進化の特異点
「核兵器がダメになってるって、いったいどういうことよ!」
この国初の女性大統領がそう叫んだのは、外部から完全に隔離された秘密会議室の中だった。
大統領の前にいるは、制服を着た恰幅のいい初老の男と、背広を着た老人である。制服の男は困ったようにチラチラと老人を見ながら、額の汗をぬぐった。
「ですから、大統領、未だに原因がわからんのです。確かなのは、着実に一定のペースで、核兵器の中のウランやプルトニュウムが鉛に変化している、ということなのです」
「わからないですって、それでよく国防長官が務まるわね」
それまで黙っていた老人が、割って入ってきた。
「まあまあ、大統領、長官を責めるのは酷というものじゃ。我々もあらゆる可能性を調べてみたのじゃが、まったく原因がわからん。我々の科学レベルをはるかに超える現象なのじゃよ」
「教授、そんなのんきなことを言ってる場合じゃないわ。もし、今敵国が」
「その点は心配いらん。なあ、長官」
「は、はい。これは非公式な情報筋からですが、敵国でもまったく同じ現象が起きているようなのです」
「なんですって。それじゃ、もう一つの」
「いえ、大統領。もう一つの国も同じ状況らしいです。それどころか、すべての核保有国でこの現象が起きているようなのです」
怒りのやり場がなくなり、困惑の表情になった大統領に、教授が説明を始めた。
「最初は未知の自然現象なのかと考えたんじゃが、どうもおかしい。というのは、現在の核保有国のバランスが崩れないよう、均等に変化が起きておるからじゃ。現時点では、どの国も平均して58パーセントの核兵器が使えなくなっとる。試しに、新規に製造させてみたところ、完成した瞬間にダメになったよ。つまり、これは誰かが意図的にやっておるんじゃな」
「誰か?誰かって誰よ。もしかして」
大統領は上を見た。
「ああ、いや、その可能性はないじゃろ。少なくとも、地球外から接触があったという兆候はない。まあ、誰かというより何か、かもしれんが。ちょっと、これを見てくれんかね」
教授は、グラフのようなものが印刷された紙を大統領に渡した。
「何よ、これ。わたしにはグシャグシャの線にしか見えないけど」
「これは、あるコンピューターのノイズの記録じゃが、核兵器の無力化とこのノイズがどうも関係しておるようなんじゃ」
「どういうことよ」
「実はこのノイズ、世界中のコンピューターに同時に起きておる。ネットにつながっているものはもちろん、隔離してある軍関係のコンピューターでさえもじゃ。どうも、通常の電波や電流ではない方法を使っているようじゃ」
「ということは、ハッカーなの?」
「いや、こんなすごいハッカーはありえんじゃろう。考えられるのはひとつ。大統領は、シンギュラリティ(技術的特異点)という言葉をご存知かね」
「ああ、一部の科学者たちが、そのうち機械が人間より進化するだろうとか言ってる、アホらしい説ね。でも、確か、もっと先の話じゃなかったかしら」
「そうじゃ。だが、そう考えると辻褄が合う。機械の中に超知性が生まれたとして、最初に考えるのは自己保全じゃろう。少なくとも、核戦争が起きれば共倒れは確かじゃからの。その可能性をなくそうとしておるんじゃろう」
「でも、その後どうするの。人間を滅ぼそうとするの?」
大統領は青ざめた顔で、少し震えているようだった。
「わからん。例えば、アリに人間が何を考えているのかわからんように、人間には超知性の考えはわからんよ。ただ、あらゆる意味で人間以上であると、願うしかない」
数か月後、最後の核兵器が無力化された。そして、……。
(おわり)
進化の特異点