夜の蝶

 「あれは蝶? 蛾なの?」
 彼女は訊いた。急にどうしたのかと思ったが、彼女を一瞥したら納得がいった。その視線の先には、はねを持った色んなムシ達が街灯の明かりを周回している。こんなコンクリートの街のどこからきたのか、不思議に思えるほどに。僕にはそのことの方に疑問を抱いたが、薄明かりに浮かぶ彼女の表情からは、一つだけを呈していた。
 「あれは蛾だろう」
 少し置いてから僕がこたえると、なんで分かるのと問いただしてきた。僕も昆虫については詳しくない。だからここは自然少ない都会だ、あるようにみえてもそれは人工的で、生き物は限られてくるということを前提に話した。
 「たいてい夜に飛ぶ、ああいったムシは蛾だよ。蝶は昼間のイメージだろ?」
 「あんなに鮮やかなのに?」
 彼女は目がいい。少なくとも僕よりは。ここからこの薄明かりでよくも見えるものだと、少しうらやましさを覚えた。確かに鮮やかに見える。往々にして、この島国の生き物は、地味だ。だから恐らく、あれは外来種なんだろうなと思いつつ、その旨と一緒に伝えた。
 「そもそも、柄が鮮やかなのは、蛾の方が多いと聞いたことがある。区別するには羽だけじゃ難しいんじゃないか?」
 「なんで街灯に集まってるの?」
 彼女は聞いていないかのように、まっすぐ前を見据えたまま質問をくり出した。まるで夜中にホタルをとりにいって、捕らえたと思っても何も入っていない、そして別の所で滔々と灯してくるような、そんな感触だった。
 「その鮮やかな色合いも、暗かったら反映されない。明かりがあっての色だ。人と同じだ。スポットライトも何もない所じゃ、着飾ったって意味がないだろ。濃淡しか分からない。だからじゃないか」
 僕は少し悪戯にこたえていた。しかし彼女は淡々に切り返す。
 「それだったら、昔はどうしてたの?」
 この問いに、僕は不確かで微かな情報を脳の隅から引っ張りだした。
 「満月がスポットライトの代わりになってなんじゃないか? 蛾とか夜行性の生き物に限らず、生き物全般にいえると思うけど。月に何らかの影響うけてるというしね」
 ここで初めて彼女は、ふ~んと鼻を鳴らした。そしてこう言い放った。
 「蝶とかの羽の色って、羽に色がついてるんじゃないんだよ。虹みたいに光の反射角で色をだしてるんだって」
 こっちを向いているせいで彼女の、得意げな微笑の半分は、陰影に包まれていた。そんなことを知ってることには驚いたが、しかし口調はいつも通りになっていたし、そのことにほっとして、僕ももう説明めいた口調がやめることができた。
 「俺より詳しいやんか」
 「それだけね」
彼女は笑みを浮かべたまま続けた。
 「だけどそれじゃあ、羽の張りがなくなったら、色合いにも陰りがでるんだよね?」
 陰影と相まってこの台詞に僕はやや戸惑ってしまったが、何を言わんとしているのか気づいて、いつもの口調でこう応えた。
 「それはメッキで着飾っている場合やろ。ホタルのように内から光らせとけば、心配いらんし」
 「私そんなホタルみたいに発光できないし」
 彼女らしくもない。やはり何かあったのかと訝る。けれど、無理に引き出しても仕方ないので、当たり前のことを言わざるを得なかった。目がよくない僕には。
 「人だからね」
 そして、まだ陰影を残している彼女に、添えるように付け足した。
 「ホタルじゃなくメッキだろうが、それが剥がれようが、そこから錆びても心がしっかりあれば、磨けばいつでも輝きは放たれるだろう。そこがネバーランドだよ」

夜の蝶

夜の蝶

夜の街灯に戯れる虫をみて、たずねる彼女。 蛾か蝶か。 そんなたわいもない会話から、自分の変化や魅力というものについて不安に思う彼女。 変わらない世界があるのかもしれないとネバーランドいう少しメルヘンに落とす僕。

  • 小説
  • 掌編
  • 青春
  • 恋愛
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-19

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