平和な村
2012/04/07(2012/04/08加筆)
「流れた!」
子どもたちの間から不穏な声が上がる。一瞬の後、川下に一筋の黄色が流れるのを見つけて言葉を失い、慌ててそれを追いかけた。なりふり構わず全力で走るものの、するすると流れるそれには追いつけそうもない。そろそろ諦めようかと上がった息を整えていると、はからずも川下で釣りをしていた若者たちが黄色い腰紐をぶら下げて、川沿いをやってくるのが見えた。
「姉ちゃんじゃねえか、珍しいな。俺はてっきり母ちゃんのうっかりだと思ってたんだけど」
その言葉に苦笑しながら、腰紐を受け取る。母はよく洗濯物を川に流してしまうが、同じ失態を演じることになるとは恥ずかしいものだ。珍しいものが見れたと笑い者にされているのも、少々きまりが悪い。
途中で放り出したままだったの洗濯の続きを終わらせると、大きな洗濯籠を抱えて川上の森の中に佇む家の門をくぐる。木々に囲まれているせいで建物の全容は見えない。その一般的な家屋よりも高い屋根の縁から、小鳥が飛び移るのが見えた。玄関を右に逸れた一角は、木々が開けて太陽の光が注き、洗濯物を干すには最適の場所だった。子どもたちがぶつかって落とすのが玉に傷だろうか。物干竿を木の枝に引っ掛けると、洗濯物がよく渇きそうな昼の日射しが眩しかった。
「母ちゃんが飯食ってけって。どうする」
玄関からは若者たちの声が聞こえる。どうやら昼食を振る舞おうとしているらしい。今日の食事は賑やかになりそうだと思う傍ら、子どもたちだけでも毎日賑やかであることを思うと、多少の数人増えたところで大して変わらないだろうと思い直した。
空になった籠を小脇に抱えて背の丈程もある大きな窓から部屋を覗くと、パンとバターの香りが漂い、腹の虫が鳴る。目の前の食卓にはシチューの入った大鍋が置かれ、ふわりと湯気が舞っていた。なんの躊躇もなく窓から家にあがり、籠を所定の位置に仕舞うと、匂いを嗅ぎ付けて帰ってきた子どもたちと共に食卓を整える。しかし元気な子どもたちは、若者たちに群がって遊ぶ約束をしているから、大した手伝いになっていない。そのうちに、遊ぶのは食事の後だと大目玉を喰らうのだろう。大人が同じレベルになって騒ぐなと、一緒に叱られる若者たちのしょげた様子まで容易に浮かび、微笑ましく思った。
畑仕事に出ていた若い女性たちが帰ってくると、リビングは人で溢れてしまう。それでも人数分の椅子と食事には困っていないから、ありがたいものだ。女性のひとりが落ち着きなく前髪を気にしているが、訪れた若者のひとりに恋をしているのだ。隠しているつもりらしいが、その態度で察しがついてしまうから、冷やかされながらも可愛がられている。
年頃の男女が集うと恋の話が尽きないものだが、こんな小さな村でもやはりその話題に飽くことはない。重ねて村の大人たちがあれこれと世話を焼きたがるから、若者たちは上手に番いになる。この孤児を集めた家で育った者が、幸せな家庭を持つという希望を失わずに生きてゆける所以だろう。国境近くという立地の悪さの中、比較的安定した治安を保っているこの村には、いつも子どもたちの声が溢れていた。
「姉ちゃんは、誰かいいと思ってるやついないの?」
心なしか挑戦的な表情で探りを入れられるが、苦笑して目を逸らす。人の話を聞くことには興味があるが、自分の話をするのは苦手だった。あらぬ方向を見ながらスプーンを口に運ぶ。
「どうなんだよ」
しつこく噛みつかれるので、そっと首を振った。疑わし気に目を細められたが、もう一度横に首を振ると、口を尖らせて拗ねてしまった。子どもたちを構う様子は随分と大人びて見えていたが、このような仕草はまだまだ子どものようだった。その頭を軽く撫でてから食事を再開する。
小さな村の、いつも通りの平和な昼食だ。
平和な村
続きません。
いつか物語になればと思います。