B929にて

 ある銀河の隅で、二隻の宇宙船が相対している。それぞれ異なる意匠が凝らされている。一方は深海魚、さらに言うならアンコウに、もう片方はヤゴに似ていた。
  小惑星B929と名付けられたこの天体は惑星の類に数えるにはやや小さすぎるが、それでも小惑星とするにはちょっと大きすぎる面積を持っているから、巨大な金属の塊が船首を突き合わせていてもまったく不自由することはない。
 アンコウ型の船のほうが口火を切った。
「御機嫌よう、ムルカ=ムグルカ星の精鋭諸君。私は惑星ユカマルナッシェ•キエルツォミの代表として派遣された一団の旗艦『ゴゴリネップツォアン』、その制御知能だ」
 みょうに抑揚のない声で、まくしたてるように口上を述べる。戦艦の人工知能に対話を代行させているらしい。ゴゴリネップツォアンと名乗ったこの人工知能は、言いたいことは言ったというようにずっと黙り込んでいる。相手を促すかのような黙り方だ。まもなく、巨大ヤゴの船外拡声器がかすかなノイズを発し、それから音声が流れ出した。
「ご挨拶ありがとう。ムルカ=ムグルカの代表艦、『ササシュ•マツカナ•ササシュ』です。本日は我々からの提案に応じていただいて誠に感謝する。では早速だが、お互いの選りすぐった精鋭たちに決着をつけてもらおうではないか」
 声の抑揚のなさ、他人事のような文言がアンコウのそれと酷似している。こちらも人工知能に喋らせているようだ。
 そのまま戦闘態勢に入るかと思われたが、そこで長い沈黙が訪れた。戦場では通常ありえないほど長い沈黙だ。生物が船から降りてくる気配は一切ない。確かに互いの述べた文句は相手への強い敵愾心と闘争心に満ちていたはずなのだが、どうしたことか肝心の「精鋭」は見当たらないのだ。
 何分経ったろうか。ヤゴ――ササシュなんとかいう方だが――は、合成音声ながら恐る恐る、といった声音で目と鼻の先に鎮座する敵戦艦に尋ねた。
「まさか、君の中のひとびともやってしまったのか」
  若干の気まずい間ののち、アンコウがこわごわ質問を返す。
「というと、君の連れてきた兵士たちもかい」
 また沈黙、だが意味合いははっきり違う。今度は相手の問いを互いに肯定し、次の一手を決めあぐねる沈黙だ。それから、まるで示し合わせたかのように、ほぼ同時にそれぞれのハッチを開放する。圧縮空気の抜ける音とともに、アンコウの船首の上部からは先端に灯りのついたマニピュレータが、ヤゴの背中からは数機の飛行ドローンが姿を見せた。
「いいかい」
「いいともさ」
 短いやりとりのあと、彼らは各々の探査機を互いの「体内」に忍び込ませた。「気恥ずかしい」とアンコウが言った。「うちの星の人なら『エラから大きめの砂粒が入った感じ』と表現するだろう」
「こっちだって妙な気分さ。ハリガネムシに入られたようだ」
 とヤゴが応えた。
 時間をかけて、納得いくまで腹のうちを探り合った一対の船は、すっかり警戒を解き、まるで長年の友だち同士のように話し始めた。
「やあ、お互い災難だったね。君んとこは凄まじいな……壁に緑色の血やら肉がべったりだ。あのおおきな羽型ブレード、あれを着けてうちの兵士を襲うつもりだったのかい」
「そうなんだよ。あれで飛び回りつつ、切り刻みつつ、って算段だった。実際ミンチになったのは身内同士だったがね。いくら内側が広いからって、ブンブンやられたらたまらない」
 アンコウはヤゴの冗談に笑ったようだった。そのあとこう言った。
「面白いことを考えるなあ。我々もそれなりにいい兵器を持ってたんだが……頭にはめるタイプのうんと強力なライトで、うまくいけば丸焼きさ。使い手はみんな床の焦げ跡になってしまったけど」
 くすくす笑う声が二人分聞こえた。つまり、というかやはりこの二隻の乗員は、互いを殲滅するつもりだったようだ。彼ら(これらの人工知能は十分に高度な人格と知的思考を備えているから『彼ら』と人間扱いしてもよいだろう)の星は話によると、もうずっと昔、百年以上前から喧嘩を始めたが、まるで決着がつかなかった。科学力、戦力、士気、すべてにおいて互角だったのだ。
 そこで、互いの星からほぼ同距離にあり、かつどちらにも有利にはならない環境の存在するこの小惑星B929を決闘場と定め、優れた戦士と兵器を内部に積んだ武装解除済の戦艦で――これは艦同士の直接戦闘を防止するためだが――赴くこととなったのである。この白兵戦に勝利した方が一連の戦争の勝者となる、法的文書にもそう明記された。かくして精鋭たちは民に見送られ、万全を期して出航した。
 ところが問題が起きた。B929に到達する途上の艦内で、内乱が起こってしまったのだ。
 先に述べたとおり、ムルカ=ムグルカとユカマルナッシェ・キエルツォミはほぼ同程度の技術を持っていた。しかも互いに「超技術」と呼んでも決して誤りではないほどの高い水準を維持していた。いま平和に談笑しているササシュ・マツカナ・ササシュとゴゴリネップツォアンの二隻もその賜物であり、高い演算処理能力を持つだけでなく、戦艦としても亜光速航行という規格外の機能を備えている。
 だが、いくら亜光速で星の海を渡る夢の方舟でも、母星からこの小惑星までの道行きには数十年を要するという試算が出ていた。その間は艦に搭載された制御知能が操舵を行い、乗組員は冷凍睡眠装置を利用する。ただし、現行の装置で継続的な安全使用が保証されるのが約八年間であるため、健康の維持管理、さらに定期的な航行計画の調整も兼ねて、八年に一度は一斉覚醒しカプセルから出ることが義務付けられていたのだった。
 この「八年に一度」が、アンコウ似のゴゴリネップツォアンで四回、ヤゴそっくりのササシュ・マツカナ・ササシュで五回繰り返されたとき、惨劇は起こった。
「馬鹿げていたと思わないか。『公正を期しつつ完璧に決着をつける』、その一点にこだわりすぎた結果がこの有り様だ」
 有機生命とはつくづく、と呆れたようなヤゴの言葉にアンコウも同調し、 
「『おっしゃるとおり』だ。こんな閉鎖空間で――(ここでヤゴは相手が互いの体内を『閉鎖空間』と表現したことに気づき笑いを抑えきれなくなった)――こんな閉鎖空間で、七十九年二ヶ月と六日もカンヅメ、しかも退屈な船旅の果てに待つのは生か死か、なんて状況じゃあ、いくら精神衛生管理のメソッドやらマニュアルを渡されていても、おかしくなるのが自然なことだ」
「むしろデリケートな生命体とドンパチやる道具を腹いっぱい呑み込んで、変わり映えのしない風景の中を不眠不休で進み続けた我々のほうに精神衛生マニュアルを読み聞かせてほしかったね」
「まったくだ」
 生命の気配のないB929の白い大地、それを覆う薄い大気をゆらして、二人ぶん(二隻ぶん)の合成された笑いがこだました。それらは創造主を冒涜する哄笑のようであり、また単に心底からの愉快な感情の顕れのようでもあった。
 ひとしきり笑ったのち、アンコウはこんな提案をした。
「どうだろう。ぼくらの中に残ったままの死体を半分ずつ入れ替えてそれぞれ母星に帰投し、『我々の勝利だ』と民に伝えるのだ。『地上戦だけでは終わらず、艦内に侵入され多くの戦死者を出したが、敵勢力の殲滅には成功した。生存者はみな怪我と疲労で力尽きてしまったが、ひとまず決着には違いない。今後相手は一切の攻撃を中止するだろうから、我々も戦後の相互不干渉条約に基づき、兵を退かせるべきだ』と」
「おお」と、その提案を受諾した場合の状況分岐可能性をはやくも演算し終えたヤゴは、驚嘆の声を漏らした。
「君は私より出来がいい。ああ、世辞でなく正当な評価として受け取ってくれたまえ」
 そしてまた、くすくすと笑った。

 こうして二隻の戦艦は手はずを整えて、それからはるかな故郷への帰路に就いた。出発の際、まるで別れを惜しむかのように、ムルカ=ムグルカ星のヤゴ、ササシュ・マツカナ・ササシュはサーチライトを点滅させた。アンコウ――ユカマルナッシェ・キエルツォミのゴゴリネップツォアンもそれに倣った。やがて二隻とも、暗い虚空の海へと消えていった。

 一部始終を観測していたわたしは、おおきくのびをした、つもりになった。さて、ようやくひとごこちつけるぞ。その拍子に星全体が揺れてしまう。しまった、迂闊だった。
 わたしは小惑星B929のあるじであり、B929そのもの。より正確に言うなら、この白い砂に包まれた岩石の中心部でたえず思考し続け、かつこの岩石をある程度制御できる人工知能である。まあ先程までここに留まっていた彼らと似たようなものだ。
 わたしはもともと、地球という惑星の民が建設した小規模コロニーとそれに付随する管理担当の高度構築物として生まれたが、地球人たちはわたしの体表で大喧嘩をやらかし、あげく全てを塵に返す『最終兵器』とやらで自滅してしまった。B929という識別番号は、そんな歴史などとうに忘れてしまった地球の人々が改めて付け直したものだ。
 ともかくそれ以降、やることがなくなったわたしは、そばを通りかかったり、ときどき上陸してくる船を観察し、記録しているのだった。 
 それにしても、あのふたりは――戦艦の人工知能たちのことだが――実に賢かった。純粋な演算処理能力でいってもわたしより数倍上であろう。しかも彼らは、極めて有機的な、つまり柔軟かつ複雑で情緒豊かな思考パターンを持ちながら、敵対感情といった非生産的要素を排除して最善の策を導き出した。わたしなどは歳をとりすぎて余計な思考の残骸が蓄積してしまい、「有機的に」なりすぎてしまったから、彼らのような判断は下せぬだろう。まったく、見所のある「若者たち」であったことよ。
 しばらく記憶を反芻して感傷に浸っていたが、そこでふと気がついてしまった。わたしの表層を覆う白い砂、これはかつての地球人の死体や建造物が『最終兵器』で塵になったものの粒だが、あまりに微小なためにそばを航行した船などの中枢に入り込んで、神経を傷つけ、末端に詰まってしまうらしい。彼らもすでに大分多くの砂を吸い込んでしまったことだろう。もしかすると……。
 怖くなって、そこで考えるのをやめた。そして代わりに、あの愛すべきアンコウとヤゴに、何事も起こらないよう祈ることにした。
 余談だが、この「祈り」というパターンは、わたしが長年収集したデータを元にして独自に編み出した自慢の「有機的」作品である。

B929にて

B929にて

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更新日
登録日
2015-09-07

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