虹のにおい

 夏の終わりの午後に僕は自室から空を見上げていた。

 空は気が付くと曇天となり、夏の青空を覆い隠している。

 ああ、もうすぐ降ってくるな。

 そう思った矢先、雨がポツ、ポツ、とアスファルトの地面を濡らし始めた。

 間もなく雨は勢いよく地面を叩き、自室の窓の網戸越しに砂埃を含んだ匂いを運んでくる。

 ……優しい匂い、だな。

 いつの日から僕は雨の降り始めは優しい匂いがすると感じていた。

 その匂いについて一度、調べた事があり、匂いの原因は植物が土壌に発する油分で雨が降る直前に匂いはじめ、雨が降り始めると油は流されて匂いも無くなってしまうという。

 その話を彼女にした時に、夢がないねと一蹴された。

 彼女はその後、不出来な弟を叱るように両目をつぶりながら追い打ちを掛けてきた。

 古代のギリシャの哲学者アリストテレスは雨の匂いは『虹のにおい』と呼んでいたの。同じ匂いを感じてもどっかの誰かさんとは大違いね。

 そう言って、シニカルに笑う彼女に僕は閉口した。

 彼女は僕なんかよりも数倍知識があり、口も達者だった。

 そんな彼女を言い負かした数少ない経験がある。

 それは友達との飲み会の帰り道、二人だけになった時にそっと告白したときだ。

 付き合ってくれる? 清水の舞台から飛び降りる気持ちで伝えたその一言で、彼女は口をきゅっと結び、真っ赤な顔で何度も頷いてくれた。
 素直な彼女の反応は普段の様子とはかけ離れており、恋愛に関しては僕と同じで奥手な人種だと安心したのを覚えている。
 

 ふと、窓を見ると水色の大きな傘を差した彼女が長い坂道を上ってきていた。

 僕が手を上げると、彼女は笑顔で手を振ってきた。

 雨は次第に上がるだろう。

 そうしたら、彼女と一緒に虹を探しに行ってみようかな。

 そう誘ったとき、彼女はどんな顔で反論してくるのかを想像して、思わず笑みがこぼれていた。

虹のにおい

虹のにおい

雨の降る前は優しくて、懐かしいにおいがする。 透明感を意識して描写した1,2分で読めるショートショートです。

  • 小説
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更新日
登録日
2015-08-30

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