ENDLESS MYTH 第1話ー18

18

 妙な静けさにベアルド・ブルは気がついた。パイプの入り口を発見して急ぎ頭をモグラとしてハッチ上へ押し開き突き出した。滑走路の横に位置する格納庫内には、円柱状の巨体が横になっていた。整備を終えたシャトルが滑走路への順番を待機していた。
 生命体の気配を感じられない広大な格納庫へ素早く這い出る。
 周囲を警戒し、脳内インターフェースを介して本部が格納庫内に敵がいないのを確認すると、穴の中に安全を示す。
 排泄物が押し出されるように、どさりっと下から突き上げられ、メシアが力なく格納庫へ現れ、続けてマックス・ディンガー神父、最後にマリア・プリースの小さな顔が出て、すぐさま旋風のようにメシアの頭を抱え上げた。
 神父が抱えられたメシアの額に手を乗せ、首筋に指先を添えた。
「脈が不規則になっています。覚醒していないのにあれだけの力を開放したのですから、身体がついてこなかったのでしょう。マリア、彼をお願いしますね」
 しっかりと娘の瞳を見つめ、肩に手を置くのだった。
 マリアの頷きを見て微笑むと、神父はすぐに踵を翻す。そして銃を腰のホルスターから抜き払うと、格納庫の入り口で待機するベアルドの横についた。
「こいつはヤバイですよ」
 鼻の下、額、鼻の頭に汗の玉を作る若い兵士は、それとは異なる冷たい汗を全身に塗っていた。
 チタンのシャッター横、柱の端末で操作する作業員用出入り口。チタン製なのだがその扉の上部に設置された分厚い、三重窓を覗き込む視線の矢印は、滑走路に佇む1つの影に落とされていた。
 部下のベルトを引き、強引に窓から剥がすと神父は顔を窓に突き出し、眼鏡を押し上げた。が、すぐ様に窓から、逃れるように身体を翻して頭を下げた。狼狽ぶりはその初老の顔に色濃く流れる。
「本部に人相照合を行いましたが、間違いありません」
 冷や汗を袖で拭う兵士。
「――アモン」
 銃のグリップを握る腕が小刻みに神父は震える。
「あんな大物がなんで」
 混乱と絶望に打ちのめされた、力のない顔でベアルドが脱力した言葉をこぼした。
 即座、神父は倒れているメシアを見やる。
(すべての、物語の始まりってことか)
 神父は心中で焦燥の舌打ちをする。
 その時、格納庫正面の閉ざされたチタン製シャッターが急激にひしゃげ、壮絶なる力で引きちぎられると、滑走路へ放り投げられた。チタンの分厚い鉄板とは思えない、紙くずのように。
 シャッターの破損と同時に破壊された壁も、形容しがたく破壊され、水飴のようだ。
 遮蔽物がなくなった未来人たちの肉体は、露骨に剥き出しとなった。
 蛇に睨まれた蛙とはまさしくこの様子なのだろう2人は、逃げる行為も隠れる逃避も、なにもできなくなってしまい、ただ呆然と立つばかりに、強制的にさせられた。それだけアモン、デヴィルの放つ禍々しすぎる妖気は、人間を金縛りにする。
「そこに隠れてたのかい? ネズミさん」
 ゆっくり、耳元まで裂けんばかりに口角を押し広げ、激しい恐怖と肉体、精神の拒絶反応を与える笑みをたたえ、アモンは黒い瞳をギョロリと2人の視線に向けるのだった。
 視線が合う一瞬、辛うじて眼光を動かすことに成功したマックス・ディンガーは、被害を被ることはなかったが、真横のベアルド・ブルの視線はしっかりとアモンを捕らえた。刹那、身体が焼けるような苦しみが彼の内から這い上がり、銃を手放しもんどり打って地面に倒れた。芋虫が半身を奪われたようにもがきながら懊悩する彼は、激しく咳き込んだ。すると喉の奥が裂けるような音と共に、複数の黒い物体がはき出された。
 神父は視線を合わせることなく彼に近づき、背中をさすりながらその黒い物体を目視して、思わず胸の前で十字を切った。
 複数の釘とカミソリの刃が血に濡れて地面に転がっていだのである。
 真夏の熱気の昼だというのに、暑さなど感じぬアモンはレザーのコートをまとい、革靴をチタンで流しながらゆっくりと彼らの方へ歩み始めた。
 滑走路を埋めていた人間は、全員、ベアルドと同様の現象を発症し、うめき声すら上げられず、チタンの地面を這いずり回っていた。入り口の見えない苦痛が人類を強襲していた。
 1歩また1歩と未来人へ近づいていくアモン。するとその足下に足跡が地面に現れているではないか。しかも影などではなく、ペンキやタールを流したような真っ黒で、粘度のある足跡なのだ。
 ブーツの形に現出する足跡は、次第に形をとどめず、格段を始め、勢いは加速度的になり、瞬く間に人々の足下が漆黒で濡れた。
 それだけでもおぞましいというのに、異変は止まることを知らないらしく、黒く溢れた沼から溺れる人間たちが顔を出すように、黒い顔面がびっしりと闇から突起したのだ。しかもこの世のものともつかぬうめき声を発しながら。
 倒れたその地面に苦悶の顔がびっしりと、脚を下ろす隙間なく現れたのだから、人間たちのパニックで壊れた自我はさらに崩壊を見せ、滑走路が地獄と変化したその場所は、狂った笑いと自ら命を絶つ者で狂気の空間へと変じた。
 やがて蒼天の色も蛍光色を打ち上げた七色に変化し、いよいよこの世ではない怪奇に埋もれた。
「寝ている場合じゃねぇぜ、犬の王様」
 皮肉、ジョーク。人を超越し極みの彼方から時空を見下す存在が口走る一言ひとことは、人類、生命、地球その物に影響を及ぼした。
 アモン現出後、世界は震えた。自然現象はますます活性化し、各地の火山は噴火。地球のプレートは軒並み弾け、人類が経験したことのない大地震をもたらした。また荒野を複数の竜巻が駆ける横では、複数のサイクロンが同時多発的に発生した。
 天空を斬る稲妻が地上を甜め、隕石の雨が子人類の頭上に降り注いだ。
 ハルマゲドンを経験した人類は、絶望し、希望を嶬峨に求めた。あるものは聖母にすがり、あるものは仏に手を合わさる。神だけが救いを求める人類の、心の救済となった。が、聖母も仏もその瞳から血の涙を迸らせた。すべてを憂うよう。
 人類世界より隔離され、異変の中心地となっている宇宙港の異空間。アモンの妖気はメシアをとらえた。
 覚醒のまだないメシアの肉体は、マリアの腕から奪われ、中空へ強引に引き上げられた。
 最愛の人をその手から奪われ、驚愕に声も出ないマリアだが、この時に顔を上げ初めて周囲の戦慄に意識を吸引された。それまでメシアにばかり意識を奪われていたので、周りの異変になど眼も行かなかった。
 二重、三重の衝撃に愕然となるマリアはしかし、すぐに最優先すべき事柄に眼を向け、中空の彼の足首を捕まえた。
「邪魔をされるのは嫌いでね!」
 歯をギリギリと鳴らしてマリアを睨みつけるアモン。 
 と、彼女の肉体が弾かれてチタンを滑り、工具が並ぶ鉄柱で構成された棚へ激突。衝撃で工具が落下、マリアの上に降った。
「マリア!」
 娘がゴミのように放り投げたデヴィルに、命の危機すらもかえりみず、腰のホルスターからリボルバーを抜き払い、激しい闇を凝視した。喉からの吐き気をやはり何人も想像を絶する脅威からは逃れられない。神父の喉を裂き、錆びついた釘が数本、口から出た。
 口の端の糸のような血を拭い、震える銃口を、動かない身体を、錆びついた歯車のように必死で動かした。そして中空のメシアめがけ、鉛の塊を発射した。
 血煙が飛び、メシアの肩に血液の染みが広がる。
「起きろ!」

 薄闇をつんざく誰かの悲鳴がメシアの耳に届き、波間に漂っていた意識が輪郭をくっきりとさせた。
 誰の声だろう? どうして泣いているんだろうか?
 叫び声の主は慟哭に近い鳴き声なのが彼の、未だに薄い意識にも分かる。
(誰、誰なんだ)
 気がつくと淡くけぶる森の中で、1人、メシアは立っていた。
 杉木が連なり、以前、テレビで見た屋久島を思い起こさせる場所だ。だが、自分がどうしてこんな霧に包まれた森の中で、しかも残らでいるのかまるで理解できなく、周囲を見回した。
 するとまた鳴き声が森の中に反響した。さっきまでの慟哭とは変化し、幼い幼女の声になっていた。
 苔のむした湿った地面を踏み鳴らし声の場所を探した。湿った空気で喉が濡れるのを感じ、皮膚に湿気がまとわりついた。だが嫌ではけしてなく、むしろ心地が良かった。
 鳴き声は永続的に続き、声の主はすぐに発見できた。太い杉木の影、そこでうずくまっている女の子。声の主はその子であった。
 正直、子供が得意ではないメシアは、髪の毛を撫で、顔に当惑を乗せた。森の中にノースリーブのワンピースを着た少女。これはきっと夢なんだ。彼はそう思うからこそ、話しかけることができた。現実でこうした状況下で声などかけない。
(なにを泣いているの?)
 声は喉を震わせない。声量がないのだ。
 この状態で意思が伝わるはずがない。そう思っていた彼の前で少女は顔を上げ立ち上がった。
 細い四肢は顔と同じく白く血管が透き通っている。涙を流した眼はビー玉のように丸く透き通っていて、小さな手で拭ったのか、瞼は赤い。
 が、その顔を目撃した刹那、少女が誰なのかを咀嚼した。
(――マリア)
 上目で彼を見据える少女。睨んでいるのはすぐに分かった。
「助けてくれないの。どうして助けてくれないのよ」
 ただ呆然と立ち尽くすメシア。
 憤りを手にする少女は返答も待たず、立て続けに訴える。
「結局、貴方は誰も護れない。わたしも命も」
 諦めに近い口調に手を伸ばし、指先で彼女の頬に触れようとした。その指先は震えている。
 その時、意識は渦の中に落ち込むように、遠のき、視界が暗転していった。

 左肩の激痛にうなされるようにメシアの意識は肉体に引き戻され、マックス神父の叫び声が鼓膜に針となって刺さる。
 水面から顔を出したようにぼやけ歪んでいた視界がクリアになるに連れ、そこが混沌に燃えているのが分かった。
 その場所が自分たちの目指す宇宙港であり、人々が悶絶し、もんどり打っている。口から放出し続けるおぞましい汚物。
 中空に十字架に貼り付けられたように浮かぶ自分の肉体。足元には狼狽し自らに震える銃口を向けている神父と、横で突っ伏しているベアルド。
 しかし彼の肉眼を愕然と吸い付けたのは他でもない、レンチなどの工具の下敷きになって意識を失い、切れたのか額から鮮血を白い肌に流すマリアの姿だ。
 マリア! 叫ぼうとするが途端に口の開閉が困難になった。押さえられているなどのレベルではなく、口を開く筋肉自体が力を失い、開閉が困難とされたのだ。
 見動きをしようとしたが、身体が縛られて指先1つ、動かせない。
 ここで初めて自らの肩が赤くしみになり、肩に銃痕があるのを把握した。が、皮膚を裂き、健を断ち、骨を砕いて背中に弾丸が抜けた傷口は、治癒寸前にまで回復していた。
「ようやくお目覚めか? 犬の王様」
 コートの裾を翻して自分の能力で破壊した倉庫の入り口からアモンは堂々もメシアの前へと歩み寄った。
 実に禍々しい笑みは、例の如く耳元まで口を先、ニンマリと情報のメシアを見上げた、そして自らもまた、上昇を開始すると、メシアと同じ目線の高さまで浮上した。
「ようやくだ。ようやくお前を見つけたぞ」
 嬉しそうに指先を伸ばすと、彼の頬をなぞった。
 まるで死人の指先のように、頬を伝う感触は冷たく、メシアの身体に寒いものを感じさせた。
「この無様な格好を見てみろ。血液が流れ、湿った肉が脈動する。肺で酸素なぞを吸い、胸の中で筋肉を運動させなければ、肉体を維持することすらもできない。しかも頭蓋の中には不気味極まる脳などという塊が這い入っている。これで考えなければ、肉体は愚か、思考すらもできないとは、実に面倒ではないか。
 こうした劣悪な環境に虐げられたのも、犬、お前のせいだぞ」
 激しい嫌悪が根底に流れていても、口調は軽い。
 アモンは指先をゆっくりと彼の頬から離す。と、対峙する宿敵の視線が眼下に落下している事実に気づき、自らの眼球をも下方へ移す。その行為すらもデヴィルの自分の本来の姿からしてみれば、劣悪で嫌悪な行動でしかなかった。
 メシアの視線は頭から血を流すマリアに向けられていた。
「生命体に好意を抱くとは、王にあるまじきだな」
 そう言い放ったアモンの顔には、悪戯を思い浮かんだ悪戯小僧のそれに似た、嫌らしい笑みが満面に広がった。
 すーっと滑るように地面へ着地するアモンは、爪先をマリアに向けた。するとマリアの上に落下し、周辺に散らばった工具が瞬間的同時に八方へ放射状に移動した。まるで磁石から砂鉄が離れるように。
 細い線のマリアの肉体は擦り傷と打撲で赤くなっていた。意識の回復は未だない。
 アモンは小枝のようなマリアの首へ細い指先を伸ばし入れ、小首を軽く握った。
「さあ、想像しろ、王よ。愛する者の首が引きちぎられ、頭蓋が石ころとして放り投げられる様を」
 メシアの眼球が飛び出さんばかりに見開かれ、喉を潰すような叫び声が発せられた。うめき声、雄叫び、言語を超えた慟哭がそこにはあり辛うじて、やめろ! との主張だけだ叫びの中から突き上がった。
 四肢を駄々っ子のようにうごめかそうとするも、縛り付けたように、一切の微動も許されなかった。
 嘲笑い、腕を持ち上げたアモン。冷たい遺体のような手は、マリアを引き上げていた。首で全身を差冴えているせいか、顎の下にシワがより、頬は歪んでいた。
 ニタリと笑い、アモンは悪意の指先を動かそうとした。
 が、刹那になにアモンの意識は別方角へ引き寄せられた。
 アモンの右側から黒い物体が凄まじい速度で飛来したのだ。アモンの絶対遮蔽が物体を自然的に遮断した。
 物体はアモンの寸でで停止させられると、周囲に円を描き回転を始めた。そして中央から上限へ細長い筋が描かれた。
 マイクロブラックホールがシュバルツシルト半径を展開、ジェットを噴射したのだ。
 この距離でブラックホールが展開したならば、生命は瞬間に吸い込まれ、肉体が砕けれながら、おそらくは吸い込まれるだろう。か、あくまでも人間の話。デヴィルなる超越者は、展開するブラックホールに腕を伸ばすなり、ソフトボール大のブラックホールをにぎりしめ、特異点ごと握り崩した。
 超越者には物理法則も超自然的現象も、摂理では説明できないのだ。
 気づけば、マリアの肉体は地面に捨てられていた。
 明白にアモンの顔には不愉快さが花咲いていた。どこの愚か者が自分の至高を邪魔するのか。アモンがゆっくりとマイクロブラックホールが飛んだ方向を、まさに悪魔の形相で目を見開き、睨みつけた。
 複数の人影が異空間の歪んだ、蛍光色が吐き出される空を背負い、宇宙港の屋上に立ち、滑走路全体を注視していた。
「定められし者どもか。ふっ」
 人間を超越した、全てを超越した者に、生命体の枠組み内にいる者を恐れる気持ちなど、微塵たりともない。
 複数の影は屋上を1つ蹴ると、弧を描き宙を舞い、アモンを取り囲むように倉庫の中へと瞬時に移動してきた。
「マリアを離しなさい!」
 人が凛然とアモンと対峙した。マキナである。親友を護りたい一心で超越者と向き合った。だがしかし蟻が巨象を前に立ち尽くすが如く、生存本能がマキナに対してこの場からの逃走を促していた。
 ロングコートを翻して、マキナを視線にとらえたアモン。不敵にニタリと笑ったその顔は、人間には理解もできぬおぞましさが浮かんでいた。
 四肢の感覚が痺れたようになり、マキナは瞬間的に顔が蒼白になった。
「威勢がいいのは最初だけかい?」
 ゆっくりと、ニヤニヤしつつアモンは黒い足跡を刻み、マキナの小さな身体へのっそりと近づいていく。
 金縛りになったマキナ。アモンの能力などではない。恐怖、絶望、不安感。それらが自らを縛り、また動きを制約した。
 黒い足跡は滑走路のそれと同じく、漆黒の絨毯と化して倉庫内部へ拡張、同時に顔が地面から突き出され、懊悩の慟哭が湯気のように湧き上がってきた。
 自らの世界に満足しつつ、マキナの恐怖の汗の匂いを鼻孔で嗅ぎ分け、また一歩マキナのエリアへ脚を進めた。
 次の一歩を踏み出そうとした瞬間、青びかりが滑走路から倉庫にかけて駆け抜けた。
「おれを無視するんじゃねぇよ」
 拳はチタンの床を大きくへこませ、その稲光はイラートの拳から全身を小さな龍となっめ這い回っていた。
「おれは無視されるのが嫌いなんだよ」
 と、拳を振り上て突き出す。狙いは明白にアモンの頭蓋である。
 拳の先から稲妻がビームの如く中空へ走ると、倉庫の天井に焦げた大きな穴をポッカリと作った。
「よけんじゃねぇ!」
 しかしながらイラートの狙いは外れ、アモンは俊敏な脚のさばきで攻撃を無効とした。けれどもアモンの顔色は明らかに驚きの色をしている。
 逆の腕を直角に突き上げ、アモンの顎めがけ稲妻を走らせた。が、これも中空に散らばってしまい、漆黒の超越者の危害にはならなかった。
 視線を少年のようなイラートへ与えるた。
 意識の矢印が向かっただけで、イラートの肉体はチタンへ這いつくばり、地面を滑走して、デヴィルから遠ざけられた。
「人が歯向かうってぇのは、驚きだな」
 驚きは一瞬にしか過ぎず、自らの目の前で悠然と動き、牙を剥き出しにする人間を、むしろ悦びとして受け止めた。
 膝を立て、しっかりとした足取りで臨戦態勢を構えるイラートだった。が、超越者との接触が何を意味するのかすぐさま、理解の範疇へ黒ぐろとした石が投げ込まれて気がついた。
 突然、喉の奥に込み上がってくるものを感じ、口から血液の塊が吐き出され、同時に剃刀の刃が溢れ出てきた。
 強靭的精神力。それが能力を備え、定められし者たちの力であり、同時にデヴィルへの唯一の対抗手段でもあったのだが、ここに来て力尽きたのだろうイラートは、意識を失う瀬戸際まで一気に追い詰められ、朽ちる樹木のように倒れ込んだ。
 弟が倒れたことに動揺した様子でエリザベスが駆けつける。弟を抱き上げたその瞳には稲妻が光を放ち、アモンへの敵意が露出する。
「やめなさい。ここでやり合ってもメリットはない。それに我々は彼らと同じ地平に立っているのですよ」
 面長で長身の男が彼女の肩に手を置く。
 その手が汗で濡れているのが肩越しにもエリザベスに理解できた。
 彼女はさらに視線をファンの後ろにやると、他の面々も能力を発揮する素振りすら見せてはいる。が、強者を前にした猫の如く、背中の毛を逆立てるだけであった。実際、アモンを眼前に対抗できる人間など皆無なのだ。
「つまらないじゃねぇの」
 不満げにデヴィルは革靴を鳴らした。超越者にとって全ては戯言、遊戯なのだ。
 やはり遊び相手は犬の王。考え直しマリアへ視線を落としたアモン。
 その刹那、異空間の闇、唸る顔が泡のように浮き出るアモンの足跡から広がったそれが、掃き清められたかのように、一直線に消滅する現象が発生した。
 と、アモンは舌打ちすると、踵で地面を蹴飛ばす。
「ややこしい奴らがきやだったか。そりゃあそうだわな。運命の始まりに、顔を出さねぇえわけないよな」
 ふて腐れた子供の口調でアモンは言い放つ。
 同時に彼の異空間をつんざき、光の粒が構築した、光子のトンネルが延々と開通すると、倉庫の入り口に2つの影がトンネルを抜けて現出した。
「困りますねぇ、楽しみの邪魔をされるのは」
 丁寧な口調でありながら、不愉快さが糸を引く不気味な笑みは、アモンの心情を表し、また新たに現出した登場人物を不快に睨みつけていた。
「不愉快なのはこちらとて同じ。立ち去りなさい、汚らわしいわ」
 道端の汚物に嫌悪な矢印を向けるような口調で、トンネルから進み出た初老の女性は、ほうれい線を深く、悪寒を感じるような苦痛に歪めた。
「おれと対峙できるとは、偉くなったもんだなぁ、聖母さま」
 小馬鹿にした口調がありありと分かるアモンの声。
 すると聖母と称された初老の女性は、悠然と悪しき超越者のめがけ、声色を弾丸とした。
「科学は発展の途上にあり、未だ限界にはない。科学こそが貴様ら汚らわしき存在を葬る唯一の方法だ!」
 次の瞬間、デヴィルの周囲1メートルの範囲を、振動する透明なエネルギーのカーテンが覆った。
 黒いコートをマントのように翻すなり、アモンの表情に初めて、苦い汁がひっかけられた。
「Dフィールドかっ」
 迂闊だった、と心中で唸ったアモンはしかし、このデヴィルに対抗するがためだけに開発されたフィールド内では、能力の性能を著しくはぎ落とされのだ。
 あれほど禍々しかった空の蛍光色は蒼天へ還元され、地上の黒い闇から泡粒のように放出されていた顔も、チタンの地面へともどった。
「このまま貴様を永劫に閉じ込めるのは造作もないぞ」
 女性の後ろ、丸眼鏡を掛けた男が、アモンを射るように見やった。
 苦々しくしながらも、どこか楽しんでいる雰囲気を湯気として身体から発するデヴィルの、その笑みは2人を捉え、黒い漆黒の輪郭が包むようだった。
 凛然としつつもしかし、2人の眼差しの弓矢の奥では、激しく渦巻くドロドロとした恐怖感がネバネバと糸を引き、今にも面相の表へ這い出そうだった。が、1度でも1滴でも表面へ黒い闇の感情が出たら最後、止めどなく溢れる感情は弱さを生み、デヴィルの術中に陥っていまう。こうして退治していられるのも、彼らの組織が精神強壮を科学的に行っている成果なのだ。
 人を前におぞましき笑みを称えていたアモン。その手は今にも何かを握りしめようかとするほどに力が入り、黒々と邪悪な水蒸気か霧のような闇が、腕の周囲を蛇の如く巻き、アモンの内側から発散されるそれは、今にも爆発しそうな勢いで、うねりの速度を加速度的にましていた。
「ここは撤退を」
 と、不意にアモンの足下から声が突き上がった。まるでアモンの影が声を発しているかのように。
「撤退? 馬鹿をぬかせ」
 禍々しい声は二重、三重に重なり合って、いよいよ人間離れした雰囲気が巨大化していく。
 神々しく立つ2人も、さすがにアモンが放つ雰囲気に圧倒され、光のトンネル内部へ後ずさりする。
「犬どもの気配がします。ここは撤退するが良策かと思われますが」
 またしても冷静に影はアモンをなだめる。
 そこで瞬間的に燃える黒い炎の中に多少なりとも理性の水滴を垂らすアモンは、確かに周囲に嫌悪感が満ち始めているのを感じ取った。
「・・・・・・厄介になりやがった」
 瞬間、アモンの腕を巻いていた闇は風に吹かれる煙のように消滅した。そしてデヴィルの顔にこれまでとはことなる無表情が能面のように張り付いた。
「物語の始まりはすでに告げられた。第一幕はこれにて終了としよう」
 感情の起伏が皆無の言葉をボソリと投げかけ、アモンは天空を見上げた。刹那、デヴィルの肉体は黒い疾風に巻き上げられ、その場から消失したのだった。
 宇宙港は嵐の後のように、半壊した滑走路と格納庫、そして未だ懊悩から立ち上がれない人々のうめき声がこだましていた。
「時間が無い。急ごう」
 トンネルから出た初老の男性は、呆然とする初老の女性へと言葉を掛けた。
 ハッと我に返った彼女は、咳払いを1つすると未だ気を失うマリアの細身に眼をやった。
 細長い腕を突き出す彼女の腕には、複数の傷跡が見て取れる。
「コアを回収します」
 背後の男に確認するなり、彼女の掌から青白い光が放出されると、瞬間的にマリアの肉体が光を放ち、その場からかき消されてしまった。
 事態の進行に面食らっているメシアは、様々な感情が噴出し、何を先に処理すべきか、脳内は煮詰まった鍋のようである。
「状況終了。これより撤退する」
 初老女性が腕を下ろすなり、背後の男性が言い放つと、地面に突っ伏しているマックス・ディンガー、ベアルド・ブルを一瞥した。
「君たちの時間軸はここに固定されている。運命に組み込まれているのだから、自らの使命をまっとうしなさい。ソロモンからの公式命令はこれで最後です。これまでご苦労」
 感情はそこにはない。ただ業務を果たした部下への労いを義務的に放ち、男の視線はメシアへと今度は下りた。
 しかし女性の方はマリアを見もせず、トンネルへ戻ろうと振り返った。
「ちょっと待ってくれよ。なんなんだよ、なんで母さんと父さんがここに、マリアは、これは何なんだ・・・・・・」
 混乱をそのまま口走ったメシア。何を尋ねれば良いのか、どんな答えがほしいのか、未だ彼は状況を咀嚼できずにいた。
 幾つもの感情が波のようにメシアを襲う。
 歩みを止め、メシアの母は自らの息子を振り向く事も無く告げた。
「この時代においても、わたしの時代でも貴方の養育権は放棄しました。貴方との親子関係はありません。勝手に産まれてきた貴方に母親と呼ばれるのは迷惑です。直ちに止めていただきたい」
 親が子に言うセリフとは思えぬ言動の後、母親と呼ばれる事を否定する女は、時空を貫き未来世界へ直結する時空トンネルへと姿を消していった。
「メシア。わたし達のことは忘れなさい。自分の人生を生きるんだ」
 丸い眼鏡を掛けた父親はそう言うと、静かに振り返りトンネルの中に入っていく。瞬間、時空を変動させ時間軸を歪めたトンネルは消え、空間は元通りとなった。
 真夏の陽光はまた容赦無くチタンの地面から照り返し、もんどり打ち人々を蒸した。
 メシアは嵐が過ぎ去り凄惨さだけを残す宇宙港の中に1人、大事なものを失った。
 空しく蒼天の天空に彼の叫び声だけが響くのであった。

エピローグ

 それからの事柄をメシア・クライストは覚えていない。大事な人を失い、子供の時以来、自分の前に現れた母から言い捨てられた現実。それらが脳内を衛星のように周り続け、思考能力は皆無となっていた。
 気づいた時、彼はシャトルの席に縛り付けられるようにベルトで固定され、何重にもなった丸い窓ガラスの外に広がる、地球の光景をただ眼に焼き付けるだけだった。青々とした世界、へばりつく大陸。その中を飛び交う飛行物体が落下すると同時に閃光が宇宙空間に複数、ひらめいた。核攻撃が行われているのだ。
 彼らがさっきまで立っていた大陸は幾つにも粉砕し、各大陸は震えている。プレート地震が世界各地で発生し、宇宙空間からでも見て取れる。地震の影響から火山噴火も見え、赤々と天空を貫くマグマの火柱は、空を引き裂いているように見えた。
「なんてことなの・・・・・・」
 吐息のように漏れる声が彼の背後に落ちた。宇宙服を着用し、身体が二倍の大きさになっているエリザベス・ガハノフが彼の横の座席から、同じ窓を眺めていた。
 ヘルメットのクリアヴァイザーを上げ、髪をすべて後ろへ流し、額を出していつもと印象が違う彼女もまた、世界の終末を目の当たりにして、言葉を失うことしかできなかった。
 何もかも失った。
 喪失感だけを抱え込み、彼は静かに眼を閉じた。地球圏を抜け無重力に浮かぶ肉体を放り出し、ただ力なく浮いている。
 もはや生きている意味など無い。世界は絶望に包まれたのだ。

ENDLESS MYTH 第2話へ続く

ENDLESS MYTH 第1話ー18

ENDLESS MYTH 第1話ー18

  • 小説
  • 短編
  • 全年齢対象
更新日
登録日
2015-08-16

Copyrighted
著作権法内での利用のみを許可します。

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