

 父が部屋まで呼びにきた。

「今いく」

 念のためにメールを開いたら、いつの間にか桜から返信が来てた。日付は昨日。

『八月は別荘にいるから、もし近くに来るようだったら会いたいから教えて』

 実際、決まった行き先は、桜の別荘から見える海岸に近いところだったから、『今日からいくよ』とだけ、返信しておいた。


 すでに荷物は積んであるから、私が車に乗り込むと、父が車を発進させた。
 ちゃんとノートパソコンもケータイも持ってきてる。

 高速道路のサービスエリアの無線LANのある辺りで、メールの受信音が聞こえた。
 開いてみると、

『今、いい?』

 と、桜にしては少し消極的な文章だった。

『いいよ』

 短く返信すると、またすぐに返信が来る。

『週末、夏祭りがあるんだけど、
 そこで会えないかな?』

『Yes』

 とだけ返信しておく。

「もうでるぞー」

 父にせかされて、メールのウィンドウを閉じ、電源を落とした。


 旅館に着いて確認すると、やはりメールが来ていた。

『夏祭りは土、日曜日で、
 神社から海岸までなんだけど、
 どこで待ち合わせしよう?』

 どこでもいいよ。と、返信。
 すぐにまた返信が来た。

『昼夏がわかるところがいい。
 どこか決めてください。
 お願いします』

『わかった。
 見に行ってみるから、後でね』

 少し待っても返信はない。
 了解してくれたみたい。
 桜に会うのは、小学生の頃以来だと思う。
 文通はしてるけど、写真は一回も送られてきたことはないし、送ったこともない。どんな風に成長しているんだろう。会うのがとても楽しみ。
 夏祭りには、浴衣でいこうかな。
 確かこの旅館には、貸し出しサービスがあったはずだし、髪はお母さんに頼も。
 早速外に出よっかな。

「俺は海いって泳いでくる」
「私は山の方へいって、適当に歩いてくるわ」
「私は海の方で適当にぶらついてるよ」
「6時までには戻るんだぞ」

 6時は、夕食を食べにいこうと決めて、出発する時間に決めた時間。

「うん、わかってる」

 どこからみようか迷い、なんとなく砂浜を歩いていたら、強い風に吹かれ、かぶっていた麦わら帽子が飛ばされてしまった。
 急いで目で追うと、その先に待ちかまえるように立っていた背の高い人が、ジャンプして両手でつかんでくれた。
 わざわざジャンプする必要があったのかどうかは判らないとしておこう。
 駆け寄ってお礼を言おうとしても、初対面の人に対する緊張で、声がうまく出ない。

「落ちたよ」

 空中でキャッチしたにも関わらずそんな台詞で帽子を差し出してくるその人に、視線が吸い寄せられてしまった。

「ぁ……」

 かっこいい。
 ただ、何がとは言えないけれど、きれいな顔だった。
 見とれてしまって、目が離せない。

「ん? 僕の顔に何かついてるかい?」
「ぃ、ぃぇ……」

 その人は何を勘違いしたのか困ったような顔を作った。

「もしかしてこの帽子、君のじゃなかった?」
「ぃ……ぇ、ぁたしのっ、です……」
「じゃぁ、どうぞ」

 私の頭の上に麦わら帽子をおいて、もうとばされないようにね。と、ぽんぽんと軽く押さえてくれた。
 そんな仕草にときめいてしまう。
 帽子の鍔を両手でしっかりと押さえて、紅潮した顔を隠しながら、声を何とか絞り出す。

「ぇぁのッ」

 あ~、もう何やってんの私。声小さいってば!!
 それに語尾裏返ってるよっ!

「なに?」
「な、まえっ……名前、教えてもらえませんか?」
「いいけど……そんなもん聞いてどうすんの?」
「ぇぁっと……特に、何も……」

 ただ、知りたい。
 これっきり会わなくなるかもしれないけど、接点なんてないけど、でも、ただ知っていたい。

「フフっ……カ~ワイっ」

 その人は微笑んだ。
 そして、俯いている私の頬をつついた。
 驚いて顔を上げると、

冬夜(とうや)、だよ。冬の夜って書く。変な名前ってよく言われる」

 名乗ってくれた。

「冬の、夜……いい名前、です?ね」
「何その半端に疑問系?」

 褒めたつもりなんだけど、うまく伝わらなかったみたいで、冬夜さんは複雑そうな顔をしていた。

「ぃ、ぃぇぁっと……冬の夜は、星が、綺麗です……」
「あ~……うん。そう言ってくれたのは二人目、かな?」

 二人目……なら、一人目は、だれなんだろう。

「──じゃ、君の名前は?」
「ぇ……と」

 この流れだと普通そうなるよねっ 
 でもまさか聞かれるなんて思わなかったよ~っ

「……昼夏(ひるか)、です……柴、昼夏」
「ヒルカ? 妹の友達と同じ名前だ」

 なんと返すべきか迷っていると、

「偶然もあるものだね。」

 そう続け、微笑んだ。
 そんな冬夜さんの笑顔に魅入っていると、

「ヒルカちゃんはこの後時間あるかな?」

 と、尋ねられた。
 質問の意図が分からず首を傾げると、

「あぁ、僕この後暇でさ、やることないんだよね。
 もしよかったら一緒にいさせてもらえる? 一人じゃつまんないし」

 と言われ、なんと応えたものか。
 時間はある。
……これってナンパってやつ? いやいやいや、私に限ってそんな訳……いや、帽子を拾ってくれただけだよ、ただ。ただそうだよ。
 旅館に戻るまでの時間、完全にフリーだ。
 でも、初めて会った人といるのも落ち着かない……。
 徐々に俯いていってしまった。

「ぁ、ごめん……。
 迷惑だよね。全然知らない人にこんなこと言われても」

 その申し訳なさそうな顔は、どこか懐かしい。私はこの人を、知っているのかもしれない。

「ぃぁのっ」

 突然顔を上げ、半ば叫ぶように声を絞り出したから、冬夜さんは驚いてるだろう。

「ェ……と、何かな?」
「ぁ、私っ……どこかで……、冬夜さんに、会った、ことっ……ありま、あります、か?」
「え?」

 冬夜さんはおなかの前にくっつけた右手の甲に左肘を乗せ、自分の顎をつまんだ。
 どうやらそれが考えるときの姿勢らしい。

「僕の記憶が正しければ、会ったことはない……と思うけど、僕の記憶はなかなか頼りにならないからなぁ……。
 もしかしたら小学校の頃にでも会ってるかもしれないね……」
「小学校の頃、ですか?」

 桜に会ったのは、小学生の頃だった。
 両親の仕事の都合で転校が多いらしい彼女は、私のいた小学校に転校してきて、すぐにまた転校していってしまった。
 文通が始まったのは、その別れの時に私が、寂しくて、「手紙送るから住所を教えて」とたのんだことがきっかけだ。

「あ……うん。
──あ、時間は大丈夫?」

 話が長くなるのかな。

「は、はい、大丈夫です」
「じゃぁさ、あっちで話さない?
 僕、実は海苦手なんだ」

 ならどうして海にいるのかとも思ったが、冬夜さんの背中を追って、釣りをしているおじさんがまばらにいる、テトラポットがたくさん置かれているところへ移動した。

「あの……、どこへ、行かれるのですか」
「もうすぐだよ。あっちに静かなところがあるんだ」

 テトラポットの上を危なげなく移動する冬夜さんを目で追いながら、足を滑らせないように慎重に移動していたら、距離が開いていって、冬夜さんは引き返してきた。

「早かったかな。大丈夫?」
「は、はい……遅くて、ごめんなさいっ」
「ううん、責めてるわけじゃないから。もうすぐだよ」

 気遣われながら何とかそこを抜けると、開けた場所にでて、海岸とは少し違う、砂場があった。少し向こうには緑も見える。芝生かもしれない。

「ここは──」
「秘密の場所。
 ほら、あそこ」

 冬夜さんが指さした先には、古びたベンチがあった。
 坂を少し行ったところで、ちょうど砂が緑に覆われ始めたあたり。
 その向こうに生えている木々の向こうには、大きなお屋敷みたいのがある。
 冬夜さんが先に座って、隣をたたく。

「ここ座って」
「──失礼します……」
「緊張しないでいいって。ここは僕しか知らない秘密の場所だから」
「秘密の……」

 なら、今は二人の秘密ってことかな?
 なんだか、うれしいな。
 でも、何となく付いてきちゃったけど、ここまで移動する必要はなかったよね? 何で気付かないんだ私!

「あ~っ、こんな可愛い子とも会えたし、ここきてよかった。」

 か、可愛いなんて……私のことじゃないよね?

「今年は来る気なかったんだけど、きた甲斐あったなぁーっ」

 伸びをしながら独り言なのかどうか判別のつきにくいことを大きな声でつぶやく冬夜さんを見て、ずっとこうしてここにいたいと思った。
 他には誰もいない静かな場所で、冬夜さんの隣に。
 でも、ここまで付いてきたのは話の続きを聞くためであって……そうだ、続き、続きだ。

「ぁのっ、話の、続きを……」
「あ、そうだったね。」

 ここまで連れてきたのはそのためのはずなのに、忘れていたみたい。

「はい……。」
「僕は小さい頃、両親の仕事の都合で転校ばっかりだったんだ。
 今は両親とは離れて暮らしてるんだけど、小さい頃──それこそ小学校に上がりたての頃なんて、頼れる親戚もいなかったみたいだし、子供一人になんてできないでしょ?」
「……そうですね」

 桜と似てる。
 桜も、お母さんの仕事の都合で転校ばっかりで、自分の身の回りのことがある程度自分でできるようになったらお母さんだけ引っ越して、桜は一人で過ごすようになったんだって、以前の手紙に書いてあった。

「それで小学校の頃は結構な学校まわったから、同じ学校の子の顔を全部は覚えてる自信ないなぁ……」

 それは、仕方がないというかなんというか……。

「でもまぁ、過去に出会っていたかどうかよりも今出会っていることの方が大事だから」

 それは告白ですか? いや、違うだろ自分っ きっとこの人は天然なんだ。もしくはわざとだ。

 それから陽が傾いてきたことを実感できる頃までそうしていた。
 特に何を話すでもなく、私はとても居心地が悪かった。

「あ……」

 夕食、忘れてた。
 早く帰らなきゃ

「あ、もうこんな時間だね。」

 腕時計をみて、冬夜さんが言った。

「宿まで送ってくよ。場所どこかわかる?」
「い、いえ、いいです」

 場所判らないけど。

「ここから一人でなんて危ないって。
 この辺の人じゃないでしょ?」
「ぁと……はい……」

 どうせ土地勘もないですよ。
 道も、来るときは冬夜さんの背を追っていただけだから怪しい。
 だからどうしていいかわからず、何となく頷いてしまう。

「じゃあ会ったところまでついてくよ。あの海岸」
「はい……じゃぁ……」

 断り方がわからない……。
 どうしてこんな時だけ人見知りが発動しちゃうんだよぅ……っ

 結局旅館まで送ってもらってしまった。

「ここに泊まってるんだ……」

 冬夜さんが旅館の入り口を見上げて呟いた。
 頷く他あるまい。
 それから二言、三言話し、別れた。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 二人だけでの食事中、もうすぐ義兄となる者の顔が生き生きとしていることに、桜は気づいた。
 昨日までは、死んだ魚よりも腐りそうな目をしてたのに。

「楽しそうですね」
「わかる?」
「わかりたくないけど」

 すぐに、この話を振ったのは間違いだったと気づく。

「実は、可愛い子と会ったんだ。」
「勝手に話し始めないで」

 昼間、廊下の窓から見えた広い裏庭に、義兄と少女の姿を見た。
 だからそんなことは言われなくても知ってる。
 その子が本当に可愛かったから、つまらないんだ。
 昼夏も、あんな風になっているんだろうか。

「明日も会えるかなぁ……」
「絶対安静の人が何言ってんの?」

 本当は絶対安静じゃなくって、もう回復の見込みはないから、好きなことを好きなだけするのがいいんだけど。

「ちょっとくらい、いいでしょ?」
「海の方はだめだって言われたんじゃない?」

 知らないうちに溺れでもしたら大変だから、水辺に近づくなって。
 きっと、明日も明後日も、彼女に会いに、海の方へ行くのだろう。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 翌日、冬夜さんとの出会いを少しだけ期待して、昨日はできなかったから、待ち合わせに良さそうなところを探しに向かう。

「あ、昨日の……ヒルカちゃん」
「──……冬夜さん……」

 まさか、本当に会えるとは思っていなかった。

 また昨日と同じベンチに座って、遠くに見える海を眺める。

「偶然ってすごいね」
「……そうですね」

 それで会話は終わり。
 何か話題ないかなー?
 そもそも昨日会ったばっかりで、冬夜さんについて何も知らない。

「自己紹介とか、した方がいいかな?」

 考える姿勢で首を捻っていた冬夜さんが、そう言った。

「ぁ、はい……初めまして、ですもんね」

 合コンじゃあるまいしと思ったけど、合コンなんて行ったことないから、ほんとにこんな感じなのかはわからない。

「じゃぁ、何か話の種にでもなれば……。」

 そう言って、話しはじめる。

「僕は冬夜。冬の夜って書く……は、昨日もいったね。」
「ぁっ、はい、聞きました。」

 それが姓なのか名なのか、それはわからない。フルネームで名乗りたくない事情でも、あるんだろうか。

「誕生日とかは……言った方がいいかな?」

 困ったように頬を指先で掻きながら尋ねてくるその仕草が、かわいい。

「……いえ、言いたくなければ、結構ですよ?」
「一応、正確じゃないけども、今は17歳だよ」

 どうして正確じゃないんだろう。
 本人が誕生日を知らないのか、誰も知らないのか。
 養子かな……?
 いや、それよりも。何かコメントしなきゃ

「……えと、私よりも一つ上、ですね。」
「そうなの?
 もしかしたら、学校に通っていれば同じクラスになれたかもしれないね。」
「ぇと……冬夜さんは、学校に、通っていないんですか?」
「義務教育までだね。」
「どうしてですか?」

 確かに高校は義務じゃないけど、なんとなくでも通う人がほとんどだと思う。

「病気がちでさ。入学しても、どうせあんまりいけないかなって。
 通信制のとこ入ろうか迷ったんだけど、結局やめちゃった。」
「……えと、今は、大丈夫なんですか?」
「体調?」
「はい。」
「見てのとおりさ」

 冬夜さんは両手を広げて演技っぽく微笑んだ。
 どこも悪そうには見えないし、顔色もいい。

「……えと、大丈夫そう……ですね」
「今はとても安定してるからね。」

 そう言って、数回軽い咳をした。

「──大丈夫ですかッ?!」
「大丈夫大丈夫。心配性だなぁ、ヒルカちゃんは」

 + + + + + + + + + + + + + + +

 子供の頃、僕は転校が多かった。
 ここも、その多くのうちの一つ。
 そうなると思っていたし、実際、そうなるはずだった。

「転校生よ~」

 先生に急かされて、名乗る。

「初めまして、しばさくらとゆいます」
「桜ちゃんは、お母さんのお仕事の都合で転校してきました。
 みんな~、仲良くするように」

 先生が簡単な説明をし、僕は用意された席に座った。

 転校生が珍しいのか、別の理由か、授業の合間には僕の周りには人が集まった。
 しばらくは質問責めで、解放された頃、席替えがあった。
 くじを引いて、机を移動する。
 両隣は、窓と、一度も僕の元へ質問に訪れなかった、いつも俯いている女の子だった。

「はじめまして」

 僕から声をかけると、小さな声で返してくれたけど、何を言っているのかさっぱりで、それ以上のことは何も言わなかった。

「なまえは、なんてゆうの?」

 もうすでに覚えていたが、自信がなくて聞いたら、

「……ひるか……──」

 とても小さな声で答えてくれた。

「ひるかちゃんてよんでもいい?」
「──……ん」

 頷いたから、了解したんだろうと思って、何か話そうと思ったけど、まだ共通の話題なんてよくわからなかった。
 だから名前の話題をふってみる。

「おんなじみょうじだよね」

 何か反応を返してくれると思ったら、無視だった。
 代わりに、名前を呼ばれた。

「……さくらちゃん」
「なに?」
「──これ、読める……?」

 そのとき昼夏が持っていたのは、園芸の本。

芝生(しばふ)だとおもう」
「……さくらちゃん、すごいね」

 この時の彼女の笑顔に、不覚ながら見とれてしまった。
 だから同じ名字なんだって思ったらとってもうれしかったんだ。

「僕の名字はこの芝っていう字だからね。
 それくらいは知らないとだよ」
「……わたしは、柴犬さんの柴だって、お母さんがいってた。」
「じゃあ、ちょっと違うんだね。」

 だから、違うってわかったときは、とても悲しかった。
 彼女──昼夏との繋がりが、完全に失われてしまったような気がしたから。

 転校するってわかったとき、このまま昼夏とあえなくなるんだって思ったら、泣いてしまった。
 他の子との別れなんて、今までに何回も経験してきて慣れてる。でも、昼夏とは、離れたくなかった。
 だから昼夏が手紙を書くといってくれたときは、これで繋がっていられると思って、もっと泣いてしまったものだ。
 今思い返すと、とても恥ずかしい。こんなこと、口が裂けてもいえない。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 別れ際、冬夜さんが、「夏祭り、よかったら一緒にいかない?」と、誘ってくれた。

「ぁ、と……、土曜日は、先約が……」

 桜との約束を反故にするわけにはいかない。

「そっか。……じゃ、日曜は? 日曜日にならいけるかな?」
「は、はい……でも、いいんですか?」
「なにが?」
「家族とか、友達とかと……」
「あぁ、いいのいいの。
 両親は仕事で海外だし、友人は少ないからね。
 ヒルカちゃんと居ないときは、だいたい妹といるか一人だよ」
「妹さんが、居るんですね。」
「うん。血はつながっていないし、最近できたばっかりだけどね」

 ……連れ子? 浮気とか、不倫? それとも、養子?

「その妹も、土曜日は先約があるし、日曜日も『用事が入る予定』だってさ。嫌われてるのかも。」
「──そんなことはない、と、思います……。」
「そう?」

 冬夜さんを嫌う人なんて、あんまりいないと思う。勝手に思ってるだけだけど。

「可愛いのでしょうね。冬夜さんの妹さんなら」
「うん、君ほどじゃないけどね。
──それに、引きこもり予備群だし」
「引きこもりじゃなくて、予備群……ですか?」
「うん。部屋にこもってるわけじゃなくて……うちの別荘には広い庭があるんだけど、そこにはでるから。」
「ほとんど引きこもりですね。」

 二人で、少しの間笑った。

「ヒルカちゃんこそいいのかい?」
「何がですか?」

 何のことかわからなくて尋ねてしまったけれど、考えればすぐにわかることだ。さっき私が聞いたことを、聞き返しているんだ。

「君こそ可愛いから、誘いの一つや二つ、あるんじゃないかい? 僕だったら放っておかないし、実際、こうして誘っているわけだしね」
「それは、社交辞令ですよね……?」
「まぁ、そうなるのかな? 幾分かは本気だけど」
「それは……もしかして告白、です ……か?」

 返事は期待していなかったけれど、冬夜さんの顔を見たら、途中でつかえてしまった。
 顔が結構真剣だったから。

「そうしたいのは山々だけど、君を僕一人のものにするわけにはいかないさ。君は引く手あまただろう? 僕にはそれを退けることもできないし。」

 私に告白する人なんて、いるはずないのに。
 何でこんなにも、ホントみたいに言葉を並べられるんだろう。

「それに、君はこの辺の人じゃないだろ? まぁ、僕もだけど。──とにかく、遠距離恋愛は望むところじゃないからね。
 ……電子機器も鉄の塊も苦手だ。」

 たぶん最後のは、ケータイとか新幹線とかを示しているのだろう。私もそういったものは苦手だ。
 でも、少し茶化されてる気がする。
 遠距離恋愛が望むところじゃないのは私も同じ。
 でも、この人──冬夜さんには、人と関わりたくない理由があるんじゃないかと、思ってしまった。

「とりあえず、日曜日は一緒に行けるってことでいいのかな?」
「……は、はい──」
「じゃ、あの砂浜のどこかで待ってるよ。」

 頷こうとして、アバウトすぎることに気がつく。

「……いや、範囲が広すぎませんか?」
「う~ん。じゃぁ、どこがいい?」
「ぇと……」

 どこかいいところは……桜との待ち合わせと同じ場所はちょっと……でも、他のとこだと人多そうだし……──。
 あ、そうだ。

「……ここで、どうですか?」

 足下を指さす。

「ここ?」
「はい。
 お祭りが始まる頃……5時くらいに、迎えにきます。」
「僕はここで待っていること前提なんだね」
「ぇと……そういうわけじゃ、ないんですけど……」
「ううん、待ってるよ。」
「ぇと、いいんですか?」
「うん。じゃ。日曜の5時頃にここで。」
「はい。それではまた……」

祭後

 今日は土曜日。
 桜とお祭りに行く日。

 午前中は暇なので宿題をして、飽きたら山の方へいった。
 冬夜さんに会いに行くと時間を忘れそうだったから。
 やっぱり木に囲まれると落ち着く。
 アスファルトに囲まれてるとどうにも暑くって、家にいると近所の小山を駆け上がりによくいく。
 そのままそこで眠ってしまって日焼けしたり、蚊に刺されまくったりすることもあるけど、町中の蒸し暑さよりはマシだ。ヒートアイランド現象は私の怨敵。
 あてもなく歩き回って、そろそろ迷子になりそうだったので来た道を引き返す。


 浴衣を着て、お母さんに髪をセットしてもらって、必要なものは厳選して巾着に入れ、旅館をでる。
 下駄はどうにも固くて歩きにくいから、サンダルをはいて、砂浜を歩く。
 舗装された道を歩いた方が近いし汚れないしいいんだけど、アスファルトは嫌い。特に、足がむき出しの時は万一転けたり足が直接アスファルトについたりしたときには火傷をしてしまうから。

 待ち合わせ場所は海岸から神社への一本道の脇。
 ちゃんと浴衣を着てくって伝えたけど、見つけてもらえるかな……?
 いやいやいや、見つけてもらうんじゃなくて見つけないと。
 きっと桜もあの時とはだいぶ変わってるだろうけど。
 そう言えば、桜の耳には黒子があった。ちょうどピアスの穴でもあけるんじゃないかって位置に。

 待ち合わせ場所は、このあたり。
 そのつもりでメールに書いたんだけど、ちゃんと伝わってるかな?
 祭りの会場へ向けて、または自宅や宿へ向けて通り過ぎる人の流れ。立ち止まっている人はいない。

 桜はまだ、来てないのかな。

 塀の側に立って、時計を見る。
 まだ待ち合わせの時間には20分ある。
 早く来すぎたかな……?

 辺りを見渡すと、ここは初めてきた場所かのように思える。
 昨日も一昨日も通っている場所なのにそう思うのは、私がいつも俯いているせいかもしれない。
 顔を上げて、小学生の頃の桜の顔を思い起こす。
 桜はどのくらいまで背が伸びたんだろう。
 私よりも、きっと大きい。
 きっと、モテモテだよね。
 小学生の頃の桜も、それなりにきれいな顔だった。成長した今、それよりも悪くなんてなってるはずない。

 視界の端に、走ってくる少女が写った。
 私よりも背が高くて、少し年上かもしれない。
 細いフレームのメガネをかけていて、その奥の目は薄い色。まつげも長くて、きれい。
 あんなに急いで、どうしたんだろ。
 美人が台無し。
 息を切らして、走って──スピードを落として、こっちへ来る。

 まさか、……桜?

 涼しげな柄の浴衣を着て、長い髪を後頭部の高い位置でまとめ、前髪を分けてきれいなピンで留めている。
 化粧とかはぜんぜんしてないみたいだけど、肌もきれいで、シミ一つない。

 あ! 耳に黒子。

 私の記憶の中の桜と、繋がった。
 それでも確信は持てず、横を通り抜けていくものかと思ったら、私の隣で止まる。

「えっと……昼夏、かな?」

 汗を手で拭いながら、首を傾げてそう言った声は、あのころとは変わっていて。
 でも、私のことをそう呼ぶのは、今も昔も桜だけだと思う。

「──桜?」
「うんっ」

 名前を呼ぶと、飛びつこうとしたのか両手を広げたが、しょぼーんと俯いてしまった。

「あの……、走ってきたみたい……だけど、大丈夫?」
「なにが?」
「疲れて、ない?」
「うん、大丈夫大丈夫。
 ちょっと遅れたかなって思って急いでただけだから。」
「……遅れてなんかないよ……。」

 沈黙はつらい。
 でも、なにを話せば……。桜、暑そうだし……。
 巾着からタオルを取り出して、おずおずと差し出す。

「……よかっ、たら、使って──ください……」
「え、いいの?」

 頷くと、それを受け取って、汗を拭き始めた。
 汗を拭くためにメガネを外したその顔には、小学生の頃の面影も、何となく感じられた。
 こんなにきれいになってるなんて、想像できなかったな。

「あ~、昼夏のいい匂いっ」
「ぇと……?」
「昼夏だい好きー!」

 今度こそ腕を広げて飛びついてきた。
 えっと……どう反応すれば?
 とりあえず抱き返しておいた。
 桜は大きくて、私はその腕に包まれていたんだけど。

「……なんかゴメンね」

 ゆっくりと離れて、桜はそう呟いた。

「ぇと……なにが?」
「急に抱きついたりして。迷惑だよね」
「ぇ、ぅ、ううん、いいんだよ。桜だもん」
「──僕は、昼夏に抱きついてもいいの?」
「ぅ、うん……」

 少しの間が空いて、

「やったぁー! 昼夏~っ」

 また抱きついてきた。

「昼夏の匂いだ~……」

 しばらく抱きついていてから、気が済んだのか、ゆっくり離れ、「タオルは洗って返すよっ」と言い、手を差し出してきた。

「手、繋ぎたいな」

 断る理由もないから手を握ると、強く握り返された。もう放してもらえないんじゃないかという恐怖も、一瞬芽生えたくらいに。

「じゃ、いこっか」
「うん」

 まだ明るいうちから屋台を回り、ポテトとかチョコバナナとかを食べながら歩く。

「……昼夏、かわいくなったね~」

 急にそんなことを言われた。
 小学生の頃も、彼女にはよくそう言われた。
 私はそのたびに、桜ちゃんの方がかわいいから、そんなこと言っちゃだめって言い返してた。

「そんなことないよ。
──桜こそ、とっても綺麗になってて、ぱっと見判らなかったし」
「そんなに変わったかなー?」

 なんだか複雑そうな顔。あんまり悩みとかを表に出す人じゃないと思うから、そんなに不快だったのかな?

「しばらく見ないうちに、もうホント別人だよ」
「お世辞はいいよー。」

 お世辞じゃないんだけどな。

「……それより、女子が集まってすることと言えば、恋バナだよね?」
「ぇ……と、そうかな?」

 二人だけだと集まってるっていえるのか微妙だし、正直、今一番振られたくない話題なんだけど。

「好きな人とか出来た~?」

 そう問われてすぐに冬夜さんが浮かんで、すぐに他のことを考える。

「……ぃ、いないよーそんなの」
「そんなのってなんだい。結構重要よ~?
 それに今の少しの間はなんだい? いつもの間とは違わないか~い?」
「……ち、違わないよ~っ」

 その間になにを感じたのか、桜はまだ止まらない。

「お? なんか思うところありかな?」
「無いってば~!」
「そんなにムキになって否定するなんて……やっぱあるのかな?」

 ニヤニヤと、イヤな予感しかしない笑みを浮かべてまだまだ深追いは続く。

「ん? オネーサンに相談してみ?」
「お姉さんじゃないでしょっ」

 ここら辺で話をそらせないかと、つっこんでみる。

「まぁ、そこは雰囲気で流して」
「流せないっ」

 そのまま流したら私が不利になるのは明らかなんだからぁ!

「で、いるの? いないの?
 いるよね?」

 もう断定になっちゃった。

「どんな人? かっこいいの?
 どこで知り合ったの? 付き合ってる?
 片思い? 告白はいつ?」

 そろそろ諦めるしかないのかなぁ……。

「そ、そんなに一気にきかれても……」
「うん、やっぱいるんだね。」

 もしかして、カマを掛けるという奴でしたか、コレ。

「白状なさい」

 私ばっかりきかれるのも癪だし、桜もからかってやるんだから。

「さ……桜こそ、つきあってる人とかいないの?」
「いないよ~」
「ホントに?」
「ホント。学校辞めちゃったから、出会いの場もないし」

 なんか今、重要なカミングアウトを聞いた気がする。

「辞めちゃったってことは、入学はしたんだよね。」
「うん。」
「どうして辞めちゃったの?」

 冬夜さんも通ってないって言ってたし、もしかしたら高校に通っていない人は、意外と多いのかもしれない。

「元々学校とか人の多いとこ好きじゃないし、学力的にね……ついてけなかったんだ。」

「……え? 桜が?」
「うん、僕が」

 他に誰もいないけど、つい聞き返してしまう。
 桜は、少なくとも小学生の頃、過ごした短い間、成績は、ほどほどによかったはずだから。
 もうこの話はやめようかな……。

「この辺で閑話休題っと。
──して、昼夏さん? お相手はどなたで……?」

 話を戻されても困るし、からかわれた借りは返してない。

「ううん、まだきいてない。」
「なにを?」
「好きな人とか、気になってる人とかホントにいないの?」
「え? それならいるに決まってるよ。」

 付き合ってる人はいないって言ってたから、片思いかな?

「誰? かっこいい?」
「昼夏だよ。チョ~可愛い。」

 即答だった。
 顔を見てみると、表情が……。これ、照れてる? 冗談を言っているようには見えない。

「……ほぇ?」

 何かコメントしようとしても、どう言っていいものか。
 迷った末に絞り出したら、こんな変な擬音になってしまった。

「昼夏しかいないよ」
「──……本気?」
「本気に決まってんじゃないか~。この世で昼夏よりも魅力的な人なんかいないんだよ?」

 少しうれしいし、照れるけど、なんか違う。

「……そういう意味じゃ、ないと思うな~……」
「じゃぁ、どんな意味?」
「……友達としてじゃなくって、恋愛対象としての……その……あれ、かな?」
「だから、その『好き』だって」
「……──冗談?」
本気(マジ)だけど?」

 もう何と言っていいのか。
 桜は女の人が好きなの?
 それともどっちでもいい人?
 やっぱり冗談……じゃなさそうだし……忘れよう、コレ。うん。

「それより僕は昼夏の意中の相手が気になるな~?」
「そ、それはいいでしょっ」
「僕は言ったのに、昼夏は言わないの?
 それって不公平じゃない?」
「そ、それは……」

 もう、諦めるしかないみたい。
 思えば小学生の頃、一緒に過ごした短い間。
 私は元々あんまりしゃべらなかったけど、わずかに会話した何回かの内、口で勝てたことは一回もなかったな。いつもいいように言いくるめられてた気がする。

「で、どんな人?」
「……かっこいい人」

 はじめからこうしていれば、桜のカミングアウトもきかずにすんだのに……

「出会いはいつ?」
「……ついこの前。」
「どこで?」
「あそこの砂浜で……」

 やっぱり反抗しない方がよかったかな? そうすれば、ここまで追いつめられることも、興味を持たれることもなかったかもしれないのに。
 まぁ、すべてはイフの話なんだけど。

「ふ~ん、なんかつまんないなー。」

 少し応答を繰り返した後、桜は興味が失せたかのように言った。

「……きいたのは桜なのに。」

 ジトッとにらんでやるも、桜は見ていない。

「だって、僕は昼夏が好きだといっただろ? なのにその昼夏が僕じゃない好きな人の話をするんだもん」

 神社の境内に入り、桜は足を止めた。
 私も隣に立つ。
 周りには、あまり人がいない。

「それは……」

 不可抗力というか、何というか。
 ……言わせたのは桜なのに。
 足元を見ると、桜が私の方へ体を向けたのがわかった。

「じゃ、お仕置き」

 そう言われて、何をされるんだろうとびくびくしていたら、前髪をめくられ、額に何か……いや、考えるのをやめよう。これ以上は知らない方が身のためな気がする。

「昼夏、顔上げて」

 言われたとおり顔を上げる。でも、なんだか桜の方を直視できない。

「ほら、こっち見て」

 両頬に手を当てて顔の向きを強制される。
 でも、目はそらしたままだ。

「そんなんじゃ意中の君に告白なんてできないぞー」
「告白なんて……」
「早くしないと。時間は有限なんだから」
「そんなこと……」
「あの浜辺で会ったってことは、意中の君はこの辺の人か旅行客なんじゃない? 早くしないと、昼夏は帰らなきゃならないでしょ?」

 冬夜さんはこの辺の人じゃなくて、夏の間だけこの辺にある別荘にきてるんだって言ってた。
 まだ時間はあると思ってたけど、私は、帰らなきゃいけないんだ……!
 もう、会えなくなっちゃうかも……

「だからその前に、伝えるだけ伝えないと。
──あたって砕けろ、だよ?」
「……砕けたくはないな」
「うん。そうならないように僕も応援してる。」

 なんだか桜に申し訳ない。
 桜の両手が離れて、でも、桜の目をちゃんと見る。

「私のことが好きなのに……?」

 けどコレは、さっきの仕返し。コレで借りは返した。

「好きだから、昼夏のためなら何でもするよ。
 もしだめだったら慰めるし、OKだったらお祝いしたげる」

「……ありがと。」

「どういたしまして……は、なんか違う気がするな。まあいっか。」

 桜には、勇気をもらってばかりだ。
 石段に並んで腰掛けて、計画を練る。

「で、いつ告白する?
 なるべく早い方がいんじゃない?」
「……明日、このお祭り、一緒にくることになってる……」
「じゃあ、そのときにでも、できる?」
「……まだ出会ってすぐすぎるよ」

 自分で言っておいてなんだけど、ちょっと早すぎるんじゃ……。

「そんなこと言ってたら、二度と会えないかもよ?」

 そうだけど……

「思い立ったら即実行、コレが成功の秘訣よ?」
「そう……だね。」
「じゃ、明日は顛末を見守ってるわ。
 待ち合わせはどこ?」

 あの場所のことを、桜に言うべきかな。
 でも、冬夜さんは秘密の場所だって言ってたし……それに、なんて言ったらいいんだろう。

「私が、迎えにいくことになってる」
「意中の君の家まで?」
「ぁ、ううん。違うんだけど、いつも、そこにいるの。」
「ふ~ん……」

 桜はおなかに当てた左手の甲に右肘を乗せ、曲げた人差し指をかむ。
 これは、桜の考える姿勢。
 冬夜さんと似てるかも。

「さすがについてったらバレそうだね。
 じゃぁ、浜辺の方の端っこで待ってるよ。
 そっちから通ってきて。」
「う、うん……」
「告白する場所は、人が少ない方がいいよね?」
「うん」

 ただでさえ恥ずかしいのに、人に見られてると思うともう何にも言えなくなっちゃうよっ。

「じゃぁ、ここでどうかな?
 別れ際にここで立ち止まって、好きですって。」
「……──」



 計画がたてられ、翌日。
 緊張でよく眠れなかった。

 はぁ~……

 ため息をつくと幸せが逃げるという言葉を信じているわけじゃないけど、あんまりため息をつかないようにしてる。なんか疲れてる感じがしてイヤだから。

 午前中はぐるぐるとシミュレーションして、桜にメール。

『どうすればいいの~(><)”』

『できるようにやれば
 なるようになるよ』

 すぐに来た返信は、何も具体性のないものだった。
 人事だからって……
 ……はぁ。ホント、どうしよう

 何となく、山の方へ足を運んだ。
 木々の間の、コンクリートで整備された遊歩道を歩く。いつもならそんなことはしないんだけど、今日は変なとこを通ると迷ってしまいそうだったから。
 空を見上げると、今の私の気持ちを表すような曇天(どんてん)
 雨、降らないかな~……。
 降ったらお祭りは中止だし、そうなれば告白も流れてしまう。
 その方がいいような気もするけど、このもやもやも消え去らないままで……。
 どうすればいいの~!

「あれ、昼夏」

 呼ばれた声の方を見ると、桜がいた。

「……。」

 そういえば、桜に、昨日告白紛いをされたような気が……
 そう意識した瞬間、来た道をダッシュで引き返していた。
 桜には失礼なのもわかってる。
 でも、今はあんまり直接会うのは避けたくて……

「つーかまーえたっ」

 後少しで遊歩道の終わりが見えるところで、桜に肩をつかまれ、驚きで足がもつれ、転けてしまった。

「だ、大丈夫!?」

 桜もそれは予想していなかったようで、結構慌ててる。

「──ん~……」

 短パンだったから膝と、手を擦りむき、おでこを打った。

「た、大変……すぐに処置しなきゃっ!」

 処置ってそんな、大げさな……

「たてる?」

 もちろん。
 桜に手首を掴まれて立ち上がると、擦りむいた膝が痛んだ。血がにじんできてる。

「すぐそこだから、家来て!」

 そのまま手首を引いて歩いていこうとするが、私が膝を擦りむいているのを見ると、「ごめん」と一言。
 桜にお姫様だっこされた。
 桜、腕力すごい。

 私を抱えたまま少し走っていき、大きな建物に入っていった。
 これは、あの……? あのベンチのあるところから見える建物と、色が似ていた。
 私は方向音痴だから、同じ場所かは確信が持てないんだけど。
 中庭の水道のところでおろされて、「救急箱とってくるから傷洗ってて!」と指示される。
 水道をひねると手の皮膚がずれて痛んだけど、そうしないと後々大変なのはわかっていたから、膝と手を洗った。ついでにおでこも軽く冷やしておく。
 桜が箱を抱えて戻ってくる。

「そこに座って」

 そう示されたのは、あの海の見えるところにあるものと、よく似たベンチ。
 私が座ると、まずは手の方をみて、めくれた皮をピンセットできれいに戻し、消毒液で湿らせた脱脂綿で傷のまわりを消毒して、湿布みたいのをテープで固定した後に包帯を巻かれた。
 膝も同様に。最後は包帯を巻かず、ネットだったけど。
 最後におでこに冷却シートをはって、おしまい。
 手際がいいのか悪いのか。
 集中してるみたいだったから、何も話しかけられなかったけど。

「……ありがと」
「うん……ごめんね。痛いとこない?」
「桜が謝ることじゃないよ。私が驚いて、転んだだけ。」
「ごめん。僕が驚かさなければ、そんなことにはならなかったのに……。」
「だから、桜のせいじゃないって……」

 それでも桜は、責任を感じてるみたい。
 あんまり思い詰めると皺が増えるよと言いたくなったけど、そんな雰囲気じゃなかった。

「今日、お祭り行ける?」
「うん……行ける、けど……」

 どうしよう。怪我を理由に行かないこともできるし、行って気遣われるのも嫌だし……

「昼夏は、気持ちを伝えたいの?」
「……え?」
「昨日は強引に話を進めちゃったけど、したくないんなら、しなくてもいいんだよ?」

 桜は、哀しそうな、寂しそうな顔で、そう言った。
 言って、下を向いた。
 私の顔を、みたくないかのように。

「ただ会うだけでいいんなら、それでもいいんだよ?
 もしかしたら、伝えることで今の関係が壊れてしまうかもしれない。
 そうなるくらいなら、伝えない方が、いいのかもしれない。」

 桜の言うことも一理ある。でも、

「……私は、伝えたい。
 昨日桜が言ったように、もう会えなくなるかもしれないもん」
「本当?」
「うん。ホント」

 桜は下を向いていた顔を上げ、瞳を潤ませて微笑んだ。

「……がんばって。見守ってる。」
「ありがと」

 手に巻かれた包帯は、私の両手を湿っぽくしていた。
 ここまで来たら、覚悟を決めるしかない。

「いってくる」
「うん。……いってらっしゃい。」

 + + + + + + + + + + + + + + +

「冬貴さん、入るね」

 部屋に入ると、窓の外を眺めていた目が、桜の方を向いた。 

「なに? 桜ちゃん」

 ベッドに横になっている義兄に、桜は伝えに来たのだ。

「……昼夏ちゃん、怪我してたよ」
「大丈夫なのかい!?」

 慌てて体を起こした義兄をベッドに戻す。

「あなたの病気よりは軽症だよ
──冬貴さんは絶対安静なんだから」

「それはそうだけど……」

 急に咳込みだし、呼吸すらままならない義兄を冷ややかにみて、「今日のお祭り、行くのやめたら?」と、言い放つ。

「そんな、こと、したら……、次に、会え――のは、いつ、かな……?
──でも、そんな、……も、言って、られない、ね……
 あの子に……ヒルカちゃんに、伝えて、もらえるかな……?」
「自分で伝えなよ」

 咳を我慢して、苦しそうに笑顔を作る義兄を、見ていられなくなって、逃げるように、部屋を出た。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 服が汚れてしまったので着替えて、待ち合わせ場所になっているあのベンチのあるところへ、急いだ。
 膝はまだ治っているはずもないし、できかけた瘡蓋(かさぶた)が割れるのもわかる。
 テトラポッドの上をわたるときも、包帯の下で、皮膚がずれる。
 でも、今日、伝えなきゃ。
 桜に手伝ってもらって、ほとんど桜のおかげで、決めたんだから。

 砂場について、ベンチの方をみる。
 そこには、桜がいた。
 どうして?
 冬夜さんは?

 駆けあがっていって、ベンチに座っている桜に尋ねる。

「……冬夜さんは?」

 桜が知っているわけもないのに、つい、名前を出してしまった。

「冬貴さんなら、遅れてくる」
「フユキ?」
「あの人……昼夏が冬夜さんって呼んでる、意中の君のこと。
 冬夜 咲貴(さき)っていうんだ。だから、始めと最後をとって冬貴」
「何で、桜が、それを……」

 私に伝えるの?

「僕ね、名前が変わるんだ。
 母さんがもうすぐ再婚するから。」

 昼夏も座って。と、冬夜さんと同じような仕草で隣を示す。

「それで、冬夜 桜になるんだ。」
「とうや……」
「うん。だから、冬貴さんは僕の義兄(あに)になるんだよ」
「桜は……、冬夜さんの、妹?」
「うん。」

 じゃあ、冬夜さんの言ってた妹の友達って、もしかして、私……?

「親が海外での仕事だから、僕たちは先に一緒に住んでるけどね。」

 あそこが今いる別荘。と言って、指し示したのは、後ろに見える建物。さっき怪我の手当をしてもらったのも、きっとあそこ。

「冬夜さんは、大丈夫なの?」

 遅れてくるのが、何かの用事ならいい。でも、病気がちだったって言ってたから、何かの病気でだったら……

「大丈夫だよ。もう、これ以上は悪くならないから。」

 え? それって、どういう……

 + + + + + + + + + + + + + + +

 窓からあの場所を見下ろすと、桜ちゃんがいた。
 待ち合わせ場所があそこだとは伝えてあるから、ちゃんと、伝えに行ってくれたんだろう。
 ヒルカちゃんが駆け寄って、桜ちゃんとはなしてる。
 桜ちゃんは隣に座って、何をはなしているんだろう。
 初めてっぽくないな。
 もしかして、桜ちゃんの文通相手の友達って、ヒルカちゃんなのかな。
 ぁ、こっちをみた。
 その顔は、不安に染まっていた。
 僕に会えないことでの不安なはずはないし、何か、悩みでもあるのかな。
 やっぱり、行かなきゃ。
 今はもう咳もおさまったし、少しくらいなら大丈夫なはずだ。

 + + + + + + + + + + + + + + +

「じゃあ、僕はこれで。」

 そう言って、桜は立ち上がった。

「どこ行くの? 桜」
「お祭り。
 冬貴さんももうすぐ来るはずだから、昼夏は合流してからだよ」

 なんだかとっても不安。
 いいのかな、ここで桜と別れて。

「別に、行かないでここで告白してしまうのもいいかもね。」

 + + + + + + + + + + + + + + +

 不安そうな昼夏を残して、裏庭を後にする。
 やっぱり、冬貴さんは来た。

「僕は行けなくなっちゃったって、伝えておいてくれないかな?」

 そう言ってたけど、冬貴さんなら、昼夏の顔を見れば来ると思った。

「桜ちゃん……ヒルカちゃんは?」
「昼夏なら、まだいるよ。」
「あの子って、もしかして、君の文通の相手の子?」
「気付くの遅いって」

 何で、気付いちゃうんだろ。
 気付かなくていいのに。

「そうだったんだ。どおりで、似てるはずだ。」
「似てる? 誰が、誰に?」
「桜ちゃんが、ヒルカちゃんに。
 困ったら、俯くとことか。」
「……それは結構多くの人に共通すると思うけどなぁ……
 まぁいいや。それより、早く行ってあげなよ。お祭り誘ったの、冬貴さんなんでしょ?」
「そうだね。引き留めててくれて、ありがと」

 + + + + + + + + + + + + + + +

 冬夜さんが来た。

「遅くなったね。」
「い、いえ……その……
 体、大丈夫なんですか?」

 さっきまで桜のいたところに冬夜さんが座った。

「大丈夫だよ。今は安定してる。」

 今はということは、さっきまでは、大丈夫じゃなかったんじゃないのかな? だから、遅れるって……

「桜ちゃんと、何話してたの?」
「えと、その……昨日の、お祭りのことで……」

 正直になんて言えないよぅ……
 でも、やっぱりお祭りに行くのは……やめた方がよさそう。顔色がよくないし、疲れてるみたい。

「あのっ」
「なにかな?」
「お祭り、やめておきませんか?」

 桜は待っていてくれるかもしれない。
 後で、結果を伝えに行こう。

「──え?」

 そんなに意外だったかな。
 それとも、そんなにお祭りに行きたかったのかな。

「無理して体調が悪くなったら、元も子もないですし……」
「──じゃ、そうしようかな。」

 意外とすんなり、了承してくれた。

「ヒルカちゃんも怪我してるみたいだし」

 袖で隠してたんだけど、やっぱり、見つかっちゃったか。

「可愛い姿が見れただけでも、良しとしなきゃね。」
「あの、でも、その……言いたいことが、ある……、ですけど……」
「なに?」

 もう、ここまで来たら、言うしかない。
 桜には、なんだか悪い気がするけど。
 顔を上げて、冬夜さんの瞳をしっかりと見上げる。
 その顔色の悪さに、声が詰まった。
 さっきよりも、悪くなってる。
 早く終わらせなきゃ

「あの……ですね」
「うん」
「好きな人とか……いますか?」
「いるよ。付き合ってる人はいないけどね」

 もう、だめかも……絶対にフられる。

「好きです」

 さすがに短すぎた。
 こんなんじゃ、何にも伝わらないよね……っっ

「……えっと、ヒルカちゃんが?」
「はい。──冬夜さんのことが、好きですっ」
「……僕?」
「はい。冬夜さんです。」

 冬夜さんは戸惑っているみたい。
 当たり前だよね。
 こんな会ったばっかりのろくに可愛くもない子にそんなこと言われても、迷惑だよね……。

「えっと……それは、恋愛感情の方?」
「たぶん、そうです……」
「たぶん?」
「私、恋、したこと、ないので……」
「大事な初めてを、僕がもらっちゃっていいのかな……?」

 なんか少し違う意味に聞こえてしまうけど、それは私の勘違い、カンチガイ、勘違いに決まってるよね!

「ぇと、はい。」
「それは、付き合うってことだよね?」
「は……はい……もし、よければ……お願い、します……」
「う~ん……──ごめんね」

 徐々に俯いてしまっていた顔を上げると、冬夜さんは、頬を指先で掻いていた。
 予想していた答えだけど、でも、やっぱり納得いかない。受け入れてくれるはずだと思っていたわけでもないんだけど、なんか、違う。

「前にも言ったと思うけど、遠距離恋愛は望むところじゃないんだ。
──それに、高校も出てないような彼氏じゃ、ヒルカちゃんもヤじゃない?」
「そ、それは……、学歴なんか、関係ありません」

 何ですぐに言い切れないんだ私!
 そこは言い切るところだろう!

「そう言ってくれるのはうれしいんだけど、やっぱり、もっといい人を見つけて。
 君の初恋をこんな風に終わらせてしまうのは、なんだか申し訳ないんだけれど、ごめん。君と付き合うことはできない。
 ヒルカちゃんは可愛いんだから、もっといい人がきっと見つかるよ」
「お世辞なんか、いりません」
「お世辞じゃないんだけどなぁ~……」

 一昨日までと変わらず、困ったような顔で否定する彼は、やっぱり、人と距離を置いているように見えた。
 私は、その向こうに──冬夜さんの隣に、行けないんだ。

「……明日も、ここにきてもいいですか?」

 だめだよね。こんなことをした次の日なんて、居心地の悪いことこの上ないよね。

「ヒルカちゃんがいいんなら、僕はかまわないよ。
 帰る日まで、毎日きてくれたっていい。」

 つい、見返してしまった。
 こんなことを言い出した私も私だけど、了承する冬夜さんも、神経が太いというか……おかしいのではなかろうか。

「来年は?」
「来年も、僕がここにいたらね。」
「きっと、きます」
「ハハ……。
 じゃぁ、僕も来なきゃだね」
「絶対、来てくださいよ」

 二人で笑いあった。

 そうして、私の初めての告白は、散ってしまった。
 でも、反省もせず、次の日も、冬夜さんに会いに行こうと思った。

「……そういえば……訊いても、いいですか?」
「なにを?」
「好きな人って、誰ですか?」
「言った方がいいかな?」
「ぃ、ぃぇっ言いたくないなら、言わなくても、結構で……」

 後少しで言い終わるのに、私の言葉を遮って、冬夜さんは言った。

「ヒルカちゃんだよ」

 私はまた、耳を疑った。
 桜の時もだけど、血はつながっていないはずなのに、兄妹って、やっぱり、似るものなのかな?

「……え?」
「だから、ヒルカちゃん。
 君は、ヒルカちゃんだよね?」
「はい……そう、ですけど……」

 なんだか、桜の時と似たような展開に。

「さっき、私、フられました……よね?」
「フったね。僕が」
「どういう……ことですか?」
「僕も、ヒルカちゃんのことが好きだよ。もちろん恋愛感情で。
 でも、付き合うことはできないんだ。君の迷惑になるからね。
 だから、明日からも会いたいし、できることなら来年も会いたい。
 でも、きっと無理なんだ。」
「どう……して……?」
「僕はもうすぐ、死ぬからね」

 その言葉を聴いて、納得した。
 どうしてこんなに顔色が悪いのか。
 この、不思議な雰囲気も。

「……病気、ですか?」
「たぶんね。」
「たぶん?」
「誰も、教えてくれないんだ。
 薬は一応飲んでるけど、効き目があるのかどうかもわからない。
 去年の今頃は、病院のベッドで点滴の管がいくつも繋がれてたよ。」

 それ以上ききたくなくて、現実から目をそらして、私は一方的に別れを告げ、その場を去った。

「また明日」

 冬夜さんがそう言ってくれたのに、振り向くこともせずに。

 冬夜さんが死ぬ。それだけがずっと頭から離れず、いつの間にか私は、神社の境内で、桜の隣に座っていた。

「昼夏、元気だして」

 桜は結果が分かっていたみたいで、さっきから私を慰めてくれてる。

「……桜」
「なに?」
「冬夜さんの、病気って……?」

 桜は知らないかもしれないけど、きかずにはいられなかった。

「冬貴さんが、自分は病気だって言ったの?」
「……うん」

 桜は黙ってしまった。
 やっぱり、訊くようなことじゃなかったよね。

「ぇと……ごめん」

 桜のほうをみると、桜の瞳が潤んでいるのがわかった。

「……ごめん、言えない。」
「……ひどいの?」
「……もう、治らないかもって。」
「あんなに外にでてて、大丈夫なの?」
「最後くらいは好きにさせてやろうって。」
「本当に、最後なんだね……」

 沸き上がってくるものを、深呼吸をして押しとどめる。

「来年は、もう……だめかもしれないんだね……」

 やっぱり、押しとどめきれずに、少しずつ、流れてきてしまう。
 もう、なにも喋っちゃだめだ。ひどくなる前に、帰ろう。
 少しずつ、少しずつ、滴は落ちていって。固く踏みしめられた土に、染みをつくる。空も、一緒になって滴を落とす。
 雨から庇うように、桜が私を包み込んだ。

「いいんだよ。
……昼夏が泣く必要はない。
 もう、どうにもならないことなんだから。
 いくら涙を流したって、この世の不条理には、逆らえないんだから」

 私は、甘えてしまっても、いいんだろうか。
 こんな私を好きだと言ってくれた桜に。
 ひどいことをしたのに。

「……さくらぁ……っ」


 桜の胸を借りて泣いたら、すっきりした。
 幸い雨も弱いまま止んで、ちょうどよく涙のあとを消してくれた。

「あ、これ……」

 桜が持っていたのは、私が昨日貸したタオル。
 それで私の顔をこすり、濡れているところを拭いていく。

「また洗って返すよ。」
「い、いいよそんなの……桜は私についてて濡れちゃったんだし……」
「ううん。洗わせて。
 また昼夏に会う口実がほしいもん」

 そんな口実なんてなくてもまた会えるのに。

「ぇ……と、それじゃぁ……お願い、します」
「うん。
 怪我は大丈夫? 包帯とか濡れてない? 濡れてたら今取り替えるけど……」
「大丈夫。桜こそ、私を庇って濡れてない?」
「濡れてないよ。小雨だったから」
「そう? ならいいんだけど……。
 そろそろ帰ろっか。」

 あたりには、人影は少ない。
 先ほどの雨で、ほとんどの人が雨の当たらないところに避難してしまっているみたいだ。

「そだね。宿までおくってこっか?」
「ううん、いい。桜の別荘は反対側でしょ?」
「うん。じゃ、浜辺まで一緒に行こ。」


 翌日の朝、メールを開いてみると、桜から『伝言』という件名でメールが届いていた。

『冬貴さん(意中の君)は
 体調不良で
 今日は会うことができない
 と伝えて
 と、頼まれました』

 もしかして、私のせい……?
 昨日体調悪そうだったのに、わざわざ出てきてくれて、その後体調を崩しちゃった……?

『Re:伝言
 私のせいかな……?』

『昼夏のせいじゃないよ
 冬貴さんの
 自業自得だよ』

『もしかして
 あの後部屋に戻れなくて、雨に濡れてたりなんてこと……』

『大丈夫
 濡れる前に
 部屋に戻ったのは
 確認済み。』

 しばらくメールのやりとりをして、不安になって宿を出た。

『今からいくね』

 いざ別荘の門の前に立つと、建物の大きさがよくわかる。
 こんな広いところに、二人で住んでるんだ……
 お手伝いさんがいるとか、そういったことはきいていない。
 きいてないだけで、いるかもしれないけど。
 冬夜さん、大丈夫かな……

 呼び鈴を鳴らす。

『昼夏?』

 そう、音声が聞こえた。
 頷くと、『すぐいくから待ってて』と言われた。
 これは、桜の声なのかな。
 すぐに玄関の扉が開き、桜が出てきて、門の前まで来た。

「冬貴さんには、会わせられないよ」
「うん……わかってる。
 冬夜さん、体調は、大丈夫?」

 そのまま門を挟んで話す。
 桜は、中に入れてくれる気はないようだった。

「……詳しいことはわからないし、言えない」
「やっぱり、私のせいかな……」
「違うってメールにも書いたでしょ?」

 書いてあった。でも、それが本当だとは思えない。
 どうしても、私のせいな気がしてしまう。

「確かに、昨日は無理してた。」
「じゃぁ──」
「……でも、あの程度の無理は、最近ずっと続いてた。」
「最近……」
「だから、昨日の昼夏のせいじゃない。」

 やっぱり、私のせいなんだ……。
 あの浜辺で冬夜さんと会って、それから昨日まで、ほとんど会ってた。
 ずっと、無理をしてたんだ。
 私のために──私のせいで。

「大丈夫? 昼夏」
「……うん。
 ごめんね。ここまで来ちゃって。」
「ううん。それはいいけど
 ……ちょっと待ってて」
「なに?」
「すぐ戻るから」

 そう言って、桜は建物の中に姿を消した。
 急にどうしたんだろ。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 昼夏は、僕の言葉なんて信じてない。
 もう、僕のことなんて、必要としてない。
 僕は、冬貴さんのついででしかない。
 もう、こんなのは、終わりにしなきゃ。
──ごめんね。昼夏。
 すべては、僕が悪いんだ。
 悪いのはすべて、僕なんだ。

 だから、最後にわがままをきいて。
 最後のお願いだから。

 昼夏──大好きだよ。
 たとえこの世の誰もがあなたを嫌ったって、憎んだって、どんなに醜くったって、人間でさえなくっても、僕だけは、貴女を……

 + + + + + + + + + + + + + + +

 門の前に座っていると、桜が着替えて出てきた。

「はい、これ。
 ありがと」

 差し出されたのは、土曜日に私が貸した、あのタオル。

「遅くなってごめんね。」

 これによって口実を作ってまた会いたいと言っていた桜がこれを返してくれるということは、もう、口実を作る必要はないということ。
 会う必要は、ないということ。
 これは、桜から私への、別れの挨拶。
 もう会いたくないという、意思表示かもしれない。

「宿までおくるよ」

 門の向こうからこちら側へ出てきて、私の手をつかむ桜。
 つい、顔をしかめた。
 怪我をしていて触ると痛いことは、桜にもわかっているはずなのに。
 まるで、その痛みによって自分の存在を示すかのように。硬く、強く私の手を握った。
 引かれるがまま、痛みに引かれ、前へ進む。
 宿までの短い道、私たちは、無言だった。

「じゃぁね」

 またね。とは、言わなかった。
 次はもう、ないのだろうか。

「──桜っ」

 去っていこうとする桜の背に、呼びかける。
 桜は顔だけ振り向き、足を止める。

「また、会えるよね──?」

 弱々しく、その美しい顔には不釣り合いな笑みを、その顔に張り付けて。桜は何も言わず、今度こそ、去っていった。

 + + + + + + + + + + + + + + +

「冬貴さん、入るよ」

 桜は義兄が眠っていることを確認し、ゆっくりと、静かに部屋に入った。
 ベッドの横に立って、彼の寝顔を眺める。
 その血の気の失せた顔は、放置しておけば、すぐにでも死んでしまいそうだった。

 でも、そんなの待てない。
 だからもう、お別れだね。
 短い間の、兄妹だったね。
 さようなら……。
 悪いのは、全部僕だから……。
 僕しか悪くないのに……。
 僕の逆恨みに巻き込んじゃって──ごめんね。

 彼の両頬に手を添え、それを下へ滑らせる。
 細く、簡単に折れそうな頸を両手で包み、後は、軽く押すだけで、彼は呼吸を止めるだろう。
 病気の苦しみから、解放されるのかもしれない。
 死後もなお、別の苦しみがあるのかもしれない。

 でも、何で、できないんだろう。
 後は力を入れるだけ。
 それだけで、終わるのに。
 やっぱり、だめなのかな。

「……昼夏ぁ……ッ」

 声にすると、やっぱり、だめだ。
 昼夏は絶対に、こんなことは望んでない。
 こんなこと、やめさせるに決まってる。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 薄目をあけた咲貴は、瞳を潤ませる義妹を見た。
 首に当てられているのが彼女の手だとも、判った。
 それを払おうともせず、ただ、瞳を潤ませて特別な人の名を呼ぶ義妹を、見つめた。

 どれだけそうしていたのだろう。
 義妹は涙ぐみながら、手を動かそうともしない。

「……どうしたんだい……?
 かわいい顔が、台無しだよ……?」

 咲貴の声をきいて、桜は目を見開き、大粒の涙が、咲貴の上の布団を濡らした。
 ついで唇を引き結んで涙をこらえる義妹の頬に、手を添えた。

「……なにが、あったんだい?」

 桜は両の手に力を込める。

「冬貴さん、死ぬのは……怖い?」
「……怖くないはずないさ」
「死にたくない?」
「──死にたくないよ」

 そう言いながらも、咲貴には抵抗するそぶりも見られない。

「……なら、何で……なんで、僕の手を、どかさないの?」
「そうされるに値するだけのことは、したと思ってるからね。」

 桜は手を離した。
 頬に当てられていた義兄の手の甲を軽くつねる。

「……また来る」

 桜はそう言って部屋を出ていった。
 咲貴はそれを見送った後、つねられて赤くなった手の甲を光に翳し、一言。

「……痛いよ、桜ちゃん」

 それは果たして、手の痛みなのか。

 + + + + + + + + + + + + + + +

 その夜は、なかなか眠れなかった。

 桜、大丈夫かな……。
 なんか、とても思い詰めていたように思う。
 いやな予感がする……。

 朝御飯を食べ、身支度を整えると、すぐに旅館を飛び出した。

「怪我しないようにねー!」

 お母さんが心配してそう声をかけてきたけれど、それになにも返さず、桜の別荘を目指した。
 一昨日の怪我は、派手に転んだだけだと言ってある。
 実際そうだから、他に表現のしようがないんだけど。

 いざ門の前まで来て、自分の考えのなさを悔いた。行くって伝えてないし、こんな時間、迷惑だよね。
 でも、一応呼び鈴を鳴らしてみる。

『はい……どちら様ですか?』

 声は、桜だ。

「桜、あの……昼夏だよ。」
『こんな早い時間に、どうしたの?』
「何となく、桜の顔を見たくなって……」
『メール、見てないんだね。』
「メール……」

 今朝は、チェックするのを忘れてた。

『今日も冬貴さんの体調が優れないから、会いに来ないでって、送ったんだけど』
「ごめん……見てないや」
『うん。こんな時間に訪ねてきたことからも、それは判るよ。
 でも、冬貴さんに会わせることは、できないよ?』
「うん、それは……今はいいや。」

 また体調を悪化させてしまっても悪いから。

「──桜、直接会って、話、できないかな。」
『いいけど……今、手が離せないから、僕の部屋まで、来てくれる?』
「どこ?」
『玄関を入って正面の階段を上がって、左奥の右側にある。』
「勝手に入っていいの?」
『いいよ。今この別荘には僕と冬貴さんしかいないから。
 少し待ってて。門の鍵を開ける。』

 ガチャンと音がして、門が僅かに揺れた。
 自動ロックなんだろう。

『そのまままっすぐ入ってきて。
 何だったら、屋内放送入れるけど?』

 そんな機能も付いてるの?

「い、いらない……恥ずかしいもん」
『うん。だよね。』

 そこで、声が切れた。
 意を決して門を開け、中に入る。
 広い庭には、背の高い向日葵が咲いていた。
 玄関の扉も鍵が開いていたから、あけて、中にはいる。
 正面にある幅の広い階段を上り、左へ。
 突き当たりにある大きな窓からは、あのベンチと、向こうには陽に輝く海が見えていた。
 右の部屋のドアをノックする。

「昼夏だよね? そのドア外開きだから、ちょっと下がって。」

 中から聞こえたのは、桜の声。
 あけられた扉の向こうは、生活感のないきれいな空間だった。

「入って。」

 中には一人掛けのソファが3つと、角に木製の机と椅子があるだけだった。

「適当に座って」

 桜は疲れているみたい。
 急いでいたのか整え切れていない髪型や皺の付いた服がそう見せているのか、目の下の薄いクマのせいか。

「話したいことって、なに?」
「えと、特に……ないんだけど……顔が、見たくなって……」
「なんで?」

 桜は私の斜向かいに座った。

「なんか、不安で……」
「何かあったの?」
「ううん、何でもない。
 桜が元気なら、それでいいの」

 嫌な予感が、現実になっていなくてよかった。

「……そう?」
「ぅ、うん」
「じゃぁ、僕は少し冬貴さんの様子を見てくるよ」

 そう言い、桜は腰を浮かせた。

「……ついてっちゃ、だめ、かな……?」
「ごめん、許可できない。
 冬貴さんは昼夏に会うと興奮して自分の体のこと忘れちゃうから。」
「そ、そっか……」
「何か伝えたいことあるなら、伝言受け付けるけど?」
「ぃ、いいや。」
「そう? じゃ、行ってくる。
 ついてこないでね」

 そう念を押して、桜は部屋を出ていった。

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「冬貴さん、入るよ」

 冬貴さんは昨日から体調が優れないようだから、まだ眠っているかもしれない。
 朝ご飯は消化にいいようにお粥を用意して、7時頃に運んでおいたが、食べただろうか。
 部屋に入ると、上半身を起こしていて、今まさに食事中だった。

「……おはよう、桜ちゃん。
 今日のお粥もおいしいね」

 血の気の引いた顔で薄笑いを浮かべて、朝の挨拶をしてくる。

「おはよう。
 せっかく来たのに、また出直さなきゃね」
「……うん。そうしてくれるとありがたいな。
 ──昨日の続き?」
「そのつもり。
 今日も冬貴さんの体調が優れないから来ないで。て、昼夏にメールしたんだけど、読んでくれなかったみたいで、さっき来たけど、追い返したよ。」

 こんな嘘、ついてなんになるんだろう。
 何となく、口をついてでてしまった。

「でも、読んでたとしたら、もう、会えなくなっちゃってたんじゃないのかい? 読んでいなくて、よかったじゃないか。
 ……でも、これで、ヒルカちゃんにはもう会えなくなっちゃったね。」
「そうだね。そこは謝っとこうかな。
 でも、僕に限っては仕方がないよ。
 ──僕が、そうするんだから。」

 僕は罪人になって、冬貴さんのお葬式は早まって、母さんたちの入籍はなくなるかもしれない。
 昼夏はきっと悲しんで、その事実を、僕の母からでもきくのだろう。

「君がそれを思いとどまれば、君は明日からもヒルカちゃんに会えるし、僕は放っておいてももうすぐいなくなって……、もしかしたら父さんたちの入籍もなくなって、君は僕のお葬式に出なくても済むかもしれないよ?」
「僕はあなたが病気で死んでくのは許せないかな。
 あなたが死んでも、昼夏の中の『冬夜さん』は生き続けて、僕の邪魔をするんだから。」

 冬貴さんが初めっからいなくったって、僕は昼夏の横には居られなかったから、これはやっぱり逆恨みなんだろう。

「──昼夏の中の『冬夜さん』は殺せないから、現実(こっち)のあなたを殺したいんだよ」
「そうなんだ。
……ごちそうさま。」

 冬貴さんはきれいになった器に木製のスプーンをおいて、律儀に手を合わせて目を伏せた。

「心残りはある?」
「もうこんなおいしいご飯が食べられなくなると思うと、寂しいかな」

 本当は、そうは思っていないくせに。
 心残りは、昼夏と過ごした時間の短さくらいだろう。
 元々、執着の薄い人間なのだ。他人に関心を持ったのなんて、出会ってから3年間、昼夏だけだった。

「……そ。
 食器は洗っとくよ。こっちに頂戴」

 食器を洗ってから、引き出しを探る。
 裁縫用具の中にあったアンティークな裁ち鋏を引っ張りだし、ポケットに入れ、部屋に戻った。

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 桜、遅いな。
 冬夜さんに、何かあったのかな……?

「ただいま」

 桜が部屋に戻ってきた。

「お帰り。遅かったね、桜」
「ごめん。ちょっとね
 昼夏はまだここにいる?」
「えと、迷惑だよね……」

 なにをするでもなく、ただ居座ってるだけなんて、迷惑以外の何でもないよね。

「ううん、いてもいいよ。
 何ならお昼も作るし」
「い、いいや……
 もう帰る。」

 さすがにそこまで迷惑をかけるわけにはいかないよ。

「そう?
 じゃ、宿まで送ってく。」
「いいよ。まだ午前中だし」
「じゃぁ、門まで。」

 門まで桜に付き添われて、「ばいばい」と、別れを言う。やっぱり桜は、またね。とは、言わなかった。なんでこんなことが気になるんだろう。なんだかネガティブになっちゃってる。
 別荘から旅館までの道の3分の1ほど来たあたりで、やっぱりいてもたってもいられなくって、急いで引き返してしまった。

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 昼夏の背中が見えなくなって、もう訪ねてこないように祈りながら、誰にも邪魔されないよう、電源ブレーカーをおろした。
 まっすぐ冬貴さんの部屋に向かう。
 ポケットの中には、ちゃんと鋏がある。

「冬貴さん、入るよ」

 冬貴さんからの反応はなかった。
 部屋に入ると、目を閉じ、静かな寝息が聞こえた。
 これが演技でないという確証はもてなかったが、目覚めようとしないのならば好都合だ。
 傍らに立ち、見下ろす。
 もうこれで、お別れ。
 あなたのこと、そんなに嫌いじゃなかったけど、ごめんね。
 僕はもう、こうするしかないんだ。

「……桜ちゃん」

 どうして、今起きるの?
 死を拒むの?

「──誰かが玄関から入ってきた。
 きっと、ヒルカちゃんだよ」
「そんな嘘、信じない……。」

 この部屋からは玄関も門も見えないはずだ。
 扉の開く音だって、そんな大きなものじゃない。

 鋏を振りあげたとき、階段を誰かが駆けあがる音がした。
 玄関の鍵、締め忘れてたかも。
 この部屋のドアが、少しあいた。
 誰かが入ってくる。
 誰に見られたって、関係ない。
 結果は、変わらないのだから。
 そんなことには構わず、振りおろす──。

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 呼び鈴を押すも、音が鳴らないし、反応もない。
 門の鍵は、開いてる。
 まだこの変な感じは払拭されていない。
 ごめんね、桜
 勝手に入ることを許して。
 門を開け、向日葵の間を抜け、玄関の鍵も開いていたので中に入っていく。
 階段を駆けあがり、桜の部屋の前まで来てとまる。
 やっぱり、どうして来ちゃったんだろ。

……背後で物音がした。
 ハッとして振り返ると、そこには扉が。
 向かいの部屋だ。
 中では、桜と冬夜さんの声がした。
 そっとノブを回し、隙間から中をみると、桜が鋏を振りあげていた。

──止めなきゃ

 何となく、桜がなにをしようとしているのかも理解せず、勝手にここまで来たことも忘れ、二人の間に飛び出した。



 病院のベッドの脇にはお母さんがいて、桜も暗い顔で座っていて、お父さんはなんでかいない。
 結果だけ述べると、私は桜に鋏で腕を裂かれてしまったから病院に運ばれて、腕の傷は何針か縫ったけど、もう神経はだめかもしれないって。
 遊んでたら怪我したってレベルじゃないけど、お母さんにはそう言いはった。
 桜にも、そういうことにしてって頼んだ。

 入院もせずに午後にはもう旅館に帰った。
 しばらく腕はあまり動かすなって。骨折でもないのに。
 3日くらい通院して、消毒とか何かして、10日位したら抜糸もした。
 その間、もちろんだけど海の方に近寄れなくて、冬夜さんと桜のあの別荘にも訪れていない。こんなことがあってすぐに訪ねようと思えるのも、変なのかもしれないけど。
 抜糸をした次の日、もう旅行はやめて家に帰ろうってことになった。
 例年なら後一週間は留まってるのに。


 冬夜さんにお別れは言ってない。
 桜にメールで冬夜さんの体調が悪化してきてるってきいてたから、訪ねて行っては悪いと思ったから、お別れは桜に頼んでおいた。
 あの日以来、桜にも会ってない。

 怪我をしたのが利き腕で、他に何もできなくて、メールを確認する。
 桜からきていた。
 なんだろう。

 件名は、なし。

 開いてみると、

『冬貴さんが死んだ
 お葬式は家族だけの予定』

 ただその二文が、かかれていた。
 すぐにこうなるだろうとは思ってた。
 でも、こんなに早くくるなんて……。
 そう思っても、涙はでない。
 私は、冬夜さんのことが好きなはずなのに。
 こんな時でも、涙はでないものなのか。
 神社では、泣いたのに。
 まだ実感がないんだろうか。



 夏休みもあけ、私は普通の学校生活に戻った。
 左手で字を書いていても、弁当を持たずに食べていても、誰も気にもとめなくて。
 時々思い出したように涙をこぼして。
 何でか、ふとした瞬間に、こぼれてくるんだ。
 原因も理由もわからないんだけど。
 冬夜さんが死んだってきいたときには、でなかったのに。
 桜とは、文通を続けてる。
 名前は、冬夜 桜に変わった。
 右腕は、動かなくはない。細かい動きは苦手になったけど、つかんだり離したりはできる。でも、まだ傷口はふさがっていないから、しばらくは重いものはもてないし、制服も、夏真っ盛りなのに長袖のままかな。

季節外れ

季節外れ

季節外れですが、浜辺とか祭りとか。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-10-03

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