からす

からす

青黒い空が青さだけをそのままに少しずつ澄んでいく。三回目の日の出だ。夜もずっとこの必死の大行進は休むことなく続けられた。少なくとも休まなかったものだけがこの群に残って先を急いでいる。生か死かということがはっきりと感じられる勢いの中で、眠ることは許されない。三日前の太陽の沈む頃、遠くから地響きをたて砂煙を舞い上がらせながら現われたこの大行進を、高い木の上で見つけ、それが近づいてくるにつれて無数のヒステリックな泣き声が聞こえ始めると、妙にからだじゅうが力み出し、ついに抑えきれない衝動に駆り立てられ、わけのわからないままにぼくも数羽の仲間たちといっしょにこの鳥獣の群に加わった。そしてずっと無我夢中の行進を続けている。哀れとは自分でわかっていても、どうすることもできない衝動が、ぼくをこの奇妙な行進にしがみつかせる。そして三回目の日の出がやってきた。太陽はいつもちょうど行進の後方から昇る。

今、ぼくは首の長い巨大な恐竜の頭の上に乗っている。そのようにしている鳥は、他にもたくさんいる。しかしぼくは夜の間に数えきれないくらい乗り替えなければならなかった。それくらい多くが倒れたり列から外れたりして脱落していった。太陽が出てからはもっと多くが脱落する。みんなずっと何も食べていないのだが、もっと深刻なのは水分の不足だ。脱落はみなそのためだ。

次第に、まるでぼくたちの行進を後ろから急き立てるかのように、太陽が強く熱く射してきた。恐竜の動きが鈍くなってきている。砂煙を上げてこちらに駆けてきていた獣の一群が、ようやく行進のすぐそばまで近づき、しばらく平行して走ってから新しく加わった。山や森林を通り越える時は、特に多くの鳥や獣が合流した。そしてもっと多くの獣と鳥が倒れたり落ちたりして取り残されていった。

雨が降らなくなってもうかなりになる。川はほとんど干上がっている。そしてその中をぼくたちはわずかに残っている水を漁りながら、更に次の水を求めて進んでいく。

今までにこんな遠くまで来たことはない。そして、遠くに行くに連れて、見たこともないような動物が増えてくる。そして見慣れたものたちが少なくなっている。行進のいたるところでヒステリックな鳴き声が上がる。死にもの狂いの行進だ。みんな気が立っている。みんな急ぐ。しかし太陽が昇るにつれ、行進は鈍っていく。そして脱落。しかし少しでも行進の前の方に進もうとみんな力を振り絞って急いでいる。水たまりや水の残っている池があっても、それらにたどり着くまでには、もう前のほうの獣や鳥たちによって、ほとんど飲み尽くされてしまっているばかりだ。

ぼくはしかしほとんど飛ぶのをやめて、大きな動物の背などに乗って進んだ。そしてそれが倒れると、近くの早く動いている大きな物の背に飛び移った。鳥は、ほとんどそうしている。動くということが、それだけ水が余計いるということだ。そして食べるということも、それだけたくさん水がいるようになるということだ。だから肉食のけものたちも、牙をむいて弱いものをかみ殺して食べるようなことはしなくなっている。ただ必死に水を求める行進の中の一頭一頭に他ならない。

ぼくがその頭の上に乗っている恐竜がいきなり立ち止まり、ふり向いた。そして異様に大きな目をしわだらけのまぶたからはみ出すようにして太陽をにらんだ。そしてとてつもない叫び声を上げ始めた。ぼくは慌てて飛び上がる。するとその首の長い恐竜は、よろめいたかと思うと首が倒れていき、全体が崩れ落ちた。砂煙が、地響きと共に舞い上がり、よけきれなかったものの数匹が、その下に押しつぶされた。

体の大きいものほど水分の不足がこたえるのか、巨大なものはもう見える範囲内で三頭しかいなくなった。群は倒れた巨体を避けて蛇行して進む。それにかまうものはいない。いや、いつのまにかあらわれた一羽の猛鳥が恐竜の頭部に降りていった。そしてその目玉をついばんだ。それが喉を潤すのなら、最後まで生き残るのはその鳥たちだろう。

太陽が地面を焼き始めた。あたりの山や荒野が炎のように揺らぐ。そして地面は最後の一滴の水まで吸い上げられ甲羅のように硬くなっていく。

枯れた山が燃える。そしてまた多くの鳥やけものたちが大行進に向かって飛び、走ってくる。しかしまたそれ以上の数のものが行進から姿を消す。あるものたちはそのまま倒れて数万のけものに踏み越えられ、平たくつぶれ、ついには跡形もなくなってしまう。休むことも踏みつぶされることだ。進むこと意外は死ぬことだ。

突然、はるか前方が慌ただしく、騒がしくなった。ぼくは直感した。水があったのだ。そうにちがいない。ぼくは乗っていた灰色のけものから飛び上がり、行進の先頭をめがける。地を行く動物たちも荒れ狂ったように叫び、先を争う。何千という鳥が舞い上がり、全速力で飛ぶ。ぼくはそれに危険を感じ、慌てて高く舞い上がった。そしてしばらく飛んでいくと、見えた。湖だ。とても大きな湖。向こう側の岸はキラキラ輝く青い湖面の彼方にかすかに見えるだけだ。早い鳥やけものたちは、もう水際にたどり着き、浅瀬を走っている。ぼくは一刻も早く水が飲みたく、スピードを上げて飛ぶ。浅瀬でものすごい水しぶきが上がっている。しかし湖だというのに、緑の色はそこには一点も見えない。ただ灰色と白だけだ。草木はどこにも見当たらない。岸辺がずっと白い色できれいに縁取られている。ぼくはどんどんそこに近づいて行く。行進はそこで大きく膨らみ、けものたちは白い岸辺に散らばり、駆けめぐっている。きついにおいが鼻をつき始めた。近づけば近づくほどこのへどの出るようなにおいは強くなってくる。変だ。それでもあのキラキラと光っているものは確かに水だ。ずっと求めていた水に違いない。どうしてあのけものたちは、あんなに妙な苦しそうな鳴き声を上げているのだ。そして狂ったようにに駆け回っている。ぼくは、岸辺の上空まで来て旋回する。たくさんのけものが白い粉を体全体にまぶして、ごろごろと倒れてうごめいている。水辺からまた一匹のけものが駆けだしくるくると駆け回る。そして転げ回り、真っ白くなっていく。動かなくなったものには猛鳥が降りていく。それでもまだ次から次へたくさんのものが争って水辺に押し寄せる。このにおいは塩だ。ぼくはそう思ったとたんにめまいがしてきた。ぼくはまた高く舞い上がる。力を振り絞る。この死の湖から遠ざかろう。太陽は容赦なく照りつける。そして下では果てしなく続く死の大行進が、それ自体がくすぶっているかのように赤褐色の砂煙を上げて、その白い湖岸に到っている。

しかし、しばらくすると湖から新しい行進が脱出の芽を伸ばし始めた。これは見る見るうちに伸びていき、やがて行進の主流は湖からそれて次第に離れていった。

気がついてみると、ぼくはその新しい行進の方向の延長線上にどんどん飛んでいっている。何かがぼくを、そしてあの行進をこの方向に引っ張っているのだ。何かがだからこの方向の行きつくところで待っているに違いないのだ。しかし灰褐色の荒野は同じ色の山々の起伏を繰り返しながら、果てしなく続く。水のあることを示す緑色はどこにも見当たらない。

どのくらい飛び続けただろう。もう行進の姿は、はるか後方に見えなくなった。ぼくはただ夢中で飛び続けている。何かが自分を呼び続けている。この果てしなく続く荒野の彼方にいったい何があるというのだろう。疲れた。

もう何日も何日も雨は降らない。そして、地に残っている水は苦いものばかり。左の目が少し霞んでいる。
ぼくには羽がある。飛べるだけは飛んで、落ちよう。
久しく見なかった緑色が見える。なだらかな丘だ。しかし今にも太陽に焼かれて消えてしまいそうな緑だ。

そのあたりで一番高い山の頂から、白い煙の筋が、雲一つない空に昇っていく。それは風にかき消されては、また昇り始める。そしてかすかな悲鳴がその方から聞こえてくる。しかしその声は弱まり別の叫び声にかき消された。

「バール、バール、バール」

あれは人間だ。人間が神を呼んでいる。

「バール、バール、バール」

狂ったように叫んでいる。近づけば近づくほどその声は恐ろしい。火を焚いている。すさまじい形相をした小さな人間が積み上げられた藁の上で焼かれてもがきながら黒くなっていく。十人くらいがそのまわりを必死になって叫びながら、荒々しく踊り回る。しかし空にも地にも何も起こらない。白い煙が黒くなり脂の焼ける音がする。

ぼくはそばの枯木に止ってその様子をうかがっている。水の入った瓶が少し離れた所に二つ置かれてある。

彼らは時折きらりきらりと光るもので身を傷つける。そして鮮血が筋を引いて流れる。荒々しく踊ってそれは異様な模様となり、それを太陽が焼いてみるみる黒ずませる。強い風がヒューと鳴いて吹くと、煙がまるで生き物のように彼らを襲う。ぼくは瓶の口に飛び移り、水を必死で貪る。顔を全部水の中に突っ込んで飲む。だれかが石を投げつける。

「バール、バール、バール」

しかし何も起こらない。石がまた投げられ、瓶に当たった。ぼくは飛び立って枯木にもどる。瓶がひび割れ水がこぼれている。数人が走り寄ってそのこぼれる水をなめる。
「バール、バール、バール」

太陽の下の彼らの狂気の踊りは煙を食らって更に激しさを増す。しかし空にも地にも何も起こらない。

ぼくは高く舞い上がる。濡れた顔がとても気持ちいい。そして喉が濡れている気持ちよさが不意にぼくを鳴かせる。

「カア、カア、カア」
舞い上がって見ると、山の反対側は人間の住んでいる平地だ。灰色の家がたくさん散らばっている。そしてかなり広いがほとんど干上がっている川の中で人間たちは土を掘っている。

ぼくは鳴きながら更に高く舞い上がる。するとはるかにあの行進の褐色の砂煙が見える。やはり同じ方向に進んでいるのだ。ぼくも彼らもみな同じ方向に魅せられて進んでいるのだ。決してでたらめの方向に行っているのではない。
行進のかすかな音が次第にはっきりと聞こえてくる。まるで大地が音を立ててくすぶりながら二つに裂かれているようだ。

水を飲んだせいだろう、元気が出た。しかしそうかといって、いつ尽きて落ちてしまうか知れない。たくさんの死を次から次へ目撃してきたせいか、自分が死ぬ、ということにそれほど追いつめられたような恐怖は感じなくなっている。ただこの自分を急き立てて行かせようとする衝動が続く限り、自分は飛び続けるであろう。そしてこの方向に飛んでいると妙に自分の中の衝動が野生的な鋭さで快感を体中に与える。そしてそれがかえって自分を残酷なほどにむち打って飛び続けさせているのだ。そしてそれと同じ残酷さに満ちた狂気の大群が今にこの人間の住む平地を川に沿って怒涛の如く流れ込み、貪り、一滴の水も残さずに過ぎていくだろう。

ぼくは、荒野をはるかに蛇行しながら延びていくほとんど干上がった川に沿って飛び続ける。そして水たまりを見つけては降りていって喉を潤す。しかしその間隔はやがて遠くなっていく。太陽は相変らず容赦なく照りつける。

意識がいつのまにか薄くなっている。それでも自分は何とか飛んでいる。あのかすかな緑色の所までだ。あそこに水はあるはずだ。しかし重い。ああ、落ちていっている。ぼくは喉が完全に乾いてしまうのを感じる。すると激しく咳が突いて出る。あそこの緑までだ。ぼくはあの残酷さで、最後のあがきをする。がむしゃらに羽ばたく。痙攣だ。ぼくは硬くなった羽を何とか広げて、滑空する。バランスが崩れながらバサッと水の中に自分は落ちた。

もうこれ以上は飛べない。目が霞んでしまっている。特に左目がひどい。もう限界だ。水を飲んでももう飛べない。鳴く余力もなくなった。ぼくはもうこのままだ。この水たまりに浮いたまま終わりだ。もうあきらめている。意識が薄い。・・・ただ水の冷たさだけが感じられる。・・・見えるものがある・・・あれは・・・あれは何だろう。何か大きな物が遠くの空に浮いている。・・・幻を見ているのだろう。巨大な舟が浮いている。・・・はるかな空に巨大な舟・・・水が体中にしみ込んでくる。体ががたがたと震えだし、止まらない。意識はおぼろげだ。しかしぼくは確かに見ている。巨大な舟の形をしたもの。

突然、ぼくにあの衝動がはっと体中にみなぎった。地響きが聞こえてくる。「あの舟は何だ。確かにあそこに浮いている。幻なんかじゃない」意識の薄い時、夢のように思っていた情景が、不意に覚めてもそのまま目の前に残っていることに一瞬とまどった。ぼくは力をふりしぼって、水たまりから草の茂っている所へ出た。体がこきざみに震えている。
巨大な舟が確かに地平線よりはるかに高く浮いている。しかしまるでそれは水面に写っているかのようにきらめき、微妙に絶えず揺らいでいる。あれがぼくたちをずっと魅きつけていたものなのか?ならば神の舟に違いない。はるか後方でけものたちの群が地響きを立てながら近づいてきている。ぼくは震える声でカアーと鳴いた。
見つけたんだ。ぼくはとうとうゴールを見つけたんだ。ぼくは魅入られたようにそれを凝視している。それは神の舟だ。

しかしそれは長くはそこになかった。次第に霞んでいき、とうとう夕映えの中に消えてしまった。そして、これで三回目の日没だ。

ぼくはまた、けものたちの背を乗り移りながら、この行進にしがみついている。眠ってはいけない。ずっとあの巨大な舟を思い浮かべている。あの舟にたどり着くまではがんばろう。何かがあそこで待っているに違いない。夜が明ける頃にはあの舟はすぐ近くだろう。

四回目の日の出だ。ぼくは生きている。そしてしっかりとこのけものの背の毛を掴んでいる。そして前方を、はるか前方の空をじっと見つめている。左の目がまったく見えなくなった。そしてあの舟はどこにも見えない。まったくきのうの朝と同じ雲一つない青い空が、山々の上に限りない高さまで澄みきっている。あれはやはり幻だったのだろうか?

次第に大地は緑を増し始めている。そして川の中の水たまりも増えている。しかし遠近感のほとんどなくなったぼくの視野はまるで自分が今起こっている目の前の情景に対しまったく無感覚で無関係な傍観者であるかのような空々しい錯覚を感じさせる。

熱い風が吹いてくる。自分は今ここにはいないような・・・目の前で繰り広げられている大行進とそれを取り囲む風景とは自分の存在とはまったく無関係な世界の出来事のような・・・
そんなぼんやりした陶酔に浸っていると、その世界の彼方の山波がゆらゆらと揺れ始めた。しかし何の感動も起こらない。まるで炎の中にあるかのように揺らいでいる。そしてそのうしろから同じように揺らぎながらずんぐりした舟が昇っていく。まるで水銀でぬれているかのようにきらきらと光っている。ぼくはまだぼんやりとながめている。それは昇りながら大きくなっていくような印象を与える。よく見るとその舟は宙に浮かんでいるのではなく、緑色の丘の上に載っている。しかしその丘自体も不安定に揺らぎながら盛り上がっていくのだ。ああ、太陽が大地を溶かそうとしている・・・大地までがゆらゆらと揺らいでいる。

ぼくの意識はまだこの世界から遠い所にある。ただ耳と遠近感のなくなった目だけが忠実にその世界の様子を伝える。たくさんの鳥が飛び立ち、その巨大な舟に向かっている。行進にも勢いが増してくる。ぼくはぼんやりとした意識のうちにもその巨大な舟の形を快く感じている。ずんぐりしたその均斉がぼくに母のような安堵を感じさせる。

ぼくはいくら意識薄でも足だけはしっかりと赤褐色のこのけものの背の毛を掴んでいる。しかしそれが自分の足だという感覚は遠い。

不意に自分がまったくこの瞬間と同じような情景でその舟を見ている瞬間がいつか別の時にあるような、あったような気がしてめまいがした。その軽い錯乱が薄れながら続く。それは、穏やかな大海原の波に浮く何かに足でしっかりと掴まって乗って、その舟を見ている自分。そして今、どちらの自分が現実の自分かということが交錯して、新たなめまいがまた襲った。その錯乱が去ると、ぼくは薄い意識の自分を一匹のけものの上に感じながら、さきほどと変わらぬ同じずんぐりした舟を見つめている。

いつか太陽は傾きかけている。しかしどうしたことかあの巨大な舟はいっこうに近づいていない。そればかりか知らぬうちにその色はあせてゆきかすみのようになってしまっている。
急にぼくの中を絞めつけるような不安な感動が走った。そして心臓の鼓動が高鳴っている。あの舟が消えている。ぼくの意識はいつのまにかしっかりしている。そうだあの舟が消えたのだ。空に見えるのは大小さまざまの点となって散らばった無数の鳥たちだ。

ぼくも飛び立とう。もう最後の飛行になるだろう。次に足をつけるところはあの神の舟でなくてはならない。ぼくは飛び立たなくてはならない。

ぼくは必死で力をふりしぼっている。飛ぶことがこんなにつらいとは。少しの風がぼくを重くねじる。そのたびにぼくはバランスを失って墜落しそうになる。ぼくを支えているのは、あの母のような安堵を感じさせるずんぐりした舟へのあこがれた。

太陽はまたきょうも、ぼくたちをゆっくりと追い越した。そして今はるかな山々の向こうに沈もうとしている。ちょうどぼくが目指している方向だ。

おや、あの砂けむり。いつのまにか遠く右側にある山の向こう側から砂けむりが荒野の上を夕陽のほうに延びている。そしてそのはるかむこうにもそれらしいものが地平線をぼかしている。見ると左側の荒野の地平線にも同じように砂けむりが立っている。あの山のふもとにも。そしてもっと夕陽の近くにも。これはどうだ。なぜもっと早く気がつかなかったのか不思議なくらいにたくさんの砂けむりの筋が、ぼくの視野の中に一度に姿を見せた。ぼくたちだけではなかったのだ。けものたちの行進は、もっとたくさんあったのだ。そしてそれらの行進はみなあの沈みかけている太陽に向かって進んでいるではないか。しかしぼくはそのまぶしく輝いている太陽は見ないようにしよう。

確かにすべてがあの太陽を指して進んでいる。山々の肌に砂けむりの筋が夕陽に照らされ、荒野の起伏をけものたちが地響きを立てて進む。夕映えの空には鳥たちが無数の点となって散らばり、それらすべての動くものの方向のヴァニッシングポイントにあの輝く太陽がある。

近づけば近づくほど騒がしくなってくる。羽ばたきと地響きと鳴き声。そして砂けむりが風に流されて舞う。尽き果ててしまったものたちの死体も、のろのろと進むものも、そしてそれらを残して過ぎ去った大行進の足跡もすべてがあの沈みゆく太陽を指し示している。

あれは何だ。ぼくは不意にその太陽をちらっと見てしまった。沈む太陽を背に黒いものがある。まぶしさでよくは見えないが、それは半分沈んで半円となった太陽の中にすっぽりと入っている。もしや・・・。強い衝動がぼくを視力の残った右目で太陽をまともに見させる。ああ。目が眩んだ。つむった目の中に太陽の残像が焼きついた。そして、その中に・・・ああ、あの舟の形が映っている!そしてぼくはめまいを覚え落下した。



近くにある小川の跡からだろうか、まともな生き物の声とは思われぬ、うなるような声が聞こえてくる。遠くでは、鳥の木をつつく音が、コココココココと聞こえ、しばらくとだえてまた聞こえる。一晩中、何かが音を立てていた。
ここに来てもう何日になろう。

地平線に沿った空が、薄青く澄んでくる。早朝に初めて訪れた熟睡のあとの全身のけだるさが心地よい。ぼくは、あたりでは一番高いくらいの木のてっぺんに止って見ている。近くで一羽大きなめすガラスがボクのほうを見ている。彼女がボクをここへ運んできたという薄い記憶がある。

目の下に巨大な屋根があってたくさんの鳥がそこで夜を過ごした。それが神の舟だ。舟は何本もの木のつっかい棒で支えられている。そしてそのそれぞれの棒の上にも小さな鳥たちが止って夜を過ごした。

この丘にやって来て、雨はここでも一滴も降っていない。到着した頃は、丘のふもとにある川に水が流れていた。今や水はその川の注ぎ込む森の中にある小さな湖にわずかに残っているかどうかだ。けものたちは、初めこの丘の上や川のほとりにも集まっていたが、次第に森の中に移っていった。湖はやがて沼となり、水を求めるものたちがその中をさまよった。魚たちは泥の中に潜り、ときおり口を出してパクパクとしていたが、やがて泥をついばみ少しでも水分を喉に触れさせようとしている。しかしもう沼はほとんど干上がってしまっている。湖の底はかちかちに固まり閉じた。最も必要な水が神の舟の地でももうなくなった。

けものたちはやせこけ、目だけが異様に大きい。猛鳥たちは、湖が干上がると、また死んでいくものたちの目をねらい始めた。肉食のけものたちは、初めは牙をむいて小さな餌食を襲うことがあったが、次第にまた、おとなしくなった。もはや走るものなどこの地上にはいないだろう。

しかしそうしているうちにも少しでも活力を残したけものたちに子が産まれ始めた。たくさんいたるところで、新しい命が生まれている。そして老いたものの多くがいたるところで死んでいく。

神の舟の人間たちは、日に日に舟をふさいでいった。そして今では外から中は見えないし、入れない。入れた頃には、鳥たちはよく飛び込んでいって中に貯えてある水や水気のある果実をついばんだ。ぼくも、めすガラスと何度かすきを見て汁の多そうなものをくわえて逃げてきた。しかし人間たちは、すべての穴をふさいでしまった。そればかりか、彼らは舟の外側いたるところにひどい匂いのするねばねばとして黒ずんだものを塗っていった。それでもぼくたちはこの舟のそばから離れない。舟のそばにいるということが、いつも自分に安堵感を与えてくれるのだ。

人間たちは最近はいつも森へ出かけて行っては、けものたちの子供をたくさんかごに入れて持って返り、舟の中へ持ち込んでいる。水がなくて生まれたばかりの獣の子はみな死に瀕していたが元気の残ったものだけが捕らえられた。人間は、歯向かう親たちには石を投げつけて簡単に殺してしまう。しかし多くの親たちは、木陰に横たわり、その子供たちをつれ去られるのをなすがままにしている。獰猛なけものも、ただ首をもたげて、口を苦しげに開き、一声吠えるだけで、またぐったりと地面に伏してしまう。その目だけは、連れ去られる自分の子の方をいつまでも見つめていた。

地平線が、うっすらと赤味がかってくる。また太陽が現われるのだ。そして死神のように、ゆっくりと大地を焼き始める。

今ぼくはすぐ下の枝に止って眠り始めためすガラスをいとおしく思っている。ぼくが瀕死の状態で落下したとき、たしか数羽のからすが飛んできて、動かなくなったぼくをゆすったりした。そしてこのめすガラスがぼくの足をつかんで飛び上がった。そこでぼくの記憶はかき消された。

       今ではここではからすはもうぼくらだけになっていた。そしてぼくらはいつも一緒に行動するようになっていた。しかしきょう太陽が沈むまでぼくは生きていれるだろうか。じっとしていると意識がもうろうとすることが多くなった。ぼくは死に対する恐怖はもうない。熱い太陽の下での死は、なんの惨めさも伴わない。死はただの蒸発だ。ぎりぎりの水分が蒸発してそこに抜殻が残るだけだ。死とは枯れること、長い長い日照りの下では動物は植物と同じになってしまう。けものたちも、鳥たちも野の木や、木の実のようにいつ死んだかわからないように枯れていく。

「ドロローン」あたりが、ぴかっと光ったかと思うとすぐさまものすごい音が響きわたった。ぼくはいつの間にか眠りに落ちていた。見るとたくさんの鳥が飛び立って騒いでいる。突風が吹き始め、鳥たちはそれに飛ばされる。そして急に薄暗くなったかと思うとすさまじい音をたてて雨が降り出した。ぼくとめすは飛び上がったがすぐに滝のような雨に打たれバランスを崩す。地面にたたきつけられるものもいる。

外にいた人間たちは急いで舟にもどりはしごを登って、一つだけの窓から中に入る。
鳥たちもわれ先にとその窓から舟の中に飛び込んだ。
そしてぼくはめすを見失った。あたりを見回したが激しい雨と飛び交う無数の鳥たちの羽の交差で視界がさえぎられた。思い切ってぼくは飛び上がり窓から舟に飛び込んだ。

「創世記8章6-9節」:
四十日たって、ノアは先に作っておいた箱舟の窓を開いて、からすを放した。するとからすは出ていって、水が地上から干上がるまであちらこちらと飛びまわった。ノアはまた地のおもてから水が引いたかどうかを見ようと、彼の所から、はとを放ったが、はとは足の裏をとどめるところが見つからなかったので、箱舟のノアのもとに帰ってきた。水がまだ全地のおもてにあったからである。彼は手を伸べて、これをとらえ、箱舟の中の彼のものとに引き入れた。

終わり

からす

からす

からすのど根性物語

  • 小説
  • 短編
  • ファンタジー
  • 冒険
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-03

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