《 Requiem #4 》 カロンの船灯

《 Requiem #4 》 カロンの船灯

 
 私の名は希望。
 希望の灯りを点す物だ。
 
 私は、ゴールドブラッシュに仕上げられたケースの横に、大きくHOPEと名を刻み、その傍らに弓矢のレリーフを埋め込まれた、誇りあるZIPPO社のオイルライターだ。
 私は、似た名を持つ煙草――あいつはショート・ホープ、短い希望だ。似て非なる名だ――の懸賞として生まれた。
 私は、常に主(あるじ)の懐で暖められ、タンクのレーヨンボールには常にオイルが満遍なく滲みわたり、それを押さえるフエルトパッドの狭間には、二つのフリントロックが予備として仕込まれている。
 私は、私を手にし、真のライターとして、いつでも本分を発揮できる状態に置く主に尽くす。
 数多の先覚を受け継いで生まれ、尽くすべき主に恵まれ、私は形ある限り、希望の灯を点し続ける。

 私の名は希望。
 希望の灯りを点す物だ。
 私の主は希望の灯りを点す者なのだ。
 
          ※
 
 主よ。
 子息を抱きかかえ慟哭する主よ。
 子息のためにのみ生きていた主よ。
 強く、優しく、誇られる我が主よ。 
 
 子息よ。
 息をしてくれ。目を開けてくれ。
 もう一度、可愛らしい微笑みを見せてくれ。
 父親と手を繋いで歩く仲良き姿を私に見せてくれ。 
 
 主よ。
 あなたは良い父親だった。
 朝は子息の朝食を作り、夕食の支度をする。
 昼は沢山の仕事をし、同僚に疎まれながらも、残業は最小限にしていた。
 子息を待たせすぎないよう、普通の時間に帰られるように努めていた。
 夜は子息と共に夕食を摂り、テレビを観たり取っ組み合いをして遊んだ。
 子息との風呂が終わると、茶碗を洗い、米を研ぎ、洗濯をした。
 子息が寝てから、自分の仕事の残りをした。
 
 主よ。 
 あなたの子息は本当に良い子だった
 父の言うことを良く聞き、返事はいつも快活だった。
 だからこそ、あなたはたまの甘えを何でも聞き入れたく思っていた。
 しかし、子息は、あなたの姿を見て《我慢する》ことを覚えていた。
 年に二回だけ買ってもらえる小さな玩具を楽しみにしていた。
 友達が夢中になっているゲームが欲しくとも、ソフト代が嵩むことを知り、我慢し続けた。
 何よりも、あなたとご飯を食べ、話し、取っ組み合い、風呂へ入り、一緒の布団で寝ることを最上の幸せとしていた。
 
 主よ。
 仲の良い父子と評判のあなたたちだったというのに。
 荒れることなく誰にも指差されず立派に生きてきたのに。
 あなたが子息に注いできた愛情は、何にも勝るものだったというのに。
  
 主よ。
 あなたの苦労を知る子息は、全てをその小さな身体の内に秘め、耐え続けていたのだ。
 子息の心の内を痛いほど知る、いつものあなたであれば、抱きしめて諭したであろうに、今日は違った。
 あなたも、相当に耐えてきたのだ。
 子息に我慢させ続けていることを悩んでいたのだ。
 
 子息は、友人らの誰もが持っていたゲーム機を欲しがっただけだった。
 あなたも、買ってあげたかったはずだった。
 
 何年も何年も、毎日毎日、耐え続けてきたあなたたちがついさっき、ほんの一瞬だけ、壊れてしまった。
 そうして、全てが終わってしまった。
  
 どの家庭でも笑顔の会話が交わされる夕餉の時間であるのに、この部屋では、主の悔恨の絶叫が響く。
 
          ※
 
 主よ。
 あなたが私を使って煙草に火を点ける時、今よりまだ小さかった頃の子息がこう問うた。
「おとうさんそれなあに」と。
「これは《希望》という名前のライターだよ」と、あなたは答えた。
 
 鈴のような音色と共にリッドが開き、小気味良い音と共にホイールがフリントを削る。
 銀色に輝くチムニーへ火花が飛び、暖かな音と共に灯が点る。
 一連の動きと音と光に、子息は夢中になり、私を欲しがった。
 とても可愛かった。
 あなたは、お前が二十歳になったらプレゼントすると、子息と約束した。
 私もそれに大賛成だった。
 父子二代に使ってもらえるとは、ライターとしてなんと光栄であることか。
 子息は嬉しがって、あなたが私を使う度に、同じ問いをしたものだった。
 そしてあなたは、いつも同じ答えを返したものだった。
 
 とうに主は、金がかかる煙草をやめてしまっている。
 それでも、父が煙草に火を点け、隣に立つ子息の煙草にも火を点けてやる。
 そんなごく普通の、ありきたりな家族の風景に、私も居たかった。
 しかし、共に望んだ未来は無くなってしまった。
 子息は、二十歳どころか十歳にも満たなかった。
 
          ※
 主よ。
 その包丁を何に使うつもりか、私は訊きはしない。
 あなたの支えであり全てだった子息を亡くした今、私はあなたを止めたりはしない。何より止められもしない。
 ドアの向こうでは、子息を可愛がってくれていた隣人の善き老人が心配そうに声を掛けてきている。
 あなたたちをいつも気にかけていた善き大家夫婦が、あなたと子息の名を呼んでいる。
 程無くしてドアは開けられ、警察や救急車が来るのだろう。
 そして、今夜のニュースで、明朝の新聞で、馬鹿が観るワイドショーで、あなたたちの今までを知りもしなかった者どもに、あなたたちの最期だけが晒されるのだろう。
 私は、それがとても悔しい。
 
 あなたから噴出す血が、おくるみのように子息を覆う。
 悲しげな表情の死に顔に残る乾いた涙の跡を、主の血が再び潤す。
 
 私の愛した小さな家族の灯が、今、消える。
 
          ※
 
 私の名は希望。
 希望という名のライターだ。
 なのに私は何も出来はしないのだ。
 
 私は、希望という字をボディに彫られただけの、火を点ける道具にすぎない。
 名前には意味など無く、単なる煙草会社の懸賞でしかないのだ。
 
          ※
 
 主よ。
 あなたが事切れる前に頼みがある。
 私もあなたたちと一緒に逝けるよう、強く握り締めてくれ。
 あなたたちが下る、暗い水路を私に照らさせてくれ。
 悲しみと嘆きの河の、長い闇を私に照らさせてくれ。
 私は、小舟の船灯を点すただの道具としてでも、あなたたちと共にありたいのだ。
 
 どこまでも。
 いつまでも。
 
 
  了
 

《 Requiem #4 》 カロンの船灯

《 Requiem #4 》 カロンの船灯

私は、希望という字をボディに彫られただけの、火を点ける道具にすぎない。 名前には意味など無く、単なる煙草会社の懸賞でしかないのだ。

  • 小説
  • 掌編
  • ファンタジー
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-28

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