いつの日か幸せな詩を
2012/04/04
稀に見る大風だった。大地まで揺るがすような突風が、容赦なく村の生活を吹き飛ばしてゆく。風に吸い込まれていった人々は、生きているだろうか。絶望的な祈りは天に届く前に、この心で消えてしまいそうだった。
一般的な家屋よりも頑丈な神殿に身を寄せ、駆け込みさながらの態で寄り添う人々の顔に、生気はない。枯れ草と布を重ねただけの、にわか作りの寝具の上で、疲れた顔の母親に寄りかかる子どもが、眉間に皺を寄せて泣いていた。過ぎ去る嵐だとしても、渦中の心を慰める術がなかった。
次々と駆け込む人々の中には、家族が離れている者もいた。神殿でなければ、役場か図書塔か。見えない顔を思い浮かべては、不安を膨らませる。
神の怒りだと言って命を捨てようとした者もいた。生贄を捧げたところで止む嵐ではないことは、知る者に聞こえていた。天災ではなく、人災。風の音の中に、その主の叫び声が聞こえるようだった。滅びようとする命の悲鳴が、耳を塞ぎたくなる程に喚いている。願わくば、女神と謳われる姫がその傷を癒すことを思う。そして願うばかりで何も変えられぬこの手を恨むのだ。才能もなく、何も成さぬ意味のない手。その手を伸ばすと、赤子に触れた。いつの間に泣き止んだのだろう。
大きな風が通り過ぎていった。村は無事では済まされないだろう。残してきた者たちを思い浮かべては、過る思いを振り切る。この手で守れる者を助けに行くのだ。手の届かぬ者たちの命まで救いたいと願っても叶わない。村のことをすべて任せたあの子は、零れ落ちる願いに心を痛めているだろう。そして自分自身を責めてしまうのだろう。
しかし願いは糧となり未来を紡ぐ力となる。祈りは心を強くする。だからいつの日か、小さな自分と他人を受け入れる日が来ることを願う。迷い、悩んだ末に行き着く答えが幸せなものであれば良い。
見上げた城壁は高く、何人も寄せ付けぬ佇まいに変わりはない。それでもこの中から叫ぶように呼ぶ声が聞こえるのだから、似つかわしくないと苦笑してしまう。なんと愚かな虚勢を張った、愛おしい存在だろう。どれほどの命を奪ったかもしれない人だが、どうしても救いたいと思ってしまうのだから、きっと命は平等ではない。人には守りたいものとそうでないものがあって当然で、すべて平等にはいられない。
だから、神と呼ぶのはそろそろ止めにしてほしい。どうしても救いたい命は、多くの人に恨まれる命なのだ。
それでもいつか変えてみせるから、その時には、共に幸せな言葉を紡ぐ日が来ることを願う。
いつの日か幸せな詩を
続きません
いつか物語になればと思います