青春コレクション/ムッシュ ショパン

1.「青春コレクション」

 拝啓
 学校では学生達のクリスマス英語劇の練習が始まり、また冬が来たかと季節の巡る速さに足をすくわれる思いをしています。私の勤める女子高はミッション系ですから降誕祭は大事な行事で、前夜祭は特に伝統に従って夜遅くまで行なわれるのです。私は今年は英語劇の監督役の当番でとても忙しい毎日です。とはいえ生徒たちの熱心な姿に触れていると私もとても新鮮な充実した気持ちにさせられ、練習の時間の過ぎるのがとても速く感じられます。
 暖冬とはいえ東京も日増しに寒さが厳しくなってきて、けさは初めてマフラーをして出勤しました。でも先輩のいらっしゃる根室に比べたらこちらはまだまだ春の陽気といったところなのでしょうね。そちらでは海も凍るほど寒くなるということですね。雪の害など、くれぐれもお気をつけくださいませ。
 実は今午前2時半を少し回ったところです。こたつの中に寝転がってラジオを聞いているうちに眠りに落ちてしまい、1時過ぎに目が覚めました。それからお風呂に入って、残っていた気の抜けたぬるいビールをオンザロックで飲んで、今FM放送で音楽を聞きながら書いています。こんな時間に書くことだから寝言のようなもの、ムニャムニャ、昼間読み返したらだらしなく思うに違いありません。それに少々アルコール過多のようで、酔っ払いのたわ言と思ってください、ヒック。でもご心配無用、あすは学校創立記念日、というわけでお休み、めでたしめでたし、いくら朝寝坊しても平気です。また眠くなって筆を落とすまではあなたのラヴレターへの返事をしたためてみましょう。でもお手紙を頂いてからもうふた月もたってしまったんですね。申し訳ありません。2回分の返事を書くつもりでがんばります。
 あっ、もう3時になってしまいました。実はジョルジュ・ムスタキの歌が続いたので筆を休めて聞いていたのです。久しぶりに聞くので懐かしい学生時代が思い返され、しんみりしてしまいました。覚えてますか、彼のレコードをあなたに貸してあげたことがあるの。あのレコードはもうすりきれるほど繰り返して聞いたので、雑音がひどいのですがまだまだ大切にしています。フランス語は熱心に勉強しなかった私も、彼の歌だけはそのほとんどを辞書で意味を確かめ、空で歌えるまで練習したんです。でも決して人前では歌いませんでした。天は人に二物を与えないということで。
 ところで3時を過ぎるとやたらとお腹が空いてきますね。夜も3時はおやつの時間のようです。ではちょっと失礼して・・・

 今左手に皮をむかないままの青リンゴを持って、それをかじりながら書いています。ラジオからはあなたの好きなポール・マッカートニーのらしき歌声が流れています。
 Someone's knocking at the door...
 Do me a favor, open the door...
 あなたが学生時代の私しか記憶によみがえらなくなったというので、最近の写真を同封します。馬上のわたくしの姿、いかがでしょうか?実は私、前々からしてみたかった乗馬を思い切って始めたのです。思ったより馬上からの景観は高さがあり、常歩なら余裕がありますが、少しでも速歩になると体が上下に揺れて「落馬」という文字が脳裏をよぎるのです。いつになったら「乗馬」から「馬術」になるかかけませんか?馬はとても利口なので意地悪な馬に当たると初心者は生きた心地がしません。私が馬に威張ることができるようになったら、そちら北海道の原野をあなたを私の後ろに乗せて颯爽と走ってみたいと思っています。
 さて、今あなたのお手紙に同封されていた「青春コレクション」は数日前までに全部読ませていただきました。いろんな人の青春を取材したり、寄稿してもらって文集にするなんてしゃれたコレクションですね。さすが元文芸部の編集長さんです。懐かしい人のもあったり、また知ってる人も何人か登場してくるので引き込まれて読みました。とてもロマンティックな方ばかりお友達に持ってられてうらやましいかぎりです。また2冊目ができましたらぜひ読ませてくださいね。
 切手コレクションとか人形コレクションとか、いろんなコレクションがありますが、青春のコレクションなんて初めて聞きました。そういえば、私の友人で珍しいコレクションをしている人がいますよ。女性の下着ばかり集めていて部屋じゅうがパンティーやブラジャーでいっぱいなのだそうです・・・と言うと私には変質者の友人がいるかのように思われそうですが、実はこの人りっぱなOLで、下着のおしゃれによって女性は内側からも美しくなるのだと信じていて、毎日の下着選びの時がとても楽しいのだそうです。そういう私もそういえばちょっと変わったものをコレクションしていますよ。ご馳走やお菓子を並べた食卓の写真を撮って、それをアルバムにするんです。ですから高級レストランや料亭に行くときにはいつもカメラを持参します。店の人に断って清潔なテーブルクロスの上に華やかに並べられたご馳走をいろんな角度から写します。私が満足するまで同席の人は食事はおあずけです。また海外旅行した時には飛行機の機内食もちゃんと写真に撮りました。こうして集めた写真がアルバム2冊分になりました。そのうち先輩のお宅の晩餐の写真も撮らせていただきに参上したいと存じています。
 告白しますが、実は私今片想いのとてもかわいそうな女の子なのです。美術のK先生はとてもおかしい方で、いつか私を描いてみたいと言ってたのにどうやら冗談だったようです。あの方なら少々は大胆になれると思ってたのに。私を大胆になりたいと思わせる人なんて希少なんです。大胆といえばあなたもずいぶん大胆なことを私に読ませてくださいましたわね。お陰さまで私は数日読書もできないくらい気もそぞろになりました。実は読みながら涙が出てきました。片想い中の女は涙もろいものなのですよ。
 「青春コレクション」七編はどれも読み始めると最後まで夢中になって読ませられるものばかりでした。奥様もとても素敵な方なのですね。奥様のユーモアあふれる文章を読んでいるときっとあなたのご家庭は朝から晩まで笑いが絶えない楽しいホームにちがいないと思いました。
 でもあなた自身の宮崎での青春を書かれたものに一番感銘を受けました。だって私が登場してくるんですものびっくりしましたわ。やはりあなたは素敵な詩人でとてもロマンティックな方なのですね。読んでいて自分がとても優しい気持ちになっていくのがわかりました。あなたと私の出会いをあのようにロマンティックに描かれるとあの頃の幸せだった自分がとてもかわいく愛らしく思われ、それだけに今はかわいそうにも思われました。いまさら「かわいそう」と言ったって、あなたには自業自得だと言われてしまいそうですね。後悔していないとは言いません。でももう一度あの頃からやり直すことができたとしてもやはり私は同じような愚かな私でありつづけることしかできないでしょう。でもありがとう。幸せな頃の私を、そして私の愛した方をあのように素敵に書いていただいたのですから。お互い純粋だったからあのように書いても少しも誇張と感じないのですね。でもそれ以後の私たちのことはさすがのあなたの力量をもってしても書き下すのは至難の業でしょう。しかしそのようなむつかしいものをやさしくさらりと書いて初めて秀作といえるのでしょうね。
 ところであなたは私の青春もコレクトしたいとか。私なんてあなたにお聞かせできるような青春なんてありませんでしたわ。もしあなたがあなたの書いたものの続編をヒロインの私に書いてもらいたいなどというおつもりでしたらそれは無理なことです。無茶なことです。第一どんなにしても「青春」というカテゴリーには入らないから、せっかくのコレクションをだいなしにしてしまいますわ。あなたのあの青春作品はあそこで終わったからこそさわやかな恋愛小説でありえたのです。そこから先を私なんかが書けばうまくできても滑稽小説にしかなりませんわ。
 ごめんなさいね、こんなことつい書いてしまって。あなたの奥様のようにもっとユーモアのセンスがあればきっと気のきいた感想文が書けたのでしょうが。
 ところで私、この5月に妹の結婚式に出るために宮崎に久しぶりに行ってきました。七年ぶりでした。大学はご存知のように三学部とも揃って市外に移転していて、先輩の農学部の跡地は立派な公園になっていてすばらしい市立図書館も建っています。工学部もすっかり建物がなくなってしまいその跡地では中古車フェアーなんかが催されていました。我が学び舎、教育学部だけはなぜか全校舎がそのまま残っていました。どの門も鉄条網が張られていましたが、懐かしさに誘われて裏門の隙間からキャンパスに入ってみました。すると途端に胸がしめつけられるような寂しさに襲われました。ちょうど、自分がなじんできたキャンパスを足掛かりに強情にも時の流れに逆らって青春に舞い戻ろうとし、果たして戻ってみるともうそこは人っ子ひとりいないゴーストタウンのようになっており、自分だけが皆からとり残されてしまったようで、かえって青春の根底に絶えずあった寂しさだけを再発見してしまった、という具合です。
やがて私はこのゴーストタウンの中でゴーストたちに会い、すれ違い、彼らの声を聞くことはできました。しかしゴーストたちは若く、ここで唯一現実の人間である私だけがもう若くはなくなっている。廃墟のように朽ちて生気のなくなった校舎が若々しいゴーストたちに不似合いになってしまったように、私ももう若さが似合わなくなってしまっている。ここにくれば青春の懐かしさの快い想いに浸れるだろうと思ったのは大間違いでした。懐かしさはそれを共有してくれる人がそばにいなければ、そのままつらい寂しさとなるばかりです。キャンパスの至る所にある記憶の糸口が次から次へ引きほどかれ、飛んで火に入る夏の虫とばかり、諸々の思い出が私を立ち止まらせては寂しがらせました。
 それからあなたと初めて一緒に歩いたあの道筋をたどってみました。若きあなたのゴーストと。忘れられないあなたの言葉のいくつかはそれらが発せられた所に来るとちゃんと聞かせてもらえました。裏門のそばの私の住んでいたアパートはもうありませんでした。
  こんなことまで打ち明けるなんてみっともないですね。きっとあなたたちの「青春コレクション」を読んだあとだからこんなにオープンになっちゃったんでしょう。オープンになったついでに私が宮崎にいた頃書いた散文詩をひとつ披露させていただきましょう。
 『彼の描いた風景画
  私はこっそり持って帰って額縁に入れて
  この部屋に飾っている
  こんな小さな私の部屋だけれど
  彼の絵のおかげでとても広い秋のお部屋
  いつかもし彼がこの部屋に来てくれるなら・・・
  来てくれたら・・・
  私がこの絵ないしょでもらったことおこるでしょうか
  それともこんなにきちんと額縁に入れて飾ってあるのを見て
  優しく喜んでくださるでしょうか』

 この詩はフィクションです。私には絵の描ける彼などいたためしがありません。この詩は即興で書いたもので、でたらめです。でもこの詩の「彼」は実在する人物です。彼は美術家ではありませんでしたが芸術家でした。とてもピアノの上手な音楽科の学生で、私の住んでいたアパートにいました。私の青春の思い出の中であなたの「青春コレクション」に加えていただけそうなものはありませんが、この「彼」の話ならあなたに聞いていただきたい気もします。うまく書けるかどうか自信はありませんが、これでも文芸部に籍だけでも置いていた元自称文学少女、ひとつ埋もれた日記を掘り出してそれを頼りに久しぶりに一章書いてみましょう。題は「ムッシュ・ショパン」。これは私が4年生の時のことで、ですからあなたが卒業されてからのことです。でも脇役であなたにも登場していただきましょう。もちろん奥様にはわからないように扮装させてあげますからご心配なく。枯れ木も山のにぎわいと申します。この他愛もない一章、少しはあなたの「青春コレクション、パート2」をにぎわすことができるでしょうか?



2.「ムッシュ ショパン」

 私がまだ学生の頃のお話です。とてもピアノの上手な青年が私の住んでいたアパートにいました。それも私の隣の部屋でした。彼は私が4年生になった時引っ越してきました。私は二階の一番奥の部屋にいて彼はその隣に入ってきたわけです。そのアパートの入居者の半分以上は音楽科の学生で、彼もそうでした。そこでは夜8時までいつもどこかの部屋から楽器の音色や歌声が聞こえていました。個々に聞くととても上手な人ばかりなんですが、いっしょくたになると騒音以外の何でもありません。とはいえ私もしばしばタイプライターを打ったので、おあいこだったわけです。でも8時になるとぴたりとその騒音は消え、かわって音量をしぼったステレオの音や雑談の笑い声が聞こえてきました。今は妙にあの騒音が懐かしいから不思議です。
 その頃私のボーイフレンドだった人は卒業して社会人1年生となり故郷の松山の銀行に勤めるようになり、宮崎にはなかなか来てくれなかったので、私はいつも研究室か友達の部屋か自分のアパートにいるだけのつまらない日々を送っていました。そんな時だから、隣に越してきた青年のことが少々気になっても仕方がないことです。
 私はその人に勝手に「ムッシュ ショパーン」とか「ショパンさん」というあだ名を付けました。よくショパンの曲を弾いていられたし、実際その容貌がショパンに似ていたのです。彼は背の高い少しやせ形の青年で、すずしい目がチャームポイントですが、いつも疲れたような顔付をしていました。「かわいそう」と母性本能をくすぐられてしまいそうなひよわさが漂っていました。あのショパンさんと階段や学校に通じる塀沿いの細道ですれ違うときには挨拶をしましたが、彼はいつも何か考え事をしているようで、時には私の声にはっとして我に帰るということもありました。ですから立止まって挨拶以上のお話をするということはずっとありませんでした。
 彼の部屋には音楽科の学生らしい男女が時たま訪ねて来ましたが、女性がひとりで彼の部屋に来るということはなく、彼にはガールフレンドはいないみたいでした。彼はひとりでいる時にはピアノを弾いていることが多く、そんな時私は何もしないでそれに耳を傾けるのでした。
 私も小さな頃からピアノを習わされてましたが、だんだんいやになってゆき、父や母から急き立てられないと練習しませんでした。よくおこづかいくれないと弾かないと駄々をこねて、それがもらえてやっと練習を始めたものでした。こんなことでしたから上達するはずがありません。そして中学3年になると受験勉強を口実にやめてしまいました。最後に練習した曲が「乙女の祈り」で、あの曲はよく序奏を省略して弾いたものです。以来ピアノのお稽古はやめてしまったけど、不思議なことに高校生になってから、特に大学入試が迫って追いつめられた気持ちになってくるとあれほどいやだったピアノが無性に恋しくなり、学校から帰ると夕食の時間まで無心になってよく弾きました。そして大学生になれたらピアノの練習をまた始めようと決心しました。宮大の英語科に合格するとピアノを弾いてもいいアパートを教育学部のそばに見つけて、そこに住みました。それが例のアパートです。その頃家のピアノは妹が使ってたけど、妹もちょうど高校受験の年となったので勉強のためにレッスンはやめてしまうだろうと思い、そしたら自分のアパートにそのピアノを送ってもらうつもりでした。ところが妹はずっとピアノのレッスンは続けたので私は当てが外れてしまいました。アルバイトでもして中古のピアノでも買おうかと思ったけど、そこまでするほどのピアノに対する情熱もなかったので---というのはその頃待望のボーイフレンドが私にもでき、私の情熱はそちらの方に注がれるようなったのです---結局ピアノはあきらめることにしました。自分が弾けないとなると他人がまわりで弾いているのを、それもピアノやバイオリン、フルートの音がごったになったのを聞くのはひどくいやで、初めの頃は8時頃まで友達の下宿や、文芸部の部室(そこに私のボーイフレンドは寝袋を持ち込んで約1年間住みついていたのです)によく遊びに行ってました。ところが1年生の後期からタイプライターを打つことが必要となり、この練習のためにはむしろまわりに騒音が始めからあったほうが好都合で、結局あの懐かしい騒音アパートに4年間住みついたわけです。
 さて4年目の春に隣の部屋にあのショパン君が入ってきたわけですが、ピアノはとても上手でしかもなかなかのハンサムだったので大歓迎だったけど、ひとつとても気に入らないことがありました。彼は外から帰ってくると、始めにショパンやベートーヴェンの曲を一つ二つ弾いていたかと思うと、出し抜けにわけのわからない音楽を弾き始めるのでした。それも何度も弾き直し、しばらく同じところを繰り返し、その度にああでもないこうでもないというふうに弾き方や音を変えていくのです。明らかに作曲をしていたのです。そして始めに弾いたショパンやベートーヴェンの曲とはずいぶんかけ離れた不協和音のやたら多い異様な音楽を作るのです。ですから彼が作曲を始めると私はイライラしてくるのでした。「早くやめろ、ショパン!」と思いながらも、彼の邪魔になったら悪いと思うからタイプを打つのはひかえましたし、そうかといって本を読んでいてもあの耳障りな十二音の音楽が私の精神の集中を妨げ、長続きしません。まるで私まであの迷路のような作曲に付き合わされているような感じで、8時になって静かになったり友達でも訪ねてきて彼の作曲が中断されたりすると、私はほっとするのでした。
 そしてあれは雨が十数日も降り続いた後やっと晴れた初夏の日ことでした。私は学校から早く帰ってベッドの上に寝そべって本を読んでいました。原書のランボ-の詩集で、わからないフランス語の単語は素通りして読んだのであまり理解はできなかったけど、折角買ったのでひととおり目を通しておこうと思って読んでいました。
 私の部屋は端っこだったので窓がたくさんあって、ベッドの上に横になっていても遠くの山や市の北にある平和台の緑の丘やそこに立つ塔などを眺めることができました。静かな日には農学部の方から馬のなく声も聞こえてきました。その午後はとても静かでのどかだったので馬の声だけでなく鳥のさえずる声も聞こえてとても快いけだるさを感じさせました。いつのまにか私は眠っていました。熟睡したのでしょう夢は見ませんでした。
 音楽というものは意識下の耳でのみ聞く時、つまりたとえばまったく眠っていて意識のない状態で聞く時、初めてその真髄の響きを聞き分けることができるのではないでしょうか。もしその音楽に真髄と呼べるだけのものが存在し、演奏者がそれを引き出していればのことだけど。
 その時私はたまらなくやさしいものに包まれているような幸せな気持ちになっていました。からだじゅうがそのやさしさに愛撫され酔い痴れている感じでした。「私眠いの、もっと寝かせてよ」とそのやさしさに心で語りかけました。するとそのやさしさはまた私に何かを囁き、その言葉はその時の私にはよく理解できるのでした。そしてふと目を開いてしまいました。いつのまにか夕闇が窓の向こうにやってきていて、窓ガラスにはベッドに横たわった私の姿がほのかな夕陽を浴びて黄金色になって映っていました。隣の部屋からピアノの音色が聞こえてきます。覚めたというよりはまだ眠っている状態の私にはそれは音楽というよりは私にさっきからやさしく語りかけている美しい言葉のように聞こえました。でももう何て語りかけてくれているのか意味は理解できなくなってしまっていました。程なくそれはまぎれもないピアノの音として聞こえ始めました。私はとうとう目を覚ましてしまったのです。それはショパンのノクターンの一つで、隣の彼がこの曲を弾くのをそれまで何度か聞いたことがあったけど、その時ほど美しく快く聞こえたことはありませんでした。あまりにロマンティックだったので私はまるであの本物のショパンが今隣の部屋で私のために演奏しているのだという空想にしばらくひたっていることができました。そしてあの快い陶酔にもう一度身を委ねようと目を閉じ無心になってみたけど、もうどうしてもあのけだるく官能的な快さは戻ってきませんでした。「ムッシュ ショパーヌ、メルシ ボク」私は思わずつぶやきました。その時から私は彼に憧れの想いを寄せるようになってしまったようです。
 七月から夏休みにかけて私は郷里の佐世保に戻り母校で教育実習を行ない、夏休みに入ると文芸部の合宿で鹿児島に行き、ある寺で一週間禅の生活をしながら宮大文芸誌「暖流」に掲載すべき作品の選考に参加しました。実際には三年生が中心となって応募作品の中から6作をすでに選んでおり、この中から2作を四年生と数人のOBとが中心になって最終的に選出することになっていました。そして私のフィアンセ氏もそのOBのひとりとして松山から飛行機で参加し、合宿が終わったら私と本土に返還されて間もない沖縄に行くことになっていました。ですから私は合宿が終わるのが待ち遠おしいし、そうかといって合宿もまた楽しいということで、寺ではふさわしくないはしゃいだ一週間を過ごしてしまいました。
 ところで驚いたことに6作の中にあのショパンさんの作品が含まれていたのです。「あるバイオリニストの死」という短篇小説ですが、ファンタジックなものだったので純文学を好む傾向の強い我が文芸部の嗜好にあわず結局選には漏れてしまいました。後輩の話ではショパン氏はもう一作「ロマンツェ」という同じような作品をも添えて応募したということでした。「あるバイオリニストの死」を私は特に注意深く読みました。そしてその中のヒロインに私はとても共鳴してしまいました。もしショパンさんの部屋に女性がひとりで訪れて泊まっていくようなことがあったら私でも嫉妬したでしょうから。
 あらすじはだいたい次のような短い作品でした。

 『主人公のバイオリニストは自分のバイオリンをいつも肌身離さず持ち歩き、他人にそれを絶対に触れさせないくらい大切にし、手入れも入念でいつも艶やかにしていました。時には椅子に立て架け、ライトを当て酒を飲みながらその美しさに見惚れていることもありました。まるで自分の恋人のように愛しているのです。やがてそのバイオリンは美しい女性に化してケースから抜け出してくるようになります。それはバイオリニストが眠りについた深夜だけで、まるでドラキュラが夜々棺桶から出てくるようにこっそりとバイオリンケースの蓋を開けて出てきます。そしてバイオリニストがその日作曲していた曲にいたずらをし、日の出前にはまたケースに戻っていくのです。朝バイオリニストは楽譜がたくさん書き替えられているのに気づいて不思議に思う。しかしその通りにバイオリンを弾いてみると曲はずっと良くなっているのです。このようなことが続きたちまちこのバイオリニストは作曲家としても認められるようになり、自作自演するのでパガニーニの再来とまで言われるようになります。ところがある夕、バイオリニストは祝賀パーティに出席しそこで知合った女性を連れて家に帰ってきます。そして彼は彼女を抱いて寝ます。翌朝バイオリニストが起きてみると譜面台に載せておいた白紙だったはずの五線紙にびっしりと音符が書き込まれていました。そして一目でそれはすばらしい曲だとわかりました。彼はバイオリンを取り出して弾き始めそのすばらしさに歓喜し、夢中になってその曲をマスターしようと練習します。弾けば弾くほどその美しさ、烈しさに魅せられて引き込まれてゆきます。ところが彼がどんなに苦心して練習しても最後の7つの小節がうまく弾けません。それは曲が最も輝やいてクライマックスとなるところでした。バイオリニストは必死になって練習したがどうしてもうまく弾けません。彼は早朝からバイオリンにとりつかれたように休むことなく弾き続けました。まるで彼がバイオリンを弾いているというよりはバイオリンが彼を動かしているというような異様な有様に一夜の恋人は驚き、彼に何度もやめるようにと言いましたが、もう彼にはバイオリンの音以外は聞こえないし、聞こえたとしても演奏をやめることはできないほどの興奮状態になっていたのです。そしてその女性は彼が気が狂ったと思って去っていきました。昼が過ぎやがて夜がやってきても彼は弾き続け、もう弓毛は何本も切れてしまっています。そして明け方近くになって彼はついに見事に弾き切った。彼は歓喜の声を上げるが、そのままばたりとバイオリンを握ったまま床に倒れた。バイオリンは彼の下敷きになって壊れてしまう。女性に知らされて心配になってその朝訪ねてきた友人のピアニストはバイオリニストが倒れて死んでいるのを発見する。しかし死んでいたのは彼だけでなく、髪を乱した美しい女性も彼に抱かれて死んでいた。そして不思議なことに彼のバイオリンはどこにも見つかりませんでした。』

 私はこの作品を読んだ夜だけはフィアンセのことよりもショパンさんのことを寝床で思い巡らせ、なかなか寝つかれませんでした。このバイオリンの女性のような情熱を私は自分の中にも感じていました。男性を好きになると絶対に自分だけのものとしなければ気が済まず彼を独占してしまい、そして自分は自分で全てを彼に捧げ、少しでも裏切られたと思うと炎のように燃え上がり彼をも焦がしてしまうような危ない女性。ショパンさんはこのような女性を知っていたのでしょうか。
 選に漏れた作品は全て作者に返送することになっていましたが、私はショパン氏は自分の隣人だということで直接手渡すと言って「あるバイオリニストの死」は自分のスーツケースにしまって持ち帰りました。ひとりになってもう一度読み返したとき、なぜか恐くなってしまいました。
 夏休みが終わったある雨の日、私はショパン氏のドアを初めてノックしました。彼はその時あるピアノコンツェルトをステレオ放送で聞いていましたが、すぐボリュームを下げてからドアを開けました。ショパン文士は赤く陽焼けされており一段と顔の彫りが深く見え、また伸びた髪を後で束ねていたので美しい女性のようでもありました。
 私は「あるバイオリニストの死」を手短に事情を話して手渡すと、彼は恥ずかしそうにそれを受け取り、手ずから返してもらったことに感謝しました。コーラでもいかがですかと勧めるので、しばらくお邪魔してお話しました。彼と挨拶以上の会話ができたのはその時が初めてでした。
 ずいぶん陽焼けされているけど夏休みはどうされたのですかと聞くと、彼の所属しているブラスバンドの演奏旅行で日南線沿いにある中学校を1日2校づつ一週間駆け巡ったということでした。海岸近くの中学校に来た時は演奏が終わるとすぐみんなで海に出て陽が沈むまで泳いだので、みな陽焼けしてしまったそうでした。
 彼の部屋はきれいに整頓されていたし、板の壁には押しピンで留められた水彩画が飾られてあり、ピアノの上には赤いチューリップの生けられた花瓶まであったので、男子学生の部屋としては最高点のできでした。もっとも私が今までに見てきた男子学生の部屋はだいたいが文芸部の仲間のもので、どいつもこいつも言い合わせたように部屋の中にロープを張って洗濯物を干していたり、コーラやビールの空ビンを土間に並べているような輩だったから、私が男子学生の部屋はこうだと先入観として抱いていたイメージがあまりにも低級過ぎていて、私の目で見れば普通の男子学生の部屋はみなきれいに見えたことでしょう。文学青年と音楽青年の生態の差をまざまざと見せつけられたような気がしました。私がチューリップのことをほめると、ショパンさんはいろんなコンサートのたびにたくさん花束をもらい、特に自分は指揮もするのでよくもらうのだけれど、みんなで分けて持って帰るので花瓶が必要なんですということでした。絵のほうは、美術の授業の提出用として描いたもので、先生からほめられたので捨てがたいのだそうでした。
 15分くらいお話したでしょうか、彼は思っていたより話すのが好きな人のようでした。私はずいぶん満ち足りた気持ちで隣の自分の部屋に戻り、弾む気持ちのままペンをとって一気に次の即興詩を書きました。

 『彼の描いたたった一つの風景画
  私はこっそり持って帰って額縁に入れて  この部屋に飾っている
  こんな小さな私の部屋だけれど
  彼の絵のおかげでとても広い秋のお部屋  いつかもし彼がこの部屋に来てくれるなら・・・来てくれたら・・・
  私がこの絵ないしょで持ってきたことおこるでしょうか
  それともこんなにきちんと額縁に入れて飾ってあるのを見て優しく喜んでくださるでしょうか』

 さて秋も深まり私も卒論の準備で忙しくなり、部屋に帰ってくるのも遅くなることが多くなりました。ショパン氏はますます考え事をしている様子でいることが多くなり、私がすれ違うとき挨拶しても気づいてくれないことが二度もありました。でもある夜、私の部屋のドアをノックしてくださり、コンサートで花をたくさんもらったので少しもらってくださいと、一束の花を両手で差し出しました。私はその花束を差し出すショパンさんの姿に見とれすぐには声が出ませんでした。少々お酒を飲んでられたようで目の辺りが赤らみ、それでいて瞳は濡れたように黒く輝き、奥深くまで透き通って見えるようで、今にも接吻されてしまいそうな予感さえ覚えたくらいするどくその目で見つめられたのです。どんな女でもあのような目で見つめられたら声が出なくなってしまうのではないでしょうか。私は涙があふれそうになるのをやっとの思いでこらえ、震える手で花束をいただきました。すると彼はあっけなくお辞儀して自分の部屋に戻られました。花束の中にジャスミンも含まれているらしくその香りが私をそそのかすかのようでした。もし彼の部屋から彼の友達の声が聞こえてきていなかったら、私はその夜彼の部屋のドアをノックするのを禁じ得なかったでしょう。そしてもしその隣の訪問者の声が女性のものであったら、私もあの「あるバイオリニストの死」のヒロインと同じように彼を焦がすようなことをしでかしたかも知れません。「ムッシュ ショパーン、あなたはもう少しで私を燃え上がらせてしまうところでした。」

 12月になるとすぐ私は風邪を引いて熱を出し2日間寝込んでしまいました。そしてその時ほど彼の作曲を恨んだことはありません。まるで私の重い頭は彼のピアノの音に共鳴しているかのようにズキンズキンと痛みました。何度かピアノを弾かないでとお願いしようと思ったけど、とうとう私は泣き寝入りしてしまいました。8時が過ぎてピアノの音がやんでも私の頭の中ではまだピアノの不協和音が響いていました。ところが不思議です、風邪が治って頭がすっきりしてくると、今まで違和感を感じていた彼の音楽が妙に魅力的に聞こえ始めたのです。そしてあるメランコリックな旋律は頭にこびりついてしまって、洗濯などしている時無意識のうちにそれをハミングしている自分に気がついて驚くのでした。
 あまりに作曲に没頭し、しかも8時が過ぎるとまた学校に行って真夜中に帰ってくる彼は日に日にやつれてくるのがわかりました。食事の時間になっても構わずピアノを打ち続ける彼は、まるであの「あるバイオリニストの死」の主人公が難曲を弾き切ろうとして無我夢中になった時のように、何かにとりつかれてでもいるかのようでした。
 クリスマスの夕に、フィアンセ氏が私の部屋をプレゼントを持って訪れました。きっとそれとは何の関係もなかったのでしょうが、ショパン氏はひどいスランプに陥ってしまったらしく、部屋にいるのに一日中一度もピアノに触れない日があったり、ハノンだけを一日中弾いている日があったり、あるいはまるでうっぷんを晴らすかのようにトランペットを吹くこともありました。こうして彼はますますおやつれになられ目の辺りもこけて、おまけに髪をボヘミアン流に肩近くまで伸ばしたのでとうとうあの本物のショパンそっくりに見えるようになられました。肖像画でよく見るあのメランコリックなショパンそのものでした。
 でもどんなに疲れているようであっても、私に気づくといつも笑顔で挨拶してくれました。そしてますます私は惹かれてゆき、とうとう彼の夢を見てしまいました。そして私は自分が彼に焦がれていることを悟りました。心の深い、自分でも探ることのできないほどの深いところでショパンさんを愛してしまっている、その証拠に彼は私の朝の夢の中に、文字どおり夢のように美しい余韻を残すくらいの愛しさを持って現われたのです。そこには汚れたものは何もありませんでした。そして私たちはどちらも何も告白せず、ただ私は彼の気持ちが手にとるようにわかるのでした。あの方は美しく、しかも私はその美しさに惹かれながらも現実の時と同じようにそれを言葉にはしなかった。それでも現実の時とは違って夢ではふたりは心では互いに確かめ合っていたと思えるほどの親しさを感じることができたのです。ちょうどあの花束をもらったときと同じような真剣な気持ちで彼を見つめ、彼も私の目を見つめました。そして朝、目の覚める寸前までの夢の中のあの方は無邪気に私に語りかけ、それは私の欲望の芽に触れることなく私に吹きつける風のようで、私はブランコに座って揺れていました。彼は私の心にとても美しい印象を残したので、私は目を覚ますと「しあわせ」という言葉を敢えて口に出せるくらいの余韻に包まれていたのです。
 さて、そうこうしているうちに卒論の締切も迫ってきて、私は人のことを気にしている余裕も無くなり、卒論のテーマだったエドガー・アランポーの詩の研究に専念せねばなりませんでした。そしてほとんど毎日夕方の6時頃にアパートを出て卒論の指導をされる先生の研究室やお宅にお伺いして論文の勉強を進めました。そして私がアパートを出るちょうど同じ頃ショパン氏は学校から帰ってくるらしく、よく階段ですれ違ったり学校の近くの薄暗くなりかけた路上で会ったりしました。そんな時、やはりおやつれになったショパンさんはとてもやさしいまなざしを私に向けてくれましたが、同時にそれは私に「おかわいそうに」という気持ちを起こさせるのでした。「何か私にできることはないのかしら」と、そこから先生のお宅に着くまで考えながら歩いたものです。「きっと作曲はうまくいっていないに違いない。きっとノイローゼ寸前の状態に違いない。私だって長時間ピアノの椅子にすわらされてキーをたたいていたら泣きだしたことが何度もあったわ」そう考え、つい「私があの人の恋人だったらなー」と浮ついたことを思ったり、でもすぐ本物の彼氏のことを思い浮べては「早く卒論が終わって羽を伸ばして彼の元へ行きたいなー」といつもの自分に戻るのでした。
 そんなある朝、図書館で新聞を見ていてドキッとしたことがありました。新聞紙をめくっていると『音楽院生自殺』という見出しが目に飛び込んできたのです。一瞬ショパンさんか!と思ってしまいました。でもすぐそれはO音楽大学の大学院生だとわかりました。卒論の作曲がうまくできずノイローゼになっていて、大阪から長崎までやって来て飛び下り自殺をしたのでした。この記事をショパンさんはどういう気持ちで読むのでしょう。ショパンさんはその夜帰って来なかったのでちょっと心配しました。
 さてもう卒業式まで後2週間という頃のこと。私はなんとか卒業論文を完成にまでこぎつけて先生からもこれなら大丈夫と言われて、とてもうれしく解放感に満たされていました。先生から同じ研究室の二人の友達と一緒に夕食に招待されて心もうきうき、新しく買ったワンピースを着て行こうか、それともフィアンセからクリスマスプレゼントに買ってもらったロングスカートをはいて行こうかと鏡の前と中で迷っていると、鏡に映った窓の外にショパンさんが長い髪を風に乱しながらいつもの路を寒そうに歩いて来るのが見えました。時計を見ると6時7分前、「あら、もうこんな時間!バスに乗り遅れるわ」私はあわてて、さっとミニスカートを取り出しました。その時ひらめいた私の考えの何といたずらなこと。「冒険、冒険」私は思わず自分の計画に気も高ぶり、心臓の鼓動がけたたましく速くなるのを感じました。「冒険、冒険」鏡の中の自分をそそのかすようにそう言ってにやっと笑う自分はやはりぎこちない表情を隠せない。「冒険、冒険」私はその頃ではすでにすたれていたミニスカートをはくとハンドバッグとコートを手に持って部屋を出た。 2月の下旬の6時頃はもう薄暗くなっていてアパートの階段にはいつも蛍光灯が灯されていました。彼の足音がやがてアパートの入口のセメントを打ちました。私は廊下を足早に、でも足音をできるだけたてないよう歩いて階段の上に立ちました。「冒険、冒険。ああ私はなんておてんばなんだろう。でももう引き返すひまはない・・・暴挙、暴挙」私が手摺りに手をのせて一歩降りると、彼は階段の下に現われ、ふいと上を見ました。そしておどけたように「おっ」と言って、わざとびっくりしてみせるように首を後ろにしゃくりました。私は急にかあっと恥ずかしくなり、次に腹が立ってき、コートを前にして階段を駆け降りました。彼の視線はその私を追いました。「私は裏切られてしまった。なんていやらしい!ああ、馬鹿なことをしてしまった。ああ、恥ずかしい。幻滅だ。あれでショパンだなんてばかばかしい。」
 それからは彼とはできるだけ顔を会わさないように勉めましたが、翌々日の午後、学校とアパートの間の路で会ってしまいました。私は下を向いたまま彼の顔を見ないで通り過ぎようとしたのですが、彼は少々うわずった声で、「あの」と呼び止め「これ僕らの卒演の招待券です。よろしかったらどうぞいらっして下さい」となぜか3枚の緑色の券を茶封筒から出して私の方に差し出しました。その時私は真っ赤っか。それでも何とか「ありがとう」と言ってそれをもらいながら彼を見ると彼も赤ら顔で、風にそよぐ少々カールした髪がとてもデリケートに震えていました。「いつもピアノがうるさくてご迷惑だったでしょう。」「あら、だけど・・・」とてもお上手だからむしろ楽しませてもらいました、と言おうとしたが少々感激気味で声が出ませんでした。「これプログラムです。ぼくも演奏します、どうぞぜひおいで下さい。」「はい、どうも・・・」私はプログラムを開いて彼の演奏のことを話題にしようと、彼の名を探したが、「どうも失礼しました。じゃーまた」と言って彼はぺこりと頭を下げてアパートの方に歩き出した。「どうもすいません」私はプログラムを広げたまま彼の後ろ姿を見ていました。すると彼はふいと振り向いて私と目が合ってしまい、しまったとばかり頭を降ってまたすたすたと歩いて行かれました。「おもしろい方」私はそう思うと「やっぱりあの人はショパンさんだわ。きっといい曲を作られるわ。ムッシュ ショパーン、頑張ってね。私は彼を後ろ姿が曲角で隠れるまでいたずらっぽい気持ちで見ていました。でも彼はとうとう更に振り替えることはしませんでした。
 さてその演奏会の日、私は二人の女友達を誘おうか、家庭教師として教えてた姉妹を誘おうかと迷った末、ひとりで行くことにしました。服装も迷った末、またあの冒険の日と同じ服装で行くことにしました。黄色いミニと白いブラウスに赤、青、黄の原色のネッカチーフ、そしてカーキ色のコートです。
 会場の市民会館には思っていたよりたくさんの人が入っていました。少々勇気がいったけど前から2列目の席に座りました。オープニングはなんとベートヴェンの運命シンフォニーでショパン氏はトランペットを吹いていました。
 彼のピアノ演奏はプログラムの後半の最初で、自作の「変奏曲」というものでした。すでに私には聞き慣れていた音楽を彼はあるところは神妙に弾き、私のハミングのレパートリになってしまったあのメランクリックなメロディーはメランクリックな表情をつくって弾き、そしてあるところはあまりにダイナミックに弾き首を縦に激しく振ったのでまるでおでこでも打鍵しているかのようでした。熱演でしたが、おそらくこの曲は初めて聞く人には理解しにくい音楽だったでしょう。しかし最後の変奏が始まった時「あっ」と驚かされたのは私だけではなかったでしょう。彼はいきなりまぎれもないジャズを弾き始めたのです。楽譜から目を離し即興で弾いているようでした。そしてそれはそれまでの変奏とはまったく対照的に明るくユーモラスで、その弾んだリズムと旋律はまるで今までの深刻で悲劇的な曲想は全部冗談だったんだよ、とでも言っているかのようでした。彼がこんなジャズ風の作曲をしていたところを聞いたことのなかった私は少々意表を突かれた感じでしたが、ふとこの即興変奏はあの私の冒険と関係がないのかしらと思い、不意に舌が出て首がすくみました。
 おそらくこの最後の部分がアピールしたのでしょう、彼が演奏を終えると聴衆は大喝采で、私も自分のことのようにうれしくなってだれにも負けないくらい強く拍手しました。「ショパン先生おめでとう」と心で叫びました。先生も自分の曲が喝采されたのに気をよくして満面の笑みで聴衆に丁寧にお辞儀をしました。すると3・4人の女性がステージの下に来て花束を差し出し、ショパン先生はうれしそうにそれらを受け取られ一人一人と握手しました。私は次第に手が痛くなってきたけど、それでもパチパチ、パチパチ、とうとうみんなが終わっても手をたたき続けたので、ショパン先生初めてこちらを見てやっと私に気づいて下さり、わざとおどけてびっくりしたように首を後ろにしゃくりました。それがあの階段の下に見た彼のしぐさと表情とそっくり同じだったので、私ははっと恥ずかしくなって拍手をやめて横を向いてしまいました。

         終り

青春コレクション/ムッシュ ショパン

青春コレクション/ムッシュ ショパン

ピアニストへの他愛のない恋心の描写

  • 小説
  • 短編
  • 青春
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2012-04-02

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