呪われた血なんてものが本当にあった頃の話
最近物騒な世の中なんで。
素質
人を殺すにはそれなりの覚悟がいる。それも一つじゃない。これからの人生を失う覚悟、全ての繋がりを断ち切る覚悟。人を捨てる覚悟。全てを捨てることで初めて本物の冷たい人間になれるんだ。
その素質が僕にはあった。まず僕の両親は札付きの犯罪者だ。父は5人殺して、母は14人も殺していた。母に関しては日本の歴史に残る凶悪犯罪者といっても過言ではないくらい悪人だ。
僕が7歳の頃、母はついに父を殺した。そして微笑みながら僕に言ったんだ。
「あなたはこの先どうしたい?生きたい?死にたい?」
あの頃の僕はこの問には答えられなくって、得体の知れない恐怖に、ただ震えるしかなかった。
「あなたは私たちの子供。あなたもいずれ人を殺めるわ。そのときにやっとわかるの。私の気持ちが。【殺すことってそういうこと】だって」
言い終わると、母は自分の首を包丁で何回も突き刺した。飛び散る鮮血が僕の顔と服を紅く染める。母は最後まで笑っていた。
「私と同じ」
それからしばらく時間が流れて、僕が20になる頃には、やっぱり人殺しになっていた。やはり血には逆らえないなと、初めて人殺しをやった高3の夏の日を思い出す。
別に殺人衝動があったわけじゃない。ただそいつが気に食わなかった。そして殺した。僕にとって人を殺すというのは、それほど高い敷居ではなかったんだ。
それからはとことん落ちていって、その死体がニュースになる頃には、いろんな街を転々と歩く放浪者になっていた。ある街はとても平和なとこで、警官もいないし、恨みも妬みもない。一切の負が消去されたここは、みんなが一つの街だった。
それから僕は違う街で人を殺しては、この街でみんなの幸せに酔いしれる日々を繰り返した。これが何になるのだろうと考える夜もあったけど、僕にはもう、こういう生き方しかできなかった。
今日も今から殺しに行く。普段から目をつけていた街だ。ここは僕が住む街とはほぼ正反対で、人殺しが夙夜行われている。そういうのの悪循環で、恨みと妬みと憎悪しかないんだと思う。
街に入るなり、風にのってほんのり血の匂いがした。いつか嗅いだノスタルジックなその匂いが僕の興奮をさらに高めた。少し歩くと、黒装束を身に纏った女がふらふらと歩いていた。何もしなくても、もうすぐ死んでしまいそうな後ろ姿がこの街にぴったりで、今日はこの子を殺そうと決めた。慣れた手つきでナイフを回して、真っ黒いパーカーのフードを深くかぶって、細く弱そうな背中に殺気を向ける。だが殺しは失敗に終わった。振り返った女が放った殺気に気圧されたからだ。
正面を向いた女の顔はあまり見えなかったが、鼻に付くほど濃ゆい血の匂いを発していて、いろんな血が混じったその匂いが、僕を嘔吐させ、それとほぼ同時に、ナイフが太ももに突き刺された。
「あれ」
女はナイフを引き抜いて、後ろに歩きながらケタケタと笑った。
「あなたは…私と同じか」
そう言って、闇の中に消えていった。
本城千乃美
どこかの部屋で目が覚めた。あれから気を失った僕を誰かが運んでくれたらしい。
足にはきちっと手当が施してあって意識して動かすとゾクゾク疼いて、痛みと恐怖がぶり返す。僕は初めて殺される側の恐怖を知った。
「目…覚めました?」
透き通るような声の主がいつの間にか椅子に座っていた。中性的で、男なのか女なのかわからない主は、顔や腕、肌の露出している部分大半に、縫合痕があった。
「相当深く刺されてましたね…縫うの大変でした」
「そっか。手当ありがとう。あなたは…この街の住民?」
「そうですよ」
「その傷は…」
「これは全部街の人に付けられたんです」
古傷をさすりながら主はいった。
「大変だな。街に入るなり殺されかけるような街に住んでるとは」
嫌味満点の文句だ。
「ハハハ…そうですね。でも意外といい街なんですよ?ルールを守ってさえいれば、何も危害はありません」
「じゃあ…ルールを守ってないからそんなに傷だらけってことか」
「はい…。でも守れないルールを作ったこの街が悪いんです」
「どんなルールなの?」
「単純なのですが、《人を殺したことがある、もしくは殺す予定がある。もしくは、特殊な殺意を持っている者のみ、移住を許す》です」
“特殊な殺意を持っている”
それがなぜか引っかかった。
「《特殊な殺意を持っている》という理由でこの街にいる人間が何人いるかわかる?」
「はい。一人しかいません。むしろ“その人”が来てから、このルールが追加されたんです」
「名前は?」
「“本城千乃美”」
本城…。“ほんじょうちのみ”か。
おそらく俺をやったのはそいつだ。血の匂いになれたはずの俺を、血の匂いで嘔吐させ、骨と肉の間を的確に刺した相当な殺人鬼。
「ここまで危険なのに、なぜこの街に残るんだ?そんな傷を負ってまで」
相変わらず古傷をさする主は、質問に質問を重ねてきた。
「あなたは人を殺したことがありますか?」
答えに迷ってたじろぐ。ここで僕が人を殺したことがあるといえば、この人は僕をどうするんだろう。…殺されるのかな。
「ないよ。そもそもそんな顔にみえる?僕の顔」
ニコッと精一杯の笑顔を作る。
「みえないですけど、綺麗に笑えてないですよ?」
鏡を見てみたが本当だ。これが笑顔かと言われると、目を疑うほどに頬が引きつっている。
「あなたは千乃美ちゃんと同じ匂いがする。いろんな人を見てきたけど、あなたも千乃美ちゃんも、普通の人とはちょっと違う目をしてる気がする。穴が空いてるような冷たくて黒い目をしてる…そんな感じ」
きっとそれは、みんなが普段隠している汚れた部分なんだ。倫理に反するとか、法律がどうこうとか、そういう鎖に縛られてて、普段は表に出ない負の部分。
「ちょっと言い過ぎだよ。僕がもし人殺しで、自由に動けてたら殺されちゃうよ?」
言い終わると同時に、僕の首元数センチ前で、日本刀がピタッと止まった。あまりの出来事に反応が遅れる。
「立場をわきまえてください。私はあくまでもこの街の住民。そして、あなたの主導権は私にあります。一人で歩けるようになるまでは匿ってあげますから、どうかおとなしくしててください」
刀を鞘に収めながら主は言った。どこから出したんだろうか。
この一連の動作、言葉で、いろんな疑問が思い浮かんだ。ここまでの動きができるのになぜこれほど傷があるのか、俺を匿う意味、本城千乃美という存在。いろんなことを一度に処理する事が苦手な僕はひとまず寝ることにした。どうにでもなれ。ここまで来たんだ。何も怖くない。そんなことを考えながら。
開演
一ヶ月後の朝。足は相変わらず痛いが、歩けなくはない。毎日の治療が的確なお陰なのか、傷の治りも思った以上に早かった。
「あと10日ほどは安静にしといてください。後々に響きますから」
「あぁ。本当にありがとう。もしも主が助けてくれなかったら、あのまま死んでいたよ」
そう言いながらも、安静にする気などさらさらない。僕が考えていたのは、主を殺すことだった。やはり僕は母の残虐な血を色濃く引き継いだみたいで、その残忍さは
母以上だ。だけど主を殺すにはまず、殺気を立たなければいけない。おそらく主はただ者じゃないし、こんな街に住んでて生きている時点でそれはたぶん、間違ってはないだろう。もしも僕の殺そうという意思が主に悟られれば、僕の方が殺されてしまう事もあり得る。そこで僕は主にこんな提案をしてみた。
「しばらくでいいんだ。残りの10日でもいい。俺と喧嘩してくれないか?」
主はしばらくの間キョトンとした顔で僕を見ていた。
それから自分でも驚くほど話が進んで、20日後の朝からは、毎日喧嘩するようになっていた。
僕は近くに落ちていた棒を拾って主に投げる。主はそれを一回転して取り、俺に手渡したついでにきつい蹴りをその棒目掛けて繰り出す。棒が割れた衝撃で少し怯んだ隙に、主が僕の視界から消えた。どこだと探す間も無く、僕の顎に強烈なアッパーが入る。が、食らうと同時に、その手を掴んで背負い投げる。
実力差は主が断然上。だけど一撃の重さは僕の方が上。
「ははっ。こんなに気持ちのいい喧嘩は久しぶりです」
口元の血を拭いながら、主が言った。
「僕もこんなに強い相手と喧嘩をするのは初めてです」
と、口に溜まった血を吐く。お互いボロボロになるまでやっては、翌朝にまた喧嘩をする。
「でも、あなたもひどいですね。命の恩人であるか弱い女の私に、喧嘩を申し込むなんて」
体勢を低くして駆け寄りながら主が言った。
「か弱い女は、か強い男とここまで対等に喧嘩はできないと思うよ」
近づいてくる主の顔に上段蹴りをかます。しかしそれは寸前で避けられ、軸足をとられた僕は無様に転ばされ、それと同時に、小さい拳の突きが、顔面寸前でピタッと止まった。
「20勝0敗。今日も私の勝ちですね」
ニコッと笑う笑顔が、僕にも移る。
「今更ですが」と、主が続ける。
「なぜ喧嘩なんですか?」
うーんと考える。
『君を殺すための腕試だよ』
なんて、いえるわけもなく。
「僕がやられたのはたぶん、本城千乃美だ。僕は奴を殺したい」
「殺すって…あなたはまだ人を殺したことないんじゃないの…?」
ここで本当のことを言えばいいのか、まだ嘘を重ねるべきか。僕はちょっと迷ったけど、やはり主には隠さなければいけないと思った。
「ないよ。仮にも僕はナイフで刺された被害者だ。恨みを抱いたってしょうがない。そうさせたのはこの街と本城千乃美だ」
「そうだけど…。絶対に死なないでね。約束して」
その後に主はぼそぼそっと何か言ったが、僕には聞こえなかった。
「もちろん。僕だってそんなに弱くないでしょ?」
「ううん。激弱」
といって、主は笑った。
僕もそれにつられて少し笑う。
「今までありがとう。傷の治療代とか、ご飯とか、今までお世話になった借りは、いつか返すから」
「いいよそんなの。だからまた喧嘩しに来てね?待ってる」
「うん。本当にありがとう。またね」
「またね」
千乃美を殺した後に、また来よう。
僕がもう少し深く、冷たいとこまで落ちて、主を殺せるようになる日が来たときに。
街に出た僕は今まで以上に殺しを楽しむようになっていた。夜になったら殺人鬼狩りを始める。殺している奴らを逆に殺してやるのだ。
しかも主との喧嘩で得た体術も相手によっては試す。相手の動きをしっかりと見て、動きを予測し、カウンターを打ち込む。決まった時の爽快感は、殺し以上に僕を興奮させた。
だけど、喧嘩が好きになったというわけじゃない。いっその事そうなってほしいとは思うけど、僕の中の血は、殺すまでがゴールだと、相変わらず僕に囁いてくる。
そんなことを続けているうちに、僕はこの街で有名になっていた。
『全身黒ずくめの男が殺人鬼狩りをしているとの目撃情報多々。本城千乃美を彷彿とさせるその男。殺害し、首を掲げたものには賞金が…』
と、ボロボロの掲示板に張り紙がされるようにもなり、僕を殺しにくる相手はどんどん増えてきた。その度に僕は少し強くなって、残忍になって、人外じみていった。
髪の毛も伸びに伸びた20の夏。僕はついに“奴”と出会った。
時間は深夜。鼓膜が破れてしまったのかと疑うほど静かな街の闇から、ゆらりゆらりと現れた黒装束。
「…本城千乃美だな」
返答が返ってくる前に、両袖から落ちてきた血だらけのナイフを慣れた手つきで握りしめ、僕に向けて駆け出してきた。
僕の中の血が雄叫びをあげる。待ちに待った殺しの舞台が始まった。
はずれ
対両手ナイフのときは、全神経を相手の両手に向け、攻撃を全て躱すことに最善を尽くす。左振り、右突き、そのまま右振り、さらに回転して右振り、回転を利用しての左突き、左振り。振りも突きもかなりトリッキーだけど、避けれなくはない。僕も隙をみて攻撃するが、軽くはいる程度で、ダメージにはなっていない。
「知りたい?」
攻撃の最中に突然、千乃美が口を開いた。少し動揺したが攻撃の手は止めないで、次の隙で決めれるように全神経を集中させる。
「何をだよ」
と、蹴りのフェイントに引っかかった千乃美の手を、俺のナイフが切り裂いた。ダラっと血が流れて、一瞬怯んだ千乃美の顔面に、渾身の蹴りがはいる。そのまま倒れ状にマウントをとって、腕を地面に抑えつける。
ふぅっと息を整え、言った。
「知りたいって何の事を?」
「…私が本当に、本城千乃美かってこと」
腕からはかなりの血が流れてるが、千乃美は痛がる様子はなく、息一つ崩さず答えた。
「…どういう事だ?」
「そのままの意味だよー」
鼻で笑って続ける。
「おかしいじゃん?まず私は、あなたに自己紹介してないでしょ?なのにあなたは、私の事を“本城千乃美”だって勝手に思い込んでる」
ね?っとフード越しに首をかしげる。顔は黒塗りにされてるのか、ただ見えないだけなのか、まるでわからない。でも声は確かに女だ。
「だけど声は女。その残忍性、速さ、殺意、どれを取っても本城──」
ここで僕の声は止まった。考えてみれば確かにおかしい。どの特徴をあてはめてもこの女は本城千乃美と一致する。だけど、この子が本城千乃美だという証明は、確かにできない。
「まずあなたは、“本城千乃美”という人物がどんな人なのか分かってない」
追い打ちをかけるように、千乃美が言った。
「…黒装束の大量殺人者。誰にでも向ける特殊な殺意をもっている。違う?」
僕が言うと、高笑いをして千乃美は言った。
「はずれ」
言い終わると同時に、僕の右脇腹を千乃美の蹴りが捉える。緩んだ僕の手を振りほどき、左腕の血を顔面に飛ばして目眩まし、僕の拘束を解いて、距離をとった。
「何がはずれなんだ」
蹴られた部分を触ると、軽く出血していた。靴に何か仕込んであったらしい。
「ぜーんぶはずれだよ」
と言って、間合いを一瞬で詰める蹴りが僕の体を少し飛ばした。そのまま馬乗りになって、両掌にナイフを刺されて拘束される。痛み叫ぶ僕の口を千乃美の手が塞ぎ、しーっと人差し指を鼻の前に翳すと、ポタポタと少しずつ僕の顔面に生暖かい血が垂れてきた。
「五月蝿いなぁ。君もわかった?殺される側の気持ち」
フードを取って笑った千乃美の顔は、殺人鬼とは思えないほど整っていた。その時ビリっと、頭に電流が走った気がした。気のせいだろうか。
「可愛くてびっくりしたでしょ?」
ケラケラと笑いながら、新しいナイフを腰からとって、僕の胸に当てた。
「私の名前は、本城尼音。本城千乃美の妹だよん」
束の間の幸福
目が覚めたのは朝だった。あれからどうなったのかは覚えてないが、僕は負けた。負けたというのはちょっと違うかもしれないけど、もしあのまま胸を刺されていたら死んでいた。でもこうして目が覚めた以上、殺されてはいないらしい。
誰がやったか分からないけど、僕が受けた傷は綺麗に手当てされていた。やっぱり一番の傷は手だ。何かに触れただけで酷く痛む。
だけどこの痛みが、どこか心地よかった。まだ生きてるんだなって実感できるのと同時に、何故生きているんだろうとも考えさせる。
それはきっと“殺すこと”
もしかすると、母の言っていた事は、こういうことなのかもしれない。今の僕にはまだうまく説明できないけど。
とりあえず僕は街を離れて、幸せの街に戻った。ここでは安心して眠れるし、街の人も優しいし、何より僕があまり感じたことのない“幸せ”を感じることができる。
病院に向かうと、医者はだいぶ驚いていたが、消毒液と包帯だけ変えて貰えばいいというと、快く承諾してくれた。
「でも…どうしたんですか?こんな刺し傷みたいな…。私初めて見ましたよ」
刺されたんですよ。なんて言ったら、相当びっくりするんだろうな。この街の人は、刃物を人に使うなんてありえないってぐらい平和ボケしてるからね。
「木登りをしていたらナイフのような木があってですね。それに刺さったんですよ」
「両手をですか…?!それはそれは…さぞ痛かったことでしょう」
と、医者は驚いて苦笑した。
「この街は本当に平和ですね。違う街からここに来ると改めて思います。お医者さんは他の街に行ったことはないんですか?」
「僕はこの街の出身だからねー…生涯をこの街で過ごす予定だよ。他の街は物騒な噂しか聞かないからね」
それがおそらく正解なのだろう。この街の人が一度ここを出れば、発狂して狂ってしまうに違いない。
「治療ありがとうございました。本当に助かりました」
「いえいえ、色々足りなくなったらまた来てください。お待ちしております」
はい、と薬箱をもって僕は病院を後にした。
幸せの街は、どこか暖かい。きっと秋でも冬でもこんな感じなんだろう。
繁華街は柔らかな活気があって、笑顔であふれている。逆に不自然なぐらいだ。しかめ面、不安顔、そういう負すら微塵もないもんだから、そのうち疑問に思い始める。
《なぜここまで平和なのだろうか》
これにはきっと裏も闇もあるはずなんだ。とんでもなくドス黒い裏闇が。ま、僕の勝手な想像だけどね。
「あれ?あなたは…」
透き通るような声が後ろから聞こえた。それはもう振り向いて確認するまでもない。主だ。
「あれ…なんでこの街に?」
僕が言うと、ふふっと、主は笑った。
「私がこの街に来たらいけない理由がありますか?」
「ない…ですね。確かに」
髪を下ろした白いローブの主は、あのときの主とは比べものにならないほど美人で、見惚れていると、何ですか?と首を傾げた。
「主は…以外と美人だったんですね」
「あはは…今更ですね」
と、ふたりで笑った。
それから繁華街で買い物をすませて、宿がないと主に嘆いたら、「なら…またしばらくうちに泊めてあげます。次は匿うではありません。泊めるです」と言っていた。
本当に嬉しかったし、この人がどこまでもいい人なんだなっていうことを再確認できた。そしていつの間にか“この人を殺す”という感情はほとんど消えていた。その代わりに、ずっと一緒にいたいなって思い始めたんだ。きっとこの街のせいだな。僕もいよいよおかしくなってきたわけだ。
誰かの声
主と一緒に暮らすようになって3ヶ月。僕は自然とこの人に惚れていた。人を好きになるという感情を覚えたらしい。よくやっていた手合わせも、完膚なきまでに負け越している。
今日も中々の一撃を脇腹に貰って、負けた。
「最近のあなたはどうも弱っちいですね。まるで相手にならないし、どこか上の空だし、何か考え事ですか?」
「そうだねぇ…何を考えてるんだろうか。自分でもわかんないけも、たぶん迷ってるのかな」
「何をですか?」
“自分がこれから先どうしたいか”だろうね。たぶん。
今更になるけど、僕は今まで散々人殺しをしてきた。その罪が許されることはない。だから僕はその人たちの分を償うために死ぬべきなんだ。
「考え事ですか?」
お茶を僕に差し出して笑う主。
「そう。考え事」
お茶を飲んだが、あまりの熱さに少し戻した。それを見て笑う主。
「そんなに急がなくてもお茶は逃げませんよ?」
“…こうじゃないでしょ?”
主の言葉が終わるか終わらないかぐらいで、僕の中のどこかで声が響いた。
“…殺しなさい…殺しなさい”
殺さない。僕はもう殺しはしない。
“嘘よ。あなたは殺すわ。今までだってそうしてきたじゃない”
確かにそうだ。でも僕には主がいる。主のためにも僕は殺しをやめる。主を殺さないために。
“戯言よ。あなた、まだわからないの?”
何が分からないんだよ。
“あなたは元から人殺しなんかしたくないのよ”
何を言ってるんだこいつは。僕は心の耳を塞ぐ。知ってはいけないことを聞かされるのを嫌がるように。
“あなたは──”
うるさい。
“ほ──”
「やめろ!」
僕は怒鳴って、机の上にあった湯のみを壁に向かってぶん投げた。それはタンスに当たり激しい音を立てて割れ、辺りに欠片を散らした。
ハッと僕は我にかえって主を見た。僕を見て怯える主の顔が目に映った数秒後、僕のうなじに強い衝撃が走る。途切れかけた意識を必死につなぎとめて後ろを振り返ると、驚いた顔の本城尼音が大きな瞳で僕を見ていた。
「へぇ…。あれで意識とばないんだ。流石だね」
ニヤリと笑いながら回し蹴りを僕に繰り出す。しかしその蹴りは僕の顔ギリギリで止まった。主が後ろから足を絡めて止めたんだ。
「あれ?あなたは確か──」
尼音がそこまで発したところで、右斜め上から左斜め下に繰り出された綺麗な弧を描く主の蹴りが、尼音をぶっ飛ばした。
「逃げて…」
「何言ってるんですか!主が勝てるような──」
「いいから逃げなさい!」
こっちを振り返った主の目は、ひどく充血していて、憎悪と殺気がこもった殺人者の目にすごく似ていた。
「あなたに死なれたらわた──」
ぐちゃっと、新鮮な肉を突き刺したような音がした。しかしそれは突き刺したようなではなく、しっかりと突き刺された音だった。主の背中から突き出たナイフがそれを物語る。
大量の血を吐く主を見て、僕の中の“誰か”がまた声をかけてきた。
“舞台は整ったわ…”
僕の意識が何かに染まっていく。血液の中に僕じゃない誰かの血が巡る。
一呼吸置いて、“誰か”は言った。
“いくわよ…。ちのみちゃん”
終焉
それからどれくらいの時間が経ったのかわからないが、辺りはすっかり暗くなっていて、さっきまでの狂気の音が、嘘のように静まりかえっていた。濃ゆい血の匂いが辺りに漂っていた。その匂いを辿っていくと、体のあちこちから血を流し息を切らせた尼音がいた。
「久しぶりだなぁ…こんなに死にかけてるの…」
ぺっと血を吐いて笑う尼音。
「なんでここまで来た。なんで僕たちを殺そうとした」
「君が私を煽ったからでしょ。私は本城の血を引いた殺人鬼だよ?殺し損ねた相手は死んでも殺す」
「…違うだろ」
僕は目をつぶった。
「もう良いんだ。弥生」
「え…」驚いた顔をする弥生。
「…私のことが分かるの?」
「なぜかは分からない。けど、弥生のことも、頭の声も全部わかった。ゆっくりと話そうか」
僕は息を整えて話し出す。
「本城という姓は、形だけ。重要なのは“血”なんだよ。本城の血は殺しの血。僕の親はまさにそれだった。母親の旧姓は本城。母もまた血に抗いながら血に飲まれたいい人だった。そんな母の血を継いで生まれてきたのが僕、本城雅也」
ここで少し笑ってしまった。まるでなかった記憶を思い出すかのように話している自分が可笑しくなったんだ。
不気味に笑う僕を見て怯える弥生。
「ま、それは母の話だね。次に弥生。君は再婚した父の連れ子。幼くして離れたから最初はわからなかったけど、“この体”になってなんとなくわかった」
そこまで言い終えた時に弥生が少しだけ動いた。
「…」
僕は一瞬で弥生の目の前に移動して、左の掌にナイフを突き刺して、そのまま地面と手を固定した。
「…っっっっ!!…ァアアアア…!」
金切り声をあげる弥生の口を塞ぐ。下から掴みにきた右手は、手首を素早く折って、同じようにナイフで固定した。
「あー…その、今はあんまり動かない方がいいよ。もう多分、今までの僕じゃなくて、本城の血に動かされてて、コントロール出来ない体になってるから」
口から手を離す。
「はっっ…‼︎…あああぁあぁぁ…」
弥生の意識はギリギリで繋がれていた。やはり父の血も伊達ではない。本城と唯一関係を持てる呪われた血。“笠舞家”の血をひいているだけある。
「弥生。教えてくれよ。なんで本城尼音なんて意味わかんない名前名乗ってたんだ?」
意識を整えてギロッとこちらを睨む弥生の目には、俺への殺意が恐ろしいほど込められていたが、今の僕にとってはぬるい。
「私は…あなたの母に憧れていた。色濃く千乃美の血を継いでいた本城楓に。芸術とまで言われた純粋な狂気に」
ペッと、血を吐いて続ける。
「笠舞家の“呪い初め人”である笠舞天の血を色濃く継いだ私は、どうにかしてその狂気に近づこうとした。でも無理だった。ただ人を殺すだけの日々に飽き飽きしていた。そんなとき──」
「僕が目の前に現れた。あたり?」
弥生はゆっくりと頷いた。
「私はすぐに雅也だってわかったよ?父が殺されてから離れ離れになった私たちだけど、匂いが教えてくれたの。本城家の匂いが…」
クックッと笑う弥生。
「ねぇ…どうやって殺すの…?私のこと。教えてよ…」
弥生の目は半分上向きで、すでに気が狂いかけているようだった。恐らくもう、長くはないだろう。
「それはわからない。私は…いや、僕の体はもう自分のものじゃないみたいなんだ。血に抗うんじゃなく、血に従い、血に体を動かされ、そのうちこの体は、千乃美に奪われる。そうなればもう…私…僕…あ、あ、僕わ、わ、、わ、わ、たし、、わたし──」
僕の体がゆっくりと体温を上げ始める。味わったことのない興奮が僕の体を支配する。謎の声が脳内で囁く。
“ほら…早く…。早く体を頂戴…早く…早く…!”
そうか。この声は本城千乃美だったんだ。今の僕なら、簡単に体を差し出してしまうだろう。殺戮。殺戮。殺戮。その言葉だけが脳内をぐるぐると回っていた。
「あなたは…そんな弱い人じゃないでしょ?」
暗闇から声がした。ぼくの中の本城千乃美じゃない、ぼくのそばにいたもっとみじかな声。
「悪いのは…。ううん。そろそろいいよね」
背後から近づいてくる声。ぼくがゆっくりと振り返ると、血だらけの主がいた。
「私たちの呪いを解きましょう。ここで…終わりにしましょう」
主がゆっくりと目を閉じる。
「おいで。笠舞天」
目を開いた主の目は赤く充血していた。纏っている雰囲気も主のものとは違う。
呆気にとられている間も無く、飛んできた拳が僕の頬を捉える。
壁にぶっ飛ばされた僕は意識を失った。
繋がった記憶
太陽の光で目が覚めた。ここは…どこだろう。
どこまでも続く青空の下、少し広めの公園で数人の子供が遊んでいる。遊具で遊んでいる子が大半だが、少し離れた芝生でゴロゴロしている子供がいた。麦わら帽子に白のワンピースを着た女性がベンチからその光景を見守っている。
「覚えてる?この公園」
どこからともなく現れた主が僕の隣に座る。
「あれ…?えっと──」
「ここは多分、私とあなたの過去の記憶。あなたはまだ小さかったから、覚えてないよね?」
そう言って微笑む主の顔はとても穏やかだった。
「いや、それよりもどうなってるんですか?僕は千乃美に体を乗っ取られて、主から殴られて…あれ?」
「私もよく分かりません。でも、せっかくだからいろいろ話しちゃいましょうよ。何から聞きたいですか?」
「何があるんですか?」
「なんでもありますよ?」
「確かに。主は最初から謎だらけだった」
「最初…。どこですか?あなたが私に出会った最初は」
「治療してくれた時ですよね?僕が弥生にやられて…」
すると主はニコッと笑った。
「ハズレです」
そう言って、公園の子供達を指差した。
「花柄のワンピースを着たセミロングの女の子がいるでしょ?」
その女の子は、元気よく駆け回っていた。
「あの子が、私。そして…」
女の子は何かを見つけたらしく、芝生の方に走っていって、ゴロゴロしている子に話しかけている。
「あれが、あなたよ」
そう言われた瞬間、この光景が何なのか僕も思い出した。
10数年前。この公園は、本城家と笠舞家が唯一陽の下で遊べた公園だった。一般の人はおらず、存在を知るのは、呪われた血を持つ家系と、裏社会に生きる人たちのみ。何も知らない子供達はここで遊び、大人たちは出会いを求めた。
僕が初めて主にあったのは4歳の夏。芝生でゴロゴロしていた僕に声をかけてくれた女の子が、主だ。
あの頃の僕らは、血のことなんかしらない純粋な子どもだった。いろんな遊びをして、時には喧嘩した。僕の初恋はたぶん、主だ。
「思い出したんだ」
主が僕に言った。
「うん。全部思い出した」
「すごいよね。こんな小さい頃から私は雅也のことを知ってたの」
雅也。僕の名だ。
「助けてくれたのも、いろんなわがままを聞いてくれたのも、僕の事を覚えてたから?」
「うん。それも、ある」
主は『それ』のところを強く強調していった。
「じゃあ…本当の目的は?なに?」
「それはね…?」
主が僕の方をみる。穏やかな目だ。太陽光で滲む緑の草花、綺麗な花達が踊る幸せの背景に、その姿が重る。
「この呪いを断ち切ってから話しましょう」
優しい声が耳元で聞こえると同時に、さっきの風景は、ガラスのように粉々に割れた。
気がつくと街の真ん中に立っていた。正面には笠舞天に体を預けた主が立っている。お互いに一歩も動かず、臨戦体勢でお互いの出方を伺っている状態だ。
今の僕はどっちなんだろう。千乃美なのか、僕なのか。血に聞いてみても返事はない。
「主…いや。麻理」
僕は主の名前を呼んだ。
「……なに?」
今にも泣き出しそうな声で麻理は答えた。
「意外にも意識はあるんだね」
僕もそうだ。おそらく今僕の体を動かしてるのは僕であり、千乃美でもあると思う。
一歩、踏み出してみる。体が軽い。今ならどこまでも飛んでいけそうだ。
そのまま意識の波に沿って麻理の目の前に一瞬で移動する。
ハッと、麻理が気付いたときにはもう遅く、僕の拳が麻理の顔面を殴っていた。
ぶっ飛ぶ麻理。それに追いつくように後ろに回りこんで羽交い締めにする。しかし麻理の肘打ちが右胸をとらえる。バキバキという音がして、あばらの骨が折れたんだと認識する前に裏拳を背中に当てようとするが、かわされる。右左の拳の連打。足。頭。
使える場所を全て使った攻防がしばらく続く。そのとき、麻理の口が動いた。
「…あ……ま……」
うまく声を出せないのか、何を言おうとしているのかは分からない。それと同時に、麻理の動きが少しずつ鈍っていく。僕の拳が麻理の顔面に入る。膝があばらを折る。肘が頭を割る。麻理の体から血が吹き出す。いろんな方向に体が曲がって、麻理はその場に倒れこんだ。
綺麗だったその体を見下ろす。
「あ、、あ、、あ、あ、、」
「麻里…ごめんな──」
グサッと後ろからナイフを刺される。二本のナイフが背中から腹に貫通していた。後ろを見ると、弥生がいた。その目は主のように赤く、綺麗な瞳だった。
「ここに来て覚醒したのか…辛かったな…弥生」
一瞬でナイフを引き抜いて、弥生の首を飛ばす。ごろんごろんと弥生の首が足元に転がった。胴体から吹き出た血が、僕を赤く染める。
「懐かしいなぁ…。最初にこんな血を浴びたのは、母の血だった」
麻里の後ろにゆっくりと近づく。
「たぶん、あの当時から意識はあった。僕も母みたいになるんだろうなってね。ならないようにはしてきたつもりだったんだけどなぁ」
ぎゅっと麻里の背中を抱く。
「まさや…」
「もういいよ。麻里。でも身体は天に預けてて。意識を麻里に戻したら、麻里は痛みで死んじゃうと思うから」
「も、もう戻したよ…」
ふふっと麻里がいつもみたいに笑う。
「すごいね…車に跳ねられたみたいなゲガしてるのに…痛くない?」
「ううん…すごく痛い…」
「だよね。でももう少しで終わるから。あともう少しだけ話していい?」
「いいよ…」
「僕はさ…公園で遊んでた時から麻里が好きだったんだ。最近思い出したよ。僕は人を好きになれるんだって」
ね?っと、笑った。
「私もね…雅也が好きだった…。私にはずっと記憶があったから、弥生ちゃんに殺されかけてたあの時も、私が助けたの…」
「やっぱりそうだったんだ。ありがとう麻里」
「匿って、久しぶりに喧嘩して…楽しかったなぁ…。でも知らない人のフリをするが嫌だったよ…がっ!…ぶっ…あああ、あ、あ、あああ、あ、ああ、あ」
大量の血を吐く麻里。もう長くはないな。
「麻里。まだいろいろ言いたいことがあるんだろうけど、僕には全部伝わったよ。ずっと好きでいてくれたんだよね。一緒に過ごすうちにもっと大切な人になったんだよね…ぐ…あ、あああ、あ、ああ、、あ…」
ボタボタと溢れるように血が出る。僕ももう限界だ。
「あ、あのね…麻里。僕は幼いときに母に言われたんだ。あなたもいつか人を殺めるって。結果として僕は人殺しになるんだけど、あんまり悪いことだって思わなかったんだ…むしろ殺すのが当たり前だと思ってたぐらいさ。けど、こうして君を通してだけど、僕は殺す側の苦しみも知ることができた…。もう二度と人は殺さないよ」
抱きしめたまま、麻里の腰にかけてある刀を抜いて、麻里の腹に当てる。
「ありがとう…麻里。あと、ごめんね。大好きだよ」
そっと耳に囁く。
「…うん。私も…。私も大好きだよ」
その言葉を最後に、僕と麻里の体を刀が貫いた。
「殺すことってそういうこと」
幸せの街で起きた唯一の不幸は、二人の死だった。夥しい血と肉片と臓物を目にしたのは、街人達にとって初めての経験だった。
「それにしても見事な死の形だ」と、ギャラリーの中の誰かが言った。
「どういうこと?これは残酷なものじゃないの?」続けて誰かが言った。
「いいや。違うよ」最初の声の人が言った。
「この二人は…お互いに助け合ったんだよ。きっといろんな試練があったんだろうね。それを乗り越えた先には、一人じゃどうすることもできないさらなる試練があったのさ。だから二人はお互いに助け合った。そして二人は勝ったんだ。どうしようもない試練に。お互いの命を殺すことによって」ふぅっと息を吐く最初の声の人。
その言葉を理解できた人が何人いただろう。その言葉を機にその場をあとにする街人たち。
「愛する者を守るために己を殺す。殺すことってそういうことだもんな」
そう言い残し、男もその場をあとにした。
時はそれなりに流れて、呪われた血族なんてものが完全に消えた現代。
幸せの街の南東にある花畑の中心に、小さいけど立派な墓が立っていた。名前は書いてなく、知らない人が見たら整った石としか思わないだろう。
そこに1人の少女と老人が花を持ってきた。
「ねぇ、おじいちゃん。ここは誰のお墓なの?」
少し背の高いおじいさんの顔を見上げながら、孫らしき子が聞いた。
「誰の…違うんじゃ。ここは『二人』の墓なんじゃよ」
「『二人』のお墓?」
「そうとも。ここには罪なき二人が愛を持って眠っておる墓なんじゃ」
「それって難しいこと?」
孫の質問におじいさんは微笑む。
「そうじゃな。お前さんにはまだわからんじゃろうな」
「そっかぁ…」
女の子は不思議そうに呟いた。
二人は花を墓の前に置くと、手を繋いで幸せそうに帰っていった。
呪われた血なんてものが本当にあった頃の話
こんな風になって欲しいです。