ぬくもり

今に至って能書きがでてまいりません。
今のわたくしはダシガラです。ヒューマニズムもなにもない。
心おきなく眠りたいです。いま夜11時過ぎ。
お子ちゃまなのですよ……

 今日は命日だ。
 パパのママの。

  はるーは名のみーのおーかぜえーのさむさやあー

「あ、パパのママの歌だ」
「勇二、聞いときなさい。あなたの命を救った歌よ」
「ママ、それ何べんもきいたよ」
「何べんでも、聞いておきなさい。パパのママが助けてくれたのだから」

  たにいーの、うーぐいーすうー、うたあーはあ、おおぼええどー

 パパの声は心に響く。
 ボクはきれいな空気に触れた気がして深呼吸した。
 それを欠伸と勘違いされ、しかられた。
「おまえ、あのときのことを忘れたの?」
「覚えてるよ、おぼえてる。怒らないでママ」
 あんなこと、忘れっこない。
 そっちの方が、無理だよ、ママ……

 三月のおやすみの旅行中、乗っていた車ごと山崩れに巻き込まれ、彼女の歌で家族は命を取り留めた。
 ただ一人、唯一の知恵者を除いて。
「だから、ごらん、ママの歌はトクベツなの。わかるわね? 覚えてるわね?」
 ママがいうママっていうのはパパのママで、ボクのママは涙ぐんでその歌を聴く。
 ママは細く白い腕を出窓から差し出し、ふってくる花びらをつかもうとする。
 んまあ、注釈すると余計だが、谷の鶯はあれだろ、繁殖期にならないと「ほーほけきょ」とは鳴かない。鳴けないんだ。
 だから、ときにあらずと声も立てない。じっと黙ってる。じっと待ってる。
 そのときが来るのを。恋の季節が来るのを。……ああ、恋ってどんなだろう。そう、思いながら地味に暮らしてる。
 恋ってなんだ? こんな風か、どんなもんか? 声をよくならしておかなきゃ遠くまでラブコールできないよ。
 そんな風にウグイスが恋に悩む姿を想像して、いつの間にか口の端が持ち上がっていた。
 次に述べるのはボクの忘れ得ぬトラウマ、だ。時々思い出して胸が痛くなるのをまだママにもだれにも言ってない。
 車には五人、乗っていた。正確には土砂に半ば埋もれたボンネットに四人。ボク一人が中に取り残された。細く開いた窓からは地下水がしみこんできており、このままじゃ窒息もしくはがれきの下で圧死するだろうと思われた。
 姉が震えながら、泣き出しそうに言った。
「こんなのもういや」
 ママが勇者のように言った。
「勇司がまだ下にいるわ。あたくしは残ります。あなた、レイナを連れてレスキューを呼んできて」
「それじゃあ、おまえ……母さんはどうするんだ」
「いいんだよ。足手まといになるくらいなら、ここで孫を見守っているよ」
 そう言ってパパのママは窓のスキマから差し出した手をシワのある暖かな手で包み込んでくれた。
「義母様 ……よくわかりました。あたくしだってこの子の親です。途中で参ったりなんかしませんわ」
 そして暖かな手に、ひんやりと冷たいぼろぼろの手が重ねられた。
 だけど、母の悲壮な決心は早くもぐらつき始めた。細身の身体に白いシャツが似合ってて、ボクはママのデザイン眼鏡のクールさが大好きでわざとからんだりもした。だけどそのとき小雨が降って、薄着だったママは全身を冷やしてしまったのだ。
 すっと、パパのママが差し出したのは、キャリアを誇るボクのママが、決してできない『手編み』のストールで、当時ママは、『手編み』のセーターなんかをボクが受け取るのを見て、
『なんですか?! あたくしが夫とこの子らに寒い思いでもさせてるっていうんですか? うちは床暖房だし、毛糸の帽子なんて、スキーに行くついでに買うものでしょう!!』
 毛糸を見るのも嫌がるくらい、パパのママを憎むように見てた。まるであてつけのように見えたのだろうか。
 でもパパのママは編み物を止めなかった。
 いきがい、と言っていて、誰かのためと思えばすいすいできてしまうとも……。
「……大丈夫です。義母様はご自分の身を考えて下さい。ご自分も要救助者だってこと、忘れないで下さい」
「では、勇司さんに」
「義母様。そのようなこと……すぐにレスキューが来て、どうにかしてくれますわ」
「あなた……ここはとにかく体温を保たねば、この子はまだ九歳よ」
 窓のスキマから暖かな薄紫のきれいな色のストールが入ってきた。ボクはそのとき叫びのような泣き声を耳にした。
 ママの、泣き声を。きっといろんなことが去来したのだろう。
 完全にパニックだ。
 今までのことが、ママを打ちのめし、追い詰めてしまったのだ。
 あんな凍るような寒さと、仲の善くないパパのママと一緒になって、ボクを助けてくれようとしていた。
 そのことは感謝しても未だ足りない。
 だけどあんな告白を聞きたかったわけじゃあなかったんだ。
(ママ、ボクは不幸じゃないよ。ママがいてくれる。それだけで、がんばれる気がするんだ)
「ああ、あたくしは誰かのためにでなく自分のためだけに生きてきた。キャリア?!  そんなもの! 今この子を助けられずに何が……!」
「ママ、ママ、ボク大丈夫だよ。だから……」
(泣かないで――)
 そう言いたかったのに、涙があふれて、しゃっくりが止まらなかった。
 ボクはストールの端をママの方へと差し出した。
 せめて、涙を拭いて欲しかった。
「どうしてそんなことをするの? こんな時に優しくできるの?」
「ボクのママは助けてって言わなくても、いっつも助けてくれる、そうじゃない?」
 正直、ボクは自分の命は諦めていた。だからだろうか、ママはそんなボクに不吉なものを感じ取ってしまったみたいだった
 ボクは身をもって、そんな肉親の絆というべき情の強さを知った。日本に生まれて良かった。
 そのうち地盤が緩んできて余計に危なくなった。心細さにママはボンネットの泥にまみれた顔でないた。
「ここどこよ! 日本じゃないの?」
 悔しそうにボンネットをたたき、その事実を知った。
 レスキューが来ない! それだけ危険地域に入り込んでいたのだ。気が付かなかった。
「ここどこなのよ! ここは安全でクリアな日本文化の町でしょう! ちょっとくだったからって、土砂崩れ? なにそれ、僻地じゃあないのよ! ああああー! 勇司、一番つらいのはこの子なのに、キャリアがなに? この子を助けられないで何が……勇司、ゆう……」
 絶望に母が慟哭で叫んだときだ。

  はーるうーは、名のみーのお、かあぜえーのさあむさやあー

 ぽつぽつとパパのママの声が聞こえてきた。

  ときいーに、あーらずーと、こえーもたーてずうーう。
「時にあらずと」
 待っています。待っております。いまここにおります! 美しくは鳴けないけれど、声高には言えませんけれど、今ここに助けを信じて待っております。
「あの歌は母さん! レスキューの皆さん。こっちです。あの声! 家族は諦めてはおりません。助けを求めております! どうか! 見捨てないでやってください」
 後からきいたら、相当危ない救出劇だったそうで、ボクはあとで何度も記者会見で同じ事を聞かれた。
「怖くなかったですか?」
 無骨なマイクが、集音器が突きつけられる。
「御両親に再会してどう思いましたか?」
 くだらないの極地だ。きかれるたび、ボクは泣いた。わざとじゃない。涙が出るんだ。勝手に。恐怖と、あのときのストールの暖かさと確かにママと繋がっているという安心感。
 魔術師のようにボクをすくいあげてくれた大人達。ボクは目を見開いた。その光景を思い出しては胸がいっぱいになる。忘れるもんかと涙がこぼれる。
 ママはボクのストールの反対側を握りしめて言った。
「勇司、諦めちゃいけない。助けはすぐよ。こんなところでぐずぐずしてたら、だめ。心をしっかり持つのよ。ママがいるわ」
 ママがいるわ……まるでそれは呪文のように、言葉にして繰り返された。
 事故にあって、一番言いたいことがあったのはママの方だった。化粧気のない表情を見られまいと、決してカメラに写ることはなかったけれど。それ、正解。
 ボクは脱水するほど泣き尽くしていたので、よろよろとして涙も出てこなかったけれど。それでお葬式の時ひんしゅくを買ったけど、でも一番つらいのは身内なんだよ! 
 陰で悪口言う人に、慰めるようなことされたくない。 
 ボクは泥だらけでも公園で遊ぶ幼児みたいなもんだったし。ママはボクを励ますために散々涙を流した。パパのママは歌を歌ってはくれなくなってしまったけれど、あの歌だけはしみじみと心に残っている。ボクは最近、気が付いたのだけれど、あれからママはあの淡い紫色のストールをきれいにたたんで防虫剤まで入れて桐ダンスにしまってあるらしかった。それはボク達をつないだ魚座のシンボルのように。大切に、大事に、とってある。   

ぬくもり

スランプ中に書いたら、より幼くなってキャラが一人語り。
あえて9歳児にしたのはそのせいもございます。

ぬくもり

アクシデント。母と子。父と子。夫婦の絆。親しいひとの死。尊い犠牲。知恵者の不在。 そんなものがかけたらと、思いながら書きました。

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2011-01-08

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

Copyrighted