アルファタケハの小びん

 暑い夏の昼さがり。下校途中の坂道で、タケハはちょっと変わったもの売りを見かけた。さびだらけの三輪自転車の荷台に、手づくりの旗がくくりつけられていた。
【星 売ります】
 下手な字の下には、汚れたランニングシャツの男が座りこんでいた。商売にしては、売りものが見あたらない。まっ黒に日やけした細い腕に、大きな灰色のかめを抱いているだけだ。白髪まじりの頭をうなだれてかめに寄りかかったまま、ピクリとも動かない。暑い日差しのせいで気分が悪いのかと、タケハが心配になって立ち止まったとき、彼がヒョイと顔をあげた。顔じゅうにはりもぐらみたいなひげを生やした男だった。
「いらっしゃい、お嬢ちゃん。きれいな星がたくさんあるよ。見ていくだけならタダでいいよ」
 思ったよりも元気な声にほっとして、タケハは少しからかってみたくなった。
「星って、金平糖? それともビーズ?」
「星は星さ。アンタレスとかシリウスとか、学校で習ったろう。まあ見てごらん」
 男はまじめな顔でかめに巻いた縄をほどき、かぶせてあった古新聞を外した。まるでピクルスを入れたまま台所の床下に忘れられていたような、古くさいかめだった。
 男はそろそろと木ぶたを持ち上げ、いたずらっぽく手招きした。知らない大人を信じていいのかどうか、タケハは迷った。そっとあたりをうかがうと、近所のおばさんが日傘の下からジロリとこちらを見て、そそくさと通りすぎるところだった。
「見ないのかい。いつまでもふたを開けておくのは星によくないんだが」
 せかされたタケハは、おそるおそるかめに近づいた。目の前の男から、本当にピクルスみたいにすっぱい匂いがした。きっと何日もお風呂に入っていないのだろう。
 かめの中は、まっ暗だった。
「……なにも見えない」
「手ですきまをふさいで、目を閉じて二十かぞえてごらん」
 きゅうくつな格好のまま、言われたとおりに数をかぞえ、ゆっくりと目をひらく。
 まっ暗だと思っていたかめの中で、チカチカと光のつぶが見えはじめた。それはあっというまに、ダイヤモンドのかけらをばらまいたみたいに広がった。
 これとそっくりのものを二年前に見たことがある。学校の遠足で行った、街の博物館のプラネタリウム。あのときもうっとりしたけれど、この光景とはくらべものにならない。
 弓のような形をした銀色の帯は天の川だろうか。綿毛そっくりにふわふわしているのは星雲だ。大きく輝く光もあれば、針の先ほどの光もある。星、星、星の海。どれが星座なのかもわからない。目をこらせばこらすほど、光の数が増えていく。
「そろそろ、いいかな」
 男の声にはっとして、タケハは顔をあげた。きゅうに戻ってきた夏の日ざしにクラクラして、思わず尻もちをついた。うるさいセミの声に、ここが通学路の坂道だということを思いだした。
「どうだね、見えただろう」
 かめにふたをしながら、男は得意顔だ。
「うん……」
 タケハは目をこすりながらきいた。
「このかめは、いくら?」
 男はセミも鳴きやむような大声で笑った。
「この中にはそれこそ、星の数だけの星が入ってる。全部あわせるととんでもない値段になるよ。うちはバラ売りと決めてるんだ」
 男が言った星ひとつの値段を聞いて、タケハは大きなため息をついた。とてもおこづかいでは買えそうにない。
 男はそれにおかまいなく、
「おうちの人におねだりしてごらん。知り合いにお金持ちがいたら、ぜひ宣伝しておくれ」
「うん……」
 ようやく立ち上がったタケハはふと思いだして、自分の麦わら帽子を男にさしだした。
「なにかかぶらないと、体によくないですよ」
 男は赤黒く日やけした顔をにこにこさせ、ぼさぼさ頭に遠慮なく帽子をのせた。
「きみは優しいね。友だちに宣伝するの、忘れないでおくれよ」

 坂を下ってからも、タケハは夢心地だった。目を閉じるだけで星の世界がよみがえり、そのまま吸いこまれてしまいそうだった。
 家に戻ったタケハは、ベッドの下の木箱からジャムの空びんを取りだした。入っているのは、これまでのおこづかいをためたタケハの全財産だ。でも、中の銅貨をかぞえると、男の言う星の値段の千分の一にもならなかった。
 夕ごはんのときに不思議な星売りのことを話すと、父親は「おまえがそんな冗談を言えるようになったとはなあ」と大笑いして、母親は「どうするの、ひとつしかない帽子をあげてしまって」と腹を立てた。
「あした、返してもらうわ」
「そんなもの売り、とっくにいないだろうさ。新しいのは買ってやらないよ」
 星を買ってほしいなんて、これでは言えるはずもなかった。

 次の日もよく晴れて暑くなった。タケハは帽子がわりにスカーフをかぶり、小さくふくらんだスカートのポケットを押さえて家をでた。
 きのうの坂道には、同じ格好で同じ男が座っていた。頭にはタケハの麦わら帽子がのっている。サイズが小さすぎるうえに、赤いリボンがちっとも似合わない。
「やあ、いらっしゃい。どうだい、おこづかいはもらえたかい」
 タケハが首を横に振ると、男はしょんぼりと肩をおとした。
「景気のいいこの町なら、わかってくれる人がいると思ったんだがな」
 彼の商売がうまくいっていないのは、身なりを見ればすぐわかる。帽子ひとつ買うお金もないのだろう。返してほしいなんて、言えるはずがなかった。
「星は買えないけれど……もういちど、かめの中を見せてくれませんか」
「買ってくれない人になんども見せるのは、どうもねえ」
 しぶい顔をする男に、タケハはポケットに入れていたジャムの小びんをさしだした。
「見物料、これだけあれば足りますか」
 男はだまってふたをねじ開け、銅貨を自分の財布にザラザラと流しこんだ。少しはおつりがあると思っていたタケハは、突き返された空のびんにがっかりした。
「見世物商売をしたくはないんだがな。これきりだよ」
 男はしぶしぶかめをひき寄せ、ふたをとった。タケハはおなかをすかせた子犬のようにかめにしがみついた。全財産を出したのだから、毎晩星空の夢を見られるくらいに目にやきつけたかった。
 そんなタケハをじらすように、星たちはゆっくりと暗闇から姿を見せ、競いあうように輝きだした。
 息をするのも忘れるほどの、なんともいえない幸せがタケハを包んだ。カンカン照りの暑さはふきとび、ひんやりした光と闇が体じゅうにしみこんでくる。ずっとこのまま星の海を泳いでいたかった。
「おい、だいじょうぶか」
 男に肩をゆさぶられなかったら、そのまま星の海でおぼれていたかもしれない。顔をあげると、柄にもなくうろたえたひげづらが目の前にあった。タケハはずいぶん長いこと、かめの上につっぷしていたようだった。
「気分でも悪いか?」
 黄ばんだタオルをさしだされて、タケハは初めて自分が涙を流していたことに気がついた。
「なんでもないです」
 タオルをことわって、ぬれたほっぺたを指でぬぐう。そしてこれっきり、星売りのいるこの坂は通らないと心に決めた。
「ありがとうございました。星、たくさん売れるといいですね」
 ぺこりと頭を下げて走りだそうとするタケハを、男が呼びとめた。
「さっきのびん、よこしな」
 ふり返ると、男が自転車の荷台から細いひしゃくを取り出すところだった。
「ひとつだけだぜ」
「でも、お金が……」
「いいよ。そのかわりいちばん安いのでがまんしてくれ。どこの星座にも入っていない、ちっぽけなやつだ」
 男は片ひざを立てると、ひしゃくをかめにさし入れた。しばらく目をこらしてかきまぜるようにしていたけれど、やがてスープでも取りわけるような手つきで中身をすくいだし、ガラスびんにそそぎ入れた。
 とろりと、インクのようなものが流れこむ。
「ちょっと“夜空”が少ないかな」
 かめの中から黒いうわずみをつぎたすと、男はキュッとかたくふたを閉めてタケハに手渡した。
 びんは、まるで井戸につけていたラムネみたいにひんやりしていた。入っている夜空は黒い霧にそっくりで、重さはちっとも感じない。びんを振るとそれは音も泡もたてずに広がって、しばらくするとまたインクのようにタプタプとしずむ。でも、かんじんな星がどこにも見あたらない。
 男が言った。
「小さいからな。まっ暗なところで見てごらん」
「本当に、いいんですか? ……ありがとう!」
「他の人には定価で買ったと言ってくれよ」
 びんを抱きしめるタケハに、彼は念を押した。男の言う“定価”は、タケハにとってとびあがるほどの値段だった。男は手あかで汚れた手帳をひらいて、
「悪いけど、きみの名前を教えてくれるかい。……タケハちゃんか、いい名前だ。おこづかいがたまったら、大きな星を買いにきておくれよ」
 たとえ大人になっても、星を買うなんて夢のまた夢かもしれない。それでもタケハは男にせいいっぱい手をふった。
「わたしきっと、みんなに宣伝しますから!」

 家に戻ると、タケハはぬれたタオルでジャムの古いラベルをこすってはがし、びんをかかえて頭からベッドのシーツにもぐりこんだ。暗闇の中で目をこらすと、ぽつりと浮かぶ光がひとつ、たしかに見えた。笑いたくなるほど小さくて心細い光だった。ま昼の強い日ざしも通さなかった黒い霧を、こんな優しい光がどうしてつき通せるのかが不思議だった。
 その夜、タケハは布のきれはしでおしゃれな袋をつくった。星のびんを入れ、去年の聖夜祭からとっておいたリボンで口をむすぶ。あしたこれを見せたら、学校のみんなはなんて言うだろう。朝の登校が待ちどおしいなんて、久しぶりのことだった。

「わたし、星を買ったのよ。小さいけれど、とてもきれいなの」
 次の日、タケハが同級生たちに星売りのことを教えると、だれもがげらげらと大笑いした。星売りの話より、いつも無口なタケハが一生懸命にものを言うのがおかしいといっておなかをかかえるのだった。
 星のびんを袋から出して見せても、みんなは「これはジャムだ」「インクだ」「タールさ」と勝手なことを言うばかりで、ちっとも星を見ようとしない。
 となりの席のシズリがニヤニヤして言った。
「そのびん、ふたに“お値打ち品”のシールが残ってるじゃない。どこのパン屋で売れ残ってたの?」
 まっ赤になってシールをこするタケハに、教室の笑い声はいっそう大きくなった。

 星売りのことをちっとも宣伝できないまま、タケハはまた無口な女の子に戻った。おしゃべりの相手もいない昼休み、目を閉じてきっかり二十かぞえてから、かばんをのぞきこむ。小さな星の光をながめていると、さみしさがすうっと消えていく。
 あきもせずにかばんに顔をつっこんでいるタケハを、あきもせずにシズリたちがからかっていると、教室の外で声がきこえた。
「星を持ってる女の子がいるってのは、きみたちのクラスかい」
 顔をあげたタケハは、入り口から顔をのぞかせている背の高い少年と目があった。シズリが彼に向かって声をあげた。
「カセオさん! この子の言うことなんて、うそに決まってるわ」
「そうなのかい?」
 カセオとよばれた少年はつかつかとやってきて、タケハのかかえているかばんに目をとめた。
「もしかして、その中に?」
 タケハがうなずくと、
「それはまさか、ガラス玉なんかじゃないよね。ベガとかアルタイルとかの、空のあの星のことだよね?」
「……小さすぎて、星座にもなっていないって、いわれたけれど」
 少年は顔を輝かせた。
「すごいや。ぼくは望遠鏡でいろんな星を見ているけれど、びんに入った星なんて初めてだ。ぜひ見せよ」
 タケハがおずおずとびんをさし出すと、カセオはまゆをよせた。
「まっ黒だねえ。どこに星があるんだい?」
「あるわけないわ。ただのインクだもの」
 シズリがにくまれ口をはさむ。
「暗いところでないと。……小さいから」
「暗いところかあ」
 少し考えこんでいたカセオは、いきなりタケハの腕をとった。
「そうだ、いい場所がある。行こう」
「ちょっと、どこ行くの。カセオさんたら!」
 あわてるシズリにかまわず、少年はタケハを教室から連れだした。

 ふたりがやってきたのは、校舎わきの畑にある小さな物置小屋だった。建てつけの悪いひき戸を開けると、かびくさい空気がむっとあふれる。中には一輪車やくわ、干し草などがぎゅうぎゅうづめになっていた。
「ほら、ここならまっ暗だ」
 カセオはタケハを干し草の山に座らせると、内側からぴったりと戸を閉めた。並んで座ると、ふたりの肩がぴったりとくっつく。タケハはどぎまぎした。男の子とふたりっきりになるなんて初めてだ。なにより、こんなせまくて暗いところで。
 タケハの手の中で、小びんの星がはずかしそうに光りはじめた。持ち主が緊張しているせいで、星もプルプルふるえている。カセオの大きなてのひらが、タケハの手を包みこむようにびんをおさえつけた。
「見える。本当だ」
 カセオのはしゃぎ声が、タケハの胸のドキドキをかきけしてくれた。ふたりはまるで兄妹みたいに、顔をよせあって光を見つめた。
「不思議だなあ。本当の星みたいだ。小さいのに、たったひとりで光ってる」
 興奮ぎみの彼につられて、タケハも一生懸命に星売りのことを話した。カセオは熱心にうなずいて、
「すぐには信じられないけど、きみはきっとうそをついてないね。もしこれが星だとしたら、いったい空のどこにあったやつだろう?」
「なに座でもないそうです。とってもちっちゃな星だから、きっと名前もないと思う」
「そうかな? 人の肉眼で見られる星はだいたい所属する星座が決まっていて、番号がついてるはずだけれど」
 じつをいえば、タケハは星のことなんてよく知らない。自分のもらった星の名前くらいきちんときいておけばよかったと、いまごろになって残念に思った。
 そのとき、きゅうに小屋の戸がガラリとひらいた。タケハがびっくりして腰を浮かすと、外のまぶしい光を背にしたシズリが、仁王立ちになっているのが見えた。
「カセオさん、こんなところでなにをしてるの? タケハなんかとふたりきりで!」
 カセオはにこにこしてこたえた。
「星を見せてもらってたのさ。きみも見たかい? 小さいけれど、きれいだよ。まるで本物さ」
「ばかみたい、ジャムのびんに星が入ってるだなんて!」
 シズリはタケハからびんをひったくると、地面にたたきつけようとふりあげた。タケハが悲鳴をあげるよりも先に、カセオがはね起きてシズリの腕をつかみ、かるがるとびんを取り返した。
「やめろよ。なにを怒ってるんだ」
「こんな子の味方をするの? そんなにインクが好きなら、パパの活版工場からもらってきてあげるわよ。百個でも二百個でも!」
 シズリは目に涙をためてぷいと後ろをむき、校舎の方へ走っていってしまった。
「なにを怒ってるんだろう、あの子」
 カセオは首をかしげてそれを見送っていたが、すぐにこちらにふりむいた。
「きみはタケハっていうんだね? これからもこの星、見せてくれるかい」
「い、いつでも」
「タケハも星が好きなの?」
 タケハがはにかむと、
「今度の新月の夜、ぼくの望遠鏡を見にこないかい。本物の星が見られるよ。星座もたくさん教えてあげる」
「でも、シズリがなんて言うか……」
「あの子も誘おうか?」
「いえ、あの」
「シズリはあんまり星が好きじゃないみたいだよ。いつか見せてあげたことがあるけれど、お目あての星座がのぼるより先に寝てしまったもの」
 そんなカセオの笑顔が、タケハにはとてもまぶしかった。
 その日の学校帰り、タケハはカセオといっしょにあの坂へ行ってみたが、あの星売りはどこにもいなかった。

 カセオと約束した日の夕ぐれ、タケハはふたりぶんのサンドイッチをバスケットに入れて家を出た。カセオは校門の前で、大きな筒をかついで待っていた。
 ふたりはせまい山道を通り、校舎の裏にそびえる小高い丘にのぼった。てっぺんは公園になっていて、空がひろびろと見渡せた。
「ぼくは毎週来てるんだ。家のテラスからも見られるけれど、ここなら街灯もないしね」
 カセオは蚊やり草の束に火をつけて石のすきまにはさんでから、三脚に長さ1メートルほどもある望遠鏡を手際よく取りつけた。
「すごい」
 タケハが感心すると彼は胸を張って、
「パイプを切ってぼくが作ったんだよ。父さんに高いレンズとアイピースを買ってもらったんだ。倍率だってすごいんだぜ。のぞいてごらん……これなんかどう?」
 カセオは望遠鏡を西の空に向けて固定した。タケハが片目をつむってのぞきこむと、草かり鎌のような形をした大きな星がひとつ、ぽっかりと浮かんでいるのが見えた。
「……三日月?」
 タケハが言うと彼は大笑いして、
「残念、それは金星さ。まだほかの星がいないうちに出てくるから“ひとり星”ともいう。ひとりぼっちで浮かんでるなんて、きみの星に似てるだろ」
 やがて、雲ひとつない空にほかの星がいくつもまたたきはじめた。星売りのかめほどではなくても、やっぱり美しい光景だった。いままで自分はこんなにたくさんの星に目もくれず、屋根の下でぐうぐう寝ていたのかと思うと、タケハは恥ずかしくなった。
 望遠鏡をのぞくのに疲れると、ふたりは草むらに寝ころがってピクルス入りのサンドイッチをほおばった。
「そうだ、きみの星を持ってきているかい」
 タケハが小びんを手渡すと、カセオは胸のポケットから金色のシールを取りだして、びんのふたに貼ってくれた。シールに書かれた丁寧な字を、タケハは読んだ。
「アルファ・タケハ……?」
 カセオがにっこりした。
「どう? きみの星の名前さ。タケハ座のいちばん明るい星という意味だよ」
 まるで自分がカシオペアと肩を並べたようで、タケハはくすぐったくなった。
「ありがとう」
 びんを頭の上にかざすと、中につまった暗闇を通りぬけて、空の星たちの光がタケハの目に届いた。アルファタケハは星たちの光にまぎれこみ、まるで夜空に里帰りしたみたいだった。
 やっぱりこの星は本物なんだ、とタケハは思った。もしあの星売りに会わなかったら、わたしはこの星にも、カセオにも会えなかったんだ。
 びんをゆっくり動かすと、アルファタケハはまるで流れ星みたいに金色の筋を描いた。タケハは胸に片手をあてて目を閉じた。心の中でくり返す。ずっとカセオとこうしていられますように。ずっと、ずっと……。
「もうねむいの? こんなところで寝たらカゼをひくよ」
 優しくからかわれて目を開くと、夜空の星たちが少しにじんで見えた。

 その日から、ふたりはお昼のお弁当をいっしょに食べるようになった。カセオは自宅から持ってきた天文雑誌や星の写真集を見せてくれた。タケハが八十八の星座の名前を覚えてそらで言ってみせると、彼は「すごいよ!」と抱きしめてくれた。
 風がやっと涼しくなってきたある日。授業の終わった教室でふたりが今夜の星空観察の相談をしていると、急にシズリが割りこんできた。
「カセオさんに見せたいものがあるの。わたしの家に遊びにこない?」
 タケハは思わず体をかたくしたけれど、カセオはいつもの人なつっこい笑顔できき返した。
「見せたいものって?」
「わたしのパパがね、となり町ですてきなものを買ってきたの。だれかさんのジャムのびんより、ずっとすごいのよ」
 カセオの目の色が変わった。
「きみも星を持ってるのかい? いくつ? どんな?」
 シズリはわざとらしく首をふった。
「いくつかしらね、かぞえてないわ。パパったら、星座をまるごと買ってくるんですもの」
 カセオはいまにも踊りだしそうだった。
「星座だって? ぜひ見せてよ。あしたきみの家に行ってもいいかな」
「今夜来て。ママに、カセオさんの分も晩ごはんをつくってって、頼んででしまったもの」
「うーん、今夜はタケハと本物の星を見る約束なんだ。あしたからは天気が悪くなるみたいだし……」
 するとシズリは大げさに肩をおとして、
「それは残念ね。あしたになったら、パパは星をだれかにあげちゃうかもよ」
 カセオのあわてぶりはみものだった。
「行く、行くよ。タケハ、きみもいっしょにどう?」
 シズリはすかさず、
「だめよ! だれかさんはびんの中の星なんて、きっと見あきているんだから」
 困り顔のカセオに、タケハは小声で答えた。
「いいの。星を見るのはひとりでもできるわ」
 逃げるように教室を出ると、シズリの声が追いたてた。
「そうよ、だれかさんはひとりでボンヤリ口を開けて、空やかばんを見てるのがお似合いよ!」
 その夜、タケハは自分の家の窓から空をながめた。ろくに星も出ておらず、カセオといっしょに見た空よりもずっと味気なかった。暖かにともる家いえの明かりが、なんだかとても目ざわりだった。

 次の日、カセオは興奮した顔つきで、シズリの家で見たものをタケハに話してくれた。ワインだるほどもある大きなガラスのつぼにたっぷりと“夜空”が入っていて、そこになん十個もの星が浮かんでいたという。
「見る角度をあちこち変えてやっとわかったんだ。とも座とエリダヌス座、それにうさぎ座もあった。ガラスのつぼの中に、星空そのままの位置で星座が浮かんでいたんだよ!」
 夢中になって星をながめるカセオと、うれしそうに彼を見守るシズリの顔が、タケハのまぶたにありありと浮かんだ。
「シズリの父さんが、となり町の市場で星売りを見つけたんだって。小さな麦わら帽子をかぶっていたそうだから、きみが会った人にまちがいないよ。等級の高いものや黄道十二宮なんか、とんでもない値段がついてたらしい。うさぎ座やとも座ならあまり有名じゃないし、南の低い空に出る。なにより冬の星座だから、とてもお買い得だったんだって」
 カセオが熱心に説明すればするほど、タケハの心は重くなった。
「タケハも見せてもらえるように、ぼくから頼んであげようか」
「いいの」
 タケハはあわてて手をふった。
「わたしは本物の夜空を見ているほうが、ずっと楽しいもの」
「でも、星座を目の前数センチで見られるんだぜ。それに、不思議に思わないかい。本物の星じゃないのに、どうしてちゃんと光ってるんだろう。どうして星座の形をしてるんだろう。だいいち、あの星たちが入ってる“夜空”の正体だってわからないんだ」
「うん……」
「シズリの父さんは、近いうちにまた星を買いにいくんだって。ぼくも連れていってくれるんだ。きみの言っていたかめが見られるかと思うと、すごくドキドキしてくるよ!」

 それからというもの、カセオは丘での星空観察をぷっつりとやめた。タケハが遠慮がちに誘ってみても、そのたびにシズリが割りこんで彼を連れていってしまうのだ。
 やがてシズリは、手持ちの星をとっかえひっかえ、学校に持ってくるようになった。教室のカーテンを閉じるだけで輝きだす星たちは、学校じゅうの人気を集めた。
 コレクションは毎週のようにふえて、休み時間には新しい星のお披露目会がひらかれた。輪に入れてもらえないタケハは、カセオがユーモアまじりの解説でみんなをどっと笑わせるのを、教室のすみでじっとながめることしかできなかった。
 不思議な星売りの評判は、あっというまに町じゅうに広がった。どこのだれがどんな星をいくらで買った、そんな話をタケハの両親までがうわさするようになった。ガラスびんの中に浮かぶ星の光を楽しむことは、いまではお金持ちの高級な趣味だった。学校では、黒インクを溶いた水に、アルミニウムを削った粉を浮かべる遊びがはやるようになった。

 話し相手がいなくなったタケハは、夜の窓辺でアルファタケハにささやきかけた。
「わたし、星になれたらいいのに。きみと同じびんに入れてもらえば、わたしたちずっといっしょにいられるでしょう? それをプレゼントすれば、カセオはきっと毎日わたしたちを見つめてくれるわ」
 びんの中では、いまにも消えてしまいそうな光がただよっている。アルファタケハ。タケハ座でいちばん明るい星。思わずため息がでた。
「でも、だめね。わたしが星になっても、きっとちっぽけだから、カセオは目もくれないわ。きみもわたしも大きなびんでかきまぜられて、ほかの星に追いたてられて、だれにも気づかれずに消えていくのね」

 本物の星たちが、どんどん夜空から消えていることにタケハが気がついたのは、校庭のケヤキが色づきはじめたころだった。
 気のせいなんかではなかった。山のむこうからのぼってくるはずの秋の星座たちが、ちっとも姿をあらわさない。きのうまで元気だったデネブやアルタイルが、次の夜にはぽっかりと消えていた。そしていちど消えた星は、翌日もその次の日も、二度と戻ることはなかった。

「つまり、あの星売り屋さんは本当に夜空から星をすくって、みんなに売りさばいているというのかい?」
 タケハの知らせを聞いたカセオは、あきれ顔で言った。
「いいかいタケハ、星はどれも何万キロ、何万光年という遠いところにある。ほとんどが地球の何倍も大きいんだ。ちっぽけなガラスびんに入るはずがないじゃないか」
 そしてこうも言った。
「でも、きみの観察はまちがってないかもしれない。最近はお店の明かりや街灯の数がふえたし、なにより工場がどんどんできて空気が汚れてる。美しさでくらべたら、いまの夜空なんてシズリのコレクションの足もとにも届かないんだ。もうこの町で星空観察しようなんて、時代遅れなのかもしれないね。きみがよければ、ぼくの望遠鏡をゆずってあげるよ」
 タケハは悲しい気持ちでその申し出をことわった。
 その夜、タケハはひとりで学校の裏の丘にのぼった。カセオの言うとおり、前より空が濁っているのは本当だ。でも、たとえ夜明けまで粘っても、エリダヌス座やうさぎ座、そしてとも座が、東の空からのぼってこないこともたしかだった。

 町の夜空からすっかり星がなくなるまでに、それからいく月もかからなかった。冬になると、北極星やシリウスといった恒星たち、それに金星や木星といった惑星たちまでが、空のどこにも見あたらなくなっていた。
 タケハはからっぽの夜空を見上げて、ジャムのびんにささやいた。
「ひとりぼっちになってしまったね、きみ」
 口に出してから、あっ、と思った。
 アルファタケハがひとりぼっちになったのは、星売りのひしゃくにすくわれて、このびんに閉じこめられたあの日からだ。彼を夜空からひきはなした犯人はタケハなのだ。
 もしふたが外れて“夜空”がこぼれ、彼が窒息してしまったら? びんが割れて彼が地面にまぎれてしまったら?
 そんなことになったら、タケハのせいで星がひとつ、この世界から永遠に消えてしまうのだ。
「きみ、空に帰りたい?」
 タケハはびんに鼻をくっつけた。目を閉じると、星になった自分の姿が思い浮かんだ。ひしゃくでさらわれ、せまいびんの中でもがき、ドロリと暗闇に溶けていく自分。思わず身ぶるいした。
「ごめんね」
 びんを両手で包み、つめたいガラスにほっぺたをあてた。
「約束する。あしたきっと、あなたを夜空に帰してあげる」

 次の日、タケハは星のびんをかばんに入れ、汽車に乗ってとなり町へ向かった。ホームの人ごみをかきわけて改札口をでると、目的の店はすぐにわかった。駅前の一等地にま新しいビルがたち、大きな看板にこう書かれていた。
【売ります! 買います! 星の専門店】
 回転ドアをくぐると、大勢の客がふり返った。上等なスーツやドレスを着た大人ばかり。毛糸がのびたセーターと色あせたスカートのタケハは、まるで場ちがいだ。
 立ちすくんでいると、襟元に赤いリボンをつけた女性の店員が声をかけてくれた。
「どうしたの。迷子になった?」
「星売りの人に会いたいんです。大きなかめを持っていて、ツンツンひげの……」
「お待ちくださいませ」
 女性は少し困ったような笑みを浮かべ、タケハの名前をたずねて店の奥にひっこんだ。
 店員を待つあいだ、タケハはフロアのすみから店内を見まわした。ズラリとはりだされた天体写真は、それぞれの値札にいくつもの“0”が並んでいる。壁ぎわのショーケースには、クリスタルガラスの“星入れ”が飾られている。奥には“試覧室”と書かれたドアがあり、手前のテーブルでは赤いちょうネクタイの店員たちがお客にカタログを指さしている。
 さっきの女性が戻ってきて、うやうやしく言った。
「お待たせいたしました。社長がお会いいたしますので、どうぞこちらへ」
 ほかの客たちがざわめくなか、タケハはエレベーターで最上階に案内された。
 社長室では、大机のうえでたくさんの書類をめくっていた中年紳士が、にこにこしながらタケハを迎えた。
「お嬢ちゃん、いらっしゃい。また来てくれると思っていたよ」
 親しげに握手してきた男の顔を、タケハはまじまじと見つめた。
「星売りの、おじさん?」
「見忘れたかい。でもぼくはきみを忘れないよ。なにしろわが社にとっていちばん最初のお客さんだからね」
 はりもぐらのようだった不精ひげは、ぴんとした紳士ひげに変わっていた。上等な背広からただよってくるのは、ピクルスではなく葉巻の匂いだ。でも、よく見るとネクタイはゆるんでいるし、頭にはくせ毛がはねている。どこかあかぬけない様子は、なるほどあの星売り男だった。
 男はタケハを机の前のソファに座らせ、自分もその向かいにずしりと腰をしずめた。
「久しぶりに来てくれたということは、今度こそおこづかいがたくさんもらえたのかい」
「ごめんなさい。買い物じゃないんです」
 男はうなずいて、
「そうだろうね。きみはきっと、ぼくのことをあやしい人間だと思っているはずだ。ぼくの商品の正体をたしかめにきたんだろう?」
 タケハは静かに首を横にふった。
「あなたは星を売っているんでしょう。夜空に浮かんでいる星をつかまえて値札をつけて、売りさばいているんでしょう?」
 男はニヤリとした。
「そのとおり、きみは頭がいい。お客もうちの店員さえも、ぼくの商品を“星そっくりのなにか”だと勝手に思いこんでいるけれど、ぼくは正直に本物の星を売っているのさ」
 彼は語りはじめた。
「ぼくはこの町に来るまで、たくさんの国や町を旅してきた。星を売る人間なんて世界でぼくひとりだから、どんなに高くても買ってくれる人がいると信じてた。それなのに、いつだって変人あつかいさ。よくてサギ師だ」
 男は銀のライターで葉巻に火をつけた。ひとくち吸って軽くむせ、大きくせきばらいした。
「きみと別れてこの町に来ても、お客はちっともよりつかない。きみからもらったわずかなお金でくいつなぎながら市場のすみに座っていたら、身なりのいい男の人が声をかけてきた。『星を売る男というのはおまえさんか』ってね。
 聞けば、その人の娘さんの友だちがジャムのびんに入った星を持っていて、娘さんがたいそううらやましがっているというじゃないか。あの子が宣伝してくれたんだなって、ぼくはとてもうれしかったんだ」
 それからというもの、シズリの父親は大のお得意先になったという。彼は印刷工場をはじめいくつもの会社を経営する町いちばんの名士だったから、星売り男の評判はあっというまに広まった。
 やがて、男の店には遠く外国からも大金持ちが集まるようになった。どんなに値段をつりあげても、星は飛ぶように売れた。
「……そして、空はからっぽになったのね?」
 男は散光星雲みたいな煙をはいた。
「そうさ。かめから星をひとつすくうたびに、空から星がひとつ消えていった。ぼくも星を売るのは初めてだったから、ちょっとおどろいたよ。きみにあげたのはたしか、おひつじ座の近くにあったやつだ。等級は低いけど、いまの季節ちょうど真上にのぼるから、いい値になっている。ざっと見積もると……」
 机の上の電卓に手をのばそうとする彼を、タケハはさえぎった。
「わたし、星を売りにきたんじゃありません。空に、帰してあげたいだけなんです!」
 変わったお客さんだ、と男は目を丸くした。
「空に戻すのは簡単だけれど……それはつまり、わが社にただでゆずってくれるということかな? それとも預かってほしいということかな? 預かる場合は、手数料をいただくことになるよ」
 タケハは男のがめつさにあきれた。
「わたしは、星を自由にしてあげたいだけなんです。売り買いなんてやめてほしいんです。あなたはいまの空を見て悲しくないの? あのがらんどうの夜空を!」
 男はきょとんとした。
「そりゃあ、がらんどうだろうさ、めぼしい星はほとんど売れてしまったんだから。でも、それできみがなにか困るのかい?」
 なんと言えばいいのか、タケハはひざの上でこぶしをにぎりしめた。
「だって……星たちがかわいそうじゃないですか。夜空が泣いてるじゃないですか!」
「星がかわいそう、夜空が泣いてる……ねえ。ロマンチックだなあ」
 男は自分のひげをさすった。
「でも、きみの星はいま、ダイヤモンドなんかよりずっと高い値段がついているんだ。それをむざむざ空に捨てるようなまねは、世界じゅうのお客が許してくれないよ」
「空に……捨てる?」
 タケハの顔がカッと熱くなった。
「夜空はごみ捨て場なんですか!?」
 似たようなものだ、と男はあっさり言った。
「昔の人たちにとって星は、季節や方角を知るのになくてはならないものだっただろう。でもいまはちがう。言ってみれば星なんて空のアクセサリーみたいなものさ。それならほしがる人たちにわけてあげたほうが、ずっと世の中のためになるじゃないか」
「でも、星空がなくなって悲しんでいる人たちだっているわ。星が大好きでいつも望遠鏡をのぞいていた人を、わたし知っているもの」
 男はくすりと笑った。
「もしかして、それはカセオくんのことかい。彼ならかわいいガールフレンドといっしょに、この店によく来るよ。学校を卒業したらぼくの店で働きたいと言っている」
「そんな……!」
「ここのお客にはそうした天文ファンも多い。いまでは望遠鏡をほっぽり出して一日じゅうガラスびんをながめている天文学者を、ぼくは何人も知っているよ。きれいな光のむれを見たければ、ぼくのビルの屋上から夜の街を見おろしてごらん。夜空よりずっと美しいから」
 タケハの全身から力がぬけた。これ以上、どんな言葉ならこの人に通じるんだろうか。くやしさと悲しさがまざりあって涙になって、あとからあとからガラステーブルの上にこぼれた。
 声をたてずに泣きつづけるタケハを、男は長いあいだじっと見まもっていたが、やがてくるりと背をむけて部屋のすみの大型金庫に近寄った。ぶ厚いとびらを開けて取り出したのは、あの古ぼけたかめだった。ごとり、とそれをテーブルにおいてから、男は言った。
「あの星を持っているかい?」
 タケハはうなずいて、かばんから小びんを取り出した。彼はそのふたを指先でチンとはじき、目を細めた。
「……アルファタケハか。いい名前だ。この星をきみにあげて本当によかった。こいつはたいした幸せものだ」
 そして、かめをタケハの前に押しやった。
「かさばるけれど、これを持ってお帰り」
「え?」
 タケハは涙をふくのも忘れて、男の顔を見つめた。彼はちょっと照れたように、
「知ってのとおり、これは不思議なかめだ。この中には空の星が全部入っていたけど、ぼくはもう、ほとんどを売りつくした。いまは客から星を買い戻したり、それをまたほかの客に売ったりする商売だから、もうこれに用はない。
 もしきみがあのころの星空を取り戻したいと思うなら、世界じゅうにちらばった星をこれに集めればいい。むしろ、それしか方法はない。おっと、これまで売った星をぼくが買い戻すべきだなんて、言いっこなしだぜ。きみの信念が正しければ、きっとみんなよろこんで星を返してくれるはずだろう?」
「売るだけ売って、あとは知らんぷりですか」
「きみもキツイことを言うようになったなあ」
 男は首すじをペチリとたたいた。
「まあ、そう言われてもしかたない。でもぼくは若いころ、大金を出してこのかめを買った。それをタダであげるんだから、せめてものぼくの誠意をくみとっておくれ。ああ、誠意なんていうとまたきみにしかられそうだね」
 タケハの涙はとうにひいていた。そのかわり、男へのあわれみと、星たちへの責任感で胸がいっぱいになっていた。
「いいえ、ありがとうございます」
 男は、顔をほっとゆるませた。
「よかった。勝手な言いぐさだけど、これでぼくも肩の荷が降りた気がするよ。そうだ、これまでの顧客リストの写しをあげよう。だれにどの星をいつ売ったかが全部書いてある。名簿の先頭はきみの名前だ。本当はプライバシーにかかわることだから、内緒にしてくれよ」
「いいんですか。もし星をみんな空に返したら、あなたの仕事がなくなってしまうのに」
 男はカラカラと笑った。
「その意気だ。これ以上ぼくがしてあげられることはないかもしれないけれど、少なくともきみの邪魔はしない。ぼくはきみに感謝しているんだよ。すてきなお守りをくれたんだから」
 男はタケハの後ろの壁を見あげた。つられてふり返ると、そこにはリボンのついた麦わら帽子がちょこんと飾られていた。

 男はタケハを店の玄関まで送ってくれた。別れぎわに手をにぎって、
「ひとつ大事なことを言い忘れた。そのかめの中には星がみっつだけ残っている。とてもきれいな星だけれど、こればかりはさすがのぼくも売る勇気がなかったのさ。ま、それをどうするかはきみの自由だけどね」
 駅の前でもういちど星売りビルをふり返ったタケハは、大看板に店のロゴマークがついているのに気がついた。それは、まるで麦わら帽子のような土星に、かわいらしいリボンがついたデザインだった。

 その夜、タケハはかめをかかえて丘にのぼった。かつてカセオと寝ころんだ草むらには、うっすらと霜がおりていた。
 公園には、思いがけない先客がいた。カセオとシズリだった。
「星売りさんから連絡があったの。あなたのことを助けてあげてほしいって。わたしはいやだって言ったんだけど、この人がどうしてもって言ってきかないから」
 シズリはそう言ってカセオの手をぎゅっとにぎった。カセオはスラリとしたのどをのばして、思いつめた顔で天をにらみつけていた。
「……どうしてぼくは、タケハの言葉を信じなかったんだろう。これが街灯や工場のせいだって? そんなわけないじゃないか。カペラもデネブもアルデバランも、みんなどこへ行ったんだ!」
 シズリが自慢そうに胸をそらせた。
「カペラとデネブはわたしの家に飾ってあるわ。パパのコレクションを集めれば、この空の半分くらいはもとに戻っちゃうわよ」
 そしてタケハに、
「でも、まずはあなたのアルファナントカが先。そうでしょ?」
「……ありがとう」
 タケハはかめを足元におろし、新聞紙のおおいを外した。カセオとシズリが両わきから身をのりだす。木のふたをどかしてのぞきこむと、三人のおでこがこつんとぶつかった。
 美しかったかめの中は見るかげもなかった。男が言っていたとおり、ドロリとした闇の中に、みっつの星が身を寄せあっているだけだ。
 そのうちのひとつは、少し黄色がかった明るい星だ。そのまわりを、小さな青い星がまわっている。青い星には、もっと小さな星がぴったりと寄りそっている。
 どうしてあの人はこの星を売らなかったんだろう。彼らは夜空のどこにいるんだろう?
 カセオとシズリも同じことを思ったらしく、三人はそろって空をあおいだ。晴れているのに、月のほかに星はひとつも出ていない。
 季節がちがうのか、南半球の星なのか。カセオが首をかしげる。
「こんなに青い星なんて、見たことも聞いたこともないけどなあ」
 ……青い星?
 タケハははっとして、思わず身ぶるいした。やっと分かった。この星たちの正体が。みっつの名前をつぶやくと、カセオとシズリはぽかんと口を開けた。
「うそだ。そんなの……まさか」
 でも、それ以外に考えられない。このかめの中にあるのは、ただの星空なんかじゃない。宇宙そのものなんだ。
 この星たちのことを知りながら、星売り男はどうしてあんなことが言えたのだろう。「星はアクセサリーにすぎない」だなんて。自分の責任の重さに寒気すら感じる。
 思わずうつむいてため息をつくと、急につめたい風が吹いて三人の髪をゆらした。タケハはふるえる手でコートのポケットから星の小びんを取り出し、ふたを外した。となりのふたりがゴクリとつばをのみこんだ。
 かめの上でかたむけると、アルファタケハをのせた“夜”はトロリと流れこんだ。光のつぶが金の糸をひいて吸いこまれるさまを、カセオもシズリもうっとりと見まもった。
 空に目をうつすと、はたして、さっきまでなにもなかった天のいただきに、小さいけれどたしかな星の光がひとつ、またたいていた。
「……すごい。話には聞いていたけど、こんなことが本当にあるなんて」
 カセオがくちびるをふるわせた。
「きれいね。ちっちゃいくせに」
 シズリの手が自然に動き、そっとタケハの肩を抱いた。カセオが言った。
「いつか、三人で星空観察しないか。この空をもういちどにぎやかにしてからさ」
「あら、星売り屋で働くはずの人が、そんなことを言ってだいじょうぶ?」
 わざとらしくおどろいてみせるシズリに、カセオは顔を赤くした。
「ぼく、やっと気がついたよ。星は、値段を計算するより、こうして地面からみんなで見あげるほうが楽しいよ」
 シズリは優しくうなずいた。
「そうね。寒くてねむくて、そのうえ首がいたくなるけど、つきあってあげてもいいわ」
 二人のやりとりを聞いていると、なんだか心がほかほかしてくる。タケハは夜空に向かってそっと呼びかけた。
「ゆるしてね、わたしのアルファ。いまはまださみしいだろうけど、きっと仲間を連れてきてあげる。わたしたちだって、あなたと同じなのだもの。暗いかめの中に生きている、小さな光のかけらなのだもの……」

【おわり】

アルファタケハの小びん

 第29回福島正実記念SF童話賞の最終選考で力尽きた作品です。漢字を増やした以外は、応募のときのままです。
 講評では、ストーリーや雰囲気はかなり評価されたものの、「グレードが高すぎる」「恋愛要素は賞にそぐわない」「主人公の年齢が不明なまま」「表現などが古すぎる」「星売り男がラストまで強欲なまま」「日常描写にリアリティがない」「たぶん作者はこういうのしか書けなさそう」……などの指摘をいただきました。

アルファタケハの小びん

少女タケハは、学校帰りに不思議な行商人と出会う。彼の商品は、ふるぼけたかめの中に広がる星空だった。ありったけのお小遣いを出して小さな星を譲り受けたタケハは、それをジャムの空きびんに入れて学校に持っていく。宮沢賢治風なSFファンタジー。

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 恋愛
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-04

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