幼馴染との小さな青春

自分の処女作です。生暖かい目で読んでくださると幸いです。

第1話 不登校の理由

 今日も退屈だった授業が終わる。クラスメートはホームルームが終わるなりすぐに教室を飛び出し、部活をやりに部室へと急いだり、家に帰宅したりする。

 僕の通っている高校は部活動がまあまあ盛んなところだから、大半の人たちは前者に属するけど、僕は後者だ。特別運動も好きではないし、家に帰って自由な時間を過ごした方が楽しいと、僕は思っている。

 あ、自己紹介を忘れていた。僕は外山(とやま) 成(しげ)貴(き)。私立漣(さざなみ)高校の一年生。学年での成績は上の中、素行良好、先生からの評価もそれなりに良い。簡単に言うとこんな所かな?

 今日も何気ない一日が終わろうとしていた。校門を出て、気だるげに、でも着実に自宅へと歩みを進める。今日は特段疲れた気がする。なぜだって? あいつが、あいつがいなかったから。あいつさえいたら、ここまで疲れることは無かった。

 あいつっていうのは、僕の幼馴染、小池(こいけ) 史奈(ふみな)。小学校3年生からの知り合いで、小・中・高と同じ学校だ。今は同じクラスに属していて、それなりに仲良くやっている。俗に言う腐れ縁ってやつだ。ボーイッシュな雰囲気があって、かなりさばさばした性格だけど、僕は個人的に気に入っている。ちなみに僕はこいつのことを「フミ」って呼んでいる。僕は「シゲ」って呼ばれている。僕は家に着くと、すぐに制服から私服に着替えた。

 そして茶の間に向かうと、少しのお菓子とペットボトルに入った水を手に取る。それらを鞄に詰め、僕は家を出た。どこに行くかって? 当然、フミの家さ。

 僕とフミの家はそう遠くない位置にある。徒歩で5分もあれば着くと言った方が分かりやすいだろうか。到着してインターフォンを押すと、フミのお母さんの声が聞こえてきた。

「すみません、外山ですけど」
「ああ、シゲちゃん。いつもありがとうねえ。さあ、入って」

 僕は顔パス同然でフミの家に上がる。やはりあいつは自室に閉じこもっていて、出てくる雰囲気が感じられない。僕はフミの部屋のドアを数回ノックして反応を窺った。想像していたが、返事はない。僕はたまらなくなって声を出した。

「フミ、僕だよ。シゲだよ!」

 あくまでも笑顔で声を掛けた。あいつには見えていないってわかっていても、どうしてもそうしてしまう。すると、部屋の奥から誰かがこっちに向かってくる音がした。おそらく今まで座り込んでいたフミが立ち上がって、ドアを開けようとしているのだろう。直後、ドアノブをひねる音が聞こえたかと思うと、そこから姿を現したのはあいつだった。肩の長さに満たない黒髪、すらっとした身体。まぎれもなくフミだった。

「……シゲ。今日も来てくれたの」
「当たり前だろ? 中、入れてよ」
「仕方ないな」

 フミは俯き加減で僕を中に入れる。昼間だというのにカーテンは閉じられていて、部屋は物が散乱していた。何時ものあいつだったら几帳面すぎて、服の汚れをほろう事さえ怒られるはずなのに、今は違う。

「これ、良かったら食べて」
「いつもありがとう」

 フミは相変わらず無表情だ。お菓子には全く手を付けない。しかし水に口をつけると、そのまま半分ほど飲み干してしまった。よほど喉が渇いていたんだな。僕はそんなフミを悲しげに見つめていた。

「で、今日は何の用?」
「散歩にでも出かけようよ。最近、外出てないでしょ?」
「……そうだね。シゲが言うなら。着替えるから、ちょっと出て」

 僕はそそくさと部屋から出た。直後、すかさず茶々を入れる。

「フミの着替えなんて、誰が見ても得しないよ。まな板なんだから」
「五月蠅いな。気にしてるんだよ」

 少しのジョークになら対応できるようになったのか。最初の頃は、そんなこと言ったら本気でふさぎ込んで、外出どころの話じゃなかったのに。ドアの向こうからもそもそと着替える音がする。フミの私服姿を見るのは久し振りだった。どんな服装で来るのだろうか。数分後、あいつはゆっくりと出てきた。

「お待たせ。誰がまな板だ!」

 フミは出てくるなり、僕の頭を叩いた。でも、力はなかった。

「痛いな。そこまですることないだろう?」
「さっさと行こう」

 フミは今風の格好で登場した。でも、依然として髪はぼさぼさのままだ。そのせいで服装が随分と浮いて見える。でもあいつは気にしていないようだった。虚ろな目で公園に足を運ぶと、あいつは訳もなくブランコをこぎだした。

「なんかさ、私が不登校になったせいでみんな喜んでいるよね」
「喜んでなんか……」
「いいよ、擁護しなくたって。私、ちょっとみんなに厳しいところあったし」

 フミは僕のクラスをまとめるリーダー的存在だった。学校に余計なものは持ち込むな、飲酒喫煙は禁止、まともなことしか言っていなかったのに、周囲からは冷たい目で見られていた。そのせいでクラスの女子からは疎まれ、仲間の輪から外されていった。今思えば、それが仲間と言えるかどうか疑わしいけど。

「それは、フミに嫉妬していたからじゃないかな? フミ可愛いし、頭いいし」
「だから、変な男たちに執拗に付け回された」

 フミの表情が険しくなる。無理もない。クラスから疎外され始めたころ、他のクラスから男子が寄り付き始めたのだ。あいつはうちの学年の中でも美形だと評判らしく(僕はそう思わないけど)、他クラスの間で、あいつがいじめられていると噂が立った途端、狙ったかのように男子が包囲してきた。

「小池さん、何かあったら僕に言ってね」
「いつでも俺に相談して」
「何か力になれることがあったら、いつでも俺に連絡して!」

 中にはSNSのIDが書かれたメモ用紙を握らされたこともあった。友達として登録してくれるとでも思ったのだろう。ちなみにこのメモ用紙、あいつは家に帰った直後に破り捨てたとのこと。そりゃそうだ。

「私さ、こんなことばっかりだったからストレスたまっちゃって」
「そうだよね。僕もあれが起きなかったら気付かなかったよ」

 あれとは、ストレスを溜め続けた結果、フミの体にある異変が起こったことだ。僕とフミが一緒に登校していたある日のこと、フミの顔が突如険しくなった。

「ちょっと、大丈夫?」

 僕が声を掛けても、フミは顔をしかめて首を横に振るばかりだ。僕はあたふたすることしかできなかった。そして少し経った後、事件は起こった。

 フミは大量に吐血したのだ。赤々とした血が、僕の制服を濡らす。僕は凍りついてもたれかかったフミを見つめる。でも、あいつはどこまでも冷静だった。

「……車」
「な、何?」
「救急車、呼んで」

 僕はフミの言うとおりにして、救急車を呼ぶ。現場には野次馬がたかり始めていた時で、僕はフミの顔を見せないように、彼女の顔をかばうような体勢になっていた。

「僕、必死だったよ」
「何が」
「フミを守ろうと」
「守る? 確かに、あの時ばかりは守られたのかもね」

 あいつは未だに刺々しい態度だった。ブランコをこぐのをやめると、すぐ隣のベンチに座った。帽子を目深にかぶり、顔を見られまいとしている。ちょうど、うちの高校の奴らが部活から帰ってくる時間だったからだ。

「学校に来なくなって、どれ位経つっけ、私」
「もう3週間は来ていないよ」
「そう」

 こんな感じの会話がしばらく続いた。何時もだったら笑い合って、時には真剣に向き合って、時間が経つのも忘れるくらいに会話していたのに。人の声が聞こえてくるたびに、フミは必要以上なほど俯いて逃れようとする。よほど他人と接するのが怖くなってしまったのか。特に男性の声がする時には、身を隠すようにどこかへ行ってしまうこともしばしばあった。

「こんなに派手に動いたら、逆に目立つよ」
「そうだね、気を付ける」

 フミは再びベンチに戻り、冬眠中の小動物のように体を縮こませる。これじゃあ外出した意味がないじゃないか……。僕がため息をつくと、フミも息を吐いた。

「ごめんね、無理に連れ出したりなんてして」
「気にしていないよ」
「それより、そろそろ暗くなるから帰ろうよ。女の子を一人で歩かせるのは危険だから、僕が一緒に付いて行くよ」
「シゲと一緒か。頼りないな」

 そういいながらも、フミは僕の隣で歩いてくれた。顔には明らかに怯えの色が走っていた。明るかったフミがこんなになってしまったのも、全てはうちのクラス、他クラスの男たちのせいだ。僕は少しばかり憎しみの感情さえ覚えてしまう。

 歩いている間、会話はなかった。多分、その方がいいのかもしれない。公園からフミの家まではそう遠くはないのだが、沈黙とは恐ろしいもので、まるで数キロ先の家を目指しているかのような遠さを感じた。もっとも、僕が歩みの遅いフミに合わせているのも一因かもしれないけど。フミは相変わらず俯いて、高校生の集団を避けるようにして歩いている。その中には僕と同じクラスの女子もいて、二人とも肝を冷やした。

 結局家に到着したのは、日が傾きかけたころだった。

「ごめんね、遅くまで付き合ってくれて」
「いいよ。フミ、明日は学校来てくれる?」
「……考えておく」

 あいつの「考えておく」は、「行かない」と同義語だ。僕は小さく、「そっか……」、とため息交じりに呟いた。そして互いに手を振って別れる。この日もあいつの笑顔は見られなかった。それが一番の後悔だった。



 自宅に着くと、SNSに新着が入っていた。誰だと思ってみてみると、クラス共同のグループチャットからだった。今度は何だ? 覗いてみると、このようなことが書かれてあった。

『来週の土曜日に体育大会の練習があります。男子はサッカー、バレー、ソフトボール。女子はバレー、ソフトボール、ドッジボールです。全員参加でお願いします!』

 一年生なのに気合入っているな。こういうのは三年生に勝ちを譲ってあげるものじゃないの? 僕が苦笑したのち、新着コメントが入ってきた。

『なお、練習終了後にはスペシャルな企画を予定しているので、楽しみにしていてください 笑』

 こいつらが言うスペシャルな企画は、大抵ろくでもない。学校祭の打ち上げの際に行ったスペシャル行事は、みんなで年齢詐称して居酒屋で飲みに行くというものだったし、夏休み中に学校主催で行われた勉強合宿の終わりに行われた行事は、朝の四時までボーリングをするという、個人的に過激極まりないものだった。幸いにも両方とも僕たちは逃げるように参加を逃れたけど、あとで聞くと一部の人が吐くまで飲んだり、他校の生徒にケンカを売ったりと好き放題やったという。僕はフミにSNSでコメントを送った。

『またスペシャルな行事をやるらしい』

 半ば愚痴のように書いたコメントだったが、あいつは律儀に返してくれた。

『また? もううんざり』

 フミも辟易しているようだった。普通に考えたらそうだが、僕のクラスの人間は普通じゃない。何しろズボンのポケットに煙草を隠し持ち、中学生で経験人数が二桁を突破している奴らがごろごろいるところだ。その後も愚痴トークは続き、僕たちは久し振りにSNSでまともな会話をしたように感じた。

第2話 イジメ

 翌朝、僕はいつものようにフミの家の前に立つ。わずかな望みを託して、あいつが出てくるのを待っているのだ。でも、出てきたのはあいつのお父さんだけだった。

「あ、おはようございます」
「外山君か。何時も済まないな。史奈のこと」
「いいえ、いいんですよ」
「僕からも何回か言ってはいるんだけどねえ」

 どうやらフミの両親は、あいつのことに関して苦労しているようだった。不登校の娘を持つのは、どんなに辛いことだろうか。

「学校、これからでしょ? 遅れるから、早く行きなさい」
「はい。今日はこの辺にしておきます」

 この日もあいつは出てきてくれなかった。僕はとぼとぼと歩いて学校へと行く。もうそろそろ慣れてもいいはずなのに、なぜか心が重い。帰りにまた、あいつの家に寄ろうかな。そう考えているうちに、僕は学校の前に立っていた。なんだか惰性で来ているような気もしたが、そこは深く考えないことにした。

 廊下を歩いていると、リア充している雰囲気の男女が手を繋いで歩いている姿が散見される。僕の学校ではつい先月、学校祭が行われた。そこでは「学祭マジック」なるものが頻繁に起こった。それは学校祭の雰囲気に任せて男女が告白をするという、ふたを開けてみれば至極シンプルなことである。特に人付き合いが活発になり始める1年生に多く、その結果が僕の視界に入ってくる光景というわけだ。

 朝っぱらからキスをせがむ女子とそれをあっさりと受け入れる男子。フミが見たら発狂すること間違いなしだ。あいつはカップルのいちゃつく姿を見るのが大嫌いで、僕と歩く時でさえ、カップルと間違われないように距離を置いて歩けと言われるほどだ。僕だって、こういう光景を見るのは胸糞悪いことこの上ないし、間違ってもフミからそんなことを頼まれても、断固拒否するだろう。というか、想像できないし、したくもない。

 教室に着くと、僕はとんでもないものを目にした。

「……え?」

 僕の隣にいるフミの机の上に、花束が置かれていたのだ。しかもそれは適当に何処かから採ってきたというのが見え見えで、中には萎れているものもある。いたずらにしたって、これは悪質だ。僕はついにキレた。この光景を写真に撮った後、花束みたいな何かを掴み、教卓の上に叩きつける。

「誰がこんなことしたの!」

 その場にいた人たちはびっくりしたらしく、一斉に僕の方へと視線を寄せる。

「小池さんはただ単純に学校に来ていないだけだ。それをこんな演出までして、会いたくないっていうのか」

 すると、クラスのみんながざわついた。

「誰だよ、小池が死んだって言ったやつ」
「俺じゃねえ。あそこの女子の集団じゃないの?」

 なんと、フミはクラスの中では死んだ設定になっていたのだ。僕はその場にへたり込みかけた。全身の力が抜けていくような気がする。すると、ドアから数人の女子の集団が入ってきた。そいつらはうちのクラスでも特にうるさい連中で、しばしば先生ともいさかいを起こす。それだけやんちゃなので、うちの男子たちは逆らえないらしい。

「どうしたの? こんなに騒いで」

 その中のリーダー格である米倉(よねくら) エリスが、一人の男子に声を掛ける。明らかに校則違反だと思われる髪の色に、おおっぴらにさらけ出されている耳に付いたピアス、スカートは今にもパンツが見えそうなくらいの短さ。更に化粧の濃い顔。典型的な「ギャル」である。

「外山がなんか言ってるんだ」
「ふうん、外山君、何かあったの?」

 僕は先程起こっていた状況を詳細に説明した。すると、米倉の後ろにいた女子たちがクスクスと笑い始めた。心なしか、米倉も途中から笑いをこらえて僕の話を聞いていたような気がする。

「何がおかしいの」
「何がって、あいつ、まだ死んでなかったんだってこと」
「……は?」
「だから、あいつ、まだ死んでなかったんだねって。あいつ、気に入らなかったんだ。私のグループに入ること拒みやがったし、変に優等生ぶっていたし、早く死んでくれないかなーって、思ってたんだ」

 女子たちの笑い声が教室に響く。僕は言葉も出なかった。フミがこんな理不尽な理由で嫌われていて、死んでもなんとも思われない。むしろ昨日あいつが言っていた通り、不登校になって喜んでいる奴もいる。

「学校来ていないだけなのに、これは無いんじゃない?」

 僕は僅かに残った力を集中させて言葉を絞り出した。しかしこいつらには聞こえていないらしく、授業が始まる直前までげらげらと笑っていた。ホームルームが終わった直後、僕はとてつもない倦怠感に襲われ、保健室へと足を運んだ。

「あら、今まで見たことない顔ね。どうされましたか?」

 保健室の先生が僕を見て微笑を浮かべる。椅子に崩れ落ちるようにして座ると、僕は力なくつぶやいた。

「僕、どうしていいかわからないんです」
「何かありましたか?」

 漣高校の保健の先生は、スクールカウンセラーの役目も兼ねている。学校でうまくいっていない時、恋愛で悩んでいるときなど、ここの先生は的確な答えを出してくれると評判が高い。なんでもよその学校などでカウンセリングについての講演会まで行っているらしい。先生は、僕の憔悴しきった顔をまじまじと見つめる。

「今日の朝、僕の幼馴染のことについて騒動がありました」
「それは何?」
「幼馴染はクラスで疎外されていて、現在不登校の状態です。それを誰かが、死んだことにしようって……。机の上に粗末な花束が置かれてありました」
「それはひどい。で、そのことは幼馴染には言ったの?」
「いいえ、まだです。更にふさぎ込んじゃったら、周囲に迷惑がかかりますから」


 僕はため息しかつくことが出来なかった。何で僕はこうも無力なのだろう。すると、先生が少しだけ明るい声で僕に言った。

「私が担任の先生にこのことを言っておきます。多分、幼馴染の子には一度ここに来てもらうことになるでしょう」
「え? どうして。あいつは、ここに来たくないって言ってるんですよ!」
「話さないとことは進みません。どうか理解して」

 先生のあまりの勢いに、僕は閉口してしまった。とりあえず、今日起こったことをあいつに言わなくては。僕は自宅に帰る前に、あいつの家に寄った。

「どうも、お邪魔します」

 いつも通りと言っては何だが、フミの部屋の前に立つ。ドアをノックするが、やはり返事はない。すると、フミのお母さんが僕の肩を叩いた。

「どうしたの?」
「いつものことですよ。出てこないんです」
「そうなの。史奈、出てきなさい。成貴君が来ているよ」

 しかし、フミはそれでも出てこない。お母さんは呆れていたみたいで、深々とため息をつく。そしてドアノブをひねり始めた。

「いいんですか? 勝手に開けて」
「親だからいいの。史奈、入るよ」

 どうせ鍵をかけているんだろう。僕はそう思ったが、この日はそうじゃなかった。鍵をかけていなかったことに肩透かしを食らいながら、僕たちは部屋の中を見渡す。

「史奈。いるんなら返事しなさい」
「フミ、僕だよ」

 カーテンを閉めたままの薄暗い部屋。何気ない光景なのに、なぜか胸騒ぎを覚える。フミはいつもいるはずのベッドには寝ておらず、もぬけの殻だった。いよいよ不安になった僕は部屋から飛び出し、家中を隈なく探しまわった。

「フミ! いたら返事して!」

 すると、台所の近くに色白の手が見えた。まさか……。僕が駆け寄ると、そのまさかだった。フミが自分の手首を切って、自殺を図っていたのだ。顔は青白く、目を固く閉じている。手首からは赤黒い血液が流れ出て、その近くには新品同然の包丁が転がっていた。

「あああああ!」

 僕は涙を流しそうになりながら絶叫した。その声にフミのお母さんも気付いたらしく、慌てて階段を駆け下りてくる。

「救急車、救急車呼んでください!」
「何があったの……」

 言い終わらないうちにフミのお母さんは絶句し、その場に崩れ落ちた。僕は我に返ってスマホを取出し、119番通報をする。

「僕の幼馴染が、手首を切って倒れています。すごい血です! 住所は……」

 僕は矢継ぎ早に用件を告げたが、救急隊員の人はしっかりと聞き取っていたらしく、十分も経たないうちに救急車は到着した。止血作業をしていたフミのお母さんの間に隊員が割って入り、手早く担架にフミを載せた。

「お願いです、どうか史奈を助けてください!」

 フミのお母さんは涙を流して隊員にしがみついていた。僕もそうしたいところだったが、有無を言わさず救急車に乗せられた。改めてフミの顔を見ると、さっきと比べてますます青白くなっている。命の危険が迫っているかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなっていた。

「フミ……」

 僕は目を瞑り、フミの生存を祈った。

第3話 二人だけの打ち上げ

 フミが手術室に搬送された。一刻を争う事態だったようで、医師や看護師が対応に追われている。僕はいったん病院の外に出て、電話で母さんにフミが自殺を図ったことを伝えた。

「史奈ちゃんがそんなことを……」
「そう。だから今、漣医大付属病院にいる」
「そうなの。手術が終わったら連絡して。お父さんに迎えに来てもらうから」
「ありがとう。じゃあ、またあとで」

 電話を切って手術室の前に戻ると、フミのお母さんは涙で目を腫らしていた。しかし、それでも泣き止む様子はなかったので、僕はひっそりと隣に座った。今日学校で起こったこと、今は言うべきじゃないな。頭を抱えてフミの無事を祈る。あいつがいなくなったら、僕はどうしていけばいいんだ? クラスのみんなとは仲良くできそうにないし、フミの肩を持ってしまった今、女子の集団からイジメの的にされる危険性もある。正直、フミがあいつらから受けてきた仕打ちは、僕なんかが耐えられるはずがない。

 僕はフミを待っている間、フミが女子にいじめられていた光景を思い出していた。羽交い絞めにされてボコボコにされたり、いきなり頭から熱湯をかけられたり……。クラスのみんなに、あいつはどんな男とも肉体関係を持つ、みたいな嘘を拡散されたこともあった。それで別のクラスから訳の分からない男たちが集まったのかもしれない。いや、きっとそうだ。そのたびに僕は誤解を解き、フミを庇ってボコボコにされていた。あいつ、泣いていたな。いじめられたこと、僕に守られたことがそんなに悔しかったのかな。あいつは今まで、自分の尻拭いは自分でしてきた。それを貫きたかったのかなと、いまさらそんなことを思った。

 外の様子は見えなかったが、外来の患者たちがどんどん帰っていく。きっともう夜なのだろう。それでもフミは手術室から出てこない。もう二、三時間は経っている。僕たちの不安は増すばかりだった。たかがリストカットしただけで死ぬわけがない。そう楽観的に考えたかったけど、あの青白い顔を思い返す度に、そんな考えも吹っ飛んでしまった。たかがリストカット、されどリストカット。深くまで刃が行き届かなかったら、あんなに血が出るわけがない。顔面蒼白になるわけがない。手首から上が真っ赤に染まっていたほどだ。それが頭を掠めたのか、僕は気分が悪くなり、仕方なく外の空気を吸ってくることにした。

「ふう……」

 近くの自動販売機で缶コーヒーを買って、束の間の休息を取る。手術室の前にいたときは、じっとしていても休憩をしているという感覚は微塵も感じられず、全身に力が入ってしまっていた。全身にコーヒーのほろ苦さが伝わった時、初めて僕は休んでいるという感覚を得た。すると、部活帰りの高校生の群れが歩道を歩いているのが見える。薄暗い中で凝視すると、だらしなく着飾られている制服が見えた。どうやらうちの高校らしい。道理で歩行者の迷惑も考えずにバカ騒ぎ出来るわけだ。そんなことをできるのはうちの高校くらいだ。しかし、どこかで聞いたことある声だ。僕はよく聞いてみると、僕のクラスの男子と女子だった。何かで盛り上がっている。病院前のバス停でバスを待つようで、集団はバス停で止まった。僕は集団に近付いて、話を盗み聞きすることにした。フミに関して、また何か言っているかもしれない。

「体育大会の練習、楽しみだね!」
「嘘つけ。エリスが楽しみなのはその後だろ」

 エリスとはフミのことを死んだと吹聴したあいつのことだ。一説によると、こいつがフミをいじめようと提案したらしい。その隣で話している男子は、エリスの彼氏だ。そいつも僕と同じクラス。よく授業を抜け出して、エリスといちゃついているという話だ。その周りも僕とはそりが合わない連中ばかりだ。僕は不快感を露わにしながらも、体育大会の後が気になって、そのまま盗み聞きを続けた。グループチャットで言っていたことだ。

「で、何するか決めたの? エリス」
「決まったよ! これからみんなに発表するね」

 バカみたいに清々しい笑顔だ。実際バカだけど。みんながわくわくしながらエリスに視線を向ける。

「それは……」

 すると、バスが到着した。周りは相当驚いている。どうやら内容が伝えられたのだろう。しかし、僕はバスの騒音のせいでろくに聞くことが出来なかった。ついに連中はバスに乗り込み、内容は聞けずじまいだった。まあ、グループチャットで聞かされるだろう。

 手術室の前に再び戻っても、「手術中」のランプは点灯したままだった。何をそんなに苦戦しているんだ? 僕は内心いらいらしながらランプを見つめる。

 フミのお母さんは疲れていたのか、座ったまま眠っていた。僕は起こさないように、音をたてないようにして隣に座る。そして、外に出る前と同じように頭を抱えた。幼馴染が死の瀬戸際にいる中、僕は何もしてやれない自分を責めた。僕がフミに、この高校を受けようと勧めなければ、こんなことにはなっていなかったのに……。

――――僕は高校選びで悩んでいた当時のフミに、この漣高校を勧めたのだ。ここ、頭はそんなに良くない、むしろ悪い方だが、指定校推薦が充実していた。フミは将来看護士になりたかったみたいなので、家から近い看護学校が推薦対象校にあり、尚且つあいつの頭なら、試験で上位に入らなければもらえない学校独自の奨学金を簡単にもらえるので、僕は勧めたわけだ。僕も同じ学校を受験して、しっかり奨学金をもらった。あいつは推薦で漣高校を受け、学年1位の成績で合格した。今考えたら、僕はバカだったのかもしれない。あいつには行ける高校が山ほどあったのに、こんな底辺の高校を受験させてしまったのだ。

 でも、最初のうちは楽しくやっていたみたいだった。友達も増え、いろいろなところに遊び歩いていた。僕もそこは同じだったが、ある時を境に一気にフミへの待遇は冷たくなっていった。

 学校祭である。そこでは学祭マジックという、男女が立て続けに告白するということが起こっていった。フミと僕はそれに乗り遅れ、ついにクラスの中でカップルでないのは僕達だけとなったのだ。そして、カップルを作った女子たちが調子に乗り始めたのだ。学祭中、あからさまにフミをはぶる行動をし、嫌味な言葉を投げつけたりもしてきたが、あいつはそれをひたすら無視してきた。

 学祭の打ち上げ、私服に着替えて参加してくれと言う、命令に近い連絡が飛んできた。僕とフミは怪しく思いながらも言うとおりにし、集合場所である漣高校前のバス停に来た。みんなはまだ私服のチョイスに悩んでいるようで、僕達しか来ている人はいなかった。

「何が始まるんだろうね」
「さあ……。私も分からない」

 戸惑いながらもみんなの到着を待つ。すると打ち上げの主催者であるエリスが到着した。彼女は高校生とは思えないほど着飾っており、耳にはピアスをしている。フミはそれに驚愕したのか、いささか非難めいたまなざしを向けた。

「小池さん、何その眼。何か不満?」

 当然、エリスはそれに気付く。あのころのフミはだれに対しても物怖じしない性格で、当然彼女にも態度は変わらなかった。

「なんなの、それ。まだ一年生だよ?」
「高校生がピアスして何が悪いの? ただのおしゃれだよ」
「その考えが間違っている。今やることじゃない!」
「二人とも、やめなよ。みんな来るよ!」

 僕は群れを作ってバス停に向かってくるクラスメートたちの姿を目でとらえた。二人を引きはがし、あたかも何もなかったかのような様相を作り、打ち上げの内容を聞くことにする。

「みんな集まった?」
「ひいふうみい……、全員いるようだね」
「それじゃあ、打ち上げの内容を発表します! 実は、もう居酒屋を予約していて、そこにみんなで行きます! 年齢は全員二十歳で予約したので、存分に飲みましょう!」

 僕とフミは凍りつき、顔を合わせる。あいつの目は焦っており、ここから逃げたいという一心に見えた。それは僕も同意で、興奮している集団の目を盗んで、こっそりと抜け出した。でも、僕は何か心に引っ掛かる。

「でも、これで良かったのかな」
「何が」
「フミ、米倉さんからすごく嫌そうな目で見られていたよ。ひょっとしたら……」

 するとフミは僕の言葉を遮り、一人で話し始めた。

「私のことは気にしないで。私のことは自分で何とかするから」
「でも……」
「構わないで。悪いのは全部向こう。私たちは高校生として当然のことをしたまで。そうでしょう?」

 その言葉に、僕は首を縦に振るしかなかった。確かにあの集団と一緒に酒を飲んでいたら、近隣の住民か誰かに見つかって、即刻停学処分だろう。それだけならまだいい。最悪死の危険だってある。クラスの連中は何事も無理をする。酒を飲むのだって例外ではないはずだ。

 結局僕たちは、近くの公園に逃げ込むようにして立ち寄った。何も用はないはずなのに、フミに付き添われてここに来たのだ。

「フミ、ごめん。僕がこの高校にしようって言ったばっかりに……」
「自分を責めないで。私だって、こんなにバカな連中しかいないなんて思わなかったから」

 フミは笑っていた。でも学祭でされた仕打ちを、僕は見ていた。それを考えたら、笑ってなどいられないはずだった。無理に表情を作っているのだろうか。いや違う。こんなに純粋な笑顔をしたフミは、生まれて初めて見たような気がした。

「なんでここに?」
「私、考えたの。ここで二人だけでやろうって。打ち上げ」
「打ち上げ?」
「そ。お金あげるから、適当なもの買ってきて」

 そういってフミは僕に二千円を手渡した。

「待ってよ。僕が買ってくるの?」
「当たり前でしょ? 私が嫌いなもの買ってきたら、許さないから」

 フミは舌をチロッと出して笑った。その表情にやられた僕はしぶしぶコンビニに向かい、商品を選び始めた。夕飯がまだだったので、適当な弁当を買い、残ったお金でスナック菓子やジュースを買いそろえる。幸い二千円で足りたようで、僕はフミのいる公園へと足を運んだ。

「遅い」
「ごめん。弁当選ぶのに時間かかって」

 僕はフミの隣に座った。普通だったら距離を置いて座れと言われるはずだったが、この日は言われなかった。顔も変に赤い。

「じゃあ、いただきます。学祭、お疲れ様でした」
「僕は何もしてなかったけどね。いただきます」

 初めて二人並んで食事をした感じがした。その間は会話もなかった。でも、妙に心地よく、そして嬉しかった――――。



 いつの間にか転寝をしていたようだった。僕ははっとして起き上がると、手術中のランプは未だに点いたままだ。なぜ今になって、学祭後のことを夢に見たのだろう。それは分からないが、僕は幾分落ち着いていたようだった。

 時計を見ると、三十分ほど眠りこけていたようだった。そのおかげで、僕はいつまでも起きていられるような気がしていた。すると、手術中のランプが消えた。僕はそれを見逃さず、フミのお母さんを起こす。

「手術、終わりましたよ!」

 フミのお母さんは飛び起きて、手術室の扉の前に立つ。僕は彼女の後ろに立ち、フミがどうなったかを待った。その直後、フミの主治医が出てくる。彼の顔はフミのお母さんを見るなり、笑顔になった。

「輸血をするのに時間がかかりましたが、手術は成功しました。麻酔をかけているので、目覚めるのはもう少しお待ちください」
「ああ、ありがとうございます!」

 フミのお母さんは泣いていた。僕も嬉しくて泣きそうになったが、フミが載せられているベッドに寄る。あいつは安らかに眠っていて、顔色も数時間前に比べると見違えるほどに良い。でも、手首に残っている傷は痛々しいまま残っていた。こんな傷をつけるきっかけになったのもクラスのみんなのせいだ。僕は悲しげに傷を見つめながら、そんなことを考えていた。

最終話 終わりとはじまり

 フミが麻酔から覚めるには、一晩要するようだった。僕は父さんに電話して、車に乗って帰ることになった。

「シゲちゃん、ありがとうね」
「いえいえ、僕はフミが心配でここに居ましたから、お気になさらず」

 僕は笑顔で会釈して車に乗った。フミのお母さんは、僕が見えなくなるまで手を振ってくれた。

「成貴、フミちゃんが自殺しようとしたんだって?」
「うん。母さんから聞いたの?」
「ああ。しかしどうして自殺なんて……」

 父さんはフミが手首を切ったことに衝撃を受けているようだった。父さんはちょくちょくフミが僕と一緒にいるところを見ている。

「元気に挨拶してくれたり、ちゃんとお礼も言えたりで、礼儀のいい子だなと思ったんだが」
「あいつ、学校でいじめられていて、一か月くらい前に不登校だったんだよ」
「そうだったのか! でも、どうしていじめの被害になんか……」
「僕の周りの奴らはみんな不真面目で、あいつだけ妙にまじめに見えたんだよ。もっとも、あいつは至って普通のことをしているって、自分の考えを貫き通したけど」

 僕はため息しか出なかった。そういえば何で、フミはあんなに手酷くいじめられなければならなかったのだろう。真面目な性格? エリスに意見したから? 疑問は尽きなかった。そうこうしているうちに、僕を乗せた車は自宅の駐車場に収まる。

「早く出なさい」
「うん」

 僕は自分の部屋でスマホを充電しようとする。すると着信音が鳴り、クラスのグループチャットに新着メッセージが飛び込んできた。僕がさっき耳にした、練習の打ち上げ内容か? スマホを充電しながらメッセージを読むと、僕は血の気が引いた。

『皆さん、お疲れ様です。体育大会の練習後打ち上げの件なんですが、決定しました! 一部の人には伝えたけど、ここで改めて発表します!
 今回は、「吐くまで飲もう! 企画」というものです! 詳細は次のコメントで』

「吐くまで、飲む?」

 自然と手が震えていた。こいつらは何を考えているんだ? 思考停止している間にも、メッセージが届く。

『そんなこと出来るのか? と思うでしょう。でも、それが簡単なんです! まずは、エリスのお兄ちゃんにお酒をいっぱい買ってきてもらいます。そのために、みんなから千円ずつ徴収しますので、許してね☆』

 千円分も買うのか。ますます背筋が凍る思いに駆られる。新着メッセージが届く音が、絶望を告げる音へと変わった。

『それからは各自で飲みましょう! 泥酔しても、吐いてもいいです。体育大会の練習に参加した人は、打ち上げも強制参加ですので、よろしくお願いしまあす!』

 僕の額に冷や汗がにじむ。体育大会の練習に来なければ、なぜ来なかったとしつこいほどに追及され、フミと同じ目に遭う、かといって参加したら、最悪死に至るかもしれない。僕の心は揺れ動いた。

「どうしよう……」

 僕は悩みに悩んだ。結局夜中になっても結論は出ず、あまり眠ることが出来ず朝を迎える。フミの手術を待っていた時の疲れも相まってか、僕は動くことすら億劫だった。しかし、学校には行かなくてはいけない。のそのそと緩慢な動作で行く準備をし、階段を下りると、母さんが不思議そうな目をして僕を見ていた。

「どうしたの」
「学校行くんだよ。何言ってるの」
「あんたが何言ってるの。今日は開校記念日で休みだって、前から言ってなかった?」

 そういえば、今日は開校記念日だ。フミの手術のおかげで完全に忘れていた。

「ああ、そうなの」
「しっかりしなさいよ。それより、フミちゃんのお見舞い、行って来たら?」
「お見舞い?」
「さっきフミちゃんのお母さんから電話がきたの。史奈が成貴くんに会いたいって」

 こいつはどういうことだ? あいつが今まで僕に会いたいなんて言ったこと、一度もない。今日は雪が降るのか? 槍でも降るのか? 頭を強打されたような衝撃に陥っていると、母さんが僕を揺さぶる。

「何ぼーっとしているの。朝ご飯食べたら行きなさい。漣医大附属病院に」
「……うん、わかった」

 僕は気持ちの整理がつかず、身支度をしたのちに漣医大付属病院へと足を運んだ。受付に行き、フミの病室はどこにあるか尋ねる。

「小池史奈さんの部屋ですか? それでしたら、502号室です」
「ありがとうございます」

 エレベーターに乗り込み、5階へと急ぐ。フミの部屋はエレベーターを降りてすぐのところだった。ドアをノックしてはいると、そこにはフミのお母さんとフミがいた。あいつはすっかり弱っていて、朝食をお母さんに食べさせてもらっている。

「……おはよう」

 恐る恐る声を掛ける。フミのお母さんははっとしたように僕の顔を見ると、すぐに笑顔になった。

「史奈、シゲちゃんが来てくれたよ」
「ど、どうも」

 僕はどうしていいかわからず、立ち尽くしていた。朝食の最後の一口を胃に流し込んだフミは、持っていたタオルで口を拭くと、僕と顔を合わせた。

「お母さん、ごめん。ちょっと部屋から出ていて」
「分かったよ。シゲちゃん、頼んだね」

 フミのお母さんはそれっきり、部屋から出てしまった。二人きりの空間、慣れている筈なのに、なぜか緊張する。でもそんな状態になっていたのは僕だけだったみたいで、フミはいつものように明るく話しかけようとする。

「シゲ、昨日はありがとう」
「え……? いや、なんも」

 僕は照れていた。フミからお礼を言われるなんて、滅多にないことだから。あいつの右手首は包帯に巻かれており、傷は見えない。あいつの笑顔は、その包帯のようだった。

「なんでこんなことしたの?」
「なんかもう、全てがどうでもよくなっちゃって。でも今気付いたの。私って、バカなことしたなって」

 弱弱しい笑顔を、僕はこれ以上みたくなかった。僕は俯きながら相槌を打つ。でもあいつは、なぜか饒舌に話している。

「だってそうでしょ? このまま死んだって、周りに迷惑かけるだけ。クラスのみんなはそうでもないかもしれないけど……」
「フミ」

 僕は耐えられなくなってフミを止める。あいつはとぼけたような顔をして僕を見ていた。

「どうしたの?」
「どうして、笑っていられるの。どうして、僕に全部話さなかったの。僕達、もう付き合い長いよね。隠し事なんてないはずだよね。全部話してよ! 洗いざらい……」

 僕は泣いていた。気丈にふるまっているフミが、なんだか可哀相に思えてきた。それを見ていたフミは、か細い腕を必死に伸ばして、僕の頭の上に手を置こうとする。しかしそれは直前で力尽き、ベッドの上でだらりとぶら下がる格好となった。

「何泣いているの。シゲらしくない」
「泣きたいのは、フミなんじゃないの……?」
「そんなこと無いよ。私は本心を話しているだけ。シゲに嘘ついたこと、あったっけ?」

 僕は、フミが大人に見えていた。涙を拭き、だらしなくぶら下がった腕を戻そうとベッドまで持っていく。その時に手を握ると、指先が少しだけ冷たかった。そういえばあいつ、生まれつき末端冷え症だったな。僕がベッドに腕を置こうとすると、フミが顔を赤らめながら呟いた。

「……て」
「え?」
「そのままにして」
「そのまま、とは?」
「私の手、握っていて。言わせないでよ! 恥ずかしい……」

 あいつは顔を真っ赤にして、僕から視線を外した。僕は言うとおりにして、そのまま手を握り続ける。するとあいつの方からも、わずかな力ではあるが握り返してきた。その感触が嬉しくて、僕はしばらくの間握り続けていた。

「シゲ、あったかい」
「冷え症だったね。僕で良ければいつでも温めてあげるよ」
「……お願いします」

 ようやく、フミは僕と顔を合わせてくれた。でも、まだ何か隠し事をしていそうな顔だ。

「何、その顔。もっと笑ってよ。それとも、まだ疑っているの? 私が何か隠し事しているって」
「そんなこと……」
「正解。シゲには敵わないや」

 フミは半ばあきらめたかのように笑い、再び僕と顔を合わせた。今度は真剣な表情だ。

「ねえ、どうしたの」
「シゲ、私たち、友達辞めよう」
「……え?」
「だから、友達辞めよう」

 頭が真っ白になった。せっかくいい雰囲気になってきたのに、友達を辞めよう? 僕は悲しくなって、手を握る手を強めた。

「どうして、どうしていきなり!」
「もう、耐えられないの。友達でいることが」
「だからどうして! 僕たち、うまくやってきたじゃないか!」
「話を最後まで聞いて。お願い」

 僕は僅かな自制心を働かせて、荒い息を立て直す。すると、フミは目を瞑ったかと思うと、ゆっくりと口を開き始めた。

「友達じゃいられないの。シゲのこと、もう友達とは見られなくなった。なんか、一人の男性として見ちゃうの……」
「え?」
「だからお願い。私の彼氏になってくれない?」

 友達として見られないという意味はそういうことだったのか。謎が解けたと同時に、僕の心は波立った。

「僕が、フミの彼氏?」
「いやだったらいいんだよ? 別に強制はしないから」

 フミの彼氏になるということは、あいつを幼馴染の時以上に守らなければいけない。当然、泣かせてはいけない。責任は重大だ。かくいうフミも、強制はしないと言っておきながら、少しだけ寂しそうな表情で僕を見つめてくる。まるで、彼氏にならなきゃ本当に友達を辞めてしまいそうな感じで。

 しばらく考えたのち、僕は覚悟を決めた。深呼吸をして、顔を赤らめて、フミに告げた。

「こんな僕で良ければ、喜んで彼氏になるよ」
「本当に?」
「うん。大事にする」

 それを言った直後、フミの目から涙が零れ落ちた。どうやらすべての感情を吐き出したからなのか、緊張の糸が切れたらしい。僕はそんなフミを、生まれて初めて抱きしめた。

「そんなに泣かないでよ。僕だって、泣きそうじゃないか」
「シゲ……、これからもよろしくね!」
「うん、よろしく!」

 どれくらいの時間、抱きしめあっただろう。僕たちは時間も忘れて、友達から恋人に昇華する時間を噛み締めた。それはとても儚く、甘く、そして優しいものだった。


 結局フミは漣高校を退学し、隣町にある公立愛(あい)誠(せい)高校の定時制に通うことになった。勉強についていけなくなったのだ。僕も同じで、フミと同じ学校に通う手続きをした。しかし、僕は全日制である。あんな高校、僕はうんざりしていたから。

 転校生の紹介で、漣高校から来ましたと言うと、生徒たちからざわめきが起きた。理由は簡単で、あそこはとてもじゃないが近寄ることの出来ないオーラを放っていたのだ。不良が多く、良くケンカを吹っ掛けられるらしい。僕は席につくと、隣の男子に囁かれた。

「本当に漣高校から来たの?」
「そうだよ」
「でも、まじめそうだね」
「僕が漣高校を転校した理由、聞きたい?」
「勿論!」

 その男子はかなり好奇心旺盛のようだった。休み時間になると、僕は饒舌に話し始めた。

「僕は漣高校の中では一・二を争うほどまじめだったんだ」
「ふむふむ」
「肌に合わなかったんだ。みんな髪を染めていたし、飲み会なんて日常茶飯事。僕はそのたびに逃げていたけどね」
「良く逃げられたね」
「ところで、あなたの名前は?」
「僕? 僕は白馬(はくば) 智人(のりと)。ハクって呼んで。外山君のことは何て呼べばいい?」

 ハクはすぐに僕と仲良くなった。漣の連中とは大違いだ。

「じゃあ、シゲって呼んで」
「分かったよ、シゲ!」

 僕たちは固く握手した。転校して早々、いい友達に巡り合うことが出来て、本当に幸せだった。

「そうだ! 今週の土曜日、どこか行かない?」
「いいね。僕、愛誠市のことよく知らないから、案内してほしいな」
「喜んで!」
「それとさ、お願いがあるんだ」
「なんだい?」
「僕の彼女、連れてきていいかい?」

 僕の言葉に、ハクは驚きを隠せないようだった。

「え? 彼女いるの!」
「声がでかい」
「勿論いいよ。僕もつれてくるからさ」
「……待って、まさかハクも?」
「うん。中学から付き合っている彼女がいるんだ。今年で4年目」

 ハクは満ち足りたような笑顔で僕に話した。4年目か。すごいな。ここまで長く続いたカップルなんて、漣高校の連中にはいない。長くて2か月続くかどうかだ。そして、話は決まった。

「お互いに連絡して、都合のいい時間帯に出かけよう」
「僕の彼女、定時制だから、時間が合うかどうかわからないけどね」
「ハクの彼女、定時制に通っているの?」
「うん。愛誠高校のね」
「それが、僕も同じなんだ」
「え? そんなに繋がりがあったなんて! 一年生?」
「うん。ハクの彼女も?」

 そういうと、ハクは首を縦に振った。そこまで共通点があるとは正直意外だった。今ならまだあいつは自宅にいるはずだ。僕はSNSで連絡を取る。

『友達がダブルデートに誘ってきたんだけど、いいよね?』

 そのやり取りを見ていたハクは、ニヤニヤしながら僕のスマホを見ていた。

「ダブルデートなんて、照れるな」
「本当のことを書いただけ。というか、さりげなく見ないでよ」

 僕らが笑い合っていると、フミから返信が来た。

『いいよ。この日は学校もないから』
「オッケーもらいました!」
「よっしゃ! じゃあ決まりだね!」

 ハクは指を鳴らして喜びを露わにしている。僕はそんな彼の無邪気さに笑い、自分の席についた。土曜日が楽しみだ。胸の中のわくわくは、抑えられなかった。こうして、僕とフミの新たな人生が、始まろうとしていた。

幼馴染との小さな青春

いかがでしたでしょうか?なかなか掲載するのに勇気がいりましたが、気に入っていただけたでしょうか?
この小説が、自分のスタートラインです。これからも精進いたしますので、よろしくお願いいたします。

幼馴染との小さな青春

これは高校生になりたての男女が贈る、ちょっと悲しく、ちょっと甘酸っぱい話。

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-30

Copyrighted
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Copyrighted
  1. 第1話 不登校の理由
  2. 第2話 イジメ
  3. 第3話 二人だけの打ち上げ
  4. 最終話 終わりとはじまり