待木さんはメルヘンの中

1

 ええ、私、本当に情けないお話なのですが。
 眠っていました。眠っていたらしいのです、一か月弱。風通しの良い、カーテンが柔らかく揺れる病室で、ぴくりとも動かずに高校二年生の夏を棒に振ったというのです。
 私も初めは信じられませんでした。目覚めてから約二十秒後、枕元のナースコールを連打連打連打。とにかく人を呼ばなければという気になりましたから、親指をもぐような勢いでそれはもう、押しました。
 すぐに看護師さんが病室に飛び込んできて、身体を起こした私のことをまじまじと見つめてきました。
「おはようございます」
 起き掛けのあいさつを私がすると、はっとしたように看護師さんは動きだし、「おはようございます、ご自分の名前は言えますか?ここがどこかわかりますか?」などなどあわただしく質問を始めました。
 名前はともかく、ここがどこだかくらいは分かります。ナースコールでナースが来る場所なんてひとつしかないでしょう。しかし、これもまた無様極まりありませんが。
「名前ってなんですっけ」
 今思い出しても恥ずかしい!
 まさに顔からカプサイシン!
 そんなこんなで精密検査にぶち込まれ、軽度の記憶喪失との診断が下ってからようやく私は、私の名前が仲谷緑子であるという事実を知るのです。
 なるほど耳にしてみると、私は仲谷緑子なのだという実感が不思議にひょっこり現れるものです。山田花子でも名無しのごんべえでもなく、私は仲谷緑子だったのです。それはなんというか、馴染みがある、という感覚が一番しっくりきます。
 お医者様のおっしゃるには。
 記憶は消えてしまったわけではなく眠っているだけで、きっかけさえあればそれらは用意に取り戻せるとのことです。つまり私の場合は、一週間もあれば元の日常へ帰れると。
 私はそれを聞いてなんだか安心していました。塗りつぶされた過去には必ず光が差すと断言されたのです、たとえ今私が何も持っていなくても、胸に湧き上がる希望!私には明日がある!
 だから何はなくても女学院への復学にだって、私は無邪気に心を躍らせていたわけであります。
「緑子ちゃん、退院おめでとう!」
 クラスメイトたちの温かな言葉と、置かれた状況が背反しています。背中をずるりと重たい何かが垂れていくのを感じて、私は硬直したままの身震いを禁じえませんでした。
 彼女らは笑顔で手を叩いて私を迎え入れてくれました。強烈な人は、私の頬を舐めるくらいに、それはもう熱心に退院を祝ってくれました。
 だけど私は、「皆さんありがとう」と言えない。
 担任の先生に事前に聞いていた、私が座っていたという机の上には、これは、あまりにも、明確な意味を持ったクラス全体からのメッセージともいえるような。花瓶にいけた菊の花が置いてあったのです!
 酷い!陰湿だ!むしろ明朗としている!私が貴女方に何をしたというのです!
 拍手に包まれながら、私は開眼します。何をしたのか、ひとつも覚えていないことが恐ろしいのです。心当たりという心当たりはすべて少なくとも現在は、忘却の彼方なのですから。
 私にできることと言えば、ただその場限りの感情を露わにすることだけだったのです。
「皆さん、これはあんまりです!一体全体なんですか!私の名前は仲谷緑子です!」
 おさげをぎゅっと握りしめ、めいいっぱいに私は叫びました。勢い余ってマイネームイズミドリコまで主張してしまいましたが効果はてきめんで、先ほどまでの騒音がまるで嘘のように教室は静まり返りました。皆が皆、同じような顔で私を見つめています。皆さん、唖然としたハニワのごとく口をぽっかり開けています。
 数秒後、ハニワと化した集団の中から、切れ長の目元が美しい長身の少女が一歩前に出て、静かに言い放ちました。
「緑子ちゃん。あなたの席はその隣よ」
 ななななな。
 少女は息をひとつ吐き、首を少しだけ傾げています。
「相変わらず抜けているのね?」
「記憶は確かに、抜けています」
「先生に聞いています。その様子じゃ私のことも覚えていないのでしょう」
 申し訳なさと恥ずかしさで頭が地獄の釜になりかけたその時、視界の端に映った菊の花が、おそらくこのクラスで私にとってだけはとても、とても場違いなものに思えたのです。

2

 復学当日はそれなりにちやほやされたものでしたが、それは私に具体的な人望があったからという訳ではないようです。翌日には皆私がクラスにいる風景に見慣れ、わざわざ声をかけてくるような人はいなくなりました。
 徐々に日常へと戻りかける私に残されたのは、執拗に頬を舐めてくるクラスメイトくらいのものです。ざらついた舌の感触とインパクトのある挙動のおかげで私は、彼女のことについては大方のことをすでに思い出しました。名を、牧江花凛と言います。
「ワン!」
 これが彼女の言葉です。
 無い耳をぱたぱた、無いしっぽをふりふりさせて私に身体を摺り寄せる彼女は控えめに言っても犬なのです。花凛が女学生の身分、人間としての尊厳をかなぐり捨てて、二足歩行の大型犬に甘んじている彼女という存在もまた、この女学院においては日常の一部に過ぎません。
「花凛はずっとあなたに会いたがっていたのよ」
 花凛が私の足元で丸くなって寝息を立て始めたのを見計らったかのように、話しかけてきたのは棚上さん。涼しげな瞳が今日もお美しくて同性の私ですら見惚れてしまいそうです。
「あなたがいない間は荒れ放題だったわ、誰にも手がつけられなくてね。親切心を出して構ってあげようとした生徒は手酷く噛まれてしまって。やっぱりあなたに一番『懐いて』いるのね」
「花凛は少し警戒心が強いのです。怪我をされた方にも花凛にも申し訳ないことをしてしまいました」
「あなたのせいじゃないわ、あなたはそれどころじゃなかったのだし、それに」
 なぜか言葉をいったん区切り、ちらりと花凛のほうに視線をやる棚上さん。大型犬がぐっすりと眠っていることを確認して、彼女は少しトーンを落として言ったのです。
「待木さんが、突然亡くなったんだもの。しかも、あんなかたちで」
「ええっ?ま、まさか待木さんって、こちらの?」
 隣の席に飾っている意味深な菊の花はこれだったのか!
「自分が死にかけている間にクラスメイトが死んだだなんて考えるだけで恐ろしい話です、面識がない方とはいえショッキングです、まさに生死の交差点です!」
 思ったことをすぐに口にするのは悪い癖で、気づけば棚上さんはこれ以上ないくらい怪訝な様子の表情でこちらをじっとりと見つめています。またやってしまった!
「申し訳ありません!私また変なことを」
「面識がないって言った?」
 眉間にしわを寄せた棚上さんが、確認するように私を見つめても、私としては頷くことしかできません。待木さんと私が少しでも顔見知りであるならば、その名前を聞いた瞬間例によって少なくともいくつかは彼女に関する情報が引っ張られて自然と思い出されるはずなのです。
「あなた、待木さんを覚えていないの?」
「思い出せないのです、待木さんという方については何も」
「あなたたち、仲が良かったでしょう」
「そ、そんなはずはありません!だって私、待木さんのお姿すらほんの欠片だって知らないんです!」
 眼鏡の向こう側の世界がゆっくりと、ぐりぐりと、回り始めています。頭の中ではアンノーン待木さんについての検索が行われていますが、当然の如くノーヒットなのです、それなのに棚上さんは、追い打ちをかけるようにこんなことを呟くのでした。
「いつも一緒にいたはずなのに、ほんの少しも思い出せないなんてことがあるのね」
 いつも、一緒……!
 つまり私の学生生活の約半分は待木さんであるはずなのです。それなのに私は、その半分をまったく思い出せない!失われた!失ってしまった!
「私は待木さんを失ってしまった!」
 思わずよろめいて頭を抱え込む事態。私の知らない私、私の知っていたはずのクラスメイト、待木さん!
「棚上さん、私、私……」
「落ち着いて、緑子ちゃん。他のことが思い出せたんだもの、きっとすぐに思い出せるわ」
「つ、つかぬことをお伺いしますが、待木さんは一体、どんな方だったのでしょうか」
「そうねぇ……」
 しばらく考え込むように左手を頬に当てた棚上さんが、視線を頭上で泳がせます。が、次の瞬間彼女はあっけらかんとした口調で、
「思い出せないわ」
 などと言い出すのですから、私としても一瞬の沈黙は禁じ得ないのでした。
「……どういうことでしょう?」
「思い出せないの。不思議ね、待木さんというクラスメイトがいたことだけは確かに知っているのだけれど。私はあんまり話したことがなかったから、印象が薄いのかもしれないわ。部活の子に訊くのが一番でしょう」
「ぶ、ぶかつ」
「あら、自分の所属していた部活も思い出せないのかしら、間抜けねぇ」
 寛大に、屈託なく笑う棚上さんに返す言葉もありません。ただただ間抜けな私は赤面し、恥を忍んでそのことについて尋ねました。
「私と待木さんは同じ部活に所属していたのですね?」
「そうよ、オカルト愛好会で精を出していたでしょう」
 その聞くからに胡散臭い所属先に、思わず絶望する自分がいました。一体学生生活を何に費やしていたのか!その答えすらも今だ、『待木さん』と共に塗りつぶされてしまっているのですから、難儀な現状です。

3

「あ、緑子さんだ」
 オカルト愛好会が陣取る部室の前を行ったり来たりしているところを、知らない声に呼び止められた私は軽く悲鳴を上げてしまいました。振り向くと声の主であろう女子生徒、非常にけだるげに牛乳パックのストローを齧る女子生徒が、私をじっと見ていました。
「緑子さん何してるんすか?ってかお久しぶりですね、今まで何してたんすか」
「っあ、えっと」
「まさか交通事故にあって後遺症で記憶喪失とか?やめてくださいよぉ、マジ笑えないですよぉ、全然笑えないんですからね、ただでさえとんまなのにー」
 まさにその通り、記憶喪失であります仲谷緑子!
 何も言えずにその場でだらだら汗だけ流していると、女子生徒はまるで私を小馬鹿にするような口調で続けます。
「へぇ~噂は本当だったんですね。いやぁ緑子さん、いくらとんまでもそりゃないでしょお、忘れないでしょう普通。私たちオカルト同好会が日々切磋琢磨してきた思い出も全部全部水の泡なんですかぁ?」
「いえ、そんなことは」
「私のこと覚えてます?その調子じゃ全然ですね、改めて名乗っておきましょうか?」
「ぜ、ぜひよろしくお願いします!」
「私ですよ、緑子さん。待木です」
 その名前が出てきた瞬間、まるで雷に打たれたような衝撃が私を襲いました。そりゃそうです、先ほど散々死んだ死んだと言われた待木さん、そのご本人がこの目の前の!少々無礼な!少女であると!一体誰が予想したことでしょう!
 そうここはオカルト同好会、アンデッドの友人がいても確かにおかしくはないのです。求めていた私の青春の半分が今、ひょっこり墓場から還ってきたということです。
 私はよろり、よろりと二、三歩後ずさり、「あ、あなたが」と思わず呟いてしまいました。
「あなたが待木さん!」
「そうそう、あんなに仲良しだったのにもう忘れちゃったんですかぁ?酷いなぁ緑子さん、薄情だなぁ緑子さん、悲しいなぁ緑子さん。私たちの友情は車一発で吹っ飛ぶような軽いものだったんですね……いやぁー至極残念、これからの付き合い方だって考えちゃいますねぇ~!」
「財部ちゃん!それ以上はアウト!いくら財部ちゃんでも私めちゃ怒るからね!」
 その時ガラリと部室の扉が開き、片手に箒、片手にちり取りを持って小柄な少女が飛び出してきて待木さんに凄まじい剣幕で詰め寄り、土下座の準備をしていた私をビッと指差して叫びました。
「緑子先輩の前で!よくもそんな悪ふざけを!」
「はは、今更この人の前で悪ふざけするのなんてな~んとも思わないねぇ」
「財部ちゃんの!バカバカ!緑子先輩も何とか言って……って、あ、そっか、記憶がないんだっけ……」
 私はこの旋風のような少女に見覚えがありました。というか、その剣幕を見て、今思い出しました、恥ずかしながら。彼女は、彼女は……。
「美波さん……」
 私がその名を呼んだ途端、彼女は頬をピンク色に染めて一瞬驚いたような、そんなかわいらしい顔をしてこちらを見つめてきました。
「お、覚えててくれたのですね……」
「えっと、実は、あの」
「感激です!ありがとうございます!」
「何喜んじゃってんのぉ、この人の記憶喪失は軽度で、きっかけさえあれば思い出すもんだって二年の先輩が言ってたし。美波がちょろちょろ動いてるの見て今偶然思い出しただけでしょ」
「っみ、緑子先輩!財部ちゃんのことは!財部ちゃんのことは覚えてますか?!」
 待木さんではない?財部?財部ちゃん?
 ストローをかじかじする背の高い、目つきの悪い、この少女は、待木さんではない?
 財部ちゃんと呼ばれた少女が左手に持つ、牛乳パックが私の脳内で破裂しました。
「だ、断崖絶壁の梓ちゃん……」
「先輩ッ!」
 頭に浮かんだ言葉をそのまま垂れ流した直後、私ははっと両手で口を抑えます、が、もう遅い。先ほどとは明らかに質の違う、冷酷さを帯びた眼光が私を頭上から射抜きます。地雷を踏みぬいてしまったという自覚が、後悔へと変わっていきました……彼女、梓ちゃんは……胸部が少々貧しいことを他人に指摘されると、魔人に変貌してしまうのです。
「よく、覚えていらっしゃるじゃないですか」
 女子にしては大きめな手で頭蓋を掴まれた私は、自分の軽率さを呪いました。車に跳ね飛ばされた時すら感じなかった死の恐怖に直面している現状。
 嗚呼、オカルト同好会。思い出した、ここが私の荒々しい日常の場。
「やめて財部ちゃん正気に戻って!緑子先輩病み上がりなのよ?!」
「うるせぇBカップ以上の女が知ったような口聞くんんじゃねぇ病み上がりだろうが乳上がりだろうがこのメガネホルスタインだけは許せねーんだよ」
「ううっ、マイネームイズミドリコォ……!」
「緑子先輩逃げてください!!」

4

 西校舎三階、B305教室。禍々しく不吉な研究を続ける猛者どもの集う場所、それがオカルト愛好会。学校中から「胡散臭い」のレッテルを貼られても尚、自らの根源的な好奇心に従い活動を続ける、誇り高き集団、それが私たちです。
 部室の中は相変わらず、おおよそ学校にはそぐわないであろう物品であふれかえっていました。本来理科室で吊り下げられているべき骨格標本がソファで脚を組んでいるのはどういうことなのでしょうか。机に張り付けられた「こっくりさん用紙」とその横に置かれた数枚の十円玉、一目であの魔術的行為が常習的に行われている環境であると分かります。
「窓辺にぶら下がる大量のてるてる坊主!散らかり放題のタロットカード!骨董市で買ったとかいう河童の手のミイラ!はぁ懐かしい!懐かしくも、私若干悲しいです!一旦学校から離れてみたら少し冷静になってしまったのかもしれません……」
「先輩、こういうのは冷静になっちゃおしまいですよ、青春しましょ」
「青春の意味を私たちははき違えすぎています……」
 しかし、このような現実離れした空間の中にもひとつ、明確な事実がこびり付いているのでした。使い込まれたこっくりさん用紙が貼ってある机とは反対側に置かれた机の上には、黄色と白の美しい菊の花が、まるでインテリアのように置かれています。少ししおれたその花が視界に入っても、私は何も思い出せないのです。
「先輩、見てください。先輩がいない間、私たちまた新しい研究に着手したんです」
 美波さんが机の引き出しから取り出し、笑顔で差し出してくれた分厚い冊子の表紙には、『降霊術の有効性について』と書かれていました。苦笑いをしながら受け取りぱらぱらとめくると、世界中の降霊に纏わる話から始まり、実践編までまとめられています。この情熱をもっと他のところに生かせないのでしょうか。
「非常に興味深い内容ですが、結論は……」
「残念ながら実践編にて、降霊術はほぼ不可能であるという結論に達しました」
「……貴女方、まさかここに書いてあることを全部実践してみたのではありませんか」
「はい、夏休みの間、一年生みんなで毎日集まって実験しました!準備や手順は全て私がきっちりと監修したので間違いはありません!」
 私は心底美波さんの頭を撫でてあげたくなりました。先輩として彼女にしてあげられることは他にもあるのでしょうが、第一にそうしてあげたくなったのです。
「まぁ、この夏は降霊術をテーマにするには最適すぎましたよ。呼び出す対象に関しては私たちはまったく困りませんでしたからね……」
「た、財部ちゃん」
 ソファにぼふんと身体を投げ出し、骨格標本をいじくりながら不敵に笑う彼女は、まさしくオカルト愛好会にふさわしい少女と言えるのではないでしょうか。先輩という立場でありながらも私は、たびたび彼女は敵わないと痛感させられます。
 温厚で真面目な美波さんとは対称的に、財部梓という女子生徒はどこか悪魔的な雰囲気を漂わせており、学内でもかなり浮いた存在であると私も感じています。確か河童のミイラを買ってきたのも彼女だった記憶があり……その骨格標本を持ち込んで妙な名前をつけて可愛がっているのも、彼女です。確か。末恐ろしい後輩であるということはもはや、自明でしょう。
「私たちは血眼になって『探しました』よ。降霊術という呪は、死後人間が、私たちの生きる世界とは別の何処かに逝くという前提が必要ですので、それはもう、古今東西様々な霊界の扉を叩いて回りました。オデュッセイアに記載された最古の冥府ハデスから始め、六道下位の地獄、ヘブライ人のシュオル……詳細はその冊子に事細かに記述しましたがとにかく、回るところは全部回ったんです。だけど、何処にもいなかった」
「いなかった……?」
「何処を探しても待木さんはいなかったんですよ。あれだけ探したのに、可笑しいですよね」
「……魔術の実験は総じて失敗に終わり、死後の世界を立証できる事例もほとんど存在しません。降霊術自体の信憑性を考えると、その結論は、あまりに……」
「それをあんたが言うんですか?緑子先輩」
 私の言葉を遮り、嘲るような笑みを浮かべ梓ちゃんが呟きました。
「待木さんはどこにもいない。消えてしまったんだ。それを今一番実感しているのは、緑子さん、あんたのはずです」
 返す言葉もありませんでした。私はその場で黙りこくり、俯くしかありません。いつもの私であれば一言でも二言でも返すところですが、こればかりは何も言えません。事実、はっきりとした理由すらも思い当たらず、待木さんの存在は私の中で立ち消えてしまっています。
 学生生活の一部として組み込まれていたオカルト愛好会を訪問しても、私は未だに何一つ彼女を思い出していない。視界の端で、花瓶の菊はそよりとも揺れず。
「っ財部ちゃん!」
 掴みかからんという勢いで美波さんが飛び出しますが、それを物ともせず梓ちゃんは笑っていました。
「美波、お前も一緒に色々『試した』んだから分かるだろ?」
「だ、だけど、わざわざ緑子先輩に対してそんな言い方をしなくてもいいじゃない!待木先輩が亡くなって動揺する気持ちは分かるけど、そりゃ私だって、信じたくなかったけど!けれどよりによって緑子先輩にそれをぶつけるのは違うよ!」
「お前、分かってないな」
 言うが早いか、梓ちゃんは大きな右手で美波ちゃんの顔を乱暴に掴みました。止めに入る暇すらなく、彼女は悲痛な響きを孕んだ低い声で、囁いたのです。
「いいか?あの人は死んだんじゃない、消えたんだ!」

待木さんはメルヘンの中

待木さんはメルヘンの中

女学院高等部にてあれそれのメルヘンの中から親友・待木さんを探し出したい記憶喪失少女こと仲谷緑子は、おつむがそこそこダメだった。有も無も耶の耶に収束せよ。何でもあって、全てがないのだと、少女たちが気づくまで。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 青春
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-09

Copyrighted
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