さよならの言葉

2012/04/05

 夕日に染まるこの町は美しい。弟子入りした頃は街に使いへ出る度、建物の大きさや装飾に驚いたものだ。その頃の気持ちを忘れた訳ではないが、最近は治安が悪いことを理由に郷里への思いが強くなる。
 問題は治安の悪さだけではない。この都の人々と里のあたりに住む者とでは、生きる時間が違いすぎてうまく合わせることができない。いつも何かに追われて生活をするのは、とても息苦しい。息が苦しくなると、生きるのも苦しくなる。生き苦しいとはよく言ったものだ。昔は見えていたものが見えなくなる程に目紛しく変わる町は、畑と共に生きていた人間には忙しすぎる。
「どうした、こんなところで黄昏れて」
 聞き慣れた声に振り向くと、やはり見慣れた男が間抜けな顔で立っていた。彼のような楽観的な人間であればと何度思ったか。親し気な様子で隣りに居座る彼は、誰に対しても馴れ馴れしい。年寄りに可愛がられる上に子どもにまで懐かれる様は、呆れもするが、羨ましくもある。重ねて、彼の仲間の多さに対して、嫉妬の様な感情まで沸いてくるから情けないと、ため息が漏れる。
「声かけて欲しくなかったか。何か悪いことしたなら謝るけど、顔見るなりため息をつかれるのは傷付くぞ」
 こちらの感傷などどこ吹く風かと、率直な意見をぶつけられる。反射的に、悪い、と謝罪の声が出た。
「里に帰ろうかと思ってる。時期はまだ決めていないが、あまり長くは居られない」
 彼は眉根を寄せた剣幕で詰め寄ってくる。
「急だな。どうして」
「急じゃないよ、ずっと考えてた。貧しくても里で畑耕して暮らすのが性に合ってるんだ」
 理由を考えれば考える程、言い訳に聞こえてしまうのが癪だった。帰りたいと思う気持ちに嘘はないのに、まるで口実を探しているようだ。
「そうか、淋しくなるな」
 いつも人に囲まれている彼に、淋しいと思う瞬間などあるのだろうか。今は嘘だとしても、優しさが嬉しく思う部分もある。少し不機嫌な顔の阿呆面がこちらを向くと、突然くるりと笑顔を作った。面食らって少し身を引いてしまう。
「俺、前に話してくれたお前の母ちゃんの、魚と茸の包み焼き食べてみたい」
 よく覚えているものだと、驚いた。話したことがあったかもしれないが、随分と昔の記憶だ。
「懐かしいな」
 遊び半分で釣った魚と、弟たちが集めた茸を、母は見事に調理してくれた。あまりの美味しさに、魚を釣る腕が上がってしまった。食べられない種類の茸にも詳しくなった。母の言う通りに包み焼きを作ってみたものの、同じような味にならずに残念がったこともある。母の料理を思い出すと、故郷の香りが漂うようだった。
「俺、食べに行くから、待ってろよ」
 その申し出が夢物語に聞こえて、笑ってしまう。
「ばか、遠いから無理だ」
「いや、行くよ。旅に出るんだ。世界を見てまわりたいから、お前の家の美味い飯も食べたい」
 能天気に笑う彼には呆れてしまうが、少し羨ましくもある。だから彼が羨ましがる飯を食べに、帰ろう。
 さよなら、大きな町。

さよならの言葉

続きません

いつか物語になればと思います

さよならの言葉

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 青年向け
更新日
登録日
2012-04-05

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