桜花物語

荒俣宏先生が執筆された「帝都物語」。かの伝説の小説を読み、もし主人公「加藤保憲」がこの時代に現れたら…。そんな妄想をしているうちに、妄想は膨れ上がり、生まれて初めて、筆をとってみることにしました。

初稿なので、粗いですが、よろしくです・・・。

おそるおそるですが、多くの人に読んでいただき、感想をお伺いしたいので他サイトにも重複投稿を検討しています。

序章 《サクラサクトキ》

1. サクラ 語り部:智樹(20歳大学生)

 綺麗だな・・・。
 キャンパスライフ。人生の夏休みとも形容されるこの大学生活4年間を謳歌すべく、宮城から上京して2年。周囲には、いくつかのグループが形成され、それこそ人生を謳歌してますといわんばかりに遊びまわり、これでもかと言わんばかりのリア充ぶりをSNSで披露している。
 でもインドア派の僕は、旅行だとか飲み会だとかの誘いを面倒だと何度か断っているうちに、いつしか声もかけられなくなり、一人、人生とはなにか、を考え続けるだけの、無駄な日々を送る生活にすっかり馴染んでしまっていた。
 なるべくラクして生きられればいい…。これが行き着いた答え。

 3週間前、そんなつまらない僕の人生観がふっとんだ。

 ――故郷での震災。
 目的もなく生きていた僕にも、ひとつ、目的が生まれた。ただ、生きる。

 楽して日々を生きるために始めた歌舞伎町でのバイト。女性の相手をして、お金をもらう。
 本来、決して楽ではない仕事なのだが、僕は優遇されていた。
 オーナーの計らいで僕には上客が回される。
 おかげ様でここでも気の置けない仲間というのはできそうにないが…

 オーナー夫人の誕生パーティー。
 東京駅徒歩1分のビルディング、36階のレストラン。
 窓からは満開に咲き誇る皇居の桜を見下ろすことができる。
 ふと考える。なにやってんだろ…。
「智樹くん、どうしたの?」
 もうすぐ40代への階段を上りきるであろう、今日のパーティの主役、香さん。
「カオリさん…」
 名は体を表す。うまいこと言ったもんだ。香水の香りがきつい。
「いや、なんでもないです。」
「やっぱりご実家が気になる?そうよね…」
「ええ、まぁ」
「でも、今日は私の誕生パーティー。今だけは何も考えずに、楽しんで。私の為に、ね!」
 彼女はいったい何歳になったのだろうか。誰もその話題には触れない…。
 ま、いいけど。
 そんな、何を祝ってるのかもわからないこのパーティーには、政界、財界、あらゆる業界の有名人の顔ぶれがあった。
 今だけってか、こいつら普段からなにも考えてなさそうだよな…
「…はい。ありがとうございます。」
「うん。…あとで、もっと楽しみましょうね」
 僕と彼女はできている。そう。身体の関係。
 ホストを始めたのも、渋谷のバーで彼女に声をかけられたのがきっかけ。もともとは彼女の父親がクラブのオーナーで、彼女の旦那、今のオーナーは婿入り養子。クラブの実権を握っているのは彼女。
 彼女に連れられてオーナーの元を訪れたときも、それはそれは満面の笑みをうかべて「よろしく」と迎え入れられた。
 その後、日々、僕は客とではなく、彼女とアフターを過ごすこととなる。
 そんな僕にオーナーは声をかけてくれる。「いつもありがとうね!」
 
「やあ、君が期待の新人君か。いやさすがに賢そうだ。頼もしいね」
 残り香にさそわれてやってきたか、大物の馬鹿どもめ。
「すみません、ちょっと飲みすぎてしまったようで…」
 僕は額を抑えつつ窓際のカウンターに席を移す。こんなやつらと言葉を交わすのなんて、正直めんどい。
 窓の外に目をやる。これでもかというほど咲き誇る桜たち。
 ここにいるどの人間よりも、この桜たちのほうが、よっぽど立派だ…。


 バラ科サクラ亜科サクラ属の植物、サクラ。
 一年の間で、この短い期間に全精力をそそぎ、その華やかな姿を披露する。
 この場にいる誰よりも、一生懸命、生きている。

2. 1週間後。桜田門前―― 語り部:加藤保憲(29歳 警視庁捜査一課勤務)

 お堀の向こうの桜を眺めながらタソガレる。激務の中のささやかなひと時。
 この3週間、毎日同じスーツを着続けている。震災以来、寝るのは職場だ。さすがにちょっと滅入る。
 日本古来から親しまれるバラ科サクラ亜科サクラ属、桜。その植物を見ていると、心が安らぐ。日本人の心、サクラ。

 私の職場は警視庁。
 刑事もサラリーマンとなんら変わり2. 1週間後。桜田門前―― 語り部:加藤保憲(29歳 警視庁捜査一課勤務)
はない。思い通りに仕事をするには出世をしないといけない。
 まあ…私は比較的、好き勝手やっている。
 その代償としていつもお叱りをうける。出世は見込めないな…。
 上司が言うには『ホウレンソウ』が足りて無いらしい。
 別に貧血気味な体質ではないんだが…
 上司、曰く。
「サッカーでもそうだろう。今や組織プレーが戦術の基本なんだよ。とにかく、ホウレンソウだ!」
 本田や香川がいちいち『ホウレンソウ』を行うかね…
 必要なのは意志の疎通。目すら合わせずに呼吸を合わせてゴールへボールを運ぶ。それが組織プレーだと思うのだが。
 しかし、結果は残す。上司には注意されるものの、給料には悪影響はでていない。
 残念ながらパスを回す相手は少ないが、ドリブルでなんとかゴールは決める。

「よ、加藤!」
 突然、背後から声をかけられる。
 柄シャツにレザーパンツ。派手すぎてこれがオシャレなのかどうなのか、私にはわからない。
 言えることは、オフィスが建ち並ぶ千代田区霞が関のこの街にはとても似つかわしくない姿だということだ。ひとまず、サボっている私を咎めにきた上司ではないようだ。
「なんだ、賀陽(カヤ)(かや)か…」
 賀陽 陽一郎。一応、学生時代からの、親友。
「なんだ、じゃねーだろ。ちゃんとアポってから来てるじゃん」
 忘れてた。こいつに呼ばれて外出してきたんだ。
「ボケっとしてんじゃねーよ。難しい顔してよ?」
「まあな。非常に難しいことを考えていた…」
「できる刑事ってのも大変だな、額に皺ばっかよせてよ」
「…まあ、な。で、用ってなんだ?」
「おう、そうそう!またいつもの相談なんだけどな、」
 そう言って500円玉を放る。相談料だそうだ。借りは作りたくない、と、どんな案件でも定額の500円・・・。繰り返すが、借りは作りたくないから、と。
「いつもの…探偵ごっこか?」
「そうそう、ワトソン君。君に頼みたいことがあるんだが…
って、ごっこじゃねーよ!俺は探偵!もう初めて丸2年!この春から3年生!
高校だったら後輩たちの羨望の眼差しを集める憧れの的の最上級生!」
 無駄に元気だな、高校生の探偵さん。真実はいつも一つ、か?
「先輩!」
 突然、駆けつけながら横やりを入れる第三者。
「なんだね、後輩!」
「あなたじゃないです。なんであなたの事を先輩と呼ばなければいけないのですか」
 やてきたのは私の職場の後輩、豊島恵一。
「何を言う。私は君にとって人生の先輩にあたるではないか。敬え」
「お断りいたします。てか、賀陽さん、また先輩を頼るんですか?よくそれで平気で探偵だなんて言ってられますね」
「何を言う。人生の先輩として君に一ついい事を教えよう。人脈もまた能力。コネもまたカネのタネ。覚えておきたまえ」
「こんなこと言ってますよ、加藤先輩。先輩はカネのタネですって」
「まあ、一理あるな。賀陽もまた俺にとってはカネのタネ。役に立つ時もある。WIN―WINってやつだ」
「先輩はあまいなぁ」
 事実、助かってはいるんだがな…。こいつに貰った手柄も少なくない。
「それより先輩!警視が及びです。…てか、携帯、電池切れてません?」
「ああ、携帯ね。電池はきれてないよ」
「電池は切れてない…。電源を切っているって事ですか?」
「察しがいいね。優秀な刑事になれるよ。切ってる理由も察してもらていいかい?」
「やれやれ…。賀陽さん、先輩に変な影響あたえないでくださいよ」
「俺のせいか?なあ、今の俺が悪いのか?」
「ええ。賀陽さん。あなたは、もしなにかやらかして捕まって、メディアに露出する事になったとしたら、『自称・探偵』という肩書で紹介される人間ですよ。そんな人間が人様にいい影響与えるわけないじゃないですか」
「なに?!それは捕まるような事をしたら、だろ?『自称』がいい影響を与えないんじゃない。捕まるような人間がいい影響を与えないだけだ。世の中にはな、人の助けになっている『自称・占い師』とか、人に感動を与えている『自称・小説家』とかな、『自称』でもいい人間だって沢山いるんだ!自称をバカにするんじゃない!」
 賀陽、『自称』は否定しないんだな…
「で、豊島?何か用だったかな?」
「やれやれ…。警視には行方不明と伝えておきます。捜索願ってどこの窓口行けばいいんでしたっけ…」
「いい判断だ。もう立派な『優秀な刑事』だな」
「せっかくだから僕も少しサボってからもどろうかな・・・行方不明と判断するにはまだ早すぎるし・・・」
 私は後輩に恵まれいる。
 ポケットの500円玉。意外と役にたつもんだな。
「豊島、捜索資金だ」
 500円玉を投げ渡す。
「僕が好きな『ダーク モカ チップ クリーム フラペチーノ』のグランデサイズは510円。10円分はツケときますからね」
 豊島は500円玉を親指で弾きながら、スターバックスのあるオフィス街へあるきだす。
「あいつ、甘党なんだな…」
 いかにも意外だという顔を作り、賀陽がつぶやく。
「ああ。自分に対してはかなり辛党なやつだがな」
「ほう?」
「あいつ、宮城出身なんだよ」
 賀陽がこちらに目を向ける。
「でも、自分から故郷の事は一切口にしない」
 表情が曇る。
「ふむ・・・」
 ・・・・
「で、賀陽?用ってのは?」


3.事件 語り部:加藤保憲(サラリーマン刑事)

 賀陽は新宿、特に歌舞伎町の住人に贔屓にされている私立探偵。2年目ながら、派手にトラブルを解決するので、顔は売れ始めている。相当な剣道の腕をもっている彼は、最後はいつも力技で強引に決着をつける。(今のところ正しい(であろう)結果には導いているが。)よって、彼の事を用心棒稼業の人間だと思っている人もいるようだ。顔が売れた探偵・・・商売になるのかは疑問だが、今のところ経営は続いているようだ。

 さて、本題だが、3日前、彼のお得意さんのクラブの店長が相談を持ち掛けてきた。その1週間前からホステスが一人出勤してこないという。実家は関西で、震災の影響はない。今まで一度も無断欠勤はなかったので、不審には思っていたものの、状況が状況なので、なにか事情があるのだろうと思い、放っておく事にしたらしいのだが・・・相談にくる2日前、2人目のホステスが行方不明になったという。
 賀陽とは互いに情報提供の約束をし、その日は別れたが・・・

 その2日後。一人目の行方不明者が、新宿区戸山公園で遺体となって発見された。

 ―――捜査室。
「先輩。この状況下なので行方不明者は数えきれないほどでていますが、2週間以内の発生、歌舞伎町のホステスで絞込をかけると、他に2名の行方不明者がでています」
 豊島の手で2枚の写真がホワイトボードに張り付けられる。
「これも張っておけ」
 張り出した写真とは別の女性、2名分の写真を差し出す。
「これは?」
「賀陽からの情報だ」
「賀陽さんの?」
「三鷹の在住の専業主婦、それと西麻布在住のOL。ホストクラブの常連らしい。この二人も行方不明者だ」
「なるほど。さすが賀陽さん。夜方面には明るい」
 ・・・賀陽のこと、認めてはいるようだ。
「やっぱり星は歌舞伎町ですかね…」
「お前も言っていただろ?行方不明者は数えきれないほどいる。他にも注意は怠るな」
「はい」
「お前は歌舞伎に限らず、広く情報を集めてくれ。俺はひとまず歌舞伎に焦点を絞る」
「承知しました」
「しかし、死に方も気になるな。外傷無し…。司法解剖の結果がでたら知らせろ。私は出てくる」


4. 歌舞伎町 語り部:自称・探偵 賀陽(カヤ) 陽一郎

 いたるところで目にする無料案内所。そのひとつ…
 昼間から大声を張り上げる一人の男性客。
「ちょとまてよ、少し高すぎない?」
「でもね、カヤさん、あのお店はこの街の新しい顔だよ?そのくらいするよ」
・・・俺。
「や、でもさ、俺も情報、いつも流してやってるじゃん。得意先の懐具合とか」
「カヤさんがくれるのは、いつもだいたいわかってる情報ですよ。情報は鮮度が命なの。賞味期限ギリギリの情報なんて価値ないの。情報屋なめないでくださいよ」
「な、なんだと!?」
「それにね、あそこを仕切ってるのは、いつもはいがみ合ってる3団体。奇跡のコラボレーションだよ?裏があるに決まってるんだから、情報にガチガチのセキュリティが掛かってるのは当たり前。情報が高くないわけないじゃない」
「そうなのか!いつもは、ねぇ…。へえ、さすがだな」
「そんなのこの街に住んでれば小学生でも知ってます。そんなことで感心しないでくださいよ。情報屋なめてもらっては困ります。おまけに、あそこは政府も関わってるって噂だし」
「ほお?政府?」
「そう、政府。なんか、永田町で秘書やってるやつがお忍びで通ってるらしいですよ。男なのにホストクラブに。毎回VIPルームだって。うまい酒でも出るんですかね?」
「へえ。どんな酒?」
「さあ、どんな酒なのかね?」
「さすがのお前もそこまでは知らないか…」
「なに? ・・・VIPルームの酒はしらないけどね、バックヤードの酒の肴は知ってるよ!
「なんだ?」
「なんかね、あそこのオーナー夫人、行方不明らしいよ。実権握ってるのは夫人みたいだからね。他の店に付け入る隙ができるかもしれないし、どっかの団体が誘拐した可能性もあるから、トップシークレット。バックヤードでも一部の人間しか実情をしらない、特上の肴。3団体の仲間割れかもね」
 …なかなかいいネタを持っているんだが、お喋り好きってところがこいつの欠点だよな…
「ごちそうさん!なかなかうまい肴だったよ」
「ん?ああ。いいえ。…って、かーー、しまった!仕入れたてほやほやだから、今の肴、100万くらいはするよ?」
「買った覚えはねえぜ?こんど、VIPルームのうまい酒、おごってやるよ」
「ちょとまて、ちょとまて、お兄さん―――!」
 わめく情報屋。次から次へと言葉を発している。お喋り好きの情報屋。よく成り立ってんな、まじで。

5.「Fascination」 語り部:私立探偵・賀陽 陽一郎

 歌舞伎町の一角。雑居ビルではなく、4階建ての建築物。看板には「fascination」という文字がしっとりとした調子で主張されている。電気がついてなくてもその趣味の悪さは容易に想像ができる。紫がかったピンクのそのネオンの下には、まっ昼間にもかかわらずタキシードにサングラスをした白人が後ろに手を組んで佇む。彫刻って感じ。
「fascination…『魅惑』ね」
 ダビデ像の視界からはずれた角の、コインパーキングの看板によりかかり、煙草の煙を眺める。はたから見ればまさに探偵映画のワンシーンだろう。…かっこつけてるわけじゃねえよ?でちゃうんだよね、こういう雰囲気。
「探偵さん!路上は禁煙ですよ!」
 いきなり後ろから声を掛けられる。背後をとられるとは、不覚だ。一人の女性。この街特融のケバケバしい匂いはしない。
「絵美子。来るなっていってるだろ?」
「なに言ってるのよ。私はあなたの助手よ?」
「助手にした覚えはない!お前は事務だ」
 俺の事務所で、俺意外の唯一のスタッフ。立場的には俺が上。歳も俺が上。こいつは1年前に社会人になったばかり。社会人歴も俺が上。でもタメ語。なのに雰囲気は清楚なお嬢様って感じ。なんで俺のところにきたのかは不明。
「あそこが今回のターゲットね」
「聞いてるのか…お前は―」
 声を押し殺して怒鳴る。その途端、わが探偵事務所の大事な教育を遮り、近づくもう一つの影。
「おい、探偵。あそこがOLが通っていた店か?」
 なんだよ、まったく。
「加藤…。お前も邪魔しに来たのか。兄妹そろって…」
 加藤は、俺の助手…じゃなかった。事務員に向かい、諭すように語り掛ける。
「絵美子。賀陽についてまわるなと言っているだろう。事務と受付だけという約束で働かせてやっている。医大に通わせてやったにも関わらずだ。私は自分が非常に寛容な心をもっている人間だと思っているのだが、あいにく限度というものも持ち合わせているんだぞ?」
 そう、こいつらは兄妹。兄が学費を払ってたらしい。聞いたことはないが、複雑っぽいな。
「兄さん。私も空手の学生チャンピオンよ!このくらい平気だわ」
 でた。またその話か。
「そういう問題じゃないだろ」
 がんばれ、兄。
「チャンピオンといってもサークル内の試合での話だろ?まともな大会に出たこともないくせに。賀陽、どういうつもりなんだ?絵美子になにかあったらどうする?」
 いやいや、俺に言われても…
「なに言ってるのよ、失礼ね。賀陽さんは強いのよ!いざとなったら賀陽さんが守ってくれるわ。ね?」
 そういう問題じゃねえだろ。
「…守らねぇよ。さっさと帰れ」
「賀陽、守れよ。絵美子になにかあったら殺すからな」
 この兄弟は…
「加藤、言っとくがな―」
「うるさい!車がきたぞ」
 ・・・てめぇ。
 店の前に横付けされる一台の高級セダン。運転手が車を降り、ダビデ像に向かって拝礼するように頭を下げ、祈りの言葉をささげる。と、ダビデはインカムの電波にのせて宮殿の中へとその言葉を告げる。
 数分後、スーツにメガネ、似合わないハットを深めに被った中年男性がホスト達に周りを固めながら店から出てきて、車に乗り込む。パトロン様のお帰りだ。まだ昼間。ホスト達の時間外出勤はさぞ高くつくだろう。ホスト達が頭を下げると、静かに車が走り出す。さぞかしいい乗り心地の車なんだろうな…。乗ってみたいもんだ。
「あいつは?」
 加藤が車のナンバーを手帳に控えながら聞く。
「永田町にお住まいの某秘書様。某財務省所属。あいつはゲイって話。ただの客だな。俺たちの税金の使い道が変態野郎の趣味に使われてると思うと悲しくなるぜ。あ、お前も税金で飯くってんのか」
「給料になってからの使い道は個人の自由だ」
 たしかに。公費で飲み食いしなけりゃな。
「ま、なにかあった時のゆすりのネタに写真は抑えてるがな。使いたくなったら言ってくれ。安くはできないけどね。週刊誌に売りつけても相当な額だ」
「ふむ」
「それよりよ、送り出したホストいただろ?あんなかの背のちっこいの。あれが本命だ」
「あの左耳に3つピアスをあけてたやつか」
「あいかわらずすごい観察力だな」
「右側にいたのは、左目の下にホクロ。背の高いのは手の甲に縫った痕があったな」
 なんともまあ…
「ちなみに運転手は、首にアザがあったわね」
 絵美子が口をはさむ。
「お前ら兄弟は化け物か!」
 実際、こいつが助手だったらめっちゃ役に立つんだろうな…。悲しかな、俺より向いてる気がする…
「で、ピアスになんの用だ?」
「源氏名は智樹。あの店のNO.1だ。聞き込みをしようと思ってな。出待ちだ。俺もゲイだったら無駄な時間を使わずに客として入るんだが、あいにく俺は女の方が好きだからな」
 絵美子に睨まれた。…こわっ。
「警察手帳が必要になったら言ってくれ。妹の機嫌が悪くなると手におえない」
 …だな。しかし、お前のその一言、妹さんの機嫌、悪化させてるぞ。
「はっはっは」
 …空気よめよ。
 笑う警官は、空気を読まないまま、上着のポケットから携帯を取り出す。
 どうやら、こいつの携帯が主人に代わって空気を読んでくれていたようだ。
「加藤だ。………ふむ。わかった。署にもどってから聞こう」
 電話をきり、腑に落ちない顔を見せる。
「司法解剖の速報だ。遺体に外傷がないのは話したよな?毒殺が考えられたが、なんど調べても、消化器どころか、全身どこにも異常はないらしい。胃の中はからっぽだったが、水分、栄養分、どちらも不足していた様子はみられないそうだ」
「原因不明の心配停止?」
 医大卒の探偵助手が口をはさむ。
「ところが、血中の酸素はいまだに豊富」
「…チアノーゼも出ていない…」
「脳と心肺は完璧に止まっているのに、血中酸素濃度は通常。体の細胞は仮死状態ってことだな」
 俺も、医大の一つでも行っとけばよかった。
「理解できないわね…」
 医大に行けばいいって訳でもないらしい。
「ひとまず、俺は署にもどる。絵美子、この件にかかわっている行方不明者はおそらく女性だけだ。もうこれ以上かかわるな」
「ええ…」
「賀陽、お前も関わる必要はないんだぞ?いや、手をひけ」
「わるいな、俺も仕事しなきゃ飯くえないんだ。せめて原因だけでも説明できないと今後にも関わる」
「賀陽、原因はわかったら教えてやる」
「あ?」
「探偵ごっこで解決できる問題じゃない」
 …プチン。短気が俺の欠点だとは分かっている。が、我慢できなものは我慢できない。
「『ごっこ』だと?てめぇ!」
 加藤の胸倉をつかみ、俺様の怒りの鉄拳をお見舞いしてやろうとしたその瞬間―あたり一帯でサイレンが鳴り響き、胸倉から手を離した俺の横を数台のパトカーが脱兎のごとく駆け抜ける。加藤の携帯も共鳴する。
「加藤だ。………そうか。わかった。今近くにいる。急行する」
「んだよ?」
「二人目だ。新宿御苑」
 …チッ
「俺の客じゃないだろうな?」
「わからん」
「俺も行くぞ。絵美子、事務所にもどってろ」


6. 第二の被害者 語り部:プロの刑事・加藤保憲

 新宿御苑。ここの桜も他の名所にたがわず、満開を誇っていた。
 そんな木々の中でも殊更に見事な巨木の周りに人が集まっている。無論、花見ではない。制服を着た警官たち。人垣をかき分け、巨木の前へ―――絶句。あまりの酷さに、ではない。あまりの美しさに――。
 とても死んでいるとは思えない健康的な表情。すやすやと眠っているようだ。その眠れる森の美女をやさしく抱きかかえようとするかのように、桜の枝が地面すれすれまでその腕をさしのばしている。
 死体の芳香に誘われ、カラスでも群がっていたのか、黒い羽根があたりにちらばり、絶妙なコントラストで妖艶さを演出している。
「おい、加藤、死んでんのか?」
 ああ、こいつも来てたんだっけ。賀陽の声で我に返る。俺は見とれていたのか?
「この遺体はお前の客じゃないな」
「…だからなんだ?俺には関係ねぇってか?」
 そうだ、喧嘩してたんだった。よかったなって意味だったんだが…のっかっとくか。
「お前の客じゃない。ここは部外者の人間が入ってきていい場所でもない」
「てめ…」
 言葉がでないようだ。ちと言い過ぎたか?
「…いいだろ。本気の『探偵ごっこ』見せてやろうじゃねえか」
 ごっこ?ああ、歌舞伎町のセリフ、引きずってんのか。女々しいやつだ。
「先輩!遅くなりました」
 ナイスカットイン、後輩。
「豊島、規制線を広げろ。この公園一帯だ。それから、今この公園にいる人間は全員事情聴取。ただし、事件の後からやってきたこの賀陽さんには帰っていただけ。こいつはこの遺体に関係のないまったくの白だからな」
「加藤、このやろ…」
「先輩?なにかあったんですか?」
 なにかあったかじゃない。異常な殺人事件だ。この件はヤバい。今までの事件では感じたことのない不安感が全身を襲う。
「なにもない。当たり前の事を言っているだけだ」
 豊島は賀陽に一瞥をくれてから続ける。
「わかりました。取り急ぎ一つご報告が」
 賀陽に聞き取れないよう小声でさらに続ける。
「先日の遺体、先ほど、腹部にみられていた盲腸の手術の痕が消えたそうです」
 !?
「検死の先生もパニック状態で・・・細胞が単細胞化しているとか、細胞分裂がなんとかとか・・・なんやら喚くばかりで・・・」
 ・・・これは「ヤバい」という現代特融の非常に汎用性のある都合のいい言葉で表現できる限界値を超えている。
「…賀陽、ここは俺にまかせろ。お前はお前に関係のある女性を全力で探せ。一刻を争う」
「どうしたんだ?」
「この事件は…ヤバい」
 くそ、私のボキャブラリの限界値はこんなもんか…
「豊島、なにしてんだ、早くしろ!」
「先輩、警視から電話が…ちょっと待っててください」
「おい、加藤。ヤバいってなんだよ」
 ほんと、ヤバいってなんだよな。
「わるい、俺にもよくわからんが、こないだの遺体に異常があるらしい・・・」
「だったら、俺にもこの現場立ち会わせろよ。そんなに信用ないか?」
「だから!お前の客を一刻もはやく探せっつってんだよ!」
 ちっ。どなっちまった。冷静じゃないな…
「先輩。警視がこの件からは手を引けって…解決できなければキャリアに傷がつくと参事官が仰っているとか…」
 …っくそ。参事官は私の「育ての親」だ。直接血も繋がっていなければ、苗字も違う。会社には事情は伏せているが、こんな時だけ父親面する…。昔からそうだ。かつて香川県警へ異動の内示が取り消され、変わりに賀陽に内示がまわった時も…
「…先輩?」
「豊島。俺は休暇をとるぞ」
「…先輩」
「賀陽、本気の『探偵ごっこ』見せてくれるって言ったよな?悪いが、俺もつき合わせてもらっていいか?」
「は?」
「都合のいいことを言っているのはわかっている。しかし、事情が変わった」
「てめえの事情なんかしるかよ。説明しろ」
「わるい、後でじっくり説明する。この事件は俺の手…いや、お前と俺の手で解決したい」
 ――都合のいことを言っているのはわかっている…。
「ちっ。じっくりじゃなきゃ分からんような説明ならいらねえよ。めんどくせえ」
 …本当、いいやつすぎる、こいつは。
「わるいな」
「一刻を争うんだろ?ひとまず、あのジジイを捕まえて茶でもしばくぞ、助手」
「助手?」
「まずは探偵の修行を積め、助手。それより、あのジジイだ」
「じじい?」
 賀陽の目線の先を追うと、初老の紳士が規制線の外から遺体を眺めていた。
「なんであのご老人を?」
「探偵の勘だ。本気の『ごっこ』を見たいんだろ?」
 興味本位の野次馬という様子でもなく、ただ一心に遺体を眺めている。好奇心の目でもなく、遺体を見ているにもかかわらず顔をしかめることもせず。たしかに、あの目はあちら側(犯罪者側)かこちら側(犯罪者を追う側)か、どちらかの目だ。
…たよりになるぜ、相棒。俺は冷静さを欠いているようだ。
「豊島、わるいが、しばらく署には戻らない」
「…承知しました。先輩は働きすぎです。少しお休みになられたほうがいい。休日出勤の代休と有給、1カ月分くらいはたまってますよね?届け出は出しておきます。はんこはデスクの中ですか?」
…たよりになるな、後輩。
「そうだ。わるいな」
 さっきから「わるいな」ばかりだ…
「この現場の事は後で報告しておきます。気になる事があれば連絡ください。うまく動きます」
「…わるいな」

7. はなさか爺 語り部:「自称探偵」の助手・加藤保憲

 喫茶店。遺体の発見現場を観察していた爺さんを捕まえ、話を聞く。取り調べではない。話を聞くだけだ。探偵だからな。
「たばこもらえるかい?」
 ずうずうしいな…。賀陽が「話をききたい」と声をかけると、「お茶奢ってくれるんだろ?いいよ」と答えた。会話が聞こえていたらしい。地獄耳。そして、席について一言目がこれだ。 
 賀陽は何も言わず、胸ポケットからハイライトを取り出す。
「お、いいのもってるね。うまいんだ、これ。戦後を思い出すね…」
 70歳ってところか。
「おい、助手、灰皿もってこい」
 …しかたない。私は助手だからな。
 カウンターで灰皿を受け取り、席に戻ると、ご老体は煙草の煙を眺めている。いや、見つめている。観察するように。70歳?そのしっかりとした鋭い目つきはとても70歳とは思えない。何者だ?賀陽がこの老人をつれてきたのは正解だ。
「おい、ジジイ、何者だ?」
 唐突な賀陽の質問。
「賀陽、ジジイは失礼だろ」
「助手、こいつは現場での俺らの会話を聞いていた。今更ジジイ呼ばわりを撤回しても意味はない」
「おわかいの。加藤さんとかいったかね?この生きのいい兄ちゃんの言うとおりじゃよ。ジジイで結構。事実じゃしな」
 …どこから聞いていたんだ?
「で、ジジイ。何者だ?」
 老人は煙草の煙を大きくはきだし、灰を灰皿に落としてから話しはじめる。
「この煙草の灰、肥料になるのを知ってるかね?」
「しらねえな」
「もちろん、肥料として売っているものには到底かなわないが、こんなに有害とされるものでも、燃やして灰にすれば植物の成長を促すことができる」
「答えになってないな。名前と職業を…」
 思わずでてしまったいつもの業務的な質問。賀陽に片手で制される。すかさずご老体。
「加藤さんや。あんた今警察は休んでるんだろ?探偵さんのやりかた、見てみるのもたまにはいい勉強になるぞ?」
「悪かったな、爺さん。続けてくれ」
「すまないね、話の途中だった。歳とると説教が好きになってしまうようでね。で、だ。そうそう、君たちは『花咲爺』を知ってるかな?」
「もちろん知っている。内容はあまり覚えてないがな」
「さもあらん。じゃあ、まぁ、あらすじをちょっと話させてもらおうか。ある日、人のいい爺さんが子犬を拾った。拾った犬は主人に土にうまった宝のありかを教える。性格の悪い隣人が犬をかせと強要し、虐待を加え、強制的に探させる。しかし、出てきたのはゴミやガラクタ。隣のジジイは犬を殺してしまう。人のいい爺さんは犬を庭に埋め、墓をまもるために傍らに木を植える。すると夢に犬が現れ、その木を切って臼を作れという。その臼で餅をつくと、財宝があふれ出す。隣人がそれをみて、臼を奪うが、出てくるのは汚物ばかり。隣人は激怒し、臼を燃やす。人のいい爺さんは、供養しようと灰を返してもらう。すると、また犬が夢に現れ、灰を枯木にまけという。すると花がさき、通りかかった大名に褒められ、褒美をもらう。隣人が真似をすると、灰が大名の目にはいり、罰をうける。ざっと、こんなストーリーじゃ」
 賀陽は真剣な目で爺さんの話をきく。
「話の中では灰をまいて花を咲かせているがな、花を咲かせているのは物理的な灰の効果ではない。あれは『犬』の魂じゃな。『灰』は魂の力を引き出す媒体の役割を果たしとるにすぎん。」
 まじめなに話してもらいたい、と口からでそうになったが、賀陽はまだ、まじめな態度で話を聞いている。見守るか。助手だからな…
「でな、あれは『犬』ということになっとるが、実は人の子でな。いわゆる『霊力』が強い子、『鬼の子』といわれ忌み嫌われ、親に見放されてしまった捨て子でな。性格の悪い隣人に作用した力がいわゆる『怨念』というやつじゃ。そして、拾ってくれた人のいい爺さんに作用した力を『好念』とでも呼ぼうか。ようするに、魂というのは良くも悪くも作用する。さっき煙草の話をしたな?同じように、例え有害とされる魂でも、場合によっては良い方向に作用する可能性も残されておる。そして、魂は桜の木を拠り所にする。今でも桜にまつわる怪談は多々あるが、花咲爺はその最も古い例のひとつじゃな。そして儂は、桜にあつまる魂を極力良い方向へと導こうと日々務めておる」
 …なにを言っているんだ、この老体は。
「おわかりかな?」
 私の視線は自然と賀陽へ。相変わらずの真顔。
「…わからん」
 おもわずこける。コントみたいに。老体もともに。こんなリアクションとったのは生まれて初めてだぞ、賀陽。
「おうおう、さようか。頷いてくれておったから、わしゃてっきり納得しながら聞いていたものと…」
 老体が動揺している…。決して狼狽えないタイプかと感じていたが、こんなに早くスキを見れるとは。賀陽の計算か?
「わからんが、ようするにジジイは狂ったように桜が好きなんだろ?で、桜を毎日見ている。で、そのジジイだからこそ引っかかる何かをみつけた。違うか?」
「…まあ、そうじゃな。間違ってはおるまい」
 こいつは、人の心を観察するのが異常にうまい。
「で、俺たちになにか伝えたいことがあって、あの場にいた。違うか?」
 こいつの人の心を読む力には敬服する。この力があるから探偵としてやっていけているんだろう。
「…流石じゃの、探偵事務所パールの賀陽さん」
「爺さん、俺たちのこと予め知っていたのか?」
「いかにも」
「なるほど。爺さん、あんたの正体はもういいや。とりあえず要件を聞こうか」
「兄さん、いい性格してるね。大物だ」
「いいから早く話せ。時間がないんだろ?まわりくどいものいいんだが、その実、あんたの行動は最短ルートだ。あの死体を見なけりゃさっきの話も黙っては聞いていない。俺がじいさんに声かけたタイミングも、じいさんの計算通り、なんだろ?」
「こわいな。これほどとは。よかろう。新宿の花園神社、知っているな?あそこに小さな桜がある。2日前からあの木に異質な力が注ぎ込むのを感じとる」
「花園神社だな。わかった」
 賀陽は名刺を取り出し、テーブルに投げ置くと、席を立つ。
「おい、賀陽」
「じいさん、電話くらいできるだろ?なにかあったら携帯に電話しろ。加藤、いくぞ」
「賀陽、信じるのか?」
「加藤、勘ってのは意外と頼りになるんだぜ?経験あるだろ?俺の勘が、この爺さんの勘を信じろと言っている」
 私は勘を決して頼りにしない。だが、賀陽は頼りにしている。
 賀陽はさっさとドアを出ていく。爺さんはテーブルに額を押し付け、頭を下げている。
 ・・・おい、賀陽、会計がまだだぞ。


8. 刺客 語り部:パール探偵事務所パール・所長 賀陽 陽一郎

 花園神社。たしかに、2日前、桜の木の下に一人の女性が倒れていたらしい。あのジジイ、くそ怪しいぜ。
そんで、その女性はここの宮司に看病されて本殿に横たえられている。なぜ、救急車を呼ばなかったか尋ねたら、ここの宮司も奇妙な事をいいやがる。「ここ(境内)から出さないほうがいい気がした」だと。でもって、「安心しい。私は医師の免許をもっている」だとよ。今年75歳。今日はまったく変な爺さんにばかり会う日だぜ。
まあ、ひとつ、いい報告ができる。この女性は俺の客だ。命はある。だが、悪い報告もしなければならない。二日間意識を失ったままだ。
 ひとまず、警察への連絡は加藤に判断を任せたが、豊島にだけ連絡をし、上には報告しないこととした。報告しちまったら加藤がこの場をはがされるのは目にみえているからな。まあ、緊急時対応で近くの新宿区役所にも警官が詰めているし、大丈夫だろう。
それと、少し心配だが、医療の心得のある我が事務所の事務員、絵美子も召集した。医大をでているとはいえ、神主爺さん一人に任せるのは心もとない。まあ、俺の事務所はこの裏、ゴールデン街のはずれにある。事務所にいても危険度は対して変わらないきもするしな。
 ん?俺の事務所の名前?なんでパールっていうのかって?ふふ、よくぞ聞いてくれた。新宿をもじって真珠。で、パールだ。真珠には、心を守ると書いて「心守」っていう意味も込めてるんだぜ!なかなかイカしたネーミングだろ?加藤は無反応だったがな。絵美子は笑いながら「いいんじゃないですか」だとよ。嫌な感じだぜ、まったく。
 で、だ。ひとまず神社は加藤に任せて、クライアントに現状報告。その前に、ちょいと我が事務所に寄ろうとしたわけだが…。
 事務所の横に覆面を被った招いていないお客が一人…。
 待ち伏せもいーけどよ、その覆面は目立ちすぎだろ、アホ。しゃーねーな…
「なんか御用っすかね?お客さん」
 案の定、襲い掛かってきやがった。獲物は白昼堂々ナイフ。路上だぜ?
 めいっぱい伸ばした手にナイフを突き出して走り寄る。素人だな。本気で刺す気なら、ナイフは腰元に構えて、体ごとタックルするのがセオリーだぜ?
 体を捻り、覆面のナイフを右に捌き、腕をからめとる。そのまま腕を相手の背中へ捻りあげるとナイフを落とし、うめき声をあげる。
「賀陽さん!!」
 豊島の声。背後からかけられた突然の叫び声に思わず手を緩めると、覆面は腕を振りほどき、ナイフを拾い、手を伸ばしてくる。左手で覆面の腕を払いながらつかみ、右手で胸ぐらをとらえ、俺に向かってきた相手の勢いを利用して巴投げを決める。さすがの至近距離。少し焦ったぜ。
「くそっ」
 ん?今のは豊島か?こいつ、俺の事嫌いなのは知っていたが、そこまでだったか!
「おい、後輩!今、くそッて言わなかったか?」
 豊島は気を失った覆面に手錠をかける。
「や、賀陽さんが襲われてたので、一足遅かった自分の不甲斐なさにね」
 ふむ。
「で、なんでここにいる?」
「加藤先輩にあらましを聞いた後、新宿署の仲いいやつに連絡したら、ゴールデン街付近の、それも賀陽さんの事務所の近くに不審者がいるという通報が入ったとききまして。慌てて駆けつけました」
 さすがにこの覆面だ。そりゃ通報もされるだろう。
「豊島くん、よい心がけだ」
「怪我はありませんか?」
「巴投げで服がよごれた」
「よかった、大丈夫そうですね」
「聞こえなかったか?服がよごれた」
「見事な腕前ですね。加藤先輩から話だけは聞いていましたが、半信半疑でした。これから、賀陽さんの野蛮な腕前だけは信用いたします」
「てめえ」
 やはりさっきのつぶやきは俺に対してか。
「さて、この覆面つけたほうの野蛮人、どうします?とりあえず、事務所お借りしてもいいですか?」
 さすがに野次馬が集まってきたな。
「よかろう。私は鍵を開けなければならない。君、一人でその野蛮人を担いでくれたまえ」
 ちいせぇな、俺も。

9. 繊細な問題 語り部:ホープ・豊島恵一

 賀陽さんの命が無事でよかった。でも、怪我くらいしてほしかった。
 恨みがあるわけではない。加藤先輩の話を聞くかぎり、賀陽さんは尊敬に値する人だ。正直、人間的にはあまり好きではないが。
 とにかく、今回の事件から戦線離脱せざるを得ない程度に怪我をしてほしかった。
 喪服のような黒いスーツに白い手袋の男。謎の男が僕の前に現れた。彼に加賀さんの襲撃を告げられ、ひとまず駆けつけた。賀陽さんの事務所の前には覆面の男がひそみ、賀陽さんはまだ来ていなかった。覆面がナイフをもっている事は聞いていた。僕はひとまず身をひそめた。賀陽さんが来た。怪我をしたところで飛び出そうと構えていた。しかし、賀陽さんは強かった。僕の想像を超えて強かった。
 あっというまに覆面を制圧した。怪我をしてほしかった。僕は声を掛けた。狙い通り、形勢は変わった。でも、それも一瞬だった。
「おい、後輩君。そいつの覆面をはいでくれたまえ」
 賀陽さんの小さな事務所。その床に覆面の男が転がされている。賀陽さんは煙草をくわえ、インスタントコーヒーの粉をカップに入れている。
「が、賀陽さん」
「なんだ?」
 賀陽さんはインスタントコーヒーの入ったカップをひとつテーブルの上に置き、ソファに座り、煙草に火をつけた。
「なんだよ?」
 僕はしばらく次の言葉を見つけられず、賀陽さんの行動をみつめていた。
「なんだっつの」
「…マスクが首に縫い付けられています」
「…」
 賀陽さんはしばしの沈黙を作った後、デスクへ向かい、ハサミを手に取ると静かに覆面に近づく。
「薬中か…」
 そうつぶやくと、ハサミで覆面の糸を一本一本切る。
 切り終えると、マスクをはがす。
「やっぱり、クスリ打たれてるな」
 賀陽さんは、閉じられた目を指で押し上げ、瞳を覗き込む。平然と。
「ラリって、マスク、とっちまうからな」
「賀陽さん、なんで平気なんですか?」
「まあ、この街にはこのくらいの事するやつは、結構いるからな…」
 この人は、どんな修羅場をくぐってきたのだろうか。
「理解に苦しむよな、ほんと」
 新宿で看板を構える凄さを、今はじめて感じる事ができた。しかし、あの黒服の男は、どうしてこんな奴らと繋がっているのだろうか。政府の人間と名乗っていたが…
「中国人っぽいな。おい、この顔、心当たりあるか?」
 確かに、あの男は、「刺客を差し向けた」と言っていた。
「聞いてんのか?まぁ、心当たりなんかあるわけないか。どうせ鉄砲玉の中の一発だろう」
 僕は彼の指示に従うべきなのか…
「おい、加藤に連絡しろ。一応、こいつの顔、写メって、お前んとこのデータベースと照合しといてくれ。急ぎでな。なにせ、俺の命が狙われたんだ」
 これほどの力をもった組織、従うしかない…
「おい、やんのか、やんねーのか!」
「や、やります!」
「あ?お、おう」
 しまった。冷静になれ…
「大丈夫かよ、おい」
 冷静に…
「後輩君、ほんとに捜査一課?それとも、あれか、ゆとり世代ってやつか。いつもは事件が起きた後に偉そうにのこのこ出てくるだけだもんね。当事者になるとテンパっちゃうってか?」
 …おいっ
「なんといいました?」
「このあまちゃんがって言ったんだよ」
 …冷静に
「じぇじぇじぇってか」
 …なれない
「賀陽さん。あんたみたいに一課リタイアした人に言われたくないですね。私は自分が刑事であることを誇りに思っていますが、直接ではないにしろあなたの後輩にあたる事を恥に思います」
 …しまった、つい、こらえきれなく…。
「よしよし、正気を取り戻したようだな。ではひとまずこのコーヒーを飲んで落ち着いてから君の偉大なる大先輩、加藤君に連絡をいれてくれたまえ」
 このコーヒーは僕に入れてくれていたらしい。
「さっきは君ひとりにこいつを運ばせてしまったからな…」
 僕一人に運ばせたこと、正直むっとしたが、反省しているようだ。
「すみません、自分、コーヒーは砂糖とミルクを入れて飲むんです」
「あ?」
「甘党なんですよ。普通、砂糖とミルクも一緒にだすでしょ」
「なんだと、いちゃもんつけんのか!?せっかく気を使ってやったのに。あー、損した」
 ガサツに見えるが繊細な人らしい。


10.回復 語り部:偉大なる先輩・加藤保憲

 絵美子が神社に到着して、事態は展開を見せた。絵美子が眠っている女性の額に手を当てるのをキッカケに、女性が瞼を動かした。まだ意識ははっきりしていないようだが、壁に背をつけて座り、絵美子の手により水を口に含まされている。
 そして、先ほどの豊島からの電話。こちらは、絵美子に話してしまうと、事務所に駆けつけてしまう恐れがあるため、彼女には伝えていない。
眠りから覚めた女性の介抱もあるので、ここを離れる事はないような気もするが、我が妹ながら、彼女の行動は予測できない所がある。
 ひとまず、今警察に介入されるとやりずらくなるので、豊島には覆面の男はそのまま事務所に拘束するように指示をだした。賀陽は冗談じゃないと喚いていたようだが、まあ、彼もわかっている事だろう。パフォーマンスだ。覆面の男の正体は豊島経由で本庁のデータベースとの照合を進めている。運がよければなにか手がかりが得られるだろう。
「兄さん。彼女、落ち着いたわ」
 私は覆面を被っていたという男の写真が表示された携帯から視線を彼女に向ける。
「お名前は、天野京子さんですね?お話できる?」
「ええ」
「お体は大丈夫ですか?」
「はい。ありがとうございます」
「私は加藤保憲といいます。警視庁捜査一課で刑事を務めています」
 刑事という単語を聞き、彼女に安堵の表情が見える。何事にも肩書は大事だ。
「なにが起こったか、お話できますか?」
「それが、よくわからないのですが…」
「ゆっくりで結構です。思い出せるところからいきましょう。なぜここへ来たかわかりますか?」
「えっと…声が聞こえて」
「声?」
「はい。桜の木へ向かえ、と」
「誰の声でした?」
「わかりません。男の人の声…」
「知ってる人の声ではない?」
「わかりません」
 …催眠術か?
「そうですか。桜の木と言われて、なぜここへ来たかわかりますか?」
「えっと… 私、昔ここの境内で開かれたイベントで踊った事があって。あ、私大学生の頃、ダンスをやってたんですけど、それでイベントがあって、ここで踊って。その時、階段の下のところの木に桜が咲いてて、それが綺麗で。それ以降、えっと、歌舞伎町で働いてるんですけど、嫌なことがあるとここに来るようになって。それで、桜と言われてここに来たんだと思います」
 無意識下で一番に思い立つ桜の場所。やはり催眠術の類か?
「なるほど。では、その声はいつ頃から聞こえましたか?」
「さっき…というか、声が聞こえたと思ったら…気づいたらここにいたので…」
「そうですか。では質問を変えましょう。どのタイミングで聞こえましたか?何をしているとき?」
「えっと…出かけようと思って、準備をしていて…その時です」
「どこへ出かけようとしていたのですか?」
「綾。綾と約束してて…綾は?」
 天野京子は、自身のそばにたたんであったコートを手繰り寄せると、慌てえポケットを探り、スマートフォンをとりだす。
「あ、電池…」
 綾という子の情報を得るため、スマートフォンを確認しようとしたのだろう。だがスマホの体力はとうに尽きていたらしい。私は職業柄携帯の充電器を持ち歩いているが、生憎ガラケーだ。
「私、事務所に充電器あります。とってきます」
「絵美子、まて」
 私は慌てて妹を制す。今事務所に行かれては都合が悪い。コンビニまで走るか…
「ありますぞ」
 意外なところから声があがった。傍らで様子を眺めていた神主だ。
「ちょっとまっててな。今とってこよう」
 75歳の神主。いろいろツッコミたいところだが、今はそんな状況じゃない。が、私の気持ちは絵美子が代弁してくれた。
「おじいちゃん、スマホ使ってるの?凄いわね!私のお兄ちゃんはまだガラケーよ!イケてる!」
 私と妹とではTPOに関する線の引き方が多少異なっているらしい。
 神主はピースサインを残し、社務所への扉へと姿をけした。妹は私に視線を向けると、私が遅れているとでも言わんばかりの笑みを含ませた。私は話を本題に戻すことにした。
「その綾さんとはどんなご関係?」
「綾は、友達です。職場の同僚で、私と綾と美紀。プライベートでもよく三人で遊びます」
 美紀…河野辺美紀。戸山公園で発見された一人目の犠牲者だ。しかし、その事は今は伏せておこう。今パニックに陥られては困る。しかし、となると、その綾という子も事件に巻き込まれている可能性がある…
「その日も美紀さんと三人で?」
「いえ、その日は綾と二人であう約束でした。綾に渡すものがあって…」
 賀陽の情報だと、この子たちが務めているクラブでの行方不明者は、この子と河野辺美紀の二人のみ。だが、賀陽に知らせる必要はあるだろう。
「そうだ、ペンダント。思い出しました!綾に渡すペンダントを見てたら、声が聞こえてきて」
 それだ。どうやらそれが催眠術のカギらしい。
「そのペンダントはお持ちですか?」
「まってください」
 天野京子はジャケットのポケットを探る。
「これの事かな?」
 またしても意外なところからの声。振り返ると、神主がスマートフォンの充電器とともに、ペンダントを手にしている。
「そう、それです!」
「いやいや、忘れておったわ。あんたが倒れているとき、これを握っておってな。大事なもんかと思ったのでわしのデスクの引き出しにしまっておったんじゃ。充電器をとる時に思い出してな、もってきた次第じゃ」
 神主はスマホの充電器とペンダントを差し出す。私はポケットからハンカチを取り出すと、それでペンダントを包み込むように受け取り、充電器を絵美子に渡す。このペンダント、記憶している。最初の犠牲者、河野辺美紀が身に着けていた。先ほど新宿御苑で見た遺体はつけていなかったが…おそらくどこかに所持しているだろう。
「すまないが、ペンダントはあずからせてもらう」
 また、催眠状態になってしまったら元も子もないからな。天野は頷く。絵美子は天野京子にスマホを渡すように促し、受け取ると壁のコンセントにつないだ。
「このペンダントはどこで手に入れたのかな?」
「…」
 天野は俯き、沈黙を守る。彼女の傍らに置かれた、まだ起動するには十分な蓄電がなされていないスマートフォンの画面をみつめ、しばらくして恥ずかしそうに口を開いた。
「ホストクラブ。Fascinationっていうホストクラブでもらいました」
 絵美子がハッとした表情で私を見る。Fascination?賀陽が張っていたホストクラブだ。
「あ、でも、私がもらったんじゃないんです。綾と美紀がもらって。二人は前から通っていました。私は初めてだったので。でもあの日、綾はシフト入ってたから、先にお店を出たんです。で、ペンダント忘れちゃってて、私が預かってたんです」
 智樹、といったか?あそこのナンバー1。
「そのホストクラブの誰にもらったいましたか?」
「たしか、トモキ、という人」
 賀陽が聞き込みをかけようとしていた人物。まさかのど本命か? どちらにせよ…いろいろと繋がりだした。
「どんな人でしたか?」
「まだ若くて…20歳前後だと思います。やさしい人でしたけど、それは仕事だから当たり前で…でもなんか、私はあんまり好きじゃない感じだったな。なんか暗い感じがして。綾と美紀はそこがいいって言ってましたけど」
「お二人は、いつ頃から通っていたんですか?」
「オープンした時からです。あのお店、わりと最近オープンしたんですよ。2月くらいだったかな」
 天野京子は、綾という子の事を思い出したのか、スマートフォンに視線を落とす。
「どうぞ、スマートフォン、確認してください」
 彼女は、スマートフォンを起動し、画面を見つめる。
「…どうですか?」
「着信は…いっぱいきてます」
 それはそうだろう。彼女はまた黙って画面を見つめる。おそらく、メール画面を確認しているのだろう。
「あっ。智樹くんに会いに行くって」
 彼女はスマホの画面を私に向けてくれた。
『もーーなんで連絡くれないの(怒マーク)ドタキャンならまだしも、連絡なしのブッチなんてありえない(怒りマーク×5)今日はもうなしね。今、智樹くんから(携帯マーク)きたから、会ってくるね(ハートマーク)初めてお店じゃないとこで誘ってもらった(音符)いいことあったから今日のことは許す(ニコニコマーク)後で報告するね(音符)』
 綾という子の身が気にかかる。
「他には?」
「この後はメール来てないです」
 天野京子の表情が曇る。
「綾、大丈夫ですか?」
「わかりません。全力で探します」
 彼女の瞳に涙が浮かぶ…
「絵美子、天野さんを頼む」
 早急に賀陽と合流する必要がありそうだ。


11.疑念 語り部:刑事・豊島恵一

 賀陽さんと僕は、覆面の男のズボンを脱がせ、トイレに座らせ、猿ぐつわをかませ、手錠で動けないようにすると、事務所のシャッターを下ろし、天野京子が務めていたクラブへと足を向けた。道中、賀陽さんは一言も発せずに淡々と歩き、僕はその後をおいかけた。
 クラブに到着。まだ夜の賑わいの時間には少し早く、道を歩く人も少ない。それでも、店は開いていた。事務所に入り、店長を確認すると、賀陽さんはいきなり土下座をした。
「店長!美紀ちゃんの件、すまん」
 お店は、河野辺美紀の遺体発見の後、警察によって営業を止められ、店長は連日、取り調べを受けていた。そして、今日からやっと通常通りの営業を開始した。
「いや、賀陽ちゃん。賀陽ちゃんのせいじゃないでしょ…」
「でも、ああなる前に見つけられてれば…店長に話を聞いたとき、まだ美紀ちゃんは生きていたんだ…すまん」
 賀陽さんはまた頭を下げる。
「でも、店長!いい知らせもある!京子ちゃんは見つけた!今警察に保護されてる!」
 こういう時に『警察』という単語は便利だ。
「カヤちゃん、本当!?」
「ああ!ちゃんと生きてるよ!…元気ではないけど」
「やあ、よかった、ありがとう!やっと明るいニュースが聞けたよ。ほら、美紀ちゃんの事件は有名になっちゃったからさ、今日から店あけてるけど、この通りでしょ」
 再開された店に客が来ている様子はない。
「今日はほら、うちの稼ぎ頭の綾ちゃんも来てないんだよ。なんか連絡とれなくてね…でもよかった。京子ちゃんは売れ筋じゃないけど、硬いお客さんいっぱいもってるからね。京子ちゃんに声かけてもらえば何人かは来てくれるでしょ。いや、ありがとありがと」
 賀陽さんの表情が曇る。
「店長?」
「ん?」
「綾ちゃん、連絡とれないの?」
「そうなんだよ…」
「いつから?」
「そうね、今日からだけど、あれ以来連絡してないから…」
 もちろん、僕には綾という女性の消息が不明という情報は入っていた。しかし、黒服の男からの指示を鑑みると、加藤先輩と賀陽さんにその情報を伝える事は憚れた。賀陽さんはちらと僕に一瞥をくれ、店長に視線を戻す。不審を抱かれたか…
「それ、やばくね?」
「…やっぱり?」
「やばいよ、店長」
「だよね、カヤちゃん…」
「店長、綾ちゃんの携番教えて」
 賀陽さんは、店長から番号を聞くと、携帯を取り出し、電話を掛ける。
「…電源入ってないみたいだね」
「…カヤちゃん、大丈夫よね?」
「…、大丈夫、探してくるわ」
 賀陽さんは事務所から、ホステス達が暇そうに携帯を眺めたり、お喋りしたりしている店内へと歩を進め、テーブルに名刺を置く。
「みんな、なんかあったらここに電話して!携帯の方ね!怪しい人とかいたら、それも連絡して!」
 ホステス達に緊張が走る。賀陽さんは極めて明るい調子で一言加える。
「あと、知らない大人についてっちゃだめだよ。俺みたいなイケメンだったとしてもね!」
 ホステス達の表情が緩む。
「賀陽さんだったらついてっちゃうわ♪こんどアフターよろしくね!」
「金ねーから、出世したらな」
「あら、賀陽さんの出世を待ってたら私たち、おばちゃんになってるわね」
 ホステス達の笑い声をあとに店を出る。
「賀陽さん、警察には連絡しないんですか?」
 賀陽さんにはこの件からは手を引いてほしい。
「意味あるか?綾ちゃんの身内に連絡とって、捜索願を出してもらって、受理されるのを待つのか?綾ちゃん、死んじまうよ」
 ごもっとも…
「お前が本部に連絡するのは勝手だが、これは俺が得た情報でもある。勝手に探させてもらうぞ」
 賀陽さんが警察を辞めた理由がなんとなくわかる気がする。組織の力は絶大だが、それが足かせになることもある。加藤先輩の組織の力と、賀陽さんの小回り。加藤先輩が賀陽さんと付き合いを続ける理由もここにあるのかもしれない。
 その加藤先輩から賀陽さんに電話がかかってきたようだ。加藤先輩には、賀陽さん以上にこの件から手を引いてほしい。加藤さんに手を引けといった警視からの電話。あれも半分は僕の誇張だ。警視からは、慎重に、自分の身と立場を守れ、という言葉だけが伝えられていた。伝言ゲーム。僕に都合のいいように拡大解釈をさせてもらった。
「…わかった。コマ劇前広場で落ち合おう」
 電話を切った賀陽さんに声をかける。
「先輩、なんと?」
「天野京子が目を覚ましたってよ。とりあえず合流だ」
 まずいな…。加藤さんと賀陽さんに事件の糸口を見つけられては困る。
「よかったですね」
「ああ。それと、天野京子が行方不明になる前、さっきの綾…本名は斎藤綾菜というんだが、彼女と会う約束をしていたらしい」
 あの黒服に聞いていた情報と合致する。
「そうなんですか。繋がりましたね」
「ああ。なあ、お前、綾がいなくなった事、知ってたんじゃないか?」
「い、いえ。知りませんでした」
「…そうか。加藤も知らなかったらしい。まったく、お前ら警察はなにやってんだよ。ほんっと役に立たねえな」
「すみません」
 …沈黙。
「ま、しゃーねーな。お前も俺らと行動を共にして、自由な捜査ってのを経験してくれ。きっと今後の役に立つ」
 やっと、僕に対して笑顔を見せた。どうやら疑いは晴れたようだ。
「わかりました。勉強させていただきます」
「お、素直じゃねーか。よしよし。ただ、邪魔はするなよ?お前は俺らと行動を共にする時はただの見学者な」
 釘をさされた…のか?
「はい。もちろんです」


12.組織 語り部:ウォッチャー・豊島恵一

 僕たちと加藤先輩はコマ劇前広場で合流した。
「で、加藤。天野京子の話を聞かせてもらおうか。こちらは、電話で話したことがすべてだ。佐藤綾菜が行方不明」
「ああ。まずは、天野京子の容態は安定しているらしい。亡くなった…といえるのか、豊島、御苑で発見されたあの女性の身元はわかったのか?」
「はい。賀陽さんから情報をいただいた西麻布のOL、浅野真美さんに間違いないと判明しました」
 賀陽さんがくれた情報…この人の嗅覚は鋭い…
「そうか。その浅野さんと同様、不思議と体力の消耗はゼロに等しいらしい。神主と絵美子が看ている。で、天野京子の話によると、行方不明になった日、佐藤綾菜にこのペンダントを渡そうとしていたそうだ」
 星の形をしたペンダント。
「これを渡したのが、賀陽、お前が聞き込みを掛けようとしていた…」
 Fascinationの智樹。
「Fascinationの智樹だ。賀陽、やつになにを聞こうとしていた?」
「ああ。実は、新宿の親分衆があそこのVIPルームで密会をしているとう話をきいてな。しかも、親分衆は、普段敵対している組も同席。さらに、中国系のマフィアも参加しているらしい。あ、そうそう。昼間の永田町の秘書は白ね。あいつはただの馬鹿だ。うまい汁すすってるのは間違いが、それだけだな」
 さっきの刺客はその中国系のマフィアの差し金?
「でもってな、あそこの実権を握ってるっていうオーナー夫人が行方不明なんだってよ。あそこの常連客とオーナー夫人が行方不明。絶対なんかあるだろ?」
 僕にコンタクトをとってきた黒服は政府の人間と名乗っていた。確かにヤクザとは違うように感じたが…、その永田町の秘書ってのは本当に怪しくないのか?
「そのオーナー夫人が智樹ってやつを可愛がってたみたいでな。そんで話を聞こうと思ってたんだが…」
 智樹がオーナー夫人に拾われてホストをやっているという話は黒服から聞いた。情報は一致している。
「賀陽さん…その永田町の秘書ってのが怪しいってことは本当にないんですか?」
 賀陽さんは黙ってろとでも言いたそうな目を僕に向ける。
「白だっつてんだろ。調べてみたが、歌舞伎町だけじゃなく、都内中のホストクラブに顔を出している。それも、政府の人間っていうのをいいことに、どこに行っても無銭飲食だ。でもって、善良な我々一般市民の血と汗の結晶である税金を横領して、数人の若い男に金を貢いでる。そういう意味では完璧な黒だがよ」
 となると、あの黒服はやはり、ヤクザやマフィアと繋がりが…
「あのホモ野郎の秘書も腹の立つ人間なのは間違いないが…加藤、これはお前の管轄じゃねーよな」
「ああ。2課に報告しておこう」
 政治関連は2課の管轄。2課に行ってる同期に黒服のこと、聞いてみるか…
「まぁ、まて。これは俺の飯のタネだ。使える時に使わせてもらう」
 まぁ、同期の連中がしっているレベルの話ではないだろうな。なにせヒットマンを差し向けられる力をもっているんだ。黒服…いったいなにものなんだ…


13.黒服 語り部:兄・豊島恵一

 黒服が僕に接触してきたのは昨夜―。捜査は行き詰り、ひとまず解散し、寮に帰宅した。そのタイミングを見計らったように鳴る、携帯。政府の人間を名乗り、寮の外へ呼び出す。寮の外には黒塗りのセダンがつけられ、運転手が後部座席のドアを開ける。乗り込むと、そこに、黒服のヤツがいた。
 車はゆっくりと動き出す。
「豊島さん。夜分にすみません」
 そして、唐突に一枚の写真を取り出す。
「あなたの弟さん、豊島知己さんですね?」
 ホストのようなスーツに身を包み、左耳にピアスを3つ付けた男の姿。
 顔は…たしかに知己だ。
「Fascinationというホストクラブで働いています。智恵の智に樹木の樹で智樹。 履歴書は豊澤智樹と書いていたみたいですが」
 知己は大学に通っているはず。僕も仕事がいそがしく…この数年連絡はとっていなかった。震災の後、電話をかけてみたが、僕が知っている知己の電話番号は使われていなかった…
「大学は?」
「大学にもちゃんと通っているようですよ。安心してください」
 なにを安心すればいいのか…
「でもね、安心できない事が彼に起こってしまいましてね」
 ホストをやっている時点ですでに安心はできないが…
「じつは、あなたが捜査している事件。彼、このままいけば被疑者になっちゃうと思うんですよね」
「!?」
「このままいけば、ですけど」
 黒服はニヤニヤした笑みを浮かべ、僕の反応を伺う。
「なぜ?このまま、とは?」
 僕の反応に満足したように、もったいをつけて口を開く。
「ええ。このまま、とは、あなたの先輩の加藤さん、そして私立探偵の賀陽さん。彼らの活躍が危ないですね」
 加藤先輩に賀陽さん?
「そうなんですよ」
 僕はなにも言っていないのに、わかったような顔で頷く。深刻そうな顔で。気に障る。
「いやね、普通に警察が捜査をしていれば、彼は重要参考人にこそなれ、被疑者にはなりようがないんですよ。彼、なにもしてないんですから。法律的には」
「知己、なにかしたんですか?」
 黒服はニヤついた顔に戻す。どうやらこれがニュートラルな表情らしい。
「言ったでしょ?なにもしてないって。ただね、行方不明の女性たち。みんな、知己君のお客さんなんですよね。モテモテですね~」
 こんな話に冗談ははさまないでほしい。笑えるか。
「あれ?嬉しくないんですか?」
 ふざけるな。
「あら、気に障りましたか?これはこれは、不謹慎でしたかね。失礼いたしました」
 表情を改める。しかしその表情は5秒と持たない。
「でね、この被害者たち。ああ、これから被害者になる人たちも。みんな、必ず、知己君からもらったペンダントなりなんなりのアクセサリーを持っているんです」
 これからの被害者も?
「そう。これからの被害者も―」
 胡散臭い。
「信じない?まあ、あなた次第ですが…」
 黒服は写真を取り出す。
「知己君がもっているこのペンダント、見覚えありません?」
 写真には知己の立ち姿。手にはプレゼント用の宝石箱。中身を確認しているようだ。
「こっちが手元の拡大写真ね」
 このペンダント。確かに見覚えがある。一人目の被害者。その所持品として資料に挙げられていたものと一致する…
「ね♪」
 他の被害者もこのペンダントを持っているとすれば、逮捕するための状況証拠としては十分だ。
「あ、これ盗撮じゃないですよ!私も政府の人間ですから、捜査です。捜査」
 なにものなんだ?
「あ、私への詮索は禁物ですよ!トップシークレットってやつ。一捜査員なんか、簡単にクビにできちゃうんですからね」
 名前すら名乗らない…
「でもね、加藤さんっているでしょ。彼はクビにできないんですよ。お父様がいらっしゃるから。できるはできるけど、時間かかっちゃうんですよね。そうすると間に合わないんですよ」
 お父様?
「あ、知りませんでした?おたくの参事官様。加藤さんの育ての親なんですよ。たしかに警視庁内ではあまり公開してないみたいですが、あなたとは仲がいいからてっきり知っているものかと」
 知らなかった、が…それにしてもこいつのしたり顔には腹が立つ。なんでも知っていると言わんばかりの得意顔だ。
「あ、そうそう、話もどしますね。でね、このこと、知己君がペンダントを渡したって事にまず気づくのが賀陽さん。もちろん怪しむでしょ?で、その意見に賛同するのが加藤さん。いいコンビですもんね、彼ら。あなたとなんかより、よっぽどいいコンビ。あ、焼かないでくださいよ?」
 いちいち腹が立つ。
「でね、私としては困っちゃうんですよ。諸事情で。あなたも困るでしょ?知己君、ペンダント渡しただけで、なにもしてないのに。あるんですよね、信じられない偶然って」
 偶然、ね。
「それで?俺に何をしろと?」
「お、察しがいいですね。さすが、私が目を付けたお方だけの事はある。まだ若いが期待の超新星ってところですかね。出世は間違いないですよ。なにより、賢い」
 うるさいな…
「何をしてほしいんですか?」
「失敬失敬。それましたね。ええと、そうそう。彼ら二人の邪魔をしてほしいんですよ。知己君が犯人にならないように。大丈夫。真犯人は私のほうでなんとかしますよ!もちろん、君の手柄にして差し上げます」
 なんとか…
「知己は、本当になにもやっていないんですね?」
「もちろん。女性にプレゼントする事が法に触れますか?」
 なんとかする、ね…。
「そうそう。深く考えないほうがいいですよ」
 …。
「でね、携帯…」
 僕の携帯が震える。メールを受信したようだ。
「それ、私のメールアドレスね!これからはメールで指示だすから」
 なぜ、僕のアドレスを…
「深く考えない♪よろしくね!」
 そして今日…僕は2人目の被害者の所持品から星型のペンダントを隠した。


14.阻止 語り部:探偵・加藤保憲

 なるほど。賀陽が言うように、その秘書とやらは今回の件に関係している可能性は低いようだ。賀陽は話を続ける。
「とにかく、その智樹とやらが星だったとはな…」
 ペンダントか…
「豊島、2人目の被害者、浅野真美の所持品にペンダントはあったか?」
「ありませんでした…」
「ない?」
「私が探したわけではありませんが、所持品リストは目を通しましたが、それらしきものは記憶にありません」
 となると、私と賀陽が考えていたシナリオは見当違いということになる…賀陽の目の色が変わる。
「お前が忘れてるだけじゃねーのか?よく思い出せ」
「ありません。一人目の被害者、川野辺美紀と保護されている天野京子さんは互いに面識があります。そのペンダント、たまたま二人が所持していただけではないでしょうか?」
「ちげーな。京子ちゃんの話だと、ペンダントを見た時に意識が遠のいたって話だ。加藤、京子ちゃんが嘘をついていた様子はないよな?」
「ああ。事実だろう」
「となると、だ。浅野真美の現場に犯人が現れて回収した恐れもある」
「でも賀陽さん。発見される直前、歌舞伎町で智樹ってやつを張ってたんでしょ?」
「ほー、いい所に目をつけるな。さすが刑事さんだ。だが、死亡時刻はわからない。そして、協力者がいる可能性もでてくるな」
 賀陽は豊島の目を執拗に覗き込む。この二人、なにかあったのか…
「なるほど。さすが賀陽さん。勉強になります」
「でだ、加藤。ひとまず手がかりは智樹とペンダント」
「ペンダントをもらう予定だった斎藤綾菜の行方を捜すのが先決だな。これ以上被害者がでるのは阻止したい。豊島、本部と連絡はとったか?」
「はい。捜索願は出されていませんでした。よって、斎藤綾菜の捜索は一切行われておりません。従いまして、新たに得られる情報もありませんでした」
「後輩君、一応、捜索指示はだした?」
「はい。ただ、行方不明者は他に大勢います。あまり手は回せないとの回答でした」
「だよな。優先順位もわからねー、それが現実。最初からアテにはしてねーが」
 私が指揮を執っていれば…まあ、今の状況では私が指揮をとっていたとしても、このメンバーで探したほうが早いかもしれない。
「賀陽、京子さんは『桜の木へ向かえ』という声が聞こえたらしい」
「先輩。やはりこの辺りで桜というと、新宿御苑。次に近いのは代々木公園。現場にいる捜査員にだけでも斎藤綾菜さんの件、知らせましょう。我々も2手に分かれてその二か所を探しましょう」
「後輩、だまっとけ。加藤は俺に意見を求めている」
「はい。すみません」
 豊島の表情は穏やかではない。やはり二人の間になにかあったか…
「豊島、現場の捜査員に協力だけは頼んでおけ。それで、賀陽、心当たりは?」
「…河野辺美紀はなんで戸山公園に向かったのかな…」
 豊島の表情がまた歪む。


15.花見 語り部:豊島恵一

 賀陽さんがクラブの店長に連絡をとり、話を聞いたところ、行方不明者が出る前、クラブの従業員で戸山公園に行き、花見を行ったらしい。あのクラブでは、毎年戸山公園で花見をするそうだ。
 戸山公園には昔、第二次大戦の頃、軍の疫病の研究と、細菌兵器の研究を行った施設があり、いつだか、公園の隣接地にて100体に近い人骨が発見されたらしい。疫病の感染者や細菌兵器実験の被験者たちだということで、うわさ話の好きなレディたちは、毎年新人たちにその話を聞かせ、場を盛り上げるのが恒例らしい。
「せっかくの花見なのにそんな話で盛り上がるとはな…」
「女性の方がそういうの、強いっていうぜ。加藤は苦手か?」
「苦手というより、興味がない。非、現実的だ」
「現実主義者め。ロマンがねぇなあ」
「ロマンと心霊話は別物だろう。私にもロマンくらいある」
 そんな無駄話をしながらも、戸山公園へ向かう歩調は速い。
 あたりはすでに暗く、皆、必要以上の電気を消しているせいもあり、異常なまでに空気が重く感じる。
 黒服からは、戸山公園に二人を近づけるなというメールがきていた。しかし、こんな簡単なヒントで分かってしまう場所など、回避しようがない。携帯が震える。
『あ~~、やっぱ場所、わかっちゃいましたか。まあいいでしょ。想定内です。』
 想定していたなら、近づけるななど言わないでほしい。
『じゃあねぇ、そこからここへは10分くらいでしょ?プラス10分…いや、5分でいいや。時間かせいで!』
 我々の居場所は把握されている…
「先輩!ちょっとまってください」
「なんだ?」
「本部に…本部に応援を頼んだほうがよろしくないですか?」
「そんな暇はない」
「でも、もし敵が大勢だったら…」
 賀陽さんから食いつく。
「大勢?なぜ大勢だと思う?」
 とりあえず、足を止めることはできた…
「それは…ほら、賀陽さんを襲った人!中国マフィアじゃないんですか?」
「中国マフィアがなぜ大勢で動く?」
「でも…」
 もう少し、ひっぱらなければ…
「でも、ほら、黒田組と石田組もからんでるんですよね?」
「それはまだ憶測だ。それに、例えそうだとしても一般女性の殺害現場に大量に押し寄せる理由はまったくない」
 もう少し…
「それはなぜです?」
「なぜ?あたりまえだろう。そんな目立つ行動をとることになんのメリットがある?もし、本当にあの公園で女性が亡くなったとして、そんな大量の構成員がいたとしたら、はい、私達は関わっています、と言っているようなもんだ」
 よし、のってきた。
「しかし、刺客を送ってきたのも事実です。なにがあるか…」
「刺客を送ってきた…事実?」
「え?」
 …なにかまずい事を言ったか?
「だれが送ってきた?」
「中国マフィアじゃないんですか?」
「だれがそんな事いった?」
「だれがって、賀陽さんが…」
「俺は、襲ってきた覆面がチャイナだとはいったが、イコール中国マフィアだとは言ってないぜ?麻薬うたれてんだ。どこの差し金かはわからん」
 …しまった。
「だいたい、あの覆面の顔の照合の結果、でてきたのかよ?」
「いえ…」
 照合の結果、中国マフィアだったと言ってこの場をやり過ごすことはできるが…ごまかすか
「その…」
 しかし、もし後で違っていたとしたら、今度こそ誤魔化せなくなる…どうする…
「豊島。お前、何を知っている?」
 …まずい。
「おい、お前ら」
 加藤先輩…
「いい争いしている暇はないぞ?」
 助かった…?
「一刻をあらそう。ひとまず現場へ行こう」
 

16.待ち伏せ 語り部:ラストスタンディングマン・賀陽 陽一郎

 加藤の意見には賛成だ。俺もいやな予感がする。豊島の態度は引っかかるところがあるが、手遅れになってしまっては何も意味がない。
 戸山公園に足を踏み入れる。夜の公園。人の姿は見えないが…
「おい、加藤…」
「ああ…」
 多数の人間の気配。
「8人…そのくらいか?」
「…だな」
「何の話ですか?」
 豊島は気づいていないようだ。
「…お前が言っていた待ち伏せだよ」
「え!?」
 豊島はキョロキョロと辺りを見回す。
「そぶりを見せるな!」
「は、はい」
「お前、知っていたんじゃないのか?」
「い、いえ。待ち伏せだなんて。まさかほんとにそんな…」
 …何かを隠しているのは間違いないが、待ち伏せされていることは知らなかたらしい。まあいい。後で考えよう。
「加藤、俺が相手をする。お前は綾ちゃんを探してくれ。花見は箱根山でやっていたらいしい」
 公園の中にある小高い丘が箱根山と呼ばれている。
「わかった。無理はするなよ」
「ああ、無理する程の人数じゃねぇよ。これ、ちゃんと正当防衛っての証言してくれよ」
「いいだろう。豊島。お前は私についてこい」
 左側前方にあるトイレ。その影にまず一人…
「いくぞ、3、2、1、走れ!」
 合図と同時に俺と加藤が走り出す。豊島も遅れて加藤についていく。
 トイレまでの距離、15メートル。13メートル。10メートル。
 影から人が飛び出してきた。パイプを持っている。距離、5メートル。人影はパイプを振りかざす。長い得物は間合いが近すぎると役に立たなくなる。一気に間合いを詰める。左腕で人影のパイプをもつ腕の部分を抑え、そのままの勢いで右肩でタックルを決める。派手に吹っ飛んだ人影が落としたパイプを拾い、加藤の走った方へ向かう。加藤は振り向かず走り続けるが、豊島がこちらを振り返る。
「豊島!ちんたらするな!走れ!」
 俺は豊島に追いついたところで踵を返し、足を止めた。ここから先に人の気配は感じない。
 木々の影から続々と人が出てくる。さっき吹っ飛ばしたやつを入れて10人。少々、数を読み違えた。二人分、無理をしなければならない。
 敵は、それぞれ、金属バットやナイフ、木刀など、思い思いの得物を持っている。飛び道具を構えているやつはいない。多少の無理ですみそうだ。
 俺は手にした鉄パイプを構え、やつらを牽制したまま動きを止める。加藤達が離れるまで、なるべく間を置いたほうがいい。
「おい。お前らどこの人間だ?」
 …無回答。
「さみしいなぁ…独り言になっちゃうじゃんか」
 …どうやら、今度は薬をやってるやつらではないらしい。じりじりと距離を詰めてくる。
 豊島の姿も見えなくなった。そろそろいいか。
「しゃーねーな。かかってこいや」
 構えを解いて挑発する。金属バットが走り寄る。身を開いてかわし、足を掛ける。金属バットは顔面から地面に突っ込む。二人目、ナイフを構えた野郎が勢いよく駆け寄る。タックルを狙っているらいしい。俺は地面にひれ伏した金属バットの後ろに回りこむ。ナイフ野郎が金属バットを飛び越える。着地に合わせ、ナイフ野郎の手元に鉄パイプをくらわす。ナイフを落としたナイフ野郎はただの野郎だ。野郎のコメカミに右の拳を叩き込む。次!3人固まってこちらの様子を伺っている。先手必勝。やつらの一団にかけより、鉄パイプで一人目の腹をなぎ、二人目のスネを払い、三人目。わりい、頭に入っちまった。最初に鉄パイプを奪われたやつはまだ座りこんでいる。残るは二人。気配を読めなかったやつらだ。多少手ごわいか…
 一人がファイティングポーズをとる。得物はもっていない。ボクシング。軽妙なフットワークで距離をじりじり詰めてくる。俺は、右足で地面を蹴り、左手を目いっぱいに伸ばす。鉄パイプの先端がやつの胸をつく。バカか。リーチの差がありすぎだっつの。
残るは一人。手にした木刀を正眼に構える。剣道か。俺も剣道には多少覚えがある。俺も正眼に構える。相手もこちらに心得があると察したようだ。互いにじりじりと間合いを詰める。沈黙。…機が熟す寸前、俺は左手でやつの木刀を掴み、右手にもった鉄パイプをやつの左肩に食らわす。
「この…やろう」
あほう。だれが剣道の試合をやるっつった?
立てそうなのは、鉄パイプを持っていた最初の一人のみ。怯えている。立つか?お、立った。
「返すぜ」
 持ていた鉄パイプを放り投げる。胸の前で受け取ったパイプの先端は丁度俺の方を向いている。その先端に前蹴りをかます。押し込まれた鉄パイプはやつの鳩尾を確実にとらえ、やつの体と一緒に地面に転がる。
「なんだ、いらねーのか」
 静かな夜の公園は運動するのに丁度いい。この時間の公園が一番好きだな。
「パチパチパチ」
 静寂を壊す拍手。誰だ?
「お見事ですね。噂以上だ」
 ちょいまて、9人目?この気配はまったく気づかなかったぞ?
「やっぱり、準備にプラス5分では短すぎましたかね…」
 なんだこいつは?
「失敗、失敗、反省です」
 さっきまでのやつらと違ってうるせーな。よく喋る。
「なにもんだ?」
「あー、ごめんなさい。あなたには名乗れないんですよ、賀陽さん」
 闇に溶け込む黒いスーツ。白い手袋が浮き上がる。
「俺を知ってるのか?」
「ええ、有名人ですからね」
 んー、何か教えてくれんかな…
「お前が指揮をしていたのか?」
「まさか。私が指揮をしていたらこんな稚拙なアタック、かけませんよ」
「どういうことだ?」
「時間がなかったのでね。新宿の皆さんにご協力を仰いだんですが…まさかこんなにレベルが低いとは…いや、あなたのレベルが高すぎなんですかね?」
「新宿のみなさん?」
 どこの組織のみなさんだ?
「おっと、おしゃべりが過ぎましたかね?私、おしゃべり大好きなんですよ」
 ヤツの白い手袋がスーツの内側に隠れる。いやな予感…
「あなたとのおしゃべり、楽しそうなんですがね…。知ってます?この近所においしいコーヒー屋さんがあるんですよ。そこで話したかったな…」
 スーツの中から再び浮かび上がった白い手袋には何かが握られている。
「あなたにはいろいろと興味があったんですがね…非常に残念です」
 “何か”をこちらに向ける。…拳銃。
「ごきげんよう」
「・・・」


17.離別  語り部:スパイ・豊島恵一

 待ち伏せしていた連中と賀陽さんを後に、僕と加藤先輩は箱根山へ向かい全力で駆けた。僕は、腰の拳銃を握りしめながら走ったが、道中、新たな敵が出てくることはなかった。箱根山の頂上。そこには確かに斎藤綾菜がいた。うつろな目をし、「サクラ」と「行かなきゃ」を繰り返し呟きながら立っていた。加藤先輩が駆け寄る。
「やはり…催眠術…」
 手には…星のペンダント…
「豊島、身元の確認!手荷物はなし。資料の写真で顔を確認しろ」
「は、はい」
 僕は取り込んでおいた斎藤綾菜の写真を確認するため、携帯電話を取り出す。画面にはメールの受信マーク。『歌舞伎町の交番で待っててね(ニコちゃんマーク)』黒服からの受信。
「豊島、どうした?」
「すみません!確かに、斎藤綾菜です」
「綾菜さん!聞こえますか?斎藤綾菜さん!」
 加藤先輩が斎藤綾菜の耳元で声を掛ける。しかし意識が戻る様子はない。
「豊島、車を捕まえてこい。早くこの場を離れるぞ」
「はい」
 僕は再び腰の銃を握りしめ、あたりを警戒しながら車道へ向かう。偶然にも通りかかったタクシーを止め、加藤先輩の元へ引き返すと、先輩は斎藤綾菜を担ぎあげていた。
「車は捕まえたか」
「はい」
「よし、向かうぞ。案内してくれ。やつらは私たちを狙っていたのか、それともこの娘を狙っていたのか。どちらにせよ、両者がそろっている。警戒は怠るな」
 おそらく、狙われていたのは僕たちだろう。
「はい」
 僕は、今度は拳銃を腰のホルダーから取り出し、構えながら進む。
 しかし、今の立場だと、何者かが現れたとして、僕はそいつをどうすればいいのだろうか。今の僕は黒服のスパイだ。そいつらが黒服の手下だとしたら、僕はそちら側の人間という事になる。あれから携帯は震えていない。この女性、綾をどうしろという命令は来ていない。何者かが現れたとして、そいつは僕の事を味方と認識するのだろうか。それとも敵と認識するのだろうか。黒服にとって僕がどうなろうときっと構わないだろう。ということは、自分の身は自分で守らなければならない。そもそも、僕は警官であって、市民の安全を守るのが仕事だ。綾さんは市民ということになる。あくまで非のない知己の疑いをそらすために黒服に協力しているだけだ。決してやつらの一味になったわけではない。手から心臓へと振動が伝わる。携帯は震えていない。震えているのは拳銃を構える僕の手だ。もし、誰かが僕らの前に出てきたら、僕はどうすればいいのか。
 ――突如、人影が現れる。
「パンッ」
 銃声!僕は…僕は撃っていない。
「豊島、乗れ!」
 加藤先輩。人影は僕がとめたタクシーの運転手だった。いつのまにか僕は、道路にまで出てきていたらしい。加藤先輩が斎藤綾菜を後部座席に詰め込む。
「豊島、何してる!お前も後部座席だ」
 加藤先輩に促され、後部座席に乗り込む。
「おい、しっかりしろ。ボケっとしたまま拳銃を握るな」
 加藤先輩が助手席に乗り込む。僕は震える手で拳銃を握っていた。今にも引き金を引きそうな強さで。慌てて拳銃をはなす。でも、手は開かない。左手で右手の指をこじ開ける。
「明治通り側の出口に回ってくれ!」
 車が動き出す。
 拳銃が後部座席の床に転がる。
「豊島、いいか、俺は賀陽の様子を見てくる。その娘はお前が守れ!いいな!」
 この娘を守る。
「いいな!」
 それなら単純だ。市民を守る。僕の当たり前の仕事。何も考えることはない。
「はい」
 車が公園の入り口の前で止まる。
 加藤先輩が助手席から飛び出す。
 僕は拳銃を拾い、窓の外へ向け構える。
 街灯に照らされた公園の入り口を凝視する。
「さくら…」
 斎藤綾菜が小さな声を発する。
「行かなきゃ…」
 星のペンダントを握りしめて…
 いったいなんなんだ、このペンダントは…
「豊島!ドアを開けろ!」
 加藤先輩が街灯の明かりの中に姿を現す。足を引きずった賀陽さんの肩を支えて。他に人影はない。車をおり、賀陽さんを迎え入れる。
 血を滴らせた賀陽さんが後部座席に乗り込む。
「くっそ。あいつ、わざと外しやがった」
「だ、大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ!ちっきしょ、かすり傷だ」
 加藤先輩も助手席に乗り込む。僕も後部座席に乗り、ドアが閉められる。
「運転手さん、花園神社へ」
 窓の外を見る。街灯の光のさらに奥、暗がりの中に人影。黒服…。車が動き出す。黒服はこちらに向かって手を振っている。携帯が震える。『よろしくね♪』
「運転手さん、歌舞伎町の交番へ向かってください」
 とっさに声を出してしまった。加藤先輩がこちらを振り返る。賀陽さんもこちらをにらむ。
「おい、後輩くん。君の先輩は花園神社っつってんだよ。お前は口だすなって言ってんだろ。どういう了見だ?」
「しかし、賀陽さんも怪我をされていますし」
「これはかすり傷だよ」
「これはもう、あなたみたいな一般人の手に負える事件じゃありません」
「ああ?」
「交番には警官がいます。さすがのやつらも手を出してはきません」
「その警官が頼りねぇからこんな事になってんだろうが」
「しかし、今は事態が変わっています。僕は言いましたよね?警察の応援を待ってから突入すべきだと。それを聞かないからそんな怪我をしたんじゃないですか?」
 なんだかいやに口がまわる。
「てめ、こんな事態、想像できねーだろ、普通」
「だから、こんな事態になってしまっているから警察の力を使うんです。運転手さん、歌舞伎町の交番ですよ」
 携帯を握る手に力が入る。
「交番にはパトカーもあります。綾菜さんはパトカーに乗せて安全な場所へ移動させるべきです」
「このやろ、お前は見学者だって言ったよな?運転手さん、花園神社だ」
 賀陽さんを睨み返す。
「交番だ…」
 今のは僕じゃない。…加藤先輩?
「は?加藤、どういうつもりだ?」
「豊島の意見が正論だ。やはり、お前の手に負える事件じゃない」
 加藤先輩はフロントガラスを見つめたまま話を続ける。
「は?てめ、何言ってやがんだ今さら。それじゃ事件の解決は遠のくぞ」
「被害者の安全、それから一般人であるお前の安全が第一だ」
「次の被害者が出てもいいのか?俺に綾ちゃんと話させろ」
「だめだ!」
 加藤先輩が珍しく声を荒げる。
「花園神社も危ない。天野さんも安全なところへ移すべきだろう」
「だが…それじゃ事件は解決しねーぞ」
「たまには鳳雛の策も試してみよう…絵美子も危険な目にあわせたくない。わかってくれ」
「…ちっ」
 賀陽さんを振り返り、諭すように話しかける加藤先輩に賀陽さんは反論をやめた。鳳雛?よくわからないが、賀陽さんは納得したらしい。
「加藤、交番よったら俺は医者へ行く。京子ちゃんと…それから絵美子。後は任せたぞ」
「ああ。まかされた」


18.黒幕 語り部:鳳雛・加藤憲保

 歌舞伎町の交番。パトカーを使えと言ったが、賀陽はそのままタクシーで病院へ向かった。『領収書、お前の名前でもらっとくからな。ちゃんと受け取れよ』そう言い残して。きちんと憎まれ口を残せる。これならすぐに動けるようになるだろう。
 交番の横には5台のパトカーが止まっている。この事態だ。戸山公園には空いている全てのパトカーが向かい、新宿界隈全体にも厳戒態勢が敷かれている。しかし、夜とはいえ、いや、夜こそ、その本領を発揮するこの街の人の流れは止めることはできない。非常事態のこんなときでも、3件目を探し彷徨うサラリーマンの群れや、一夜の宿を探すカップルたちが往来している。
 斎藤綾菜はタクシーの中で眠りにつき、今も尚、眠った状態で、移動するためのパトカーの準備が整うのを待っている。
 豊島がふらと交番の外へ向かう。先ほど、斎藤綾菜の所持品から星のペンダントを取り、ジャケットの内側のポケットに滑らすのを、私は確認した。
 豊島は何かを隠している。私は豊島を監視するために、豊島の味方をし、彼を泳がせることにした。この事は、先ほどのタクシーの中でのやり取りで賀陽とは共有した。学生の頃、二人で無駄にやりこんだプレイステーションの三国志。こんなところで役にたつとは。
『たまには鳳雛の策も試してみよう…』
 鳳雛とは、三国志に登場する、諸葛亮孔明と並び称される名軍師、ホウ統の通称。赤壁の戦いを前に、ホウ統は、敵、魏軍に取り入り、決戦の勝敗を決めるトラップを仕掛ける事に成功した。つまり、『私が敵に取り入り、探ってみよう』という意を伝えた。人の心を読む事がうまい賀陽はこの事に気づいてくれた。賀陽は、豊島の行動にはだいぶ前から疑念を抱いていたのであろう。だからこそ、交番へ向かうといった豊島の提案をあそこまで拒んだ。
「誰か、煙草をもってないか?」
「はい。あります」
 制服を着た警官の一人が煙草を差し出す。受け取り、外へと歩を進める。
「あ、この辺、外に喫煙所ありませんよ?吸うなら奥で…」
「今日は多めに見てくれよ」
 確か、踊るの青島君はドラマのエンディングで歩きながら煙草吸ってたよな…時代が変わるのもあっと言う間だ。もちろん、いいことだけどね。
 豊島は交番の裏手で辺りを伺い、何かに気づくとファミリーマートの横の通りに姿を消す。
 ゆっくりと通りの入り口に近づき、様子を伺いつつ、煙草に火をつける。
「ゴホッ」
 豊島がこちらを振り返る。危ない危ない。慌てて身をひそめる。
学生の時以来の煙草。あの頃はこんなもん吸ってたのか。これは体に悪いな…
 壁に背をつけ、ビルの隙間から真っ暗な空を見上げる。東京全体が節電体制で暗いんだ、見えてもよさそうなもんだが、星はみえない。今私が歌舞伎町で見ることのできる星は、あのペンダントくらいらしい。
ペンダント、ね。視線の端で豊島を捕らえる。
 豊島は通りの中腹で歩みを止め、携帯を見ている。
 通りの反対側から人影。グレーのスーツの男。賀陽を撃ったのは黒いスーツの男と聞いている。違う人物か。豊島は携帯からその人物へ視線を移す。
 …立ち話。
 豊島がスーツの内ポケットに手を入れる。…大事な証拠品を渡されちゃちと困るな。壁から背を離し、通りへ入る。
「おい、豊島。やけに冷えるな」
「せ、先輩」
「そちらは?」
 スーツの色は黒ではないが、かすかに火薬の匂いが漂う。おそらくこいつが発砲した張本人。
「やや、これはこれは、加藤様」
 スーツの男は、私と豊島の顔を交互に見る。笑顔をつくっているが、多少はうろたえれている…のだろうか。賀陽の名前も知っていたという。私の名前を知っていても不思議ではない。
「豊島君。こちらが君のボスかね?」
「え、いや、え?」
 豊島のうろたえは、火を見るより明らかだ。
「うちの後輩が世話になっている」
 冗談を言ってみた。いろいろ探りたい。取り調べではなく、賀陽スタイルだ。
「加藤様。お目覚めで?」
 …?
「ああ。目は覚めているが?」
「…そ、それはそうですよね。いやはや、警察の方もなかなかお休みになられない様子。大変ですね」
賀陽は余裕を持った態度に腹が立ったと言っていたが、このタイミングでの私の登場は想定外だったと見える。
「あなたは私の事を知っているようだが、私はあなたの事を存じ上げないが?」
「ああ、これは失礼いたしました。名乗るほどの者じゃありませんが…中林と申します」
 偽名だろう。
「中林さん。あなたはどちらのご所属かな?」
「私は、そうですね、ちょっと、世間的には公開されていない組織の人間なんですが…まあ、公安傘下ではあります」
「ほう…では、同業に近い」
「さようで。日頃よりお世話になっております」
 さあ、揺さぶりをかけてみようか。
「さて、あなたは豊島君がもっている星のペンダントにご興味をお持ちのようだが?」
 豊島が肩をビクつかせる。
「あなたもこの件を捜査されているらしい。しかし、私共もこの件は重大な事件だと捉えていてね。証拠品をやすやすと渡すわけにはいかないんだ」
「さようでしょうとも。いやね、私も渡してもらおうとは思っておりませんとも」
 口角が先ほどより2ミリ程上がっている。やはり、このペンダントがカギになっているのだろう。
「ちょっと、気になる事があるので、少しだけお見せいただこうと思いましてね」
「気になる事とは?」
「ええ、ええ…」
 中林と名乗った男は、ちらと豊島の表情を伺う。
「いや、被害者はみなこのペンダントを持っていると聞きましてね」
 豊島が目を見開く。
「いやはや、そのペンダントをたどれは犯人にたどり着くのではないかと」
「お、お前」
 なぜ豊島が動揺するのか…
「なるほど。我々の見解と一致しますね。狙いも重なるらしい。ここは効率的に共同で捜査を進めませんか?」
「え、ええ。そうですね。我が機関としてもこの事件は早く解決させたい」
「ちょっと、まて」
 ここは豊島には口を挟ませない。
「では豊島君。そのポケットの中のペンダントを中林さんに見せてあげなさい」
 豊島はジャケットのポケットを抑え、躊躇している。
「豊島さん、大丈夫ですよ…い、いや、大丈夫、きっと犯人を見つけるお力になれるはずです」
「豊島、早く出しなさい」
 豊島は震える手でペンダントを取り出し、中林へと手渡す。
「そのペンダント、渡した人間は目星がついていましてね」
「ほ、ほう…」
 中林の目が微かに流れる。
「Fascinationというホストクラブの智樹というホストが被害者に渡していたみたいなんですよ」
「…」
 ペンダントを見つめる中林の目の動きが定まった。豊島を一瞥し、私へと視線を移す。
2ミリあがった口角は元にもどっている。どうやら腹が固まったらしい。
「実はね…」
 中林はまた気味の悪い笑顔をつくる。
「私共もその情報つかんでいましてね」
 中林はもう豊島の表情を確認しない。
「おそらくそのホスト、智樹が犯人でしょう」
「お、おい…お前!」
 豊島は中林の胸倉をつかみにかかる。
「豊島!やめろ!」
 豊島の腕をつかみ、中林から手を離させる。
「中林さん。この捜査は進めるにあたり、まだ確証が足りない。よって私の独断で極秘裏に進めたい。ご協力いただけるかな?」
「ええ、もちろんですとも」
 このニヤついた表情。こいつを好きになる事は一生ないだろう。


19.回想  語り部:青年・豊島知己

 僕はなにをしているんだろう…。
 楽に生きたいだけだった。
 カオリさんの誕生パーティーの夜。僕は彼女の部屋へ行った。
 28階。展望レストランのその上の階に位置するフロアの一室。バスローブ。彼女はすでにシャワーを浴びていた。
「智樹君も浴びちゃって」
 言われるがまま、シャワールームへ。シャワーを浴びてる間、僕の脳裏にはさっきパーティ会場の窓からみた、眼下に広がる桜の景色が展開されていた。
 浴室をでて寝室を通り、リビングへ。シャンパングラスを傾けていた彼女が振り返る。
「遅かったじゃない。何してたのよ?」
『何をしているんだ?』
 彼女の声に重なり、誰かの声がかすかに聞こえる。
「さ、ベッドへ行きましょ」
『お前はどこへ向かうんだ?』
 男の声だ。彼女に手をとられ、寝室へ向かう。
「さ、楽しむわよ」
 彼女がバスローブの帯をほどき、ベッドに横たわる。
『何をする?』
 男の声…
「僕は…何をする?」
「何って、決まってるでしょ」
『何をするかはもう決まっている』
 男の声がはっきりと聞こえる…
「さ、智樹くんも脱いで」
『理性は脱ぎ捨てろ』
「いいのよ、今日は。私の為にすべて忘れて…したいことして」
『お前がしたいようにすればいい』
 彼女にバスローブを脱がされ、胸元へ抱き寄せられる。
「考えないで、すきなこと、して」
『考える必要はない。心を解放しろ』
 僕の中の何かが高まる…
「そうよ…」
『そうだ…』
「きて!」
『やれ!』
 頭の中が白くなる。

僕はなにをしているのだろうか…
 彼女はひとしきりうめき声をあげ…
 
 気づくと…
…死んでいた。

 最後に聞こえた男の声。
『殺(や)れ!』

 僕はなにをした、のだろう…

「わ、わぁ!」
 我に返る。慌てて室内の電話を探す。
「き、救急車…」
 受話器を上げ、9番を押す。…つながらない
「な、なんでだよ」
 携帯電話…。上着のポケット。とりだし119番。反応はない。110番。同じく。
「け、圏外?」
 なんだ?夢を見ているのか?
―ピンポン―
 突如鳴るベル。
 慌ててドアへ駆け寄る。
「いかがされました」
 ホテルの人。ドアを開ける。
「いかがなさいましたか?」
 満面の笑み。と、とりあえず伝えなきゃ。
「カ、カオリさんが…」
「大丈夫です。落ち着いてください」
 ホテルマンが白い手袋をつけた両手を僕の肩に乗せる。
「大丈夫です。落ち着いて」
 落ち着いてなんていられない。殺した?僕が?
「こ、こっちです。ちょ、ちょっと来てください」
 ホテルマンの手を取り寝室へ促す。
「落ち着いてください」
 落ち着けない。寝室へ入り、彼女を指さす。
「し、死んでるんです」
「おやおや…。まぁ、とりあえず、服を着て」
 僕は裸だった…でもそれどころじゃないだろ。とはいえ、足元に脱ぎ捨てられた衣服の中からパンツとズボンを穿き、シャツを羽織る。
「豊島様、まずは落ち着いてください」
 着衣する間に少し落ち着いてきた………豊島様?
「なぜ僕の名前を?」
「そんな事より、今は目の前の事態にどう対処するかです」
 ホテルマンはカオリさんの首もとに手を当て、すっかり根付いた死の鼓動を確かめる。
「豊島様。あなた、殺しましたか?」
「わ…わからない」
 ホテルマンはこちらを振り返り、にっこりとほほ笑む。
「正解です」
 懐から赤い液体の入った注射器を取り出し、乳房の間をかき分け、深々と打ち込む。
「あなたは、この女性を殺したかわからない。と、いうことは、殺したとは言い切れない」
 ホテルマンは、注射器を一度彼女の手に握らせた後、サイドテーブルの上にそっと置く。そして、心臓マッサージをするように数度、彼女の胸を深く押し込んだ。
「先ほど打ち込んだのは、前もって採取しておいた彼女の血液に覚せい剤を混ぜ込んだものです。自然な濃度の反応が出るように調整してね」
 なにを言っている?僕は、理解できずにただ茫然と彼の行動を見守った。
「いくらなんでも、心臓に近いこの位置に覚せい剤を打ち込んだら死んじゃいますよね。すぐに脳に回って即死、ですよ。これだから薬物は知識のない人間が扱っちゃいけないんです。どうかしてますよ、世の中は。まったく」
 彼の行動には躊躇というものはまったくなく、ただ坦々と、こなしていく。
「おっと、忘れてた」
 男は、彼女の股を開き、手をあてがい、何かを確かめる。
「よし、挿入はしていないようですね。よろしい。ここの洗浄はちと面倒ですからね」
 遺体を人間とはまるで思っていないような振る舞い。何かの小説で読んだ検死のシーンを思い浮かべる。
 …検死?警察官なのか?
「あの、あなたは…?」
「ははは、ご心配には及びませんよ。あなたの味方です。そうですね、刑事ではないですけれど、似たようなものです。私も捜査権を持っていますので、この現場は私が預からせていただきます。薬物中毒による事故死、というところですかね。形通りの検査を行い、さっさと書類を仕上げますよ。コピペでね。あ、豊島さん、あなたもレポートはコピペ派でしょ。気を付けてくださいね、お友達と同じような文章だと、先生方に疑われますからね。レポートで大事なのはね、言葉の置き換えです。国語力が試される作業なんですよ、あれは。よって、大学を卒業するのに多くの人間が必要とする最も大事な能力は国語力、と言えますね」
「あの…」
「ああ、話がそれましたね。どうも話好きな性分で。わたくし、警察庁に所属しています、飯村、と申します」
 警察庁。やはり警察官…。
 そして、彼はフロントへダイヤルし(今度はなぜか繋がった)タクシーを呼んでくれと告げると、今夜電話すると言い、僕を帰宅させた。

 夜―――部屋のインターホンが鳴り、宅配便業者の名が告げられた。
 送り主も時間指定もないその荷物を受け取り、業者が去った後、ドアの鍵を閉めると、携帯電話の着信音が鳴る。覚えの無い電話番号。おそらく彼だろう。
『あー、もしもし。荷物、届きました?』
「は、はい」
「よかったよかった。大切な荷物ですからね、ちゃんと届くか不安で不安で仕方なかったんですよ」
 早口で無駄に多い言葉を一息の中に詰め込んだ話し方。やはり、彼、飯村だ。
「あの、これは?」
『それね、開けてみて。あ、カッター厳禁ね』
 1ルームしかない僕の部屋の中央にポツンと据えられている、ドン・キホーテで購入したスチールの骨組みとガラスの天板で構築された小さなテーブルの上に段ボールを置き、ガムテープをはがす。中には、アクセサリーケースが隙間なく詰め込まれていた。
『ガチャ』
 不意に、部屋のドアが開く。鍵…かけたはずだが…。
「ああ、ごめんなさいね、やっぱり直接説明しようと思って。」
 飯村だ。ずかずかと部屋の中に入ってくると、段ボールの中からケースを取り出す。
「これをね、あなたに好意をもっているお客さんがたに配ってほしいんですよ」
 ケースを開く。中には星のトップをあしらったペンダント。
「いやぁ、副業でアクセサリーメーカーを営んでましてね、流行らせたいんですよ。所謂、サンプリングってやつですかね」
 警察に類する職業の人間が、アクセサリーメーカーの経営者?
「お、疑ってますね?じゃあ、『営んでる』ってのは撤回。友達がやってるアクセサリーメーカーの商品。こんなところでどうでしょ?」
 手元のペンダントに目を落とす。
「まあ、このへんで納得してもらわないとね。自分を説得する理由としては十分でしょ。殺人犯になりたくないならね」
「…」
 詮索するな、という事らしい。まあ、する気もないが。今朝の出来事。もう最悪の事態は通り越している。
「そうそう、これ、どうぞ」
 そういうと飯村は内ポケットから錠剤を2錠とりだし、渡す。
「今日はいろいろ頭を使いすぎて疲れてるでしょう。これ、睡眠薬です」
 渡された薬を見つめる。
「あ、大丈夫ですよ!市販品!」
 飯村はまたしても内ポケットから市販の睡眠薬の箱を取り出し、僕に見せる。パッケージには『スウィートドリーマー』の文字。
「僕もなかなか眠れない時がありましてね、これ、愛用してます。なかなか効きますよ!」
 そういうと、彼は笑顔をのこし、この部屋を去った。

 『スウィートドリーマー』…今日の僕の一日はさながらナイトメア(悪夢)だ。頭の中で駆け巡る今日の出来事。とうてい整理なんてできそうにもない。はやくこの悪夢から覚めたいと、僕は2錠の錠剤を飲み、『スウィートドリーム(いい夢)』を見るために、ベッドに横になった。
 まどろみかけたその時、携帯の着信音が鳴り響く。
『あー、もしもし?飯村です。忘れてました。ペンダント、なくなりそうになったらこの番号に電話してくださいね!24時間、年中無休、即日配送でお届けします!今年は桜が綺麗です。プレゼント渡すついでに、2人きりの花見にでも誘ってあげたら、喜ぶんじゃないですかね。それじゃ、よい夢を!』
 一方的に話し、電話を切る…。確かに、今年の桜は異常な程に魅力的だ…。昨日パーティー会場の窓から眺めた、一面に広がるピンク色の景色。あの中に溶け込むように、僕の意識は失われていった…


20.邂逅① 語り部:デイドリーマー 豊島知己

 あれから、僕はペンダントを配り続けた。1箱20個入りのペンダントの段ボールは、無くなりかけると、注文する前に僕の部屋に届いた。あの睡眠薬『スウィートドリーマー』と一緒に。確かに、この睡眠薬と同じパッケージの商品が薬局でも売っていた。飯村から送られてくるものがこの市販品と同一のものかはわからない。しかし、そんなことはもうどうでもよかった。この薬を飲むと、毎夜、あの心地の良い桜の景色の中に溶け込むことができる。今の僕にとって、あの空間がなによりも居心地のよい所となっていた。
 あのホテルでの出来事があった翌日。ホストクラブに出勤すると、昨夜の無断の欠勤も、カオリさんの消息が分からない事も、何も聞かれずに、普通に控室に通された。いや、店長の対応も、同僚の対応も、今までよりずっと丁寧な態度に変わっていた。まあ、元々どこかよそよそしい態度を取られていたわけだから、差し支えることはなにもなかったが…。
 それより、『スウィートドリーマー』を切らさないように、僕は必死でペンダントを配った。『スウィートドリーマー』は必ず、5日分しか送られてこなかった。
 だけど…なぜか、ペンダントを渡した客は、その後店に来ることはなかった。僕は、ペンダントを渡す客がほしかった。新しい客を見つけるには、既存の客に連れてこさせるのが早い。  
しかし、一度ペンダントを渡すと、彼女たちの多くはメールを送っても何も反応がなく、電話にもでない。しばらくは、なぜか他のホスト達が僕に客を譲ってくれた。なぜか、は考えなかった。必死で彼女らを自分のものにし、ペンダントを渡した。
 でもとうとう…ペンダントの在庫は減らなくなり、『スウィートドリーマー』は今夜の分を残すのみとなってしまった…。

 そして僕は店を飛び出した。
 もちろん、客引きなんてしたことがない。それでも僕はなりふり構わず、通りを歩く女性に声を掛けた。
 …人生で初めて、人に殴られた。客引きには、競合店との間に決められた暗黙のルールがある。そんな事にかまってなどいられなかった。どこのホストだかわからないが、男性複数人に引きずられ、路地の奥へ連れ込まれた。そこで、しつこく詰問される。何を言っているのか、わからなかった。というより、どうでもよかった。そんなことより、僕はペンダントを、ひとつでも多く配らなければならないのだから。
「てめぇ、聞いてるのか、このやろう」
 僕のひざが地面をつく。どやら殴られたらしい。人生で初めてだが、痛みは感じない。それより、抱えていたペンダントを入れた袋が地面に落ち、アクセサリーケースが辺りに散らばる。
「おい、なんか高そうなもんもってるぜ」
 男の一人がペンダントを拾う。
「…や、やめろ」
 大事な…大事なペンダントが…
「うっせ」
 蹴りを食らう。痛みは感じないが、鳩尾にはいったその蹴りが僕の呼吸を止めたらしく、僕の身動きは封じられた。
「はっ、こんなもんで女を釣ろうとしてたのか。ルールも守らなければ、やり方まで汚いやつだな。ま、いーや。それなりに高そうだしな。今日はこいつで勘弁してやるぜ。次はちゃんと先輩方に作法を教わって仕事するんだな」
 ペンダントが持ち去られた…
 でも…
 これで配るものが無くなった。
 ペンダント、送られてくるかな…
 送られてくるよね、きっと。
 配らなきゃいけないんだもん…。
 よかった…
 明日からもよく眠れる…
「はっはっはっはっ…」
 思わず笑いが出る。
 達成感。
 達成感とは、いろんな形で得ることができるもんだ…。
 …なに、してんだろ…
「おい、なにをしている?」
 …声。
 …聞き覚えのある…
 どこだ?どこで聞いた?
 …そうだ、あの時だ。
 ホテルでカオリさんと会った時…
 僕に…『殺(や)れ』と言った声…
「あ、あんた…」
 こいつが、僕に声を掛けた主…


21.邂逅②  語り部:刑事 加藤保憲

 中林、豊島を伴い、Fascination を訪れた。店長に尋ねると、智樹は客引きに行くといい、店を飛び出していったという。私たちは、彼の姿を探し、店の周辺から捜索を始めた。
 すると、スマホを見ている若者たちが、職安通りに近い路地で喧嘩があったと噂している。最近はTwitterとかいうインターネットサイトで、若者たちの話題は瞬時に広がる。情報を聞き、現場へ急行する。
そこには笑い声をあげながらうずくまる青年がいた。
「おい、何をしている?」
 青年は、顔を上げると、しばらく私の顔を見つめる。智樹というホストに間違いない。智樹がつぶやく。
「あ、あんた…」
 焦点がよく定まらないらしい。
「も…もう一回しゃべってくれ」
「なんだ?大丈夫か?」
「やっぱりあんただ!あんたが俺に命令したんだよな?」
 なんの事だ…正気ではないな…
「しっかりしろ!」
 ドラッグか…
「知己!」
 後からやってきた豊島が声を荒げる。
「知己、おい、なにやってんだ!」
 豊島が取り乱す。察してはいたが、やはり豊島は智樹を見知っていたようだ。
「豊島。知っているのか?」
「は、はい。こいつは…僕の弟です。」
 …確証はもてないが、との前置き付きで病院へ向かう賀陽から送られてきたメール。
『智樹の本名は“豊島知己”だそうだ』
 どうやら間違っていなかったようだ。
「兄貴?はは、やった、ドリーマーが効いてきたかな?」
「おい、知己。お前薬をやっているな?」
「なに言ってんだよ、兄貴。くすりってなに~?くすり??」
「しっかりしろ!」
 豊島が知己の頬をはる。知己の目が流れると、その先に中林の顔をとらえたようだ。
「あ!飯村さんじゃないですか!」
 知己の目が輝きだす。
「飯村さん!ペンダント!無くなっちゃったんですよ!新しいの、ください!あの薬、今夜の分しかなくなちゃって…よく眠れますよね~」
「飯村?」
 中林に視線を移すと、中林は動揺を見せずに目を細める。
「飯村?しりませんね。この薬中、だれと勘違いしてるんですかね?飯村…。私の組織でも調べてみましょう」
 中林は、そういうと、携帯電話を取り出す。
「中林さん。今は結構だ。この事態を把握するのが先決。飯村とやらの詮索は後ほどゆっくりと」
「そうですねぇ。こんな薬中の話なんて聞いてもしょうがないですからね」
 中林の言葉に豊島が反応する。
「中林、お前、何を知っている!アキラをこんなにしたのもお前だろ?加藤先輩、すみません、私はこいつに脅されていました。」
「豊島さん、何を言っているんだ。君を脅すなんてとんでもない」
「僕は、弟を守りたければと、こいつに言い寄られました。弟は冤罪の危機にある。防ぎたければ、と…」
「何を証拠に…」
「証拠ならある。ちゃんと録音していた」
 豊島はスマートフォンを取り出す。
「ばかな、あの時お前は携帯には触れていなかっただろ!」
「あの時?いつの話ですか?」
 …豊島、なかなかやるな。
「き…貴様、嵌めたな…」
「先輩、聞きましたか?証拠です」
「ふん。勘違いをしたまでだ。そんなもの、証拠になんかならん」
「状況証拠で逮捕する。知己が意識を取り戻せば、証拠なんかいくらでも出てくるさ」
「くっ」
 中林は、2歩身を後退させ間合いをとると、拳銃を構える。
 おそらく、いや、確実に、こいつの銃の腕前は相当だ。狙って、走る賀陽の足を打ち抜いている。ひとまず言葉で牽制する。
「中林、警官に拳銃を向けるか」
 いつもの嫌な笑みを消し、言葉を返す。
「ふん。あなた方には向けませんよ。その薬中に向けるなら構わないでしょ?」
 豊島に向けていた銃口を知己に向け、構えなおす。
「中林!抵抗しない民間人だぞ!」
 まずいな、豊島は冷静さを失ている。
「抵抗しない?薬中はなにするかわかりませんよ?最近もあなた方の身近な方で、薬中にナイフで襲われた人がいたそうじゃないですか」
「賀陽さんを襲わせたのはお前だろ!」
「なにを言うか。襲われた時、傍観していたのは誰かな。お前も同罪だ」
「ひらきなおるか!」
 豊島も拳銃を抜く。
「豊島、やめろ」
「私に銃を向けますか」
「お前は民間人に拳銃を向けている」
「こいつが、抵抗…してればいいんでしょ?」
「なに?」
「正当防衛ってやつになりますよね」
「なにをする気だ」
「知己くん。いい夢、みたいんでしょ?なんか、そこのお兄さんが邪魔をするみたいですね…」
 豊島知己が顔を上げる。
「おい、中林、やめろ!」
「トモキクン!オニイサンガジャマデスネ!」
 知己が目が一度淀み、異様な光をともす。立ちあがり、豊島に突進する。
 豊島が向けた銃口は中林から逸れ、天を向く。
「おやおや、激しい抵抗…」
 中林が右手の小指を締め、照準を定める。
「残念ですが、これで証人も、いなくなっちゃうわけですね…」
 私は、中林めがけて跳躍する。しかし、やつは絶妙な距離をとっていた。私のタックルはあと一歩届かない。
『パンッ』
 乾いた銃声の後に、人が倒れる音と、うめき声。
「うう…」
――豊島知己ではなく、豊島恵一だ。
 私は中林に体重をあずけ組み伏し、豊島兄弟に目を向ける。
「か…加藤先輩!そいつを…逮捕…」
 豊島は弟をかばい、身を入れ替え、こちらに背を向けていた。
左胸の位置から血がにじむ。
「あっちゃー、はずれちゃいましたかー」
 組み伏された中林が顔を横に向け、豊島兄弟を見る。
「もう一発…」
 中林は、銃を持つ右腕に力を入れ、構えなおそうとする。
「させん」
 銃身を掴み、中林の指を絡めながら捻りあげる。
「あぎゃっ」
 中林の人差し指を折りながら、銃を取り上げると、指の折れた右腕に手錠をかけ、路地の片側にあるフェンスの根本につなぐ。右腕を抱え込む中林はそのままに、豊島のもとへ駆け寄る。
「先輩…すみません…」
「いい。喋るな」
「知己…弟…を…」
 豊島の目が閉じられようとしている…。
衣服が破れている位置から察するに、弾丸は心臓をかすったか、運がよければ外れているはずだ。すぐに病院で処置をすれば助かる可能性はある。救急車の要請をすべく、携帯を取り出す。
「ゴキャッ」
 背後から、骨が砕け散るような痛々しい音が響き渡る。
 振り向くと、右手を抑え、中林が立っていた。
「捕まってあげてもいいのですが、今回はいささか時間が惜しい・・・」
 やつを捉えていた手錠はというと、得物を失い、ただただ、フェンスにぶら下がっている。そばには血まみれのコンクリートブロック。どうやら、自らの手をブロックで砕き、手錠の環から抜け出したらしい。常人にできる事ではない…
「加藤様…お目覚めを…お待ちしておりますよ」
 そう言い残すと、足早に暗がりの中に溶け込んでいった。
 もちろん、追いかけて捕えたいところだが、今は豊島を病院につれていく事の方が先だ。弟の知己もいる。それに、捕まえたところでどうせ、どういうカラクリを使うのかは知らないが、警察に身柄を拘束しておくことはできないのだろう。

 豊島を連れてきたのは間違いだったな…。豊島は、閉じそうな目で、天を見上げている。
 ビルの間からのぞく星のない空は、白味を帯び始めていた。


22.別離  語り部:ラストスタンディングマン 加藤保憲

 賀陽が入院する病院。
 強がってはいたが、賀陽はあの後、2日間眠り続けた。
 体を起こした賀陽のベッドの隣で、意識を取り戻した豊島知己から聴取した内容も合わせて、事件のあらましを語っている。
「なるほど、それで?」
「ああ。結局、残された血液を調べたが、中林の正体はわからなかったよ。現場に残された拳銃と、お前を襲った弾丸の線条痕も一致しなかた…。あの場で逮捕していたとしても、結局、暴れる容疑者を狙った弾丸が、同じく容疑者を取り押さえようとした警官に誤って被弾。そんなところで落着、だろうな・・・」
「そうじゃねーよ。豊島はどうなったんだ?後輩くんはよ?この病院に入院したのか?」
 そうだよな。その質問だよな。
「ああ。入院した」
「で?容態は?」
 やんなっちまうよな…
「死んだよ」
「…そうか」
「ああ。優秀なやつだったよ」
「結局、俺は嫌われたままだったな…」
「そうでもないよ」
「ん?」
「署の俺のデスクに、手紙が残されていたよ」
 手紙には、豊島に接触してきた中林の様子が記されていた。そして、ひとまずは中林の言葉に従い、真相を確かめる。もし、弟が犯人である事がわかれば、自ら逮捕するつもりである。自分は、自分を信じて事を判断するが、誤っている可能性もある。故に、私と賀陽に自分の行動も含めて捜査を行ってほしい。最悪は、自分が逮捕されても仕方がない。自分は、自分の判断に従い、二人に抵抗するかもしれないが、最後は二人の判断に従うつもりである。おおよそ、そのような事が書かれていた。
「最初から言えよ…」
「まさか、豊島もその日のうちにこんな事になるとは思っていなかったんだろうな」
「に、してもよ…」
「私とお前を心より尊敬・信頼している。だとさ」
「ふん…。俺はあいつを心から疑った」
「そう判断するお前を、信頼していたんだろう」
 しかし、まるで…
「しかし、まるで遺書だな、そりゃ」
 …同感だ。
「そうだな。中林との接触の中で、こうなる可能性も感じていたんだろうな」
「くそっ。いい勘してるぜ。優秀だよ、まったく」
「…」
 …同感だ。
「ちっ。皮肉にもなりゃしねぇ・・・本当に優秀なやつだったよ、あいつは」
「…いや、バカだな。何も死を予感して、本当に死んでしまう事はない。予感したなら避ける方法を考えるべきだ」
 …考えただろう。そして考え続けていた。ただ、答えが見つかる前に死んでしまった。
「ふん。タイムオーバーってことか。ゲームじゃねーんだぞ、まったく。なあ?」
 まったく、こいつは人の心を読む。
「ああ」
「それで、弟くんはどうしたんだ?」
「ああ。豊島知己は、目を覚ました後、すぐに正気を取り戻した。それまで毎晩薬を飲んでいたようだが、薬の効果事態はそこまで依存しないらしい。しかし、カオリという女性の事件が起きてから、頭の中はずっと整理できていないようで、豊島の顔を見ても表情は変えず、ただ、そうですか、と呟いていたよ」
「浮かばれねーな、豊島くんは…」
「ああ。しかし…」
 しかし、私の声を聞いて異常に怯えていた…
「しかし?」
「ああ、しかし、カオリという女性が死んだ原因はいまだ闇の中だ…。本当に豊島知己が殺してしまったのか、それとも中林が仕組んだのか…おそらく後者だが、カオリが死んだという証拠すら残っていない。彼女は扱いとしては薬物中毒による事故死。それ以上は報告書には書かれていない」
「死体はどこにある?」
「とっくに火葬されてるよ」
「ふざけやがって…。で、弟くんは?」
「知己君は薬物取締法違反の軽い罪で済むだろう。一応、睡眠薬と信じて飲んでいた、わけでもあるしな」
「災難だったな、豊島家は。ご両親は?」
「どちらも亡くなっているよ」
「そうか…。しかし、中林がなぜ今回の騒動を起こしたのか。目的がわからねーな」
「ああ。被害者は一様に桜のある場所へ行く。東京近辺のすべての花見スポットに警備をつける、という事で一応今回の処理方針は固まったが…とても解決したとは言えないな」
「なあ、正式に警視庁からうちに依頼だしてくんねーかな?俺も、他の仕事、こなしてる暇はなさそうだ。金がかせげなくて困っちまう」
「そうだな。真剣にかけあってみるよ。ま、とりあえずは、その傷が治るまで休んでくれ」
「そうだな…」

 ――しかし、その後、中林が動いた様子はなく、一年が過ぎた。
 あの後、東京近郊の花見スポットで発見された女性は32名。全員無事保護。
 出回ったペンダントは、使用してはいけない成分が金属に混ざっていた事にして、架空のメーカー名義でリコール回収をかけ、豊島知己が配ったと推定される量の全ては回収することができた。(一つあたり10万円の交換保障を提示。上司に事情を説明するのには本当に苦心した)
 
こうして、この事件は一応の決着をみせ、この一年は、何事もなく過ぎていった。

ただ一つ、その後、桜がずっと咲き続けた事を除いては…
 
 



                                 序章・完

桜花物語

全8章(予定)を書き終えたとき、達成感に胸を震わせ、泣きむぜびながらあとがきを書きたいと思います。

桜花物語

荒俣宏先生が執筆された「帝都物語」。かの伝説の小説を読み、もし主人公「加藤保憲」がこの時代に現れたら…。そんな妄想をしているうちに、妄想は膨れ上がり、生まれて初めて、筆をとってみることにしました。 本作は、「帝都物語」の登場人物を同名の人物を登場させていますが、荒俣先生の作品とはまったくの別物、別の世界として書いてございます。 -あらすじ― 現代の東京。「ある出来事」をキッカケに刑事・加藤保憲は目的の見えない怪事件に巻き込まれていきます。事件解決の先に見えるのは… 魔人降臨を目論む謎の組織との戦い。「真に平和な世」は訪れるのか…。 -そして僕のつぶやき- 現在、序章・一章は書き終えていますが、頭の中のプロットは8章分… 仕事の合間に書き溜めて、序章・一章を書ききるに要した時間は1年。 はたして、僕は書ききることができるのか?!

  • 小説
  • 中編
  • アクション
  • サスペンス
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-24

Derivative work
二次創作物であり、原作に関わる一切の権利は原作権利者が所有します。

Derivative work