サクソフォーンと青い夏

プロローグ

夏独特のからっとした暑さが体に絡みつく。
グラウンドからは野球部の部活に励む声が聞こえ、鬱陶しいはずなのになぜか自分の周りだけ異常な静けさが漂っていた。
耳に入るのは煩い蝉の音ではなく、音楽室から響くサックスという楽器の綺麗な音色と前にいる少女からの通達。

「――――――ごめんなさい」

泣きそうな顔で頭を下げた少女はそのまま走り去った。

何でそんな泣きそうな顔するんだよ。
自分が悪い、みたいな顔で、泣きそうな声でそれだけ言って逃げるって、そんなのってあるかよ。

全面的に自分が悪いのに、彼女に対して逃げるなどという言葉を使って責め、勝手に腹を立てている自分が憎い。

毒気が抜かれるほど、赤い、赤い空を仰いだ。

「あーあ……………俺の夏、終わったな」


変わらず、耳に入ってくるのはサックスの音色。

やはり、なぜか蝉の声や部活に励む少年たちの声は聞こえなかった。


涙は出ない。
何となく予想はしていた。

「………………………………さて、帰るか」


高校一年生の夏、俺の淡い初恋は残念な結果で終わった。

けれど、なぜか心は晴れ晴れしていた。

第一話


学生ならばほとんどの生徒が待ちわびるであろう、夏休み。
それを前にして俺は初恋を実らせようとしたが、見事にフラれた。
・・・・・夏休み、何して過ごそうか・・・・・・・・

学校の机に突っ伏して、夏休みの計画を大雑把に練る。


俺が通う、県立北東高等学校は校則が緩いことで有名だ。
部活の所属無所属は自由、バイトもあり。
ブレザーを着用しているのならば下の服装は自由。
しかし、その分課題が進学校並みに多いことでも知られている。
けれどそのおかげで、偏差値はそこまで低くない。
服装はちゃらくても真面目な生徒が大半だ。
そんな校則に甘え、俺はどの部活にも所属していない。
正直、宿題だけでも手一杯なのに部活と両立なんて不可能だ。
バイトもしたいし。


一番上の兄は既に内定が決まっていて、その研修で夏いっぱいは家に戻れない。
姉も自分の夢を叶えるために猛勉強をしていて、遊べるという雰囲気ではない。
頭のいい弟も似たような感じだ。
母も父も共働きだから仕事が忙しく、暇が取れるのはお盆くらいだろう。
つまり、課題を済ませばやることがなく暇になる。
彼女ができれば少しはどうにかなるんだろうが、生憎、初恋の人にはフラれたばかりだ。
友人たちは部活に精を出している。
俺は所謂、オタクという人種ではないし、趣味は音楽鑑賞か本を読むことと寝ること。

音楽鑑賞は、飽き性が響いてしまったのかすぐに飽きてしまうし、本を読んでも速読が身についているからすぐに読み終わってしまう。
図書館へ行くのもいいが、これまた面倒くさがり屋という嫌な性質が出て、図書館まで行く動きが鈍い。
寝てもいいが、一日中寝て、食っての生活は不摂生だし、何より長時間寝たら起きた後がだるい。
やることなんもねぇじゃねぇか……………….

こういう時に、母と父から嫌な部分だけを引き継いだ自分が恨めしい。
飽き性、面倒くさがり屋、他にもあるがこれ以上上げるとキリがないくらいは両親の嫌な部分を引き継いだ。
バスケやサッカーに誘ってくれる友人もいるが、俺は偏頭痛持ちで、熱中症にもなりやすいため毎回、辞退している。


ノートをシャーペンで突きながら不毛なことを考える。
こうなったら一人でどこかへ遊びに行こうか、いやでも動くのめんどくさいし、でも暇だしやることないし



いつの間にか授業は終わっており、SHRまでの休み時間に行動する奴らが騒ぎ出す。
授業道具をしまい、けれどまた机に突っ伏す。
俺の、教室での評価はとにかく面倒くさがり屋の根暗だ。
確かに面倒くさがり屋だが根暗はないんじゃないか。
それより、夏休みだ。本当何しよう。

トントン、と肩が叩かれた。
顔を上げると数少ない友人がそこに立っていた。
いたずらっ子のような顔でニヤニヤしている。
腹立つな、こいつ…………..


小学校からの付き合いのそいつは、棚橋京谷。
小さい頃から吹奏楽をやっているらしく、中学校も高校も吹奏楽部員だ。

「やぁやぁ、裕也。何やら暇そうな顔をしているけれど、どうしたんだい?」
「うるせぇな………お前の言うほど暇じゃねぇよ」
「今は、だろ?」

一層、ニヤニヤしながら顔を近づけてきた京谷。

「お前、どうせ課題やったら夏休みは暇なんだろ?部活には入ってないし、彼女はいないし、家族は自分たちで手一杯で家族で遊びに行くなんて考えてなさそうだし、バイトはしたいけど小母さんからは許可は貰えないし、友達も少ないし」
「わかってんなら絡んでくんなよ……..どうせお前は吹奏楽で忙しいんだろ?」


ニヤァ、と京谷の顔が歪んだ。

「それなんだがな」
「あ?」
「お前、吹奏楽、やってみねぇか?」
「はぁ?」

素っ頓狂な声を上げた俺に構わず、京谷は「んじゃ、この後音楽室まで来いよ!」と言って自分の席へと戻った。
何なんだ、一体……………吹奏楽やってみねぇか、って……..



―――――――――――――――

この学校にある部活動は片手と半分で数えれる程、少ない。
所属が自由だから必然といなくなるのだろう。
けれど、数少ない部活の中でも吹奏楽部と野球部だけは真面目にやっている、と評価されている。

「吹奏楽部、ねぇ…………..」

行く気はなかった。
真面目にやっている、と評価はされているし、割とそれなりの成績も出しているから、ただでさえ、吹奏楽部の練習はキツイというイメージがあるのにそれが更に上乗せされる。
実際、他の皆は様々なバイトをバンバン入れているのに対して吹奏楽部の部員は部活の関係でそこまでバイトができていないらしいし。
けれど、先日のサックスの音色が頭に浮かび、自然と足が向いてしまった。

SHRが終わり、誰もいない四階。
音楽室の扉を前にして俺は固まっていた。
中からは楽しそうな笑い声や話し声が聞こえてくる。
友人の少ない俺は、何だか怖いような感情が出てきた。
本当に、入っていいのだろうか?入った瞬間、この笑い声や話し声は止んで、俺を無表情で見て無言で練習を始めるんじゃないだろうか。

なぜか、そんな被害妄想が心の中に広がった。

ガラッ

「あれ、裕也。何でそんなドアの前で突っ立ってんだよ」

突如、ドアが開いて俺の黒い思考をかき消した。
と、言うか吹っ飛んだ。

「きょ、京谷……………」
「マジで来てくれたのかよ。サンキュな」

笑いながら謎の礼をする後ろから、吹奏楽部員たちの視線が俺に刺さった。
けど、それは好意的な視線だった。

「京谷、その人が上原裕也さん?」
「そうっすよ、部長」

この学校では珍しく、キチッと制服を着ている部長さんらしい少年。
どっちかと言うとかっこいい部類の顔だ。
その部長さんの後ろから先輩と思わしき少女が顔を出した。

「わー、新入部員だ!やった!」
「えっ」
「こら、まだ決まったわけじゃないんだぞ」
「だって京谷君が行ったら来たんでしょ?この学校の生徒で、友達に言われたからって部活の見学に来る人なんていないよ」

部長さんに敬語で返してないってことは、やっぱり先輩なんだろう。
何となく顔立ちも大人っぽいし。

部長さんの言葉にそう返す先輩。
言ってることは強ち間違いじゃないけど……..でも来ただけで入部扱いなのはちょっとなぁ

「いや、別に入りたいとかそういうのじゃなくて、ただ興味があっただけで」
「興味出たのなら十分よ」

「ほらほら」、と先輩は京谷と部長さんを押しのけて俺を音楽室へと入れた。
京谷と部長さん、先輩を入れても十数人だろう吹奏楽部員たちが俺を見た。
その手には輝く楽器。
子供が吹く玩具のラッパとは違う、本格的なラッパや、丸い楽器、フルート、ドラムに木琴。
黒い楽器などがある中、俺の目に映ったのはとある楽器だった。
よく、ジャズの演奏で見る楽器だ。
似たような形なのにと四つの大きさがある。
二つの、ものは二人の生徒が持っているが、もう一つの大きいものと一番小さいものは誰にも使われてなさそうに、ポツンと机の上に置いてあった。

「一応、一通りの楽器は出しといたんだ。見るだけでもいいし、もし裕也が吹いてみたいって言ったら吹けるように準備もしてあるんだぞ。これはトランペットで、こっちがホルン。そいでこれが、俺の使ってるトロンボーンだ。あの黒いのはクラリネットで」
「あれは?」
「あれ?」

得意げに説明する京谷を遮って、聞く。
すると、微笑みながら小さいものを持った女子生徒が答えた。

「これはサックスって言うんだよ。正式名称はサクソフォーンだね」
「サックス………」

サックスならばその音色と名前だけは知っていた。
あの綺麗な音色を、この楽器が奏でていたのか。

「サックスに興味があんのか?なんなら吹いてみるか。色んな楽器の中でも比較的音が出しやすいものだしな」

「どれがいい?」、と聞きながら二人の女子生徒は自分たちが持っていた二つのサックスを机の上に置いた。

並べられた四つのサックス。
どれも傷や凹みがあるが、綺麗に見えた。

無意識に指していたのは一番大きなサクフォーン。

先程、答えてくれた少女とは別の子が笑いながら言った。

「おっ、バリサク選ぶとは目がいいねー」
「こら、茶化さないの」

仲の良さそうな二人はテキパキと行動した。
バリサク、と呼ばれた楽器の先に付いている黒いものを外して木の板を挟み、口に銜えた。
息を吹き込むと、プァーという不思議な、気の抜けるような音が鳴った。
うん、と頷いて満足そうな少女は自分が銜えた部分をタオルで拭き、俺に渡した。

「ここ持って、そうそう。で、先っちょだけ銜えて。それで、下唇をこんな風に、ふぉうやっへ、うん」

説明しながら、実際に手本を見せて教えてくれる。
見よう見まねで、俺は黒いものに息を吹き込んだ。

息を吹き込むと、抵抗感と共にブワァッという変な音が出た。
それを聞いた、吹奏楽部員全員が噴出した。
恥ずかしい。

「あはは。まぁ、最初はそんなのだよ。あまり強く吹き込まなくていいんだ。お腹に力入れて、ゆっくり吹き込む力を強めて行って?」

言う通りにしてみる。
すると、今度はプァッという音が鳴った。

「鳴った………..!」

ついつい嬉しそうな声を上げると、教えてくれていた少女が目を丸くする。
しかし、すぐに笑顔になった。

「そうそう!じゃあ、今度はこっちでやってみようか」

もう一人の少女がサックスから首のようなものを取り外し、教えてくれている少女に渡した。
渡された少女はそれを黒いものと繋ぎ合わせた。

「はい、さっきみたいにやってみて?」
「は、はい」

先程の間隔のように、息を吹き込んでみた。
すると、今度はさっきの音よりも野太い音が出た。

「おぉ、ネックでも出ちゃったか。じゃあ、本体つけようかな」


黒い紐のようなものを持ってきた少女はそれを俺にかけた。
ストラップを調整して、サックスを持ってきた。
受け取ろうとしたが、それは避けられる。

「これ、思ってる以上に重いから気を付けてね」
「わかりました…..」

俺に教えてくれている、ショートヘアーの少女がストラップにサックスを引っかけた。
ズシッとした重みが首にかかる。
た、確かにこれは重いな…….

もう一つの、そこまで小さくないサックスを持ってきたセミロングの少女がサックスを構えている。

「こんな風に、持ってみて」
「はい」

真似して、持ってみる。
同時にショートヘアーの少女が俺の指を持った。

「中指と人差し指、薬指でこの三つを押して。あ、これは押しちゃダメ」

白いボタンのようなものに指を乗せて、押してみる。

「うん。それで、吹いてみて。さっきやった二つよりも音は出にくいかもしれないけど、頑張って」

黒い部分を銜えて、息を吹き込んでみた。



ブォァッ、という音が響いた。
今思うと全然なってない音だった。
けれど、二人の女子生徒や、部長さん、京谷は笑顔で、俺自身もとても嬉しかった。
謎の達成感が全身を包んでいて、気付いたらバリサクを抱きしめていた。

「で、どうする?裕也」
「・・・・・・・入る。俺、吹奏楽部に入る」

数十分前まで考えていた、吹奏楽の練習はキツイだとか、夏休みはどうしよう、なんて思考は吹っ飛んでいた。
今、頭にあるのはバリサクを吹くことと、サックスについてもっと詳しく知りたい、ということだけだった。

サクソフォーンと青い夏

サクソフォーンと青い夏

長い夏休みを前に、初恋の相手に告白をした上原裕也だが、呆気なく振られてしまう。そんな彼の耳に響いていたのは、サックスという楽器の音色だけだった。 吹奏楽を通して変わる、少年の思考と感情。 同時に生まれる、新たな恋の蕾。 吹奏楽‐ブラスバンド‐を中心に、少年少女たちの長い夏が始まる。

  • 小説
  • 短編
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-25

CC BY-NC-ND
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CC BY-NC-ND
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