そこじゃない

 駅前にある皮膚科の病院に、一人の男がやって来た。この暑いのに、今時流行らない山高帽を被っている。何度かためらった後、ドアを開け、受付に名乗った。
「あのー、先ほどお電話した畠山です」
「どうぞ中へ」
 畠山は帽子のまま、診療室に入った。中年の医者は帽子をチラッと見たが、そのことには触れず、椅子に掛けるよう促した。
「さて、畠山さん。頭皮に異常があるとのことですね。帽子を取って、見せてください」
「は、はい」
 少し震える手で、畠山が帽子を脱ぐと、ピョンと一輪の花が飛び出した。
 医者の顔に、一瞬、イタズラじゃないかと疑うような表情が浮かんだが、相手の真剣な表情を見て、元のポーカーフェイスに戻った。
「もう少し頭を下げてください」
「わかりました」
 畠山は頭を下げ、医者に頭頂部が見えるようにした。だいぶ薄い毛髪の中から、本当にニョッキリ花が生えている。
「うーむ、これはいったい」
 本来、患者の前では動揺を見せてはいけない医者も、思わずうなってしまった。
 その花は畠山の頭皮から直接生えているように見える。ただし、葉っぱはなく、20センチくらいの細い茎の天辺に淡いピンクの花が付いているだけだ。
「いつごろからですか、この、この、えー、吹き出物ができたのは」
 言ってしまってから、さすがに無理があると思ったらしく、医者は少し顔を赤らめた。
「ええと、二三日前からシャンプーするときに違和感があって、イボでもできたのかなって思ってたんです。それが、今朝起きたら蕾ができてて、アッという間に開花したんです。というか、これって何ですか。本物の花ってことはないですよね。それとも、人間に寄生する植物があるんですか」
「ちょっと待ってください。調べてみますから」
 医者がその花に触れると、畠山はビクッとした。
「あ、痛みますか」
「いえ、痛くはないんですが、その、少々くすぐったくて」
「ほう。まさか神経が繋がっているってことは、いや、それはないでしょうな。これはどうです」
 医者は茎をつまんで引っ張った。
「イテッ、テテテッ!」
「ふむ。どの辺が痛みますか」
「生えてるところの頭の皮が引っ張られて」
「なるほど。根っこがあるのでしょうな。レントゲンを撮りましょう」
 だが、レントゲンの画像に薄っすら映っているものを見て、医者はさらに驚いた。
「こりゃあ、根っこは根っこでも、毛根ですな」
「と、いうことは、これは髪の毛なんですか、先生」
「そのようですな。まあ、そうであれば心配いりません。イボなどはそのまま液体窒素で焼くのですが、これくらい大きいと、切り取るしかありません。神経が通っているわけではないので、心配しなくてもいいですよ」
 医者が電気メスの準備をしているのを見て、畠山がおずおずと声をかけた。
「すみません、先生」
「大丈夫ですよ、痛みはほとんどありませんから」
「あ、いえ、そうではなくて、これが髪の毛だったら、ちょっと心当たりがあります」
「え?」
 その時、受付の方から言い争うような声が聞こえてきた。
「ちょっと、困ります。患者さん以外は中に入れませんよ」
「いやいや、わしが行かんと、解決せんのじゃよ」
 受付係の制止を振り切り、診療室に入って来たのは、白髪で白衣の老人だった。
「ああ、すまんすまん。植物から抽出したエキスの入った毛生え薬の試供品を渡した何人かから、花が生えてきたとの連絡があっての。あんたを探しておったんじゃ」
「よくここだとわかりましたね、古井戸博士」
 そう言ったのは畠山ではなく、医者の方だった。
「念のため、毛生え薬の成分の中に、トレーサーを仕込んでおいたんじゃ。そんなことより、この花は無理に切除してはならん。そんなことをすれば、他の髪の毛までこうなってしまう。一週間ほど放置すれば、自然に枯れるんじゃ」
 不安げな畠山をよそに、医者は大きく頷いた。
「古井戸博士がそうおっしゃるなら、間違いないでしょう。ということで、畠山さん、一週間辛抱してください」
「はあ」

 一週間後、博士の言ったように花は枯れた。しおれた茎の先端に、黒い粒のようなものが残っていたが、畠山が触るとポロリと取れた。
「何だ、これ。種かな」
 試しに庭に埋めてみたところ、翌日、地面から髪の毛が生えてきた。
(おわり)

そこじゃない

そこじゃない

駅前にある皮膚科の病院に、一人の男がやって来た。この暑いのに、今時流行らない山高帽を被っている。何度かためらった後、ドアを開け、受付に名乗った。「あのー、先ほどお電話した畠山です」「どうぞ中へ」 畠山は帽子のまま、診療室に入った…

  • 小説
  • 掌編
  • SF
  • コメディ
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-19

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