コマーシャル・エイジ

「お会計は五万七千八百九十二円になります」
「えっ!」
 渚は改めてスーパーのカゴの中身を見た。夫の恵介の給料日だから、久しぶりにすき焼きでもしようと材料を買ったのだが、うっかりして無広告の肉を入れてしまっていた。恥ずかしいが商品を交換するしかない。
「ごめんなさい。間違っちゃったみたい。お肉を違うのにします」
 レジ係から(やっぱりね)という表情で見られたがしかたない。急いで無広告の肉を棚に戻し、表面に直に液晶テレビの広告が印刷されている肉を持ってきた。
「では、お会計は八百九十二円になります」
 ホッとしたものの、スーパーを出てから悔しさが込み上げてきた。
(恵介の稼ぎがもっと良かったら、こんな食欲をそそらない肉なんて買わないのに)
 広告付きの肉だって、栄養価に違いがあるわけではない。広告は無味無臭の食品由来色素で印刷されているから、体にも害はない。ただ、この色素は煮ても焼いても消えないので、口の中に入れるまで、ずっと広告を見ることになる。もちろん、肉だけではない。葱には風邪薬の、豆腐にはゲームソフトの、白滝には炊飯器の、それぞれ色鮮やかな広告が直に印刷されている。
(ああ、一度でいいから、すべて広告なしの食事が作りたいわ。でも、当分は無理ね)
 渚はスーパーの駐車場に停めていたはずの自分の車を探した。どの車も、元々の車体が何色だったのかもわからないぐらいに広告で埋め尽くされているので、探すのも一苦労だ。
 ようやく探し当て、乗り込むとすぐにCMソングが流れた。これが終わらないとハードディスクにダウンロードしている音楽が始まらないのだ。
 商店街を抜け、住宅地に入るとほとんどの家が広告付きになっていた。それで住宅ローンが軽減されるわけである。中には全く広告のない家もあるが、いかにもセレブ風の大邸宅だ。
(いつかこんな家に住めるかしら。ううん、贅沢を言っちゃダメ。広告さえ我慢すれば、恵介の安い給料でも割と楽に暮らせるんだもん)
 子供たちはすき焼きと聞いて、素直に喜んでくれた。渚や恵介と違って、生まれてこの方、広告なしの料理を食べたことがないからだ。可哀相だとは思うが、世の中がこういう方向に進んでしまった以上、今更後戻りはできないのだろう。
 夫を待つ間、子供たちはテレビを見ていたが、もはや有料のチャンネルはなくなっており、いわゆる民放しかない。
 やがて玄関のチャイムが鳴り、「ただいま」という恵介の声がした。
「お帰りなさい、あなた。今日はすき焼きよ。虫歯が痛いって言ってたけど、ちゃんと歯医者さんに行ったでしょうね」
「もちろんさ」
 そう言って笑った恵介の歯は、広告だらけだった。
(おわり)

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「お会計は五万七千八百九十二円になります」「えっ!」 渚は改めてスーパーのカゴの中身を見た。夫の恵介の給料日だから、久しぶりにすき焼きでもしようと材料を買ったのだが、うっかりして無広告の肉を入れてしまっていた。恥ずかしいが商品を交換するしか...

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-25

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