祈りのカメオ
見ず知らずの者からこのような文が送られてくるというのは、さぞ気味の悪いことでしょうが、貴女様の御心の広さを信じて、お許しいただけるようお願いいたします。こんなお話し、身内には出来ないのです。けれど、胸の内にしまっていくにしても、私にはそれは辛すぎるものです。敬愛する貴女様ならと見込んでのことでございます。
私の通っていた学校は、女子高ではございませんが、男子の数が非常に少なく、級のほんの一割ほどしかおりませんでした。私は男子というものが、幼き頃より苦手でしたので、それは幸いでございました。だから、もちろん男子と関わることもなく、お友達も女子ばかりです。特に仲の良い子は三名いまして、お名前を朝代(あさよ)さん、路子(みちこ)さん、明美(あけみ)さんと申します(全て本名にございます)。私はその仲良しさんの中でも、朝代さんが一等、大好きなのです。朝代さんは、級の変人さんでございます。なんせ、いつも男の子の読むような漫画をお読みになっていて、それに、なんだかちょっと、さっぱりしていると言うのでしょうか、さっぱりと言うより、あっさりかしら? まあ、そんなお方で、とても性格は女の子には思えないのです。私がその子と知り合ったのは、高校に入学してからなので、もう三年になります。私達は、この春に、ちょうど高校を卒業したばかりです。私達四人は、それぞれ別の進路を辿ることになっております。三年間、幸運なことに、朝代さんとは同じ級でした。朝代さんは、私の好(・)意(・)を、ご存じではないはずです。朝代さんには、お付き合いされている男性もいますし、私は一度も、私の気持ちを告げたことはございません。この先もないでしょう。
私が、彼女とお話しするようになったきっかけは、祖母の形見のペンダントでした。それは、入学したての四月の、体育の授業の後、教室で更衣をしているときでした。私の苗字は北野(きたの)で、朝代さんの苗字は上田(かみだ)とおっしゃりましたので、お席は前後でございました。私は、そのペンダントを、いつも身に着けているのですが、安価なものではありませんし、何より、校則で装飾品の使用は禁止されていましたので、制服の時は常にその下に忍ばせておりました。プラチナの細い波打ったのに、小さなダイヤを十ほど散りばめた縁の付いた、うっすらと紫がかった青に少し灰色を混ぜたような、夜明けの色をしたカメオのペンダントです。体育のある日は、その前に隠れて外しておいたのですが、その日は、シャツの下にあったので、すっかり忘れて、付けたままで授業を受けてしまったのです。それが、たまたま更衣の時に、シャツの上へと躍り出て、人目に触れることになったのでした。私はそれに気付いておりませんでしたが、ふと振り返った朝代さんの一言で、ハッとしました。
「わあ、すごい。綺麗なペンダントだね」
彼女はペンダントをご覧になって、こうおっしゃりました。そして、その焼けてか、生まれつきか、浅黒い、栗色の手を、つとそのペンダントに伸ばされて、それを手に取ると、愛らしい顔をお近づけになって、じっと見入られました。私は身動きができませんでした。一週間ほど同じ教室で、何度も目を合わせていましたけれど、それまで、私は朝代さんのことなど気に留めたことがありませんでした。けれど、こう、近くで見ると、肌はとっても綺麗ですし、瞳も大きくて、綺麗な二重で、とても美しい方でした。ただ、彼女にはお下げがお似合いにならなかったにで、そのせいで、遠目だと、あまり良くは見えなかったのでした。
「でも、不良だね」
朝代さんは、そう言って、唇をきゅっと釣り上げて、笑われました。なんだか、少し意地悪く見える笑みでした。どうやら、朝代さんに気に入っていただけたようで、それから少しずつ、お昼をご一緒したり、お出かけに行ったりするようになったのです。
彼女は個人主義の人でした。あまり人に自分のことをお話になることもありません。けれど、一緒にずっといると、彼女がぽつぽつと、時々お話になることから、少しずつ、彼女のことを知ることが出来ました。朝代さんのお家は、母子家庭で、妹さんがいらっしゃいます。お母様は働きに出ていらっしゃるようで、それが、朝代さんの逞しさの原因ではないかと思います。いつも学校が終わると、すぐお家に帰ってしまわれるのは、妹さんのためにお食事のご用意をしなければいけないからでした。私は、時々お手伝いをさせてもらって、一緒にお夕飯をいただくことがしばしばありました。私の家と、朝代さんのお家は、少し遠く離れていますので、泊まらせていただいたことも数回あります。私は朝代さんといられるだけで幸せでした。彼女は、よくうちにいらっしゃって、私の弟の漫画をお借りになって、お読みになったりなさいました。私はなにをするでもなく、それを見ているだけで、よかったのです。私は、彼女と仲のいい、彼女の中でも私は特に仲のいい友人であろうと自負しております。けれども、けれども、貴女様なら、お分かりになりますでしょう? 私がほしいのは、友愛ではないのです。私の中にある焔と、彼女のなかにあるのは、全く別物なのです!
この思いは、秘めていなければいけないものです。もし、朝代さんが私と同じ(・・)よう(・・)な(・)お人(・・)なら、そうではなかったでしょう。ならばせめて、誰の者にもならなければよい。ずっと私のお友達だけ(・・)で(・)いてくれたら……、そう、傲慢ながら、願ったこともございました。しかし、そんな願い、神様なんかに届くはずもありません。去年の残暑まだ厳しい九月のことです、学校が始まって、久々に見る級友達と夏休みの自慢話に花を咲かせていたころ、朝代さんは、私の耳元で、私だけに(これがどれほど残酷なことか、彼女が知ろうはずありません)、おっしゃったのです。
「ボーイフレンドが出来たの」
祖母の死を聞いたときに感じたような、血の引く感じがいたしました。周りの友の声が、一瞬遠くなりました。嗚呼、天変地異が起こったって構わないから、この言葉だけは聞きたくなかった! 私は無意識に、制服の上からペンダントを握ろうとしました。
「そう、おめでとう!」
私は取り繕った笑顔で、言いました。彼女は気恥かしそうに、お笑いになりました。そんな表情、それまで見たことがありませんでした。いつも男の子のような朝代さんが、普通の女の子に見えました。
朝代さんの、恋人に会ったことは、一度もございません。ただお名前と、お写真は拝見したことがございます。朝代さんの肩を抱いた、長身の、けれど垢抜けないその人を見たとき、(なぜこんな人が、朝代さんを)と嫉妬にかられました。なんだか、彼のせいで、朝代さんが遠くに行ってしまわれたように感ぜられて、私は、何度も寝台の上で泣きました。朝代さんの口から「彼」と言う言葉が出る度、私は自分が世界一不幸に思え、神にただ一人見放されたように思われるのでした。彼女の幸せを、一番に願うべきだと、分かっているのです。傲慢な嫉妬など、してはいけない。けれど、やはり、そのボーイフレンドが憎くて仕方ありませんでした。
その頃には、もうそれぞれ進路の希望も固まっていて、彼女と私が別の大学を目指しているのもわかっておりましたから、なおのこと、私は悲しかったのです。きっと、卒業してしまえば、私のことなんて、構ってはくれませんから。それでも、勉強に追われる日々は、私のそんな負の感情を綺麗さっぱり忘れさせてくれました。大学が決まるまでは、自分のことに一生懸命で、あまり朝代さんのことで落ち込むこともなかったのです。しかし、それは受験が終わるまででした。いざ、必死に一日中勉強する必要がなくなり、余裕が出来ると、卒業まで間がないことが、恐ろしく悲しく思え、もう気力もなく、どうしたらいいかもわからなくなりました。私は、どうにかして、卒業までに、けじめを付けたかったのです。そうは言っても、どうすればよいのか、全く思いつきませんでした。光陰矢の如し、と言いますが、まさにそれで、気付けば卒業式でした。
卒業式の後、記念撮影があり、その後は自由で、皆泣きながら、笑いながら友と語り、励まし合い、約束し、写真を撮り、各々で別れを惜しんでいました。私は仲の良い三人と、写真を撮って、アルバムにメッセージを書いてもらって、その後食事に行くことになっていました。明美さんが、私達一人一人と写真を撮ると言いだすと、他の皆も、それに倣って同じようにペア写真を撮り始めました。
「晶子、撮ろう」
朝代さんは、そうおっしゃって、ご自分のカメラをポケットからお出しになりました。私たちは、正門の脇にある、学校名と、校訓の彫られた大きな岩の前で、写真を撮ることにいたしました。櫻は、グラウンドを囲むようにあって、正門の方には古いもう咲かない櫻しかありませんでしたから、人はいませんでした。私は、彼女が何故そこで撮りたとっしゃったのかわかりません。でも、二人きりになれたのは、幸せでした。
「ペンダント、出したら? 付けてるんでしょう?」
私はその日、ペンダントを付けていませんでした。実は、古くなっていたチェーンが、今朝切れてしまって、仕方なく、カメオのペンダントトップだけ、ポケットに入れて持ってきていたのです。私は、ペンダントトップを手に出して、朝代さんにお見せした。
「チェーンが切れたの」
朝代さんは、ペンダントトップをお手に取られて、私をご覧になりました。そのお顔の悲しげなこと! 思えば、これは私達の友情の仲人のようなものであり、思い出の品だったのです。出逢いの日の記憶は、二人にとって大切なものでありました。それは、ごく短く、素っ気ないものであったとしても、あの時、何か通じ合ったものがあって、私達は、違う気持ちを胸に、惹かれあったのでした。それが、よりによって、今朝切れてしまうなんて。それは不吉の印でした。私達は、卒業の喜び、高揚した青春の気分から、深く暗い海の底へ沈められかのように、黙り込んでしまいました。死した櫻の木は、温かな花びらを降らせてくれず、木の陰の中で、吹き付ける風は、心なしか、冬の風の如く冷たく私達を包みました。
何かを思い出したかのように、お顔をぱっとお上げになったのは、朝代さんでした。彼女は、何やら両手を首の後ろにおやりになって、何かを私に差し出されました。それは、安っぽい、月の形をしたペンダントでした。彼女は飾りの部分を取り外されて、そのチェーンに、私のペンダントトップをお通しになられました。
「これ、彼に貰ったんだ」
朝代さんは、月の飾りをポケットへしまわれると、私の首に新しいチェーンを得たペンダントをお付けになりました。この瞬間が、私の人生で、一番幸福な時でした。朝代さんの冷たい手が、私の首に当たりました、目の悪い朝代さんは、ペンダントをお付けになるのにのに手こずられて、お顔を私の首にお近づけになりました。良くお見えにならなかったのでしょう。このままずっと付けられなかったらいいとさえ、思いました。
私達は、三枚、写真を撮りました。朝代さんは、私のペンダントを付けているのをご覧になって、
「やっぱり、素敵」
と微笑まれました。私の記憶が正しければ、朝代さんは、私以外とは個別で写真をお撮りにならなかったようです。少なくとも、私は彼女の特別な友だったのです。それだけで、幸せと思えない私は、いけない子でしょうか?
そのチェーンは、今も私の手元にあります。彼女が下さったからです。それは私の宝物です。今も、私の胸の上には、そのチェーンに通された、カメオのペンダントが、あります。毎朝、ペンダントを着ける度、私は朝代さんを思い出し、胸が苦しくなります。彼女が彼からのペンダントのチェーン(それは大切なものであったでしょう)を、私のためにくださったことへの優越感と、それが彼からのプレゼントであるという事実への嫉妬が、せめぎ合い、私の胸を騒がせるのです。私は、もう朝代さんに会いません。私はいつか彼女のことを忘れるやもしれません。新しい恋に落ちれば、彼女は過去の人となるのかもしれない。でも、私が今、彼女を好きであることは、紛れもない事実なのです。それが、永遠に彼女に伝わることがないことも。私は、時々悲しくて、寂しくて、死にたいとさえ思います。しかし、私が自ら命をたつことはないでしょう。私には出来ません。
北野 晶子
祈りのカメオ