金のオウムは森へ逃げた
召使いの少年は幸せでした。立派なお城の中で毎日、美しいお姫様のお世話ができるのですから。
たとえばお姫様がお城の庭で毬遊びをするとき、遠くに転がったそれを拾いに行くのは少年の役目でした。毬が茂みにはまれば迷わず潜り込み、池に落ちればすぐさま飛び込みます。少年が金色の髪を振り乱して駆け戻るたびに、お姫様は笑みを浮かべてもっと遠くに毬を蹴るのです。
たとえばお姫様が城下へ出かけるとき、馬車の扉の前で踏み台になるのも少年の仕事でした。彼は扉を閉めた後、全速力で馬車を追いかけます。お姫様が降りるとき、足元の踏み台が少しでも遅れようものなら、彼女は硬い靴でわざと頭を踏みつけるのです。
たとえば他国の王子が求婚にやってきたとき、彼らを追い払うのも少年の仕事でした。父王は年頃の愛娘を心配して次々と見合い相手を連れてくるのですが、お姫様は決して首を縦に振りません。お姫様は類まれな美しさでしたから、殿方たちも必死です。相手があまりにしつこく食い下がると、お姫様はお付きのばあやに言うのです。
「誰か、あの無作法な殿方を懲らしめておいで」
その「誰か」としてばあやが白羽の矢を立てるのは、きまって召使いの少年でした。彼は真夜中になると、剥いだばかりの山羊の生皮を頭からかぶって客殿に忍び込み、哀れな客人の枕元でぞっとするような呪いの言葉をささやくのです。王子たちが城を転げ出ていった翌朝、ばあやは少年から一部始終を聞いた上で、その顛末をお姫様に語ります。お姫様は目を輝かせてそれに聞き入り、涙を浮かべるほど大笑いするのでした。
少年は卑しい身分ですから、お姫様の部屋に入ることはおろか、お姫様と目を合わせることも、じかに口をきくことも許されません。お姫様は何か楽しいことを思いつくと、昼だろうと夜だろうとおかまいなく、お付きのばあやを呼びつけます。ばあやはそのまま、部屋の外に控えている少年に主人の命を伝えます。
ばあやに「教会の風見鶏をつかまえておいで」と言われれば尖塔の屋根によじ登り、「今夜はサヨナキドリの声を聴かせて進ぜよ」と言われれば、寝所の窓の下で一晩中「ツピーツピークルクルクル」と鳴きました。
どんなに無茶な言いつけでも、少年はうれしくて仕方ありません。自分以外の誰もこの役は務まらないだろうと思うと、心臓をつねられるような喜びを覚えるのです。だから彼はいつどんなお達しがあってもいいように、昼も夜もお姫様の部屋の前で、まるで番犬のように待ち構えているのでした。
そんな少年にもたった一つだけ、心の重い仕事がありました。それは、毎朝お姫様の部屋から下げられてくる大きな金の鳥かごを掃除することでした。
女官たちの話によれば、お姫様は寝所で大きなオウムを飼っていて、お気に入りの話し相手にしているとのことでした。そのオウムは黄金の羽根といい上手なおしゃべりといい、世界に二羽とない珍しい鳥なのだそうです。
部屋の外で控えている少年の耳にも、何やら楽しそうにオウムに話しかけたり笑ったりするお姫様の声が、帳ごしに聞こえてきます。それは下々に用を言いつける時の口ぶりからは想像もつかないほど、優しくあどけない声なのです。
少年は毎朝、自分の背丈ほどもある鳥かごを隅々まで磨き上げながら、つぶやかずにはいられません。
「金色のオウム、おまえはお姫様にどんなおしゃべりをするんだい? お姫様はおまえにどんな言葉を下さるんだい? ……ああ、なんてことだろう、たかが鳥のくせに!」
そんなある日の未明のこと。いつもどおり廊下でうとうとしていた少年の耳に、大きな悲鳴が届きました。
寝所から聞こえてくるのは、まぎれもなくお姫様の叫び声です。けれどこんなときに限ってばあやも女官たちもまだ出仕しておらず、あたりに人影はありません。
「お姫様!」
矢も盾もたまらず、少年は帳を押し開いて中に飛び込みました。彼にとっては夢にまで見た、そして生まれて初めて見たお姫様の寝所でした。
庭に面した窓が大きく開き、寝台を覆うレースの天蓋が強い風にはためいています。その脇に吊るされた金の鳥かごは錠前がカラリとはずれ、中はもぬけの空でした。
部屋の真ん中では、薄い夜着姿のお姫様が裸足のままで立ち尽くしていました。
「わたしのオウムが逃げてしまった」
あられもなく悲嘆にくれる姿に、少年はあわてて目を伏せました。どんな言葉をかけてよいのか分かりません。もちろん、どんな言葉もかけることは許されません。
女官たちを従えてようやく部屋に駆け込んできたばあやは、金色がわずかに残った白髪を逆立てて少年をにらみつけました。
「おまえのしわざだね。大事なオウムを逃がすなんて、取り返しのつかないことをしてくれたよ」
少年が口を開こうとするよりも先に、お姫様が大きな声でばあやに告げました。
「わたしのオウムを逃した罪びとに命じなさい。一刻も早く取り戻さなければ、その首をはねて鳥のえさにしてあげると」
ばあやはその言葉を少年に向かって繰り返しました。
「さあ、早くオウムを探しておいで。さもなければおまえの首をはねて鳥のえさにしてしまうよ」
少年がどんなに弁解しても、ばあやは耳を貸してくれません。そればかりかお姫様までが責め立てるのでした。
「ばあや。聞き分けのない愚か者に命じなさい。主人の言いつけが聞けないのなら、すぐにこの城を出て二度と戻るなと」
首をはねられるのは恐ろしいことですが、お姫様のそばに戻れなくなるのはもっと辛いことでした。少年は心を決めてひざまずき、ばあやの前で深々と頭を垂れました。
「かしこまりました。オウムはきっと、ぼくが連れ戻してみせましょう」
するとお姫様はすいっと窓際に歩み寄り、西の方角を指さしました。
「ねえばあや。わたし、オウムが西に向かって飛んでいくのを見たの。きっと、あの大きな森に入ったのだわ」
ばあやも神妙な顔で繰り返しました。
「オウムは西の森に向かったに違いない。きっと探しだすのだぞ」
城下町に出た少年は、朝日を背にしてまっすぐ駆け出しました。
「金色のオウムを見ましたか」
すれちがう人々に尋ねると、皆うなずきあって答えます。
「そいつなら、西に向かって飛んでいった」
「森に入ったに違いない」
町外れには、深い霧に覆われた森が広がっていました。黒ぐろとした大木の間を縫う細道に足を踏み入れようとしたとき、澄んだ声が後ろから呼び止めました。
「その森には入らないほうが身のためだよ」
振り返ると、外套をまとった一人の若者が立っていました。少年よりも頭一つぶん背が高く、目深にかぶった頭巾からのぞく白い顎と赤い唇は、はっとするほど美しいものでした。
「ここは“たぶれごころの森”といって、まっとうな人間は近寄ることすら忌む場所さ。迷ったら最後、二度と元には戻れなくなる」
少年は胸を張って言い返しました。
「ご親切にありがとう。でも、ぼくはお姫様に約束したんです。大事なオウムを連れて帰ると」
若者は哀れむような笑みを浮かべました。
「後悔しないというなら、仕方ないね。きみの幸運を祈っているよ」
こうして少年は薄暗い森に入りました。細い道があるとは言っても、灌木の枝やら蜘蛛の巣やらが行く手をはばみ、ぬかるむ足元には曲がりくねった木の根が這いまわっています。霧に包まれて視界はきかず、何度も転んで髪はどろどろ、服はぼろぼろになりながら、少年は先へ先へと進みました。
どれほど歩いたことでしょう。やがて森の奥から、鉄砲をかついだ猟師が目をぎらぎらさせてやってくるのに出会いました。
「金色のオウムを見かけませんか」
尋ねる少年に猟師は訊き返しました。
「手負いの小鹿を見なかったかね。こちらに逃げてきたはずなんだが」
「どこかに倒れているでしょうよ。それよりオウムは」
「小鹿を見つけたら知らせてくれ。どこかでワナにかかっているかもしれん」
少年が肩をすくめてさらに進むと、今度は霧の彼方から幼い女の子がしくしく泣きながら現れました。
「金色のオウムを見かけなかった?」
尋ねる少年に女の子は訊き返しました。
「わたしのお人形を知らないかしら。大事なお友達だったのに、どこかへ行ってしまったの」
「きっとじきに戻ってくるよ。それよりオウムは」
「お人形を見つけたらわたしのおうちに届けてよ。あの子は金の髪をして、すてきなドレスを着ているの」
ため息をついて女の子と別れ、さらに先へと進むうちに、あたりはすっかり陽が落ちてしまいました。野宿をなかば覚悟したころ、ようやく一軒の粗末な小屋を見つけました。
小屋には腰の曲がったおじいさんがいて、少年がお城から来たことを知ると喜んで招き入れてくれました。
暖炉の前に座らせて温かいシチューをすすめながら、おじいさんは「お城の話をしておくれ」とせがみました。
少年は喜んで語りました。美しいお姫様のこと、お姫様に求婚しようと諸国の王子が毎日のように城へやってきたこと、お姫様は彼らに見向きもせず、金色のオウムとおしゃべりばかりしていたこと。
「金色のオウムを知りませんか。それを見つけないと、ぼくはお城に戻れないんです」
おじいさんは訊き返しました。
「わしの女房に会わなんだか。ずいぶん昔にお城へ召し上げられたきり、まだ帰ってこんのだよ。おまえさんと同じで金色の髪が美しい、自慢の女房だったのに」
少年は優しく慰めました。
「そのうちきっと帰ってくるでしょう」
食事が終わると、おじいさんはお湯を沸かし、少年の髪と身体をていねいに洗ってくれました。そしてぼろぼろになっていた少年の服を暖炉に投げ込み、代わりに木箱の底から古い女物のドレスを引っ張りだしました。ぷんと黴が匂うような代物でしたが、他にどうしようもありません。少年は仕方なく袖を通し、あてがわれたほこりっぽいベッドに潜り込みました。
その夜の夢に現れたお姫様は、少年に優しくキスをして、しわがれた声でささやきました。
「本当に、夢のようだ。やっと帰ってきてくれたのだね」
驚いて目を開くと、そこにはあのおじいさんの顔がありました。老人は少年にのしかかり、力づくで抱きすくめました。
「いとしいおまえ、前よりずっときれいになって。もうどこにも行かないでおくれ」
少年は悲鳴をあげてその腕を振りほどき、ドレスを着たまま小屋を飛び出しました。真っ暗な森の中を手探りでさまよい続け、ようやく別の人家の明かりを見つけて戸を叩きました。
「助けてください。一晩宿を貸してください」
中から出てきたのは、あの女の子でした。客人の姿に目を丸くした彼女は、涙に濡れていた頬をぬぐい、大喜びで彼を招き入れて鏡の前に座らせました。
「どこに行っていたの、わたしのかわいいお人形さん。髪をとかしてほしい? それともお仕置きをしてほしい?」
少年は慌てて少女を突き飛ばし、再び森に逃げ出しました。白々と夜が明け、疲れ果てたところにばちんと音がして、足にとらばさみのワナが食い込みました。
ワナを外そうと転げまわっていると、猟師がにやにやしながら現れました。
「しぶとい小鹿め、とうとう見つけた。とどめをくらえ」
「撃たないで、撃たないで。ぼくはオウムを探してるんだ」
必死で叫んでも、漁師は構わず鉄砲の狙いを定めます。引き金に指がかかったそのとき、別の誰かの声がしました。
「およしよ、それは鹿じゃない」
木立の間から、外套をまとった灰色の影が現れました。きのう、森の入口で会ったあの若者でした。彼は白い指を伸ばして猟師の銃口を下げさせると、諭すように語りかけました。
「いいかい、言葉をしゃべる鹿なんてこの世にあるものか。これはね、オウムだよ」
「オウム?」
猟師はまじまじと足元の獲物を見下ろしました。
「そうさ。見なよ、この美しい金色の羽を」
若者は、震えている少年の髪を優しく撫でて、
「これほど素晴らしいオウムは、この世に二羽といないだろう。この子をなるべく立派なかごに入れて、都の市場に持ってお行き。そうすれば鹿よりずっと高値で売れるはずさ」
「なるほど、それはいい考えだ」
猟師は素直にうなずいて、獲物をワナから外すと軽々と肩に担ぎ上げました。
「お願い、離して」
助けを求めて空を掻いた少年の手が、偶然に若者の頭巾をはねのけました。豊かな金髪がさっと広がり、霧の晴れ間から射す朝日にきらきらと輝きました。
「お願い、助けて」
懇願する少年に、若者はあの哀れむような笑みをもう一度投げかけました。髪を手早く襟に押しこみ、頭巾を深くかぶり直してから言いました。
「もう遅いよ。だって、きみが望んだことじゃないか」
若者に見送られて森を出た猟師は、哀れな獲物を鉄のかごに閉じ込めて、都の市場へとやってきました。
「ここから出して。ぼくはオウムを探してるんだ」
かごの中から叫ぶと、周囲には瞬く間に黒山の人だかりができました。
「どうだ、よくしゃべるオウムだろう。いつもの森で獲ったのさ」
狩人が胸を張ると、町の人々も囃し立てました。
「ずいぶん見事なオウムじゃないか」
「おまえさんにしてはたいした獲物だ」
「これはお姫様が探していた金色のオウムに違いない」
「そうだ、お城からお触れのあったとおりだ」
誰かが知らせをやったのでしょう、やがて大勢の家来を連れたお城の馬車が、人ごみをかきわけて現れました。
「お姫さま、お姫さま。どうかぼくを助けてください」
その声にぱっと顔を輝かせたお姫様は、馬車から駆け降りて鉄のかごにすがりつきました。
「ああ、わたしのオウム。無事に戻ってきてくれたのね」
お姫様は猟師に大金を与えてオウムを買い取り、自分の馬車に乗せていそいそとお城に戻りました。寝所に吊るした金の鳥かごにオウムを入れると、ばあやに命じてガチリと錠をかけました。
「お姫様。このぼくをお忘れなのですか」
訴える眼をまっすぐ見つめ返して、お姫様は優しくほほ笑みました。
「つらい思いをさせてしまったね、いとしいオウム。さあ、おしゃべりしておくれ、おまえがどれほどわたしを愛してくれていたのかを。わたしも話そう、おまえと過ごしたあの日々がいかに歯がゆく切なかったかを」
そうささやくと、お姫様は格子の間からほそい指を差し入れて、オウムのくちびるをそっと撫でたのでした。
【おわり】
金のオウムは森へ逃げた
鍛錬場に「金色のオウム」のタイトルで過去2回投稿したものを加筆修正した作品です。