あの夢の夜 前

『絶滅危惧種は、ふたつに分類出来る。
 ひとつは人間に保護されているもの。
 もうひとつは保護されていないものだ』

 ある金曜日の夜、食事を終えた三人は、仲良く炬燵に入ってテレビを見ていた。そのうちのふたりは兄妹で、妹は兄の膝の上を陣取っている。もうひとりは兄の男友達であり、週末両親が家を空けがちなこの家庭の団らんにお邪魔することが、これまでに何度もあった。また、こうして三人が食後にぼんやりとテレビを見るのも、いつもながらのことだった。
 テレビ番組の中で、海外のロケ地へ飛んだレポーターが、研究施設らしい場所で保護された動物たちを見ている。それらの大半は、決して広いとは言えない檻やプールやかごの中で保護されていた。
「らいおん」
 妹の久戸瀬双葉(くどせ ふたば)が言った。
「ライオン」
 兄の久戸瀬樹(くどせ いつき)が、妹の頭を撫でて言う。そしてそんな兄妹の様子を、友人の齋藤泰(さいとう やすし)は見ていた。樹と妹の双葉の年齢は十五歳ほども離れており、また、泰と樹は同い年である。泰が一人っ子であることも相まって、泰にとってもこの友人の妹のことは、さながら実の妹のように感じていた。
「もぐもぐしてる」
 双葉が言った。泰がテレビに目線を戻すと、ライオンに餌として、鶏肉が与えられているところだった。このライオンもまた、この施設での保護対象のようだ。
「おいしいのかな?」
「双葉もさっき、チキン食べたろ」
 樹の言うとおり、三人は先ほどフライドチキンを食べたところだ。双葉はといえば、両手と口の周りを油でべたべたにしながら、自分のために取り分けられたぶんを、おいしそうに平らげたのだった。
「ちきんはにわとり?」
「そう、鶏。このお肉と一緒なんだぞ」
 樹は答えながら、いたずらっぽい表情をして見せた。しかし双葉の位置からは上を向かない限りそれは見えず、彼女はテレビを見たままで答えた。
「おいしかった」
「・・・だよな」
 双葉の頭を、樹が撫でる。本当のところ、樹は、テレビの中のお世辞にも綺麗とは言えない肉の塊と同じものを食べたと言われて、妹が嫌がることを少し期待していた。つまりからかうつもりで言ったのだがあてが外れてしまい、苦笑まじりで頭を撫でることで、自分のいたずら心をごまかしたのだった。
「こいつは双葉と違って、あんまりおいしそうな顔しないなあ」
 その樹の言葉通り、泰の目にもライオンの表情は読めず、果たして美味だから食べているのか、それとも他に食べるものが無いとかで仕方なく食べているのか、見当もつかなかった。

 テレビの場面が移る。古いものらしく、ところどころが黒く潰れたモノクロの写真の下に、そこに写っている動物の名前らしいカタカナと、括弧に囲まれた英数字。それは、その動物が絶滅したとされる年数を表していた。

・ニシカナダホーボー(1825)
・キンカンザメ(1844)
・ヤマトオオゴスイ(1893)
・セイヨウカワハギ(1904)

 たくさんの動物たちの写真が、画面に現れては消えることを何度も繰り返す。そしてその絶滅した年が現在に近づくにつれて、写真は鮮明さを増していき、括弧の中には、それらが絶滅した直接の原因も追加されるようになった。

・ニューランバト(1962 乱獲により)
・コソウヅメバイ(1967 外来種の持ち込みにより)
・トウヨウカドモチグサ(1968 花粉を媒介する昆虫の激減により)
・モトド(1970 生息可能区域の減少により)

 そうして、消えていった動物たちの写真を、三人はなんとなく無言のままで、眺め続けた。

 画面はまた様子を変え、レポーターが再び登場した。施設の裏手に向かう係員の後について、神妙な表情で歩いている。
(ライオンとちがって、人間のほうは表情が読みやすいなあ)
 泰がそう考えていると、テレビの中の一行は目的地に到着したようだった。そこには大小いくつもの石板が整然と並んでいた。その表面には文字が刻まれ、アクリルのような、透過する素材に保護された写真が埋め込まれている。それはいずれも、先ほど見たような動物の写真で、どうやらこれらは、その動物たちの墓標のようであった。
『ここで保護してきた動物たちの中にも、そのまま絶滅してしまうものも少なくないんだ。残念なことにね』
 悲しげな顔で、外国人の係員が話し始めると、それにかぶさって、日本語の吹き替えと字幕とがあらわれた。
『ここは、そういう動物たちの墓場なんだよ』
 カメラがゆっくりと、墓石のうちのひとつに向かってズームしていき、そこに埋め込まれた動物の写真が、画面全体の大写しになった。やせ衰えたサルのような動物が、人間の用意した餌を、焦点の定まらない瞳で見ている。そういう写真だった。

 画面はまた切り替わって、並んだ墓標を背景に、レポーターの悲しげな表情が映されている。BGMもここぞとばかり、めいっぱいに哀愁深げだ。
(安っぽいお涙頂戴モノだな)
 樹はそう思いつつも、さすがに妹の手前もあり、声には出さなかった。それに、横にいる友人が、テレビのレポーターほどではないにしても、少なからず悲しげな表情をしていたので、もしかしたら自分だけが冷めた人間なのではないか、と危惧したからでもあった。
 そしてテレビ番組は、十分に視聴者の哀情を催せたと判断した頃合いで、続けて『世界のスイーツのコーナー』へと移っていった。先ほどとは打って変わった明るいBGMで、元気な声の別のレポーターが、ロンドンの街を歩きながら、新作スイーツを出してくれる店を紹介している。
 ふいに、泰がリモコンでテレビの音量を下げた。
「ああやって、最後の一匹になるまで人間に管理されて、そのまま死ぬのって、どうなんだろうな」
 画面は移り変わったが、泰の心情までは移り変われなかったらしい。音量を下げたのも、話がしたかったからだろう。
(動物なんだし、べつになんとも思わないうちに死んでいくんじゃないか)
 樹はそう思ったが、先ほどのこともあって、今度もまた声には出せなかった。かといって、うまく友人の意に沿えるような言葉が思いつかず、そのまま黙ってしまう。その結果、泰が投げかけた言葉は誰が拾うこともなく、虚しく宙を漂った。
「双葉はどう思う?」
 助けを求めるつもりで、樹は妹の頭のつむじに向かって話しかけた。
「・・・」
 しかし、返事がない。
「双葉?」
「・・・なあに?」
 ようやく返ってきた声の様子からして、双葉は眠ってしまっていたらしい。樹は妹の頭をぽんぽん叩いた。
「そろそろ寝るか」
「やあだあ、まだおきるの、にいちゃんだけずるいい」
 自然と眠ってしまっていたのにもかかわらず、自分から眠るのは嫌なようで、双葉は駄々をこね始めた。樹が、今度は妹の頬を左右からつまみながら話しかける。
「でも双葉寝てたろ~」
「れて(ねて)なあいい」
「兄ちゃんたちも寝るぞ~」
 双葉は思い切り頭を振って、兄の手から逃れた。
「うそ。おはなししてた」
 樹と泰は思わず顔を見合わせた。双葉は眠っているように見えて、耳だけは起きていたのだろうか。内容は聞こえてなかったとはいえ、どうやら話をするまでは寝て貰えそうにない。樹はそう判断して、妹をこのまま寝かし付けるのを諦めた。
「じゃあお話終わったら寝るかー」
「・・・ねる」
「よし、じゃあ、頼んだ」
 そう言って、樹が泰のほうを見る。急に話を任された泰は困惑している様子だったが、双葉もまた自分のほうを見ていることに気付いて観念し、幼い子供にもなんとか説明出来るよう、言葉を選び始めた。
「えーとな、じゃあ、もしも双葉が、世界中にたった一人だけになって」
「にいちゃんは?」
「いない」
「さいとうさんは?」
「俺?いない。双葉のほかはみーんないない」
「・・・うん」
 もしもの世界にただ一匹だけ残された双葉という名前の動物は、この時点でもう全身に寂しさを漂わせていたので、泰は続けるのをためらった。そこで試しに樹の表情を伺ってみたが、樹のほうは続けてとも止めてともつかない顔をしていたので、とりあえずそのまま話を続けることにした。
「ご飯は毎日・・・あー、そうだな。きりんさんが届けてくれる」
「きりんさんいいこ」
「でもお部屋に閉じ込められて、外には出られない」
「なんで?」
「危ないから」
「なんで?」
「理由はきりんさんが知ってるけど、教えてくれないんだ」
「なんで?」
「それも教えてくれない」
「きりんさんわるものだった」
「そうだね。わるものかもしれない」
 なんとか双葉にひと通り状況を説明し終えたものの、果たして泰は、自分が話したかった内容をうまく伝えられているのか、まったくもって自信がなかった。とはいえ、もともとこの話は樹としたかったものなので、後ほどあらためて切り出してみようと思い直し、双葉とのこの『お話』としては最後の質問をしてしまって、さっさと終わらせてしまおう、と思ったのだった。
「じゃあ双葉はこんな時、どう思うかな?」
「やだ。さびしい。おそとでたい。きりんさんきらい」
「なんで?」
「きりんさんわるものだから」
 率直な答えに、泰は思わず笑っていた。お話の終わりを待っていた樹が、双葉の頭を撫でる。
「よーし、お話おしまい。寝るぞー」
 そして問答無用で双葉の体を持ち上げると、抗議の暇を与えないうちにそのまま居間を出て、流れるように寝室へ向かった。
「やあだ、きりんさんきらいい」
 廊下の方から双葉の声が聞こえる。泰はそれを見送ってから炬燵を出て、テーブルの上に残った夕食の皿やお菓子のゴミをまとめ、片付け始めた。


 ひと通り洗い物を終えたところで、泰はゴミ箱に生ごみや空き箱などを放り込んだ。
「きりんさんわるものだから」
 そしてなんとなく、先ほどの双葉の答えを思い出す。
(どう取り繕ったって、バラエティ番組で悲しい顔してみたって、悪いのは人間、か)
 無意識に参考にならないと決めつけて、聞き流すつもりだった双葉の回答が、図らずも自分の求めていたものだったように思えていたのだった。泰はこの後、樹にも同じ質問をするつもりだったが、それはやめておくことにした。
 音量を下げたまま忘れられていたテレビでは、先ほどの番組はもう終わり、ニュース番組が、◯◯地方の悲しい殺人事件を報じていた。階段を降りる音がして、樹が戻ってきた。
「やっと寝たわ・・・」
 戻った樹は、目に見えて疲れていた。そういえばいつもより長く時間が経っていたし、双葉はあれから素直に眠らなかったのだろう。樹はそのまま、いそいそと炬燵に入り込んだ。
「キリンのぬいぐるみ、昨日まであんなにお気に入りだったのに、今日は嫌がって全然寝付かねえの。お前がワルモンにするから」
「そりゃお前が急に話振るからだろ」
 樹の恨み深そうな目に見られた泰は、売り言葉に買い言葉とばかりに反論していた。しかしこれ以上ふたりで言い争うのは不毛に感じたので、一度わざとらしくため息をついて、そのまま黙ってテーブルの上を指さした。
「・・・お、片付け、サンキュ」
 泰が言外に言わんとしたことを汲み取った樹は、それ以上は何も言わず、ただ一言だけ、
「クマのぬいぐるみなら喜ぶかなあ」
 と言って、やっと寝付いた双葉を起こしてしまわない程度に、テレビの音量を上げた。

あの夢の夜 前

あの夢の夜 前

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-15

CC BY-NC-ND
原著作者の表示・非営利・改変禁止の条件で、作品の利用を許可します。

CC BY-NC-ND