雨は深海
住んでいる地上だって深海を孕んでいるのに
まだうす暗い朝方に、雨は音もなく振り続けていた。人々の活動する音も鳥たちの歌声もなかった。ただ雨が線となって、街に降りそそいでいる。その雨はいっけん線に見えても、やはり一つ一つの雨粒であった。何ひとつ分け隔てることなく、一面にその粒は重なっていく。
僕はその一つに思いを昇らせた。この一つの雨粒は、遠い上空から来ているんだろう。雲とやら蒸気の結晶がなんたら、とにもかくにもそこから来ている。その一つ一つが無数に降りてきて、今ここを雨粒の線で埋めている。
雨雲の下の空間は、そう、雨で埋まっているわけだ。まるで海じゃないか。僕は雨雲の上からも眺めていた。遠い地表では、上空のここの明かりも届かずに、地上という海底には届いていない。実際、深海の世界のように、今は何の音もなく、静かに雨が視界を覆っている。
その発見をして、僕は少し笑ってしまった。人々は本物の深海には、その未知の領域には、研究解明に熱心だ。そして深海の生物の姿かたちや生態をしって、驚きときに感動もする。別世界だと思い、遠い世界だと思い、目に見えにくい、実に届きにくい深海には、さまざまな知恵を駆使して、それらを探っている。
けれど、この地上の海底には、そんなことはあまり行わない。すべてを知っているように、何もかも見ているかのように、何ら不思議に思うことなく人々は能面で闊歩している。そしてその歩いている海底は、調査もなく、コンクリートで固めて覆ってしまっているのだから、世話ないことこの上ない。
いったい、僕ら人間は、何を知りたがっているのだろうね。ここだって、深海そのものだっていうのに。僕ら人間だって、摩訶不思議な姿かたちと生態なのに。僕は遥か上空を見つめて、そう思った。
上空の住人は僕らのことを、暗闇でどこで遭遇するかわからない僕ら地上の生き物を、さまざまな知恵を駆使して、調査などしているのだろうか。…おそらく調査なぞ行わずに、上空の住人は、かつてここにいたことを身を持ってわかっているのだと思う。
雨の深海に住んでいる僕らは、実に近いものたちに、関心を持ってその深みに潜ろうとは、しない。逆に目を瞑っているようにも思う。それが僕には理解しがたかった。
そのうち、すこしずつ人々は起きはじめて、今日もまた、視力を失ったまま大半が昼をやり過ごすのだろう。誰とも相対することもなく、周りでひっそりと、しかし確かにそこにいるものたちを無いものとして、そうやって深海はより一層明かりを失っていくのだろう。
雨は深海