即興小説③
すべて制限時間15分の代物です。誤字などは多少は修正してあります。
15、第二の我が家との別れ
お題:「最後の排泄」 震災にあった家族の話
14、離れていかない理由
お題:「俺と秀才」 秀才と親友の男の話
13、みそ汁の具が決まった瞬間
お題:「静かな育毛」 とある娘と父親の話
12、盾になった男
お題:「腐った弔い」 煮え切らない思いで墓参りに行った男の話
11、浄化された心からの手向け
お題:「私の好きな墓」 素直に美しいものを美しいと思う女性の話
10、日本全国津々浦々の指名手配
お題:「破天荒な殺人犯」 とある破天荒な悲しい男の話
9、タイトル:包み隠した犯行
お題:「苦し紛れの模倣犯」 とある凶行に走った二人の男の話
8、タイトル:縁で生まれた新境地
お題:「小説の中のボーイ」 順調に出世していった男の話
7、タイトル:木村と加藤
お題:「誰かはライオン」 ぬいぐるみを買った大人の女性の話
6、タイトル:初めての体験
お題:「有名な食器」 必須要素:全力のエロス ませた小学生の話
5、タイトル:作家志望の淡く遠い期待
お題:「1000の小説トレーニング」 ワナビの会社員の男の話
4、タイトル:酔いどれの勢いは
お題「潔白な酒」 とある出会いの話
3、タイトル:受け継がれる気持ち
お題「過去のバラン」 とある専業主婦の話
2、タイトル:不夜城の迷い人
お題「ひねくれた闇」 会社帰りの女の話
1、タイトル:伝わる因果
お題「秋の脱毛」 美容院に行った男の話
第二の我が家との別れ
震災が起こってから、まる四か月後のこと。
可奈の家は再建する。東北と違い震度五強程度で済んだことは奇跡に近かったが、古さを帯びていた彼女の家は耐えられなかったらしい。
基礎の角の部分が崩壊しては、修繕も難しいということは素人目にも明らかだった。
震災が起こってまもなくは帰る場所にも困り果て、親戚総出で家財道具を引っ張り出してからは家族四人、アパート暮らしを余儀なくされた。
家をつぶして新しい土地を買うか、新しいマンションを買って住むことも検討されたが、元々持っていた土地を利用するのが吉という話で一致し、家族はそのまま再建を待つことを選んだ。幸いにして、親族に建築業にかかわる人間がいたことで話はとんとん拍子に進んだ。
アパート暮しは一戸建てに慣れていた家族四人にとっては、つらいものであった。
再建を待つほんの四カ月だけのことだったが、互いのプライバシーが一切ない中のこと。それまで個室を持っていた家族は、衝突しがちになっていた。
まして、地震はまたいつやってくるのかわからない。それは、非常に不安定な地盤の上に住んでいたのだという現実とともに、彼らを押しつぶしにかかった。時折やってくる震度一・二程度の微細な揺れでさえ、彼らを追い詰めていった。
当初はラジオで過ごしていたもののやはりテレビが恋しくなり、壊れたかつての自宅から持ち出してきた液晶テレビをつけられたとき、家族はほっと息をついていた。
それが済んでからも衝突は絶えなかったが、テレビという娯楽と共通の話題が増えてからの過ごし方は、やや穏やかさを見え隠れさせてきていた。
その慣れない窮屈な暮らしも、今日で終わりを告げる。
仮住まいを旅立つ日、完成した新居に引っ越す前、可奈は最後にトイレに立ち寄った。暖かくならない便座と過ごすのも今日で終わりだ。
最後に世話になったトイレを、可奈は後にした。
離れていかない理由
何をやってもあいつには勝てないでいた。
あいつは運動神経抜群、頭脳明晰で眉目秀麗、その上、家は大富豪ときていてはもてないはずがない。幼稚園以前からの幼馴染の仲だが、何をやってもあいつに勝てたことはなかった。
これであいつが女子だったら恋にでも落ちていたんだろうが、あいにくと上から下まで男子ときている。やっかみこそすれ、仲がいいとはいえ、何も後ろ暗い気持ちがなかったわけではない。家が隣同士だからこそ今でも仲がいいが、そうでなければまるで住む世界も違う間柄で一生を終えていたかもしれない。
張り合えることといえば、性格は断然、俺のほうがいい。なにしろあいつは、自分より劣っている男を人間とも思わない態度で接している。なぜか昔から俺に対してだけはぞんざいな扱いをしてきたことはないが。
俺が誇れることといえば、人に親切であるということと、一芸に秀でているということぐらいである。あいつのように全分野において優秀な成績を収めることなどは不可能に近いが、家業の分野である医学に関してだけは、俺もあいつに匹敵する技術があった。
それがあいつにどう見られていたかはわからない。聞きたいとも思わないが、あいつは顔をしかめる俺の横で、次々と女を味見しては捨てていくということを続けていた。高校生になってから拍車がかかり、医大生になった今になってもそれがつづいている。
あいつが横にいるせいで、初めは俺に興味を持って近づいてきた女性たちは皆、なぜかいつも最後は、遠ざかっていつのまにかいなくなっている。それか、あいつに鞍替えしてしまうかのどちらかだった。
こちらが内心で迷惑がっているとも知らずに、あいつは美しい女の髪を撫でては、俺に挑戦的な視線を向けてきていた。自慢したいのだろうが、今となっては慣れてしまったので露ほども感じない。
いずれ就職すれば離れてしまう運命だ、今しばらくの我慢である。
それよりも気になるのは、あいつならもっと優秀な医大に入れただろうに、なぜ俺に合わせてランクを落としてここに入学したのかということだ。それだけじゃない、高校もあいつならもっと素晴らしい私立に入れただろうに、それも俺に合わせて公立の平凡なレベルにしていた。なぜかいつも俺の横にあいつがいるのも、そのせいである。
「なんで俺の横にいるんだ。彼女のもとに行ってやれよ」
気になってつい聞いたとき、あいつはひどく悲しそうな顔をして訴えてきた。
「あいつよりも、お前と一緒にいるほうが楽しい」
本当に好きで付き合っているのか、とはついに聞けなかった。
みそ汁の具が決まった瞬間
あるとき、娘が夕食の支度のために歩いていたら父親のそばを通りかかった。
父親は座椅子に腰かけていたので彼女にも見えたのだが、目線が下に行ったとき、ひどく驚いた様子でその場にしばらく立ちんぼうになっていた。
娘よりも身長の高い父の頭頂部を見る機会はそうはない、だからこそ気づいたのだが、父親の髪が以前よりも頭皮をあらわにし始めていたのである。
父親は近所からも見た目が若いといわれていたので娘はそれまで気にも留めていなかった。だが父親は今年で六十歳になるというあたりで、禿げているというほどではなく、薄くなってきたと表現するほうが正しい。しかし、娘はそれでもショックを受けていた。
彼女は自分の家系に薄毛は無縁と思っていて、それも家族共通のイメージだった。これは一大事と言わんばかりに、エプロン姿の娘は目下の父に向ってこう述べた。
「父さん、禿げかかってるわよ」
名詞をつけずに囁いたが、本人にはそれだけで通じたらしい。気難しい父親は見る見るうちに目を吊り上げ、肩をいからせながら怒鳴り返した。
「やかましい! 俺は禿じゃない。俺はまだ若い!」
「だって……」
「うるさいっ! テレビが聞こえんだろうが、あっち行ってろ!」
手でハエを払うように娘をあしらった父親だったが、彼女はいつものこととして罵声には慣れていたので、対して気分を害した様子もなく、エプロンのポケットに手を突っ込んだ。
そしてスマートフォンを取り出したかと思えば、そのままカメラモードをセットした。そして父親の頭頂部めがけて、フラッシュをたきながら現実を激写した。
さらに容赦なくその目の前に、いかんともしがたいシビアな現実を、液晶画面越しに父親へと見せつけた。
彼は絶句していた。
翌日、朝起きた娘は台所に立ち、食事の支度にいつも通りとりかかった。
とぼとぼとおぼつかない足取りで、父親が下りてきても彼女は大して気に留めなかった。彼がそっと一枚の紙を差し出してくるまでは。
システムキッチンのカウンター越しに紙を受け取ると、そこには小さく歪んだ文字でこう書かれていた。
「わかめが効くって本当か」
口で言える元気はなかったのだろうか、彼はそのままいつも通りの食卓に、おずおずと腰かけていただけだ。
盾になった男
「お前の命をもらうのは俺だと思ってたんだが、とんだ働き者がいたもんだ」
赤毛の男は、かつての戦場でのライバルの墓を前に、そう一人ごちている。
敵軍同士のこと、友人だったというわけでもない。それでもお互いをよくわかっていたのは、誰よりもこの二人同士だったと、人々は口をそろえて言っている。そして本人たちも、それを否定したことはない。
エースパイロット同士しのぎを削って命のやり取りをしていたのだが、自分を殺す人間がいるとしたらきっとそれは彼だろうと、彼らは思い合っていた。しかし、結末はそうはならなかった。
天一面に覆われた灰色の雲から、小雨がしとしとと降りつのっている。
やってきた滴は、漆黒の墓石の表面を涙のように伝って、草地の表面へとしみこんでいく。今この場には喪服姿の赤毛の男しかいないが、墓参りに来ている人物がほかにもいるような気配さえする。
悲しみといえば簡単だが、それだけで彼の複雑な心境は言い表すことができない。
喪服の上から羽織ったミルクティ色のコートと、漆黒の革靴が擦れる音を立てて、赤毛の男はかつての敵軍のエースパイロットの墓標を見つめた。
何度読み返しても、そこには敵の名が刻まれているばかりだ。答える声がないことがわかっていながら、赤毛の男は口を開いた。
「俺を殺すのはお前だと思ってた。ずっと」
赤毛の男は墓標に名が刻まれた男の姉に懸想していたが、それを本人たちに伝えたことはない。にもかかわらず、悟られてしまっていた。姉を取られまいとしたのか、それとも単に操縦技術とプライドをぶつけ合うことができる喜びのためか、生きていたころの敵は果敢に立ち向かってきていた。
操縦技術はいつでも赤毛の男が勝っていて、敵は撤退をしては次回の幕で再び襲いかかってくることを繰り返していた。
赤毛の男が別の敵兵に狙われて撃ち落とされそうになったのを、墓の主が身代わりになるまでは。
「結局、お前の一人勝ちか。頼んでもなかったのに、余計なことを……最後まで、お前の真意がわからなかった。もう、永遠にわからない!」
傘を持っている左手の逆、右手に握っていた花束を振りかぶって叩き付け、赤毛の男は墓石を凌辱した。
しかし文句が返ってくることもなく、紙ふぶきのように飛び散った花弁がはらりと墓標の上を飾るばかりで、赤毛の男の心は霞がかったきり、晴れる気配が訪れることはなかった。
浄化された心からの手向け
普段はめったに行くことのない、霊園がある。
私自身のご先祖様が葬られているのなら行く機会もあるのだろうが、それも縁がなければそこはただの墓地ということになる。ただ、行ってみたいと思ったことはあった。そこが、とても美しい場所だったからだ。
切り開かれた山の奥地に向かうと一変して、一面に草原が広がっている。そこには等間隔に真っ白い石で造られた墓が立ち並び、それが写真に収めたいほどのワンシーンとしてひどく心に残っている。
子どものころに母に「きれいな場所だ」と私がはしゃいだ声を上げると、彼女は物言いたげな表情をしていたが、何も言わなかった。母にしてみれば見知らぬ人々のただの墓場なのだから、それも無理のないことだったろうと思う。
中学、高校と年を重ねていくうちに母の心境も分かるようになってくると、それも今となってはうなずける話ではある。
ただ、私がその場所を美しいと思っているのは現在も変わっていない。
あるとき、欲求を抑えられなくなり誰にも告げずに一度、その場所へと出かけて行った。
散歩のついでのつもりで歩いてきたのだが、私は引き寄せられるようにその場所へと出かけて行った。墓場だというのに、不謹慎にも興味深々だった。
ただの観光に行くのだから、まったく後ろめたい気持ちがなかったわけではない。せめてもの償いとして、花とお供え物は持って行った。誰かの墓に添えようと思ったためである。無論、知り合いがいたわけではない。私の勝手な気遣いである。
長い長い山道を登り、霊園への階段の入り口にたどり着いた。霊園までの道についてからも、延々と続く何百何千もの階段を上がっていった。
はたして、何時間経っただろうか。階段の頂上までたどり着いたところで、雲一つない青空が広がっていた。
さわやかな風が吹き私を包み込む。そよぐ新緑の草がさやさやと音を立てている場所にため息をついて、歩き出した。
歩いていく途中で、ひときわ美しく大きな墓に出合い、私は代表としてその主に花とお供え物を手向けた。
せめて彼らが安らかであるように。
日本全国津々浦々の指名手配
日本列島を縦断する一人の男がいた。
北は北海道から始まり、現在は東京に差し掛かっているところだ。足がつかないように電車やバスを乗り継ぎ、できるだけ個人と顔を合わせるタクシーなどの交通手段は使わないやり方で進んでいたのだから、用意周到といえる。
日雇いのアルバイトや住込みのアルバイトを転々としながら稼ぎ、恐らく他人からの妨害がなければ一生終わることのないだろう旅路は続く。できるだけマスクをつけてメガネをかけ、帽子を身に着けて容姿を隠した。
時には残り少ない金でギャンブルに手を染めた。まれに儲けることもあったものの、十中八九は負け損でおわったが、彼は気晴らしも必要と考えて現実逃避をやめることはなかった。ディスカウントストアなどで購入した酒や食料で腹を満たし、千鳥足で果てしない旅は続いた。
男はまだ三十代という若さで、一つの都道府県につき二・三人を殺害しては逃亡するという生活を続けている、現在では全国指名手配を敷かれている連続殺人犯だった。
被害者は老若男女のべつまくなしで、容姿も割れていないとあって警察の捜査も難航していた。ただわかっているのは、北から南下して全国を回っているということだけである。
田舎で育った反動で、男は東京に来ることを一番の楽しみにしていた。人口が多いということもあり、多くの人を血祭りに上げることを計画している。
なにしろ男の大好きな享楽にふけることができる施設が掃いて捨てるほどあり、田舎にはない独特の誘惑が手招きして待っている。女性を買うことも浴びるほど酒を飲むことも、さほど難しいことではないだろう。
宿泊施設はビジネスホテルやインターネットカフェに泊まれれば運のいいほうで、ひどいときは路上で野宿も多い。公園には仲間も大勢いたので、なにも心配することはなかった。
しかし東京に来て五人ほど殺害した後で、公園のホームレスの段ボールハウスに厄介になっていた時に彼は警察に御用となった。居心地の良い都会を離れがたかったばかりに起こった、あっけない幕切れだ。
「俺はやりたいこともやりつくした。まるで後悔なんてしていない。さ、連れて行ってくれ」
母に虐待された後遺症の残る頭で、彼はそう語った。彼が人を思いやる心ははるか大昔に、とっくに破壊されてこの世のものではなくなっていたのである。
包み隠した犯行
「ニュースを見て憧れてやった。A容疑者の信念ややり方に同調していた」
警察からの詰問で模倣犯の男はそう供述したが、誰も疑ってかかる者はいなかった。
男が犯した罪は殺人である。男を仮にBとするが元々は、彼が供述した通り、殺害の方法やシチュエーションはA容疑者の模倣ともいえるやり方であったが、それが殺人の目的だったわけではない。
Bが殺害したのは別れた恋人である。
A容疑者が殺害したのは全く面識のない通行人、いわゆる赤の他人だった。殺害の方法自体は模倣としても、それが直接の動機とは弁護人には思えなかった。A容疑者は自分の考えた殺害方法に芸術性を見出して実行に移したに過ぎないが、Bには被害者と過ごした数年間の交際期間がある。
その間に何かがあって、殺害を決意するに至ったのではないかというのが弁護人の見解だ。
まず弁護人はBと仲良く接するところから挑戦した。
もともと人見知りの気があったBだったが、徐々に仲良くなるにつれ、ぼつぼつと彼は弁護人に語り始めた。被害者の彼女が浮気体質だったこと、自分が婚約を申し込むために積み重ねてきたつもりの愛情を踏みにじられたこと、別れをたたきつけられた際にせせら笑ってばかにされたこと。真に彼女を愛していたからこその犯行だったこと。
テレビで見たA容疑者のやり方と同じことができると思ったのは、とっさに場所の状況が同じだったためということが明らかになった。
「振られたことが原因で殺した情けない男と思われたくなかった。それだけです……」
Bはそう供述して泣いて後悔していたが、弁護人は彼を間違っているとは思わなかった。
世間が彼を人非人とののしろうと、彼を最後まで全力で支えることを心に誓って、弁護人はただただ静かにうなずいただけだった。
縁で生まれた新境地
そのアルバイトに蛍助が就職することになったのは、教員の誘いがきっかけだった。
大学生とは時間はあれど金はない生き物である。普段は大学で、自身が参加するゼミの教員の研究室に通いつめ、助手のまねごとをして過ごすことが多い。
教員のスケジュール管理と雑用、コーヒーメーカーの手入れが彼の主な仕事である。給料をもらっても差し支えないほどの働きぶりだったが、ただでコーヒーが飲める上に無期限で研究室の本を借りられて、時折食事をごちそうになったり論文作成の相談相手になってもらっていたため、本人はこれで満足していた。
学内に友人もいたが、一番親しかった相手はこの教員である。一切アルバイトをしたことがないという蛍助は容姿も悪くなく、背も人並み以上で見栄えは十分だったので、大手の遊園地と縁があった教員が彼にすすめたといういきさつだ。
本がうずたかく積まれた研究室で、コーヒーを教員と飲みかわしながら彼はその話を受諾した。金に困っていたわけではなかったが、経験としてそれも悪くないと思ってのことだったのだろう。
眼鏡をかけた白髪頭の初老の教員に見送られて、蛍助は遊園地のレストランのボーイとして働き始めた。
遊園地の地面には地下道が張り巡らされ、夢の世界の地上とは一変、近代的で事務的な世界が広がっている。
外部からまずそこに潜っていくと、とにかく目的地を目指して彼は進んだ。
手早く身支度を整えて紺のスーツ姿になると、レストランで銀のトレイを片手に走り回った。もともと、運動神経も悪くなかったのも幸いとして彼はどんどん評判を高めていった。
あるとき、別れ話がこじれたカップルが席でけんかを始めた。
女性に掴みかかった男性が顔に殴りかかろうとするのを見てトレイをフリスビーのように投げたところ、見事に男の背中に命中させて横暴を阻止した。彼はクビを覚悟でやったことだったが、男性が逃げて行って女性から称賛の嵐を受けた。
その時から、彼の噂は英雄扱いされて遊園地中に広まっていった。
それから体の機敏さを買われて、園内の劇場のダンサーとしてスカウトされた。そこでは事務仕事も請け負っていたので、スケジュール管理能力を買われて、大学を卒業するころには正社員として採用された。
事務社員としてそのまま十年もたったころにはエリート路線を驀進していき、さらに十五年たったころには若くして社長の座についていた。
彼はそつなく物事をこなしながらも、いつも不満げな顔でいた。
「ただのアルバイトなのに、どうしてこうなったんだろう。俺は学者か作家になりたかったのに」
社長席に座りながら小説を眺め、今は懐かしいかつての自分のような小説の中のボーイの挙動を読みながら、彼は一人で他人事のようにつぶやいていたという。
木村と加藤
彼女が自分のためにぬいぐるみを手に入れたのは、優に8年ぶりの事だった。さらに述べるなら、自腹をはたいて買ったという意味では初めての事である。
二十歳を過ぎてからの購入に躊躇はしたが、後悔はなかった。
買ったものは外国からの輸入品だった。少しためらったものの、そのぬいぐるみの愛らしさの前では国産品かどうかという戸惑いはささいなことでもあった。
こういうところまで気にしてしまうのは、子どものころから一番変化したところでもある。ものが良いかどうかだけで判断していた小さなころの自分の純粋さが、懐かしくもあった。
レッサーパンダとライオンのぬいぐるみを手に入れてからというものの、部屋に飾っては眺めて楽しんだ。そんなときだった。
彼女の妹がノックをして部屋に入ってきたところで、その二つを見つけてねだってきた。
「どっちか一つちょうだい!」
それを聞いた彼女は顔をしかめたものの、元々妹は可愛がっていた性質である。それで妹の気が収まるならばと、彼女はライオンを差し出した。
上機嫌で妹はライオンを持って帰って行った。そのライオンには「木村」という名前を付けていたが、それは彼女の喧嘩別れした友人の名前でもある。
レッサーパンダには自分の名字である「加藤」と名付けていた。未練がましい事ではあるが、友人に見立てて隣り合わせていたのである。
せめてぬいぐるみ同士だけでも仲良くやって欲しい、という気持ちを込めている。
「これで、良かったんだきっと……」
ライオンが妹にもらわれていったことを考えるにつけ、彼女はようやく、現実を受け入れるきっかけができたようだった。
初めての体験
真理子は小学校のからの帰りに、ボーイフレンドを連れて帰ってきた。
一人っ子で両親は共働きなので家にはまだ誰もいない。普段から綺麗に整頓されている彼女の家は見せるのに支障はなかったので、真理子は遠慮なく雅史を家に上げた。
「おやつ持ってくるね」
ドキドキしながら居間に彼を通し、ソファに座らせた真理子は台所に向かった。食器棚にあったお気に入りのウェッジウッドの皿を二枚取ると、食卓にあったエクレアを二個とった。さらにバカラのグラスにアイスティを注いだ。
すべてお盆に乗せて持って行こうと振り返ったところで、真理子は仰天した。すぐ目の前に雅史の端正な顔があったからだ。
小学六年生の雅史はサッカー少年で発育がよく、日に焼けた肌に深い色の瞳が野性的だ。一方の真理子も背丈はやや彼を追い越しており、すでに乳房は膨らみを見せ、体にはすでになまめかしいくびれが見えている。
唖然とする真理子の目をまっすぐに見つめてくる雅史の瞳に、言い知れぬ熱を感じた彼女はたじろいでしまっている。
硬直している彼女の様子に、ぐいぐいと彼は迫ってきた。もはや顔と顔の距離は数センチにまで縮まっている。
「それが今日のおやつ?」
「う、うん。ママの手作り、おいしい……よ?」
何をどうしたらいいかよく分からない状況に後ずさる彼女の手から、雅史はお盆を取り上げて邪魔だと言うように食卓に置いてしまった。
そして彼がさらに顔を近づけてきたので真理子はじりじりと後ずさったが、雅史はさらに距離を詰めてくる。
やがてとうとう真理子の背は、ガラスの食器棚の戸に当たって逃げ場を失った。
彼女の肩をつかんできた雅史はつらそうな顔で言ってきた。
「逃げないでよ」
「だって……なに、これ」
経験したことない事態にしどろもどろになる彼女に向かって、雅史は言い放った。
「いつか真理子にこうしたいと思ってた」
目を見張る真理子の頬を撫でて、雅史は十二歳の幼いはずの容貌に、わずかな性への欲の兆しを見え隠れさせていた。
作家志望の淡く遠い期待
カーテンを閉め切った薄暗い部屋に、低い男の声が響いている。
「とうとうこれで1000個目の即興小説になる。俺もなかなかやるもんだよな」
夏場の猛暑日だった。エアコンのうなる音が大きく聞こえ、他に人の気配は感じられない。それはこの男の一人暮らしの住まいだからだ。
恋人と別れて久しく、仕事の忙しさから学生時代の友人たちも遠のいていた。しかし男が日々に絶望せずに自我を保って生きていられるのは、ひとえにこの趣味のたまものである。
齢三十を超える会社勤めの男の唯一の趣味が、小説を書くということだ。デスクワークで出世競争にも興味はなく、それというのも将来は作家になるという、実現できるかどうかも分からない夢を胸の奥に秘めているせいである。思うばかりで、実力と行動力は現実には追い付いていない。
文学賞に応募したこともなく、また送付できるほどの量を書ける程度の能力も、まだ男には備わっていない。できるのはせいぜい、5000字程度の掌編を書いて、己の達成感を満足させる遊びを続けることぐらいだ。
オンライン上に即興小説トレーニングというウェブサイトがあるが、コンピューターが自動的にお題を出して制限時間以内に小説を書かせるという趣旨の場所だ。男はこのサイトに通い詰めて、ついには1000個目の即興小説を書ききったというわけだ。
しかしこの焼け石に水のような努力が実際に実るかどうかは、実は本人にもあまりよく分かっていない。ただ、小説を書いたという事実が残っているだけだ。
男は今まで書いた作品をすべてプリントアウトし、丁寧に保存している。ファイルに綴じていた紙を満足げにめくりながら、ため息をついた男はデスクの椅子を反転させて足を組み、すっかり作家気分でいる。
自分でもあり得るはずがないと思いながらも、ほんの少しの希望をのぞかせて彼はつぶやいた。
「だれかがインターネット上の俺の話を読んでスカウト! なんてな……」
※とっさの作品完成のために自虐。つらい。
酔いどれの勢いは
彼がその店に寄ったのは、ほんの気まぐれのできごとだ。
残業が終わった金曜日の夜のことで、翌日の心配をしなくて良かったというのも大きい。そのまま空腹に誘われるように入っていったところで、他の客は女だてらの一人飲みだけだ。
大通りから外れた場所で、そう大勢が知っていそうな店ではない。他の客が来る様子もなく、そのまま女を見習って一人酒を楽しむことにした。
恋人は別れてから久しく、未練も残っていなかった。彼が何も期待していなかったと言えばうそになるだろう。
ただ一人で飲みたい気分でもあったので、強い欲は無かった。それでもすきっ腹に酔いが回ってきたところで、どちらともなく女といつの間にか、気づいた時には話をする状態になった。
アルコールに澱んだ目で相手の顔を見ながら相槌を打てば、男と一週間前に別れたばかりでせいせいした自由の身を楽しんでいるところだと言う。女の方が未練は長持ちしないと言うので、あながち嘘ではないのだろうと男は結論付けて、自分の身の上も話して聞かせた。
相手も酔いを楽しんだ目でこちらの話を聞き入っている。
いつ店を出たかいつ宿に滑り込んだのかは覚えていないようだった。ただ、一夜を共にしたことは確かである証拠に、翌日目が覚めた男の目の前には女がいた。ただ、互いに服は着ていたのでやましいことはなかったはずだ。
男が身を起こし、わずかに酒が残るくらりとした頭を抱えていたところで、隣の女が目を覚ました。
まどろんでいた女の表情は、ほっとしたようでもあり、不満げなようにも見えた。
受け継がれる気持ち
彼女がお弁当を作る側になってからしばらく経つが、気づいたことはたくさんあった。
まず一つは、夏場は日持ちしないので保存に気を付けなければならないということ。それから栄養だけではなく、見た目の色の事まで気にしなければならないということだ。
手本は記憶の中にある、母親が作っていたお弁当である。食べたときの様子と不満とを思い出しながら改良していくと、子どもと彼からの感想は上がっていく一方だ。
お弁当を作っていくにつれ出来栄えは上達していき、母親がかつて作っていたものに勝るとも劣らない出来栄えになっていった。
一人分が増えても大した労力の違いはなかったので、専業主婦の彼女は自分の昼食の分も同じようにお弁当を作った。味見も兼ねてなので、非常に理にかなっているかもしれない。
仕分けのために草を模したバランを入れてあるが、非常に懐かしい気持ちになる。母親が作ってくれたお弁当にも同じものが入れてあったが、初めは何のためにあるものなのかわからず、なぜ草なのかと疑問に思ったこともあるらしい。
何年たってもバランは変わることなくその役割をはたして、今もお弁当の片隅に入っている。親子の関係が代が続いても、変わらないように。
不夜城の迷い人
まずその夜の街並みを見たときに香苗が得た感想は「昼間のようだ」ということだった。
三車線ある道路は両脇が路上駐車で塞がり、実質動いているのは二車線のみだ。そこにはヘッドライトが輝く車両がジェットコースターのように次々と流れてきては、通り過ぎている。
会社帰りの買い物の後で、香苗はひどくおぼつかない足取りでいる。歩道をとぼとぼと進んでいるが、光がコンビニエンスストアをはじめ、建物から海のようにあふれて目に痛い。
パチンコ屋の前を通りかかったが、仕事が立て込んで疲れた体には、光と音がひどく響いてしまうらしい。歩き疲れた香苗はそれでもそこに居続けるよりはましだったようで、何とかカフェの前まで歩いて行った。そこで人の邪魔にならない場所でそっと立ち止まって、天を見上げたが、ろくに星も見えていない状態だ。
気分転換にもならない夜空に、香苗はひどく肩を落としていたようだった。
「実家だったらよく見えたんだけどなぁ……」
間違いなく夜であるが、彼女の知るものとはまるで違っているらしい。漆黒というものがここには存在していないようで、どこもかしこも人口の光であふれている。古くからここに住んでいるらしき店主の自宅らしき、一般家屋が通りの中に狭く溶け込んでいたが、香苗はそれを見てふと愚痴をこぼした。
「眠りづらそう、余計なお世話だろうけど……暗くないし、うるさいし」
これで夜だと言われても、香苗にはまやかしにしか感じられないらしい。彼女はいずれ一人暮らしのマンションに帰るところだが、疲れた目にひどく光が痛くて涙が滲んでいる。そのこれから帰る彼女のマンションですら壁が薄く、隣人を気にした窮屈な生活を強いられている。
それでも安らぎと睡眠を求めて、今まで休憩していた彼女は重い足を動かし、ゆったりと歩き出した。
伝わる因果
彼は春に髪を切りに行った時、美容室でこう言われた。
「ここの髪、一列に生えそろってるね……半年前、何かあった?」
シャンプーをし終わりいざ切りそろえるという段階での話だ。比較的、一般的な男性というには彼は随分と長髪だった。
天井を見上げて記憶を掘り起こした彼は、鏡に映る長年の付き合いの美容師に向かってこう答えた。
「会社を辞めて独立しました……パワハラに遭ってて」
美容師はやや蒼い顔をしながらも合点がいったらしく、頷きながら答えた。
「よっぽどストレスたまってたんでしょ。髪が抜けてたんじゃない? 普通は抜けてもバラバラに生え変わるのに、こんなにそろうなんてね。多分抜けてたのが一斉に生えてきたんだよ……」
そして美容師はため息をついてからつぶやいた。
「これはちょうど、半年分の長さだ。鳥肌が立った……辛かったでしょ? 良かったね、元通りになって。せいせいした?」
彼は憤りながら肩を張った。
「せいせいしたというか、生きてて良かったですよ。大事な髪までこんなになるなんて。肌も荒れたのに……本当に、とんでもない人たちだ」
被害がフラッシュバックしたのだろう。随分と辛い様子で暗い表情でいる彼が痛々しくて、長年の付き合いの美容師は自分の子どもの事のように共に怒りを募らせた。
後に分かった話だが、彼をパワハラした先輩たちは席替えされたとか。
即興小説③