水たまりで暮らす金魚みたいに。
どれくらい深く、あの街は沈んだのだろう。僕にとって、まだ魚は泳いでいる。あの街に降る雨も、僕はまだ見ている。何も知らない君が、何も知ろうとしない街のことを、僕は知っている。
君の顔は見えなかった。深い影によって潰されている。無口な君の右手には、拳銃があった。引き金には指が回されている。その指に、躊躇の心はただよっていないように見える。簡単に引き金を引けてしまいそうな君は、僕のことをじっと見つめている。君の心は壁みたいなものだ。そして、何よりも孤独だった。君は何かが「死ぬ」ということに対する感情を、うまく掴めていない。片鱗だけ触れ、それだけで全てを知ったような気になっているのだ。僕が言葉を床に落とすとき、画質の荒い、白黒テレビの電源が点く。
「海の下にある街」を、君は知らない。その海は甚だしく深く、もう殆どの人間は、その深さを測れない。そんな海の底に、街はある。街では小人たちが静かな生活を営んでいる。小人たちは、日向を知らなかった。そこにある街は、常におびただしい影が落とされていた。空を仰げば腹を空かせた大きな魚の大群が泳ぎまわっていて、餌となる小人たちをかいさぐっているのだ。小人たちは建物などに身をひそめて、息を殺し、囚われながらその街で必死に暮らしていた。
魚の群れは上空から、いつも小人たちの気配をかいさぐっていた。建物の隙間などでうごめく影がちらりとでも視界に入れば、すぐに急降下して影のほうへ切り込んだ。見つかった小人は街中を駆けだすが、魚の大きな影にすぐに吞まれ、生死を問うきわどい橋すらも渡る余地なくそこで死ぬこととなった。それを目撃していた仲間の小人はただただ拳を握り、心を荒く削いでいった。
そんな日々によって、小人たちは心を忘れていった。慈悲する余白も、その街には無かった。幾多に欠陥した屍の欠片もそのまま地でよこたわったまま、身を腐らしていった。しかし、魚の空腹が満たされることは決してなかった。この街に住む小人を食らうこと、それだけが魚たちにとっての生きる意味だった。
白黒テレビは、おびただしい蟻が寄りたかられた一匹の鳩の死骸を映していた。鳩の死骸はひどく黒ずんでおり、首は捥げ、毛は毟られて、手足は腐って千切れている。目玉はころりと垂れ下がり、皮は剥がれて骨は焦げていた。それに蟻はたむろし、地に刻まれた血痕を覆い隠していた。
ある日、「海の下にある街」に、けたたましいほどの豪雨が降った。豪雨は街中に降りしきり、街の面積に充ちた大規模な洪水をつくりあげた。魚たちから身を隠していた小人たちは殆どがそれに流され、魚たちの視界に次々と晒されることとなった。洪水で流された小人は魚たちに虱潰しに食われていき、飛び散った残骸がそこら中で浮いた。その日だけで、小人たちの殆どが死んだ。そして、その日ようやく魚たちの胃袋は満たされたのだ。
顔の見えない君は、孤独に甘えている。その拳銃に、銃弾はない。だからそんなにも安易に引き金を引ける。白黒テレビはまだ、一匹の鳩を映している。その屍をみて、君はなにを考えるだろう。僕にはそれを映せない。魚はもう、空を泳いではいない。豪雨はもう、街に降りしきってはいない。君の知る空は、空っぽだ。当たり前なことを、当たり前と言える。青空を、青いと言える。簡単にうなずけてしまう今に、君はかぶりを振ろうとはしない。生きる、ということと、死ぬ、ということをひとくくりにして、君はたったの一箱でそれを片づけてしまっている。その拳銃に弾丸が入ったとき、それでも君は引き金を引けるだろうか。僕には映せない。鳩を映していたテレビの画質が、さらに荒くなる。音も千切れ、灰色の砂嵐が流れる。そして、ぷつりと乾いた音を立ててテレビの電源は切れる。
沈黙がまた、君の孤独を甘やかす。君は自分のこめかみに、簡単に銃口を当ててしまう。引き金に指を回せてしまう。そんな君に、僕はただ簡単な言葉をそこに置くのだ。たった三文字の、その言葉を。
たとえそこが水槽じゃなくても、そこがただの雨粒のよどみだったとしても、金魚は泳がなければいけない。泳ぐのを止めてはいけない。心を壁にしてはいけない。空っぽになってはいけない。知らないことを、忘れてはいけない。思い出じゃないことも、思い出さなければならない。君は拳銃を床に落とす。君の顔に深くかぶった影が、冊子の隙間から滑りこんできた日差しによってすこしずつ見えてくる。虚ろなままだった静寂がまだ、未完だったということをこの部屋に知らせる。
ふたたび、テレビの電源が点く。
フルカラーテレビの画面は、朝を唄う鳩の群れを映している。 END
水たまりで暮らす金魚みたいに。
最近、よくテレビで「戦争」という言葉を目にします。「戦争」という映像を目にします。それに対して僕がなにを思うかと言うと、それは「よくわからないもの」です。15歳の僕は、戦争がなにを生み、なにを失くしたのか、わかりません。しかし、僕は一つ思うのです。今、「死」という考えが薄らいでしまってるのでは無いだろうか、と。戦争の思い出はありません。ですが、思い出して生きなければいけないものだ、と僕は言葉を書きます。
現在、長編を執筆しております。是非、そちらも。