白砂のシェスタ
本作は、小説家になろう、星空文庫に重複投稿しています。小説家になろうでは各和数ごとに投稿してあります。
こちら星空文庫では一続きになっています。
本作は、星空文庫にて不定期に更新しております。
2016/06/12 Chapter9を追加しました。
【お知らせ】
*2016/03/02 地名を一部変更しました。
*2015/09/04 主人公を含む主要な登場人物の一部の名称をラテン語などに変更しました。
例、主人公がフレーレという名前へ。
*2016/05/31一部の表現を改めました。シェスタの領主が 役職名のフィーニス(伯爵)となりました。
*2017/01/26第1話と第7話の一部の表現を改めました。
第1話
私は都でシェスタなる町について調べていた。これはある旅人に聞かせてもらった話だ。
新雪にあるような艶美な白は、遠目にすれば異国情緒こそあふれていたそうだ。
諸所の森の木々とも異るその味わいは、遠くの山間の岨道よりこちらを望む行商が、脚を休めたならば、決まって長い間魅入ってしまうほどだった。旅なれた者にとっても金剛玉楼宛らに美しい景観なのであろうと。
次にこれは「私は、ついこの間、その町に行った。丁度今はその帰りだ」という知人の役人から聞いた話だ。
暖かな風の過ぎる心地の良い丘の上、雑多種な草花とあおあおと若々しい緑に覆われる地に、まだ拵えて間もない一棟の建物が建つ。
「小城をおもわせるその外観は立派である。砦を意識した外観、庭もきちんと整備されている。しかしその丘には、門もなく、堀もなく、剰え塀すらなかった。まったくよろしくない。領主の館としては手ぬるい。訪れる徴税官の誰もがそう思いついては民に訳を訪ねていたらしい。私のところにも報告があって、そのところ、領主を含めて数人が暮らす規模の屋敷であるようだ」
「辺境でしたよね」
私が控えめに訪ねた。
辺境という意味で、他国との国境近い土地を治める領家がそのような暮らしと聞いては口を挟まずにはいられなかった。幾つかの問答を挟んだ。
「……臆、そうだが、シェスタの町がいつ落とされるやもと案じているなら、そうでない。ふふん、実はな」
此処まで話し終えたとき、官者は一つ頷いてみせた。こちらの反応を待っているようであったので私が続きを促すよう仕向けると、官者はまた一つ頷いて、それきり、そそと歩き出してしまう。官者と私は再び都の雑踏のなかを歩み始めた。粉雪が降り積もる幅広の街路に、暫くは二人分の靴跡だけが跡を残して。
第2話
第2話
私が脇目にした街の広場では、木剣を片手にした若い青年たちが、稽古を行っていた。
みた感じ、上は半袖に手拭いを首からさげているだけ。精が出る。
それにしても、随分と薄着をしているようだ。見ている方が寒くなるわと言って、少し照れたふうの少女は、道の先へと視線を逸らした。
幅広の大通りを歩いていると、朝霧とともに冷たい北風が吹きつけてくる。
「私も、聞き齧っただけだが……」
身震いを起こした官者の声が萎んでいく。
空は、中天まで白み始めた。今日は休日であった。けれど、官者が役場に用があるとかで、少女と官者の二人は先を急いでいた。
淡い紅や白をしたツツジの街路樹がひとりでに揺れる。
それを垣根にしゃがみ込むことで、風除けにした官者に気づき、私 少女も咄嗟に立ち止まる。何か、と少女が訪ねる前に、官者はいつの間にか懐からとりだしていた手袋をいそいそとはめ始めた。
高官ともあろうに少女の前で、両手いっぱいに己れの赤らめた頬を揉み揉み。官者はこう見えても、キャリアを、積んだいい年したおじさまなのがまた、少女視線からすれば、直視を堪えないものとまで見做されてしまっていた原因となっていた。
「寒いね。いや、まったく」
「ほんとにそうですね」
相槌を打つ。
「……臆、そうだ。ここ迄聞いてそれが、どうしてか、君。判りますかね?」
「えっと、わかりません」
そんな軽い受け答えをしてから、少女は相手に目線を合わせようとその場にしゃがむ。
自分のスカーフの位置を端を数回摘み直しながら官者が話しこむ。
「簡単にいうと、屋敷の守りが固いからだ。シェスタの街はね、要塞なんだよ」
官者は立ち上がり歩み出す。
「屋敷のある領民の居住地まで垣根がないんだ……」
折悪く腰をあげさせられ、尚且つ、話を中断されたことで少女は怒り、のらりくらりと雑踏を躱して前を歩いた年老いた丸い背中を、じろり、と強めに睨むのだった。
第3話
第3話
「ここでの話もなんだし、役場にある私室でどうかな」
役場、官者のいう官舎へとつづく並木道は、真っ直ぐ西方へ伸びていた。
道は、低木のツツジが垣として広場との境となり、落葉高木の楓が不規則な間隔をおいては道の先々へ連なる。
時機に周囲の広場には、街の人々や、旅の者が朝市目当てに蝟集し、大層賑わうことだろう。
「え、えっと……そうしましょう」
少しだけ逡巡した少女だったが、すぐに諦めた。
「それがいい」
首を捻ると官者は目を細めて、皺も深く、けれども暖かく少女へ微笑んでみせる。
車輪の音。
すると、官者は唐突に翻って道の中央から少女の手前まで来た。さらに脇へ行こうと少女を紳士的に手で先を示し誘導した。揃ってツツジの垣に近づくと、仄かにくぐもった、しかし、どこか悠然とした響きをもつ馬の嘶きが聞こえた。少女がそちら伺うと、馬車の車窓越しにご老人がこちらの方に向かいになられて礼儀を尽くされている処だった。
なんとなく官者をみる。少女も見様見真似で腰を折った。ご老人は官者よりもお年を召していたが、官者よりも背筋がぴんと伸びて、威厳のある顔つきをしていた。それでも緊張した少女を一瞥したら、顔を綻ばせていた。
「やあ、元気にしていたかな」
「ああ、元気だとも。コークス、そなたも元気そうじゃな」
大人二人が挨拶をしていると馬車からまず御者が降りてきて、観音開きの方扉を開ける。従者が物音も立てず無言で降りてくる。
少女は、官者に呼ばれたご老人の手を取るかと思ってみていたが、そうはならず、従者は、杖を用意して馬車の側で控えただけだった。
「はじめましてお嬢さん」
少女が挨拶を返す。
「お初にお目にかかります。私は、名を、ラクリマ商家の次女――フレーレ ラクリマと申します」
――ヱ霞。
馬車を乗り回すご老人なんぞ、どこの大人物かも知れない。と少女――あらためフレーレは口上を続けて述べた。
彼は、官者と二言三言言葉を交わすと馬車へもどり、来た時とおなじように車窓から顔をみせ別れの挨拶を手早くして杖を従者がしまい、御者が手綱を振るわせ馬車を動かしして、嵐のように去っていく。
あとに残された二人は、両足を揃えて、胸に右の手をあてる敬礼を行う。
官者が落ち着いた様子で、その一方フレーレが慌ただしかったのは言うまでもない。
礼儀正しくも豪快なおじさまだと思って、少女が自身の横、正反対とも思えた官者をちらりとみる。まるで別れを惜しむように、ゆったりとした速度の馬車が並木の水平線の先にさしかかると、官者の剃り残しの一切ない口か元からほっと息が籠もれ出た。
第4話
第4話
小石を巻き込む台車が、垣根の外にある広場で商人の手に押されている。
ガサゴソ
ガタタタ、ガタ
間があった。
少女は、翁の件で何か失礼があったか不安になる。
しかしそれも杞憂に終わる。官者はハットの埃を払っただけだった。
ハットを頭に載せると無言で歩行を再開し、口を開いた。
「君が旅にどうしても要るからというから答えるんだ。税務補佐官が公に君の質問に誠実に、嘘偽りなく答えた、となれば、それは世間にしてみればやんごとなき一族の悪口を私が言うことになる。他言は無用、いいね」
私室までの道中に官者は話した。
「そこでは領民の、特に、多くの男子は剣術と、魔術、その両方の覚えがある。シェスタの民は、古くから強力な魔法を操り、周囲の魔物や害獣を狩りつくせるだけ狩り続けている。また、辺境であることも手伝って、過去、かの地に蛮集が近づこうとしたためしは一度もなかった。この領地の領民は古来より争いを好まない気風を持っていた。領主は有能な民に救われているのだ。一方で、当主はというと、〈騎士〉の身分を持つ者であった。が、富の蓄えが充足したことで王家から認められる商の才や、戦の功がある俗に云う名家ではない」
「領民は何故従うのでしょうか」
相手に合わせて、少女も声を潜めて早口にこしょこしょと言った。官者に、追って尋ねた。
すると官者は、これは王宮の記録官に語らせればこのように説明がなされるだろう。と言い、また話し続けた。
「現シェスタ領、当主であるフィーニス(辺境伯)が、まだ若く、十一という齢より兵役をこなしつつ魔術を学んだ。あるときから彼は王都の練兵所の書庫に籠り始めた」
もったいぶるように、官者、コークス その人は歩を止める。
「……」
「それから、彼はわずか2年あまりで七属の魔術の一端を極め、魔導の奥義を記した書を一冊書き上げた、それを直ちに王国魔導図書館へ上納してから5年、彼が二十歳になったとき、即ち〈騎士〉に受勲したのは14年も前のこと。現在は準男爵となっている、彼の爵位は上流階級の上ではまだまだ低い。その名声も現在の王都ではすでに忘れ去られ、フィーニスという家名は、庶民の中ではほとんど無名に近くなりつつあるのだ」とその様な裏話をフレーレへ聞かせた。
諸侯曰く、公爵位名簿の末席であり、田舎者をさして、準男爵とされている。ともつけ添えていた。
ほかに物のついでに細々したこと、彼の伯の冒険譚を聞いたが、それらは他の貴族の思惑通りに脚色された噂話であるらしく、そこに管者の知る彼の伯の姿はなかった。
官者は最後にこう締め括った。
「かの地も又、そんな数ある遠方の地方町村その一つだよ。では私はここで一度門兵に話を付けてくるので、ああ、中に入っている間は今の話はなかったことにしてください。中流とはいえラクリマの商家の一人娘の家出の手伝いをしたなんてばれたら……君も知っての通り私は今日から休暇です。次の赴任先へ向け、下見も兼ねた旅に行くので。お互いよい土産話を期待していましょうね」
そういい残し、ハットを押さえながら足早に官舎の方へと向かって行く。
役場の門は鉄柵が収納され開け放たれている。きびきびとした動きをみせる衛士が槍を携えて周囲を警戒していた。ここはバルモ市街の役場のなかでも特別な場所。バルモ中央税務署。一国の国庫である。
雪が降りそうな曇天の下、そびえる外壁を見上げた。魔法使いが魔法をこらしたこの建物は、監獄よりも厳重な警備がしかれている。ここに入るのかと思うと、息が詰まる。
少女は背後の楓の葉鳴りに見送られて。
門兵が二人に敬礼する。
官者の纏う空気が変わる。
名を呼ばれた。
「はー」
少女から漏れ出た息はやはり白かった。
第5話
第5話
ラクリマ家がバルモの商会のなか規模で言えば中流とはいえ代々商家という家柄の縁もあって、役人として様々な肩書を持つ官者のことをフレーレは幼いころからよく見知っていた。
彼は、警備に通行証を見せると、門の一角に設けられた無骨な鉄柵や、門兵二人に左右を挟まれ敬礼を受けようとも、それをわき目にもせず、平然と敷居を跨いだ。
少女から見れば慣れた様子の官者。
後から、平素よりも畏まった心持になった商家の娘が税務署の敷地へと入る。
俯きながら自分の背丈の何倍とある大きな門を潜った少女は、門の影が伸びるあたりまで歩くとそっとおもてを上げる。
植木が左右に巡らされている街の広場のような場所がすぐ正面に見つけられた。
近づくと町にある噴水のようなものが道の先、中央に鎮座していた。
目の前にした広場と、このバルモ市街にある広場とで違う所は、周りにあるのが樹々だという所だ。噴水というよりもため池のような規模だ。
贅沢だなぁ。フレーレはそう思いつつも絶えず波紋を起たせる噴水の水面を眺めながら迂回する。
フレーレはそう思いつつも絶えず波紋を起たせる噴水の水面を眺めながら迂回する。
その後、植木に囲まれた敷石の道はカーブもなく一本道なりに続いた。
「ここからしばらく歩きになります。けっこう距離があるので」
官者は退屈しのぎにフレーレに並んで歩くと会話をする。
互いに口を突いて出るのは他愛のないことだ。
「はじめて来ましたけど、こう、こういう所なのですか。他の役所というのも」
言葉に詰まりながらもフレーレは尋ねた。このとき門から歩いて十数分が経とうとしていた。税務署らしい建物が見える気配が全然ない。代わり映えのない景色、馬小屋のようなものが時時横目にできる。
官者はしきりに寒さに目を細めている。フレーレもマフラーをいじったり、息で指先を暖めたりしている。
「ここは特殊かな」
官者は具体的なことを言わない。傍からすると役人らしくもあった。
ただ一風変わっている。唐突に数分前にはぐらかした質問に答えることもあった。
またしばらくして、暇を持て余し官者がフレーレのよこに並んだ。
「私でも堅苦しいと感じる」
「そうところでこの屋根のある道は何ですか」
フレーレの興味は既に移っていた。
「……」
「えっとどうかしました?」
「いや。涼み廊というそうだ。礼拝堂にある回廊とは似ていて違うものだ…」
「……あの、聞いてもいいですか。そのどんなときに堅苦しいと思うのか」
なんとも言えない寂しそうな官者の声音に気付いたフレーレは少し調子を出して尋ねた。
「嗚呼、たとえば」
植木の道を抜ける。とその先に平原が広がっていた。
見渡す限り平原が広がり、距離感が掴めないくらい奥の方の小高いところに建物があった。
平原には、急のある丘陵地帯があった。
低地部分を官者のいう礼拝堂内の柱廊みたいな「涼み廊」が丘陵の間を縫うように蛇行し続いている。
大木はもとより低木もない平原の解放感は、市街から通ってきた中央公園の芝のなかを
行く並木道とは比べ物にならない。
「そうだな」
「この距離感というか遠いところかな」
官者もフレーレの気遣いを感じて少し声色を明らめた。
フレーレの目が遠く、税務署のある開けたあたりに向いた。それをみたときフレーレは、昔から時期になると行商をする親に連れられた先での出来事、幼い日のある日のことを思い出していた。
当時駐在したここバルモから遠い街先にあるラクリマ家の別宅、倉庫の中に迷い込んで読んだ手紙のことを。
「どうしかした?」
「なんでも。官者の言う通りです本当に遠いなって思っただけ」
第6話
第6話
地紙を敷き詰めたように継目なく整備されている石の道から、少女が目にした光景は、平原風景、皐月晴れ、遠目に丘と館。
そうした閑地の見晴らしのなか、足元に段差や踊り場が、間断なく増した。そして峠からも下り道、柱廊は緩く斜に続いていた。
そのときのフレーレは、そんな足元を気にした様子も見せず、つんのめる風でもなく、まばたきもはさみ、ぼんやりした官者とともに景色を眺めつつとんとん足を前へ運ぶ。
少し前より、幾らか湿度を増した風を受けて、少女は、マフラーに鼻先を押し付けて訥々とやり過ごす。官者は、首に巻いたスカーフをきゅっと締め直すついで、頬に手袋をあて暖をとる。
そうして二人はしばらくかかって、早緑のなかの緩勾配を下り終える。
「ここからの足場は木なんですね」
良かった。とフレーレが言外に言った。
フレーレの履く踵の高い靴の下には板が張られている。旅人といった風の装いに泥つきの草臥れた革靴を履いた官者はともかく、厚着とはいえ普段の装いをしているフレーレには、これまでの硬い敷石の道は、予想外の長歩きをしていたことでけっこうつらかったようだ。
「場所によっては板に隙間がありますから気をつけて」
板敷になった柱廊には、曲がり角のあたりに板と板との隙間があった。それを知る官者がフレーレを心配して言った。
原の景色は丘陵地を蛇行するなかいつ見ても左右、前方、後方にした丘陵がすさむ風を遮る。
歩むたび、軒下を斜めにさす光も淡くなり溶けていく。フレーレの呼気はこのときには風の音と聞き違えるほどおだやかになり、歩幅は小さくなった。しかし丘上からここまでとは転じ、そのうち陽気に歩いていくようになる。
幾重にも重なった道の先に続く列柱と回廊。
涼み廊なかは、ここにきて仄かにお日様も陰り、優しい感じを受けた。二人の足音と息づかい、いっそ子気味のいい板のしなり、ひゅうひゅうと吹く風、野鳥のさえずり、草葉の葉鳴り。
遠景を早緑のなかに浮かぶ廊に響いたものは、きまぐれに歩調を合わせ話しかける官者とそれに付き合う少女の話し声を除けば、ほんとうにそれらだけしかなかった。こうして官舎までの道中は、只只のどかな時間が流れていった。
挿話
『――。この〈シェスタの丘〉に舞い降るは……この地を俯瞰すれば屋敷が立つ小高い丘の上から南西方向へ向かって、町の塀まではなだらかに、稀に各所では仄かに白い火山灰が堆く積もった儘。
この地は吹きさらしの白砂になっていることがよくわかるはずだ』
『――。山裾に降り立つと、町の外れから領主の館までは子供から大人の足跡、はたまた蹄鉄の痕すらも見られない。私が大荷物を抱えた行商人であったのならば、顔を上げた途端このことにさぞかし驚いていたことだろう』
『――。私が初めてみた白一色の大地は、息を飲むほどに美しかった』
誰に当てたとも知れぬラインという人物の手記は最後の一文を残し途切れていた。
この手記は、行間が空くたびに文字の太さが異なっていた。
八年ほど前。
そのころの私はまだ字を覚えたてであったのだが、そのことが幸いしたか。
埃まみれの我が家の倉で〈シェスタの丘〉についての日記を苦戦しつつも読んだことが、今になって思い出すこととなった。
当時、母に内緒で忍び入った倉では、蝋燭の薄明かりの中でも、書架台のかなり高い、上の方、なめしで閉じられたその日記だけは、平積みされた書のなかでも薄闇に浮いてみえた。
速記でなぐり書かれた、なかには綺麗なものもあるが、商いごとを書き貯めたものが書架の中には平積みにされ溢れていることを屋敷の者に聞いて知っていたからだろう。今では考えられないことをした。稼業への少しの興味から、それを手に取った。保存状態がよく、字体もかなり明らかであったので、幼い私でも文末までなんとか読むことができた。
字の癖が、他の当人の名前入りの帳簿などの書類と、相当部分類似していたので、おそらく、あの日記の書き手はその人物であって間違いないはずだ。倉の記録によると、彼は守衛職、王宮勤めの衛士で、一代限りの〈騎士〉いわゆる、王宮勤めの兵士の位に着いた。我が一族でも出世頭であったそうだ。しかし、その彼が騎士になった後からさき、彼に関した書は見つからずじまいとなった。血縁のあると思える彼の生涯について、私は詳しいことは分からない。帳簿に彼の名前が載っていたのをみて、私など初めて彼が兄だと(名前から姉である可能性もあった)、その存在を知ったくらいだ。
第7話
第7話
「さあて。上りますか」
「この上ですと?」
冗談を否定してほしいのだとフレーレの口調は訴える。
「ちょっと高いし急だけど踊り場が途中に二カ所あるから。そこで休憩を挟もう」
土と草木と花々の香りが近づいたころ、官者とフレーレラクリマ嬢が進む柱廊の木道は小高い丘の下へと突き当たった。
柱廊の屋根は丘の急な斜面の麓で一端は途切れている。足元が馬車も通れる幅の木造の廊下から、石で囲われた土の階段へと切り替わる。
馬車用の緩い坂道が丘の周囲に沿ってあるが、大分遠回りなのだと官者は説明した。
急な階段を上る。
「ここも、また、風が強いですね」
「そうだね。丘陵の風って、いっていいのかな」
一カ所目の踊り場に到着。ふたりは草木が間々に生えたひらけた踊り場のベンチへ腰かけた。
「あれから私達けっこう歩いてきたものですね」
「何度か通うと慣れるものだよ」
フレーレはそうですか? と力なく答えて靴を脱いだ。
「あー涼しい」
踵の位置の高い靴は宙をかくベンチの下へとほうられる。ついでにつま先が追随しひょいと仕舞われていく。その横では官者が腿をたたく。歩き疲れ棒になった足を風にあてて流れる雲を目で追う。そんな光景が二回続いた。広角な視野に写る空模様は小魚の群れのようである。鱗のように雲の影と空の青が少女の後ろ髪の翻り絡まり波打ち流れる方へと、まるで白い砂時計のような規則性ときめ細やかさを見るものに感じさせ泳いでいく。空を泳ぐ大きな鯨のようなかたちのサカナが税務署の屋敷がたつ丘の一帯を覆う。
「そろそろ出発しましょうかね」
官者は言うが、あとにフレーレが言う。
「あ。曇った」
ベンチに腰掛けながら上を伺う。そのまま動く様子はない。
官者は再び椅子へ腰掛ける。少女の顎先が全く動かないのを見届けて、上を向く。
「……」
思った通りそちはなんてことはない。見えない影を延ばす白い雲の奥に空の青が透けて見えた。
挿話
挿話
靴紐に白い砂がまとわりつく。
もうそれは大層ひっきりなしに。
ほとんどが水平に、目先の白い砂丘から、彼方の山々に向かい去った砂の嵐の余波とともに、一陣の砂塵が吹き込む。
砂丘の白い砂は、視界の奥で白煙のごとく棚引くとすぐさま一陣の風となり、かつ、霧散しつつも空を駆け、やがては、顔部で露出する頬を掠める。
嵐の過ぎた地に、突風が吹いた。
そこに、厚手の布を上の服に巻きつけた人が、砂の上で何かするでもなく両足で立ち尽くしていた。その人が装着している暗色のゴーグル。灰と砂越しでは灰色に沈むように見える目元には、力がこもっているが、どこか憂いを浮かべているようにも見える。またその人は口元を布で保護している。そこは他の箇所よりも湿っているように暗い色の濃くなった布がぐるぐると巻かれていた。膝から下は、砂が吹き荒れていて絶えず、砂が泡を上げているようだった。
山頂を望むままの姿勢で立ち続けているその人は一言だけ声を発した。けれど、その声は風に吹かれていく。
頭部の布が捲れ掛かっている。砂丘を後にして平原へ移る矢先に風の向きが変わってもその人は砂丘の先の山々を見据え続けた。そして今に至る。
立ち尽くし、そのまま砂嵐が過ぎていく。そうしてこれまで強い風によって、言うなれば風に支えられれことで一時の形が定まっていた厚布の寄れから、溜まっていた砂が水のように注ぎ落ちていく。
したたる。
頭部の布が砂の重みに吊られて引かれて、砂に埋もれつつある平原の草の上へ砂を零しながら幾度となく山折谷折り重ねをした布のあとから一呼吸の間を置いて遅れて落ちた。
砂を乗せた布が地面から伸びているようにひらひらとはためく。
全体としてみたならば砂丘や道や居住区域を除く地面の表の7割を緑に覆われ外周を連峰に囲まれさらにその内側でも六つの丘に挟まれる、盆地。そのなかでもこの場所、布を巻きつけた人が居る平原の一画は、下草の生えた砂浜みたいなありさまだった。
「いつかは、この町と僕は変わらないと……」
「ライン、もしそのとき君が側にいてくれたら……僕は……領主として、きっと迷いなく決心をつけられるのに……」
言葉が風に乗り間もなくして平原本来の清らかな風が吹いて、砂に埋もれたところから下草が顔を出す。灰が降り頻る天が晴れ、太陽の光は雲間を抜けて、光の柱となって、平原の至る箇所へと日差しが幾つも射し込む。布を巻きつけていたフィーニスの近くの地面では、日の光を浴びて、うっすらと青白く光る箇所が無数にあった。雲間が変わるたびに照らされたフィーニスの周囲が青白い光の反射光を幽かに帯びた。フィーニスの後方では風により白い砂が扇型に低地から山の方へとすーっとめくられていく。そしてそれは扇の形に広がりをみせる。まるで白く光る砂のカーテンが、鳥が空をなめらかに滑空するような速度で、フィーニスを追い越していく。それは風に流れる大きな雲の下にある雲間と晴れ間の境目のように、砂地から草地へと砂嵐の侵食が際奥から地続きに順々に。
その後には、既に頭部はほぼ巻いた布も落ちたフィーニスへと白い砂の小雨が落ちるなか、木目の溝には白い砂利が詰まり、全体的にも砂がまみれた刺突槍のように細く、しかし稽古刀と見間違うほどなんの飾り気もない一振りの長杖が、フィーニスのすぐ隣に横たわっていた。
白砂のシェスタ