雪解けと花守 上
「ばかね、貴方は・・・」
そう言って泣きながら笑ったのは私のほうなのに、どうして貴方がそんな顔で笑うのよ。・・・ばか。
お昼休みには、いつもここに来ていた。
多分、ただの習慣になっているだけ。昔、貴方のことがどうしても忘れられなくて、ずっと来ていたから、もう身体が覚えているだけ。
少しだけ感傷に浸っていると、ぎぃっと音がしてドアが開く。
「いつもここにいるな」
私は振り返ると、けだるそうにこっちを見る会社の同僚に笑いかけた。
「ごめんなさい。ここは貴方の場所だったわね。」
「その貴方って言い方やめてくんない?そろそろ名前で呼んで欲しいんだけど。」
「あら?名前、なんだったかしら?」
すると、彼はものすごく不機嫌な顔になって、ぼそっと、自分の名前を告げる。その様子がおかしくて、私は久しぶりに声をあげて笑った。
「笑われると腹立つんですけど?」
すっかり機嫌そこねてしまった。
「あな・・・由貴(ゆき)くんは、いつもここに?」
由貴くんの発言は無視して、問いかける。
「最近は、あんたにとられてるけどね」
ぷいっとそっぽを向く感じは猫みたいだ。
「すぐ返すわ。・・・少し昔のこと思い出してただけだから」
そう言って笑った顔が気に食わなかったのか、由貴くんは言った。
「あんた、綺麗なのにもったいないな」
「え?」
「綺麗だから、儚げに笑っても綺麗だ。でも、あんた、そんな薄幸美人系じゃ絶対ない。どっちかっていうと、男勝りっていうか、豪胆っていうか、こう、・・・脳筋バカっぽい」
黙って聞いていれば、散々なこといってくれるな、この男は。褒められてるのか貶されているかわからない。
じとっと由貴くんをみれば、にやにや笑っていた彼はふと真剣な顔をして言った。
「上にいけねぇーんだよ。」
意味が分からなくて、きょとんとしていると、由貴くんはまた同じことを言った。
「上にいけねぇーんだよ。あんたが、そうやって想ってるから、心配で上にいけねぇーんだ。ずっとずっとあんたの隣で。もう、解放してやれよ。」
「・・・いる、の、?」
由貴くんはうなずく。
・・・貴方がずっと隣にいてくれたの?私が想ってたから?
「バカね。どうして貴方はいつもそうなのよ。」
人の心配してばっかり。少しは自分の心配したらどうなの?貴方と別れて何年経つっていうのよ。・・・うじうじしてるのは私のほうじゃない。
はぁっと息を吐くと、由貴くんに尋ねた。
「どこにいるの。」
由貴くんは、隣と短く言う。
「さっさと逝きなさい!ばか!!!貴方に心配されるほど弱くないわよ!!!」
大声で言うと、笑い声が聞こえる。くるっと振り返って冷ややかに由貴くんをみた。
「なによ。」
「いやいや、そっちの方があんたらしいと思って。」
ゲラゲラ笑っている。本当に失礼な男だ。
ふわっと、風がふいた。
・・・ああ、逝くのね。ごめんなさい、ずっと心配かけて。
風が頬をなでると、なぜだか貴方が逝ってしまったことがわかったの。
「・・・桜守(さくま)って名前が、ほんと似合ってるな、あんた」
「私、由貴くんに名前教えてたかしら?」
「さぁ?・・・でも、その名前、花守(はなもり)からきてんだろ?」
驚いた。そういい当てた人なんて一人もいなかったのに。
「どうして?」
「花守の別名は桜守だからな。そんで、ピンときた。」
普通はこないわよ。かわった名前ねっていわれるだけなのにと心の中でつっこむ。
「母が付けてくれたの。私が生まれるとき、桜が綺麗に舞ってて、春に祝福されている、守られているって思って安心したって。だから、この子も何かを守ることができるような子になって欲しいって。」
由貴くんは、へぇと興味があるのかないのか分からない返事をした。それでも構わず、私は続ける。
「それに母は和歌とか俳句が好きだったから。それで花守って言葉をみつけて、この名前にしたらしいの。」
「似合ってるよ。・・・昔と全然変わらない。」
「え?なに?」
ふるふると由貴くんは首を振ると、にやっと笑った。
「あーあ、やっと邪魔者いなくなって清々した」
「邪魔者?」
「桜守ちゃんにずっとべったりだったし?あの男。これでやっと口説けるな」
頭をかかえたくなった。
「俺は、結構、あんたのこと好きだよ?」
にやにや笑ったまま由貴くんは、告白だけおいて、会社にもどっていった。
そんな彼に、これからどうしたらいいのと頭が痛くなっていた私は彼の言葉にも表情にも気づかなかった。
「・・・やっぱ、おぼえてねーか。」
そう言ってずるずると座り込んで泣きそうな顔をしたのは、由貴くんのほうで。
「好きだよ、桜守。ずっと想ってんのは、俺のほうだ・・・。」
ぽたっと、流れ落ちていったものは、降り出した雨に溶けていくように消えていった。
雪解けと花守 上
これは上下で完結作品です。
桜守と由貴って名前はすごく好きです。