誘い
過去の思い出にはついていかないように…
彼女は久しぶりの休日で、意気揚々とショッピングを楽しんでいた。
仕事柄、友達と休日が重なりにくいのもあって、ひとりで何かすることには慣れていた。別にひとりでなにをしようがしまいが、今の世ではそれは特に気にされる事もないし、自分も気にしなかった。そんなドラマも特集もたくさん流れているのだし。
真新しい紙袋を手に提げ、次のお目当ての店へと歩を進めていた。天気は晴天に恵まれ、黄色に紅葉した街路樹の葉が、色鮮やかに街を飾っていた。行き交う人々も、心なしかどこか明るい表情に見える。
そんな人々の流れにとけ込んで、足どり軽く眺めていた彼女は、急に足が止まってしまった。行き交う人々の向こう側の、すれ違う人のなかに、見覚えのある人影が目に留まったのだ。それはいまの今まで、胸の中の深いところに埋めて、堅く封印したはずのものだった。それが急に前触れもなく開かれてしまった。忘れたくも忘れられない人の顔。その人の横顔が、この人に溢れるなかで私の目を引きつけてしまったのだ。
その人は、今ここにいてはいけない人なのだ。何かの見間違いだ。私はそう自分にいい聞かせながらも、目を反らせないでいた。その人は、周りの人の流れに逆らわず、遠ざかっている。その人影はぼやける事も、人混みに消え入ることもなく、しっかりとその後ろ姿を見せつけていた。その後ろ姿も、何もかもが開かれた記憶の通りに当てはまっていた。
彼女は必然とその人をあとを追っかけるように、歩の向きを変えていた。その人はいっさい、視界から消えることもなく、私をつけさせていた。
私はあとを追いながらも、自分が何をしているか、さだかではなかった。その人が彼なのか確かめたいのか。そんなことは馬鹿げていると自分でも分かっていた。なにせ彼は、遠の昔に亡くなっているのだから。彼とはつき合っていた。同棲までしていた。それなのに、彼の変化に全く気づかずに私は毎日を過ごしていた。そして、突然彼は自ら命を絶った。私は何が起きたのか分からずにいた。理解したときにはもう既に遅かった。時が過ぎるうちに私は何もなかったかのように、記憶を綺麗に整理していた。
それなのに今こうやって、彼を追っている。それも彼とよく歩いた道だった。ここの辺りは、長年開発もなく、昔から風景は変わらない。それが一層彼への距離を縮めていた。
昔そうしたように、彼は次の角を左に曲がった。道はより細くなり、雰囲気も大通りと違い古びた感じではあるが、それがお互い気に入っていた。当然、彼の後ろ姿がそこに馴染んでいるだろうと、自分も角を曲がった。しかし、彼はそこにはいなかった。どこにも隠れるような所はここはないはずなのに。立ち入るようなお店もまだないのに。私は急いで周りを見渡した。彼はどこか必死になっていた。目の脇に彼が映った。彼は少し先にある駐車場に入っていくところだった。
私は、なぜ、この瞬間も歩を前に進めているのか、分からなかった。そんなところには駐車場はないはずだから。こんな細い路地には車なんて入れないはずだから。それなのにそんな駐車場に向かっている。上がる息をひそめて、私は駐車場の前に立った。
見渡す駐車場に彼の姿は見当たらなかった。ひとっこ一人もいない。ただ思いのほか、多くの車がとまっていた。けれど奥も左右も高いブロック塀に囲まれて、これだけの車が収まっているのが異様に映った。彼が生前使っていた車の後部が、やや奥の方に見えた。後部から透けて見える車内にも彼の姿は見えなかった。その瞬間に私は、全身に戦慄が走った。すると今まで潜め、おさえていた息が、荒くなり、駐車場に入る寸前の一歩手前で、私は必死になってそこから逃げ出した。
追いつかれないように、振り払うように。ふり返ることなく、一心にただ走った。ショッピングをしていた大通りについた頃には、全身汗でびしょびしょで、震える身体で息も絶え絶えになっていた。
・・・・・彼女は、ここまでを僕に話した。突然の電話の連絡だったが、聞こえてくる尋常じゃない声色で、僕はすぐさま彼女の元へ行った。気丈に振る舞ってはいたが、彼女の顔にはだいぶ疲労の色が見え、すこし陰りも伺えた。彼女は差し出したホットココアをゆっくり飲んでいた。まだ残っているそのカップを置き、彼女は疲れているから寝るねと僕に伝えて、僕はその場を不安だったがあとにした。
それきり、彼女からの連絡も、消息も途絶え、分からずじまいになってしまった。
誘い