アメル

こんな風に「眠り」を意識しないと
眠れなくなったきっかけはなんだったんだろう。
気が付けばそうなっていた、としか言えない。
柏木美紅はため息を吐きながら
パソコンの画面をぼんやりと眺める。
今日中に仕上げないといけない案件が
いくつかある。
でもそれをこなすには今の私の頭の中は散漫過ぎる。
集中しようとすればするほど脳の大事な部分に
膜が張っていく感覚に襲われる。
ああ、もう早く帰りたい。
カタカタとキーボードを鳴らしながら美紅は
目の前の仕事に集中しようとする。
しかしできない。
ふう。と一息つき、コーヒーを淹れに行く。
うんときつめのブラックにしてやろう。
これなら頭が覚めるかもしれない。
本当に私、どうなっちゃったんだろう。
通い始めた心療内科のドクターはことあるごとに
私の悩み事だとか心配事だとかを聞きたがる。
あるのなら教えてあげたいが、
本当に思い当たる事がないのだ。
仕事はうまくいっている。
彼氏とも、友達ともうまくやっている。
家族も健康そのものだと今朝も電話で話したし、
猫のメリーも平常運転だ。
なんなんだろう。
なにが私の中に引っかかっているんだろう。
喉に小骨が刺さった時のあの妙な違和感が心から拭えない。

「なんか自分では考えてもいないような悩みに頭と体が反応してるんじゃないの」
彼氏である三崎蒼が運転席からそう言ってくる。
「ほんとに思い当たらないんだよね。えーなんなのー」
そう言って美紅は頭をやや大袈裟に抱える。
「ほんとになんにもストレスないの?」
「ない。薬使わないと眠れないことが一番ストレス」
「もう何回も聞いてるけど仕事は?無理してない?」
「は?仕事なんてストレスでできてるようなもんじゃん。
それは普通のことなんだよ私にとって」
「やっぱりそこなんじゃないかなぁ・・・」
ハンドルを左に切りながら蒼は答える。
「なに、中途採用だからって言ってんの?」
「いやそうじゃなくてさ。ストレスをストレスじゃないって
思ってることがストレスになってないのかなって」
「仕事辞めろっていうの?やだよ。やだ。絶対やだ!」
「すぐ熱くなる。しかも極論まで持っていきすぎなんだよ美紅は」
「だって、今の仕事大好きだし、やりがいも感じてるし。もう就活はやだし」
「それはわかるよ。わかるけど、ペース配分とかあるでしょ。
今日みたいな時間まで残業とかさ。明日できることは明日でいいじゃん」
「今日じゃないとだめだから今日やってんの。
悪いけど蒼に仕事のことでとやかく言われたくない。
公務員なんて、定時で上がれて超お気楽な仕事じゃん」
「そうじゃない人もいるよ。無理してる人もたくさんいる」
「・・・ごめん。ね、なんか違う話しようよ。この話すると
暗くなっちゃうからやだ」
「だめ。ちゃんと原因と向き合わないと一生その薬飲み続けることになるんだよ?」
「・・・・・・・・・・・・」
「俺が隣で寝てたら余計眠れない人だから一緒には眠れないしなぁ。
根本的解決にはならないけどこうやって話をするだけでも少しは違ってくると
俺は思うんだけど」
「・・・・・・・・・・・・」
「美紅、ちゃんと聞いて?俺ほんとにお前のことが心配なの。
でも俺はそれ専門の医者じゃないから専門的な助言はできない。
だけど一番近くにいる人間って俺でしょ?
ちゃんと心開いて話して」
「・・・しんどいと思うことはいっぱいあるよ。でもそれはみんな感じてる
ことなんじゃないの?社会人ってそういうもんでしょ?
私一人が甘えるなんて許されないよ」
「そんな精神論でいるとお前潰れるよ?どう、ちょっと
気分変えがてら旅行にでも行こうか」
「は!?今から?」
「今週末とか。伊豆にでもぶらり旅しに行こうよ」
「今月キリキリで生活してるから無理」
「俺が出すからさ。ね?行こう?」
「そんな負担かけたくない。無理して行く旅行なんか楽しくないよ!」
「ほんと、お前そういうところ頑固だよな。じゃあ一生その
アメル様に頼って生きていけばいいじゃん。
もういいじゃん、それで」
「でも脳が散漫になって困るんだよ・・・」
「じゃあそれを精神科医にぶつければいい。
なにが原因かわかったんだからそれもぶつければいい。
もっと信頼してあげなよ、医者を」
「でも・・・もっと変な薬出されたら?」
「その時は嫌ですって言うの。
精神科医なんて対症療法でしか判断できないんだからさ。
もっと脳が散漫にならない薬をくださいって言えば
そうならない薬を出してくれるよ」
「・・・ほんとに?」
「ほんとほんと、はい到着。着きましたよ?」
「あがってって」
「寝なくていいの?」
「なんか抱かれたい気分」
ははっと笑いながら蒼は車をいつものコインパーキングに持っていく。
「正直なところは大好きだ」
そう言いながらそっと口を近づけてくる。
それに応えながら私は考える。
どういう方法を取れば薬を飲まなくてよくなるかを。
今はあの薬でないと眠れない。
でもなにかあるはずだ。
突破口みたいなものが、絶対に。

果ててしまったら男はすぐに眠くなる。
蒼はソファの上で口を半開きにしてもう眠ってしまっている。
私も早く寝なくては。
白くて丸い粒を1つ、取り出す。
アメル様。今日も私を救ってください。
そう祈りを込めてゆっくりと水と一緒に飲み込む。
ベッドに潜り込む。
胃の中で小さくなって溶けて各細胞へと送られるアメル様を想像する。
同時に頭の中では蒼を登場させてスイッチのいっぱい
ついた部屋へと招き入れる。
「これのどれかが眠りのスイッチなの。
これをオフにしたら意識はなくなる。
さ、手分けして探しましょう」
2人して部屋にびっしりと取り付けられたスイッチを
片っ端からオフにしていく。
・・・・・なかなか見つからない。
天井についているものもあって、
そういう時は蒼汰に肩車をしてもらってスイッチを切っていく。
もう少し・・・・
スイッチはあと少し・・・
2人で懸命にオフにしていく。
カチ
カチ
カチ
カチ
あと少し。
あと少し。
あとすこ・・・し・・・
あと・・・・すこ・・・・
あと・・・・す・・・・

・・・・・・・・・・・・・

TRRRRRRRR
TRRRRRRRR
午前6時。
スマートフォンの目覚まし時計が起動する。
ぼんやりした頭で美紅はそれをスライドして止め
ゆっくりと起き上がる。
水曜日。
週の中日。
今日を頑張ればあと2日だ。
ふと昨日蒼に言われた言葉を思い出す。
「伊豆にでもぶらり旅しようよ」
それもいいかもしれない。
日常と離れたとこへ行って、
蒼といっぱい色んな話をして、
そう、仕事の悩みも聞いてもらおう。
「ん・・・今・・・何時?」
ソファの上から蒼がそう話しかけてくる。
「6時15分だよ。おはよ」
「おはよ。調子はどう?」
「うーん、まだちょっと眠いけど、まぁまぁかな」
「ならよかった」
「ね、週末伊豆に行くって話、あれ本気?」
「美紅さえよければの話だけど」
「・・・行こっか」
「・・・いいよ。ただし宿が取れなかったらラブホだからね」
「あははっ別にそれでもいいよ」
「いーや、取る。絶対取る」
「楽しみにしてるね」
カーテンを思い切り力を込めて開ける。
窓の外は清々しいまでに朝日で満ち溢れている。
今自分が置かれている現状をちゃんと把握して、
先生とお話しして理解するように努めて、
少しずつ頑張ろう。
毎日の光景なのに見ていてなんとなく嬉しいのはなぜだろう。
「ねぇ、シャツの替え、置いてあったよね?」
蒼の声で美紅は我に返る。
「それはこっちにあるよ」
なぜか涙が出そうになる自分を制して、美紅はクローゼットの扉を開ける。


アメル

アメル

  • 小説
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-06

Copyrighted
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