妖天.剣丸
東風解凍。
〈東風解凍〉
二月四日~八日。
東風都。
妖天大社
春の気を立つをもって也。
節分の日。
妖天大神によりキャラボク山中に建立されたとの伝承が伝わる妖天大社。
広い境内の庭には梅の花が今は盛りと咲いている。
庭の至るところには大小、様々な形をした池が散在している。
東風により、池に張った氷も、次第に薄くなり、いたるところで解けだし春の訪れを告げていた。
その池の周りを走り回る元気な少年と仔猫の姿。
少年の名は……[剣丸]
仔猫は夜叉姫、剣丸の、よい遊び相手である。
『巻き寿司、返せ!』
『夜叉姫!』
夜叉姫は池に張った氷の上を軽い足取りで駆け抜けた。
キャラボクの大木の前で池を挟み睨み合う剣丸と夜叉姫。
剣丸は夜叉姫を逃がしてなるものかと、池に張った氷の上を一直線に走った。
《《バリバリバリ》》
その時、剣丸の足下の氷が音を発てて割れた。
ドボーンと池に落ちる剣丸。
ずぶ濡れになり浅い池に座り込む剣丸を見て仔猫の夜叉姫が勝利の一声をあげた。
((ニャーーーン))
彼は妖天開士と成るべく、母の彩音により、この社に預けられていた。
節分の巻き寿司を仔猫に奪われた剣丸。
仕方なしに、境内に供えられてた豆に手を伸ばして食べ始めた。
その様子を見ていた社(やしろ)の主、東大法師が、ずぶ濡れになりくしゃみをしている剣丸に替わりの衣を手渡した。
東大法師は社の庭にある大きな池の傍らに咲く梅に目をやった。
『梅、早春を開く。』
『春が来るから、梅が咲くのではない。』
『梅が咲くので、春が来るのじゃ。』
『剣丸よ……夢々忘れるでないぞ。』
剣丸は社の大木、キャラボクの下に座り蒼天の空を眺めている。
『わたしが、豆を食べたいから節分は来るのではなく……』
『節分が来たから、わたしは豆を食べているのですね……』
剣丸は巻き寿司を美味しそうに食べる夜叉姫を横目で睨みながら東大法師に答えた。
『そなたの母が、どれほど我が子の行く末を気に掛けておったか……』
『こら!』
『剣丸!』
『聞いておるのか!』
夜叉姫の巻き寿司が気になり落ち着きのない剣丸に東大法師が怒鳴った。
『法師様、聞いております!』
剣丸は夜叉姫に豆を投げた。
『鬼は外!』
東大法師は、社の奥に奉納されている神剣を見ながら呟いた。
『妖天開士、正見殿の意思を継ぎ乱れた世を救う英雄となることは、そなたの母の大願ぞ!』
池の傍らに立つ痩せた老人の行者が東大法師の、この言葉にポッリと呟いた。
『妖天開士、正見……希に見る英雄であった。』
『魔を封じる為に自ら悪の巣窟へ出向き頭領の獅子吼一刀と雌雄の決戦を挑んだ男。』
『東西の都も、あれ以来、静けさを取り戻し人の往来も多くなった……正見殿は、いずこえ消えたのやら……』
東大法師は剣丸に諭すように言った。
『剣丸よ!』
『お前は妖天の血を引き継ぐ者としての自覚を持たねばならん!』
『法師様……その、お話しは、もう耳にタコができるほど聞いております。』
東大法師の小言を、なんとか、交わそうと剣丸は話題を池の前に立つ老人に振った。
『あそこにいる、行者殿は、ここらでは見かけない方ですね。』
『どちらから、いらしたのですか?』
『それに、なぜ目を瞑って笑いながら巻寿司を立てて食べておられるのですか?』
東大法師は行者に視線を移して剣丸に答えた。
『あちらの方は西の都から、妖天開士を探して旅をしておられる西行殿じゃ。』
『手にしておる巻き寿司は、恵方巻といって西の都では、節分には必ず食べる習じゃ……』
『そなたも、一本貰ったのであろう。』
『あのようにして春が来るのに 障りとなる金気を笑い飛ばしておるのじゃな……』
『火気で滅ぼす火剋金といって笑いながら食べることで魔を祓っておるのじゃ……』
その話しに感心しきった剣丸。
『流石は法師様!』
『何でも、よくご存知ですね!』
剣丸は、となりに近寄って来た夜叉姫の頭を撫でながら呟いた。
『なぁ、夜叉姫!』
仔猫の夜叉姫がニヤーと、ないて剣丸に答えた。
その時、剣丸と同じ時に入山した今年十二歳になる精進丸の剣術稽古の声が境内に響いた。
『ヤァー!』
『ヤァー!』
キャラボクの幹に木剣を、頻りに振り下ろす姿。
額から汗が飛び散り眼光にも鋭さが増していた。
仔猫の夜叉姫が精進丸の方へ駆け出した。
夜叉姫の狙いは、やらり精進丸の近くに置かれた巻き寿司である。
夜叉姫の気配を察した精進丸は木剣を地面に立て体を二回転捻り宙を舞った。
巻き寿司が置かれている直前で足を止める夜叉姫。
精進丸の木剣が夜叉姫の行く手を阻んだ。
『お見事!!』
西行法師が、思わず叫んだ。
『この社に妖天大神の申し子が生まれるとの経典は正しかった。』
西行法師は、精進丸に近づき、剣技の名を聞いた。
『今の、鋭い剣術の技は何というものですかな?』
精進丸は、額の汗を拭い、息を静めてから答えた。
『まだ、剣技に名はありません…』
『行者殿、よろしかったら剣技の名を授けてくださいませ!』
西行法師は、頭を掻きながら暫く考え込んで、ポンと手を叩いた。
『猫止飛翔剣!』
『素早い猫の動きも止める、体が宙を翔ぶ剣術に相応しいと思いますが…如何かな?』
精進丸は、木剣を収めて西行法師に頭を下げて礼を述べた。
『行者殿、ありがとうございます!』
『これを機に、更に精進いたします!』
東大法師は、その様子を見て深く頷いた。
『棒ほど願い、針ほど叶う。』
『日頃の鍛練の賜物であろう。』
剣丸は夜叉姫の隙を狙い巻き寿司を取り返す事に成功した。
『法師様が、いっか言っておられた漁夫の利!』
『学びも、このような時、役に立にまする!』
しかし、当の仔猫、夜叉姫は西行法師から巻き寿司をもらい猫なで声で喜んでいた。
東大法師が剣丸の方へ視線を移した。
『剣丸よ、精進丸と手合わせしてみてはどうじゃ!』
『入山した日も同じ、歳も同じじゃ』
『よい稽古相手であろう。』
東大法師の誘いに、剣丸は太い木の枝を適当な長さに折り振って見せた。
東大法師が精進丸に声を掛けた。
『精進丸よ!』
『キャラボクにばかり、木剣を振るわず、ここへ来て剣丸の相手をしてくれぬか!』
精進丸は東大法師の声に応えて、剣丸の前に近付いた。
『法師様……剣丸では、俺の相手は、つとまらないと思います。』
精進丸の、この言葉に憤慨した剣丸は、木の枝をブンブン回して見せた。
『わたしだって、稽古、少しはやっております!』
精進丸は木剣を構えて剣丸に向き直った。
『そちらから、打ち込んでこい!』
剣丸はキャラボクの大木を背にして、その場を動かず座り込んだ。
精進丸は、首を傾げて剣丸に言った。
『どうした…?』
『手合わせする前から降参したのか!』
『不動の構え!』
剣丸は、そう叫ぶと木の枝を両手で頭の上に翳した。
『ハハハ…猫止飛翔剣、封止のつもりか!』
精進丸は木剣を振り下ろさず、真っ直ぐに突きだした。
木剣は剣丸の、喉元近くで止まった。
精進丸は、笑いを浮かべて剣丸に言った。
『剣は振り下ろすばかりではない!』
『時には、突くこともある!』
剣丸は頭上に上げた木の枝をそのまま、突き出された精進丸の木剣へ振り下ろし払い除けた。
精進丸の木剣は地面に叩きつけられ二つに割れた。
すかさず、
木の枝を持ちかえ、精進丸へ突き出す剣丸。
精進丸は、これを、身を翻して宙を飛び避けた。
精進丸は近くに落ちていた木の枝を拾い庭の中央立った。
『剣丸!』
『ここで、勝負だ!』
剣丸は、精進丸が立つ庭の中央まで進み出た。
猫止飛翔剣の間合いを取らせまいとジワリジワリ間隔を詰める剣丸。
精進丸は後退りして、大きな池の手前で止まった。
『精進丸!』
『もう、後がないぞ!』
剣丸は木の枝を真っ直ぐに構え精進丸目掛けて突進した。
精進丸は剣丸の枝先を交わして宙を舞い体制を崩した剣丸の背中を足で蹴った。
勢い余った剣丸の体は目の前の大きな池へと落ちていった。
《《ドボーーーン》》
浅い池に座り込む剣丸の喉元に精進丸の木の枝があった。
東大法師が、池に落ちた剣丸のところへに歩み寄った。
『剣丸よ。』
『そなたの負けじゃ。』
『この勝負は、地の利を味方に着けた精進丸に分があったようじゃな……』
仔猫の夜叉姫も、その場でニャーーーンと、ひとなきした。
『もう、一勝負!』
立ち上がり、木の枝をブンブン振るう剣丸に東大法師が呟いた。
『精進丸は、こちらの西行殿と西の都へ、これから旅立つ。』
『永の別れになるやもしれん。』
『よい、思い出ができたではないか……剣丸。』
精進丸は旅立ちの支度を手早く整えて戻って来ると東大法師に深々と頭を下げた。
『法師様、お世話になりました。』
『これより、西行殿と西の都へ参ります。』
『どうぞ、末永くご壮健で……』
東大法師は、精進丸の肩に手を置き言った。
『そなたには、大器の相がある。』
『その力を、世のために使うのだぞ!』
『夢々、間違った道へ足を踏み外すことのなきよう……』
精進丸は旅立ちに辺り、妖天大社への参拝を済ませた。
その後、西行法師と伴に細い山道の階段を降り、その姿は、いっしかキャラボクの森へと消えて行った。
妖天.剣丸