男の話
目が覚めたら、体が冷たかった。
っていうか、……つめっっっっったあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!
なんだこれ!!??
とりあえずその謎の寒気から逃げ出すために体を起こそうとしてみるが、身体が動かない。身動きができないというより、脳が身体と切り離されたみたいに俺の命令にも微動だにもしない。
……そういえば、目が覚めたというのに俺の目の前は相変わらず闇のままだ。瞳は開けているつもりだが、こちらも俺の意思と反して開いてないのかもしれない。体験したことはないから定かではないがこれが金縛りというやつなのだろうか。っていうか全身が寒い、っていうか冷たい。まるで氷づけにさせられているみたいだ。しつこいようだが本当に死ぬほど寒い。
一度冷静になってみて何故自分はこんな状況に置かれているのか、記憶を遡ってみる。
……だめだ、何も思い出せない。思い出せるものといえば自分の名前と…………
その瞬間、光が飛び込んできた。暗闇に慣れた目にはその光は眩しすぎて、目を閉じようとした。そうしようとした瞬間に自分が目を開けていたことを理解する。しかしその目が閉じられることはなかった。身体同様、俺の言うことを聞かない。やがて目が光に慣れてきて目の前の光景を認識し始める。
……親の顔を思い出した。
母親が俺の顔を覗き込んでいた。四角い、窓のような枠にどうやらガラスかなにかの透明な仕切りが嵌められているようで、それに手をついて、何故か顔に涙を浮かべている。なんだこれは。自分の親の涙など、あまりみる機会がないので、少し気まずい気分だ。しかし、動けないので目を逸らすこともできない。なんだこれは、ますます今の状況がわからないぞ。夢でも見ているのだろうか。
「見て……、まるで寝てるみたい」
母親であろう声に反応したように女子高生ほどの女の子が母親と一緒に俺の顔を覗き込む、………………思い出した。こいつは俺の妹だ。俺の顔を覗き込んだ瞬間、盛大に泣き始める。こっちは母親とは異なり泣き顔は大して珍しくもないな、と余計なことを考えていると、父親も顔をのぞかせる。こちらは泣いてない、がその表情は重々しく、俺を見つめている。
『みんな、どうしたんだ』
と俺は声に出したつもりなのだが、それは音となって響きはしなかった。身体が動かないので口を動かすこともできないようだ。
「おにい……ちゃん……」
大して、懐かしくもないその声を聞きながら考える。何故みんなして俺の顔を見ながら泣くのか……そんな見た瞬間泣くほどひどい顔でもないだろ……?
……いや俺の認識が甘いだけで、本当はそんな泣くほど俺の顔は不細工なのか……? そう思った途端に無性にはずかしくなる。やめてくれ、覗き込まないでくれ。
そんな俺の願いは届かず、家族以外にも、俺を顔を覗き込む人々が現れる。学生時代の親しかった同級生、久々に見る親戚。それぞれが皆、ひどく悲しい顔をしている。
……流石の俺でもようやく気づいた。
これは、葬式か……? しかも、俺の……?
途端、鍵が外れたかのように、全てを思い出す。
俺は、死んでいる……?
なんの変哲もない、交通事故だった。
仕事から帰る途中、暴走した乗用車が歩道へ突っ込んできた。その時、子供の頃からの友人で、会社の同僚でもある男と二人で帰っていたが、俺はいち早く車の接近に気づき、そいつを突き飛ばして……。そして、俺は車に突き飛ばされ、……当然ながら記憶はそこで途切れている。
当のそいつはさっき俺の顔を覗き込んでいたひとりに含まれていたため、どうやら俺の行動は無駄ではなかったらしい。そういえば俺の顔を見た瞬間、あいつ周りの人の比べ物にならないくらいひどい顔してたな、今考えると辛い想いをさせてしまっただろうか……。なんか少し申し訳ないな。
その車が故意に突っ込んできたのか、居眠り運転だったのか、それとも薬物常用者なのかはずっと気を失って当然知らない。まあ、今となってはどうでもいいことだけど。
状況を理解するとあっけなく謎が解ける。今は葬儀中で、俺が寝ているここは遺体を入れる棺の中で、さっきから異常に冷たかったのは遺体を腐敗させないためのドライアイスだったのか。どうりで尋常じゃない寒さだと思った。……へぇ、こんな風に冷やすのか……って嫌な新知識だな……。
だが、もう一つ謎がある。
死んだはずの俺はなぜ今、意識があるのだろうか……。
ふと、昔聞いた話を思い出す。昔々、死んだ男が墓に埋められた後、実は完全に死んでいたわけではなく時間が経つと奇跡的に意識を取り戻し、命からがら、……いや、洒落ではなく。自力で墓を脱出して、街へ戻る……。そしてその姿を見て人々はゾンビだと、恐れる……。
今の俺の状況と酷似している、そんな、ゾンビ……のようではないか……。にわかには信じることができないが、今この状況が夢でなければ、現実であるということなのである。
たとえゾンビだと言われようが自分の意識はしっかりあるし、人間を食いたいとも思わない。しっかり身体が動くようになれば、普段の生活に戻れるかもしれない……。
おそらく、事故に合った後、まだ生きているのに関わらず何かの手違いで死んだことにされてしまい、当然、治療などは行われずに、脳のあたりがやられて、身体を動かすことができなくなっている。しかし時間が過ぎて意識が戻り、その意識が戻ったのが遅すぎて、葬式にまで食い込んでしまった。……おそらくそういうことなのだろう。
しかし、ここは現代で、しかも日本だ。
ということは……。その昔話とは違い、このままいくと俺は、地面に埋められる前に、火葬されてしまう。そうなってしまえばいかに俺が意識があろうが生きていようがこのまま棺に閉じ込められたまま焼き殺されてしまう……。
ヤバい……、なんとかしなくていけない!
しかし相変わらず事故の後遺症か身体は言うことを聞かないし、声もみんなに届くことはない。八方ふさがりでないか。友人がこんなにいるということはおそらく、告別式の途中といった所だろう。そうなると火葬まであまり時間が残されていないはずだ。思考を張り巡らせているといつの間にか式が開始していたらしく、お坊さんの経が聞こえて来る。
いや、そんなもん読まれても俺、生きているんですが……。お坊さんが俺の意思を汲み取ってくれたりしないだろうかと期待したが、そんなことは起きないらしく、滞りなく式は進んで行く。
お焼香も始まってしまい。それぞれが俺との別れを惜しむ。一番、惜しんでいるのは間違いなく俺なんだが……。気づいてくれ、本当に。
◇ ◇ ◇
抵抗も虚しく、とはいっても抵抗する以前の問題なのだが、どうやら告別式が終わって、出棺の時刻になってしまったらしい。棺桶の蓋が一時的に開けられる。花や折り紙や手紙が俺の上にみんなの手で乗せられていく。心なしかくすぐったい。異常なまでの量の花に囲まれる俺。重ぇ……。花を俺の上に置きながら、最後のお別れの言葉をみんなが俺に呼びかけるが、……だから生きてるっつうの!!
「あんたには……もうちょっと優しくしてあげればよかった……。こんなに早くいなくなるなんて、思わなかったから……」
母親は涙声に俺に語りかける。……いや、今からでもいいから俺を甘やかしてくれよ。ここから出してくれ本当に。
「おにいちゃん……、わがままな妹でごめんね……、でも最後ぐらいは我慢するよ……おにいちゃんはもう、戻ってこないから……」
……いや、そこはわがまま通せよ。なんで最後にいらない場所で我慢すんだよ。勝手に決めんなよ。俺は戻りたいんだよ……。
「大丈夫だ、母さんも妹も俺がしっかり守っていくからな……! あんまり恥ずかしいからお前には言ったことないが、お前は優しい人間だったよ。優しいお前なら、これからも俺たちを見守ってくれるだろう? だから、これは別れじゃない」
そうだよ! 今現在しっかり見つめているから気づいてくれよ、カッコつけてないで助けてくれ! このままだとお前の息子は今から焼き殺されるんだよ!! しかもその台詞、酒に酔うといつも言っていたし、妹には最近避けられてるじゃねえか。全然、全く、大丈夫じゃねぇ!!
「……お前にもらった、この命……俺、絶対大切にするから……だからもう少しそっちで待っててくれ……、お前がいなくても、俺は……!」
いや、あげてないから! お願いだから返してくれ、俺の命!! あの世で待つつもりもないし待ちたくもねえええええ! 勝手に殺さないでくれえええええええ!
◇ ◇ ◇
悲痛な叫びは、ついに誰にも届かずに親父率いる親族、友人の男手により俺は運ばれ、霊柩車に乗せられる。もう一度暴れてみようと試みたが、やはり身体は動かない。
そろそろ俺の頭にも「諦め」という文字が浮かんでくる。
霊柩車に揺られ、火葬場までの道を進んでいく。15分ほど走って、目的地へとたどり着く。十年ほど前、祖父が焼かれた場所と同じ場所だ。
荘厳な雰囲気の廊下を俺は棺桶に入ったまま運ばれる。
もはや、俺の命もここまでか……、最終的な死因としては酷い死に方だが……人生自体は、……まあ、悪いもんじゃなかったな。
まるでエレベーターのような見た目の焼却炉の鉄の扉が開く、中は薄暗く、奥がよく見えない。鼻は利いてはいないが、おそらく灰の匂いがするのであろう。最後に、今まで育ててくれた親、たくさん笑い合って、泣き合った妹、……泣いてたのは主に向こうか。そして仲良くしてくれた友達の顔を眺める……。
そうしているうちに、焼却炉の扉は閉じられる。
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……ん?
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ちょっとまて、
俺は、 『 何処から 』 この光景を見ている?
終
男の話