菩提薩埵 (ぼだいさった)

菩提薩埵 (ぼだいさった)

Na Na Shi No Ppo の感覚、考え、など脳内をぐるぐる。
自分をひも解くために、エッセイのように書く。

人が死ぬことに対しての「泣かない」感覚

どうも、Na Na Shi No Ppo です。

少しだけ地面から顔の距離が遠い人です。


これから細かく更新しながらも、

自分の感情や感覚について書いていきます。


自分の説明書みたいなものを作って、

文章を読み返して自分を知りたいと思ったからです。


つまらないかもしれませんので、悪しからず。

では、唐突に話に入ります。


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昔から身近な人の死でも、泣いたことがない。


こんな自分に、ちょっとだけ悲し悔しく、嫌気づくんだよ。

嫌になっちゃうよーと思いながらも、これが自分だと思っている。

なんでなんだろうかと、断片的に考える日々。

忙しいと考えなくなるけど、余白が出来る度に思うこと。


心を持ち合わせていないのか。

他人に対して興味関心がないのか。

周りの人が嫌いなのか。


こんなことを言い出した日にゃあー、

こいつの人格どうなってんだって問題になるはずだ。笑

鬼か、悪魔か、はたまた宇宙人かって。


でも、人のことは好きだよ。

大好き。話好き。女好き。

親友と呼べる友達だっているし(一方的な感情だけど)

何より、周りの人の好き嫌いを抜きにして、

自分に影響を与えてくれる周りの人そのものが好き。


ばか、あほ、どじ、まぬけ、天才、秀才、変態などなど。
どれもこれも好き。

そんな好きすぎる人とは、模範で反面教師。

服を買いに行くのと同じで、セレクトしているんだ。
速攻で買ってしまうとか、結局買わずじまいとか。

本棚に本を入れるのと同じで、陳列しているんだ。
漫画、エロ本、小説、エッセイ、…なんてね。



自分自身を知るための「鏡」なのだ。


自分がうるさかったら「うるさい」と言われ静かにし、

「シャツの襟変だよ」と言われたらなおし、

「どうなってるのさ!」と怒られたら謝ったり。


ああ、この人の言う事は違ってると思えば、

聞くけど自分の中に取り込まない。



直接喋らなくても、その姿勢や態度だけでも「鏡」なのだ。

身の回りの人も、尊敬する人も岡本太郎も野田洋次郎も。

影響される人そのもの全てが「鏡」だ。

だから、無駄な人なんていない。

たとえ僕が嫌いでも誰かにとってはかけがえのない人で、自分も他人からすれば同じ対象だ。


一方的に好きな人も苦手な人でも、「鏡」だ。

他人の人柄に対する好き嫌いはイチ人間のためあれど、

そこを抜きにしても、「鏡」であり、嬉しいことなんだ。

かなり話が脱線しましたが、そのくらい人が好きなんです。


太陽系が誕生して40数億年。

進化の過程で人が存在し、こんな知能を持って、

今だってちっぽけな問題を、あーだ、こーだ、そーだと考えている。


そう考えると、人が好きでたまらないわけです。




そんなことを思いながら、やっぱり僕は寂しがり屋なんだよね。

ケンカだって嫌だし、嫌われることなんてもっと嫌だし。

だけど、誰かが亡くなっても泣かないんだよ。


だからって、悲しい感情を間違ってもお座なりにはしない。

悲しいけど泣かない。亡き骸見ても泣かない。


…なんか考えるとフクザツ。ツカレル。メンドクサイ。「負の三段活用」の完成だ。



そう、悲しいって感情はあるんだ。

具体例を挙げると、一丁前に映画とかの作品は泣くんだよ。

感動して泣いて、ヒロインが病気で死んで泣いて…。

ってヒロイン死んで泣いてるじゃん、って思った方々。

あくまで「作品」では泣くんです。

ただ、実際に亡くなる人の前では泣かないんです。

不思議な、微妙な、繊細な感覚なんですよ。


そんなことを長々書いてて、少し見えてきたことが一つ。

「死に対しての持論」みたいなものが心のどこかにあるためなのかな。

多分僕は明日死んでも構わないと思っている。

これは常に。


今この瞬間五体満足だって、明日には不慮の事故で不満足になるし、最悪死だってある。

土砂崩れに巻き込まれるのか、車にひかれるのか、はたまた刺されるのか。

実は死と隣り合わせという感覚をとても実感している。


だから、一日たりとも無駄にはしない。

明日死んでもいいと思えるくらいの今この瞬間を、必死に生きたいんです。


根底の考えは、多分自分の生き方を他人にもあてはめているのかもしれない。

「悔いなく一日一日を必死に生きてきたあなたは、とても良い人生だったんだろう。

 おつかれさまでした。」と。

その本人は何て思っているのか分からないけど。


長生きしようと、短命だろうと、死は逃げないし、訪れる。

自分の死も逃げないし、訪れる。

明日死ぬ人生であろうと、僕は精一杯生きる。

ただそれだけ。


そう腹を括っているから、泣かないのかな。と。

菩提薩埵 (ぼだいさった)

菩提薩埵 (ぼだいさった)

  • 随筆・エッセイ
  • 掌編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-17

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