ラスト・ゲーム(作・高柳郁)

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE1)

TAKE1


 子供の頃、俺の一日は三、四度訪れた。同じ時間、同じ天気、同じ予定。まだ小さかった俺は、それが普通のことだとばかり思っていた。たまに「今日は何回やり直すかな」と独り言を言って不思議そうな顔をされていたらしい。
 小さい頃から、俺は空気の読めるいい子と言われていた。俺自身はそんなつもりはなかった。怒られないように。ただそれだけを求め続けていた。いつも読み聞かせられていたヒーローなんかになる気は全くなかった。自分の世界さえ守れればそれでよかった。今も、それは変わらない。守れないものを切り捨てて、残ったのは一つだけだった。



「……ん」
 意識が覚醒した。まだ頭に少しもやがかかっている。寝直そうとしたが、そういうわけにはいかないらしい。どうにもベッドの感触が硬い気がする。寝返りを打ってもそれは変わらない。体の節々が痛い。特に脇腹がじくじくと痛む。なんだ、これは。違和感に耐えかねて目を開けて、その違和感は一層強くなった。
「……なんだ、どこだ、ここ」
 無機質なコンクリートの壁。ベッドの他には壁掛け時計が一つ掛かっているだけだった。どうにも味気ない部屋だ。まるで、寝る以外の用途を排除したような空間だった。俺の部屋ではない。
 自分の服装を見てみる。サッカー部のジャージだ。それがだんだんと俺の記憶を呼び覚ます。家に帰った記憶はなかった。いつものようにきつい部活が終わった後、いつものように沙耶との待ち合わせに向かおうとして――そう、黒いスーツを着た男たちが現れて。
「……いて」
 服をめくると、脇腹に小さく火傷のような跡があった。スタンガンか何かで意識を奪われたらしかった。つまり、拉致されてきたわけだ、俺は。
 改めて時間を確認する。壁掛け時計の時間は一時半を指していた。そこまで読み取って、自分の右腕に腕時計が巻きついているのに気がついた。
「腕時計? こんなの買った覚えは……」
 とりあえずそれを観察してみる。見れば見るほどそれは変わっていた。まず、ずっしりと重い。金属製なのではないだろうか。しかも合金とか、そういった類の。次に、外すための場所が見当たらない。どこをどう引っ張っても外れそうになかった。さらには、何かをつなぐプラグのようなものがついている。普通の時計に何かを接続する機能があるだろうか。ディスプレイは壁掛け時計と同じ時間を映している。その右下に「Clear」と「Failed」と書かれた二つのアイコンがある。
「……この時計、時間あってるのか」
 携帯を出して確認しようとしたが、ポケットの中に入っていたのは自分の携帯ではなかった。
「ん、まったく次から次へと……」
 次々に訪れる違和感に若干呆れつつも取り出したのは、携帯というよりはゲーム機に近い形状のものだった。いや、最近ではこういう形の携帯通信機が流行っているんだったか。角が丸くなった長方形のような形をしている。ボタンが一つしかない。つまり、これはタッチ式であるらしい。
ボタンを押すと画面が点いた。そこには時計と同じ時間が映っていて、真ん中に「PNO.9」と大きく映し出されていた。さらに下には「クリア条件」「MAP」「ルール」「機能」と四つのアイコンがあった。
「……なんだ、これ。ルールだの、クリア条件だの、ゲームか何かか?」
 しかし、と俺は考える。単なるゲームをするだけなら通りすがりの高校生を拉致したりするだろうか。俺は嫌な予感を覚えながら、まず「クリア条件」というアイコンに触れてみた。そうして映し出された文言に俺は言葉を失った。そこにはこう書かれていた。
『ゲーム終了一時間前までの生存』
 生存? それがクリア条件なのか? 一瞬そう考えて、その意味を理解した。つまり、この「ゲーム」では人が死ぬのだ。そうでなければ、こんな簡単な条件を設定する意味がないのだから。
 その時だった。廊下から聞きなれた声が響いてきた。
「なっ……なんなのよ、これは!」
 まさか、と思い廊下に出ると、その声はどうやら隣の部屋から聞こえてくるようだった。
「ふざけんじゃないわよ、どうして私がこんな目にっ」
「おい、そこにいるのはもしかして」
 声をかけると、面白いくらい即座に反応が返ってきた。
「え、その声は彰一? 彰一よね?」
 すごい勢いで扉が開いた。そこから顔を覗かせたのはやはり俺の幼馴染、高倉沙耶花だった。俺はいつも沙耶、と呼んでいる。平均身長よりもやや小さい体躯に、ややきつめの整った顔。さらさらの髪をツインテールにまとめている。髪を下ろしたらそのきつい雰囲気もいくらか解消されるというのに、彼女はそうする気は毛頭ないらしい。彼女の自己主張する胸が思いっきり視界に入って、慌てて目を逸らす。
「や、やっぱり沙耶だったか。声を聞いてもしやと思ったんだ」
 ごまかすようにそう言うが、沙耶はそれには触れずにいきなり不機嫌極まりない顔で迫ってきた。
「ちょっと彰一、これどういうことか説明しなさい!」
「はあ?」
 沙耶はすっかり興奮しているようだ。これでは話どころではない。沙耶の方の部屋で説明をすることとなった。と言っても、俺が辿りつけるようなことは沙耶が冷静になればすぐに把握できるだろうが。


 説明にはそれほど時間を要しなかった。元々沙耶は頭がいいので、少し落ち着くとすぐに状況を把握したのである。すると彼女は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「話を整理すると。私たちはさらわれてこの建物に連れてこられた。そして何やら得体のしれないゲームに参加させられようとしている。……いや、もうすでに参加させられているのかもしれないわね。まったく、不愉快な話だこと」
 腕に着けさせられた腕時計を見ながら沙耶はつぶやいた。そこでは今も時が刻まれている。それから壁にかけられた時計を睨む。
「どういうことだ?」
「時計の時間が全部正確に一致しているわ。普通時計って同時に時間を合わせてもずれていくものよ。つまり、つい最近合わせられた可能性が高い。電波時計でも、一日に一度電波を受信してずれた時間を合わせていることが多くて、こんなに一致するものでもないから同じことね。この現状を考えると、現在時間よりどちらかというとゲームの経過時間の方がしっくり来る気がするわね。拉致した人間にわざわざ現在時間を教える必要なんてないもの」
 沙耶はすらすらと考察を続ける。やっぱり沙耶はすごいな、と肩をすくめる。
「そうだとすると、もうゲーム開始から一時間半以上経ってることになるけど」
「でしょうね。私たちだけが集められたわけじゃないと思うからまだ数人プレイヤーとして拉致された人がいるんでしょう。そうすると、皆が皆同じ時間に起きるとは思えないから、もしかすると一番最初のプレイヤーが起きたところからゲーム開始なのかも」
「冷静だな、ずいぶんと」
 感想を漏らすと、心外なというように沙耶は口角を下げた。
「あんたね、これが冷静に見える? ああ、腹立つ。今すぐにでも犯人の横っ面ひっぱたいてやりたいわ」
「……怖くないのか」
 沙耶は眉をひそめた。この鈍感、とイライラしたような顔で口を尖らせる。
「怖くないのか、ですって? そういうのをなだめるために、今必死に頭を回してるんじゃない。私ね、考えている間だけは怖いとか感じなくて済むのよ。考える謎があることが、今だけはありがたいわ」
 歯をぎりぎりと噛み締める音が聞こえてくるかのようだった。その目がどことなく潤んでいる。ああ、やってしまった。俺はいつも最初はデリカシーがないと言われるんだ。次からは気をつけよう、といつものように沙耶の頭を撫でた。沙耶は頭を撫でられるのが好きで、機嫌を損ねた時はいつもこうしていた。最初は俺も恥ずかしかったが、じきに慣れた。自然と手が出てしまうのは流石に考えものだが。
「ごめん。少しデリカシーなさすぎた」
 沙耶は少しの間固まっていたが、少しして鼻をすする音が聞こえた。むすっとした顔の目元がうっすらと光っている。
「わかればいいのよ、馬鹿」
 今は冷静に振舞っているが、彼女はあくまで一人の女の子なのだ。この子を守らなければならない。それはまさしく使命感のように俺を鼓舞した。そうとも、俺は彼女に惚れている。だから、守るのだ。どんなことをしてでも、何を犠牲にしてでも。いつだって、そうだったように。


 落ち着いた沙耶は、すぐにその明晰な頭脳を働かせ始めた。
「まず、ゲームのルールを確認したいわね。私たちが今から何に参加させられるのかは把握しておかなきゃ」
「ああ、確かこいつに『ルール』って項目があったと思うんだけど」
 ポケットの中からあのゲーム機のような機械を取り出すと、沙耶は目に見えて訝しんだ。
「なにそれ、携帯? でもあんたそのタイプの携帯持ってなかったはずよね。どこで手に入れたの?」
「どこって、気がついたらポケットの中に入ってたんだよ」
 それを聞くなり彼女はスカートのポケットに手を突っ込んだ。そして、引っ張り出したのはやはり俺のものと同じ機械だった。沙耶は目を丸くして、それからまた怒り出した。
「犯人、女の子のスカートに手を突っ込んでただで済むと思うんじゃないわよ……」
「沙耶の気持ちもわかるが、とりあえずまずはルールの確認だ。文句を言うのはそれからにしよう」
 少しぞんざいな言い方なのはわかっていた。けれども今はとにかく情報が欲しいのだ。彼女もそれをわかっていたのか、特に反論せずに考察を再開した。
「これ……携帯じゃないわね。通話のためのマイクがついてない。それに、どこかにつなぐプラグがついてるし。たぶん何かの端末だとは思うんだけど」
 ボタンを押すと、さっきと同じように画面が浮かび上がった。斜めからはよく見えない。覗き防止機能が備わっているらしかった。
「PNO.6……。この番号、プレイヤーによって違うのかしら。彰一は何番だった?」
 急に聞かれて、俺は何番だったかと端末を取り出す。
「PNO.9って書いてある」
「なるほど。つまり皆番号が違うとすると、プレイヤーは少なくとも九人いるわけね。それから、アイコンが四つあるけど。とりあえず、クリア条件とやらから見ていきましょうか」
 沙耶のしなやかな指がアイコンをタップする。すると、そのアイコンが広がるようにして文面が映しだされた。
「『ゲーム終了一時間前まで他のプレイヤーへの物理攻撃を一切しない』……。なにこれ。これじゃまるで、物理攻撃以外の攻撃があるように読めるけど。どこまでが攻撃にあたるのかも明示されてないし。まあ、下手なことはするなってことかしら。
 彰一のクリア条件は? もしかして同じだったりする?」
「いや、俺のは『ゲーム終了一時間前までの生存』だとさ。この条件から、このゲームでは人が死ぬようなことをするつもりなんだと思うんだが」
 自分では割と恐ろしいことを言ったつもりだったのだが、沙耶はなるほど、と冷静に一つ頷いた。
「そうじゃなきゃ、そんなクリア条件設定しないわよね。もしかすると、さらに何かその分のハンディキャップがあるかもしれないわよ」
 どうしてお前はそんなに冷静なんだ、と言いかけて、思い直して口をつぐんだ。またさっきの二の舞になってしまう。沙耶だって怖いのだ。それを冷静な分析でごまかしているだけなのだ。そう思うと、そこに突っ込む気にはどうしてもなれなかった。
「まずは全部見てから考察しましょう。次は『MAP』ね」
 沙耶の言葉に従って俺も端末を操作する。アイコンをタップすると、画面いっぱいに地図のような画像が広がった。端に「1F」「2F」「3F」とタブがついている。
「……なるほど、これがこの建物の地図ね。私たちの現在地は、ここか。一階エリア十五」
 階層ごとに二十五のエリアに分けられているようだった。言われた通りの場所に、確かに光点がある。
「これがこの部屋だとすると……おっきいわねえ、この建物。ちょっとしたドームよりありそう」
「あれ、普通に出入り口があるが。ここから出られるのか」
 呆れたように沙耶がため息をつく。
「あんたね。流石に相手もそこまで馬鹿じゃないわ。きっと封鎖されてるか、それか――あれ、何かしらこれ」
「ん? 何の話だ?」
「ほら、建物の周り。全部赤く光ってるんだけど」
 沙耶の動きを真似て画像を縮小してみると、確かに建物の周りが赤く光っている。
「侵入禁止ってことか?」
「何らかのペナルティがあるのかもね」
 それから、沙耶は無言で「MAP」を閉じた。きっと恐ろしかったのだ、そのペナルティについて言及することが。俺としてはその内容をはっきりさせておきたかったのだが、これ以上ここで議論してもただ沙耶を怖がらせるだけだと思い、その沈黙に従った。
「次。これがたぶんメインディッシュになると思うけど、『ルール』開くわよ」
 それに倣ってアイコンを開く。すると、圧倒的な文量が目の前に現れた。
「なんだよこれ、これが全部ルールだってのか。冗談だろ」
「プレイヤーを拉致して集めて強制的に参加させて、揚句こんな機械まで用意してるのよ。冗談だっていう方がおかしいわ。それじゃ、一つずつ読んでいきましょ」
 それから、俺たちはルールを読み進めることとなった。そのルールの内容はこうである。



「プレイヤーズルール
 このゲームを行うにあたって、プレイヤーは以下のルールを把握したうえで臨まなければならない。

・このゲームは四十八時間行われる。その間食料などはフィールド内に設置されているものを利用すること。

・ゲーム終了時に生存していたプレイヤー全てを勝者とする。勝者は賞金二十億円を山分けする。負傷していた場合は直ちに医療機関へと搬送し、しかるべき治療を行う。その治療費は運営が支払う。

 ・プレイヤーにはそのプレイヤーナンバー(以下PNO.)に応じてクリア条件と特殊機能が個別に設定される。特殊機能とは、各PD(この端末のこと)に割り振られた機能のことである。各ナンバーのクリア条件は以下の通りである。
1、 PNO.2のプレイヤーと開始八時間以内に接触し、その後ゲーム終了一時間前まで、二時間以上離れずに行動する。(PNO.2のプレイヤーが死亡した場合はクリア条件が満たせないものとして腕時計を作動させる)
2、 PNO.9のPDの破壊。
3、 ゲーム終了一時間前まで、半径五メートル以内に三人以上他のプレイヤーを入れさせない。
4、 ゲーム終了一時間前までのプレイヤー全員の生存。
5、 ゲーム終了一時間前の時点で他のプレイヤーのPD三台の所持。
6、 ゲーム終了一時間前まで他のプレイヤーへの物理攻撃を一切しない。
7、 時計三つの破壊。
8、 PNO.3の腕時計の作動。
9、 ゲーム終了一時間前までの生存。

 ・クリア条件が満たせなくなった場合、そのプレイヤーの腕時計を作動させる。腕時計が作動すると、十秒の警告ののち内側に針が飛び出し、即効性の致死量の毒を注入する。クリア条件を満たしたプレイヤーが自分のPDを自分の腕時計に接続することで腕時計は外れ、ゲームクリアとなる。以下、クリア不能の他に腕時計が作動する状況を挙げる。
1、 クリア条件を満たしていないのにPDを腕時計に接続したり、他人のPDを腕時計に接続した場合。
2、 フィールド外は進入禁止エリアになっているが、そこに入った場合。
3、 ゲーム終了時になってもクリア条件を満たしていなかった場合。
4、 腕時計に過度な圧力や衝撃を加えた場合、加えたプレイヤーの腕時計が作動する。
5、 フィールド上に戦闘禁止エリアという区域が存在する。その中で、もしくはその中に向かって攻撃とみなされる行為を行った場合。

 ・戦闘禁止エリアは一階層ごとに一エリア設定され、六時間ごとに変更される。戦闘禁止エリアに近づくと、PDから警告が流れる。戦闘禁止エリアはフィールド上に配置されたメモリーチップをPDに読み込むことによって一時間だけ『MAP』上に表示される。

 ・時計が作動した場合、半径五メートル以内に他の時計があればその時計も同時に作動する。

 ・ハンターと呼ばれるプレイヤーが二人、フィールド上には存在する。ハンターのクリア条件はハンター以外の全てのプレイヤーの死亡である。さらに、ハンターにも通常のプレイヤーと同じように個々の特殊機能が割り当てられる。」



 長い。かなり複雑なルールだ。沙耶はそれを読んでしきりに頷いている。理解したつもりではあるが、もしも誤解があったら困る。確認のために俺は沙耶に声をかけた。
「すまないが、少しルールを整理したい。噛み砕いて説明してくれないか」
 すると、沙耶は少し得意げに小さく笑った。
「仕方ないわね。じゃあまず最初はわかるでしょ? このゲームは四十八時間で終了。その間の食事とかもろもろに必要なものは配置してあるから自分で探せって言ってるわけね」
「ああ、それはわかる」
「次、クリア後の話ね。ゲーム終了時まで生き残っていれば、それが何人いても勝利。勝者全員で二十億を山分けするわ。負傷している勝者がいたら治療してくれるらしいわ。敗者には何の供養もないんだろうけど」
「この部分だけ見るとクリア条件は達成してなくてもいいように見えるな」
「うーん、そう見えるわね。でも結局クリア条件を満たせなければ腕時計が作動して死んでしまう。死んでしまった人に賞金を与えるということもないでしょうし」
 なるほど、と納得したのを見て、沙耶が説明を再開する。
「その次はクリア条件と特殊機能の話ね。クリア条件は言うまでもないけど、特殊機能っていうのがこの端末――PDっていうのかしら。これに搭載されているみたいね。後で見てみましょう。
 次、クリア条件が満たせなくなったり反則した場合のペナルティについて。直接的な攻撃のペナルティではないけど、私たちはその毒に対する血清や特効薬を持っていないから変わらないわね。ペナルティを受けたらもう助からないと思った方がいいと思う。腕時計を外すにはクリア条件を満たした状態で自分のPDを自分の腕時計に接続するしかないみたい。きっとこの腕時計のプラグはその成否の判定に使われるんじゃないかしら。反則についてはそこに書いてある通りね」
「やっぱりMAPで赤く光ってたところは侵入禁止区域だったんだな」
「ええ。……脱出は無理、と考えた方がいいかしらね。
 じゃあ次。次は戦闘禁止エリアについての項目。戦闘禁止エリアは安全地帯だけど、六時間ごとに変更される。チップで表示されるのがたった一時間だから、チップ一枚につき一回しか戦闘禁止エリアを探すのに役立ってくれないわ。近づいたらPDが知らせてくれるっていうから、最悪足で探すしかないかしらね」
「その次がよくわからないんだが、これは何を言ってるんだ?」
 聞くと、それまですらすら説明してきた沙耶が眉を寄せた。
「私もそこまで理解しているわけじゃないんだけど、たぶんこういうことだと思うの。もし近くに他のプレイヤーがいて、そのプレイヤーがクリア不可能になったら巻き添えをくらう。これはたぶん、協力プレイを阻止しようということかしらね。それが運営にとってどういう意味を持つのかはわからないけど。
 最後は、通常のプレイヤーと違うプレイヤーについてね。クリア条件はハンター以外の全てのプレイヤーの死亡だから、何が何でもプレイヤーを殺しにかかるはずよ。そうしないと自分が死ぬんだから。……よくできたルールだこと。穴がないように整備されてるんじゃないかしら。少なくとも、これが初めてのゲームだったらこんなルール作れないわ」
「つまり、これが初めてじゃなくて、何度も同じようなことが繰り返されていると?」
 沙耶は不服そうに目線を逸らしながら答えた。
「そうなるかしら。こんなゲームが繰り返されてきたなんて、想像したくもないけど」
 俺は気を紛らわすためにこう言った。
「……なあ、これは本当のルールなのか」
「どういう意味よ」
「俺たちはこれが本当だと見たわけじゃないだろう。もしかしたらこんなのただの嘘っぱちで、犯人がそれを見て笑ってるだけなのかもしれない」
 しかし、沙耶はそんな希望的観測を受けつけない。気晴らしに乗るような余裕もないらしい。
「あのねえ。その可能性もないわけではないけど、じゃあこのルールが本当か試すの? 言っとくけど、私は嫌よ。自分がやるのも、彰一がやるのも。大体そうだったらこんな仕込みをする必要なんてない。ここに書かれていることは全て本当だと思っておいた方がいいわ」
 それからしばらく部屋の中を沈黙が支配した。このルールが本当だとしたら、どうしたらいいのかなんてことは、まだこの段階でわかるわけもなかった。何か話題はないかと探して、俺はふとまだ確認していなかったことを思い出して沙耶に告げる。
「そうだ、まだ『機能』について確認してなかった」
 沙耶はそれに勢い良く食いついた。
「あ、ああ、そうね。『機能』は、と」
 端末――PDの「機能」のアイコンをタップすると、さらに二つのアイコンが姿を見せた。「MAIL」と「SPECIAL」の二つである。
「きっとこの『SPECIAL』が特殊機能のアイコンよね。……『半径十メートル以内にいるプレイヤー一人の腕時計を作動させる。この機能はゲーム中一回しか使えない』? なにこれ、ものすごく危険な機能じゃない。これ使ったら死んじゃうんでしょ? 何が一回しか使えない、よ。絶対使わないって」
 どうやら沙耶はかなり危険な代物を引き当てたらしい。だが沙耶のことだ、むやみに使うことはないだろう。どちらかというと、たぶん俺の方が問題だった。
「彰一、あんたはなんだったの?」
「……なかった」
「はあ?」
 呆れた声が響く。しかし本当のことなのだ。俺は沙耶にPDの画面を突きつける。
「『特殊機能:なし』? なるほど、これが彰一のハンデの一つね。特殊機能を持たない代わりにかなり条件が緩いわけか」
 納得したように沙耶がふんふんと頷いている。
「とはいっても、大したものではなかったわね。私はこんな機能使わないし、あんたのはそもそも機能自体がなかったし」
「じゃあ、一応『MAIL』の方も見てみようか」
 そして次は『MAIL』のアイコンを開く。すると「BOX」というアイコンのみが現れた。
「え、これメール発信機能ないの? 受信機能しかないのに誰が送信するんだか――」
 沙耶が言った時だった。ぴろりろりろ。目が覚めて以来初めて聞いた機械音に驚く。
「なんだ、今のは」
「ねえ、彰一」
 沙耶の言葉に振り向くと、沙耶は熱心にPDを操作している。「……メールが届いてる」
 はっとしてPDの画面を見ると、確かに「BOX」のアイコンに(1)と数字がついている。それに吸い込まれるようにタップして受信ボックスを開く。
「『運営より』……?」
 奇しくもこのタイミングで、唯一の送信者が見つかったのだった。腕時計を見ると、ちょうど開始二時間を指していた。



「運営より

 このたびはこのゲームに参加いただきありがとうございます。ですが参加者の皆様の中にはまだルールに関して不明な点を抱えていらっしゃる方も多いのではないかと思われます。
 つきましては一度質疑応答を行いたいと思います。今から一時間後に二階エリア十五の一室にその場を設けますので、皆様ふるってご参加ください。会場はMAP上に表示されます。今現在から一時間の間は全域を戦闘禁止エリアに設定、また質疑応答の終了から三十分間は二階エリア十五を引き続き戦闘禁止エリアに設定いたしますのでご安心ください。
 ただし、質問に関しましてはゲームの内容に関する質問のみに限定させていただきます。それでは、皆様のお越しをお待ちしております。」



「なんなのよ、このふざけた文面は! さらわれた人たちを相手にもしない感じ、本当ムカつく!」
 怒り心頭の沙耶がずんずん進んでいくのを、俺は若干のさみしさをもって追いかけていた。そんなことを考えている場合ではないとわかっている。わかっているのだが、それでも考えずにはいられない。だんだんと彼女との距離が遠くなっている実感だけが心の奥にくすぶっている。
 失ったものは多く、それと引き換えに手に入れたものは、あまりに純粋すぎた。悪魔との取引は、きっとこんな感じなのだろう。もう何を失ったかも全部は思い出せないけれど、少なくともこれだけはわかる。
 彼女のように、さらわれた人「たち」のために怒ることは、俺にはできない。
「ん、なんか言った?」
 振り向いた沙耶に、精いっぱいの苦笑を浮かべて。
「なんでもないよ」
 泣きたいくらいに乾いた笑いが胸の奥を締めつけた。
 その時、沙耶の前で何かが動いた気がした。沙耶は前を向いていない。
「沙耶っ!」
 考えるより前に走り出していた。
「え、あ、ちょっと」
 沙耶の反応を待たずに彼女を抱きしめる。きゃ、と普段聞けないかわいらしい悲鳴が聞こえたが、それに構っている場合ではない。そのまま床に押し倒す。動揺した声が胸の中から聞こえた。
「ちょ、ちょっ、なな何――」
 その瞬間、壁から勢いよく何かが飛び出した。それがほんの一秒前まで沙耶がいた空間をかすめる。キン、と金属音がして、はね返ったそれが床に転がった。金属の棒の先端に矢じりがついている。
「……矢、かよ」
 顔が引きつる。こんな罠まで用意されているのか。だとすると、普通の通路すら注意して進まなければいけない。かといって、安易に突き飛ばすと攻撃とみなされてしまうかもしれない。全域が戦闘禁止と言われている以上、それはそのまま死を意味する。今回はセーフだったらしい。安堵に大きくため息をつく。
「ちょっと、だからいい加減に」
 胸の中でもごもごと不平を言う沙耶を解放し、床に転がった矢を見せつける。すると目に見えて顔が真っ青になった。
「……ねえ、もしかして、今彰一がいなかったら、私、死んでた?」
 震える声で尋ねる沙耶。歯がカチカチと鳴る音がかすかに聞こえる。その体が震えているのが、痛いほどよくわかった。なだめるように俺はつぶやく。
「大丈夫。俺が守るから。何があっても、俺が守るから」
 それは自分自身に言い聞かせてもいた。沙耶は確かに優秀で、それでも驚くほど脆い。それが、どうしようもなく愛しい。このガラス玉のような、美しく硬く脆い女の子を、どうしても守りたいと思う。たとえその身が何度朽ち果てても、たとえ何度自分が傷ついても。
 通路にはいくつも時計が設置されていた。その針が、二時五分を指していた。


 罠の存在を知って、俺たちは慎重に進むようにした。
「沙耶は俺の後ろに。俺が何もないのを確かめるから、その後ろからついてきてくれ」
 先ほど命の危機に陥ったばかりの沙耶は、素直に頷いた。まだその歯が震えている。いつもの彼女なら反発しただろうが、もし反発されても俺は譲らないつもりだった。俺が傷つくのは別にいいのだ。それでも、彼女がこれ以上傷つくのを黙っているわけにはいかなかった。
「……よし、大丈夫だ」
 俺がそろそろと足を踏み出して、安全だとわかったところを沙耶がついてくる。そんなことをしているものだから、階段があるエリア十四まで移動するのに十分かかった。それからさらに二階のエリア十五まで到達するのに二十分かかった。結局質疑応答の場と思しき場所に到達した時にはゲーム開始から二時間半を過ぎていた。
 会場はそのエリアの中で一番大きな部屋だった。そこに入ると、暢気な声が俺たちを迎えた。
「おお、やっと来よったわ」
 中には四人の男女がいた。そのうちの一人の男が俺たちに振り向いた。大分頭髪が薄くなった中年の男だった。
「それで、ちゃんと説明してくれるんか? わしらがここに連れて来られた理由を」
 その男を隣の背の低い少年が抑える。
「待った。あの二人も僕たちと同じみたいだよ」
「なんやと。……ふん、またかいな。しゃあけど、ほんなら運営とやらはいつ来るんや。いや、それよりもやな。坊主はいつになったら年上に敬意を表すんや」
「セクハラおじさんに表す敬意なんて僕はあいにく持ち合わせてないよ」
「なんやとお、この小僧が」
 口げんかになった二人を、眼鏡をかけた女性がいさめる。
「そんなことで争っている場合じゃないでしょう。こんな状況で」
 しかし少年は悪びれもせずに肩をすくめる。
「こんな状況だからこそ、だよ。わかってないなあ、お姉さんは。それにお姉さんだってセクハラされてたじゃないか」
「まあ、それはそうだけど……」
 その反応に中年の男が食いつく。
「なに言うてんねや。あれはスキンシップってもんやで、なあ?」
 その問いかけに、誰も頷きはしなかった。少年が呆れたように言い放つ。
「ほら、誰もそうは思ってないってさ。いい加減認めたらどう? セクハラおじさん」
「こんのくそ坊主……!」
 中年の男が拳を握りしめた。それを見てか、脇から背の高い青年が割って入る。
「まあまあ、皆矛を収めて。今は全域が戦闘禁止エリアなんだから、喧嘩なんかしたら失格にされちゃうかもしれないし」
 その言葉に中年の男は歯を食いしばり、少年は不満そうに鼻を鳴らした。
「余計なことしないでよ、お兄さん。もしここで手を出してくれたらルールが本当かどうか確かめられたのに」
 それまで黙っていた沙耶が、ついに口を出した。
「ちょっと。事情は知らないけど、そんなこと冗談でも言わないでよ。人の命がかかってるのよ」
「わかってるよ、そんなことくらい。僕、ああいう大人嫌いなんだ。もし誰かがやらなきゃいけないなら、僕はこのおじさんに死んでもらいたいね」
「ちょっとあんたね!」
 つかつかと少年に歩み寄ろうとする沙耶を、俺は手を引いて止める。
「何すんの、彰一!」
 興奮している沙耶を、俺は声を落として引き留める。
「今はやめとけ。どんな行動が攻撃行為と取られるかわかったもんじゃない」
 沙耶は悔しそうに足踏みした。代わりに俺が少年に向けて釘を刺す。
「なあ、お前。こんなことになって苛つく気持ちもわかるが、今敵を作るのは得策じゃないと思うぞ。それにお前の狙いもわかるにはわかるが、うまくいってたら連鎖的にここの全員が失格だ。ルールを読まなかったわけじゃないだろ」
 わかってるよ、冗談だってば。少年はやはり不満そうにそっぽを向いた。険悪な雰囲気になったその場を、青年がまとめる。
「ま、まあ。まだ質疑応答まで時間があるようだし、それまで何も話さないのもあれだし、改めて自己紹介と行こうじゃないか。面倒だとは思うけど、待っている間それほどやるべきことがあるわけではないし」
 それに異論を挟む者はいなかった。
「大丈夫だね。それじゃあまず言いだしっぺの僕から。僕は牧瀬洋介。今は大学で勉強の最中。こんな状況だけど、よろしくお願いします」
 牧瀬と名乗った青年は、華やかすぎず、かつ洒落た私服を着ていた。身長はおそらく百八十を超える。それなりに筋肉質だが、背が高い都合でどちらかというと痩せた印象を受ける。さっぱりとした短髪が面長な彼の顔を強調していた。
 自己紹介が終わっても、拍手なんて気の利いたものは上がらなかった。誰も次に自己紹介しようとしなかったので、仕方なく俺が口を開く。
「来栖彰一。今高校二年だ。よろしく」
 すると、不機嫌そうに沙耶も自己紹介を始める。
「高倉沙耶花よ。同じく高校二年。人を殺すとか嫌いだから、冗談でもそんなこと言わないで」
 少年を睨みつけるように言うが、当の少年はそれを意にも介さず不敵な笑みを漏らした。そしてそのまま皮肉気に自己紹介する。
「今井悠樹。中学二年だよ。趣味はネトゲ、好きなものは他人の不幸。特にああいうおじさんみたいな奴のね。よろしく」
 着ているのは部屋着のようだった。ゆったりとしたスウェットに身を包んでいる。長めかつぼさぼさの髪が彼の不健全さを印象づける。目の下にうっすらと隈が見えるが、顔の構成自体はそれほど悪くない。身長は低めだが、男子中学生と言われればそんなものかと納得する程度だ。
 今井にああいう、と視線を向けられた中年の男はそれに一つ舌打ちをしたが、今回は我慢したらしくそれ以上の反応はせずに自己紹介を続けた。胸を張った勢いで典型的な中年太りの腹が揺れた。
「ほんなら、次はわしやな。わしは榎並博文っちゅうんや。大阪の方で食品メーカーを経営しとる。今は株式会社とかやわな奴らがぎょうさん立ちよったがな、うちは実力主義の有限会社や。どや、社長やで。どや、どや」
 背は今井よりは高いかという程度。もうそろそろ縮み始めるのではないかという年代だ。薄くなってきたらしい頭髪を隠そうともしない。スーツを着ているが、ネクタイがないのはクールビズだろうか。
 その榎並は、明らかに沙耶に向かってしたり顔をしている。反射的に沙耶をかばうように前に立つ。そこに今井が口を挟む。
「なに、そんなに大きな会社なの。だったらぜひ教えて欲しいなあ。僕、親と一緒に株やってるから有力な会社の名前とか詳しいんだよね」
 その言葉に、榎並は目に見えて動揺した。そして、ぼそりとつぶやいた。
「い、生駒食品」
「生駒? 知らないね、そんな会社。どれだけマイナーなんだ、僕は中堅会社もほとんど知ってるつもりなんだけど」
 今井は馬鹿にするように鼻で笑って、それから女性に向いて言った。
「ほら、次はお姉さんの番だよ。こんな奴無視して終わらせちゃってよ」
 それまで気持ち悪そうに眉をひそめていた女性は、それに促されるように口を開く。
「津久田深雪、よ。今は弁護士の司法試験の勉強をしているの。こんなの、私は許せないわ。絶対に訴えてやるんだから」
 眼鏡を直しつつ、彼女は静かに激昂した。背はおそらく百七十あるのではないか。口調こそ厳しめだが、顔のつくりはむしろ優しげな印象を受ける。肩口までの髪が顔を細く見せていて、ただでさえ細い彼女の印象をさらに強調していた。
「だからさ、お姉さん。まだわからないの?」
 呆れたような今井の声に、津久田は怯えたように答えた。
「……どういうこと」
「だってさ、考えてもみてよ。こんなところに九人の一般人を拉致したってことはさ、それを一晩でやるだけの組織力があるってことだよ。こんな装置まで作るってことは経済力もある」
 そう言って今井はポケットから裏向きのPDを取り出した。
「そして、こんなことを実際にやって自分が捕まらないっていう自信がある。じゃないとこんなこと実行なんてしないさ。そうなると、このことが漏れても揉み消せるくらいの政治力もあるってわけだ。そんな大組織相手にお姉さん一人で何ができるのさ?」
 言葉は辛辣ではあったが、それはまさしくまっとうな考えだった。俺も、おそらくは沙耶も考えていたことで、だから俺たちはその言葉に何も言えなかった。今井は黙り込んでいる皆を見渡して、それから嫌味っぽく口角を釣り上げた。
「まあ、それもこれも皆生き残ってからの話だけどね。このルールが本当なら、誰もかれも生き残ることなんてできないよ。もちろん僕は死にたくないけどね」
 しばらく、沈黙がその場を支配した。今井はそれを満足そうに横目で見て、それから自分のPDをあれやこれやと操作しだした。そしてふと気づいたように五人に向かって呼びかける。
「ねえ、なんでそんな突っ立ってんの? あと十五分くらいで質疑応答の時間になるよ。せっかく質問させてくれるっていうのにその時間をふいにするつもり? 質問くらい考えておいたら?」
 それに言葉を返す者はいなかった。全員がPDをいじって何やらぶつぶつ言い始める。ほとんど今井にこの場が支配されている。なかなか手強そうだ。
「私たちも。私は大体決まってるけど、一応彰一も考えといて」
 沙耶にそう促されて、俺もPDのスイッチを入れた。


 質疑応答の時間まであとわずかになっても、残りのプレイヤーは現れなかった。津久田は壁掛け時計を見上げて訝しげにつぶやいた。
「……それにしても、他の人たちは遅いわね。どうしたのかしら」
 今井がぷっと吹きだした。
「お姉さんはゲームを完全に受け入れられていないんだ。例えば3番のプレイヤーが今ここにいたらどうなる? 考えてみなよ」
 津久田はあたりを見渡す。六人は半径五メートル内に綺麗に収まっていた。
「……腕時計が作動する?」
 ぴんぽーん、と間の抜けた声を今井は返した。
「だから一人はいなくて当然。後はものすごい方向音痴か、そうじゃないならもうゲームの準備に入ってるんだろうさ。僕もルールの中から抜け道がないかと思って聞きに来ただけだし。本当ならすぐにでもエリア内を探しに行きたいくらいだよ。食料も十分にあるかはわからないし、もしかしたら武器だってあるかもしれない。戦闘禁止エリアなんて言い出す連中だよ? ハンターだけのために設けられているとはどうも思えないし。それに、全員がクリアできるようには見えないし」
 その言葉に、その場の全員の顔が強張った。沙耶が今井をたしなめる。
「ちょっと、あんた。もう少し考えて発言しなさい」
「こっちのお姉さんは結構事態が把握できてるみたいだね。でも、言葉を変えても無意味だよ。どれだけオブラートに包もうが、結局遅かれ早かれ僕たちは皆その事実に向き合うことになるんだ。だったら今のうちに気づいておいた方がいいでしょ。その結果パニックになっても僕の知ったことじゃない」
 そうふてくされたように吐き捨てる今井に、沙耶は奥歯を噛み締めた。今井の言うことは確かにその通りではある。しかし、沙耶が言いたいのは、それに気づいた三人が何かしら行動を起こすのではないかということだ。今のところ彼らはどちらかというと怯えているようだが、その恐怖が彼らを凶行に駆り立てる可能性は低くない。俺は沙耶を抑えつつ今井を睨みつけた。
「お前の言うことは確かにそうだろうさ。でも、口には気をつけろよ。お前だってプレイヤーの一人でしかないんだからな」
 今井はそれににやりと笑って応えた。
「へえ、お兄さんも結構言うねえ。お兄さんとは一回やりあってみたい」
 冗談だろ、と俺は肩をすくめた。沙耶はひたすらに嫌悪感を隠せないでいる。
 その時、機械的な音声が流れだした。
『ザザ――皆様、お待たせいたしました』
 全員がびくりと首をすくめた。それから慌てて音の発生源を探す。
「どこや、どこにおるんや」
 榎並がぐるぐると視線を巡らせる。津久田はただ怯えており、牧瀬は冷静に耳を澄ませている。沙耶はそんな彼らを見ていたが、ふと気づいて今井に声をかける。
「……何か気づいたの、あんた」
 すると、おかしそうに今井は笑った。
「いや、おかしいよね。だってどう考えてもスピーカーの音なのに、皆怯えているんだもん」
「なんやと、スピーカー?」
「そう。あそこだよ、セクハラおじさん」
 今井が指を指した先は天井の隅だった。そこには小さくスピーカーが目立たないように取りつけられていた。それを証明するようにそこから機械音が響いた。
『――スピーカーからお答えさせていただきますことを、先にお詫び申し上げます。私どもはそのフィールド内にはおりませんので、実際に姿を現してお答えすることはできません』
 全員がスピーカーの前に集まる。そして津久田はイライラした様子で叫ぶ。
「何言ってるのよ、こういうのは直接会って説明するのが筋ってものじゃないの」
 それに榎並が便乗する。
「せや、せや。はよ顔見せんかい」
 二人が騒ぎ立てる中、今井は呆れたようにため息をついていた。それまで恭しく答えていたスピーカーの声が、すっと凄みを増した。その声はどこか老獪さを備えたかすれた声だった。
『すみませんが、皆様にはご自分の状況を把握していただきたい。皆様は腕に猛毒を巻きつけております。その命は我々の手のひらの上だということを、忘れていただいては困ります。一人見せしめを作ることも、できないわけではないのですよ』
 その声に、二人は首をすくめて黙った。わからず屋め、と今井が吐き捨てる。スピーカーの声は雰囲気を改めて恭しく話し始めた。
『それでは、よろしいでしょうか。私はこのたびゲームの運営を任されたものです。よろしくお願いいたします』
 それに答える者はいなかった。満足そうに運営の男は話す。
『ひとまず、このゲームに関して簡単な説明をさせていただきます。このゲームにおいてプレイヤーはクリア条件を満たしつつ生存することを目的とします。また、その生存人数に応じてゲーム終了時に勝者に与えられる報酬は変動します。全員生存であれば一人当たりの賞金は低く、一人勝ちであればその一人に二十億がそのまま支払われます。フィールド内には食料、武器、戦闘禁止エリアを捜索するためのチップ、その他有用な道具、そして罠を設置しております。その他ルールに関してはお手元のPD――我々はポケット・デバイス、略してPDと呼んでおりますが――それに書かれている通りです。何か質問がありましたらお願いいたします』
 真っ先に手を上げたのは津久田だった。
「このルールを見ると、死亡とか何とか書いてあるわ。武器が配備されているとか、さっき言っていたわね。つまり、このゲームでは殺人を容認している、ということね?」
『はい、その通りでございます。このゲームでの殺害、暴行、強姦、その他全ての行動は罪には問われません。我々が責任をもって隠蔽いたします』
「隠蔽って……具体的には?」
『私どもがお答えできることは、このフィールドの中のゲームの内容に関してのみとなります。よってゲーム外のことにつきましてはお答えできません』
 言質が欲しかったらしい。津久田は悔しそうに引き下がった。続いて榎並が大声を上げる。
「つき合ってられんわ。わしは帰るで、出口を教えんかい」
『残念ですが、このフィールドは隔離されております。本来の出入り口はコンクリートによって完全に封鎖、この建物には窓もなく、屋上へ向かうための扉はC4爆弾の爆撃にも耐える強度のものをご用意しております。そしてそれは屋上の側からしか開けられない構造になっておりますので皆様がゲームをクリアせずにこのフィールド外に出ることはできません。ゲームが終了した場合、屋上に我々のヘリが到着して勝者をお迎えに上がります。クリア条件を満たした場合でもゲーム終了時刻まではフィールド外に出ることはかないませんのでご注意ください』
 ちっと小さく榎並が舌打ちをした。やれやれ、と今井が肩をすくめる。
「もう少し建設的な質問はできないものかね。さて、それじゃあ僕からいくつか質問させてもらうよ。
 まず一つ目。そこかしこにある時計が指しているのって、ゲーム開始からの経過時間だよね?」
『その通りでございます。現在時刻につきましてはお答えすることができません。現在ゲーム開始から三時間十分が経過しております』
「なるほど、じゃあ次。ハンターってのは運営が用意した人間? それとも僕たちと同じ一般人?」
『ハンターは我々が用意した人間でございます。銃火器の訓練や戦闘訓練などを受けております』
「そのハンターってさ、プレイヤーなんだよね?」
『と、申しますと?』
「だからさ、ハンターは僕たちと同じようにこのゲームのルールに縛られた存在かってこと。例えば、戦闘禁止エリアで攻撃行為をしたら腕時計が作動するわけ?」
『はい、もちろんです。彼らはハンターでありますがプレイヤーでもあります。例えばプレイヤーナンバー4のプレイヤーのクリア条件はプレイヤー全員の生存となります。例えばハンターがプレイヤーを殺害しようとして返り討ちに遭った場合、プレイヤーナンバー4のクリアも不可能となり腕時計が作動します』
 なるほど、と今井は一旦質問をやめた。俺が次に口を開く。
「ところで、クリア条件の話になったからついでに聞いておきたいんだが、6番のプレイヤーのクリア条件は他のプレイヤーへの一切の物理攻撃の禁止だな?」
『ええ、それが何か?』
「その攻撃の判定はどういう基準で行われるんだ? 例えば、その人がこいつの胸ぐらを掴んだら、それだけでアウトなのか?」
 こいつ、と指差したのは今井だった。今井自身は楽しそうにそれを見ている。
『えー、その判定基準は少々特殊なものになります。まず、銃火器を持っていた場合は人に向けて引き金を引いた時点で、攻撃意志があったものとみなし腕時計を起動します。刃物を持っていた場合、それを人に向けて振るった時点で。素手に関してはかなり線引きが危ういところですが、相手に肉体的損傷を与えた時点で腕時計を作動させます。胸ぐらを掴むまでなら許容範囲としますが、そのまま首を絞めた場合、また平手等の攻撃を加えた場合は攻撃とみなします。突き飛ばす、蹴る、なども攻撃とみなします。また、偶然ぶつかった等に関しては許容範囲とみなします。よろしいでしょうか』
 その声はなぜか沙耶をいたぶって楽しんでいるように聞こえた。それもそうだ、あちらは沙耶が6番のプレイヤーであることを知っていて、それを俺が代弁して聞いていることもわかっているわけだ。俺は苦い顔で引き下がる。その次に、沙耶が質問を始めた。
「じゃあ、次に私が。腕時計の破壊がクリア条件になっている人がいるけど、腕時計に衝撃を与えることはルール違反になるんじゃない? だとすると、絶対にクリアできない人が出てくるけど」
『いえ、私どもの方ですでにその方法を準備しております。ですので絶対にクリア不可能なプレイヤーはおりません。ご安心ください』
「へえ、その人はその手段を見つけるところからスタートするわけね。まあ、いいわ。次、死者の腕時計が作動することはあるの?」
『いいえ、ありません。死亡した時点でそのプレイヤーの腕時計は機能停止になります。また、PDも操作不能となります』
「操作不能になる? もしかして、他のプレイヤーのPDを使うことができるの?」
 沙耶の言葉に、運営の男は言いよどんだ。そして、曖昧にこう答える。
『ない、とは言えません。それ以上を語ることはプレイヤーへの非公開領域へ踏み込むことになります。なのでイエスと言ってもノーと言っても必要以上の情報を与えることになるので正確にはお答えできません』
「つまり、それに関するルールは秘匿する必要があるってことね」
 沙耶の鋭い指摘に、運営の男は苦笑して言った。
『いいでしょう、少しだけお答え差し上げます。各PDにはすでに皆様の指紋が入力されています。そして各操作ごとに指紋認証がございますので、たとえ生きていても基本的に他のプレイヤーのPDを使用することはできません。死亡したプレイヤーのPDも同様です。何らかのルールの干渉がない限りは、ですが』
「……まあいいわ。とりあえずはそういうことで。それより、ここに来る途中で罠のようなものを見つけたわ。あれはたくさんあるわけ?」
『ええ、このフィールド上には罠が多数仕掛けられています。その種類は豊富で、通常の攻撃性の罠から拘束性の罠、分断性の罠、致死性の罠もありますし、かかったことがわからないものもあります』
「かかったのに、本人にはわからないの?」
『はい。罠にかかってから一時間他のプレイヤーのPDのMAPに自分の位置が表示される、などの罠ですね。また、音が発生して他のプレイヤーに位置を知らせるものもあります』
「それを見分ける方法は?」
『残念ながら、それは皆様に見つけていただくしかありません。ただ一つ申し上げるのであれば、それは確かに存在します』
 へえ、と沙耶は眉をひそめる。俺が次に質問に入る。
「戦闘禁止エリアを見つけるために、チップがあるらしいな。そのチップってのはどういう形をしている? 差込口を見るに、相当小さいものらしいが」
 いい質問です、と運営の男は答えた。
『口で言ってもわからない方もいらっしゃると思いまして、実物をその部屋に用意してございます。このスピーカーがある部屋の角の、反対の角をご覧ください』
全員が一斉に首を反対に向けた。すると、そこには黒光りする小箱が置いてあった。
「あれが、チップ……?」
『いいえ、正確にはチップの保存箱となります。データの入った情報端末のため、野ざらしにしておくと読み取れなくなる可能性がございますので。どうぞ、ご確認ください。中にチップが入っていますが、既に使用済みのため皆様が使用することはできません』
 けち、と今井が口を尖らせながら一番に動く。それから全員が小箱の方へと移動した。先に着いた今井が小箱をいじる。
「んーと、ふたはなし、金属製。中身は重い。これたぶん機械制御されてるね。ってことは、どっかにボタンが……あった」
 今井が箱の下部のボタンを押すと、空気が抜ける音がして継ぎ目がなかったはずの上部がスライドした。そして中の空洞にはちょうどPDの差込口にぴったり合いそうな小さなチップが入っていた。
「わお、本格的」
 おお、と他のプレイヤーから歓声が上がった。しかし俺はそんな気にはなれなかった。これを用意した運営がどれだけの力を持っているか、それを見せつけられたように思えたからだ。
 今井はそのチップを自分のPDに差し込む。そしてすぐに引き出した。渋い顔をして愚痴る。
「何が『使用済みです』だよ。少しぐらいボーナスくれたっていいじゃんか」
「ってことは、使用済みでなければ使えるってことね?」
 少しだけ明るくなった津久田に今井は頷く。
「ま、見つけられなきゃ意味ないけどね。ねえ、運営さん。これ十分な個数用意されてんだよね?」
『ええ。ゲーム終了までにプレイヤーが使うであろう数以上のチップを用意しております。ご安心ください』
 安堵した様子で全員がスピーカー前に移動する。俺もひそかに安堵していた。絶対ではないにせよ、安息の地があるというのはそれだけで安心に値する。いざとなれば沙耶をそこに置いておけば六時間は安全なのだから。運営の男が尋ねる。
『まだ何か質問がある方はいらっしゃいますでしょうか』
 答える者はいない。ただスピーカーを睨みつけるのみだ。そうして思い出したように運営の男は言った。
『ああ、そうでした。まだこのゲームに実感を持てない方も多くおられることと存じます。そういったプレイヤーはおそらくすぐにリタイアしてしまうでしょう。それはこのゲームとしてふさわしくありませんので、こうしたものをご用意させていただきました。この部屋にあるクローゼットを開けてみていただけますか?』
 クローゼットなんてあったかと部屋を見渡すと、部屋の片隅にポツリとそれはたたずんでいた。単に見落としていただけなのか、それともついさっき出現したものなのか、俺にはわからなかった。わくわくしている様子で今井が動くのに、沙耶が続き、それから俺、津久田、牧瀬、榎並と動く。
 クローゼットの前で、俺たちは固まっていた。それを開けたら、もう元の世界には戻れないような気がした。きっと皆同じように思って動けないでいるのだろう。今井ですら歯の根が合わない様子で震えている。あるいは武者震いか。ごくり、喉を鳴らして牧瀬が口を開く。
「……開けよう。このままこうしていても仕方がない」
 そう言って、手をクローゼットに伸ばし、そして一気に開いた。
 何かがそこにかかっていた。それが人体であることに気がつくのにしばらくかかった。人体なら本来あるべきものがいくつも欠けていたからだ。まず右手の手首から先がなかった。左腕は肩口からなくなっていた。右足は穴だらけでいびつな形になっていて、左足は太ももの部分が大きく削げ落ちていて皮一枚で繋がっているような状態だった。胴体はほとんど理科室に置かれている骸骨のような輪郭になっていて、そして頭に至っては下あごがかろうじて残っている程度で、そこから上は根こそぎ吹き飛んでいた。その死体というのもはばかられるような状態の人体が、服がフックに引っかかった状態で吊るされていた。右手の手首に引っかかった腕時計が、その人体が俺たちと同じ立場であったことを主張していた。
「な、何や、これ……」
 榎並が呆然としているそばで、津久田が堪えきれずに吐いた。今井は恐怖しながらもそれを楽しんでいるらしかった。牧瀬はぐっと歯を食いしばって何も言わない。沙耶は吐き気を催しながらも必死に堪えてその惨状を正視しているようだ。そんな中俺は他のプレイヤーたちの様子を観察していた。
 人の死は、それほど珍しいことではなかった。何度となくそれは訪れて、そして俺はそのたびに歯を食いしばり耐えてきたのだ。いくらひどい死にざまとはいえ、いまさら誰のものとも知れない死体を見たところで、それほど堪えるものでもなかった。そして、運営が用意したハンターもまたほとんど俺と同じだろう。それを見極めるべく、俺は全員の様子を注視していた。
「……まだ、断言は早い、か」
 俺は肩をすくめた。沙耶が訝しげにこちらを振り返ったが、その頭に手を置いてごまかした。
「大丈夫、大丈夫だから」
 その手に、少しだけ安心したように元気のない笑みを浮かべる彼女が、たまらなく愛しい。だからこそ、心苦しい。きっと今回は上手くいかないだろうから。
 その時、スピーカーから運営の男の声がした。
『彼は前回のゲームにおける敗者です。防腐処理をしてここに搬入させていただきました。皆様が置かれた状況を、把握できたでしょうか』
 答えるものは誰一人としていなかった。それは期待通りの反応だったらしく、運営は満足げに回答を打ち切った。
『それでは、質疑応答に関しましてはこれで終了とさせていただきます。皆様、貴重な時間を取らせましたことをお詫び申し上げます。現在ゲーム開始から三時間三十分が経過しております。ここで皆様が知ったことを、ゲーム内でのアドバンテージにしていただきたく存じます。それでは』
 ぶつ、と切断するような音がしてそれっきりスピーカーは何も言わなくなった。


「それで、どないするんや」
 しばらく呆然としていた六人だったが、榎並が口を開いた。津久田が引きつった顔で振り向く。
「……どう、って?」
「せやから、どないするゆうてんねや。これからここにずっとおるわけにもいかんやろ」
 そのヒステリックな声に促されるように、今井が立ち上がった。
「……そうだね。そういうわけにもいかない。僕たちは武器を探さなきゃいけない。食料を探さなきゃいけない。クリア条件を満たさなきゃいけない。身を守らなきゃいけない。やることだらけだ。だから、僕はこれで失礼しようかな」
 そう言って部屋を出ていこうとする今井に、牧瀬は声をかける。
「ちょっと、どこに行くんだ」
「なんか、あんたたちについて行ってもすぐに死ぬ未来しか見えないしね。あれを見ただろ? そういうゲームだってわかった以上はリスクの高い行動は避けなきゃ。それに、これは修学旅行でもなんでもないし。団体行動しなきゃいけない義理はないね。一人の方が動きやすいんだ。……それでもついて来たいって言う人がいるなら、一人ぐらいなら歓迎するけど」
 その場では、誰も名乗り出なかった。榎並が野次を飛ばす。
「小僧みたいな礼儀知らずについて行く奴はおらんわ。さっさと失せんか」
 すると、今井はやれやれと呆れた様子でため息をついた。
「そうとも限らないと思うけどね。……まあ、来ないならいいや。じゃあね、セクハラおじさん。次会う時は本当に敵同士だ。バイバイ、お姉さん方。そのおじさんにはくれぐれも気をつけなよ。それまで生き残っていれば、だけど」
 皮肉気にそう言い残して、今井はその場を去っていった。
「なんや、あいつ……」
 榎並が憤慨する。牧瀬は例によって何も言わない。真っ先に今井に噛みつくだろうと思っていた津久田は真剣にPDを操作していた。
ふむ。
 序盤にしては悪くない。俺は残った四人に向かって言った。
「とにかく、今井の言ったことももっともだ。俺たちは最低でも次のことはやり遂げなきゃならない。自分の身を守ること。食料を探すこと。クリア条件を満たすこと」
 立ち直ったらしい沙耶が俺の後を引き継ぐ。まだ声はかすかに震えているが。
「まず、食料を探すことね。一応水だけでも七日間は生きられるって言うけど、こういう状況で動き回らなきゃいけないとなるとやっぱり食料なしではきついと思うわ」
「それから、クリア条件だ。もしこの中でクリア条件を教えてもいいって奴がいれば、競合していない範囲で俺たちが手伝ってやってもいいが」
 誰もいなかった。それもそうだ、当の俺が教えていないものを、自分からばらす馬鹿はいないだろう。もし教えたとして、それが相手の条件と競合している可能性も少なくないのだ。いきなり襲われる危険だってないとは言えない。まあ、俺もまだ死ぬわけにはいかないから、クリア条件を明かすつもりは毛頭ないが。
 だが、困った。これではこの集団の共通目的が食糧問題だけになってしまった。集団は共通の目的がないと分裂しやすい。ましてやこんな見ず知らず、ランダムに集められたであろうプレイヤーたちだ。さっきの死体を見て恐怖も植えつけられている。ハンターの存在もある。
 この集団、長くは続かないかもな。
 いざとなれば沙耶だけを連れて抜け出そう。心の準備だけは整えておいた。
「じゃあ、まずは食料を探すことにしよう。あと、できるなら戦闘禁止エリアも。さっきの小箱も探すように」
 今井から五分遅れて、俺たちは行動を開始した。


 ほころびは、そう遠くないうちに訪れた。
「なあ、深雪ちゃん。あんたどこに住んどるんや。もしあれならこの機会に連絡先交換せえへんか」
「それにしても、スタイルええなあ、深雪ちゃんも、沙耶花ちゃんも」
「深雪ちゃんはほっそいなあ。けど尻は大きいな。安産型ってか? ははは」
「沙耶花ちゃんはちっさい割に乳でかいなあ。トランジスタ・グラマーってやつか? Eカップか、Fカップか。それともGあるとか?」
 おそらくは心の防衛機構が働いたのだろう。榎並はこのゲームの現実から目を逸らして女性陣にセクハラまがいの発言を投げかけ始めた。俺は榎並から沙耶をかばう位置に立ってそれを制したが、津久田にはその障壁がなかった。それに耐えかねたのか、津久田は次第に榎並から離れていくようになり、ついに集団から抜けることになった。
「すいません、私も失礼していいですか。――もう、ここにいたくないので」
 明らかに榎並を睨んでの発言だったが、当の榎並はそれに気づかないらしい。
「まあまあ、そう言うなや。仲良くしようや、なあ?」
 そう言って津久田の肩に手を回す。その瞬間、榎並の頬から小気味のいい音が鳴った。津久田が榎並に平手打ちをかましたのだった。少しの間榎並は呆然としていたが、すぐに怒りだした。
「何すんのや、小娘が!」
 津久田は奥歯を噛み締めながらこう言い放った。
「今の状況で、人を責める資格が私にあるとは思わない。それでも、私はあなたみたいな人、大っ嫌いです。それに、私のクリア条件はあなたたちといても満たせそうもないし」
 そうだろうな、と俺は他人事のように思っていた。榎並が喚き散らす中、津久田は逃げるように立ち去って行った。牧瀬が追いかけようとする。それを、沙耶が止めた。
「どこに行くの?」
「……彼女を連れ戻さないと。だって、この状況で女性が一人になるのは危ない」
「でも、きっとすぐにそんなこと言えなくなるわ。銃火器なんかがはびこる状況で男女の差なんてないに等しい。銃を撃ちやすい、撃ちにくいはあるかもしれないけどね。彼女案外運動神経は悪くなさそうだし、追いかけて行った先で殺されたりするかもよ?」
 バツが悪そうに牧瀬は口をつぐむ。
「まあ、別に私としてはこのままこのグループ解散でもいいんだけど」
 じとっと沙耶は榎並を睨む。榎並は完全に女性陣を敵に回したらしかった。そして、少なくとも俺を。榎並は一転びくついて懸命に沙耶を止めにかかった。
「あは、あはは。そ、それはあかんで。そんなことしたら沙耶花ちゃんが危ないやろ」
「私は大丈夫よ。だって彰一が守ってくれるもの。ね?」
 信頼のこもった顔で俺を振り返る沙耶に、俺は一瞬答えをためらった。今回は、守れる保証などない。むしろ守れない可能性の方が高い。だが、沙耶を不安にさせるのは避けなければならなかった。沙耶の信頼には応えなければいけない、なんとしても。
「……ああ。沙耶は何があっても俺が守る」
 満足そうに、とてもうれしそうに沙耶は頬をほころばせた。ああ、まぶしい。思わず抱きしめたくなったのを苦心して抑える。今は、そんなことをしている場合ではない。とにかく情報を集めて、生き残らなければ。そのためには、人数は必要だ。この忌々しい榎並でも、弾除けぐらいにはなってくれるだろう。この図体なら二人分ぐらいまかなえるかもしれない。牧瀬も運動神経はなかなかよさそうだ。体も引き締まっている。今の段階で戦力を半分にするリスクは小さくはなかった。
「でも、沙耶。もう少し我慢してくれないか。今俺たちが別れるのはリスクが大きすぎる」
 沙耶はそれでわかってくれたらしい。不服そうではあったが、しぶしぶ頷いた。
「彰一がそういうなら……。でも、またひどくなる様だったらその時は」
「わかってるよ」
 俺も沙耶に手を出そうものならお前から殺してやろうか、くらいには榎並を嫌っていた。生死には代えられないとはいえ、これ以上沙耶に苦痛を強いるようならためらうことなく榎並から離れることにしよう。俺はそう決心した。


 牧瀬の提案で俺たちは一旦出入り口に行ってみることにした。出入り口が本当に封鎖されているのかの確認と、封鎖されていることを知らない質疑応答に来なかったプレイヤーと接触できるかもしれない、という期待を込めてのことだった。ほぼ確実に封鎖は徹底されているだろうと思ってはいたが、どちらかというと俺には後者の方が魅力的だった。「MAP」を見つつ出入り口に向かった。
「……外れ、か」
 出入り口に他のプレイヤーはいなかった。ここで会っておきたかったのだが、いないのであれば仕方ない。
「出入り口は、どないや」
 榎並が我先にと走り出して、落胆したように肩を落とす。
「なんや、シャッターが閉まっとる」
 沙耶が口を開く。
「でも、シャッターくらいなら、ここに配置された武器で何とかなるんじゃない?」
「そうだね、これさえ壊せば外に出られるのかも。もちろん外に出たら腕時計が作動するみたいだけど、腕時計さえ外せれば外に逃げ出して……」
 そう言う牧瀬に、俺は反論した。
「いや、無理だな」
「どうして?」
 俺が指差した先には、シャッターが壊れたところがあった。その奥を見て、牧瀬は驚いたような表情を見せる。
「……コンクリート?」
 灰色の壁がそこに立ちはだかっていた。弾痕のようなえぐれた跡もある。なるほど、と沙耶が腕を組む。
「コンクリートで固めているわけね。それもかなり厚い。そういえば、そんなこと言っていたわね。この跡、きっと前回のゲームのものだわ。あの死体を作り出した」
 自分で言って、沙耶は気分が悪くなっているらしかった。それでも先を続ける。
「あれだけの破壊力を持つ銃火器でもこれだけしか削れなかった。そしてこれが放置されているってことは、これだけ削れても全く問題ないくらいこの壁が厚いってことよ」
 沙耶の言うことは理にかなっていた。もうここにいる理由はない。俺は三人に声をかけた。
「ここからは出られないらしい。外からも来られない。だったらここにいるのは無意味だ。食料を探すことにしよう」
 それに異論を挟む者はいなかった。


 どの部屋にも粗末な家具やら薬品棚やらダンボールの山やらがあり、物資が配置されているように見えた。しかし最初の二、三部屋はもぬけの殻だった。どうも、何もない部屋だからといって無視できない作りになっているらしい。
 一階のエリア十五、俺たちが目覚めたエリアの別の部屋でのことだった。罠に気をつけつつ一室に入ると、そこには明らかに真新しい段ボール箱が置かれていた。この真新しさはそれまでの部屋とは明らかに違う。
「……あれ、かな」
 沙耶が不安そうな顔を俺に向けた。誰かが確かめねばならない。中身が食料である保証はどこにもない。もしかすると、開けた瞬間に爆発するかもしれない。それを確かめるのは、やはり怖いものだ。しかしここで立ち止まっているわけにもいかないのだ。俺は意を決して声を上げた。
「俺が、開ける」
「彰一」
「大丈夫」
 そう、大丈夫だ。ここで俺が死んでも、それはそれでいい。どうせこれ以上は進めなかったということだから。榎並も牧瀬もそれに異論はないようだった。
「それじゃ、行くぞ」
 ごくり、唾を飲む。段ボールのふたに手をかける。そして、思いっきり開けた。
「……大丈夫みたいだ」
 三人はすぐに段ボールを覗き込んだ。そこには水の入ったペットボトルが五本と乾パンらしき袋が三つ、他にも袋がいくつかあった。
「これで、少しはましになったわね」
 沙耶が少し安心したように言う。俺もそれには同意だった。しかし、これによって全員の気が緩むのが俺には心配だった。
 この集団を維持するためには、たとえ一発しか入っていない自決用拳銃でも、単なる果物ナイフでも威嚇のために手に入れておきたかった。共通目的がない集団を、それでも維持しようとするなら武力が不可欠だ。しかしどの袋にも食料品しか入っていないようだった。
「……これじゃ」
 すぐにこの集団は崩壊する。俺としてはそれでも全然構わないが、とにかく今は少しでも長く生き延びなければならない。それには、やはり味方が必要だった。この状況では、味方以外は敵なのだ。
「どうしたの?」
 沙耶が俺の顔を覗き込んでいた。くそ、俺はどうにも動揺が顔に出るらしい。努めて平静を装って返す。
「何でもない。収穫だ」
 すると、沙耶は声を落として耳元でささやいた。
「もしかして、また頭痛?」
 別に、と俺は首を振った。いつも頭痛を抱えていることは確かだが。
「辛かったらちゃんと言ってよ。ただでさえこんな状況なんだから」
 俺が内心でこれほど打算的なことを考えていると知ったら沙耶はどう思うだろう。心に隙間風が吹くような気がして、俺は慌てて取り繕った。
「わかったよ。今はとにかく食事だ」
 ともかく、俺たちは開始四時間半にしてようやく食事にありついた。


「それにしても不味かったなあ、乾パンも水なしで食えたもんやないで」
「沙耶花ちゃん、ところでこいつとは恋人なんか? もうやってもうたんか?」
 腹が膨れた榎並は安心したのか明らかに態度がでかくなっていった。これじゃあだめだ、と思う。それでも、それを止めるのは今の俺には無理だった。どうやっても結局生き死にの関わらない制止は単なる威嚇にしかならず、その果てにあるのは別離だけだ。人数がいればまだ話は別だが、たった四人で一人は日和見、ターゲット一人と反対者一人。これでは榎並がつけ上がるのを止めるには至らない。この集団の寿命が、俺には手を取るようにわかった。
「沙耶」
 俺は小声で言った。ゲーム開始五時間、一階エリア十四で、俺は別離を決めた。
「ん、どないしたんや、来栖君」
 榎並に向かって、俺は言い放つ。
「俺たちは別れようと思う」
「な、何言ってんのや。人数が減ったら危ないやろ」
 牧瀬もそれに同調する。
「来栖君、それはどうなのかな」
 知ってる、と俺は内心つばを吐いた。それを考えて今まで沙耶に我慢させてきた。でも、もう限界だ。
「あんたと一緒にいるよりましだ」
 吐き捨てて、俺は沙耶の腕を引いた。沙耶は元からそうするつもりだったとばかりに自然にその手を取った。
「いろいろ言いたいけど、一言で言ってあげる。大っ嫌い」
 沙耶はそれだけ言い捨てて俺に続く。一瞬牧瀬は別に問題ないんじゃないかとも思ったが、あれはだめだ。津久田の離脱にも口を出した奴だ、榎並だけを放り出すことに賛成もするまい。それにあの日和見具合ではもし襲われたとしても役には立たないだろう。俺が役に立つかどうかは別として、大勢は目立つ。できるだけ人数は少ない方が襲われにくいはずだ。他のプレイヤーの行動を知っておきたいのはあるが、それは生き延びるよりは優先順位が低い。
「今はこれでいいはずだ」
 俺はそう信じた。沙耶が俺のそばに寄ってきて小声で言った。
「ごめん、私のせいで」
「沙耶のせいじゃない。そもそもあのおっさんをあの人数で抱えた時点で無理があったんだ。次は気をつけないと」
「次があればね。私はその次がないことを祈るわ」
 ふん、と鼻を鳴らす沙耶をため息をもって見つめる。何も知らなくていい、と思う。それでも、いつか話さなきゃいけない時が来るのなら。
「……まだ無理だな」
「え?」
 首をかしげた沙耶に、俺は何でもないとごまかした。


 俺たちはその後階段を上り、しばらく真新しい段ボールと黒い小箱を探し続けた。食料は牧瀬が全て一括で持っていたので、すぐ食糧難になることがわかっていたのだ。それを提案したのは俺だった。本当は俺が持っていたかったのだが、それはきっと榎並に反感を覚えさせると思った。だから中立を保っていた牧瀬に預けたのだが、それが裏目に出たパターンだった。
見つけたのは手錠一つ。鍵は見つからなかった。拘束具としては役に立つが、今の俺たちの武装ではそもそもこれが必要な相手を押さえ込むことができない。他に何かないかとエリア十五に向かい、別ルートを辿り小部屋を調べ歩いてエリア二十を通り過ぎた。何やら道の選択を間違ったらしく、何も見つけられなかった。とはいえ、同じエリアにそれほど時間もかけられないから仕方ないことではあるのだが。
 段ボールを探しながら、どうにも平和すぎるな、とうっすら思っていた。もうそろそろ襲われてもおかしくない。武器の配置はそれほど多くないのではないか。そんな疑問が頭をもたげる。であるなら、やはり武器を持っているに越したことはない。武器が段ボールに入っている保証はないが、食料が入っていたあの段ボールは真新しかった。段ボールに限らず、そう言った真新しい入れ物があれば調べよう、と二人で決めていた。そうしてまた別の部屋に向かう、そんな時だった。
「彰一、危ない!」
 はっとして、俺は咄嗟に身を伏せる。その頭の上を、何かが掠めていった。
「なんだ、今の」
部屋の扉を開いて盾にする。そこから覗くが、発射台のようなものはどこにもなかった。一方で反対側の壁のあたりには矢が転がっていた。努めて冷静に口を開く。
「もしかして、襲撃か?」
 罠ではない。そんな気がした。耳を澄ますと、かすかに足音が聞こえる気がした。なるほど、一撃離脱というわけか。ほっとして俺は、続いて扉に隠れた沙耶に聞く。
「あっちの顔を見たか?」
「いや、見えなかった。けど、クロスボウみたいなものは見えた。……たぶん」
 沙耶も実際に見たのは初めてなのだろう。だがそれでもわかるくらいにははっきり見えたらしい。そんなに遠くない。沙耶の手の震えがわかって、俺はすぐにその手を取った。
「離れよう。ここにいたらまた襲撃をくらう」
 しかし沙耶は部屋の中を見て言う。
「ちょっと待って。中に何かある」
「何かって」
 埃をかぶった段ボールの山の中に、確かに真新しい段ボールが一つ見えた。俺はすぐにそれを掘り出して、ためらわずに一気に開けた。時間が惜しい。罠があっても仕方ないと半ば諦めていた、とも言う。
 しかしその中を覗いて、俺は思わず声を上げた。
「沙耶!」
 沙耶が駆け寄ってくる。そしてそれを見て、恐る恐るといった様子で聞く。
「彰一、それって」
「ああ。……拳銃だろう」
 中にはペットボトル一本と黒光りする金属が入っていた。さらにはいくつか小さな金属塊も。持ち上げると、確かにプラスチックにはない独特の重みがあった。リボルバータイプの拳銃だった。
「シリンダーは……こうやって開くのか。弾は六発。予備が四発。安全装置はこうやってはずして」
 俺は漫画とアニメの知識で拳銃の動作を確認していく。シリンダーが左に外れ、六つの弾丸を確認する。一般にダブルアクションと呼ばれる類のものらしい。引き金を引けば自動的にハンマーが持ち上がって雷管を叩く。
「沙耶、ちょっと下がって」
 俺は沙耶を下がらせ、段ボールに向けて試射することにした。沙耶は機転を利かせて扉を閉めてくれる。それでどれだけ音が吸収されるかはわからないが、遮蔽物はないよりはあった方がいいだろう。
 今まで結構な経験をしてきたつもりだが、それでも実銃を扱ったことはなかった。人を殺すためだけの金属の塊。その重さが、人の命の重さを象徴しているようだった。これを使うことの意味を、俺に問いかけているようにも感じた。
だからどうした、と思う。俺は、人を殺せるのだ。彼女のためならば、彼女さえ無事ならば、平気で人を見殺しにできる人間なのだ。だから今回も、人を殺すのだ。慣れておかなければならない、この感触に。しばらくつき合うことになるだろうから。俺は自分にそう言い聞かせて引き金を引き絞った。狙いはど真ん中。どれだけぶれるかも含めての試射だった。弾丸は十発。戦力を分析するためとはいえ、消費は抑えたい。試射は一発で済ませるつもりだった。
「彰一」
 沙耶が不安そうな顔でこちらを見ている。くそ、なんて意気地なしなんだ、俺は。もうとっくに人は殺しているだろう。自分で手を下してないだけだ。なら、自分で手を下すようになるだけの話だ。問題ない。
「……行くぞ」
 沙耶の励ますような視線に背を押されて、引き金を引いた。かきん、という音とともにハンマーが降りて火薬音が鳴った。反動が俺の肩を痺れさせる。
「うは、最高」
 皮肉気にそう漏らして、沙耶の方を見る。沙耶は扉を開いてあたりを確認していたが、やがてそっと扉を閉めた。どうやら大丈夫だったらしい。
「どうだった?」
 沙耶は段ボールの方を見る。弾丸は段ボール箱の真ん中から少しだけ上の方を貫通していた。痺れる手を振りながら俺はつぶやく。
「少しだけ上にずれてる。だから狙った位置より少し下を狙えばいいんだ。でも案外ずれてない。これなら胴体を狙うだけでどこかしらに当たるはずだ。ゆっくり狙いをつける時間はないかもしれないけど」
 それにしても、なかなか大きい音が出た。もう少し発砲音が小さいものが欲しかったのだが、贅沢は言っていられない。俺はその純粋な武器をどこにしまうべきか悩んで、仕方なくポケットに突っ込む。安全装置をかけることを忘れない。転んだ拍子に暴発して足に穴が空く、といったことは避けたい。
 その時、沙耶が心配そうに声をかけてきた。
「それを使うような状況にならなければいいわね」
「それは無理な話だろ。さっきだって危うく殺されかけたんだし」
「そういうことじゃなくて。とにかく、できるだけ致命傷になるところは避けてね」
 何を今さら、と俺は思った。けれども、それを彼女にぶちまけるのは怖くて、俺は複雑な心境で頷いた。それから、PDを見て現在地を確認する。二階エリア十九。ふと壁掛け時計を見て現在時刻を確認する。ゲーム開始六時間経過。開始六時間時点で二階エリア十九のこの部屋には拳銃があった。覚えておく。沙耶にはもうこの部屋は必要ないのかもしれないが、俺はまだまだお世話になるはずだからだ。


 開始六時間半。秒針の音が時を冷酷に区切る。俺たちは食料を見つけて休憩していた。二階エリア十八の一室でかろうじて一食二人分になる程度の食料とリュックサックの入った段ボールを見つけたのだった。リュックサックは役に立つだろう。いくらアイテムをみつけようとも、ポケットに入るものも限度があるのだ。小さいながら荷物の入れ物があるのとないのでは雲泥の差がある。
 ペットボトルの水をあおりながら沙耶を見る。かなり疲れているらしい、眠たそうに目を細めている。当然だろう、先を行く俺も気をつけてはいるが、後ろの沙耶の方がいろいろなところに気を配る必要がある。後方は言わずもがな、前の方にも見落としがあるかもしれない。一つの見落としが死に繋がるこの状況では進む方向には細心の注意を払わなければならない。結果沙耶が疲弊する形になっているのだ。
この三十分で一度罠にかかった。壁から刃が出てきて俺の首を持っていこうとしたのだ。それから俺たちの足取りは遅くなった。このあたりにも罠が仕掛けられている。それだけで人の足取りはかくも鈍化するのか、と苛立たしいばかりだ。
「沙耶、大丈夫か」
 声をかけると、それに同期するように沙耶が舟をこいだ。そしてすぐに起きて俺の方を見る。
「え、何か言った?」
「……大丈夫か」
「え、ええ。大丈夫」
 明らかに無理をしている。本来ならこんな役回りをさせたくはないのだが、じゃあ沙耶を前に立たせるのか、と言われるとそんなことはできない。もう少し休憩させたいところだが、戦闘禁止エリアはまだ見つけられない。探索エリアがどうにも広げられないせいだとは思う。黒い小箱も見つけられないのだ。もし手に入れられていたらこの時点でそこまで向かって沙耶を休ませてやりたいと思うのだが。
 沙耶が不意に立ち上がる。
「ここで休むのは危険だわ。少なくとも戦闘禁止エリアまでは行かなきゃ」
 わかっている。俺たちのクリア条件は身を守ることだけだ。それなら戦闘禁止エリアを転々としていればいい。だがそのために自分自身を危険にさらすこととなっては本末転倒だ。
「まだ休もう。このままじゃ襲撃を受けた時共倒れだ」
「その襲撃を受けやすいって言ってるのよ、このままじゃ」
「そんなこと言っても」
業を煮やしたように沙耶が扉を開けた。その時だった。ひゅん、と何かが空気を切る音がした。
「ひゃ」
 間の抜けた声を上げて、沙耶がしりもちをついた。その頬に、一筋の赤がにじんでいる。
「沙耶!」
 俺は沙耶に駆け寄って具合を見る。他にはどこにも怪我はない。ひとまず俺は安堵して、扉の外を覗く。人影はなく、また小さく走り去っていく音がした。矢が廊下に転がっている。さっきの襲撃者と同一人物らしい。
「くそ、徐々に精度が上がってる」
 ぎり、と俺は歯ぎしりをした。どうやら相手は上達してきているらしい。この上達速度だと、すでに訓練を受けている人間ではないはずだ。ハンターではなく、一般プレイヤーということになる。しかし、と俺は首をかしげる。
「どうしてここまで正確に俺たちの位置がわかる……?」
 そう。使用武器、手口共に同一だ。さっきも今も、同一人物に襲われたのは間違いない。だがそうなるとおかしいことになる。この迷路のような構造の建物で一撃離脱は、ターゲットを見失う可能性がある。だから無差別に人を攻撃して問題ないクリア条件のプレイヤーなのだと思っていた。もし賞金目当ての人間でも、そこは変わらないはずだ。だが今回は休憩して部屋を出ようとした瞬間に襲撃を受けた。それはすでに俺たちがこの部屋にいることがわかっていなければできない待ち伏せだ。尾行してきたにしては足音が聞こえない。逃走する時には足音が聞こえているわけだから、尾行時にも多少の足音が聞こえていて問題ないのではないか。
 襲撃者は二人いる? それなら足音をあえて立てることで襲撃が去ったと思い込ませられるだろうが、ならさっきの襲撃の時にそれで安心させた俺たちをどうして殺さなかったのだろうか。それはあまりに不自然だ。
 次に疑うのは罠の存在だ。知らないうちに罠を踏み、全員に俺たちの居場所が知らされているのだろうか。PDを見やる。「MAP」にはそんなものは表示されていない。本人たちには表示されないものかもしれないから安心はできないが。
 そして、最後に一番あって欲しくない可能性。俺は沙耶に聞く。
「なあ、沙耶。俺にはハンデがあるかもしれないって言ったよな」
 しかし沙耶は答えない。目を潤ませて、俺にしがみつく。
「……もう、嫌」
 ああ、くそ。沙耶を守れない自分に苛立ちながら、それでも考える。考えなければいけない。これを無駄にしてはならない。
 最後の可能性は、俺のハンディキャップとして誰かに俺の居場所が知らされる何らかのルールがあるということだ。もしこれが合っていたなら、俺は沙耶と一緒にいない方がいいのかもしれない。俺はそれを真剣に検討していた。
 ふと、視界に何か黒いものが見えた気がした。そちらを見て、俺は思わず歓喜した。
「沙耶、見てみろ」
「ぐすっ……何よ、彰一」
「チップだ」
 俺は沙耶の手をゆっくり外して、それに一歩一歩近づいていく。間違いない。段ボールの隙間に、隠されるようにして金属光沢が顔を覗かせていた。入った時は死角になっていたのだろう。俺はそれを拾って、ボタンを押す。空気が排出される音がして、小箱が開く。確かにそこにはチップが入っていた。
「ほら、チップだ。これで戦闘禁止エリアに入れる。しばらくは安全だ」
 しかし沙耶は涙をぬぐいながら言う。
「でも、場所はどこ? 遠かったら意味ないわよ」
 壁掛け時計を見上げる。ゲーム開始六時間三十八分。戦闘禁止エリアは六時間ごとに変わると言っていた。経過六時間時点で一度変わっているとするなら、今から五時間は少なくとも変わらない。俺はそれを確認してチップを自分のPDに差し込んだ。
 読み込み中の文字が出て、俺たちはその画面を注視した。そして、自動的に「MAP」が開かれる。その中の一エリアが青く表示された。
「一番近いので、三階エリア十九。一旦エリア十四に戻って、そこから階段で上に。その後十九に来ればいい」
「そう。それなら、大丈夫そうね」
 疲れた声で、沙耶はそうつぶやいた。正直、大丈夫かどうかはわからない。探索に時間が取られているとはいえ、これまでその道のりを一時間半かけてきたわけだ。その中で三度俺たちは危険にさらされている。これからの道のりで、襲撃を受けない保証などどこにもない。俺はその考えを振り払うように沙耶に声をかけた。
「行こう。ここで休むより、あっちで休んだ方が安全だ」
 沙耶は何も言わずに頷いた。


 結果として、襲撃は受けなかった。それまでの探索を後回しにして、俺たちは三十分かけてその道のりを終えた。
 もうすぐエリア十九だ、というところでPDから小さくアラームが鳴った。
『この先、戦闘禁止エリアです。戦闘行為を慎んでください』
「よし、順調だ」
「ようやく、着いたのね」
 はあ、と盛大なため息をついて沙耶は壁にもたれた。
「沙耶、まだエリアには入ってない。安心するのは早いぞ」
 沙耶はその言葉に眉を吊り上げる。
「わかってるけど。少しくらい安心したっていいじゃない。私だって一生懸命気を張ってたんだから」
 その時だった。ただならぬ悲鳴が聞こえてきたのは。
 俺たちはどうしたらいいかわからず、しばらく顔を見合わせていた。悲鳴は続く。まだ脅威は去っていないらしい。沙耶がつぶやく。
「確認してこないと。安全地帯は近くにあるんだし、何が起こっているのか確認しないと対策が取れないわ」
 俺もそれに同意した。さっきまでの俺たちならきっと取らなかっただろう行動だった。戦闘禁止エリアを見つけて、少し余裕が出てきたらしい。俺たちは足音を殺してその悲鳴の聞こえる方に向かった。
 そこでは、血みどろの惨状が繰り広げられている――わけではなかった。三人が何やらもめている。知らない顔だが、腕に何やら時計を着けていることから彼らも同じプレイヤーであるらしかった。一人がちゃらちゃらとした大柄な男で、その男に薄幸そうな少女が手首を掴まれている。そしてその大柄な男をもう一人、気弱そうな眼鏡の男がなだめようとしている。悲鳴は少女から上げられているらしい。通路の角に隠れて耳を澄ます。
「いや、放して。お願い」
「だあから、なんでそんなに怯えんだっての。俺はただ嬢ちゃんとお近づきになりたいだけだぜ」
「が、蒲生君は威嚇しすぎなんだよ。とりあえずそのナイフをしまわないと」
「ああ? てめえ俺に指図するってのか?」
「そ、そう言うわけじゃないけど……怯えている原因はそのナイフなんじゃないかって言ってるだけだよ」
 蒲生というらしい男はつまらなさそうにもう一方の手で弄んでいるナイフを見つめて、それから少女に聞いた。
「もしかしてこれがだめなのか? じゃあしゃあねえな、しまってやるよ。ほら、これで怖くないだろ?」
 しかし、蒲生がナイフをポケットに入れても少女の恐慌は収まらなかった。
「おい古谷。違ったじゃねえかよ、どういうことだ」
「だ、だから威嚇しすぎなんだって、もう少し円滑にだね」
「偉そうな口きいてんじゃねえぞ、殺すか?」
 蒲生が古谷というらしい気弱な男を脅す。
「ひっ、いや、ごめん。そういうつもりじゃなかったんだ」
 しかし、それ以上に少女が反応する。
「やめて、殺さないで、助けて」
「んー? 嬢ちゃんは殺さねえよ。殺しちゃもったいねえからなあ」
 蒲生が薄ら笑いを浮かべる。隣の沙耶がわなわなと震えだしているのがわかった。久しぶりに彼女の怒りに火がついたらしい。だが、この状況でそれは危険だ。いさめようとする一秒前に、沙耶が飛び出していた。
「あんた、ちょっと待ちなさい」
「ん? なんだてめえ……って、嬢ちゃん偉い上玉だなあ」
 蒲生は顔だけ沙耶に向け、それからぽかんと呆けたような顔になった。しかし沙耶は止まらない。
「彼女を放して。女の敵」
 その言葉に、蒲生はにやりとした。
「だーれが放すかっての。こんなところで四十八時間缶詰めだろ? 女がいないとやってけないっての。嬢ちゃんも仲間に加えてやろうか?」
 どこで手に入れたのか、蒲生は手錠を取り出して一方を近くの部屋の扉にかけ、もう一方を少女の手首にかけた。そして沙耶に向き直る。まずい。俺は咄嗟に飛び出してポケットから銃を抜いた。
「動くな!」
 それに蒲生は怯んだ。そして、肩をすくめる。
「なんだ、彼氏連れかよ。しかもこんな冴えない男。もったいないったらねえぜ。んで? どうすんだそのおもちゃで。撃ってみるってか? あ?」
 こいつ相手に銃を見せるだけでは威嚇にもならないか。俺は仕方なく安全装置を外して、それを天井に向けて引き金を引いた。火薬音がその空間を震わせる。ひっ、と古谷が首を縮め、少女はそれで腰を抜かしたらしかった。蒲生も唖然とした様子で天井に残った弾痕を見つめる。
「……たまげた。おめえ、それ本物かよ」
「ああ。動くなよ。それから、ナイフを捨てろ。その他に武器があっても捨てろ」
「動くなか、武器を捨てろか、どっちかにしろってんだ」
 蒲生は舌打ちをしてそれに従った。ナイフを捨て、手を上げて背中を向けた。
「これでいいか? まったく、ついてねえぜ」
 俺は沙耶に向き直る。
「行くぞ。確認はできたし、これ以上俺たちが介入する必要はない」
 しかし、沙耶は譲らなかった。
「あの人を助けないと」
「いいから。助けてどうするんだ。俺たちはそんな余裕なんてないぞ」
「それでも、せめて戦闘禁止エリアまで送ってあげてもいいじゃない。彰一は見捨てるの? いつもそうよね、彰一は。私を大事にしてくれてるのはわかる。でもそれ以外はどうでもいいって感じ。それは嫌なの。私にしてくれるように、他の人にも接して欲しいの」
 無理だよ、という言葉を、何とか呑み込んだ。少なくとも、こんな状況では無理だよ。しかし、何と言っても沙耶は自分の主義を曲げないだろう。彼女はそういう性格だ。いつもなら何とかなだめすかして説得するのだが、あいにくそんな時間はない。幸い有利な状況を取れているのだから、少しくらいは無理を聞いてもいいんじゃないか。
「おい、その手錠の鍵は持ってるのか」
 蒲生はぶっきらぼうに答える。
「あーはい、持ってるよ、持ってますよ。だったらなんだってんだ」
「こっちに投げてよこせ」
「動いていいのか?」
「その間だけだ。少しでも変な動きをしたら、撃つ」
「へっ、そうだろうよ」
 面白くなさそうに蒲生はポケットに手を入れ、鍵を放り投げた。しかし、明らかに手錠に合う大きさの鍵ではない。
「ふざけるんじゃない。手錠の鍵を寄こせ」
「ちっ、冗談も通じねえのかよ、堅物め」
 ぼやきつつ、蒲生はもう一つ鍵を投げた。それは俺と蒲生とのちょうど中間のところに落ちた。俺は傍らの沙耶に言う。
「これから近づくから、俺の後ろに隠れてついてきてくれ。それから鍵を拾って、彼女を助けてきて欲しい」
 蒲生は危険な男だ、と俺は既に感じ取っていた。銃を前にしてそれでも反撃の機会を探っている、そんな気配がした。だから隙を見せるわけにはいかなかった。銃を突きつけたまま少女を助けるには、沙耶に頼むほかない。沙耶が頷いたのを見て、俺はゆっくりと近づいていく。その銃口を蒲生の胴体に向けたまま。その後に恐る恐るといった様子で沙耶がついてくる。
 鍵のある場所まで来て、俺は一度止まった。沙耶が鍵を拾う。
「壁に向けて体をつけろ」
 へいへい、と蒲生は左の壁に体をつけた。これなら沙耶を行かせても問題ないだろう。古谷という男は頭を抱えているし、こちらに敵意を見せていない。俺は沙耶に目配せをした。それに合わせて沙耶が動く。
「待って、来ないで、お願いです」
 少女はなおも錯乱中のようだった。目の前に銃があればそうなるだろうな、と俺は特に気に留めなかった。
 沙耶が少女に言い聞かせるようにして近づいていく。
「大丈夫。すぐに安全な場所に連れて行くわ」
「ごめんなさい、いや、来ないで」
「私たちはあなたを傷つけないわ。味方よ」
「だめ、それ以上は、いや!」
「そんなに怯えないで、もう大丈夫――」
 その時。無慈悲に電子音が鳴り響いた。

 ピー、ピー、ピー。

「……え?」
 少女の腕時計が、赤く光っていた。沙耶がゆっくりと自分の腕時計を見る。赤。俺も倣うように自分の腕時計を見る。そして、俺は目を疑った。
「『Failed』……?」
 失格。まさか、と周りを見渡す。全員の腕で、赤が点滅していた。その間隔は、五メートルもない。少女から一番離れている俺でさえ、沙耶との距離は四メートル前後と言ったところだ。俺の頭の中で、いくつかの単語が浮かび上がった。『時計の作動』『五メートル以内』『巻き添え』
 理解するのは一瞬だった。俺はその手の拳銃を床に叩きつける。
「……くそったれ!」
 沙耶が怯えた顔で俺を見る。
「しょ、彰一。これって」
 食いしばった歯を何とか開けて、言葉をひねり出す。自分に言い聞かせるように。
「ああ……詰みだ」
 どうして、気づかなかった。彼らは全員知らない顔だ。つまり、質疑応答には顔を出さなかったプレイヤーたちということになる。そして、質疑応答に顔を出したプレイヤーは六人。プレイヤーは九人。ハンターという例外はいるものの、この中にいるとは考えにくい。だとすると、この三人の中に3番のプレイヤーがいる可能性はかなり高かったのだ。
『半径五メートル以内に三人以上他のプレイヤーを入れさせない』俺たちが介入しなければ、まだぎりぎり許容範囲だった。沙耶がその三人目になったのだ。彼女の恐慌は状況に対して過敏だった。その原因が、考えればわかるはずだったのだ。なのに、どうしてそこまで考えなかった。これじゃあ、俺たちが全員を殺したようなもんじゃないか。
 不意に、手首に痛みが走った。それほどの痛みではなかったが、何かが注入されている感覚はかなり長く続いた。少女が狂ったように泣く。
 すぐにその効果は訪れた。体に力が入らなくなり、息ができなくなっていった。
「……な、んだ、こりゃ」
 体格の大きい蒲生はまだ言葉を発することができるらしかった。しかし俺はもう息をするので精いっぱいで、沙耶や3番の少女なんかはもう床に倒れこんでいた。体中の力を振り絞って沙耶に歩み寄る。その途中で、俺は床に倒れた。ただひたすらに、息ができなかった。心臓が不規則に拍動する。脂汗をかきながら、俺はそれでも沙耶に手を伸ばした。もう何も聞こえない。ただ心臓の不規則な拍動だけが耳に響いていた。
 謝りたかった。いつものように、守れなかったと謝りたかった。きっと彼女は覚えてもいないだろうけど、それでも俺は。すでに事切れているらしい沙耶に手を伸ばす。
 あと数センチ、と言ったところで俺の意識は途切れた。

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE2)

TAKE2


 幼稚園の頃から沙耶とは仲が良かった。別にそこまで趣味が合うわけでもなかったのに、気が合ったのだろうか。ことあるごとに一緒に行動していた。もしかすると、その頃から俺は沙耶が気になっていたのかもしれない。思いついたことはとにかくやってみて、沙耶の受けが良ければそれを現実で繰り返し、そうでなければ他を試す、というような毎日を送っていた。
 小学二年生の話だ。遠足があった。お決まりのようにバスに乗って、そして事故にあった。その事故の犠牲者は、五名。その中の一人に、沙耶が含まれていた。その時だった。人の死を初めて間近で見たのは。
 その事故で他の車が衝突してきたちょうどその近くに、俺と沙耶がいた。事故の衝撃から立ち直った俺が見たのは、沙耶の首から大きな窓ガラスの破片が生えているところだった。そして、そこからおびただしい量の血が流れていた。誰がどう見てもわかる致命傷の図だった。その時すでに沙耶が死んでいたのは幸いだった。苦しむ姿を見ずに済んだから。
 その瞬間、俺はそれまでまるでわかっていなかった「死」という概念を唐突に、一瞬で理解した。「死」とは喪失なのだと、まるでその事実を知っていたかのように、ただ想起しただけのように、はっきりと把握したのだった。そして俺は、その喪失を許さなかった。
 もう一度朝からやり直した俺は、沙耶を集合場所から連れ出した。無断欠席をしたことがなかった彼女を連れだすのは苦労したが、無理矢理に引っ張って公園に向かった。沙耶は最初嫌がっていたが、俺のただならぬ剣幕に何かを察してくれたのか、昼ごろには何も言わずに俺に従ってくれていた。一日遊んで帰ると、母親が安心したような、怯えるような奇妙な目で俺を見ていた。そして一言、「あんたどうしてここにいるの」と。
 それでようやく、俺は自分がズルをしているらしいことに気がついた。自分が異常であることを理解した。事故の犠牲者は変わらず五人だった。沙耶の代わりにクラスメイトが死んでいた。それに俺は申し訳なさを感じつつも、それのために行動を変えることはなかった。結局俺はそのクラスメイトを殺すことで沙耶を守ったのだった。
 それから、自分のために行動を変えることはしなくなった。二度同じ日を過ごして、同じように怒られて、同じような点数を取って、同じように過ごした。それでもそれをやめようとしなかったのは、いつか沙耶にまた死が迫るだろうことを、薄々と感じ取っていたからかもしれない。



「……ん」
 意識が覚醒した。おぼろげな意識の中で、さっきまでの鮮烈な死の記憶が、寝直そうとする俺の身体を強制的に覚醒させた。目を開けて、二度目になるこの覚醒に嫌気がさしながらつぶやく。
「……戻ったか」
 頭が少し疼くように痛んでいた。いつもこうだ。これは回数を重ねるごとに痛みを増す。これからどれだけ痛くなるのだろうかと俯瞰しながら体を起こした。脇腹にも少し痛みがあったが、無視した。どうせまた火傷の跡だろう。
 ポケットからPDを取り出して確認する。プレイヤーナンバー9。ルールも特に変わっていないようだった。まあ、そうだろうさ。変わっていたら俺が困る。
 隣の部屋で沙耶が起き出すまでまだ少し時間がある。できるなら今すぐにでも会いに行きたい。だが、それは少し不自然なような気がした。少なくとも、狙った効果以外の変更点はできるだけ少ない方がいいのは確かだ。はやる気持ちを抑えて、俺は少し考えることにした。
 前回は不用意に3番のプレイヤーに近づいたことでゲームオーバーとなった。しかし収穫がなかったわけではない。武器や食料の位置もとりあえず把握したし、一番気をつけるべきプレイヤーの顔とナンバーが一致した。それを踏まえて、今回はどう動くべきか。
「やっぱり、前回とは正反対の行動をとるのがいいか」
 正反対の行動。前回は質疑応答に向かい、しばらくそこで会ったプレイヤーと行動を共にすることになった。だが、今思い返してみればそれは失敗ではなかっただろうか。彼らはあまり長持ちするグループにも強力な駒にもなりそうにない。なら最初から会わなくていいかもしれない。それよりも武器と食糧だ。あと、戦闘禁止エリアが変わっていないかを確認しなければならない。あのしつこい襲撃者の正体も気になる。
「……まあ、大体見当はついてるが」
 2番のプレイヤーでなければ俺たちを何度も襲う必要がない。9番の俺を狙うメリットがあるのは、そのPDの破壊がクリア条件の2番以外にないからだ。そしてそれはおそらくは今井だろう。あの去り際の言葉は2番のプレイヤーが1番のプレイヤーをあぶりだすためだと考える方が自然だ。わざわざ一人と限定していたり、自分は単独でもいいことを強調していた。このまま自分を行かせると死ぬぞ、と脅していたわけだ。あの中に1番のプレイヤーがいない可能性もあったが、それはそれでよかったのだろう。
 そして、あの中に1番のプレイヤーがいたとするなら、それは津久田だろう。今井と別れてからいくらもしないうちに彼女もグループを離脱した。今井の言葉にPDを見つめていたし、他の二人はそのまま二時間以上今井から離れていた。1番のクリア条件は一度2番と合流した後一度に二時間以上離れないことだから、他の二人は候補から外れる。そして、1番は2番のプレイヤーをいち早く探さなければいけない都合上質疑応答に来た方がいい。今井が2番であるとする仮定では、彼女が1番である可能性は非常に高い。
 また、他に2番の候補に挙がるとするなら蒲生がいるが、しかし彼はクロスボウのようなものを持たずナイフだけで武装していた。ナイフよりはクロスボウの方が有利な武器であることを考えると、クロスボウを手放す可能性は低い。
 どちらにせよ、1番のプレイヤーには2番のプレイヤーの判別方法がある可能性が高い。そうでなければ1番だけ難易度が跳ね上がるからだ。ほぼ不可能と言ってもいい。それを言うなら4番のクリア条件もなかなか無茶だが、不可能なほどではない。前回の質疑応答でもクリア不可能なプレイヤーはいないと言われていた。それを考えると、難しい条件を持つプレイヤーにはその補助が用意されている可能性が高い。沙耶にだって反撃手段が特殊機能によって渡されているのだ。そして、それはきっと2番のプレイヤーにも。
「そうなると、どうあがいても俺たちは二人一組のプレイヤーから狙われるわけか」
 なるほど、戦闘禁止エリアを転々としているだけでは許してくれないと。俺はその周到さに呆れた。
 その時だった。廊下から沙耶の声が聞こえたのは。
「なっ……なんなのよ、これは!」
 一つ、深呼吸をする。
「……よし」
 俺は廊下に出て、隣の部屋に向かう。
「沙耶?」
 できるだけ困惑したような声で、声をかける。沙耶の声は、それに面白いくらい反応した。もちろん混乱によるものであるが。
「え、その声は彰一? 彰一よね?」
 変わらない返事が、俺の心を揺さぶった。いつだってこうだ。もう何度目になるかわからない沙耶の死に、俺は今でも慣れてはいない。慣れてはいけないようにも思う。
 沙耶が扉を開く。その困惑と少しの恐怖に満ちた、それでも元気な顔がそこにある。それだけで、まだいくらでも戦える。


「それで、今の状況だけど」
 沙耶が切り出したのを、俺は制する。
「大丈夫だ、わかってる」
「わかってるって、何が?」
「俺たちが悪趣味なゲームに参加させられるってこと、そのルール、この建物がどういう構造か、自分のクリア条件も。だから説明はいらない」
 沙耶は訝しげに俺を見た。
「……なんか見てきたみたいじゃない。何があったの?」
 何も、と俺は上目づかいで目を合わせてくる沙耶から目を逸らした。そうとも、俺は見てきたのだ。このままだとどうなるか、全部見てきたのだ。頭の奥の疼痛がそれを証言しているようだった。とはいえ、時間が惜しい。俺は立ち上がった。
「後で沙耶の条件も教えてくれ」
 別に俺はもう知っているわけだが、それを沙耶は知らない。あまり不安にさせたくなかった。これが仮想現実であることを言うのは、ある意味でこの沙耶にとっては死刑宣告にも等しいのだから。
「それはいいけど……どこに行くつもり?」
「『MAP』の中で何かありそうな場所を探す。何も配らずにこんなゲームをするわけないだろ。俺、こういう勘は当たるんだ」
 嘘をついた。沙耶が呆れたように言う。
「あんたねえ、こういう時に勘頼りってどうなの。もう少し慎重にくまなく調べて回った方が」
「いいから。俺のことが信じられないか?」
 そう言うわけじゃないけど、と沙耶は肩をすくめる。不信感を与えていることはわかっている。それでも、今回は動き出しを変えなければならないのだ。最初他のプレイヤーはほとんど変わらない動きである以上、その動きを見破ることは重要だ。
「じゃあ、行くぞ。善は急げだ」
「……これって善っていうのかしら」
 釈然としない様子で沙耶はついてきた。最初に行くべきは二階エリア十八。まずはリュックサックを取りに行くべきだ。


 階段のあるエリア十四までの道のりで、二人のPDが電子音を鳴らした。
「え、メール? 送信機能なかったのに」
 来たか、と腕時計を見る。それから通路の時計にも一応目を向ける。時計はゲーム開始二時間経過を指していた。
「何よ、この文面は! ――彰一、運営からのメールで、ルールについての質疑応答があるらしいわ。行きましょう。運営とやらに文句の一つでも言ってやらないと」
 すっかり興奮している沙耶を、俺は冷静に制する。
「だめだ、時間が惜しい。まずは必要なものを揃えてからだ」
「……でも、ルールについて詳しいことが聞けるのはアドバンテージだと思うけど」
 納得いかなそうに眉間にしわを寄せる沙耶に、俺は向き直る。
「俺は知ってる。だから必要ない」
「知ってる? ちょっと彰一、どういうこと」
「理由は聞かないでくれ。とにかく知ってる。沙耶が聞こうとしてることを。それに、あっちには運営の奴らはいないよ。スピーカーが喋るだけだ」
 唖然とした顔で沙耶は俺を見た。そして、何かを量る様な顔つきになる。
「それは、確か?」
「俺に断言はできない。でも、知ってる。それだけじゃない、沙耶が内心怖くて仕方ないことも知ってる。気を紛らわすために考えることが欲しいのも知ってる。だから、全部俺に聞いてくれ。あっちに行く必要はない」
 しばらく沙耶は俺の目を見つめていたが、やがて呆れたように微笑んだ。
「……わかったわ。いっつもあんたはそうだものね。無理やり私を連れて行って、結果的に私を助けるんだもの。いいわ、理由は聞かない。私は彰一を信じる。だけど」
 沙耶はそこで言葉を区切って、少し不安げな笑みを浮かべた。
「全部彰一に背負わせるつもりはないわ。自分の心の中くらい自分で整理する。だから気遣いは無用よ」
 ここで少しだけ意地を張る沙耶が、やっぱりたまらなく愛おしいのだった。


 俺は前回と少しだけ進路を変えた。前回罠にかかった通路を迂回して、一度も罠を踏むことなく二階エリア十八に到達していた。そこの一室には確かリュックサックとチップ、そして申し訳程度ではあるが食料があったはずだ。
 その部屋に入ろうとして、ふと誰かが走り去る音が聞こえた気がした。襲撃を警戒したが、今井なら今は質疑応答に行っているはずだ。それに、今の段階で武器を持っているものは少数派のはずだ。となると、3番のプレイヤーだろうか? もしくは、あの古谷とかいう気弱そうな男も物音を聞いて逃げるのはありそうな話だ。蒲生だけはないだろう。彼ならむしろ寄って来そうだ。
「ちょっと、彰一。早く行ってよ、後がつかえてるんだから」
 沙耶にせっつかれて俺はとりあえずその足音は置いておくことにした。
「あれ、かしら」
 真新しい段ボールを、沙耶は指差す。俺は頷いてそれに近づく。
「彰一、気をつけて」
 心配そうな顔で沙耶が声をかける。だが、大丈夫だ。前回通りなら、段ボールに罠は仕掛けられていない。少なくともこれには。一気に開ける。
 果たして、それらはあった。リュックサック、食料。沙耶は寄ってくるなり声を上げた。
「本当にあった! 彰一、あんた何者?」
 俺はそれには答えずに段ボールの影を覗き込む。そこには目立たないように黒い小箱が置かれているはずだった。
「……ん? 何よそれ」
 沙耶が首をかしげる。俺はその小箱からチップを取り出し、チップについて説明した。
「へえ、これがルールにあったチップねえ。使ってみる?」
 俺がそれを知っている理由を沙耶が聞かないことに内心感謝しつつも、俺は首を振った。
「しばらくは皆武器を見つけられていないはずだ。それに、俺たちも探すものがある。二枚目が見つかったら、こっちを使おう。それまではお預けだ」
「何よ、犬みたいに」
 そんなつもりはないんだけど、と俺は頭をかいた。一方で犬の耳は沙耶には似合うだろうな、と想像して少し和む。しかし、場面を考えるとそんなことを言ってる場合ではない。俺は深呼吸と同時にその妄想を追い出した。
「さあ、行こう。次はこの隣のエリアだ」


 そのまま、二階エリア十九で拳銃を手に入れるまでは順調だった。沙耶は拳銃を見て、
「これを使わなきゃいけないのね」
 嫌そうに顔をしかめていた。今回は罠にかかったり敵の襲撃をまだ受けていないので、実感が持てないのだろう。それでもしっかり試射をして、俺たちはエリア十九を後にした。
「次はどこに行くの?」
 沙耶に聞かれて、俺は困った。とりあえずは自分たちの生存を第一に動けばそれでいいわけだ。ここからは小箱を探すことを優先したほうがいいか。しかし、とまだ余裕がある背中のリュックサックを見て考える。この程度の食糧はすぐ尽きる。基本的に逃避行になるであろうこの状況では食料は多目に持っていった方がいいだろう。
「一階エリア十五だ。あそこに多目に食料が配置されているはずだ」
 もう勘頼りだなんて嘘を言う意味はなかった。沙耶は俺の様子が変なことにずっと前から気づいているし、そのうえで何も聞かないでくれているだけなのだから。沙耶も無言で頷いた。
 壁掛け時計が目に入った。ゲーム開始から三時間が経過しようとしていた。そろそろ榎並たちも動き出す頃だ。彼らに会うと少し面倒だ。あと一時間半の間にそこまで行く必要があった。とはいえ、このままいけばそこまで時間がかかることもないだろう。二階エリア十四まで行ってそこから階段を使い、そして一階エリア十五まで行けばいい。たった二エリア分の距離だ。それまで探索をする必要もない。三十分もあれば行けると踏んでいた。
 それが崩れ出したのは、エリア十九からエリア十四に向かう唯一の通路だった。迷路のように曲がりくねった道を俺たちは気をつけながら進んでいた。
「……ねえ」
 沙耶が耳打ちをしてきた。俺は警戒しつつそちらに耳を向ける。
「ここ、曲がりくねってるでしょ」
「ああ」
「もし奇襲するなら、誰だってこういうところを狙うわよね」
「でも、今の時点で武器を持っているプレイヤーは少ない。だから罠にさえ気をつけていれば……」
「でも、絶対じゃない。例えば、そうね。ルールに出ていたハンターってプレイヤーは? 運営に用意されたプレイヤーなら序盤から武器を持っててもおかしくないんじゃない?」
 それは、確かにそうだ。角に差し掛かったところで、俺がその考えに気を取られて足を止めた、その少し前を何かが通り抜けて行った。
「なっ……」
 咄嗟に俺はその角に隠れる。沙耶は何が何だかわからないといった様子だった。
「え、なに、どうしたの」
 俺は角の向こうに潜む何者かを睨みながらその反対の壁を指差す。そこには小さく、しかし確かに弾痕が残っていた。
「え、だって銃声が聞こえなかったのに」
「サイレンサーだよ。あっちはライフルなんだ。きっと、沙耶がさっき言っていた通りだ。あっちは最初から武器が渡されているか、その場所がわかってるんだ。こっちは拳銃一丁、あっちは少なくともライフル一丁にサイレンサー。明らかに分が悪い」
 ちゅん、と顔を出そうとしたその少し前を銃弾が掠める。くそ、威嚇に使える弾があるらしい。うらやましい限りだ、と拳銃の弾倉を見ながら思う。早めに撤退すべきだ。俺たちは別に戦う必要はないのだから。
 そっとあちらを見る。この角からしばらく直線通路が続く。一番近い角まで十メートルは余裕でありそうだ。きっと沙耶は使うつもりもないだろうが、沙耶の特殊機能でも対抗できそうにない。そこまで確認して顔を引っ込めると、そのすぐ後にそれまで俺の頭があった場所から風を切る音がした。
「逃げよう」
 沙耶に言う。沙耶も怯えながらも冷静に答える。
「でも、どこに?」
「目的地は変えない。迂回しよう。別にここから絶対に行かなきゃいけないわけでもない。エリア十八に向かって、エリア十三を経由してエリア十四に向かおう。ここを強行突破するのはたぶん不可能だし、このままここに張りつけられているのは危険だ。挟み撃ちになった時逃げ場がない。相手がまだこっちの戦力を把握しきっていない今が脱出のチャンスだ」
 沙耶も頷いてゆっくりと後退する。そして退路に危険がないことを確認して俺に合図をする。よし、撤退だ。俺は角から拳銃の銃口だけ出して即座に一発撃った。あちらに当たった可能性は万に一つもないが、牽制としてはそれなりに効果があるだろう。訓練を受けた人間ほど火薬の爆発音には過敏に反応すると、どこかで聞いた覚えがある。そしてすぐに沙耶の後に続いた。
沙耶を先に行かせることにはかなり抵抗があったが、この場合はどちらかというと後ろからの危険の方に警戒しなければならない。我慢して沙耶に先を行かせる他なかった。早期の撤退が功を奏したのか、なんとかその場を逃げ出すことに成功した。


「……追って、来ないわね」
「それならそれでいいさ。弾も無駄使いせずに済んだ」
 俺は弾倉の中の空薬莢を取り出しつつ言った。そこに新しい弾を込める。残り八発。大事に使わなければ。少なくとも、別の武器が見つかるまで。
「ここからは未探索エリアだ。俺が先頭に立つよ」
 沙耶は心配そうに眉をひそめながらもそれに従った。少しだけ不満げにも見える。しかし、こればかりは譲れないのだ。俺は慎重に、しかしできるだけ早く先に進んだ。
 その傍ら、頭の奥では思考を巡らせていた。先ほどの襲撃者は前回の襲撃者とは違う。この時点でライフルなんて武器を持っているのなら、わざわざ再装填に時間のかかるクロスボウなんて持ち歩かないからだ。また、蒲生とも違う。蒲生もナイフ以外に何か武器を持っている様子はなかった。前回で俺は全ナンバーのプレイヤーと会っているはずなのだ。しかしその誰もがこの時点でこれほどまで高性能な武器を持っていなかった。好戦的でもなかった。それを考えると、やはりさっき襲ってきたのはハンターである可能性が高い。
ハンターについて、俺は何も知らない。例えば、彼らの初期装備はどの程度のものか。彼らのPDにはどんな特殊機能が備わっているか。もしもゲーム上制約が課せられているのだとしたら、それはどんな制約か。そのあたりもおいおい探っていきたいところだ。これがわかっていないとハンターへの対策が立てにくい。おそらくこのゲームで一番脅威となるのがハンターだ。その情報を得ておくのは少なくともマイナスではないだろう――そこまで考えた時、俺は妙なものを見つけた。もうすぐエリア十三を通り過ぎてエリア十四に入るところだった。
「沙耶、あれ」
 沙耶が続いて気づく。そして目を凝らして首をかしげた。
「……なんか、ディスプレイがあるわね。それに、何かしらあれ。挿入口みたいなものがあるけど」
 沙耶の視力はいい。両目2.0以上というつわものだ。一方の俺は最近教室の最後列から黒板を見ることに支障が出てきていた。眼鏡を買った方がいいか、と思っていたところにこれは不運だったとしか言いようがない。目がよく見えたほうが有利だったろうに、と思いつつ、いまさらそこまで戻れない。まったく、肝心なところで不便なものだ。ここまで便利な力を持っていても、なかなか思い通りには行かない。
 ひとまずそれを脇に置いて、俺は考えた。ディスプレイ? 挿入口? もしや隠し部屋か何かだろうか。もしそうならそこを見つけておくことは今後に有利になるに違いない。俺は慎重に近づいて行った。
「気をつけて」
 沙耶が後ろから声をかけてくる。俺はそれに振り返らずに頷いた。
近づくにつれ、だんだんと輪郭がはっきりしてきた。壁にディスプレイが埋め込まれているらしい。その下に何か小さな穴が二つ。何かを差し込むものだろうか。しかし、他に何か操作できるようなものはなかった。やはり、ここは隠し部屋なのか。あそこが隠し扉で、あの挿入口のようなものが鍵穴なら他の操作用のハードがないのも頷ける。しかし、それならどうしてディスプレイが? 俺は内心首をかしげながら近づく。後五メートルほどになったところだった。
――ビー、ビー。
 突如鳴ったブザーに俺は身をかがめた。しかしあたりを見るが何も起こっていない。なんだこれは。何かの罠らしいが、音が鳴ることで居場所を知らせる罠か。悠長に分析をしていると、沙耶が切羽詰まったような声を上げた。
「彰一!」
 沙耶もそう思ったのか。俺は振り返って応える。
「ああ。あれを調べたらさっさとここを離れよう。俺たちの居場所が――」
「そうじゃなくて、彰一、上!」
 上? 見上げると、天井から何かが迫ってくるところだった。このままでは脳天に激突する。俺はすんでのところで体をひねって前に転がった。その一瞬後にそれは床に到達した。
 息を整えつつ、それを見る。なにやら隔壁のようなものが降りていた。銃痕や殴打痕のようなものがいくつもあるが、それではびくともしないくらいに厚いらしい。分断系トラップか。俺は壁の向こうの沙耶に向かって声を張り上げる。
「沙耶、大丈夫か!」
 すると、くぐもった声が返ってきた。
「私は大丈夫。でも、これは……」
 その時、どこからか機械音声が流れた。場違いなほどにはきはきとした声だった。
『エリア十三を全方位隔離しました。これから一時間後にエリア十三全域の空調を止め、猛毒ガスを散布します』
「何っ!」
 俺は慌てて腕時計を見る。ゲーム開始三時間三十五分。あと一時間で、沙耶が。くそったれ、と隔壁を殴りつける。音が響きすらしない。それほど隔壁が厚いということだ。目線を下ろすが、隔壁はしっかり降りている。指を入れて持ち上げるようなことはできそうもない。しかし、それならなぜ会話ができるのか。あたりを見回すと、空調ダクトのようなものがあった。
「……なるほど、そういうことか」
 再び機械音声が流れる。
『この罠の解除方法は二つ。一つはエリア十三内部のプレイヤーが自分のPDに未使用のチップを二枚続けて読み込ませること。もう一つはエリア十三と十四との境目にある二つの挿入口に未使用のチップを二枚差し込むこと。ただし前者は一人が五分以内に二枚読み取らせる必要があり、また読み込ませても戦闘禁止エリアは表示されず、チップは使用済みとなります。後者は各挿入口に一枚ずつ差し込まなければならず、読み取り後そのチップ二枚は破棄されます』
 今持っているチップは一枚。俺は奥歯を噛み締めた。だから、どうしてこうなるんだ、いつもいつも。
「彰一……」
 向こうの沙耶が不安げな声を漏らす。それが空調を伝って聞こえてくる。
「そうだ。沙耶、そのあたりに空調のダクトみたいなのがないか?」
 少し沈黙が続き、それから沙耶は声を上げた。
「あった! でも、どうするの?」
「そこからこっちに来ることはできないか?」
 また少し返事には時間がかかった。その後、少し疲れた声が返ってきた。
「……ちょっと、無理みたい。私の身長じゃ、あそこまで届かない」
 考えろ、この状況を打開する方法を。まず一つ、俺がチップを一つ見つけてくる。しかし一時間で見つかるかどうかは甚だ疑問だ。二つ目は、沙耶がエリア十三の中でチップを見つける。これは沙耶にかなり危険が及ぶ。しかも、その場合沙耶が集めなければいけないチップは二枚である。一エリアに二枚ある保証すらないのに、その条件はあまりに厳しい。三つ目は、沙耶にどうにかしてダクトを通ってもらうやり方だ。例えば、脚立のようなものが近くにあれば。いや、しかしダクトには金網が掛かっている。あちらも同じだとすれば、ドライバーのようなものも必要になってくるだろう。
唇を噛む。どれも賭けとしては分が悪い。沙耶に危険を強いることになるのは嫌だが、仕方ないか。俺は苦渋の決断をした。
「沙耶、落ち着いて聞いてくれ」
「……ええ」
 少し強がっているような、しかし不安を隠せていない声が耳に届いた。
「俺は今からチップを探しに行く。できるだけ早く見つけようと思うが、見つけられない可能性もある。だから、沙耶もエリア十三の中を探してくれ。チップじゃなくてもいい。脚立とドライバーか何かがあれば、ダクトを通ることもできるはずだ。チップか、脱出用の道具。とりあえずはその両方を探してくれ。俺の方でも金網さえ外せればこっちから助けに行くことができる。こっちも探してみるから、エリア十三の中は頼む」
「……わかった。こういうトラップがあるってことは、その近くに解除方法があってしかるべきだものね。探してみる。彰一も気をつけて」
 そう聞こえたきり、あちらからは何も聞こえなくなった。沙耶を置いていくのは気が引けるが、そうも言っていられない。
「行こう」
 決心するなり、俺はすぐにその場を離れた。時間が惜しい。もしかすると、さっきのブザーで居場所が特定されたかもしれない。なんにせよ、ここで立ち止まっているような余裕はなかった。
 ふと、通路に設置された時計が目に入った。ずっと思っていたが、この時計の意味はなんだろうか。何しろこのゲームにおいてプレイヤーは腕時計をつけていること前提だ。そうでなくともPDにも時刻表示はある。にもかかわらずここまで何度も備えつけの時計が見つかるのはどういうことだろう。普通に考えればクリア条件を満たしたプレイヤーがPDを破壊する、もしくは破壊されても時刻がわかるように、ということだろう。だがそれではあまりに状況が限定的すぎる気がする。
「……考える時間が惜しいな」
 俺はとりあえずそれを後回しにしてさっそく探索を開始した。


「くそ、どうしてこうなるんだ」
 俺は二階エリア九の探索を終えようとしていた。成果は、食料とかんしゃく玉、手錠にマッチに料理油。呆れ半分にため息をつく。
 すでに三十分が経過しようとしていた。これでもかなりハイペースで探索を進めたつもりだった。一応慎重に進んではいるが、もし罠があったら確実にかかっているだろう。それくらいには自分の精神状況がわかっているつもりだ。背中の重みばかりが増えていく。いつ何が役立つか分からないとはいえ、過剰な食料は置いてきてしまった。
「どこに行くべきか……。エリア十か、八か、それとも四か」
 その時、俺はまた誰かの足音を聞いた。また3番のプレイヤーか。エリア四方面に消えていくそれを聞いて、俺はそれを追ってみることにした。
別に足音の主を脅そうというつもりはなかった。いや、確かにそれも場合によっては一考の余地があったが、要するに即決できる要因があればそれでよかったのだ。後三十分で沙耶が死ぬとなれば、決断にすら時間をかけることはできなかった。
 エリア四に入り、手近な部屋の扉を開ける。その瞬間、何か嫌な予感がして俺は体をかがめた。その頭上を何かが通り抜けて行った。すぐに部屋の中から死角であるところに張りつき、部屋の中を覗く。すると、ちょうど発射機のようなものが壁に戻っていくところだった。反対の壁を見るとブーメランのような形の刃が突き刺さっていた。
「……だからえげつねえって」
 しばらく待ったが、これ以上何かが飛んでくるようなことはないようだった。俺は意を決して部屋の中に入る。運営の心理としてはこういう入るのにリスクがある部屋には重要なものを置きたくなるものだ。俺はまず真新しい段ボールを見つけた。しかし今はそれは必要ない。そして、薬品棚らしいものの中に黒い小箱が入っているのを見つけた。
「あれだ!」
 俺は棚に飛びついたが、鍵がかかっている。中には医薬品も少し入っているらしい。これは素晴らしい。しかし開けるためには鍵がいるのか。一度ガラスを叩いてみる。しかし意外に頑丈だ。今度は力いっぱい殴りつける。それでもびくともしない。鍵を探すほど悠長にしてもいられない。俺は迷わずポケットに手を入れた。
 拳銃で、中のものを打ち抜かないような場所に狙いをつける。気持ち下を狙って、引き金を引く。どうやら防弾ガラスだったらしく、一発では割れなかった。ひびが入ったそこに立て続けに二発、三発と打ち込む。四発目でようやく割れた。
 ひとまず部屋の外を確認する。変わりない。俺は内心安堵しながら割れたガラスの穴を広げて無理矢理中のものが取れるようにする。そしてまず小箱を取り出す。ボタンを押すと、確かにそこにはチップがあった。
「よし」
 俺はそれをすぐさまポケットの中に入れた。そして包帯や消毒液などをリュックサックに放り込んですぐにその場を去った。
 これで、沙耶は助かる。俺が死ななければ。罠がないことがわかっている道を、それでも襲撃を警戒して慎重に戻った。


 俺が隔壁のところまで戻ったのは隔壁閉鎖から五十分が経ったところだった。すぐにチップ二枚を取り出して挿入口に入れる。すると、ディスプレイに「Clear」の文字が出た。そして、徐々に隔壁が上がっていく。
「よし、これで大丈夫だ。後は沙耶を探すだけだけど……」
 俺がそうこぼした時、小さく沙耶の声が聞こえた。
「彰一! 見つけてきてくれたの!」
 しかし、沙耶の姿が見つからない。周りには何かの金網と倒れた脚立しか――
「脚立?」
 俺はその上を見上げる。そして、一瞬それが何かわからなかった。藍色の中に肌色、そしてピンク。それは一見花のような華やかさがあった。
「……はあ?」
 それが人の脚であることを理解するのにしばらくかかった。また小さく沙耶の声が聞こえる。
「ちょっと悪いんだけど、助けてくれない? 入るまではよかったんだけど、出られなくなっちゃって」
 パタパタと少し細めの沙耶の綺麗な脚が動く。藍色のスカートの中から見えるピンクがあまりにまぶしくて、俺は思わずつぶやいた。
「うわ、絶景」
 それが聞こえてしまったらしかった。沙耶は一転ものすごい剣幕で怒った。
「なっ、あんた一体何見てんのよ! いいからさっさと下ろしなさい、靴飛ばすわよ! あとで絶対殴ってやるんだから!」
 それを言い終わらないうちに、彼女の脚が暴れ出してそのローファーをあさっての方向に飛ばした。これ以上暴れられてはかなわない。俺は脚立を立て直して沙耶を救出にかかった。
 沙耶の身体の細さならダクトの中も通り抜けられると踏んだのだが、何がいけなかったのだろうか。俺は彼女の足を引っ張りながら思う。実際こうして引っ張り出してもどうも引っかかっている部分が見当たらない。あと少しのところまで行って、俺は一気に沙耶を引きずり出した。
「ひゃっ」
 その体を支えようとして伸ばした右手に、妙に柔らかい感触があった。それの正体に気づいて、俺はまたこぼしてしまった。
「ああ、そうか。これが引っ掛かってたんだ」
「あんた馬鹿でしょ! この変態!」
 今にも泣きそうな顔でなじられた。今後はこういう時でも冷静にいられるようにしよう、と俺は沙耶をなだめながらそう思った。


 ずっと通路の真ん中で突っ立っているわけにもいかず、俺たちは最寄りの部屋に身を隠した。
「私だって一生懸命頑張ってたのに、彰一ときたら」
 沙耶は相当お冠のようだった。俺としては平謝りするしかないのだが。
「だから悪かったって。殴るなりなんなり好きにしてくれ」
 しかし沙耶は不機嫌にこう答えた。
「……彰一、私が殴れないの知ってて言ってるでしょ」
 その言葉で思い出す。沙耶のクリア条件は全てのプレイヤーへの物理攻撃の禁止だった。その「全てのプレイヤー」の中に、当然俺も入っているわけだ。
「……ごめん」
「もう、いいわ。それより、手を見せて。怪我してるじゃない」
 怪我? 俺が首をかしげると、沙耶は痺れを切らしたように声を上げる。
「だから、右手! どこで切ったか知らないけど、血出てるわよ」
 言われて見ると、確かに右手の人差し指と親指と掌にそれぞれ切り傷ができていた。大方あのガラスで切ったのだろう。
「いや、大した傷じゃない」
「いいから。どうせ彰一のことだから、無茶したんでしょ。元はと言えば私を助けるためなんだから、私だってお返ししたいわよ」
 ふむ。時間を見ると、ゲーム開始から四時間半が経過していた。榎並たちはそろそろ動き出しているだろう。食料も大量に手に入れたし、一階エリア十五には行かなくてもいいだろう。あと一時間半で戦闘禁止エリアが変わり、三階エリア十九が戦闘禁止エリアになっているかどうかがわかる。チップがなくても直接そこまで行けば同じことだ。それまでは下手に動かない方がいいかもしれない。何もしないのもきっとこの状況では心に障るだろうし、それならと俺は観念して右手を差し出す。
「それでよろしい。えっと、ハンカチがないわ。ポケットに入れておいたのに、運営に取り上げられたのね」
「リュックに簡単な治療道具がある。それを使ってくれ」
「了解」
 沙耶に背中のリュックサックを渡す。そして中を漁って沙耶は呆れたような声を出す。
「いや、あったけど、彰一。料理油とか何に使うつもりよ」
「それは運営に言ってくれ。こんな状況で料理させるつもりかと」
「ああ、道具といえばドライバー見つけたんだけど。あの中に置いてきちゃった」
「あの中か……。狭すぎて、取るのは無理かな」
「正直、私も勘弁だわ」
 そうこう言っているうちに、沙耶は要領よく手当てを進めていく。その顔はどことなく嬉しそうで、俺はほとんど無意識に言っていた。
「沙耶っていつもつんつんしてるけど、なんだかんだで優しいよな」
 消毒液が勢いよく吹きだして傷にしみた。
「いって」
 見ると、沙耶の顔がみるみる赤くなっていく。耐えかねたようにつぶやいた。
「……いい加減その方向でからかうのはやめてくれない?」
 謙遜する必要はないと思うが、沙耶はそれを絶対に認めようとしない。いつだってつんつんとした態度を取りながら、結局誰かが困っていれば助けてしまう。あちこちと衝突してしまうのはその結果である。その上素直に慣れないままお礼も突き返してしまう。損な性格だ。そんな沙耶に惚れてしまった俺はもっと損だ。じゃあ後悔しているのか、と言われれば、まったくそんなことはないのだけど。
 吹きだした消毒液を拭きながら沙耶は照れ隠しに入る。
「目の前で傷ついてる人を見捨てるのは目覚めが悪いじゃない? 私はそれが嫌なだけよ」
 痛い。傷に消毒液がしみるのとは別に、それを言われるのは痛い。そんな沙耶が好きで、沙耶を助けるために目の前で傷ついた人を見殺しにしてきたのは紛れもなく俺だからだ。自己矛盾している気もする。好きな人の主義を、好きな人を助けるために踏みにじる。それは許されることなのか。沙耶に許してもらおうとは思っていない。許されたくもない。それを許さない沙耶が、俺は好きだからだ。でも、沙耶を傷つけたくはない。俺がしていることを聞けば、きっと沙耶は傷つくだろう。
 だから、最終的に俺は隠すのだ。きっと今回も、同じように俺は隠すのだ。心の奥底に膿んだ傷を。
 そんなことを考えている間、俺の視線はずっと沙耶に注がれていたらしかった。不機嫌そうな沙耶の声で俺の意識は現実に戻される。
「ねえ、私何か変なこと言った? そんなに見つめなくたっていいと思うんだけど」
「え、いや、そういうわけじゃ」
 沙耶は気恥ずかしそうに治療をそそくさと終わらせる。
「はい、これで終わり。少し動かしにくいかもしれないけど」
「ありがとう、沙耶」
 沙耶は気分良さそうに目を細めた。それから、俺の右隣に座ってくる。
「ねえ、彰一」
「なんだ?」
「私は彰一が何を隠してるのかは聞かない」
 その言葉に振り向こうとすると、二の腕に何かが寄り掛かる感覚があった。沙耶の頭だ、とその髪の感触でわかって、振り向くのをやめた。
「彰一は何かを知ってて、それでここまで私を導いてくれた。いつもそう。彰一は何か知ったような顔で、結果として私を助けてくれる。まるで、そうすれば私が助かるって知ってるみたいに。今回もおんなじ。きっと彰一について行けば、私は助かるんだと思うの」
 そんなことはない、と言いたかった。沙耶を助けるために、いったい何度沙耶の死を目の当たりにしたかわからない。人の死を回避することは簡単じゃない。一回やり直したくらいじゃ回避できない。きっと、この沙耶も死ぬのだ。沙耶が生きていける確率はきっと何万分の一で、死なない沙耶の存在の下には何十人もの沙耶が積みあがっている。今回は何人の沙耶を犠牲にすればいいのか。
「そんなの、まだわからないさ」
「そうね、わからない。だから断言できないけど、でもたぶんそう」
 沙耶はどこか甘えるような声でそう言った。それがまた、俺の罪悪感を積みあげていく。この信頼を得るために、俺は何を犠牲にした? これから何を犠牲にする?
 だけどね、と沙耶は声を落とす。
「私には、彰一が苦しんでいるように見える」
 それは、そうだろう。それを見せないようにふるまってきたつもりだったが、見抜かれていたか。俺は左手で頭をかいた。
「きっと、私は楽をしているんだと思うの。彰一が私の代わりに何かを背負ってくれていて、私は無自覚にそれを押しつけている、そんな気がする。そんなの、私は許せない。
 彰一が背負ってるものを、私も背負いたいの。それは彰一にとっては迷惑かもしれない。でも、私はこのままだと許せないの。自分自身が許せないの。私は彰一が背負ってるものを知りたい」
 ああ、君はそういう人だよ。危うく泣きそうになったのを、何とか堪える。
「もちろん嫌ならそれでいい。でも、もしよかったら――」
「ああ、いつか教える。それでいいか?」
 うん、と嬉しそうに頷いた沙耶を見て、俺は思う。
いつか教える。でも、それはこの沙耶じゃないよ。これなら、嘘にはならないかな?


 しばらく、俺たちはその部屋で息を潜めていた。俺たちに必要なのは、ただただ時間だ。襲われないのなら、そもそも戦闘禁止エリアに行く必要すらない。さりげなく腕を抱いてくる沙耶がかわいくて、ずっとこのままでいたかった。しかし、そういうわけにもいかない。きっとそろそろ今井が動き出す頃だ。時計を見ると、ゲーム開始五時間半が経過していた。俺はその柔らかい感触に名残惜しさを感じながらも立ち上がった。
「そろそろ行こう、沙耶」
「どこに?」
「戦闘禁止エリアだよ。このままだといつ襲われるかもわからない」
「でも、今は襲われてないけど」
「ああ、違う。このままだと襲われる。これはほぼ確定事項だ。だから俺たちは今のうちに戦闘禁止エリアに行かなきゃいけないんだ。目星もついてる」
 わかった、と沙耶はその根拠を聞かずに立ち上がる。
「でも、その後はどうするの? 戦闘禁止エリアは六時間ごとに変わるんでしょ」
「きっとそのエリアの中にチップがあるはずだ。戦闘禁止のうちにそれを探しておこう」
 了解、とリュックサックに広げていたものをてきぱきとしまう沙耶。そして、それを自分で背負う。
「よっと、結構重いわね、これ」
「お、おい沙耶。それは俺が持って……」
 しかし、沙耶は譲らなかった。
「いいの。これくらいは私も役に立たないと。このまま守られてばかりは嫌なの」
 説得は、難しいか。正直今やかなり膨らんだそれを背負ったまま戦うのは難しいとは思っていた。ここであまり時間をかけてもいられないし、その分の危険を俺が被ることを条件にそれに同意した。
「それで、どこに向かうの?」
「三階エリア十九だ。エリア十四で階段を上って、そのままエリア十九に」
 俺たちはまず部屋の外を確認した。誰も見えないことに安心して顔を出そうとした時、その目の前で風を切る音がした。直後に金属音が鳴る。そちらを見ると、突き当りに矢が転がっていた。前回の襲撃と同じものだ。
「くそ、もう来たか」
「なに、これ、矢?」
「ああ。あっちはこのまま立ち去るはずだ。一撃離脱でしつこく襲ってくる」
 俺はあちらが立ち去るのを待った。しかし、何の音もしない。前回のと同一人物なら、足音が聞こえるはずだ。前回足音を隠しきれていなかったのだから、今回も足音を隠しきれないはずなのだ。それがない、ということは。
「――マジか!」
 俺は扉を垂直になるように開けた。そして沙耶の手を引いて走る。
「ちょっと、どうしたの?」
 困惑している沙耶に俺は叫ぶように言う。
「あいつら、立ち去ってない。このまま次の矢を放つ気だ。そうなると俺たちは動けない。このままだと動けないままいぶり出される」
 後ろでまた金属音がした。扉に矢が当たったのだろう。扉の死角になるように俺たちは走る。小さく少年の声が聞こえた。
「マジかよ、せっかく速攻で終わらそうと思ったのに。お姉さんのせいだよ、あそこで物音立てるから」
 やっぱり、今井か。そしてあいつがお姉さんと呼ぶ対象は、今回は津久田だけのはずだ。さらに確信する。今井のPDにはおそらく俺の居場所がわかる機能がつけられている。こうなると毎回俺たちは同じように狙われることになる。かなり厳しい状況であることは変わりない。できれば無力化しておきたい対象なのは確かだ。
 それにしても、今回はどうしてこう強引に攻めてきたのだろうか。前回と変わったところと言えば、俺たちと今井が面識がないくらいだ。もしかすると、俺はあの接触の際にかなり買われていたのかもしれない。逆に今回は質疑応答にも来なかった馬鹿どもとでも思われているのだろう。だから一撃離脱とか策を弄せずに襲撃をかけてきたのかもしれない。
 とはいえ、困った。角を曲がった背後を矢が通っていく。俺は一度止まって角から拳銃を一発撃った。
「うわっと、危ないね」
 今のうちだ。俺は沙耶の手を引いて走る。
「彰一、ごめん、ちょっと、きつい」
 沙耶は息が切れている。このまま逃げ続けたら走れなくなるだろう。リュックサックを俺が背負ったとして、きっとそれは変わらない。このまま逃げ続けるわけにはいかない。俺は咄嗟に沙耶の背からリュックサックを奪う。その中からかんしゃく玉を取り出し、通路にばらまいた。
「とりあえず、次の角まで走れるか」
「……頑張るわ」
 次の角まで行ったところで、沙耶を休ませる。ひゅん、と矢がまた壁に飛んできた。
「ん、逃げるのをやめた? どういうこと?」
 やはりわかるらしい。あのかんしゃく玉が近づかれた時の牽制になるだろうか。しかし、まだ足りない。きっとあっちには足を止めた俺たちを殺す奥の手がある。これでは足止めされていることには変わりない。早くどうにかしなければ。
「せめてこの通路を通れなくできれば……」
 その時、息を切らしたままの沙耶がリュックサックを漁り始める。そして、油を取り出した。
「……まさか、沙耶」
 沙耶はそのふたを開けて通路の先にぶちまけた。そしてマッチを擦る。
「そのまさかよ」
 そのまま沙耶はマッチをその油まみれの通路に放り投げた。それが燃え、通路全体を封鎖した。
「さあ、行きましょう。たぶんそんなに時間は稼げないわ。この建物壁も天井も床も不燃性だし、液体の可燃物じゃすぐに燃え尽きてしまう。だから今のうちに距離を離さなきゃ」
「沙耶は大丈夫か」
 聞くと、沙耶はまだ整ってない息で答えた。
「もう大丈夫よ。運動苦手だからって舐めないでよね」
「……わかった。ただしこれからはリュックは俺が持つ。沙耶にはこれを持ったまま走るのはきついだろ」
 ええ、お願いするわ。沙耶も今度は素直に従ってくれた。


 逃げながら、沙耶は俺に聞く。
「でも、これからどうする? エリア十四からは離れちゃったけど」
 PDを確認する。沙耶の言う通り、俺たちは二階エリア十四とは真逆の方向に逃げることになったらしい。二階エリア十三を通り抜け、二階エリア十二まで来ていた。罠に気を払いつつ俺は考える。
 どれだけ彼らを足止めできたかはわからない。しかしあちらには俺たちの居場所がわかるらしい。そうなるとどこに隠れようが無意味だ。俺たちには戦闘禁止エリアを使って逃げ続けるか、応戦するしか道はない。しかし、応戦もあちらにどれだけの戦力があるかがわからないこの状況では得策とは言えない。進退窮まれば彼らを殺す必要は出てくるかもしれないが、今はそうすべきではないだろう。
ひたすら逃げ続けるのも現実的ではない。こうやって罠を警戒して進まなければならない以上、どうしても先を進む方に速度的な不利がある。それに対してあちらは、俺たちが通った場所は少なくとも安全だと保障されているのだ。このゲーム、追われる方より追う方が圧倒的に有利だ。運営側の意図が何となく透けて見えた。
となると、やはり今のうちに戦闘禁止エリアを探すべきだろう。ただ闇雲に探すのではなく、チップを探すべきだ。俺は沙耶に答える。
「やっぱり、チップを探そう。戦闘禁止エリアは階層ごとに一一つあるって話だし、階段を使わなくても行けるはずだ」
 沙耶にペットボトルの水を手渡す。それを苦しそうに一気飲みして、沙耶は頷く。
「彰一がそう言うなら。私としてはどこか見つからないところに隠れたほうがいいとは思うけど」
「それじゃだめだ。すぐに見つかる」
 少し考えて、なるほど、と沙耶が納得したように漏らす。
「あっちは1番と2番のプレイヤーね。きっと2番には彰一の居場所がわかる特殊機能が渡されている。それは、クリア条件がゆるすぎる彰一のハンデってところじゃないかしら」
 わかっちゃうんだもんな、と俺はため息をつく。俺が一度死んでなんとか確認した情報に、沙耶はちょっとした推理だけでたどり着いてしまうんだ。
「時間がない。急いで探そう」
 時計はゲーム開始六時間十分を示していた。


 果たして、チップはあった。その捜索に三十分を費やした。その一室で俺たちは休憩していた。この三十分の間に二回ほど罠にかかり消耗したためである。
「こう距離が開くと、あっちも流石に罠を警戒せざるを得ないだろう。ここまで来るには時間があるはずだ」
 沙耶を説得するために言った言葉に、沙耶は頷いた。しかし、具体的にどれだけ休めるのか。このゲームで他のプレイヤーの位置がわかるのは絶大なアドバンテージだ。俺はそれを実感していた。
 まだかなり疲弊しているらしい沙耶が立ち上がる。
「もう行きましょう。このままじゃすぐに追いつかれちゃうわ」
 大丈夫か、とは聞かない。大丈夫でないことは明白だからだ。それでも、ここで気の休まらない休憩をするよりは戦闘禁止エリアに一秒でも早く行きたいのだろう。それは俺も同じ思いだった。チップをPDに読み込ませる。
「二階の戦闘禁止エリアはエリア六だ。ここからだと、エリア十一を経由するのが一番近い」
 そのついでに一階の戦闘禁止エリアも確認しておく。エリア二十五。完全に端だ。そこに世話になることはまずないだろう。俺はPDをしまった。
 部屋の外を覗き見る。誰もいないが、さっきのようなことが起こらないとも言えない。俺は空いたペットボトルをそっと外に投げ込んだ。からからと転がるペットボトルの音に反応したものは何もなかった。
「よし、行こう」
俺たちは歩き出した。集中を切らさないように、ただ気を張るしかなかった。


 途中で追いつかれてからは、止まることなく走り続けた。だんだんと精度を上げているらしく、すれすれのところを飛んでくる矢をかいくぐりながら、なんとか俺たちは戦闘禁止エリアまでたどり着いた。
「つっかれたあ……」
 エリア六の一室に逃げ込んでから五分が過ぎても、沙耶はまだ息が切れたままだった。もう体を起こすのも辛いらしく、硬い床の上に転がっている。俺はさりげなく目を逸らしたが、頭の奥ではさっきのピンク色が鮮やかに蘇っていた。それを振り払うようにリュックサックの中身を見る。
「うわ、ひどいな」
 水の入ったペットボトルが一本お釈迦になっていた。さらにその水でマッチがだめになっていて、食料の乾パンも一袋矢にやられていた。中から全てのものを取り出して、リュックサックを乾かすことにする。
 次に拳銃を点検する。残弾は二発になっていた。エリア十二からの逃走中に一度撃ったのだった。できれば弾か、そうでなければもう一つ武器が欲しいところだ。このエリアにあるだろうか。捜索を続けなければいけないか。また罠の危険があるが、襲撃を受けないだけましだ。できれば体を休めたいのは確かだが。
 ふと沙耶の方を見ると、すっかり寝息を立てていた。無理もない。いきなりこんな状況に放り込まれてもう七時間十分が経っているのだ。俺だって眠ってしまいたい。
「……でも、無理だよな」
 二人で寝たら、戦闘禁止が解けた後も眠り続けてしまうかもしれない。交代で眠るしかないのだ。もちろん沙耶をできるだけ寝かしてやりたい俺としては、起きている以外に選択肢などないのだが。
 近くの部屋のベッドからシーツを持ってきて、無防備に寝息を立てている沙耶にそれをかける。あくびを噛み殺しながら、俺はその部屋を出た。


 状況は、かなりまずかった。まず、チップは見つからなかった。武器としてはマグナム弾が十発見つかったが、他の武器は見つからなかった。マグナム弾がどれほどの威力と反動を持つのかわからない以上、これまでの弾とは違ってむやみには使えない。他にはロープが一本とはさみが一つ。食料は多目に見つかったが、これまでに十分な量の食糧を得ていた俺としては大した収穫とは言えなかった。三時間以上かけてこれでは、あまりに割に合わない。
「このままじゃ、また逃げ惑うことになる」
 ゲーム開始から十一時間が経過していた。戦闘禁止解除まであと一時間。俺は考える。
 確か、沙耶の特殊機能は他のプレイヤーの腕時計を作動させるものだった。それを使えば、あちらを一網打尽にできるのではないか。今井が死ぬと、自動的に津久田の死も確定する。たった一度の切り札ではあるが、このまま逃げ続けるよりははるかに安全だろう。
 ただ、問題はそれに沙耶が同意してくれるかどうかだった。沙耶のPDは沙耶にしか操作できない。あの沙耶が人を殺すことに同意してくれるとは思えない。それに、それを使う以上俺たちは十メートル以内まで接近する必要がある。その分危険が増すはずだ。沙耶を危険にさらすことは、俺の本意ではない。それなら――
「答えは、最初からわかっていたじゃないか」
 俺はロープとはさみで沙耶の手足を縛り上げた。そして拳銃と弾丸と最低限の食料と、そしてはさみを持って部屋を出た。これで沙耶は動けないだろう。動き回らなければ見つかる可能性も減るはずだ。もし俺が戻ってこられずに最後まで放置されたとして、あと三十七時間なら飢え死にはしないだろう。見つからなければ、俺と一緒にいるよりずっと生き残れる可能性がある。
 あちらに特定されているのは俺の居場所だけのはずだ。俺が動き出せばそちらに向かう。俺一人なら奴らと戦うこともできるだろう。結局こうなるのか、と拳銃にマグナム弾を込めながら思う。汚れ仕事を俺が一手に引き受ければいいだけのことなのだ。ためらわない。拳銃の重みが、妙に手になじんだ。


 エリア六とエリア五の境まで来て、俺は角に隠れて声を出してみた。
「おい、そこにいるんだろ?」
 すると、その向こうから声が返ってくる。
「へえ、すごいね。どうしてわかったの?」
「お前ら、俺の場所がわかってるだろ? じゃなきゃここまで的確に追ってこれはしない」
 楽しそうに今井は笑う。
「うわ、こっちが二人組なことまでわかっちゃってるんだ。これは逃げられたのも納得かな。もう少し慎重に攻めればよかった。
 それで? まだ戦闘禁止解除まで少しあるよ。それまで休まないの?」
「終わったらまた追いかけっこが始まるだろ。俺としてはそろそろお前らを叩き潰しておきたいところなんだよ」
 拳銃の安全装置を外す。弾丸の数を確認する。
「いいよ。僕としてもそろそろ追いかけっこは飽きたんだ。来なよ、お兄さん」
 ここで角を飛び出すことは危険だ。だが少なくとも俺が境を越えるまではあちらも攻撃してくることはない。
「お姉さん。準備はいいね」
「……仕方ないわね」
 二対一、か。俺はその戦力差に笑いながら角を出た。そのままゆっくりと歩く。あちらの角まで十メートルといったところか。PDによるとそのちょうど真ん中が境になっている。戦闘開始からあちらまでは五メートル。一気に走れば詰められる距離だ。あちらはクロスボウだから矢の装填には時間がかかるはず。一発やり過ごせばクロスボウに関しては気にしなくてもいい。だが津久田の方が問題だ。彼女がどんな装備を持っているのか情報がない。
「ぶっつけ本番ってか」
 それが明らかに自分に似合わない言葉であることに苦笑する。一歩、また一歩と開戦が近づいていく。通路の備えつけの時計が秒針を刻む。PDを確認してちょうどエリアの境に立つ。
「さあ、お兄さん。そこから一歩踏み込んでこないと勝ち目はないよ」
「わかってるさ」
 拳銃を構える。そして、走り出す準備をする。そして、走り出すと見せかけてまた戻る。しかし、攻撃は飛んでこなかった。今井の呆れた声が響く。
「あのさ。ここまで来てそれはないでしょ。正々堂々やりあおうよ」
 流石に引っかからないか、と肩をすくめる。戦闘禁止エリアから出てすぐに戻れば、今井の攻撃をエリア内に対する攻撃とみなしてくれるかと思ったのだが。どうやらそういうせこい手は通用しないらしい。
「仕方ない」
 今井の言う通り、正々堂々の勝負と行こう。そう思った時、苦しげな声が聞こえた。遅れて何かが床に落ちる音が続く。
「がっ……は」
 何が起きた。俺は咄嗟に角に隠れた。愉快そうな今井の声がとぎれとぎれに聞こえる。何か湿ったような音を伴って。
「っは、ひどいね。不意打ちなんて、まったく、僕もやってたけど」
 どうやら向こう側から奇襲を受けたらしい。これは朗報だ。今井が少なくとも重傷を負った。ならしばらく俺たちへの追撃もやむだろう。俺が体を張る必要もない。
 しかし襲撃者は誰だ? 発砲音は聞こえなかった。もし銃撃によるものなら、さっきのライフル持ちのハンターの可能性が高い。
「あーあ、困っちゃったね、お姉さん。僕が死んだら、お姉さんも死ぬよ」
「な、何言ってるのよ。あなた死なないでしょ? ねえ!」
「いや、さ。これが、割と、やばいん、だよね。このままだと、たぶん死ぬよ、僕」
 二人の会話の中、襲撃者は攻撃をやめたらしかった。確かに今井が死ねば津久田も連鎖的に死ぬ。それは俺としても好都合ではあるのだが、道連れにとこちらに襲いかかってくる可能性もある。その会話を聞き漏らすまいと耳を澄ます。
「ど、どうすればいいの。私手当なんてできないわよ」
「たぶん、手当したって、無駄だと、思うけどね。ほら、血が、さ。致命傷だよ……これ」
「嫌よ、私、こんなところで死にたくない」
「僕も……死にたくは、ないけどね……。いや、ほんと、馬鹿みたいだ」
 声が弱弱しくなっていく。
「ごめんね、お姉さん。ちょっと……しくじっちゃった。嫌がってたのに、無理矢理従わせちゃったよね。お姉さんも巻き添えか。でも、僕だって……必死でさ。ネトゲでも、僕は結構死んじゃってさ、生き返って、やり返してたんだけどさ。あー、これが……ネトゲだったらなあ……」
 今井の声が途切れた、その時だった。

――ピー、ピー、ピー。

「……なんでだよ」
 俺は信じられない思いで自分の腕時計を見つめていた。その画面が、赤く光っていた。
 失格? どうしてだ、何があった。今回は今井との距離は十メートルだ。そこに介在するものは――
 その時、ふと俺は妙なものを見た。通路に設けられた時計が、赤い光を放っていた。それが何を意味するのか、俺はよくわからなかった。
腕時計から、毒が注入される。もうろうとする意識の中で、俺はやっぱり沙耶に謝っていた。時間が引き伸ばされたように静かな世界に、俺の身体が倒れる音が響く。ああ、結局俺は今回の沙耶を助けられない。きっと、この次も。でも助ける。絶対に。絶対に――

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE3)

TAKE3


 中学生一年生のある日の話だ。いつも沙耶は俺と一緒に登下校していたが、その日に限っては待ち合わせ場所に来なかった。沙耶はいつも早く来て俺を待ちながら文庫本を読んでいるくらいで、遅れるようなことはほとんどなかった。沙耶が寝坊するなんて珍しいと思いながら、ぎりぎりまで待っても来なかったのでメールだけして俺は先に学校に行った。
 思えば、沙耶は病欠の時はいつだって俺にメールをよこした。また、俺がメールを送るといつだって生真面目に返信をくれた。俺の方が申し訳なくなってどうでもいいことでメールをしなくなるほどに。その時点で気づくべきだったのだ。沙耶が返信できないような状況にあることに。
 沙耶のいない登校をクラスメイトに見られ、やれ振られただの独り身万歳だの、お前が振られても気にするなおかげで俺にもようやく彼女ができただの、わけのわからない茶化され方をして席に着き、SHRで沙耶の状態を聞いた。
沙耶は前日の帰り道に暴漢に襲われたという。その後犯人は口封じのためか、それとも暴れられたためか腹部を刺して逃走。意識不明の重体だというのだ。それを聞いた瞬間、俺は立ち上がっていた。がたん、と椅子が倒れる音を俺は他人事のように聞いていた。
 担任は驚き、クラスメイトに至ってはそもそも状況を呑み込めていないような顔で俺の方を見ていた。俺だって状況は呑み込めていなかった。ただ、この仮想現実を抜け出さねばならないこと、それだけはわかった。
「……体調不良のため早退します」それだけ言い残して、鞄も持たずに教室を飛び出した。廊下で誰かが呼び止める声が聞こえたような気がするが、そんなことに構っている余裕はなかった。とにかくひたすら、自分を責めながら走った。
 いつも俺たちは一緒に帰っていたけれども、朝の待ち合わせ場所のところで別れて、そこからは別々に帰っていた。それほど距離もなかったし、沙耶がそこまでは、と断っていたからだ。もしも普段から沙耶を家まで送っていたら。そうしたら、少なくともこんな目に合わなくて済んだだろう。俺が囮になって沙耶を逃がしたなら、たとえ俺が死んだとしても沙耶は無事だったはずだ。沙耶が孤独に蹂躙されることもなく、揚句刺されてその場に放置されるようなこともなかった。俺のせいだ。俺がきちんと守っていたなら、沙耶は助かったのに。
 コンビニで新聞を漁る。そこで、凶悪事件の一つとして沙耶の事件があった。犯人は早朝、検問にかかったらしい。大学生の男四人。彼らは同じバイト先の友人で、その日一斉に給料が下げられてイラついていたらしい。そこにちょうど容姿のいい女子学生が通りがかったので、つい襲ってしまったという。ふざけるな、と俺は思った。そんなことで正当化できるものか。沙耶の心と体を踏みにじったことを、そんな程度の理由で正当化できるものか。そもそもいつもナイフを持ち歩いている時点でまっとうな人間じゃないだろう、と。
 とにかく、と俺は舌を噛みきった。沙耶が入院した病院には行こうとも思わなかった。沙耶の現状を認めたくなかったのかもしれない。沙耶を見捨てていく自分に嫌気がさしながら、俺はその仮想現実を離脱した。
 その時、幸運だったのは俺がその前日の朝からずっと仮想現実の中にいたことだった。たまにそういう時がある。たいていは一日ごとに抜け出すのだが、部活で疲れた時なんかはよくそれを忘れて次の日まで過ごしてしまう。その時はそのまま二日分を過ごすので、よく曜日感覚が狂っていたが、その時ばかりはそのことに感謝した。
 戻った俺は、放課後までいつも通りに過ごした。それから、帰りに俺はこんなことを言った。「俺の家に遊びに来ないか」時間と、帰り道をずらすためのものだった。沙耶は少し首をかしげながらも「変なことしないならいいけど」と冗談めかして頷いた。
 俺の部屋で、しばらく俺と沙耶は生徒会の仕事についてあれこれ話していた。沙耶は生徒会の書記をしていて、会長の無能っぷりや会議の進まなさを愚痴っていた。その時の沙耶はみるみる女らしくなっていく最中だった。そんな少女が見せる安心しきった無防備な姿に、全然変なことされるなんて考えてもいないじゃないか、と胸の鼓動を抑えながら、目を微妙に逸らした。それから別にいいと断る沙耶を押し切って彼女の家まで送った。その最中、少しだけ悲鳴のようなものが聞こえたような気がしたが、沙耶が話に夢中で気づいていないのをいいことに、それを無視した。
 次の日、沙耶は無事に待ち合わせ場所に来た。学校に行くと、事件は暴行および傷害事件から単なる暴行事件になっていて、被害者はもちろん沙耶ではなかった。代わりに前回彼女ができたと自慢してきた奴の顔が蒼白になっていた。それを見ながら俺は、被害者が刺されていないのは沙耶のように気が強くなく、暴れるようなことがなかったからだろうな、と冷静に俯瞰していた。もちろん申し訳なさもあったが、そんなものは沙耶を守れたことの前では大したことではなかった。
 俺は結局その時も、それ以上何かを変えるようなことはしなかった。俺は沙耶さえいれば後はどうでもいいんだな、と特に疑いもなくそう思った。時間は毒だと、俺は思った。それはどんな毒物よりも強力に、どんな兵器よりも確実に、全ての命を奪っていく。肉体的にも、精神的にも。そして俺の場合、体よりも心の毒の回りの方が圧倒的に早いのだ。



「……ん」
 意識が覚醒した。だんだんと重くなる頭を起こしながら、俺は考える。前回のゲーム、どうして俺が失格になったのか。質疑応答には行った方が今井への牽制になるらしいことはわかった。そしてハンターの存在。そうでなくても痛い頭がさらに痛くなる。
「やっぱり、沙耶に協力してもらうしかないか」
 沙耶は俺よりも頭の回転が速い。彼女ならあるいは、突破口を見つけてくれるかもしれない。
「……でも、それは」
 それは、この沙耶に対する死刑宣告にも等しい。俺はさんざん迷って、ついに打ち明けることを決心した。今回だけだ。今回だけ、沙耶の力を借りよう。
「なっ……なんなのよ、これは!」
 廊下からお決まりの声が聞こえる。
「行かなきゃな。このまま、先延ばしし続けることはできないんだから」
 腰を上げる。今回は演技の必要すらない。重い頭をぶら下げて、緊張した面持ちのままで、俺は隣の部屋に向かったのだった。


 沙耶は現状を十分で把握した。このゲームの内容、ルール、自分のクリア条件、特殊機能など。その上で気に入らない、とばかりに鼻息を荒くした。
「話を整理すると。私たちはさらわれてこの建物に連れてこられた。そして何やら得体のしれないゲームに参加させられようとしている。……いや、もうすでに参加させられているのかもしれないわね。まったく、不愉快な話だこと」
 そこに俺は口を挟もうとして、どう切り出すべきか迷った。いきなりこんなことを説明したとして相手をしてくれるかどうか。頭痛であまり集中できず、いい考えが思い浮かばない。少し躊躇したが、時間もない。仕方なく直球は避けた。
「沙耶、例えばの話なんだけど」
「何よ、藪から棒に。こんな状況で?」
 まだ不機嫌らしい沙耶に、俺は真剣な目で訴えた。
「そうだ」
 沙耶は驚いた様子で俺の目を見た。そこから何かを読み取ったようで、呆れたように肩をすくめた。
「……まあ、いいわ。何していいかもわからないし、とりあえず聞いてあげる」
 それに感謝しつつ、俺は口火を切る。
「例えば、俺に超能力があったとして」
「あんた何言ってんの?」
 首をかしげる沙耶。とりあえず聞いてくれ、と無理矢理納得させる。
「俺に超能力があったとして。その能力は予知能力。と言ってもよくあるような未来予知とは毛色が違って、その未来を疑似体験できるんだ、予行演習みたいに。行動を変えることで違う未来を見ることもできる。その代わり、起こること全てを完全に予知しきれないこともある。その能力を使って、このゲームを俺はすでに体験しているとしたら?」
 沙耶は笑わずに考える。そして、言葉を選ぶように口を開いた。
「……突拍子もないことを言った割には、設定は凝ってるのね。それで、結局彰一は何を私に聞きたいの?」
「沙耶の意見を聞きたいんだ。もう二回失敗してる。だから、俺たちが生存するためにはどうすればいいか、一緒に考えて欲しいんだ」
 しばらく沙耶は値踏みするように沈黙した。そして、一つ息をついて答えた。
「ちょうどいい思考実験ね。考えることが欲しかったところよ」
 ああ、そういえば沙耶はこの時不安から考えることに没頭したがっていたのだった。俺はそれを思い出し、さらにはそれを利用する形になってしまったことを心から申し訳なく思った。
「それで?」
 沙耶が少し不満そうに聞く。それで、とはどういうことだろう。俺が首をかしげていると、沙耶は声を上げた。
「だから、それで? もっと情報はないの? それだけで考えて欲しいって言われても無理よ」
 ああ、この沙耶は今までのことを知らないのだ。その当たり前のことに気づいて、俺はかいつまんで現状を説明した。そこから十五分程度しかかからずに、沙耶は現状を正しく理解した。改めて格が違う、と思う。彼女の頭脳はこんな異常時にも対応できている。いや、こんな異常時だからこそ頭を無理に働かせているのか。
 それを聞いて、沙耶は少しの間考え込んでいたが、ふと気づいたように口を開いた。
「ねえ、二回目の失格の時の話を詳しく聞きたいんだけど。一回目のことはわかるけど、二回目はどうして失格になったわけ?」
 その時、PDがメールの着信を告げた。沙耶が諮る様な目線をこちらに向けてくる。
「……運営からだ。質疑応答の場をセッティングしたから集まれってメール。行こう」
 沙耶の手を取って立ち上がると、沙耶が首をかしげた。
「ねえ、どうして見もしないでそんなことがわかるの?」
「さっき言ったろ。俺はもう二回経験してるんだよ」
 冗談めかしてそう答えると、俺は部屋を出た。質疑応答には行かなければいけない。今井の行動を抑制するためには必要不可欠なのだ。


 エリア十四の階段を上りながら俺は二回目の失格の時の状況を話していた。沙耶は納得いかなそうに腕を組む。
「やっぱり、おかしいわ。どうしてその状況で彰一が失格になるわけ?」
「俺も正直よくわからないんだ。何か俺たちが気づいていない、知らない何かがあるんだ。何か」
 沙耶はその間ずっとPDを見つめていた。そして、ふと気づいたように俺に聞いた。
「ねえ、この時計って」
 沙耶が指差したのは備えつけの時計。階段にもあったらしい。律儀なことだ、と俺は肩をすくめる。そのまま目を逸らすと、壁についた銃痕のような傷が目についた。
「ああ、そこらじゅうに設置されてるよ。大方時計を外したプレイヤー用なんだろうけど。そいつらのPDがもし壊れても時間が見られるようにとか」
「でも、腕時計を外したら腕時計は壊れるの? 私はそうは思えないんだけど」
 確かに、と俺は階段を下り終えて立ち止まる。それはどうなんだろう。質疑応答で聞く必要があるか。沙耶はまだ考え込んでいる。
「もし、そういうわけじゃなかったら、この時計には違った役割があるってことよね。腕時計をつけていない何者かがいる可能性、それから――」
「それから?」
 沙耶は少しの間沈黙した。それから息を吐いて何か断念するように答えた。
「いや、それは別にいいわ。どうせすぐにわかることだもの。とにかく先を急ぎましょ」
 沙耶に後押しされ、俺は罠のないところを選んで進んだ。言われてみると、進めど進めど時計が姿を現した。どれくらいの間隔で設置されているのだろうか。過剰なくらいだ。
 それに何か役割が与えられているとすれば。俺はふと思いついた考えに戦慄した。沙耶を振り返る。沙耶はまだPDを見つめて何やら考え込んでいるようだった。もしもこの想像が本当なら。それはひたすらに意地悪なゲーム設定だ。


 質疑応答が行われる一室で、俺たちは四人のプレイヤーと出会う。そのやり取りは一度目の時と同じで、俺はそれをただ眺めていた。
 しばらくして、機械的な音声が流れだした。
『ザザ――皆様、お待たせいたしました』
「どこや、どこにおるんや」
 榎並がぐるぐると視線を巡らせる。津久田はただ怯えており、牧瀬は冷静に耳を澄ませている。俺はただ部屋の片隅を指差して一言言った。
「あそこだ。あのスピーカー」
「なんやと、スピーカー?」
 榎並がいち早く反応する。少し驚いた様子の今井に俺は横目で笑いかけた。それに気づいたらしく、今井は挑戦的な目をこちらに向けた。
『――スピーカーからお答えさせていただきますことを、先にお詫び申し上げます。私どもはそのフィールド内にはおりませんので、実際に姿を現してお答えすることはできません』
 全員がスピーカーの前に集まる。それから一回目と同じような問答が繰り返された。今井の質問の後、俺は沙耶のクリア条件の詳細を聞く代わりにこう聞いてみた。
「今回のゲームに参加しているメンバーは作為的に選ばれたものか?」
『いえ、今回のプレイヤーに関しましては無作為に選別されたものであり――』
 何かを読み上げるように答えようとした運営の男の声を遮る。
「質問が悪かったか。訂正する。俺と沙耶――高倉沙耶花はその無作為の中に入っているのか?」
 運営の男は言葉に詰まった。そしてしばらくして少しおかしそうに答えた。
「いいでしょう、お答えします。きっとあなたはそれを理解しているのでしょうから。今回のプレイヤー、ハンター以外にあなた方二人も我々が作為的に選別しました。どういうことか、わかりますか?」
 俺の存在を含めてのルール設定であるらしい。他の全員が意味がわからないという顔をしていたが、今はどうでもいい。
だが、わからない。奴らの意図がわからない。俺の能力を知ってなおプレイヤーに選別するのだろうか。運営からすれば俺の存在は扱いにくいだけだろうに。またぞろ湧き上がってきた漠然とした疑問は、しかしこの場で聞くにはおぼろげすぎた。
「……いいだろう、それは置いといてやる。それじゃ、次の質問だ。腕時計を正規の方法で外した場合、この腕時計は動かなくなるのか?」
 少しの間、運営は黙り込んだ。それから、微妙に楽しそうな声で答えた。
『いいえ。腕時計は外されても止まることはありません。また、作動することはなくなりますが、外された腕時計に過度の衝撃を与えた場合はそれを与えたプレイヤーにペナルティが課せられます』
 なるほど、やはりあの時計には個別の役割があるらしい。沙耶がその質問を引き継ぐ。
「それに関連して質問なんだけど、ルールの中に『腕時計』と書かれてる部分と、単に『時計』としか書かれていない部分があるんだけど。これは不具合なの?」
 運営がまた言葉に詰まる。
『……我々にはそれが不具合ではないということしか申し上げられません』
「ふうん。それだけわかればいいわ。じゃあ次、運営がこのゲームに直接干渉してくることはあるの?」
『基本的にはございません。ただし、ゲームの進行や存在意義に差し障るような事態になりましたら、我々はその要因を全力で排除いたします』
「なるほど。次、腕時計の破壊がクリア条件に――」
 そこからは一回目と全く同じように進行した。それが、偶然に期待することはできないことを再確認させる。どうにかして必然の勝利を掴まなければならないのだ。
 できる限り俺も一回目と同じようにふるまった。ここで無駄に行動を変えて変な影響を出したくない。やがて運営がこの場を締めた。
『それでは、質疑応答に関しましてはこれで終了とさせていただきます。皆様、貴重な時間を取らせましたことをお詫び申し上げます。現在ゲーム開始から三時間三十分が経過しております。ここで皆様が知ったことを、ゲーム内でのアドバンテージにしていただきたく存じます。それでは』
 ぶつ、と切断するような音がしてそれっきりスピーカーは何も言わなくなった。


 その後榎並が今後の話を持ち出し、今井が憎まれ口のような正論を吐いて一番のプレイヤーをあぶりだそうとする。その間に、沙耶が耳打ちしてきた。まだ少し死体のショックが残っているらしく、声が震えている。
「それで、これからどうするの」
「どうするかな。このままだと全滅だ」
「彰一も気づいた?」
「いや、あんな質問されれば流石に気づくさ。きっと今井も気づいただろうし。だから今回は下手にちょっかいは出してこないはずだ」
 沙耶がひときわ低い声で言う。
「4番のプレイヤーのクリア条件は『プレイヤー全員の生存』。だから誰か一人でも死者が出れば達成不可能になって失格になる。そして備えつけの時計にそれが伝播していく。連鎖作動の項目には『時計』としか書かれていないから」
「そこで備えつけの時計がどれだけの間隔で設置されているのかが問題なんだが……どうせ五メートルおきには設置されてるよな。あれだけ見るんだから」
「そうなると、誰か一人でも失格したら全員が失格になる。ひどい条件設定ね」
「いくら俺が繰り返せるからってこれじゃあな。クリア不可能みたいなものじゃないか」
 そこで、沙耶がポツリとつぶやく。
「そうね。――たとえ話だけど」
 あ、と俺は口を押さえた。すっかり沙耶が事情を把握してくれたものとして話を進めていた。確かに沙耶は「たとえ話」として俺の現状を把握してくれていたけれど、沙耶にとってはそれは現実でもなんでもない。真剣に考えるほどのことでもないわけだ。俺は慌てて取り繕う。
「ああ、そうだな。たとえ話のことだから今は関係ないか」
 ふう、と呆れたように息を吐いて沙耶は俺を睨む。
「あのさあ、もう少ししっかりしてくれない? ただでさえこんな状況なわけだし」
 その時、今井が部屋を出て行った。
「なんや、あいつ……」
 榎並が憤慨する。俺は残った四人に向かって言った。
「とにかく、今井の言ったことももっともだ。俺たちは最低でも次のことはやり遂げなきゃならない。自分の身を守ること。食料を探すこと。クリア条件を満たすこと」
 沙耶が一回目と同じように後を引き継ぐ。
「まず、食料を探すことね。少なくとも水は。人は水だけで七日は生きていける。ただ、こういう状況では――」


 俺はまず二階で探索を始めることを提案した。出入り口を確認しに行くという最初の提案は却下した。そうしても何の成果も得られないことが俺にはわかっていたからだ。しかしそうでなくともあまり実りのない行動であることは全員薄々気づいていたのかその却下には不満は上がらなかった。
 その道中、まだ津久田がグループ内にいるうちに榎並を津久田に絡ませておいて、俺と沙耶は小声で相談していた。
「まずはどこに行くの?」
「エリア十九。そこに何かありそうな気がするんだ」
 そんな適当な理由に、沙耶は口を出さなかった。
「その後は?」
「あまり考えてない。正直どうしたらいいのかわからないんだ」
 すると、沙耶はこんなことを言い出した。
「残りのプレイヤーに会った方がいいと思うの。彰一の言う蒲生と古谷って人たちに」
「……え?」
「今はまず全員のプレイヤーナンバーを探ることが肝心でしょ? ならきっと一番探りやすい人がいるはずなの。この7番のプレイヤー」
 俺はそれに促されてPDを取り出す。7番のクリア条件は「時計三つの破壊」だった。しかし時計というのは腕時計だけでなく備えつけの時計のことも指すから――
「ああ、そうか。皆が集まった時に時計を三つ壊せばいいのか。備えつけの時計に物理衝撃を与えることはペナルティ対象じゃない」
「そういうこと。あの今井って人とこれから抜ける津久田って人は1番と2番なわけでしょ? そして、プレイヤーナンバー3ももうわかってる。なら残りの四人の中の誰かが7番のプレイヤーなわけ」
 そして、思い出したようにつけ加える。
「……たとえ話ではあるけど」
 俺はそれに曖昧な笑みを返すしかなかった。さらには俺には沙耶の案に従うほか選択肢はないわけだ。なぜか沙耶に踊らされているように感じた。
「でも今は探索の方が大事だ。武器は手に入れておきたい」
 了解、と沙耶が言った時、ちょうど榎並のターゲットがこちらに移ってきた。


 例によって津久田がグループを抜けた後、探索は意外と順調に進んだ。その最中も榎並はしつこく沙耶に絡んできたが、時折「こっちいこか」とグループを先導した。それが功を奏したのか、一度も罠にかからなかったのだ。俺が以前にかかった罠はたったの二つ。おそらくこのあたりにはもっと多くの罠が仕掛けられているはずなのだ。あの運営がこれだけで許すはずがない。しかしそれら全てにかからなかったのは流石に全くの偶然とは思えなかった。今も先導するように先頭に立って歩いている。「MAP」を確認しているらしく、ずっとPDを見つめたままだ。
 そうこうしているうちに俺たちは例の部屋に来ていた。拳銃の配置された部屋である。俺は必死に俺が拳銃を持っても違和感のない言い訳を考えていた。おそらくそのまま行けば四人の中で一番体格のいい牧瀬が持つことになるだろう。何しろ射撃には体格はある程度重要らしいからだ。榎並も欲しがるかもしれない。だが、それではだめだ。この集団を維持するため、俺が全員をまとめ上げる存在でいなければならない。そうでなければまた一回目のように分裂せざるを得なくなる。俺が銃を持つようになるための言い訳。それを考えながら扉を開けると、牧瀬が声を上げた。
「なあ、あの段ボール少し新しく見えないか?」
 牧瀬の言う通り、そこには真新しい段ボールが置かれている。以前と同じように。
「僕が開けようか」
 牧瀬が前に出る。それを俺は制した。
「待て、俺が開ける」
 銃を持っている人間から銃を奪うのは簡単ではないが、逆に一度持ってしまえばそのままなし崩し的に持ち歩くことになる可能性もある。罠がないことがわかっている俺は無造作にその段ボールを開けた。そして、すぐにその中の拳銃を取り出す。
「こんなものがあった。これは……拳銃か」
 自分でも白々しいと思う演技をする。榎並が興奮した様子でこちらに寄ってくる。
「おお! すごいやないか。それ、本物か?」
 俺はそれをさりげなく自分の背後に隠して答える。
「たぶん、本物だと思う。実銃、触ったことあるんだ」
 嘘はついてない。この自分は触っていないかもしれないが、前の疑似体験では確かに触り、何発も撃っていた。俺の言葉に沙耶も含め三人は驚いた。
「もしかして、撃ったこともあるのか?」
 牧瀬が聞いてくる。俺は頷いた。その勢いのまま今思いついたでたらめをまくし立てる。
「俺、親が海外にいてさ。あっちのインストラクターに一か月射撃訓練を受けたんだよ。あんまり上達はしなかったけど、それでも素人よりは扱える。な、沙耶」
 俺は助けを求めるように沙耶に話を振った。無茶振りだったにもかかわらず、沙耶はよどみなく答えてくれた。
「ええ、高校一年生の頃の夏休みね。いきなり海外に行くっていうから何かと思ったわ」
 その回答は俺のでたらめの信憑性をいくらか増したらしかった。いたずらに銃口を榎並に向けてみる。案の定、榎並は目に見えて狼狽した。
「な、何やっとんのや。間違って引き金が引かさったらどないすんねん」
「大丈夫だよ、安全装置がついてる」
 俺がそれを見せてやると、大げさなほどに榎並は安堵した。
「なんや、脅かすなや……でもま、ほんなら来栖君に持ってもらおか。わしら素人よか使えるみたいやしな。道具は使える人が持つもんや」
 意外にも聞き分けがいい榎並に、牧瀬はどうにも釈然としないらしい。まさかばれたか、と肝を冷やしたが、すぐに牧瀬は肩をすくめた。
「まあ、そうですね。僕たち素人が持つよりはいいですよね」
 内心で冷や汗をぬぐった。これでしばらくこの集団の維持ができそうだ。沙耶がそっと耳打ちする。
「乱用しちゃだめよ」
「わかってるよ。本当に必要な時しか使わない」
 それで満足したように、よかったわねとつぶやいて、沙耶は他の支給品の確認を始めた。
「水が一本だけね。これじゃ四人で飲むのにも足りない」
「わしは皆で回し飲みでもええんやけど」
「頭吹っ飛ばすぞこのおっさん」
 俺が凄むと、榎並は冗談や、と怯えながら引き下がった。もちろん必要があれば回し飲みでもなんでもしなければならないが、このタイミングで動き出す奴は少ない。きちんと動けばそんな必要はないだろう。沙耶に精神的な負担を背負わせるわけにはいかない。
「来栖君、あまりそういうことは言わない方がいい。この状況じゃ皆本気にしてしまうから」
 牧瀬がたしなめる。俺もそこまで銃の威力をひけらかすつもりはない。
「わかってるよ。俺だって争いの種は増やしたくないさ」
 俺が頷くと、牧瀬は安心したようだった。
「さ、先を急ごか。時間は待ってくれへんしな」
 榎並が先を行き、牧瀬がそれに続く。俺が部屋の外に出ようとした時、沙耶が耳打ちしてきた。
「ねえ、牧瀬さん、ちょっとおかしくない?」
「おかしい? どこが?」
「だって、今まであのエロオヤジの行動に口を出さなかったじゃない?」
考えてみれば、そうだ。牧瀬はいつも日和見を貫いていた。今井と榎並の争いもちょっと口を出す程度で本気で止めようとしていたようには見えなかったし、榎並のセクハラも半ば容認していた。にもかかわらず今の牧瀬の言葉は厳しいものだった。
「おーい、来栖君、沙耶花ちゃん、はよ」
 榎並が呼ぶ。仕方なく俺たちは会話を中断して歩き出した。時計はゲーム開始後四時間三十七分を示していた。


 次に向かうのは二階エリア十八。リュックサックと食料がある部屋に行き、それらとチップを回収する。罠にかからず順調に行ったこともあって、それらを見つけた時点でまだ十三分しか経っていなかった。
「これから、どうしようか? この量じゃ四人で食べるには足りないと思うんだけど」
 牧瀬が口を開いた。俺はそこで少し考える。とにかく今欲しいのは食料だ。となると一番手っ取り早いのは一階エリア十五に行くこと。あそこには四人が食べてもなお余る量の食糧が貯蔵されていた。これからも四人で行動するのであれば、それくらいの量は必要になるだろう。しかし、どちらかというと俺は二階エリア四へと行くのを提案したかった。それまでの間でも十分な量の食糧は確保できたし、さらにいくつか役に立つものも手に入ったからだ。チップも一枚見つけていた。不確実かつ危険な場所を捜索するよりは確実に攻めていきたかったのだ。
「俺は、上の方のエリアを捜索してみたい。いくら運営でも往来の少ない端の方のエリアに多く食料を置くとは考えにくい。あっちだって俺たちに飢え死にされるのは本意ではないだろう。だから次は一桁ナンバーのエリアを捜索してみたほうがいいと思うんだ」
 憶測ではあるが、それなりにもっともらしい言葉を投げかけてみた。榎並はそれに従った。どうやら力のある者にはへつらう性格らしい。牧瀬はあまり納得しているようではなかったが、それでもその日和見が発揮されたのか頷いてくれた。沙耶は何を察しているのか、二つ返事で乗ってくれた。
「それで、どういうルートを通るの? ここからだと来た道を戻ってエリア十四を通るルート、このままエリア十三を通って上に向かうルート、まずエリア十七に行ってエリア十二経由で上に向かうルートの三つがあるけど」
「俺は来た道を戻るルートを推したい。それが一番安全だし、最速で上に行ける」
 間違ってもエリア十三を通るルートは選択したくなかった。あの罠に引っかかってチップを無駄遣いする羽目になるからだ。しかし牧瀬が異論を挟む。
「最速、というとむしろエリア十三を通った方がいいと思うけど」
 そこに、榎並が反論した。
「いや、ここは来栖君の意見に従うべきや。罠があるかも知らんとこを通るよりは、少し遠回りでも安全な道を通る方がええんとちゃうか」
 牧瀬は観念したように首を縦に振る。
「わかったよ、来た道を戻ろう」
 どうにも牧瀬は俺を怪しんでいるらしい。沙耶も薄々気がついてはいるのだろう。俺が何か隠していることに気づいていないのは榎並くらいか。もう少し言動を控えた方がいいか。次はそうしよう、と俺は心に決めた。


 リュックサックは沙耶に持たせつつ、俺たちはエリア九を探索していた。見つけたものは前回と同じ、食料とマッチ、手錠とかんしゃく玉と料理油。今の段階では貴重な可燃物だ。何はともあれ食料を手に入れた俺たちは、小部屋でゲーム開始初めての食事をしていた。
「かったいなあ、こんなんどうやって食うんや」
「ほら、水でふやかして食べるんですよ」
「この固形食糧、味気ないわねえ。カロリーメイトくらいおいしくできないのかしら」
 各々食事に対するコメントを言う中、俺は黙々とドライフルーツを貪っていた。
 そういえば、この手錠は一回目に蒲生が使っていたものと同じものだろうか。眺めてみると、確かにこんなような形だった気がする。丁寧に鍵もついている。鍵の形を考えても、同一のものの可能性が高い。となると、彼らはあれ以前にこのあたりに来ていたということになる。
「……待てよ」
 思い出す。三階エリア十九付近で蒲生たちと会ったのは確かゲーム開始七時間ほどだったはずだ。エリア四でチップが手に入る。彼らはそのチップを使ってあそこまで来たのではないか? 罠を警戒しながら一エリアを進むのに大体三十分かかったから、それと同じように進んできたと考えると、エリア九あたりで使ったことになるだろう。その時間は、おそらく戦闘禁止エリアが変更されてすぐ、ゲーム開始六時間後だ。
 はっとして腕時計を見る。ゲーム開始から、五時間五十六分。
それと時を同じくして、足音のようなものが聞こえだした。
「皆、耳を澄ませ」
 それまで口々に喋っていた三人も口を閉じ、食事を中断する。足音が近づいてくるのがはっきりと聞こえる。俺はポケットから拳銃を引き抜き、扉に向けた。安全装置を外す。あいつははったりが効くような奴じゃない。いざという時には本当に撃てるように用意しておかなければならない。
「蒲生君、大丈夫かい?」
「古谷よお、俺があんなので死ぬたまに見えるか?」
「……見えないけど」
「大体、罠なんて作動音が聞こえてバレバレなんだよ。咄嗟に反応さえできれば何も怖くない。本当に怖いのは――」
 がちゃり、部屋の扉に手がかけられた。俺はそれが開けられた瞬間に叫んだ。
「動くな!」
「――ほらな。本当に怖いのは、人間だよ」
 落ち着き払った様子で、蒲生は肩をすくめた。古谷がひっと悲鳴を上げる。
「よう、どうやら同業者らしいな。その拳銃はなんだ? お手製モデルガンか?」
 両手を上げつつもふてぶてしい態度はそのままに蒲生は言った。俺はそれに冷静に答える。
「実銃だ」
「へえ、なるほどねえ。お前もここで拾ったわけか。もしそれが本当なら、一発撃ってみてくれよ」
「それはいいが、このまま撃ってもいいのか?」
「へっ、勘弁してくれよ」
 まったく動じていない蒲生に、俺は仕方なく狙いを外して撃って見せた。その顔が驚きに変わる。
「……へえ、たまげた。マジで本物かよ」
 古谷が蒲生の背に隠れながら口を開く。どうやら歯の根が合わないらしい。
「が、蒲生君、ど、どうするんだ」
「お前に引っつかれてるせいでどうもできねえよ、くそったれ」
 蒲生は背後の古谷を怒鳴りつけると、肩をすくめて向き直った。
「……とまあそういうわけで、撃たないでもらいたいんだがね」
 ふと、この場を収める策を思いついた。このタイミングで遭遇できたのは僥倖だ。一時間早く行動を起こせるのだから。
「交換条件だ」
「ああ? 何と何を交換するってんだ」
「俺の要求と、お前らの命だ」
 背後の古谷が喚きだす。
「わかった、わかったから。殺さないで」
「だー、てめえは黙ってろよ。ただでさえ安全なポジション取ってやがんだから」
 蒲生が怒鳴ると、古谷はまた沈黙した。
「条件によるな。いくらなんでも結局生き残れないような条件は願い下げなんでね」
「簡単だ。俺たちと一緒にクリアを目指す。俺たちのチームに入れ、と言ってるわけだ」
 ぽかん、と蒲生は目を丸くした。それから笑い出す。
「はは、こいつはいいや。俺たちを捕虜にしようってか?」
「いや、条件が競合していない限り全員の生存を目指す。構成員に優劣はない」
 それを聞いて、さらにおかしそうに笑いだす蒲生。
「あっはっは。こいつは傑作だ。そんなゆるい関係でこのゲームを生き残れるとでも思ってんのか? 断言してやるよ。絶対無理だ。そもそもだ、お前らはクリア条件の交換とか終わってんのかよ」
 俺は首を振る。
「だろうなあ。この状況でそんなことべらべら喋りだす奴なんかいねえよなあ。クリア条件ってのは、俺たちの心臓と変わんねえ。そんな大事なもん、差し出せって方が無理な相談だ」
「それでも、やらなきゃいけないの」
 沙耶が引き継ぐ。蒲生の顔が目に見えて緩む。
「ん、あんた、えらい上玉だなあ」
「そんなことどうでもいい。私たちは誰一人失格になっちゃいけないの。だから、全員が団結しなければならない」
「なんだ、それはいったいどういうことだ」
 沙耶は、それまでに俺たちが考えていたことをその場の全員に話した。ルール上の「時計」と「腕時計」の区別があるらしいこと、もしそうなら一人が脱落した時点で全員が失格になる可能性があることを四人に伝えると、四人は愕然とした顔で沙耶を見た。そのショックからいち早く立ち直ったのはやはり蒲生だった。
「――ははっ、何だよそりゃ。お前らの妄想じゃねえのか?」
「運営に確認したわ。『時計』と『腕時計』の違いは不具合ではない。意図的に書き分けられている可能性が高いわ」
「だがそれをどうやって確認する? その確証がないと、俺はお前らを信用できねえな。大体、お仲間さんも驚いてんじゃねえか。約一名を除いて」
 蒲生が俺を睨む。榎並がそれに反応して喚く。
「そ、そうや。なんであんただけ驚かんのや。いや、それよりもや。本当なんか。今沙耶花ちゃんが言ったことは本当なんか」
「確証はない。だから、それを確かめなきゃならない」
「確かめる? はっ、どうやって。一回皆で死んでみようってか。御免こうむるね」
 蒲生は納得しない。牧瀬も訝しげな眼で俺たちを見ている。実演しなければいけない。俺は理解した。このままでは四人全員を敵に回す。しかし実演しようにも、それで全員が納得しなければいけない。その説明に、それほど口が達者でない俺は不適切だ。
「沙耶、任せていいか」
 半歩前に進み出ていた沙耶に言うと、沙耶は振り返って笑ってみせた。
「まず、ここに六人のプレイヤーが集まっているわ。そして、この中に3番のプレイヤーは絶対にいない。そうでないと私たちは全員死んでいないとおかしいわけだから。そして、9番のプレイヤーと1、2番のプレイヤーは敵対関係になるよう仕組まれている。だからその中の一人はここにいない。そうなると、ここにいる六人のプレイヤーの中に7番のプレイヤーがいる可能性はかなり高いわけ。もちろんハンターがここに紛れ込んでいる可能性もないとは言えないけど」
 説得のための方便に沙耶は少しだけ苦々しい表情を浮かべたが、誰もそれには気づかなかったらしい。
「それが、何だっていうんだよ」
 蒲生が両手を上げたまま首をかしげる。その背後で古谷が声を上げる。
「……まさか、君たちは備えつけの時計を壊そうっていうのか?」
「は? それが今の話とどう関係あるんや」
 榎並がぽかんと口を開ける。その隣で牧瀬がなるほど、とつぶやく。沙耶が頷いて答える。
「もしここに7番のプレイヤーがいて、『時計』と『腕時計』との間に明確な区別があるのなら、そこらじゅうに設置されている時計を壊すことでも7番のプレイヤーのクリア条件は達成できるはず。そして、達成したらそれを私たちは知ることができる。それは何よりも私たちの言っていることの証明になるはずよ」
「もしこの中に7番のプレイヤーがいなかったら?」
 蒲生の挑戦的な問いかけに、沙耶は顔をしかめる。
「その時はその時よ。その場合、この中に7番のプレイヤーがいないことだけはわかるわ」
 古谷が蒲生の後ろから弱弱しい声を出す。
「こ、ここは従おうよ、蒲生君。従わないメリットはないけど、従えば少なくとも7番のプレイヤーの有無くらいはわかるよ」
 けっ、と蒲生は肩をすくめた。
「……いいだろう、乗ってやるよ。俺たちにとっても確認しなけりゃまずい内容だしな」
「二言はないな?」
 俺が確認すると、しつけえな、と蒲生は舌打ちした。その態度に敵意が感じられないのを確かめてから、俺は銃を下ろす。明らかに安堵してへたり込む古谷と対称的に、ため息をついて蒲生はどっかりと腰を下ろす。ふてくされたように口を開いた。
「いいこと教えてやる。俺が7番だよ」
「え?」
 沙耶が驚いて声を漏らす。
「いいのか? そんなこと教えて」
「いいも何も、このままいけば嫌でもわかるだろ。それに、この中に7番がいるかどうかもわからない状況で実験するよか、お前らの気もいくらかましだろ。それより、食料分けろ。そろそろ腹が減ってきた」
 こうして、ひとまず蒲生たちの説得に成功した。大飯喰らいの蒲生のせいで残りの食料の半分がなくなったが、これでようやく一歩を踏み出せる。今まで二度殺されてきた理不尽なルールへの、これは反撃の狼煙と言えた。


「それで、どうやって時計を壊そうってんだ」
 腹ごしらえを済ませた蒲生が聞いた。
「こいつで撃つ」
 俺が言うと、蒲生は鼻で笑った。
「お前、そいつの弾どれだけ持ってんだよ」
 う、と俺は言葉に詰まる。確かに残弾数は九発。最大でも三発しか一つの時計に使えない計算だ。一発で壊せるとは思ってない。しかし三発使ったとして壊せる保証などどこにもないのだ。
「大体、このあたりには武器がごろごろ転がってんだろ? その銃だって拾ったもんだろうが。ハンターやら他のプレイヤーやらの攻撃もあるってのに、そんなことに反撃手段を使いきっちまうってのはどうなんだよ」
 いちいち痛いところを突いてくる。沙耶に相談しようかと思ったところ、蒲生が意外にもあっさり解決策を提示してくれた。
「っつーわけで、この俺の出番だ。見てろ」
 そう言って立ち上がると、蒲生は部屋にあった備えつけの時計に歩み寄り、それに自分のPDを繋いだ。
「そんで、こうすると、だ」
 蒲生がそのままPDを操作する。沙耶が驚いて声を出す。
「ちょっと、何するつもり?」
「こうすんだよ」
 蒲生が操作を終えた瞬間、ジジジと何か蜂の羽音のようなものが聞こえたかと思うと、時計の中から煙が上がった。時計の針は完全に止まっている。
「これが俺の特殊機能。『三つまで高圧電流で時計を破壊できる』ってやつらしい。こいつが適用できるってことは、おそらく嬢ちゃんの言うことは正しいんだろうな」
 忌々しげにそう吐き捨てると、蒲生は部屋を出る。俺たちはそれに続いた。
 改めて見てみると、時計はそれほど多く仕掛けられているわけではなかった。とはいえ、曲がりくねった道だ。直線距離では五メートルおきになっているのだろう。五メートルおき、という短い間隔で時計が設置されていることに気がつきにくい構造になっているわけだ。俺は改めて運営の意地の悪さに呆れ果てた。
 そうこうしている間に蒲生は残り二つの時計を破壊し終えた。すると、蒲生のPDが甲高い機械音を発する。
『おめでとうございます。あなたのクリア条件が達成されました。腕時計にPDを接続してください』
 その音に全員が驚いた。思えばこのゲームで誰かがクリア条件を達成するのは初めてのことだった。クリア条件が達成されれば本人でなくても音でわかるらしい。覚えておいて損はないことだ。
 恐る恐る、と言った様子で蒲生は自分のPDを腕時計に接続する。「読み込み中」と映し出された腕時計の画面を、みな食い入るように見つめていた。当然だろう。本当に自分たちが助かるのか否かがこれでわかるのだ。
やがて、けたたましい機械音の後に合成音声が響いた。
『プレイヤーナンバー7、ゲームクリアです。お疲れ様でした』
 ウィーン、と何かの動作音がして、不意にその腕時計が床に落ちた。金属音を響かせる。
「……よし、よっしゃあ。これで一抜けだ」
 沙耶ははしゃぐ蒲生のそばにしゃがみ、その形状を確認している。
「なるほど、このベルト部分、本体部分に差し込まれる形になってるのね。そして本体部分はがっしりと防御されていると。これを一撃で破壊するのは確かに不可能ね。弱点部が見当たらない。やっぱりクリア条件に則ってクリアするしかないみたい」
 抜け道はないらしい。俺はやれやれとため息を吐いた。


「そんで、これからどうするんや」
 榎並が口を開いた。そうだった。この後どうするかを考えていなかった。とはいえ、誰か一人でも失格になればすなわち全員が失格になる。俺も沙耶も能動的にクリアできる条件じゃない以上、蒲生のように一抜けとはいかない。全員のクリア条件を満たす必要がある。
 しかし、待てよ。ハンターもプレイヤーだと運営も言っていた。ルールの拘束を受けると。クリア条件も別に設定されている。――なら、ハンターが失格になってもアウトなんじゃないか? ハンターの条件を満たすということは、つまりそれ以外のプレイヤー全員が死亡すること。しかし、誰かが死んだ時点で4番のプレイヤーが失格になり、どちらにせよアウト。そうでなくても8番のプレイヤーのクリア条件は腕時計の作動が条件だ。
 背筋を一気に寒気が駆け上る。詰みか、詰みなのか。能動的にクリアできる奴はクリアすればいいだろうさ。しかし俺たちは違う。全員があと四十時間生き残るなんてありえるもんか。罠が蔓延り、ライフルの化け物がうろついているこのフィールドで。どうあがいても俺たちが死亡するようにできているのか、このゲームは。そんなものはゲームでもなんでもない。ただの殺戮だ。
「……彰一、大丈夫?」
 沙耶の声で我に返る。
「あ、ああ。問題ない」
「本当に? 顔色が悪いけど」
 顔に出ていたらしい。気をつけなくては、と気を引き締めて、俺は五人に向かって言った。
「とにかく、全員のクリアが俺たちの生存には必須だ。改めて全員のクリア条件を確認したい」


 先ほどの小部屋に戻って俺たちは情報交換をすることにした。ゲーム開始七時間。俺が最初に名乗りを上げる。
「まず、俺からだ。まだ初対面の人もいるから自己紹介も兼ねよう。俺は来栖彰一。ナンバーは9だ」
 沙耶が心配そうに俺を見る。それに俺は口の端を上げて答える。なに、ここで知られたところで不利にはならない。何しろ2番のプレイヤーはここにはいないのだから。
「お前は何もしなくてもクリアできるってか。ふざけた話もあったもんだ。ここでお前が4番だったりしたら逆に信用できたんだが」
 意地の悪い笑みを浮かべる蒲生。それを俺は無視した。
「それで、嬢ちゃんは? やけにその来栖とかいう奴と親しいようだが」
 やはり、そうなるか。俺は奥歯を噛み締めた。沙耶のクリア条件を公開することはそのまま「自分はあなたに何ら危害をくわえません」と誓うことと等しい。しかしこのまま流れを作るためには二人目を作ることは必要だ。一人が名乗り出たのと二人が名乗り出たのでは意味合いがまるで違う。
本来ならその欠点を特殊機能によって補うことができるのだが、現段階では自爆機能でしかないうえに、蒲生はもうすでに腕時計を外してしまっている。それでもゲームに参加している以上は、蒲生はプレイヤーなのだ。
 沙耶を見る。沙耶は少しの間口を引き結んでいたが、やがて意を決して口を開いた。
「――私は高倉沙耶花。私のナンバーは6番よ」
 蒲生がPDを確認してから一瞬下衆な顔をするのを、俺は見逃さなかった。しかし、他のプレイヤーは流れが作られたことで次は自分かと顔が強張った。そこに一定の成果はあったと見ていいだろう。そもそも全員のナンバーを公開する流れに持ち込む以上、沙耶のナンバーだけ公開しない、というわけにもいかない。下唇を噛む俺を尻目に、蒲生はそのまま次は古谷に声をかける。
「じゃあ次はお前だ、古谷。そういえばお前のナンバー、まだ聞いてなかったよな?」
 古谷は元々蒲生のような人間には逆らえないのだろう。奥歯を鳴らしながら、しかししっかりと答えた。
「ぼ、僕は古谷健吾。ナンバーは……5だよ」
 5番。「ゲーム終了一時間の時点で他のプレイヤーのPD三台の所持」がクリア条件だ。すでにクリアしたもののPDを使えば容易に達成できる条件だ。その代わり、まったく仲間がいないとかなり厳しい条件に早変わりする。
「よしよし、いい子だな。じゃあ次、そこのノッポ」
 すると、牧瀬はしばらくためらっていたが、どうしようもないと悟ったのか苦々しげに口を開いた。
「僕は牧瀬洋平。ナンバーは、8だよ」
 8。俺はその数字に愕然とする。そうだ、その番号があった。彼の死亡は確定的だ。そうでないと、全員が死ぬ。確か一度目で質疑応答の時「死亡者の腕時計は作動しない」と明言されていた。となれば、俺たちの生存のためには彼の死が、しかも物理的な死が不可欠ということになる。まずい、まさに呉越同舟だ。彼も自分から殺されるのは望まないだろう。このグループの維持に関わる。
 しかし蒲生はそんなことどうでもいいようにへらへらと笑っている。おそらく彼にとっては本当にどうでもいいのだろう。今の蒲生に必要なのは、自分の敵が誰になるか、また誰が何を欲しがっているかという情報だけだ。だから流れを作るのに加担して全員のナンバーを引き出そうとしている。しかしそこに団結のためとかそういった目的は存在しない。そもそも自分は一足先にナンバーが公開されているのだから気楽なものだ。一抜けしたものの特権。こいつにこの条件を与えた意図すら透けて見えるようだ。
「最後はそこのおっさんだ」
 榎並は蒲生からの声に肩を跳ねさせた。いつになく怯えたような顔で蒲生を見る。
「わ、わしは榎並博文っちゅうんや。よろしゅうな」
「ああ、よろしくなあ。それで? ナンバーは何だよ」
 榎並は奥歯を噛み締める。それを追いたてるように蒲生が急き立てる。
「ほら、早く教えろよ」
 しばらく榎並はぶるぶると体を震わせていたが、やがて意を決したように言い放つ。
「……断る!」
「はあ? 馬鹿言ってんじゃねえよ。死亡確定の牧瀬までナンバーを言ったんだぜ? 言いたくないとか理由になんねーんだよ」
「む、無理なもんは無理や!」
 必死に叫んだ榎並の襟を掴む蒲生。その声色が冷徹になっていく。
「……早くしろよ。じゃねえとお前死ぬぞ?」
 まずい、どうにかしてこの場を収めなくては。俺は咄嗟にポケットから銃を取り出す。
「やめろ」
 蒲生は一瞬怯んだが、しかしすぐに口の端を上げた。
「へえ。撃てるもんなら撃ってみろよ」
 蒲生が俺に向かって動き出す。くそ、やはりこいつに脅しは聞かないか。足の一本くらい勘弁してもらうか、と下に銃口を向けて、引き金を――引けなかった。
「はっは、バーカ!」
 その隙を見逃さず蒲生が手を俺の手首に振り下ろす。その激痛に思わず銃を取り落し、紙一重の差で先に蒲生に銃を拾われる。すぐさま安全装置を解除した蒲生が、間抜けな姿勢のままの俺に銃口を向ける。
「これで形勢逆転だなあ、来栖君よお。セーフティかけたまま銃向けられても脅しにもなんねーんだよな。素人丸出しだな、これくらい覚えとけよ」
 うかつだった。くそ、と後悔の声が漏れるがもう遅い。拳銃を弄ぶ姿から使い慣れている印象を受ける。武器を手に入れたこの猛獣がどう動くか、考えずともわかる。蒲生はその銃口を榎並に向けた。
「まあ、まずはこのおっさんから殺すんだけどよ」
「ひ、ひいっ!」
 榎並が怯えて逃げ出そうとするが、蒲生の声がそれを制する。
「おい、動けばすぐ撃つぞ。一秒でも長く生きたいなら、動かない方が賢明だと思うがなあ」
「おい、蒲生。わかってるんだろうな。プレイヤーを殺せば全員死ぬんだぞ」
 しかし蒲生は悪びれもせずこう返した。
「ああ、わかってるさ。『まだクリアしてない』全員が死ぬんだろ? それなら俺は関係ない」
「古谷も死ぬんだぞ」
「わかってるっつの。元からこいつは俺の下僕だ。主のために死ぬなら本望ってな」
 しかし古谷はそれを聞いた瞬間激しく怯えだした。
「い、嫌だ! 死にたくない、死にたくないよ……」
「けっ、肝っ玉の小せえ野郎だ」
 沙耶もたまらず口を開く。
「あなた、私たちの提案に乗ったはずじゃなかったの? それなら私たちは仲間のはずじゃないの?」
「ああ、乗ったさ。だが裏切るか裏切らないかは俺の自由だ」
 蒲生はそこで言葉を切ると、全員に聞かせるように声を張り上げた。
「誤解されてるようだから言っとくがな。この世界には俺の敵しかいねえんだよ」
「……敵?」
 俺が漏らした言葉に、蒲生はにやりとして答えた。
「ああ、そうだ。口ではなんて言おうが、誰もかれも腹の中では誰かを蹴落とそうと思ってやがる。誰かを騙すことしか考えてねえ。仲間だ絆だと言う奴は、たいてい腹ん中は真っ黒だ。本気で言ってる奇特な奴はあっさり食い物にされてお陀仏だしな。バカみたいじゃねえか、なあ。他人を守るのも、他人を信じるのも、バカみたいだろ? だから、俺は自分を守れればそれでいいんだよ。仲間なんていねえ。今も……昔もだ。
 つーわけでもう一度聞くぜ。お前のナンバーは何だ?」
 榎並はそれ以上逆らうことはできなかったらしい。震える声で告げた。
「よ、4……」
「そうかい、ありがとよ」
 蒲生の至極どうでもよさそうな声の後、乾いた音がした。硝煙の香り、何かが飛び散る音、そして榎並の身体が倒れて、初めて俺はそこで人が死んだのだということを認識した。
 目の前で人が死ぬのは、珍しいことじゃなかった。沙耶は何度も俺の目の前で命を落としたし、そうでなくとも沙耶の代わりに死んでいった人を、見たことは少なからずあった。それでも、やっぱり俺は戦慄していた。ここまで無造作に人が殺せる人間を、俺は見たことがなかった。動けずにいる俺を尻目に、蒲生は首をかしげる。
「……ん? 誰も死なねえな。どういうこった?」
 確かに、この場の誰も失格になっていない。ということは、榎並が言ったナンバーは本当だったらしい。そうぼうっと頭の片隅で考えていた。蒲生は肩をすくめて言う。
「……まあ、いいか。これで全員死んでくれたら手間が省けてよかったんだが。そういうわけにもいかねえらしいし、俺直々に殺してやるか」
 蒲生の銃口がそのまま俺に向く。
「まずは来栖。お前だ」
 その言葉でようやく我に返った俺は、とにかく時間を稼ぐべく口を開いた。さりげなく沙耶を背中にかばう。
「なぜ殺す。お前は俺たちを殺さずとも生き残れるはずだ」
 しかし蒲生はおかしそうに肩を震わせるだけだ。
「まあ、そうだな。でもよ、生かしとく理由もねえんだよなあ、これが。お前は割と頭の回転がいいみたいだからな、真っ先に潰しとくべきかと思うわけだ」
 ふと思い出したように、蒲生は沙耶に向く。
「ああ、そうだ。高倉の嬢ちゃんは殺さずにおいてやってもいいぜ? どうせこんな状況下で生き残るのは無理だろうが、死ぬまでの間かわいがってやるくらいのことは俺にもできるんだが」
 沙耶は明らかに気分悪そうな顔で断った。
「悪いけど、お断りよ」
「ああ、そうだろうなあ。来栖以外の相手にゃ触れられるのも嫌ってか?」
「なっ……」
 顔を出していた沙耶が顔を火照らせたのを見逃さず、蒲生は景気よく笑う。
「あっはっは、図星かよ。顔が赤いぜ嬢ちゃん」
蒲生が沙耶をおもちゃにしている間、俺はこの先どうするべきかと考えていた。背中のリュックサックには食料とマッチ、手錠とかんしゃく玉と料理油。どれもこの状況では役に立たないものばかりだ。俺たちが持っていた武器はあの銃一丁だけ、しかも前回のことを考えると蒲生はナイフも持っているはずだ。牧瀬は中腰のまま動けずにいるし、古谷はもはや頭を抱えてうずくまるのみだ。どこまでも俺たちに不利な状況だった。
 不意に、牧瀬の視線が動いた。その視線の先を追おうとしたが、蒲生の照準がぴったりと俺に固定される。沙耶をいじるのに飽きたらしい。
「それじゃ、そろそろ終わりにしようや。十分遺言を残す時間は与えただろ」
 もはやこれまでか。大方のナンバーが掴めただけでも良しとするか、と諦めかけた時のことだった。

――ひゅん。

 聞き覚えのある音が風を切った。見ると、蒲生の頬が裂けて血が出ている。何が起こったのかわからない蒲生の斜め後ろに転がっているものを見て、俺はすぐさま状況を理解した。
「今井か!」
 蒲生もだんだんと状況を理解したようで、小部屋の扉を見る。扉がうっすらと開いていた。その向こうからこれ見よがしな声が聞こえた。
「へえ、こんだけ近くてもなかなか当たらないもんだね。一旦退散するとしようか」
 蒲生はそれを聞くなり、弾けるように部屋を出る。そこを、さらに矢が襲う。間一髪で当たらなかった蒲生が、目に見えて怒り狂っていた。
「……上等じゃねえか。てめえ、この俺にケンカ売って、生きて帰れると思うなよ!」
 蒲生が走り去ってからも、俺は動けなかった。どうやら助かったらしい。今井がここに来たのは間違いなく俺の存在からだ。だとすると、今井が蒲生を狙ったのはなぜだ? 一番危険そうだったから? ぐるぐると回転する思考を止めたのは沙耶だった。
「ほら、私たちも逃げるわよ」
 私たちも? 俺が首をかしげると、沙耶は痺れを切らしたように叫んだ。
「牧瀬さん、あの蒲生って男が出てってすぐに逃げて行ったわよ。私たちも逃げないと。いつ帰ってくるのかもわからないわけだし」
 牧瀬、か。動き出しの早さを見るに、奴は今井に気づいていたのだろうか。あの視線の動き……。ここ一番の牧瀬の動きはどうも抜け目無い。警戒するに越したことはないか。
 ふと部屋の奥に転がる古谷を見た。まだ動けずにいるらしい。沙耶が彼に声をかける。
「あの、古谷、さん?」
 しかし、すすり泣くばかりで答えない。諦めずに沙耶は声をかける。
「古谷さん、早くここを逃げないと。もしかしたらあの蒲生が戻ってくるかもしれませんよ」
 しかしやはり答えない。俺はさらに声をかけようとする沙耶を引き留めた。
「無駄だ。今のこいつには何を言っても聞こえない。それに、俺たちももう逃げないと。他人に構っていられるほど俺たちに余裕はないだろ」
 沙耶は明らかに不服そうだったが、それでも俺の言うことに従ってくれた。俺たちは古谷一人を部屋に残し、その場を逃げ出した。
 死人が出た後のゲームは、初めてのことだ。一度誰かが死ねば、死の恐怖はそれ以前とは比べ物にならない速度で拡散する。誰にも歯止めがきかなくなり、暴走し続ける死の連鎖。これから待ち受けることになるだろうその地獄を思い描いて、俺は奥歯を噛み締めた。


 とにかく一秒でも長く逃げ延びなければならない。誰かが失格になった瞬間にゲームオーバーとはいえ、まだ逃げているだけでクリアできる可能性もないわけではない。武器も持たない以上、ただ逃げ惑うしかなかった。
 俺たちは三階エリア十九に向かっていた。あまり気は進まない。なにしろ蒲生はクリア後だ。戦闘禁止エリアで戦っても何のペナルティもない。一方こっちは反撃行為を封じられる。とはいえ、おそらく追撃が一番苛烈なのはどちらかというと今井たちの方だ。今井たち相手ならむしろ戦闘禁止エリアに入った方がいい。なので仕方なく、戦闘禁止エリアに向かっているのだった。
「だけど、古谷さん大丈夫かしら」
 沙耶はまだ古谷を心配している。それが妙に癇に障り、俺は階段を上りつつ振り返った。
「あいつは古谷のことを『下僕』と思ってるみたいだからな。まだ敵がいる以上は殺さないだろう。それよりも今敵認定されてる俺たちの方が問題だ」
「あ、ごめん……」
 沙耶がしょげるのをみて、俺は罪悪感にさいなまれる。言い方がきつくなってしまったことは否定しない。そして、その一因に嫉妬が混じっていたことも。それでもやはり、俺たちに古谷を心配している余裕などないのだ。沙耶は生き残らなければならない。たとえ俺が死んでも、他の誰が死んでも。
 とはいえ、榎並が死んだこの状況はチャンスともいえる。榎並が死んだことによって誰かが死んでも即ゲームオーバーとはいかなくなった。そうなると俺たちの条件は比較的緩い。ただ逃げ続け、誰かが失格にならないことを祈るだけだ。
 ……待てよ? ということは、榎並を殺しさえすれば、誰かが死んでも俺たちは死なない。なら、プレイヤー全員を殺してしまえば? ハンターも含めて全員殺してしまえば、俺たちは生き残れるのではないか。難しいかもしれないが、しかしそうなればもう動く必要もなく、よって罠にかかる心配もない。順番さえ間違えなければ殺したことによって誰かが失格することもない。もしかすると――
「彰一?」
 我に返ると、沙耶が心配そうな顔で俺を見ていた。今、俺はどんな顔をしていただろう。もしかすると、残酷な表情をしていただろうか。そんな表情を、俺は沙耶に見せて――
「沙耶。俺は今、どんな顔をしていた……?」
 沙耶は首をかしげる。さっきの俺の考えは、見抜かれていないだろうか。沙耶の表情に怯えのようなものは見えず、俺は内心で胸を撫で下ろす。
「……いや、なんでもない」
 俺は先を急ぐようにして顔を隠す。こんな醜い自分は、見られたくない。
 階段を上りきったところで、ふと足音が聞こえた。俺は沙耶に小声で言う。
「沙耶、少し止まれ」
 沙耶が止まる。耳を澄ますが、音は聞こえない。気のせいか。俺は念のため角に隠れようとした。その時、俺の髪を何かが掠めた。咄嗟に俺は叫ぶ。
「敵だ!」
 俺は沙耶の手を引いて陰に隠れさせる。階段の下から楽しそうな声が聞こえる。
「あーあ、残念。動いてる的って全然当たらないな」
 今井だ。くそ、蒲生の追跡をかわしてきたのか。俺はリュックサックの中からかんしゃく玉を取り出す。それをばらまいて、そのまま死角を維持したまま逃げようとする。
「沙耶、早く逃げるぞ」
「でも、そっちに言ったら遠回りにならない? 早く戦闘禁止エリアに行かないと」
「あっちはクロスボウだ。直線上に立つとまずい」
 俺たちは一旦エリア十五を経由してエリア十九に逃げることにした。背後で破裂音がしたが、単なる足止めだ。かんしゃく玉の残りもばらまいて、俺たちは走り出した。


 何とか戦闘禁止エリアに逃げ込んだのはゲーム開始九時間後のことだった。その間今井の襲撃を何度か受けたが、やはりまだ慣れていないらしい。矢傷を受けなかったのは決して幸運でも、ましてや俺たちが矢をかわしたからでもない。徐々に精度が上がっていく矢の軌道が、タイムリミットを教えているように思えた。
 横を見ると、くたびれた様子の沙耶。それでも一度目のように眠ろうとはしない。
すでに俺たちはエリア内の捜索を終えて、小部屋で休憩していた。そうして見つけられたものは、食料と拳銃、そして何やらPDに似た機械だった。
「とりあえず、こいつがなんなのか確かめてみたいんだが」
 PDに似た機械を持ち上げる。電源ボタンを押すと、ただパーセンテージだけが表示された。沙耶がその画面を覗いてくる。
「これ、バッテリーじゃない? でも、他の表示がない」
 ふと、その機械から一つプラグが出ていることに気がついた。その形が、なんだか見覚えのある形に見えた。沙耶がふと思い出したように顔を上げる。
「ちょっと貸して」
 言われるまま機械を貸すと、俺が反応するより前に、沙耶は小部屋に設置された時計のプラグに差し込んだ。
「おい、沙耶――」
 その時、バチッとショートするような嫌な音がして、それから何かが焦げるような匂いが鼻についた。時計はもう動いていなかった。
「やっぱり」
 沙耶は少し声を震わせながら、それでもどこか嬉しそうに言った。
「沙耶?」
「これ、たぶん時計を壊す用の機械よ。ほら、電池残量しか表示されないってことはその電池しかこの機械の機能には関係ないってことじゃない? それで、さっき蒲生って人がやってたことを思い出してね」
 俺はそれよりも、沙耶に何もなかったことに心底安堵した。盛大なため息をつく。
「……頼むから、もうこういうことはしないでくれ。心臓に悪い」
 しかし、沙耶は少しふてくされたようにこぼした。
「この私が死んでも、本当の高倉沙耶花には関係ないんでしょ。なら別にどうでもいいじゃない」
 その言葉が、俺の心を深々と貫いた。わかっていたことだ。きっと、ずっと前から気づいていたのだろう。それが、今言葉になったに過ぎない。それでも、本人から言われるとよく刺さった。
「沙耶、お前」
「わかってる。あんたが言ってたことが、全部本当だってことは。じゃないと、ここまで的確に武器や食料や戦闘禁止エリアの位置がわかるはずない。今井君たちのナンバーも知ってたし、彼らがどういう武器を持ってるかも知ってたんでしょう」
「信じて、くれるのか?」
 沙耶は少し迷った。そして、悔しそうに眉をしかめた。
「正直、まだ信じられない。彰一がそんな超能力者だったとか、ちょっとね。それでも、いつも彰一は私を助けてくれた。だから、今回くらいは私があんたを助けるの。私はあんたの言ってることを全部信じてるわけじゃない。でも、彰一自身を信じることはできる」
 それを聞いた時、うれしさよりも罪悪感が勝った。どうして、と思う。どうしてお前はそんなにいい奴なんだ。俺が及ばないくらいに、いい奴なんだ。だから、俺はお前に並べない。俺は、小さい奴なのに。沙耶が無事なら、他はどうでもいいと思うような弱い人間なのに、どうして沙耶はそこまで俺を信じることができるんだ。
 歯を食いしばる。そうしないと泣いてしまいそうだったから。
見ると、沙耶も同じように歯を食いしばっていた。
「……おい、沙耶」
 沙耶は不安そうに自分の身体を抱いている。その体が、かすかに震えていた。
「でも、そうするとね。この私は、本当の私じゃないの。ここは彰一の予知夢の中。この私は死んでも死ななくても消されてしまう。だって、これは現実じゃないんだもの。そうでしょ?」
 その通りだ。しかし、俺は答えることができなかった。それはすなわち、この沙耶にとっては死刑宣告になる。その代わりに出てくるのは、言い訳じみた言葉だけだ。
「俺は、沙耶を助けるために」
「……うん、そうじゃないかと思ってた。でも、彰一が助けたい私は、この私じゃないよね」
 言い訳を論破されて、俺は返す言葉がない。沙耶は続ける。
「やっぱり、怖い。いくら言葉で納得しても、やっぱり自分が消えるのは怖い。だって、いくら同じ人間だって言ったって、記憶が引き継がれない限り私にとっては別人だもの。
 悔しいな。この私じゃ、どうやってもあんたの隣に並べない。彰一の見ている景色が見えない。自分が小さくて、嫌になる」
 もう、我慢の限界だった。堪えようとして、それでも本音が漏れだした。
「……小さいなんて、言うなよ」
 沙耶が驚いた顔をする。ああ、そうか。確かにこんな弱音をこぼしたことはなかっただろうな、この沙耶には。何度も弱音を吐いて、それを「なかったこと」にしてきたんだから。
「俺は、沙耶が思ってるほど強くない。沙耶に追いつきたくて、ズルばっかりしてる。弱く見られたくなくて、強い振りをしてる。それでもまだ追いつけないのに、沙耶が小さいなら、俺は何だよ。小さい沙耶に追いつけない俺は何だよ。醜くて汚くて、矮小でどうしようもない俺は何だよ」
 ずるずると、心の奥にため込んでいた弱音が這い出してくる。沙耶より頭が悪くて、沙耶より人ができてなくて、沙耶に並んで歩けるほど美男子じゃなくて、沙耶みたいにリーダーシップが取れなくて、沙耶みたいに誰かを心配できない俺は、俺は。
 その時、柔らかい感触が俺を抱きとめた。
「大丈夫」
 沙耶が、耳元でそうささやいた。
「こういう風に予知するの、これが初めてじゃないんでしょ?」
 ああ、と返事が絞り出すようにこぼれた。
「何度も、こうやって私を守ってくれたんでしょ? いっつも強引に私を助けてくれたのは、この予知の結果なんでしょ?」
 ああ。答える声が、震えた。
「きっと、何度も失敗したのよね」
 しばらく躊躇して、それからまた、俺は答えた。その声が、どんどん湿っていく。
「ああ。何度も失敗した。何度も何度も、俺のミスで沙耶は死んだ。目の前で、何度も、何度も」
「それでも、諦めないで助けてくれた。だから、大丈夫。彰一は強くはないかもしれない。それでも、自分で思ってるほど弱くはないと、私は思う」
 反則だ。沙耶にそんなこと言われて、泣かないわけがないじゃないか。唸るような嗚咽が、俺の喉から漏れる。
 沙耶は、何か重大な決意をするように大きく息を吐いた。
「私、決めた。この私を、諦める。次の私に繋がるように、とにかく情報を集めましょう。そのためなら、私が死んでも構わない」
「何言ってんだよ! それじゃ、俺が繰り返してる意味がないだろうが!」
 吠える俺に、沙耶は諭すように言う。
「彰一、よく聞いて。あんたが助けなきゃいけないのは、この私じゃない。今の私は、キングではないの。このゲームでのキングは彰一。彰一が最終的に私を助けることができれば、今の私はどうなったって問題ない。そうでしょ?」
 俺と目を合わせる沙耶は、いつもの理性的な沙耶だった。
「だったら、この私はただの駒。最終的に彰一が勝てば、私も生き残ることができるわけでしょ。だから、今は私を有効活用して。頭脳にでも、盾にでも。あんたが少しでも長く生きながらえることが、そのまま私たちの勝利に繋がるんだから。私はあんたの勝利を見ることはできないけど、それでも力になるくらいはできる」
 やっぱり、沙耶は強い。時々弱いけど、それでも何かを信じる時の沙耶は誰よりも強い。俺は、なんだか許されたような気がした。これまでの自分が、許されたような気がした。
「……ありがとう」
 心から、告げた。俺のこんな突拍子もない話を信じてくれて、そればかりか死ぬ決意までしてくれて、結局俺は沙耶に頼ってばかりだ。それでも、絶対守るから。守り通して見せるから。何を犠牲にしてでも。
 沙耶は何だか照れくさそうに髪を払った。
「と、とにかく。今はしばらく動けないんだから、せめて頭は動かさないと。今の状況を整理しましょうか。まず、彰一のその予知能力について」
 涙を拭くのに、少しかかった。


「さっきも言ったと思うけど、俺の能力は疑似体験で未来を予知するものだ。予知している間はほとんど現実の時間は進まないけど、連続で使うと脳と目に負担がかかる。一回入ると予知をやめるには死ぬ必要があってな。おかげで舌を噛み切るのが上手くなったくらいにして」
「……ってことはあんた、毎回死んでるわけ?」
 うえ、と沙耶は気持ち悪そうな顔をする。それからしばらく黙っていたが、やがて要点の整理がついたのか口を開いた。
「それじゃ、まず一つ目。その能力って、使う時に何か条件とか手順とかあるの?」
「んーと、あんまり考えたことなかったけど、そういうのはないな。ほら、手を動かす時、条件とか手順とか、そんなこと考えないだろ? それと同じで、ほとんど無意識に近い。だから、朝起きた時寝ぼけた頭で使ってたりする……し」
「ん、どうかした?」
 いや、とごまかしながら首をかしげる。何か、見落としているような気がする。うまく言葉で表現できない。
「なるほど。じゃあ、どうやって疑似体験中かそうでないか判別するわけ?」
 わからないものにいつまでもかかずらっているわけにはいかない。俺はそれを頭の隅に置いておくことにして会話を続けた。
「そこらへんは、感覚としか言いようがないんだよな。でも、疑似体験中かそうでないかは大体判別できる。今が疑似体験中ってこともさ」
 また少し沙耶は黙る。そして、こんなことを聞きだした。
「ねえ、疑似体験中にもう一度能力を使うことってできないの?」
「……は?」
 何を言っているんだ、と思ったが、沙耶は至って真面目らしい。
「ほら、二重に能力を使ってる状態っていうか」
「そんなことしても、意味なんかないぞ。結局疑似体験でしかないんだから」
「でも、能力の使用に手順とかがないわけでしょう? なら無意識のうちに一度発動していたって可能性もないわけじゃないんじゃない? その場合、それは彰一にわかるのかしらね」
 言われてみれば、確かにそうだ。試しに能力を使ってみようとするが、うまくいかなかった。
「だめだな。二重に発動はできないみたいだ。今やってみたけど無理だった」
 そう、と沙耶は残念そうに引き下がった。しかしすぐに次の質問を投げかけてくる。
「この能力、一度に使える回数とかに制限はあるのかしら」
「どちらかというと、体験できる時間に制限があるみたいだ。長い時間を繰り返すと、負担がその分大きいみたいでさ。最大だと七日分くらい繰り返したことがあるけど、今回はどうも頭痛の悪化が激しいみたいなんだ。そこまで時間はないのかもしれない」
「今回どれだけ繰り返せるかはわからない、と。残機のわからないゲームほど不親切なものもないわね。……もしかすると、あまり今回は長引かせない方がいいのかしら。その方が次に時間を回せるわけだし」
「いや、そうとも限らない。今回は初めて人が死んだ後もゲームが続行してるんだ。そうなった後の全員の行動も見ておきたい」
「そうなるとやっぱり、できるだけ生き延びるしかないわけね。確認するけど、その能力って予知能力なのよね?」
 頷くと、沙耶は難しい顔をする。
「てことは、どれだけ繰り返しても本番は一回限りってことでしょ?」
「そうなるな。つまり俺たちは今回生き延びてもだめなんだよ。偶然生き延びることはこの繰り返しの中では意味がない。必然的に生き延びなきゃいけないんだ」
 ハードルの高いこと、と沙耶は肩をすくめる。俺はそんな沙耶に向き直って聞いた。
「率直に聞く。今回は諦めるとして、次はどう動くのがベストだと思う?」
 沙耶は即座に答える。
「全員と団結すること」
「全員? ハンターともか」
「そう。私の思った通りなら、きっと全員で団結できる」
「どうやって? ルールからして俺たちは分裂することを定められているんだぞ」
 沙耶はPDを起動して、ルールの画面を開いた。
「私が思うに、このルールには穴がある。見えないところで、穴ができてるの。時計の事だって、書き分けがきちんとされていたわけじゃない? もしかすると、このルールはわざと穴ができるように作られているのかもしれない。このルールは全員団結が絶対できないように見せかけて、本当はできるように作られている、そんな気がするの」
 にわかには信じられない。ここまで意地の悪いルールに、そんな穴があるとは。俺はつい眉をひそめた。
「……どうして、そう思うんだ?」
 沙耶はあまり自身なさげに答える。
「確証があるわけじゃないんだけど。例えばあの質疑応答。あれ、何のためにあると思う?」
「ゲームに公平を期すため、とかじゃないのか」
「そんな義務、あっちにはないのよ。悪趣味に人の殺し合いが見たいだけなら、公平にゲームを進めること自体必要ないの。そもそも、そんなこと言ったらあの蒲生って人がいるゲームにか弱い女の人を参加させること自体不公平じゃない。もしかしたら、あの質疑応答は答え合わせの場なんじゃないかって、私は思う。ルールに埋め込まれた穴を見つけるための」
「でも、ルールを見てすぐにそんなことを思いつく奴なんているのか」
「もしかしたら、これ自体前回のゲームにはなかったのかもしれない。今回に限って追加されたのかも。だって、ルールには書かれていないでメールで送られてきたし」
「今回に限って? どういうことだ」
 沙耶は少し躊躇する素振りを見せて、それからまっすぐ俺を見据えた。
「彰一がいるから」
「……そんな」
 確かに、運営は俺をわざとプレイヤーに選別したと言っていた。ということは、何だ。俺にそれを解かせたいのか。なぜ? このゲームの目的はなんだ。単純に殺し合いをさせたいだけじゃないのか。だとしたら、何がある――
「彰一」
 沙耶の言葉で、俺は我に返った。
「ああ、すまん。少し考え込んでた」
「このゲームそのものについて?」
 鋭いな、と俺は内心で苦虫を噛み潰す。沙耶は少したしなめるような表情になった。
「今重要なのは次どうするかでしょ。気になるのはわかるけど、そこまで私たちが踏み込む必要はないわ」
 本当にそうなのか。俺はその疑念を抱えたまま、とりあえず頷いた。
「とにかく、ゲームが始まったら真っ先に私にこの能力のことと現状を話して」
「なんだって?」
 俺は耳を疑った。また沙耶にこんなことを突きつけろと言うのか。しかし、沙耶は毅然とした態度で言う。
「彰一は頭はいいけど、これだと思ったら他のことが見えなくなっちゃうから。私が客観視してあげる。この私じゃないけどね」
「でも、それじゃ沙耶に負担が」
「そんなこと言ってる場合じゃないでしょ。それで生き延びられなかったら私が死ぬんでしょう?」
 返す言葉もなかった。沙耶の頭脳は俺よりも優れている。一人で考えるよりはずっと正解に近づけるかもしれない。しかし、と考えていると沙耶の声が急に柔らかくなった。
「彰一は、何でも一人で抱え込みすぎなの。まだ隠してることがあるのよね。ここを出たら全部話してもらうわよ。もう守られてるだけなんて嫌だから」
 ああくそ。俺は知らぬ間に引き返せないところまで来てしまっていたらしい。こんなことを言われて、それでも隠し通せるほど俺は器用じゃない。
「いいから、まず最初に私にこのことを話すこと。いいわね」
 俺が頷くと、沙耶はとても嬉しそうにほほ笑んだ。それから咳払いで切り替える。
「さて、それからだけど。まず質疑応答には行くべきだと思うの」
「四人のプレイヤーと会えるからか?」
「それもある。あと、確認したいことがあるから」
「確認したいこと?」
「今は正直確証が持てないから言いたくない。でも、たぶんこの現状を聞いたら次の私も同じように考えるはず。だから問題はないわ」
 なるほど、と俺はそれに関しては追及するのをやめた。沙耶は続ける。
「それから、今回は今井君と津久田さんと別れたけど、次は別れないで行って欲しいの」
「なに? あいつらは十中八九1番と2番だぞ」
「そうだと思う。でも、彼らと手を組めないわけじゃない。思い出してみて。2番のプレイヤーのクリア条件は何だった?」
 2番のプレイヤーのクリア条件。それは「9番のプレイヤーのPDの破壊」だったが。
「わかる? この条件、時間制限がないの。だから、ゲーム終了一時間前になって彰一の腕時計が外れてからPDを破壊してもクリアできるのよ」
 言われて、初めて気がついた。なるほど、確かにこの書き方ならそう読める。そして、このルールはきちんとそういった書き分けがなされている。
「ね? このルール、表面上は団結を阻止しようとしているみたいだけど、完全に阻止できているわけじゃないのよ。むしろ、わざと穴を作っているように見える。だから、きっと何か意図があるのよ。全員が団結すれば、全員が生き残れるようにできてるんじゃないかしら」
「でも、ハンターとか3番のプレイヤーとかは?」
「それも、きっとどうにかできるんだと思う。各プレイヤーの特殊機能があるじゃない? それを利用できるかもしれない。私はこの次で、少なくともナンバープレイヤー全員を仲間にしたいと思ってるの」
「ば、馬鹿言うなよ。つまり、あの蒲生も味方にしろっていうのか?」
 沙耶は頷く。
「あの蒲生って人は、とりあえず自分が不利なうちは従ってくれるみたい。だから最初は脅して従わせる他ないと思う。そこから、どうにかして説得する」
「どうにかしてって……」
 あまりに計画性がなさすぎる。俺が突っ込むと、沙耶は頭をかいた。
「正直、彼は危険。でも、たぶん彼が全員生存の鍵なの。だからどうにかして説得したい」
「だが、あいつの考えは聞いただろ。迷いなく人を殺すところも見たはずだ。あれを覆せるとはどうも思えないんだけど」
「でも、やらなきゃいけないの。誰か一人でも死んだら、私たちは生き残れないんだから」
 沙耶はそう断言する。……しかし、本当にそうだろうか? 榎並を殺せば、他に誰が死んでも俺たちは失格にならないんじゃないか? 全員殺して、二人だけ生き残るという方法もあるんじゃないか? しかし、流石にこんな考えを沙耶に聞かせるわけにはいかない。沙耶は絶対に賛同しないだろう。でも、もしも全員が生存は難しいとわかったら、その時には俺はためらわない。俺は沙耶を守るが、かといって沙耶の主義まで守らなきゃいけないわけではない。沙耶の命と沙耶の主義を比べれば、迷うべくもなく沙耶の命を選択する。
 そんな考えを隠すように、俺は静かに頷いた。


 時計を見ると、あと三十分で戦闘禁止が解ける時間だった。沙耶が口を開いた。
「もうそろそろ、戦闘禁止が解除されるわね。今のうちに持ち物の確認をしておきましょう」
 俺もそれに倣って、まずは拳銃の確認をする。
「オートマチック式の拳銃か。装弾数は十五、代えのマガジンが二つ。前より衝撃は少なそうだけど、威力は低そうだな。たぶん弾はこれ以外使えないだろうし。前みたいにマグナム弾とか詰め替えたりできなさそうだ」
「前みたいに?」
 聞かれて、思い出した。マグナム弾を使ったのは前回だ。……いや、使った、と言うのは語弊があるか。装弾しただけだ。まだあれがどれだけの威力を持っているのか試したわけではない。
「いや、なんでもない」
 ごまかすと、沙耶は何か悟ったような顔でそれを流した。
「前より弾の数自体は多いのね。使いやすそうだけど、どうなのかしら」
「使いやすいとは思うよ。ただ、弾はこれで打ち止めだ。他の種類の弾を詰め替えたりできないから撃ち切ったら捨てるしかない」
 なるほど、と沙耶は素直に頷いている。こういった知識はないのだろう。武器への関心自体もそれほどないのか、そこそこに他の持ち物にシフトしていく。
「食料は二人で食べるならもう一回分ってところかしらね。でも、真新しい段ボールを見つけるたびに入ってるからそこまで備蓄しておく必要はないかしら。身動き取りにくくなるし」
 それは俺も感じていた。食料は確かに十分な量配置されているらしい。戦闘に専念しろということか。
「かもな。今はこれだけあれば大丈夫だろう」
「他には手錠、マッチ、油と、あとこの機械ね」
 沙耶が持ち出したのは、先ほど壁掛け時計を壊した機械だった。
「これ、私たちの腕時計にも使えるのかしら」
 沙耶が突然そんなことを言い出して、俺は慌ててそれを制した。
「やめておけ。それでもし全員ゲームオーバーなんてことになったらシャレにならない」
「でも、確かめてはおきたいし。確か、死者の腕時計は作動しないって運営が言ってたわよね。あのおじさんの腕時計で確認してみるのは?」
 それは、確かにありだ。しかし、そのためにはあの場所まで戻らなければならない。今からすぐ今井たちの追撃が再開されるというのに、そんな余裕があるのか。俺は悩んだ末、こう結論した。
「……余裕があったらな。正直あんまりそんな余裕あるとは思えないけど」
 そう、と沙耶は残念そうに言って、それから持ち物の確認を再開した。
「あとは、チップが一枚。これはもう使うのね」
「ああ。俺が知ってる戦闘禁止エリアは、ここと一階エリア二十五、二階エリア六だ。しかもどれもあと少しで戦闘禁止が切れる。ここからは実際、未知の領域なんだ。ここで使わないと情報が得られない」
 ゲーム開始十一時間三十五分。これは一応俺たちの生存期間という意味では最長だ。つまり、ここからは何が起こっても不思議ではない。気を引き締めて行かないと。
「にしても、あれだけ探してチップが一枚だけなんてね。彰一の話でも全然見つけられていないようだし。運営はチップが十分にあるって言ってたけど、全然足りないように感じるわ」
 それは、俺も薄々は感じていた。けれど、あの運営の性格だ。全員がずっと戦闘禁止エリアにこもっていられるような枚数は配置されていない気がする。
「どうせゲームが進むにつれてプレイヤーが減るとか、行動を共にするプレイヤーがいればその分は必要ないとかを考慮に入れた枚数なんだろう。俺たちの探索範囲がフィールドに対して狭すぎるのもあるだろうが」
 それもそうね、と沙耶は納得した。
「今回は追われるわけだから、俺は沙耶の後ろにつくよ。罠に気をつけてくれ」
 わかったわ、と真剣な面持ちで頷く沙耶。俺たちはこの時点で戦闘禁止エリアを出ることにした。どうしてかというと、戦闘禁止が解けてから動き出すと初動から追われた状態になってしまうからだ。それならばとこちらから動き出そうというのだ。どのみち戦闘禁止エリアを目指さなければいけないのだ。追われる時間は短い方がいい。
 不安そうに前を進む沙耶を、俺は励ます。このエリア内であれば安全だ。罠も事前にかかっておいたので今かかる心配はない、と。気休めではあるが、誰かに言われるのは確かに違うらしい。沙耶の表情も少しだけ和らいだ。
 あるとすれば。きっと二人とも考えていたであろうその危惧は、しばらくしないうちに現実のものとなった。
 交差路を通り抜けようとした時、沙耶が不意に走り出した。俺は手を引かれて角に隠れる。そうしてすぐに銃声が響いた。
「ちっ、外したか。今なら油断してると思ったんだがなあ」
 それほど悔しそうでもなく、むしろ楽しそうな蒲生の声が聞こえる。そうだろう、蒲生でなければ全員死亡だ。
「沙耶、走るぞ」
 俺は沙耶の手を引いて走りだした。このエリア内ならこれでも問題ない。それより、エリアを抜けるのに時間をかける方が問題だった。あまり時間をかけすぎると、今井たちに待ち伏せを受ける可能性が高い。そうなれば挟み撃ちになってしまい、二人とも死は避けられない。
「どこかに隠れて一旦撒くか?」
 一応提案してみたが、即座に沙耶に却下された。
「そんなことするより、まずエリアを抜ける方が先よ。このままじゃ反撃もままならないわ。それに、追われてた方がいい可能性もあるわ」
 追われてた方がいい可能性? 俺は気になったが、沙耶の体力にあまり余裕がなさそうだったので聞くのはやめておいた。
 それからも一発撃たれた。しかし、やはり動く的にきちんと当てるのは難しいのか、右手をかすめる程度で済んだ。血が出たが今はそれどころではない。疲労してきた沙耶の手を引いて全力で走った。
 確かに俺たちは反撃できない。とはいえ、あちらの残弾数は把握している。残りは最大で六発。今井との戦いに消費していればもっと少ないはずだ。あちらもうかつに撃てないはず。逃げるには好条件だった。
 そういえば、とふと思う。蒲生がこちらに来たのはどういうことだろうか。蒲生には俺たちの場所がわからないはずではないか。いや、確かあいつらはチップを一枚手に入れていたはずだ。なら戦闘禁止エリアに行くだろうと山を張ってここまで来るのも無理はないか。
今井たちが追撃をしてきたあたりで蒲生が敗れたのかと思ったが、蒲生の追ってくるスピードを考えるとそういうわけでもないらしい。今井が逃げおおせただけなのか。そうなると、双方まともに消耗してくれている可能性は低いか。
そんなことを考えていると、そろそろエリアの端というところまで来ていた。俺は沙耶に声をかける。
「一旦止まれ。大丈夫か」
 沙耶は先の道のことと思ったらしい。肩で息をしながら目を凝らして答える。
「とりあえず、見た限りでは、罠は、なさそうだけど」
「違う、沙耶の方だ」
 俺が聞き直すと、沙耶は少しの間ぽかんとして、それからくすっと笑いだした。
「こんな状況で大丈夫も何もないでしょ。走るわよ。できれば水が欲しいところだけど」
「わかった、水だな」
 リュックサックの中から水を取り出して渡すと、沙耶はさらに笑った。心底安心したような顔で。
「ありがと、気持ちだけもらっとくわ。そろそろ追いついてくる頃だろうし、ここで立ち止まるわけにもね」
 その表情だけ見れば、いくらか余裕があるように見えた。仕方なく、俺は水をしまう。
「ここからは俺が先導する。ついてきてくれ」
「私は前でもいいんだけど?」
 流石にそれは受け入れられなかった。今の沙耶はもう生きることを諦めて俺を生き延びさせようとしている。俺の状況を把握してくれたのはありがたいが、沙耶の身代わりに生き延びたとあっては自分で自分が許せない。せめて罠の危険からは守りたかった。俺が首を振ると、沙耶は聞き分けよく引き下がってくれた。
「行くぞ」
 エリアの枠を踏み越えて、三階エリア十四に出る。その時、後ろから追ってくる足音が聞こえた。どうやら足音は一つだ。古谷は従わされているわけではないらしい。戦闘禁止エリアが完全に視界から消えたあたりで一発あちらに撃ち返す。
「うおっと」
 それでもあまり堪えたようでもない声に、内心歯ぎしりする。あいつは真性の猛獣だ。適当な脅しじゃ止められない。
 二階に行くためにはエリア十四にある階段を使わなければならない。つまり、階を移動するためにはそこは必ず通らなければならないというわけだ。絶好の待ち伏せポイントでもある。
「どうする? 階段行くか?」
 沙耶はしばらく考えて、そしてこう言った。
「階段まで一旦行って、そこから一周しましょう」
「一周? どういうことだ?」
 やってみればわかるわ、と沙耶はそれ以上答えなかった。おそらく体力的に余力がないのだろう。その息の荒さからそれが如実に感じ取れた。
 階段までたどり着くと、案の定今井たちの姿が見えた。
「脇にそれて!」
 沙耶に従って脇道にそれる。しばらくして、後ろから銃声が聞こえた。しかし、妙に遠い。それを聞いて、沙耶は立ち止まった。
「……よし、作戦成功」
「どういうことだよ、沙耶」
 沙耶は荒い息を整えてから答える。
「さっき蒲生さんが今井君に襲われたでしょ? 蒲生さん、そういうのはきっと許さないタイプだと思う。だから、目の前に今井君たちが現れたら私たちよりそっちを狙うと思って、わざと鉢合わせる状況を作ってみたの。うまくいってよかった」
「なるほどな」
 とりあえず休憩しよう、と最寄りの小部屋に入って一息つく。しばらく様子を窺ったが、どうやら追いかけてくる気配はない。
「彰一、手は大丈夫?」
 その言葉で、右手をかすめた銃弾を思い出した。傷口を見ると、まだしつこく出血が続いている。リュックサックの中を探るが、治療に使えそうなものはない。前回なら治療道具があったのだが、と顔をしかめると、沙耶は何か思いついたようにブラウスからリボンをほどいた。
「ちょっと汚いけど、我慢してね」
 沙耶はそう言うと、俺の右手にそれを巻きつけた。包帯代わりということらしい。おかげでずいぶんとかわいらしいことになってしまった。
「これぐらいしかないけど、止血しないといけないし」
 沙耶が言い訳っぽくつぶやく。そこまでするほどの傷とも思えないし、言い訳するようなことでもないが、要するに沙耶がやりたいだけなのだろう。礼を言うと満足そうに微笑んだ。
「彰一、そういえばチップ」
 思い出したように沙耶がささやいてくる。時間を見ると、確かにゲーム開始から十二時間が経過していた。すぐにチップをPDに読み込む。
「戦闘禁止エリアは、三階エリア二十一、二階エリア三、一階エリア十一。ここからなら二階エリア三が近いか」
「それなら、あの機械の確認もできるわね。早く行きましょう。もうそろそろ時間稼ぎも終わる頃でしょう」
 沙耶は気分悪そうにそう言った。いくら自分たちが生き残るためとはいえ、やはりわざと人を争わせるのは沙耶の望むところではないのだろう。あまつさえ共倒れになってしまえば楽だ、なんて彼女は考えたくもないはずだ。でも、俺たちの状況というのはそういうことだ。生き延びるためには誰だって利用しなければならない。少なくとも、今回はそうだ。俺は、沙耶にそういう考えを強いている。その事実から目を逸らすように、俺は声をかけた。
「よし、行こう」
 目指すは、二階エリア三。途中までは罠がない道順も知っている。ここで大きく襲撃者たちを引き離す算段だった。


 沙耶の作戦の効果は絶大だった。おかげで俺たちはしばらくの間まったく襲撃も受けず、罠にもかからずにエリア九までたどり着いた。
「確か、このあたりだったはず」
 俺たちは榎並の死体を探していた。確かエリア四寄りの小部屋だったはずだが。
「ここじゃない?」
 沙耶が一つの扉を開いた。その時、俺たちの視界に改めて凄惨な光景が飛び込んできた。転がる人の身体と、それを中心に広がる赤い海。
「ひどいな」
 言いつつ中に滑り込み、扉を閉める。沙耶は小さくつぶやく。
「古谷さん、どこに行ったのかしら」
 部屋の中には古谷はいなかった。あれからずっとここにいるとも考えにくかったが、いてくれればよかったとも思う。そうすれば彼を仲間に引き込むくらいのことはできたかもしれない。
「彰一、あれ」
 沙耶に促され、リュックサックから例の機械を取り出す。沙耶はそれを受け取ると、榎並の死体をあまり見ないようにしながらその腕時計に機械を接続した。
「……反応しないわね」
 しばらく経っても、機械には何の反応も起こらなかった。画面を見ると「99%」と残りバッテリーが表示されている。バッテリーが十分にあるのに動かないということは。
「やっぱり、これ腕時計には使えないみたいね」
 あまり期待はしていなかった。これが実際に腕時計に使えたなら、もしかするとクリア条件を満たさずともこの忌々しい腕時計から解放されたかもしれないのに。逆に言うと、この意地の悪い運営がそんな可能性を残すわけもないが。
 沙耶は機械を俺に渡して、榎並の死体に近づいた。
「目が開いたままにしておくのは、流石にかわいそうだから」
 そう言って、榎並の瞼を閉じさせる。そしてその丸々とした腕を腹で組ませた。
「本当なら、弔ってあげたいんだけど。でもこの建物じゃ埋める場所もないし」
 沙耶は言い訳のように続ける。やっぱり、沙耶は優しい。俺はこの機械の確認がなければこんなところ立ち寄ろうともしなかったというのに。黙祷まで捧げて、それから沙耶は吹っ切れたように立ち上がった。
「さて、行きましょうか。あと少しだし」
 機械をしまって俺も頷く。心の奥底に後ろめたさを抱えながら。


 二階エリア三まではあと少し――のはずだった。追撃も追いついていないし、罠もエリア四までは一度しかかかっていない。ほとんど問題ないはずだった。しかし、俺たちはエリア九と四の間で立ち往生していた。
「……くそっ、どうしてこういう時に限って」
 思わず悪態をつく。開いた扉の影に俺たちは隠れていた。そして、その先には例のライフル持ちのハンターがいる。部屋から出ようとしたところで、銃撃を受けた。痛む左腕を押さえつつ、扉の向こうを窺う。
油断していた。存在を忘れていたとは言わないが、しかしまさか遭遇することになるとは思っていなかった。最悪だ。今の装備では、どうやってもやつには勝てない。この扉でさえ、ライフル弾の前には貫通を許してしまうかもしれない。
「彰一、血が……」
 沙耶は何か手当てするものを探している。今はそんなことしている場合ではないのだが、いきなりのことで気が動転しているらしい。
 ちゅん、とまた何かが跳ねた音がした。扉の縁がえぐれていた。これだけの威力なら、扉の貫通はたやすいだろう。一応目隠しの働きはしているが、このままでは蜂の巣だ。何とか隙を見て脱出しなくては。
 そもそも、これだけの装備がありながら決着をつけに来ないのはどういうことだろうか。扉と言っても、そこまで大きいものでもない。扉の真ん中を狙えばどこかには当たるだろうに。もしかすると、遊んでいるのかもしれない。それはそれで俺たちには大いに結構だが、とはいえ逃がすつもりもないらしい。
 仕方ない、二番煎じではあるが。俺は扉の横からふたを開けた料理油を投げた。それが地上に落下する前に破裂した。ライフルでボトルを打ち抜いたらしい。引火した油が床を這う。
「沙耶、今だ、逃げよう」
 沙耶の手を引いて走る。銃を手にした状態では必然的に左手になり、二の腕に激痛が走った。思わずうめき声が出る。
「彰一、大丈夫?」
「気にするな、今は走れ」
 何とか曲がり角まで退避することに成功。振り向きざまに一発撃った弾丸が見当はずれな方向に飛んだ。だが、反撃手段があることはアピールできた。あちらが戦闘慣れしているほどこの事実は効くはずだ。
「ど、どうする? ここを突っ切るのは無理そうだけど」
 沙耶は動揺しながらも的確な判断をしてくれた。やはり、ここはもう諦めた方がいいか。ならば、と俺は沙耶に言う。
「一旦退こう。罠が怖いが、何もエリア四からエリア三に行く必要はない。エリア八からでも問題なく行けるはずだ」
「もしかしたらそろそろ今井君たちが追いついてくるかもしれないけど」
「そこはもうどうしようもないさ。今井の武器なら一発かわせば反撃も可能だ。そこをついて何とかしよう」
 沙耶はそれ以上何も言わなかった。俺たちは再びエリア九に戻ることを強いられたのだった。


 結局戻ってきたのは榎並の死体のある部屋だ。罠がないのがわかっているし、もしかしたら誰か戻ってきているかもしれない、という淡い期待もあった。しかし、そんな期待はまあ望み薄なわけで。
「やっぱり、誰もいないか」
 沙耶が音を立てないように扉を閉める。それから、追撃の恐怖が和らいだのか目に見えて慌てだした。
「それより、その怪我よ。どうしよう、治療器具なんて持ってないし、止血帯にできるものもないし……」
 左腕の袖をたくし上げてみた。すると、奇跡的に完全に命中はしていなかったらしい。肉がえぐれて出血はひどいが、損傷自体は思っていたほどひどくはない。
「どうしよ、これで何とかなるかな」
 ふと顔を上げると、沙耶がブラウスのボタンを外し始めたところだった。慌てて止めに入る。
「お、おい何やってんだ」
「だって、止血はしないと」
「だからって脱ぐ必要ないだろ。落ち着け」
 俺はジャージの袖をそのまま巻き上げて傷口の上まで上げた。
「これで、とりあえず止血になるだろ。無理して止血帯とか用意する必要はない」
 大体、切るものもないのにどうやってブラウスを止血帯にするつもりだったんだ。そう言うと、沙耶は顔を赤くしてしゅんとなった。
「あ、えと……ごめん。でも、それだけじゃ流石にあれだし、やっぱりどこかで治療したいよね」
「治療道具はエリア四にあったはずだが、今は無理だろうな。あんな化け物がうろついているところに戦闘禁止エリアから入る気は流石に起きない」
「じゃあ、エリア三か八にあるのを期待するしかないかな」
「沙耶、そこまで俺を気にしなくてもいい。これでも左手は動くし、戦闘にはそこまで問題ないよ。狙って銃撃つ時には流石に痛いと思うけど」
 しかし、沙耶は引き下がらない。
「そうじゃなくて。今は彰一がキングなんだから、彰一の身の安全が最優先なの。せめて消毒ぐらいできないと、急性感染症なんかになったら、いくらなんでもどうすることもできないんだし」
「そう言っても、それであのハンターと戦って死んだら元も子もないだろ。俺の調子が進行に差し支えるようなら置いて行けばいい。今井たちがわかっているのは俺の居場所だから、俺から離れれば沙耶は無事なはずだ」
「それは関係ない!」
 沙耶が声を張り上げる。その剣幕に、俺は怯んだ。
「どうしていつもそうなの? 自分が犠牲になればいい、いつもそんな風に考えてるでしょう。守られる側の気持ちも考えてよ! 私は自分の命まであんたに背負ってもらうつもりはない!」
「……すまん。デリカシーないな、俺」
 わかったなら、それでいい。沙耶は怒ったような、悲しそうな、微妙な表情でそう言った。
「それじゃ、行きましょう。言っとくけど、今度は私が先頭に立つから。いいわね」
沙耶は有無を言わさぬ口調でそれだけ言って部屋を出た。俺はそれに従うほかない。それでも、俺は沙耶を守る。それだけは曲げない。それだけが、沙耶に近づく方法だから。


 沙耶は慎重に進んでいった。罠にも二度行き当たったけれど、かかるよりも前に気づいて回避した。いわく、
「よく見ていれば、罠はわかるわ。この通路、基本継ぎ目なんてないのに不自然に継ぎ目があったりするのよ。そういう時って、たいていそこが開いて何か出てくるの。何度か彰一がかかるのを見てるから、それくらいわかる。壁が傷ついてるだけの時もあるから難しいけど」
 それくらい、と言う。目が悪い俺には判別がしにくいというわけだ。プレイヤーとしての性能すら俺は沙耶に劣る。
「……なんなんだよ、俺」
 なんなんだ。沙耶を守るどころか沙耶に守られてる俺は何だ。情けなくて笑えてくる。エリア八を通過しているこの時、俺たちは安全だった。
 とはいえ、進行スピードが落ちたのも事実だった。このままでは今井の追撃を受けてしまう。
「沙耶、スピードを上げよう」
「でも、罠にかかって全滅は嫌よ」
 沙耶は俺の方は見ずに答える。罠の痕跡を見つけるため気を張っているらしい。
「でも、今井たちはこっちの位置がわかる。そろそろ追いついてくる頃だろう」
「……もしかしたら、蒲生さんと戦闘して負傷したかもしれないし」
 沙耶はそれを言いたくなさそうに顔をしかめた。できれば、今井と蒲生で同士討ちをしてくれることが望ましい。しかし、今井が死ぬと津久田が失格になってしまう。だから負傷が一番望ましいということだ。
「そんな確証はどこにもない。なら多少なりと気をつけるべきだと思うが」
「そんなこと言っても、このフィールドにいる限り罠は一番気をつけるべきものよ。後ろを気にして罠で全滅は一番だめなパターン。何もわからないんだから、次に繋げられない」
 俺は焦っていた。出血と痛みを増す頭と、そして少しの劣等感に煽られて、気づけば後ろの警戒を怠ってしまっていた。
 どん、と空気を震わせる音が響く。と同時に、俺の脇腹に衝撃が走る。それからすぐに猛烈にそこが熱くなった。
「が、っは――」
「彰一!」
 沙耶が大声を出す。それで初めて、自分が撃たれたのだということを認識した。俺は体が動くうちにと拳銃を抜き、何とか踏みとどまって後方に連射した。
「うおっと、危ねえ危ねえ」
 蒲生の声がフェードアウトする。沙耶が俺の身体を支える。
「彰一、お腹が、真っ赤に」
 俺は動揺している沙耶に言った。
「……いいから、行くぞ」
「でも、戦闘禁止エリアに行ったら反撃できない」
「でも、あっちも俺たちの場所が、正確にはわからない。だから、やり過ごすことは、できるはずだ。治療器具があるのはエリア四。だから、エリア三経由で、そっちに向かおう」
 息が荒くなっている自分に気がつく。くそ、走れるか、これ。
「わかった。それまで死なないで!」
 沙耶が俺の腕を肩に回す。そのまま沙耶に体重を乗せる形で俺は走り出した。一歩踏み出すたびに激痛が走る。しかし、耐えられないほどじゃない。
 隣を見ると、沙耶は顔を真っ赤にして歯を食いしばっていた。やっぱり、俺は守られてばかりだ。


 蒲生はそれから追ってはこなかった。どうしてなのかはわからないが、好都合だ。俺たちは転がり込むようにエリア三に入り、一室に隠れた。
「ちょっと、傷見せて」
 沙耶が荒い息を整えながら言った。
「……どうしてだよ」
「貫通してるかどうかで治療難度が変わるの。それに、出血もひどいし」
 わかったよ、と俺はジャージの裾をめくり上げた。うえ、と沙耶はそれを見て顔をしかめる。
「背中も」
 それに従って、体を反転する。その時にまた激痛が走るが、俺はそれを完全に無視した。
「貫通はしてるわね。なら、後は傷口を処置すれば」
 ふと、時計を見た。ゲーム開始十三時間後。一時間の間にずいぶんと傷だらけになったものだ。
 しかし、追いついてくるとしたら蒲生ではなく今井たちの方だと思ったのだが。蒲生が来たということは、蒲生はもしかして、チップを二つ持っていたのか。
「痛む?」
 沙耶が聞いてくる。
「当たり前だろ。今はアドレナリンで動けてるだけだ」
 沙耶はしばらく考えて、それからこんなことを言い出した。
「ジャージ、脱いで」
「何に使うんだ」
「包帯の代わり。気休め程度だけど」
 そう言って強引にジャージを脱がしにかかる。俺は抵抗せずに脱がされる。ジャージを腹にきつく巻くと、今度は左腕の出血が始まった。沙耶は苦い顔をする。
「やっぱり、本格的に応急処置しないと。エリア四に治療道具があるのよね? 私、取りに行ってくる」
「お、おい、ちょっと待て。エリア四と言えば、あの化け物がいたところだろ。そんなところに沙耶一人で行かせられるか」
「そんなこと言ったって、今の彰一は足手まといよ。それに、変に動き回られて傷が悪化しても困る。おとなしく待ってて」
 沙耶は部屋を出ていこうとする。俺は必死に呼びとめた。
「待てよ、沙耶。武器もなしであいつと戦おうっていうのか」
「誰も戦うなんて言ってない。逃げるだけでも十分でしょ」
「反撃しないと相手の追撃は激化する一方だ。それに、俺は医療道具の場所を覚えてる。その場で処置できることを考えても、俺を連れて行った方がいい」
 無理矢理ひねり出した説得だったが、どうやら沙耶を納得はさせられたらしい。沙耶は少し考えると、俺に向けて手を差し伸べた。
「……わかったわよ。行きましょう。早く治療しないとどのみち危ないわ」
 その手を取って立ち上がると、脇腹に激痛が走った。そろそろ感覚が戻ってきたらしい。奥歯を噛み締めながら、俺は沙耶と部屋を出た。


「……くっそ、いてえ」
 エリア三を出たところで、完全に感覚が戻った。痛い、なかなかに痛い。これまでもこれくらいの怪我をすることは何度もあったが、まだ慣れない。たいていがすぐに意識をなくすからだ。だから、痛みを実感できるまで長く生き残ったこともほとんどない。
「大丈夫? ちょっと、はあ、休憩する?」
 沙耶が真っ赤な顔でそう言う。確かに俺の方も休憩は必要だろうが、それよりも。
「……沙耶、お前の方が、休憩必要だろ。顔真っ赤だぞ」
「そんな、こと、ない、けど、彰一が、必要なら」
「あー、わかった、わかった。休憩な。どこか、そこら辺の、部屋に入ろう」
 そこで明らかにほっとした表情をするあたりが、かわいげがある。
 近くの小部屋に入ると、真新しい段ボールが置かれていた。
「沙耶、あれ」
 沙耶は頷くと、俺をそっと壁際に座らせて、その段ボールに手をかけた。
「……食料だけ。ここで包帯でもあれば違ったんだろうけど」
 こちらを振り向いて、何やら銀色の袋を掲げて肩をすくめる沙耶。別にいい、と俺はリュックサックの中から水を取り出した。右手だけでは開けづらく、四苦八苦しているうちに見かねた沙耶が段ボールの中にあったらしい水を手渡してくれる。キャップが開いているあたりに細かな気遣いが見える。
「……さんきゅ。正直のどが渇いて」
 右手で水をあおる。すぐにペットボトルは空になって、俺はそれを投げ捨てた。かすり傷が疼く。沙耶が袋のうちの一つを開けて俺の隣に腰掛ける。
「傷は、大丈夫? ……これ、どうやって食べるのかしら」
「傷の方は、かなり痛いな。食料に関しては、たぶん煮込んで食べるんだ。スティック状だし、別にこのままでも、食べれると思うけど」
 ああ、頭がくらくらして集中できない。ふと脇腹を見ると、ジャージが真っ赤に染まっていた。貧血か。このままいくと出血多量で死ぬな。何度もそれで死んできた俺は、それがよくわかった。
「あと、どれくらい?」
「わからない。こっちまで、来てないから」
 行ったところでこの傷が治療できるかはわからないが。
「ほら、食べてみて」
 沙耶が食料のうちの一つを差し出した。断るような余力もなく、俺は口を開けた。
「はい、あーん」
 普通ならうれしい状況なはずなんだが。体中ボロボロな上、こんなところでこの携帯食料ではどうにも喜べない。それをかじると、明らかに人工の味がした。
「うまくはないな。味付けがあからさますぎて。沙耶の手作り料理だったらよかったのに」
「私、あんまり料理上手くないんだけど」
 沙耶は照れくさそうに、しかしあまり嬉しくなさそうに笑った。差し出された分を全部食べきって、俺は痛みを押して立ち上がった。
「さて、そろそろ行かないと」
「彰一、もう少し休んだ方が」
「今井たちがまだ現れてない。怪我をして、来てないだけならいいんだが、そうじゃないなら、今も、襲うタイミングをうかがっているはずだ。だったら、ぐずぐずしてるわけには、いかない。早く、治療道具を取って、戦闘禁止エリアに戻らないと。戦闘禁止エリアなら、今井たちだって手を出せないはずだ」
 それまで保つかは別問題だが。それは考えるだけで言わない。


「ああ、ここ、見覚えがある。あそこを左だ」
 ようやく覚えている場所まで来た。しかし、まだ一度も襲撃を受けていない。それは、どういうことなのか。
「もしかして、皆、死んじゃったのかも……」
 一生懸命俺を支えながら、それでも頭を働かせる沙耶。その可能性は大いにある。何せあの化け物がいるのだ。罠を警戒しなければいけないこの状況でライフルは強力すぎる武器だ。それに、あいつは十中八九ハンターだ。つまり、何らかの訓練を受けている。それに対して、ナンバープレイヤーであるところの今井も蒲生も――蒲生は何やら銃を扱いなれているようだったが――一般人でしかない。あのハンターにやられる可能性は大いにある。
 その場合、不可解なことがいくつかある。まず、どうして俺たちが生きているのか。何しろ、もしも今井が津久田より先に死んだ場合、津久田が失格になり、そのまま俺たちも即失格だ。しかし俺たちは死んでいない。だから二人が死んでいる可能性はない、と言うこともできるだろうが、ここまで今井が襲ってきていないのもおかしい。今井は前回、前々回としつこく襲ってきた。なら、今回もそうなるはずなのだ。なのにそうなっていない。今井には俺たちの場所がわかるのだから、こんなスピードで進んでいたら追いつかれるはずなのに。
 二人を殺す場合、普通反撃をしてくる今井の方を先に殺すはずなのだ。しかし俺も沙耶も失格になっていない。となると、津久田の方が先に死んだということになる。一応罠で死んだ可能性もあるにはあるが。いや、ここでそう考えるのは逃げになるか。罠にしても、きっと今井が前に出ている以上、それにかかるのは今井が先だ。そもそも、今井たちは俺たちの通って来た道を通るはずだ。だから、罠になんてかかるわけがない。
 そうなると、どうなる? ハンターは俺たちがこのゲームのからくりについて話している時、その場にいなかったはずだ。なら、知らないはずなんだ、あいつは。一人が失格になったら全員が死ぬことも。さらに、先に今井を殺すと津久田が失格になることも。なのに、津久田を先に殺した? まさか、ハンターには他のプレイヤーのナンバーまで教えられているのか。それとも、あの場にハンターが紛れ込んでいて、バラバラになってからどこかに隠していたライフルを回収したのか。
 もう一つ、気になることがある。なぜあのハンターは今になって動き出した? 最初から動いていれば、もっと早く俺たちを殺せたはずだ。ハンター以外全員を殺すことがクリア条件なのだから、早く動くに越したことはないだろう。それに、殺す対象もだんだん武装を整えていくだろう。殺す難易度も高くなっていくはずだ。なのに、どうして十時間以上も動かなかった?
「おかしい。つじつまが合わない」
「え? 彰一?」
 沙耶が不思議そうな顔で俺を見る。しかし、構っている余裕がなかった。頭に血が足りない。もっと、もっと集中しないと。
「まだ、俺たちの知らないことが、あるんだ。ハンターについて、俺たちは知らなさすぎる」
「……ええ、そうね」
 沙耶は深刻な顔で頷いた。
「あ、あそこだ。治療道具。薬品棚の中だ。俺の考えが正しければ、薬品棚の鍵が開いて、自由に取れるはずだ」
 蒲生が鍵を二つ持っていたことを思い出す。一つは、手錠の鍵にしては小さすぎたが、薬品棚の鍵だと考えるとどうもぴったりはまるように思う。それがここの鍵である可能性は十分にあった。戦闘禁止エリアでの出没頻度を考えても、あいつは複数チップを持っていると見て間違いない。何しろ、経験上チップは一エリアに一つあればいい方だから、他のエリアで余るほど手に入れられるとも思えない。ここでチップを手に入れたなら、当然あの鍵を開けたことになる。
そして入れ物がなければ大した量の治療道具は持ち運べないだろうし、あの性格なら開けた鍵をもう一度閉めるなんてことはしないだろう。沙耶はそれを聞いて、顔を輝かせた。
「わかった。ちょっと行ってくるから、待ってて」
 沙耶はそう言って、走り出す。俺は言われるがまま、そこの壁に寄り掛かった。ぽたり、水音がして下を見ると、血がジャージのズボンの裾まで伝っていた。自覚すると、痛覚は一層過敏になる。
 ああ、くらくらする。血が、足りない。俺は今、何を考えていたんだっけ? 頭がぼうっとするところに、誰かの足音が聞こえた。音を聞くに、それほど重くない。どちらかというと女性だろう。そこまで考えて、俺はなぜかそれを追って行った。
 あれ、どうしてこんな体で俺は誰のものかも知らない足音を追っている? 相手が誰かもわからないのに? 沙耶に待ってろと言われたのに? いや、ここで相手が誰かを知ることは重要なはずだ。いつどこに誰がいるかは俺にとっては重要な情報になりうる。だから、俺は間違ってない。
 十字路の交差点まで来た。どっちに行った? 俺は耳を澄ますが、何も聞こえない。三つの通路のうちどれかに行ったのは間違いないが。ふと右に行こうと足を踏み出したところで、俺は妙な音を聞いた。
 ――カチ。
 カチ? 足元に、まさにそれらしいスイッチがあった。集中力が切れていた。鳴り響く駆動音が、罠の作動を教えていた。それも、かなり大がかりなものらしい。
 どこだ、どこからくる。身構えていると、目の前の床が割れて下から――あれは、なんだ? 固定機関銃? ガトリング砲?
「う、うわあっ」
 ガトリングの砲身部が回転を始める。なんだ、これ自体は発生が遅い罠だ。すぐに逃げれば問題ない。しかし、タイミング悪く体から力が抜けた。貧血だ。動けない。まずい、これは、死んだ。その時、沙耶の声と、走る足音が聞こえた。
「彰一っ!」
 何かが俺にぶつかった。踏ん張りがきかず、通路にしりもちをついた。顔だけは、彼女を見ていた。沙耶が、ガトリングを横目で見つけて驚愕していた。その奥に、割れた瓶や包帯らしき白いものが見える。俺の姿を探していたらしい。その彼女が、一瞬諦めたように、それでも少し嬉しそうに笑った。その直後、その後頭部が――はじけ飛んだ。
 俺にとって幸運だったことは、弾丸の威力に負けて沙耶「だったもの」がすぐに俺の視界から消えたこと。不運だったことは、それでも沙耶の右腕のひじから先がちぎれて、俺の腹に落ちてきたことだ。
 俺はギリギリのところで射線上から外れていた。がががが、と射撃音が鳴り響く中、腕時計が赤く光っていた。沙耶が俺を突き飛ばしたことが、攻撃行為とみなされたらしい。
 射撃が終わった。沙耶。そうだ、沙耶は。沙耶が飛ばされた方の突き当りを見て、俺は目を疑った。
 顔が、なかった。血まみれの中、弾け飛んだ肉片、脳漿、髪、足首、そして、すでに形すらない胴体。腕時計も吹き飛んでいた。でも、もう問題ではないのだろう。一度作動した以上、すぐに他の時計に伝染していくのだから、元の時計が壊れようが問題なく全員が死ぬ。
右手に巻かれたリボンを、俺は握りしめた。そして、沙耶の腕を抱きしめる。まだ温もりが残っていたが、それは明らかに死体だった。いつもみずみずしかった彼女の肌は、今はゴムのような触り心地だった。歯を食いしばり、涙を堪える。また、助けられなかった。それどころか、今回は完全に俺のせいだ。俺が、沙耶を殺した。俺が。俺が、俺が、俺が。沙耶に従っておけば、沙耶を待っていれば、こんなことには。
「……沙耶、すまない。本当に、すまない」
 そのまま、後悔の渦に溺れながら、俺は毒に意識を奪われた。最後に自分が倒れる音だけが、静かな回廊に響いていた。

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE4)

TAKE4


 クラスメイトの彼女を見捨てた数日後。それから毎日帰りは沙耶を家まで送っていた。過保護だと沙耶は呆れたが、俺の見ていないところで沙耶に何かあって、気づいてなければ戻れなくなってしまう。それが現実になってしまう。それだけは避けたかった。予知をやめる時はメールの返信を確認してからにするし、朝も俺が迎えに行く過保護っぷりだ。そのせいですっかり周りからは公認カップル扱いだが、実のところはそこまで進んでいるわけではなかった。沙耶は俺を単なる幼馴染としか見ていなかっただろうし、実際それ相応の関係でしかなかった。
 その日も、俺は沙耶を送っていた。毎日一緒に帰っていると話すこともなくなってくる。無言で、しかし何となく居心地のいい雰囲気で、俺たちは下校していた。不意に、沙耶が言う。「今日、告白されちゃった」
 俺は驚いて、そして自分でもよくわからないほど焦った。
「沙耶が?」
「何よ、私が告白されると思えないほどブスだっていいたいの」
沙耶は不機嫌そうにそっぽを向く。
「いや、そういうわけじゃないけど。それで……返事は、何て?」
俺ははやる気持ちを抑えながら聞いた。沙耶は少し微笑んで手でバツを作った。
「生徒会長だったんだけど。正直あなたとはつき合えませんって言っちゃった。悪いことしたかな。その気がなくてもつき合ってあげたほうがよかったかな」
沙耶は横目で俺を見た。俺はしどろもどろになりつつ「いや、別に、そんなことは」などと口ごもっていたが、やがていたたまれなくなって逃げ出した。ちょっと、と追いすがる沙耶を引き離す。
 俺は沙耶が好きなんだ、とその時はっきりと自覚した。だから沙耶が自分以外の誰かとつき合うなんて認められないし、沙耶が誰かに傷つけられるなんてなおさら認められるわけがないんだ、と。けれど、中学一年生のまだ子供が抜けきっていない時期にその恋情を認めるのは難しくて、赤くなった顔を見られたくなくて、俺は青信号になった横断歩道を走って渡った。
 背後で、何ががぶつかる音がした。やけに重く響く音だった。それから、何かが転がるような、引きずられるような音も。何となく嫌な予感がして、恐る恐る振り向くと、沙耶はそこにはいなかった。歩道に突っ込んだ車がいて、そのブレーキ痕の線上にボロ雑巾のような何かがあった。それが沙耶だと気づくのに、しばらくかかった。
 ああ、そうか。俺はその時思った。世界が、沙耶を殺そうとしている。普通に生きていて、こんなに何度も死に直面するなんてそうそうない。世界の筋書きが、もしくはそれに似た何かが、沙耶を殺そうとしている。
 俺は悲鳴と、無関係に通り過ぎる車の走行音を聞きながら、震える足で沙耶に歩み寄った。途中で赤信号になったが、気にせず歩き続けた。そして、沙耶のところに来た時、沙耶は息をしておらず、肋骨が折れて皮膚を突き破っていた。ひたすら流れる血が排水溝に吸い込まれていくのを見て、俺はようやく舌を噛みきることに決めた。
 決意した。沙耶を助けるためなら何度だって戻ってやる、と。そして、それは今もずっと変わっていない。



――ズキン。
頭痛に耐えかねて俺は目を覚ました。また、無機質なコンクリートの壁。死んだ、のか。体を起こすと、頭が脈を打って痛んだ。
「……いつもよりも、頭痛の悪化が早い?」
 首をかしげた。どうして、ここまで痛くなる? 早すぎる。この程度なら耐えられない痛みにはならないはずなのに。どういうことだ。
「……いや、そんなこと今考えても仕方ない。まずは沙耶と話し合わないと」
 頭痛に慣れるのをしばし待つ。それから、PDを取り出してルールを開く。沙耶と話し合う前に、情報を整理しないと。
沙耶はルールに穴があると言った。なら、このルールの中に解決の糸口があるのかもしれない。
「時計は書き分けが穴だった。じゃあ、他にも書き分けられているところがあるのか?」
 ざっと目を通してみたが、そんなところは見つけられなかった。なら、どこに穴がある?
「……くそ、集中できない」
 頭痛が思考を妨げる。でも、考えないと。そうしなければ、今にも沙耶の凄惨な死が頭を占領してしまう。沙耶が言っていた怖くならないために考えるというのがよくわかった。
「……くっ、うぅ」
 不意に蘇る光景が俺の涙腺を刺激する。やめろ、今俺は必死に考えてるんだ。泣いてる場合なんかじゃ、ないんだ。ルールの穴を、探さなきゃ。
「なっ……なんなのよ、これは!」
 沙耶の声。俺はいてもたってもいられなくなって部屋を飛び出した。
「沙耶!」
 沙耶の部屋に駆け込むと、いつも通り混乱している沙耶。その姿が、傷一つないその姿が。もう堪えられない。泣いてる場合じゃないのに。その手を、その右手を、俺は取って――
「ちょ、彰一? ここ、どこ? どうしたの、一体」
 温かい。ゴムなんかじゃない、本物の、彼女。
「……うっ、くぅ、ひぐっ、沙耶、沙耶ぁ」
「え、何なのよ。ちょっと、何が何だかわからないんだけど?」
 わかってる。この沙耶とさっきばらばらになった沙耶が別人だということはわかってる。でも、俺にとってはどちらも沙耶なのだ。どちらも、守らなければいけない人なのだ。なのに、守れなかった。俺のせいで、死んだ。何度だってこんなことはあったはずなのに。それでも、慣れない。慣れることはできない。沙耶の死に慣れてしまったら、俺はきっと壊れる。
「……まったく、何なのかしら」
 沙耶は首をかしげながら、それでもおとなしく泣きつかれてくれた。


 落ち着いた俺は、沙耶に現状を包み隠さず話した。それが、前回の沙耶の要望だったから。全てを話すだけで二十分が経過した。逆に言うと、沙耶はたったそれだけの時間で全ての状況を把握してみせた。相変わらず、化け物のような頭脳だ。沙耶は時間を惜しんだのか、口を挟まずに聞き続けた。そして、俺が話し終わったのを察して口を開いた。
「なるほど。状況は大体わかったわ。正直にわかには信じられないことだけど、でも本当なんでしょうね。私のナンバーや特殊機能も知ってるし」
 沙耶は自分のPDを見つつ言う。
「まず、いくつか確認させて。あと十分で質疑応答のメールが届くのよね?」
 俺は頷いた。それだけは何度繰り返しても変わらなかった。
「なら、とりあえずあと九分くらいで動き出さなきゃいけないってわけね。じゃあ、手早くいきましょう。まず一つ。前回の私はこのルールに穴があると言ったのよね?」
「ああ。間違いない」
「ふうん。ならいくつか思い当たるところがあるわね。それじゃ、その蒲生って人の特殊機能について聞きたいんだけど。『三つまで高圧電流で時計を破壊できる』って言ってたのよね?」
「ああ。確かにそう言ってた。それが?」
「きっと、それはPDに書かれてるものをそのまま読み上げたものよね」
「だろうな。言い方は少なくともそんな感じだった」
「『時計』よね?」
 ……あ。
「まさか、あいつの特殊機能って腕時計にも使えるのか?」
「でしょうね。そして、ルールには腕時計に『過度の圧力や衝撃を加えた場合』に関してしか規定されてない。きっと、電流による破壊はセーフなはずよ。だから、彼の特殊機能を使えば三人は助かるはず」
 なんだ、これは。こんな抜け道、俺には見つけられなかった。
「他には、他には何かないか? このルールの抜け道」
 沙耶はすぐに難しい顔をする。
「これだってまだ確証は得られていないわ。他なんてまだ頭に浮かんだ程度ね。時間は限られているんだし、それよりも確認したいことがあるわ」
 残りは六分。俺は何も言わず頷いた。
「次、彰一の能力について。今回もまだ疑似体験でしかないのよね?」
 それを答えるのは勇気が要ったが、それでも何とか頷いた。しかし彼女は時間が惜しいとばかりに何事もなかったかのように話を進めた。
「わかったわ。なら、次。前回の私はこう言ったのよね? 『質疑応答自体前回のゲームにはなかったのかもしれない』って」
「……確かに言ってたが、それが?」
「それで、このゲームは初めて行われたものじゃないのよね?」
「間違いないな。出入り口がコンクリートで固められていて、そこに脱出しようとした痕跡があった。全員の武装的に今回のゲームでつけられた痕跡じゃない」
「なるほど。じゃあ聞くけど、どうしてこの壁掛け時計はこんなに綺麗なの?」
 え? 俺は部屋の壁掛け時計を見る。確かにそれは傷一つなかった。
「彰一、あんた今までで傷ついた壁掛け時計を見たことあった?」
 ……考えてみれば、ないような気がする。壁はところどころ傷ついていたりするのに、そこに設置されている壁掛け時計が何の傷もないのは、どういうことだ?
「きっとこの時計も今回初めて導入されたのよ。だから、こんなに綺麗なの」
「でも、何のために?」
「たぶんね、このゲームは本来はこんなに難易度の高いものじゃないのよ。少なくとも、一人が失格すればそれだけで未クリアの人全員死亡なんて、そんな理不尽なものじゃ」
「じゃあ、なんで今回だけこんなに難易度が高いんだ?」
「それはきっと、彰一がいるからでしょうね」
 沙耶はまた、そんなことを言う。
「だって、運営は彰一を意図的に選んだって言ったんでしょ?なら、彰一のこの能力も知ったうえでゲーム進行をしてるわけでしょ」
「でも、なんでわざわざ俺を選んだんだ? わざわざこんな扱いにくい能力者をプレイヤーに入れる必要がどこにある?」
「それこそ、このゲームの意義に関わることでしょうね。このゲームが何のために行われているのか。それがわからないことには気にしてもしょうがないんじゃないかしら」
 このゲームの意義、か。それを知ることが、必要になるのだろうか。
「それより、あと二分よ。彰一の方で、何か気になっていることはない?」
 気になっていること。そう言われて思い浮かんだのは、例のハンターのことだった。それを説明したあたりで、PDが機械音を鳴らした。
「……歩きながら話しましょう。罠の位置は覚えてるわね?」
 もちろん、と俺は立ち上がって部屋を出た。沙耶がその後についてくる。


「それで、ハンターについてだったわね」
「ああ。おかしいと思わないか?」
 沙耶は少し考え込んで、首をかしげた。
「動き出しの遅さはそういう決まりになっていると考えた方が理解できるんじゃないかしら。ハンターはすでにいくらかアドバンテージを持っているんでしょうし、それを相殺するハンデがあってもおかしくないわ。それから、プレイヤーのパーソナリティを知っているように見えることは、もしかしたら、そういうこともあるかもしれない、としか言えないわ。まだ、ハンターに関しての情報が足りないの。そんな中で彼らについて考えても仕方ないとは思うわ。ただ」
「ただ?」
「ただ、そもそもの話として、ハンターは二人いるのよね? でも、彰一が遭遇したハンターはどれも同一人物みたいに思えるんだけど」
 ……確かに、武装から考えるとそうだ。
「なら、もう一人のハンターはどこにいるのかしらね。普通、それだけ動き回ってたら遭遇してもいいと思うんだけど」
「でも、このフィールドは結構広いしな。たまたま会わなかった可能性もあるし、それにさっきも言ったけどなぜかあいつらは動き出しが遅い。だから、しばらく姿を隠してたなら会わなくても不思議はないと思うんだが」
 それもそうね、と沙耶は一旦引き下がり、また考え込む。
「沙耶、少し急ごう」
 沙耶の足が止まり気味だったので声をかけると、沙耶ははっとして顔を上げた。
「あ、ごめん。少し、いろいろ考えてて」
「このゲームに関して?」
「うん。確証が得られたら話すから」
 沙耶はそう言うと、また考え事を始めた。仕方ない、と俺は沙耶の手を引いて先を急いだ。


結局質疑応答の会場に着くのは十分ほど遅れた。それが会話の内容に影響を与えることもなく、もう三度した会話を記憶を頼りに繰り返す。
「まあ、それもこれも皆生き残ってからの話だけどね。このルールが本当なら、誰もかれも生き残ることなんてできないよ。もちろん僕は死にたくないけどね」
 今井が意地悪く口角を釣り上げたところで、俺は口を挟んでみた。
「今井、お前はたぶん大きな勘違いをしているぞ」
 今井はぎょっとして俺を見る。沙耶が心配そうな顔をしているが、それは今は無視する。この時間は余っていた。ここでこの場の全員を説得できるならそれが一番だ。これが終わると今井は別行動に入ってしまうのだから。
「何さ、お兄さん。まさか、全員生存ルートがあるとか言わないよね」
「それがある確証はない。しかし、全員死亡ルートがあることは確実だ。そして、全員が協力しないとほぼ確実にそのルートに入る」
 気がつくと、全員が俺の方を見ていた。あちらにとってはわけのわからない状況に放り込まれてすぐだ。少しでも情報が欲しいのだろう。ならくれてやる。とっておきの情報だ。
「全員死亡って、来栖君、そらどういうことや」
 榎並が詰め寄ってくる。それを手で制しながら、俺は説明する。
「まだ、確実じゃない。だが、今一度この機械のルールを見直して欲しい」
 俺はポケットからPDを取り出した。それにならい、沙耶以外の全員がPDを取り出した。
「このルール、変だと思わないか。『時計』と書かれているところと『腕時計』と書かれているところがある。これはつまり、きちんと書き分けがなされているということじゃないかと思うんだ」
「確かにね、それはそうかも。そしたら、どういうことになるのかな?」
 今井が挑戦的な目線をこちらに投げてくる。
「『腕時計』はそのままだろうな。しかし『時計』と書かれているところはきっと腕時計以外の時計も含むはずだ。皆ここに来る時に見ただろう、壁に異常に短い間隔で設置された時計を」
「……見たけど、だからなんなの?」
 津久田が首をかしげる。わかれよ、あんた弁護士志望で頭いいんだろ。俺は呆れて続ける。
「ルールの最後の方にあるだろ。『時計が作動した場合、半径五メートル以内に他の時計があればその時計も同時に作動する』って。ここには腕時計か否かの区別がない。どれかの時計が作動したら、五メートル以内にある全ての時計にそれを伝達する。そして、壁掛け時計の間隔はほとんど五メートルおきだ」
 今井が嫌な顔をしてその後を引き継いだ。
「つまり、誰か一人でも失格になればそのまま全員失格。そして、4番のプレイヤーのクリア条件がプレイヤー全員の生存だから、誰か一人でも死んだらその時点で全員失格ってわけね。確かに全員死亡ルートだね、こりゃ」
「察しがいいな、お前」
「ゲームじゃ、ルールが理解できなきゃ致命傷だからね。何度ネトゲでわからん殺しされたか」
 今井はさほど嬉しくなさそうに肩をすくめると、俺を見据えて言った。
「で、それでどうするの? このままなら全員ゲームオーバーまっしぐらだけど」
「ああ、せや。来栖君、このままやと死ぬんやろ? なんかあらへんのか」
 榎並が俺にすがってくる。ええい、鬱陶しい。
「とりあえず、プレイヤー全員で団結したいっていうのがひとまずの目標だ。だけどまずは、このまま質疑応答に入ろう。でも、皆頭の隅に置いといてくれ。このままじゃ全員死ぬんだってこと」
 ずっと口をつぐんでいた沙耶も口を開く。
「私たちだって、さっき気づいたばかりなの。だから今すぐに解決策が浮かぶわけじゃないわ。でも、絶対に抜け道を探し出す。だから、皆も手伝って欲しいの」
 その言葉に、最初に今井が反応した。PDを見つめて、しばらくしてため息をついた。
「……仕方ないね。クリアしたら死ぬっていうんなら、今のところはクリア条件とか言ってもいられないし。この質疑応答でお兄さんたちの考えが正しいかどうか確認するとして、もし本当だった場合は、僕はお兄さんたちと行動しようかな。二人ともかなり頭が切れるみたいだし、一時的でも仲間になるメリットはある。あんたらはどうする?」
 今井が他の三人に視線を向ける。するとすぐに榎並が声を上げた。
「ほ、ほんならわしも仲間に入れてんか。わしは役に立つでえ」
 続いて津久田も。
「わ、私も。大勢でいた方が安全そうだし」
 最後に、牧瀬。牧瀬はしばらく悩んで、自分のPDを一瞥して何かを諦めたように笑った。
「これは……仕方ないね。僕も同行しよう」
 上手くいった。ここで全員を説得することは今後の展開のために絶対必要なことだった。今井が納得するかどうかが重要だったが、そのふるまいとは裏腹にかなり慎重な性格らしい。
「まあ、これが本当だったらの話だけどね。その確認はお兄さんたちがやってくれるんでしょ?」
 頷くと、今井はにやりと笑みを浮かべた。
「いやあ、悪いね。じゃ、僕は自分の確認したいことを聞くから。一応皆も考えとけば? 何気なく聞いたことが解決の糸口になることもあるかもよ。よく言うじゃん、三人寄れば文殊の知恵って」
 質疑応答まで残り十分ほどになっていた。慌てて榎並と津久田はPDに目を落とす。続いて牧瀬も。
「私たちも。私は大体決まってるけど、一応彰一も考えといて」
 大体聞くことは決まってる。別にいいよ、と俺は全員の様子を観察することにした。


 質疑応答開始間際。津久田と今井が例のやり取りをし、そこに沙耶が割って入る。
「ちょっと、あんた。もう少し考えて発言しなさい」
「こっちのお姉さんは結構事態が把握できてるみたいだね。でも、言葉を変えても無意味だよ。どれだけオブラートに包もうが、結局遅かれ早かれ僕たちは皆その事実に向き合うことになるんだ。だったら今のうちに気づいておいた方がいいでしょ。その結果パニックになっても僕の知ったことじゃない」
「おい、やめろ。止める理由がわからないわけじゃないだろ」
 俺も見かねて止めに入った。少し前まではその言葉もそれほど重いものではなかったが、今は違う。この状況では少しでも結束を妨げるような言動は慎むべきだ。疑心暗鬼になって暴れられでもしたら俺たちが困る。今井もそれに思い当ったらしく、すぐに発言を取り消した。その表情が、いつになく曇って見える。
「……わかったよ、今のなし。でも、今動き回ってるプレイヤーたちが武器や食料を探してるのは間違いない。だから、用心した方がいいのは確かだと思うけど。全員での生存を目指すってことは、説得して回るわけでしょ? ならその前に殺されるのは避けるべきじゃないの。全員の中に当然僕らも入ってるわけだしさ」
 まあ、そうだが。なんと答えるべきかと迷っていると、今井は陰のある顔でつぶやいた。
「……気づかないくらいなら、気づいておいた方がいいに決まってるだろ」
その雰囲気に何か裏を感じた。しかしわざわざ踏み込むことではない。そうこうしているうちに、スピーカーがハウリング音を鳴らした。
『ザザ――皆様、お待たせいたしました』
「ほら、黒幕のお出ましだよ。まずはこっちに集中しようよ」
 今井がスピーカーを指差して言う。……時間は限られている。今井一人に固執している暇はない。俺は頷いてスピーカー前に移動した。


 質疑応答が始まって、俺はいの一番に口を開いた。
「最初に聞いておきたいことがある。このルールにおいて『時計』と『腕時計』の表記は明確に使い分けられているな?」
 運営はそれを聞いて、少し沈黙してから答えた。
『ええ、その通りです。その使い分けには明確な基準が設けられています』
「その基準とは、腕時計のみか、その他の時計を含むかの違いだな?」
『はい』
「その他の時計――壁掛けの時計は五メートルおきに設置してある。そうだな」
『ええ、そうです』
「つまり、誰か一人でも失格したなら、クリア条件を満たしていない全員が失格になる。そういうことだな」
 運営は何事もないかのように肯定した。
『はい、その通りです』
 そうだろうな。俺は冷めた目でスピーカーを睨みつけた。しかし、そんなことを運営が断言していいのだろうか。それはそのままこのゲームのバランスが致命的に崩れていると認めることに他ならない。俺にとっては好都合だが、運営としては少し困った事態になるのではないか。
「なにそれ、黙って聞いてればふざけたこと言ってくれるじゃない。そんなの、ゲームとして成立するのかしら」
 案の定、津久田が噛みついた。しかし運営は一歩も引かない。
『プレイヤーの皆様にはおわかりにならないかもしれませんが、これはゲームとして成立しております。少なくとも、こちらの定義においてはゲームとして成立します』
「定義? お前らの言う『ゲームの定義』とはなんだ」
 俺が聞くと、運営の男は言葉を噛み締めるように答えた。
『勝利と敗北の概念があること、参加者全てに勝つ見込みがあること、参加者の勝利の難易度が勝利時の見返りに反映されていることの三つです』
 なんだ、その基準は。俺は思わず首をかしげた。このゲームに適用するにはあまり適さない基準のように思えた。何しろクリア条件の関係でほぼ確実にクリアできない人間がいるのだ。プレイヤーナンバー8、牧瀬洋平。ふと彼の方を見たが、彼はそれほど動揺しているようには見えなかった。……どういうことだろうか。
 前回見つけた壁掛け時計を壊す機械を思い出す。例えばあれを使って周囲の時計を全て壊したうえで3番のプレイヤーの腕時計を作動させれば確かに彼にもクリアは可能だ。しかし、彼はあの機械の存在を知らないはずだ。普通なら取り乱して当然の場面ではないのか。それとも、ただ我慢しているだけに過ぎないのか。気になりはしたが、今それを問い詰めるような時間はない。後ろ髪を引かれながら俺はスピーカーに向き直った。
「それ以上言うつもりはないんだな? なら次の質問だ。ハンターとはなんだ。何のために設けられている」
『質問が不明確です。具体的に願います』
「例えば、ハンターには普通のプレイヤーよりも多くの情報が与えられているとか、その代わりに何らかの制限がかけられているとか」
『申し訳ありませんが、それに関しましては私どもでは公開できません』
「なるほど、言えないってことは、少なくともその類のことを匂わせる意図が運営にはあるんだな」
 俺が言うと、運営の男はまた少し愉しげに答えた。
『ああ、そうですね。ここまでなら許容範囲でしょうか。ハンターには確かにどちらのようなことも設定されております。しかし、それがどういった内容かはお教えできません』
「じゃあ、二つ目の質問についてはどうだ?」
『ハンターの存在意義でしょうか。それに関しましては、ゲームに緊張感をもたらすためでございます』
「それだけか?」
『と、いいますと?』
「……いや、いい」
 俺は口をつぐんだ。完全に確証を持つまでは、運営ははぐらかすだろう。たしかに運営の言うような目的もあるんだろうとは思う。しかし、本当にそれだけなんだろうか。俺はさっきからずっと抱えていたその疑問をもう少し抱えておくことにした。
「私も、聞いていい?」
 沙耶が口を開く。今はこれくらいで十分だろう。俺は沙耶に順番を譲った。
「じゃあ、聞くわ。もしも、クリア条件を二つ持つことになった場合、どうなるの?」
 クリア条件を二つ? どういうことだ。他の四人も困惑している。しかし運営は予想していたといわんばかりに落ち着き払って聞き返した。
『それは、一体どういった意味でしょう』
「例えば、何らかの罠やイベントでクリア条件が追加された場合とか。もしもだから、実際にそんなことがありうるかは問題にしてないわ。決まってないなら決まってないって言って構わないわよ」
『その場合ですが、より優先順位の高いクリア条件のみを採用してその他の条件は消去することになります』
「その優先順位って、どんなものなの? 例えば、ナンバープレイヤーとハンターのクリア条件なら、どちらの優先順位が高いの?」
 すると、スピーカーからふう、とため息めいた音が聞こえた。
『その場合では、ハンターのクリア条件が優先されます』
 そこで、沙耶は鋭くスピーカーを睨みつけた。
「なるほどね。その件についてはもういいわ」
 沙耶と俺はそれ以上何も聞かなかった。他の皆が質問しているのを尻目に、沙耶は俺に耳打ちしてきた。
「銃はどこにあるの」
 俺も小声で返す。
「二階エリア十九」
 そう、と沙耶はそれだけ言って俺から離れた。そもそも全員の団結を言い出したのは沙耶だ。なら、同じ状況では同じように考えるのだろう。つまり、この後俺がどうするべきかもわかっているはずだ。だが、それを問いただすのは少し危険な気がした。あまり二人で話していると、あらぬ疑いを向けられることになるかもしれない。自分で考える必要がある。少なくとも、ナンバープレイヤー全てを仲間にしたうえででなければ満足に相談もできないだろう。
 さて、どうするか。まずは残りの三人と会わなければならない。二階エリア九、四と行けば高確率で蒲生と古谷に会えるはずだ。しかし3番のプレイヤーに会えるタイミングは限られている。直接会ったのはゲーム開始七時間後の三階エリア十九近く。他にも彼女のものと思われる足音を聞いたことはあったが、本当にそうだという確証はない。やはり、蒲生や古谷と一緒に会う必要があるだろう。つまり、銃が必要になる。そして、それは二階エリア十九にある。しかし、と俺は腕時計を見た。今はゲーム開始二時間半後。これが終わってすぐにエリア十九に向かうとすると、エリア二十を経由しなくては。エリア十四から直接行こうとすると、あのライフルのハンターに遭遇する羽目になる。次に、彼らに会うまでは二階エリア九、四には行かないようにしなければ。蒲生と遭遇してしまえばそこでかなり時間を取られてしまうことは確実だろう。そうなると3番のプレイヤーと接触できなくなるかもしれない。不確定要素はできる限りなくしたい。
 つまり、これからやるべきことはそれほど多くない。「銃を手に入れ」、「不用意なプレイヤーとの接触を避け」、「ゲーム開始七時間後の時点で蒲生、古谷、そして3番のプレイヤーと接触する」。今はゲーム開始から三時間半。動き出しにあと一時間かかるとして、まだ二時間半の余裕がある。
「流石に少し長いな」
 ひとりごちて、考える。何をどうやっても一時間ほどは余ってしまうだろう。その時間をどう過ごすべきか。この時間が限られた状況で一時間を無駄にするのは少し辛い。
 考え込んでいると、不意に右手を引かれた。我に返ると、沙耶が部屋の端の方を見ていた。俺はふと思い出す。ああ、そういえばこの時はチップの保管箱の一件があったのだった。
「邪魔してごめん」
 沙耶は小声で謝ってきたが、俺はむしろ謝り返した。ここで四人に怪しまれるのは得策ではない。頭の端に置きつつ、今はできる限り自然にふるまうことに集中すべきだ。俺は何食わぬ顔で黒い箱をいじる今井のもとに駆け寄った。


「とりあえず、さっき言っていたことは信じてくれたか?」
 質疑応答の後、呆然としている四人に俺は言った。
「……どうやら本当みたいだね。あっちからしたらわざわざ嘘をつく理由もないし」
 今井が面倒くさそうに肩をすくめる。その声が、まだ少し震えている。他の三人も俺を疑っている様子ではない。
「信じてもらえている、みたいだな。それじゃ、俺たちと一緒に来てくれるのか?」
 すぐに返事は帰ってこなかった。少しして今井が口を開いた。
「質疑応答も済んだことだし、本来なら別行動をとりたいところなんだけど――状況が状況だしね。皆も異論はないよね?」
「あ、ああ。せやな。バラバラになったら運営の思う壺や」
 榎並が引きつった顔で笑顔を作ろうとする。津久田はまだ少し放心状態のようで、答えはないが確かに頷いた。牧瀬も同様だ。
「それで、これからどうするつもりなのさ。実際問題どうしてもクリア条件が競合する人は出てくると思うけど」
 俺は少し言葉に詰まった。まだ、俺が繰り返していることを話すのは早い。いや、そんなタイミングが来るかはわからないが、しかし少なくともここではない。どうにかして違和感のない嘘をつかなくては。俺が考えていると、沙耶が横から口を出してきた。
「ねえ、とりあえずあそこを調べてみたいんだけど」
「あそこって?」
「ほら、エリア十九の話。二階の」
 何を言い出すんだ、沙耶は。そんな直球で言っても不審がられるだけだろう。しかし沙耶は俺の方が変だとばかりに首をかしげる。
「あれ、聞かなかった? 私たちがあそこを通った時に、足音みたいなのが聞こえたのよ。もしかしたらまだその足音の主がそこにいるかもしれないわ。プレイヤー全員と協力するんでしょ? だったらまず他のプレイヤーと会わなくちゃ。そのために、少しでも手がかりのあるところを探した方がいいんじゃないかしら」
 無論だが、俺たちはこの時点ではまだエリア十九になんか行っていない。何を言ってるんだ、と言いかけて口をつぐむ。沙耶の目が俺の目の奥を見ていた。なるほど、そういうことか。俺は少し大げさに首をかしげて見せた。
「そんな音したか? 俺は聞かなかったが」
 沙耶はそれに合わせて少しむきになったような振りをする。
「したの! 何、私のこと疑うの?」
「そういうわけじゃないが、不確定な情報で動くのは危険だと思うんだが」
「じゃあ、確定情報ってなによ。こんな状況で何をもって確定っていうわけ?」
 まあまあ、と案の定仲裁に入ってきたのは牧瀬だ。
「これからどうするか決まってなければ、とりあえず彼女の案に乗ってみてもいいんじゃないかな。これから四十時間以上あるわけだし、ずっと同じところに留まってても時間の無駄だし」
 俺はそれに肩をすくめて残りの三人の方を見た。
「僕は、それよりこのあたりの捜索をして食料とか武器とかを探したいところなんだけど。まあ、別にここでなくてもいいしね。エリア十九でプレイヤーと一緒に探せばいい話だし。僕はどっちでもいいよ」
 今井はそう言ってまたチップの保管箱をいじり始めた。俺は次に津久田に目を移す。津久田は少し困ったような顔をして、それからこう答えた。
「わ、私は正直何が何だかわからないんだけど……。でも、私は皆について行くわ。一人でいるのは怖いもの」
 嘘つくなよ、と俺は内心でため息をついた。あんたは生き残るために、今井と一緒になって俺を殺そうとしていたじゃないか。どうせ一人になったってしたたかに自分の身を守るんだろう。まあ、ルール上一人になったら死ぬんだが。きっと津久田は自分のパートナーを追ってこの質疑応答に来ていたのだ。パートナーが誰かまではわからないこの状況では俺たちについてくるほかない。反対して置いて行かれるよりはずっと利口なやり方だ。
 さて、最後は榎並だが。榎並は俺の視線に気づいて、狼狽しながら答えた。
「わ、わしか? わしも同じや。大人数の方が安全やからな」
 ……どうせ何も考えていないんだろう。いや、実感が持てないというのが正確なところか。脳がこの状況を受け入れるのを拒否している。だから、こんな状況でセクハラに及べるわけだ。一応、沙耶に注意はしておかなければ。俺はそんなことを考えながら、不服気に眉をしかめた。
「……わかったよ。沙耶の案を取ろう。このままエリア十九に向かって、プレイヤーと食料、武器を探す。できればチップも欲しいな。それらを探すことを最優先にしよう」
 チップがあったのはエリア十八だったか。何とかそちらに行くように誘導しなければ。後で沙耶に伝えておこう。また一芝居打たなければいけないのか、と思うと正直疲れがこみ上げてくる。
 ――ズキン。しばらく続いていた頭痛が、また少しひどくなった。あまり時間がないらしい、と痛む頭でそう思った。


 エリア二十を経由することに異論は出なかった。というのも、エリア十四、エリア十から来たプレイヤーはいても、エリア二十経由でエリア十五まで来たプレイヤーは一人もいなかったからだ。俺たちもエリア十九からエリア十四経由で来た、ということにした。本当はハンターの存在からこのルートは不可能なのだが、エリア二十を経由する説得力のある理由が欲しかったのだ。
先導は榎並に任せた。そうすれば流石にセクハラをするような余裕はなくなるだろう。念には念を入れて、女性陣は後方に避難させた。その采配が功を奏したのか、それとも自分の置かれた状況を受け入れることができたのか、榎並は黙々と先頭を務めた。罠には一度もかかっていない。やはりな、と内心にやりとした。
「どうしたの、お兄さん」
 今井が探るような視線を投げてくる。俺ははぐらかすように肩をすくめた。
「別に。それより、このあたりからエリア二十だ。細かく捜索を始めよう。榎並さん、よろしく」
 はいな、と榎並は答えつつPDを食い入るように見つめている。
「牧瀬さんも、大丈夫だな?」
牧瀬も頷く。俺も罠が仕掛けられている部屋のいくつかは覚えているが、その部屋だけ警戒しては怪しまれるので、全部屋を警戒態勢で捜索することになる。これは骨が折れるな、と俺は首の後ろをもんだ。
そうして第一の部屋。榎並はそこにたどり着くなり、迷いなくその扉を――開けた。
「あ、馬鹿、おっさん!」
 今井が大声を出した時にはもう遅い。榎並は不思議な顔をして振り返った。
「ん? なんや、大声出して」
「どうしたも何も、罠があるかもしれないってわかってないの? あんたが死んだら全員死ぬんだよ。自己責任なんかじゃないんだ。そこんとこわかってもらわないと」
 別に、榎並が死んでも全員死ぬわけではないが、それは言わないでおいた。下手をすればこの団結を壊しかねない。いらついた今井に対して、あくまで榎並は悪びれすに答えた。
「せやかて、罠はなかったんやから問題ないやろ」
「そういう問題じゃないんだよ。それは結果論だ。人の迷惑も考えてよ。だからおっさんみたいな奴は嫌いなんだ。もしここに罠が仕掛けられてたらどうするつもりだったのさ」
 そこで初めて榎並は息をのんだ。何かに気づいたような反応だ。それから難しい顔をして頷く。
「せ、せやな。次から気をつけるわ」
 その答えに今井は納得していないらしい。今度は俺を振り返って言いつのった。
「ねえお兄さん。本当にこのおっさんを先頭に置くの? それだったら僕やお兄さんの方が百倍ましだと思うけど」
 今井の言い分はわかる。だが、こっちにだってそれなりの理由があるわけで。
「いや、このままで行く。俺にも考えがあるんだ」
 そう言うと、今井は不満そうながらも引き下がった。
「僕はあんまり得策とは思えないけどね」


 それからも榎並の対応はそれほど変わらなかった。一応ドアを開ける時に皆に注意を促してはいるが、自分はまるで緊張していない。しかし、部屋の探索で使えそうなものが見つからないまま、五つ目の部屋の前まで来た時だった。榎並の顔色がいつの間にか真っ青になっていた。
「どうしたんだ、榎並さん」
 すると、榎並はこわばった顔のまま俺に言った。
「な、なあ。ここは後回しにして、次にいかへんか」
「どうしてだよ」
 俺が聞き返すと、榎並は何とか言いつくろおうとあたふたし始めた。まったく、わかりやすい奴だ。
「あ、いや、せやからな。えーっと、せや、勘や、勘。わしは勘は当たる方なんや。競馬の馬の読みも結構当たるし……」
「とはいえ、ここだけ調べないわけにもいかないでしょ。戻ってくるような時間もないわけだし」
 今井が呆れたような口調で言った。
「せやかて……」
 そこに牧瀬が仲裁に入る。
「じゃあ、せめて気をつけて開けようか。例えばここのドアは全て外開きだ。蝶番の方に皆が集まって、壁と扉を盾にするようにして開ければリスクは最小限になるんじゃないかな」
「いいから、早く開けましょう。あんまり立ち止まりたくないわ」
 津久田が不安そうに後ろから促す。これまでまったく罠にかかっていないので、そっちよりも襲われる方に不安を感じているらしかった。
「まあ、牧瀬さんの方法でいいんじゃない? おじさんもそれでいいわよね?」
 沙耶の言葉に、榎並はしぶしぶといった様子で頷いた。
「ほんなら、開けるで」
 ゆっくりと、榎並はドアを引く。その時、かちりと何かの音がしたのを俺は聞いた。そして、空気が吸い込まれるような音も。
「下がれ!」
俺は沙耶の手を引いて通路の奥に逃げようとする。皆も咄嗟にそれに倣って、その次の瞬間、その小部屋が火を噴いた。衝撃波が俺たちを吹き飛ばす。
 ごぉん、と少しだけ遅れて轟音が鳴り響いた。それで罠が終わりだということを確認してから、俺はまず咄嗟に抱き込んだ沙耶の状態を確認する。外傷も見られないし、どこも火傷していなさそうだ。驚いて声も出せないでいる彼女を優しく床に座らせて、それから周りの皆の状態も確認する。
 全員、揃って目立った外傷はなかった。せいぜい榎並の薄い髪の毛のさらに一部が焦げついているくらいか。どうせすぐに抜けるだろうから、大した問題でもないだろう。それを見て、ようやく気を緩める。
誰か一人にでも死なれると全員ゲームオーバーだ。榎並が死ぬ分には即失格ではないが、逆に全員をまとめあげる口実がなくなってしまう。どちらにせよ、今回のゲームを捨てるほかなくなるわけだ。危なかった、と額の汗を拭っていると、反応の遅れた今井が声を上げる。
「……っべー! 本物の爆薬だ! すっげ、こんな衝撃来るんだ!」
 今井は興奮しているらしい。ゲーム脳め、もう少し堪えたらどうなんだ。一応一般人だろ、お前。
「な、何今の! ば、爆発なの?」
 それに対して津久田の反応はあくまで一般女性だ。そもそも何が起こったのかすらあまりわかっていない。
「……危なかったね」
 服についたすすを払いつつ、牧瀬は立ち上がった。
「だから言うたんや、ここはアカンて。ああ、わしのリトルヘアーが焦げてもうた」
 榎並は思いのほか冷静に髪の心配をしていた。
「沙耶、大丈夫か」
 ええ、と何事もなかったかのように沙耶は立ち上がる。全く、気丈なもんだ。
「これ、罠かしら」
「まあ、だろうな」
「どういう仕組みなのかしらね」
「さあ、俺はそっちには詳しくない。それより、今の」
 俺が切り出すと、沙耶も真剣な顔で頷いた。
「でしょうね。ちょっと露骨すぎるとは思うけど、あんまり駆け引きとか考えてなさそうだし」
 俺たちは同時に榎並を見た。榎並は恐る恐る小部屋の中を確認しているようだった。
「なあ、来栖くん。こん中焦げとるけど、探すんか?」
「多分、これ以上罠が仕掛けられていることはないだろうし。行こう。女性陣とあと一人見張りを部屋の外に置いて」
「じゃあ、その見張りには僕が立とう。体力にはそれなりに自信がある」
 牧瀬が名乗り出る。俺は少し悩んで、その申し出を却下した。
「済まないが、見張りは今井にやって欲しい。出来るか?」
 今井は予想外、といったような表情をした。
「え、僕でいいの? 自慢じゃないけど、僕体育の評定万年2なんだ」
 だったら前回の追いかけっこはなんだ、と言いたくなったが、なんとか堪えた。そんなことに時間を使っている場合ではない。
「別に戦えと言ってるわけじゃないし。見ててくれればいいだけだ」
 了解、と今井はドアの横に寄りかかる。
「じゃ、行ってらっしゃい。あ、お姉さんたちはこっちね。別に僕はセクハラも変なこともしないから安心して」
 皮肉っぽく榎並を横目で見ながら笑う今井。榎並はなんやあいつ、と嫌そうな顔をしながら部屋の中に入っていった。俺と牧瀬がそれに続く。
「せやかて、こないになっとったらダンボールも吹き飛んどるんやないか。こないなところに誰がものを置くねん」
「こんなところだから、だよ」
 俺は火のついたダンボールの破片を踏んで消火しながら答えた。
「より険しい課題をクリアしたものにはよりよい報酬を。ゲームの基本だ。あっちだってそれくらいわかってるはずだ。だから、部屋に入るためにこんな罠を回避したプレイヤーにはそれなりにいい報酬があってしかるべきだろ?」
「ようわからんが、まあええわ。なんかあったらめっけもんやしな」
 三人は黙々と捜索を始めた。すると、何やら金属らしき光を見つけた。
「……手錠、か」
 鍵が刺さったままになっている。少し熱気を放っているが、まあすぐに冷めるだろう。
 ふと、思う。同じアイテムが三つ見つかった。確か二階エリア九や十四でも手錠が見つかったはずだ。手錠の装飾を見てみると、微妙にどちらとも違う。厳密には同じではないわけだ。しかし、これまで同じアイテムがこれほどいくつも見つかることはなかった。探していないところがないわけではないが、これだけ探してないということは、どちらかというと同じアイテムが見つかる方が稀だと思ったほうがいいだろう。
 沙耶の言う通り運営がわざと穴を作っているとすると、こういうアイテム配置にもやはり何らかの意図があると考えた方が自然かもしれない。つまり、この手錠三つには意味があるということになる。運営は、この手錠で誰かを縛って欲しいというわけだ。普通に考えるなら、これは俺たちナンバープレイヤーに向けたもので、ハンターを無力化するためのものだろう。三つ目は蒲生を縛ってくれというところか。あるいは、他の誰かを動けなくして監禁するためか。
 しかし、この手錠も鍵が刺さっている。もしかすると、鍵が刺さっている方がデフォルトなのかもしれない。なら、最初の手錠はなんだったのだろう。そんなことを考えながら手錠が冷めるのを待っていると、牧瀬から声をかけられた。
「ちょっと、いいかな」
 とりあえず手錠を置いてそちらを覗きに行くと、そこには少しすすのついた黒い小箱があった。
「な、なあ。これ、さっき見た」
 榎並は興奮して触れようとするが、俺はそれを止める。
「多分熱いぞ。まだ触らないほうがいい」
「それよりこれ、動くのかな。爆発に巻き込まれて機能停止とかしてなければいいけど」
「大丈夫だろ。そうじゃなきゃ、こんな場所に置くわけがない」
 とりあえずそれも放置して、俺たちは捜索を続けた。しかしそれ以上はダンボールの燃えカスや何やら金属の破片があるばかりで使えそうなものは何もなかった。
「さて、そろそろ大丈夫か」
 俺は先ほどの黒い小箱に触れてみた。まだ少し熱いが、持てないほどじゃない。それを確認してから、俺は起動ボタンを押した。少しして、排気ファンが作動する。
「おお、動いたんか。そんで、チップはどないや」
 榎並が反応してこちらに寄ってくる。それにつられて牧瀬も。
「ああ、ちゃんと入ってる。これだけ厳重に守られていれば、中に入ってるチップは流石に無事だろう」
 いい傾向だ、と俺は内心思った。このままチップを使えば自然な流れで三階エリア十九まで誘導できるだろう。そう考えて、はたと気づく。今はゲーム開始から何時間たったんだったか。
腕時計を見る。ゲーム開始から五時間が経過しようとしていた。今すぐ使ったら、思ったように誘導できない。
「ほんなら、早速使おか。どこから攻撃されるかわからん状況では気も休まらんわ」
「ちょっと待ってくれ」
 俺は榎並を引き止めた。
「なんや、来栖くん」
「今使っても、そこに行くまでにかなり時間がかかるはずだ。そして、戦闘禁止エリアが変更されるのが六時間おき。あと一時間で変更されることになる。今使ったら、もったいない。しばらくの間表示されるらしいから、移動時間も考えてもう少し待とう。できれば、一時間くらい」
 榎並はせやったか、と首をかしげていたが、牧瀬はそれに賛成した。
「そうだね。少なくともまだ五時間も経っていない今使うのはは得策じゃない。榎並さん、もう少し待ちましょうか」
「なんや、二人してわしを我慢できん子供みたいに扱いよって」
 実際にお前は大きい子供だろ、と喉まで出かけたのを、俺は少し苦心して飲み込んだ。


 エリア二十にはあとは食料があった。小部屋の真ん中にわざとらしく段ボールが一つだけ置かれていて、俺たちは大いに警戒したが、榎並はまた何も気にせずに開けてしまった。結果何もなかったわけだが、今井がこっぴどく叱ったので少しは懲りたらしかった。
さて、その食料は比較的量が多く、この大所帯でも一食分は食べられる程度の量だった。それを見つけた俺たちは、交代で見張りをしつつこのゲームで初めての食事にありついた。
「かったいなあ、こんなんどうやって食うんや」
「ほら、水でふやかして食べるんですよ」
「この固形食糧、味気ないわねえ。カロリーメイトくらいおいしくできないのかしら」
「なんだ、カレーもあるんじゃん。思ってたよりレパートリーあるんだね」
「え、それ、一つだけ?」
「残念ながら。そしてこれは僕のものだ。お姉さんには譲らないよ」
「何よそれ。じゃあ、他に何かないの」
「これまた残念ながら。あとは乾パンとスティック状の固形食料だけみたいだよ」
 五人が各々口を開きながら食べているのを、俺は背中に聞きながら考えていた。ゲーム開始から五時間五分後。このままいけばいい感じに時間が調整できる。あとは、蒲生をどうやって説得するか。脅せばいいといえばそうだが、それが蒲生との不和を招きはしないだろうか。
「来栖くん」
 扉越しに声が聞こえて、俺は考え事を中断した。
「見張り交代だ。来栖くんの分も取っておいてあるから食べるといい」
 そう言って出てきたのは牧瀬だった。
「あんたはいいのか、食べなくて」
「あいにくと食欲がなくてね。乾パン二枚でごちそうさまだよ」
「へえ、俺はてっきり」
 そのしっかりと筋肉のついた長身を眺めると、牧瀬は反応に困ったように曖昧に笑った。
「ああ、まあ、いつもは食べるんだけど。こういう時はいつだって食事が喉を通らない」
 さりげなく時間を確認する。まだ動き出すには早い。なら、雑談でもして時間を潰すべきか。それで得られる情報もあるだろう。
「こういう時? あんた、こんな状況になったことがあるのか」
 すると、牧瀬は慌てて言い訳をした。
「あ、ああ、殺し合いとかそういうことじゃないんだ。でも、人が死にかける瞬間には、何度も立ち会ったから」
 その言葉に、俺は少しだけ共感を覚えた。そのままほとんど偽りない言葉を紡ぐ。
「あんたの気持ち、なんとなくわかるよ。俺も、似たようなものだ」
「……彼女かい?」
 当てられて、俺は頭をかいた。
「わかるものか、そういうの」
「そりゃあ、あんなに大事そうに抱えていれば」
 さっきの爆発の時のことを言っているらしいことはなんとなくわかった。俺はそれ以上踏み込まれないように矛先を返す。
「あれは幼馴染だ。あんたのは、なんだ?」
 質問を返された牧瀬は、口元を苦々しく歪めた。
「……妹が。心臓の病気でね、ドナーが必要なんだ。でも、なかなかいないものだろう、血液型が合うドナーって。医者にはドナーが現れる前に死ぬんじゃないかって言われたよ」
 そうか、と俺は相槌を打った。それで、俺はこの会話を終わらせるつもりだった。こんなところで会っただけの他人にそんなデリケートな部分に突っ込まれたくないだろう。なら、これ以上の話はしたくないはずだと。しかし、思惑は外れて牧瀬は語り続けた。
「もちろん僕も検査したけどね、だめらしいんだ。双子だったら、また少しは違ったんだろうけど。もう、長くない。もうそろそろ体力的に手術もできなくなる頃だろう。だから、早く心臓が必要なんだ」
 面倒だ。牧瀬には悪いが、俺は一言断って部屋の中に入ろうとした。
「心臓が……」
 かすかに耳に追いすがった牧瀬の言葉が、俺には少し不気味に聞こえた。


「それにしても、食べてみると全然なかったな」
 食事を終えてみると、かなりあるように見えた食料が綺麗さっぱりなくなっていた。余ったのは水のボトル二本程度。その消費の大半はおそらく榎並によるものだろうが。まったく、基本的に役に立たないくせに食べるものはしっかり食べやがる。俺でさえ今後のことも考えて少しは残そうと思っていたのに。
「なんだか、食べた気がしないわ」
 津久田がため息混じりにそう言った。
「まあ、気持ちはわかるけどね。この味気ない感じ。僕は結構こういう人工的な味にも慣れてるんだけど」
 今井は皮肉げに口角を少し上げた。
「なんや、小僧。不健康な生活送っとるやないか」
 おっさんには言われたくないけどね、と今井は榎並のたっぷりと出た腹を見て言った。
「なんやと、そないにひょろひょろしとるよかマシや」
 まあまあ、と牧瀬が仲裁に入る。
「それより、これからの事なんだけど」
 沙耶が切り出すと、それまでの少し緩んだ空気が引き締まった。
「もうすぐエリア十九に入るわ。これまで以上に警戒して進みましょう。既に一度プレイヤーを見つけた場所よ。罠を警戒するプレイヤーなら安全のために一度通った場所を通るのは十分あり得る話よ」
「そうだね、未だに僕たちは武器も持っていない。加えて大所帯じゃ、気配を殺すなんて難しいだろう」
 牧瀬の言葉に、今井も頷く。
「動きにくいしね。あそこのおっさんなんか明らかに足遅そうだし」
「あんなあ、小僧。何かとわしに突っかかってきとるけど、なんか恨みでもあるんか」
 別に、と今井は嫌味っぽく笑ってみせる。
「あんたたち、いいかげんにして。今はそんなことで時間を使ってる場合じゃないの」
 沙耶が一喝すると、ようやく二人はおとなしくなった。
「彰一、このまま榎並さんを先頭に立たせていいの?」
 沙耶が俺に向き直った。沙耶もわかっているはずだ。つまり、これは他の皆を納得させるためのものだろう。
「ああ、大丈夫だ。さっきの爆発の時もこの人、見た目に似合わず素早く逃げてた。――勘はすごく働くんだろう」
 にやりと榎並を一瞥すると、榎並はせやろ、と得意げに胸を張っている。俺の言っている意味には全く気づいていないらしい。今井は少し勘づいたみたいだが、他の奴らはやはり気づかない。そんなことだろうと思ったよ、と俺は内心肩をすくめる。
「そうだね、勘だけはものすごく働くみたいだし」
 今井も俺の方を見ながらまた皮肉っぽく笑った。
「ただ、誰かに会っても刺激しないように。例えば、明らかに悪そうな男とかがいた場合、うかつに接触せずに俺に報告してくれ。いいな」
 榎並は少しだけ引き締まった顔で頷いた。その顔には、それまで全く感じていなかった年季というものが見えた気がした。


その後は榎並も流石に懲りたらしく、エリア十九は順調に捜索が進んだ。ここのエリアは通路にしか罠は仕掛けられていない。だから榎並が先頭に立つ以上、罠にかかることもなかった。ハンターにも遭遇しなかったので、極めて平和に拳銃のある部屋まで来ることができた。まあ、一人はエリア十四と十九の間の通路で待ち伏せているはずなので、確率的には低いのだが。
「ほんなら、開けるで」
 そう言って、少しわざとらしく一拍おいて、榎並はドアを開けた。
「……なんや、また何もなしか」
 榎並は拍子抜けといった感じで肩をすくめた。
「次や次。時間が惜しいんやし」
 部屋を通り過ぎようとする榎並。段ボールについて俺が口を開こうとすると、今井がそれを代弁してくれた。
「ちょっと待ってよ、おっさん。もう少し調べないと」
「せやかて、何があんねん」
 榎並をよけて今井は部屋の中に入ると、段ボールに気づいて声を上げた。
「皆、ちょっと来てよ」
「だからなんやって」
 榎並が鬱陶しそうに部屋に入る。それをきっかけに全員が榎並に続いた。
「ほら、あの段ボール、一つだけちょっと色が違う。さっきもこんな色だったし、最近置かれたばかりなんだ。たぶん、僕たちのために」
 部屋に転がっている段ボールの一つを指差して、今井は言う。しかし手を触れようとはしない。
「ほんなら、はよ開けんか。何をためらっとんねん」
「いや、だって」
 今井が困惑するのを尻目に、榎並は段ボールに手をかける。
「あ、おっさん! 待った!」
 今井がその手を止めた。榎並がそうだったと言わんばかりに首をすくめる。
「せ、せやったな。用心せな」
「でも、開けないわけにもいかない。誰が開けるかってだけの話だ。一人が死んだら結局全員死ぬんだから」
 俺が口を出すと、今井は不満そうに口を尖らせた。
「でも、流石に不用意に開けるのは」
 慎重な今井に、内心眉をひそめる。慎重なのはいいことだが、結果がわかっているこちらとしてはもどかしいことこの上ない。
「俺が開ける。ちゃんと用心はする。それでいいか」
 今井に言うと、彼は口をへの字に曲げた。
「お兄さんがそう言うなら、別にいいけど。なんか焦ってない?」
「焦ってると言えば、そうだな。正直こんなところで無駄な時間を使ってられない。早くプレイヤー全員と合流しなきゃいけないんだ」
 わかったよ、と今井は段ボールから離れ、他の皆にも離れるよう伝えた。それを俺は確認して、それから段ボールに向き直る。
できるだけ、躊躇しているような演技を。今は怪しまれている場合じゃない。ひたすら有能な振りをしろ。手を小さく震わせてゆっくりと段ボールに手をかける。そして、体を横にして少しでも攻撃を受ける面積を小さくして、段ボールを開けた。
「……何も起きないわね」
 それまで牧瀬に隠れるようにして怯えていた津久田が呆然と言った。俺はあたりを確認するような身振りをして、あたかも初めて開けるかのように中身を確認する。
「……これは、銃か」
 恐る恐るという調子で拳銃を取り出す。それを見て、沙耶以外の四人はざわついた。
「銃やと? すごいやないか!」
「まさか、それ、本物?」
「よかった。とりあえず一丁は手に入ったね。後は誰がこれを持つかだけど――」
「僕が持とうか。一応扱ったことはある」
 このままでは牧瀬が持って行ってしまう。ここで、また一芝居打たなければならない。気が滅入ることだ、と思っていると、今井がこんなことを言ってきた。
「ちょっと待った。お兄さん、それ使える?」
 まさかそこで俺にお鉢が回ってくることは考えていなかったから、少し面食らった。すぐに仏頂面になって答える。
「……使えることは使える。でも、何だって俺なんだ?」
「だって、この中ではお兄さんが一番信頼できるんだもん。そこのお姉さんも結構逸材だけど、でもプレイヤーとしてはどちらかというとお兄さん」
 沙耶と俺を比較して、俺を選ぶ今井。それはどうしてか頭の片隅にしまっていたコンプレックスを掘り起こした。この際だ、俺はことさらに不機嫌な声で今井を問い詰めていた。
「沙耶よりも俺が信頼できる? どうしてだ」
 すると、今井はこんなことを平然と言ってのける。
「だって、お兄さん冷酷そうだから」
「……冷酷?」
「あ、別に悪い意味じゃないよ。でも、きっとお兄さんは冷酷なんだ。自分の目的以外のことはたぶんどうでもいいんだ。それで、自分の目的に必要ならどんなこともやるし、逆に関係ないことは絶対にやらない。だから必要ない殺しもしないし、恐怖に駆られて無意味な脅しもしない。でしょ?」
 その目は、どこか濁っていて、しかし真実を見抜いているように見えた。
「そう、かもしれない」
「だから、僕はお兄さんに持っていて欲しい。きっと必要な時に必要な分だけ使ってくれるだろうから。皆はどう思う?」
 榎並はいち早く賛成した。おそらくそれを自分が持つことは避けたいのだろう。命を奪う度量も、命を守る度量も、榎並にはないに違いない。沙耶はそう言う今井に驚きながらも、もちろん賛成に一票。津久田は二人の動きを見て賛成に。やはり最後に残ったのは牧瀬だが、前回と同じように仕方ない、と言いたげに賛成した。
「だ、そうだよ、お兄さん」
「……仕方ないな」
 口ではそう言いつつ、内心では安堵していた。大人数のグループで一人だけ武器を持つことは難しい。争いの元になったり、疑心暗鬼を引き起こすからだ。沙耶はあまり大きく動けない。俺と知り合いだと皆にもわかっているから、あまり大きく動くと疑われる。だから沙耶ではなく今井の提案で自然に俺が持つことが決まったのがとてもありがたかった。その安堵を隠すように俺は段ボールの中を漁る。
「後は、弾丸が十発と、水が一本だ。食料に関しては大した収穫がないな」
「そう。じゃあ水は私が預かるわ。後ろが荷物持ちしたほうがいいでしょ?」
 沙耶が言い出す。どうやらこれまでの経緯を聞いて、このグループが分裂した時のことを考えているらしかった。いつ分裂するかわからないから、手に入れたアイテムは俺たちが持っていた方が有利だ。
「ああ、よろしく頼む」
「他に何かないのか?」
 牧瀬があたりを見回す。
「ないみたいだよ。ま、これだけでも十分な収穫ではあるでしょ。弾数がちょっと心もとないけど」
 今井が答えて、俺の下に寄ってくる。
「へえ、これが本物ね。モデルガンしか触ったことないけど。ゲームではよく使ったもんだけど、やっぱりゲームだし」
「まあ、これを使うことにならなければいいんだが」
 そう言いつつ、俺は拳銃の安全装置をかけた。そんなことがありえないことは、自分でもわかっているのに。


 エリア十九の部屋の探索を終えた頃には、ゲーム開始から六時間十分が経過していた。小部屋で一度休憩をとっているところで、今井が声をかけてきた。
「やっぱり、誰もいなかったね」
 ああ、と曖昧な返事を返しつつ、そういえばここに来る口実は他のプレイヤーの捜索なのだったと俺は思い出した。
「まあ、確かに戻って来るっていうのも希望的な観測だったからな」
「そういえば、さっきチップを拾ったよね。そろそろ使ってもいいんじゃないの?」
 俺は我が意を得たりと頷いた。そろそろ言い出そうとしていたところだった。俺は一応皆に同意を求める。
「だ、そうだが」
「そうだね、そろそろ頃合だろう」
 牧瀬は手放しで賛同している。
「ええんやないか。もう大丈夫なんやろ」
 榎並はペットボトルを空にしつつ答える。津久田も異論はなさそうだった。
「了解、じゃあ使ってみよう」
 俺はチップを取り出すと、早速PDに差し込んだ。読み取り中、という文字が流れる画面を、五人は覗き込んでくる。そして、俺はよく知ったエリアの番号を唱える。
「三階エリア十九、二階エリア六、一階エリア二十五。ここからなら三階の戦闘禁止エリアが一番近いな」
「つまり、ここからエリア十四に戻って、そこから階段を登ればいいわけだ」
 今井が画面から顔を離して腕を組んだ。
「そこまでなら通った道だから罠にかかる心配もないわね」
 津久田が安心したようにつぶやいた。
「今から出発して、大体一時間くらいかかるかな」
 牧瀬が唸る。
「でも、ここで見張りを立てるよりは安心できるだろ。二日間ずっと寝ないわけにもいかないし。ここだと流石に安心して寝られない。それに、他にもチップを手に入れたプレイヤーがいれば、ここに来る可能性は高いだろう」
 俺が言うと、全員が渋い顔をして頷く。
「決まりだな。そうと決まれば早いほうがいい。行くのが遅くなればなるほど戦闘禁止エリアの恩恵がなくなるわけだし」
「せやな。もう結構眠たくなってきとるわ」
 それは流石に早すぎだろう、と思って皆を見回すと、誰の顔にも少なからず疲労の影が見えた。よく考えてみれば、そうか。彼らはいきなりこんな状況に投げ込まれて、それまで全く遭遇しなかった生きるか死ぬかの状況に怯えることになったわけだ。適度に休憩を挟んでいるつもりだが、それで癒されるものでもない。その恐怖は現在進行形で彼らを蝕んでいるのだから。
「そうね、そろそろ私もゆっくり休みたいわ」
 津久田の言葉に、俺は内心で謝った。俺の見立て通りに行けば、間違いなくそんな暇はないだろう。


 そこからの移動は思ったより速かった。きっと皆、無意識下で休息を欲していたのだろう。だから二階エリア十四までの道のりはもちろん、階段を上がった後もほとんど脇目もふらずにエリア十九まで進んだ。一回目の俺たちと同じように、ほとんど探索はしていない。後でこのあたりも調べなければいけない。俺は頭の片隅に止めながら、部屋を通り過ぎた。
 ゲーム開始から六時間四十分。俺たちは戦闘禁止エリアに入るアラームを聞いた。それに浮き足立った俺たちは、とりあえず近くの小部屋に転がり込んだ。
「これでしばらくは安全なのよね?」
 津久田がまだ不安そうに聞いてくる。
「そのはずだ。……戦闘禁止エリアを知らない奴が適当に攻撃行為に取られるようなことをして、全滅なんてことがなければ」
「彰一。あんまり脅さないで」
 沙耶にたしなめられ、俺は口をつぐんだ。
 部屋を見わたす。他の部屋に比べて、いくらか生活感のする部屋だった。それにしたって下はコンクリートで体温を奪うし、大した家具もないのだが、ベッドが二つあるし、粗末でこそあれトイレがあるのは大きい。そう漠然と観察していると、津久田が少し申し訳なさそうに聞いてきた。
「え、と、あの」
「ん、なんだ」
「ちょっと、トイレに行ってきてもいいかしら。安心したら、急に」
「え、別に誰も入ってないんだろう。なら行ってくればいい。俺に聞く必要もないだろ」
「だって、来栖くんがリーダーみたいな感じだから」
 津久田の言葉を、俺は内心鼻で笑った。俺はあんたらを自分の都合のいいように誘導しているだけだ。実際、あんたら全員と沙耶一人のどちらかを選べと言われたら間違いなく沙耶を選ぶのだから。
 津久田が恥ずかしそうにトイレに行ってから、俺は部屋の中で各々休んでいる皆に声をかけた。
「なあ、このままここでじっとしていても事態は好転しない。少なくともこのエリア十九の探索くらいはしておくべきじゃないか」
「そうは言うけどさ、休むことも大切だと思うよ。疲れきったまま行軍して、誰かに襲われて全滅とかシャレにならないし」
 今井が反対するが、俺もそれですごすご引き下がるわけにも行かない。
「かといって、俺たちは何もしなくても全滅だ。早く他のプレイヤーと合流して解決策を講じないと」
「じゃあ、少人数で回るのはどうかな? 休みたい人はここで休んでいればいい。別に全員で動き回る必要もないさ」
 牧瀬が言う。確かにそれはもっともだ。
「やったら、わしは一抜けや。もう動けんわ」
「いや、あんたは必要だ」
 俺が引き止めると、榎並はギョッとして抗議した。
「なんや、わしが休むのに文句があるんか」
「あんたがいないと困るんだ」
「……まあ、そこまで言われたら行ってもええんやけど」
 まんざらでもないような様子で榎並は唸った。
「だったら僕は抜けようかな。多分、僕は残ったほうがいいだろうから」
 今井は肩をすくめて言った。なるほど、自分の立ち位置をよくわかっているらしい。きっとまだ1番のプレイヤーが誰かまではわかっていないだろうが、それでも俺と榎並が違うことはなんとなく察しているのだろう。
「……そうだね、じゃあ僕も抜けよう。男手が必要な時に困るだろうから」
 牧瀬が言う。俺は二人に頷いた。これからやることを考えれば、あまり連れて行く人は多くないほうがいい。沙耶はそれがわかっているのか、一言だけ声をかけてきた。
「気をつけて、彰一」
「ああ。そうだ、あれをくれないか」
 沙耶はそれだけで、俺の意図を汲んだようだった。持ってきていた手錠を差し出す。
「はい」
「ありがとな」
 沙耶は不安そうな顔をしていたが、俺はあえて無視した。
「けど……大丈夫かい、二人で」
「まあな。今ここは戦闘禁止だし、もし少し外に出たとしても、これがある」
 俺がちらりと拳銃を見せると、牧瀬は納得したように頷いた。
「でも、気をつけて。このエリアでも罠は健在だろうし」
 了解、と俺は津久田を待たずに出発しようとした。
「あ、待った、来栖くん」
「なんだ?」
「このペットボトル一本持ってってもええか?」
 榎並がそう言って手に取ったのは、銃を見つけた時に一緒にあった水で、俺たちが持っている最後の一本だった。
「……まあ、好きにすればいい」
 俺自身榎並に対する負担は重すぎると思っていた。他の皆には申し訳ないが、これはその報酬としてくれてやることにしよう。


 俺と榎並はあまりその部屋から離れないようにして回った。その道中で少しの食料を見つけたが、とりあえずそれは放置して探索を続けた。他にめぼしいものも見つからないまま、例の時間になろうとしていた。
「……そろそろか」
 俺は榎並に、一旦部屋に戻ろうと提案した。案の定榎並は驚く。
「なんでや、まだ全然調べられてないやん」
「とはいえ、一応現状報告はしておこうと思って。ここからさらに離れるとすぐには帰れないから」
「まあ、来栖くんがそう言うなら、それでもええけど」
 もう少し、もう少しでゲーム開始から七時間が経過する。きっと、ここからが本当の戦いだ。気を引き締める。
部屋に戻る最中、ずっと耳をそばだてていた。正確にあの時の位置を覚えているわけではないが、それでもここからそう遠くはないはずだ。なら、前のように悲鳴が聞こえるはず。
その時、かすかに甲高い声が聞こえた。
――助けて、誰か。
「お、おい、来栖くん」
 榎並も気づいたらしかった。俺は振り向いてきた榎並に頷く。
「……行こう。沙耶たちだったら助けなければいけないし、他のプレイヤーなら願ったり叶ったりだ」
「せ、せやかてあの声、尋常やないで。何かとんでもないことが起こっとるんやないか」
「それなら尚更。確認しないで不意打ちなんてされたらたまったもんじゃない」
「ほ、本当に行くんか。ほんなら先行ってや。わしは荒事は苦手やさかい」
 榎並が尻込みしたのも無理もない話だった。怪しいものには近寄らないほうが賢明だ。だが、待っているものがわかっている俺にとってはこの声は脅威でもなんでもない。榎並がついてこれる程度に走って声の場所を目指す。途中で、PDがアラームを鳴らした。どうやらいつの間にか戦闘禁止エリアを抜けていたらしい。エリア周辺の警報区域に入ったようだ。俺は走りながら、ポケットの中に手をやった。そこには拳銃がある。俺はそれを掴んだままで走り続けた。
 声の元まで辿り着くと、俺は強烈なデジャヴを覚えた。一度目と同じように、蒲生が三番のプレイヤーに言い寄っている。それを引き止める古谷の姿もあった。
「いや、放して。お願いだから」
「だあから、なんでそんなに怯えんだっての。俺はただ嬢ちゃんとお近づきになりたいだけだぜ」
 陰に隠れた俺たちは、蒲生たちの様子を伺っていた。榎並が耳打ちしてくる。
「……なんや、あいつ。まるでナンパやないか」
「きっと、ナンパなんだよ。あいつの中では」
 榎並が首をかしげるが、俺はその疑問には答えない。古谷の言葉で蒲生がナイフをしまった隙を、俺は見逃さなかった。
「動くな!」
「ああん?」
 蒲生が振り向く前に、拳銃の安全装置を外す。そのまま銃口を蒲生に向けた。
「なんだ、てめえ。ああ、いや、そんなこたあどうでもいいか。どうする気だよ、そのおもちゃで」
 俺はこの拳銃が本物であることを示すため、わざと照準を外して引き金を引いた。乾いた破裂音と、弾丸が壁をえぐる音が通路に響いた。気づけば、通路内は静まり返っていた。蒲生が唖然として口を開く。
「……たまげた。おめえ、それ本物かよ」
「別に、お前を殺すつもりはない。だから、俺にお前を殺させるな」
 なんだよそりゃ、と蒲生は肩をすくめながらおとなしく手を上げる。一方で古谷は怯えてうずくまっており、その隙を見て3番のプレイヤーは逃げ出そうとする。俺は慌てて叫んだ。
「お前も動くな!」
 ビクッと体を震わせて、彼女はそこに立ち止まる。そのまま、しばらく誰も動けなかった。銃を突きつけられている蒲生はもちろん、3番のプレイヤーも、古谷も、そして俺自身も。どう動いていいのか、わからなかったからだ。
 この先を全く考えていなかった自分に気がついた。いや、考えていなかったわけではないのだ。けれども、ここで怪しまれずに全てうまくやる方法が思いつかなかった。蒲生を拘束する理由は何とでもつけられる。3番のプレイヤーを救出する理由も簡単だ。しかし、蒲生の特殊機能を俺が知っている理由が、どうしても説明できない。いや、説明したところで理解されないと言うのが正しいか。しかし、この状況から俺が動くことはできない。あと一人でも近づけば3番の失格条件を満たすし、そもそも俺が銃の照準を少しでもずらせば、蒲生は反撃に出るだろうし、3番のプレイヤーは逃げ出すだろう。このままで解決しなければならない。
 考えろ。ここでこのゲームが無駄になるかどうかが決まる。その時、榎並がジャージの裾を引っ張ってきた。
「な、なあ。何やっとるんや。はよ助けんと」
 その瞬間、結論は出た。ここは下手にごまかす必要なんかないんじゃないか。ごまかした分だけ、不自然さが際立つ。だから、開き直って動けばいい。とにかくここでは全員を集結させることこそ重要だ。そう結論づけた俺は、蒲生に声をかけた。
「おい、そこの柄の悪い男。俺はお前に頼みがあるだけなんだ。俺たちに協力しろ」
「へっ、頼みだあ? それが人にものを頼む態度かよ」
「そうだ。後で非礼は詫びるつもりだが、今はとにかく俺に協力しろ。そうしないと、俺たちは全員死ぬ」
 しかし、蒲生はまったく信じていない様子だ。
「なんだ、そりゃあ。嘘つくんならもう少しマシな嘘をつくんだな」
「嘘じゃない。だが、今はそれを証明できない。だから、俺はお前に銃を向けている」
「はっ、どうだか。まあ、それはいい。で、お前は俺に何をさせたいんだ。聞くだけ聞いてやる」
「いろいろだな。――だが、今すぐやって欲しいことは一つだけだ。そこの女の腕時計を壊して欲しい」
 その言葉に、その場の全員の目が俺を見た。それを睨み返してやるようにして、俺は言い放った。
「お前のPDの特殊機能。それを使えば、お前は失格になることなく彼女の腕時計を壊せるはずだ」
 今度は流石に蒲生も動揺しているらしい。目を見開いて信じられないような表情をしている。
「お、おい。なんで俺の特殊機能知ってんだよ」
「うるさい。すぐにやらないと俺はお前を殺さざるを得ない。それは俺も不本意なんだ。さっさとやれ」
 蒲生は少しの間戸惑っていたが、やがて考えるのが面倒くさくなったのかため息を吐いて振り向いた。
「だとよ、嬢ちゃん。ちょっくら近寄るが、あんたには何もしねえから安心しろ」
「何か変な動きをしたら、わかってるよな?」
 わあってるよ、と蒲生は気だるげに答えた。
「そんなわけだから、いいよな?」
 3番のプレイヤーはしばらく迷っていたが、やがて怯えた顔で頷いた。蒲生はそれを確認すると自分のPDを操作して、それから彼女に近づいてその手を取ると、腕時計に自分のPDを接続した。すぐにショートしたような音がして、焦げ臭い匂いが漂った。3番のプレイヤーは驚いて自分の腕時計を確認している。
「これで、いいんだろ?」
 やはり、誰も失格になっていない。つまり、これは抜け穴だ。三人だけが使える、このルールの大きな抜け穴だ。俺は口角を上げて応えた。
「ああ、上出来だ」


 それから、三人とともに沙耶たちの元に戻った。暴れられては困るので、蒲生には手錠をかけているが。
「お兄さん、こいつら誰?」
 部屋に戻るなり、今井が驚いて俺に聞いてきた。牧瀬や津久田も驚いた顔をしている。そんな中、沙耶だけがなんとなく満足気だった。
「さっきそこで会った。どうやら残りのプレイヤーらしい」
「なんか明らかに危なそうな人が一名いるけど」
 今井が横目で見やると、蒲生はそれを鼻で笑った。
「言っとくがな、俺はまだ何もやっちゃいねえぞ。いきなりそこの野郎に銃を突きつけられて、そのままこれだ。そっちの男の方がよっぽど危ないと俺は思うがね」
「無理やり連れてきたのかい? それはちょっと軽率のような」
 牧瀬が口を開く。
「この人が襲われかけていたんだ。その流れで、とりあえずここまで連れてきた」
 俺が3番のプレイヤーを見ると、彼女はビクッと体をすくめて怯えだした。思わずため息が出る。あの後彼女に近づいた時の恐慌状態と言ったら、面倒なことこの上なかった。これでも随分マシになった方だが、それでもやはり面倒なことに変わりはない。
「こいつらが俺たちの仲間だ。自己紹介してくれるか」
 言うと、彼女はまた震えだす。この女、対人恐怖症か何かなんじゃないのか、と疑いたくなるほどだ。それでも小さく、彼女は口を開く。
「き、桐生、杏奈。高校三年生、です」
 おどおどとしながら頭を下げる桐生。それに合わせてポニーテールが垂れる。身長は沙耶より一回り大きいくらいか。地味なカーディガンに丈の長いスカートを履いている。靴はローファー。走りにくそうな服装だ。顔からにじみ出る弱気具合は、俺よりも年上だとはとても思えない。およそこのゲームには向かなそうな女だ。運営は一体何を考えているのだろう。まあそれは今はいい、この流れのまま全員の自己紹介を終えてしまおう。
「次、そこの眼鏡男子」
 お鉢を回されて、古谷はうろたえた。
「ぼ、僕か?」
「ああ。どうせ全員やるんだ、早めにやっといたほうが楽だろ」
「あ、ああ、それもそうだね……。ぼ、僕は古谷健吾。高校一年生」
 明らかに気弱そうな顔、ガリガリの体、戦闘で役には立ちそうにない。上まできっちり閉めたワイシャツとウエストまで上げたスラックスがその印象をさらに際立たせる。まあ、そもそも今回戦闘をする予定はないから関係はないのだが。外見はひたすら頼りないが、案外頭は切れそうな人物だった。
「さて、そこの柄の悪い男は」
 お前、いい加減その呼び方やめろ。蒲生はそう俺に文句を言いつつ、しかし素直に従った。
「蒲生冬馬。てめえらガキと違って一端の社会人だ。言葉遣いには気をつけろよな」
 確かにスーツを着ているが、既に上着は薄汚れていて、ワイシャツは第二ボタンまで開いている。そこから覗く刺繍、唇にピアス、手には傷の跡。どう見ても世間一般に社会人と呼べる格好ではない。全く、どこの社会の人間だ。
「このグループでは別に優劣はない。お前がどれだけ偉かろうと、ここでは全く価値のないことだ」
 俺が言うと、つまらなさそうに蒲生は肩をすくめた。どうやら本気で言っていたわけでもないらしい。そのまま俺たち六人も自己紹介をする。特に何事もなく、自己紹介は終わった。そのことに内心安堵する。
「で? なんで俺はこんなところ来てまで手錠に繋がれてるわけだ?」
 蒲生が苛立たしそうに俺に言った。
「お前が一番素直についてきてくれなさそうだったからだ」
「なんだよそりゃ。人を見た目で判断するなよな」
「じゃあ、お前は銃を突きつけられなくても従ったのか?」
「そりゃあ、そんなわけねえだろうな」
 蒲生はいたずらっぽく笑って、それから嫌味たっぷりの声でこう言った。
「でもよお、別にそんなことが聞きてえわけじゃねえんだよな。いい加減俺たちがここに連れてこられた意味を教えちゃくんねえか」
そうだな、と俺は沙耶に目配せをする。それだけで通じたのか、沙耶は前に出て説明を始めてくれた。
「おお、えらい上玉だな、嬢ちゃん」
「そこ、うるさいわよ」
 沙耶は蒲生をたしなめつつ、説明をする。この中の誰か一人でも失格になれば、未クリアのプレイヤー全員が失格になること。基本的にはクリア条件は競合していること。よってこのままではプレイヤーは全滅すること。それをルールにある穴や各プレイヤーに与えられた特殊機能によって回避しなければならないことを丁寧に伝えた。三人はそれを神妙な面持ちで聞いていた。
「……なるほどな、大体わかったぜ。お前ら全員が嘘をついてるとは思えないしな。運営がそれを認めたこと、ひいては嬢ちゃんが言った状況が本当のことなのは納得してやるよ」
 蒲生がにやついたままそう言った。その一方で、古谷が目に見えて狼狽する。
「だ、誰かが失格になったら全員死ぬって、そんな馬鹿な! だって、それじゃゲームでもなんでもないじゃないか! 全員クリアなんて無理に決まってる!」
 へえ、と俺は歯の根が合わないらしい古谷を見る。なるほど、どうやら古谷も全員がクリアするのがほとんど無理なことくらいは理解していたようだ。その上でゲームに参加していたということは――この状況自体が強制されたものではあるが――他のプレイヤーを蹴落とす覚悟があったということだ。ただのヘタレ、というわけでもないらしい。
 桐生はというと、あまり状況を理解できていないようだった。まあ、彼女はもうすでに失格の恐怖から解放されているのだから、実感できなくても仕方ないが。
「別に、協力してやらなくもないぜ。これじゃ逆らうに逆らえないしな」
 蒲生が後ろ手に繋がれた手錠を揺らす。
「いいのか?」
 だが、その前に聞きたいことがある。そう切り出した蒲生の声は、獰猛な肉食獣のそれだった。
「お前、さっき俺のPDの特殊機能知ってたよな。どうしてだ? 教えてもいないものを、どうしてお前は知っている」
「そ、そうや。気になってたんや。来栖くん、あれは一体どないしたんや」
 来るとは、思っていた。努めて冷静に、俺は嘘をつく。
「俺のPDの特殊機能だ。一度だけ、半径二十メートル以内のプレイヤーの特殊機能を知ることができる」
「へえ? なら、それを証明してみろよ。俺にPDの画面を見せたまま操作してくれるだけでいいぜ」
 俺は言葉を詰まらせた。そんなことをすればすぐにバレてしまう。そこに畳み掛けるように、蒲生は続ける。
「ほら、どうした? できないのか? どうしてだ?」
 ここで証明できなければ、間違いなく疑いは強まる。グループを先導している俺が疑われれば、この先うまく動くことは難しくなるだろう。ヘタをすれば、俺が殺されることもありうる。何とかして証明しなければならない。しかし、俺にはその方法が思いつかなかった。蒲生が勝ち誇ったように笑う。
「答えられない理由、俺が代わりに言ってやろうか? お前はそんな特殊機能、持っちゃいないんだ。お前は別のルートから俺の特殊機能――つまり、俺のプレイヤー情報を手に入れた。俺の知る限り、そんなルートは一つだけ、このゲームを取り仕切ってる運営だけだ」
 全員の視線が、一斉に俺に向いた。そこに見えるのは、猜疑と恐怖。前回と同じだ。この場が一瞬で蒲生に支配された。その人心支配能力に俺は舌を巻く。
「大体、あの時どうしてあの桐生とかいう嬢ちゃんの腕時計を壊させた? プレイヤーが全員集まっていて誰も失格になってないってことはこの嬢ちゃんが3番のプレイヤーだったんだろうが、どうしてお前はそれを知っていたんだ。さっきの話だって、言いだしたのはお前だって話だったよな。それはどうやって知った。一人で思いついたと言うつもりか? こんな状況にいきなり放り込まれた高校生が、すぐにそんなことを思いつくと思うか」
 徐々に、俺に向けられた猜疑が強くなっていく。それに耐え兼ねたのか、沙耶が蒲生に噛みついた。
「あんた、いいかげんにしなさい! なんで彰一が運営と手を結ばなきゃいけないのよ!」
 すると、待っていたと言わんばかりに蒲生は沙耶に矛先を移す。
「ああ、そういえば高倉の嬢ちゃんも言いだしっぺだったなあ。どうもここに来る前からの知り合いのようだし、共犯の可能性も否定できないな?」
「そ、それは……」
「そ、そうよ! 二人はいつも一緒だったし、裏切ってるなら二人ともに決まってるわ!」
 津久田が恐怖に耐え兼ねて喚いた。しかし、誰もそれに反論しない。それまで俺に少しなりとも信頼を寄せていた今井すら、顔に僅かに疑いの色をにじませている。沙耶もまた、それ以上は反論しなかった。反論すればするほど疑惑は強まる一方だと悟っているようだ。
「お前らは、運営と取引した。その内容がどういったものかは知らないが、その結果お前らは俺たちのプレイヤー情報とさっきの話を教えてもらった。その対価がどんなものかも俺にはわからん。まあ、高倉の嬢ちゃんが身を差し出せば、内容によっちゃ十分な対価になるだろうが」
 蛇のように笑う蒲生に、俺は奥歯を噛み締めた。そんな事実は全くないが、この状況でそんな証拠は出せはしない。なら、どうすればいい。ここを切り抜けるために、一体どうすればいい。物的証拠を出せないのなら、蒲生の説をひっくり返すほかない。しかし、どうすればひっくり返せるのか。
 必死に頭を回転させる俺の手に、何か温かいものが触れた。驚いて振り向くと、沙耶が俺の手を握っていた。その、か細い感触。それを、守らなければならない。そう思った時、急に突破口がひらめいた。沙耶の手を握り返しつつ、俺は蒲生に向き直る。
「確かに俺は、お前に特殊機能の証明をすることはできない」
「ほう? つまりそれは俺の話を認めるってことでいいんだな?」
 すっかり勝者の笑みを浮かべている蒲生に、俺は挑むような笑みを返す。
「いいや、それは違う。お前の説は間違いだ。少なくとも、その結論として俺を裏切り者に仕立て上げることはできない。それを証明してやるよ」
「なんだって?」
 蒲生が苛立たしそうな顔をする。それを睨みつけるようにして俺は反論する。
「お前はさっき、俺たちの言ったこと――誰かが失格になれば連鎖的に全ての未クリアプレイヤーが失格になること――は認めたよな?」
「ああ、そうなるな」
「それが本当だとすると、俺たちは少なくとも自分がクリアする、もしくは失格にならなくなるまでは裏切れない。そもそもこれは全員失格にならないようにするためのグループだ。それなら俺たちをクリアさせるのを最後にすればいい。それまでは俺たちはお前らを裏切りようがない」
 しかし、蒲生はそれを鼻で笑った。
「どうだかな。お前らが運営と取引をしているなら、その腕時計に細工してもらってたっておかしくねえよな。毒薬が抜かれてたり、失格にならなくなってたり」
「そうすると、このことをわざわざ俺たちがお前らに教える意味がなくなる。俺たちが失格によって死なないのであれば、こんなことを教えてプレイヤー同士の争いを止める必要はないんだ。むしろ知らせない方が圧倒的に有利だ。勝手にプレイヤーのほとんどが死んでくれる。にもかかわらず、俺たちはこうして全プレイヤーを調停しようとしている。お前の言う通りなら、俺たちの行動に矛盾が生じる」
 蒲生は小さく舌打ちをした。しかしまだ負けを認めるつもりはないのか、追及を続ける。
「このゲームの支配こそがお前らの目的なんじゃねえのか。それで、こうやってプレイヤー全てを掌握してから自分の思い通りに動かすつもりで」
「そんなことは、圧倒的な情報アドバンテージを手放すことに見合うだけのメリットがあるか? そんな愚かなことをしようとすると思うのか?」
 蒲生は徐々に劣勢になっていることに気づいているのか、奥歯を噛み締めている。それでも、最後のあがきとばかりに口を開く。
「……だからといって、お前が運営と繋がっていないことの証明にはならねえぞ」
 俺はその言葉に、全員に伝わるような大声で答えた。
「別にそれは構わない。俺が怪しいのは確かなことだ。しかし、それでも今は皆を裏切るとかそういう気は全くない。だから目的達成までは安心しろ。むしろ利用するといい。俺は、お前らよりはるかにこのゲームのことを知っている。俺を利用すれば、クリア条件を満たしたあともこのゲームを有利に進められるかもな? さあどうするよお前ら!」
 部屋の中は静まり返っていた。蒲生は悔しそうに顔を歪めていて、沙耶は逆に誇らしそうに目を輝かせていて、他の奴らはそこで繰り広げられていたやりとりを噛み砕くのがまだ追いついていないらしかった。やがて、今井が口を開く。
「……まあ、利用するしないは別として。僕は信じようかな、お兄さん。別に全部を信じられるわけじゃないけど、でもやっぱりお兄さんは賢い。感情論や直感に頼ることなく、メリットを差し引きで考えられる人だ。だから、本当に裏切る必要があると考えない限りはお兄さんは裏切らない。そうだよね、お兄さん」
 それは、ある意味で脅迫のようなものだったかもしれない。今井は有無を言わさぬ口調で俺に聞いた。それに負けないように俺は答える。
「ああ、その通りだ」
 嘘ではない。今は全員の特殊機能を知る必要がある。そんな中で裏切りなどするはずもない。最終的にどうなるかは置くとして、少なくとも「この」皆を裏切ることはないだろう。今井はその答えを聞いて安心したように顔を緩ませた。
「ほら、お兄さんもこう言ってるし。今はこんなことで喧嘩してる場合じゃないよ。戦う相手は別にいるんだ。話し合うことはもっと別にあるんじゃないかな」
 ようやく理解が追いついたようで、にわかに騒然となる皆。そこに呆れたような今井の声が続く。
「とりあえずさ、皆謝った方がいいんじゃない? あとで利用するんでも、クリアするまでのつき合いと割り切るとしても。こんな疑ってきた人たちと和解もなく一緒に戦おうとか、なかなか気が進まないと思うんだけど。当然、僕は謝るよ。ちょっととはいえ疑いを持ったのは事実だからね。ごめんなさい」
 そう言って頭を下げる今井を、正直気持ち悪く感じた。いきなり素直になりやがって、こいつ何か企んでいるんじゃないのか。とはいえ、こいつが今一番俺たちの肩を持ってくれているのは事実だ。俺は気にするな、と肩を叩きつつ小声で聞いた。
「……何が目的だ」
 すると、今井も小声で返してくる。
「後で、僕も混ぜてよ」
 驚いて今井を見ると、いたずらっぽく笑っていた。何をするつもりか知らんが、実際この流れを作れた時点で今回の役割はほとんど終えたと言っても過言ではない。その功労者に褒美を与えるのもまあ悪くはないか。もしかすると思わぬ協力者を得られるかもしれない。俺は返事の代わりに顎で今井の背後の皆を指した。それで伝わったのか、今井は満足そうに振り返って言う。
「僕は謝ったけど、皆はどうする? ここでお兄さんに抜けられると、僕たちとしても困るんじゃない?」
 その言葉に促されるようにして、ようやく皆は俺に謝罪した。蒲生すら口先だけだが謝罪を口にした。まあ、別に謝って欲しいわけではなかったが、とはいえこれでようやく本題に入れる。内心で今井に感謝した。


「それで? これからどうするつもりだ?」
 蒲生が手錠を恨めしそうに揺らしつつ言った。
「とりあえず、全員の特殊機能を共有しようと思う。さっきの蒲生のものみたいにもしかしたら突破口になるような機能もあるかもしれない」
「へっ、俺の特殊機能は知ってたくせに、他の奴のは知らないってか」
 蒲生の嫌味は無視する。実際蒲生は今は協力する必要はない。俺が特殊機能を知っているからだ。
「まず、言いだしっぺが言うべきだよな。俺のナンバーは9番。俺の特殊機能はさっき言った通りってことにしておく。少なくともそれ以上のものは絶対にない。蒲生のナンバーは7。特殊機能は三つまで時計を壊すことができる、だ。これによって、自分以外の三人をクリア条件から救出できる。皆も、自分の番号と特殊機能を言ってくれ」
「おーい、別に教えるのは構わんが、せめて俺に許可を取れ」
 蒲生がまた文句を言ったが、すまん、と一言言ってすぐ向き直る。
 しかし、なかなか皆口を開かなかった。当たり前といえばそうだろう。なにせ特殊機能はプレイヤー最大の武器だ。とはいえ、数人は大体想像がつくのだが。
「僕のナンバーは2番。特殊機能は、9番のプレイヤーの現在位置がMAPに表示される、だよ。つまり、お兄さんの位置がわかる程度の能力さ」
 今井が呆れたようにため息をついて、当然のように口を開く。
「あのさ、皆。もうここまで来たんだから、疑い合うのはとりあえずやめとかない? 不毛だし、正直一人で生き残れるようなゲームじゃないよ、これ」
 今井の言葉に触発されてか、古谷も口を開く。
「そう、だよね、協力しなきゃ。ぼ、僕のナンバーは5、特殊機能は、生存している他のプレイヤーのPDを自分も使用できるようにする」
 他のプレイヤーのPD。やはり、そういった機能が採用されていたか。しかし、と俺は思う。今のこの状況ではそれほど意味のある機能とも思えない。なぜなら、ここにほとんどのプレイヤーが集結しているのだ。そして、俺たちは協定を結ぼうとしている。今手元にあるPDの機能を使いたいなら、持ち主に使ってもらえばいいのだから。
 古谷に追従するように、榎並が手を挙げた。
「わ、わしは4番や。そんで、特殊機能とやらは、あれや。罠のある場所がわかるんや。今までほとんど罠にあわんかったのも、全部わしの手柄やったんやで」
 知ってたよ、とは流石に口に出さない。実際彼のおかげでかなり助かっているし、これからも全員で行動するのならその機能に頼らざるを得ないだろう。おっさん、結構いい能力もらってるね、と今井が感心する。せやろ、と得意げになっている榎並を無視して、俺はその隣に座っている津久田に聞く。
「それじゃ、次はあんただな」
 すると、どうやら覚悟していたらしく、津久田はすぐに答えた。
「私は、1番よ。特殊機能は、2番のプレイヤーの位置がMAP上に表示される。正直、今となっては特に意味のない能力ね」
 やっぱり、なかなか肝の据わった女らしい。俺は感心しながらその横の牧瀬に視線を移す。すると、牧瀬も決心したように口を開いた。
「僕のナンバーは、8番。特殊機能は、武器の配置された場所がMAP上に表示される」
「なっ……」
 牧瀬の言葉に、全員が絶句した。武器の配置場所。それはすなわち、このゲームにおいて戦力的に最大のアドバンテージだ。牧瀬は気まずそうな顔で首をかく。
「……自分でも、危険な能力だと思ってたんだ。だから今まで使おうと思わなかった」
 それは、本当か? 一瞬浮かんだ問いを飲み込む。今は牧瀬を問いただしている場合じゃない。
「でも、今となっては必要ないだろう? だって、皆が団結するんだから」
「牧瀬のお兄さん。そんなことはないと思うよ」
 俺が言う前に、今井が口を挟む。
「だって、まだハンターがいる。プレイヤーは僕らだけじゃないんだ。彼らを説得するために、もしくは無理やり従わせるために、やっぱり武器は必要だ。お兄さんの特殊機能はかなり重宝するんじゃないかな」
 そうかな、とやはり決まり悪そうな牧瀬。しかし彼にばかり構ってもいられない。俺は次にその隣でやはりおどおどしている桐生に聞いた。
「それで、あんたのナンバーと特殊機能は?」
 ビクッと桐生は肩をすくめる。どうにも扱いにくい奴だ。
「沙耶。頼む」
 隣の沙耶に言うと、俺の意図を酌んでくれたらしく、桐生に話しかけてくれた。
「桐生さん、怯えないで。あなたはもう失格になることはないの。だからあなたがそれを明かすことはデメリットにはなりえないわ。そして、それで私たちはとても助かるの。私たちを助けると思って一つ、お願いできないかしら」
 やはり同性だと多少は気安いのか、桐生はぼそぼそと話し始めた。
「え、と……私、3番、です。特殊、機能は、あの、全ての作動していない時計の位置がMAP上に表示される、で、その」
「時計の位置? 腕時計でなく?」
 沙耶が聞くと、桐生はこくりと頷いた。なんて強力な能力だ、と思う反面、扱いづらい能力だとも思った。何しろ時計、というからには壁掛け時計も全て含んだものが表示される。どれがプレイヤーの反応かがわからないわけだ。なるほど、バランスの調整が効いている。
「桐生さん、少し聞きたいんだけど」
 何か気づいたらしい。沙耶がそう言いだしたのを、蒲生が遮る。
「おい、それよりもまずは嬢ちゃんの特殊機能を言うべきじゃないか? 皆言ったのに自分だけ言わないのは不公平だろう」
 蒲生の言うことはもっともだ。裏側にまだ何か狙っていそうな様子はあったが、今は従う他ない。沙耶もごく自然に返す。
「それもそうね。私のナンバーは6。特殊機能は半径十メートル以内にいるプレイヤー一人の腕時計を作動させる。この機能はゲーム中一回しか使えない、よ」
 また、皆がざわついた。しかし沙耶はすぐにつけ加える。
「でも、現状では意味のない機能よ。だってこれを使ったら全員が死ぬんだもの。そうでしょ?」
 早めにそのことを理解させたおかげで、大きな騒ぎにはならずに済んだ。少し蒲生がつまらなさそうな顔をしていたが、あえて無視する。
「それで、桐生さんの機能なんだけど。それ、もしかしてハンターの位置も表示されるんじゃないの?」
「そ、そうや。確かにその通りや」
「ひっ」
 沙耶と榎並の発言を受けて、期待のこもった視線が桐生に集まる。桐生はそれに驚いてすっかり萎縮してしまっている。こんな状況では仕方ないかとは思うが、どうにも面倒くさい。
「ちょっと皆、あんまり桐生さんにプレッシャー与えないで。話せなくなるでしょ」
 沙耶が間に入り、桐生に質問する。どうやら沙耶にはそれなりに気を許しているらしい。桐生はおどおどしつつもPDを取り出した。
「いえ、あの、それが。私の画面、こんなになっちゃってて」
 あわわ、と慌ててPDを操作する桐生。慌てるあまり、彼女は手を滑らせてPDを落としたほどだった。そうしてようやく操作し終えた彼女は、沙耶に向けてそれを差し出した。
「……なるほどね。これ、他の人に見せてもいい?」
 沙耶は桐生が恐る恐る頷いたのを見てから、それをこちらに見せる。
「やっぱり、か」
 それはMAP画面だった。ただ一つ俺たちと違うのは、そこに無数の点が点滅していることだった。その感覚は確かに五メートルおきになっている。そして、三階エリア十九の一室に九つの光が集まっている。おそらくこれが俺たちだろう。やはり、プレイヤーの腕時計の位置もわかるらしい。なら、ハンターの場所もわかるはずだ。
「二階も見れたりしないか」
「あ、あの、えっと、ちょっとごめんなさい」
 また慌てて操作を始める桐生。だから落ち着けというに。
「これで、どうですか」
ややあって、桐生はまた画面を見せてきた。すると、ニ階エリア十九で僅かに動く点を見つけた。
「なあ、沙耶。これ、ハンターじゃないか」
 沙耶に見せると、多分、と答えた。どうやら、既に気づいていたらしい。それに釣られて、皆が一斉に集まってくる。
「わ、チカチカするわ」
「ハンターって、この動いてるやつだよね」
「やだ、この真下にハンターがいるの? 怖いわ」
 食い入るように覗き込んでくる奴らを半ば強引に追い払う。ええい、鬱陶しい。
 しかし、と俺は思う。二回目の時、ゲーム開始三時間近くなってきたあたりで、既にあのハンターはあそこにいた。今の時間を確認すると、ゲーム開始から七時間半が経っていた。となると、あいつはずっとあのエリアにいるのだろうか。まあ、途中でエリアを出た可能性もあるが、だとしたらどうしてわざわざあのエリアに戻ってきたのだろうか。物資だけ見れば一度通ったエリアに戻る理由はほとんどないのだが。
 というか、このハンターはあまりにも動く気配がなさすぎる。今もエリア十九の中をうろうろしているだけで、そこから出ようとは全くしていないように見える。これが、俺たちがなかなかあいつに遭遇しなかった理由か。
 それにしても、と俺はさらにMAPを見回す。もう一人のハンターが見つからない。同じように一つのエリアに留まっているようならわかるはずなのだが。これはもしや。
「まあ、これは収穫だ。ハンターの位置がわかるだけでも今までの俺たちから見ればかなりの情報だからな。さて、俺はこのエリアの探索に戻ろうと思うんだが」
 沙耶に目配せをすると、沙耶は小さく頷いた。きっと俺が考えたことは沙耶も感づいていることだろう。
「え、またわしが一緒に行くんか。わしも少し休みたいねんけど」
 そう眉を寄せる榎並に、今井が名乗り出た。
「なら、代わりに僕が行こうかな。罠の位置はわからないけど」
 牧瀬が何か言いたそうにしていたのが見えたが、どうやら今井は俺に用があるらしかった。ならそちらを優先すべきだろう。
「でも、それは流石に危険じゃない?」
 津久田の言うことももっともだった。俺は榎並に振り返って言う。
「榎並のおっさん。それじゃあ大まかな罠の位置だけ教えてもらえないか。このエリアのものだけでいい」
 頼られたのが嬉しかったのか、榎並は張り切って教えてくれた。その結果わかったのは、どうやら一つのエリアに十近くの罠が設置されているらしい、ということだった。


「それで?」
 部屋を出て、しばらくしてから今井が口を開いた。
「何だ」
「だから、さっきの話。もちろん、聞かせてくれるよね?」
 こいつ、完全に面白がってやがる。俺はため息混じりに、これまでの経緯をかいつまんで説明した。
「なるほどねえ」
「あまり驚いたように見えないな?」
「まあ、ね。何か見えてるな、と思わないでもなかったから。未来予知、とか言われても実感わかないし」
 やはり、悟られていたか。どうも俺は隠し事には向かないらしい。
「大体、これが四回目です、なんていきなり言われてまともに驚ける人のほうが少ないと思うよ」
「それは、確かにな」
「で、今回も失敗するわけだ?」
 明け透けに言う今井を、俺はたしなめる。
「あまりそういうことは言うな。沙耶も俺もそれは薄々気づいてる。とはいえ、失敗するのがわかってる作戦ほどやる気のしないものもないだろう」
わかってるよ、と肩をすくめたきり、何やら考え込んだ今井に、俺は声をかける。
「どうした、何か変なことでもあったか」
「いやね、考えれば考えるほど無理なんじゃないかって気がしてくるんだよね、全員生還。だってさあ? たとえあの蒲生っていうチンピラの特殊機能使ったとしてもさ、桐生っていうお姉さんに一回もう使っちゃって、残り二回。ハンター二人と牧瀬のお兄さん。どうやったって誰か一人は腕時計外せないわけでしょ」
 罠がない部屋に入って、中を物色する。めぼしいものはないようだ。
「桐生は仲間に入れない方が良かったか」
 これからはそうしようか、と思っていると、今井は首を振った。
「そういうわけでもないと思うけど。だって、仲間に引き入れないと罠で死んだりハンターに遭遇したりで、まともにクリアできないと思うし。それに、これからハンターも仲間に入れるつもりなら、彼女の特殊機能は重要だろうしさ。でもそうなるとどうしても一手足りないんだよねえ」
「沙耶は全員が団結できると言うんだが」
 しかし、今井は腕を組んで唸る。
「それさ。正直希望的観測のような気がするんだけど。まだハンターの特殊機能とかわかってないから判断するには早いけどさ」
 ふと、部屋を眺めていた今井が思いついたように顔を上げる。
「そういえばさ、古谷ってひょろいお兄さんがいたじゃない?確かあの人の特殊機能って他のプレイヤーのPDを使えるんだよね。例えば、桐生さんを少人数で監禁して、PDだけ奪って、古谷さんに使ってもらうのはどう?」
 それは、沙耶にはきっと思いつかない作戦だった。他人を傷つけるのも厭わない容赦のなさが、少しだけ見えていた。けれど、まあ、まだ甘い方か。
「考えておくよ。参考になる」
 嘘くさいなあと今井がにやにや笑いながらつぶやく。これは本心だったが、別にそう取られてもいい。俺は肩をすくめた。
「それで、それは次回以降に回すとして、今回はどうするの?」
「とにかくは、ハンターと接触したい」
 次の部屋に行く俺に、今井の声が追いすがる。
「つまり、この下にいるハンターを捕まえるってことだよね」
 頷くと、今井は難しい顔をした。
「話を聞くに、そのハンターの武装は僕たちの比じゃないんでしょ? ってことは、牧瀬のお兄さんの力を借りる必要があるんだけど、さ。そもそもあの人が僕らに協力してくれるかな。だってあの人、現時点でほぼ死亡確定なんだけど」
「あいつなら、また仕方ないとかなんとか言って協力してくれそうな気もするが。それに、腕時計を壊すことと引き換えならそれなりのことはするだろうさ」
「それは、楽観ってもんだよ。お兄さんらしくないな」
 ふと、何か頭の片隅に引っかかるものを感じた。その正体がなんなのか、頭をひねるがどうも形がつかめない。しかし、それは何か決定的なものを捉えているような気がした。
「あとは、もう一人のハンターがどこにいるか、だね」
 次の部屋も罠はない。俺は迷わず扉を開けた。そこには、確かに真新しい段ボールが置かれていた。
「それなんだよな。おそらくは、初期エリアから一定時間出ないことがハンターの制約の一つとしてあるんだろうが、それにしたって動かなさすぎなんだ。もしかすると」
 そこまで言ったところで、俺は段ボールを開けた。そこには、パイナップルにも似たものが転がっていた。
「……これ、手榴弾か」
「あらら、これまた物騒なもので」
 言葉とは裏腹に、今井は楽しげだ。中を覗き込んで、二つある内の一つを手に取った。
「試し撃ち、とか……できないよね」
 俺が睨みつけているのに気がついたらしく、肩をすくめて訂正する今井。俺はため息をついた。
「お前に自殺願望があったとは、驚きだよ」
「いやあ、奇遇だね。実は僕もさ」
 白々しく今井が笑う。俺はそれを無視して、もう一つの手榴弾をポケットに突っ込んで、その部屋を後にした。


 ゲーム開始から八時間。エリア内の捜索を終えて、成果を確認する。手榴弾二つに、クロスボウ。矢が二十本。クロスボウに関しては、何度か目にしたような装飾だ。どうやら、過去三回で今井たちは一足先にここに来ていたらしかった。どうしてわざわざこんなところまで来たのかはわからないが、当人曰く、「だって、大勢のプレイヤーを集めるところの周りに強力な武器を配置するわけないじゃん」とのことらしい。なるほど、一理ある。
 そうして、沙耶たちのいる部屋に戻ったところ、部屋の中から何やら揉めているらしい声が聞こえてきた。俺は嫌な予感を覚えて慌てて扉を開けた。
「おい、何やってるんだ」
 すると、手錠に繋がれたままの蒲生が面白そうに笑う。
「おお、リーダー様のお帰りだ。何って言われても、俺は正当な権利を主張していただけだぜ。詳しくは、そこの嬢ちゃんにでも聞いたらどうだ?」
 蒲生が顎で沙耶を指した。言われなくてもそうするつもりだ。俺は沙耶に状況を確認する。
「なあ、一体ここで何があったんだ」
 沙耶はどうしたものかと言った表情をしている。その代わりに、榎並が吠えた。
「コイツがやな! 山分けの二十億のうち、十億をもらうとか言いよってからに」
「だあから、それが正当な権利だって言ってんだよ。なにせ、どうやら俺がいないとお前らは全員死ぬらしいじゃないか? ってことは、俺様キーパーソンってやつだろう。半分位もらってもバチは当たらねえんじゃねえの? 命は金では買えないだろう?」
 にやにやしながら蒲生が言う。確かに、彼がキーパーソンなのは間違いない。しかし、その言い分を認めてしまうと他の奴らが黙っていない。このグループは建前上は上下関係はない。だから、一人だけ特別扱いするのはおそらく全員の反発を生むだろう。
 とはいえ、いつまでもこいつを手錠につないでいるわけにもいかない。手錠の代わりにこいつを繋ぎとめておくものが必要だ。ずきん、思い出したように痛む頭を押さえて考える。
「しゃあけど、それはわしら全員に言えんねん! 一人だけ特別扱いする理由にはならん!」
 しかし、榎並の食いつきも異常なように思う。こいつ、さっきまでとにかく生きることに執着してなかったか。それとも、一息ついて利害を考える余裕が戻ってきたのか。
「とにかく、二人とも落ち着きなさい。このままじゃ運営の思う壺よ」
 沙耶の制止にも、蒲生は耳を貸さない。
「俺は落ち着いてるぜ。単にこの中年太りが勝手に盛り上がってるだけだろうがよ。それに、俺に十億渡したところでお前らは全員一億もらえんだぞ? 一人が命を賭けるには十分すぎる額だと思うがね」
 ぐ、と榎並が歯ぎしりをしたのがわかった。やはり、蒲生は危険だ。手錠があろうとなかろうと、この人心支配術だけで危険視するには十分すぎる。隙あらばグループを崩壊させようとするその抜け目のなさも、それに拍車をかけている。
「それとも何か、お前にはそれじゃ足りないとか? なら残念だったな。元からお前には二億も入らないんだよ。お前が二十億を独り占めしたいと言うんなら、自分以外を皆殺しにするしかない。でも、お前にそんなことはできないもんな?」
 蒲生の言葉から逃げるように、榎並は部屋を飛び出した。まずい。このままではグループが分裂しかねない。せっかくまとめ上げた集団だ。ここで終わらせるわけにはいかない。俺は反射的にその後を追っていた。その背中に沙耶の声が追いすがる。
「彰一、どうする気?」
「何とかして連れ戻す! とにかく沙耶は他のメンバーをまとめておいてくれ!」
 それだけ言って、俺は榎並を追いかける。体力的には俺の方が圧倒的に優っているはずだが、この建物は妙に曲がりくねっている。真っ直ぐな道が三十メートル続くことは稀だ。分かれ道に行き当たったら、どの方向に行ったのかを音で判断する他ない。おかげでなかなか追いつけない。俺は走りながら榎並を説得する方法を探していた。
 どうやら、あいつには金が必要らしい。それも、一億では到底足りないほどの。しかし、俺たちに与えられるのは二十億までだ。どちらに金を集中させても不和の種にしかならない。全員が満足するだけの金を用意することは不可能だ。なら、どうすればいい?
 考えろ。時間は有限だ。これまでのゲームに、ヒントはあるか? それとも、金に関してはもうどうしようもないのか? 蒲生はずっと手錠でつないでおくべきか? それとも、もう団結は諦めるべきか?
『勝利と敗北の概念があること、参加者全てに勝つ見込みがあること、参加者の勝利の難易度が勝利時の見返りに反映されていることの三つです』
『でも、お前にそんなことはできないもんな?』
 ……おかしい。そうだ、思い返せばおかしいことはたくさんあった。
『たぶんね、このゲームは本来はこんなに難易度の高いものじゃないのよ。少なくとも、一人が失格すればそれだけで未クリアの人全員死亡なんて、そんな理不尽なものじゃ』
『悪趣味に人の殺し合いが見たいだけなら、公平にゲームを進めること自体必要ないの』
『今回のプレイヤー、ハンター以外にあなた方二人も我々が作為的に選別しました』
『彰一がいるから』
「……あ」
 なんとなく、わかったような気がした。運営の思考の一端が。それを、なんとか使って状況を打開できないか。考えているうちに、目の前に横に広い背中が見えた。PDを確認すると、いつの間にか戦闘禁止エリアを抜けている。随分と遠くまで来てしまった。
「おい、おっさん」
 声に驚いて振り返る榎並。そうして、切れた息をそのままに立ち止まる。
「ほっといてや」
「そういうわけにはいかないんだ。意地でも連れ帰らせてもらう」
 俺を睨む榎並の目には、少しだけ涙が浮かんでいた。
「借金が、あるんや」
「借金?」
 唐突なその言葉に、俺は思わず聞き返した。
「会社がな、潰れてもうたねん。あの小僧が知らんのも当たり前やな。典型的な赤字経営やった。わしには、商売は無理やったんな。一回やって、失敗してるねん。それで、安易に自己破産したのがだめやったんかな。もう、自己破産できないんや」
「いくら、必要なんだ」
 榎並はしばらく口を閉ざしていたが、やがて震える声で言った。
「に、二十億いかんくらい」
「二十億? そんなに貸してくれるところなんてないだろ」
「いや、最初はそんな額じゃなかったんやけど、手形が闇金に移ってもうてな。そっからは借金で借金を返す生活や。もう、後戻りできへん」
 なるほどな。二十億のうち十億を蒲生に取られたら、榎並は借金を返せないというわけか。大方、頼み回ればほとんどの人が金を融通してくれるとでも勝手に思っていたのだろう。確かにあの男からはどうやっても金を引き出せそうにない。見通しが甘いのか、それとも希望にすがりたかっただけなのか。どちらにせよ、こいつに人つき合いの計算は無縁らしい。そのつもりなら、最初からセクハラなんぞしなければいいものを。
 しかし……。どう考えても全員を満足させるには金が足りない。やはり横紙破りで切り抜けるしかないらしい。
「まあ、事情はわかった。大丈夫だ。何とかしてやるさ」
「なんとかって、具体的にどうするんや」
「あとで話す。とにかく今は皆のところに戻ろう。もう戦闘禁止エリアを出てしまっている。ハンターに襲われる可能性もある」
「せ、せやな。戻ろか」
 そうして戻ろうとした時、通路に足音が響いてきた。
「あ、来栖くん、榎並さん」
 追ってきたのは牧瀬だった。どうやらハイペースで走ってきたらしく、息が切れている。
「なんだ、追ってきたのか。なんか申し訳ないな」
「ああ、いや。実は榎並さんを追ってきたわけじゃないんだ。来栖くんの方に用事があって」
「用事? 急を要するのか?」
 牧瀬は少し顔をしかめて、それから自分のPDを見て言った。
「そう、だね。急を要する」
 釣られて俺もPDを見ると、ちょうどゲーム開始から八時間が経過したところだった。
「なるほど、わかった。おっさん、先に戻っててくれ」
 さっきの話、考えといてや。焦ったようにそう言って、榎並は走って戻っていった。それを見送り、足音がしなくなってから俺は口を開いた。
「あんたも、人に聞かれたくない話か?」
「うん、まあ、そうだね」
「それなら、戻りながら聞こう。時間が惜しい」
 それに、牧瀬は頷いた。なんだ、やけに素直だな。俺はそう思いつつも先に歩き出した。
 そういえば。ふと、さっき今井と話していた時によぎった違和感が蘇った。あれは、確か――
 点と点が、繋がった。身構えて振り返った先に見たのは、牧瀬がベルトから何か黒いものを抜いたところだった。
「くそったれ!」
 ズボンから拳銃を取り出す。安全装置を外すその一瞬で、牧瀬は引き抜いたその銃を撃った。その射撃は正確に俺の銃を撃ち落とし、二射目で俺の右腕を鮮やかに貫通した。
「ぐ、がっ」
「これで、反撃はできないね」
 牧瀬は冷静にそう言った。かつん、と吹き飛ばされた銃が床に落ちる音がした。牧瀬の銃はまっすぐ俺の額に向いている。
「……やっぱり、な」
「気づいていたのかい? 頑張ってバレないようにしていたんだけど」
「ほころびはあったさ。お前は8番と言った。クリア条件は3番のプレイヤーの腕時計の作動、だ。そしてあの時は気づかなかったが、ゲームのルールでは、クリア不可能になったプレイヤーはその時点で失格になるはずなんだ。なのに、3番の腕時計が破壊されて作動することがなくなった今、お前が失格になってないのはおかしいと思わないか?」
 なるほどね、と牧瀬は顔をしかめる。
「お前は8番じゃない。しかし、他のナンバープレイヤーの番号を考えると、お前が8番じゃなければ、必然的にハンターということになる。しかし、そうなると今度は8番が行方不明になるわけだ。桐生の特殊機能では動く時計が一つしか見つからなかったからな」
「うん、それで?」
 悠長に、牧瀬は先を促す。その隙を見逃さず俺はポケットの中に手を入れた。先ほど手に入れた手榴弾が指に触れる。いや、遅すぎるな。この距離だと、巻き添えもありうるし。成功したところで、爆発の前に撃つ時間はいくらでもある。
「もちろん開始直後に8番のプレイヤーを監禁してなりすましたという可能性はある。しかしそれには少々時間が足りなさすぎる。それと、そうまでしてプレイヤーに紛れ込む理由がないしな。
そして、そもそもこのゲームでクリア不可能なプレイヤーはいないと運営が明言していた。だから、こういう事なんだろう。お前は8番のプレイヤーで、かつハンターだ。確か、ハンターがナンバープレイヤーとは別に存在しているとはルールに明記されてなかったしな。その場合、ハンターのクリア条件が優先される。沙耶の質問に、運営が答えていた。だからお前は今も失格になっていないんだ」
「すごいね。よくもまあそこまで推理できるもんだよ。それで、どうするんだい。この状況を」
「お前こそ、どうするつもりだ? 俺を殺せば問答無用で全員死ぬぞ。それよりもまず、榎並を殺すべきじゃないのか」
 すると、牧瀬は目を逸らしがちにこう漏らした。
「僕たちは、腕時計から毒を抜かれているんだ。だから、失格になっても死ぬことはない」
 それを聞いて、俺は内心で舌打ちをした。なんだ、それは。鼻で笑ってみせると、牧瀬は不可解な表情をした。
「それは、本当か? 明言されたものか? そうでないのなら、このゲームでは何の意味もなさない。お前の存在が、それを証明しているはずだ」
 にやり、と笑って挑発すると、牧瀬は苦虫を嚙んだような顔をした。単なるハッタリだったが、思った以上に効果があったようだ。
「前回は、きちんと抜かれていた」
 前回? 前回と言ったか、こいつは。俺は思わぬ収穫にほくそ笑んだ。
「今回もそうだという根拠はどこにある。前回はこんなに大量の時計がフィールドに設置されてはいなかったんじゃないのか。質疑応答だってなかったんじゃないのか。もしそうなら、今回ゲームの仕様が著しく変更されている可能性は十分に考えられる。そうだろ」
 どんどんと、追い詰めている実感があった。銃を突きつけられながら、しかし状況は断然俺が優勢だ。もうひと押しで、こいつは俺に下ることになる。どくどくと血を流す右腕を横目で見つつ、それでもひたすら集中する。また思い出したように頭痛がぶり返すが、それも全て無視する。今はとにかく頭に血を送れ。
 牧瀬は迷っているらしかった。無理もない。本性をばらした相手を野放しにしておくわけにはいかないだろう。しかし、俺を殺すには榎並を先に殺す方が安全だ。となると、俺を殺すために俺に背を向ける必要が出てくる。その間に俺に反撃を許してしまうことになる。銃は撃てずとも、あちらが俺を殺せないなら手段はないわけじゃない。
歯を食いしばっている牧瀬に、俺は言った。
「こちらにつけ、牧瀬。お前の存在は、俺たちにとって強力な武器になる。お前がハンター兼8番のプレイヤーであるおかげで、蒲生の特殊機能の回数が足りる。お前が俺たちと敵対する理由はない」
 しかし、牧瀬は首を振った。
「あと、一回なんだ」
「何がだ」
 震える声で、牧瀬が答える。
「あと一回で、僕の望みは叶う。あと一回クリア条件を満たせば、組織が妹の手術のための心臓を手配してくれるんだ」
 あと一回、と言うたびに牧瀬の指に力が戻るのがわかった。このままではまずい。俺はすかさず声を上げた。
「そんなもの、俺が解決してやる! だから、俺の側につけ、牧瀬!」
「しかし、どうやってだ。そんな口先だけの言葉で、僕は」
 口先だけではだめか。ならば。
「プランがある」
「なんだって?」
「プランがある、と言ったんだ。俺の考えが正しければ、お前は皆殺しをする必要はない」
「まだ、確実ではないわけだね」
「ああ、しかし万に一つもないわけじゃない。一旦、俺を信じてみればいい。そして、もしだめだとわかったらその時改めて皆殺しを断行すればいい。皆殺しはいつでもできるだろう。その前に一度だけ、俺のプランに乗ってみる気はないか」
 牧瀬は、しばらく考えていた。俺はそれをひたすら見据えていた。死刑宣告を待つような長い一瞬が経過した後、牧瀬はふう、とため息をついて銃を下ろした。
「……口がうまいな、君は。頭も回る。行動力もある。だから、真っ先に殺そうとしたわけだけど」
「信用してくれるのか?」
「まあ、そこそこに。でも、勘違いしないでくれよ。僕は、君を利用するだけだ」
「ああ、知ってるさ。俺も、お前を利用するだけだ。お前が知ってる情報、全部俺によこせ」
 すると、牧瀬は呆れたように首の後ろを揉んだ。
「強欲なことだね。それよりも、君のプランを聞くほうが先だ」
 まあ、それはそうだ。俺はそう笑って、それから、床に転がった拳銃を拾う。牧瀬の銃口がまた俺に向くのがわかった。
「落ち着けよ。争うのはお互いの利益のためによくない」
 俺はそう言いながら拳銃を左手で拾うと、安全装置をかけてポケットにしまった。牧瀬も少し安心したように拳銃をベルトに戻す。
「それより、一旦戻ろう。流石に皆不安がってるだろう」
 右腕を抑えて歩き出すと、牧瀬も後に続いた。
「君のプランがうまくいったら、謝るよ。その怪我はちょっとやそっとじゃ治らない」
 牧瀬が申し訳なさそうに言う。俺は肩をすくめて答えた。
「その必要はないさ」
 ふと、何やらポケットが震えていることに気がついた。PDを取り出すと、画面にはメール着信の表示。
「どうしたんだ?」
 牧瀬が首をかしげる。
「メールだ。また運営からか?」
 しかし、こんな時間に運営からメールなんか来ていただろうか。不審に思いつつそれを開いて、送り主を見て俺は愕然とした。
「津久田、深雪」
「なんだって?」
 牧瀬が画面を覗き込んでくる。俺はそれに構わず、内容を読み上げる。
「大丈夫ですか? なかなか戻ってこないので、皆心配しています……」
 どういう、ことだろうか。俺たちはしばらく事態を飲み込めずに固まっていた。


 部屋に戻ると、扉の前で沙耶が不安げに立っていた。俺が手を振ると、ぱっと一瞬顔が明るくなって、それからすぐに険しい表情になった。
「し、彰一! その怪我、どうしたの?」
「別に。それより、話したいことが山ほどある」
「別に、じゃないでしょうが! 待ってて、今手当するから」
 沙耶は少しうろたえた末、いつかと同じように自分の首からリボンを取ると、俺の二の腕に巻きつけた。
「おい、そんなのに使ったら、リボン痛むぞ」
「彰一は自分の心配だけしてなさい!」
 怒鳴られて、俺はされるがままになる。手早く止血を済ませた沙耶が、一瞬猜疑の目で牧瀬を見た。
「沙耶」
 俺が声をかけると、悔しそうに沙耶は目を逸らした。牧瀬もバツが悪そうにうつむいている。
「とりあえず、入りましょう。皆心配してるし。――話は、そのあとでいいわ」
 部屋に戻ると、皆が群がってきた。ええい、鬱陶しい。俺はそれらを適当にいなして、床に腰を下ろした。腕と頭が共鳴するように痛むが、そんなことはどうでもいい。未だかつてないチャンスだ。この機会に少しでも情報を引き出してやる。
「さて、皆に報告しなくちゃならないことがある」
 全員の注目がこちらに向いた。蒲生でさえつまらなさそうにこちらを向いている。
「二人目のハンターを見つけた。これはそいつに撃たれた傷だ」
 無理に持ち上げると、右腕が悲鳴を上げた。
「だ、大丈夫かいな、ほんまに」
 榎並がうろたえた声を出す。
「大丈夫ですよ。不便でしょうけど、命に別状はない」
「なんでそんなこと言えるんや。医学生かなんかか」
 牧瀬は横目で俺を見た。俺は頷く。ともかくは、それが明かされないことには話が進まない。
「何度も、人を撃ったことがあるからです。少なくとも、その程度の傷が原因で死んだ人はほとんどいませんでしたから」
 皆が固まった。蒲生だけが妙に楽しげに、口笛を吹いた。いち早く立ち直った今井が、不敵に笑った。
「へえ、なるほどね。つまり、あんたがハンターってわけか」
 その言葉に、沙耶が立ち上がる。
「やっぱり! 彰一を撃ったのもあんたね!」
「沙耶、落ち着け」
沙耶は一瞬きっ、と俺を睨んだが、やがて困ったような表情をして黙り込んだ。
「別に、弁解するつもりはない。僕は本当に彼を殺そうとしたし、事実その一歩手前まで行った。今までもそうやって人を殺してきた。責められる覚悟は出来てるし、殺されても文句は言えないとも思ってるよ」
 そう言った牧瀬の声は、どこまでも冷静だった。沙耶は何か言いたげに牧瀬を睨みつけていたが、そんなことをしても無駄だと悟ったらしく何も言わずに座り直した。牧瀬はそれを少し悲しげな瞳で見てから、俺に視線を移した。
「それに、実はまだ終わってないんだ。なあ、来栖くん。聞かせてもらおうか。君のプランとやらを」
 いいだろう。俺は牧瀬に向けて、しかし皆に聞こえるように説明を始めた。


 説明が終わって皆を見回すと、誰もが唖然としていた。沙耶でさえあんぐりと口を開けている。
「なんだ、そりゃ。むちゃくちゃだ」
 今井が呆然と口にした。それで我に返った沙耶が、ポツリとこぼす。
「……いや、いけるかもしれないわ。そこのハンターさんに真偽を聞かないといけないけど」
 そう言って沙耶は牧瀬を見る。全員の視線が、今度は牧瀬に集まる。
「確かに、うん。そうかもしれない」
「かもしれないって、あんた元からそっち側の人間じゃない」
 沙耶の言葉に、牧瀬は首を振る。
「僕はあいにくと、組織に買収されただけの一般人でね。定期的に訓練を受けてゲームに参加しているだけで、組織とそれ以上の関わりはないよ。特に今回のゲームはよくわからない」
 うさんくさそうに顔をしかめて、それから沙耶は睨みつけるようにして聞いた。
「でも、今から思い返せばってことはないの? 例えば、可能性の話だけでもいいんだけど」
 牧瀬はしばらく考えていたが、やがて思い出したように答えた。
「そういえば、前回のゲームでボーナスゲームが行われた」
「ボーナスゲーム?」
「なんていうか、ミニゲームみたいなものかな。その得点で一位を取ったものには強力な武器が与えられるってやつでね。一人が高性能マシンガンを持って無双した。あれは僕も焦ったね。手がつけられなかった」
 まあ、クリア条件が満たせなくなって失格になったけど。牧瀬がつけ加えると、沙耶は明らかに嫌な顔をした。
「なるほど、可能性は十分にあるってことね」
 その言葉に俺は頷いた。
「だから、確かめに行こうと思うんだ」
「確かめに行くって、ど、どこに行くつもり?」
 古谷が不安に負けてか口を開いた。お前は薄々察しがついているだろうに。だからこそ聞いているのだろうが。俺は宣言するようにして告げた。
「もう一度、あの質疑応答の部屋まで行く」
「でも、もう質疑応答は終わったわ。あっちも答えてくれるかどうか」
 津久田が続いて口を開く。俺は首を振って答えた。
「いや、答えるさ。なにせ事が事だ。そして、きっと今も俺たちを監視してる。あの部屋のスピーカーも別に壊れたわけじゃない。呼びかけがあれば応じるだろうよ」
「なんでそう言い切れるの?」
 津久田の疑問に、俺の代わりに沙耶が答える。
「私のクリア条件――私の場合失格条件と読んだほうがいいかしら? その判定のために、どうしてもずっと監視しておく必要があるからよ」
それだけじゃない。前回運営はゲームの進行に差し障る事態になれば介入すると言った。それは、その事態を察知できなければ言えないことだ。
 ゲーム開始から八時間半近く経過していた。時間がない。
「とにかく、行こう。あまりのんびりしているともう一人のハンターが動き出す」
 それを合図に、皆は動く準備をし始めた。俺は牧瀬に声をかける。
「蒲生を頼む。暴れられると厄介だ」
 すると、蒲生はそれを鼻で笑った。
「今更何を怖がってんだ。それに、もうなんもしやしねえよ」
「信用できるか」
 呆れて言うと、蒲生は蛇を思わせるような声で笑い飛ばした。
「さっきの話、全部聞いたからな。もしもそれが本当なら、今すぐ動く必要なんてどこにもねえ。お前はいけ好かないクソ野郎だが、お前の案は気に入った。途中までは乗らせてもらうぜ」
「……勝手にしろ。乗るなら金取るがな」
「金を取るのはこっちの方だぜ。ひひ」
 そんなこったろうと思ったよ。無視して立たせると、言葉通り素直に従った。この時ばかりは、こいつが欲望に忠実なことに感謝した。


「さて、運営。聞こえてるんだろう」
 手際よく動いたおかげで、三十分で俺たちはあの質疑応答の部屋までたどり着いた。その中のスピーカーに向けて声をかけると、ハウリング音がスピーカーから響いた。
『いかがなさいましたか』
「わ、ほんまに答えよった」
 榎並が驚く。しかしまあ、運営も白々しいことだ。俺は皮肉げに笑ってみせた。
「全部見てたんだろうが。俺が今から言うこともわかってるんだろう」
『いいえ、なんのことやら』
 あくまでとぼけるつもりらしい。しかし、こっちから聞けばいいだけのことだ。俺は順序だてて、運営を問い詰める算段を立てる。
「さっきの質疑応答の時、お前はこう言ったな。『これはゲームとして成立している』と」
『はい、その通りです』
「その時、変だと思ったんだ。このゲームほど不公平なゲームもない。賞金総額は変わらないのに、クリアするために誰も人を殺せない奴がいる。クリア難度とクリア後の報酬が対応していない。それがどういうことか、ずっと考えていた」
『なるほど』
 運営の声も、心なしか期待を含んでいるように聞こえる。
「違和感ならまだある。ハンターというプレイヤーの存在もそうだ。人間の浅ましい足の引っ張り合いやら、殺し合いが見たいだけならそんな人間を用意する必要もない。危機感をプレイヤーに植えつけるだけなら他にももっとやりようがあるだろう。そもそも全員をクリア可能にする必要すらない。ゲームである必要も本来ないはずなんだ。
 ルールにも意図的に穴が空けてある。質疑応答だって、前回はなかったんだろう。壁掛け時計だって、今回初めて導入したものだろう。その上で、あえて俺のような扱いづらい駒を持ってきた。人質も一緒にして、だ。俺がどうしても全力を出さなければいけない状況を作り出した。不自然すぎる。まるで――そう、俺に挑戦してきているような」
 運営は何も答えなかったが、なんとなくスピーカーの向こうの顔は笑っているような気がした。
「なあ、このゲームの参加者は、誰だ?」
『……ご想像にお任せします』
「わかった、ならば俺はこう言おう。俺は、ゲームには乗らない」
『はい?』
 運営の声が一転、間抜けになった。そう、その声を聞きたかったんだ。
「俺はこの謎に挑まない。お前の挑戦など知ったことか。ここで全員で沈ませてもらう」
『そちらの少女がどうなってもいいと?』
「沙耶も了承済みだ」
 沙耶を見やると、彼女は決意したような顔で頷いた。
「お前の目的なんか知ったことじゃない。お前にとっては不本意だろう。だがな、俺からしたら全く難易度と報酬が見合っていないんだよ。これを生き延びても残りの一時間で殺戮が起こるような状況で、まともにつき合ってられないわけだ」
 俺のプランとは、つまりこういうことだ。どうも運営は俺とタイマンを張りたいらしい。ご丁寧に答え合わせの場を設けているあたり、少なくともこのゲームに関してはフェアプレイの姿勢を貫きたいようでもある。その上で、全力で俺に命と金を賭けた頭脳戦を仕掛けてきているわけだ。けれど、それは俺が本当に全力を出す場合の話だ。だから、
「運営。報酬の引き上げを要求する。生存賞金を十倍に、さらに心臓手術の手配をしてもらおうか」
 俺自身の命をもって、運営を強請る。
「それくらい、大したことじゃないだろう。これだけの規模のゲームを営利目的なしにできるだけの財力だ。俺が全力を出すことと引き換えなら、それくらいの対価は払うべきじゃないのか」
 すると、運営は心底愉快そうに高笑いを始めた。どうも昂ぶっているようで、スピーカーがハウリングする。
『なるほど。あなたは期待以上に頭が回るようだ。いいでしょう、あなたの提案を受け入れます。ただし、こちらからも条件をつけさせていただきます』
 よし、乗ってきた。俺は少しイラついたように顔をしかめてみせた。
「条件だと?」
『ええ。あなた個人のクリア条件を変更、「ゲーム終了一時間前までのプレイヤー全員の生存」とさせていただきます。そして、ゲーム終了一時間前にあなたが生存していて、この部屋にいる場合に限りミニゲームを行わせていただきます』
「つまり、そのミニゲームをクリアしたら報酬を引き上げる、ということか」
『そういうことです』
 そうなるだろうと思っていた。運営は基本的にはゲームには介入しないと言っていた。しかし、もしも俺が参加することがこのゲームの存在意義に関わっているのだとしたら、運営は俺の参加の放棄を認められないはずだ。どうにかして止めに入ってくる。ルールへの介入の前例もあった。こうして「釣れる」可能性は低くはなかったのだ。
「それで? ミニゲームの内容は」
『ミニゲーム開始時にお知らせします。まだあなたは参加資格さえ手に入れていないのですから』
「……まあいい」
 しかし、どうも腑に落ちない。本来、俺の能力は誰にもわからないはずだ。確かにこれまでも怪しい動きくらいは何度もしたが、その事実だけでは確信には至らないだろう。そんな奴よりはもっと頭のいい人間を連れてくればいい。その方が、挑戦には値する。それでも、俺を選んだ。それは、一体どういう理由で?
『それでは、ミニゲーム開始時にお待ちしております』
 それっきり、スピーカーは何も言わなくなった。
「さて、と。それじゃ隣の部屋で情報整理と行こうか。いろいろ気になる情報があるからな」
 津久田の方を見ながらそう言うと、津久田はそれに気づいて首をかしげていた。……もしかして、こいつわかってないのか。俺は思わず額を抑えた。


「さてと、それじゃあまずは牧瀬に聞きたい」
 部屋を移動して、俺は牧瀬に向き直った。牧瀬も承知の上、とばかりに頷く。
「そう来ると思ったよ。何が聞きたい?」
「とりあえず、お前の特殊機能。あれ、本当か?」
 ナンバーを偽り、銃を隠し持っていた奴だ。協力体制になった今、少しでも不安要素は排除しておきたい。
「ああ、あれは本当。でも、もう一つある。MAPに表示されるのは、武器の配置場所だけじゃないんだ」
「じゃあ、何がわかるんだ」
 牧瀬は、自分のPDを取り出して言った。
「PDの位置、だよ。それに加えて、そのPDのナンバーと特殊機能までわかる。僕が榎並さんと一緒に行動してたのは偶然じゃなくてさ。彼といれば罠にかかる心配はないってわかってたからなんだ」
 なるほど、つまりあんたにはそうせざるを得ない制約があったわけだな。俺は質問を続ける。
「じゃあ、次だ。あんたらハンターには何かナンバープレイヤーにはない制約のようなものがある、と運営が漏らしていたな。あんたの制約は何だ?」
「制約、と言うべきなのかはわからないけどね。僕専用ルールがあってさ。僕は、ゲーム開始から六時間後までは8番のプレイヤーのクリア条件なんだ。だから、それまでは動けなくてね。疑われないように機会を伺ってたんだ」
「しかし、あんたはさっきまで腕時計の毒が抜かれていると信じていたじゃないか。どうして早く動いてあとに楽しようとか思わなかったんだ」
 それはごく当たり前のことのように思えた。しかし、牧瀬は首を振る。
「いやね、この腕時計、一度失格になったらその条件で固定されちゃうんだよ。運営が個別ルールの説明の時に教えてくれたんだ。それで、手術の手配をしてもらう条件が、五回のゲームに参加してその全てで『ハンターとしてクリア条件を満たす』だったから。失格になっても死んでいなければクリア条件を満たすこと自体はできる。でも自分がハンターじゃなければそんなことをしても意味がない。だから、クリア条件が変更になるまでは失格にはなれなかったんだ」
 これは、いい情報じゃないか。俺は心の中にすかさず書き留める。もしかすると役に立つかもしれない。
「だとすると、同じような専用ルールがもう一人のハンターにもあるわけだな。それについては、何か知ってるか」
 すると、牧瀬は今一つ釈然としないような顔で答えた。
「一応、聞いてはいるよ。ゲームを進める上ではハンターは仲間同士だからね。まずは、ハンター共通の、運営の指令に絶対服従、というのが一つ。ゲーム開始から十時間後までは初期配置エリアから出られない、というのが一つ。そして、もう一つ。身動きが取れなくなるまで助けを呼べないっていうのがあった」
「助けを呼べない? それはどういうことだ」
 牧瀬は首を振る。
「僕にもさっぱり。別に、それに関して僕に命令があったわけでもない。だからその意味を僕に聞かれても困る」
 なるほど。なら、それは本人に聞くしかないか。俺はそれ以上問い詰めることはやめて、時計を見た。ゲーム開始から九時間十分。あまり、時間はないか。
「さて、あと確認したいことが一つある。――津久田さんにだ」
 え、と津久田はぽかんと口を開けた。まさか、本当に気づいてなかったのか。
「あんた、さっきメール送っただろ」
「そ、そうだけど」
 当たり前のように彼女は答えた。全員の視線が一挙にそちらに集まる。さらに彼女は驚く。
「え、皆送れないの? だって、送信できないメールに何の意味が」
 ああ、これまではメールを使う事態にならなかったのか。今回以外は津久田は今井とずっと行動を共にしなければならなかったわけで、それ以外のプレイヤーと協力しようとしなかったわけだ。
「……あのさ。そういうことは、最初に言おうよ」
 今井が心底呆れた調子でつぶやいた。


「一応確認しておくが、他にメールを送信できる奴はいないな?」
 俺が言うと、全員が顔を見合わせた。ということは、いないということか。どうやら、これは津久田の特殊機能のおまけらしい。確かに、2番と合流するためには位置情報だけでは物足りない。
「さて、じゃああんた。そのメール機能の使い方を聞きたいんだが」
 津久田は不思議そうに首をかしげた。
「メール機能に使い方の差とかあるの? 皆いつも使ってるのと同じよ。宛先を選んで、文面を打って、それで送るだけ」
 だから、そこを詳しく聞きたいんだ。俺は苛立つのを抑えつつ質問を続けた。
「その宛先はどうやって手に入れたんだ? 少なくとも俺はアドレス交換なんてしてないぞ。そもそも自分のアドレスがわからん」
 何しろ、どこにもアドレスのような表示がないのだ。すると、津久田は困ったように口を結んだ。
「それがね。私もよくわからないのよ。気がついたら増えてるの。最初の質疑応答の時は五人くらいだったのに、今はもっと増えてる」
 その言葉に、俺はふと思いついて聞いた。
「じゃあ、誰のアドレスなら持ってるんだ」
「ええっと、ここのメンバーは全員いるわ。でも、それだけ」
「つまり、もう一人のハンターの分は持ってないんだな」
「ええ。そもそも私、そのハンターとかいうのには会ってないから」
 大体想像がついた。おそらく近づいた相手のアドレスが登録されるんだ。それが具体的に何メートルかは知らないが、それは特に知る必要もないだろう。それよりも、と俺はさらに聞く。
「ちなみに、そのアドレスにはどんな情報が出てくるんだ」
 大したものじゃないけど、と津久田はPDを操作してこちらに見せてくる。そこにあるのは名前だけ。なるほど、本当に大したものじゃない。そういえば、質疑応答の時も必死にこいつはPDを覗き込んでいた。そこで誰が2番なのか考えていたのだろう。もしそこにナンバーや特殊機能が映し出されるようならそんな必要もない。
「なら、次だ。PDには別にボタンもないが、どうやって文面を打った?」
 すると、横から沙耶が答えた。
「こういうのは必要な時だけキーパッドが表示されて、それで打ち込むようになってるのよ。ね、津久田さん」
 津久田も頷いた。へえ、そういうものか。
「あとは、これだけか。そのメール、どこまで届くんだ」
 津久田は首を振った。
「さあ。でも、一回運営からもメール来たでしょう。あれが同じメール機能を使ったものなら少なくともこのフィールド内なら届くんじゃないかしら」
 なるほど。確かにそれはそうだ。
 さて、大体の戦力は把握した。なら、これから俺たちがやらなきゃいけないことは一つだけだ。時計を見ると、ゲーム開始から九時間十五分。すぐにでも動くべきだろう。
「それじゃ、これから俺たちがやるべきことはただ一つだ。最後のハンターを捕らえる。そのために、協力してくれ。牧瀬」
 仕方ない。牧瀬はそう言って薄く笑った。その言葉は、それまでよりも柔らかくなっているような気がした。


 まずは、武器が必要だった。何しろ奴がライフルしか持っていないとは限らないからだ。警戒するに越したことはない。そこは牧瀬の特殊機能を利用する。それによって、二階エリア二十四に武器が二つ配置されていることを確認した。移動は榎並のおかげでとてもスムーズに行った。手に入ったのは大口径のリボルバーと自動小銃。小銃は蒲生に、それから一応と古谷にもリボルバーを渡しておく。こいつに使えるかどうかは別として、持っておくに越したことはないだろう。
素人には威力の高い銃を持たせたほうがいいというのをどこかで聞いた。なんでも直撃しなくても相手にダメージを与えられるから照準が甘くてもなんとかなるらしい。あと、蒲生に大口径リボルバーなんて渡したらどうなるかわかったもんじゃない。こいつのことだ、昂ぶってうっかり殺してしまったとかいかにもありそうだ。今回俺たちがハンターと戦うのは奴を殺すためじゃない。そうならないためにも、口径の小さい銃を渡す必要があった。
 手錠は蒲生に使っていたものを使うことにした。正直こいつを野放しにするのは気が引けたが、今はこいつも貴重な戦力だ。もう一つ手錠はあるのだから、終わってからもう一度かけ直せばいいことだろう。
 あとは、どうやって攻めるかだ。奴は今なお二階エリア十九と十四の境で張っている。これをどうにかして落とすためには。
「やっぱり、挟み撃ちしかないでしょうね」
 沙耶が言った。
「しかしどうする? 正面切っての突破はこちらの被害も避けられないぞ。考えるに、あっちのハンターも牧瀬と同じように俺たちの位置を把握していそうだし」
 というか、これまでの経緯を考えるとそうとしか考えられない。おそらくこちらのナンバーまでわかっているだろう。三回目のゲームで、あそこまで追っ手がいなかったのは全員殺されていたからと見るべきだろう。牧瀬一人であれを全員殺せるかと言われると少し厳しい。
「そう。こちらの位置情報があちらに筒抜けなのは多分そうでしょうね。だとすると、他のアドバンテージを使うしかない」
 他のアドバンテージ? 俺が首をかしげると、沙耶はあまり面白くなさそうに答えた。
「つまり、あちらが持っていない情報を利用するの。位置情報もナンバーも割れていて、それなりに武装していることが簡単に推測できたとしても、推測できないことが一つだけある。ね、牧瀬さん」
 話を振られた牧瀬はええと、と苦い顔をした。……なるほど。
「まだ、牧瀬が裏切ったことはあちらもわからない。最初から牧瀬はずっとナンバープレイヤーに紛れていた。だから推測しようもない。つまり、騙し討ちをしようと言うんだな」
「ええ。牧瀬さんにハンターと合流してもらって、その上で挟み撃ちをするの。すると、あちらは牧瀬さんに一方を任せてもう一方に集中するはず。そうすれば、片方から攻めるだけで簡単に落とせるはずよ」
 そうすれば、相手に抵抗の余地を与えなくて済むわけだ。いい作戦だが、しかし……。
「牧瀬が信用されることが第一だ。何か感づかれたら終わりだぞ」
 すると、牧瀬は困ったように頭をかいた。ああ、こういう困り方は素だったか。
「まあ、そこは何とかするさ。もっともらしい嘘もついておく。これまでずっと潜伏してきたんだ。それなりに自信はあるよ」
 なら、俺たちが心配する必要もないか。
 分かれ方はできる限り戦力が分散しているように見えて、一極集中しているのがいい。なぜならこの作戦なら、牧瀬が担当している方向に戦力がいればそれで良くて、ハンター側は何をする必要もないからだ。そうなると、悔しいが俺は戦力外の方になる。
俺、沙耶、桐生、榎並がハンター側を担当し、蒲生、津久田、今井、古谷が牧瀬側を担当する。こうすれば人数と性別的にはある程度均等に見えるだろう。しかし実際は俺の側は女性二人にメタボのおっさんだ。俺以外誰も戦えやしない。一方の牧瀬側は手榴弾を持った津久田を含めれば全員が武装しているし、牧瀬も合わせればかなりの戦力偏重だ。さしずめ俺は保険というところか。まあ、俺としては沙耶を守れる位置にいられることに不満はないが。今井と津久田も一緒だし、一方通行とは言え通信もできる。これ以上ない配置だ。
さて、準備は整った。あとは実行に移すだけだ。
「じゃあ、頼むぞ。牧瀬」
 肩を叩くと、困ったように苦笑する。
「任せてくれ。僕が接触したら動き出すように。なんとかそこに釘付けにしておくから」
 そう言って、牧瀬は一人で部屋を出ていった。その姿が少し心配になるが、そんなことも言っていられない。あとは桐生の報告を待つしかない。
 随分長い間待った気がしたが、実際にはたった数分だった。ゲーム開始から九時間四十三分。桐生が声を上げた。
「あ、あの。ま、牧瀬さんが、止まりました」
「位置は?」
「え、エリア十四と、十九の間です。多分、その、ハンターさんと一緒だと」
 来たか。俺に怯える桐生を尻目に立ち上がる。
「行こう。ここで俺たちがぐずぐずしてるとせっかくのチャンスを取り逃がす」
「教えてくれてありがとうね、桐生さん」
 沙耶が笑いかけると、桐生も少し安心したような表情をする。年は桐生の方が上なはずなのだが、なんだか沙耶が姉のように見えた。
正直、沙耶以外に優しく接するのは苦手だ。昔はそんなでもなかったような気がするのだが、色んな人を見捨ててきた弊害か。その内容を思い出すのは、流石に気が引けた。
「それじゃ、手はず通りに。運がよければまた会おうね」
 今井が珍しく殊勝なことを言う。俺は少し皮肉混じりに応えた。
「お前がそんなヘマするとは思えないな。だってそんなこと言いながら、お前は自分が生き残ることしか考えてないだろう」
 すると、今井はため息をつく。
「それはそうだけどさ。でも、僕だって誰が死んでもいいなんて思っちゃいないよ。もちろん僕自身はそんなヘマはしないけどさ? それでも、誰かのヘマの尻拭いはするかもしれないから」
 今井の目を観察するが、あまり嘘をついているようには見えない。少しこいつを見直した。
「誰がヘマするって? そういう冗談はあと一回りは年取ってから言うんだな、クソガキ」
 へらへらと蒲生が口を開く。今井の少し挑戦的な視線を歯牙にもかけず、物足りなさそうに自動小銃を弄んでいる。流石、経験の差、というところか。
「あまり言いたくはないが、頼りにしてるぞ、蒲生」
「よせやい、気色わりい。まあ、こっちの戦力なんて俺以外はせいぜいあのハンターくらいだからな。任せてみろよ、全部ぱぱっと片づけてやるぜ」
 その姿は、確かに頼りになりそうだった。しかし、あそこまで敵対していた蒲生とこんなやり取りをすることになろうとは。
「うまくやったら、もう五億上乗せしてくれてもいいんだぜ?」
 にやりと悪っぽくほくそ笑む蒲生に、俺は苦笑する。やっぱり、こいつはただ欲深いだけの悪党だ。
「考えておく。今は目の前に集中しろ」
 へいへい、と蒲生は銃の最終点検に戻った。
「それじゃあ、まずは俺たちがエリア十四側に回り込む。移動が終わったのは今井の特殊機能でわかるだろう。終わったら、そっちはエリア十九側に向かってくれ。それで、機会を待つ。牧瀬が合図をしたら攻め込んでくれ。それで終わるはずだ」
 俺の言葉に全員が頷いた。さあ、作戦決行だ。散々やってくれた仕返しをする絶好の機会。これを逃すわけにはいかない。
「じゃあ、行くぞ」
 部屋を出る俺に、沙耶が続く。それにくっつくように桐生が、そして追いすがるように榎並がついてきた。ぼそりと、沙耶につぶやく。
「うまく、行くと思うか?」
 沙耶は首を振った。
「まだ、何とも。これで終わるはずがない、というのが正直な感想ね」
「何か、気になるのか?」
 沙耶は少し俺の腕を気遣わしげに見つめて、それからつぶやいた。
「まだ、漠然とした感想でしかないけど」
「言ってくれ。もうあまり時間もないみたいなんだ」
 俺はじくじくと痛む頭を軽く叩く。それで察してくれたらしく、沙耶は言いづらそうに口を開いた。
「確かに、全員が団結できるはずって言ったわ。でも、本当にそうなのかしら。もしそうだとして、このゲームは四十八時間あるのよ。十時間かそこらで完全に結果が決まるようにはできてないはずよ。他の目的がまだあるなら別だけどね」
 つまり、こういうことか。
「本当は、全員が団結できるようにはできてないんじゃないかってことか」
 ええ、と沙耶は目を伏せる。
 沙耶の言うことには、確かに一理ある。しかし、ここまで来てそれを考えるのは精神的にきつい。俺はなんとかそれを否定しようとして、ふとあることを思いついた。
「……大丈夫だ」
「え?」
「ほら、クリア不可能なプレイヤーは作らないと運営も公言しているだろ。それはルール介入の時も同じはずだ。なら、やっぱり全員生存自体は可能なんだ。少なくとも、ゲーム終了一時間前までは」
「……そうかもね」
 沙耶は不安そうに、それでもどこか安心したように微笑んだ。まったく、いじらしくて困る。
「でも、考える必要はあるかもしれないわ。私、これまではあんまりこのゲームそのものの目的とかは考えてなかったけど。でも、製作者の意図までゲーム性に反映されているなら、それを考えることでさらなる真実にたどり着けるかも」
「それはそうだな。今回も運営の意図に気づいたからこそこんな離れ技ができたわけだし」
「とりあえずは、この作戦が成功してからね。あのハンターを捕まえることができたら、また情報が増えるもの。手持ちの情報じゃこれが精一杯。……皆無事ならいいんだけど」
 その「皆」には、きっと牧瀬も含まれているんだろう。実際死なれては困るのも確かだが、沙耶はそういうことを抜きにしても彼らを心配していたはずだ。
 どうしても、自分の劣等感が目について嫌になる。


 配置は完了した。あとは終わるのを待つだけだ。俺たちは牧瀬たちの様子を角越しに伺っていた。やがて、意外にも高めの声がした。
「……何のつもりだ」
 どうやら、奇襲は成功したらしい。俺はさらに耳を澄ます。数人の足音が響いてきた。
「見ての通りだ。動くと撃つ。この距離なら一発だ」
「へえ、裏切ったんだ。妹はどうでもいいの?」
「それも含めて、相談済みだよ」
 小さく舌打ちが聞こえた。
「しかし、俺を殺すとお仲間がたくさん死ぬよ。それでもいいの?」
「君を殺す気はないよ。ただおとなしくしてもらうだけだ」
「つまり、お前は俺を殺すことはできないわけだ。ならその銃口も拘束力はないな」
 すると、牧瀬はさもおかしそうに笑った。
「別に、死なない程度に傷つけることくらいはできるさ。そうなりたくなければおとなしくお縄についてくれないかな。その方がこっちも楽でいい。それとも君、大量の敵と道連れとはいえ自分から死のうと思うのかい?」
 くそったれ、とハンターが吐き捨てる。それからしばらくして、金属質の音が聞こえた。
「おーい、もう大丈夫だ」
 その牧瀬の声で、俺たちも彼らに合流する。
 牧瀬が銃口を向けているのは、驚くことに細身の女だった。通気性の良さそうなシャツにホットパンツというかなり露出の高い服装から覗く筋肉はしかし、かなり引き締まっている。羽織っているジャケットやベルトには拳銃二丁と予備の弾丸がくくりつけられているようだ。駆け寄る俺たちを睨みつけるその顔は若干つり目で今にも噛みついてきそうだ。案の定榎並が反応する。
「おお、ハンターちゅうからどんないかつい男か思うとったが、ごっつかわいこちゃんやないか。こら縛り上げるんが楽しみやな」
 女は一瞬とてつもなく嫌そうな顔をした。しかしすぐさま獣のような表情に戻る。
「っざけんな、糞じじい。根元からもがれてえか」
 その剣幕に流石に榎並は口を閉じる。
「来栖くん。彼女に手錠をかけてくれないか。武装も解除してくれると助かる。今銃口を外すのは危険だから」
 牧瀬に言われて、俺は女の両手を後ろに回す。
「勝手に触ってんじゃねえよ、一緒にもがれてえのか」
「そんな乱暴な言葉遣いしないで。あなたも女の子でしょ」
 沙耶がそうたしなめながら武装を解除する。正直ボディチェックまでするのは気が引けたので、助かった。手錠をかけて、身動きできないことを確認する。
「これでよし。あんたが何もしなければ俺たちは危害を加える気はない。そのあたりは心配しなくていい」
「へっ、そんなの誰が信じるかってんだ」
 津久田がPDを操作しつつ口を開いた。
「その人、折口雛見っていうみたい。アドレスと一緒に出てる」
「あ? なんで俺の名前が出てんだよ。ったく、あのじじい、ぜってえ殺してやる」
 毒づくこの女は、どうやら折口というらしい。俺はその折口とやらに説得を試みる。
「俺たちはこのゲームで全員が生存をする方法を知っている。金もこっちのほうが手に入る。その金で奴らを動かすことだってできるかもしれない。だから、俺たちに協力してくれないか。あんたの協力があれば確実に全員生存できるんだ」
 しかし、折口は心底馬鹿にしたような笑みを浮かべた。
「はあ? お前頭おかしいんじゃねーの? だーれがそんな口車に乗るかよ」
 まあ、普通はそう思うか。もう少し詳しい説明が必要だが、流石にここはそんな長話には適さない。
「とにかく、場所を移そう。ここで長話もなんだ」
 近くの小部屋に移動するまでの間、折口はずっと毒を吐き続けていた。


「だから、なんで俺がお前らに協力しなきゃならないんだ」
 沙耶が詳しく説明しても、折口はずっとこの調子だった。どうやら蒲生のように単純な利害だけを考えて動いているわけではないようだ。こうなると面倒だ。まあ、この際こいつを仲間に引き込む必要はないか。きちんと管理しておけば、これで全員生存できるわけだから。俺は説得を半ば諦めて、情報を集めにかかる。
「あんたの言い分はわかった。じゃあとりあえず、あんたの特殊機能について聞かせてもらおうか」
 しかし、彼女の対応は変わらない。
「だから、なんで教えなきゃいけないんだっての。あいにくそんな義理はないね」
 この状況でまだそんなことが言えるのか。頭痛とはまた別の意味で頭が痛くなる。俺は苛立ち混じりに左手で拳銃を取り出した。
「え、ちょっと彰一」
 沙耶が声を上げたが、俺は構わずその銃口を折口に突きつける。
「自分の立場を考えてもらおうか。俺の意思一つで簡単にお前なんて殺せるんだからな」
「へえ、じゃあこの場のほとんど全員が死んでも構わないってんだな、あんたは」
 まったく、こいつの減らず口は止まらない。これは少し灸を据える必要があるか。しかし、利き手が使えないこの状況でまともに狙いを定めるのは難しい。下手をすると殺してしまうかもしれない。しかし、このままではこいつをつけあがらせるだけだ。ここは精一杯凄んでみるしかないか。
「ああ、全く構わないな。どうせこいつらが死のうが生きようが俺には関係ない。俺が欲しいのは情報だ。これ以上情報が手に入らないのなら、時間の無駄だ」
 本音を言った。正直、ここまで来れただけで上出来だ。こいつに媚びへつらってまでこれ以上続けるのも、コストパフォーマンス的にはあまり得策ではない。だったらいっそのことここで終わらせてしまおうか。
 どうやら、俺が本気であることは伝わったらしい。折口は怯えだした。
「ひっ……、だ、誰か『助けて』! 殺される!」
 命乞いするならさっさと吐けと言うんだ。そもそも、牧瀬の特殊機能を使えばこんなことしなくてもよかったじゃないか。なんとなく違和感を覚えつつ、俺は牧瀬に振り返った。
「おい、牧瀬。お前の特殊機能なら調べがつくよな。やってくれ」
「彰一、ちょっと落ち着いて」
 沙耶が俺の腕を引く。その顔は、どこか心配そうだ。沙耶は一体何を言っているんだろう。俺は十分に落ち着いているのに。
「確か、プレイヤーの位置と武器、罠の位置がMAP上に表示される、だったはずだけど……」
牧瀬は少し首をかしげながらPDを取り出した。そして、目を丸くした。
「く、来栖くん! これ!」
 まったく、なんだって言うんだ。これ以上手間取らせないでくれ。牧瀬のPDの画面をため息混じりに覗き込んで、俺は同じように目を見張った。
「な、なんだこれは……」
 画面には、「ゲーム強制終了」の文字。そして、牧瀬がいくら操作しようとしても全く画面に変化はなかった。
 くそ、どういうことだ。俺もポケットからPDを取り出す。画面には同じく「ゲーム強制終了」の文字。全く操作のきかないそれを床に投げつける。
「しょ、彰一。一体どうしたの?」
 沙耶が俺の顔を覗き込んでくる。沙耶の前ではこんな顔は見せられない。俺は表情を見せないようにそっぽを向きつつ、沙耶の頭を撫でてやる。しかし、その表情はまだ心配顔のままだった。PDを拾い上げ、俺は全員に向き直る。
「とにかく、一旦あの質疑応答の部屋に戻ろう。運営に確認しないと」
 皆の返事を聞かずに俺は部屋を飛び出した。罠の位置はわかっている。今更榎並を使う必要もない。
 あとから皆がついてくるのが足音でわかった。


 質疑応答の部屋は、何度来ても変わらない。俺はスピーカーに向けて声を上げた。
「おい、運営。これはいったいどういうことだ」
 すると、今度は流石にまともに返してきた。
『強制終了の件でしたら、こちらの基準通りでございます。このゲームの進行に差し障る事態が起きました。ゲーム続行不能のため全ての関連機器の機能を停止させていただきました』
「差し障る事態とはなんだ!」
 すると、運営はどこか残念そうにつぶやいた。
『それは、私にはお答えできません。ただ一つ言えることは、あなた方はこれでゲームオーバーだということです』
 嫌な、予感がした。やっと掴んだ蜘蛛の糸が、ぷつりと切れるような感触。
『これよりそちらに「回収部隊」が参ります。彼らによって、この事態の解決が図られます』
「なに、それ。具体的に言ってよ」
 津久田が不安そうに漏らす。
『あなた方を、全て抹殺するということです』
 くそったれ。やっぱりお前ら最初からこのフィールド内にいたんじゃないか。そうじゃないとこんなすぐに部隊を投入できるはずがない。それから、ゲームの進行に差し障る事態の解決で俺たちを抹殺する? つまり、既に今この状況がまさしくその事態なんだ。だとすると、問題は――。
「お前か、折口」
 改めて、俺は拳銃を向ける。しかし折口はそれを全く気にしていないようだった。
「俺なんかに構ってていいの? このままだとお前ら全滅だよ」
「ここはあいつらの庭みたいなもんだ。逃げきれるとは思えない。それよりも、俺にとっては原因の究明の方が問題だ」
「どうせ死ぬのに。冥土の土産がそんなに大事?」
 その時、銃を持った左手に激痛が走った。
「ぐっ」
 思わず銃を取り落とす。それを折口は見逃さなかった。近くに突っ立っていた古谷にタックルして銃を奪うと、銃を構えようとした蒲生をそのままの勢いで撃った。胸のど真ん中に穴を開けられた蒲生はそのまま後ろに倒れる。さらに反応が遅れた牧瀬の足に一発、手榴弾を持つ津久田の肩口に一発、今井の頭に一発。俺が体勢を立て直すまでに折口はここまでやった上で俺の頭に銃口を向けていた。反動の強い銃をこうも軽々と連射できるものなのか。俺は思わず舌打ちをした。
 部屋の扉は開け放たれ、ライフルがいくつもこちらに向いていた。銃口から微かに煙が揺れている。それに見向きもせず、折口は肩が凝ったとばかりに首を揉んでいる。ライフル隊に撃たれることなど考えてもいない。逆に、ライフル隊も折口に銃を向ける気はないらしい。
蒲生と今井は即死だったようだ。他の二人はまだ生きてはいるが、しかし時間の問題だろう。無事なのは、古谷と榎並、桐生と俺と沙耶。見事にこちらの戦力だけを削いできたものだと関心すらする。
遅れて桐生と沙耶の悲鳴が響き渡った。榎並はまだ目の前の状況が飲み込めていないのか呆然としている。古谷は状況は理解したのだろうが、もはや何をすることもなくうずくまっている。唯一戦力と言えるだろう俺は、全ての銃口を一身に受けて身動きが取れない。ああ、どうやら詰んだらしい。それだけはよくわかった。
折口はくっくっとおかしそうに笑っている。
「プレイヤー全員の生存? 協力? 協力すれば安全に金が稼げる?」
 沙耶に向かって、折口は口を開いた。その間もしっかり銃口は俺に向いている。
「ばっかじゃねえの。そんなん無理だっての。なにせ、この俺がいるんだからなあ!」
 折口の手には、もう手錠はなかった。どこに行ったかと探せば、さっきまで折口がいたところに転がっている。また俺に向き直って折口は言った。
「残念だったなあ、クソ野郎。俺が脅されてビービー喚くような奴だと思ったか? どうせ、女ならそんなもんだとでも思ったんだろ。そうだよなあ、男なんてそんなもんだよなあ。おめだたいもんだよ、演技とも知らずに」
 そこまで言って、俺が手錠を見ていることに気がついたらしい。蔑むような視線を向けてそれに応える。
「ここの手錠な? 全部一緒の鍵で開くんだよ。だから鍵を隠し持っときゃ簡単に開けられるわけ。まあ気づかねえだろうがな。なんせ持ち手の装飾とか変えてあるから」
 そんなことを知っているということは、やはり。
「お前は、このゲームの主催者か」
 そう言うと、折口は面白そうに笑みを浮かべた。
「いいね。結構頭いいじゃん。じゃあ、せっかくだからクイズをしようか。外したら、お前を撃つ。でも、当たったら周りのこいつらを撃つ。当たれば当たるほどお前が生き残れるわけだ。面白いだろ?」
 意地悪く折口は笑う。
「……俺に選択肢は?」
「拒否してもいいぜ。だがその時点でお前を撃つ。ほら、冥土の土産が欲しいんだろ? だったら受けるべきじゃないか?」
 こいつは遊んでいるだけだ。しかし、俺の「冥土の土産」はまさしく次のゲームへの土産になる。受ける価値は、あるか……?
「いいだろう、受けてやる」
 ひひ、と悪魔のような笑みを浮かべる折口。そうして、後ろのライフル隊に指示を出す。
「聞こえたな? 妙な動きがあれば遠慮なく撃て。だがそうでなければそのまま待機だ」
 返事はなかった。折口は向き直ってほくそ笑む。
「じゃあ、第一問だ。これはサービス問題。俺の正体は、なんだと思う?」
「このゲームの主催者だ。このゲームを続ける意義に関わる人物だろう。そうでなければこんなことになりはしない」
「正解、正解。俺が死んだり、身動き取れなくなったりして危険な目にあったらゲームを続ける意味がない。俺としちゃこういう結末は好みじゃないんだけどよ、まあ取り決めだからな」
 そう言って折口はおもむろに銃口を榎並に向けて、引き金を引いた。ぎへっとうめき声が聞こえて、それっきり何も言わなくなった。桐生はもう失神しているらしい。古谷はやはりうずくまったまま動かない。
「じゃあ、次の問題。このゲームのプレイヤーは全部で何人?」
「お前を入れて、か」
「そうだ。ほら、まだまだサービス問題だぞ?」
 そう言いつつ榎並に持たせていた折口自身の銃を回収する。それも同じく大口径のリボルバーのようだ。弾がなくなったのか、それまで持っていたリボルバーは投げ捨てる。
「十人だ。お前と俺、沙耶、牧瀬、榎並、蒲生、古谷、桐生、津久田、今井」
「正解だ。ちなみに、誰がハンターかもわかってるな?」
「ああ。お前と牧瀬だ」
 正解。折口は次に津久田を狙い、そして頭を正確に撃ち抜いた。
「次。牧瀬のこともわかってるということは、ハンターの腕時計から毒が抜かれていると伝えられていることも知ってるな?」
「そう、らしいな」
「お前は、どう思う? 例えば、俺の腕時計の毒は抜かれていると思うか?」
「……抜かれている、だろうな。お前の身の安全だけでここまでの騒ぎになるんだ、自分からその騒ぎの種を作りにはいかないだろうさ」
 正解。今度は古谷の背中を撃ち抜いた。心臓を射抜いたらしく、盛大に血が爆ぜる。ひっとまた沙耶が悲鳴を漏らすが、しかし気丈にも俺のそばで立っている。
「じゃあ、牧瀬はどうだ。あいつの毒は抜かれていると思うか?」
「……いや、抜かれてはいないだろう。そうする必要がない」
「いいね。正解だ」
「やはり、騙していたのか……!」
 睨みつけた牧瀬を、折口は無造作に撃った。そして狂ったように高笑いをする。
「抜いてあるわけねえだろ? ゲームの管理者と同じ待遇受けれるとでも思ったか? 木偶の棒が」
 もはや体と分断された頭を蹴り飛ばす。
「さて、そろそろお遊びも最後にしようか。このゲームの目的はなんだ? 俺が、このゲームをやる理由だ」
「お前がわざわざ参加しているということは、これはお前の趣味なんだろう。人殺しが好きなのか、それとも人が殺し合っているのを見るのが好きなのか」
「まあ、それもあるな。というか、最初はそれメインでやってたし。正解ってことでいいだろう」
 次に狙ったのは桐生。失神している彼女に、折口は容赦なく弾丸を撃ち込んだ。桐生はその一発で、一度びくんと痙攣して、そのまま動かなくなった。苦しまずに逝けたのはせめてもの救いだろう。
「うわ、こいつ漏らしてるよ。きったね」
 そう言って折口は嘲り笑った。それに反応する奴は一人もいない。やがて飽きたのか、笑うのをやめて折口は俺に向き直った。その目は、やけに真剣だ。
「でもな、それだけじゃねえんだよなあ。あと一つ。なんだかわかるか?」
「俺への挑戦、か? 俺の能力への挑戦。頭脳戦を楽しむ性格には見えないが」
 それを聞いて、折口は一瞬固まった。それから馬鹿にするように笑い出した。
「ぶっはっは、なんだそりゃ? てめえの脳みそお花畑か? 漫画の読みすぎだろ、今流行りの中二病ってか。かっこいーなーって言って欲しいか? 気持ちわりーな、吐き気がする」
 なん、だと? 俺は耳を疑った。まさか目的は他にあったのか。それはなんだ。それさえ突き止められれば、それだけでも十分な成果になる。必死に頭を回転させようとするが、ただでさえ血を流しすぎた上に、例の頭痛が思考の邪魔をする。ただ一つわかるのは、すぐにこれだと断言できるような状況ではない。情報が、不足している。
「あれえ? わかんないのか?」
 まだだ、まだ見落としているものがあるはずだ。沙耶が、俺の手を握っている。震えている。この温もりを、俺は守らなきゃいけないはずで――。
 いや、待てよ。こいつは何と言った。俺が当てれば、他の奴を撃つと言わなかったか。そして、この場にはもう、俺と沙耶しかいない。ということは、俺がそれを言い当てるということは、すなわち沙耶を殺すことに。
「……っ、わからない。降参だ。殺すなら、殺せばいい」
 しかし、折口は何か気がついたように口を開けた。それからこれ以上ないほどに邪悪な笑みを浮かべる。
「気が変わった。お前が当てられなければ、その横の女を殺す」
「なっ! 約束が違うぞ!」
「別に俺からすれば、そんなもの守る必要なんてないんだって。大体、こんな状況で俺に指図できる立場? 俺の気まぐれで生かされてるだけなんだってこと、忘れないで欲しいなあ」
 銃口が、ゆっくりと沙耶に向く。
「ほら、もっと真面目に考えな! 答えるべきだろう、答えなきゃならないんだろう!」
 折口の言葉が、俺を焦らせる。でも、無理だ。これを当てるなんて、無理に決まってる。
「だから、わからないんだ。お願いだ。沙耶だけは、沙耶だけは見逃してくれ」
 半ば懇願するように答えると、折口はそんな俺を鼻で笑った。
「なるほどね。まあ、そんなこったろうと思ったよ。でもさ、確認は大事だよな? 相手が不正してないかどうかの確認は」
「何の、ことだ」
「説明する義理は俺にはないんだよなあ、残念ながら。このクイズも、要するにこれが聞きたかっただけだし。そもそも全員殺すって言ってんだから、順番がどうでも関係ないんだよ。もう用もないし、さっさと殺してやるよ」
 そう言って、折口は俺に再び銃口を向ける。そうだ、それでいい。これだけでも十分といえば十分だ。もう、このまま生き延びる必要は――。
「なーんてな」
「え」
 不意に、その銃口が下に動いた。そのまま、強烈な衝撃波が下腹部を襲った。
「彰一!」
 倒れ込む俺を、沙耶が受け止めようとして、受け止められずに一緒に倒れた。苛立たしげな折口の声が響く。
「目障りなんだよ。隙ありゃいつでもイチャコラしやがって。気持ち悪いんだよ、ウザイんだよ、見てるこっちがイライラするんだよ!」
 カツン、カツン。靴底が床を叩く音が、振動になって傷を刺激する。
「だから、やっぱりこっちを先に殺す。てめえそこで何もできずに倒れてろ」
 下腹部が、猛烈に熱い。この感覚は、失血死の感覚だ。もう、助からない。しかし痛みのせいで頭は冴えていて、目に映るものもまだ認識できる。俺の目の前に、沙耶が手を広げて立っていた。
「守られてばっかりは、もうゴメンなの」
「は?」
 意味がわからない、とばかりに折口は気の抜けた声を出す。
「今度は私が、彰一を守るの。だから――」
「あっそ」
 野太い銃声が響いた。その一撃で、沙耶は、沙耶の頭は。
「あ、もう少し苦しませてから殺すんだった。どうもこういう女の子女の子してる奴は嫌いでなあ」
「くっ……そがあ!」
 激情に任せて吠えるが、折口に全く堪えた様子はない。
「あーはいはい、お前もすぐに殺してやっから。天国で会えるんだろ? 感動の再会じゃないか」
 ふざけるな。大体、沙耶は天国に行けるだろうが俺は地獄行き確定だよ。
「それじゃ、さよならだ」
 何かが迫ってくる感覚。それが最後の感覚だった。

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE5)

TAKE5


 沙耶を助けた場合、他の誰かが身代わりになる時とそうでない時がある。そして、身代わりがいない場合は少ししたらまた沙耶に矛先が向くのに、身代わりがいる場合は一年近く平穏が保たれることに気づいた。どういう理由かは知らないが、人身御供、ということだろうか。いつしか身代わりが出ることを願うようになった。身代わりといっても、いつも死ぬわけじゃない。けれど、沙耶はいつだって死ぬのだ。ならば、守るべきは沙耶だろう。そんな言い訳を重ねながら。
 高校一年のある帰り道、沙耶は落下してくるネオンが直撃して死亡した。いつもは一つを回避すればそれで終わりなのだが、この日に限ってはいろんなものが降ってきた。マンションの上からは植木鉢が降ってくるし、裏路地に入れば鉄パイプが降ってくる。沙耶に気づかれないように降ってくるものがない道に誘導するのが大変だった。
 なんとか無事にその一日を終え、次の日別の女生徒がネオンの下敷きになって死亡したという話を聞いた。俺はその時、安堵していた。身代わりが起きたと。しばらくは安全だと。そのことに、何の違和感もなかったのだ。
 その日の沙耶はとにかく無口だった。俺が話しかけても首を振るばかりで、口を開こうとしない。その次の日、沙耶は学校に来なかった。
 身代わりになった女生徒と、沙耶は中学時代からの友達だったと彼女の母親から聞いた。けれど、俺はその女子の顔も思い出せなかった。沙耶の友達は多い。人あたりに難があるとは言え、基本的にはいい性格だからだ。そして、きっとその友達も数いる一人に過ぎないだろうに、沙耶は無二の親友を失ったかのように悲しみに暮れているらしかった。
 次の日沙耶は腫れた目で、それでも待ち合わせ場所に来た。
「大丈夫か」
 聞くと、彼女は静かに首を振った。
「でも、仕方ないことだから」
 そう、仕方のないことだったのだ。けれど、沙耶の立場でそれが言えるのは、やはり強いと思った。
「私には彰一がいてくれるから。だから、大丈夫」
 そう言って、微笑む沙耶。もしも俺が死んだなら、同じように泣いて、同じように諦めるのだろう。そう思うと、自分の弱さに心が痛んだ。
 沙耶は美人だし、性格もいい。俺と気が合うし、俺が沙耶を好きなのは確かだ。しかし恋をする自分とは別に、ここまでやってきて今更沙耶を諦められない自分がいるのも確かだ。小さなことを切り捨てて、その度に沙耶への依存度が膨れ上がっていき、気づけば誰かの命すら比較にならなくなっている。
 沙耶を諦めてしまったら、これまで全てを切り捨ててきた自分が許せなくなってしまう。だから、自分は沙耶を諦められないのではないか。そんな妄想が頭に取り付いて離れなかった。
 沙耶がいてくれれば、それでいい。いつかの自分の決意を頭の中で繰り返して、そんな弱い自分を閉じ込めた。



「……ん」
 意識が覚醒した。まだ薄ぼんやりとした頭に、暴力的な頭痛が襲いかかる。
「ぐ、くう」
 頭痛には、波がある。俺はそれを頭を抱えてなんとかやり過ごした。そうして、俺は気づく。これまでの四回とは世界の感覚が異なることに。
「これで、最後か」
 五回目で最後か。どうも早い気がしてならない。いつもならもうしばらくは繰り返せるはずなのだが。しかし、実際にこれで最後なのだから仕方がない。
 さあ、時間がない。俺は必死に頭を巡らせた。全員の団結は不可能なことが前回で示された。きっと奴の死亡、もしくは「助け」を呼んだ時にゲームが強制終了されるのだろう。そうなれば俺たちの負けは確定だ。さらに、奴の腕時計の毒は抜かれている。あそこで嘘を言った可能性もないわけではないが、そんな必要もないだろう。あの時の奴にとってはあれで終わりなわけだから。
となると、折口は切り札を二つ持っていることになる。しかも、その切り札は一度切れば俺たちを一網打尽にできる最強の爆弾だ。せめてもの救いは、奴が最初からこれらを使うつもりはないことくらいか。これを使ってしまえば、奴の目的の一つ、人殺しを楽しむことができなくなってしまう。
 つまり、折口はエリア移動が解禁されるゲーム開始十時間後までは動けない。ならば、そのタイムアドバンテージを生かさなければ勝機はない。しかし、奴を捕らえるのは自殺行為、殺すなんてなおさらだ。さらに、こちらの位置を見る特殊機能がある。となると、奴を無力化することは不可能。
 そもそも全員の団結が不可能な時点で、全員生存それ自体が非常に困難になる。折口の戦闘技術は、あの一瞬だけでも十分に優秀だとわかる。そんな奴を相手にいつまでも逃げきれるわけがない。一人でも死んだらそれで終わりの危険な賭け。この最後のゲームでそんな綱渡りはできない。そうなると、やはり。
「――全員、殺すしかない」


「なっ……なんなのよ、これは!」
 廊下からもう五回目になる声を聞く。俺は決心を固めて立ち上がった。
「沙耶」
 部屋の外から声をかける。沙耶はいつも通りの反応をする。
「え、その声は彰一? 彰一よね?」
「ああ」
 しかし、どうも飛び出してこない。一度目と同じなら、飛び出してきて俺に説明を求めるはずなのだが。
「入るぞ」
 ノック代わりにそう言って、俺はドアを開けた。すると、中の沙耶の肩が跳ねる。
「……どうしたんだ、一体」
 沙耶の顔は、どこか少し怯えて見えた。それから、自分でもそれに気づいたのだろう、取り繕うように無理に笑顔を作った。
「しょ、彰一。ここがどこかわかる?」
「いや」
 俺は首を振って部屋の中に入る。そうして簡素なベッドに腰掛けた。
「俺も、よくわかっていない。現状を確認しよう」
 しかし、沙耶は隣に座っては来なかった。あれ、いつもなら考察に積極的なはずなんだが。恐怖を紛らわすため、とか言ってたか。
「ねえ、彰一。何か、あったの?」
「……いいや、何も」
 何か、といえば、こんなところに誘拐されてきている時点でまあ何かあったと言えなくもないが。しかし、どうもそういうことを言っているわけではないらしい。
「とにかく、座ろう。座り心地はよくないが、立ち話もなんだ」
 彼女は、恐る恐るといった様子で俺の横に座った。


 俺は沙耶の推理を聞きながら、今後の流れを考えていた。できる限り安全な動きを。
 質疑応答には出たほうがいいだろう。それだけで今井の動きを牽制できるらしいからだ。それに、正直なところ序盤はほとんど動く必要がない。それならば戦闘禁止エリアで時間を潰すのもいいだろう。確か質疑応答の間あの部屋は戦闘禁止エリアになっていたはずだ。
 それから、エリア十九に向かい拳銃を。二十四まで行ってリボルバーと自動小銃を手に入れるのもできないではないが、前回は榎並のおかげで罠にかからなかったのだ。榎並を連れて行くには疑われるリスクが伴うし、あの時はひたすら急いでいたので、あの時通った道を全く違わず通れる気は流石にしない。絶対に安全と言えない限りは、迂闊な行動は避けたほうがいいだろう。
 さて、そうなるとやはり休憩と称してどこかに留まっていようか。牧瀬はゲーム開始六時間後まで動こうにも動けないし、今井だって警戒している状態なら一撃離脱で攻めてくる。部屋の中に攻撃するためには奴の武器では扉を開けなければいけないし、手榴弾だって扉を吹き飛ばす程度だろう。ああいう武器は爆風よりはそれによって飛び散る破片で殺傷するものだ。だから扉から離れて射角外にいれば、不意打ちは飛んでこない。蒲生もゲーム開始から七時間の時点ではナイフ以外は持っていなかったので、こちらが銃を持っていれば対処可能。肝心の折口もエリア十九とエリア十四の境から動かない……。
「ねえ、彰一」
「え?」
 不意に呼びかけられて、俺は我に返った。呆れたように沙耶はつぶやく。
「彰一、やっぱり何か変よ」
 そんなことはない、と思う。俺はいつも通りだ。いつも通り、俺は沙耶を守るだけだ。
 ぴろりろりろ。ちょうど二人のPDが鳴った。俺にはわかりきったことだが、開くと運営からのメールが送られていた。
「行こう」
 立ち上がると、沙耶が訝しげに見上げてくる。
「……どうした?」
「ううん、別に」
 なぜだろう、今回の沙耶はどうも俺に違和感を抱いているような気がする。少し俺が急ぎすぎているのかもしれない。落ち着け。沙耶を怖がらせてどうするんだ。俺は精一杯の笑顔で沙耶に言った。
「絶対、守ってやるからな」
「……うん」
 頭に手をやったが、沙耶は身をこわばらせるばかりだった。


 質疑応答を適当にこなして、俺はここを抜け出す隙を見計らっていた。
「僕たちは武器を探さなきゃいけない。食料を探さなきゃいけない。クリア条件を満たさなきゃいけない。身を守らなきゃいけない。やることだらけだ。だから、僕はこれで失礼しようかな」
 今井の言葉。それに乗っかる。
「……そう、だな。俺たちもそうしよう」
 沙耶が驚いて振り返る。今井がひゅう、と口笛を吹いた。
「へえ、お兄さんも同じ考えか」
「馬鹿にするな」
 ぽつり、漏れた一言に今井が僅かに怯えたように見えた。
「ゲーム感覚のお前と一緒にするな。残機はどれだけあるつもりだ? さしずめ気分はダークヒーローか? ふざけやがって、そこらで勝手に野垂れ死んでいろ」
 睨みつけると、今井は舌打ちをして逃げるように部屋を出ていった。どうも、凄みすぎたらしい。皮肉を言う程度に留めておくつもりだったのに、どうして俺はここまで言ってしまったのだろう。
 まあ、いいか。
「沙耶、行こう」
「え、ちょ、ちょっと」
 できる限り優しく、彼女の手を引いて部屋を出る。後に残された三人は、それを呼び止めようとはしなかった。ただ呆然と俺たちを見送っていた。


「ね、ねえ。もういいでしょ」
 俺の歩みに少しだけ小走りでついてきつつ、沙耶は言った。
「何が?」
「手、離して」
 俺は、少しためらって、それから沙耶の手を離した。すると、沙耶はすぐさま俺に抱きついてきた。
「……どうしたんだよ。らしくない」
「彰一」
「ん?」
「今のあんた、すごく辛そう」
 その言葉に、脳天を割られたような衝撃を受けた。俺が、辛い? そんなことはない。ない、はずだ。
「なんで、そう思うんだ」
「いっつもそうだもの。彰一が怖い顔をする時は、たいてい自分が一番辛い時なの」
 怖い顔? そんな顔、した覚えはないが。
「馬鹿言ってるなよ。それより、今は食料を探さないと。二日間も飲まず食わずは体に良くないぞ。当然、肌にも」
「こんなところに入れられた時点で、そんなこと気にしてないわよ。それより――」
「時間がない。どこかひとところに留まるとしても、食料や武器は必要だ。そうでなければ、せめて戦闘禁止エリアまで行かないと不意打ちを受けて終わりだ」
 少し名残惜しいながらも、沙耶をなだめて引き剥がす。
「彰一……」
「ほら、行こう。皆が武器を手に入れていない今がチャンスなんだ」
「……うん」
 それ以降、沙耶は何も言わなかった。


 一度目と同じようにして、エリア十五と二十を経由してエリア十九に。少しだけ進路を変えて罠を避けると、その通路上の部屋で食料を見つけた。まあ、一食分くらいにはなるだろう。チップの部屋と合わせて二食分か。
 エリア十九で、拳銃を素早く回収する。そうして、また一度目をなぞるようにしてエリア十八にチップを回収に。しかしいつになっても今井は襲ってこない。まあ、別に襲ってこないならそれに越したことはないのだが。
「さて、チップも手に入れたわけだが……。少し、休まないか。疲れただろ」
 沙耶に言うと、相変わらず訝しげに俺の顔を見上げた。
「いいけど……。私なら平気よ」
「いいから。それに、今チップを使ったところで、すぐに変わるだろう」
 そう言って時計を見る。ゲーム開始から五時間半が経過していた。
「だから、それまではどこかに隠れていたほうがいい。幸い銃も食料もある。あと少しここで隠れているくらいは許されるだろ」
「そう、かもしれないけど」
 俺が腰を下ろすと、沙耶も渋々ながら腰を下ろした。
 しばらく、お互いに無言だった。何か話さなければいけなかったのかもしれないが、あいにくそんな余裕はなかった。ただ、俺はこの後のことだけを考えていた。
 一度目を、なぞるだけだ。ただ一つを除いて。それだけの、簡単な話だ。何も心配はいらない。少し動きは変わったが、彼らには全く影響はないはずだ。そう、大丈夫だ。俺の思い通りに、事は進む。あとはただ逃げ回るだけ。
「ね、ねえ」
「ん?」
「拳銃、しまってくれない?」
「ん、ああ」
 無意識に手の上で弄んでいたようだ。安全装置のかかったそれの引き金を、しきりに引いている。
「あんまりそういうことしないほうがいいわ。もし間違って撃たさっちゃったら」
「安全装置がついてるから大丈夫さ」
 かちり、かちり。そう言う間にも俺の右手は引き金を引くのをやめない。
「だから、やめてってば」
 かちり、かちり。
「彰一!」
 我に返ると、目と鼻の先に沙耶の顔があった。その目はとても真っ直ぐで、俺は耐えられずに目を逸らそうとした。その時、
「んぐっ」
 思わず、うめき声が出た。頭痛の波が、またやってきたのだ。頭を抱える俺に、心配そうに沙耶が声をかける。
「ねえ、頭痛がひどいの? 大丈夫?」
「ああ、大丈夫。大丈夫だ……。直に治まる」
 沙耶はその波が引くまでの間、ずっと俺の頭を撫でてくれていた。それ自体にはきっと何の効果もないんだろうが、少し落ち着いた。
 そうして、また無言に戻った。頭痛が続いている振りがしたい、と切に思った。それがどうしてか、よくわからない。大丈夫じゃない、と言いたかったのかもしれない。頭痛がしている間は、沙耶がいつも通りに気遣ってくれるからかもしれない。けれど、沙耶を心配させるわけにはいかない。
 かちり、かちり。時計の秒針と、俺が引き金を引く音が重なっては離れていく。ぎゅっと俺の右腕を、沙耶が抱きかかえた。その柔らかい感触も、今は心を解きほぐしてはくれないようだった。
 かちり、かちり。


 ゲーム開始から六時間半。沙耶は気づけば俺の横で舟をこいいた。まあ、それはいいのだが、そろそろ起きてもらわないと困る。俺は済まないと思いつつも沙耶を揺り起こす。
「おい、沙耶。起きろ」
「え、あ、ごめん」
 その一言で我に返った沙耶は、俺の腕時計を見る。そして、目を見張った。
「え、私一時間も眠ってたの? 本当ごめんなさい」
「いいよ、別に。結果何事もなかったんだから」
 それに、眠っていてくれたのは、正直都合が良かった。ここで時間を潰す言い訳ができたのだから。
「そろそろ、動こう。時間的にはチップを使ってもいい頃合か」
「そうね、使っていきましょう」
 俺はチップを取り出してPDに差し込むと、既にわかりきっていたことを告げる。
「一番近いので、三階エリア十九。一旦エリア十四に戻って、そこから階段で上に。その後十九に来ればいい」
「じゃあ、簡単ね。このままエリア十三経由でエリア十四に行って――」
「いや、それはだめだ」
 即座に否定すると、また沙耶はどこか怪しむような視線をこちらに向けた。
「運営が言っていただろう、このフィールドには罠が多数配置されている。幸い今までは罠にかかっていないが、どこに罠が仕掛けられているのかわからない以上は今通ってきた道を戻る方がいいだろう。探索さえしなければせいぜい三十分かそこらといったところだろうし」
「まあ、それも……そうね」
 納得のいく理由が返ってきたことが意外だったらしい。まあ、言い訳に過ぎないのだが。これで、少しは変な誤解が解けてくれるといい。
「さあ、そうと決まれば善は急げだ」
 善、だろうか。俺がやろうとしていることは。俺は自分の言葉に疑問を浮かべつつ、沙耶を連れて部屋を出た。


 動きは、気持ちいいほど一度目と同じだった。来た道を戻って、階段を上がり三階へ。そのままエリア十九へ。アラートが鳴ってから、少し一度目とはずれたタイミングで悲鳴が聞こえた。沙耶は予想通り助けに行こうと言い出す。それに俺は二つ返事で従う。その様子を、まるで他人事のように傍観している自分がいた。
 現地に着いた。一度目はここで様子を伺っていたが、今回そんな気は俺にはない。ここで全てが決まるのだ。俺は蒲生たちを見つけるなり、すぐさま拳銃の安全装置を解除した。そのままの勢いで飛び出す。
「……動くな」
「あ?」
「動けば撃つ」
「おいおい、そのおもちゃで何を撃つって? 馬鹿じゃねえの?」
 わかってたさ。お前が拳銃を見ても本気にしないことぐらい。俺は蒲生の頭に狙いを定め、それから少しだけ右にずらして無造作に撃った。衝撃で蒲生の頬が少しだけ切れる。あれ、きちんと外したはずなんだが。まあいい。
「さて、おもちゃかどうかはお前の判断に任せるよ」
「彰一! 何やってるの!」
「沙耶は黙っててくれ」
 俺がそう言うと、沙耶は悔しそうに口を閉じた。
 蒲生はしばらく呆然として、それから頬を触ってから初めて事態を把握したらしい。乾いた笑いを漏らす。
「なるほど、なあ。それは本物で、しかもお前はいつでも俺を殺せるわけだ。にもかかわらず、今の一撃でお前は俺を殺さなかった。何が、望みだ?」
 そんなもの、決まっている。
「お前のPDの特殊機能。それで俺たちの腕時計を破壊しろ」
 蒲生も沙耶も、その言葉に呆然としていた。それは至極当然のことではある。しかし、そんなこと説明している場合ではない。
「ああ、お前はナイフを持っているな。それは捨てろ。そうしなければお前を撃つ。十秒だけ待つ」
 その言葉を聞いてようやく我に返った蒲生は、一瞬の戸惑いの後舌打ちをしてポケットからナイフを捨てた。俺は銃口をそのままに沙耶に声をかける。
「じゃあ、この銃を一度預かってくれ。もしあいつが変な動きをすれば、何も考えず撃て。いいな?」
 本当は、撃てるわけがない。クリア条件的にも、性格的にも、沙耶に蒲生は撃てない。けれど、それをあちらに悟らせてはいけなかった。
「彰一……。あんた、一体どういうつもり? どうして彼のこと――いや、それより、これから何をするの」
「今は、聞かないでくれ。黙ってこれを受け取って、蒲生に向けるんだ。頼む」
 沙耶はしばらく迷っていたが、やがて頷いて俺の手から銃を受け取った。
「動かないでね。私、撃ちたくないから」
 沙耶を見て、蒲生は少しだけ落ち着いたようだった。
「へっ、えらい上玉だなあ。こんな状況じゃなきゃ喜んでたところだったのによ」
「軽口を叩く余裕があるのはいいことだ。じゃあ、よろしく頼む」
 俺は歩み寄って腕時計を差し出す。蒲生はそれを見て、しばらく思案していたらしかった。
「なあ、俺がこれを壊したら、俺は解放されるのか?」
「まだだ。あと沙耶の分も壊してもらう。それが終われば、お前に用はない。そこの女をどうするも、俺は知ったこっちゃない」
「彰一!」
 沙耶が叫ぶが、俺はそれを無視した。済まないとは思うが、しかしここで手間取っているわけには行かない。こいつはひたすら狡猾な男だ。考える時間を与えてはいけない。
「ほら、さっさとやれ」
 催促すると、蒲生はもう一度舌打ちをしてPDを取り出した。
「くそったれ、覚えてろよ」
「見逃してやるんだからもう少し感謝してもらいたいもんだがな」
 皮肉を返しているうちに、蒲生は手際よく俺の腕時計を破壊した。それを確認して、俺は沙耶の手から銃を取る。
「さて、次は彼女の番だ」
「いいのか? こんなにこの嬢ちゃんを俺に近づけて。嬢ちゃんを人質にとっちまうかもしれないぞ?」
「その瞬間にお前を撃つ。もしもお前が沙耶を殺すつもりなら、沙耶を殺したその一瞬でお前は終わりだ。逆に沙耶を殺さず人質にしたいと思うなら、俺が引き金を引くまでの間くらいは沙耶を殺そうとはしないだろう? 要するに、だ。人質ってのは自分の命を無条件で奪おうとする奴相手にやったって何の意味もないんだよ。お前にとっては、せいぜい知りもしない誰かを一人殺せる程度だ。そんなことのために死にたくはないだろう?」
 ふざけた野郎だ、と蒲生は吐き捨てる。内心はいつ実行されるか冷や汗ものだったが。今のところ蒲生に反抗する気はなさそうでなによりだ。
「さあ、やってくれ」
 沙耶は恐る恐る腕時計を差し出す。蒲生はすっかり萎えた表情でそれを破壊した。それを確認し、俺は改めて蒲生に向き直る。
「なあ、これでいいんだろ?」
「ああ、ありがとう。これで、俺たちだけは助かる」
「……は?」
「このゲームから、解放してやるよ。その女とは、あっちでよろしくやるんだな」
「お、おいおい。これは何の冗談だ?」
 狙いを定める。万が一仕留め損なうことがないように。そして、引き金を引く。
「……さよならだ」
「ちょ、ちょっと!」
 沙耶が止めに入る頃には、俺は引き金を引ききっていた。とても軽々とハンマーが持ち上がり、炸裂音と同時に蒲生の眉間に風穴を空けた。それから沙耶が俺を突き飛ばした。これが攻撃行為に取られるのではと一瞬焦ったが、そういえば既に沙耶の腕時計は破壊されているんだった。
 一拍置いて、見渡す限りの時計が機械音を鳴らし始めた。その波は瞬く間に伝播していき、フィールド中に響き渡った。俺と沙耶は、それを呆然と聞いていた。
 大体、十回ほど鳴った頃だろうか。ぱたりとそれが止んだ。どうやら、十秒程度で時計の作動は終わるらしい。やはり俺はそれを、ほとんど空っぽの頭で考えていた。がたがたと震えていた古谷も、ギャーギャー悲鳴をあげていた桐生も、もう動かなくなっていた。もちろん目の前で転がっている蒲生ももはやただの死体だ。
これで、折口の強力無比な爆弾のうちの一つを「誤爆」させることに成功したわけだ。さらに、面倒なクリア条件からも解放される。折口以外から襲われることもない。折口だって二階エリア十四から出られないから、しばらくは俺たちを襲ってくることもない。
「沙耶。行こう」
 沙耶は崩れ落ちたまま動かない。
「沙耶、行かないと。もうすぐハンターが来る。奴に捕まったら終わりなんだ」
「――して」
「え?」
「どうして、彼らを殺したの」
「彼らだけじゃない。壁掛けの時計を伝って今、一人のハンター以外の全プレイヤーが失格になった。それもこれも、全部沙耶を守るためだ」
「そんなこと!」
 沙耶はきっ、と俺を見上げる。彼女は泣きそうになりながら俺を睨みつけていた。
「私は! ……私は、こんなことをしてまで守られたくなんてなかった」
 そんな、そんなことを。
「俺は、沙耶を助ける、ただその一心で」
「私は、誰が何をしても、彰一にだけは、人を殺して欲しくはなかった」
 そんな、そんなことを、今更。
「俺は……もう手遅れだ。手遅れなんだ。沙耶を助ける、そのためだけに何人も身代わりにした。見殺しにした。だから、もう沙耶が思ってるような綺麗な人間なんかじゃない」
 だって、もう、これは本番なのに。予行練習なんかじゃない、本番なのに。もう繰り返すことなんかできないのに。
「今回も最初からそうするつもりだった。だから、沙耶が望むようなことは、最初から無理だったんだ」
「そんな……」
 沙耶の頬を、涙が伝う。それをすくってやりたくて、俺の手がそんなことを許されないほど汚れきっていることに、今更気がついた。
「だから、俺は人を殺すことに、何の感慨も浮かばない。平気で人の死を勘定できる人間なんだ。そんな面倒な感情は、とうの昔に捨ててきたんだ。そうやって、これまでもやってきたんだ」
「彰、一?」
 語りが、止まらない。ずるずると、血が黒ずんだような言葉がひたすらに這い出てくる。もう、止められない。
「だから、今回もこれでよかったはずなんだ。いつもやっていることを、今回もやるだけだったんだ。ちょっとだけ自分でやる分が増えただけだったんだ。だから、ちっとも心が痛むことなんてないはずなんだ。そもそも、痛む心なんてないはずなんだ」
 気づけば、頬が濡れていた。そうして、こぼすようにつぶやく。
「なのに、なのに――なんでこんなに胸が苦しいんだ」
 ずきずきと、頭に同期するように胸の奥が、ベルトで締め上げられるような、窒息するような痛みを帯びている。
「これで、最後なのに。なんでこんなに納得できないんだ。なんでもう一度繰り返せないんだ。もう、俺は、取り返せない。取り返しがつかない」
 終わった。彼らの一生はもう終わった。俺が殺した、俺がこの手で殺した彼らは。
 ふわり、優しく包まれる感触があった。
「わかった、わかったから」
 沙耶が、泣き声のまま言った。
「彰一も、苦しかったんだ」
「そんなこと、言ってられないんだ。俺は、沙耶を助けないと」
「もういい、いいよ。これ以上、無理なんてさせられない。もう一人で抱え込まなくていいのよ」
「俺は、無理してなんか、いない」
「……もう、痩せ我慢ばっかりして」
 全てを受け入れるようなその言葉に、俺は思わず抱きついた。そして、泣いた。きっと一生分、泣いた。そうしてようやく、自分の心らしきものが戻ってきたように思えた。


 お互い泣きあって、沙耶は泣き疲れて寝てしまったらしかった。しかし、俺は寝るわけにはいかない。沙耶を背負ってできる限り逃げなければ。プレイヤーたちを殺して見出した抜け道を使わないのは、きっともっと冒涜的な行為だ。俺は勝手にそう思って沙耶を背負おうとして、ふと廊下に響く足音に気がついた。
「いやあ、すげえな。まさかこのルールを利用して全員殺してくるなんてさ。でも残念、俺だけはこれじゃあ死なないんだなあ」
 角から姿を現したのは、折口だ。手には二丁の拳銃。ライフルは肩に下げたままだ。やはり、沙耶を連れて逃げるなんて不可能か。きっと今沙耶が寝ていなくても、いつか俺たちは身動きが取れなくなる。俺だって二日連続で寝ずにいられるわけがない。そうなると、沙耶一人で折口に応戦することになる。それは土台無理な話だ。だから、最初から無理だったのだ。俺たちが生き延びることは、最初から。
 なら、諦めるのか。それは、流石に、無理だ。
「ん、やる気か? いいね、殺す相手が一気に死んで退屈してたんだ」
 せめて、こいつにだけは目にものを見せてやる。
「やるなら死ぬ気で来い。一瞬で終わっちまうからな」
 その言葉に、俺はすぐさま拳銃を向けた。しかし、それよりも早く折口が俺の頭に狙いを定めていた。
「ほら、一瞬だろ」
 向かってくる衝撃波に、俺はなすすべもなくやられるしかなかった。流れた走馬灯も、所詮は一瞬。何度も繰り返したゲームは、こんなにあっさりと幕を下ろした。

小説「ラスト・ゲーム」(TAKE:FINAL~EPILOGUE)

TAKE:FINAL


 雀の音が、静かに耳朶を打つ。てっきり俺は地獄行きだろうと思っていたが、どうも幸運なことに天国に行かせてもらえたらしい。頭が割れそうなほど痛い。いい加減死んだ後くらいはこの頭痛から開放してくれないものかね、と顔をしかめた。
 まぶたがひたすらに重い。けれど、もう死んでいるのに重いもクソもないだろう。俺はそれを無視して目を開ける。そうして、言葉を失った。
「……なんだ、これ」
 目に見えるのは、見慣れた俺の部屋。その天井が俺をあざ笑うように出迎えていた。
 一瞬で目が覚めた。あたりを見る。見れば見るほど俺の部屋だ。全く、ふざけた天国もあったものだ。
 枕の下を探ると、いつも通りに携帯が出てきた。時間は、朝。日付はあの腐ったゲームに巻き込まれた、その当日。と、いうことはまさか、
『ねえ、疑似体験中にもう一度能力を使うことってできないの?』
 沙耶の言葉が蘇る。一つの確信を持って。
「……まさか、今まで俺は二重に繰り返していた?」
 そう考えると、頭痛の悪化が早かったのも、たった五回で繰り返せなくなったのも、合点がいく。つまり、俺は今日の朝に能力を使い始めていたのに、襲われて誘拐された時に無意識にもう一度能力を使っていたらしい。よく考えれば、毎日朝から繰り返しているのにゲーム開始時までしか戻れなかったのは変な話だった。襲われる直前に予知をやめたなら、まずその朝に戻っていないとおかしいわけだし。前回本番だと勘違いしたのは、夢の中で夢から覚めたようなものか。
 はあ、と息を吐き出す。俺は、まだ生きている。ということは、沙耶もまだ生きているだろう。安堵に任せてそのまま肺の中の空気を全て吐き出した。あれで終わりなんて、悔やんでも悔やみきれない。
「そうだ、こうしちゃいられない!」
 俺は手に持った携帯で、電話かメールか迷った末に、まずはメールを送ることにした。起きていればすぐに返ってくるだろう。それに、電話をしたらそのまま説明を迫られるだろう。正直、電話だけで説明しきる自信がない。
『起きてるか?』
 悩んだ末、それだけ打って送った。すると、すぐに返事が返ってくる。
『うん。どうしたの?』
『今日は、適当言って学校休め』
『どういうこと? 説明して』
『説明は後だ。親は?』
『どっちももう出かけたわ』
 沙耶の両親は共働きだ。つまり、今なら沙耶は自由に動けるわけだ。うちに来てくれと打っていると、それを送るよりも先にメールが届いた。一旦メールを破棄して、それを見る。
『とりあえず、うちに来て。きちんと説明してもらうわよ』
『いや、沙耶がこっちに来る方がいい』
 内心焦りながらメールを送る。何せ、今あちらの家には沙耶一人だけだ。
『彰一の親はいないの?』
「あ」
 思わず間抜けな声が出た。窓の外を見ると、きっちり車が停まっている。今日は母親のパートの日でもないから、きっと一日中家にいるか、せいぜい買い物に出る程度だろう。一体いつ出て行くのかもわからない。
『私は仮病を使えばいいけど、彰一はそうするわけにもいかないでしょ。私を部屋に入れながら学校を休む言い訳はできてるの?』
 ……仕方ない。要は、気持ちの問題だ。俺が意識さえしなければ、問題ない。
『行くよ』
『私の家、わかるよね?』
『大丈夫だ。三十分で行く』
『うん、待ってる』
 メールを見終わって、俺は携帯を閉じた。さて、そうと決まれば学校に行く用意だ。無論、本当に学校に行くわけではない。あくまで振りだけだ。制服を着て、鞄の中を整理する。教科書もノートも必要ない。せいぜい状況を整理するためのルーズリーフと筆記用具があれば十分だ。
 支度を整えて下に降りると、母親が料理をしているところだった。弁当を作っている最中らしい。朝食はもう出来ていたが、気が急いてそれどころじゃない。それに無駄に話してぼろを出したら面倒だ。俺は母親に叫ぶようにして言った。
「今日、学校で用事あるから、朝飯いらない!」
「え、あんた起きてたの。いや、それは別にいいけど、随分急ね?」
「とりあえず、そういうわけだから。行ってきます!」
 ごまかすようにして俺は家を出た。それから、ふとこの格好であのゲームに参加するのか、と思ったが、あの運営のことだ。破けたり切れたりしたのを弁償するくらいははした金だろう。幸い、ベルトもついている。拳銃の持ち運びには困らない。折口の格好を思い出す。あんな服は用意できないんだから、なんだって大して変わらないか。俺はそう切り捨てて、沙耶の家に向かった。


 走って、十五分で沙耶の家についた。息を切らしつつチャイムを鳴らすと、どこか慌てた様子で沙耶が出てきた。
「しょ、彰一、おはよう」
「はあ、はあ、おはよう」
 そう言って中に入ろうとすると、沙耶は少しバツが悪そうにその道を塞いだ。
「え、ええっと。こんなに早いと思ってなかった。ちょっと部屋散らかってるから、待っててくれる?」
「え、別に俺は沙耶の部屋じゃなくても」
 膝に手をついたまま俺は言うが、沙耶はぶんぶんと首を振った。
「私が構うの! 大体、もし何かあって親が帰ってきたら、なんて言い訳したらいいのよ」
 まあ、それはそうか。仕事といっても、外回りなら近くを通ったとかで急に帰ってくることもある。そんな時に居間にいたら流石にまずい。
「だから、ちょっと待ってて。すぐに片づけるから」
 それだけ言い残して、沙耶はドアを閉めた。
「……部屋がだめでも、入れてくれればいいのに」
 部屋の中だけでは片づかないような状況? 例えば、と考えかけて、やめておいた。それを考え始めたら間違いなく意識してしまうから。
 結局俺が入れてもらえたのは、それから十五分後のことだった。服装が制服から部屋着になっていたのには、気づかない振りをした。


 沙耶の部屋は、何度か入ったことがある。とはいっても、風邪をひいた時の見舞いくらいだから、じっくり見るようなタイミングでもなかった。アロマの匂いが少しだけ頭痛を和らげてくれる。整理整頓されていて、いかにも沙耶の部屋、といった雰囲気だ。
「それで? 私はなんで仮病を使ってまで休まなきゃいけなかったの?」
 ベッドに腰掛けて、沙耶は聞いた。上はゆったりとしたブラウスで、下はキュロットパンツを履いている。髪はいつも通りツインテールだが、それはきっと学校に行く準備をしてそのままになっているのだろう。
 さて、困った。一体どこまで話していいものだろう。いや、そんなことを考えている場合ではないか。俺一人では限界だったのだ。このままでは結局二人とも死んでしまう。沙耶と話し合うことで突破口が見つかるのなら、それが一番いいような気がした。もう、前回のようなことはごめんだ。
「沙耶、心して聞いてくれ」
 俺の顔を見て何かを察したのか、沙耶は僅かに顔を曇らせる。
「あんまり、いい話じゃなさそうね。本音を言えば聞きたくはない気がするけど、それで済む話でもなさそう。いいわ、聞かせて」
 それを聞いて、俺は説明を始めた。今までも予知の中で何度か説明していたが、今回はゲームそれ自体の説明から入ったので一時間近くかかった。沙耶はそれを、時折俺が持ってきたルーズリーフにメモしながら最後まで聞いていた。前回のことまで話し終えると、沙耶は大きくため息をついた。
「……なるほど、ね。とりあえず、言いたいことはわかったわ」
 すぐに信じられはしないけど。沙耶はどこか悔しそうにつけ足した。
「それじゃあ、まずは確認。さっき言ったことは、全部本当?」
 沙耶は俺の目を覗き込むようにまっすぐに見た。俺も、視線を返す。今回のことに関して、包み隠していることはもうない。だから、俺もまた沙耶の目をまっすぐに見ることができた。しばらく、そうしていた。やがて沙耶はにっこりと微笑んだ。
「よかった」
 沙耶はそれだけ言って、ツインテールを縛っていたヘアゴムを外し始めた。ぱさり、髪を下ろした沙耶は、いつも以上に綺麗に見えた。
「彰一、さ。ずっと私に何か隠しているように見えたから。それを打ち明けてくれたのは、素直に嬉しい。まあ今まで私が何度も死んだとか、これから死ぬことになるとか言われても、やっぱりピンとは来ないけど」
 どうやら、最初から感づかれていたらしい。なら、今打ち明けなくてもそのうちその時が来たわけだ。そう思うと、少しだけ気が紛れた。
「で、どうするつもり? これからのことを、まだ聞いてないわよ」
 沙耶の言葉に、俺は頷いた。我ながら情けないと思いつつ、こうせざるを得ないのだと自分に言い聞かせる。
「それを、一緒に考えて欲しいんだ。俺だけじゃ限界だった。沙耶の意見を聞きたいんだ」
 長話になりそうね。沙耶はそうこぼして立ち上がった。
「麦茶、持ってくるわ」


「まず問題なのは、なんといってもその折口って人の持つ二つの『爆弾』ね。どちらも爆発すれば即死級な上に、私たちが生き残る上では避けては通れない」
 麦茶を啜りつつ、沙耶がつぶやく。その通り、このゲームで一番の問題はやはり折口だ。今までは基本的にゲーム開始から十時間ちょっとまでの間にたいてい終わっていたからその凶悪性に気づけなかったが、全員が生存する、となると何よりも障害になる存在だ。
それに、もし全員を殺していったとしても、奴を無力化するのは難しい。こちらの位置が向こうには分かるから不意打ちもできないし、不意打ちできたとして勝ち目はほとんどないだろう。
「それで、前回はその爆弾を回避しようとしたんだ。さらにその爆弾を利用して折口以外を失格にして、そいつらから襲撃を受けないようにする。それから、逃げ回っていればもう一つも発動できないと踏んだ。……失敗したけどな」
「牧瀬さんとやらが言ってたっていう、折口さん固有のルールね。『身動きが取れなくなるまで助けを呼べない』。きっとその助けを呼ぶという行為がゲーム強制終了のトリガーなのね」
「きっとそうだろう。奴を拘束することなく、殺すことなく俺たちが生き残る手段といえば、逃げることしかない」
 そこで、沙耶はメモを取る手を止めた。そうして、俺の目を見る。
「でも、あっちはこっちの位置がわかるわけでしょ。どうやって逃げるつもりだったの」
 痛いところを突かれた。俺は苦々しくつぶやいた。
「あっちだって、うかつに攻撃はできないはずだ。こっちが武器を持っていれば、慎重になる。そう思っていた」
「でも、話を聞く限りその人の戦闘能力は相当高いはずよ。前回だって一対一で彰一が狙いをつける前に銃を抜いて撃っていたわけでしょ。そして、それができる自信もある。正直、それに期待するのは難しいというしかないわ。
 大体、私たちだってずっと動き回れるわけじゃない。二日間寝ず食わずで動き回れるとは思えないし、眠ったら終わりよ。どちらか一人が起きてても、一対一で絶対に勝てないなら同じ。牽制にもならないわ」
 それは……その通りだ。沙耶の言葉を聞いていると、前回の自分の捨て鉢加減が思い出されて耳が痛い。
「かといって腕時計のシステムを破壊するか、俺たち二人の腕時計を破壊しないと俺たちはどっちみち生き残れない。しかし腕時計のシステムを俺たちが巻き添えを食わずに破壊するのは難しい。それに、蒲生の特殊機能で腕時計を破壊したとして、俺たちが他のプレイヤーから狙われることは変わらない。折口から逃げながら、他のプレイヤーを相手にする余裕はないぞ」
 そうね。沙耶はなんでもなさそうに答えた。
「要するに、一対一で考えるからだめなのよ」
「どういうことだ?」
「いつ聞いても私の答えは変わらないみたい。やっぱりね、私たちは団結すべきだと思う」
「しかし、折口の存在を考えると団結するのはかなりきついと思うが。そもそも、団結するなら全員が生存できるようにしないといけない。そうしないと、俺たちに協力するメリットがないからだ。そうなると、もちろん牧瀬と桐生に蒲生の特殊機能を使ってもらうことになるわけだ。俺たちはどちらもゲーム終了直前まで腕時計が外れない。つまり、どちらか片方は折口の爆弾から逃れられない。どうせ奴のことだ、何もなくとも俺たちがクリア条件を満たす寸前で腕時計を作動させてくるだろう。俺たちが生き残るためにはそれは愚策だ」
「わかってる。折口さんの存在を隠して団結しても意味がない。だから、折口さんの存在を皆に伝えた上で、協力してもらうの。プレイヤー全員で、折口さんの起爆をやり過ごすために」
「全員でやり過ごす、だって?」
 俺は耳を疑った。そんなことが、本当に可能なのか。
「私の考えが正しければ、可能なはずよ」
「でも、一体どうやって。だって、あのシステムを誤爆させるためにはどうしても起点になる誰かの腕時計の作動が必要になる。壁掛け時計はひとりでには作動しないからな。もちろん外した後でも破壊した後でも腕時計は作動しない。だから、どうしても誰かの犠牲が必要なはずだ」
 しかし、沙耶は首を振った。
「それが、できるのよ。皆が団結すればね」
 そうして、沙耶はその方法を説明した。それは、きっと俺では考えつかなかったものだった。
「……そうか、そうすればいけるのか」
 ひとしきり話して疲れたのか、沙耶はまた麦茶に手を伸ばす。
「正直、賭けではあるけどね。あと、どうやって近づくのかっていう問題もあるわ」
「それでも、そうしないといけないんだろ」
「でしょうね。特に牧瀬さんはその折口さんを抑える上でとても重要な人だと思うわ。彼の特殊機能には、確か『PDの位置がわかる』機能があったわよね。彼がいれば、折口さんの動きに合わせて動けるから余計な体力を消耗しなくて済むはずよ。それに、きっとプレイヤーの中では最も折口さんに対抗できる可能性のある人。どうにかして味方につけておきたいわ」
 それはつまり、もう一度あの取引をする必要がある、ということでもある。そうしなければ牧瀬を仲間に引き入れることはできない。だから結局、俺たちは全員で団結する他ないわけだ。
「しかし、牧瀬だって二日間寝ずの番はできないだろう。その時に攻め込まれることは考えられることだと思うが」
「古谷さんの特殊機能で、牧瀬さんのPDを使ってもらえばいいわ。そうすればその間は牧瀬さんを休ませることができる」
 なるほど、それはそうだ。
「とにかく、それはわかった。しかし、まだミニゲームを運営が用意していることがあるかもしれないぞ。それで無理やり団結を解かれる可能性もないとは言えない」
 言うと、沙耶は少し不機嫌に顔をしかめた。
「そんなこと言ったって、どっちみちこれまで一日目も突破できていないわけでしょ? もしもそんなのがあったとして、今考えたって仕方ないわ」
 それは、確かに。焦っているらしい自分に嫌気がさす。安全な方法が見つからないことに、俺は焦っている。それを沙耶も感じ取ったのか、さて、とおもむろに立ち上がった。
「そろそろお昼よ。手料理、作ってあげる」
 あんまり上手じゃないけどね。そうおどけて舌を出す沙耶に、笑うより先に泣きそうになった。ゲームの中でそんなやりとりをしていたことを思い出したのだ。結局、俺たちはあそこに戻っていくのだろう。今度こそ、最後のゲームにするんだ。そう思うと、自然と体に力が入った。


 出てきたのは、ツナの混ざった卵焼きと野菜を煮込んだスープ、それにご飯だった。冷蔵庫の余り物で作ったから、と少し恥ずかしそうにうつむく沙耶が可愛かった。確かにオムレツは少し固すぎたし、野菜は微妙に大きすぎたが、まあ、美味しかった。
「食べるの早いわね……。それで、さっきの話なんだけど」
「ゲームの話か?」
「うん、ミニゲームがどうたらって話。そもそも私、あんまりその可能性は考えてないの。今回のゲームの目的が私の考えている通りなら、運営が初期設定以上にゲームの難易度を上げてくることはないと思うわ。下げてくることはあっても」
「ゲームの目的、ね。俺も多少は考えてたんだが、どうも腑に落ちない点があってな。もしかして、沙耶はもうわかったのか」
「ええ。でも、せっかくだから自分で考えてみたら?」
 沙耶はニヤニヤと俺を眺めている。全く、意地の悪いことだ。俺は沙耶みたいに頭の回転が早いわけじゃない。そう思いつつ記憶を探る。それまでおとなしくしていた頭痛がまたぶり返すが、無視して考える。そのヒントは、確かにあった。
『あ? なんで俺の名前が出てんだよ。ったく、あのじじい、ぜってえ殺してやる』
『でもさ、確認は大事だよな? 相手が不正してないかどうかの確認は』
『勝利と敗北の概念があること、参加者全てに勝つ見込みがあること、参加者の勝利の難易度が勝利時の見返りに反映されていることの三つです』
 ……ああ。そういうことか。
「折口は、ゲームの仕様を完全には把握していなかった。つまり、このゲームのルールの考案者じゃない。なら、本当の考案者はどうして折口に完全にはルールを説明していないのか。それはやっぱり、勝つためだ。俺の存在も、そういう見方をすれば納得がいく。騙して殺すための方法はたくさんあるはずだが、それをその考案者はしていない。だから、あくまでもゲームとして、勝つためなんだろう。
一体何人が参加しているかも、各人の勝利条件もわからないが、今回のゲームはプレイヤーのものでも、俺とゲーム運営側でもなくて、折口とその誰かの賭けなんだ」
そういうこと。沙耶はスープを啜った。
「そう考えると、そもそも考案者がこれ以上ルールをつけ加えることが考えにくいのがわかるでしょ。だって、わざわざ彰一みたいな厄介なプレイヤーを入れている時点で、考案者の方で彰一を駒にしようとしているのが丸見えだもの。彰一の見えない能力で不意打ちをかけようとしているんでしょうね。だったら、その人は彰一に生き残って欲しいはずよ。自分の作った問題に正解して欲しい。だから、既に出された問題に後からケチをつけることはしないと思うのよ。敵対する折口さんを助ける行為なら尚更ね」
「問題、か」
「そう。やっぱりその質疑応答の意義って、そこにあると思うのよね。答え合わせ。そこのところは牧瀬さんに詳しく聞くしかないんだろうけど、今回だけ適用されているルールがあって、それは間違いなくそういう目的の違いが原因だと思う。運営が意図的に彰一を選出したって言うなら、それもやっぱりその目的の違いによるもの。そして、彰一の能力は――それがもし本当だったとして――あちらもある程度織り込み済みでしょう」
「奴らの勝敗は、このゲームの結果に左右されるってことだな。で、折口はおそらく折口以外の全員の死亡が勝利条件なんだろう。だから、それを阻止するために俺が投入された。俺が生き残りたいなら、必然的にその誰かの意のままに動かなきゃいけないわけだ」
 なるほど、問題というのは言い得て妙だ。
「だから、出題範囲をいきなり変えるとかはしないと思うのよね。最後まで生き残らないとわからない罠とかは仕掛けてない……と思いたいけどね」
 沙耶だって、絶対の確信はできていないらしい。それでも、これで最後だ。
「そういえば、聞きそびれてたんだけど」
「ん?」
「その予知能力って、時間制限があるのよね? でも、毎日やってるってことは、どこかでリセットないし回復するわけでしょう。どうしたら回復するかとかはわかるの?」
 ああ、そういえば言っていなかったか。今までは連続使用だったから、そのあたりは考える必要がなかったんだ。そもそも、拉致される直前に咄嗟に使っていたようだから、回復する時間もなかったし。
「この能力、頭と目にものすごく負担をかけるみたいなんだ。予知をしている間は現実時間はほとんど進まないんで、どうも一瞬でそのあたりの情報処理を行っているんだろうな。だから、使っているとだんだん頭痛がひどくなる。それが予知の中でも引き継がれるから、頭痛のひどさで大体の残り時間がわかるんだ。
時間制限っていうのは要するに頭の処理能力の問題らしい。だから能力を使わずに休んでいれば、少しずつ回復する。一日分を見るだけなら睡眠時間から考えてお釣りがくるみたいだな。ただ、今回の場合連続使用の上二重発動になってたらしくて、無駄に時間を消費してたみたいだけど」
本当に、それに気づけなかったのが致命的だった。いや、そうでなくても今日の朝から一日分は使い切っていたわけで、そこから最長で二日分を何度も繰り返すとなると、最初から数回しか繰り返せなかったかもしれない。
「なら、今はもう寝るべきじゃない? ゲーム全部を予知するのは無理でも、一部でも見れたらかなり有利だと思うわ」
 それは、そうかもしれない。ずっと無視していたけれど、この頭痛の程度ではきっとほとんど予知もできない。となると、ここで少しでも回復させておくべきか。ついでに体力の温存にもなる。
「何時頃に来るわけ?」
「部活が終わってからだから……七時頃だったと思う」
 沙耶に釣られて、時計を見る。今は十二時半だ。
「わかったわ。大体六時くらいに起こすから、それまで寝てていいわよ」
 そう言って、沙耶はベッドを指差した。
「……ここで寝るのか?」
 聞くと、沙耶はなんだか少し不機嫌そうに口を尖らせた。
「不満なら、床で寝てもいいけど。寝心地の良さは保証しないわよ」
「いや、それなら別にこのベッドじゃなくたって」
「だから、彰一はここから出ない方がいいって。もし親が帰ってきたら、睡眠どころじゃなくなるわよ」
 それは、まあ、確かに。理屈を言えば、そうだ。だが、これは別の意味で睡眠どころじゃない。
「沙耶はいいのか?」
 すると、沙耶は苛立ち混じりに一喝した。
「だから、いいとか悪いとかじゃないの! いいからさっさと寝る!」
「あ、でも食器」
「そんなのいくらでも時間あるんだから私がやっとくわよ!」
 これ以上駄々をこねるのは逆効果らしい。俺はつばを飲み込んで、覚悟を決めた。
「……わかったよ」
「よろしい」
 沙耶のベッドは、らしいと言うべきか、水色のシーツが敷かれていた。端に少しだけリボンがつけられているのが、なんとなく可愛い。そこに横になると、急にどっと疲れが押し寄せてきた。張り詰めていたものが緩むのを感じる。それと同時に、頭痛が戻ってきた。息をすると、アロマの臭いに混じってかすかに甘い匂いがする。なんだか沙耶に包まれているようだった。思ったより落ち着いている自分に驚いた。
「おやすみなさい」
 その言葉を聞くか聞かないかというところで、俺の意識はぷつりと途絶えた。


「起きて、彰一」
 沙耶の声で、目が覚めた。時間はちょうど六時。重い体を持ち上げつつ俺は聞いた。
「もう六時か……。俺が寝てる間に何かあったか?」
「あったら私がここにいる?」
「ああ、まあ、そうだな」
服装を見ると、沙耶は動きやすいラフな格好に着替えていた。俺の視線に気がついたのか、沙耶はこれ? とスウェットをつまんだ。
「話を聞くに、かなり動き回らなきゃいけないみたいだから。スカートとかだと動きにくいでしょ」
 確かにそうだ。俺はベッドから降りると、まだ少し回らない頭を回して体をほぐし始めた。頭痛は、さっきよりははるかにマシになっている。睡眠時間を考えると、一日分くらいは繰り返せるかもしれない。
「ちょっと、人の部屋で体操とかしないでよ」
「まあ、またすぐ寝るしな」
 それの何がおかしかったのか、沙耶はくすりと笑った。
「さて、それじゃあそろそろ出よう」
「出る?」
 沙耶が首をかしげる。
「いや、だって沙耶の親、帰ってくるかもしれないんだろ。なのにここで奴らを待ってたら、巻き込まれるかもしれないじゃないか」
 あ、そうか。沙耶は今気がついたかのように口を開けた。全く、沙耶らしくもない。
「でも、ちょっと早くない?」
「念には念を、だよ。それに、これからやることもないだろ。せっかくだからデートと行こうじゃないか」
 冗談のつもりだったが、沙耶は恥ずかしそうにうつむいている。……全く、調子が狂う。
「財布と携帯は持っていこう。一体どこで解放されるかわかったもんじゃないからな。逆に、他は特に必要ないぞ。どうせ身ぐるみ剥がれるんだ」
「せめて女の人にお願いしたいわね……」
 憂鬱そうに沙耶がつぶやいた。まあ、奴らの中に女性がいるのかもわからないが。
 俺たちはそうして、沙耶の家を後にした。行くあてはない。とにかく歩いて、気がついたら公園に着いていた。もはや子供も寄りつかなくなった、寂れた公園。確か、ここはいつだか沙耶が襲われたところだった。それも、もう「なかったこと」になった。いや、最初からなかったんだ。俺が、そんな幻覚を見ただけだ。世間的には。
 ベンチに座って、夕暮れを眺める。時間は、とてもゆったりと流れていた。
「夕暮れって、こんなに綺麗だったのね」
 沙耶がつぶやいた。俺も頷く。
「見慣れていて、気がつかなかったんだな。改めて見ると、綺麗なもんだ」
 しかし、もうすぐこんな時間も終わる。そうして、俺たちは勝てるかどうかもわからない戦いに連れて行かれる。
「あと三十分くらいで拉致されるとは思えないよな」
 そうね。沙耶は少しうつむいた。
「正直言って、私はまだ彰一の話は半信半疑よ。こんな緩やかな時間の裏で、私が何回も死んでいたとか、これから死ぬかもしれないとか、ちょっと」
 それはそうだろう。誰だってそうだ。それでも俺についてきてくれる沙耶は、やっぱりすごい。
「私も、やっぱり死ぬのは怖い。でもね、それよりも彰一が死んでしまう方が怖い」
 沙耶はそう言って、俺に振り向いた。その顔は、今までにないくらいに真剣なものだった。
「このまま、言えなくなるのは嫌だから、言うわ。私、彰一が好き。いつからか、もう思い出せないけど、それくらいずっと前から、彰一のことが好き」
 なん、だって? 俺は間抜けに口を開けて、その言葉を聞いていた。まさか、そんなことが。
「彰一が私のために無茶してくれるのを、ずっと見てきた。いつかお返ししたいとずっと思ってた。そうして、日に日に彰一のことが好きになった」
「え――ちょ、ちょっと待ってくれ。さ、沙耶が、好き? 俺を?」
「何よ、不満?」
 そう顔を曇らせる彼女の顔は、過去最大級に不機嫌で、微妙に泣き出しそうでもあった。
「ああ、いや、そんなわけないだろ。むしろ、俺だって」
「俺だって?」
 ああ、くそ。沙耶が言ったのに、俺が言わなくてどうする。男だろ、お前。
「……俺だって、沙耶が好きだ。でも」
「でもじゃないの!」
 沙耶の怒鳴り声に、俺は思わず背筋を伸ばした。その様子に、沙耶は呆れたように苦笑する。
「お互い好きで、お互いに生き残って欲しいって思ってる。それでいいでしょ、今は。これから、どうなるかもわからないんだし」
 これから、俺たちはあのふざけたゲームに駆り出される。生きて帰れるかもわからない。それならもう、ふさわしいとかふさわしくないだとかそういった話はどうでもいい。きっと、沙耶はそう言いたいんだろう。言い切ってから沙耶も少し照れている。この雰囲気がなんとなくこそばゆくて、俺は心にもないことを言った。
「冗談かも、しれないぞ?」
 しかし、沙耶は全く動じない。
「それならそれで。私たちは平穏無事だし、告白する時期が少し早まったくらいよ」
 何というか、肝が座っている。俺ならそんな捉え方は、きっとできない。やっぱり俺は沙耶には全く及ばない。それでも、今は少しだけ、近づきたいと思う。
「生きて帰ってこよう、二人とも。俺が沙耶を守るから」
「私にもちょっとくらい守らせてよ、もう」
 沙耶が少し恥ずかしがりながら文句を言った。俺が笑ってごまかして夕日に目を移すと、沙耶もそれに倣った。それから、しばらく俺たちはそうしていた。


 不意に、近づいてくる車の音が聞こえた。来たか、と俺は気を引き締める。
 車は少し遠くで止まった。それから、何人かが降りてくる。統率の取れた足並みだ。そうして俺たちの前に現れたのは、四人の黒服の男。俺はそいつらに向かって余裕があるかのように言葉を投げた。
「待ちくたびれたぞ」
 その言葉に、四人は一斉に警戒した。そのうちのリーダー格らしき男が口を開く。
「警戒を解け。資料を見ただろう」
 すると、黒服たちは少し不服そうに引き下がった。それを確認してから、リーダーが俺に向き直った。
「抵抗しないでもらいたい。そうすれば我々も危害は加えない」
「了解だ。で、こいつは預かってくれるんだよな?」
 俺が鞄を差し出すと、リーダーは参ったというように肩をすくめた。
「何もかもお見通し、というわけか。全く、末恐ろしい男の担当になったものだよ」
「ねえ、これも持っていけないんでしょう?」
 沙耶は薄いピンクのハンカチをポケットから取り出した。
「ああ、規則でね。条件を同じにするために衣服以外のものは持ち込めないことになっている」
「でも、リボンは大丈夫なのよね」
「服も、襲撃時の服装のまま、という条件を同じにする必要がある」
 じゃあ、と沙耶はそれを首に巻いた。
「これは衣服に入るの?」
 はあ、と呆れたようなため息が漏れる。
「……いいだろう。特例だ」
 さて、時間がない。リーダーはそう言うと、黒服たちに何やら準備させた。
「スタンガンは嫌だろう。薬でしばらく眠ってもらう。それでいいな?」
「こちらに選択権はないからな」
 助かるよ。リーダーがそう言うと、黒服たちは俺たちの口にハンカチを当てた。するとすぐに、意識が遠のき始めた。これで目覚める時間に多少の変化があるかもしれない。そんなことを思ったが、すぐにそれも考えられなくなった。



 目が覚めると、もはや見慣れた天井が俺を出迎えた。生活感のない、無表情な天井。俺は戻ってきたのだ、この馬鹿げたゲームの舞台に。
 腕時計とPDがきちんとあることを確認する。それからシャツをめくりあげると、毎回あった火傷の跡がなくなっていた。ならば、と腕時計を見るが、起きた時間は前と同じようだった。多少の誤差はあるだろうが、まあその程度だろう。
 さて、今までだと沙耶が起きるまでここで待っているのだが。
「……別に、そんな必要ないよな」
 俺はさっさと隣の部屋に移動する。起こさないように静かに扉を開けると、沙耶はさっきの俺と同じように簡素なベッドの上に横たわっていた。その様子は、なんだか心地よさそうだ。
 ベッドまで歩み寄って、縁に軽く腰掛ける。その寝顔が愛らしくて、いつものようにその頭に手を伸ばしかけて、その手が不意に止まった。内側から、這い寄るような寒気が俺を襲った。
 それが、罪悪感なのだということに、しばらく気がつかなかった。それは俺の手に絡みつき、一つ一つ骨を折るようにして俺の心を侵食した。血流に乗って、俺の心臓を凍らせにかかる。気道を通って俺の呼吸を止めようとする。苦しい。とても苦しい。自分に一寸の価値もないような気さえしてくる。
 手を、引っ込めた。こんな手では沙耶には触れない。もしもこれが罪だというのなら、それを罪と感じる程度には俺もまだマシなのだろうか。安心したような、落胆したような深いため息が漏れた。
「……ん」
 沙耶が目を覚ましたらしい。俺は沙耶が起きるのをただ眺めていた。
「あ、れ。彰一?」
「おはよう、沙耶」
「ここは」
「ゲーム会場だ」
 それを聞くと、沙耶は瞬きして、それからがっかりしたように肩を落とした。
「やっぱり、本当だったのね……」
「嘘だと思った?」
 そういうわけじゃないけど、と沙耶はむくれて返す。
「ちょっとだけ、期待してた。ゲームなんて本当はなくて、私たちが何の不自由も危険もなく今まで生きてきたっていうことを信じたかった」
「でも、これが現実だ」
「そうね、受け止めなくちゃ」
 同時に、俺が人を殺したことも。そうつぶやきかけて、きっと沙耶もわかっているだろうと思い直してやめた。舌の上をざらつくようにしていつまでも残るその感触に吐きそうになる。
「質疑応答まではあと二十分程度ある。今のうちにこれからのことを打ち合わせておくか」
 そうね、と沙耶は首に巻いたハンカチを取ると、きちんとたたんでポケットに入れた。
「とりあえずは、質疑応答で四人全員を仲間に引き込みましょう。それまでは武器とかは集めない方がいいわね。無駄に警戒させることにしかならないわ」
「しかし、俺の素性をバラしたとして信じてくれるか。例えば、前の蒲生みたいに疑い続ける奴はいると思うぞ」
「でも、その蒲生さんだって自分の行動まで予言されていたら少し考えるんじゃないかしら。もしも運営やら何やらと繋がっていたって、各プレイヤーの行動自体は予測できないはずだからね。そうすれば、他の疑わしいこともまとめて彰一を信じる理由になると思うわ」
 なるほど。そういうところを攻めて行けばいいわけだ。
「そのあとは、ひたすら必要なものを集めて行けばいい。その配置情報も彰一の信用に役立つわね」
「問題は牧瀬だな。あいつをきちんと懐柔しないと今後に支障が出る」
「それは、そうね。例えば、その妹さんの話をしてみるのはどうかしら。あんまり人にする話じゃないだろうから、それだけでも多分動揺すると思う」
 まあ、そうだろう。あとは、前回のゲームの話を持ち出して揺さぶりをかけるくらいか。そこで動揺させて、蒲生たちの動向の予言をして見せればこちらについてくれる可能性は高い。
「あとの問題はといえば、蒲生たちと接触してからがほとんど時間的余裕がないことと、折口に近づく方法か」
「時間的余裕はどうしようもないとして、近づく方法はどうしましょうね。また牧瀬さんに騙し討ちしてもらおうかしら」
「それだと、奴が『助けを呼ぶ』可能性がある。そうなれば一巻の終わりだ」
「騙し討ちって言っても、別にあちらに危害を加えるわけじゃないわ。単純におびき寄せてもらうだけ」
「ああ、それなら」
 牧瀬はそれに一度成功している。つまり、前回できたなら今回も出来るわけだ。
「ただ、沙耶のことが心配だけど」
「適材適所、よ。これしかないんだから文句言わないで」
 沙耶はいたずらっぽく言って、それから表情を曇らせた。
「……正直、不安。これが成功しても、まだゲームは終わりじゃないわ。私たちはそれからずっといつ来るかもわからない襲撃に怯えることになる。その結果誰かが命を落とすかもしれない。それはすなわち、私たちの負けよ」
「でも、やるしかない」
「せっかく、告白できたのに」
「生き残れば、結果オーライだ」
「楽観的ね」
 ふてくされる沙耶の頭に手を伸ばしかけて、慌てて引っ込める。それを見て、沙耶は少し悲しげに微笑んだ。
「……後悔、してるのね」
「どうやら、そうらしい。自分でも驚いているんだが」
「彰一は、やっぱり根は優しいのよ」
「そんなつもりは少しもなかった。沙耶のためなら人殺しも平気な人間だと思っていたんだが、俺はそんなに強い人間じゃなかったらしい」
「そんな強さなんて、ただの暴力よ」
 沙耶はつぶやくように言った。
「彰一はきっと自分で思ってるよりずっと責任感の強い人よ。それで、ある意味潔癖。だから自分のことを絶対に許せないままで、いろんなことに責任を感じたままで、いつか潰れてしまうんじゃないかって」
「俺はそんないい奴じゃないよ。良心なんてもう捨ててしまった。だから今でも最終的に沙耶と他の奴を天秤にかけたら多分俺は沙耶を取るよ。今更、沙耶を諦めて生きるなんて」
「だったら、私が彰一の良心になる」
 強引に顔を沙耶の方に向けられた。そうして、そのまま唇を奪われる。
「……私の言う通りにしないと、私死んじゃうよ?」
「どうやって」
「今なら簡単に死ねるでしょ?」
 腕時計をちらつかせる沙耶。……まったく。
「惚れた弱みってやつかね」
「お互い様よ」
 今更照れたように目線を逸らす沙耶。仕方ない、と俺はため息をつく。でも、その内心はまんざらでもなかった。
「私だけを見るのは、もうやめて欲しいの。そんなことしてたら彰一が潰れちゃう」
「沙耶に死なれるのは、困るな。うん、だから、仕方ない」
 それで、自分を許せるわけではなかった。それでも少し心が軽くなった気がした。
 ぴろりろりろ。間抜けな着信音が響き渡る。それに二人で驚いて、それから少しだけ微笑んだ。
「行くか」
「そうね」
 余分な力が抜けた自然体で俺たちは歩き出した。


 質疑応答の部屋には、いつも通り四人が揃っていた。
「おお、また来よったわ。それで、ちゃんと説明してくれるんか? わしらがここに連れて来られた理由を」
 榎並が例によって勘違いする。それに、あえて乗ろうと思う。俺は沙耶を抑えて前に出た。
「……いいぜ、教えてやるよ、榎並」
 自分の名前が知られているのに驚いたのか、榎並はギョッとして後ずさった。
「お前らに教えてやる。このゲームが一体何のために行われているのか、このままだとどうなるのか、どうすれば生き残れるのか、全て」
「ちょっと待った」
 今井が訝しげに立ち上がる。
「お兄さん達、運営じゃないでしょ。その腕時計が証拠だ。なのになんで教えられるわけ?」
 そこに牧瀬が割って入る。
「まあ、一度聞いてみればいいんじゃないかな。もし間違ってたらそれでいいし、それは合っていた時に考えればいいことだ」
「そういうことだ。……ああ、自己紹介はいらないぞ。全員の名前は覚えてる。ナンバーも、特殊機能も」
 そうして全員の名前とナンバーと特殊機能を言い当ててやると、今井の顔色が変わった。
「……お兄さん、何者? それがお兄さんの特殊機能?」
「残念だが、俺にそんな便利なものはないな。ほら」
 PDの特殊機能の画面を見せつけてやると、今井は唸った。
「まあ、とにかく聞けよ。時間もそんなにあるわけじゃない」
 そう言うと、四人全員が俺の話に耳を傾けた。


 説明を終えると、榎並は胡散臭そうに眉をひそめた。
「なんやそれ、とんだ眉唾やな」
「ほんと。こんな状況でふざけてるの?」
 津久田もゲームに放り込まれた直後で興奮しているらしい。俺は今井に視線を投げた。こいつなら、きっと理性的に考えてくれるだろう。今井は少し考え込んで、それからつぶやくように口を開いた。
「……正直、信じがたいけど。でも、矛盾自体は一つもないんだよね。例えば、津久田のお姉さん。メールって送れる?」
「え、ええ。でも、そんなの皆そうなんじゃ」
「ところが僕はそうじゃない。きっと皆そうだ。メールを送れるのはお姉さんだけだよ」
 津久田は驚いて榎並の方を見たが、榎並はぶるぶると首を振るばかりだ。
「話の真偽自体は質疑応答の時にそれとなく聞くしかないんだけど、でもここで嘘を言う必要もないといえば、ない。少なくともこのお兄さんは僕たちのパーソナリティを把握している。じゃあその情報をどこから得たか、だけど。ねえ、そっちのお姉さんの特殊機能は?」
 一瞬言わせたくない、という思いが頭をよぎったが、しかし既に相手の特殊機能は言い当ててしまった。ここで明かさないのは逆に不信感を煽るだけだ。俺は沙耶を振り返って、頷いた。
「私のナンバーは6、特殊機能は『半径十メートル以内にいるプレイヤー一人の腕時計を作動させる。この機能はゲーム中一回しか使えない』よ」
 念のためPDの画面も見せる。すると、今井はさらに考え込んだ。
「つまり、ルールに則った仕方で得た情報じゃない。とすると、一番考えられる情報源は運営だけど」
 一瞬、俺に対する猜疑が強くなったように感じた。俺は慌てて口を出す。
「もし俺が運営と取引していたとして、こんなことを言い出すと思うか?」
「そこなんだよね。メリットがない。いたずらに自分しか知りえない情報をばらすと、マークされることは間違いない。プレイヤー情報当てたくらいで僕らを扇動できるとは思えないし、無駄に注目を集めるだけだ。となるとこんな行動に出てメリットがある状況は、お兄さんの言っていることの少なくともほとんどが本当の場合だけど」
 今井が納得してくれてほっとした。今井の考察は的確で、榎並も津久田も聞き入っている。
「運営から情報を得ている場合は、そもそもこんなゲームに望んで参加する奴がいるのかっていう話だ。もしいるとしても、ちゃんと取引しているのなら失格にならない配慮とかされるもんでしょ。例えば、腕時計の毒を抜くとか、作動しなくするとか。だったらここでわざわざばらす必要はないはずなんだ」
「で、でもこのゲームが始まってから取引したって可能性も」
「つまりは、お兄さん達はまず今までに運営と接触してなきゃならないわけだ。そこでお姉さんに聞くけど、今までに運営と接触するチャンスはあった?」
 津久田は顔をしかめる。
「あったら、こんなところまで来てないわよ」
「そうだよね。それで、お兄さん達も同じ条件のはずなんだ。それから、こんな組織相手に取引材料を用意できるような身分にも見えない。相手は一般人の誘拐を簡単にやってのける大組織だ。お兄さんの言っていることが本当だとすると、このルール自体が僕たちを殺しに来ているようにしか見えない。それはそのまま運営の意図のはずだ。それを覆してまで欲しい取引材料を僕はどうしても想像できない」
「せ、せやったら、あいつの言うことは全部本当やっちゅうんか」
「流石に超能力がどうたらってのは信じきってはいないけどさ。でもお兄さんの動きにどうも組織的なものを感じない。大体こんな組織から情報を盗み出せるほどの組織なら、こんな子供じみた言い訳もしないと思うんだ。打ち合わせくらいするでしょ、普通。かと言って、運営とは手を組んでいない。個人で情報を盗み出せるとはどうしても思えない。そうなると、超能力で片づけてしまった方がまだしっくりくる」
 そこまで言って、今井は顔を上げた。
「別に、全部を信じる訳じゃないけど。でも嘘でもなさそうだし、裏の意図もなさそうだ。質疑応答で真偽を確認する必要はあるけど、信用してもよさそうかな」
 それを聞いて、榎並と津久田もどこか納得した表情になった。それから津久田が何か気づいたような表情をする。
「ちょ、ちょっと待って。ってことは、牧瀬さんは……」
 全員の視線が牧瀬に集まる。牧瀬はしばらく歯を食いしばるようにその視線を見つめ返していたが、やがてため息をついた。
「なるほどね。君は何でもお見通しらしい」
 その手が少しずつ腰に動いているのを、見逃さない。
「やめておけよ。お前の腕時計からは毒が抜かれてない。それにここは戦闘禁止エリアだ。そいつをぶっぱなせばもれなくお前の妹も助からなくなる」
「……本当に、お見通しらしい。心の中を覗かれているみたいで嫌になるね」
 牧瀬は肩をすくめて伸ばしかけた手を戻す。
「それで、君は僕をどうしたいわけだ?」
「お前は妹を助けるためにゲームに参加しているわけだろう。なら俺について来い。お前一人ではここで死ぬのは確定だし、妹も助からない。しかし全員で協力すればお前も妹も助かるかもしれない」
「確証はないんだね」
「お前も知っているとは思うが、最大の障害はお前以外のもう一人のハンターだ。あいつだけは仲間に引き込めない。どうしても争う羽目になる。そうなればお前は最大の戦力になる。俺たちにはお前が必要だ」
「……選択肢は?」
「ないな。妹を生かしたいのなら」
 散々妹のことで揺さぶったかいがあったらしく、牧瀬は頭をかいた。
「一応、考えさせてはもらうよ。まだ君の言うことが嘘である可能性もあるからね」
「上等だ」


 質疑応答を終えて、俺はもう一度皆に振り返る。
「それで、まだ俺を疑う奴はいるか?」
 主に牧瀬に向けて言った言葉だったが、牧瀬は肩をすくめた。
「……少なくとも、今のところは嘘ではないみたいだね」
「それで、どうするのさ? さっき言ってた通りだとあまり時間はないみたいだけど」
「時間?」
 津久田が首をかしげる。
「だからさ、その折口ってハンターが動き出すまで、そう時間もないわけじゃない? これからどう動くとしても、その準備が必要なはず……だよね」
 今井は話が早くて助かる。俺は頷いた。
「今から四時間後に三階のエリア十九に残りの三人が集まる。それまでに用意するものがある。手分けをしたいところだが……」
 まだ事態が飲み込めていないらしい榎並と津久田を見る。今の榎並を放置すると、またセクハラ行為に及ぶのではないか?
「罠の危険も高い。万が一誰かが罠にかかって全滅、といったことは避けたい。ここは全員でまとまっていこう」
 それに反対する者はいなかった。全員、この先の不安の方が大きいようだ。まあ、それは俺も同じだが。
「それで、結局これから何をするつもりなのさ。僕たちはこれまでのことは聞いたけど、これからのことは聞いてないよ」
「それは、もう少し後でな」
 言うと、今井は不機嫌そうに頷いた。


「こんなものかな」
 準備を終えて、俺たちは三階のエリア十九で休憩を取った。乾パンを貪る榎並が言う。
「しっかし、こんなもん何に使うんや」
「いちいち説明するのも手間だしな。メンバーが集まってから一度で済ませようと思う」
 そう答えると、さほど興味なさそうに榎並は頷いた。
「まあ、なんとなく想像できるけどね。それより、僕はどちらかというとここからのことが心配だけど」
 今井が、手の中のクロスボウを弄ぶ。
「こんなの使ったことないんだけど。試射何回もしてたら矢が使い物にならなくなるしなあ」
 段ボールを穴だらけにしておいてよく言うな、と思う。流石にそれは口には出さないが。
「でも、すごく正確に撃ててたじゃない」
 そう言う津久田に今井は呆れる。
「的に当てればいいってもんじゃないよ。あんなの、動かない的に当たるのは当然だ。動く相手に向けて撃っても確かに当たるだろうけど、当たって困るのも僕たちなんだし」
「それはそうだね。致命傷を与えてしまったら僕たちも全員死んでしまうし、そうでなくてもきちんと処置しないと、まだゲームは始まったばかりだ」
 牧瀬が頷く。即死とは行かなくてもまだゲームは一日以上あるわけだ。感染症や失血で死んでしまうことは十分にありえる。それをきっとこれまでのゲームで体験してきたのだろう。
「処置って言っても、本当に応急処置くらいしかできないしね、これじゃあ」
 沙耶がリュックサックの中を覗きながら言う。
「そうそう。だから、何よりも死なない場所に撃ち込む必要がある。そんなのこの中じゃ牧瀬のお兄さんくらいしかできないんじゃない」
「……なるほど。至らなかったわ、ごめんなさい」
「まあ、別にいいけどね。お姉さんも、脊髄反射でそれ使っちゃだめだよ」
 今井は津久田の持つ手榴弾に目をやった。
「それの使い道は足止めだ。万が一逃げ回ることになるまで、それは使うべきじゃない。脅しにも使えないしね」
「それは重々承知よ。……なんていうか、試験当日の気分」
「いや、試験って。落ちても次があるものと一緒にされても困るよ」
 今井が笑うと、皆の雰囲気が少しだけ和んだ。俺は手の中の拳銃の動作確認をしてから声をかける。
「さて、まずは前哨戦だ。あとのプレイヤーを仲間に引き入れる。ここに時間はかけられない。手早く行こう」


 向かった先は、何度も蒲生と睨み合ったあの場所。時間もちょうどだった。俺たちは蒲生たちを見つけるなり、すぐに姿を現した。とにかく時間が惜しいのだ。
「そこのお前、動くな」
「あん?」
 蒲生が振り返る。それまで叫んでいた桐生が、さらに恐慌を増した。
「あーあー、騒ぐなっての」
「うわ、お兄さんの言う通りだったよ。どうしたもんかね、これ」
 今井がぼやきつつ矢を向ける。牧瀬、俺も銃口を向けている。それに気づいた蒲生は、肩をすくめた。
「なんだ、お前ら。その銃はおもちゃ……ってわけでもなさそうだな。プレイヤー、がここまで団結できるわけねえか。しっかしごちゃごちゃした集団だな」
「俺たちはこのゲームのプレイヤーだ。蒲生、古谷、桐生。お前たち三人にも協力をしてもらいたい」
「協力、だと? いや、それよりもてめえ、俺の名前をどこで知った」
「そんなことは今は重要なことじゃない。協力するのか、しないのか」
 蒲生は桐生の手を掴んだまま、もう片方の手で頭をかく。桐生はぽかんとした様子でそのやりとりを伺っていた。古谷は俺たちの会話をひたすら目で追っている。
「……協力ってえのは、具体的にどういうことだ」
「このゲームを、全員で生き残る。そのために、お前たちの力が必要だ」
「けっ、全員で生き残る、ね。できたらいいな、そんなの」
「できるわ」
 身を乗り出した沙耶に、蒲生は一瞬毒気を抜かれたような顔になった。
「全員が生き残ることで、結果的にあなたは一人勝ちでもらえるよりもずっと多くのお金をもらえるの。下手に殺し合って命を危険にさらすこともない。それに、このままだとほとんど確実に全員が死んでしまうの。あなたも含めて」
「なんだ、それ。どういうこったよ、意味わかんねえ」
「でも、事実よ。ねえ、聞いてみたいと思わない? そのからくりを聞いて、それから協力するかどうかを考えても遅くはないんじゃない?」
 蒲生はそれを聞いてしばらく考えていたが、やがてにやりと口角を上げた。
「それも、そうだな。聞いてからでも遅くはねえや。どのみちこの状況で戦うのも不利だしな。一時休戦だ」
「だったら、全員での話し合いが必要だな。そのために、蒲生。お前にやって欲しいことがある。今お前が腕を掴んでいる桐生の腕時計を、お前の特殊機能で破壊して欲しい」
「あ? だからなんでお前、俺の特殊機能知って」
「時間が惜しいんだ。早くしてくれ」
 遮ると、諦めたように蒲生はため息をついた。それから桐生に向き直る。
「だ、そうだ。それ以外に何もしねえ。いいよな、嬢ちゃん」
 桐生は話が読めない、という風に首をかしげた。
「え、ええと、それで、どうなるんですか?」
「何にもなんねえ、んじゃねえかな」
 蒲生も腕時計を破壊したらどうなるかはわからないらしい。
「腕時計が壊れれば、失格になっても死ななくなる。それだけだ」
 俺が言うと、桐生はそうなんですか、と意味がわかっていなさそうに応えた。
「さて、そういうわけだから、いいな?」
 そう言って、返事も待たずに蒲生は桐生の腕時計を掴んで、PDを接続した。瞬く間に腕時計から煙が上がる。
「え、え、なに、これ」
 混乱している桐生を開放して、蒲生はこちらに向き直った。「これでいいだろ? 銃を下ろせよ」


 近くの小部屋で説明を終えると、蒲生は呆れたように笑った。
「俺は与太話を聞きたいわけじゃなかったんだがなあ」
「でも、あんたの行動をお兄さんは予言してたわけだけど。それはどう説明するの?」
 今井が言うと、蒲生はそれに食いついた。
「それなんだよな。運営と繋がってるんじゃないかとも思ったんだが、プレイヤーの行動まではあっちだってわからないはずだしなあ」
「正直、僕はこのお兄さんの言ってることは十中八九正しいんじゃないかと思う。超能力ってのはけちのつくところだけど。でも逆に、そうでもしないと説明のつかない部分も多いんだよねえ。だから、信用してもいいと思うよ、僕の主観だけど」
 それを聞いて、蒲生はめんどくせえ、と考察を放り投げた。
「そんなことはどうでもいいか。俺としてはお前らの話が本当かどうかの確証さえ取れればあとは別に」
 だろうと思ったよ。俺はすかさず答える。
「ああ。だからこれから運営に取引を持ちかけに行く。お前はそれを見ていればいい」
「なんだそりゃ。そんなことできんのかよ」
「ああ。それで? もしこれが本当なら、お前は俺たちに協力してくれるのか?」
「んー、まあ、断る理由もねえわな。喜んで乗らせてもらうぜ」
 ところで、と蒲生は自分の腕の手錠を鳴らす。
「どうして俺はこれに繋がれているわけだ? 停戦中じゃなかったのかよ」
「様式美だ」
「意味わかんねえ」
「お前が俺の話を本当だと認めたら解放してやるよ」
「けっ、抜け目ない野郎だ」
 蒲生はふてくされたようにそっぽを向いた。
「お前たちも、それでいいか?」
 古谷と桐生に向き直る。
「そ、そうだね。君の言っていることが本当なら、それしか生き残る道はないんだし」
 そう頷く古谷に対し、未だに桐生は何が起こっているのかわからない様子だ。
「え、と、なんていうか、よくわかんないんですけど。で、でも、皆さんが私を助けてくれたんですよね。だったら、わ、私もお手伝いしたいです」
「沙耶、後で桐生に状況を説明してやってくれ」
「……そう、ね。わかったわ」
 喉乾きそう、と沙耶はリュックサックの中の水を確認し始めた。


「さて、運営」
 質疑応答の部屋で、取引を終えてから、俺は聞いた。
「時間がないから手短に聞く。お前はどちら側だ? 主催者側か、そうでないのか」
 すると、運営は少しだけ嬉しそうに笑った。
『……そこまでたどり着きましたか。あなたに賭けた甲斐がありました。ということは、もうすべてを予知したということでよろしいですか?』
 その反応が、正しく答えだった。
「ある程度な。なるほど、お前は反逆者の方らしい。何があったのかは知らないが、お前はこちらの味方ということでいいんだな」
『いいえ、私はあくまでも中立です。そういう取り決めですので』
「そんな言い訳が通用すると思うのか? お前はこのルールに抜け道を作り、どうにかして俺に通らせようとしている」
『あなたは、私の意図とは関係なく予知している。そうでしょう。私の作ったルールは、「たまたま」あなたに都合のいいルールだっただけです』
 そうしなければ生き残れないようにしたのはお前だろう、と思ったが、言おうとはしなかった。今のこいつに何を言っても、こういう答えしか返せないのだ。それも「取り決め」なのだろう。律儀に折口が取り決めを守っているのと同じように。
「まあ、いい。全てが終わったらきちんと説明してもらうぞ」
『いいでしょう。それを楽しみにしていますよ』
 その答えには、嘘はなさそうだった。
「一つ、聞きてえことがある」
 運営の声が聞こえなくなってから、蒲生が言った。その声色はいつになく真剣だった。
「お前がどうやら超能力らしきものを使えんのはわかった。運営がそれを期待しているみたいだしな。だが、お前はどうして自分たちだけが助かろうって方法を取らなかった? 一回失敗したのは聞いたが、それはもう一度挑戦しない理由にはならねえ」
「……そもそも無理だから、というのが理由の一つだ。俺と沙耶の二人だけでずっと逃げ延びることはできない。沙耶はクリア条件のせいで戦闘行為自体できないし、そうでなくても、体力に関してはからっきしだからな。二日間ずっと動き続けることは難しいし、できたとしてあのハンター、折口とまともにやりあえはしないだろう。こちらに相手の位置がわからない以上、どこまで行っても追う側が有利だ」
「でも、可能性がゼロ、というわけじゃない」
 蒲生は、やけに食いついてくる。沙耶が不可解そうな顔をして口を挟む。
「あんた、それがうまくいく可能性ってどれだけよ? それよりも、こうやって全員が団結した方がうまくいく可能性が高い」
「その代わり、一人でも死んだらゲームオーバーだ。その足かせを背負うだけの価値が、その差分にあるのか?」
「沙耶」
 俺が声をかけると、沙耶はむくれてそっぽを向いた。こいつが聞きたいのは、きっとそういうことじゃない。それを沙耶もわかっていて、でも素直に認められないだけだ。だから、代わりに俺が答えてやる。
「俺は、一度お前を殺した」
「ああ、そうらしいな。俺は知らんが」
「その時に、どうしても自分が許せなくなったんだ。その結果をよしとすることができなかったんだ。沙耶もずっと前から誰かが傷つくのが放っておけない性格だから、それを理解して、背中を押してくれた。俺たちは、お前らに生きていて欲しい」
「殺したのにか?」
「殺したからこそだ」
 そう言い返すと、蒲生はそうか、と一言だけつぶやいた。それで彼が納得したのかはわからないが、それ以上は何も聞いてこなかった。
「さて、ここからは二手に分かれようと思う。仕込みをするグループと、その間折口を引きつけておくグループだ。折口を引きつける奴は、腕時計が作動しないようにしておきたい」
「も、もしかして私、そっちですか……?」
 桐生がビクビクしながら口を開く。
「いや、お前は仕込み担当だ。お前がこっちにいても、正直何もできないだろう」
「あ、は、はい」
 ひどい言い方かもしれないが、しかしそういうものだ。
「蒲生、牧瀬の腕時計を破壊してくれないか。どちらにせよ、ハンターのクリア条件はどうやっても満たせない」
 あいよ、と蒲生は気迫のない返事をした。どうも、調子が狂う。
「んで? あと一回は誰に使うんだ?」
「……あと一回は、沙耶に使ってくれ」


 折口を引きつけるのは、俺と沙耶が引き受けた。そして、牧瀬は後からこちらに合流する。あとは全員が「仕込み」に向かっている。
 二階のエリア十四と十九の間。二つ角を曲がれば、奴がいる。そんな場所に、俺たちは陣取っていた。
「……動いてこないな」
 まあ、動いてこられても困るが。小声でつぶやくと、沙耶から小さく声をかけられた。
「動いてこなくていいのよ。大体あっちはまだ油断しているから派手に動いては来ないはずだって言ったのは彰一じゃない。しっかりしてよ」
「ああ、そうだったか」
 沙耶は心配そうに顔をしかめる。
「あんな無茶するからよ。わざわざ彰一がこっちに来なくても、蒲生さんあたりがいればよかったんじゃないの? そんな――」
 そこで、沙耶は言葉につまる。言いたいことはわかるから、聞き返しはしない。
「この局面で、もし何かあったら取り返しがつかない。俺がいないと、想定外のことがあった時に困る。実際、二回失敗したし」
 無言で肯定すると、沙耶はため息をついた。
「彰一の予知を今更否定はしないけれど、手当も全然出来てないのに」
 俺は左手に持った拳銃を弄ぶ。全く、どうも違和感が半端ない。
 さて、もうそろそろか。そう思ったところで、後ろから近づく足音に気がついた。俺はあえて大きな声を出す。
「もう仕掛けは終わったのか」
 ああ、うん。そう相槌を打って姿を現したのは牧瀬だ。ここから、俺たちはひと芝居打たなければならない。
「よし、それじゃあこっちから奴を追い立てる。手伝ってくれ」
「……ああ、いいよ」
 不自然じゃない程度に、大きな声で。どうせ、あっちには聞こえている。
「でも、早いわね。予想じゃ、もっとかかると」
 沙耶も芝居に乗ってくれている。それが、どこまで通用しているのか。一応疑似体験で確認してはいるけれども、それでもやはり怖いものは怖い。
「ああ、うん、まあね。それよりも、今は目の前の敵だよ」
「そうだな、お前、武器は――」
 牧瀬が、銃を撃った。ただし、俺から少しだけ銃口を逸らして。俺は、それに合わせて銃で自分の右腕を殴った。それが響いて、激痛が走る。おかげで違和感のない叫びが出せるわけだが、気を確かに持っていないと、意識が持っていかれそうだ。それくらい我慢できんのか、と自分を殴りたくなるが、殴る右手は既になかった。
「彰一!」
 沙耶の悲鳴もまた、切羽詰ったものだった。何しろ、こうすることは沙耶には伝えていない。だからこその臨場感なわけだが。
「そこで倒れているといい」
 そう言って、牧瀬は角を出た。
「牧瀬だ。ナンバープレイヤーたちが全員で団結して、ハンターを殺そうとしている。このまま動かないとやられるぞ」
 すると、角の向こうから折口の声。
「……仕掛けがどうとか言ってたな。あれはどういうことだ?」
「僕は連絡係だからね、詳しいことは知らされていないんだ。……怪しまれているのかもしれない。だから、機会を見つけて逃げ出してきたんだ」
「なるほど。さっきから他の奴らがちょろちょろ動き回ってるのはそういうことか」
 折口が角から姿を現したらしい。声の響きでわかった。
「まあ、そこの奴らから聞き出せばいっか。武器、取り上げておけ」
「了解」
 牧瀬は角に再び戻り、俺の手から拳銃を取る。
「大丈夫だ。こっちに来てくれ」
「ああ」
 こつ、こつ。足音がゆっくりとこちらに近づいてくる。もっと、もっと来い。あと少し――
「なあ、牧瀬」
「……何かな」
「そこに、二人いるよな。二人もいらない。もう一人の方は殺しておけ」
「何だ、殺していいのかい? てっきり僕は、君がやりたいんじゃないかと思って」
 牧瀬の声が、少しだけ震えた。しかし、それはあちらには伝わらなかったようだ。折口はふと思い出したような声を漏らして、それから軽く笑った。
「ああ、そうだな。お前、気が利くじゃねえか」
 そう言って、また歩き始める。あと三歩、二、一……。
「沙耶!」
 俺の声に合わせて、沙耶は素早くPDを操作する。牧瀬は二丁の拳銃を構える。そうして、その音は鳴った。
 ピー、ピー、ピー。
「な、何だ?」
 流石の折口も想定外だったらしく、うろたえている。その間に、と俺たちは走り出した。
 壁に設置された時計が連鎖して作動する。けれどもその数は圧倒的に少なく、あっけなく沈黙した。


「あと一回は、沙耶に使ってくれ」
 そう言うと、蒲生は呆れたような顔をした。
「あ? その嬢ちゃんに使ってどうするんだよ」
「ああ、説明してなかったかしら」
 沙耶が口を開く。
「これから、私たちは折口さん、つまり主催者の持つ爆弾――自分の腕時計を起動させて全員を失格にする、という反則技を、やり過ごさなければならないの。でも、蒲生さんの特殊機能は三人にしか使えないから、全員がやり過ごすにはひと工夫が必要なの」
「要するに、そのための仕込みなわけでしょ」
 今井がそう言って、リュックサックの中から例の機械を取り出した。
「そう。その機械は、腕時計以外の時計を電流で破壊することができるの。幸い、折口さんはゲーム開始十時間後までエリアを出ることができない。だから、一方だけを塞いでおけば身動き取れないはずなの」
「あっちはおそらく、俺たちが団結しても自分にはかなわないと思っているはずだ。実際、それくらい奴は強い。だが、その自信からすぐにこちらを攻撃してくることはないはずだ」
 俺が補足すると、沙耶は俺に一瞬だけ微笑みかけた。そしてすぐに向き直る。
「だから、折口さんは動けない。その間に、この機械で時計を破壊して球状の緩衝地帯を作ってしまおうと思うの。そうすれば、作動は広がらす、皆無事にやり過ごすことができる。そのためには桐生さんの特殊機能が必要だけど」
「でも、隔離するって言っても、別にその人を拘束するわけじゃないんでしょ? 時間が来たらそのエリアから逃げられてしまうじゃない」
 津久田が口を挟んだ。沙耶は不敵に笑う。
「時間が来る前に、強制的に折口さんの腕時計を作動させてしまえばいいのよ」
「そんなのどうやって……あ」
 津久田は何か思い出したように口を開けた。
「そう、私の特殊機能。半径十メートル以内にある腕時計を作動させる。これがあれば、あちらにその気がなくても腕時計を作動させられるわ。そこで、さっきの話に戻るわけ。この作戦を成功させるためには、私がその場にいなければならないのよ」
なるほどな、と蒲生は頷いた。
「だが、そうなると足止め役はその嬢ちゃんと牧瀬、それと俺ってことになんのか? 俺も特殊機能を使い切ったらクリアってことになるし」
 それなんだけど、と沙耶は顔を曇らせる。
「私の機能を使うために、折口さんにかなり近づく必要があるの。でも、うかつに近づいたら殺されてしまう」
「つ、つまり、そこでもひと工夫必要なわけだね」
 古谷が声を上げる。
「そう。だから、牧瀬さんには初めは仕込みのグループに同行して欲しいの。それで、別離した風を装ってこちらに来て、ひと芝居打とうと思うのよ」
「んー、ようわからんが、あっちから近づいてもらおうって腹やんな」
 珍しく理解が早い榎並。沙耶は頷いた。
「だから、陽動は私と蒲生さんで、あとの皆は時計の破壊に――」
「ちょっと待った」
「え、何よ、彰一」
「俺が沙耶と一緒に行く」
 言うと、沙耶は目を丸くした。
「む、無理よ。蒲生さんの特殊機能は三人にしか使えないの。定員オーバーよ」
 それはわかっている。しかしそれでも、ここで行かせてはいけない。俺にとっては、それは既に体験した事実だ。
 ふと、閃いたことがあった。それを俺は口にする。
「牧瀬、拳銃で俺の腕時計を吹き飛ばしてくれないか」
 全員の顔色が変わった。沙耶が声を荒げる。
「彰一、何言ってるのよ。そんなことしたら壊れる前に全員失格になるじゃない」
「いいや、大丈夫だ。腕時計に衝撃を与えた時に作動するのは、衝撃を与えた者の腕時計なんだ。だから、腕時計を壊したあとなら、いくら衝撃を与えても誰も死なない」
「だからって、危険だわ」
「覚悟の上だよ。……頼めるか?」
 牧瀬は自信なさげに頷いた。


 腕時計の破壊は、そううまくはいかなかった。代わりに俺の右手が吹っ飛ぶことになったが、しかし結果として俺はようやく腕時計を壊すことができた。これで、奴の腕時計が作動しても俺が死ぬことはない。何度か失敗したことを考えれば、結果オーライと言えるだろう。
 そうして、作戦は成功した。あとはひたすら逃げるだけだ。
「牧瀬、折口の位置は」
「追ってきてるね。でも距離はそれほど近くない。今のうちに皆と合流しよう。榎並さんがいないと罠にかかる危険もあるし」
 そうだな、と言った言葉が、少し震えていることに自分でも気がついた。どうやら血を流しすぎているらしい。
「彰一、大丈夫なの、本当に」
「元々俺が言い出したことだしな」
「済まない、僕がもっとうまくやっていれば」
 牧瀬が申し訳なさそうにうつむくが、そんなことを言っている場合ではない。
「謝罪はいいから、先を急ぐぞ。俺たちが追いつかれたら合流できない」
 合流地点は、エリア十四の階段前。今井たち別働隊は三階の時計を破壊した後二階に降りてくる予定になっている。二階が一番探索が済んでいて、動きやすい。しかしそのためには一度階段から折口を引き離す必要がある。俺たちはその囮役でもあるわけだ。
 問題は、奴から逃げきれるかどうか。絶大なアドバンテージのうちの一つを潰されて、あちらも焦っているはずだ。余裕をかまして遊ぶことは流石にないだろう。
 足元がふらつく。くそったれ、せっかくここまで来たのに。俺はどこまで情けないんだ。
「肩、貸すわ」
「いや、いいよ。それより、沙耶はちゃんと準備をしておいてくれ」
 沙耶の背中のリュックサックを見やる。それで察したのか、沙耶は残念そうに頷いた。


 懸念は、程なくして現実になった。エリア二十、十五と迂回してエリア十四に向かう計画だったが、エリア二十の中程で追いつかれた。
「全く、位置が把握されている逃避ほど難しいものはないね!」
 言いつつ、牧瀬が角越しに一発撃つ。そしてすぐに手を引っ込める。すると、直後にこちらにも銃痕ができた。
 折口は、通路一つ先の角にいる。警戒しているのか角から出てきはしないものの、残弾数なら圧倒的にこちらが不利だ。とはいえ、次の角までは十メートル以上あるだろう。逃げても背中を狙い打たれる可能性が高い。
「君たち、先に行ってくれ。三人ともここにいたら共倒れだ」
 またあちらに向けて撃ち返しながら、牧瀬が言う。それは確かに、そうだ。負傷している俺と元から運動があまり得意ではない沙耶の足では、まず間違いなく追いつかれる。しかし、俺がいないところで何か不測の事態が起こったら。
「彰一、牧瀬さんが正しいわ」
「……わかったよ」
 走り出した途端、くらりと目眩がして倒れそうになる。その身体を、沙耶が支えてくれた。
「全く、危なっかしいんだから」
「……ありがとう」
「礼は後!」
 沙耶に支えられながら通路を進んだ。頭がくらくらする。急に吐き気がこみ上げてくる。でも、それも全部無視した。目がかすむ。それが、どうした。
「しかし、牧瀬は大丈夫なのか」
「多分、ね。いいものあげたから」
「『いいもの』?」
 しばらくして、重い爆発音が響き渡った。
「手榴弾、か」
 折口のことだ、そんな程度で負傷はしないだろう。しかし、足自体は遅くなるに違いない。
「いやあ、遅くなった」
 少しして、牧瀬が追いついてきた。
「君の言う通り、かんしゃく玉もまいてきたが」
 沙耶はその言葉に満足そうに頷いた。
「……すまないな」
 俺は、足でまといだ。
「謝罪はいいと言ったのは君だぞ。ほら、僕が肩を貸そう。沙耶花ちゃんよりは力がある」
 しかし、沙耶は首を振った。
「牧瀬さんは後方の警戒をお願いします」
「適材適所、か。それとも――」
 そこまで言いかけて、沙耶の噛みつきそうな表情に苦笑して牧瀬は後ろを向く。
「ともかく、急ごう。もう引きつける必要もない」


 走りつつ、俺はこれからのことを考えていた。
 このあとは、完全に消耗戦になる。あちらを拘束できない以上、俺たちは逃げ回るしかない。とはいえ、二手に分かれるのは戦力の分散になり、追いつかれた時に対処できない。すなわちゲームオーバーだ。どちらかに戦力を集中させても、もう一方を狙われた場合絶対に負ける。それから、戦力を集中した方もずっと追われ続けるのは体力的に辛い。一つにまとまって動くのは遅くなる。さっきのような手も、回数は限られている。
壁の時計を見ると、ゲーム開始からまだ十時間二十一分しか経っていなかった。あと、三十八時間。今までの四倍近い時間を逃げ回ることになる。今まで折口はほとんど動かず体力を温存してきた。それに対して俺たちは既にフィールド中を歩き回って疲れている。沙耶は少し眠そうにしているし、それはきっと他のプレイヤーもそうだろう。こんな状況で、どこまで行ける?
考えろ。頭を休めるな。こんな身体で、ほとんど戦えもしない俺が出来ることはそれくらいだ。だんだんとぶり返してきた頭痛に舌打ちしつつ、走り続ける。
「彰一、一旦休憩する?」
 沙耶の言葉に、後ろの牧瀬が答えた。
「そういうわけにはいかないよ。だんだん近づいてきてる。もう少しで合流地点だし、そこまでは走り抜けないと」
 僕だって辛い、と牧瀬はつけ加えるようにこぼした。俺たちの中で満足に戦えるのは牧瀬だけだ。そこに蒲生が加わるだけでもかなり違ってくるだろう。
 とはいえ、相変わらず不利な状況には変わりない。何より、頭痛が戻ってきたということは、予知能力の限界も近いということだ。あとどれだけ繰り返せるだろう。半日がいいところか。……不測の事態に対応するためにはこの力に頼るしかないが、タイミングは考えなければならない。
 合流地点に近づくと、既に皆は待機していた。
「待ちくたびれたよ、お兄さん」
 今井が呆れ半分といった様子で声をかけてきた。
「……減らず口を叩いてる場合じゃないぞ」
「そ、そうや、はよ逃げんと」
 榎並が慌ててPDを弄りだす。
「えっと、来栖くん、大丈夫なの」
 津久田が心配そうに覗き込んでくる。蒲生がそれに口を挟んだ。
「大丈夫じゃねえだろうけどな。そんなん心配したって始まんねえだろ。おら、くっちゃべってないで走れ」
 その声で全員が走り出した。ひいひいと沙耶が隣で悲鳴を上げているのがわかって、俺は今井に声をかけた。
「今井、済まないが肩を貸してくれないか」
 それを聞いて沙耶は少し傷ついたように口角を下げる。そんな顔をさせるのは本意ではないが、ここは納得してもらうしかない。
「沙耶、ここでこれ以上消耗するのはだめだ。沙耶が動けなくなったら次は誰かが沙耶を背負わなければならないんだから」
「それは、確かにそうだけど……」
 きっと沙耶も頭ではわかっているだろう。ただ、責任感が邪魔をしているだけに見える。
「お姉さん、ここは代わるよ。僕たちほとんどなんにもしてないしね。少しくらい役に立ちたいし」
「あ、あの!」
 今井が沙耶をなだめていると、不意に古谷が声を上げた。
「そ、それなら僕がやるよ。今井くんよりは背も高いし、何より僕も何かしたい」
 そういえば、こいつは今まで何もしていなかったな。いや、していないというと嘘にはなるが、特にこいつがいる意味はなかった。
「だ、そうだよ」
 今井がからかい混じりに沙耶を見る。沙耶は顔を赤くしつつ、むくれてそっぽを向いた。
「……あーはいはい、わかったわよ! 先に行くわ!」
 そうしてずんずんと進みだす沙耶を、今井はくすくすと笑っていた。
「それじゃ、よろしく頼む」
「う、うん、頑張るよ」
 そう答える古谷の顔には、どこか不安めいたものがあった。きっと何かしていないとそれに対抗できなかったのだろう。


 襲撃は執拗に続いた。蒲生と牧瀬が代わる代わる応戦していたが、残弾数はどんどん減っていく。
「おい、どうするよ。もうそろそろ俺の手持ちが三十発を切るぞ」
 二階エリア十一をエリア十六に向けて走っているところで、蒲生が耳打ちしてきた。
「足止め系の武器ももうねえ。こりゃまずいんじゃねえの」
「本来なら探索しつつ進みたいところなんだが、そういうわけにも行かないんだ。どうにか保たせられないか」
「そううまい話もないもんだ。もうそろそろそっちでも弾が切れた時のことを考えといてくれよ」
 そう言い残して、蒲生はまた最後尾につく。なんだかんだ、味方になれば頼りになる奴だ。
「どうしたの?」
 沙耶が近づいてくる。
「弾がなくなってきた。どうにかできないか?」
「……難しいわね。折口さんも流石に少しは消耗しているでしょうけど、圧倒的にこっちが不利よ。あっちは弾薬を調達する余裕があるけど、こっちはそうはいかないもの」
 沙耶は腕時計を見ようとしたが、それはすでに壊れている。やはり沙耶もかなり疲れてきているらしい。
「今、時間はどれくらい?」
「えっと、ゲーム開始から、十二時間だよ」
 古谷が答える。
「あと、三十六時間。まずいわね……」
 そこに、今井が加わった。
「いや、そうとも限らないよ」
「打開策があるの?」
 しかし、今井は首を振った。
「具体案は出せないね。でも、皆こっち側からしか事態を見れていないんだ。あっちの視点に立って考えてみなよ」
「あっちの視点?」
 古谷が首をかしげる。
「絶対的優位に立っていて、自分以外全員を吹き飛ばす爆弾を持っている。ゲーム開始時からかなり強力な武器を持っていて、弾薬も十分。身体能力だって他の誰よりも高い。切り捨て役とはいえ、自分に匹敵するくらい強い仲間もいる。負けるわけがないと思っていても不思議はない。でも、今はどう?」
 言いたいことはわかった。その後を俺が引き継ぐ。
「一つの爆弾は解体され、もう一つは相手が逃げている限り使えない。自分に匹敵するレベルの仲間は裏切り、身体能力が絶対の武器とは言えなくなった。そして、相手も銃器で武装している。攻めあぐねる状況が続いている。……つまり、そろそろあちらも焦ってくる頃だって言いたいのか」
 いいね。今井はにやりと笑った。
「それに、何よりも皆が忘れているのは、あっちには僕たちがどれだけの装備を持っているのかわからないってことなんだ。あれから三時間近く逃げ回っている。これだけ撃ち合っていれば、あっちだって残弾は相当減っているはずなんだ。お兄さんの話では、バックパックみたいなものも持ってなかったみたいだし、身につけられる弾薬の数にも限度があるでしょ」
「もうそろそろ弾薬の補充に走ってもおかしくないってことね」
 沙耶の言葉に今井は頷く。
「あっちだって疲れはするだろうし、そろそろ休戦の頃合なんじゃないかなって」
 その時、殿にいた牧瀬が声を上げた。
「来栖くん。――あっちが動くのをやめた」


 俺たちはそれを聞いて、一層先を急いだ。今のうちに少しでも距離を離そうとしたのだ。そうして、全員が限界になったあたりで小部屋に転がり込んだ。その時点で、ゲーム開始から十三時間十分が経過していた。
「えっと、ここってどこになるんですか……?」
 息を整えつつ桐生がつぶやくと、榎並が答えた。
「エリア二十三やな。来栖くんによれば、ここには来たことがないっちゅう話や」
「武器が二つほどあるみたいだよ。取りに行ってこようか」
 牧瀬が立ち上がる。
「あ、いや、それは」
 止めようとして、強烈な目眩に襲われた。くそ、こんな時に。
「大丈夫かい。君は休んでいた方が」
「だったら、あんたも休むべきだ。戦闘に次ぐ戦闘で、一番消耗しているのはあんただろう。あんたに倒れられたら運べる奴もいないし、折口に対抗できない。ここはきちんと休んでくれ」
「いや、しかしこの残弾数ではどのみち長くは持たないよ」
「だから、古谷に代わってもらってくれ」
 やることがないのは不安だろうし、こいつは元々不安に弱そうだ。心労なんかで倒れられたらこっちが困る。
「ぼ、僕かい?」
「ああ、お前に頼みたい」
 古谷はしばらく考えていたが、やがて意を決したように頷いた。
「そ、そうだね。行ってくるよ」
「それから、榎並。あんたも行ってこい。それと、ボディーガードで蒲生も」
「ボディガードってお前な」
 言いつつも、きっちり準備する蒲生。榎並は自分も行くのがわかっていたのか、諦め半分といった様子で頷いた。
「せやけど、戻ってきたらきちんと食べさせてや」
「わかってる」
 送り出した後、俺たちは食事を始めた。牧瀬には常にPDを確認してもらっているが、動き出す気配はないらしい。
「……寝たのかな?」
「でも、無防備すぎないかしら。こっちだってあっちの位置がわかるわけでしょ」
 津久田が乾パンを食べつつ言った。
「私たちが無抵抗の折口さんを襲う理由はないわ。拘束しても殺してしまってもゲームオーバーなんだから、自殺しに行くようなものよ。応戦するだけならともかく、奇襲を受けるとは考えないでしょう」
 沙耶が答える。その時、古谷たちが帰ってきた。
「収穫は?」
「アサルトライフルと手榴弾四つだな」
 蒲生がどっかりと腰を下ろしてスティックをかじる。
「これ、なんだけど」
 古谷が重そうに長銃を持ってくる。牧瀬はそれを受け取り、少し眺めてからつぶやいた。
「ええと、セミオートか。一度撃つと四、五発は出てしまうから、持久戦には向かないかな。手榴弾は朗報だけど」
「ええから、飯食わせんかい。腹減ったわ」
 榎並が乱入してきて、最終的に持ち運んでいた食料はほとんどなくなった。
「それで、これからどうしようか? もしもあっちが寝ているなら、こっちも仮眠を取るタイミングだけど」
 牧瀬が口を開いた。
「まあ、そうね。正直走り回ってばかりで眠たいわ」
 沙耶もあくびをしつつ賛同する。しかし、今井は渋い顔をした。
「寝ているって断言は良くないと思うよ。だって、その機能ってあくまでPDの位置がわかるだけなんでしょ? だったら、今だって動き回ってる可能性もある」
「しかし、そうなるとあちらもこっちの位置がわからないことになるぞ。そのアドバンテージを捨ててまでそんなことするか?」
 俺が疑問をぶつけても、今井は顔をしかめるばかりだ。
「奇襲としては効果的じゃない? だってこちらがPDの位置に頼って相手の位置を特定していることは、あっちにもわかってる。だったらしばらく動かないでいれば、こっちも体力温存のために止まることも想像がつく。上手くいけば寝始めるかもしれない。ヒットアンドアウェイでやる分にはかなり有効な戦術だと思うけどね」
 それに、と今井はさらに続ける。
「さっきも言ったように、あっちも焦ってると思うんだよね。そろそろこっちのペースを乱そうとしてくると思うんだ。っていうか、僕ならそうする。もし失敗しても、プレッシャーにはなるからやらない手はない」
「……それは、そうかも」
 沙耶が考え込む。それから顔を上げて、皆に告げた。
「寝るにしても、場所は移した方が良さそうね。二部屋くらい先に移りましょう」
 それに反対する者はいなかった。どこだって、寝床としては大して変わらなかったのだ。


仮眠を取る順番は沙耶と桐生、牧瀬、榎並が最初、残りがその後だ。時間は三十分程度。正直その程度しか時間が取れない。
「しっかし、三十分で疲れが取れるもんかね」
 蒲生が皮肉げに漏らす。
「僕なんか三日徹夜しても平気だけど」
 今井は胸を張って応える。
「それにしても、来栖くんは寝ないで本当に大丈夫なの?」
 津久田がまた心配してくる。なんだこいつ、ちょっと俺に構いすぎじゃないのか。
「俺が寝てる間に何かあったら取り返しがつかないからな。あまり予知も乱用できないし、そもそも頭と腕が痛くてまともに寝られない」
「そ、そう。無理はしないでね」
 ……もしかして、こいつ。いや、気のせいだ。そういうことにしておこう。
「しかし、動かないね。もしかして本当に寝てるんじゃ」
 古谷が牧瀬のPDを見ながら首をかしげる。
「つーか、もしそこのちっこいのの話が本当ならそんな機能意味ないんじゃねえの」
 そう言いつつ拳銃をいじる蒲生に、今井が応える。
「まあ、そうかもね。もしも本当だったら、だけど」
「しかし、部屋を変えたから来たらわかるんじゃないか」
 そこに古谷が口を出す。
「で、でも、今寝てる人たちを起こすのに時間がかかるんじゃないかな」
 それは、そうだ。それから準備をしていたら、到底間に合わない。あっちだってある程度移動するのは想定済みなはずだ。だとすれば、あの部屋に俺たちがいないのがわかったらここまで来るのではないか?
「部屋の外で見張るか」
 蒲生が立ち上がる。今井がそれを引き止めた。
「どっちから来るかわからないよ」
「だったらお前も来い。両方見張りゃあ効率いいだろ」
「僕にあの人の相手できるとは思えないけどなあ」
そう言いつつも今井はクロスボウと拳銃を持って立ち上がった。
「じゃあ、行ってくるから。お兄さん達はちょっと休んでなよ」
 俺も行く、と言って立とうとしたが、足に力が入らずもたついた。その様子を見て、今井は笑う。
「ほら、だから休んでなって」
 こんな調子では足でまといか。それもそうだ。
「異常があったらすぐ飛んでこい」
 頷いて今井と蒲生が出ていくのを、俺は若干の悔しさを覚えながら見送った。


「来たよ!」
 今井が飛び込んできたのは、それから十分後のことだった。若干飛びそうになっていた意識を取り戻す。
「今、あのヤクザが戦ってる。でも、あんまり長くは持たないと思う」
「逃げよう。手分けして全員を起こすんだ」
「了解!」
 ウトウトしていた津久田と古谷を起こし、そのまま全員を叩き起こす。
「んん? もう、時間?」
 沙耶は寝ぼけ眼をこすっている。本当ならもっと寝かせておきたいところだが、そういうわけにも行かない。
「あと五分はあったはずだが、緊急だ。折口が攻めてきた」
 その言葉で、沙耶は一気に眠気が醒めたようだった。
「……まさか、PDを置いてきたの?」
「そうらしい。すぐに荷物をまとめて出発しよう」
「わかった。荷物は任せて」
 辺りを見回すと、皆大体事情を聞いたらしかった。それを確認して全員に声をかける。
「行くぞ。蒲生と牧瀬を殿に、榎並は先頭。荷物は今井が持ってくれ」


 折口はヒットアンドアウェイの戦略を取らず、そのまま追ってきていた。どうやらこのチャンスを逃したくないらしい。今井の言う通り、奴も焦ってきているようだった。
 沙耶に支えられながら、俺は走る。だんだんと足取りが重くなる。血の足りない頭の奥底で、これは好機だと叫ぶ声がした。好機? この追われ続ける状況が?
「……いや、確かに、これは好機だ」
 ぼそり、こぼした言葉を沙耶は聞き逃さなかった。
「確かに、好機かも」
 沙耶の方を見ると、沙耶も俺の方を見ていた。そして、どちらからともなくくすりと笑った。こんな、状況なのに。どうやら俺たちはもう感覚が麻痺しているらしい。
「沙耶、頼む」
 その一言だけで、沙耶は俺のして欲しいことを察したらしい。沙耶は俺を支えるのを今井に代わってもらい、走りながら皆に声をかけた。
「ねえ、ちょっと、話を聞いて」
「な、何よ。走るだけで、精一杯なのに」
 津久田がひいひい言いながら応える。
「聞いてくれる、だけでいいわ。これから、陽動作戦をしようと思うの。今ならあちらは、PDを持ってない。だから、ここから何人か、抜けてもバレないと思うの」
「それで、陽動して、どうするのさ」
 古谷がこれまた喘ぎながら尋ねる。
「その間に、あっちのPDを奪うのよ。牧瀬さんのPDがあれば、あっちのPDの場所はわかる。あっちがこちらの位置がわかるのは、あくまで特殊機能のせいよ。PDを奪ってしまえば、こっちのものよ。一度振り切ればもう追ってこられないもの。この広いフィールドで、もう二度と会うことはないでしょうね」
「で、でも、牧瀬さんが抜けたら困るんじゃ」
 そんなことを言う古谷の手を取って、沙耶は告げる。
「だから、あなたが行くの」
「……え? ぼ、僕?」
「ええ、あなたが別働隊の隊長よ。まだ牧瀬さんのPD、持ってるんでしょ?」
「え、あ、うん」
 古谷はポケットに入っているそれに確かめるように触れた。
「じゃあ、僕はそれに同行しようかな。連絡要因が必要だろうし」
 今井が反応する。津久田も息を切らしつつ振り向いた。
「え、私もそっち?」
「まあ、そうなるよね。それともこのままずっと追われ続けたい?」
「冗談言わないで!」
 確か、あいつが動きを止めたのはエリア十一だったはずだ。エリア十九周辺はかなり歩き回ったから、こっちは榎並がいなくてもなんとかなる。
「榎並もそっちに行ってくれ。エリア十九まで出れば罠にかかることもない」
「せ、せやな。わし、そろそろしんどいわ」
 ひたすらその膨れた腹を揺すりながら、榎並も答えた。
「わ、私は……」
「桐生さんも、向こうについて行ってくれる? こっちにそれほど人数は、いらないわ」
「は、はい」
「んで? お姉さんはどうすんの」
 今井が聞くと、沙耶は毅然として答えた。
「私は、こっちに残るわ。彰一を支える人が必要だもの」
 まーそうだろうね。今井は意地の悪い笑みを沙耶に投げかけた。いいから代わって、と沙耶はそれを無視して強引に俺の腕を奪う。
「そういうわけだから! 頼んだわよ!」
 その言葉を合図に、俺たちは足を止めた。他の皆はそのまま走り続けていく。後ろから追いついてきた蒲生が叫ぶ。
「お、おい! なんで止まってんだよ!」
「蒲生さん、ここは一旦止まって応戦しましょう。……足止めが必要よ」
 その言葉で、蒲生は何か察したようだった。
「お前ら、また何か企んでやがんな? ……まあ、いいけどよ。弾なくなっても知らねえぞ!」
 最後に牧瀬が追いついてくる。
「あれ、皆は」
「先に行ってもらってます。ひとまずここで折口さんを食い止めましょう」
「牧瀬。こいつらまた何か企んでやがる。ひとまず指示に従っとこうぜ」
 すると、牧瀬は諦めたような笑みを浮かべた。
「……本当に、お手柔らかに頼むよ」
 さて、ここからは本当に最後の勝負になるだろう。出し惜しみをしている時じゃない。俺は、疑似体験の世界に飛び込んだ。



「ひとまず、君の言いたいことはわかった。……一つだけ聞かせてくれ。君は正気かい?」
 牧瀬が呆れたようにため息をついた。
「まあ、信じてくれなくてもいいがな。その場合は、結局全員が死ぬだけさ」
 がんがんと鳴り続ける頭を押さえつつ答える。
「別に、信じないとは言ってないけどね。つまり、『見てきた』んだろう? それで、その方法ならうまくいくのかい」
「それはお前次第だな。とにかく奴はこっちの想像以上に焦っているらしい。その突撃をやり過ごせなければ、勝ち目はない」
「責任重大だね、全く」
 少し声が震えている牧瀬を、沙耶が励ます。
「彰一がなんとか出来るって言ってるの。きっと大丈夫よ」
「僕は君ほど盲信できないんだよ」
 その時、折口と交戦している蒲生が声を上げた。
「何くっちゃべってんだお前ら! ちったあ手伝え!」
「蒲生さん、もうすぐ彼女、突っ込んでくるわ」
「あ? なんだそりゃ、自殺志願か」
「いえ、彰一が言うには、全弾かわしてここまで来るそうよ」
「おいおい、こんな時に冗談言ってる場合じゃねえぞ」
「多分、冗談じゃない。実際僕だって一、二発ならかわせるよ。当てる気のある銃弾は、弾道がある程度予想できるんだ。だから重心をぶらして動けば当たることはない。……まあ、あくまで理論上だけど」
 牧瀬はそう言って舌を巻く。やはり、戦闘技能としては牧瀬は折口に一歩及ばないらしい。
「俺がフォローする。見てきているんだ」
 俺の言葉に、蒲生は怪訝そうに眉をひそめた。
「まあ、それならいいんだけどよ。大丈夫か、お前。今にも死にそうな顔してるぞ」
 当たり前だ、何度死んだと思ってるんだ。
「もう、何度も繰り返した。能力も打ち止めだ。これが最後の戦いになる。蒲生はいつでも撃てるように準備してくれ。突撃を防いでいるうちに、あっちも終わるはずだ」
 ゲーム開始から十五時間になろうとしていた。最短ルートで動けばもうそろそろでエリア十一に着く頃だ。
「わかったよ。……って、本当にすぐなのな。おいでなすったぜ」
 蒲生は言うなり、アサルトライフルを撃ち込んだ。しかし、一回では終わらない。蒲生は何度も何度も発砲するが、一向に止まる気配がない。
「お、おいおいマジかよ」
「蒲生さんそこまでで。――僕の出番だ」
 牧瀬はそう言うと角を出て、重心をぶらして近づき続ける折口の前に立ちはだかった。俺はその一部始終を見なければならない。蒲生の後ろからその光景を見ていた。
「……へえ、出てくるのか。意外だな、腰抜けども」
 折口は口笛を一つ吹いて、構えもせずにせせら笑っている。しかし、どこにも隙がない。動いたら、その前に撃たれる。そんな威圧感があった。
「そろそろ逃げるのにも飽きたんでね」
 そう言いつつ、牧瀬も力を抜いてすぐに動けるようにしている。できる限り会話で時間を稼ぐように言ってあるが、その会話の間に撃ってくることは十分に考えられるからだ。
「馬鹿言うなよ。お前ら、俺を拘束できないんだろ? 俺が助けを求めたらゲーム終了だから。それでずっと逃げ回ってるんだ。それがどういう風の吹き回しだ?」
「これ以上君を先に進ませるわけには行かないんだ。向こうには皆がいる」
「……なるほど、誰かが足でもくじいたのか。それで、お前以外じゃ勝負にもならないからお前が足止めに出てきたと。でも残念だなあ。てめえじゃ足止めにもならないってのに」
「そうかもしれないね」
 そこで、ふと思い出したように折口は聞いた。
「ああ、そうだ。一応確認しておかないとなあ。お前らのここまでの動きは本当に素晴らしかったぜ。特に俺の腕時計を強制的に作動させたところなんかはな。あんな動き、ルールを隅々まで知っていないと無理だ。……誰の指示だ?」
「ああ、きっと君が思っている人間とは違うよ。自分が予知能力者だと思っているただの気違いだ。でもね、その気違いの指示のおかげで僕たちはまだ生きている」
「へえ、そりゃすげえ詐欺師だな」
「詐欺かどうかは君がよく知っているところだろうけどね」
 それから、しばらく沈黙が漂った。それはどこか緊張感の伴った、一触即発の沈黙だった。
「それじゃ、お別れだな。まあ、せっかくだ。楽しく遊ぼうぜ? 俺ときちんと戦えるのはお前くらいだろうからな」
「光栄だけどね、死ぬのはまっぴらゴメンだ」
「右へ!」
 タイミングを図って、俺は叫んだ。その通りに牧瀬が避けると、一瞬前に牧瀬の頭があったところを銃弾が走った。避けつつ撃った牧瀬の弾は、折口にひらりとかわされて空を切った。
「左、それから下!」
 俺の言う通りに牧瀬は動き、その度に銃弾を紙一重でかわしていく。十数発撃ったあたりで、折口は撃つのをやめた。
「……ふうん。どうやら本当に気違いがいるみたいだな。なるほど、基礎体力の戦いになったらこっちが不利かもな。だが、俺が動かなくてもお前は俺を撃てないだろう?」
 折口は挑発するように銃身を上に向けた。
「これ以上先に行かせたら皆が死ぬんだ。こっちだって撃つしかないさ」
 牧瀬が言い返すが、やや苦しい。
「でも、できることなら動かないで欲しいって思ってるだろ。欲を言えばこのまま形勢的に不利であると悟って撤退して欲しいって思ってるだろ」
 折口はニタニタして質問を重ねてくる。そう、その通りだ。
「残念でしたあ。せっかくのチャンスだ。お前ら皆殺しにしてやるよ。そのために、まずはお前からだ」
 そう言うや否や、折口は両方の銃を牧瀬に向けた。そう、それが一番厄介な攻撃だ。それをかわすためには、一つしかない。
「前転!」
「は?」
 間抜けな声を出しつつも前に飛び込む牧瀬。それを見て、折口は舌打ちをして銃口を外し、転がってくる牧瀬に前蹴りをした。蹴飛ばされた牧瀬はしかし、宙返りのような動きで即座に復帰した。銃弾が牧瀬の頭の少しだけ横を走っていった。撃ち返した弾丸は、やはりあちらには当たらない。
 折口は二つの銃弾で横の動きを封じた上で、胴に向けて銃撃をするつもりだった。下がっても当たるし、ただしゃがむだけでは頭に当たってしまう。斜め下に動いたらほとんどそれ以上の動きができなくなってそのまま撃たれてしまう。あちらの瞬発力はそれほどまでに異常だ。しかし前転なら、いきなり変わった挙動に照準を合わせることができない。
「はー、本当にふざけた奴だな。今のをかわしてくるなんて。単純な予測であそこまではできない。おい、そこのインチキ野郎。名前は」
 思えば、折口が名前を聞いたのはこれが初めてだったかもしれない。俺は少し迷ってから、答えた。
「来栖。来栖、彰一だ」
「クルス、ねえ。なるほど、お前があのジジイの切り札ってわけか」
 折口は何やら一人で納得した。それから、だんだんとこみ上げてくる笑いを堪えきれなくなったようだ。
「あはははは、こりゃあいいや。傑作だ。あのジジイ、進退窮まってついにオカルトにまで手を出したか!」
 ひとしきり笑ったあと、ふう、と折口は息を吐いた。
「……ふざけやがって。殺してやる。あのジジイの希望を、打ち砕いてやるよ」
 言うが早いか、折口は走り出した。
「てめえの銃弾なんか当たるもんかよ!」
 そう、銃は当たらない。だから。
「回し蹴り!」
 言われるがまま、牧瀬は右足で回し蹴りを放った。それを両手で受け、折口は数歩下がる。
「あんたが弾を避けられるのは、それが点の攻撃だからだ。あんたが銃を撃ってこないなら、格闘で十分勝負になる。銃を撃ってくるのなら、かわし合いで進むのは難しいだろう?」
「クルス、てめえ……」
「殺さず拘束しないで、お前の動きを止める方法は、実はまだある。お前が銃を持っているから選択肢に上がらなかっただけで、お前を気絶させるという方法はあったんだ。俺たちがお前に手出しできないと思ってるなら大間違いだ」
 そう言い切ると、折口の表情からだんだんと余裕がなくなり始めたのがわかった。それは、ある意味で勝ちに近づいている証でもあり、またある意味では危険の兆候でもあった。手負いの獣ほど恐ろしいものはない。
「許さねえ、許さねえぞ」
 折口は拳銃の弾倉を交換して、ふっと息を吐ききった。これは、やばい。俺は牧瀬に叫んだ。
「撤退!」
 すかさず牧瀬が角に戻る。その角がいくつもの銃弾でえぐれた。蒲生が慌てて手榴弾を投げる。
「逃げるぞ!」
 走りながら、牧瀬はひたすら後ろに向けて銃を撃っていた。角を回ったところで、発射音のないまま壁に銃痕がいくつもできた。
「走れ、走れ!」
 あちらの武器はその瞬発力だ。牧瀬だって俺の指示なしでは全く敵わないほどの。しかし、逆に言えばその動きがずっと続くわけではない。ここを逃げ切れば、あちらも近接戦をやるだけの動きができなくなるはずなのだ。そうなれば、じりじりと後退して時間を稼ぐことができる。
 二つ目の角を曲がった時、後頭部を何か風が通り抜けた。冷や汗をかいている暇すらない。とにかく走らなければ。
 五つ目の角を過ぎたところで、ようやくあちらのスタミナも切れたらしかった。再び塹壕戦のような形になった。俺が予知したのは、ここまでだ。
「……ようやく、疲れたらしいよ」
 牧瀬が呆れたように笑う。その声がどこか震えている。息も切れているようだ。あんな近接での銃撃戦はかなり堪えたらしい。
「まったく、化けもんだな、あの女」
 蒲生も応戦しつつ息を整えている。
「こっちにも化けもんがいなきゃどうしようもなかったな」
「彰一をそんな風に呼ばないで」
「あーはいはいわかったよ、嬢ちゃん」
 しかし、どうして奴はあそこまで激怒したんだろうか。俺はあいつを追い詰めてはいたかもしれない。しかし、奴を挑発するような真似はしていないはずだ。
「でもね、あの人も化け物なんかじゃなくて、本当は普通の人間なんじゃないかなって思う。ちょっと、共感できたから」
「共感?」
 聞くと、沙耶は少し俺を睨みつつ答えた。
「なんていうか、女扱い。男の体力には敵わないだろ、みたいなこと言ったでしょ」
「言った、かもしれないが」
「そういうの、女の子はすごく嫌よ。事実としてはそうなんだけど、少し視点を変えれば女性蔑視の最たるものだし」
「以後気をつけるよ」
「そうしてください」
 その時、俺のPDが電子音を鳴らした。それを聞いて、全員の顔が明るくなる。状況が俺たちの勝ちに大きく傾いた瞬間だった。
「成功……なのか」
「そう、みたいね」
「よし、あとは、彼女を振り切るだけだ」
「振り切るったって、なあ」
 蒲生が肩をすくめる。
「ここ、かなり音が響くぜ。一人が慎重に歩くならともかく、団体さんが走り回ってたら、いくらなんだって振り切れねえよ」
「それについては、いい考えがあるんだ」
 ぐらんぐらんと平衡感覚がなくなってきたが、あと少しだ。俺は歯を食いしばって耐えた。
「とりあえず、このまま後退しよう。きちんと道を選べば、自動的に奴を振り切ることはできるはずだ」


 エリア十九から十八に、それから十三にと、俺たちは徐々に撤退していった。もう拳銃の弾丸は尽き、アサルトライフルもそれほど残弾に余裕はない。正しくぎりぎりの状況だ。
 エリア十三からエリア十四に向かう最後の通路の角で、牧瀬は俺たちに言った。
「君たちは行ってくれ。僕だけなら最悪弾を避けることもできる。それに、足なら多分この中で一番速い」
「で、でも」
 沙耶が後ろめたそうに口を開いたが、それを俺は制した。
「沙耶、何も牧瀬は自分が犠牲になろうとかいうつもりはない。合理的な判断だ。俺たちは、足でまといになる」
「……そう、ね。わかってるの、頭では」
 沙耶の考えていることはわかる。もしもここで何かあったら、悔やんでも悔やみきれないと。
「とにかく、今は行くべきだ。この通路は長い。俺たちの足じゃすぐに追いつかれるぞ」
「……わかったわ。でも、絶対に追いついてきてね」
 そう言って、沙耶は俺と一緒に走り出した。あとから蒲生もついてくる。そうして、例のディスプレイが姿を現した。
「あそこまで走れ。そうしたら、すぐに牧瀬も撤退してくる。あとは、単純に牧瀬のことを信じるしかない」
 信じる、という言葉があまりにも自分に似つかわしくないことに気がついて、少しだけおかしかった。どうも、そんな柄にもない言葉を使わなければならない状況になってしまったらしい。
 ディスプレイの手前のあたりまで行くと、ブザーが鳴り出した。それを聞いて、牧瀬がこちらに走り出したのが見えた。
「おいおい二人とも、伏せた方がいいんじゃねえか」
 蒲生の言葉に従って、頭をかばうようにして伏せる。これで狙撃や流れ弾を受ける可能性はかなり低くなるはずだ。どん、と手榴弾が爆発する音がした。あれが最後の手榴弾だ。これ以上折口を足止めすることはできない。
 牧瀬が半分ほど来たあたりで、角から折口が姿を現した。狙撃銃を構えている。それをいち早く見た沙耶が叫ぶ。
「牧瀬さん!」
 それを聞いて、牧瀬は走り方を変えた。折口ほどではないが、重心をぶらしてひたすら前へと進んでいる。その髪がはらりと散ったかと思うと、俺たちの背後の壁に穴があいた。
 隔壁は腰ほどまで降りてきていた。もう、時間がない。俺は思わず立ち上がって叫んだ。
「早く来い! 俺たちの戦いを、無駄にするんじゃない!」
「わかってるよ!」
 聞こえた瞬間、滑り込むようにして牧瀬が隔壁をくぐってきた。直後、シャッターに何かが当たる音がした。しかし、折口の追撃は俺たちに届くことはなく、ついに隔壁は鈍い音を立てて閉まった。例の電子音声が響き渡る。
 これで、終わりだ。折口はきっと、二枚もチップを持ってはいないだろう。そもそも自分が戦闘禁止エリアに行く必要はないし、逃走先の参考にする必要もない。もちろん、かかったら即死亡の罠というわけでもないだろうから、エリア十三の中に解除方法があるはずだ。少なくとも、沙耶は空調に入ることはできた。なら、折口も可能なはずだ。
「よし、これで――」
「まだ終わりじゃねえ!」
 空調を通じて、折口の声が響いてきた。
「おい、ジジイ! 見てんだろ! 身動き取れなくなったぞ、ほら、俺を『助けろ』!」
「まさか」
 沙耶の顔が青ざめる。まさか、これも拘束に当たるのか。奴が勝手に罠にかかっただけ、という処理にはならないのか。慌ててPDを取り出す。
「おら、どうした! 『助けろ』って言ってんだよ、早くしろ!」
 しかし、いつになっても「強制終了」の文字は出てこなかった。
「くそ、くそったれ、どいつもこいつも、俺の邪魔ばかりしやがって!」
 喚き散らす、その声がだんだんと遠くなる。そうして、完全に聞こえなくなった。その頃には、電子音声も止んでいた。
「勝った、のか」
 牧瀬が呆然とつぶやいた。
「そう、みたいね」
 沙耶もまた、呆然と答える。
「……実はまだ終わりじゃねえ、とか言わねえだろうな」
 蒲生も、実感がまるでなさそうにつぶやく。
「……いや、これで、終わり、だろ」
 ぐらり、と視界が傾いた。踏ん張ろうとするが、足も動かない。ゆっくり、ゆっくりと世界が横になり、地面が近づいてくる。
 どうやら、限界らしい。いや、とっくに限界は超えていたのかもしれない。緊張の糸が切れて、それを自覚しただけなのかもしれない。
 ああ、くそ。ここまで来て。せめて、もう少し、ゲームが、終わるまで。しかし、そんな思いも言葉にならないまま、俺は自分が倒れた音を随分と遠くに聞いていた。



























FINALE


 すすり泣くような声が聞こえる。これは現実なのか、それとも疑似体験なのか、そもそもただの夢なのか。現実と非現実の境界すら曖昧になる。
 そう、これは疑似体験でしかなく、実はまだ俺はずっと前に戻ることができて、手を伸ばせば、きっと沙耶が――
「……ない」
 手を、伸ばした、その手首から先がなかった。ああ、そうだ。これは牧瀬に吹っ飛ばされたもので……。
 寝ぼけている意識を、全身の痛みが呼び覚ました。頭が痛い。目の奥が痛い。右手が痛い。体全体が、痛い。
「……生きてる、のか」
 痛みで、俺はようやく自分が生きていることを認識した。ふと横を見ると、沙耶が口を半開きにして驚いている。その口が、だんだんと開いていく。
「彰一!」
 叫ぶなり、沙耶は俺に抱きついてきた。みしり、と体中が軋む。ぐあ、と情けない声が出た。それにも構わず、沙耶は力いっぱい俺に抱きついて大泣きしている。
「ちょ、ちょっと、沙耶」
「ホント、ホントに、馬鹿なんだから……」
「お、ようやくお目覚めかよ、羨ましいこったな」
 蒲生が呆れたような表情で歩み寄ってきた。それに気づいて今井も歩いてくる。
「感謝してよ。古谷さんと二人でここまで運んであげたんだから。お兄さん意外とガタイいいよね、もうへとへとだよ」
「……そうだ! おい、ここはどこだ! あの後どうなった!」
「君が倒れた後、誰も君を背負う体力が残っていなくてね。途方に暮れていたところを、彼らが迎えに来てくれたんだ」
 牧瀬が座ったまま答えた。体を起こして見ると、体中に包帯が巻かれている。
「おい、大丈夫か」
「君ほど重傷じゃないよ。細かい切り傷とかかすり傷とかがいっぱいでね、絆創膏が足らないっていうことで全部包帯で済まされただけさ」
「何よ、妙に不満そうね?」
 津久田が睨むと、牧瀬は、はははとごまかすように笑った。
「で、ここがどこか、だけどね。ここは三階のエリア二だよ。折口さんから離れるためには、階を変えるのが一番だと思ってね。奪い取ったPDによると、折口さんはまだ二階をウロウロしているはずだよ」
 なるほど、と相槌を打ちつつ部屋の中を見回すと、どうも榎並と古谷の姿が見えない。
「二人は?」
「ああ、オヤジと古谷か? あいつらは食料を取りに行ってるぜ。罠にさえかからなきゃもう安全だしなあ。あいつらでもまあ問題ないだろうってことで」
 答える蒲生の後ろから、おどおどと桐生が顔を出す。
「あ、あの……大丈夫、ですか?」
 その様子に、どこか拍子抜けした自分がいた。終わったんだという実感がこみ上げてきて、安心すると同時に眠くなってきた。
「彰一」
 落ち着いたらしい沙耶が、俺の顔を覗き込んでくる。
「沙耶、怪我してないか」
「大丈夫。……ちょっと擦り傷はあるけど、そんな程度」
「いろいろ、無理させちゃったな」
「今まで彰一がしてた分よ。大したもんじゃないわ」
「たくさん、頼っちまった。気づけば、俺が守られてた。まだまだだな」
「少しくらい私にも守らせなさい」
 そうして、しばらく俺たちは黙った。空気を読んでか、皆何も言わなかった。
「終わった、のね」
「そうだな」
「無理しちゃって」
「無理しなきゃいけない状況だったんだよ」
「いっつも無理してるのに」
「そういうの、わかるもんか」
「わかるわよ。今までずっと、彰一だけ見てきたんだから」
 その言葉は、きっと勢いで出てきたものだったのだろう。沙耶は一気に顔を赤くして、はにかんだ。
「……すまん、ちょっと、眠い」
 ごまかすために言った言葉だったが、口に出してみると本当に眠くなってきた。どうやら疲労の限界まで来ていたらしい。
「わかった。お休み、彰一」
 沙耶の心地よい声に導かれて、俺は再び眠りに落ちていった。


 意識が戻った時最初に思ったのは、随分硬いベッドだな、ということだった。頭が持ち上がっていたので、多分枕があるんだろう、ということはベッドだ。しかし、どうも枕の柔らかさに対してベッドが硬すぎるな。そんなことを、寝ぼけた頭で考えていた。
「彰一、起きた?」
 沙耶の顔が目の前にあった。つまり、真上、か。……ん、ちょっと近すぎないか?
「って、うわっ! さ、沙耶!」
 飛び退くようにしてそこから起き上がる。沙耶は少し不満そうに口を尖らせた。
「な、何よ。せっかくやってあげたのに、傷つくわね」
 さっきまで俺の頭が乗っていた太腿を揉んでいる沙耶。一体どれくらいそうしていたのだろうか。
「あー、痺れちゃった。どうしてくれるのよ」
「いや、だってそれは沙耶が」
「知らない!」
その時、扉の方からからかうような声が聞こえた。
「あー、ちょっと、取り込み中申し訳ないんだが」
 にやにやと下品な笑みを浮かべながら蒲生が立っていた。沙耶はそれを見るなり、蒲生を押しのけるようにして部屋を出ていった。
「おいおい、お前らここで何してたんだ、ええ?」
「別に、大したことじゃない」
「嬢ちゃんはそう思ってないみてえだけどな」
 呆れ半分にそう言って、それから蒲生は真顔になった。
「実は、ずっとお前に相談したかったんだ。なかなかタイミングがつかめなくてな」
 相談? 俺は首をかしげた。どうにも蒲生には似合わない言葉だ。
「もう戦いはねえだろ? 武器は捨てちまった方がいいんじゃねえかって」
「ん、まあ、そうなんだが。しかしもし万が一追いつかれたら大変だ。備えはあった方がいい」
「しかしだな、武器は争いを激化する。俺たちの内部でいざこざが起こった時、武器がなければそれだけで済んだものが、武器があるとそれだけじゃ済まねえことにもなりうる。俺が言ってるのも、要するに備えあれば憂いなしってことだ」
 食い下がる蒲生に、俺はそこはかとない違和感を覚えた。こいつはこんなに用心深い奴だったか? こいつはもっとこう、計算高いが自分以外のことには無関心な、無責任な奴ではなかっただろうか。
「……もしかして、裏切りを恐れているのか」
 この期に及んで、という言葉はつけ加えないでおいた。蒲生はしばらく迷って、それから頷いた。
「大丈夫だよ。なぜってメリットのある奴がいない。それにもしも諍いが発生しても、牧瀬なら簡単に沈められるだろう。それに、牧瀬が今更裏切る理由もない」
「それでも、武器は捨てるべきだろうよ。こんなもん持ってても糞の役にも立たねえ」
「皆を信用していないのか」
「ああ、してないね」
 蒲生は即答した。
「味方とかいう奴も、いつ裏切るかわかったもんじゃねえ。だからいつだって予防線を引いてきた。効果があるなしの話じゃねえんだよ。俺の精神衛生上の話だ」
「この世界には、敵しかいない、か」
 つぶやくと、蒲生は目を丸くした。
「なんで知ってる」
 ああ、そうか。言っていたのはこの蒲生ではなかったか。あれは何回目だったか。
「前回、お前自身が言ってた」
 すると、蒲生は気分悪そうに鼻を鳴らした。
「心ん中見透かされてるみてえだな」
「あの言葉は、要するにそういうことか?」
「まあ、な」
「味方は一人もいなかったのか?」
「いたから、何だよ。人をすぐに信用するような奴は、俺が住む世界では真っ先に死ぬ。その道連れを食うのはごめんだ」
 そこで言葉を切って、蒲生は俺を睨みつけた。
「言っておくがな。人の過去を詮索したところで、その人間を理解できると思うな。俺だってな、仕方ないことばかりじゃなかった。ある程度は自分で選んで、ここに立ってんだよ。責任だの何だのには興味はねえが、その自負くらいはある。お前が今やろうとしているのは、俺や――自分に対する侮辱だ」
 その言葉は、痛いほど胸に刺さった。
「……すまない」
「別に。俺だってお前には助けられたしな。とにかく、俺の意見はこうだ。今までだってお前が仕切ってきたんだ、最後までやり通せよ」
 それだけ言って、蒲生は部屋を出ていった。ひとり残された俺は、追いかけるべきかどうか悩んで、結局動かずに寝ていることにした。あいつにだって、踏み込まれたくないことはあるに違いない。
「ねえねえ、今あのチンピラがものすごい顔で出てきたんだけど。喧嘩でもしたの」
 言いながら部屋に入ってきたのは今井だった。全く、千客万来だな。俺は横になりかけたベッドに腰掛ける。
「大した話じゃない。しかしお前ら、どんだけ暇なんだ。入れ替わり立ち替わり入ってきやがって」
「そりゃ暇だよ。これまで大分ハードだったから、皆だらけモードだよ。テレビもパソコンもないからゲームもできないし」
 口の減らない奴だ。しかし、こいつの軽口を聞くと妙に落ち着く。きっと基本的に平常運転だからだろう。
「それよりお兄さん、お腹減ってない? そう思ってカレー持ってきたんだけど」
 言われて初めて、腹が減っていることに気がついた。きっとずっと空腹だったのだろう。そのせいで自分が空腹なことすら忘れてしまっていたのだ。
「もらおう。ただ、できれば片手で食えるようにしてくれると助かる」
「りょーかい」
 今井は器用な手つきでカレーのパックを開け始める。
「しかし、不便そうだねえ。片手って」
「慣れればそんなでもないんだろうけどな。まだ腕の先に手があるような感覚がある」
「本当なら、あのお姉さんにあーんとかしてもらいたいところでしょ」
「……どうしてそう思うんだ」
「いやだって、明らかにラブラブだし。きっとあのお姉さんが行くんだろうなーと思ってたから、僕が頼まれたのは意外だったな。もしかして、何かしたの?」
 別に、と返すと、今井はくすくすとからかい混じりに笑って、しかしそれ以上は触れなかった。
「はい、膝に置いて食べなよ」
 容器とスプーンを順番に受け取って、食べ始める。それが喉を通る感覚が新鮮だった。思えば最後の食事から十時間近く経っている上に、あれだけ走り回ったのだ。腹が減っていて当然だった。
「なんかさ、僕何にもしてないみたい」
「そんなことはないだろう。お前の機転に救われたことは何度もあった」
「あんなの、絶対お兄さんたちでも思いついたし。っていうか、本当は僕の言ったこと全部気づいてたんじゃないの」
「いや、そんなことは」
 否定しようとしたが、それを遮って今井は言葉を投げ続ける。
「大体、お兄さんもあのお姉さんも二人して秘密主義すぎるんだよ。大事なことは全部自分たちだけで抱え込んでさ。ついていく人たちの身にもなって欲しいよ」
 その言葉に、ふと何度目かの今井の台詞が重なった。
「気づかないくらいなら、気づいておいた方がいい、か」
「……それ、前の僕が言ったわけ?」
 気分悪そうに今井は眉をひそめた。しまった、こういうのはあまり気持ちのいいものではなかったか。
「まあ、いいけどね。もしかして、それ以上のことも言ったの」
「いいや、それだけだが」
 ふうん。今井は不機嫌そうな顔のままそれだけ言うと、俺の横に座った。
「気づかなけりゃ、それに対する心構えも、適切な対処もできないんだ。傷つけないように、なんて考えていたらいつの間にか大切なものをなくしてしまうよ」
 その言葉は、どこか実感を伴って聞こえた。
「好きな人が、いつの間にか壊れていた時の後悔を知らないだろ。誰にも知らせないでいる苦しみくらいは知ってるだろ。気づいてたら、きっと助かってた。知らせていたら、もっと救われてた。そんなことばっかりだ。秘密主義は損をする。自分も周りも損をするよ」
「お前」
 聞こうとしたことが、喉の奥で止まって、緩やかにため息になって流れていった。過去を知ったくらいで、その人のことはわからない。なら、踏み込むだけ無粋というものだ。
 しばらく、沈黙が訪れた。今井は俺の顔をじっと眺めていたが、やがて耐えられなくなったのか目を背けた。
「お兄さん、まだ何か隠してるでしょ。最終的な判断は任せるけど、僕はそういうの嫌いだから」
 捨て台詞のように投げかけられた言葉は、しかしきちんと的を射ている。全く、こいつの洞察力には恐れ入る。
「せっかく時間もあるんだしさ。もしあれだったら話しちゃってよ。気づかないよりは気づいておいた方が絶対いいよ」
 ああ、そうかもな。答えると、今井は頑固だなあとため息をついて部屋を出ていった。本心だったのだが、どうも俺の言葉は字面通りには受け取られない。
 言っておくか。せっかくの平穏に水を差すこともあるまいと思っていたが、考えればそういう問題でもない。全てが決まっていても、その運命を知らなければ自由なのと同じだ、なんて詭弁には自分自身納得出来ていないところだ。自分の運命くらい、知っておいて損はない。
 俺はベッドから立ち上がった。


「皆に聞いておいて欲しいことがある」
 皆が集まっている部屋に戻って、俺は言った。
「彰一、無理はしない方が」
 沙耶が心配そうに駆け寄ってきたが、俺は首を振って制した。
「なんだ、そんな改まって」
 蒲生が退屈そうに反応した。
「これからのことだ。俺たちはこのままいけば生き残るだろう。でも、ここを生き残ってもきっとそれほど長くは生きられない。それを知っておいた方がいいと思って」
「な、なんやそれ。どういうことや」
 榎並が食いついた。俺は諭すように説明した。
「推測でしかないんだが。沙耶が最初に死んだのは小学二年の頃だ。それから、次に死んだのが中学一年。それからは不定期に沙耶は何度も殺されている」
 それを聞いて、沙耶は少し苦い顔をした。それに頷いてから、俺は続きを言った。
「そもそも俺は沙耶以外を救ったことはない。だから仮説でしかないんだが――この予知能力で人の死を完全には回避できない。一度救ったら、数年後にもう一度命の危機に遭う。それも回避したら、今度は不定期に何度だって、運命ってやつは死に損なった奴を殺しに来る」
 そこで、俺は一つ息を吸って、吐いた。これ以降は、皆の死刑宣告になる。
「それで、その度に皆を助けることは、俺にはできない。皆はきっと数年後に全員死ぬことになるだろう。そして、それはもう変わることはない」
 言い切ると、部屋の中はしばらく静寂に包まれた。それを壊したのは、蒲生の笑い声だった。
「おめえな、俺がどんな生活してるか知ってんのか? 明日生きてるかもわかんねえ生活だ。それが数年先まで生きられるって言われて、悲観するわきゃねえだろうが。むしろこれで心おきなく暴れられるってもんだぜ」
 その言葉に勇気づけられたのか、榎並も少しひきつった笑みを浮かべる。
「せ、せやな。わしかてもう還暦間近やし、この体型やしな。そんでまだ数年生きられるっちゅうんは、むしろ朗報かもしれんな」
 それに今井が続く。
「まあ、それにお兄さんが助けてくれなかったら僕たち皆ここで死んでたわけだし。それに比べりゃずっとマシじゃない?」
「それは、確かにそうだね。僕だってずっと命を賭けてゲームに参加していたんだ。今更余命が数年後と言われても、むしろ安心するレベルだね」
 牧瀬も頷く。津久田は少し青い顔をしている。
「今まで死ぬか生きるかの戦いをしていたわけだけど、それより今言われたことの方が現実味があるわ……。それ、本当なの」
「あくまで推測だ。沙耶だけが特別死神に愛されているのかもしれないし、そうじゃないかもしれない」
「そんな愛はいらないわよ」
 沙耶がむすっとした顔で言い放った。
「……そう。じゃあ、私はそれが外れていることに賭けてみたいわ。それくらいは自由でしょう?」
 まあ、そうだが。そう返すと、津久田は何やら一人で納得したようだった。
「ここで死ぬよりは数倍マシなんだろうけど、僕は結婚もできないんだな……」
 古谷はブツブツ独り言を言っている。
「えーっと? 私たち、死んじゃうんですか?」
 桐生はまだ自分の立場を理解していないらしい。本当にこいつは理解力がないな、と苛立ちを押し殺してため息をつく。どうしても俺は、こいつと馬が合わないようだ。
「沙耶、説明頼む」
 すると、沙耶は首を振った。
「このことに関しては、しなくてもいいんじゃないかしら」
「それも、そうか」
 桐生は理解したらしたで、大騒ぎになりそうだ。
「それから、武器についてだが――」
 蒲生が横目で俺を見た。その視線に正面から向き合う。
「処分はしない。どうあがいたってラストチャンスだ。気を抜いて折口に遭遇したりしたら今の話だって無駄になる」
「へっ、そんなこったろうと思ったよ」
「済まないな」
 謝ると、不機嫌そうに蒲生は舌打ちをした。
「うるせえな。もう一日中禁煙禁酒でイライラしてんだ。ほっとけよ」
 どうもその言い草は、照れ隠しのようにしか聞こえなかった。


 その後は何事もなく、ゲーム開始から四十時間が経過した。三階に上がってきた折口を迂回するようにして、俺たちは二階の質疑応答の部屋まで来ていた。ミニゲームのついでに、ふと聞いておきたいことを思い出したのだ。
「おい、運営」
 しばらくして、声が返ってきた。
『はい、お待ちしておりました。しかし、ミニゲームにはまだ時間が早いかと思いますが』
「少し聞きたいことがあったんでな。……お前らは何だ?」
『何、と申されましても、あまり語るようなことでもありませんので。一つ申し上げるならば、あの女性は私の主人であります。それ以上の説明は要りますまい?』
「それで、主人の遊びがこのゲームと」
『そう言うことも出来ると思います。主人は暴力を誰よりも好んでいたのです。その嗜好は、女性だからこそ強まったのでしょう』
 二十四時間前の出来事が、脳裏に鮮明に蘇った。
『女性差別は、未だに色濃く残っているものです。場所によっては、特に。そうして不当な扱いを受けているうちに、おそらくは、あの方の中で何かが壊れてしまったのでしょう』
 折口を被害者だと言わんばかりのその口調に、俺は鼻を鳴らした。お前は奴がどれだけ殺したか知っているだろうに。
 どんな理由があれ、人を殺した者は殺人者だ。俺と、同じように。
「折口の過去に興味はない。本題に移るぞ。今回のゲーム、こうなるように仕組んだのはお前だな?」
『はい、その通りでございます。私とあの方で、賭けを行ったのでございます。私は全員生存に、あの方は自分以外の死亡に、それぞれ賭けました。私が勝てば、私たちは揃って裁きを受ける。あの方が勝てば、私は殺される。そういった賭けでした』
「しかし、お前の勝ちは絶望的だったが」
『はい。だからこそ、あの方は勝負に乗ったのです。あの方は、絶対的優位に驕る傾向があります。それゆえ、あの方に絶対的に優位なように見えるよう、丹念にルールを練りました。そうして、来栖様。あなたという切り札を切ったのです』
「俺がお前の思う通りに動かなかったらどうするつもりだったんだ」
『その時は、その時です。そもそも、あなたが本当に予知能力を持っているかどうかすら確証もありませんでしたし。私はあの方に罪を償っていただきたかったのです。けれど、あの方にその気はなく、私の立場でそれを強制することもできませんでした。だめで元々、どのみち長くない命です。それならば、低い確率でも賭けてみようと思ったのです。
しかし、それでもできる限りの手は打ちました。あなたは自分と恋人の無事以外に何も優先しようとしないお人です。ですから、自分と彼女が生き残ることだけ考える。それが同時に私の勝ちに繋がるように、あえてルールを厳しくしたのです』
「やっぱり、お前らは俺たちを駒としか扱っていなかったわけだ」
『それは、仕方のないことです。将棋をやっている時に一つの駒を惜しんでは、大局を見失いますから』
 聞きたいことは聞いた。後は、しばらくここで待つだけだ。
「……それでも、ミニゲームはやるのか?」
『私は、中立ですので』
 どこまでもそこにこだわるらしい。まあ、それならそれでいい。さっきの睡眠である程度は回復した。今更最後にミニゲームを突きつけられたくらいでどうなるものでもない。


 ゲーム終了一時間前。津久田と古谷、榎並の腕時計が外れる時間だ。古谷の条件はゲーム終了一時間前時点での他のプレイヤーのPD三台の所持。二つ足りないようだったので、俺と沙耶のPDを貸してやった。その後、俺のPDを破壊することで今井が条件を達成する。そうして、俺たちは全員腕時計を外すことに成功した。
 後は、ミニゲームのみ。念のため、能力を使用した上で運営に声をかけた。
「さて、俺たちは全員生存してここにいる。ミニゲームの時間じゃないのか?」
 スピーカーが繋がった音がする。
『……そう、ですね。それでは、ミニゲームを行います。内容は、単純なクイズです』
「クイズ?」
『ええ。来栖様、あなたのみが対象です。ミニゲームの間、他の皆様は一言も発言してはいけません』
 周りを見ると、皆どこか信頼しているような目で俺を見ていた。全く、結局最後まで俺がリーダーもどきをやることになるわけか。
「いいだろう、出題してみろ」
『それでは、クイズは一問のみです。あなたの命、高倉様の命、その他この場の全員の命。あなたは何を選びますか?』
「……は?」
 なんだ、それは。俺は思わず聞き返した。
「選ばなかった奴は、どうなる」
 運営は声色を変えずに答えた。
『ゲーム終了後に殺害します。その人の分の報酬は他の人に分配させていただきます』
 ふざけるな、ここまでどれだけ苦労したと思っている。何のために、ここまで来たと。
 皆の視線は一気に緊張感を増した。沙耶は悔しそうに顔を歪めている。沙耶も、ここでは頼れない。自分の命、沙耶の命、他の全員の命。それなら、俺は迷うことなく沙耶の命を選ぶべきだ。しかし、それで本当にいいのか? 他に道はないのか? 何か、何か。
 その時、ふと視界の端で動くものを捉えた。今井が「自分は答えがわかっているぞ」と言わんばかりのしたり顔でPDを振っている。……なんだ、それは。ルール違反のはずじゃないのか。しかし、運営は何も反応しない。まず間違いなくここはモニタリングされているだろうに。
 いや、そうじゃないのか。「一言も発言しなければ」問題ないのか。明言していないなら、そこに関しては自由にしていい。思えば、このゲームの大前提だ。そう、つまり今井はそれを伝えたかったのだ。そしてそれは、この問題そのものにも適用される……。
「まさか」
俺はひらめいたまま試して、現実へと戻ってきた。ため息が出る。本当に、最後の最後まで意地が悪い。ある意味で、こいつらしい。結局最初から、俺たちを生かすつもりだったんじゃないか。
『答えは』
「……馬鹿じゃねえの。選ぶ数指定しないで何が選べだよ。全部選べばいいだけじゃねえか。それでいい。誰も死なないし、なんのペナルティもない。ただ、それだけだろ」
『そうです。ですが、案外それが難しい』
 運営が一体何を言っているのかはわからないが、どうも不正解というわけではないらしい。
『いいでしょう。報酬の引き上げを行います。それでは、これにて』
 その言葉を最後に、もうスピーカーは何も言わなくなった。その言葉は、どこか哀しい響きがあったが、それに関与する暇はなかった。それに、その意味も大してないだろう。俺はあいつの駒としてそれなりに働いた。それでいい。


ミニゲームの後、折口は今度は二階に降りてきていたので、俺たちはまた三階に上がった。
「あと少しで、ゲームが終わるわけだ。なんていうか、長かったような、あっという間だったような」
 今井は感慨深くつぶやいた。一方蒲生はつまらなさそうに笑う。
「俺からしたら、こんなもんいつものことだけどな」
「正直、まだ夢を見てるんじゃないかっていう気分になるわ」
 津久田がうんざりしたようにため息をつく。
「なんとなく、痩せた気がするで……」
 榎並もまたげっそりとしている。確かに、榎並には配置された食料はどう見ても不足気味だったが。
「しかし、来栖くんには感謝してもしきれないね」
 牧瀬がそんなことを言う。
「よせよ、俺は自分が助かりたかっただけだ」
 本心だったが、周りはどうもそうは受け取っていないらしい。誰の口も少なからずニヤついている。
「なんていうか、来栖くんって結構ツンデレだよね」
 古谷が笑いを含みつつそんなことを言い出す。全く、どうして俺の本音はきちんと伝わらない。
「……まあ、言われて悪い気はしないが。柄じゃないからな」
 また本音を言うと、さらに笑いが大きくなった。ああもう、勝手にしろ。
「まあ、それはそれとしても。僕としては楽しかったよ。こんな最低のゲームでもね」
 今井はそんな別れのような台詞を言う。
「なんていうかさ、ゲームが終わったあと、きっと僕たちはもう会えないんだろうから。せめて別れの言葉くらい言っておかないとと思ってさ」
「けっ、くだらねえ」
 蒲生は渋い顔を作ってみせた。
「こんな二日程度共に過ごした程度で仲間ってか? 馬鹿言うなよ。俺たちはあくまでプレイヤーだ。その場だけのつき合いでいいだろうがよ」
 それに、沙耶が反論する。
「それでも、生死を共にした戦友よ。別れの言葉くらい交わしてもいいじゃない」
「あー、はいはい。嬢ちゃんならそう言うと思ったよ」
 蒲生はうんざりしたようなポーズをしていたが、あまりまんざらでもなさそうだった。
「来栖くん」
 声をかけられてそちらを向くと、津久田がいつになく真剣に俺の顔を見据えていた。
「私たちを助けてくれて、ありがとう。彼女とお幸せに」
 その口調はどことなく悲しげで、何かあったらしいことだけはなんとなくわかった。俺はそれに曖昧に頷いてから、沙耶に耳打ちした。
「……沙耶。津久田に何かあったのか」
 すると、沙耶は少し顔を赤くして答えた。
「知らなくていいの」
 なら、まあ、それでもいいが。俺には関係ないことだ。
 そうこうしているうちに、ゲームは終わった。それと同時に、全ての壁掛け時計が作動した。もちろん俺たちにはもう何の害もない。それからしばらくして、前回折口を回収したような回収部隊が現れて、俺たちは全員拘束された。しかし今回は殺されるわけではなく、あくまで位置が特定されないための措置だった。
 こうして、俺たちが散々骸を転がした悪趣味な殺人ゲームは終わりを告げたのだった。


 目を覚ますと、そこは病院の一室だった。腕の怪我が原因か、と思いそちらを見てみると、そこにはなんと右手があった。どうやら、最新医療がどうたらで、普通の手と同じ感覚で動かせる義手らしい。もちろんリハビリは必要だったが、やがて慣れた。
 俺を治療してくれた病院は、表向きは普通の総合病院だった。けれど、あの組織が手配したのなら、裏の顔を持っているということだろう。
 沙耶は傷らしい傷もなかったことで、すぐに家に帰されたらしかった。解放された俺たちには、それぞれ一生遊べるレベルの金が入った通帳と印鑑、カード等がそれぞれ渡されていた。
 退院すると、俺の右手と大金以外にあのゲームの痕跡はさっぱりなくなっていた。狐につままれたような気分になりながら、俺たちは日常に戻っていった。
 一つだけ大きく変わったことといえば、俺と沙耶が正式に恋人になったことくらいだ。







EPILOGUE


 あのゲームから数年。俺と沙耶は地元から遠く離れた喫茶店に呼び出された。呼び出しの相手はなんとあの蒲生である。金は十分にあるので俺たちは働いていないだろう、という予想なのか呼び出しの日時は平日の昼間だった。しかしこちらからすれば、一体何時に家を出ればいいのかという話である。余裕を持って起きてもなお時間が厳しかった。沙耶は特に今の時期大変なので、あれこれと手伝っているうちに出発の時刻になった。
「手紙出してるんだから、こっちの住所知ってるでしょうに」
 沙耶は口を尖らせた。その可愛さは、やっぱり数年経っても全く色褪せることはない。
「まあ、相手はあの蒲生だからな。嫌がらせついでってこともありうる」
「女の子がどれだけ早朝出発に弱いか知らないのかも。男って楽でいいわよね」
 それを言われると、こちらとしては弱い。
「ちゃんと手伝ったじゃないか、勘弁してくれよ」
「別に彰一を責めてるわけじゃないもん」
 ご機嫌斜めの沙耶をなだめようと、右手で沙耶の頭を撫でる。それだけで、沙耶は機嫌が良くなる。もっと撫でて、と言わんばかりに頭を擦りつけてくるあたりは、どうも小動物に似たものを感じる。
 右手で沙耶に触るのは、それほど罪悪感はない。それはやはり、一度なくした手だからだと思う。未だに左手で沙耶に触る勇気はない。
「ね、キス」
 沙耶はきっと普通の女性と比べて格段に愛情に貪欲だと思う。事あるごとにボディタッチを迫ってくる。その手綱を引くのは、俺の役目らしい。
「帰ったらな。ここじゃ人目につくし」
 えー、と口では不平をいうものの、取り立てて不満そうには見えない。要するに、じゃれ合いたいだけなのだ。
「あとな、一応沙耶は妊婦なんだから、ある程度の線引きはしてくれよ」
「はーい」
 そう言いながら俺の腕を抱く沙耶。全然、聞いちゃいない。基本的には理知的な沙耶だが、一旦スイッチが入ると一気に子犬系女子に変貌する。まったく困ったものだが、それもまた愛らしいと思ってしまうから俺も救いようがない。


 喫茶店に入ると、中には客が一人だけだった。その客は、随分と見覚えのある男だった。
「ようやく来たかよ。待ちくたびれたぜ」
「ようやくって、まだ約束の時間まで十五分あるけど」
「何時間待とうと俺の勝手だろ」
 沙耶にそう返す蒲生は、どこか以前より憑き物が落ちたような、険が抜けたような、そんな雰囲気をまとっていた。
「まあ、とにかく座れや。おい、マスター。ブレンド二つ追加で」
 かしこまりました、という返事を確認して、蒲生は俺たちに向き直る。
「んで、まずは久しぶりってやつだ。よろしくやってるみたいで何よりじゃねえか」
 蒲生は沙耶の少し大きくなり始めた腹を見てニヤついた。沙耶はその視線に恥ずかしそうに腹を押さえた。
「まあ、そこそこにな。それよりなんだ、用って」
「ん、ああ、そうだな。いやな、半年前ふと思うことがあってよ。お前らあのゲームの参加者ともう一度会ってみてえと思ったんだよ。でもあのあとの足取りを掴むのは思いのほか大変でな。こんなにかかっちまった」
「なるほど。つまり、あの時の同窓会というわけだ。しかし、お前は一番あのメンバーの仲間意識を嫌ってなかったか。どういう心変わりだ?」
 さてな、と蒲生ははぐらかした。答えるつもりはないらしい。なら、こちらもあえて踏み込む必要はない。
「ということは、もしかして他にも来るのかしら? それにしては場所が悪いと思うのだけど」
 沙耶が首をかしげる。しかし、蒲生は皮肉げに笑った。
「いいや、これで全員だ。死者は来れねえからな」
「え」
 沙耶の顔が固まった。俺は、ある程度予想していたから驚きはしなかった。沙耶だって、予感はあっただろう。単純に、考えたくなかったというだけで。
「全員、死んだのか」
 その時、マスターがコーヒーを二つ持ってきた。聞かれたか、と焦ったが、マスターは何事もなかったかのようにカウンターに戻っていった。
「ビビったか? ここのマスターは俺の元同業者だ。俺もマスターももうそっちからは足を洗ったが、まあ人の生き死にで動揺するような奴じゃねえ」
 引き笑いしつつ説明する蒲生。俺は咳払いで話を元に戻した。
「それで?」
 聞くと、蒲生は横の席に置いた鞄から書類を取り出した。興信所のものらしい。
「ああ、全員死んでるよ。一応一人ひとり見てっか。
 牧瀬は自殺だな。なんでも、移植手術で快方に向かっていた妹の容態が急変して死んだんだと。拒絶反応だったらしい。まあ、移植手術にはありがちな話だよな。自殺の理由はそれらしい。どんなシスコンだっつー話だよな。
 榎並は心筋梗塞だってよ。そもそも動脈硬化が進んでたようだし、大して珍しい話でもねえが。あいつは借金処理を終えたあと、新しく会社を作ろうとはしなかったらしい。まあ、余命数年じゃそんなもんだろうがな。家族と慎ましく暮らして死んだってよ。まあ、幸せな最期じゃねえの?
 今井はどうもヤクの売人を潰して回ったんだってよ。それでヤバい奴らに目をつけられて失踪。っつーか完全に殺られたな。馬鹿な話だが、そうでなくても何かの理由で死んでたんだから、むしろ本望かね? んで、残ってた金は全部精神病院のなんとかって女の医療費に当てたらしい。
 津久田は、いわゆる痴情のもつれってやつだな。浮気していた男を法律とかで徹底的に追い詰めたら、むしろそいつがストーカー化したみてえでな。そいつに殺されたらしい。その後犯人も自殺。はた迷惑な話だ。弁護士事務所には入れたらしいが、望んでいた場所ではなかったらしくて、さらに猛勉強を重ねていたところだったって話だ。そういや、こいつはお前の余命宣告を信じていなかったな。だからこそ、か。
 古谷はコンビニ強盗に居合わせて、よせばいいのに強盗犯を止めに入ったんだと。結果犯人は捕まったが、古谷は胸にナイフを突き立てられて致命傷。最後の一言が、来栖くんみたいになれたかな、だそうだぜ。どうもお前はヒーローみたいに思われてたみてえだな? 一応空手を始めてたみてえだが、たかが三級じゃあなあ。自信過剰もいいとこだぜ。
 最後に桐生だが、こいつは火事で焼け死んでる。親の煙草の消し忘れだな。灰皿から溢れたんだろ。眠ってる時間帯だったからきっと苦しみすらなかったと思うぜ。ある意味一番こいつらしい死に方だったのかもしれねえが」
 そこまで言って、蒲生はコーヒーを啜った。
「つーわけで、生き残りは俺たち三人だけだ。何か質問は?」
「……ここまで俺の推測が当たってると、次はお前の気がしてならないんだが」
 俺が言うと、蒲生はそりゃそうだ、と笑った。
「俺の場合、恨みを持ってる奴はたくさんいるからなあ。いつ殺されてもおかしくはねえな。むしろ俺が最後ってことの方に驚くわ」
 俺もコーヒーに手をつけた。優しい味がした。
「それでな。俺がお前らに会いたかったのは、もう俺が仲間って呼べるような奴はお前ら以外いなくなっちまったからだ。マスターはまあ、仕事仲間だっただけの間柄だしな。だから、そろそろ俺も死んだ時のことを考えなきゃあならなくなったってわけだ」
「死んだ時のこと?」
「わかるだろ、相続だよ。どうせお前らにはいらないんだろうが、養育費くらいにはなるだろ」
 俺たちに遺産相続をしたい、ということらしい。しかし、どうも俺には納得ができない。
「お前は、何がしたいんだ? 家族ごっこでもしたいのか?」
 すると、蒲生はゆっくり首を振った。
「単純な話さ。敵を作りすぎたって気づいただけだ」
 言い切ると、蒲生は書類をこちらに放って立ち上がった。
「じゃあ、俺は行くぜ。顔が見れただけで十分だ。特に嬢ちゃんは、全く変わってなくて何よりだ」
「おい、ちょっと」
 声をかけても、蒲生は振り向きもしなかった。ただそのまま手を振る。
「次は地獄で会おう」
 言い残して、蒲生は店を出て行った。俺は沙耶を残して追いかけることもできず、再び席に座った。
「コーヒー、美味しいわね」
「そうだな」
 手元のコーヒーはもう冷えていたが、それでも優しい味がした。
「二人共こっち側の席って、変な感じね」
「移るか?」
「いい。こっちの方が近いから」
 そう言って、沙耶は俺の右腕を抱いた。それが愛おしくて、気づけば俺は左手で沙耶の頭を撫でていた。
「彰一、それ」
「あ、あれ」
 しかし、罪悪感はもうなかった。ただ沙耶の頭を撫でている感触だけがストレートに伝わってきた。
「やっと許せたのね、自分を」
「そうかもしれない。……そうじゃないかもしれない」
「ねえ、彰一」
 いつもの理知的な声に戻って、沙耶は言った。
「これからも、出来る限りで人を助けていこう」
 沙耶は俺の左目の眼帯を見ていた。俺も、それに頷いた。
 視力は、悪くなる一方だった。もう左目はほとんど全く見えない。右目もいつまで保つのだろう。
「私が、あなたの目になるから。あなたの手になるから。あなたの良心になるから。だからあなたも、心を捨てないで」
「わかってるよ」
 人を見捨てれば見捨てるほど、心に毒が回る。それは、俺が一番よく知っている。結局のところ、俺は運営のような悪役にはなりきれないのだろう。
「さあ、帰るか」
「ちょっと待って、お会計。それに、これも持ってかないと」
 差し出された封筒を見て、ようやくそれを思い出す。どうも、ついさっきのことを忘れることが多くなった。頭の方のダメージも、だんだんと蓄積してきている。
 会計を済ませて外に出ると、もう蒲生の姿はどこにもなかった。きっともう、会うこともない。
 忘れないでいよう、と思った。俺たちにとって、あのゲームは今も続いているものなのだから。

ラスト・ゲーム(作・高柳郁)

ラスト・ゲーム(作・高柳郁)

北海道大学文芸部において評価の高かった作品です。お楽しみください。

  • 小説
  • 長編
  • アクション
  • サスペンス
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-20

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  1. 小説「ラスト・ゲーム」(TAKE1)
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