誤算

粘土を練っていたら思いついたものを即興で書き上げました。



僕はいつからここに居るんだろう。

時計はある。現在、午前6時11分。
薄明るい日差しがカーテンの隙間から漏れたので、そちらを見る。遠くから蝉の鳴き声が聞こえる。ベランダ近くにでもいるのだろうか。僕はぼやけた視界を頼りに洗面所へ向かう。顔を洗い、歯を磨き、眼鏡をかけた。洗面台の鏡には、剃り残した髭に寝癖頭の間抜けな男が映った。朝だ。朝なのだ。僕は毎日そうしてるように、考えを巡らせた。

「いつまでここに閉じ込めれば気が済むのだろう、犯人は」

犯人といっても、僕の想像で、実際には犯人なんているかわからない。ただ、一つだけはっきりしていることを挙げるとすれば、ここは明らかに僕の部屋じゃない。僕の部屋とは似ても似つかぬ。なんせ、僕は世間でいう”オタク”で、朝起きればベッドサイドには機動戦士ガンダムの限定版フィギュアと、セーラーマーキュリーの愛くるしい目覚ましボイスを発する目覚まし時計があるのだ。
……多分。

実のところ、僕にはこの部屋に来るまでの記憶がない。最初の記憶といえば、地球滅亡を救うために惑星探査をしていたところを途中で仲間と口論になり、とうとう惑星Rから追放されたというトンデモナイ夢から覚めた時だ。その時には、僕の身体は半分くらいベッドから床に落ちて、無機質なコンクリートの天井を見上げていた。
ここにはカッコ良いフィギュアも美少女戦士の目覚まし時計もないけど、僕の部屋にはあったらいいなぁ、なんて、この時の僕は呑気なことを考えていた。そればかりか、寝そべって漫画を読むばかりで、無限に流れているかのように感じさせる時間をつぶすことに長けていた。いわば、暇つぶしの専門家(エキスパート)だった。

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「今日は……メープル味っと」

冷蔵庫の中にはカロリーメイトがびっしりと詰められていて、少し味気ない気がするが、食料には困らない。水だってその横に段ボールが山積みされていて、あと3ヶ月は尽きることもないだろう。
カロリーメイトを片手に囓りながらもう片方の手でリモコンのボタンを押し、テレビをつける。いつものことだ。チャンネルを回していると、ふとあるチャンネルに目が留まった。画面一面に映される真っ赤なそれを前に思わずヨダレを垂らしてしまう。

「りんごだ!」

食べたい。どうしてもりんごが食べたい。その日1日中、りんごの絵を描いて過ごした。が、絵に描いたりんご、芳潤な香りを漂わせるりんごが三次元に現れるわけはなく、お腹で飼っているりすがきゅるきゅる鳴き出す仕舞いなので、またしもカロリーメイトを食べて寝床に入った。

(2)



「お腹すいたよぅ……」

少し肌寒い感じもする。そっとカーテンに手をかけ外を覗いたが、閑散とした灰色の空が続いてるのみで目ぼしいものは何一つ見当たらなかった。この窓が開けばなんとか外に出られそうなものを、頑丈に締め切られていて鍵もないし、まるで見せ世物小屋に入れられた気分だ。
あれから3ヶ月経った。
食料は2日前に底をつき、水も今日、明日で飲みきってしまうだろう。

僕は考えた。
そもそも何故、この部屋から出ようとしないのか? いや、出てみようと努力はした。先ほどの窓はもとより、玄関や換気扇まで、部屋中を調べた。玄関は覗き穴があるのみで回せる取っ手も鍵穴もない。換気扇はキッチンと風呂場の2つ。どちらも手前の格子が頑丈でビクともしなかった。そう、この部屋は完璧な密室なのだが、空気は換気扇が常に回っているおかげで酸欠でバタン窮することはない。室内のスイッチは、部屋や浴室の電灯、テレビのリモコン、エアコンのリモコンの4つ。不自然なものといえば、漫画や小説、歴史、伝記やらが整然と並べられた巨大な本棚と、壁に埋め込まれた電子時計、それから上から順に「春・夏・秋・冬」とシールが貼られた衣装ダンスくらいで、あとは至って普通の12畳ほどの部屋だ。

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僕は「秋」のシールが貼ってある引き出しから長袖Tシャツとジーンズを取り出し着ることにした。
着替え終わると何か見落としはないか部屋の中心にあるテーブルの周りを衛星のように周っていた。ふと、ペルシャ絨毯が敷かれているキッチンを見た。僕がキッチンを使うことがあるだろうか。玄関の取っ手も、窓の鍵もないこの部屋に、キッチンは必要だろうか。僕が調理するものなど何処にもない。
僕は絨毯を剥がしてみた。居間の綺麗な木のフローリングがそのまま続いていた。ちがう、ここじゃない。キッチンの下扉を調べてみた。ここも何度も調べたあとで、何もなかった。

「いい加減にしろ!」

僕は握った拳を床に叩きつけた。同時に、パキッと乾いた音がしたが構うものか。
3ヶ月も部屋に閉じ込められて、記憶がないので手掛かりも掴めやしない。毎日毎日変化のない生活。我慢の限界だった。ここに来てからは運動もロクにしてないし、来る前と比べて僕は一気に老けたと思う。
犯人は何のために僕を閉じ込めたのだろう。何処かに監視カメラがあって、僕の疲労困憊、心神喪失な有り様を遠くから見てクスクス嘲笑いながら楽しんでいるのだろうか。とんでもない。こっちは命が懸かっているんだ。趣味が悪いにもほどがある。
かなり激しく叩きつけたので床が割れたかもしれない、恐る恐る手元を見ると本当に割れていた。

「……ん、何だこれ」

床の割れ目から生温い風が吹きこんでくる。どうやら下にダクトがあるらしい。でもなんでこんなところにダクトが? 疑問を抱きながらもダクトに入ろうとして片足を引っ掛けたところで一抹の不安が頭をよぎった。もしこのまま部屋に帰ってこれなかったらどうする? この先は終わることのない暗闇が永遠に続くとしたら?僕は身震いした。しかし、食料がつきた状況でこの部屋に居続ける理由はない。命は何物にも替えられぬ。僕は覚悟を決してその場で鼻から大きく息を吸って息を止め、水中に潜るようにして真っ暗なダクトに吸い込まれていった。


すぐに尻餅によるピリピリとしたシビれるような感覚が尻を襲った。意外にも底は浅かったようだ。横につたって這って行き、途中左右に分かれたので風が吹く方に進んだ。すると突然床が抜けたと思うや否や、小規模の倉庫のような場所へ到着した。ここは何処だろう。探ってみようにも辺りが暗くてよく見えない。僕は大きくあくびを一つした。やっぱり何も見えない。なんだか眠たくなってきた……。

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眼が覚めると元の部屋に戻っていた。僕としたことが、睡魔に勝てずにあの場で寝てしまったのか。ところどころ体の関節が痛む。
冷蔵庫を開けると見慣れた黄色い小箱が、隣には天然水と書かれた段ボール箱が平然と山積みにされていた。



「もしかしたら……」

僕はありったけの想像力を駆使して今の怪奇現象の謎を解こうとした。
やはり犯人の仕業か? だとすれば複数犯にちがいない。犯人の一人が脱走を図った僕を眠らせて、玄関からベッドへ運んだ。玄関は外からは開くように取っ手がついているんだ。でも、何のために?僕にトレジャーハンターもびっくりな金銀財宝の資産があって、世界に名だたる石油王なら話は別だが、多分ちがう。お金目的ならこんな面倒なことはしないだろう。

もしかすると、この部屋の外には誰もいないかもしれない。つまり、僕は人類最後の一人に運良く(運悪く?)選ばれてしまったのではないか。それならそれで盛大に祝って欲しいものだ。もっとも、その前提でいくと祝ってくれる人などいないのだが。食料は、きっとこの部屋がスーパー機能的で優秀なロボットだからだ。食料が尽きると何処からかストックしてある食料を一定量補給してくれるのだ。部屋の外で眠り込んでしまった時も、小さな精密機械たちがわたしを親しみのあるベッドへとエッサホイサと運んできてくれたのだろう。ここに来るまでの記憶がないのも、一人になった際の寂しさを軽減させるためだろう。人は懐かしむものや未練があると孤独に弱くなるからな。なんということだ。素晴らしい、科学の勝利だ!

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3ヶ月間、たった一人で閉鎖的なこの部屋に過ごしただけあって凄まじい想像力だ。本棚にあるSF小説の設定も織り交ぜてみた。流石にこんなことはすべてはないにしろ、犯人がサイコパスで異常犯罪者である説、この部屋の外に誰も人間がいない説は有望である。前者はいざという時どうにでもなりそうだが、後者なら絶望的だ。紆余曲折を経て、外の世界に出ることができたとしても、そこには僕一人しかいないかもしれない。僕以外の人間は誰一人として、いないかもしれない……。

だとしたら、この部屋から出ないほうが僕にとって幸せな気がする。外の世界がどうなっているか知らないが、この部屋で生きていけるならそれも良いと思えてきた。その時だ。僕の安寧を、これからの穏やかな日々を、耳を劈くような音が無鉄砲に壊していった。現実に戻ると、玄関の呼び鈴が部屋中に鳴り響いていた。
急に外の世界が怖くなった僕は、忍び足で玄関に近づき覗き穴から外の世界を見た。白い影が見えた瞬間、僕は一心不乱でキッチン下に潜り込みそのままダクトの中へ、一度行ったことのある倉庫目指して息も絶え絶えにに這って進んでいった。

「ハァハァ……」

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倉庫につくと、前回来たときと少し様子が変わっていた。相変わらず暗くてよく見えないが、倉庫のドアから光が漏れている。ギィィという声を上げながらドアが開くと、だだっ広い場所に出た。カーブがかった台がある。受付だろうか。ここは会社か何かか? すぐ隣に警備室が配置されていて、監視カメラの映像を見ることができた。

「資料は……ちがう。これもちがう。これは、WHO特殊生命研究センター?」

掲示板に貼られたA4用紙を読んだ。WHOって、あの世界保健機関? ここは研究所だったのか!

「なになに、『WHO特殊生命研究センターは世界保健機関(WHO)付属の正式研究機関で、主に特例の研究を進めるにあたって利用される秘密組織である。一般公開はなく、審査により選出されしWHO職員と研究員は力を合わせて研究に尽力するように。詳細は別紙を』……あった。『人体の構造徹底解析、心と体の作用・反作用』?」

読み進めてみても専門用語が多くて意味がわからないが、僕が実験のモルモットにされていたことは理解できた。

「誰の指示だ、こんな非人道的なことをしてただで済むと思うなよ!僕の父や母、友達だって黙っているはずがない!」

もっと情報が欲しかった。奴らを全員ひっ捕らえて、法の下で堂々と戦えるに十分な情報が。
監視カメラを見れば何かわかるだろうか。僕は前のめりになる上で誤ってキーボードに手をついてしまった。おかげで監視カメラの映像がいくつか切り替わった。入り口のカメラにスーツを着た人々が次々と建物に入っていく。廊下のカメラを見ると、白衣を着た一集団が鳥の群れのように矢印みたくこちらへずんずん歩いてくる。周りに非常口など逃げ道はない。この調子だと裏口から警備員も出勤しているだろう。四面楚歌だ! こうなったら……。

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僕は一撃で効果的な武器も持ち合わせてなければ、秘策の一つや二つも出てきやしなかった。で、結局のところ反撃の拳を振り上げることもなく、そそくさとあの部屋へ逃げ込んだ。
その晩はダクト近くで震える膝を抱えながら座り込み、一睡も眠れなかった。



それから数年が経ち、もはや機関に立ち向かう気力さえ失いつつあった。
あれから何度かダクトを通ってロビーと警備室には行けるがそれ以上はどうしても不可能だった。WHO職員と研究員が持つカードが要るらしく、次に呼び鈴を鳴らすようなことがあれば物陰に潜んで部屋に踏み入ったと同時に飛びかかり、カードを奪ってやろうと考えもした。しかし、あの晩以来奴らが部屋に訪れる兆しはなく、すべては水泡に帰した。

数十年後にはそんな目論見どうでも良くなった。人肌に飢えに飢え、僕は孤独の極地にいた。反撃の拳をあげようなどとは思わない。WHO職員でも研究員でも誰でもいいから人に会いたかった。そして待ちに待った音が聞こえ、開くはずのないドアが開いた……。

「待ちそびれたよ」
「こっちへ来い」

言われるがまま側に近寄ると、両腕を後ろ手に回され手錠をかけられた。

「おい、何をするんだ!離せ! どこへ連れていく気だ!」
「ギャーギャー騒ぐな。ここで大人しく指示を待て」

連れて来られたのは猿のいる檻の前だった。そして僕をその檻の中に閉じ込めた。何故、僕がこんな目に……こんなことになるなら一生あの部屋に居れば良かった!檻の中では大勢の猿たちが僕を睨めつけている。場違いだとでも言われているようだ。
とにかく壁際にいようと隅の方に移動するとそこにも一匹猿がいた。

「猿だ!」

僕は思わずそう叫び後ろに飛び退くと、猿も飛んで後退りした。僕の真似をするなんて可笑しな猿だ。おそらくこの猿も僕と同様、集団が怖いのだ。どこの世界にもぼっちはいるんだな、なんて苦笑しているとその猿も口をモゴモゴさせた。

「おい、真似するのはよせ」

猿もキーキー鳴く。何か様子がおかしい。猿に触れてみる。冷たい。透明な壁、いや、鏡だ。となると、この猿は……。

「そんな……」

老いた猿が口を半開きにさせてこちらを見つめていた。


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「これはどんな仕組みなんですか?」
「ああ、これはですね。鏡の前に立つと3Dで立体化されたリアルな人間が映るんですけどね、被験者の動きと同期して動くようにできてるんです」

防ウイルス装備を整え、WHO職員が壁に埋め込まれた時計を指差す。

「この時計は普通ですね」
「いえいえ、この時計は監視カメラです」
「カモフラージュ、ってわけですか」

コツコツ、とヒールを鳴らせてWHO職員が歩くと、研究員もその後に倣ってついていく。
研究員が得意げに話しだす。

「部屋の造りは一見ありふれた鉄筋コンクリートなんですけどねぇ、外からはご覧の通り、二重構造になっていまして。室外温度はこちらで自由に設定・操作できるんですよ。それに音響設備も充実していまして、春夏秋冬に合わせた様々なシュチュエーションを音で感じることが可能です」
「はぁ、それはすごいですね」
「窓にも鏡と似たような細工がしてあります。これは四季に合わせて画面のグラフィックが変化するだけですがねぇ」

WHO職員は感嘆の声をもらした。そして、最後に目の前の檻を指差した。

「で、これが被験者の……猿ばかりですね」
「人類に一番近い哺乳類でこの実験に最も成果が期待されたのが、猿なのです。ご覧ください。あの隅の方にいるのが成功例です」
「へぇ……」


二人は満足そうにその猿を眺めた。

誤算

不甲斐ないことにこの主人公の「僕」は報われません。バッドエンドです。
元々、ハッピーエンドが好きなので、このお話は自身初の作品でありながら私の中ではイレギュラー扱いです。ならば何故か。それは今後バッドエンドを書かないであろうと見越してのことだからです。

次のお話では、ハッピーエンドになればいいと思います。

誤算

「僕」はある朝見知らぬ部屋で目覚めた。手掛かりを得ようとも部屋に来るまでの記憶がない。窓も玄関も開かない密室に閉じ込められてしまっていた。食料は十分にあるので少なくとも3カ月は生き延びることができるだろう。犯人は一体誰なのか。何が目的でこんなことをするのか……。

  • 小説
  • 短編
  • ミステリー
  • SF
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-09-04

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