雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【番外編最終話】
~ アサヒが卒業する日 ~
アサヒが卒業した。
アサヒ他、3年生が今日。 無事に卒業式を迎え、みな卒業した。
陸上部では、恒例の ”追い出し会 ”が開催されていた。
狭い部室のほんのり汗臭いそこは、”3年生の皆さんありがとうございました ”と
書かれた横断幕と、机上に所狭しと並べられたお菓子・ジュース、そしてみんなの
笑顔で溢れている。
1秒もしんみりする事なかった、追い出し会。
計画・立案、全てナツが率先して音頭をとっていた。
『最初から最後まで、先輩がたを笑わせよう!』 そう意気込んでいた。
その意気込み通り、部室からは地響きのような笑い声が絶え間なく聞こえていた。
”部長ズッコケ事件 ”が後輩部員により再現され、入院を見舞う病室でナツが
エロ本を差し入れするシーンもバッチリ演じられた。 みな大笑いしていた。
会も終わりに近づき、部長のアサヒが恒例の次期部長を発表する。
みな一様にそれを楽しみに思う反面、これで本当に3年生がいなくなるのだと急に
寂しげな面持ちを向ける。
『今回はちょっと異例かもしれないけど・・・
新部長は、チーフマネージャーも兼任で、モチヅキ ダイスケ!
副部長、兼ムードメーカ・・・ オノデラ ナツ!
ふたり・・・ しっかり頑張れよ・・・。』
ダイスケが目を見張り、ナツはまさか自分の名が呼ばれるなんて思っていなくて
ふたり、どこか不安気にせわしなく瞬きを繰り返した。
少しずつ、次第に段々大きく鳴り響く部員一同からの拍手に、ふたり、照れくさそうに
頬を緩める。
そして、新部長ダイスケからどこか自信なさげに、遠慮がちに挨拶があった。
『僕は、裏方なので実際に走るみんなの本音の部分は分からないかもしれません。
・・・でも、裏方だからこそ見えるものもあると思っています。
しっかり頑張ります! どうぞ宜しくお願いします!
そして、3年生の皆さん・・・ せーの・・・』
『ありがとうございましたぁぁぁぁああああああああああ!!!!!』
後輩部員全員で、部室が揺れるほど大きな声で叫び、追い出し会は幕を閉じた。
先輩陣を見送ると後片付けを済ませ、部員が一人また一人と帰ってゆく。
部室に残ったのは、アサヒとナツ、ふたりだけだった。
壁に貼られた横断幕を、小さい体で背伸びして剥がそうと必死なナツ。
精一杯つま先立ちで手を伸ばすも届かず、その姿にクスリ。笑って、アサヒが後ろから
ナツの肩に手を置き、そっと手を伸ばして壁に刺さる画鋲を抜いてそれを剥がした。
『サ~せぇん。』 ナツがニヤリ笑って、横断幕を受け取り折り畳む。
今日一日、ナツは全然アサヒと目を合わせようとしない。
『ん~?』 アサヒが少し体を屈め、ナツの視線に合わせて覗き見るも慌てて目を逸らされる。
部室の後片付けを終わらせたナツが、どこか所在無げに机にちょこんと腰掛けた。
アサヒがその向かいの机に同じように腰掛け、向き合う。
『・・・泣かないな?』
ナツを覗き込み、可笑しそうに笑うアサヒ。
『去年、イセヤ部長たちの時は泣きそうな顔してたのに・・・。』
『泣かないっスよ! ・・・なんで泣くんスかー・・・。』
ナツはやはり目を合わせようとはしない。
『だって・・・
別に、もう会えない訳じゃないし!
アサヒ先輩、市内の大学に行くだけだし!
電話だって・・・ メールだって・・・出来るし!
会おうと思えば、いつでも会えるし!
休みの日は・・・ 動物園行けるし!
だから、ぜ~んぜん・・・。』
そう大袈裟に身振り手振りも付けて言い放って、ナツは背中を丸め俯いた。
まだ、頑なに目を合わせようとしない。
『ナツぅー・・・?』 アサヒが、やさしく呼び掛ける。
俯いたままのツムジは、首を数回横に振り ”イヤイヤ ”と親を困らせる子供のよう。
泣きそうな顔を見られたくなくて、必死に堪えるその肩は小さく小さく震えている。
アサヒが腰掛けていた机から立ち上がり、ナツの前に立った。
『最初の頃みたいだな・・・
泣きそうなの必死に我慢する、お前の顔・・・。』
そっと手の平をナツの頭に乗せる。
そして、丸いショートカットのフォルムをやさしく撫でた。
アサヒの手の平の熱が、じんわりナツに伝わる。
すると、
『・・・か、・・ぃで・・・。』
ナツがノドの奥から絞り出すように、なにか呟いた。
『ん?』 体を屈めナツの顔を見ようと近付いたアサヒへ、もう一度。
『・・・行かないでよぉ・・・。』
ナツが、くしゃくしゃに顔を歪めて、泣いている。
一瞬あげた顔は、目も鼻も頬も真っ赤にして。
『ダブって、留年しちゃえば良かったのに・・・
なんで・・・ なんで、いなくなっちゃうの・・・。』
泣きじゃくる顔を見られないよう、両腕で顔を隠ししゃくり上げて泣いているナツ。
顔を隠すその腕のお揃いのミサンガが、今日はなんだか寂しく揺れている。
アサヒが目を細め、ナツの頭をやさしく垂直チョップした。
『お前ー・・・
その名案、早く言えよなー・・・ もう卒業証書もらっちゃったじゃ~ん!』
笑いながら、ナツの頭をガシガシと乱暴に掻き毟る。
『でもさー・・・
もしほんとにダブってたら、”アサヒ先輩 ”て呼ぶの、無しな?
”アサヒ ”って呼び捨てにしてくんなきゃ、俺、ダブってんのバレバレじゃん?
そんなの、超ダセェわ。 イジメられちゃう~。』
『・・・ん。
呼び捨てにするし、パシリに使いますから。
あたし・・・ なんせ、副部長だし・・・。』
そう言って、ナツがやっと笑顔を見せた。
ふたり、イヒヒと笑い合う。
『お前が言った通り、さー・・・
まぁ、今まで通り毎日顔合わせる、ってのはアレでも・・・
いつでも会えるし、なんかあったらすぐ飛んでくし・・・
なーんにも変んないよ。 なんにも心配すんな・・・。』
しかし、ナツはしかめっ面をして珍しく聞き分け無い。
ぎゅっと口をつぐみ、目をすがめて足元を睨んでいる。
『・・・なんにも変わんないことなんか、全然、ないじゃん・・・。』
また背中を丸め俯いて、アサヒから目を逸らした。
まんまるな赤い頬が、子供っぽさをいつにも増して助長する。
『じゃあさー・・・ 俺んちで一緒に暮らすかぁ~?
ウチの父ちゃんと母ちゃん、うるせーぞぉ~?
・・・ぁ。 妹、中学生だからお前と入れ替わるか? きっとバレないな。』
すると、アサヒのボディ狙ってグーパンチを振り回すナツ。 『誰が中学生だっ!!』
ケラケラと笑うアサヒが、急にどこか真剣な表情を向けた。
そして、嬉しそうに目を細め静かに話し出した。
『俺さー・・・
むちゃくちゃ真面目に大学で勉強してー・・・
ちゃんと稼げる会社に就職してー・・・
んで、
3年間必死に貯金しようと思ってんだー・・・。』
ナツが小首を傾げる。 『車でも買うの・・・?』
3年も貯金して買う高い物といったら、車くらいしか思いつかないナツ。
すると、アサヒはクスっと笑った。
どこか遠くを見るように目を細めている。
『ん~・・・
それよりもっと、もーっと大事なモン、かなぁー・・・
だからー・・・、頑張んなきゃダメなんだー・・・
頑張りたいんだ、俺・・・。』
アサヒの真剣な眼差しに、急にハッとするナツ。
当り前だけれど、いつまでも子供ではいられない。
ずっと高校生で、ただふたりで笑っていられればいい訳ではないのだ。
先程まで感じていた物理的な寂しさとは別物の、もっと心臓をえぐるような寂しさが募る。
アサヒが大人になってゆく。
本当に遠くに行ってしまうような気がする。
本当にもう手が届かなくなってしまうような、もう手をつないではもらえないような。
ナツが再び込み上げる不安に泣きそうに目線を落とした時、”それ ”は目に入った。
そしてそっと目線を移動すると、アサヒも大切そうに ”それ ”を巻いてくれている。
”なんにも心配すんな ”
アサヒの、その言葉。
アサヒが嘘をついたことなど、今まで一度もない。
いつも、全身でナツを想ってくれるアサヒ。
そんなアサヒを、これからはナツが全身で応援していかなければいけないのだ。
ナツ自身が精いっぱい輝いて、アサヒを明るく照らしてあげられるように。
いつも笑顔に出来るように・・・
『・・・あたしも、ちゃんと頑張ります・・・
なんてったって、あたし・・・ 副部長だしね。』
噛み締めるように、ナツが呟く。
頬を緩め笑顔を見せると、アサヒはそっと手を伸ばして小さく日焼けしたその手を
ぎゅっと握った。 そしてやさしく指を絡め握り合う。
(アサヒ先輩の、手・・・ やっぱ、おっきいな・・・。)
途端に胸にこみ上げるものを堪え、再び泣き出しそうなのを必死に堪えたナツ。
鼻にシワを寄せてぎゅっと目をつぶった。
(観覧車の、あん時とおんなじ顔してんじゃん・・・。)
愛おしそうにナツを見つめる。
そっと赤く染まる頬に手を添えると、アサヒが顔を寄せ小さくキスをした。
短く触れ合った唇に驚いて目を見張るナツ。
『ちょ!!! ココ・・・ 学校っ!!!』
真っ赤になりジタバタするナツにケラケラ笑うアサヒ。
『だ・・・誰かに見られたら、どーすんの!』 ナツは照れくさそうに口を尖らしている。
(心臓いてぇ・・・ 可愛くて萌え死ぬっての・・・。)
『だってさー・・・
観覧車乗った時とおんなじ顔してるから、”チュゥ待ち ”かと思ってー・・・』
『ち、が、う、しっ!!!』
恥ずかしくて、照れくさくて、ナツは尚も拳を振り上げて暴れた。
アサヒの胸をポカポカ殴るその手も、悪態つくその口も、まんまるな赤い頬も、
全部全部、愛おしくてどうしようもない。
その振り上げるナツの細い腕をやさしく押さえ、アサヒはそっと抱きしめた。
『俺と、お前の間に、さー・・・
ちびっこが・・・ いて、さー・・・
手ぇつないで、ブラブラ揺らしてさー・・・
・・・動物園・・・ 行きたいんだ、俺・・・。』
あの日、動物園で見かけた家族を思い出すアサヒ。
それは、あたたかくて、やさしくて、胸にじんわりと込み上げる幸福な未来図。
『ん?』 抱きしめられて赤くなりながら、ナツがアサヒを見上げる。
『そのために、俺・・・
・・・頑張りたいんだー・・・
お前が作ってくれた ”コレ ”、叶えたいんだ・・・。』
そう言って、アサヒは右手首を目線に掲げた。
それは、ナツが ”いつまでも一緒にいられるように ”と願いを込めて作ったミサンガ。
『だからさー・・・
まぁ、俺が3年貯金するくらいまでに・・・
”ココ ”のサイズ、教えといてよ・・・。』
そう言って、ナツの左手をぎゅっと握った。
握ってやわらかくほどいたアサヒの親指と人差し指は、ナツの薬指をつまんでいる。
ナツが目を見張り、呼吸をするのも忘れてアサヒをじっと見つめた。
次の瞬間、その瞳から大粒の涙がとめどなく赤い頬を転がり落ちる。
そして、コクリ頷くとぎゅぅぅううっとアサヒに抱き付いた。
( ”なんにも心配すんな ”
・・・やっぱり、先輩はぜったい嘘つかない・・・。)
『・・・ありがとう、先輩・・・
すっごい、すっごい、すーっごい・・・ 好き。 世界一、大好き・・・。』
すると、ナツは伸ばした人差し指でアサヒの右手首のミサンガをチョン。小さくつついて
こぼれるほどの満面の笑みを向けた。
”心を、奪われる ”
何度だって、奪われる。
紫陽花に微笑む横顔を見たあの日から、どんなに時間が経っても、まだこんなにも・・・
アサヒは抱きしめる腕に更に力を込めた。
そして、どちらからともなく右手の拳を突き出す。
コツン。
やさしくグータッチした瞬間、ふたりのミサンガが小さく揺れた。
それはまるで、微笑んでいるようだった。
【完】
雨くゆる、日曜2時に紫陽花まえで。 【番外編最終話】